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ゼレンスキーの正体:人気を博した芸能人から不人気なピノチェット式新自由主義者への変身

<記事原文 寺島先生推薦>
The real Zelensky: from celebrity populist to unpopular Pinochet-style neoliberal
筆者:ナタリー・ボールドウィン(Natylie Baldwin)   2022年4月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2022年6月8日



<訳注>
 以下の論考では、2014年の政変がアメリカ主導のクーデターであったこと、またキエフ政権の主要ポストがネオナチで占められていることへの言及は、ほとんどありません。彼女がハリコフ生まれのウクライナ人だからなのかもしれません。
 しかし、そのような著者であっても、彼女はこの論考で、喜劇俳優だったゼレンスキーが大統領に立候補したときの公約を投げ捨て、チリのピノチェト将軍を思わせるような独裁者に見事に変身していった過程を鋭く分析しています。
 翻訳して紹介したいと思った所以(ゆえん)です。




 ウクライナの学者オルガ・ベイシャは、「ヴォロディミル・ゼレンスキーが広く嫌われている新自由主義政策を受け入れ、ライバルを弾圧し、その行動が現在のロシアとの戦争の火に油を火を注いだ」と言っている。

 2019年に国の最高権力者に上り詰めた喜劇俳優のヴォロディミル・ゼレンスキーは、おそらくトランプ弾劾劇場の端役(はやく)として以外は、平均的なアメリカ人にはほとんど知られていなかった。
 しかし、2022年2月24日にロシアがウクライナを攻撃すると、ゼレンスキーはアメリカのメディアで突然Aリスト(特に支持された人々の名前のリスト)の有名人に変身した。
 アメリカの視聴者が当初、目にしたのは、悲劇的な出来事に打ちのめされて恐らくは自分の処理能力を超えて完全にお手上げ状態であるように見えた一人の男のイメージだったが、最終的には彼の賛同者になった。
 最初のイメージが、次に「カーキ色の服を着た疲れを知らないヒーローが、小さな民主主義国家を統治し東からの独裁者の蛮行をたった一人で食い止める」というイメージに発展するのに時間はかからなかった。

 しかし、西側メディアが丹念に作り上げたイメージの向こう側には、もっと複雑でお世辞にも良いとは言えないものがある。
 ゼレンスキーは、平和の追求を公約に掲げ、73%の得票率で当選したが、その他の綱領は曖昧なものであった。ロシア侵攻の前夜、彼の支持率は31%に落ち込んでいた。それは、不人気な政策の追求が原因だった。

 『ウクライナの民主主義、大衆主義、新自由主義:仮想と現実の境界で』の著者であるウクライナの学者オルガ・ベイシャは、ゼレンスキーの権力の獲得と、大統領就任後の権力の行使について研究している。
 以下のインタビューでベイシャは次の点について論じている。
 ① ゼレンスキーの新自由主義の受け入れと権威主義の増大、
 ② 彼の行動が現在の戦争にどのように貢献したか、
 ③ 戦争を通じての彼の逆効果的かつ自己中心的なリーダーシップ、
 ④ ウクライナ人の複雑な文化・政治観とアイデンティティ、
 ⑤ 2014年に「ユーロマイダン(欧州広場)」で起きたカラー革命の最中およびマイダ ン後に新自由主義者と急進右派と連携したこと、
 ⑥ ドンバス地方全体をロシアが占領したことは2014年当時よりも地元住民に人気がないのではないかという点。
(マイダン広場で起きたカラー革命:アメリカが裏で指導したクーデターで、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の追放をもたらした。)


ナタリー・ボールドウィン:
 あなたの経歴を少し教えてください。 出身地や現在の研究分野に興味を持たれたきっかけは何ですか?

オルガ・ベイシャ:
 私は、ロシアとの国境線上にあるウクライナの都市ハリコフ(下の地図参照)で生まれたウクライナ人で、父や他の親族が今も住んでいます。ハリコフは戦前、ウクライナ有数の教育・科学の中心地でした。
 住民はウクライナの「知の都」に住んでいると自負しています。1990年には、党の支配を受けない最初のテレビ局が設立され、すぐに最初のニュース番組が放送されました。
 その頃、私はすでにハリコフ大学を卒業しており、ある日、大学の友人からこの番組でジャーナリストとして働かないかと誘われました。

 出典:https://www.nikkei.com/theme/?dw=22012404
(日経新聞22年4月5日)


 翌日から、未経験の私は取材を開始しました。数ヵ月後には、ニュース番組の司会者になりました。私のような、流星のように速く司会者になるなんていう華々しい経歴は、とくに例外ではありませんでした。

 無秩序に増え続ける新しいメディアは、メディア・ワーカーをどんどん要求しました。その多くは、ジャーナリズムの教育も人生経験もない、野心的な若者たちでした。
 私たちを結びつけていたのは、西洋化への願望、ソ連崩壊後の変化を特徴づける社会的矛盾への無理解、「改革に対していだく労働者の懸念」への無関心でした。
 私たちの目には、労働者の懸念は「逆行」、つまり文明が何であるかを理解していないと映ったのです。私たちは、自分たちを革命的な前衛であり、選ばれた進歩的な改革者であるとみなしていました。
 私たちメディア労働者こそが、ウクライナの新自由主義化を推し進めるのに好ましい環境を作り出したと思っていたのです。
 しかし、新自由主義は西洋化や文明化として提示されましたが、それらは社会にあらゆる悲惨な結果をもたらしました。このことに気づいたのは、数年後のことでした。

 その後、キエフのテレビ局で歴史ドキュメンタリー番組の制作を監督しているうちに、私は気づいたのです。
 歴史の一方向的な進歩と「野蛮人」に対する西洋化の必然性という神話が、旧ソ連諸国だけでなく世界中で新自由主義化の実験にイデオロギーの基盤を提供しているということに。
 西洋化というイデオロギーの世界覇権への関心が、私をまずコロラド大学ボルダー校の批判的メディア研究の博士課程に導き、その後、現在の研究へと導いてくれたのです。

ナタリー・ボールドウィン:
 ウクライナの社会学者たちの学術的な研究によると、最近の世論調査では、 ほとんどのウクライナ人はアイデンティティの問題(「私が何者であるか」という問題)にはあまり関心がなく、仕事や賃金、物価といった問題に関心を持っていることがわかりました。
 あなたの仕事は、2019年以降ウクライナで制定された民衆の感情に反する新自由主義的な改革に多く焦点を当てています。
 多くのウクライナ人が経済問題についてどのような見方をしているのか、またその理由について話していただけますか?


オルガ・ベイシャ:
 私が住んでいた社会環境(ウクライナ東部、クリミア、ハリコフ)には、民族的アイデンティティの問題に関心を持つ人はほとんどいなかったのです。
 私はいたずらに「私の社会環境」を強調するつもりはありませんが、ウクライナは複雑で分断された国です。
 というのは、社会的に重要な問題すべてにおいて、南東部(すなわちロシア側寄り)と北西部(欧米寄り)で見解が正反対に分かれているからです。1991年のソ連からの独立宣言以来、ウクライナでは2つのナショナル・アイデンティティの考え方が対立してきました。
 「ウクライナ民族」対「スラブ民族」です。ウクライナ民族思想は、ウクライナの文化、言語、ウクライナ民族を中心とした歴史がウクライナ国民国家の統合力として支配的であるべきだという考えに基づいており、ウクライナ北西部でより強く支持されてきました。
 他方、ウクライナとロシアという2つの主要な民族、言語、文化によってウクライナ国家が成り立つとするスラブ思想は、ウクライナ南東部では普通に受け入れられているものです。
 しかし、一般的には、多くのウクライナ人が経済的な問題にずっと関心を寄せていることは、どちらも同じことだと納得できます。

 実は、ソ連崩壊後の1991年のウクライナ独立も、かなりの程度、経済的な問題でした。多くのウクライナ人がロシアとの政治的な分離を支持したのは、ウクライナが経済的に豊かになるという期待、つまり西側の宣伝用ビラが約束したものだったからです。
 しかし、この経済的な希望は実現されませんでした。むしろソビエト連邦の崩壊は、ウクライナの新自由主義化、つまり社会領域の市場化とソビエト福祉国家の崩壊によって、多くの点で人々の生活を根本的に悪化させました。

 ゼレンスキーが始めた新自由主義的な改革はどうでしょうか。世論調査によってその人気を判断することができます。最大72%のウクライナ人が、ゼレンスキーの土地改革を支持しなかったのです。これが彼の新自由主義的プログラムの最重要なものでしたが。
 人々の憤りにもかかわらず彼の党が新自由主義的プログラムを承認した後、ゼレンスキーの評価は、2019年春の73%から、2022年1月には23%にまで低下しました。理由は簡単です。裏切られたという深い感覚でした。
 非公式の選挙綱領すなわち「人民の僕(しもべ)」という番組で、ゼレンスキー・ホロボロドコ[*]は次のように公約しました。
 「もし先生を大統領として生活させ、1週間だけ国を治めることができたら、大統領を先生として生活させる」と。
 控えめに言って、この公約は果たされませんでした。ウクライナ人ではなく、グローバル資本の利益のために改革がおこなわれ、人々はまたもや騙されたことに気づいたのです。
[*ホロボロドコ。テレビ番組でゼレンスキーが演じた教師.著者註]


 ロシアの「侵攻」(*)によって、経済の安定とアイデンティティの問題の優先順位はどの程度変わったと思いますか? 民族主義者=超国家主義者、穏健派=左派、それぞれの政治的運命はどうなるとお考えですか?
(*訳注:プーチン大統領は「特別作戦」という用語をもちいている。「戦争」でも「侵略」でも「侵攻」でも「介入」でもない。)

 これは興味深い質問です。確かに人々の最優先順位は生き残ることであり、そのために安全が第一の関心事となっています。
 自分の命を守るために、何百万人ものウクライナ人が、私の母や子持ちの妹もそうですが、ウクライナを離れてヨーロッパに向かいました。彼らの多くは、永遠にヨーロッパに留まり、外国語を学び、外国の生活様式を取り入れる準備ができています。
 こうした動きはすべて、アイデンティティ(自分が何者か)の関心事を優先させるとは言い難いものです。
 しかし一方で、民族感情の高まりと、侵略に直面した国家の強化もまた明らかです。私が個人的に知っているハリコフ人の中には、これまで使ったことのないウクライナ語で投稿を始めた人さえいます。自分たちの民族的アイデンティティを強調し、外国の侵略に反対であることを示すためです。

 これもまた、この戦争の悲劇的な側面です。2014年のマイダン革命は、南東部の多くの人々が支持しませんでした。この革命は南東部の人々を「奴隷」「ソフキ(ソビエト精神を持つ奴ら)」「バトニク(ロシア政権を支持する典型的ロシア野郎)」に変えてしまいました。
 これらは後進性や野蛮さを示す蔑称です。このように、マイダン革命家たちは自分たちを歴史の進歩勢力と考え、反マイダン革命の人たちを「他者」と見なしたのです。なぜなら彼らはロシアの言語と文化に固執しているからだと。
 


上の画像は「ロシアボイコットの映画」。このキャンペーンのアクションで「バトニク」の画像を使用しているウクライナの活動家

 親ロシア派のこの人たちは、ロシアが自分たちの街を砲撃し、自分たちの生活を破壊するとは、決して想像できなかったでしょう。彼らの悲劇は2つあります。まず、彼らの世界はマイダンによって象徴的に破壊され、そして今、ロシアによって物理的に破壊されようとしているのです。
(*訳注:オルガ・ベイシャは現在すでにヨーロッパに亡命しているので、ドネツク地区の情勢については西側メディアの報道によっているものと思われる。ロシア軍がドンバスを攻撃しているのは、そこを支配しているネオナチ勢力の拠点であり、市民は攻撃対象ではない)

 これらの動きの結果、戦争がどのように終わるのか、今のところ不明です。もし南東部がウクライナに残れば、攻撃的なナショナリズムに抵抗するすべてのものの破滅が完成する可能性が高い。
 完全なウクライナ化もロシア化も望まなかったこの独特の国境文化は、おそらくこれで終わりを迎えるでしょう。
 現在ロシアが豪語しているように、もしロシアがこれらの地域の支配権を確立したら、少なくともハリコフのように大きな被害を受けた都市では、大衆の恨みにロシアがどう対処するのか私にはほとんど予想がつきません。
(*訳注:オルガ・ベイシャは現在すでにヨーロッパに亡命しているので、ドネツク地区の情勢については西側メディアの報道によっているものと思われる。ドンバスの多くの民衆は「やっと地下生活から解放された」という喜びを語っている)

 ゼレンスキーに話を移します。あなたが本の中で指摘していることのひとつは、ゼレンスキーが一種のハーメルンの笛吹きとして、その有名性と演技力を駆使して曖昧で感触のよい議題(平和、民主主義、進歩、反腐敗)を提示したために、彼を人々が支持するようになり、実際には人気がないであろう別の議題、特に新自由主義経済の議題を覆い隠してしまったということです。 彼はどのように選挙戦を展開し、大統領に就任した後は何を優先させたのでしょうか。

 私の近著で提示した基本的な主張はこうです。ゼレンスキーと彼の政党の驚くべき勝利は、彼が出演したテレビのシリーズの成功なしには説明できない、と。
 後には、新自由主義的改革を大量生産し,ポンポンと軽率にゴム印を押して承認するという、議会マシンに変貌してしまったのです。
 多くの観察者が信じるように、テレビシリーズはゼレンスキーの非公式な選挙プラットフォームとして機能しました。
 わずか1601語で構成され、具体的な政策がほとんど書かれていない公式の綱領とは異なり、彼の30分番組51話は、ウクライナの発展のために何をすべきかという詳細なビジョンをウクライナ人に提供するものでした。

 ゼレンスキーが番組を通じてウクライナ人に伝えたメッセージは、明らかにポピュリズム(大衆主義)です。番組の中では、ウクライナの人々は、内部分裂のない、問題のない全体として描かれており、番組はオリガルヒや腐敗した政治家・役人を排除することが主題になっていました。
 つまり、オリガルヒとその傀儡(かいらい)を排除して初めて国は健全になる。彼らの一部は投獄されるか国外に逃亡し、彼らの財産は合法性とは無関係に没収される。ゼレンスキーが大統領になれば、政敵に対して同じことをすることになる、というわけです。

 興味深いことに、この番組は、シリーズ放送開始の1年前、2014年に勃発したドンバス戦争のテーマを無視しています。欧州広場でのいわゆる「尊厳革命」や、ロシア・ウクライナ関係は、ウクライナ社会で非常に分断しやすい問題なので、ゼレンスキーは仮想国家や視聴者、ひいては有権者の票を逃がさないよう、それらを無視したのです。
(訳注:2014年3月にアメリカ主導でおこなわれたクーデター後、ドンバスと総称されるドネツク州およびルガンスク州で抗議活動がおこなわれた。
 それに対してウクライナが軍事攻撃を仕掛け、2018年までは「反テロ作戦」として,その後の2022年までは「合同部隊作戦」として、一方的にドンバス地方を攻撃し続けてきていた。
 この間、ウクライナの攻撃をやめさせようと「ミンスク協定」が何度か結ばれたが、いずれもウクライナが破り続けていた。)


 仮想と現実の境界でおこなわれたゼレンスキーの選挙公約は、ウクライナの「進歩」が主な内容でした。それは「近代化」「西洋化」「文明化」「正常化」として理解されています。
 この進歩的な近代化言説のおかげで、ゼレンスキーは新自由主義的改革の計画をカモフラージュできたのです。これはなんと新政権誕生からわずか3日後に開始されました。
 選挙戦を通じて、ゼレンスキーが強調した「進歩」の理念は、本来は、民営化・土地売却・予算削減などとは決して結びつかないものでした。
 ゼレンスキーが立法府と行政府を完全掌握して大統領としての権力を確固としたものした後に初めて、彼は明言したのです。ウクライナの「正常化」「文明化」とは、①土地や国有・公共財の民営化、②労働関係の規制緩和、③労働組合の権限縮小、④公共料金の引き上げ等々、であると。

 2014年のクーデター後、ゼレンスキーの任期前に、多くの外国人が経済・社会の重要ポストに任命されたことは貴著でご指摘の通りです。
 同様に、ゼレンスキーの関係者の多くはグローバルな新自由主義機関と密接な関係にあるので、経済および金融にたいして単純な理解しか持ちあわせていないゼレンスキーを、彼らが操っている証拠があると指摘されていますね。

 2014年の親欧米派による政権交代がもたらす影響について、その点をお話しいただけますか? この政権交代で誰が大きな利益を得るのか、彼らは一般的なウクライナ人の利益をまったく考えていないのでしょうか?

 そう、2014年のマイダンの政権交代は、ウクライナの歴史において、統治者を決定することに西側の介入があったという点で全く新しい時代の幕開けとなりました。
 確かに、ウクライナがソ連崩壊後の1991年に独立を宣言して以来、アメリカの影響力は常に存在していました。米国商工会議所、米ウクライナ関係センター、米ウクライナ経済協議会、欧州ビジネス協会、IMF、EBDR、WTO、EU。
 これらのロビー活動や規制機関はすべて、ウクライナの政治決定に大きな影響を及ぼしてきました。

 しかし、マイダン革命以前のウクライナの歴史では、外国人を閣僚に任命したことは一度もなく、マイダン革命後に初めて可能になりました。
 2014年には、ナタリー・ジャレスコ(米国籍)がウクライナ財務大臣に、アイヴァラス・アブロマヴィチウス(リトアニア籍)がウクライナ経済・貿易大臣に、アレクサンドル・クヴィタシヴィリ(グルジア籍)が医療大臣に就任しました。
 2016年には、ウラナ・スプルン(米国籍)が医療大臣代理に任命されました。より低いランクの役職にも、その他多くの外国人が就きました。
 言うまでもなく、これらの人事はすべてウクライナ人の意思ではなく、グローバルな新自由主義機関の勧告によるものであり、マイダン革命自体がウクライナの人口の半分に支持されていなかったことを考えれば、驚くにはあたりません。

 すでに述べたように、こうした「マイダン革命」に反対している「他者」の大半はウクライナ南東部に居住しています。東部に行けば行くほど、ヨーロッパ的な課題を掲げたマイダン革命に対する拒絶反応が、強くまとまっていることがわかります。ドネツク州とルガンスク州(ウクライナ東部のロシア語系住民が多い2地域)では75%以上がマイダン革命を支持せず、クリミアでは20%しか支持していませんでした。

 2014年4月にキエフ社会学研究所が発表したこれらの統計数字をもってしても、西側の権力機関はぬけぬけと次のように主張して憚(はばか)らなかったのです。マイダン革命は「ウクライナ人」の蜂起であり、全体として全く問題ない蜂起だった、と。
 これは非常に強力なイデオロギーのトリックですが。
 「国際社会」のメンバーたちが「欧州広場」にやって来て、「革命家」たちに抗議運動を奨励・煽動した際に、マイダン革命に反対の意見を持つ何百万人ものウクライナ人を軽んじたのです。その結果として、内戦を激化させ、結局のところ今日のような惨状につながったのです。我々は為す術なく見ているだけです。
(訳注:「国際社会」のメンバーたちとは、国際社会とはつまりアメリカのことであり、そのメンバーたちにはヌーランド国務次官補(当時)やマケイン上院議員などがいた。)


 ウクライナの新自由主義化に投資する外国の利益についてはどうお考えですか。ウクライナ人の名の下に実行されてはいますが。

 それらは多様ですが、私が注意深く分析している土地改革の背後には、西側諸国の金融ロビーがありました。欧米の年金基金や投資ファンドは、減価する資金を運用したかったのです。
 そのために、彼らはIMF、世銀、EBRD(欧州復興開発銀行)、さまざまなロビー団体を巻き込んで、自分たちの利益を主張し、根回しをしたのです。もちろん、ウクライナ人の利益とは関係ありません。


 ゼレンスキーは、言論・報道の自由、政治的多元主義、異なる政党の扱いなど、民主主義に関してどのような「実績」を残してきたのでしょうか?ソ連崩壊後のウクライナの歴代大統領と比較してどうなのでしょうか。

 私は、「民主主義は新自由主義的な幻想であり」、「国民によってではなく超国家機関によってコントロールされる新自由主義的な政治体制には,民主主義は存在しえない」と主張するジョディ・ディーン(ニューヨーク州のホバート・アンド・ウィリアム・スミス・カレッジの政治学部のアメリカの政治理論家および教授)に同意します。
 前述したように、マイダン革命後、これらの超国家機関によって外務大臣が任命され、ウクライナにおける自分たちの利益を提示するようになったことで、特にそれが顕著になりました。
 しかし、改革に熱心なゼレンスキーは、さらにその先を目指したのです。2021年2月初旬、まず3つの野党系テレビ局――NewsOne、Zik、112 Ukraine――が閉鎖されました。
 戦争が始まる前の2022年初めには、もうひとつの野党系チャンネル「ナッシュ」が禁止されました。
 戦争勃発後の22年3月には、数十人の独立系ジャーナリスト、ブロガー、アナリストが逮捕されましたが、彼らのほとんどは左派的な見解を持っていました。
 ところが4月には、右派寄りのテレビチャンネル「チャンネル5」と「プリアミ」でさえ閉鎖されました。
 さらに、ゼレンスキーは、すべてのウクライナのチャンネルに、戦争に関する政府寄りの見解のみを紹介する単一のテレソン(24時間テレビマラソン)を放送することを義務づける法令に署名しました。

 これらの動きはすべて、独立したウクライナの歴史において前例のないものです。ゼレンスキーの支持者たちの主張は、すべての逮捕とメディア禁止は軍事的な都合から考慮対象外にされるべきであるというものです。
 彼らの主張は、最初のメディア閉鎖がロシア侵攻の1年前に起こったという事実を無視するものです。ゼレンスキーはこの戦争を政権内の独裁的傾向を強化するために利用しているだけだと私は考えています。
 ゼレンスキーが政権を握った直後、つまり、議会をコントロールし、国民の気分を無視して、新自由主義的改革をゴム印を押すかのように、軽率に承認するための政党マシーンを作りあげたときから、政権の独裁的傾向は形成され始めているのです。


 国家安全保障・防衛会議(NSDC)は、2021年にゼレンスキーが特定の人々つまり主に政敵を制裁するために使われました。NSDCとは何なのか、そしてなぜゼレンスキーがそんなことをおこなっていたのか、それは合法的なものだったのか、説明してもらえますか。

 2021年に支持率が急落した後、ゼレンスキーは政敵に対する超法規的制裁という違憲プロセスを開始しました。これを強要したのは国家安全保障・防衛会議(NSDC)でした。
 これらの制裁は、違法行為の証拠なしに、該当する個人および法人の超法規的な財産の差し押さえをおこなうものでした。
 NSDCによって最初に制裁を受けたのは、野党「生活のため」(OPZZh)の2人の国会議員、ヴィクトル・メドヴェチュク(後に逮捕、尋問後に顔を殴られる姿がテレビで放映された)とタラス・コザック(ウクライナから脱出できた)と彼らの家族でした。
 これは2021年2月に起こったことで、2022年3月には11の野党が禁止されました。野党の禁止と野党指導者の逮捕・制裁の決定はNSDCがおこない、大統領令で発効させたのです。

 ウクライナ憲法では、NSDC(国家安全保障・防衛会議)は調整機関であり、「国家安全保障と防衛の領域における行政機関の活動を調整し統制する」とされています。この憲法の精神は、NSDCが2021年からおこなっている政敵の起訴と財産没収とは何の関係もありません。
 したがって、このゼレンスキー政権の政策・実行が違憲であることは言うまでもありません。有罪か無罪かを判断し財産を没収することができるのは裁判所だけだからです。
 しかしゼレンスキーにとって問題は、ウクライナの憲法裁判所がゼレンスキーの傀儡となる準備が整っていないことが判明したことです。
 ウクライナ憲法裁判所のトップ、オレクサンドル・トゥピツキーがゼレンスキーの違憲改革を「クーデター」と呼んだのです。
 だから、その後、ゼレンスキーはNSDCに頼って不人気な政策を進めるしかなかったわけです。「反体制派」の裁判官トゥピツキーはどうなったのかというと、2021年3月27日、またもやゼレンスキーは、ウクライナ憲法に違反する形で、彼の裁判所判事就任を取り消す政令に署名しました。

 スターリンの支配下で内務人民委員部(NKVD)は「トロイカ」を創設し、簡単で迅速な捜査の後、公開で公正な裁判なしに人々に刑を宣告しました。NSDCのケースでも,これとよく似た展開が観察されています。
 NSDCの会議には、大統領、首相、ウクライナ治安当局の長官、ウクライナ検事総長など、国家の重要人物がすべて参加しています。1回のNSDCの会議で、数百人の運命が決まってしまいます。ゼレンスキーはNSDCの決定を実行に移し、2021年6月だけでも538人の個人と540の企業に対して制裁を科しました。


 ウクライナ政府や国家保安局SBUと提携しているとされる「ミーロトヴォレッツ」リスト(*)についてお聞きしたいのですが。
 私の理解では、これは「国家の敵」のリストであり、その敵の個人情報が掲載されていますね。このリストに載った人たちの何人かは、その後、殺害されています。
 このリストについて、どのような経緯で掲載されることになったのか、また、民主的と言われる政府の中でどのような位置づけなのか、教えてください。



(訳注:「ミーロトヴォレッツ」(ピースメーカーの意)はウクライナのキエフを拠点とするWebサイトで、「ウクライナの敵」と見なされる人々、「その行動にはウクライナの国家安全保障に対する犯罪の兆候がある」と見なされる人々の個人情報を公開している)

 国家主義的なウェブサイト「ミーロトヴォレッツ」は「ウクライナ内務省顧問の地位にある代議士が2015年に立ち上げた」――これが国連の報告書の記述です。
 この代議士の名前はアントン・ゲラシチェンコ。アルセン・アヴァコフ前内務大臣の元顧問です。
 2014年にアヴァコフの庇護のもと、民族主義的懲罰大隊が創設されドンバスに派遣されました。これは、マイダン革命に対する民衆の抵抗を弾圧するためのものでした。
 「ミーロトヴォレッツ」は、クーデター反対派を威嚇する一般的な戦略の一部となっています。「人民の敵」、つまりマイダン革命に反対する意見を公に表明したり、ウクライナの民族主義的な課題に挑戦したりする勇気のある者は誰でも、このウェブサイトに記載されるのです。
 キエフのアパートの近くで民族主義者に射殺された有名な時事評論家(ジャーナリスト)オレス・ブジナや、自宅で民族主義者に殺された反対派代議士オレグ・カラシニコフの住所も「ミーロトヴォレッツ」に載っており、殺人者たちが犠牲者を探し出すのに役立ちました。
 下手人の名前はよく知られています。しかし、彼らが投獄されないのは、極右過激派に政治が支配されている現代のウクライナでは、彼らが英雄とみなされているからです。

 「ミーロトヴォレッツ」がドイツの元首相ゲアハルト・シュレーダーを含む有名な外国人政治家の個人情報を公開し、国際的なスキャンダルになった後も、このサイトは閉鎖されませんでした。
 しかし、ドイツ在住のシュレーダーとは違って、「ミーロトヴォレッツ」にデータが載っている何千人ものウクライナ人は安心することができません。2022年3月に逮捕された人たちは全員、「ミーロトヴォレッツ」に載っていました。
 その中には、オデッサの新聞『タイマー』の編集者ユーリ・タカチェフや、YouTubeチャンネル『キャピタル』の編集者ドミトリー・ジャンギロフ など、私が個人的に知っている人もいます。

 「ミーロトヴォレッツ」に名前が載っている人たちの多くは、幸いにもマイダン革命の後にウクライナから脱出することができました。中には今年3月の大量逮捕の後に脱出できた人もいます。
 そのうちの1人が、ジャンギロフの同僚タリク・ネザレッズコです。2022年4月12日、すでにウクライナ国外にいて安全な状態にある彼は、YouTubeに投稿し、ウクライナの保安局を「ゲシュタポ」と呼び、その機関員に捕まらないための忠告を視聴者に与えています。

 ウクライナは民主主義国家ではありません。そこで起こっていることを観察すればするほど、実のところ、新自由主義者が賞賛するアウグスト・ピノチェト(当時のチリ大統領)の近代化路線に思いを馳せることになります。
 長い間、ピノチェト政権の犯罪は究明されていませんでした。しかし、最終的に人類は真実を発見したのです。ウクライナでも早くそうなってほしいと願うばかりです。
(*訳注:ピノチェトは、1973年アジェンデ大統領をクーデターで倒し、軍事政権を樹立。
 アジェンデ政権が推進した国有化政策からの180度の転換を図り、公営企業体の民営化、森林・漁業資源の私有化、さらに社会保障の民営化、外国資本の直接投資の促進など,新自由主義政策を推進した。この間、言論の自由が抑えられ、左派系の人々が誘拐され3000人以上が「行方不明」となった。
 83年以降は、全国ストライキを初め、独裁反対運動が激化し、84年には戒厳令が出された。88年の大統領選挙ではピノチェトが民主政党連合の候補者に敗れ、ようやく90年に民政移管が実現、16年半にわたる軍事独裁政治が終わった。ピノチェトは軍事独裁政権下の反政府活動弾圧で3000人以上の犠牲者を出した責任を問われていたが、裁判中に死去。)


 ウクライナの社会学者ヴォロディミル・イーシェンコは、NLR(NewLeftReview)との最近のインタビューで、西ヨーロッパとは異なり、ソ連崩壊後の東ヨーロッパでは民族主義と新自由主義の間に提携が見られると述べています。
 これはドンバスでも富裕層の間で観察されました。あなたはそれに同意しますか? もしそうなら、その組み合わせがどのように進化したのか、説明していただけますか?

 ヴォロディミルの意見に賛成です。ウクライナで見られるのは、民族主義者とリベラル派の連合体であり、それはロシアに対する敵対心と、ロシアとの協力を主張するすべての人々に対する共通の敵対心に基づいています。
 現在の戦争に照らせば、このリベラル派と民族主義者の結束は正当化されるように見えるかもしれません。しかし、この同盟はこの戦争のずっと前、2013年のマイダン運動結成時に作られたものです。
 マイダン革命が主張したEUとの連合協定は、リベラル派にとっては民主化、近代化、文明化という観点が強く、ウクライナをヨーロッパの統治水準に近づけるための手段としてイメージされていました。
 彼らにとっては、ロシアが主導するユーラシア経済連合は、「ソ連の国家主義」や「アジアの専制主義」への文明的後退を連想させるものでした。ここで、リベラル派と民族主義者が合体するのです。民族主義者は民主化のためではなく、明確な反ロシアの立場からマイダン革命を積極的に支持したのです。
(*訳注:「ソ連の国家主義」や「アジアの専制主義」という言い方は、この論考の著者がプーチン大統領や習近平国家主席を「独裁者」とみなしていることを推測させる。)

 デモが始まった最初の日から、過激な民族主義者がユーロマイダン革命の最も活発な闘士でした。ユーロマイダンを、進歩・近代化・人権などと結びつけるリベラル派と、この運動を自分たちの民族主義の課題に利用する極右との間の結束は、市民の抗議行動を違憲な権力の転覆をもたらす武装闘争へと変化させる重要な前提条件でした。
 革命における極右の決定的な役割は、ウクライナ東部で「違法なクーデター」に対する大規模な反マイダン運動の形成にも決定的な要因となりました。
 覇権主義的な反マイダン言説がキエフでの権力交代を「クーデター」と呼んだからです。少なくとも部分的には、私たちがいま観察していることは、マイダン革命の間に形成された、このリベラルと極右過激派の悲劇的な結果なのです。
(*訳注必要:「覇権主義的な反マイダン言説が、キエフでの権力交代を『クーデター』と呼んだ」とあるが、この政権交代はクーデター以外の何物でもなかった。この点からも、この論考の著者オルガ・ベイシャの見方はかなりアメリカ寄りであると思われる。)


 ゼレンスキーとウクライナ極右勢力との関係について教えてください。

 ゼレンスキー自身は、大統領になるまでは、極右的な意見を表明したことはありませんでした。非公式な選挙政策として使用された彼のTV番組『人民の僕(しもべ)』では、ウクライナの民族主義者は否定的に描かれており、彼らは愚かなオリガルヒの操り人形に過ぎないように見えるのです。
 ゼレンスキーは、大統領候補として、前任のポロシェンコが署名した「公務員・兵士・医師・教師に、ウクライナ語の知識を必須とする言語法」を批判しました。「我々は社会を強固にする法律や決定を主導し、採択しなければならず、その逆はない」と、2019年に候補者であるゼレンスキーは主張しました。

 しかし、大統領就任の直後、ゼレンスキーは前任者の国粋主義的政策に転換しました。
 彼の政府は、2021年5月19日、ポロシェンコの言語法に厳密に沿って、公共生活のあらゆる領域でウクライナ語を促進するための行動計画を承認し、右翼民族主義者を喜ばせ、ロシア語を話す人々を落胆させました。
 ゼレンスキーは、極右過激派による政敵やドンバスの人々に対するあらゆる犯罪の起訴について何もしていません。
 ゼレンスキーの右翼化の象徴的出来事は、ブジナ殺害の被告人の一人である民族主義者メドベージェコを支持するとゼレンスキーが表明したことでした。メドベージェコは、ゼレンスキーが2021年にロシア語の反対派チャンネルを禁止することにたいして、公に賞賛した人物です。

 問題は、なぜか、ということです。人々の「ゼレンスキーは和解の政治を追求する」という期待にもかかわらず、なぜナショナリズムにUターンしたのでしょうか。
 多くの分析者が考えるように、極右過激派はウクライナ国民の少数派でありながら、政治家、裁判所、法執行機関、メディア関係者などに対して、殺害をためらわないからです。
 ゼレンスキーのメディア対策担当官は、「ゼレンスキーはユダヤ人だからナチス支持にはなれない」という言葉を何度でも繰り返すかもしれません。
 が、真実は、極右過激派が彼らの民族主義的なやウクライナ人至上主義的な計略に立ち向かう勇気ある人々に対して殺人もいとわないことによって、ウクライナの政治プロセスをコントロールしている、ということなのです。
 亡命中のウクライナで最も人気のあるブロガーの一人であるアナトリー・シャリーのケースは、この点を説明する良い例です。シャリーや彼の家族は常に死の脅迫を受けているだけでなく、過激派は、彼の政党(2022年3月にゼレンスキーによって禁止された)の活動家を常に威嚇し、殴り、辱めるのです。
 これがウクライナの過激派が言う「政治的狩猟(政治サファリ)」なのです。
(*訳注:著者オルガ・ベイシャは「極右過激派」「極右」と表現するが決して「ネオナチ」という言葉を決して使っていないことに注目してください。また、ゼレンスキーも自分が暗殺されるかも知れないという恐怖からネオナチ勢力に抵抗できないのだということも、ここでは明言を避けている。)


 エスカレートすれば重大な意味を持つ紛争に関して、いまゼレンスキーは世界の舞台で最も影響力のある人物です。
 その彼が、悪と独裁の勢力に対抗する民主主義と正義の権化であるかのようなイメージで支持を集めるために、ショービジネスのような手練手管を駆使していることが気になります。まるで、マーベル・コミック・ブック(*)の世界をベースにした映画のようです。まさに、外交と相反するような筋立てです。
 ゼレンスキーはウクライナの戦時指導者として建設的な役割を担っていると思いますか。
(*訳注:マーベル・コミックは、ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のアメリカ合衆国のニューヨークに本社を置く漫画出版社)

 私はゼレンスキーの戦争演説を定期的に見ていますが、「善の軍隊が悪の軍隊に攻撃されている」と永久に繰り返す彼の筋立ては、外交的解決につながることはほとんどないと自信を持って言うことができます。
 明らかに、このような世界最終戦争「ハルマゲドン」(*)に政治的解決はあり得ません。より広い意味での情勢では、この神話的な戦争は、普通の枠から外れています。
 すなわち、初期ドンバス戦争でウクライナ軍が敗北したあと、2015年に締結されたミンスク和平協定の履行を、彼が長年にわたって拒否してきたという事実です。
 このミンスク協定によれば、ドンバスはウクライナ国内の政治的自治を受けなければならなかったのですが、この点は極右にとっては考えられないこと、受け入れがたいものだったのです。
 キエフ政権は国連が承認したこのミンスク協定を履行せず、8年もの間、ドンバスと境界線上で戦闘を続けています。
 この領土(ドンバス地域)に住むウクライナ人の生活は、悪夢に変わってしまいました。ドンバスで戦う極右過激派(訳注:すなわち、ネオナチ)にとって、ドンバスの人々は「ソフキ」や「ヴァトニキ」と同じであり、慈悲や寛容に値しないのです。
(*世界最終戦争「ハルマゲドン」。終末におこなわれる善と悪の最終決戦。この後、キリストの再臨があるとするので、キリスト教徒たちの憧れでもある。恐ろしい話である。)

 現在の戦争は2014年の戦争の延長線上にあります。2014年の戦争は、キエフ政権がマイダン革命反対派の反乱を鎮圧するためにドンバスに軍隊を送ったことから始まったもので、いわゆる「反テロ作戦」を前提にしていました。
 このような広い文脈を認めることは、ロシアの「軍事作戦」を承認することを前提とはしないものの、起こっていることの責任がウクライナにもあることを認めることを意味します。
 現在の戦争の問題を、野蛮に対する文明の戦い、独裁に対する民主主義の戦いという言葉でくくることは、情報操作以外の何ものでもなく、このことは状況を理解する上で不可欠です。
 子ブッシュ大統領が911後に発した「あなたはわれわれの味方かテロリストの味方か」という公式を、ゼレンスキーも「文明世界」に向けて大宣伝しています。これで、非常に都合よく、現在進行中の大惨事に対する個人の責任を回避できるのです。

 この一面的なストーリーを世界に売り込むという点では、ゼレンスキーの芸術的手腕は計り知れないものがあるようです。彼はついに世界の舞台に立ち、世界は拍手喝采しています。元コメディアンのゼレンスキーは、満足感を隠そうともしません。
 2022年3月5日、ロシア軍の侵攻から10日目、フランス人記者の「戦争が始まって、自分の人生はどう変わったか」という質問に、ゼレンスキーは喜びの笑みを浮かべながら答えました。
 「今日、私の人生は美しい。私は自分が必要とされていると信じています。必要とされること、それが最も重要な意味だと思います。自分が、ただ息をし、歩き、何かを食べているだけの空虚な存在ではないことを実感すること。みなさんと生きろと。」

 つまり、ゼレンスキーは、「戦争によって与えられた世界的な舞台で」「活躍するユニークな機会を享受している」と言っているのです。
 戦争が彼の人生を美しくし、彼は生き生きしているのです。
 それとは対照的に、何百万人ものウクライナ人は、その人生がまったく素敵なものどころか、何千人もの人々がもはや生きていないのです。


 アレクサンダー・ガブエフは、ロシアの指導層がこの国に関する専門知識を欠いていることが、この紛争の一因であると指摘しています。
 また、ロシアのコメンテーターが、ウクライナは親西欧派と親ロシア派で優劣をつけていると言っています。これはどちらの側に大きな要因があると思いますか?


 マイダン革命以降、ウクライナで起きている社会的なプロセスをロシアの指導層が十分に理解していないという主張には、私も同意見です。
 実際にウクライナの人口の半分はマイダン革命を歓迎しておらず、南東部に住む数百万人はロシアが介入してくれることを望んでいました。私の親族や旧友は皆、これらの地域に居住しているので、これは確かなことです。
 しかし、2014年当時はそうであったことが、今は必ずしもそうであるとは限りません。あれから8年が経過し、新しい社会環境の中で育った新しい世代の若者たちが育ち、多くの人々が新しい現実に慣れたのです。
 結果的には、たとえ彼らの多くが、極右やウクライナ化の政治を軽蔑しているとしても、戦争をそれ以上に憎んでいます。現場の現実は、意思決定者の予想以上に複雑なのです。


 ロシア人ではなく、自らを欧米人と同一視するウクライナ人たちの優越感についてはどうでしょうか。


 これは真実であり、「自らを欧米人と同一視するウクライナ人たちの優越感」は、そのとおりです。
 私としては、「マイダン」後の物語の中で最も悲劇的な部分です。というのも、まさにこの優越感こそが、自分を「進歩的」だとみなす親マイダン派が「後進的」だと蔑視する親ロシア派と共通言語を見出すことを妨げたからです。
 これが、ドンバス蜂起、ウクライナ軍によるドンバスへの「反テロ作戦」、ロシアの介入、ミンスク和平合意とその不履行、そして現在の戦争へとつながっているからです。



キーワード:ドンバス、ロシア、ウクライナ、ウクライナSBU、ウラジミール・プーチン、ヴォロディミル・ゼレンスキーゼレンスキー

ナタリー・ボールドウィン(Natylie Baldwin)は、ロシアとアメリカの外交政策に関するライターで、「The View from Moscow:Understanding Russia & US-Russia Relations」の著者である。

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