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隠しておきたい歴史――冷戦期、ウクライナのネオナチはすでに米国の手下となりソ連と戦っていた。

<記事原文 寺島先生推薦>

Partnering with neo-Nazis in Ukraine: an inconvenient history

原題:ウクライナのネオナチとの提携:不都合な歴史

投稿元:アンチウォー・ドットコム(Antiwar.com

著者:テッド・スナイダー(Ted Snider)

2022年3月31日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年5月10日



ウクライナ人の中にはステパン・バンドラを英雄と言う人がいるが、それは当然で素晴らしいことだ。(ゼレンスキー)


 ヴォロディミル・ゼレンスキーが2019年の選挙でペトロ・ポロシェンコを破ったときの選挙公約には、ロシアと和解してミンスク協定に調印することが含まれていた。ミンスク合意はドンバス地方のドネツクとルガンスクに一定の自治権を認めるものであった。これらの地域では、2014年に米国支援クーデターで米国が手塩にかけて育ててきた親西・反露政権が誕生した後に、住民投票が行われてウクライナからの独立が宣言されていた。ゼレンスキーがミンスク協定支持派からミンスク拒否派に変わったのは、極右の超国家主義者からの強烈な圧力があったからだ。少ない支持率とは不釣り合いな大きな力を持つネオナチ政党からの圧力で、ゼレンスキーは選挙戦での平和の約束を放棄し、ドンバスの指導者たちとの話し合いとミンスク合意の履行を拒否したのである。
 
 2014年のクーデターの際、スヴォボダ党や右派セクターを含むそれらの超民族主義組織は、再び、その大衆からの支持よりもはるかに大きく暗い影を投げかけた。彼らは平和的な抗議行動を乗っ取り、別の形に作り変えた。彼らは、停戦と早期選挙を求める平和的解決を拒否した。現在、いくつかの証拠が強く示唆していることは、デモを内戦へと向かわせた2014年2月20日に起きた虐殺の狙撃手は、政府軍ではなく、超民族主義者の反乱軍のメンバーだったことだ。そして、彼らこそが、政府庁舎を占拠し、選挙で選ばれた大統領をウクライナから逃亡させた張本人だったのだ。

  クーデター後、そのネオナチ勢力はドンバスの分離主義勢力との戦いを残酷に先導することになる。彼らは戦いを指揮する立場にあった。というのも、彼らの中で最も有名だったアゾフ大隊が正式にウクライナ国家警備隊に編入されたからだ。リチャード・サクワ(訳註:イギリスの政治学者)が著書『前線ウクライナ(Frontline Ukraine)』で言ったように、この超民族主義者たちは「マイダン(デモ)の正当な一部」「ウクライナ国家発展の新常識」になっただけでなく、ウクライナ軍の正式な一員ともなったのだ。

 さらに彼らはウクライナ政府の正式な一員にもなることになる。サクワによれば、ウクライナのクーデター政権の中核的な閣僚ポストのいくつか(国家安全保障、防衛、法律のトップポストなど)は公然たるネオナチ政党である右派セクターとスヴォボダによって占められたということだ。副首相と法務大臣はどちらもスヴォボダのメンバーだった。アンドリー・パルビイは、サクワが「超民族主義的な活動の長い歴史」と呼ぶスヴォボダの創設者の一人なのだが、その彼が国家安全保障防衛会議の事務局長になった。サクワはパルビィの就任を「信じられないことだ」と言っている。

 また、プリンストン大学のロシア学と政治学の名誉教授だったスティーブン・コーエンは、「米国のネオナチとの共謀」というウクライナに関する記事の中で、ウクライナのクーデター政権は組織的にウクライナのナチスドイツ協力者の名誉を挽回させ、記念式典の対象にするようになったと述べている。ウクライナ政府が追悼しているナチス協力者の中には、ナチスと同盟し、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人に対して残虐行為を行ったステパン・バンデラも含まれている。サクワによれば「マイダンのデモの間、バンデラの巨大な肖像画が...ステージにあった」ということである。

 少し歴史を振り返ると、ステパン・バンデラと、バンデラほどは知られていないミコラ・レベジは、ウクライナ民族主義者組織(OUN)の重要なメンバーであった。1940年、OUNは分裂し、バンデラはより急進的なOUN-B派の指導者となった。バンデラのOUNはナチスと同盟を結んだ。この同盟は、当初はウクライナ国家の樹立を主な目的としていたかもしれないが、バンデラのOUNはナチスに非常に積極的な協力者になった。

 サクワによれば、「バンデラは、敵意をもった完全民族主義の形を信奉した。それはウクライナ国家の中心的定義を他民族排除とするもので、彼の考え方を損なうとされる人々、例えば、ポーランド人、ユダヤ人、ロシア人などに残酷な誹謗中傷を行った。. . .」 バンデラ軍は、これらの人々の大量殺戮に参加することになる。



 リンゼー・オルーク(訳註:ボストン大学准教授)は彼女の著書『秘密の政権交代(Covert Regime Change)』の中で1941年7月のOUN-Bの宣言を引用している。「ユダヤ人は”厳しく扱わなければならない”。 我々は彼らを仕留めなければならない。…ユダヤ人については、彼らの破壊につながるあらゆる方法を採用する」。彼女はまた「ドイツ軍の侵攻後、OUN-B軍は東ガラシア全域でポグロム(集団的迫害行為)を開始し、推定1万2千人のユダヤ人市民を殺害した」と述べている。

 OUN-Bと他のメンバーは、後にウクライナ反乱軍(UPA)に加わり、ロシアとナチスの両方からウクライナを独立させるために戦うことになる。彼らは他民族排他的な国家という夢を実現するために「この地域のポーランド人、ドイツ人、ソ連人、ユダヤ人に対して広範なテロ、大量殺害、民族浄化を行った」とオルークは言う。彼らの呼びかけは「ユダヤ人、ポーランド人、ドイツ人のいない、より偉大な独立ウクライナ万歳」「ポーランド人はサン(訳註:南アフリカの狩猟採集民サン族)の後ろへ、ドイツ人はベルリンへ、ユダヤ人は絞首台へ」だった。オロークによれば、OUN-Aのリーダー、ミコラ・レベジは「革命的な全領土からポーランド人を一掃せよ」と宣言した。そして彼らはその宣言を実行した。「1943年前半、UPAのパルチザンは、約4万人のポーランド人を殺害した。ヴォルィーニで約4万人のポーランド人を殺害した」。

 しかし、プーチンがウクライナ政府と軍隊の非ナチ化について、おそらくは大げさに主張している最中に、米国とその同盟国がロシアと戦うために、あるいはロシアに政権交代をもたらすために、ウクライナのネオナチ分子と提携するという考えを持つ人が、今日どうして存在するのだろうか。理由は簡単、彼らはこれまでそうしてきたからだ。 

 実は、バンデラとレベジのナチスへの協力と、2014年のクーデターによる超民族主義的な政権強奪の間には、冷戦時代にソ連と戦うためにバンデラやレベジのOUNと米英が協力したという、あまり語られていない物語があるのだ。

 1947年9月、米国情報部はドイツでウクライナの非正規軍のグループに遭遇した。CIAの専門家ジョン・プラドスは彼の著書『民主主義の安泰(Safe for Democracy)』の中で、ウクライナ最高解放評議会が「連合国の諜報機関の注意を引くために」非正規軍に西へ行くよう命じたと述べている。それは成功した。そして、米英とナチスに協力したウクライナ人との間の蜜月が、冷戦時代のソ連との戦いの中で極秘裏に始まったのである。

 プラドス氏によれば、それ以前の1946年にソ連はステパン・バンデラの身柄引き渡しを要求していた。しかし、アメリカの諜報機関は、彼を戦争犯罪人として巻き込む可能性のある情報を無視して、彼を保護したのである。それは「Anyface(どんな顔でも)」というコードネームで呼ばれる作戦だった。

 その後、米国と英国がそれぞれの相棒を選ぶことになる。英国はバンデラやOUN-Bと、米国はOUN-Bの保安部長のミコラ・レベジと組んだ。

 ティム・ワイナー(訳註:米国のジャーナリスト)は著書『灰の遺産―CIAの歴史(Legacy of Ashes: the History of the CIA)』の中で、「”ナイチンゲール”はウクライナの非正規軍のコードネームである。(国防長官)フォレスタルがスターリンに対する秘密戦争の遂行を許可した」「その指導者には、何千人もの人々を殺害したナチスの協力者が含まれていた」と述べている。1947年の米国対外情報局(CIC)の報告書には、すでに「バンデラ運動との密接な関係」との記載がある。

 オルークによると、1947年2月、レベジは「協力の可能性をCICに打診した」。CICはこれに同意し、ワイナーによれば、CIAはレベジを米国に密入国させ、米国の入国管理局に対して、レベジは「ヨーロッパで本庁CIAに貴重な援助をしている」と告げたという。

 バンデラのときと同様、CIAもレベジの過去を知らなかったわけではない。ワイナーは、「CIAのファイルには、レベジが率いるウクライナ派閥が”テロ組織”として記述されている」と述べている。そして、彼らはレベジがナチスと同盟を結んだことも知っていた。マイナーはまた「司法省は彼がウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人を虐殺した戦争犯罪人であると断定した」とも言っている。彼らはレベジを強制送還しようとさえしたが、アレン・ダレスが介入し、連邦移民局長官に対して、レベジは「本庁にとって計り知れない価値がある」と言った。

 オロークが引用した1948年4月の国家安全保障会議に対するCIAの極秘報告書は、ウクライナの超民族主義的なナチス協力者との冷戦協力計画の概要を示し、彼らには「プロパガンダ、破壊工作、反共産主義の政治活動を目的とした米国政府に役立つ可能性がある」と述べている。

 この作戦は後に「AERODYNAMIC(空気力学)作戦」というコードネームで呼ばれるようになり、1948年にCIAによって開始されることになる。オロークは、CIAのフランク・ワイズナーの「ウクライナのレジスタンス運動の規模と活動性を考慮すると、これは最優先のプロジェクトであると考えられる」という言葉を引用している。彼女は、情報公開法に基づいて入手したCIAの文書を引用し、「政治・心理戦(および)抵抗・ゲリラ戦」のために「ウクライナの抵抗運動を利用・拡大する」作戦計画を明らかにしている。

 AERODYNAMIC作戦は失敗、つまりCIAが言うところの 「不運で悲劇的」なものに終わった。

 第二次世界大戦中のOUNのナチスとの協力の話や、2014年のクーデターとその後のウクライナ軍・政府における超民族主義者の役割の話は、これまでにも語られてきたことだが、主流メディアが報じることはほとんどなかった。しかし、時系列的にはこの2つの出来事の間に、冷戦時代に米国とその同盟国がウクライナの超民族主義者のナチス協力者と組んでソ連と戦っていたという物語がある。あまり語られてはいない話ではあるが。

 米国とその同盟国が、ロシアと戦うためにウクライナの超民族主義者と協力すると言うと誰もが信じるのはなぜか。それは、彼らがこれまでもずっとそうしてきたからなのだ。

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