「歴史の捏造だ」――ギリシャ議会でのゼレンスキーの演説は国民の怒りを買い、第二次世界大戦時の傷口を開いた
「歴史の捏造だ」――ギリシャ議会でのゼレンスキーの演説は国民の怒りを買い、第二次世界大戦時の傷口を開いた
<記事原文 寺島先生推薦>
“A historic sham”: Zelensky’s speech to Greece’s parliament' sparks national outrage, opens WWII-era wounds
TJコールズ(TJ Coles)2022年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月27日

4月10日、テッサロニキ拠点の鉄道労働者たちが米軍車両の輸送に反対して抗議運動
あるアゾフ戦士を招いてギリシャ議会で(ビデオ)演説させたことで、ゼレンスキーはこの国の歴史的な傷跡を開き、親米政権を揺るがす怒りのデモを引き起こした。
「ウクライナの人々との連帯は当然だ。しかし、ナチスは議会で発言することはできない」。ギリシャの元首相で左派政党シリザ(Syriza)の党首であるアレクシス・ツィプラスの言葉である。
ツィプラスが反発しているのは、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がアゾフ大隊を正当化しようとしていることにたいしてである。アゾフ大隊は極右・ファシスト戦闘員集団であり、ウクライナでロシア軍と戦うためにアメリカに訓練され、この間ゼレンスキーは直接・間接的な軍事支援を求めて外国の首都を回っている。
ゼレンスキーは4月、自国の反ロシア戦争への支援を得るためにギリシャ議会を訪問し、物議を醸した。マリウポリは、ネオナチ「アゾフ旅団」から迫害を受けたギリシャ系住民が多く住む地域で、アテネでは特に懸念されていた地域だった。
ゼレンスキーは議会訪問の際、「自分の親戚は第二次世界大戦でドイツのナチスと戦った」と主張する(ギリシャ系の)アゾフ戦士のビデオを流した。これは、ファシスト組織であることを誤魔化そうとする相手を馬鹿にした試みとして受け取られた。特に第二次世界大戦の亡霊を引きずっているギリシャ人にとっては、痛恨の極みであった。なぜなら、ギリシャは強力な左翼を誇りにしていて、第三帝国に抵抗していたからである。
(第三帝国:1933~1945年のナチス政権下のドイツ。この言葉はMoller van den Bruck(1876~1925年)が1923年に出版した"Das dritte Reich"から取ったもの。ブルックは神聖ローマ帝国とドイツ帝国の後に、民族主義にもとづく第三帝国が来ることを予言したことから、政治的なプロパガンダとしてナチスによって利用された)
ナチスが敗れ、大英帝国が弱体化すると、アメリカはギリシャを反ソ連の拠点にするために全力で動き出した。ギリシャの左翼を恐怖に陥れ、ギリシャをNATOに吸収させた。それ以来、ペンタゴン(国防総省)はギリシャとその隣国トルコを戦略的防波堤と見なしてきた。両国は、親米的なヨーロッパと石油資源の豊富な中東を結ぶ物流の架け橋として機能しているのである。
現在進行中のNATOの対ロシア代理戦争は、こうした戦略的利益を浮き彫りにした。そして、それがウクライナに向かう武器の荷揚げに反対する組合ストライキを誘発し、ゼレンスキーと彼を呼んできたギリシャ政府による議会での挑発的宣伝行為に対して国民の怒りの波を引き起こしたのだ。
この怒りは、ナチスによる占領と、ギリシャの戦後民主主義に対するCIAの持続的な攻撃という痛ましい記憶から直接出てきたものである。
CIAが戦後ギリシャの「共産主義者抹殺」計画を誘導した
1936年、ギリシャの首相イオアニス・メタクサスは、国王ゲオルギオス2世の支援を受けて親ナチスの独裁者となった。1941年メタクサスが死んだことで、ギリシャ共産党(KKE)の反ナチスへの抵抗はより強化された。KKEは占領したナチスに対抗するため、人民解放軍(ELAS)を設立していた。1943年まで、ELASはイギリス特殊作戦執行部(SOE)によって当初は訓練を受けていた。SOEはヨーロッパの準軍事組織を訓練するために作られた極秘部隊である。ギリシャの左翼の力を示すように、ELASの政治部門である民族解放戦線(EAM)は、200万人のメンバーを誇っていた。
イギリス外務省は国王ゲオルギオス2世の復権を目指し、彼の反左翼的な信条を明確に引用して戦った。キプロスのファシスト大隊Xと協力して、イギリスは新しい陸軍部隊、ヘレニック襲撃部隊(LOK)を設立し、人民解放軍(ELAS)のメンバーを探しだして殺させた。1944年のシンタグマ広場でのイギリスとファシストに対するデモは、幼い子どもを含む25人のデモ参加者の虐殺に終わった。1年後のヤルタ・クリミアの会議でスターリンは、ブルガリアおよびルーマニアと交換でギリシャを占領することを英本国およびアメリカに許可することに同意した。1947年、イギリスはアメリカに支援を要請し、左翼思想をギリシャ国民の心から粛清しようとした。

1944年12月3日、アテネで28人の非武装のデモ参加者が、ギリシャ警察とイギリス軍によって虐殺された。
「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」はCIAとその前身(情報調整局)から支援を受け、FBIと連携して、「左翼」の情報をギリシャ大使館に送っていた。クリストファー・シンプソンは、戦後のアメリカがナチスと協力したことを書いた本『ブローバック』の中で次のように書いている。ペンタゴンの秘密文書が暴露したのは、「アメリカがIDEAに数百万ドルを注ぎ込み……選ばれたギリシャ軍、警察、反共産主義者(将校たち)からなる『秘密の軍隊予備軍』と呼ばれるものを作るためだった」ということだった。アメリカ帝国主義の典型的な考え方であるが、この「左翼」には、右翼の共和党員から宗教的少数派までが含まれていた。
ナポレオン・ゼルバス将軍、いわゆる公共秩序担当大臣と呼ばれた人物は、アメリカのウィリアム・リヴセイ将軍に、その目的は「共産主義者を殺すこと」だと言った。リンカーン・マクベア駐日アメリカ大使は、ディミトリオス・マクシーモス首相に、アメリカ世論は「破壊的でない政治的敵対者」に対する「右派の行き過ぎ」に反対している、と警告した。しかし、アメリカの駐在官カール・ランキンは、こうした措置は「極めて必要なもの」だと考えていた。
アメリカ国際開発庁の前身であるアメリカン・ミッション・フォー・エイド・イン・ギリシャ(ギリシャにおけるアメリカの援助使命)のディレクター、ドワイト・グリスウォルドは、国家による子どもの大量誘拐(拘束された親からの)を、特に「スラブ系少数民族」に対して「非常に有効」な心理戦装置であると表現している。左翼が潰され、「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」はNATOと手を組んだ。それはギリシャが1952年にNATOに加盟したときのことだった。
「アメリカは象だ、キプロスは蚤だ。ギリシャも蚤だ」
1953年、CIAは、ギリシャ国家情報機関(KYP)を構築し、コンピュータによる国民追跡技術を提供した。KYPはCIAと密接な関係にあり、後にCIAアテネ駐在となるジェームズ・M・ポッツは、ギリシャ情報部の連絡係であるゲオルギオス・パパドプロス大佐を「我が息子」と呼んだほどであった。
次にCIAは「(レッド)シープスキン作戦」を開始した。これは、アメリカのルシアン・トラスコット将軍とその相手であるコンスタンチノス・ダヴォス参謀長の相互協力協定によって開始された破壊活動であった。10年以上の長きにわたって、シープスキンとギリシャ国家情報機関(KYP)は武器とゲリラ戦の訓練を残留右派細胞に対して提供していた。それが1967年4月に軍事政権をもたらしたクーデターへの道を開いたのである。
「ギリシャは戦略的な位置にあり、ソ連圏と近東に近接しているため、アメリカにとって重要である」と1957年の国家安全保障会議(NSC)の報告書には書かれている。また重要であるのは、「NATOへの加盟、バルカン条約を通じたユーゴスラビアとの関係、ソ連の地中海へのアクセスに対する陸上障壁を形成していることである」と。
ギリシャは、アメリカとNATOに基地を提供しただけでなく、国家予算の3分の1を軍国主義に費やしていたのである。第二次大戦の終戦から1958年まで、アメリカの納税者は、ギリシャに武器を供給するために11億ドルという途方もない額を投資した。これは、現在の貨幣価値に換算すると約110億ドルである。
国家安全保障会議(NSC)のドクトリンのもと、ギリシャ国防軍は近代化されることになった。アメリカの特殊部隊デルタフォースやイギリスの特殊空挺部隊にヒントを得た装備一式を備えてである。ダニエレ・ガンザーの比類なき『NATO秘密軍事史』は次のことを詳しく記録している。アレクサンダー・パパゴス元帥の指揮のもと、ヘレニック襲撃部隊(LOK、前出)はCIAと協力していたこと、そしてNATOがギリシャに永続的に駐留するための道筋をつけたということを。
キプロスは重要な問題となった。中東に近いことから、米英もこの島を拠点とした。トルコはアメリカの同盟国であり、NATOの秘密作戦でトルコの住民が苦しめられていたため、キプロスの領有権を主張していた。アメリカのジョンソン政権は、ギリシャとトルコを和解させるためにキプロスの分割を提案した。ギリシャの詩人であり外交官でもあったアレクサンダー・マッツァスが反対すると、ジョンソンは例の悪名高い返事をした。「議会も憲法もクソくらえだ。アメリカは象だ。キプロスは蚤だ。ギリシャは蚤だ。もし、あの二国が象を噛んでかゆくさせ続けるなら、叩き潰してやる」と。
3年後の1967年、ギリシャのエリートたちは、月平均24件の労働者ストライキによって麻痺状態に陥った。中道左派の政治的勝利が予想される4週間前に、ヘレニック襲撃部隊(LOK)は「NATOのプラン・プロメテウスII」を実行に移した。共産主義者と疑われる者を一網打尽にし、軍事クーデターを引き起こしたのだ。
CIAからギリシャ軍への命令:「このくそ野郎を撃て」
中央連合政府の調整担当大臣(最終的に軍事クーデターで退陣した)アンドレアス・パパンドレウ(父)は、ゲオルギオス・パパンドレウ首相のCIAの手先となってしまった。アメリカの諜報機関は、アンドレアスがセンター連合の左翼側に余りに甘いことを認めた。CIA諜報員だったグスタフ・アブラコトスは、パパンドレウ(息子の方)のギリシャ軍の同僚たちにこう忠告した:「このくそ野郎を撃て、でなきゃ必ず戻ってきておまえを悩ませることになるぞ」と。アンドレアスは、政権奪取に動くまで、CIAの「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」の存在など何も知らなかったと主張している。

パパンドレウは1974年にギリシャの軍事政権が倒れるとギリシャに戻り政治活動を開始した。父のアンドレアス率いるPASOKに属し、党首の息子として1984年には中央委員会のメンバーとなる。1981年に国会議員に選出された。同時にパパンドレウの父のアンドレアスはギリシャの首相に任命されている。1985年には文化省次官、1988年には教育・宗教相、1999年には外務大臣に任命された。パパンドレウは人権の尊重に対する功績から様々な賞を授与されている。また外務大臣としても評価が高く、父のように刺激的な言動をせずトルコとの関係を改善し、関係が悪化していたアルバニア・ブルガリアとも交流を促進した。キプロス問題についてはギリシャの基本的な立場を崩すことをせず、成功には終わらなかった。1990年代前半のマケドニア共和国問題にも対処した。
2009年の総選挙でPASOKが勝利した為、新首相に就任した。しかし2010年になり財政赤字の隠蔽を公表し、国債が格下げされるなどギリシャ経済は危機に陥った(2010年欧州ソブリン危機を参照)。3000億ドルという巨額の対外債務を抱えたギリシャの財政は危機的状況に陥って、パパンドレウは「今回の信頼喪失で我々の主権が一部失われた」と述べてヨーロッパ連合に政治的な支援を要請するなど、政権発足後半年もしないうちに非常に困難な政権運営を余儀無くされた。
2003年12月22日に雑誌『ヨーロッパの声』において、パパンドレウはその年を代表するヨーロッパ人に選ばれた。フランスの新聞のル・モンドは彼をギリシャ・トルコ関係の立役者であると讃えた。
ジョンソン大統領の国家安全保障顧問であったW.W.ロストーは、1967年2月の委員会で、アメリカの利益に反して、パパンドレウ=センター連合が来たるべき選挙で勝利する可能性が高いと警告している。クーデターの主要な計画者は、CIAが運営する情報機関であるギリシャ国家情報機関(KYP)とつながっていた。クーデターの主犯格であるハジペトロウ准将は、クレタ島にあるNATO基地の責任者であった。ソビエトがチェコスロバキアに侵攻したという口実で、アメリカのギリシャへの「防衛的」武器輸出が再開された。
軍事政権が発足して3年後、ニクソン政権もまた、ギリシャへのアメリカの武器禁止令を撤回した。ニクソンの選挙運動はKYP政権つまりギリシャから資金を受け取っていたからだ。ニューヨークタイムズ紙はこう報じた。「ギリシャ軍事政府は、戦車、装甲兵員輸送車、大砲、場合によってはジェット機など、数千万ドル相当の重火器(ママ)を受け取ることになるだろう。これらはこれまで選択的禁輸措置で与えられなかったものだった」と。
宣伝に乗せやすい言葉使いや臆病な行動をとって、ワシントンが懸念しているかのようにカモフラージュしてはいたが、軍事政権はアメリカの軍事施設を強化した。アメリカとNATOの多数の空軍基地をリストアップして、ある学術研究では次のように述べられている。「独裁政権の出現は……アメリカの基地政策の妨げにはならなかった。それどころか、基地の存在感を強めた。特に1973年に南部のエレフシナ湾に第6艦隊を寄港させる協定に調印して以来のことである」。1967年から69年にかけて、軍事政権は1億ドル以上の武器を受け取った。議会の輸出規制を回避できたのは、その武器が一般には「余剰」であると考えられていたからだった。
軍事政権はよくある残虐行為で国民を恐怖に陥れた。殺人、失踪、拷問、メディア統制といったものである。こうした国家によるテロにもかかわらず、左翼やその他の進歩的なグループは、民主化を求めて闘い続けた。抗議行動、世界的なエネルギー危機、トルコのキプロス侵攻は、軍事政権の権力支配を弱める方向に収束していった。1974年、政権は崩壊した。
CIAは「頼りない厄介なパートナー」を、頼れる同盟者に変えた
アメリカ国務省の未発表レビューで述べられていたのは、こうだ。1981年の選挙で右派の新民主主義党が勝利した場合、「ギリシャは安定を保ち、西側との結びつきが強化されるだろう」と。しかし、パパンドレウのパンヘレニック(汎ギリシャ人)社会主義運動が勝利した場合、「ギリシャは……アメリカにとって信頼できない厄介なパートナーになるであろう」と述べている。パパンドレウは勝利したが、アメリカを安心させるために、親ワシントン路線を歩んだ。
数十年後、CIAはその元職員を許すことができ、次のように書いている。お世辞も入っているだろうが、パパンドレウは「米軍基地の継続について合意に達した」し、彼の「約束した急進的な社会主義の解決策」は「緊縮財政と財政抑制」に終始した、と。アメリカ議会調査局の報告書はこう指摘している。「前首相(父アンドレアス)の在任期間(1981-89年)は反米的な発言で注目されたが、パパンドレウはアメリカとの良好な関係を望んでいると述べている」
1990年のアメリカ=ギリシア相互防衛協力協定により、アメリカによるギリシア軍の正式な訓練がおこなわれるようになった。90年代を通じて、ギリシャ軍はアメリカの数百万ドル規模の国際軍事教育訓練プログラムの恩恵を受けた。
アメリカ海軍によると、「1990年から1991年の湾岸戦争の間、ギリシャ海軍の軍艦は、アメリカ、フランス、スペインの海軍の艦船とともにティラン海峡で活動し」、イラクの締め付けを強化した。1999年、ビル・クリントン大統領は、前任者(子ブッシュ大統領)が虐待を支持したことに対する謝罪らしきものを発表した。
同1999年、NATOはセルビアを空爆した。セルビアはエネルギー・パイプラインの分岐点である。コソボ・アルバニア人の民族浄化がおこなわれているという口実をもとにしてである。アメリカにとってギリシャの物流がいかに重要かを示すように、軍隊は「ドイツから『東スイングルート』鉄道路線を通じて、ギリシャのテッサロニキに下り(……)、そこからマケドニアのスコピエに戻る」というかたちで輸送されたのである。
戦後50年にわたる米英の恐怖政治をもってしても、ギリシャ国民の心を打ち砕くことはできなかった。一般のギリシャ人は、自国の軍隊が関与する可能性があれば抗議し、英国のトラックを封鎖し、軍人に腐った食べ物を投げつけるなどした。
9・11後、ギリシャは「国際治安支援部隊(ISAF)の使命に貢献した」。これは、いわゆる国際治安支援部隊であり、アフガニスタンを占領することになったものである。また同様に、「アクティブ・エンデバー作戦(実効的努力作戦)」にも貢献した。これは、地中海における米=NATOの9・11後の海軍プロジェクトの一つであった。しかし、2003年までにギリシャ人の94%がアメリカ主導のイラク侵攻に反対していたため、ギリシャの指導者が直接参加することはなかった。しかし、NATOを通じて、アメリカはギリシャの軍事的な近代化を続けた。
例えば、第7陸軍訓練司令部はドイツに多国籍共同即応センター(JMRC)を持ち、これは大雑把にいえばアメリカの欧州特殊作戦司令部の一部となっている。これらの司令部は、NATO加盟国のための国際特殊訓練センターを統括している。毎年恒例の訓練に含まれていたのは、「都市部の地形を評価し、窓ガラスを撃ち抜き、さらに建物に登って隠れ家を作る」ことであった。


アメリカの欧州特殊作戦司令部
米軍による「努力の結晶」――ギリシャを反ロシア作戦の拠点にする
2014年にアメリカは、ウクライナのマイダン・クーデターを支援した後、「アトランティック・リゾルブ作戦(「大西洋の決戦」作戦)」を開始した。アパッチ、ブラックホーク、チヌークヘリコプター、エイブラムス、ブラッドレー、パラディン戦車、多数の物流設備など7000人の人員と兵器をEU全域でローテーションさせたのである。5年後、米陸海軍は「アトランティック・リゾルブ「大西洋の決戦」作戦」に備えて、東部のアレクサンドルーポリにあるギリシャの港の浚渫(しゅんせつ)を開始した。2021年、ギリシャとその他の諸国は、アメリカ特殊作戦軍の国際部門に参加した。


アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)は、アメリカ合衆国の統合軍の一つであり、陸軍・海軍・空軍・海兵隊の特殊作戦部隊を統合指揮している。アメリカ軍の機能別統合軍(Functional Unified Combatant Command)のうちの一つで、全軍における特殊作戦を担当。
その年、アレクサンドルーポリの港は、「(アトランティック・リゾルブ「大西洋の決戦」作戦)ための数百の米軍装備品の移動を可能にした」という。ペンタゴンの欧州司令部(EUCOM)によると、第598輸送旅団、表面展開・分配司令部、第21劇場維持司令部は、「400近い車両やコンテナ」を降ろした……その中には、戦車、ブラッドレー戦闘車、さまざまな支援機器があった。第598軍司令官ジョシュア・D・ハーシュ大佐は、次のように述べている。「今回の作戦は、アメリカ陸軍がアメリカ大使館の省庁間パートナー、ギリシャの同盟国、業界パートナーとともにおこなってきたあらゆる努力の集大成である。この巨大な港の能力を活用するために、である」
2021年の年末には、ギリシャ東部のラリッサ空軍基地は、F-15Eストライク・イーグルを受け入れた。「キャッスル・フォージ作戦」の一環としてである。この戦闘機はノースカロライナ州のシーモア・ジョンソン空軍基地、第4戦闘航空団、第336戦闘飛行隊のものだった。このキャッスル・フォージ作戦は、「ダイナミックでパートナーシップに重点を置いた環境を提供することを目的としている。黒海地域における集団防衛に対するアメリカの関与を高め、NATO同盟国との相互運用性を強化するため」である。アメリカ空軍ヨーロッパ・アフリカ司令官兼NATO連合航空司令官であるジェフ・ハリギアン将軍は、この地域を「絶対的に重要な地域」と表現している。


ギリシャのキリアコス・ミトタキス首相(左下)は、ゼレンスキーの演説後のビデオ・セグメントで、ネオナチのアゾフ大隊の戦闘員がギリシャ議会で演説するのを眺めている。
2022年3月、アメリカ特殊作戦ヨーロッパは、第7特殊部隊グループと海軍特殊戦タスクユニットが「アテネでギリシャの特殊戦部隊と 合同演習訓練」をおこなったとツイートしている。
ゼレンスキーがギリシャでナチスを持ち出すのは、「歴史の捏造」である
今年3月、ギリシャ共産党(KKE)は、15人の議員が300人収容のブーレテリオン(国会)でのウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーの演説をボイコットすると発表した。議会の副議長Geórgios LambroúlisとEUのギリシャ代表の一人Sotirios Zarianopoulosは、ウクライナ共産党を支持していたため、すでにキエフから締め出されていた。ウクライナ共産党はゼレンスキーが党活動を禁止しており、またその青年指導者のミハイルとアレキサンダー・コノノビッチ兄弟は現在投獄されている。
『グレーゾーン』が報じたように、ロシアとの戦争が勃発して以来、ゼレンスキーのSBUウクライナ治安部隊は政治的反対勢力に対するテロ作戦をエスカレートさせ、「親ロシア」あるいはキエフの目標に過度に批判的と見なされる高官、人権活動家、左翼を逮捕、拷問、ときには暗殺さえしている。ギリシャ国家情報機関(KYP)と同様、ウクライナ治安部隊(SBU)はCIAの訓練を受けている。
ゼレンスキーがギリシャの議会に到着すると、共産主義者のギリシャ共産党(KKE)は非難の声を上げた。「(ウクライナの)反動的政府とも呼ぶべきものは、アメリカ・NATO・EU陣営に支えられており、ロシアと同様に、ウクライナ人のドラマに責任を追っている」と。
ギリシャ共産党(KKE)とは異なり、左派(しかし実際にはリベラル)であるシリザ党は当初、ゼレンスキーを歓迎した。しかし、「自称ギリシャ人のアゾフ戦士が、祖父がいかに第三帝国と戦ったか」を語るビデオの上映は、シリザにとってもやりすぎだったのである。
シリザ党のツィプラス前首相はこうツイートした。「演説は挑発だ」「歴史の捏造だ」と。一方、与党の、民営化・緊縮政策に反対して2015年に辞任/解雇されたシリザの元財務大臣ヤニス・バルファキスは、この光景に対して熱烈な非難の声を発した。「ギリシャ議会の前でのビデオ通話にナチを持ち込んで,ウクライナ政府の代表として演説し、キプロス問題、すなわちトルコの侵略について何もコメントしなかったことによって、ゼレンスキーはギリシャ議会と各国の国民を侮辱したのである」と。
ギリシャ国民の大多数は、左派指導者たちとともに、ゼレンスキーのパフォーマンスに憤りを表明した。今年4月、世論調査会社からウクライナ大統領の議会での演説の印象を尋ねられたところ、回答者の50%が「非常に悪い」、15%が「悪い」、16%が「どちらでもない」と答えた。ギリシャ人の11%だけがゼレンスキーの演説を「良い」または「非常に良い」と表現している。

2022年4月、ギリシャのパブリックイシューによる世論調査より。
NATO反対デモと、ウクライナ武装化にたいする大規模な国民の反対運動――ギリシャ政府を揺るがす
2021年10月、ギリシャとアメリカは相互防衛協力協定を改正し、「(両国の)パートナーシップを深化・拡大させ、強力で有能かつ相互運用可能な軍隊を維持する」とした。その直後、ギリシャのメディアはこう報じた。「大量のヘリコプター、無人航空機……、戦車、大砲、迫撃砲が、今後数週間のうちにトルコとの国境近くのギリシャ港に到着する見込みであり、前例のない大規模な軍事輸送の一部となる」と。
ブルガリアとドイツに本拠を置く第21劇場維持司令部から、アメリカは44台のM117ガーディアン装甲安全車をギリシャに鉄道で送り、11月に到着した。「安全」という表現はプロパガンダである。『ジェーン』誌によると、この車両には機関銃が装備される予定だった。4月までに千台以上が納入される見込みで、そのうち半数がギリシャ軍向けだという。残りの半分はウクライナに行くのだろうと推測される。『スターズ・アンド・ストライプス』紙によると、1カ月前に米軍が到着したことで、ヨーロッパにおける米軍の総兵力は10万人に達した。
与党の新民主主義政党のキリアコス・ミトタキス首相は、CIAのお気に入りだが、彼は最近、ウクライナへの殺傷軍事装備を許可し、議会で宣言した。「平等な距離などありえない。平和と国際法に賛成するか、反対するかだ」――「国際法」とは、米英の国際法違反への支持を意味する。しかし、この表現は完全に失敗に終わった。
親NATOのプロパガンダの嵐で、ギリシャ人の75%がプーチンを非難しているにもかかわらず、60%がゼレンスキーにも批判的なのだ。
世論調査を引用して、教養あるニコス・マランチディス教授はこうコメントしている。「ギリシャの世論は、ロシアびいきな側面があり、歴史と結びついた友好的な感情、正教に基づいた共通の文化があります。そして一部の人は西洋に対する不信感を持っています」。歴史を考えれば、一部の人が西洋に対する不信感を持っている根源がなにかを理解するのは難しくない。
最近のギリシャの世論調査では、ウクライナに武器を送るということに66パーセントが反対しており、29パーセントが政府決定に賛成している。さらに、ギリシャ人の圧倒的多数は、ロシアとウクライナの紛争において自国が中立的な役割を維持すべきであると考えている。
ギリシャには、アメリカとそのファシストと準ファシストおよび戦後のパートナーによって数十年にわたって(物理的・心理的の両面にわたる)拷問が加えられてきたが、それがギリシャ国民の大部分をNATOのプロパガンダから遠ざけてしまったのだ。国民を萎縮させ、帝国への服従を内面化させる代わりに、ギリシャ人は伝統的な反戦のメンタリティを保持してきた。
アテネ(ギリシャ政府)がギリシャの民意を押しのけてNATOの戦争集団に加わる中、一部のギリシャ市民は、直接的な行動を起こした。権力闘争という大きなゲームの駒として使われることへの嫌悪感と懸念を示しているのである。
4月10日、テッサロニキにあるトレインOSE社の鉄道労働者は、米軍車両の輸送に抗議してストライキを開始した。労働者とそれを支援する12の組合は、「我が国の領土を通過する戦争マシーンに加担することはない」と書いた。
ゼレンスキーの演説以来、キリアコス・ミツォタキス首相と親米派の新民主主義政党の人気は急落し、同政権はウクライナへの武器輸送の停止を発表したと伝えられている。
アメリカは、ロシア製武器をキプロスから調達することで、その回避を試みているのかもしれない。地元メディアはこう報じている。「アメリカはキプロスの対空兵器や攻撃ヘリを特に要求した」と報道している。
キーワード:
アゾフ大隊CIA、ギリシャ、キリアコス・ミツォタキス首相、NATO、ネオナチ、ロシア、ウクライナ、ウクライナのネオナチ、Volodymyr Zelensky
TJコールズ
T.J.コールズはプリマス大学認知研究所の博士研究員で、いくつかの本の著者である。最新作は『We'll Tell You What to Think: Wikipedia, Propaganda and the Making of Liberal Consensus』である。
<記事原文 寺島先生推薦>
“A historic sham”: Zelensky’s speech to Greece’s parliament' sparks national outrage, opens WWII-era wounds
TJコールズ(TJ Coles)2022年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月27日

4月10日、テッサロニキ拠点の鉄道労働者たちが米軍車両の輸送に反対して抗議運動
あるアゾフ戦士を招いてギリシャ議会で(ビデオ)演説させたことで、ゼレンスキーはこの国の歴史的な傷跡を開き、親米政権を揺るがす怒りのデモを引き起こした。
「ウクライナの人々との連帯は当然だ。しかし、ナチスは議会で発言することはできない」。ギリシャの元首相で左派政党シリザ(Syriza)の党首であるアレクシス・ツィプラスの言葉である。
ツィプラスが反発しているのは、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がアゾフ大隊を正当化しようとしていることにたいしてである。アゾフ大隊は極右・ファシスト戦闘員集団であり、ウクライナでロシア軍と戦うためにアメリカに訓練され、この間ゼレンスキーは直接・間接的な軍事支援を求めて外国の首都を回っている。
ゼレンスキーは4月、自国の反ロシア戦争への支援を得るためにギリシャ議会を訪問し、物議を醸した。マリウポリは、ネオナチ「アゾフ旅団」から迫害を受けたギリシャ系住民が多く住む地域で、アテネでは特に懸念されていた地域だった。
ゼレンスキーは議会訪問の際、「自分の親戚は第二次世界大戦でドイツのナチスと戦った」と主張する(ギリシャ系の)アゾフ戦士のビデオを流した。これは、ファシスト組織であることを誤魔化そうとする相手を馬鹿にした試みとして受け取られた。特に第二次世界大戦の亡霊を引きずっているギリシャ人にとっては、痛恨の極みであった。なぜなら、ギリシャは強力な左翼を誇りにしていて、第三帝国に抵抗していたからである。
(第三帝国:1933~1945年のナチス政権下のドイツ。この言葉はMoller van den Bruck(1876~1925年)が1923年に出版した"Das dritte Reich"から取ったもの。ブルックは神聖ローマ帝国とドイツ帝国の後に、民族主義にもとづく第三帝国が来ることを予言したことから、政治的なプロパガンダとしてナチスによって利用された)
ナチスが敗れ、大英帝国が弱体化すると、アメリカはギリシャを反ソ連の拠点にするために全力で動き出した。ギリシャの左翼を恐怖に陥れ、ギリシャをNATOに吸収させた。それ以来、ペンタゴン(国防総省)はギリシャとその隣国トルコを戦略的防波堤と見なしてきた。両国は、親米的なヨーロッパと石油資源の豊富な中東を結ぶ物流の架け橋として機能しているのである。
現在進行中のNATOの対ロシア代理戦争は、こうした戦略的利益を浮き彫りにした。そして、それがウクライナに向かう武器の荷揚げに反対する組合ストライキを誘発し、ゼレンスキーと彼を呼んできたギリシャ政府による議会での挑発的宣伝行為に対して国民の怒りの波を引き起こしたのだ。
この怒りは、ナチスによる占領と、ギリシャの戦後民主主義に対するCIAの持続的な攻撃という痛ましい記憶から直接出てきたものである。
🇬🇷 The Greek blocking weapons from being sent to Ukriane
— Sphithiphithi Evaluator (@_AfricanSoil) April 8, 2022
"STOP fueling a war, go home NATO" pic.twitter.com/F8zQnbyxRG
CIAが戦後ギリシャの「共産主義者抹殺」計画を誘導した
1936年、ギリシャの首相イオアニス・メタクサスは、国王ゲオルギオス2世の支援を受けて親ナチスの独裁者となった。1941年メタクサスが死んだことで、ギリシャ共産党(KKE)の反ナチスへの抵抗はより強化された。KKEは占領したナチスに対抗するため、人民解放軍(ELAS)を設立していた。1943年まで、ELASはイギリス特殊作戦執行部(SOE)によって当初は訓練を受けていた。SOEはヨーロッパの準軍事組織を訓練するために作られた極秘部隊である。ギリシャの左翼の力を示すように、ELASの政治部門である民族解放戦線(EAM)は、200万人のメンバーを誇っていた。
イギリス外務省は国王ゲオルギオス2世の復権を目指し、彼の反左翼的な信条を明確に引用して戦った。キプロスのファシスト大隊Xと協力して、イギリスは新しい陸軍部隊、ヘレニック襲撃部隊(LOK)を設立し、人民解放軍(ELAS)のメンバーを探しだして殺させた。1944年のシンタグマ広場でのイギリスとファシストに対するデモは、幼い子どもを含む25人のデモ参加者の虐殺に終わった。1年後のヤルタ・クリミアの会議でスターリンは、ブルガリアおよびルーマニアと交換でギリシャを占領することを英本国およびアメリカに許可することに同意した。1947年、イギリスはアメリカに支援を要請し、左翼思想をギリシャ国民の心から粛清しようとした。

1944年12月3日、アテネで28人の非武装のデモ参加者が、ギリシャ警察とイギリス軍によって虐殺された。
「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」はCIAとその前身(情報調整局)から支援を受け、FBIと連携して、「左翼」の情報をギリシャ大使館に送っていた。クリストファー・シンプソンは、戦後のアメリカがナチスと協力したことを書いた本『ブローバック』の中で次のように書いている。ペンタゴンの秘密文書が暴露したのは、「アメリカがIDEAに数百万ドルを注ぎ込み……選ばれたギリシャ軍、警察、反共産主義者(将校たち)からなる『秘密の軍隊予備軍』と呼ばれるものを作るためだった」ということだった。アメリカ帝国主義の典型的な考え方であるが、この「左翼」には、右翼の共和党員から宗教的少数派までが含まれていた。
ナポレオン・ゼルバス将軍、いわゆる公共秩序担当大臣と呼ばれた人物は、アメリカのウィリアム・リヴセイ将軍に、その目的は「共産主義者を殺すこと」だと言った。リンカーン・マクベア駐日アメリカ大使は、ディミトリオス・マクシーモス首相に、アメリカ世論は「破壊的でない政治的敵対者」に対する「右派の行き過ぎ」に反対している、と警告した。しかし、アメリカの駐在官カール・ランキンは、こうした措置は「極めて必要なもの」だと考えていた。
アメリカ国際開発庁の前身であるアメリカン・ミッション・フォー・エイド・イン・ギリシャ(ギリシャにおけるアメリカの援助使命)のディレクター、ドワイト・グリスウォルドは、国家による子どもの大量誘拐(拘束された親からの)を、特に「スラブ系少数民族」に対して「非常に有効」な心理戦装置であると表現している。左翼が潰され、「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」はNATOと手を組んだ。それはギリシャが1952年にNATOに加盟したときのことだった。
「アメリカは象だ、キプロスは蚤だ。ギリシャも蚤だ」
1953年、CIAは、ギリシャ国家情報機関(KYP)を構築し、コンピュータによる国民追跡技術を提供した。KYPはCIAと密接な関係にあり、後にCIAアテネ駐在となるジェームズ・M・ポッツは、ギリシャ情報部の連絡係であるゲオルギオス・パパドプロス大佐を「我が息子」と呼んだほどであった。
次にCIAは「(レッド)シープスキン作戦」を開始した。これは、アメリカのルシアン・トラスコット将軍とその相手であるコンスタンチノス・ダヴォス参謀長の相互協力協定によって開始された破壊活動であった。10年以上の長きにわたって、シープスキンとギリシャ国家情報機関(KYP)は武器とゲリラ戦の訓練を残留右派細胞に対して提供していた。それが1967年4月に軍事政権をもたらしたクーデターへの道を開いたのである。
「ギリシャは戦略的な位置にあり、ソ連圏と近東に近接しているため、アメリカにとって重要である」と1957年の国家安全保障会議(NSC)の報告書には書かれている。また重要であるのは、「NATOへの加盟、バルカン条約を通じたユーゴスラビアとの関係、ソ連の地中海へのアクセスに対する陸上障壁を形成していることである」と。
ギリシャは、アメリカとNATOに基地を提供しただけでなく、国家予算の3分の1を軍国主義に費やしていたのである。第二次大戦の終戦から1958年まで、アメリカの納税者は、ギリシャに武器を供給するために11億ドルという途方もない額を投資した。これは、現在の貨幣価値に換算すると約110億ドルである。
国家安全保障会議(NSC)のドクトリンのもと、ギリシャ国防軍は近代化されることになった。アメリカの特殊部隊デルタフォースやイギリスの特殊空挺部隊にヒントを得た装備一式を備えてである。ダニエレ・ガンザーの比類なき『NATO秘密軍事史』は次のことを詳しく記録している。アレクサンダー・パパゴス元帥の指揮のもと、ヘレニック襲撃部隊(LOK、前出)はCIAと協力していたこと、そしてNATOがギリシャに永続的に駐留するための道筋をつけたということを。
キプロスは重要な問題となった。中東に近いことから、米英もこの島を拠点とした。トルコはアメリカの同盟国であり、NATOの秘密作戦でトルコの住民が苦しめられていたため、キプロスの領有権を主張していた。アメリカのジョンソン政権は、ギリシャとトルコを和解させるためにキプロスの分割を提案した。ギリシャの詩人であり外交官でもあったアレクサンダー・マッツァスが反対すると、ジョンソンは例の悪名高い返事をした。「議会も憲法もクソくらえだ。アメリカは象だ。キプロスは蚤だ。ギリシャは蚤だ。もし、あの二国が象を噛んでかゆくさせ続けるなら、叩き潰してやる」と。
3年後の1967年、ギリシャのエリートたちは、月平均24件の労働者ストライキによって麻痺状態に陥った。中道左派の政治的勝利が予想される4週間前に、ヘレニック襲撃部隊(LOK)は「NATOのプラン・プロメテウスII」を実行に移した。共産主義者と疑われる者を一網打尽にし、軍事クーデターを引き起こしたのだ。
CIAからギリシャ軍への命令:「このくそ野郎を撃て」
中央連合政府の調整担当大臣(最終的に軍事クーデターで退陣した)アンドレアス・パパンドレウ(父)は、ゲオルギオス・パパンドレウ首相のCIAの手先となってしまった。アメリカの諜報機関は、アンドレアスがセンター連合の左翼側に余りに甘いことを認めた。CIA諜報員だったグスタフ・アブラコトスは、パパンドレウ(息子の方)のギリシャ軍の同僚たちにこう忠告した:「このくそ野郎を撃て、でなきゃ必ず戻ってきておまえを悩ませることになるぞ」と。アンドレアスは、政権奪取に動くまで、CIAの「ギリシャ将校の聖なる絆(IDEA)」の存在など何も知らなかったと主張している。

パパンドレウは1974年にギリシャの軍事政権が倒れるとギリシャに戻り政治活動を開始した。父のアンドレアス率いるPASOKに属し、党首の息子として1984年には中央委員会のメンバーとなる。1981年に国会議員に選出された。同時にパパンドレウの父のアンドレアスはギリシャの首相に任命されている。1985年には文化省次官、1988年には教育・宗教相、1999年には外務大臣に任命された。パパンドレウは人権の尊重に対する功績から様々な賞を授与されている。また外務大臣としても評価が高く、父のように刺激的な言動をせずトルコとの関係を改善し、関係が悪化していたアルバニア・ブルガリアとも交流を促進した。キプロス問題についてはギリシャの基本的な立場を崩すことをせず、成功には終わらなかった。1990年代前半のマケドニア共和国問題にも対処した。
2009年の総選挙でPASOKが勝利した為、新首相に就任した。しかし2010年になり財政赤字の隠蔽を公表し、国債が格下げされるなどギリシャ経済は危機に陥った(2010年欧州ソブリン危機を参照)。3000億ドルという巨額の対外債務を抱えたギリシャの財政は危機的状況に陥って、パパンドレウは「今回の信頼喪失で我々の主権が一部失われた」と述べてヨーロッパ連合に政治的な支援を要請するなど、政権発足後半年もしないうちに非常に困難な政権運営を余儀無くされた。
2003年12月22日に雑誌『ヨーロッパの声』において、パパンドレウはその年を代表するヨーロッパ人に選ばれた。フランスの新聞のル・モンドは彼をギリシャ・トルコ関係の立役者であると讃えた。
ジョンソン大統領の国家安全保障顧問であったW.W.ロストーは、1967年2月の委員会で、アメリカの利益に反して、パパンドレウ=センター連合が来たるべき選挙で勝利する可能性が高いと警告している。クーデターの主要な計画者は、CIAが運営する情報機関であるギリシャ国家情報機関(KYP)とつながっていた。クーデターの主犯格であるハジペトロウ准将は、クレタ島にあるNATO基地の責任者であった。ソビエトがチェコスロバキアに侵攻したという口実で、アメリカのギリシャへの「防衛的」武器輸出が再開された。
軍事政権が発足して3年後、ニクソン政権もまた、ギリシャへのアメリカの武器禁止令を撤回した。ニクソンの選挙運動はKYP政権つまりギリシャから資金を受け取っていたからだ。ニューヨークタイムズ紙はこう報じた。「ギリシャ軍事政府は、戦車、装甲兵員輸送車、大砲、場合によってはジェット機など、数千万ドル相当の重火器(ママ)を受け取ることになるだろう。これらはこれまで選択的禁輸措置で与えられなかったものだった」と。
宣伝に乗せやすい言葉使いや臆病な行動をとって、ワシントンが懸念しているかのようにカモフラージュしてはいたが、軍事政権はアメリカの軍事施設を強化した。アメリカとNATOの多数の空軍基地をリストアップして、ある学術研究では次のように述べられている。「独裁政権の出現は……アメリカの基地政策の妨げにはならなかった。それどころか、基地の存在感を強めた。特に1973年に南部のエレフシナ湾に第6艦隊を寄港させる協定に調印して以来のことである」。1967年から69年にかけて、軍事政権は1億ドル以上の武器を受け取った。議会の輸出規制を回避できたのは、その武器が一般には「余剰」であると考えられていたからだった。
軍事政権はよくある残虐行為で国民を恐怖に陥れた。殺人、失踪、拷問、メディア統制といったものである。こうした国家によるテロにもかかわらず、左翼やその他の進歩的なグループは、民主化を求めて闘い続けた。抗議行動、世界的なエネルギー危機、トルコのキプロス侵攻は、軍事政権の権力支配を弱める方向に収束していった。1974年、政権は崩壊した。
CIAは「頼りない厄介なパートナー」を、頼れる同盟者に変えた
アメリカ国務省の未発表レビューで述べられていたのは、こうだ。1981年の選挙で右派の新民主主義党が勝利した場合、「ギリシャは安定を保ち、西側との結びつきが強化されるだろう」と。しかし、パパンドレウのパンヘレニック(汎ギリシャ人)社会主義運動が勝利した場合、「ギリシャは……アメリカにとって信頼できない厄介なパートナーになるであろう」と述べている。パパンドレウは勝利したが、アメリカを安心させるために、親ワシントン路線を歩んだ。
数十年後、CIAはその元職員を許すことができ、次のように書いている。お世辞も入っているだろうが、パパンドレウは「米軍基地の継続について合意に達した」し、彼の「約束した急進的な社会主義の解決策」は「緊縮財政と財政抑制」に終始した、と。アメリカ議会調査局の報告書はこう指摘している。「前首相(父アンドレアス)の在任期間(1981-89年)は反米的な発言で注目されたが、パパンドレウはアメリカとの良好な関係を望んでいると述べている」
1990年のアメリカ=ギリシア相互防衛協力協定により、アメリカによるギリシア軍の正式な訓練がおこなわれるようになった。90年代を通じて、ギリシャ軍はアメリカの数百万ドル規模の国際軍事教育訓練プログラムの恩恵を受けた。
アメリカ海軍によると、「1990年から1991年の湾岸戦争の間、ギリシャ海軍の軍艦は、アメリカ、フランス、スペインの海軍の艦船とともにティラン海峡で活動し」、イラクの締め付けを強化した。1999年、ビル・クリントン大統領は、前任者(子ブッシュ大統領)が虐待を支持したことに対する謝罪らしきものを発表した。
同1999年、NATOはセルビアを空爆した。セルビアはエネルギー・パイプラインの分岐点である。コソボ・アルバニア人の民族浄化がおこなわれているという口実をもとにしてである。アメリカにとってギリシャの物流がいかに重要かを示すように、軍隊は「ドイツから『東スイングルート』鉄道路線を通じて、ギリシャのテッサロニキに下り(……)、そこからマケドニアのスコピエに戻る」というかたちで輸送されたのである。

戦後50年にわたる米英の恐怖政治をもってしても、ギリシャ国民の心を打ち砕くことはできなかった。一般のギリシャ人は、自国の軍隊が関与する可能性があれば抗議し、英国のトラックを封鎖し、軍人に腐った食べ物を投げつけるなどした。
9・11後、ギリシャは「国際治安支援部隊(ISAF)の使命に貢献した」。これは、いわゆる国際治安支援部隊であり、アフガニスタンを占領することになったものである。また同様に、「アクティブ・エンデバー作戦(実効的努力作戦)」にも貢献した。これは、地中海における米=NATOの9・11後の海軍プロジェクトの一つであった。しかし、2003年までにギリシャ人の94%がアメリカ主導のイラク侵攻に反対していたため、ギリシャの指導者が直接参加することはなかった。しかし、NATOを通じて、アメリカはギリシャの軍事的な近代化を続けた。
例えば、第7陸軍訓練司令部はドイツに多国籍共同即応センター(JMRC)を持ち、これは大雑把にいえばアメリカの欧州特殊作戦司令部の一部となっている。これらの司令部は、NATO加盟国のための国際特殊訓練センターを統括している。毎年恒例の訓練に含まれていたのは、「都市部の地形を評価し、窓ガラスを撃ち抜き、さらに建物に登って隠れ家を作る」ことであった。


アメリカの欧州特殊作戦司令部
米軍による「努力の結晶」――ギリシャを反ロシア作戦の拠点にする
2014年にアメリカは、ウクライナのマイダン・クーデターを支援した後、「アトランティック・リゾルブ作戦(「大西洋の決戦」作戦)」を開始した。アパッチ、ブラックホーク、チヌークヘリコプター、エイブラムス、ブラッドレー、パラディン戦車、多数の物流設備など7000人の人員と兵器をEU全域でローテーションさせたのである。5年後、米陸海軍は「アトランティック・リゾルブ「大西洋の決戦」作戦」に備えて、東部のアレクサンドルーポリにあるギリシャの港の浚渫(しゅんせつ)を開始した。2021年、ギリシャとその他の諸国は、アメリカ特殊作戦軍の国際部門に参加した。


アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)は、アメリカ合衆国の統合軍の一つであり、陸軍・海軍・空軍・海兵隊の特殊作戦部隊を統合指揮している。アメリカ軍の機能別統合軍(Functional Unified Combatant Command)のうちの一つで、全軍における特殊作戦を担当。
その年、アレクサンドルーポリの港は、「(アトランティック・リゾルブ「大西洋の決戦」作戦)ための数百の米軍装備品の移動を可能にした」という。ペンタゴンの欧州司令部(EUCOM)によると、第598輸送旅団、表面展開・分配司令部、第21劇場維持司令部は、「400近い車両やコンテナ」を降ろした……その中には、戦車、ブラッドレー戦闘車、さまざまな支援機器があった。第598軍司令官ジョシュア・D・ハーシュ大佐は、次のように述べている。「今回の作戦は、アメリカ陸軍がアメリカ大使館の省庁間パートナー、ギリシャの同盟国、業界パートナーとともにおこなってきたあらゆる努力の集大成である。この巨大な港の能力を活用するために、である」
2021年の年末には、ギリシャ東部のラリッサ空軍基地は、F-15Eストライク・イーグルを受け入れた。「キャッスル・フォージ作戦」の一環としてである。この戦闘機はノースカロライナ州のシーモア・ジョンソン空軍基地、第4戦闘航空団、第336戦闘飛行隊のものだった。このキャッスル・フォージ作戦は、「ダイナミックでパートナーシップに重点を置いた環境を提供することを目的としている。黒海地域における集団防衛に対するアメリカの関与を高め、NATO同盟国との相互運用性を強化するため」である。アメリカ空軍ヨーロッパ・アフリカ司令官兼NATO連合航空司令官であるジェフ・ハリギアン将軍は、この地域を「絶対的に重要な地域」と表現している。


ギリシャのキリアコス・ミトタキス首相(左下)は、ゼレンスキーの演説後のビデオ・セグメントで、ネオナチのアゾフ大隊の戦闘員がギリシャ議会で演説するのを眺めている。
2022年3月、アメリカ特殊作戦ヨーロッパは、第7特殊部隊グループと海軍特殊戦タスクユニットが「アテネでギリシャの特殊戦部隊と 合同演習訓練」をおこなったとツイートしている。
ゼレンスキーがギリシャでナチスを持ち出すのは、「歴史の捏造」である
今年3月、ギリシャ共産党(KKE)は、15人の議員が300人収容のブーレテリオン(国会)でのウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーの演説をボイコットすると発表した。議会の副議長Geórgios LambroúlisとEUのギリシャ代表の一人Sotirios Zarianopoulosは、ウクライナ共産党を支持していたため、すでにキエフから締め出されていた。ウクライナ共産党はゼレンスキーが党活動を禁止しており、またその青年指導者のミハイルとアレキサンダー・コノノビッチ兄弟は現在投獄されている。
『グレーゾーン』が報じたように、ロシアとの戦争が勃発して以来、ゼレンスキーのSBUウクライナ治安部隊は政治的反対勢力に対するテロ作戦をエスカレートさせ、「親ロシア」あるいはキエフの目標に過度に批判的と見なされる高官、人権活動家、左翼を逮捕、拷問、ときには暗殺さえしている。ギリシャ国家情報機関(KYP)と同様、ウクライナ治安部隊(SBU)はCIAの訓練を受けている。
ゼレンスキーがギリシャの議会に到着すると、共産主義者のギリシャ共産党(KKE)は非難の声を上げた。「(ウクライナの)反動的政府とも呼ぶべきものは、アメリカ・NATO・EU陣営に支えられており、ロシアと同様に、ウクライナ人のドラマに責任を追っている」と。
ギリシャ共産党(KKE)とは異なり、左派(しかし実際にはリベラル)であるシリザ党は当初、ゼレンスキーを歓迎した。しかし、「自称ギリシャ人のアゾフ戦士が、祖父がいかに第三帝国と戦ったか」を語るビデオの上映は、シリザにとってもやりすぎだったのである。
シリザ党のツィプラス前首相はこうツイートした。「演説は挑発だ」「歴史の捏造だ」と。一方、与党の、民営化・緊縮政策に反対して2015年に辞任/解雇されたシリザの元財務大臣ヤニス・バルファキスは、この光景に対して熱烈な非難の声を発した。「ギリシャ議会の前でのビデオ通話にナチを持ち込んで,ウクライナ政府の代表として演説し、キプロス問題、すなわちトルコの侵略について何もコメントしなかったことによって、ゼレンスキーはギリシャ議会と各国の国民を侮辱したのである」と。
ギリシャ国民の大多数は、左派指導者たちとともに、ゼレンスキーのパフォーマンスに憤りを表明した。今年4月、世論調査会社からウクライナ大統領の議会での演説の印象を尋ねられたところ、回答者の50%が「非常に悪い」、15%が「悪い」、16%が「どちらでもない」と答えた。ギリシャ人の11%だけがゼレンスキーの演説を「良い」または「非常に良い」と表現している。

2022年4月、ギリシャのパブリックイシューによる世論調査より。
NATO反対デモと、ウクライナ武装化にたいする大規模な国民の反対運動――ギリシャ政府を揺るがす
2021年10月、ギリシャとアメリカは相互防衛協力協定を改正し、「(両国の)パートナーシップを深化・拡大させ、強力で有能かつ相互運用可能な軍隊を維持する」とした。その直後、ギリシャのメディアはこう報じた。「大量のヘリコプター、無人航空機……、戦車、大砲、迫撃砲が、今後数週間のうちにトルコとの国境近くのギリシャ港に到着する見込みであり、前例のない大規模な軍事輸送の一部となる」と。
ブルガリアとドイツに本拠を置く第21劇場維持司令部から、アメリカは44台のM117ガーディアン装甲安全車をギリシャに鉄道で送り、11月に到着した。「安全」という表現はプロパガンダである。『ジェーン』誌によると、この車両には機関銃が装備される予定だった。4月までに千台以上が納入される見込みで、そのうち半数がギリシャ軍向けだという。残りの半分はウクライナに行くのだろうと推測される。『スターズ・アンド・ストライプス』紙によると、1カ月前に米軍が到着したことで、ヨーロッパにおける米軍の総兵力は10万人に達した。
与党の新民主主義政党のキリアコス・ミトタキス首相は、CIAのお気に入りだが、彼は最近、ウクライナへの殺傷軍事装備を許可し、議会で宣言した。「平等な距離などありえない。平和と国際法に賛成するか、反対するかだ」――「国際法」とは、米英の国際法違反への支持を意味する。しかし、この表現は完全に失敗に終わった。
親NATOのプロパガンダの嵐で、ギリシャ人の75%がプーチンを非難しているにもかかわらず、60%がゼレンスキーにも批判的なのだ。
世論調査を引用して、教養あるニコス・マランチディス教授はこうコメントしている。「ギリシャの世論は、ロシアびいきな側面があり、歴史と結びついた友好的な感情、正教に基づいた共通の文化があります。そして一部の人は西洋に対する不信感を持っています」。歴史を考えれば、一部の人が西洋に対する不信感を持っている根源がなにかを理解するのは難しくない。
最近のギリシャの世論調査では、ウクライナに武器を送るということに66パーセントが反対しており、29パーセントが政府決定に賛成している。さらに、ギリシャ人の圧倒的多数は、ロシアとウクライナの紛争において自国が中立的な役割を維持すべきであると考えている。
ギリシャには、アメリカとそのファシストと準ファシストおよび戦後のパートナーによって数十年にわたって(物理的・心理的の両面にわたる)拷問が加えられてきたが、それがギリシャ国民の大部分をNATOのプロパガンダから遠ざけてしまったのだ。国民を萎縮させ、帝国への服従を内面化させる代わりに、ギリシャ人は伝統的な反戦のメンタリティを保持してきた。
アテネ(ギリシャ政府)がギリシャの民意を押しのけてNATOの戦争集団に加わる中、一部のギリシャ市民は、直接的な行動を起こした。権力闘争という大きなゲームの駒として使われることへの嫌悪感と懸念を示しているのである。
4月10日、テッサロニキにあるトレインOSE社の鉄道労働者は、米軍車両の輸送に抗議してストライキを開始した。労働者とそれを支援する12の組合は、「我が国の領土を通過する戦争マシーンに加担することはない」と書いた。
Fierce protests in #Greece against #NATO and military aid for #Ukraine. pic.twitter.com/e2fSMgPzjD
— ZradaXXII (@ZradaXXII) April 10, 2022
ゼレンスキーの演説以来、キリアコス・ミツォタキス首相と親米派の新民主主義政党の人気は急落し、同政権はウクライナへの武器輸送の停止を発表したと伝えられている。

アメリカは、ロシア製武器をキプロスから調達することで、その回避を試みているのかもしれない。地元メディアはこう報じている。「アメリカはキプロスの対空兵器や攻撃ヘリを特に要求した」と報道している。
キーワード:
アゾフ大隊CIA、ギリシャ、キリアコス・ミツォタキス首相、NATO、ネオナチ、ロシア、ウクライナ、ウクライナのネオナチ、Volodymyr Zelensky
TJコールズ
T.J.コールズはプリマス大学認知研究所の博士研究員で、いくつかの本の著者である。最新作は『We'll Tell You What to Think: Wikipedia, Propaganda and the Making of Liberal Consensus』である。
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