ウクライナへの道は1999年のコソボ戦争から始まった
ウクライナへの道は1999年のコソボ戦争から始まった
NATOによるユーゴスラビアへの戦争の支持者には、法律、主権、国境について語る資格はない
<記事原文 寺島先生推薦>
The road to Ukraine started with 1999’s Kosovo War
Supporters of NATO’s war on Yugoslavia have no right to talk about law, sovereignty or borders
RT 2022年3月25日
ネボイサ・マリッチ(Nebojsa Malic)

<記事翻訳 翻訳グループ>2022年4月16日

1999年、セルビアのベオグラードでNATOに爆撃された建物の跡。© Pierre Crom / Getty Images
この1カ月間、国境の神聖さ、国の主権、そして大国が小さな隣人を「いじめる」ことがいかに容認できないかについて、ロシアとウクライナのことを考えながら道徳的に語ってきた人たちは、木曜日(3月24日)、1999年にそれらのことすべてを擁護した女性を賞賛するために立ち止まった。(この日亡くなった)マドレーン・オルブライトが英雄であり崇拝の対象でありえたのは、そのような行為が、NATOがユーゴスラビアに対して行われたためという理由以外はない。
1999年3月24日、NATOは当時はまだユーゴスラビア国内の共和国であったセルビアとモンテネグロに対して空爆を開始した。このNATOによる連合軍作戦の公然たる目的は、前月にフランスのランブイエ城で出された最後通牒をセルビア政府に受け入れさせることであった。つまり、コソボ自治州をNATOの「平和維持軍」に引き渡し、アルバニア人分離主義者の独立宣言を容認させることだったのだ。

爆撃機をもってしても2週間以内にコソボ自治州をNATOの「平和維持軍」に引き渡し、アルバニア人分離主義者の独立宣言を容認させることを達成できなかったとき、アルバニア人「大虐殺」(とNATOのおべっか使いである報道機関が主張したものである)が起きていたのをNATOが阻止するために行動したというふうに、物語は変えられた。この物語はまた、史上初の女性米国務長官の「人道的」爆撃の功績を称えて、「マデリンの戦争」と命名された。
結局、78日間の攻撃とその後の交渉による休戦を経て、NATO軍はコソボに入国したのだが、それは国連平和維持活動というイチジクの葉で覆い隠した形での入国だった。彼らは直ちにコソボ自治州を「コソボ解放軍」のテロリストに引き渡した。テロリストたちは20万人以上の非アルバニア人を焼き払い、略奪し、殺害し、追放しつづけた。つまり、テロ、脅迫、民族浄化、ポグロム(特定の民族に対する破壊行為)という大作戦の実行が開始されたのだ。そして、NATOが空爆をしているあいだに、セルビア人による残虐行為をでっち上げてNATOをかばったのと全く同じメディアが、今度は同じ理由でアルバニア人による残虐行為には見ぬふりをしたのである。
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NATOのセルビア爆撃:三幕の悲劇
しかし、結果は違ったかもしれないが、この戦争は邪悪な小さな戦争で終わらせるつもりで始められた戦争であった。少なくともアメリカはそう思っていた。ビル・クリストル(米副大統領首席補佐官)やビクトリア・ヌーランドの夫ロバート・ケーガンが数年前に提唱していたアメリカの新しい世界覇権戦略に基づいて、国連が課す制限をアメリカは排除しようとしていたからだ。冷戦後の世界で、台頭しようとしていたアメリカ帝国は、東ヨーロッパには反対意見を許さないというメッセージを送り、ロシアにはロシアはもはや尊敬に値する大国ではないというメッセージを送りたかったからである。
法律家なら、この攻撃は以下のものに違反していると指摘できるだろう。国連憲章の第2条、第53条、第103条、NATO憲章である1949年の北大西洋条約(第1条と第7条)、また同様に1975年のヘルシンキ最終法(署名国の領土保全の侵害)、1980年の条約法に関するウィーン条約にである。罪状は、ある条約に署名させるために一国家に対して強制力を行使したことだ。
ああしかし、世界帝国であるということは、 「自分で作った決まりによる秩序」を構築して、都合の悪い法律を力尽くで排除することができるということだ。そこで、おべっか使いたちからなる「独立委員会」が結成され、この作戦を「違法だが正当なものである」と宣言し、コソボのアルバニア人をセルビア人の「圧政」から「解放」したのだから正当だ、と主張したのである。
NATO軍が傍観していた非アルバニア人への実際の弾圧(2004年3月の悪質なポグロムを含む)は、明らかに違反件案には入れられていないのだ。重要なのは、ビル・クリントン、ヒラリー・クリントン、マデリン・オルブライト、そして英国首相トニー・ブレアが、記念碑や通りの名前になり、さらには子どもたちの名前まで彼らにちなんで付けられたということだ。
コソボ共和国の「独立」は、1999年の戦争と同じくらい合法的な戦略のより2008年に成し遂げられたが、実際のところコソボ共和国はアメリカ大使の許可なしには何もできない状況である。皆さん、人権、法と秩序、そして民主主義の大勝利なんて、実際はこんなものなんですよ!
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コソボ。従属の10年
NATOはアルバニア人の命を救うことなど気にもしていなかった。もしそうであれば、セルビアとの和平を望むアルバニア人を殺害することを目的としたKLA(コソボ解放軍)と提携することはなかっただろう。NATOは、難民キャンプを何度も空爆しておきながら、本当はセルビア人が悪いのだ、パイロットは「善意で」爆弾を落としたのだなどとは主張しなかったはずだ。なおこの主張は、NATOのジェイミー・シェイ報道官がまさに語った内容だった。

ジェイミー・シェイは1999年のコソボ戦争中にNATOの報道官を務めたときに世界的な注目を集めた。彼は、セルビア人がコソボを保持するのを防ぐためにセルビアのNATO爆撃によって殺された子供と大人の民間人を「悪を倒すための代償」と説明した。

マデリン・オルブライト:1996年、CBSテレビ『60 Minutes』に出演して、レスリー・ストールから対イラク経済制裁について「これまでに50万人の子どもが死んだと聞いている、ヒロシマより多いと言われる。犠牲を払う価値がある行為なのか?」と問われた際「大変難しい選択だと思うが、でも、その代償は、思うに、それだけの値打ちはある」(“I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it.”)と答えた。
20年経っても何も変わっていない。一昨年8月、カブールの家族(大人3人、子ども7人)を無人爆撃機で破壊したアメリカは、賠償金は支払ったが、関係者を叱責することまでは拒否した。帝国であることは、決して謝罪する必要がないことを意味する。この考え方が、2003年のイラク侵攻を推進した。
一方、戦争によってベルグラードのセルビア政府を転覆させることができなかったため、米国は代わりにセルビアで「カラー革命」を起こした。そして、そのカラー革命はその後、世界各地に輸出されてきた。その中にはウクライナで2度にわたっておこなわれたものもあった。2014年のキエフでのクーデターは、そのままウクライナ東部での紛争に繋がり、現在ウクライナで起こっていることはその最新段階に過ぎない。
1999年3月、私はアメリカ中西部の学生で、(ほとんど)洗脳されていて、自由、民主主義、寛容、客観性、規則と法律に関する決まり文句を信じきっていた。そしてアメリカがいかに「世界のための善良な力」であるかについても信じるようになっていた。それが一夜にして、私が友人だと思っていた人たちが、私を怪物と呼ぶようになり、みなテレビ画面や新聞紙面から流れてくるプロパガンダを片っ端から信じるようになった。
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NATOの拡大は戦争につながると、専門家たちは何十年も前から警告していた。なぜ誰も耳を貸さなかったのだろうか?
私はそれ以来、正義を保つことと忘れないことを人生の使命とし、コソボ紛争が善良で高貴な人道的戦争などではなく、現代世界のあらゆる過ちを象徴していることを説明しようとしてきた。「嘘の力の記念碑、法を首尾よく無効にする手口、力による正義の凌駕」と2005年にANTI-WAR.comで書いたが、それ以来同じことを毎年書き続けている。
今起こっていることのおかしな点は、人権、国際法、国境の神聖さについて人々が金切り声を上げているのは、その対象がアメリカのお得意様国家であるウクライナだという理由であるという点だ。1999年当時は皆(ユーゴスラビアの地でそれらを陵辱した)NATOに大声援を送っていたのに、だ。今でも、NATOはそのことを謝罪しないし、ましてや否定もしない。つまり重要なのは、「何がおこなわれているか」ということではなく、「誰が誰に対しておこなっているか」ということなのだろう。彼らの嘘が支えてきた世界が崩れ去るときの、彼らの怒りは理解できるが、彼らは文句を言う筋合いは全くないのだ。
NATOによるユーゴスラビアへの戦争の支持者には、法律、主権、国境について語る資格はない
<記事原文 寺島先生推薦>
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RT 2022年3月25日
ネボイサ・マリッチ(Nebojsa Malic)

<記事翻訳 翻訳グループ>2022年4月16日

1999年、セルビアのベオグラードでNATOに爆撃された建物の跡。© Pierre Crom / Getty Images
この1カ月間、国境の神聖さ、国の主権、そして大国が小さな隣人を「いじめる」ことがいかに容認できないかについて、ロシアとウクライナのことを考えながら道徳的に語ってきた人たちは、木曜日(3月24日)、1999年にそれらのことすべてを擁護した女性を賞賛するために立ち止まった。(この日亡くなった)マドレーン・オルブライトが英雄であり崇拝の対象でありえたのは、そのような行為が、NATOがユーゴスラビアに対して行われたためという理由以外はない。
1999年3月24日、NATOは当時はまだユーゴスラビア国内の共和国であったセルビアとモンテネグロに対して空爆を開始した。このNATOによる連合軍作戦の公然たる目的は、前月にフランスのランブイエ城で出された最後通牒をセルビア政府に受け入れさせることであった。つまり、コソボ自治州をNATOの「平和維持軍」に引き渡し、アルバニア人分離主義者の独立宣言を容認させることだったのだ。

爆撃機をもってしても2週間以内にコソボ自治州をNATOの「平和維持軍」に引き渡し、アルバニア人分離主義者の独立宣言を容認させることを達成できなかったとき、アルバニア人「大虐殺」(とNATOのおべっか使いである報道機関が主張したものである)が起きていたのをNATOが阻止するために行動したというふうに、物語は変えられた。この物語はまた、史上初の女性米国務長官の「人道的」爆撃の功績を称えて、「マデリンの戦争」と命名された。
結局、78日間の攻撃とその後の交渉による休戦を経て、NATO軍はコソボに入国したのだが、それは国連平和維持活動というイチジクの葉で覆い隠した形での入国だった。彼らは直ちにコソボ自治州を「コソボ解放軍」のテロリストに引き渡した。テロリストたちは20万人以上の非アルバニア人を焼き払い、略奪し、殺害し、追放しつづけた。つまり、テロ、脅迫、民族浄化、ポグロム(特定の民族に対する破壊行為)という大作戦の実行が開始されたのだ。そして、NATOが空爆をしているあいだに、セルビア人による残虐行為をでっち上げてNATOをかばったのと全く同じメディアが、今度は同じ理由でアルバニア人による残虐行為には見ぬふりをしたのである。
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しかし、結果は違ったかもしれないが、この戦争は邪悪な小さな戦争で終わらせるつもりで始められた戦争であった。少なくともアメリカはそう思っていた。ビル・クリストル(米副大統領首席補佐官)やビクトリア・ヌーランドの夫ロバート・ケーガンが数年前に提唱していたアメリカの新しい世界覇権戦略に基づいて、国連が課す制限をアメリカは排除しようとしていたからだ。冷戦後の世界で、台頭しようとしていたアメリカ帝国は、東ヨーロッパには反対意見を許さないというメッセージを送り、ロシアにはロシアはもはや尊敬に値する大国ではないというメッセージを送りたかったからである。
法律家なら、この攻撃は以下のものに違反していると指摘できるだろう。国連憲章の第2条、第53条、第103条、NATO憲章である1949年の北大西洋条約(第1条と第7条)、また同様に1975年のヘルシンキ最終法(署名国の領土保全の侵害)、1980年の条約法に関するウィーン条約にである。罪状は、ある条約に署名させるために一国家に対して強制力を行使したことだ。
ああしかし、世界帝国であるということは、 「自分で作った決まりによる秩序」を構築して、都合の悪い法律を力尽くで排除することができるということだ。そこで、おべっか使いたちからなる「独立委員会」が結成され、この作戦を「違法だが正当なものである」と宣言し、コソボのアルバニア人をセルビア人の「圧政」から「解放」したのだから正当だ、と主張したのである。
NATO軍が傍観していた非アルバニア人への実際の弾圧(2004年3月の悪質なポグロムを含む)は、明らかに違反件案には入れられていないのだ。重要なのは、ビル・クリントン、ヒラリー・クリントン、マデリン・オルブライト、そして英国首相トニー・ブレアが、記念碑や通りの名前になり、さらには子どもたちの名前まで彼らにちなんで付けられたということだ。
コソボ共和国の「独立」は、1999年の戦争と同じくらい合法的な戦略のより2008年に成し遂げられたが、実際のところコソボ共和国はアメリカ大使の許可なしには何もできない状況である。皆さん、人権、法と秩序、そして民主主義の大勝利なんて、実際はこんなものなんですよ!
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NATOはアルバニア人の命を救うことなど気にもしていなかった。もしそうであれば、セルビアとの和平を望むアルバニア人を殺害することを目的としたKLA(コソボ解放軍)と提携することはなかっただろう。NATOは、難民キャンプを何度も空爆しておきながら、本当はセルビア人が悪いのだ、パイロットは「善意で」爆弾を落としたのだなどとは主張しなかったはずだ。なおこの主張は、NATOのジェイミー・シェイ報道官がまさに語った内容だった。

ジェイミー・シェイは1999年のコソボ戦争中にNATOの報道官を務めたときに世界的な注目を集めた。彼は、セルビア人がコソボを保持するのを防ぐためにセルビアのNATO爆撃によって殺された子供と大人の民間人を「悪を倒すための代償」と説明した。

マデリン・オルブライト:1996年、CBSテレビ『60 Minutes』に出演して、レスリー・ストールから対イラク経済制裁について「これまでに50万人の子どもが死んだと聞いている、ヒロシマより多いと言われる。犠牲を払う価値がある行為なのか?」と問われた際「大変難しい選択だと思うが、でも、その代償は、思うに、それだけの値打ちはある」(“I think that is a very hard choice, but the price, we think, the price is worth it.”)と答えた。
20年経っても何も変わっていない。一昨年8月、カブールの家族(大人3人、子ども7人)を無人爆撃機で破壊したアメリカは、賠償金は支払ったが、関係者を叱責することまでは拒否した。帝国であることは、決して謝罪する必要がないことを意味する。この考え方が、2003年のイラク侵攻を推進した。
一方、戦争によってベルグラードのセルビア政府を転覆させることができなかったため、米国は代わりにセルビアで「カラー革命」を起こした。そして、そのカラー革命はその後、世界各地に輸出されてきた。その中にはウクライナで2度にわたっておこなわれたものもあった。2014年のキエフでのクーデターは、そのままウクライナ東部での紛争に繋がり、現在ウクライナで起こっていることはその最新段階に過ぎない。
1999年3月、私はアメリカ中西部の学生で、(ほとんど)洗脳されていて、自由、民主主義、寛容、客観性、規則と法律に関する決まり文句を信じきっていた。そしてアメリカがいかに「世界のための善良な力」であるかについても信じるようになっていた。それが一夜にして、私が友人だと思っていた人たちが、私を怪物と呼ぶようになり、みなテレビ画面や新聞紙面から流れてくるプロパガンダを片っ端から信じるようになった。
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NATOの拡大は戦争につながると、専門家たちは何十年も前から警告していた。なぜ誰も耳を貸さなかったのだろうか?
私はそれ以来、正義を保つことと忘れないことを人生の使命とし、コソボ紛争が善良で高貴な人道的戦争などではなく、現代世界のあらゆる過ちを象徴していることを説明しようとしてきた。「嘘の力の記念碑、法を首尾よく無効にする手口、力による正義の凌駕」と2005年にANTI-WAR.comで書いたが、それ以来同じことを毎年書き続けている。
今起こっていることのおかしな点は、人権、国際法、国境の神聖さについて人々が金切り声を上げているのは、その対象がアメリカのお得意様国家であるウクライナだという理由であるという点だ。1999年当時は皆(ユーゴスラビアの地でそれらを陵辱した)NATOに大声援を送っていたのに、だ。今でも、NATOはそのことを謝罪しないし、ましてや否定もしない。つまり重要なのは、「何がおこなわれているか」ということではなく、「誰が誰に対しておこなっているか」ということなのだろう。彼らの嘘が支えてきた世界が崩れ去るときの、彼らの怒りは理解できるが、彼らは文句を言う筋合いは全くないのだ。
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