ウクライナにおけるナチズムの歴史。ステファン・バンデラとは誰か?
ウクライナにおけるナチズムの歴史。ステファン・バンデラとは誰か?
<記事原文 寺島先生推薦>
The History of Nazism in Ukraine. Who is Stepan Bandera?
ティモシー・アレクサンダー・グズマン(Timothy Alexander Guzman)
Global Reearch, 2022年3月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月16日

悲劇を生むことになりそうだ。ロシアのウクライナ侵攻は非難されるべきで、決して起こってはならないことだが、しかし事実としてあるのは、ロシアのプーチン大統領が数年前からワシントンとその同盟国に差し迫った危機を警告していたことである。つまり、NATOの国境への拡張は軍事的対立につながる恐れがあると。
一方、西側メディアが描いているウクライナは、自由と民主主義のために戦う勇敢な魂であるヴォロディミル・ゼレンスキーという名の大統領をもつ民主主義国家であり、ロシアの熊に立ち向かう小国である。現代版「ダビデ対ゴリアテ」という図式である。
ロシアといういじめっ子が、罪のないウクライナをいじめている。しかし、世界はウクライナについて何を知っているのだろうか?
西側メディアは、私たちを闇の中に閉じ込めている。ほとんどのアメリカ人は、ウクライナの政治や歴史について知らない。
アメリカ人、ヨーロッパ人、そして世界中の人々は、ウクライナとそのナチス思想の歴史について真実を知っているのだろうか?
『イスラエル・タイムズ』紙の「ウクライナで数百人がナチス親衛隊SS兵士を称える行進に参加」と題する記事によると、2021年にウクライナの都市キエフでナチスの祭典がおこなわれたと報じている。

何百人ものウクライナ人がナチス親衛隊SS兵士を称える行進に参加した。キエフで初めて開催されたイベントもそのひとつだった。このいわゆる刺繍行進は4月28日に首都で開催されたが、この日はナチス親衛隊第14擲弾兵師団の創設から78年目で、またこの師団はガリシア第1師団としても知られている。ガリシア第1師団は、ドイツ占領下でウクライナ人とドイツ人の志願兵と徴集兵によって設立された部隊である。行進者は部隊のシンボルマークを記した横断幕を掲げていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC14SS%E6%AD%A6%E8%A3%85%E6%93%B2%E5%BC%BE%E5%85%B5%E5%B8%AB%E5%9B%A3
ルーシのライオンをあしらった第14SS武装擲弾兵師団の師団章
約300人が参加したキエフの行進は、数年前からこのようなイベントを主催している西部の都市リヴィウから持ち込まれたものだった。その前日には、リヴィウでより大規模な刺繍行進がおこなわれ、数百人が参加した。ウクライナで冷遇されているロシア人の多くは、ナチスの協力者を賛美することに反対している。そのような行為はウクライナでは2000年代初頭までタブーだった。しかし2000年代初頭、民族主義者が、1991年までウクライナを支配していたソビエト連邦に対抗して行動した協力者を英雄として国家が承認することを要求し、獲得したのである。
ウクライナにおけるナチス思想の父。ステファン・バンデラ
その名は、ステパン・バンデラ。ウクライナの英雄とされ、第二次世界大戦中にナチスに協力し、極右組織「ウクライナ民族主義者組織」(OUN-B)の指導者であった人物である。バンデラはオーストリア・ハンガリー帝国の一部であったガリシアのギリシャ・カトリックの家庭に生まれたが、後年、生まれた国が崩壊して西ウクライナ人民共和国となり、1918-1919年のポーランド・ウクライナ戦争でポーランドの一部となったことから、過激なウクライナ民族主義者になった。
1934年、新しい地政学的展開に怒ったバンデラは、ポーランド内務大臣ブロニスワフ・ピエラツキ暗殺を組織した。
READ MORE: ウクライナの「国家理念」としてのアドルフ・ヒトラー
バンデラはこの犯罪で逮捕され、有罪となり、死刑を宣告されたが、後に終身刑に減刑された。
1939年、ドイツ・ソ連のポーランド侵攻(別名「9月の陣」)に伴い、独ソ辺境条約によりポーランドが分割された。その直後、バンデラは出獄し、ポーランドのクラクフに移った。そこは、すでにナチスに占領されていた。
バンデラが確信していたのは、自分がナチスに協力すれば、ウクライナに自分の政権を樹立し、ナチスと同盟を結び、ソ連の占領から解放された独立国家になれるということだった。ナチス、バンデラ、そして彼の組織の側近たちが、ウクライナに共産主義を確立したのはユダヤ人のせいだと非難していることはよく知られていたことで、当時のバンデラの声明には次のように書かれている。
「ソ連のユダヤ人はボルシェビキ政権の最も忠実な支持者であり、ウクライナにおけるモスクワ帝国主義(Muscovite imperialism)の前衛である」
そして1941年6月、ナチスがソ連に侵攻し、東ガリシアの首都リヴォフを占領、ここでOUN-Bとアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義の大ドイツが協力し開始したのが、ユダヤ人とポーランド人に対する大量虐殺の「ポグロム」であった。戦争期間中ずっと老若男女を含めてすべてに対してであった。
そして、ナチスとバンデラ一派の関係は複雑になった。戦時中に独立宣言、いわゆる「ウクライナ復興法」が彼の側近たちによって発表された。
同時に、ウクライナの独立宣言は、ウクライナを勢力圏に置こうとするナチス政権にとって重大な関心事となった。 そのため、ウクライナ民族主義者とナチスとの同盟は問題となった。
1941 年 9 月 15 日、ゲシュタポはバンデラやウクライナ国民政府の首相であったヤロスラフ・ステツコらの指導者を、ウクライナ国家更新法の棄却を拒否したことで逮捕しはじめた。
1942年1月、バンデラは、著名な政治犯が収容されていたザクセンハウゼン強制収容所に収容された。
1944年、ソ連軍と連合軍がナチス占領地に進攻したため、ナチスはバンデラとステツコを採用し、優勢になったソ連軍を撃破するための陽動作戦を展開した。
OUN-Bの指導者であったバンデラは家族とともに西ドイツに移り、ウクライナ最高解放評議会や反ボルシェビキ民族ブロックなどの反共組織、あるいはファシストと呼ばれる組織と長く行動を共にするようになった。
1959年、バンデラは青酸ガスで毒殺され、その2年後、ドイツの司法当局は、彼の暗殺の背後にKGBが存在したと主張した。
2022年、バンデラはウクライナのネオナチにとって英雄であり続けている。世界で最も腐敗した国の一つであるウクライナを、アメリカとEUは支援しているのだ。アドルフ・ヒトラーとステパン・バンデラを賞賛するネオナチと強いつながりを持つ人権侵害が証明されている国なのに。これが偽善でなくて何だろうか。
CIAとナチス。地獄で作られたお似合いのカップル
作家・ジャーナリストのウェイン・マドセンの2016年の論文「CIAは1953年以来、ウクライナを弱体化させ、ナチス化させた」によると
「最近、機密解除された中央情報局(CIA)による3800以上の文書は、次のような事実を詳細に立証している。1953年以来、CIAは二つの主要な計画を実行する意図を持っていた。ひとつはウクライナを不安定化することであり、もうひとつは第二次世界大戦中のウクライナのナチス指導者ステパン・バンデラの信奉者たちと連携してウクライナをナチス化することだった、と」
ナチズムは、CIAのプロジェクトAERODYNAMIC(空気力学)のもとで長い間ウクライナに存在していた。それは「反ソビエトのウクライナ抵抗運動を冷戦と熱戦の目的のために利用し拡大すること」を目的としたものであった。その中には、ウクライナ解放最高会議(UBVR)とそのウクライナ反乱軍(UPA)、外人部隊(UPA)を含むいくつかのグループが含まれていた。今後は西ヨーロッパやアメリカにおけるウクライナ解放最高評議会(ZPUHVR)の代表や、OUN-Bなどの組織も活用されることになる。
つまり、70年近くも前から、CIAによるウクライナのナチス化作戦は成功していたと言えるのだ。
しかし、その前段階のプロジェクトAERODYNAMICは、ウクライナを不安定にすることを目的としていた。CIAの訓練を受けた亡命ウクライナ人が、ソ連・ウクライナ領内で活動していたのだ。
CIAは、西ドイツで米軍の対外情報政治心理(FI-PP)部隊の訓練を受けたウクライナ領内の工作員に、通信、物資、武器、弾薬の空輸を調達したのだ。言い換えれば、CIAは共産主義者と戦うという名目で、ウクライナでネオナチや「ファシスト」と呼ばれる人々の育成を手助けした罪を問われるということになる。

今日、極右のネオナチグループは、ウクライナ国民にとって深刻な問題である。というのは、これらの過激派の多くは、ウクライナ政府の様々な階層に埋め込まれているからであり、その中には、悪名高いアゾフ大隊やエイダル大隊の隊員もいる。
両大隊は、2014年のマイダン・クーデターにも関与しており、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を転覆したのだ。これは米国と欧州連合が支援したクーデターだったのだ。
マイダンのクーデターにも関与した極右ネオナチ集団には、他に右派セクターとスヴォボダ党がある。言い換えれば、アメリカとヨーロッパの同盟国はモンスターを作り出してしまったのであり、ウクライナの人々にとっては、これから状況はもっと悪くなる一方だということだ。
最近、ファールディン・シャラフマルという名のウクライナのテレビジャーナリストが、テレビの生放送でナチスの戦犯であるアドルフ・アイヒマンを引用した。

動画はこちら
動画字幕:私はジャーナリストとして、冷静に情報を提供するために、客観的でバランスの取れた視点を持たなければならないと考えている。
「ロシアがわれわれをナチスやファシスト呼ばわりしているので、あえて私はアドルフ・アイヒマンの言葉を引用させていただく。彼はこう言った。『国家を破壊するためには、まず子どもを破壊することが不可欠である。なぜならもし親を殺せば、その子どもは成長して復讐を企てる。しかし子どもを殺せば、子どもは成長せず、国は滅びるからだ』と。」
<記事原文 寺島先生推薦>
The History of Nazism in Ukraine. Who is Stepan Bandera?
ティモシー・アレクサンダー・グズマン(Timothy Alexander Guzman)
Global Reearch, 2022年3月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月16日

悲劇を生むことになりそうだ。ロシアのウクライナ侵攻は非難されるべきで、決して起こってはならないことだが、しかし事実としてあるのは、ロシアのプーチン大統領が数年前からワシントンとその同盟国に差し迫った危機を警告していたことである。つまり、NATOの国境への拡張は軍事的対立につながる恐れがあると。
一方、西側メディアが描いているウクライナは、自由と民主主義のために戦う勇敢な魂であるヴォロディミル・ゼレンスキーという名の大統領をもつ民主主義国家であり、ロシアの熊に立ち向かう小国である。現代版「ダビデ対ゴリアテ」という図式である。
ロシアといういじめっ子が、罪のないウクライナをいじめている。しかし、世界はウクライナについて何を知っているのだろうか?
西側メディアは、私たちを闇の中に閉じ込めている。ほとんどのアメリカ人は、ウクライナの政治や歴史について知らない。
アメリカ人、ヨーロッパ人、そして世界中の人々は、ウクライナとそのナチス思想の歴史について真実を知っているのだろうか?
『イスラエル・タイムズ』紙の「ウクライナで数百人がナチス親衛隊SS兵士を称える行進に参加」と題する記事によると、2021年にウクライナの都市キエフでナチスの祭典がおこなわれたと報じている。

何百人ものウクライナ人がナチス親衛隊SS兵士を称える行進に参加した。キエフで初めて開催されたイベントもそのひとつだった。このいわゆる刺繍行進は4月28日に首都で開催されたが、この日はナチス親衛隊第14擲弾兵師団の創設から78年目で、またこの師団はガリシア第1師団としても知られている。ガリシア第1師団は、ドイツ占領下でウクライナ人とドイツ人の志願兵と徴集兵によって設立された部隊である。行進者は部隊のシンボルマークを記した横断幕を掲げていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC14SS%E6%AD%A6%E8%A3%85%E6%93%B2%E5%BC%BE%E5%85%B5%E5%B8%AB%E5%9B%A3
ルーシのライオンをあしらった第14SS武装擲弾兵師団の師団章
約300人が参加したキエフの行進は、数年前からこのようなイベントを主催している西部の都市リヴィウから持ち込まれたものだった。その前日には、リヴィウでより大規模な刺繍行進がおこなわれ、数百人が参加した。ウクライナで冷遇されているロシア人の多くは、ナチスの協力者を賛美することに反対している。そのような行為はウクライナでは2000年代初頭までタブーだった。しかし2000年代初頭、民族主義者が、1991年までウクライナを支配していたソビエト連邦に対抗して行動した協力者を英雄として国家が承認することを要求し、獲得したのである。
ウクライナにおけるナチス思想の父。ステファン・バンデラ
その名は、ステパン・バンデラ。ウクライナの英雄とされ、第二次世界大戦中にナチスに協力し、極右組織「ウクライナ民族主義者組織」(OUN-B)の指導者であった人物である。バンデラはオーストリア・ハンガリー帝国の一部であったガリシアのギリシャ・カトリックの家庭に生まれたが、後年、生まれた国が崩壊して西ウクライナ人民共和国となり、1918-1919年のポーランド・ウクライナ戦争でポーランドの一部となったことから、過激なウクライナ民族主義者になった。
1934年、新しい地政学的展開に怒ったバンデラは、ポーランド内務大臣ブロニスワフ・ピエラツキ暗殺を組織した。
READ MORE: ウクライナの「国家理念」としてのアドルフ・ヒトラー
バンデラはこの犯罪で逮捕され、有罪となり、死刑を宣告されたが、後に終身刑に減刑された。
1939年、ドイツ・ソ連のポーランド侵攻(別名「9月の陣」)に伴い、独ソ辺境条約によりポーランドが分割された。その直後、バンデラは出獄し、ポーランドのクラクフに移った。そこは、すでにナチスに占領されていた。
バンデラが確信していたのは、自分がナチスに協力すれば、ウクライナに自分の政権を樹立し、ナチスと同盟を結び、ソ連の占領から解放された独立国家になれるということだった。ナチス、バンデラ、そして彼の組織の側近たちが、ウクライナに共産主義を確立したのはユダヤ人のせいだと非難していることはよく知られていたことで、当時のバンデラの声明には次のように書かれている。
「ソ連のユダヤ人はボルシェビキ政権の最も忠実な支持者であり、ウクライナにおけるモスクワ帝国主義(Muscovite imperialism)の前衛である」
そして1941年6月、ナチスがソ連に侵攻し、東ガリシアの首都リヴォフを占領、ここでOUN-Bとアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義の大ドイツが協力し開始したのが、ユダヤ人とポーランド人に対する大量虐殺の「ポグロム」であった。戦争期間中ずっと老若男女を含めてすべてに対してであった。
そして、ナチスとバンデラ一派の関係は複雑になった。戦時中に独立宣言、いわゆる「ウクライナ復興法」が彼の側近たちによって発表された。
同時に、ウクライナの独立宣言は、ウクライナを勢力圏に置こうとするナチス政権にとって重大な関心事となった。 そのため、ウクライナ民族主義者とナチスとの同盟は問題となった。
1941 年 9 月 15 日、ゲシュタポはバンデラやウクライナ国民政府の首相であったヤロスラフ・ステツコらの指導者を、ウクライナ国家更新法の棄却を拒否したことで逮捕しはじめた。
1942年1月、バンデラは、著名な政治犯が収容されていたザクセンハウゼン強制収容所に収容された。
1944年、ソ連軍と連合軍がナチス占領地に進攻したため、ナチスはバンデラとステツコを採用し、優勢になったソ連軍を撃破するための陽動作戦を展開した。
OUN-Bの指導者であったバンデラは家族とともに西ドイツに移り、ウクライナ最高解放評議会や反ボルシェビキ民族ブロックなどの反共組織、あるいはファシストと呼ばれる組織と長く行動を共にするようになった。
1959年、バンデラは青酸ガスで毒殺され、その2年後、ドイツの司法当局は、彼の暗殺の背後にKGBが存在したと主張した。
2022年、バンデラはウクライナのネオナチにとって英雄であり続けている。世界で最も腐敗した国の一つであるウクライナを、アメリカとEUは支援しているのだ。アドルフ・ヒトラーとステパン・バンデラを賞賛するネオナチと強いつながりを持つ人権侵害が証明されている国なのに。これが偽善でなくて何だろうか。
CIAとナチス。地獄で作られたお似合いのカップル
作家・ジャーナリストのウェイン・マドセンの2016年の論文「CIAは1953年以来、ウクライナを弱体化させ、ナチス化させた」によると
「最近、機密解除された中央情報局(CIA)による3800以上の文書は、次のような事実を詳細に立証している。1953年以来、CIAは二つの主要な計画を実行する意図を持っていた。ひとつはウクライナを不安定化することであり、もうひとつは第二次世界大戦中のウクライナのナチス指導者ステパン・バンデラの信奉者たちと連携してウクライナをナチス化することだった、と」
ナチズムは、CIAのプロジェクトAERODYNAMIC(空気力学)のもとで長い間ウクライナに存在していた。それは「反ソビエトのウクライナ抵抗運動を冷戦と熱戦の目的のために利用し拡大すること」を目的としたものであった。その中には、ウクライナ解放最高会議(UBVR)とそのウクライナ反乱軍(UPA)、外人部隊(UPA)を含むいくつかのグループが含まれていた。今後は西ヨーロッパやアメリカにおけるウクライナ解放最高評議会(ZPUHVR)の代表や、OUN-Bなどの組織も活用されることになる。
つまり、70年近くも前から、CIAによるウクライナのナチス化作戦は成功していたと言えるのだ。
しかし、その前段階のプロジェクトAERODYNAMICは、ウクライナを不安定にすることを目的としていた。CIAの訓練を受けた亡命ウクライナ人が、ソ連・ウクライナ領内で活動していたのだ。
CIAは、西ドイツで米軍の対外情報政治心理(FI-PP)部隊の訓練を受けたウクライナ領内の工作員に、通信、物資、武器、弾薬の空輸を調達したのだ。言い換えれば、CIAは共産主義者と戦うという名目で、ウクライナでネオナチや「ファシスト」と呼ばれる人々の育成を手助けした罪を問われるということになる。

今日、極右のネオナチグループは、ウクライナ国民にとって深刻な問題である。というのは、これらの過激派の多くは、ウクライナ政府の様々な階層に埋め込まれているからであり、その中には、悪名高いアゾフ大隊やエイダル大隊の隊員もいる。
両大隊は、2014年のマイダン・クーデターにも関与しており、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領を転覆したのだ。これは米国と欧州連合が支援したクーデターだったのだ。
マイダンのクーデターにも関与した極右ネオナチ集団には、他に右派セクターとスヴォボダ党がある。言い換えれば、アメリカとヨーロッパの同盟国はモンスターを作り出してしまったのであり、ウクライナの人々にとっては、これから状況はもっと悪くなる一方だということだ。
最近、ファールディン・シャラフマルという名のウクライナのテレビジャーナリストが、テレビの生放送でナチスの戦犯であるアドルフ・アイヒマンを引用した。

動画はこちら
動画字幕:私はジャーナリストとして、冷静に情報を提供するために、客観的でバランスの取れた視点を持たなければならないと考えている。
「ロシアがわれわれをナチスやファシスト呼ばわりしているので、あえて私はアドルフ・アイヒマンの言葉を引用させていただく。彼はこう言った。『国家を破壊するためには、まず子どもを破壊することが不可欠である。なぜならもし親を殺せば、その子どもは成長して復讐を企てる。しかし子どもを殺せば、子どもは成長せず、国は滅びるからだ』と。」
- 関連記事
-
- ロシア、「ウクライナ海兵隊が大量投降」と発表 (2022/04/20)
- ロシアはウクライナ国内の外国人傭兵に関する情報を公表 (2022/04/20)
- ロシアは包囲されたウクライナ軍に投降する機会を提供 (2022/04/19)
- マリウポリで戦った英国人捕虜が語る「現実」―エイデン・アスリン氏:ウクライナ軍は民間人に対する「配慮が欠如」 (2022/04/19)
- ウクライナ最新情報 第10報 (2022/04/18)
- ウクライナ民族運動は、第二次世界大戦後,いかにCIAに買収されてきたか (事実検証シリーズ・2) (2022/04/17)
- ウクライナへの道は1999年のコソボ戦争から始まった (2022/04/17)
- ウクライナにおけるナチズムの歴史。ステファン・バンデラとは誰か? (2022/04/16)
- ウクライナ最新情報 第9報 (2022/04/13)
- ロシアがウクライナの生物研究所に関する新証拠を提示、バイデンや米国との関連についてコメント (2022/04/10)
- マリウポリがユーラシア統合の重要拠点になる (2022/04/09)
- ブチャで起こったことの真実はすぐそこにあるが、露見するにはあまりにも不都合な真実 (2022/04/08)
- ウクライナの「ブチャ民間人死者」をめぐる事実経過(時系列) (2022/04/08)
- クレムリンは学ぶことがないのか(ウクライナ、ブチャのプロパガンダ戦争) (2022/04/07)
- ナチス・シンボル(狼の罠)の下で :ウクライナの過激派イデオロギーの不愉快な真実 (2022/04/06)
スポンサーサイト