まともな米国外交を復活させるには遅すぎるのか?――モンロー・ドクトリンのルーツに迫る
まともな米国外交を復活させるには遅すぎるのか?――モンロー・ドクトリンのルーツに迫る
<記事原文 寺島先生推薦>
Too Late to Revive a Sane U.S. Foreign Policy? The Roots of the Monroe Doctrine Revisited
マシュー・エレット(Matthew Ehret) 2022年3月13日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月1日
ロシアを封じ込めようとあらゆる根拠を望む人々のルールに従い続けるのではなく、新しいアプローチが必要であるのは明白である。
ロシアがウクライナへの軍事介入を決定して以来、長い間影を潜めていた闇が表面化した。この闇は、ある意思という形で表れた。それは「もっともらしい否認」という美名や「リベラルなルールに基づく国際秩序」の自己満足的信奉者の後ろに隠れることがもはやできないのだが、1992年のソ連崩壊以来、壊れたレコードのように繰り返し世界に鳴り響いてきたものなのだ。
NATOが管理する弾道ミサイルシールドでロシアの防衛を標的にしながら、あらゆる証拠でロシアを軍事的に封じ込めることを望む人々のルールに従い続けるのではなく、新しいアプローチが必要であると判断されたので、このゲーム(ロシアによるウクライナ侵攻)が呼び出されたのだ。
ウクライナの生物兵器施設という証拠がそれだったのだろうか。これは長い間陰謀論として扱われてきたものだが、今ではビクトリア・ヌーランドがその存在を認めてしまった。まさにラクダの背を折る最後の藁だ。ネオナチ勢力によるドンバスとクリミアへの攻撃が迫っているという証拠がそれだったのだろうか。これはそれまでずっと決定的な要因だったのだが。2月19日、ゼレンスキーがウクライナに1994年のブダペスト条約を破棄し核兵器を導入するよう呼びかけたことが決め手となったという見方もある。
(ブダペスト覚書は、ソ連崩壊時に独立を勝ち獲ったウクライナに対し、核兵器放棄を条件に、アメリカ・イギリス・ロシアが安全保障を約束するものであった)
実際のところ、プーチンの決断の具体的な原因は分からないかもしれないが、これだけは確かである。
戦争は2022年2月24日に始まったのではない。ロシアに対する戦争は、実際は2014年2月22日に始まっていたのである。そのときアメリカは民主的に選ばれたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権に対する政権交代を確定させ、ある人が言うところのスローモーションのバルバロッサ作戦を8年という長期にわたって開始したのだ。ある一つの目的を持ってだ。それはロシア連邦の完全な破壊と征服である。その概要は、1997年にズビグニュー・ブレジンスキーが『グランド・チェスボード:地政学で世界を読む: 21世紀のユーラシア覇権ゲーム』に書いたとおりのものだ。
(バルバロッサ作戦:第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始されたナチス・ドイツのソビエト連邦奇襲攻撃作戦の秘匿名称)
影の人物たちが表面化したことで、ますます明らかになってきたのは、西側同盟によって映し出された美徳のイメージが平和的でも民主的でもないことである。アメリカ、イギリス、キエフは過去8年間、危機を外交的に解決する多くの明白な機会を捉えるどころか、破壊工作、中傷、一方的な制裁による経済戦争という道だけを選んできたのである。
では、どうすればいいのだろうか。
今日のアメリカが、もっとましな憲法上の外交政策の伝統を復活させるのに、あまりにも行き過ぎているのかどうか、正直なところ私には分からない。しかしこのことははっきりと言える。この歴史が、過去数世代にわたってずっと埋もれたままであったのと同じように埋もれたままになるならば、共和国を救い、世界平和を維持するための小さなチャンスは確実に潰えてしまうと。
国際情勢における1776年の戦略的意義
多くの人が聞かされてきた神話が、アメリカはその誕生以来、世界帝国を目指す国家として育てられたというものであったが、真実はそれとは大きく異なっている。確かに、一部のロマンチックな歴史家が長年にわたって描いてきたような、偽善や腐敗に汚されない自由のユートピアの砦では決してなかったし、逆にシニカルな人種批判理論家が主張するような一次元の悪の奴隷制国家でもなかったのである。アメリカはむしろ未完成の交響曲のようなものとして理解されるべきである。その実践的な演奏が健全な憲法の理想の音をはるかに下回ることがあまりにも多かったのである。
まず、アメリカの建国文書(1776年の独立宣言と1787年の憲法)に書かれている次の事実を評価することが重要である。そこには「人種、信条、性別、階級に関係なく、すべての人は平等であり、譲れない権利を与えられているという考えを前提とした政府の形態の歴史上最初の例」と書いてあり、さらに、「国家の法律の正当性は被治者の同意から生まれ、現在から将来にわたって一般的な福祉を支えることを義務づけている」という考え方も含まれていた。それは、それまでのホッブズ的な「力が正義」という世襲制度を支配してきた概念とは大きく異なるものであった。
この原則を外交政策に実際に適用することについて、ワシントン大統領は詳しく論じ、対外的には外交問題、国内的には政党政治という二重の弊害を避けるよう、若い国家に警告した。そのとき彼は1796年の退任演説で次のように国民に頼んだのであった。
「なぜ自国を捨ててまで外国の地に立つのか。なぜ、わが国の運命をヨーロッパのどこかの国の運命と絡めて、わが国の平和と繁栄をヨーロッパの野心、競争心、利害、ユーモア、気まぐれなどの苦難に巻き込むのか?」

ギルバート・スチュアートが描いた、憲法に右手を置いたワシントン大統領の絵
この演説でワシントンは、もし、あくまでも仮の話だが、アメリカが生き残ることができたとしたら、それは「商業的関係を拡大し、外国とできるだけ政治的なつながりを持たないようにする」という国際政策によるものであると説明した。
他国との政治的な関わりを減らすことを求めたワシントンを孤立主義者とる向きもあるが、彼は常に相互利益に基づいて国際的な通商を推進していたのである。単なる帝国主義的な活動、陰謀、欺瞞、そしてワシントンの在任中のジャコバン恐怖政治に始まるカラー革命(フランス革命)の新時代――外国への突飛な冒険に夢中になれば、そういったものが若い共和国を破壊する毒になると偉大な指導者ワシントンは考えたのだ。
ジョン・クインシー・アダムスとモンロー・ドクトリンの反帝国主義的起源
ジョン・クインシー・アダムス(1767-1848)は、1817年から1825年にかけて国務長官を務めた際、この考えをさらに発展させてモンロー・ドクトリン(アメリカがヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したこと)を起草し、アメリカが「破壊すべき怪物を求めて海外に出ない」場合にのみ有効であると考えた。

ワシントンのスケッチに手を置くジョン・クインシー・アダムス大統領
つまり、アメリカが自国の問題解決に力を注ぎ、国内整備に力を注ぐ限り、モンロー・ドクトリンは自国にとっても国際社会にとっても幸福なことなのである。
ジョン・クインシー・アダムスもまた理解していた危険性は、当時フェデラリスト党を中心としたアメリカの中枢部にイギリスが運営する第五列が拡大していることであった。駐ロシア大使を務めていたアダムスは、1811年(ちょうどナポレオンがロシア侵攻を準備し、イギリスがアメリカに対して新たな戦争を始めようとしていた頃)、母親に宛ててこう書いている。
「もしあの党(ニューイングランドのフェデラリスト党)が、ニューヨークやペンシルベニア、南部や西部のすべての州ですでにそうであるように、マサチューセッツでも効果的に鎮圧されなければ、連邦は消滅してしまうだろう。北米大陸と同じ面積を持ち、神と自然によって、一つの社会的契約のもとに結合された最も人口の多い最も強力な国民となるように定められた国家の代わりに、われわれは、岩や釣堀をめぐって互いに永久戦争を続ける、取るに足りない小さな氏族や部族の無限の大群となるであろう。それはヨーロッパの支配者と抑圧者の遊びと作り話である」(1)
ジョン・クインシー・アダムスがしっかりと理解していたのは、アメリカ革命の世界史的意義が、孤立した13のイギリス植民地間の地理的現象ではなく、世襲制度から解放された全人類の新しいパラダイムの火種となる可能性があるということだった。19世紀初頭、アメリカ大陸には、フランス、イギリス、スペイン、ロシアなどの帝国が支配権を握ろうとする野心が残っており、ホッブズ的な戦争と陰謀のパラダイムが新世界に押し寄せていたのである。アダムスは、偉大なアメリカの愛国者たちと同様に、このような事態を食い止めなければならないと考えていた。
1821年の7月4日の祝典でアダムスは、独立宣言とは次のようなものだと指摘した。「市民政府の唯一の合法的な基盤について、国家が初めて厳粛に宣言したものである。それは、地球を覆う新しい仕組みの礎石である。それは、征服に基づくすべての政府の合法性を一挙に打ち砕いた。それは、何世紀にもわたって蓄積された隷属の瓦礫をすべて一掃した。人民の譲ることのできない主権という超越的な真理を、実践的な形で世界に発表したのだ」
「地球を覆う運命にある」とは、アメリカが弱者を覇権に服従させるパックス・アメリカーナになる運命にある、ということだとアダムスは考えていたのだろうか。いいや、そんなことはない。
1822年1月23日、アダムスは、植民地制度は「われわれの制度の本質的な性格と相容れない」と書いている。彼はまた、「巨大な植民地制度は悪の原動力であり、社会改善の進展に伴い、現在奴隷貿易を廃止しようと努めているように、それらを廃止することが人類の義務であろう」とも述べている。
アダムスが理解していたのは、世界を「原則の共同体」としてとらえることの重要性であった。そこでは、すべての部分の自己改善に基づくウィンウィンの協力と、国際社会全体を単なる部分の総和以上のものとしてとらえ、外交に絶えず刷新と創造的活力をもたらすことになるのである。それは、経済、安全保障、政治を一つの統一されたシステムに織り込んでいくという、トップダウン型の政策体系であった。このような統合的な考え方は、今日の新自由主義的シンクタンクに見られるような、超理論的で区分けされたゼロサム思考の中で、ひどく失われつつあるものであった。
だからこそ、アダムスは国務長官や大統領時代を通じて、ハミルトン流の国民銀行やエリー運河、鉄道など大規模なインフラ整備を提唱しのたのである。もしこのシステムが、アメリカ大陸あるいは世界におけるアメリカの利益を拡大する原動力であったとしても、それは武力によるものではなく、むしろすべての関係者の生活水準を向上させるものであったろう。
アダムス、リンカーン、国立銀行
アダムスは、若き弟子リンカーンと共に、1846年の米西戦争と徹底的に闘ったが、それはモンロー・ドクトリンの乱用を生むことになった。
若き日のリンカーンとジョン・クインシー・アダムスは、1841年にホイッグ党の指導者ウィリアム・ハリソン(1773-1841)を大統領に当選させるために、ハミルトンの国立銀行の復活に焦点を絞って早くから選挙運動を組織していた。国立銀行はアンドリュー・ジャクソン大統領によって潰され、アメリカの経済主権に大きな損害を与えていたからだ。
この歴史の醜い章は一般的な記録からは削除されてしまったが、1832年に第二の国立銀行を潰す作戦は、現代においてIMFが債務国に緊縮財政を要求するのと大差ない手法で、国家債務を支払うためにすべての公共事業を総崩れにさせるという結果を招いた。農民や企業家への信用は失われ、投機が横行し、何千もの地域通貨(多くは偽造)が横行し、奴隷労働による綿花栽培が、国の生産性を癌のように蝕んでいった。
悲しいことに、国立銀行を復活させる法案が議会の両院を通過し、ハリソン大統領の署名を待つばかりだったにもかかわらず、大統領は就任後わずか3カ月で謎の死を遂げ、その夢は終わりを告げたのである。
ホイッグ党の最良の構成員は1856年に反奴隷の共和党を結成するが、それはホイッグ党の第2代大統領ザカリー・テイラーが毒殺された後だった。彼の死は1851年、就任後わずか2年しか経っていなかった。

エイブラハム・リンカーンの誕生
連邦を維持しようと奮闘するナショナリストの小さなグループから、エイブラハム・リンカーンは現れた。国立銀行、保護主義、モンロー・ドクトリンに基づく安全保障政策の復活という簡潔な計画を携えて、である。リンカーンは、1858年に奴隷制支持派のスティーブン・ダグラス判事と討論し、来るべき内戦の条件を世界的な戦略的観点から説明した。
「ダグラス判事と私のこの貧しい舌が沈黙するとき、この国で続いていくもの、それが問題なのです。それは、全世界で、この二つの原則、すなわち善と悪との永遠の闘いなのです。この二つの原則は、太古の昔から対峙してきたものであり、これからもずっと闘い続けるものです。一方は人類の共通の権利であり、他方は王の神聖な権利なのです」
私たちは皆、南北戦争の本質を知っている。しかし私たちは、この紛争の成功についてきちんと理解していないかもしれない。リンカーンがグリーンバック(ドル紙幣)と5-20国債を発行して州銀行を活性化させたことによるものだったということを。つまり、民間金融機関が不当な金利を要求するのを回避したことによるものだったということを。これらの生産性の高い債券とドル紙幣は、戦争の遂行に必要な資金を調達した。と同時に、大陸横断鉄道のような大規模なインフラプロジェクトにも資金を供給し、大陸を統合したのだ。

リンカーンは、同じ志を持つ改革者をロシアに見出した。新皇帝アレクサンドル2世は、あまりにも長い間ロシアの潜在能力を破壊してきた寡頭制、農奴制、低開発の腐敗を切り崩すことに熱心であった。このため、アレクサンドル2世は2500万人以上の農奴を解放し、徹底した腐敗防止改革をおこない、米国と連携して産業発展に重点を置いた国家財政の整備をおこなった。ロシア皇帝は、ロシア海軍の船団をアメリカの東海岸と西海岸に送ることを決定した。イギリスとフランスの帝国主義者に戦争に参加するなというメッセージを送るためだった。そのことがリンカーンに、分離独立を終わらせ、連邦を維持するために必要とした決定的な力を手に入れさせることになったのである。
しかし悲しいことに、この勝利は国内的にも国際的にも、思うように機能しなかった。新たに再組織された奴隷制度が、新たに解放された黒人を新たな主従関係に引き込む「分液小作」計画をつくり、リコンストラクション(南北戦争後の再建・再統合)がすぐに妨げられただけでなく、リンカーンのドル紙幣は英国びいきの傀儡大統領たちの下ですぐに流通から外されてしまったのである。1876年、米ドルを金と1対1に交換する「正貨再開法」が制定されると、国内整備が滞り、産業界への信用は消え、投機が再び横行し始め、銀行パニックが国家の安定に周期的に大打撃を与えるようになった。
(分益小作とは、地主が小作人に対して土地と農業経営に必要な家畜や農具類を支給する一方、小作人は労務を提供し、農業生産による収穫物を実物で地主と小作人との間で分割する小作制度。)
1865年から1881年にかけてリンカーン、ガーフィールド大統領、アレキサンダー2世が暗殺されたことに加え、「憲法という魔物を瓶に戻す」ための狂気の取り組みがおこなわれた。これはボストンとマンハッタンでおこなわれた第5列の活動であったが、大英帝国をモデルにした新しい帝国外交政策をますます推進する中でのことであった。

ウィリアム・マッキンリー、アメリカ体制を復活させる
この裏切り者のネットワークを断ち切るための19世紀最後の大きな努力は、1897年にウィリアム・マッキンリー大統領がホワイトハウスに登場したという形でおこなわれた。この時、再び国家計画、保護関税、国内外での産業発展というプログラムが、米国の内政と外交を形成する特徴となった。マッキンリーは、1895年に、自分が踏み込もうとしている歴史的な流れについて、リンカーンとワシントンの二人を賞賛し、次のように述べた。
「アメリカ史における最も偉大な名前はワシントンとリンカーンである。一方は州の独立と連邦連合の形成に永久に関係し、もう一方は連邦の普遍的な自由と維持に関連している。ワシントンは独立宣言をイギリスに対して施行し、リンカーンはその成就をアメリカの劣等民族だけでなく、わが国の国旗の保護を求めるすべての人々に対して宣言した。これらの輝かしい男たちは、1775年から1865年までの一世紀の間に、人類のために、時間の飛行が始まって以来のすべての年月において、他のどの男たちが成し遂げたよりも偉大な結果を達成した」
海軍次官補セオドア・ルーズベルトによってフィリピンでの不当な戦争に巻き込まれたが、マッキンリーは、海軍次官補セオドア・ルーズベルトによってフィリピンでの不当な戦争に巻き込まれたが(その経緯はこちら)、北米、南米、中米の産業発展に米国の全面的な支援を与えることによって、モンロー・ドクトリンを守るために一貫して闘った。国際的には、マッキンリーは、義和団の乱(1900年、清朝末期の動乱)に伴う中国の分割にアメリカが関与しないように戦い、ロシアのセルゲイ・ウィッテ伯爵やフランスのガブリエル・ハノトーのような国際共同思想家と緊密に協力して、ユーラシア大陸全域で鉄道開発と平和条約を進めた。このような計画が、殺人、クーデター、政権交代作戦によって妨害されなければ、第一次世界大戦とその続編という大惨事は起こり得なかったことは確かである。
悲しいことに、マッキンリーが暗殺された後、悲しいことに、テディ・ルーズベルトの「棍棒外交」政策が新しい20世紀の傾向を生み出した。アメリカは、アダムスが構想したような外国の帝国的陰謀を排除するのではなく、弱い国家に対して覇権を拡大するようになったのだ。

1901年9月6日、米州博覧会のレセプションでのレオン・チョルゴッシュによるウィリアム・マッキンリー大統領暗殺事件。(アメリカの画家T・ダート・ウォーカー作、1905年/国会図書館蔵)
FDRとウォレスは、まともなアメリカ外交の復活を試みる
1901年以降、アダムスの包括的な安全保障ドクトリンを復活させようとする小さな、しかし重要な試みが見られるようになった。
私たちはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの計画でそれが再び活気づくのを目の当たりにした。彼の計画はニューディールを国際化して、中国から、インド、イベリア半島、中東、アフリカ、ロシアにまで広げることだった。ルーズベルト副大統領のヘンリー・ウォレスは、1943年の著書『The Century of the Common Man(普通の人間の世紀)』で、この国際的ニューディールの条件を提示し、戦後の世界について次のようなビジョンを示した。
「新しい民主主義は、定義上、帝国主義を嫌うが、定義上、国際的な視野を持ち、世界のすべての人々の生産性、ひいては生活水準を高めることに最大の関心を持つものである。まず輸送があり、それに続いて農業の改良、工業化、農村の電化がある・・・。モロトフが明確に示したように、この勇敢で自由な未来の世界は、米国とロシアだけではつくれない。間違いなく中国は、戦争から生まれた世界に強い影響力を持つだろう。この影響力を行使する上で、孫文の原則が、他のどの近代政治家の原則にも劣らない重要なものであることが証明される可能性は十分にある」
残念ながら、1945年4月12日にFDRが早すぎる死を遂げた後、英米の特別な関係が再び復活し、国際的なニューディーラーたちは、影響力のあるすべての地位からすぐに粛清されたのであった。当時、反ロシア・ヒステリーのオーウェル時代が到来していたにもかかわらず、ヘンリー・ウォレスは(ハリー・トルーマン大統領の下で商務長官に格下げされたものの)米国政府内で一定の影響力を維持していた。
1946 年 9 月 12 日の演説で、ウォレスは解雇されることになったが、アメリカの進むべき道 を 2 つ明確に提示した。
「間違ってはいけない――近東におけるイギリスの帝国主義的な政策だけで、ロシアの報復が同時に起きれば、アメリカは戦争に直行することになるだろう……」
「英国外務省や親英・反露のマスコミの目ではなく、自分たちの目を通して海外を見ることが肝要である。われわれが厳しくすればするほど、相手も厳しくなる」
「われわれの第一の目的が、大英帝国を救うことでも、米兵の命をかけて近東の石油を購入することでもないとロシアが理解すれば、協力が得られると信じている。国家間の石油競争によって戦争に突入させるわけにはいかない……」

アイゼンハワーからケネディへ:アメリカの魂を賭けた戦いは続く
アイゼンハワーは刷新に向けて前向きな動きを見せた。朝鮮戦争を終結させ、インド、イラン、アフガニスタン、パキスタン、ラテンアメリカへの米露協力と先端科学投資による「平和のための十字軍」を試みたのだ。しかし、悲しいことに、彼の前向きな計画は米国のディープステートの中心に寄生する寄生虫の増殖によって頓挫させられてしまった。このディープステートについて、彼は1960年の有名な「軍産複合体」演説で言及していたのだが。
ケネディがベトナムから米軍を撤退させ、1960年代にFDRのニューディール精神を復活させ、ロシアとの同盟を模索したのも、アダムスの安全保障ドクトリンを復活させようとした立派な努力だった。が、彼の早世によって、この志向はすぐに終わりを告げた。
1963年から2016年にかけて、まともな安全保障ドクトリンを復活させるための小さな断片的な努力は短命に終わり、一極主義の陰謀という、より強力な圧力にしばしば打ちのめされたのである。これは新世界秩序という形で英米の完全覇権を求めるものであったが、1992年にブッシュ・シニアとキッシンジャーはその到来を祝った。
「アメリカ第一主義」が、まともな安全保障のドクトリンを復活させる
トランプ大統領には限界が多くあったが、正常な安全保障ドクトリンを回復しようと努力したことは確かだ。つまりグローバル化したアウトソーシング、軍国主義、ポスト工業主義の下で、50年以上にわたって自ら招いた萎縮からの回復に、アメリカの利益を集中させることによってである。
恥ずかしいほど大きく独立した軍情報産業複合体は、ケネディが殺害された後も弱体化することはなかった。が、それと戦わなければならないにもかかわらず、トランプは2019年4月、国際展望の条件をこう発表した。
「ロシア、中国、われわれの間で、われわれは皆、核を含む数千億ドル相当の兵器をつくっているが、これは馬鹿げている……われわれが皆集まって、これらの兵器をつくらなければもっと良いと思う……これら3カ国は団結して支出を止め、長期平和に向けてより生産的なものに支出できると思う」
この米露中協力政策の呼びかけは、2020年1月に発効した米中貿易協定の第一段階と連動しており、中国が購入する米国の完成品3500億ドルを保証するものであった。同月、公的にメルトダウンしたのは、他ならぬソロス自身であった。ソロスは、グローバルな開放社会に対する2つの最大の脅威は、1)トランプの米国と2)習近平の中国であると発表したからだ。
もちろん、コロナ・パンデミックによってこの勢いは大きく頓挫し、貿易取引は徐々に破綻していった。しかし、こうした失敗にもかかわらず、アメリカを「アメリカ第一主義」の考え方に戻そうという考え方は、①自国内部の混乱を一掃することによって、②CIAの活動を軍から切り離すことによって、③巨大製薬会社主導の世界保健機関WHOからアメリカを切り離すことによって、④NED(米民主主義基金)などの海外における政権交代工作組織の資金を削減することによって、という4点によって伝統的なアメリカの保護関税政策に戻すということが、トランプが実行した極めて重要な取り組みであった。そして迫り来る災厄から自国を救おうと望むあらゆる党からのナショナリスト勢力が活用しなければならない前例をつくったと言えるであろう。
自滅に向かうアメリカ
バイデンの「ルールに基づく国際秩序」が始まって1年、地球上の国々の安定と平和的協力の希望は大きく損なわれている。NATOとの協力関係を正当に断ち切ったトランプとは異なり、現ネオコン重鎮政権は、ウクライナや他の旧ソ連諸国をNATOに吸収することを優先し、ロシアと戦うために、シリアから民間傭兵部隊やアルカイダ系の戦闘員をウクライナに投入するところまでいっているのである。この危険な政策に加え、私たちが目撃してきたのは、ネオナチがはびこるウクライナ軍に何十億ドルもの殺傷兵器が送り込まれていることであり、ウクライナの混乱し何も訓練を受けていない市民が戦って死ぬように命令されていることである。西側の地政学者でさえ勝てないと認めている大義のために。
今日のアメリカは、経済・軍事両面で本格的な自滅政策に邁進しており、ロシアと中国の両方に対して、制御不能な高温原子核融合反応(水素爆弾、つまり核戦争)にエスカレートする危険性のある戦争を推進している。
このような立場からロシアの安全保障の要求を見ると、プーチンの極東構想、極地シルクロード、中国の一帯一路構想などの、ユーラシアの新しいマニフェスト・デスティニーの形を思い起こすとき、皮肉でしかないのは、ジョン・クインシー・アダムスの安全保障ドクトリンの精神が世界で生きているということである。ただ、それはアメリカには存在しないのだ。
(1) サミュエル・フラッグ・ベミス『ジョン・クインシー・アダムスとアメリカ外交の基礎』(New York: Alfred A. Knopf, 1950)。
<記事原文 寺島先生推薦>
Too Late to Revive a Sane U.S. Foreign Policy? The Roots of the Monroe Doctrine Revisited
マシュー・エレット(Matthew Ehret) 2022年3月13日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年4月1日
ロシアを封じ込めようとあらゆる根拠を望む人々のルールに従い続けるのではなく、新しいアプローチが必要であるのは明白である。
ロシアがウクライナへの軍事介入を決定して以来、長い間影を潜めていた闇が表面化した。この闇は、ある意思という形で表れた。それは「もっともらしい否認」という美名や「リベラルなルールに基づく国際秩序」の自己満足的信奉者の後ろに隠れることがもはやできないのだが、1992年のソ連崩壊以来、壊れたレコードのように繰り返し世界に鳴り響いてきたものなのだ。
NATOが管理する弾道ミサイルシールドでロシアの防衛を標的にしながら、あらゆる証拠でロシアを軍事的に封じ込めることを望む人々のルールに従い続けるのではなく、新しいアプローチが必要であると判断されたので、このゲーム(ロシアによるウクライナ侵攻)が呼び出されたのだ。
ウクライナの生物兵器施設という証拠がそれだったのだろうか。これは長い間陰謀論として扱われてきたものだが、今ではビクトリア・ヌーランドがその存在を認めてしまった。まさにラクダの背を折る最後の藁だ。ネオナチ勢力によるドンバスとクリミアへの攻撃が迫っているという証拠がそれだったのだろうか。これはそれまでずっと決定的な要因だったのだが。2月19日、ゼレンスキーがウクライナに1994年のブダペスト条約を破棄し核兵器を導入するよう呼びかけたことが決め手となったという見方もある。
(ブダペスト覚書は、ソ連崩壊時に独立を勝ち獲ったウクライナに対し、核兵器放棄を条件に、アメリカ・イギリス・ロシアが安全保障を約束するものであった)
実際のところ、プーチンの決断の具体的な原因は分からないかもしれないが、これだけは確かである。
戦争は2022年2月24日に始まったのではない。ロシアに対する戦争は、実際は2014年2月22日に始まっていたのである。そのときアメリカは民主的に選ばれたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権に対する政権交代を確定させ、ある人が言うところのスローモーションのバルバロッサ作戦を8年という長期にわたって開始したのだ。ある一つの目的を持ってだ。それはロシア連邦の完全な破壊と征服である。その概要は、1997年にズビグニュー・ブレジンスキーが『グランド・チェスボード:地政学で世界を読む: 21世紀のユーラシア覇権ゲーム』に書いたとおりのものだ。
(バルバロッサ作戦:第二次世界大戦中の1941年6月22日に開始されたナチス・ドイツのソビエト連邦奇襲攻撃作戦の秘匿名称)
影の人物たちが表面化したことで、ますます明らかになってきたのは、西側同盟によって映し出された美徳のイメージが平和的でも民主的でもないことである。アメリカ、イギリス、キエフは過去8年間、危機を外交的に解決する多くの明白な機会を捉えるどころか、破壊工作、中傷、一方的な制裁による経済戦争という道だけを選んできたのである。
では、どうすればいいのだろうか。
今日のアメリカが、もっとましな憲法上の外交政策の伝統を復活させるのに、あまりにも行き過ぎているのかどうか、正直なところ私には分からない。しかしこのことははっきりと言える。この歴史が、過去数世代にわたってずっと埋もれたままであったのと同じように埋もれたままになるならば、共和国を救い、世界平和を維持するための小さなチャンスは確実に潰えてしまうと。
国際情勢における1776年の戦略的意義
多くの人が聞かされてきた神話が、アメリカはその誕生以来、世界帝国を目指す国家として育てられたというものであったが、真実はそれとは大きく異なっている。確かに、一部のロマンチックな歴史家が長年にわたって描いてきたような、偽善や腐敗に汚されない自由のユートピアの砦では決してなかったし、逆にシニカルな人種批判理論家が主張するような一次元の悪の奴隷制国家でもなかったのである。アメリカはむしろ未完成の交響曲のようなものとして理解されるべきである。その実践的な演奏が健全な憲法の理想の音をはるかに下回ることがあまりにも多かったのである。
まず、アメリカの建国文書(1776年の独立宣言と1787年の憲法)に書かれている次の事実を評価することが重要である。そこには「人種、信条、性別、階級に関係なく、すべての人は平等であり、譲れない権利を与えられているという考えを前提とした政府の形態の歴史上最初の例」と書いてあり、さらに、「国家の法律の正当性は被治者の同意から生まれ、現在から将来にわたって一般的な福祉を支えることを義務づけている」という考え方も含まれていた。それは、それまでのホッブズ的な「力が正義」という世襲制度を支配してきた概念とは大きく異なるものであった。
この原則を外交政策に実際に適用することについて、ワシントン大統領は詳しく論じ、対外的には外交問題、国内的には政党政治という二重の弊害を避けるよう、若い国家に警告した。そのとき彼は1796年の退任演説で次のように国民に頼んだのであった。
「なぜ自国を捨ててまで外国の地に立つのか。なぜ、わが国の運命をヨーロッパのどこかの国の運命と絡めて、わが国の平和と繁栄をヨーロッパの野心、競争心、利害、ユーモア、気まぐれなどの苦難に巻き込むのか?」

ギルバート・スチュアートが描いた、憲法に右手を置いたワシントン大統領の絵
この演説でワシントンは、もし、あくまでも仮の話だが、アメリカが生き残ることができたとしたら、それは「商業的関係を拡大し、外国とできるだけ政治的なつながりを持たないようにする」という国際政策によるものであると説明した。
他国との政治的な関わりを減らすことを求めたワシントンを孤立主義者とる向きもあるが、彼は常に相互利益に基づいて国際的な通商を推進していたのである。単なる帝国主義的な活動、陰謀、欺瞞、そしてワシントンの在任中のジャコバン恐怖政治に始まるカラー革命(フランス革命)の新時代――外国への突飛な冒険に夢中になれば、そういったものが若い共和国を破壊する毒になると偉大な指導者ワシントンは考えたのだ。
ジョン・クインシー・アダムスとモンロー・ドクトリンの反帝国主義的起源
ジョン・クインシー・アダムス(1767-1848)は、1817年から1825年にかけて国務長官を務めた際、この考えをさらに発展させてモンロー・ドクトリン(アメリカがヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したこと)を起草し、アメリカが「破壊すべき怪物を求めて海外に出ない」場合にのみ有効であると考えた。

ワシントンのスケッチに手を置くジョン・クインシー・アダムス大統領
つまり、アメリカが自国の問題解決に力を注ぎ、国内整備に力を注ぐ限り、モンロー・ドクトリンは自国にとっても国際社会にとっても幸福なことなのである。
ジョン・クインシー・アダムスもまた理解していた危険性は、当時フェデラリスト党を中心としたアメリカの中枢部にイギリスが運営する第五列が拡大していることであった。駐ロシア大使を務めていたアダムスは、1811年(ちょうどナポレオンがロシア侵攻を準備し、イギリスがアメリカに対して新たな戦争を始めようとしていた頃)、母親に宛ててこう書いている。
「もしあの党(ニューイングランドのフェデラリスト党)が、ニューヨークやペンシルベニア、南部や西部のすべての州ですでにそうであるように、マサチューセッツでも効果的に鎮圧されなければ、連邦は消滅してしまうだろう。北米大陸と同じ面積を持ち、神と自然によって、一つの社会的契約のもとに結合された最も人口の多い最も強力な国民となるように定められた国家の代わりに、われわれは、岩や釣堀をめぐって互いに永久戦争を続ける、取るに足りない小さな氏族や部族の無限の大群となるであろう。それはヨーロッパの支配者と抑圧者の遊びと作り話である」(1)
ジョン・クインシー・アダムスがしっかりと理解していたのは、アメリカ革命の世界史的意義が、孤立した13のイギリス植民地間の地理的現象ではなく、世襲制度から解放された全人類の新しいパラダイムの火種となる可能性があるということだった。19世紀初頭、アメリカ大陸には、フランス、イギリス、スペイン、ロシアなどの帝国が支配権を握ろうとする野心が残っており、ホッブズ的な戦争と陰謀のパラダイムが新世界に押し寄せていたのである。アダムスは、偉大なアメリカの愛国者たちと同様に、このような事態を食い止めなければならないと考えていた。
1821年の7月4日の祝典でアダムスは、独立宣言とは次のようなものだと指摘した。「市民政府の唯一の合法的な基盤について、国家が初めて厳粛に宣言したものである。それは、地球を覆う新しい仕組みの礎石である。それは、征服に基づくすべての政府の合法性を一挙に打ち砕いた。それは、何世紀にもわたって蓄積された隷属の瓦礫をすべて一掃した。人民の譲ることのできない主権という超越的な真理を、実践的な形で世界に発表したのだ」
「地球を覆う運命にある」とは、アメリカが弱者を覇権に服従させるパックス・アメリカーナになる運命にある、ということだとアダムスは考えていたのだろうか。いいや、そんなことはない。
1822年1月23日、アダムスは、植民地制度は「われわれの制度の本質的な性格と相容れない」と書いている。彼はまた、「巨大な植民地制度は悪の原動力であり、社会改善の進展に伴い、現在奴隷貿易を廃止しようと努めているように、それらを廃止することが人類の義務であろう」とも述べている。
アダムスが理解していたのは、世界を「原則の共同体」としてとらえることの重要性であった。そこでは、すべての部分の自己改善に基づくウィンウィンの協力と、国際社会全体を単なる部分の総和以上のものとしてとらえ、外交に絶えず刷新と創造的活力をもたらすことになるのである。それは、経済、安全保障、政治を一つの統一されたシステムに織り込んでいくという、トップダウン型の政策体系であった。このような統合的な考え方は、今日の新自由主義的シンクタンクに見られるような、超理論的で区分けされたゼロサム思考の中で、ひどく失われつつあるものであった。
だからこそ、アダムスは国務長官や大統領時代を通じて、ハミルトン流の国民銀行やエリー運河、鉄道など大規模なインフラ整備を提唱しのたのである。もしこのシステムが、アメリカ大陸あるいは世界におけるアメリカの利益を拡大する原動力であったとしても、それは武力によるものではなく、むしろすべての関係者の生活水準を向上させるものであったろう。
アダムス、リンカーン、国立銀行
アダムスは、若き弟子リンカーンと共に、1846年の米西戦争と徹底的に闘ったが、それはモンロー・ドクトリンの乱用を生むことになった。
若き日のリンカーンとジョン・クインシー・アダムスは、1841年にホイッグ党の指導者ウィリアム・ハリソン(1773-1841)を大統領に当選させるために、ハミルトンの国立銀行の復活に焦点を絞って早くから選挙運動を組織していた。国立銀行はアンドリュー・ジャクソン大統領によって潰され、アメリカの経済主権に大きな損害を与えていたからだ。
この歴史の醜い章は一般的な記録からは削除されてしまったが、1832年に第二の国立銀行を潰す作戦は、現代においてIMFが債務国に緊縮財政を要求するのと大差ない手法で、国家債務を支払うためにすべての公共事業を総崩れにさせるという結果を招いた。農民や企業家への信用は失われ、投機が横行し、何千もの地域通貨(多くは偽造)が横行し、奴隷労働による綿花栽培が、国の生産性を癌のように蝕んでいった。
悲しいことに、国立銀行を復活させる法案が議会の両院を通過し、ハリソン大統領の署名を待つばかりだったにもかかわらず、大統領は就任後わずか3カ月で謎の死を遂げ、その夢は終わりを告げたのである。
ホイッグ党の最良の構成員は1856年に反奴隷の共和党を結成するが、それはホイッグ党の第2代大統領ザカリー・テイラーが毒殺された後だった。彼の死は1851年、就任後わずか2年しか経っていなかった。

エイブラハム・リンカーンの誕生
連邦を維持しようと奮闘するナショナリストの小さなグループから、エイブラハム・リンカーンは現れた。国立銀行、保護主義、モンロー・ドクトリンに基づく安全保障政策の復活という簡潔な計画を携えて、である。リンカーンは、1858年に奴隷制支持派のスティーブン・ダグラス判事と討論し、来るべき内戦の条件を世界的な戦略的観点から説明した。
「ダグラス判事と私のこの貧しい舌が沈黙するとき、この国で続いていくもの、それが問題なのです。それは、全世界で、この二つの原則、すなわち善と悪との永遠の闘いなのです。この二つの原則は、太古の昔から対峙してきたものであり、これからもずっと闘い続けるものです。一方は人類の共通の権利であり、他方は王の神聖な権利なのです」
私たちは皆、南北戦争の本質を知っている。しかし私たちは、この紛争の成功についてきちんと理解していないかもしれない。リンカーンがグリーンバック(ドル紙幣)と5-20国債を発行して州銀行を活性化させたことによるものだったということを。つまり、民間金融機関が不当な金利を要求するのを回避したことによるものだったということを。これらの生産性の高い債券とドル紙幣は、戦争の遂行に必要な資金を調達した。と同時に、大陸横断鉄道のような大規模なインフラプロジェクトにも資金を供給し、大陸を統合したのだ。

リンカーンは、同じ志を持つ改革者をロシアに見出した。新皇帝アレクサンドル2世は、あまりにも長い間ロシアの潜在能力を破壊してきた寡頭制、農奴制、低開発の腐敗を切り崩すことに熱心であった。このため、アレクサンドル2世は2500万人以上の農奴を解放し、徹底した腐敗防止改革をおこない、米国と連携して産業発展に重点を置いた国家財政の整備をおこなった。ロシア皇帝は、ロシア海軍の船団をアメリカの東海岸と西海岸に送ることを決定した。イギリスとフランスの帝国主義者に戦争に参加するなというメッセージを送るためだった。そのことがリンカーンに、分離独立を終わらせ、連邦を維持するために必要とした決定的な力を手に入れさせることになったのである。
しかし悲しいことに、この勝利は国内的にも国際的にも、思うように機能しなかった。新たに再組織された奴隷制度が、新たに解放された黒人を新たな主従関係に引き込む「分液小作」計画をつくり、リコンストラクション(南北戦争後の再建・再統合)がすぐに妨げられただけでなく、リンカーンのドル紙幣は英国びいきの傀儡大統領たちの下ですぐに流通から外されてしまったのである。1876年、米ドルを金と1対1に交換する「正貨再開法」が制定されると、国内整備が滞り、産業界への信用は消え、投機が再び横行し始め、銀行パニックが国家の安定に周期的に大打撃を与えるようになった。
(分益小作とは、地主が小作人に対して土地と農業経営に必要な家畜や農具類を支給する一方、小作人は労務を提供し、農業生産による収穫物を実物で地主と小作人との間で分割する小作制度。)
1865年から1881年にかけてリンカーン、ガーフィールド大統領、アレキサンダー2世が暗殺されたことに加え、「憲法という魔物を瓶に戻す」ための狂気の取り組みがおこなわれた。これはボストンとマンハッタンでおこなわれた第5列の活動であったが、大英帝国をモデルにした新しい帝国外交政策をますます推進する中でのことであった。

ウィリアム・マッキンリー、アメリカ体制を復活させる
この裏切り者のネットワークを断ち切るための19世紀最後の大きな努力は、1897年にウィリアム・マッキンリー大統領がホワイトハウスに登場したという形でおこなわれた。この時、再び国家計画、保護関税、国内外での産業発展というプログラムが、米国の内政と外交を形成する特徴となった。マッキンリーは、1895年に、自分が踏み込もうとしている歴史的な流れについて、リンカーンとワシントンの二人を賞賛し、次のように述べた。
「アメリカ史における最も偉大な名前はワシントンとリンカーンである。一方は州の独立と連邦連合の形成に永久に関係し、もう一方は連邦の普遍的な自由と維持に関連している。ワシントンは独立宣言をイギリスに対して施行し、リンカーンはその成就をアメリカの劣等民族だけでなく、わが国の国旗の保護を求めるすべての人々に対して宣言した。これらの輝かしい男たちは、1775年から1865年までの一世紀の間に、人類のために、時間の飛行が始まって以来のすべての年月において、他のどの男たちが成し遂げたよりも偉大な結果を達成した」
海軍次官補セオドア・ルーズベルトによってフィリピンでの不当な戦争に巻き込まれたが、マッキンリーは、海軍次官補セオドア・ルーズベルトによってフィリピンでの不当な戦争に巻き込まれたが(その経緯はこちら)、北米、南米、中米の産業発展に米国の全面的な支援を与えることによって、モンロー・ドクトリンを守るために一貫して闘った。国際的には、マッキンリーは、義和団の乱(1900年、清朝末期の動乱)に伴う中国の分割にアメリカが関与しないように戦い、ロシアのセルゲイ・ウィッテ伯爵やフランスのガブリエル・ハノトーのような国際共同思想家と緊密に協力して、ユーラシア大陸全域で鉄道開発と平和条約を進めた。このような計画が、殺人、クーデター、政権交代作戦によって妨害されなければ、第一次世界大戦とその続編という大惨事は起こり得なかったことは確かである。
悲しいことに、マッキンリーが暗殺された後、悲しいことに、テディ・ルーズベルトの「棍棒外交」政策が新しい20世紀の傾向を生み出した。アメリカは、アダムスが構想したような外国の帝国的陰謀を排除するのではなく、弱い国家に対して覇権を拡大するようになったのだ。

1901年9月6日、米州博覧会のレセプションでのレオン・チョルゴッシュによるウィリアム・マッキンリー大統領暗殺事件。(アメリカの画家T・ダート・ウォーカー作、1905年/国会図書館蔵)
FDRとウォレスは、まともなアメリカ外交の復活を試みる
1901年以降、アダムスの包括的な安全保障ドクトリンを復活させようとする小さな、しかし重要な試みが見られるようになった。
私たちはフランクリン・デラノ・ルーズベルトの計画でそれが再び活気づくのを目の当たりにした。彼の計画はニューディールを国際化して、中国から、インド、イベリア半島、中東、アフリカ、ロシアにまで広げることだった。ルーズベルト副大統領のヘンリー・ウォレスは、1943年の著書『The Century of the Common Man(普通の人間の世紀)』で、この国際的ニューディールの条件を提示し、戦後の世界について次のようなビジョンを示した。
「新しい民主主義は、定義上、帝国主義を嫌うが、定義上、国際的な視野を持ち、世界のすべての人々の生産性、ひいては生活水準を高めることに最大の関心を持つものである。まず輸送があり、それに続いて農業の改良、工業化、農村の電化がある・・・。モロトフが明確に示したように、この勇敢で自由な未来の世界は、米国とロシアだけではつくれない。間違いなく中国は、戦争から生まれた世界に強い影響力を持つだろう。この影響力を行使する上で、孫文の原則が、他のどの近代政治家の原則にも劣らない重要なものであることが証明される可能性は十分にある」
残念ながら、1945年4月12日にFDRが早すぎる死を遂げた後、英米の特別な関係が再び復活し、国際的なニューディーラーたちは、影響力のあるすべての地位からすぐに粛清されたのであった。当時、反ロシア・ヒステリーのオーウェル時代が到来していたにもかかわらず、ヘンリー・ウォレスは(ハリー・トルーマン大統領の下で商務長官に格下げされたものの)米国政府内で一定の影響力を維持していた。
1946 年 9 月 12 日の演説で、ウォレスは解雇されることになったが、アメリカの進むべき道 を 2 つ明確に提示した。
「間違ってはいけない――近東におけるイギリスの帝国主義的な政策だけで、ロシアの報復が同時に起きれば、アメリカは戦争に直行することになるだろう……」
「英国外務省や親英・反露のマスコミの目ではなく、自分たちの目を通して海外を見ることが肝要である。われわれが厳しくすればするほど、相手も厳しくなる」
「われわれの第一の目的が、大英帝国を救うことでも、米兵の命をかけて近東の石油を購入することでもないとロシアが理解すれば、協力が得られると信じている。国家間の石油競争によって戦争に突入させるわけにはいかない……」

アイゼンハワーからケネディへ:アメリカの魂を賭けた戦いは続く
アイゼンハワーは刷新に向けて前向きな動きを見せた。朝鮮戦争を終結させ、インド、イラン、アフガニスタン、パキスタン、ラテンアメリカへの米露協力と先端科学投資による「平和のための十字軍」を試みたのだ。しかし、悲しいことに、彼の前向きな計画は米国のディープステートの中心に寄生する寄生虫の増殖によって頓挫させられてしまった。このディープステートについて、彼は1960年の有名な「軍産複合体」演説で言及していたのだが。
ケネディがベトナムから米軍を撤退させ、1960年代にFDRのニューディール精神を復活させ、ロシアとの同盟を模索したのも、アダムスの安全保障ドクトリンを復活させようとした立派な努力だった。が、彼の早世によって、この志向はすぐに終わりを告げた。
1963年から2016年にかけて、まともな安全保障ドクトリンを復活させるための小さな断片的な努力は短命に終わり、一極主義の陰謀という、より強力な圧力にしばしば打ちのめされたのである。これは新世界秩序という形で英米の完全覇権を求めるものであったが、1992年にブッシュ・シニアとキッシンジャーはその到来を祝った。
「アメリカ第一主義」が、まともな安全保障のドクトリンを復活させる
トランプ大統領には限界が多くあったが、正常な安全保障ドクトリンを回復しようと努力したことは確かだ。つまりグローバル化したアウトソーシング、軍国主義、ポスト工業主義の下で、50年以上にわたって自ら招いた萎縮からの回復に、アメリカの利益を集中させることによってである。
恥ずかしいほど大きく独立した軍情報産業複合体は、ケネディが殺害された後も弱体化することはなかった。が、それと戦わなければならないにもかかわらず、トランプは2019年4月、国際展望の条件をこう発表した。
「ロシア、中国、われわれの間で、われわれは皆、核を含む数千億ドル相当の兵器をつくっているが、これは馬鹿げている……われわれが皆集まって、これらの兵器をつくらなければもっと良いと思う……これら3カ国は団結して支出を止め、長期平和に向けてより生産的なものに支出できると思う」
この米露中協力政策の呼びかけは、2020年1月に発効した米中貿易協定の第一段階と連動しており、中国が購入する米国の完成品3500億ドルを保証するものであった。同月、公的にメルトダウンしたのは、他ならぬソロス自身であった。ソロスは、グローバルな開放社会に対する2つの最大の脅威は、1)トランプの米国と2)習近平の中国であると発表したからだ。
もちろん、コロナ・パンデミックによってこの勢いは大きく頓挫し、貿易取引は徐々に破綻していった。しかし、こうした失敗にもかかわらず、アメリカを「アメリカ第一主義」の考え方に戻そうという考え方は、①自国内部の混乱を一掃することによって、②CIAの活動を軍から切り離すことによって、③巨大製薬会社主導の世界保健機関WHOからアメリカを切り離すことによって、④NED(米民主主義基金)などの海外における政権交代工作組織の資金を削減することによって、という4点によって伝統的なアメリカの保護関税政策に戻すということが、トランプが実行した極めて重要な取り組みであった。そして迫り来る災厄から自国を救おうと望むあらゆる党からのナショナリスト勢力が活用しなければならない前例をつくったと言えるであろう。
自滅に向かうアメリカ
バイデンの「ルールに基づく国際秩序」が始まって1年、地球上の国々の安定と平和的協力の希望は大きく損なわれている。NATOとの協力関係を正当に断ち切ったトランプとは異なり、現ネオコン重鎮政権は、ウクライナや他の旧ソ連諸国をNATOに吸収することを優先し、ロシアと戦うために、シリアから民間傭兵部隊やアルカイダ系の戦闘員をウクライナに投入するところまでいっているのである。この危険な政策に加え、私たちが目撃してきたのは、ネオナチがはびこるウクライナ軍に何十億ドルもの殺傷兵器が送り込まれていることであり、ウクライナの混乱し何も訓練を受けていない市民が戦って死ぬように命令されていることである。西側の地政学者でさえ勝てないと認めている大義のために。
今日のアメリカは、経済・軍事両面で本格的な自滅政策に邁進しており、ロシアと中国の両方に対して、制御不能な高温原子核融合反応(水素爆弾、つまり核戦争)にエスカレートする危険性のある戦争を推進している。
このような立場からロシアの安全保障の要求を見ると、プーチンの極東構想、極地シルクロード、中国の一帯一路構想などの、ユーラシアの新しいマニフェスト・デスティニーの形を思い起こすとき、皮肉でしかないのは、ジョン・クインシー・アダムスの安全保障ドクトリンの精神が世界で生きているということである。ただ、それはアメリカには存在しないのだ。
(1) サミュエル・フラッグ・ベミス『ジョン・クインシー・アダムスとアメリカ外交の基礎』(New York: Alfred A. Knopf, 1950)。
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