ウクライナの「尊厳の革命」は、いかにして戦争と貧困、そして極右の台頭を招いたのか?
ウクライナの「尊厳の革命」は、いかにして戦争と貧困、そして極右の台頭を招いたのか?
<記事原文 寺島先生推薦>
How Ukraine’s ‘Revolution of Dignity’ led to war, poverty and the rise of the far right
ウクライナの過激な民族主義者と親欧米の活動家の雑多な一団は、民主的に選ばれた政府を変えようとした。8年経った今、その結果は期待外れのようだ。
Global Research 2022年2月24日
オルガ・スクハレブスカヤ(Olga Sukharevskaya)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年3月19日

2013年から14年にかけてウクライナで起きた「ユーロマイダン」と呼ばれる出来事は、今でも人々の記憶に残っている。紛争の当事者によって見方は異なるが、かつて誰もが見慣れたウクライナが、その後、見分けがつかないほど変わってしまったことは誰の目にも明らかだ。
人民革命かクーデターか?
この劇的な出来事のきっかけは、当時のヤヌコビッチ大統領が、ヴィリニュスでの「東方パートナーシップ首脳会議」で、ウクライナと欧州連合の連合協定締結を中断し、その後署名しなかったことである。当時のウクライナ首相ニコライ・アザロフによると、ウクライナの欧州産業規格への移行には1500億~1600億ユーロの費用がかかるとされていた。長い準備期間の中で、ウクライナ当局が何を考えていたのか疑問が残るが、この決断は危険な爆弾の役割を果たした。
この決定の発表直後の11月21日、ウクライナのブロガー、ムスタファ・ナイエム(Mustafa Nayyem)はソーシャルネットワーク上で行動を呼びかける文章を発表した。「独立記念塔の下に22:30に集合しよう。暖かい服装で、傘、お茶、コーヒー、楽しい気分、そして友人を連れてきてください」。これがユーロマイダンの発端となった。しかし、その後の経過を見ると、このデモは、一介の野党ブロガーと数人の学生によるものではなかった。デモが始まって間もなく、多くの政界の大物たちが関わってきたのである。11月30日、イリーナ・ゲラシチェンコ(Irina Gerashchenko)議員はトークショーで、機動隊がデモ隊に暴力を振るい、欧米のジャーナリストが負傷したと発言した。ゲラシチェンコ議員の反対派は、これが意図的な偽情報であると思った。なぜなら、主要都市の広場で警察と活動家の間で実際に衝突が起こったのは翌日だったからだ。ゲラシチェンコの発言は、衝突を誘発するための挑発であった可能性がある。とはいえ、過激な民族主義者たちが警察を攻撃し始めたのは、実はもっと前だった。いくつかの証拠によれば、最初の暴力的な出来事は11月23日に起こったとされている。
デモの開始と組織化、メディアの配置の準備は、米国とEU加盟国の積極的な支援を受けて、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチがEUとの協定締結延期を決定するずっと以前から始まっていたのである。ユーロマイダンを報道するメディアとして最も注目されたのは、フロマズケ(Hromadske.tv)[公共テレビ]というインターネットチャンネルで、2013年9月に米国大使館から5万ドルの助成を受けていた。さらにオランダ大使館から9万5,000ドルが追加された。ウクライナの治安機関SBUの元長官アレクサンドル・ヤキメンコは後に、その頃から外交郵便の量が増え、キエフの中央広場、後に革命の名称となるマイダン・ネザレジノスティに新しいドル紙幣が出回るようになったと報告している。
西側諸国は、その関与を隠そうともしなかった。欧米の政治家はマイダンで堂々と演説し、EUの外交官も演説に参加した。米国国務省の公式代表であるヴィクトリア・ヌーランドは、個人的にマイダンに参加しただけでなく、ウクライナの将来の支配者の任命について議論していた。彼女は後に、米国が "民主化促進 "のためにウクライナに50億ドルを費やしたことを認めている。
2014年2月20日、事件は決定的な局面を迎えた。午前中、マイダンで銃器が使われ始め、デモ参加者と警察官の両方が死亡する事態となった。それらの出来事は、一度も調査されていない。一部の報道では、グルジアからのスナイパーが抗議者の射殺に参加したとされている。グルジアの精鋭部隊Avazaの元司令官であるトリスタン・ティシタシヴィリ(Tristan Tsitelashvili)将軍は、元部下の一人であるコバ・ネルガゼ(Koba Nergadze)が、アレキサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili)とともにこの作戦に参加したと明言している。この二人は、キエフのスヴャトシンスキー地方裁判所で、ウクライナのベルクト特殊部隊の元隊員の弁護を担当するアレクサンダー・ゴロシンスキー(Alexander Goroshinsky)弁護士とステファン・レシュコ(Stephan Reshko)弁護士に公式証言を行った。グルジア軍の情報筋によると、その命令は、米軍将校ブライアン・クリストファー・ボイエンガー(Brian Christopher Boyenger)によって下されたとのことだ。銃撃に関わったとされる狙撃手の一人はBBCにこの出来事について語ったが、西側メディアは彼らの証言にほとんど関心を示さなかった。
2月21日、ヤヌコーヴィチ大統領、ドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)外相、ポーランドのラドスワフ・シコルスキ( Radoslaw Sikorski)外相、EUを代行するフランス外務省のエリック・フルニエ(Eric Fournier)大陸欧州部長と、野党代表が、ウクライナの危機の収拾に関する協定に調印した。特に、"この合意書に署名した後48時間以内に、2004年のウクライナ憲法の効力を回復させる特別法を採択し、署名し、公布する "という内容が盛り込まれていた。
その瞬間から、クーデターは文字通り1分1秒単位でたどることができるようになった。
・2月21日午後4時40分:ウクライナ独立通信(UNIAN)は、ヤヌコーヴィチとウクライナ議会であるヴェルホヴナ・ラーダ[最高議会]が2014年2月23日午後4時40分までに協定上の義務を果たすことを要求する署名の情報を公開する。
・2月21日から22日の夜。ユーロマイダン活動家が政府庁舎と国会を占拠。
・2014年2月22日12時29分:ヴェルホヴナ・ラダ(Verkhovna Rada)のウラジミール・リバク議長が解任される。
・12時34分:代わりにアレクサンドル・トゥルチノフ(Alexander Turchinov)が議長に選出される。
・午後1時8分:ヴェルホヴナヤ・ラーダ[最高議会]はウクライナ情勢に対する政治的責任を引き受ける。
・17時11分:「ウクライナ大統領の憲法上の権限の自己放棄に関する」決議が採択される。
・2014年2月23日12時36分:大統領の職務をヴェルホヴナ・ラーダ[最高議会]の議長に与える決議が採択される。
憲法改正の合意で定められた期限にはまだ達していないのに、EUはヴェルホヴナ・ラーダ議長のウクライナ大統領代行就任を正当なものとして承認した。

誰が戦争と弾圧を始めたのか?
ドンバスでの戦争は、公式には、4月7日のドネツク人民共和国の独立宣言を受けて、トゥルチノフが「反テロ作戦」の開始を発表した2014年4月13日に始まった。ルガンスク人民共和国が独立を宣言したのは4月27日で、その時にはすでにキエフの作戦は始まっていた。
実は、ドンバスにウクライナ軍が投入されたのは、これらの地域が独立を宣言するずっと前の2014年3月である。ユーロマイドン運動の政権獲得に抗議した地元の人々が、政府の建物を占拠し始めたのは事実だ。しかし、この戦術を最初に使ったのは、2014年1月にさかのぼるマイダンの活動家たちだった。
一方、ウクライナの南東地域に住む親ロシア派の人々は、新政府が自分たちの意見に耳を傾けてくれることを願い、週末に抗議行動を組織しただけだった。オデッサの労働組合ビルで生きたまま焼かれた30人の抗議者たちは、反対派とは異なり、武装していなかった。すべては、ウクライナ大使館がヨーロッパでの上映禁止を要求したCanal+のフランスのドキュメンタリー「革命を覆い隠すもの(The Masks of the Revolution)」で明るみに出たのだ。
2014年5月9日、ウクライナの戦車が、大祖国戦争の戦勝記念日を祝って非武装の人々が行進していたマリウポリ市街地に進入した。その後、地元警察署の前で極右のアゾフ大隊が関わった銃撃戦があり、警察官や市民に死傷者が出た。
国連人権高等弁務官事務所が調査を求めても、何一つ調査が行われていない。そのうえ、弾圧体制が本格的に始動し、ソーシャルメディア上で反ユーロマイダンのコメントや「いいね!」を押しただけで実刑判決が下されることが当たり前のようになってしまった。最近の例では、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の間の結束について述べたアドノクラスニキ(Classmates)のソーシャルネットワークの投稿に「いいね」を押しただけで、ウクライナ刑法第109条により有罪になったシュミー州の地元住民がいる。数日前、国家警察のアレクサンドル・ファツェヴィッチ副長官は、"「ロシアの世界」愛好者は拘束され、裁かれる "と発言した。そして、最近、SBU[ウクライナ国家保安庁]は、深刻な背中の手術を受けた著名なジャーナリスト、ミロスラヴァ・ベルドニク(Miroslava Berdnik)を、ウクライナの領土保全を損なった罪で起訴した。ウクライナ・ヘルシンキ・グループの共同設立者であるオレス・ベルドニク(Oles Berdnik)の娘である彼女は、父の足跡を頑なに追い続ける人権活動家だ。ミロスラヴァ・ベルドニックは、イスラエルのクネセトで演説し、ウクライナにおけるナチズムと反ユダヤ主義の問題を概説したこともある。
キエフ政府は国際機関の懸念を無視し、ロシアのアーティストがウクライナで公演するのを阻止し、ロシアの書籍やロシア語、さらにはロシア語で放送されているウクライナのテレビチャンネルを禁止しているのである。欧州評議会議会のあらゆる決議にもかかわらず、強制的なウクライナ化は続いている。国連ウクライナ人権監視団のマチルダ・ボグナー(Matilda Bogner)代表は、ウクライナ化に反対する人たちや「ロシア語について肯定的な意見を述べた人、そのほか親ロシアと思われる意見を述べた人」に対するネット上でのいじめ、脅迫、威嚇、暴力扇動などの事件を指摘している。
EUや米国の国民を含む数千人の個人データを照合した悪名高いMyrotvorets(平和の番人)ウェブサイトは、今も稼働している。最近、クロアチアのゾラン・ミラノビッチ(Zoran Milanović)大統領とドイツ海軍のカイ・アヒム・シェンバッハ(Kai-Achim Schönbach)元司令官をブラックリストに追加した。しかし、「ミーロトバレッツ(Myrotvorets)」データベースに登録された有名人には身の安全を確保する手段がある一方で、ジャーナリストのオレス・ブジナ(Oles Buzina)やウクライナ統合軍事連合代表のオレッグ・カラシニコフ(Oleg Kalashnikov)のような人々は、結局は死んでしまった。
ナチズムの正当化と拡散
第二次世界大戦に遡るウクライナ民族主義者組織(OUN)の思想を受け継いだ過激な極右の超民族主義者がユーロマイダン抗議運動に積極的に参加したため、今日のウクライナはナチズム支持を容認するようになってしまったのだ。OUNは2010年2月25日のウクライナ情勢に関する欧州議会の決議で非難されたにもかかわらず、2015年、キエフは「20世紀におけるウクライナ独立のための闘士の記憶の法的地位と名誉に関する」法律を採択した。この法律は、第三帝国の教唆者であったOUNとウクライナ反乱軍(UPA)を、ウクライナ独立のための闘士に昇格させた。これらの組織の指導者には、ナチス・ドイツの軍事情報機関アブフェアにスパイ活動で採用されたステパン・バンデラ(Stepan Bandera)や、ドイツ・シャッツマンシャフト201補助警察大隊のハウプトマンでナハティガル大隊の指揮官の1人であったローマン・シュケヴィチ(Roman Shukhevych)がいた。

1941年6月30日にウクライナ民族主義者組織OUNが発表した「ウクライナ国家再建法」は、今日のウクライナにとって重要な日付とされている。この法律の第3条には次のように書かれている。"新たに成立したウクライナ国家は、ヨーロッパと世界に新秩序を形成している指導者アドルフ・ヒトラーの指導の下、国家社会主義の大ドイツと緊密に協力し、ウクライナ国民がモスクワの占領から解放されるように支援する "とある。
国連安全保障理事会で演説したイリーナ・ベレジナヤ法政策・社会保護研究所の代表、エレナ・ベレジナヤ(Elena Berezhnaya)氏は、親衛隊SSガリシア師団の美化はウクライナでは常識となっており、バンデラやその支持者を記念するモニュメントの建立、若者の愛国教育を装ったネオナチ集団への政府資金援助もその一つだと指摘する。
今日のネオ・OUNは、ウクライナの政府と法執行機構の両方に深く浸透している。ジョージ・ワシントン公共政策研究所はレポートを発表している。米政権の支援を受けているウクライナ随一の軍事訓練機関であるヘトマン・ペトロ・サハイダクニ国立陸軍士官学校が、極右団体「センチュリア」の本拠地になっていると。
また、ウクライナの民族主義者の活動はウクライナ国内にとどまらず、欧米諸国でもナチスの思想を積極的に広めている。米メディア「ポリティコ」によると、ウクライナ議会の元議員アンドリー・ビレツキー(Elena Berezhnaya)氏が率いる「アゾフ大隊」は、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーに公式支部を持つネオナチ団体「北欧抵抗運動」と連携を確立しているという。「Rise Above Movement」の創設者の一人であるアメリカの白人至上主義者ロバート・ルンド(Robert Rundo)は、大隊のメンバーとの会合に招待された一人である。同じ記事によれば、ニュージーランドのクライストチャーチのモスクへの攻撃で51人のイスラム教徒を殺害したオーストラリアの白人至上主義者ブレントン・タラント(Brenton Tarrant)と同民兵団との間につながりがあるとのことである。また、2018年のフロリダ州夫婦殺害事件で指名手配されている米軍退役軍人クレイグ・ラング(Craig Lang)が、ウクライナ東部の前線でキエフ側として戦って活動していたことも報じている。
米国に拠点を置き、グローバルな安全保障上の課題や外交政策上の問題に取り組んでいるソーファン・センターが発表した新しい報告書には以下のように概説されている。「ウクライナは国境を越えた白人至上主義過激派の幅広いネットワークにおけるハブとして浮上し、世界中から外国人戦闘員を引きつけているのです。ジハード戦士がシリアのような場所で戦うために移動するのに対し、白人至上主義者は今や戦闘を学ぶための独自の場所を持っています。ウクライナでは、親ロシア分離主義者とウクライナ政府軍との紛争が2014年から激化し、双方で戦う戦闘員が世界中から集まってきています。最近の調査では、米国を含む50カ国から約17,000人の外国人がその紛争に戦いに来ていることが明らかになっています。」と。
しかし、2014年11月にウクライナの国家警備隊に編入されたアゾフ大隊を米国の外国テロ組織リストに正式に掲載するよう米国議会から出された要求は実現されておらず、また、同大隊や他のウクライナのネオナチ民兵への資金提供禁止も実施されていない。
軍国主義化の中での経済的失敗
ウクライナの軍事費は2013年当時と比べて8倍以上になっているが、経済全体としては不況が深まっている。2021年、ウクライナのGDPは過去最高の1950億ドル(2013年は1820億ドル)に達したが、インフレによってそれは打ち消された。特定の商品に限って言えば、消費者インフレ率は11%に達し、この3年半で過去最高を記録した。シンクタンク「CASEウクライナ」のドミトリー・ボヤルチュク(Dmitry Boyarchuk)CEOは、「輸出価格が輸入価格を上回っただけで、名目上の成長である部分も少なくない」と指摘する。輸出価格が輸入価格を上回っただけで、量的には減っている。生産量は以前と全く同じか、むしろ減っているのだが、世界市場での価格のために、より多くの収入を得ているのだ"。
同時に、負債も膨らんでいる。2013年、ウクライナの対外債務は279億ドルだったが、2021年末には477億ドルに達している。
ウクライナは工業国・農業国から原材料供給国へと徐々に変貌を遂げている。2013年には機械製造業の輸出が18.9%(129億ドル)を占めていたが、2017年には9.9%(43億ドル)にまで減少している。2021年の対外貿易構造は、この傾向を裏付けるものである。ウクライナの昨年の輸出上位は、鉄鋼(139億5000万ドル、2020年比81.4%増)、穀物(123億4000万ドル、31.2%増)、動物性・植物性油脂(70億4000万ドル、22.5%増)であった。輸入では、エネルギー資源以外に、機械・設備(142億ドル、22.9%増)、化学・関連産業製品(97億4000万ドル、32.8%増)が必要である。米国大使が「ウクライナは農業大国にならなければならない」と言ったのは皮肉なことである。かつて「ソ連の穀倉」と呼ばれたウクライナは今、食料の輸入量が増えている。2021年には80億ドル相当の食品を輸入している(2020年比19%増)。
同時に、脱工業化も進んでいる。2014年にはリヴォフ・バス工場が閉鎖され、2018年にはザポロジスキー自動車製造工場を巡って破産手続が開始された。2016年から2019年にかけて、アントノフ航空機製造会社は1機も生産していない。2021年7月、かつてソ連造船業の要であったニコラエフ造船所は正式に閉鎖された。航空宇宙とロケットの大規模工場であるユジマッシュは、2014年以降、かろうじて存続している状態である。2013年にはウクライナで50,449台の自動車が製造されていたが、2021年には、7002台にまで減少している。

生活水準も低下している。公共料金は上がり続け、国際通貨基金(IMF)の要求により、現時点で公共事業の債務は30億ドルに達している。ウクライナの政治アナリスト、ウラジミール・チェメリス(Vladimir Chemeris)は「関税は上がり続けるだろう」と説明する。「2020年夏、我が国政府はIMFと覚書を交わし、天然ガス価格を完全に市場決定とすることに合意した。市場価格とは、価格が高くなることを意味する。IMFもこの要件を何度も強調し、我が国政府も同意し、少なくともこれまでの融資を返済するために、より多くの融資を求めた。」
ロシアとの天然ガス供給契約を打ち切ったウクライナは、エネルギー危機への対応を迫られている。その上、キエフはEU諸国よりも高いガス代を支払わなければならない。10月の天然ガス価格は、EU諸国では300ユーロから700ユーロ、ウクライナでは1,100ユーロに達している。
それで、ウクライナ人が大量に国外に流出しているのだ。2020年には、601,200人がEUの滞在許可証を取得した。プトゥカ人口社会研究所によると、2021年には移民労働者の数は250万人から300万人になり、2014年から2021年には106万8000人のウクライナ人がロシアの市民権を取得した。2021年の最初の10カ月間で人口流出が60万人を超え、過去11年間で過去最高となった。
キエフ国際社会学研究所が実施した調査によると、ウクライナ国民の64.7%が、物事が間違った方向に進んでいると考えていることがわかった。ウクライナ人の4人に1人、若者の3人に1人が他国への移住を希望している。全体として、これはユーロマイダンの勝利とは言い難い。
<記事原文 寺島先生推薦>
How Ukraine’s ‘Revolution of Dignity’ led to war, poverty and the rise of the far right
ウクライナの過激な民族主義者と親欧米の活動家の雑多な一団は、民主的に選ばれた政府を変えようとした。8年経った今、その結果は期待外れのようだ。
Global Research 2022年2月24日
オルガ・スクハレブスカヤ(Olga Sukharevskaya)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年3月19日

2013年から14年にかけてウクライナで起きた「ユーロマイダン」と呼ばれる出来事は、今でも人々の記憶に残っている。紛争の当事者によって見方は異なるが、かつて誰もが見慣れたウクライナが、その後、見分けがつかないほど変わってしまったことは誰の目にも明らかだ。
人民革命かクーデターか?
この劇的な出来事のきっかけは、当時のヤヌコビッチ大統領が、ヴィリニュスでの「東方パートナーシップ首脳会議」で、ウクライナと欧州連合の連合協定締結を中断し、その後署名しなかったことである。当時のウクライナ首相ニコライ・アザロフによると、ウクライナの欧州産業規格への移行には1500億~1600億ユーロの費用がかかるとされていた。長い準備期間の中で、ウクライナ当局が何を考えていたのか疑問が残るが、この決断は危険な爆弾の役割を果たした。
この決定の発表直後の11月21日、ウクライナのブロガー、ムスタファ・ナイエム(Mustafa Nayyem)はソーシャルネットワーク上で行動を呼びかける文章を発表した。「独立記念塔の下に22:30に集合しよう。暖かい服装で、傘、お茶、コーヒー、楽しい気分、そして友人を連れてきてください」。これがユーロマイダンの発端となった。しかし、その後の経過を見ると、このデモは、一介の野党ブロガーと数人の学生によるものではなかった。デモが始まって間もなく、多くの政界の大物たちが関わってきたのである。11月30日、イリーナ・ゲラシチェンコ(Irina Gerashchenko)議員はトークショーで、機動隊がデモ隊に暴力を振るい、欧米のジャーナリストが負傷したと発言した。ゲラシチェンコ議員の反対派は、これが意図的な偽情報であると思った。なぜなら、主要都市の広場で警察と活動家の間で実際に衝突が起こったのは翌日だったからだ。ゲラシチェンコの発言は、衝突を誘発するための挑発であった可能性がある。とはいえ、過激な民族主義者たちが警察を攻撃し始めたのは、実はもっと前だった。いくつかの証拠によれば、最初の暴力的な出来事は11月23日に起こったとされている。
デモの開始と組織化、メディアの配置の準備は、米国とEU加盟国の積極的な支援を受けて、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチがEUとの協定締結延期を決定するずっと以前から始まっていたのである。ユーロマイダンを報道するメディアとして最も注目されたのは、フロマズケ(Hromadske.tv)[公共テレビ]というインターネットチャンネルで、2013年9月に米国大使館から5万ドルの助成を受けていた。さらにオランダ大使館から9万5,000ドルが追加された。ウクライナの治安機関SBUの元長官アレクサンドル・ヤキメンコは後に、その頃から外交郵便の量が増え、キエフの中央広場、後に革命の名称となるマイダン・ネザレジノスティに新しいドル紙幣が出回るようになったと報告している。
西側諸国は、その関与を隠そうともしなかった。欧米の政治家はマイダンで堂々と演説し、EUの外交官も演説に参加した。米国国務省の公式代表であるヴィクトリア・ヌーランドは、個人的にマイダンに参加しただけでなく、ウクライナの将来の支配者の任命について議論していた。彼女は後に、米国が "民主化促進 "のためにウクライナに50億ドルを費やしたことを認めている。
2014年2月20日、事件は決定的な局面を迎えた。午前中、マイダンで銃器が使われ始め、デモ参加者と警察官の両方が死亡する事態となった。それらの出来事は、一度も調査されていない。一部の報道では、グルジアからのスナイパーが抗議者の射殺に参加したとされている。グルジアの精鋭部隊Avazaの元司令官であるトリスタン・ティシタシヴィリ(Tristan Tsitelashvili)将軍は、元部下の一人であるコバ・ネルガゼ(Koba Nergadze)が、アレキサンダー・レヴァジシビリ(Alexander Revazishvili)とともにこの作戦に参加したと明言している。この二人は、キエフのスヴャトシンスキー地方裁判所で、ウクライナのベルクト特殊部隊の元隊員の弁護を担当するアレクサンダー・ゴロシンスキー(Alexander Goroshinsky)弁護士とステファン・レシュコ(Stephan Reshko)弁護士に公式証言を行った。グルジア軍の情報筋によると、その命令は、米軍将校ブライアン・クリストファー・ボイエンガー(Brian Christopher Boyenger)によって下されたとのことだ。銃撃に関わったとされる狙撃手の一人はBBCにこの出来事について語ったが、西側メディアは彼らの証言にほとんど関心を示さなかった。
2月21日、ヤヌコーヴィチ大統領、ドイツのフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)外相、ポーランドのラドスワフ・シコルスキ( Radoslaw Sikorski)外相、EUを代行するフランス外務省のエリック・フルニエ(Eric Fournier)大陸欧州部長と、野党代表が、ウクライナの危機の収拾に関する協定に調印した。特に、"この合意書に署名した後48時間以内に、2004年のウクライナ憲法の効力を回復させる特別法を採択し、署名し、公布する "という内容が盛り込まれていた。
その瞬間から、クーデターは文字通り1分1秒単位でたどることができるようになった。
・2月21日午後4時40分:ウクライナ独立通信(UNIAN)は、ヤヌコーヴィチとウクライナ議会であるヴェルホヴナ・ラーダ[最高議会]が2014年2月23日午後4時40分までに協定上の義務を果たすことを要求する署名の情報を公開する。
・2月21日から22日の夜。ユーロマイダン活動家が政府庁舎と国会を占拠。
・2014年2月22日12時29分:ヴェルホヴナ・ラダ(Verkhovna Rada)のウラジミール・リバク議長が解任される。
・12時34分:代わりにアレクサンドル・トゥルチノフ(Alexander Turchinov)が議長に選出される。
・午後1時8分:ヴェルホヴナヤ・ラーダ[最高議会]はウクライナ情勢に対する政治的責任を引き受ける。
・17時11分:「ウクライナ大統領の憲法上の権限の自己放棄に関する」決議が採択される。
・2014年2月23日12時36分:大統領の職務をヴェルホヴナ・ラーダ[最高議会]の議長に与える決議が採択される。
憲法改正の合意で定められた期限にはまだ達していないのに、EUはヴェルホヴナ・ラーダ議長のウクライナ大統領代行就任を正当なものとして承認した。

誰が戦争と弾圧を始めたのか?
ドンバスでの戦争は、公式には、4月7日のドネツク人民共和国の独立宣言を受けて、トゥルチノフが「反テロ作戦」の開始を発表した2014年4月13日に始まった。ルガンスク人民共和国が独立を宣言したのは4月27日で、その時にはすでにキエフの作戦は始まっていた。
実は、ドンバスにウクライナ軍が投入されたのは、これらの地域が独立を宣言するずっと前の2014年3月である。ユーロマイドン運動の政権獲得に抗議した地元の人々が、政府の建物を占拠し始めたのは事実だ。しかし、この戦術を最初に使ったのは、2014年1月にさかのぼるマイダンの活動家たちだった。
一方、ウクライナの南東地域に住む親ロシア派の人々は、新政府が自分たちの意見に耳を傾けてくれることを願い、週末に抗議行動を組織しただけだった。オデッサの労働組合ビルで生きたまま焼かれた30人の抗議者たちは、反対派とは異なり、武装していなかった。すべては、ウクライナ大使館がヨーロッパでの上映禁止を要求したCanal+のフランスのドキュメンタリー「革命を覆い隠すもの(The Masks of the Revolution)」で明るみに出たのだ。
2014年5月9日、ウクライナの戦車が、大祖国戦争の戦勝記念日を祝って非武装の人々が行進していたマリウポリ市街地に進入した。その後、地元警察署の前で極右のアゾフ大隊が関わった銃撃戦があり、警察官や市民に死傷者が出た。
国連人権高等弁務官事務所が調査を求めても、何一つ調査が行われていない。そのうえ、弾圧体制が本格的に始動し、ソーシャルメディア上で反ユーロマイダンのコメントや「いいね!」を押しただけで実刑判決が下されることが当たり前のようになってしまった。最近の例では、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の間の結束について述べたアドノクラスニキ(Classmates)のソーシャルネットワークの投稿に「いいね」を押しただけで、ウクライナ刑法第109条により有罪になったシュミー州の地元住民がいる。数日前、国家警察のアレクサンドル・ファツェヴィッチ副長官は、"「ロシアの世界」愛好者は拘束され、裁かれる "と発言した。そして、最近、SBU[ウクライナ国家保安庁]は、深刻な背中の手術を受けた著名なジャーナリスト、ミロスラヴァ・ベルドニク(Miroslava Berdnik)を、ウクライナの領土保全を損なった罪で起訴した。ウクライナ・ヘルシンキ・グループの共同設立者であるオレス・ベルドニク(Oles Berdnik)の娘である彼女は、父の足跡を頑なに追い続ける人権活動家だ。ミロスラヴァ・ベルドニックは、イスラエルのクネセトで演説し、ウクライナにおけるナチズムと反ユダヤ主義の問題を概説したこともある。
キエフ政府は国際機関の懸念を無視し、ロシアのアーティストがウクライナで公演するのを阻止し、ロシアの書籍やロシア語、さらにはロシア語で放送されているウクライナのテレビチャンネルを禁止しているのである。欧州評議会議会のあらゆる決議にもかかわらず、強制的なウクライナ化は続いている。国連ウクライナ人権監視団のマチルダ・ボグナー(Matilda Bogner)代表は、ウクライナ化に反対する人たちや「ロシア語について肯定的な意見を述べた人、そのほか親ロシアと思われる意見を述べた人」に対するネット上でのいじめ、脅迫、威嚇、暴力扇動などの事件を指摘している。
EUや米国の国民を含む数千人の個人データを照合した悪名高いMyrotvorets(平和の番人)ウェブサイトは、今も稼働している。最近、クロアチアのゾラン・ミラノビッチ(Zoran Milanović)大統領とドイツ海軍のカイ・アヒム・シェンバッハ(Kai-Achim Schönbach)元司令官をブラックリストに追加した。しかし、「ミーロトバレッツ(Myrotvorets)」データベースに登録された有名人には身の安全を確保する手段がある一方で、ジャーナリストのオレス・ブジナ(Oles Buzina)やウクライナ統合軍事連合代表のオレッグ・カラシニコフ(Oleg Kalashnikov)のような人々は、結局は死んでしまった。
ナチズムの正当化と拡散
第二次世界大戦に遡るウクライナ民族主義者組織(OUN)の思想を受け継いだ過激な極右の超民族主義者がユーロマイダン抗議運動に積極的に参加したため、今日のウクライナはナチズム支持を容認するようになってしまったのだ。OUNは2010年2月25日のウクライナ情勢に関する欧州議会の決議で非難されたにもかかわらず、2015年、キエフは「20世紀におけるウクライナ独立のための闘士の記憶の法的地位と名誉に関する」法律を採択した。この法律は、第三帝国の教唆者であったOUNとウクライナ反乱軍(UPA)を、ウクライナ独立のための闘士に昇格させた。これらの組織の指導者には、ナチス・ドイツの軍事情報機関アブフェアにスパイ活動で採用されたステパン・バンデラ(Stepan Bandera)や、ドイツ・シャッツマンシャフト201補助警察大隊のハウプトマンでナハティガル大隊の指揮官の1人であったローマン・シュケヴィチ(Roman Shukhevych)がいた。

1941年6月30日にウクライナ民族主義者組織OUNが発表した「ウクライナ国家再建法」は、今日のウクライナにとって重要な日付とされている。この法律の第3条には次のように書かれている。"新たに成立したウクライナ国家は、ヨーロッパと世界に新秩序を形成している指導者アドルフ・ヒトラーの指導の下、国家社会主義の大ドイツと緊密に協力し、ウクライナ国民がモスクワの占領から解放されるように支援する "とある。
国連安全保障理事会で演説したイリーナ・ベレジナヤ法政策・社会保護研究所の代表、エレナ・ベレジナヤ(Elena Berezhnaya)氏は、親衛隊SSガリシア師団の美化はウクライナでは常識となっており、バンデラやその支持者を記念するモニュメントの建立、若者の愛国教育を装ったネオナチ集団への政府資金援助もその一つだと指摘する。
今日のネオ・OUNは、ウクライナの政府と法執行機構の両方に深く浸透している。ジョージ・ワシントン公共政策研究所はレポートを発表している。米政権の支援を受けているウクライナ随一の軍事訓練機関であるヘトマン・ペトロ・サハイダクニ国立陸軍士官学校が、極右団体「センチュリア」の本拠地になっていると。
また、ウクライナの民族主義者の活動はウクライナ国内にとどまらず、欧米諸国でもナチスの思想を積極的に広めている。米メディア「ポリティコ」によると、ウクライナ議会の元議員アンドリー・ビレツキー(Elena Berezhnaya)氏が率いる「アゾフ大隊」は、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーに公式支部を持つネオナチ団体「北欧抵抗運動」と連携を確立しているという。「Rise Above Movement」の創設者の一人であるアメリカの白人至上主義者ロバート・ルンド(Robert Rundo)は、大隊のメンバーとの会合に招待された一人である。同じ記事によれば、ニュージーランドのクライストチャーチのモスクへの攻撃で51人のイスラム教徒を殺害したオーストラリアの白人至上主義者ブレントン・タラント(Brenton Tarrant)と同民兵団との間につながりがあるとのことである。また、2018年のフロリダ州夫婦殺害事件で指名手配されている米軍退役軍人クレイグ・ラング(Craig Lang)が、ウクライナ東部の前線でキエフ側として戦って活動していたことも報じている。
米国に拠点を置き、グローバルな安全保障上の課題や外交政策上の問題に取り組んでいるソーファン・センターが発表した新しい報告書には以下のように概説されている。「ウクライナは国境を越えた白人至上主義過激派の幅広いネットワークにおけるハブとして浮上し、世界中から外国人戦闘員を引きつけているのです。ジハード戦士がシリアのような場所で戦うために移動するのに対し、白人至上主義者は今や戦闘を学ぶための独自の場所を持っています。ウクライナでは、親ロシア分離主義者とウクライナ政府軍との紛争が2014年から激化し、双方で戦う戦闘員が世界中から集まってきています。最近の調査では、米国を含む50カ国から約17,000人の外国人がその紛争に戦いに来ていることが明らかになっています。」と。
しかし、2014年11月にウクライナの国家警備隊に編入されたアゾフ大隊を米国の外国テロ組織リストに正式に掲載するよう米国議会から出された要求は実現されておらず、また、同大隊や他のウクライナのネオナチ民兵への資金提供禁止も実施されていない。
軍国主義化の中での経済的失敗
ウクライナの軍事費は2013年当時と比べて8倍以上になっているが、経済全体としては不況が深まっている。2021年、ウクライナのGDPは過去最高の1950億ドル(2013年は1820億ドル)に達したが、インフレによってそれは打ち消された。特定の商品に限って言えば、消費者インフレ率は11%に達し、この3年半で過去最高を記録した。シンクタンク「CASEウクライナ」のドミトリー・ボヤルチュク(Dmitry Boyarchuk)CEOは、「輸出価格が輸入価格を上回っただけで、名目上の成長である部分も少なくない」と指摘する。輸出価格が輸入価格を上回っただけで、量的には減っている。生産量は以前と全く同じか、むしろ減っているのだが、世界市場での価格のために、より多くの収入を得ているのだ"。
同時に、負債も膨らんでいる。2013年、ウクライナの対外債務は279億ドルだったが、2021年末には477億ドルに達している。
ウクライナは工業国・農業国から原材料供給国へと徐々に変貌を遂げている。2013年には機械製造業の輸出が18.9%(129億ドル)を占めていたが、2017年には9.9%(43億ドル)にまで減少している。2021年の対外貿易構造は、この傾向を裏付けるものである。ウクライナの昨年の輸出上位は、鉄鋼(139億5000万ドル、2020年比81.4%増)、穀物(123億4000万ドル、31.2%増)、動物性・植物性油脂(70億4000万ドル、22.5%増)であった。輸入では、エネルギー資源以外に、機械・設備(142億ドル、22.9%増)、化学・関連産業製品(97億4000万ドル、32.8%増)が必要である。米国大使が「ウクライナは農業大国にならなければならない」と言ったのは皮肉なことである。かつて「ソ連の穀倉」と呼ばれたウクライナは今、食料の輸入量が増えている。2021年には80億ドル相当の食品を輸入している(2020年比19%増)。
同時に、脱工業化も進んでいる。2014年にはリヴォフ・バス工場が閉鎖され、2018年にはザポロジスキー自動車製造工場を巡って破産手続が開始された。2016年から2019年にかけて、アントノフ航空機製造会社は1機も生産していない。2021年7月、かつてソ連造船業の要であったニコラエフ造船所は正式に閉鎖された。航空宇宙とロケットの大規模工場であるユジマッシュは、2014年以降、かろうじて存続している状態である。2013年にはウクライナで50,449台の自動車が製造されていたが、2021年には、7002台にまで減少している。

生活水準も低下している。公共料金は上がり続け、国際通貨基金(IMF)の要求により、現時点で公共事業の債務は30億ドルに達している。ウクライナの政治アナリスト、ウラジミール・チェメリス(Vladimir Chemeris)は「関税は上がり続けるだろう」と説明する。「2020年夏、我が国政府はIMFと覚書を交わし、天然ガス価格を完全に市場決定とすることに合意した。市場価格とは、価格が高くなることを意味する。IMFもこの要件を何度も強調し、我が国政府も同意し、少なくともこれまでの融資を返済するために、より多くの融資を求めた。」
ロシアとの天然ガス供給契約を打ち切ったウクライナは、エネルギー危機への対応を迫られている。その上、キエフはEU諸国よりも高いガス代を支払わなければならない。10月の天然ガス価格は、EU諸国では300ユーロから700ユーロ、ウクライナでは1,100ユーロに達している。
それで、ウクライナ人が大量に国外に流出しているのだ。2020年には、601,200人がEUの滞在許可証を取得した。プトゥカ人口社会研究所によると、2021年には移民労働者の数は250万人から300万人になり、2014年から2021年には106万8000人のウクライナ人がロシアの市民権を取得した。2021年の最初の10カ月間で人口流出が60万人を超え、過去11年間で過去最高となった。
キエフ国際社会学研究所が実施した調査によると、ウクライナ国民の64.7%が、物事が間違った方向に進んでいると考えていることがわかった。ウクライナ人の4人に1人、若者の3人に1人が他国への移住を希望している。全体として、これはユーロマイダンの勝利とは言い難い。
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