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60年経っても米国が使用した枯葉剤でベトナムの人々の生活は苦しめられている

60年経っても米国が使用した枯葉剤でベトナムの人々の生活は苦しめられている
<記事原文 寺島先生推薦>


60 years on, lives are still being ruined by the US’ Agent Orange campaign in Vietnam
RT 2022年1月15日
クリス・スイーニー(Chris Sweeney)

Chris Sweeney is an author and columnist who has written for newspapers such as The Times, Daily Express, The Sun and the Daily Record, along with several international-selling magazines. Follow him on Twitter @Writes_Sweeney


<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年2月20日


 60年前、米国はベトナム各所に毒性のある除草剤を撒き、何百万もの人々の命を奪い、障害を負わせた。当RTは、自身の人生を捧げ、自国によるこの恐ろしい負の遺産を修復しようとしてきた一人の男性から話を聞いた。

 失敗に終わったベトナム戦において、米国が残した最も恥ずべき負の遺産のひとつに、今もその影響が残っている「オレンジ剤(枯葉剤の代表的なもの)(以降AO)作戦」がある。

 AOは米軍が1962年に始めた「ランチ・ハンド作戦」で使用した強力な枯葉剤だった。その目的は草を枯らせて、そこに基地や輸送路を確保するためだった。さらにはベトナム側の軍が隠れるための森を消滅させる意図もあった。米国の侵攻中、何百万ガロンもの枯葉剤が撒かれたが、 その枯葉剤に恐ろしい化学物質であるダイオキシンが含まれていたため、この除草剤と接触した多くの人々の健康が害されることになった。この作戦で被害を受けた人の約2割が救援をうけているが、大多数の被害者は放置されたままだ。しかし一人の男性、チャールズ・ベイリー(Charles Bailey)さんは、自身の生涯を捧げてこの現状を変えようとしており、現在も進行中の汚染問題に取り組むと同時に、被害を受けた人々に救援を届ける活動を行っている。その被害者の多くは今もこの枯葉剤の被害に苦しんでいる。

 77歳の好々爺であるベイリーさんは、オレンジ剤作戦の負の遺産に関する深い見識と、高い課題意識を持っている。ベイリーさんが行ってきた実践的な取り組みのおかげで、米越両国が一緒になってこの問題に対応できるようになった。さらにベイリーさんは、2018年に出されたこの取組に関する著書の執筆者の一人にまでなっている。zoom越しのベイリーさんの話しぶりは穏やかだったが、ベイリーさんが自分に課している任務に対して持っている責任感は強く伝わってきた。

 自然資源経済学の博士号を持っているベイリーさんがベトナムを訪れたのは、1997年のことだった。ベイリーさんはフォード財団の支援員の一人だった。その後14年間、米国政府と掛け合って、被害を受けた人々に対して責任を果たすよう働きかけを行ってきた。現在はこの活動から半ば引退しているが、
ベイリーさんは、ワシントン州にある拠点から声を上げ続けており、シンクタンクのスティムソン・センターの「戦争の負の遺産に関する対策団」の一員としても活動している。ベイリーさんが居なければ、これまで成し遂げられてきた大きな前進はありえなかっただろう。

「随分後になってからも、米国大使たちは「被害者」という言葉を使うことを拒否していました。」チャールズ・ベイリー

<ベイリーさんの動画は原文サイトでご覧ください。訳者>

 ベイリーさんがベトナムの地に足を踏み入れたのは、ベトナムが米国との国交を復活させてから18ヶ月後のことだった。両国の国交は1975年以来断絶していた。ベイリーさんは、こう懐古している。「初めの頃は本当に困難でした。90年代後半の米国大使たちはAOについて話さないよう言われていたし、AOの被害者と話をすることもきっと禁じられていたようです。ずっと後になっても、米国大使たちは「被害者」ということばを使うことを拒んでいました。」

 しかし実際のところは、被害者は多数存在し、推定ではAOに含まれていたダイオキシンのせいで、ベトナム国民の40万人が死亡し、300万人が影響を受けたと見られている。「ダイオキシンは薬品の杜撰な製造過程により生まれた副産物であり、知られている中で最も毒性の強い物質のひとつです。」とベイリーさんは語っている。 さらに、「ダイオキシンに直接接触した人々は、ガンや、二型糖尿病や、局所貧血や、虚血性心疾患を患い、若くして亡くなります。」

 「このことが米国で問題になったのは、70年代の後半に、ベトナム戦争から帰還した若い男性たちが、「普通は高齢者がなる病気」になり始めてからです。もちろん同様のことがベトナムでも起こっていました。しかし私たち米国民はベトナムの状況についてよく分かっていませんでした。米国は1975年にベトナムへの渡航を禁止したからです。」 

 ベトナム国民たちは助けを求めていたのだが、その道は閉ざされていたのだ。ベトナムの世界貿易機関への加入を米国に認めてもらうために、AOが起こした影響のことは議論の対象にしないようベトナム政府は警告を受けていた。ベイリーさんはこの重いドアを開ける方法を模索せねばならなかったが、逆に、関わっていた米国当局者に同情心を抱くこともあったという。ベイリーさんは、こう語っている「大きな組織や政府にいる個人が、正しいことをやりたいと思っても、自分の出世のことが心配になり、自分の組織に害を与えないかとか、評判が落ちるのではなどと考えるものなのだと思います。または、被害者たちを非難して、「誰かにそそのかされているだけなのではないですか?あなたの障害が枯葉剤のせいだという証拠はないですよ。」などと言い張るか、という選択肢もありました。」

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 HIV/AIDSや性関連の病気に使用するための補助金の支出を申し出たことで、ベイリーさんは、ベトナムの人々からの信頼を得ることになった。ベイリーさんは、毎年1000万ドルの補助金を出すよう主張していた。ベイリーさんはこう振り返っている。「ベトナムの人々は、私がMr.WYSIWYG (裏表のない見た目のままの人)だと思ってくれていたようです。私は一度もベトナムの人から「戦争中に、お前たち米国民は俺たちに酷いことをした」と責められたことはありませんでした。ベトナムの人々は過去に拘らない実に前向きな人たちなのです。」

 色々と連絡を取る中で、ベイリーさんはカナダの会社であるハットフィールド社が、ダイオキシンの有無についてベトナムの土壌を調査中であることを知った。ハットフィールド社の報告によれば、ダイオキシンに汚染されていたのは、AOが貯蔵されたり、航空機に積みこまれたりした地域、つまり米軍基地跡地だけだったことがわかった。それでベイリーさんは、ハットフィールド社に資金を払い、ベトナムにあった全ての米軍の2735ヵ所の基地跡地の調査を依頼した。それには3年半かかった。

 結果が届いたのが2006年で、すぐにでも対応しなければならない基地跡地が3ヵ所あることが分かった。

 「この事実が大きなきっかけになりました」とベイリーさんは語った。「この汚染の話を米国民たちにすることで、‘ 私たちはベトナムの地にとんでもないものを置いてきたんですよ。ベトナムに行ってそれをきれいにしなくていいんですか?’と伝えられるようになったのです。」

 2007年以降、米国はAOに関して総額4億2500万ドルの資金を出している。 初めて浄化された基地跡地はいまダナン市にある空港になっている。2番目に浄化されたフォーカー空軍基地跡地の浄化を行ったのは国連だったが、これもベイリーさんが圧力をかけたからだ。 

 「3番目に浄化されたビエンホアがもっとも汚染の程度が激しく、(ベトナム国内で知られているダイオキシンのうちの)85%が見つかりました。この基地跡地の浄化は2020年に開始されましたが、10年の月日と、5億ドルの支出が見込まれています。」

 汚染地域の浄化は前進したが、オレンジ剤が直接撒かれた人々には何の手立ても打たれなかった。さらに、オレンジ剤のせいで身体障害や知的障害を持ったその人々の子どもや孫たちに対しても、だ。苦しんでいた人々を助けるお金はなかった。

 「[米国]政府当局が心配していたのは、オレンジ剤によって被害を受けた人々が、果てしない数ほど存在していたことだったと思います。‘ いったい(被害者たちからの申し出は)いつ終わるのか?被害者は何人いるのか?‘’ということです。それに比べて浄化作業は、すぐ見通しがたちました。汚染地域を見つけて、汚染状況を測定して、腕まくりして、浄化すればいいだけですから。」とベイリーさんは説明してくれた。「それに比べて被害者たちへの対応は大変です。病気に苦しむ高齢者たちよりも、ずっと数が多い(恐らく何十万人にもなると思われます)若い世代の人々の方が大変です。これらの若い人々は、深刻な障害を先天的に持って生まれ、そして生きていかなければいけないのですから。」

 「これらの若い人々の方がずっと大変なのです。ベトナムの被害者たちに、快適な暮らしと、威厳が持てる暮らしを送ってほしい。それが私がずっと目指してきたことなのです。でも時間を巻き戻して、人々に障害のない身体を与えることは不可能なのです。」


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 元米国大使のマイケル・マリーン(Michael Marine)氏と、バーモント州選出パトリック・リーヒー (Patrick Leahy)上院議員両氏は、被害者たちへの基金提供者開拓の際に大きな影響力を果たした。最も新しい配当では、被害者たちへの医療や障害に対して年間450万ドル、汚染地域(主にビエンホア)の浄化に対して年間340万ドルの基金が集まった 。

 しかしこの程度の金額で非常に多くの人々を支援するのに十分なのだろうか?これらの被害者たちは、生まれてからこれまで受けた苦難に対する支援が必要であるし、被害者たちの家族への対応も必要だというのに。

 ベイリーさんはこう語っている。「医療や障害に対する基金は、当初年間300万ドルでした。そこから15年間、その額は増え続けています。ただし支援が行われているのは、10の省だけに集中していますが、深刻な障害を持つ人々がまだまだたくさんいます。私たちにはその人たちと顔見知りです。なぜかというとこの活動の一部は、省単位の調査をもとに展開しているからです。ですので、この活動により支援の手が届いているのは、深刻な障害を負っている人々のうちの15~20%に留まっていると言えます。」

 「1年間で必要なお金や規模は今の2倍、いやさらに2倍いると思います。次の10年で5倍に増えれば嬉しいです。私はいつもこのことを口癖のように言い続けています。」

 ベイリーさんたちの前に立ちはだかる障害のひとつに、資金を管理しているUSAID(米国国際開発庁)が、ベトナムには全ての被害者に届けられるような生活産業基盤が整っていないと感じていることだ。ベイリーさんは、同開発庁のそのような見解は間違っていると考えている。

 ベイリーさんはさらにこう語った。「米国政府は被害者のことを第一に考えた取り組み方をする必要があります。物理的な支援を行うこともひとつですが、人々の人たちと手を取り合って行う必要のある こともあります。その際必要なことは、‘ なぜ私たちがこのことをやっているのか?’という意識であり、深い謙遜の気持ちであり、悲しみであり、障害を持つ人々と共に暮らしている人々への敬意です。」

 「障害を持つ人々には、週末も休暇もありません。[さらに]、これは個人の問題ではありません。家族や兄弟の人生設計にも深く関わる問題なのです。」

 さらにベイリーさんはこう付け加えた。「私たちが語っているのは真の人間性とは何か、というようなことなのです。私たちが、支援の手を差し出し、支援しようとしているのは、自分に何の落ち度もないのに、考えられる全ての面において、制限された人生を送らざるを得なくなっている人々です。なぜその人たちの苦しみという視点から、支援を始めようとしないのでしょうか?」

 米国が被害者たちに対しての活動にもう一歩踏み込もうとしていない理由に、「米国はベトナム戦争の敗者だからだ」という見方をしている人々もいる。さらに、AOを散布したパイロットたちの多くは、その行いを高尚な行為だったと考えている。「パイロットたちは、自分たちが行っていたことに誇りを持っています。」とベイリーさんは語った。「私はアルバマ州出身の空軍に所属していた男性の話を読んだことがあります。その人はC-123輸送機に乗って、遥かハワイからグアム、さらにはベトナムまで飛んだそうです。そこでオレンジ剤を積み込み、散布を始めたとのことです。この人、そして明らかに他の多くのパイロットたちはこう考えていたはずです。‘ 俺たちはいい事をしていたんだ’と。」

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 「現地には、オレンジ剤が無害であると考えている人々もいます。或る有名な写真があって、その写真では或る人がオレンジ剤をグラスに入れて飲んでいたんです。嘘の情報を広めるパンフレットがあちこちの村で撒かれて、人々にオレンジ剤は全くの無害であると思わせていたのです。これも戦争行為のひとつだったと言えます。このような喧伝行為に関わった人たちは、本当に熱が入っていたようです。」

 しかし、このようなことを証言できる米軍退役軍人は多くない。 ミシガン州アルピーナ市のゲイリー・リッチ(Gary Rich)さんは、1967年から1968年まで従軍する前に、解剖医の資格を取った。リッチさんはタイに駐在し、国境を越えてベトナム入りする中で、知らず知らずのうちにAOに触れていた。自分がどんな薬品に接触していたのかが分かったのは、随分後になってのことだった。

 リッチさんはこう語っている。「後で思い出した事実なんですが、私がいた病院や、地面や、居住地には草はありませんでした。何も生えていませんでした。離れた所から基地を見ると、本当に草がなかったんです。記憶を辿れば全く明らかなことなのですが、きっと何かが撒かれていたんです。」

 2000年に、リッチさんは甲状腺ガンだと診断され、その4年後には前立腺ガンを発症した。さらに心臓発作にも襲われたリッチさんはさらにこう話を続けた。「米国退役軍人省は、私を100%の障害者だと認定しています。私はTDIU、つまり完全な障害者で雇用は不可能である、と認定されました。その認定を受けるまでは本当に大変な闘いでした。友人たちが認定を受けるまでの手ほどきをしてくれたのです。」。推定では、AOに晒された退役軍人の数は、280万人に上るとされている。

 戦後、リッチさんは何度かタイを再訪しているが、そのうち一度だけ米越両側にAOが影響を与えた実例を目撃している。リッチさんはこう語った。
「私は学校を訪問しました。そこに通っていた女子生徒への支援金を送るためでした。そこで分かったのは、その女子生徒の祖父が腎臓の病気で透析を受けていることでした。そして私はその祖父が私がタイにいたのと同時期にタイにいたことが分かりました。その時AOが使われていたのです。」

 AOに苦しんだ人々にとって重要なことは、その人々の犠牲を無駄にしないことだ。この先も戦争はあるだろう。だからこの先の最重要課題は 二度と同じような惨劇を繰り返させないことだ。

 「米軍や準軍事組織が何かを散布することで、コロンビアやアフガニスタンの薬物問題を抑制しようという話が出るたび、私はとても不快な気持ちになります。」とベイリーさんは語った。「私の希望は、AOが次世代へ引き継ぐべき教訓となることです。 そしてどんなに貪欲な軍司令官や、軍事行動計画者でも、撒くという決定を下す前に、もう一度考え直すようになってほしいのです。そんなものを撒いてしまったら、‘ 戦いが済めば人々の住処となる地域なのだから、どれだけ広く汚染してしまうか分からないようなものは撒かないでおこう‘’と思い直して欲しいのです。」

 「戦争の相手国の国民であっても、きれいな環境の中で暮らし、そこで家族や共同体が繁栄する必要があります。あなたがどんな立場の人間であったとしても、考えてください。思い起こしてください。そうすればきっとこんな残虐行為には至らなかっただろうし、環境を汚染することもなかったでしょう。何のための戦争であったとしても、です。」
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