「ワクチン強制接種」:左翼はCovid-19パンデミック騒動の間、「身体的自律性」の原則を軽視。それは「右翼への贈り物」?
「ワクチン強制接種」:左翼はCovid-19パンデミック騒動の間、「身体的自律性」の原則を軽視。それは「右翼への贈り物」?
“Coerced Vaccination”: The Left’s Contempt for Bodily Autonomy during the Covid-19 Pandemic. A “Gift to the Right”?
Global Research
2021年12月22日
ジョナサン・クック(Jonathan Cook)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年1月30日

First published on December 22, 2021
左翼の一部はいつから「身体的自律性(私の身体は私の身体)」の原則を蔑ろにするようになったのか?答え:パンデミックから抜け出すための唯一の手段だと、左翼がワクチンを崇拝の対象として祭り上げ始めた頃だ。
ほんの2年前までは、ほとんどの人が「身体的自律性」は基本的で疑う余地のない人権であると理解していた。
この人権は、今では、ある種変態的リバタリアンの贅沢品として扱われている。この人権を大事にする「嘆かわしい人々」はタッカー・カールソン(Tucker Carlson)*を見過ぎている証拠だとか、彼らは社会的利益よりも個人の権利を重視する新自由主義の最悪の行き過ぎを理想化するようになったとか、言われながら。
Tucker Carlson*…タッカー・スワンソン・マクニア・カールソン は、アメリカの保守派政治コメンテーター。2016年からFOXニュースの政治トーク番組『タッカー・カールソン・トゥナイト』で司会を務めている。 1990年代に新聞雑誌記者となり、『ウィークリー・スタンダード』誌などに記事を寄稿(ウイキペディア)
これはナンセンスだし危険な考え方だ。選挙権や医療を受ける権利と同様に、「身体的自律性」の原則が何世紀もの闘いによって確立されていなかったら、この世界はどうなっていただろうと想像してみれば、明らかなことだろう。
なぜなら、「身体的自律性」の原則がなければ、今でも処女を高い段に引きずり上げて、太陽神をなだめるための生け贄にしているかもしれない。「身体的自律性」の原則がなければ、私たちは今でも黒人を動物のように扱っているかもしれない。白人の地主階級を豊かにするために、黒人を動産として扱い、強制労働による搾取を今でも行っているかもしれない。
「身体的自律性」の原則がなければ、「劣等人種」であるユダヤ人、ルーマニア人、共産主義者、同性愛者に医師が実験を行い、「優等人種」がその「研究」から利益を得るような医者が今でも存在するかもしれない。「身体的自律性」の原則がなければ、不文律の夫婦の誓いの一つとして、男性が妻をレイプする権利が今でも残っているかもしれない。
こういった権利獲得の戦いの多くは、ちょっと記憶を辿ってみればわかるが、ごくごく最近勝ち取ったものである。この年になって振り返ると、私は、通学途中の車の中で、BBCラジオ4で、夫が妻をレイプする権利を裁判所が当然とすることは正当かどうかという「真面目な」議論を聞いていたのを思い出す。
アメリカでは、女性の身体と身ごもった胎児とのどちらが優先されるかという議論が、現在進行形で行われている中絶議論の中心であり、炎上している。そして、「身体的自律性」の原則を守ることが、「テロとの戦い」として知られる褐色人種との戦いの中で、今や当たり前みたいになってしまった米国の拷問体制に反対する人たちの主な理由であった。(道徳心がちょっとしかなくても、拷問体制にはだれだって反対する)
不誠実
西側社会で、少数民族のワクチン接種率が非常に低いのは、それなりの理由がある。そのヒントは、上の3つ段落に書いた。
白人エリートが白人エリートの利益のために運営する強力な国民国家は、何世紀にもわたって黒人や褐色人種の「身体的自律性」原則を踏みにじってきた。時には、白人エリートたちは自分たちが引き起こす他への被害に無頓着だった。また時には、こうした「劣等」民族に手を貸しているのだと公言した。たとえば「テロとの戦争」では、私たちが喉から手が出るほど欲しい石油を産出する国々を侵略する理由として、新自由主義的「民主主義」の推進を掲げていたのだ。
口実はコロコロ変わるが、不誠実さは変わらない。
西洋の植民地国家の手によって苦しめられた長い歴史があるから、黒人社会や褐色人社会が、「信じられない!」という気持ちを持ち続けるのももっともなのだ。黒人社会や褐色人社会が持つ懸念や国家機関からの疎外感を無視したり矮小化したりすることは、連帯でもなければ、彼らを守ることでもない。そんなことをするのは醜悪な傲慢さだ。彼らの懸念を軽んじても、その懸念が消えるわけではない。むしろその懸念を増幅させる。
しかし、もちろん、少数民族の懸念を例外的に扱うことにも、またある種の傲慢さがある。何か特別扱いをすることで、その懸念に肩入れをすることになるからだ。まるで少数民族は「身体的自律」原則を存分に堪能する必要があると言っているかのようだ。私たちを含めた他の民族は十分に成熟していてそんな原則は捨て去っているのに、と。
事実はこうだ。どの世代も、自分たちの先祖が掲げた優先順位が誤っていたことを理解するようになる。どの世代にも強力なエリート層がいる。彼らは多数派であって、その合意はでっち上げられ、「身体的自律」原則などというものは、より高次の原則のために犠牲にしても大丈夫だというまちがった確信に浸りきっている。半世紀前、夫婦間レイプの支持者たちは、伝統や家父長制の価値観を守ることを主張した。なぜなら、それらは社会をまとめる接着剤だとされていたからだ。50年後の今、ワクチン接種の義務化に関する議論、そしてワクチン未接種者は不潔であり、疫病の媒介者であるという全く非科学的な推論を、ほとんど同じ観点から捉えることができるだろう。
ワクチンの義務化については政治的な共通理解が、大きく広がったが、①パンデミック宣言の2年後にCovid-19ウイルスは途方もなく広がったこと、②その結果、ワクチン接種の有無にかかわらず、人口の大部分が自然免疫を獲得したこと、この2つが意図的に無視されている。この共通理解は、自然免疫が(ワクチン)より長く持続し、今後も出現するCovid-19ウイルスの亜種に対してより効果的であることを証明する可能性が高いという事実も曖昧にしている。そして、この共通理解は、次の不都合な事実から私たちの目を逸らせている。つまり、現在のワクチンの有効期間が短いということは、新しい亜種オミクロンがあまりにも明確に強調しているように、誰もが潜在的に「不潔」であり、疫病保菌者であるという事実だ。
連帯の問題ではない
真実はこうだ。「身体的自律」原則をめぐる政治的分裂の中で、私たち一人ひとりの立ち位置がどこかということは、人権や社会的利益、あるいは弱者や無力者との連帯をどれだけ優先するかということとあまり関係がない。はるかに関係があるのは以下に列記した、客観的な合理性を著しく欠いた他の事柄だ:
*Covidが私たち自身と、愛する人たちへの影響について、私たち一人ひとりどれほど恐れているか。
*私たちの社会を動かしている富裕層が、手っ取り早く利益を生む技術的な解決策への欲求や、見せかけの強いリーダーシップと果断な行動よりも、社会的利益を優先してきたと私たちが思うかどうか。
*私たちの社会が高齢化し、病人が増えるにつれて利益が急増している製薬企業の利益よりも、科学が優先されていると、私たちがどの程度確信しているのかどうか。また、これらの企業が世界保健機関(WHO)などの規制当局を取り込んでいると私たちが考えているのかどうか。
*①医療サービスがひっ迫していること②現実には決してなくならないウイルスを根絶できないこと、この2つの責任を少数派であるワクチン未接種者の責任として押し付けることが、有益と考えるのか、危険と考えるか。
* 特に左翼にあてはまることだが、キューバ、中国、ロシア、イランといった非西側の、公式的な「敵」政府も、「ワクチン開発という卵」を「ワクチンという危険な籠」の中に投げ込んでいることでどれほど私たちが安心できているか。たいていの場合その開発は西側社会と同じくらい熱狂的に行われているのだが。
しかし、ひょっとして、権力闘争に明け暮れる各国の競争志向のエリートたちが支配する科学技術や物質主義的世界が発達してきたというのは、パンデミックを終わらせる方法として、ワクチンや薬剤といった即効性のある魔法の弾丸を使うという、世界共通の考え方という「箱」が常に存在していたということかもしれない。「善玉国家」「悪玉国家」を問わず、各国政府がこの特定の箱の外に身を置いて思考する可能性は低い。しかし、そうは言っても、それはこの箱が唯一のものであり、すべての国民を強制的にこの箱に入れなければならない、という意味ではない。
基本的人権は、良い時だけに適用されるものではない。パンデミックのような困難な時に、その権利が迷惑だからとか、私たちがベストだと思うことを拒否する人がいるからという理由で、基本的人権を脇に追いやることはできない。種々の基本的人権は、自由で開かれた社会で生きることの意味にとって基本中の基本だ。もし私たちがこのウイルスに対処している間に「身体的自律」原則を白紙に戻してしまったら、この原則を取り戻すために一から闘いを始めなくてはならないだろう。しかも、これまで見たことも聞いたこともないような強力なハイテク監視国家の中に完全に置かれてしまった中で。
ワクチン接種の強制
しかし、「身体的自律」原則だけに注目するのは間違いである。「身体的自律」原則の弱体化は、「認知的自律(どんな情報でも自分に関係ある情報は自分で取得できる)」原則の弱体化にも同様に憂慮すべき事態を招きつつある。実際、この2種類の原則は容易に切り離すことができない。なぜなら、人々にワクチン接種を義務付けるべきだと考える人は、ワクチン接種に抵抗感を抱かせるような情報を聞くことは許されない、とすぐに主張するようになるからだ。
パンデミック下、誠実で開かれた議論を維持することについて、きわめて大事な問題がある。それは、Covidや、COVID対策に批判的である人々が、キーボードに指を置くたびに、取り組まなければならない問題だ。というのも、この議論が交わされる土俵は、お世辞にも理性的なものとは言えない。
ワクチン接種の義務化を要求し、「身体的自律」原則を「医療」的に不都合だから捨て去ろうとする人々は、ごく少数の孤立した反対派が、自分たちの議論に異議を唱えるのは、あっても時々だ、と思い込んでいる。だから、自分たちの議論を、大口を空けて主張することができるのだ。
しかし、「身体的自律性」原則を重視する人たちや、ワクチン接種強制を考えると顔面蒼白になるような人たちで、自分たちの言い分を述べたいと思う人がいたら、それはやめたほうがいい。不自由な縛りの中で議論しなければならないことになるからだ。懸案となっている議論の間口を広げようとすると、周囲からもみくちゃにされる可能性がある。とくに左翼陣営からだ。それは、科学的な議論を装ってはいるが、実際は政治的・倫理的な議論になってしまう。
https://twitter.com/jeremycorbyn/status/1470822969010184192
以下のでっち上げられた共通理解を問題視する人は、一言一句吟味してからワクチンの悪影響をを語らなければならない:
①ワクチン未接種者を病気の運び屋として意図的にスケープゴートにする共通理解、②99%の人々の間に出来上がっていた社会的連帯を再びグラつかせた共通理解、③パンデミックから利益を得ているエリートたちを適正に精査することをさせない武器として使われた共通理解
人間は数値ではない
私は、この肉体面と精神面の2つの自律的原則を大事だと考えている。私は、私やあなた方が何を考え、何を言うことが許されるかを国家が決めることに反対であり、私やあなた方の身体に入るものを国家が同意なしに決めることにも反対だ。(ただし、汚染された空気を吸い、汚染された水を飲み、化学的に変えられた食物を食べるしかないことは分かっている。そしてこれらはすべて、私やあなた方の免疫システムを損傷し、Covidなどのウイルスにかかりやすくしている)
しかし、同時に、ワクチン接種義務にひた走る、群衆と化した人々とは異なり、私は自分の言葉に責任があること、そしてその言葉には結果があり、潜在的に危険なものであることを決して忘れてはいない。ウイルスにさらされることで深刻な被害を受けないようにするために、ほぼ何の迷いもなく、おそらくは手続きに従って、ワクチンを接種する必要がある人たちが相当数いるのだ。責任ある書き手なら、自分の言葉がもたらす影響をよく考える必要がある。私は、ワクチン接種にはプラス面があると考えて接種している人が、接種をためらうようになる責任は負いたくない。特に、パンデミックの最中に神のふりをすることには慎重でなければならない。
しかし、私がワクチンの安全性という専門知識のないテーマで偉そうな話はしたくないからといって、他の人に医療倫理や政治倫理のような、自分でもよくわかっていそうもないテーマの議論を仕切らせるわけにもゆかない。
実際、一部の人がどんなに口うるさくこのCovidワクチンを打った方が無難だと言われるにしても、リスクがあることは認識されている。たとえ私たちの発言が封じられていてもそうだ。ワクチンの長期的な安全性は不明であり、今後数年間は知ることができない。医薬品規制当局(FDA)が今後何十年もワクチンのデータを公表しようとしていないことを考えると、もっと長いかもしれない。
ワクチン技術は新規のものであり、人体の複雑な生理機能や、一人ひとり様相を異にする気まぐれな免疫系に及ぼす影響は、今後長い間、完全に明らかになることはないだろう。このような状況下で新しいタイプのワクチンを接種するかどうかは、「身体的自律」の原則に基づいて、自分自身で、慎重に心積りしなければならないことなのだ。
何の心積もりもないふりをする---(どうせ)全員一緒、ワクチンは全員に対して同じように作用するのだ---ことは、ワクチンは緊急に承認されなければならなかったこと、専門家の間でも、ワクチン接種に有利な計算がすべての人にとって、特に子どもにとって意味を持つかどうか、厳しい意見が交わされてきたことからも誤りであることがわかる。さらに、人口のかなりの部分が、ウイルス全体に対する自然免疫を持っているのに、ワクチンで誘発されるのはスパイクタンパク質による免疫にすぎないという事実が、この計算を一筋縄ではゆかなくしている。
しかし、すべての人を画一的な解決策に詰め込むことは、まさに官僚的、技術的な国家が行うことだ。それが彼らの最も得意とするところ。国家にとって、あなたも私も、パンデミック集計上の数字に過ぎない。そうでないと考えるのは、子供じみた妄想だ。自分を単なる表計算ソフトの数字と考えることを拒否する人々、つまり身体的・認知的自律性の権利を主張する人々は、そんな振る舞いをするからといって、ナルシストとして、あるいは公衆衛生に対する脅威として扱われるべきではない。特に、ワクチンによってもたらされる免疫が非常に短命で、ワクチン自体が非常に漏出しやすく、自然免疫とワクチン誘発免疫の違い、あるいは潜在的対立について、まだほとんど理解されていない場合はそうであろう。
終わりのない緊急事態
それにもかかわらず、左翼の一部は、このようなことが何一つ事実でないかのように、あるいは議論の余地があるかのように振る舞っている。それどころか、これ見よがしにつるし上げ集団の一員となり、他人の身体ばかりでなく心も支配しようとする独善的な叫びを先導しているのだ。
こういった左翼は、公式の「医学的」共有理解に対する脅威として、怒り心頭、あらゆる議論を拒否する。科学はその性質上、論争は当然であり、(論争を通して)絶えず進化するという事実を否定して、意見の一致を主張、それを科学だと言い張る。彼らは、利益を追求するソーシャルメディア企業による検閲を支持する。沈黙させられている人が、たとえきちんとその業績が認められている専門家であってもそうだ。
口には出してはいないが、彼らが実際言っているのはこうだ:
「反対意見は社会秩序を脅かすものであり、反対意見を出せばワクチン接種をしない人間をますます増やすことになるだろう。」
私たち全員に、ファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社の祭壇を崇拝しろ、と言っている。さもないと「反ワクチン派」異端者として非難される危険を冒すことになるだろう、と。この終わりのない緊急事態の時代には、いかなる中間地点も許されないのである。
これは倫理的に問題があるというだけではない。政治的にも破滅的な結果をもたらす。国家はすでに、個人としての私たちに対して強大な力を持っている。私たちは、互いに連帯する限りにおいてのみ、集団的な力を持つのだ。左翼が国家と共謀して、弱者や、黒人共同体と褐色人共同体(国家機関からは虐待的な対応をされたことが多い人々だ)、(身体的自律原則を大事にする)「嘆かわしい人々」に敵対するならば、私たちはわが身を分断し、社会の最も弱い部分をさらに弱体化させることになるのだ。
労働党の前指導者ジェレミー・コービン(Jeremy Corbyn)は、英国政府が最近行ったワクチン義務化の動きに公然と抵抗した数少ない左翼の一人であり、このことを理解していた。彼は、正しい道は説得であり、強制ではない、と主張した。これは正しい。
しかし、このような理性と思いやりの双方を備えた議論は、左翼の一部では風前の灯火だ。彼らは、パンデミックという例外的な時代に生きているという理由で、身体的・認知的自律性が侵害されてもやむを得ないと言う。そのような侵害は一時的なもので、ウイルスが根絶されるまでの間だけだと、自己満足的に主張する。このウイルスは今や風土病として、永久に私たちとともにあるのに。彼らは、ワクチン接種をためらう傾向に対処するための対価として、企業メディアにさらに大きな検閲の権限が与えられることに黙って同意するのである。事態が鎮静化すれば、反対意見を述べる権利はその時取り戻せるという前提が彼らにはある。
しかし、私たちの権利と自由がすでに前例のない攻撃を受けている状況で、いったん失ったものを回復することは簡単ではないだろう。ソーシャルメディアが、政治的・商業的に不都合な事実を述べたことであなたや私を公共の場から消し去ることができるようになれば、もう後戻りはできないだろう。例えば、ワクチン接種者も感染を広げる可能性があるという意見をtwitter社はすべて削除している。
左翼の政治的本能
しかし、左翼がワクチン未接種者に、どうしようもなく愚かに敵対し、身体的・認知的自律性の原則を侮蔑的に扱うのは、さらに別の理由がある:
そうすれば、
①黒人や褐色人種のコミュニティや「嘆かわしい人々」に対して、左翼はエリート主義者であり、
②連帯の話は中身がなく、
③私たちが享受する最も身近な自由(身体と心に対する)を守るために戦おうとするのは左翼ではなく右翼だけだ、
というメッセージを送ることになるからだ。
左翼は、①Covidワクチンの接種をためらう人々を罵倒するたびに、②主に低賃金労働者に対してワクチン接種義務化を要求する権威主義に共鳴するたびに、③議論の場に身を置かない、あるいは反対意見を述べることすら許さないことがあるたびに、政治的戦場を右翼に明け渡すことになる。
その行動を通して、声高な左翼は次のような右翼の主張を裏付けることになる:
①左翼の政治的本能はスターリン主義
②左翼は普通の人々の心配事に対して万能の国家権力で対抗する
③左翼は顔を持たない大衆しか目に入らない。大衆は群れとして扱い、官僚主義的に便利な解決策へと誘導する必要がある存在。いろいろなジレンマや信念で格闘している個人として人々は耳を傾けてもらう必要があるのだが、そんなことは眼中にない
事実はこうだ。ワクチンを支持するもよし、自らも接種するもよし、全員定期的にCovidワクチンを接種してほしいと切望するもよし。しかしそれでも、身体的および認知的自律性は極めて重要な原則であり、ワクチンよりもさらに重視されるべき原則だと考えることができる。たとえワクチン接種のチアリーダーであっても、ワクチン接種の義務化に反対するデモに参加してもよいのだ。
左翼の中には、この2つが全く相容れない立場であるかのように、あるいは偽善や悪意の証明であるかのように振舞う者がいる。しかし、この種の左翼が本当の正体を晒しているのは、政治的に複雑な方法で考えることができない彼ら自身であり、どんなに恐ろしい状況であっても、原則は応急処置よりも重要であり、社会をどう組織するかについての議論は、技術や「医学」よりも本質的に政治的なものであるということがわからなくなっている彼ら自身なのだ。
右翼は、パンデミックへの対応には、重大な政治的代償を払わない限り捨て去ることができない政治的計算があることを理解している。左翼の一部は、この点をあまりよく理解していない。左翼陣営の検閲志向、傲慢さ、どこか弱者いじめを感じさせる雰囲気(変転する「科学」に従っているという主張によってこれらはすべて見えなくされている)、こういった事柄があるから左翼が代表していると主張する人々は離れつつある。そう予想することは可能だ。
左翼は、身体的・認知的自律性の重要性を再び主張する必要がある。自らの足を撃つ(墓穴を掘る)のをやめる必要がある。
This essay first appeared on Jonathan Cook’s blog: https://www.jonathan-cook.net/blog/
Jonathan Cook won the Martha Gellhorn Special Prize for Journalism. His books include “Israel and the Clash of Civilisations: Iraq, Iran and the Plan to Remake the Middle East” (Pluto Press) and “Disappearing Palestine: Israel’s Experiments in Human Despair” (Zed Books). His website is www.jonathan-cook.net.
He is a frequent contributor to Global Research
The original source of this article is Global Research
Copyright © Jonathan Cook, Global Research, 2021
“Coerced Vaccination”: The Left’s Contempt for Bodily Autonomy during the Covid-19 Pandemic. A “Gift to the Right”?
Global Research
2021年12月22日
ジョナサン・クック(Jonathan Cook)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年1月30日

First published on December 22, 2021
左翼の一部はいつから「身体的自律性(私の身体は私の身体)」の原則を蔑ろにするようになったのか?答え:パンデミックから抜け出すための唯一の手段だと、左翼がワクチンを崇拝の対象として祭り上げ始めた頃だ。
ほんの2年前までは、ほとんどの人が「身体的自律性」は基本的で疑う余地のない人権であると理解していた。
この人権は、今では、ある種変態的リバタリアンの贅沢品として扱われている。この人権を大事にする「嘆かわしい人々」はタッカー・カールソン(Tucker Carlson)*を見過ぎている証拠だとか、彼らは社会的利益よりも個人の権利を重視する新自由主義の最悪の行き過ぎを理想化するようになったとか、言われながら。
Tucker Carlson*…タッカー・スワンソン・マクニア・カールソン は、アメリカの保守派政治コメンテーター。2016年からFOXニュースの政治トーク番組『タッカー・カールソン・トゥナイト』で司会を務めている。 1990年代に新聞雑誌記者となり、『ウィークリー・スタンダード』誌などに記事を寄稿(ウイキペディア)
これはナンセンスだし危険な考え方だ。選挙権や医療を受ける権利と同様に、「身体的自律性」の原則が何世紀もの闘いによって確立されていなかったら、この世界はどうなっていただろうと想像してみれば、明らかなことだろう。
なぜなら、「身体的自律性」の原則がなければ、今でも処女を高い段に引きずり上げて、太陽神をなだめるための生け贄にしているかもしれない。「身体的自律性」の原則がなければ、私たちは今でも黒人を動物のように扱っているかもしれない。白人の地主階級を豊かにするために、黒人を動産として扱い、強制労働による搾取を今でも行っているかもしれない。
「身体的自律性」の原則がなければ、「劣等人種」であるユダヤ人、ルーマニア人、共産主義者、同性愛者に医師が実験を行い、「優等人種」がその「研究」から利益を得るような医者が今でも存在するかもしれない。「身体的自律性」の原則がなければ、不文律の夫婦の誓いの一つとして、男性が妻をレイプする権利が今でも残っているかもしれない。
こういった権利獲得の戦いの多くは、ちょっと記憶を辿ってみればわかるが、ごくごく最近勝ち取ったものである。この年になって振り返ると、私は、通学途中の車の中で、BBCラジオ4で、夫が妻をレイプする権利を裁判所が当然とすることは正当かどうかという「真面目な」議論を聞いていたのを思い出す。
アメリカでは、女性の身体と身ごもった胎児とのどちらが優先されるかという議論が、現在進行形で行われている中絶議論の中心であり、炎上している。そして、「身体的自律性」の原則を守ることが、「テロとの戦い」として知られる褐色人種との戦いの中で、今や当たり前みたいになってしまった米国の拷問体制に反対する人たちの主な理由であった。(道徳心がちょっとしかなくても、拷問体制にはだれだって反対する)
不誠実
西側社会で、少数民族のワクチン接種率が非常に低いのは、それなりの理由がある。そのヒントは、上の3つ段落に書いた。
白人エリートが白人エリートの利益のために運営する強力な国民国家は、何世紀にもわたって黒人や褐色人種の「身体的自律性」原則を踏みにじってきた。時には、白人エリートたちは自分たちが引き起こす他への被害に無頓着だった。また時には、こうした「劣等」民族に手を貸しているのだと公言した。たとえば「テロとの戦争」では、私たちが喉から手が出るほど欲しい石油を産出する国々を侵略する理由として、新自由主義的「民主主義」の推進を掲げていたのだ。
口実はコロコロ変わるが、不誠実さは変わらない。
西洋の植民地国家の手によって苦しめられた長い歴史があるから、黒人社会や褐色人社会が、「信じられない!」という気持ちを持ち続けるのももっともなのだ。黒人社会や褐色人社会が持つ懸念や国家機関からの疎外感を無視したり矮小化したりすることは、連帯でもなければ、彼らを守ることでもない。そんなことをするのは醜悪な傲慢さだ。彼らの懸念を軽んじても、その懸念が消えるわけではない。むしろその懸念を増幅させる。
しかし、もちろん、少数民族の懸念を例外的に扱うことにも、またある種の傲慢さがある。何か特別扱いをすることで、その懸念に肩入れをすることになるからだ。まるで少数民族は「身体的自律」原則を存分に堪能する必要があると言っているかのようだ。私たちを含めた他の民族は十分に成熟していてそんな原則は捨て去っているのに、と。
事実はこうだ。どの世代も、自分たちの先祖が掲げた優先順位が誤っていたことを理解するようになる。どの世代にも強力なエリート層がいる。彼らは多数派であって、その合意はでっち上げられ、「身体的自律」原則などというものは、より高次の原則のために犠牲にしても大丈夫だというまちがった確信に浸りきっている。半世紀前、夫婦間レイプの支持者たちは、伝統や家父長制の価値観を守ることを主張した。なぜなら、それらは社会をまとめる接着剤だとされていたからだ。50年後の今、ワクチン接種の義務化に関する議論、そしてワクチン未接種者は不潔であり、疫病の媒介者であるという全く非科学的な推論を、ほとんど同じ観点から捉えることができるだろう。
ワクチンの義務化については政治的な共通理解が、大きく広がったが、①パンデミック宣言の2年後にCovid-19ウイルスは途方もなく広がったこと、②その結果、ワクチン接種の有無にかかわらず、人口の大部分が自然免疫を獲得したこと、この2つが意図的に無視されている。この共通理解は、自然免疫が(ワクチン)より長く持続し、今後も出現するCovid-19ウイルスの亜種に対してより効果的であることを証明する可能性が高いという事実も曖昧にしている。そして、この共通理解は、次の不都合な事実から私たちの目を逸らせている。つまり、現在のワクチンの有効期間が短いということは、新しい亜種オミクロンがあまりにも明確に強調しているように、誰もが潜在的に「不潔」であり、疫病保菌者であるという事実だ。
連帯の問題ではない
真実はこうだ。「身体的自律」原則をめぐる政治的分裂の中で、私たち一人ひとりの立ち位置がどこかということは、人権や社会的利益、あるいは弱者や無力者との連帯をどれだけ優先するかということとあまり関係がない。はるかに関係があるのは以下に列記した、客観的な合理性を著しく欠いた他の事柄だ:
*Covidが私たち自身と、愛する人たちへの影響について、私たち一人ひとりどれほど恐れているか。
*私たちの社会を動かしている富裕層が、手っ取り早く利益を生む技術的な解決策への欲求や、見せかけの強いリーダーシップと果断な行動よりも、社会的利益を優先してきたと私たちが思うかどうか。
*私たちの社会が高齢化し、病人が増えるにつれて利益が急増している製薬企業の利益よりも、科学が優先されていると、私たちがどの程度確信しているのかどうか。また、これらの企業が世界保健機関(WHO)などの規制当局を取り込んでいると私たちが考えているのかどうか。
*①医療サービスがひっ迫していること②現実には決してなくならないウイルスを根絶できないこと、この2つの責任を少数派であるワクチン未接種者の責任として押し付けることが、有益と考えるのか、危険と考えるか。
* 特に左翼にあてはまることだが、キューバ、中国、ロシア、イランといった非西側の、公式的な「敵」政府も、「ワクチン開発という卵」を「ワクチンという危険な籠」の中に投げ込んでいることでどれほど私たちが安心できているか。たいていの場合その開発は西側社会と同じくらい熱狂的に行われているのだが。
しかし、ひょっとして、権力闘争に明け暮れる各国の競争志向のエリートたちが支配する科学技術や物質主義的世界が発達してきたというのは、パンデミックを終わらせる方法として、ワクチンや薬剤といった即効性のある魔法の弾丸を使うという、世界共通の考え方という「箱」が常に存在していたということかもしれない。「善玉国家」「悪玉国家」を問わず、各国政府がこの特定の箱の外に身を置いて思考する可能性は低い。しかし、そうは言っても、それはこの箱が唯一のものであり、すべての国民を強制的にこの箱に入れなければならない、という意味ではない。
基本的人権は、良い時だけに適用されるものではない。パンデミックのような困難な時に、その権利が迷惑だからとか、私たちがベストだと思うことを拒否する人がいるからという理由で、基本的人権を脇に追いやることはできない。種々の基本的人権は、自由で開かれた社会で生きることの意味にとって基本中の基本だ。もし私たちがこのウイルスに対処している間に「身体的自律」原則を白紙に戻してしまったら、この原則を取り戻すために一から闘いを始めなくてはならないだろう。しかも、これまで見たことも聞いたこともないような強力なハイテク監視国家の中に完全に置かれてしまった中で。
ワクチン接種の強制
しかし、「身体的自律」原則だけに注目するのは間違いである。「身体的自律」原則の弱体化は、「認知的自律(どんな情報でも自分に関係ある情報は自分で取得できる)」原則の弱体化にも同様に憂慮すべき事態を招きつつある。実際、この2種類の原則は容易に切り離すことができない。なぜなら、人々にワクチン接種を義務付けるべきだと考える人は、ワクチン接種に抵抗感を抱かせるような情報を聞くことは許されない、とすぐに主張するようになるからだ。
パンデミック下、誠実で開かれた議論を維持することについて、きわめて大事な問題がある。それは、Covidや、COVID対策に批判的である人々が、キーボードに指を置くたびに、取り組まなければならない問題だ。というのも、この議論が交わされる土俵は、お世辞にも理性的なものとは言えない。
ワクチン接種の義務化を要求し、「身体的自律」原則を「医療」的に不都合だから捨て去ろうとする人々は、ごく少数の孤立した反対派が、自分たちの議論に異議を唱えるのは、あっても時々だ、と思い込んでいる。だから、自分たちの議論を、大口を空けて主張することができるのだ。
しかし、「身体的自律性」原則を重視する人たちや、ワクチン接種強制を考えると顔面蒼白になるような人たちで、自分たちの言い分を述べたいと思う人がいたら、それはやめたほうがいい。不自由な縛りの中で議論しなければならないことになるからだ。懸案となっている議論の間口を広げようとすると、周囲からもみくちゃにされる可能性がある。とくに左翼陣営からだ。それは、科学的な議論を装ってはいるが、実際は政治的・倫理的な議論になってしまう。
https://twitter.com/jeremycorbyn/status/1470822969010184192
以下のでっち上げられた共通理解を問題視する人は、一言一句吟味してからワクチンの悪影響をを語らなければならない:
①ワクチン未接種者を病気の運び屋として意図的にスケープゴートにする共通理解、②99%の人々の間に出来上がっていた社会的連帯を再びグラつかせた共通理解、③パンデミックから利益を得ているエリートたちを適正に精査することをさせない武器として使われた共通理解
人間は数値ではない
私は、この肉体面と精神面の2つの自律的原則を大事だと考えている。私は、私やあなた方が何を考え、何を言うことが許されるかを国家が決めることに反対であり、私やあなた方の身体に入るものを国家が同意なしに決めることにも反対だ。(ただし、汚染された空気を吸い、汚染された水を飲み、化学的に変えられた食物を食べるしかないことは分かっている。そしてこれらはすべて、私やあなた方の免疫システムを損傷し、Covidなどのウイルスにかかりやすくしている)
しかし、同時に、ワクチン接種義務にひた走る、群衆と化した人々とは異なり、私は自分の言葉に責任があること、そしてその言葉には結果があり、潜在的に危険なものであることを決して忘れてはいない。ウイルスにさらされることで深刻な被害を受けないようにするために、ほぼ何の迷いもなく、おそらくは手続きに従って、ワクチンを接種する必要がある人たちが相当数いるのだ。責任ある書き手なら、自分の言葉がもたらす影響をよく考える必要がある。私は、ワクチン接種にはプラス面があると考えて接種している人が、接種をためらうようになる責任は負いたくない。特に、パンデミックの最中に神のふりをすることには慎重でなければならない。
しかし、私がワクチンの安全性という専門知識のないテーマで偉そうな話はしたくないからといって、他の人に医療倫理や政治倫理のような、自分でもよくわかっていそうもないテーマの議論を仕切らせるわけにもゆかない。
実際、一部の人がどんなに口うるさくこのCovidワクチンを打った方が無難だと言われるにしても、リスクがあることは認識されている。たとえ私たちの発言が封じられていてもそうだ。ワクチンの長期的な安全性は不明であり、今後数年間は知ることができない。医薬品規制当局(FDA)が今後何十年もワクチンのデータを公表しようとしていないことを考えると、もっと長いかもしれない。
ワクチン技術は新規のものであり、人体の複雑な生理機能や、一人ひとり様相を異にする気まぐれな免疫系に及ぼす影響は、今後長い間、完全に明らかになることはないだろう。このような状況下で新しいタイプのワクチンを接種するかどうかは、「身体的自律」の原則に基づいて、自分自身で、慎重に心積りしなければならないことなのだ。
何の心積もりもないふりをする---(どうせ)全員一緒、ワクチンは全員に対して同じように作用するのだ---ことは、ワクチンは緊急に承認されなければならなかったこと、専門家の間でも、ワクチン接種に有利な計算がすべての人にとって、特に子どもにとって意味を持つかどうか、厳しい意見が交わされてきたことからも誤りであることがわかる。さらに、人口のかなりの部分が、ウイルス全体に対する自然免疫を持っているのに、ワクチンで誘発されるのはスパイクタンパク質による免疫にすぎないという事実が、この計算を一筋縄ではゆかなくしている。
しかし、すべての人を画一的な解決策に詰め込むことは、まさに官僚的、技術的な国家が行うことだ。それが彼らの最も得意とするところ。国家にとって、あなたも私も、パンデミック集計上の数字に過ぎない。そうでないと考えるのは、子供じみた妄想だ。自分を単なる表計算ソフトの数字と考えることを拒否する人々、つまり身体的・認知的自律性の権利を主張する人々は、そんな振る舞いをするからといって、ナルシストとして、あるいは公衆衛生に対する脅威として扱われるべきではない。特に、ワクチンによってもたらされる免疫が非常に短命で、ワクチン自体が非常に漏出しやすく、自然免疫とワクチン誘発免疫の違い、あるいは潜在的対立について、まだほとんど理解されていない場合はそうであろう。
終わりのない緊急事態
それにもかかわらず、左翼の一部は、このようなことが何一つ事実でないかのように、あるいは議論の余地があるかのように振る舞っている。それどころか、これ見よがしにつるし上げ集団の一員となり、他人の身体ばかりでなく心も支配しようとする独善的な叫びを先導しているのだ。
こういった左翼は、公式の「医学的」共有理解に対する脅威として、怒り心頭、あらゆる議論を拒否する。科学はその性質上、論争は当然であり、(論争を通して)絶えず進化するという事実を否定して、意見の一致を主張、それを科学だと言い張る。彼らは、利益を追求するソーシャルメディア企業による検閲を支持する。沈黙させられている人が、たとえきちんとその業績が認められている専門家であってもそうだ。
口には出してはいないが、彼らが実際言っているのはこうだ:
「反対意見は社会秩序を脅かすものであり、反対意見を出せばワクチン接種をしない人間をますます増やすことになるだろう。」
私たち全員に、ファイザー社、モデルナ社、アストラゼネカ社の祭壇を崇拝しろ、と言っている。さもないと「反ワクチン派」異端者として非難される危険を冒すことになるだろう、と。この終わりのない緊急事態の時代には、いかなる中間地点も許されないのである。
これは倫理的に問題があるというだけではない。政治的にも破滅的な結果をもたらす。国家はすでに、個人としての私たちに対して強大な力を持っている。私たちは、互いに連帯する限りにおいてのみ、集団的な力を持つのだ。左翼が国家と共謀して、弱者や、黒人共同体と褐色人共同体(国家機関からは虐待的な対応をされたことが多い人々だ)、(身体的自律原則を大事にする)「嘆かわしい人々」に敵対するならば、私たちはわが身を分断し、社会の最も弱い部分をさらに弱体化させることになるのだ。
労働党の前指導者ジェレミー・コービン(Jeremy Corbyn)は、英国政府が最近行ったワクチン義務化の動きに公然と抵抗した数少ない左翼の一人であり、このことを理解していた。彼は、正しい道は説得であり、強制ではない、と主張した。これは正しい。
しかし、このような理性と思いやりの双方を備えた議論は、左翼の一部では風前の灯火だ。彼らは、パンデミックという例外的な時代に生きているという理由で、身体的・認知的自律性が侵害されてもやむを得ないと言う。そのような侵害は一時的なもので、ウイルスが根絶されるまでの間だけだと、自己満足的に主張する。このウイルスは今や風土病として、永久に私たちとともにあるのに。彼らは、ワクチン接種をためらう傾向に対処するための対価として、企業メディアにさらに大きな検閲の権限が与えられることに黙って同意するのである。事態が鎮静化すれば、反対意見を述べる権利はその時取り戻せるという前提が彼らにはある。
しかし、私たちの権利と自由がすでに前例のない攻撃を受けている状況で、いったん失ったものを回復することは簡単ではないだろう。ソーシャルメディアが、政治的・商業的に不都合な事実を述べたことであなたや私を公共の場から消し去ることができるようになれば、もう後戻りはできないだろう。例えば、ワクチン接種者も感染を広げる可能性があるという意見をtwitter社はすべて削除している。
左翼の政治的本能
しかし、左翼がワクチン未接種者に、どうしようもなく愚かに敵対し、身体的・認知的自律性の原則を侮蔑的に扱うのは、さらに別の理由がある:
そうすれば、
①黒人や褐色人種のコミュニティや「嘆かわしい人々」に対して、左翼はエリート主義者であり、
②連帯の話は中身がなく、
③私たちが享受する最も身近な自由(身体と心に対する)を守るために戦おうとするのは左翼ではなく右翼だけだ、
というメッセージを送ることになるからだ。
左翼は、①Covidワクチンの接種をためらう人々を罵倒するたびに、②主に低賃金労働者に対してワクチン接種義務化を要求する権威主義に共鳴するたびに、③議論の場に身を置かない、あるいは反対意見を述べることすら許さないことがあるたびに、政治的戦場を右翼に明け渡すことになる。
その行動を通して、声高な左翼は次のような右翼の主張を裏付けることになる:
①左翼の政治的本能はスターリン主義
②左翼は普通の人々の心配事に対して万能の国家権力で対抗する
③左翼は顔を持たない大衆しか目に入らない。大衆は群れとして扱い、官僚主義的に便利な解決策へと誘導する必要がある存在。いろいろなジレンマや信念で格闘している個人として人々は耳を傾けてもらう必要があるのだが、そんなことは眼中にない
事実はこうだ。ワクチンを支持するもよし、自らも接種するもよし、全員定期的にCovidワクチンを接種してほしいと切望するもよし。しかしそれでも、身体的および認知的自律性は極めて重要な原則であり、ワクチンよりもさらに重視されるべき原則だと考えることができる。たとえワクチン接種のチアリーダーであっても、ワクチン接種の義務化に反対するデモに参加してもよいのだ。
左翼の中には、この2つが全く相容れない立場であるかのように、あるいは偽善や悪意の証明であるかのように振舞う者がいる。しかし、この種の左翼が本当の正体を晒しているのは、政治的に複雑な方法で考えることができない彼ら自身であり、どんなに恐ろしい状況であっても、原則は応急処置よりも重要であり、社会をどう組織するかについての議論は、技術や「医学」よりも本質的に政治的なものであるということがわからなくなっている彼ら自身なのだ。
右翼は、パンデミックへの対応には、重大な政治的代償を払わない限り捨て去ることができない政治的計算があることを理解している。左翼の一部は、この点をあまりよく理解していない。左翼陣営の検閲志向、傲慢さ、どこか弱者いじめを感じさせる雰囲気(変転する「科学」に従っているという主張によってこれらはすべて見えなくされている)、こういった事柄があるから左翼が代表していると主張する人々は離れつつある。そう予想することは可能だ。
左翼は、身体的・認知的自律性の重要性を再び主張する必要がある。自らの足を撃つ(墓穴を掘る)のをやめる必要がある。
This essay first appeared on Jonathan Cook’s blog: https://www.jonathan-cook.net/blog/
Jonathan Cook won the Martha Gellhorn Special Prize for Journalism. His books include “Israel and the Clash of Civilisations: Iraq, Iran and the Plan to Remake the Middle East” (Pluto Press) and “Disappearing Palestine: Israel’s Experiments in Human Despair” (Zed Books). His website is www.jonathan-cook.net.
He is a frequent contributor to Global Research
The original source of this article is Global Research
Copyright © Jonathan Cook, Global Research, 2021
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