fc2ブログ

広島と長崎への原爆投下の悪魔的な本性

広島と長崎への原爆投下の悪魔的な本性

<記事原文 寺島先生推薦>

The Satanic Nature of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki


Global Research

エドワード・カーティン(Edward Curtin)

2021年8月6日

<記事原文 寺島メソッド翻訳グループ>

2021年12月20日




 広島・長崎への原爆投下から76年目を迎えました。このエドワード・カーティンの記事は、2018年にグローバルリサーチが発表したものです。

 「エイハブは永遠にエイハブだよ。 この全ての行為は不変的に決定されている。 この大海原が広がる何億年も前に、お前と私によってリハーサルが行われている。 愚か者め! 私は運命の副官だ。私は 命令に基づいて行動しているのだ。」 - ハーマン・メルヴィル『白鯨』

 最大の悪は、今ではディケンズが好んで描いたようなあの薄汚い「犯罪の巣窟」では行われていない。….最大の悪が着想され、命ぜられる(動議が提出され、賛成意見が出され、可決され、議事録が作成される)のは、清潔で、カーペットが敷かれ、暖かく、明るいオフィスで、白いカラーをつけ、爪もきちんと切られ、頬には無精ひげなど生やしていない、自分からは声を張り上げる必要のない物静かな男たちによってだ。- C.S.ルイス(Lewis)、著者序文、1962年、『ねじまきの手紙』より

 アメリカの歴史は、正確には「悪魔の憑依の物語」(どんな風に理解しようと自由だ)としか言いようがない。たぶん 根本「悪」と言えば十分なのだろう。 つまり、アメリカの植民者たちは、最初から大規模な殺戮を行っていた。なぜなら、彼らは自分たちが神に祝福され、神に導かれた、選ばれた人間だと考えていたからだ。その使命は後に「自明の宿命説」*と呼ばれるようになった。 この神聖な使命を妨げるものは何もない。それを達成するためには、何百万人もの罪のない人々を奴隷にし、殺す必要があるという今日まで続いている考え方も含まれていた。 アメリカの神が命じた帝国の行進の邪魔になる「他者」は、常に犠牲にされてきた。これには、嘘と偽旗作戦に基づいて行われたすべての戦争が含まれる。これは秘密でもなんでもない。もっともほとんどのアメリカ人は、たとえ自覚しているにしても、「悪いリンゴ」が行った一連の異常な出来事と見なしたがる。 あるいは何か過去の出来事として。 

自明の宿ち命説」*・・・(19世紀アメリカの)入植者には、西部を開拓して領土を拡張する使命が与えられていると、当時広く信じられていた。(英辞郎)

 アメリカの最高の作家や予言者たちはこの真実を私たちに告げてきた。ソロー、トウェイン、ウィリアム・ジェームズ、MLK(Martin Luther King Jr)、ダニエル・ベリガン神父など、だ。私たちの国アメリカは罪のない人々を殺す国だ。私たちには良心がない。 私たちは残忍だ。 私たちは邪悪な勢力の手の内にある。

 イギリスの作家D・H・ロレンスは1923年に、そのことを完璧に言ってのけている。

 「アメリカ人の魂は硬質で、他を寄せつけず、禁欲的。そして人殺し。その殻が溶解したことはまだ一度もない。」

 今もそうだ。


 1945年8月6日と9日、米国は広島と長崎の原爆で20-30万人の罪のない日本の民間人を殺した。彼らは意図的にそれを行ったのである。 それは忌むべき国家テロ行為だった。使用した兵器の性質上、前例のないものであった。が、大量殺戮について言えば、この程度のものは前例がないわけではない。広島と長崎への原爆投下に先立って行われたアメリカの日本都市へのテロ爆撃---悪名高いカーチス・ルメイ(Curtis LeMay)少将(上の写真)が主導---も、意図的に日本の民間人を狙い、何十万人もの民間人を殺害した。
 
 ピカソの「ゲルニカ」の隣に、火炎弾で破壊された東京を描いたアメリカ人画家の絵はないのだろうか。ゲルニカでの死者数は800から1,600人と推定されている。 東京は一都市で10万人以上が、クラスター爆弾やナパーム弾で焼き殺された。 これらの殺害はすべて意図的なものであった。繰り返すが、意図的なものである。 それは根本悪ではないか? 悪魔的? 日本でこのような爆撃を免れたのは、5つの都市だけである。

 広島・長崎への原爆投下は意図的なホロコーストであった。戦争を終結させるためではない。歴史的記録が十分に示しているように、アメリカは日本の住民にしたことを、ソ連にもできるというメッセージを送るためであった。 トルーマン大統領は、1945年5月の日本の降伏の意思を受け入れがたいものにした。彼と国務長官ジェームズ・バーンズは、ソ連にメッセージを送るために2つの原爆を--バーンズの言葉を借りれば「結果を示すためにできるだけ早く」--使いたかったのである。 だから、「良い戦争」は、太平洋で終結した。「良い人」は日本の民間人に焦点を定め、何十万人も殺した。それ以来、日本人はずっと悪者扱いされているのである。  ロシア恐怖症は、何も今始まったことではない。

READ MORE: Denying the Demonic

 悪魔が常にもうひとつの顔を持つ。

 団塊の世代に属する多くの人は、「原爆とともに育った」と言いたがる。 彼らは幸運だ。彼らは成長した。恐怖を経験した。机の下に隠れて、原爆のことを懐かしんだ。 認識票の記憶があるだろうか? あの1950年代と1960年代はどうだろう? あの恐怖映画のことは?



広島への原爆投下後の三菱製鋼所工場(爆心地から約1.1㎞内の街並み。
歩道で治療を待つ負傷した民間人(写真: パブリックドメイン)


 1945年8月6日と9日に私たちの国アメリカが落とした原爆で亡くなった広島と長崎の子どもたちは、大人になることがなかった。 彼らは隠れることができなかった。 ただ沈んでいった。正確には、私たちが彼らを沈み込ませたのだ。あるいは、何十年も苦痛に燻(くすぶ)されたままにされ、そして死んだ。さらに言わせてもらえば、アメリカ人の命を救うために原爆は必要だったというのは嘘だ。何かと言えば、「アメリカ人の命」を口にする。まるでこの国の所有者たちが実際にアメリカ人の命を気にかけているかのようだ。いいだろうか、優しい心と純真な精神を持った人間にとって、その言葉は魔法の呪文になってしまう。 まったくやりきれない!

 Fat Man(広島に投下された原爆), Little Boy(長崎に投下された原爆)--- この2つの言葉は、1950年代に育ち、自国の悪魔的な本質について少年少女のように無邪気に考えている今やでっぷりと太ったアメリカ人に、この年月、どんな響き方をしているのか。自分たちは無実--- 結構!昔は昔、今は違う、というわけだ。

 「わがアメリカは、善良な国であるがゆえに、偉大だ」とはヒラリー・クリントンの言葉だ。

 リビア人たちはその証人になれる。 私たちは例外的で、特別な存在なのだ。 次の選挙では「かぼちゃ頭彫刻予想」*を覆し、アメリカに「基本的価値観」を取り戻すことになるだろう。

「かぼちゃ頭彫刻予想」*・・・プロのかぼちゃ彫刻師のマイク・ヴァラドー(Mike Valladao)があるテレビ番組で、オバマの頭部をかぼちゃで彫り上げ、オバマの地滑り的大統領当選を予想した。

https://www.ocregister.com/2008/10/26/obama-wins-pumpkin-election-by-a-landslide/


 皮肉な見方と思われるかもしれない。 しかし、真の悪を理解することは、子供の遊びではない。 幻想を必要とする多くのアメリカ人には理解できないようだが、 悪は実在する。 アメリカの歴史の野蛮さを理解するには、その悪魔的な本質を見ないわけにはゆかない。 この期に及んで、自分たちは神に祝福された善良な人間であるという妄想に取り付かれている私たちを、他のやり方でどうやって救済するのだろうか。

 しかし、平均的なアメリカ人は無邪気に振る舞っている。 自分を奮い立たせ、次の選挙でアメリカは正しい道に「復帰」するのだと考えようとしている。 もちろん、正しい道など、どこにも存在したことはない。「強い」が「正しい」のであるなら、話は別だ。アメリカの支配者たちはいつもそんなことをしてきたのではあるが。今日、トランプは多くの人々から異常な存在と見られている。 彼をそんな風に見るのはお門違いだ。彼はマーク・トウェインの短編小説からそのまま出てきたような人物だ。彼はヴォードヴィル(寄席芸人)だ。彼はメルヴィルの小説通りの『詐欺師』だ。 彼は私たちなのだ。彼から目が離せないような人たちは、もしアメリカを所有し、動かしている人間たちが彼の退場を望んだら、彼は一瞬で退場してしまうと考えたことはないのだろうか。 彼はツイートする、それも馬鹿げた内容のツイートを送信しても平気だ。延々とメッセージを送り、翌日には矛盾した内容になっていることもある。しかし彼が超富裕層を守り、イスラエルの支配を受け入れ、CIA・軍産複合体に世界規模の殺戮と国庫の略奪を許す限り、彼は国民を楽しませ興奮させること---疑似討論で彼らを熱狂させることが許されるだろう。 そして、それを、より娯楽性のあるものにするために、彼は「まともな」野党民主党に反対されるだろう。彼らの意図は、「暗殺者の微笑み」のように穏やかだ。(訳注:つまり、本心とはかけ離れた病的な、仮面的な、微笑み)

 過去のアメリカ大統領(「誰かの命令に従うだけ」の、船首に取り付けられた木彫の飾り物のような「傀儡」大統領)を、できる限り過去にさかのぼって振り返ってみよう。小説『白鯨』に出てくるエイハブ(Ahab)船長は、似てはいるが、誰かの命令ではなく自分の抑えきれない欲望のまま「邪悪な」巨大白鯨を殺そうとした。で、何が見えてくるだろう? 見えてくるのは、禍々しい権力に支配された卑屈な人殺し。磨き上げられた顔をしたハイエナたち。安っぽい厚紙の仮面。 ひとつ例外があった。一人の大統領は良心に従う勇気を持ち、大統領職が持つ主任殺人者の役割である「悪魔との協定」(悪事)を拒否した。その結果、彼、JFKは公衆の面前で頭を吹き飛ばされたのである。 悪の帝国は血を流すことで繁栄し、悪魔的なメッセージをいろいろ流布することによってその意志を執行する。 抵抗すれば、街路に血が流れ、線路に血が流れ、あなたの顔に血がつくだろう。

 それでも、ケネディ大統領の証言、つまり冷たい戦士から平和の使徒への転身は、この暗い時代に一筋の希望の光を与え続けている。ジェームズ・ダグラス(James Douglass)が『JFK and the Unspeakable』という名著で語っているように、ケネディ大統領は1962年5月、完全な軍縮を求めてホワイト・ハウスの外でデモを行っていたクエーカー教徒のグループとの会談に同意する。 彼らはケネディに軍縮へ進むよう促した。 ケネディは彼らの立場に同情的であった。 彼は、トップダウンで簡単にできればいいのだが、と言った。しかし国防総省などから、決してそうはしないようにと圧力を受けているとも言った。彼はソ連との「平和競争」を促す演説はしていたのだが。クエーカー教徒には、「それには国民のみなさんからの声が上がってくる必要があります」と言った。 クエーカー教徒によると、JFKは彼らの指摘に熱心に耳を傾け、帰る前に笑顔でこう言ったという:
 「みなさんは贖罪を信じているのでしょう?」

 やがてケネディは、世界が滅亡の危機に瀕したキューバ・ミサイル危機で根底から揺さぶられ、狂気の軍事顧問と「諜報部」顧問が核戦争を起こすように促したのである。 それから間もなく、彼は彼らの激しい反対にもかかわらず、トップダウンで平和への鋭い舵を切った。翌年、この劇的な舵は、彼の殉教につながった。 そして、彼はそうなることを知っていた。 そうなることを知っていたのだ。

 だから、希望はすべて失われてはいるわけではない。 JFKのような偉大な魂が私たちを鼓舞している。その後に続く偉大な魂があちらこちらで光を放っている。しかし、未来を変える希望を持つ糸口としては、まず悪魔のような過去(そして現在)との対決が必要であり、その意味するところを考えると身震いするような恐ろしいほど暗い真実に降りていく必要がある。 偽りの無邪気さは捨てなければならない。 ルイスによって書かれた(Carl Jung) は、『無意識の心理学について』の中で、このことを次のような言葉で述べている:

 人間は人間に対する影の部分もある、と言われるとぎくりとする。それはほんのちょっとした弱点や欠点だけではない。はっきりと陽画として表に出る悪魔のようなダイナミズムもある。人間が個人として、このことを知ることはまずない。人間は、個人として、どんな状況であっても自分を超え出ることは信じられないのだ。しかし、これらの、単独では無害な生き物が、塊になると、そこには荒れ狂う怪物が出現する。そして、各個人はこの怪物の体の中の一つの小さな細胞に過ぎないので、良くも悪くも、その血まみれの立ち回りに巻き込まれ、最大限にそれを支援する役回りさえ果たすことになる。ひょっとしたらこんなゾッとするようなこともあるかもしれない、という疑いを心の奥底で抱きながら、人間は人間性の影の部分に目をつぶる。原罪という有益な教義に目を固く閉じて抵抗しようとする。原罪という考え方の正しさは、どう考えても疑いようがないものだ。そう、人間は自分が身に染みて分かっている葛藤さえ認めたがらない。

 これほど多くの罪のない人々を故意に殺戮する人間を、どう表現したらいいのだろう。 アメリカの歴史は、今日に至るまでそのような例で溢れている。 イラク、アフガニスタン、リビア、シリア、などなど。--- 数え上げればきりがない。 国を所有し、運営する男女によって行われる野蛮な戦争は、普通の人々の魂を買い、悪魔との協定に参加させ、彼らの継続的な邪悪な行為を黙認させようとするものだ。 このような怪物のような悪は、1945年8月6日と9日ほど明白になったことはない。

  広島と長崎への原爆投下によって世界に放たれた悪について深く考えなければ、私たちは逃げ場のない生き地獄に迷い込むことになる。 そして、私たちは代償を払うことになる。 報復の女神ネメシスは常に報復を要求する。 私たちは、罪のない人たちを子どもの遊びのように殺す人たちによる支配を次第に受け入れ、どうせ真実には耐えられないと、無邪気で良い子のふりをしてきた。 「実際、地獄への最も安全な道は、なだらかな道だ。傾斜がなだらかで、足元が軟弱だ。急な曲がり角も、里程標も、道しるべ、もない」と悪魔のスクリューテープ*(Screwtape)は、甥で修行中の悪魔であるワームウッド*(Wormwood)に、語っている。 それは私たちが歩んできた道だ。

スクリューテープ*・・・『悪魔の手紙』とその続編の短編小説 『悪魔の手紙』に架空の悪魔として登場する。どちらもキリスト教の作家C.S.ルイスによって書かれた『スクリューテープ』は、ジェームズ・フォーサイスによる手紙の舞台版のタイトルでもある。 (ウィキペディア)

  自分の邪悪さを他人に投影しようとしても長くは続かない  私たちは自分の影を取り戻し、他人への投影を取りやめなければならない。 世界の運命は、まさにそれにかかっている。

*

Edward Curtin is a writer whose work has appeared widely. He is a frequent contributor to Global Research. He teaches sociology at Massachusetts College of Liberal Arts. His website is http://edwardcurtin.com/.

The original source of this article is Global Research

Copyright © Edward Curtin, Global Research, 2021

Related Articles

Don’t Give Up on the Blessings of Freedom. “Give Peace a Chance” John Lennon

Nov 23, 2021

World War III: The Global War on Health and Freedom

Nov 20, 2021

A Bold Exposure. Review of Edward Curtin’s “Seeking Truth in A Country of Lies

Nov 16, 2021

The Poison Peddlers: Doping the World for Fun and Profit


Oct 28, 2021

Our Future vs. Neoliberalism


Oct 20, 2021

La prima sentenza a favore degli OSS contro gli illegittimi licenziamenti dei datori privati.

Oct 8, 2021

Related Articles from our Archives

Selected Articles: Hiroshima and Nagasaki6 August 2018

Selected Articles: Commemoration of Hiroshima and Nagasaki5 August 2017

"To Hell and Back": Hiroshima, Nagasaki and America's "Nuclear Denial"17 December 0201

 

関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

tmmethod

Author:tmmethod
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
最新記事
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
最新コメント