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「デジタル・バスティーユ牢獄」における「プライバシー富裕層」対「プライバシー貧困層」_世界経済フォーラム(WEF)の舵取りで「プライバシーは死滅」



<記事原文 寺島先生推薦>

Privacy Poor” vs. “Privacy Rich” in a “Digital Bastille”. The “Death of Privacy” under the Helm of the World Economic Forum (WEF)


By Prof. Bill Willers

January 26,2021

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2021年3月10日



 「プライバシーをめぐる市民の懸念は・・・ 思考の調整が必要になる」。「2016世界経済フォーラム(WEF)」において、クラウス・シュワブは世界の未来を決定づける役割をWEF(スイスに本部を置き、政治力と巨額の富で有名な「エリートたち」のNGO)の使命とした。毎年、スイスの小さな山間の町ダボスにメンバーが集まるのが恒例になっているこのグループには、頼まれもしない力を振りかざすことから「ダボスの群れ」という言い方が冷笑的に使われることも多い。世界の人々は、一日たりとも怠ることなく、目を見開き、WEFの語る「プロジェクトと構想の数々」の社会変革が民衆の監視から遠く離れたところで進行しており、実現しつつあることを見逃すべきではない。

 2017年のフォーラムで行われたセッションでは、グローバル社会はプライバシーが「贅沢品」となり、「プライバシー富裕層」と「プライバシー貧困層」に完全に分断されるような環境に向かっているのではないか、という問題がテーマとなった。しかしその後、それはまだ実際意味のある問題なのだろうか、という疑問の声が上がった。デジタル時代に育った人たちは、昔の人たちほどプライバシーを気にしていないように見える。その基本的な行動において、人類はデジタル世界が提供するより大きな利便性とプライバシーを交換しようとする意志を示しており、それはプライバシーをどれほど切実に望んでも、辿り着く先は、結局その消滅(一部の人にとってはゾッとすることだが)ということになるのかもしれない。

 司会者によって提案されたこのセッションの鍵となる問題は、十分に検討されることはなく、実際は慎重に回避されたようだった:プライバシーが完全に消滅し、もはや熟慮の対象にもならなくなる時、厳密に言って何が失われることになるのか?この問題に対してはっきりとした解答を避けたのは、その場にいた人たちが、プライバシーの消滅という避けられない結果が分かっていたからである。そのようなシナリオでは、政府権力は必ず絶対的なものとなり、政府の行き過ぎた行為は、たとえどんなに理不尽なものであっても、それに対する「デジタル市民」の抗議は、すぐに発見され、無力化されてしまうだろうからである。ダボス会議の討論参加者たちがこの事実を公然と認めるということは、自分たち自身の存在基盤を正当化できなくなるのだ。

The Davos Reset 2021 Agenda of the World Economic Forum. A New Phase of Economic and Social Destruction?

 政府には、さまざまな利権がある。とりわけ自分たちの権力の保護と拡張がそれだ。これは市民の利害と必然的に相反する。プライバシーの最後の炎が消されたデジタルの世界では、「各世代が周期的に必要な革命を起こす能力を持つ社会」というトーマス・ジェファーソンのビジョンなどはお笑いぐさになってしまうだろう。不満を言っても無駄だ。政府による市民に対する権力侵害行為を押しとどめるもの何もなくなれば、「民主主義」や「人民による、人民のための政府」というのは、文字通り中身の空っぽな嘘ということになる。根っこから腐ったメディアがのべつ幕なしに繰り返すから、(それらの言葉は)首の皮一枚で生き残っているのだろう。そんな光景はすでに嫌と言うほど見てきた。

 *トマス・ペインや*ベンジャミン・フランクリンのような人物は リセットされたデジタル環境の中では手も足も出なくなるだろう。異質な気配が少しでもあれば、アルゴリズムによってそれは即座に察知される。反対意見を抑制するために、当局は、まず工作員を派遣して、「認知的浸透」によって異端者を再教育するかもしれない。「認知的浸透」とはハーバード大学の法曹界の怪物キャス・サンスタインとエイドリアン・バーミュールが提案したものだ。[傍注:サンスタインは最近、世界保健機関(WHO)から指名されて大衆の中の「ワクチンへの躊躇」を克服するプログラムを開発することになった]そして、非暴力的な認知的浸透が十分機能しない場合、当局は順応できない人に対して他のどんな対処の仕方をするのだろうか?

*トマス・ペイン(1737-1809):イギリス出身のアメリカ合衆国の哲学者、政治思想家、政治理論家、革命思想家。政治的パンフレット『コモン・センス』の筆者

*ベンジャミン・フランクリン(1706-1790):アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。


 1968年西側では最も偉大な歴史家の二人が『歴史の教訓』という小さな研究書を発刊した。この中で二人は次のような結論を出している:

 「富の集中は自然で必然であり、暴力的または平和的な部分的再分配によって定期的に緩和される。この見解において、すべての経済の歴史は、社会組織のゆっくりとした鼓動であり、富の集中と強制的な再分配の規模の大きな収縮期と拡張期の繰り返しということになる。」

 しかし、この二人の慧眼はもはや意味をなさないことになる。なぜなら、デジタル世界は、そこで言われているのは、「すべてを変える」ということだし、それは歴史的なパターンも変えるからだ。かつては、腐敗した権力に反抗する魂が、独裁主義者たちに気づかれることなく反乱を起こすことが可能だった。しかし、デジタル世界は、ひとつの巨大な傾聴装置と化しており、その性能は常に磨き上げられ、(対象とする)範囲を広げている。より安全な社会を求め自国を離れようとしても、そんなことは今では無意味だ。もはや安全な「逃げ場」などどこにもないからだ。

 「モバイル・デバイス」は家に置いて、田舎を散歩し、他の不平分子とひそひそ話で戦略を練ることはいつでも可能だと思うかもしれない。しかし、目に見えない壁は(私たちの生息空間を)どんどん狭めており、現在計画されている電子通貨システムが、クレジットカードとチップを介して生活必需品を手に入れる唯一の手段となれば(政府は物理的な貨幣の生産を完全にやめるだけでよい)、それで一件落着。電子的にカードを無効化し、口座を凍結するだけで、潜在的な反体制派は、即、お手上げ状態になってしまう。このような状態下――WEFの戦略家たちの操作で現在そうなりつつある状態下――において、私たちは一人残らず、目に見えない、嵐が来てもびくともしない電子バスティーユ牢獄に閉じ込められていることに気づくことになるだろう。

 

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