アメリカ反戦運動の伝統はいずこに?
原題(America's self-satisfied 'Me Generation' has abandoned the anti-war movement)
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2018..4..2

(多くのベトナム帰還兵が戦争に反対してここ国会議事堂の周りを行進する。ベトナム戦争に反対する1週間に及ぶデモの一部として`Bettmann/ Getty Imges)
かつての戦争で、アメリカ人は、海外の軍事行動に反対する大規模な抗議運動を繰り広げた。それはベトナム戦争を終結させる役割を果たした。ところが今日では、異議申し立ての精神はアメリカ国民から消え失せ、もっぱら個人的な問題に取り込まれている。
2018年最初の数ヶ月は、アメリカの抗議運動が健在であることを示した。1月、何百万人という女性達が、ハリウッド仕込みの「ミー・トゥ運動」に刺激され、街頭に繰り出した。それはトランプ政権初年度のホワイトハウス騒動や、女性性差別への不満を表明するためであった。
3月、更なる抗議運動がアメリカを揺るがした。フロリダのパークランド高校で銃乱射事件が起こり17名の死者を出した。そしてそれへの抗議とさらに厳格な銃規制を求めて、何千人もの人々がワシントンに集結した。アメリカでは気が重くなるほど頻繁に銃乱射が起こっていることを踏まえると、そういった運動に疑義を唱えるのは正しくないだろう。しかし、罪もないアメリカ人が、どこか狂った人間によって射殺される光景がどんなに悲劇的に見えようと、それはアメリカ国外で殺されている死者の多さとは比べものにならない。しかもそれはアメリカの軍事侵略の直接的な結果として起こっていることであるし、大半はアメリカの違法性が明白なのだ。

(さらに読む)「何千人という人々が、命のための銃規制集会・行進で街頭に出る。写真とビデオ」)https://www.rt.com/usa/422220-gun-march-for-our-lives-/
それで、イラク、リビヤ、今はシリアで、違法な体制転覆作戦が、罪のない人たちの命を組織的に奪っていた時、抗議運動はどこにあったのだろう?
オバマが血にまみれの大統領職の末期に、膨大な量の弾薬を多くの国々、それもすべてイスラム世界に投下していた時に、「ワシントン行進」はどこにあったのだろう?
「オバマ大統領職最後の年に、アメリカは26,172発の爆弾を7カ国に投下した。その大半の24,287発はイラクとシリアに投下された」と、外交問題評議会のミカ・ゼンコーは書いている。
どれだけ多くの罪もない人々(男性、女性そして子ども達)が、傲慢な好戦的態度によって暴力的に、幼くして命を失うことになったのか、私たちとしては知るよしもないし、アメリカ国民の多くは、指導者たちにその疑問をぶつけることもなかった。
外国で外国人が膨大な死と破壊を被っているのに、非常に多くのアメリカ人が無関心であることは、どんなに反戦意識があるのだとうわべをとり繕っても意味がない。民主党も共和党もいろいろな意図や目的を標榜しながら、こと戦争となると本質的に考え方に相違はない(要するに戦争は完全に肯定的な出来事だと見なされる。ただし、アメリカ人の死人の数が少ない限りにおいてだが)。実際、「リベラル」も共和党内諸派閥もこの「一匹狼」のドナルド・トランプを見下している。その理由というのも、トランプ氏は自分の個人的な資産があり、外部からの寄付(つまり賄賂)を使わず大統領選挙費用を賄えたため、海外での様々な軍事的関わりに終止符を打ち、軍産複合体への膨大な血にまみれた金の流入を奪われると恐れたからだ。
この言い方に疑いを挟むのであれば、トランプ氏がトマホークミサイル攻撃をシリアのシャイラート空軍基地に2017年4月7日に行ったあと、リベラルなメディアが突如むかつくほど豹変してトランプの最高の友人になった流れをじっくり考えたらいい。
CNNと言えばトランプ大統領にとって最悪のテレビ局であるが、そのCNNテレビ局の政治解説者ファリード・ザカリアが、主権国家に対するあの違法なミサイル発射の噴射を見て、夢中になっていたのだ。
「ドナルド・トランプが本当にアメリカ合衆国大統領になったのはやっと昨夜のことだ。ほんとうにすばらしい瞬間だったと思う」とザカリアは、主戦論者としての自分にブレーキをかけることも忘れて、夢中になっていた。
MSNBCのアンカーマンであるブライアン・ウィリアムズも負けじとばかり、軍部に精一杯の声援を送りながら、実際このミサイル攻撃の映像を「美しい」と大声で言い放ったのだ。
「私たちが目にしている昨夜のこの美しい映像は、東地中海に浮かぶ二隻の米海軍軍艦の甲板からのものだ。あの偉大だったレオナルド・コーエンの言葉を引用したい気持ちに駆られる。彼の言葉はこうです。『わが国の武器の美しさが私の導き手だ』。そしてそれはすさまじい威力を持った武器が、敵の空域に向かい短距離飛行している美しい映像なのだ」とブライアン・ウィリアムズは言った。
この病的独白の最後になって初めてウィリアム氏はやっと次の問いかけをした。「どこを狙ったのだ?」と。えー!たぶん学校だったか、病院なのかだろう。明らかにこの好戦派ジャーナリストにとってそんな疑問は二の次だったのだ。この「美しさ」からはほど遠い、醜いこと極まりない形容矛盾は、いつも私の心から離れない。
「美しい」ミサイル発射が行われるたびに、こういった追従報道や分析があふれているのだから、アメリカの反戦運動がどこにも見られないことは驚くにあたらないことなのか。
本当に比較してみたくなるのは、今日の無気力、無関心状態と、あのざわめくベトナム戦争時代だ。当時は街頭も、さらに重要なのは大学も、政権に対する歴史的対決の光景が見られた。その抗議運動の山場は1970年5月4日だった。ケント州立大学の学生達が反戦集会の最中に、オハイオ州州兵の発砲を受けたのだ。この混乱の中で4人の学生が死亡、9人が負傷した。ついには全米で何百という大学がこの運動に参加し、暴力的、非暴力的抗議運動が400万人以上の学生達を巻き込んで展開されたのだ。

(「ミ・ライ大虐殺:その日、米軍は村人を虐殺し、それを隠蔽しようとした<生ビデオ>」a.rt.com/918y 9:48 PM-Mar 18,2018)
あの熱烈な反戦の精神は、アメリカ国内の高等教育機関でよく見られたが、現在の大学の悲しい現状と比較してみよう。今日、学生達は実際に暴力的な抗議活動として登場している。誰か問題の講演者が、自分達が気に入らない話をしに大学に来る時は常にそうだ。今日の大学では健全な論議や議論に対して、このような毛嫌いが広がっている。そんな現実を前にすると、大学が反戦意識の源泉になることを想像することなどほぼ不可能に近い。
同時に無気力感も広がっている。2003年のアメリカ軍が主導したイラク攻撃の直後は特にそうだった。大規模な戦争反対抗議行動があったにもかかわらず、人々は本当に何の変化も起こせず無力感に陥った。
トム・エンゲルハードの言葉:「欠けているのは、政府と繋がっているという感覚であり、『私たちの政府』、言い換えれば国民が第一、という感覚だ。その代わり、国家安全保障や戦争製造システムについては自分達の手の届かないところにあると思って、底知れない悲観主義と不信感が蔓延している。なのに、自分が変えられないものに抗議行動を起こすなんて考えられるのだろか?」
否定しようもないことだが、こういった冒険的な軍事行動に大半の者が無関心でいるのは、戦争が今までにない性質を帯びてきたことに原因がありえる。例えば、ベトナム戦争時代、戦闘の大半は地上戦だった。ジャングルでも行われた。そして今日よりはるかに多くのアメリカ軍兵士が死んだ。同時に徴兵があり、何千人もの新兵が国民から徴用される恐れがあった。言い換えれば、多くのアメリカ人が本当の脅威や本当の理由を持ってベトナム戦争に抗議したのだ。ベトナム人と同様、自分達の命も危機にさらされていたからだ。
この悲劇は皮肉としか言いようがないのだが、今日数多くのマスコミやソーシャルメディアが身近にあるので、入手できる情報量は以前よりも増えている。だが、明らかになってきているのは情報アクセス能力はあっても、「権力者」が自分達の行動の責任を問われる可能性が出てきても、必ずしも正しい情報へのアクセスは実現しないのだ。実際、今日大半の人々、特に若者は情報過多になっていて、軍隊が海外で何をしているかについて関心を持つことはほとんどないようだ。結局、フェイスブックの投稿チェック、自撮り、ツイート発信などで手一杯になる。そして、なんだかんだ言っても戦争は外国の人たちに起こっていること、おそらく一部のテロリストがやっていることであり、おそらく彼らは彼らにふさわしい報いを受けることになるのだ、と。結局、アメリカは「特別な国」であり、帝国主義者の意図で罪もない人たちを攻撃することなど絶対ない、とでも思っているのかい?
(翻訳:大手山茂、新見明)
<記事原文>
https://www.rt.com/op-ed/422967-anti-war-protest-us-vietnam/
<新見コメント> ーーーーーーーーーーー
この記事は寺島隆吉先生が推薦してくださり、それを大手山が翻訳し、私が修正していきました。この記事を私が最初読んだとき、その重要性があまりわからなかったのですが、翻訳を繰り返していくうちに、著者の意図がじわりじわりと伝わってきました。
まずトランプが選挙公約でイスラム諸国での戦争を止め、ロシアとも協調していくとした理由が、トランプが自分の資金で選挙運動ができ、軍産複合体の資金に頼る必要がなかったからだというのは納得できる説明でした。逆にヒラリー・クリントンがネオコン・軍産複合体にべったりなのは、彼らの資金源が軍産複合体であるからということがはっきりします。
次に本記事の主題であるなぜ反戦運動が起こらないかということです。アメリカではベトナム戦争時代は徴兵制で自分たちも死の危険性に直面していたこと、そして戦場は地上戦が中心で遙かに多くの死者が出ていた。今はミサイル攻撃などで死者の顔が写らないようにしている。そして徴兵制でなく志願制だった。豊かであれば誰も人殺しなどしに行きたくない。だから経済格差を必要としているのだろう。そして多くはme-generationとして私事にかまけている。これでどうして反戦運動が起こりえようか、と筆者の痛切な嘆きが聞こえてきます。
これは日本でも同じだ。敗戦の戦争体験が生きていたころは、日米安保反対闘争(国の自立への闘い)、ベトナム反戦運動などが盛んに行われていた。ところが戦争体験が薄れてくる頃、嫌韓・嫌朝鮮・嫌中国の勢いが増し、集団的自衛権容認のように戦争への拒否感が薄れてきている。若者の方が改憲に賛成する者が多いのは、アメリカのme-generationの登場と同じ現象だ。
アメリカでシリア・ミサイル攻撃に追従報道が多いように、日本の報道も欧米報道の受け売りで、真実を伝えていない。北朝鮮情報もシリア情報もフェイク・ニュースであふれている。今こそ正しい情報を発信して、正確な判断ができるようにする必要がある。この翻訳サイトもその一助となる取り組みにをしていかねばならない。
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2018..4..2
![]() | ロバート・ブリッジはアメリカの作家・ジャーナリストで、2013年に出版された『アメリカ帝国の暗黒』の著者。robertvbridge@yahoo.com |

(多くのベトナム帰還兵が戦争に反対してここ国会議事堂の周りを行進する。ベトナム戦争に反対する1週間に及ぶデモの一部として`Bettmann/ Getty Imges)
かつての戦争で、アメリカ人は、海外の軍事行動に反対する大規模な抗議運動を繰り広げた。それはベトナム戦争を終結させる役割を果たした。ところが今日では、異議申し立ての精神はアメリカ国民から消え失せ、もっぱら個人的な問題に取り込まれている。
2018年最初の数ヶ月は、アメリカの抗議運動が健在であることを示した。1月、何百万人という女性達が、ハリウッド仕込みの「ミー・トゥ運動」に刺激され、街頭に繰り出した。それはトランプ政権初年度のホワイトハウス騒動や、女性性差別への不満を表明するためであった。
3月、更なる抗議運動がアメリカを揺るがした。フロリダのパークランド高校で銃乱射事件が起こり17名の死者を出した。そしてそれへの抗議とさらに厳格な銃規制を求めて、何千人もの人々がワシントンに集結した。アメリカでは気が重くなるほど頻繁に銃乱射が起こっていることを踏まえると、そういった運動に疑義を唱えるのは正しくないだろう。しかし、罪もないアメリカ人が、どこか狂った人間によって射殺される光景がどんなに悲劇的に見えようと、それはアメリカ国外で殺されている死者の多さとは比べものにならない。しかもそれはアメリカの軍事侵略の直接的な結果として起こっていることであるし、大半はアメリカの違法性が明白なのだ。

それで、イラク、リビヤ、今はシリアで、違法な体制転覆作戦が、罪のない人たちの命を組織的に奪っていた時、抗議運動はどこにあったのだろう?
オバマが血にまみれの大統領職の末期に、膨大な量の弾薬を多くの国々、それもすべてイスラム世界に投下していた時に、「ワシントン行進」はどこにあったのだろう?
「オバマ大統領職最後の年に、アメリカは26,172発の爆弾を7カ国に投下した。その大半の24,287発はイラクとシリアに投下された」と、外交問題評議会のミカ・ゼンコーは書いている。
どれだけ多くの罪もない人々(男性、女性そして子ども達)が、傲慢な好戦的態度によって暴力的に、幼くして命を失うことになったのか、私たちとしては知るよしもないし、アメリカ国民の多くは、指導者たちにその疑問をぶつけることもなかった。
外国で外国人が膨大な死と破壊を被っているのに、非常に多くのアメリカ人が無関心であることは、どんなに反戦意識があるのだとうわべをとり繕っても意味がない。民主党も共和党もいろいろな意図や目的を標榜しながら、こと戦争となると本質的に考え方に相違はない(要するに戦争は完全に肯定的な出来事だと見なされる。ただし、アメリカ人の死人の数が少ない限りにおいてだが)。実際、「リベラル」も共和党内諸派閥もこの「一匹狼」のドナルド・トランプを見下している。その理由というのも、トランプ氏は自分の個人的な資産があり、外部からの寄付(つまり賄賂)を使わず大統領選挙費用を賄えたため、海外での様々な軍事的関わりに終止符を打ち、軍産複合体への膨大な血にまみれた金の流入を奪われると恐れたからだ。
![]() | (さらに読む)「アフガニスタンの蜂起が増大し、トランプは完全にネオコンに屈服した」https://www.rt.com/op-ed/400658-afghanistan-surge-trump-us/ |
この言い方に疑いを挟むのであれば、トランプ氏がトマホークミサイル攻撃をシリアのシャイラート空軍基地に2017年4月7日に行ったあと、リベラルなメディアが突如むかつくほど豹変してトランプの最高の友人になった流れをじっくり考えたらいい。
CNNと言えばトランプ大統領にとって最悪のテレビ局であるが、そのCNNテレビ局の政治解説者ファリード・ザカリアが、主権国家に対するあの違法なミサイル発射の噴射を見て、夢中になっていたのだ。
「ドナルド・トランプが本当にアメリカ合衆国大統領になったのはやっと昨夜のことだ。ほんとうにすばらしい瞬間だったと思う」とザカリアは、主戦論者としての自分にブレーキをかけることも忘れて、夢中になっていた。
MSNBCのアンカーマンであるブライアン・ウィリアムズも負けじとばかり、軍部に精一杯の声援を送りながら、実際このミサイル攻撃の映像を「美しい」と大声で言い放ったのだ。
「私たちが目にしている昨夜のこの美しい映像は、東地中海に浮かぶ二隻の米海軍軍艦の甲板からのものだ。あの偉大だったレオナルド・コーエンの言葉を引用したい気持ちに駆られる。彼の言葉はこうです。『わが国の武器の美しさが私の導き手だ』。そしてそれはすさまじい威力を持った武器が、敵の空域に向かい短距離飛行している美しい映像なのだ」とブライアン・ウィリアムズは言った。
この病的独白の最後になって初めてウィリアム氏はやっと次の問いかけをした。「どこを狙ったのだ?」と。えー!たぶん学校だったか、病院なのかだろう。明らかにこの好戦派ジャーナリストにとってそんな疑問は二の次だったのだ。この「美しさ」からはほど遠い、醜いこと極まりない形容矛盾は、いつも私の心から離れない。
「美しい」ミサイル発射が行われるたびに、こういった追従報道や分析があふれているのだから、アメリカの反戦運動がどこにも見られないことは驚くにあたらないことなのか。
本当に比較してみたくなるのは、今日の無気力、無関心状態と、あのざわめくベトナム戦争時代だ。当時は街頭も、さらに重要なのは大学も、政権に対する歴史的対決の光景が見られた。その抗議運動の山場は1970年5月4日だった。ケント州立大学の学生達が反戦集会の最中に、オハイオ州州兵の発砲を受けたのだ。この混乱の中で4人の学生が死亡、9人が負傷した。ついには全米で何百という大学がこの運動に参加し、暴力的、非暴力的抗議運動が400万人以上の学生達を巻き込んで展開されたのだ。

(「ミ・ライ大虐殺:その日、米軍は村人を虐殺し、それを隠蔽しようとした<生ビデオ>」a.rt.com/918y 9:48 PM-Mar 18,2018)
あの熱烈な反戦の精神は、アメリカ国内の高等教育機関でよく見られたが、現在の大学の悲しい現状と比較してみよう。今日、学生達は実際に暴力的な抗議活動として登場している。誰か問題の講演者が、自分達が気に入らない話をしに大学に来る時は常にそうだ。今日の大学では健全な論議や議論に対して、このような毛嫌いが広がっている。そんな現実を前にすると、大学が反戦意識の源泉になることを想像することなどほぼ不可能に近い。
同時に無気力感も広がっている。2003年のアメリカ軍が主導したイラク攻撃の直後は特にそうだった。大規模な戦争反対抗議行動があったにもかかわらず、人々は本当に何の変化も起こせず無力感に陥った。
トム・エンゲルハードの言葉:「欠けているのは、政府と繋がっているという感覚であり、『私たちの政府』、言い換えれば国民が第一、という感覚だ。その代わり、国家安全保障や戦争製造システムについては自分達の手の届かないところにあると思って、底知れない悲観主義と不信感が蔓延している。なのに、自分が変えられないものに抗議行動を起こすなんて考えられるのだろか?」
![]() | (さらに読む)「全米ライフル協会か千年至福か。ベトナム戦争スタイルの抗議が議会 にもっと訴えるかも」https://www.rt.com/op-ed/400658-afghanistan-surge-trump-us/ |
否定しようもないことだが、こういった冒険的な軍事行動に大半の者が無関心でいるのは、戦争が今までにない性質を帯びてきたことに原因がありえる。例えば、ベトナム戦争時代、戦闘の大半は地上戦だった。ジャングルでも行われた。そして今日よりはるかに多くのアメリカ軍兵士が死んだ。同時に徴兵があり、何千人もの新兵が国民から徴用される恐れがあった。言い換えれば、多くのアメリカ人が本当の脅威や本当の理由を持ってベトナム戦争に抗議したのだ。ベトナム人と同様、自分達の命も危機にさらされていたからだ。
この悲劇は皮肉としか言いようがないのだが、今日数多くのマスコミやソーシャルメディアが身近にあるので、入手できる情報量は以前よりも増えている。だが、明らかになってきているのは情報アクセス能力はあっても、「権力者」が自分達の行動の責任を問われる可能性が出てきても、必ずしも正しい情報へのアクセスは実現しないのだ。実際、今日大半の人々、特に若者は情報過多になっていて、軍隊が海外で何をしているかについて関心を持つことはほとんどないようだ。結局、フェイスブックの投稿チェック、自撮り、ツイート発信などで手一杯になる。そして、なんだかんだ言っても戦争は外国の人たちに起こっていること、おそらく一部のテロリストがやっていることであり、おそらく彼らは彼らにふさわしい報いを受けることになるのだ、と。結局、アメリカは「特別な国」であり、帝国主義者の意図で罪もない人たちを攻撃することなど絶対ない、とでも思っているのかい?
(翻訳:大手山茂、新見明)
<記事原文>
https://www.rt.com/op-ed/422967-anti-war-protest-us-vietnam/
<新見コメント> ーーーーーーーーーーー
この記事は寺島隆吉先生が推薦してくださり、それを大手山が翻訳し、私が修正していきました。この記事を私が最初読んだとき、その重要性があまりわからなかったのですが、翻訳を繰り返していくうちに、著者の意図がじわりじわりと伝わってきました。
まずトランプが選挙公約でイスラム諸国での戦争を止め、ロシアとも協調していくとした理由が、トランプが自分の資金で選挙運動ができ、軍産複合体の資金に頼る必要がなかったからだというのは納得できる説明でした。逆にヒラリー・クリントンがネオコン・軍産複合体にべったりなのは、彼らの資金源が軍産複合体であるからということがはっきりします。
次に本記事の主題であるなぜ反戦運動が起こらないかということです。アメリカではベトナム戦争時代は徴兵制で自分たちも死の危険性に直面していたこと、そして戦場は地上戦が中心で遙かに多くの死者が出ていた。今はミサイル攻撃などで死者の顔が写らないようにしている。そして徴兵制でなく志願制だった。豊かであれば誰も人殺しなどしに行きたくない。だから経済格差を必要としているのだろう。そして多くはme-generationとして私事にかまけている。これでどうして反戦運動が起こりえようか、と筆者の痛切な嘆きが聞こえてきます。
これは日本でも同じだ。敗戦の戦争体験が生きていたころは、日米安保反対闘争(国の自立への闘い)、ベトナム反戦運動などが盛んに行われていた。ところが戦争体験が薄れてくる頃、嫌韓・嫌朝鮮・嫌中国の勢いが増し、集団的自衛権容認のように戦争への拒否感が薄れてきている。若者の方が改憲に賛成する者が多いのは、アメリカのme-generationの登場と同じ現象だ。
アメリカでシリア・ミサイル攻撃に追従報道が多いように、日本の報道も欧米報道の受け売りで、真実を伝えていない。北朝鮮情報もシリア情報もフェイク・ニュースであふれている。今こそ正しい情報を発信して、正確な判断ができるようにする必要がある。この翻訳サイトもその一助となる取り組みにをしていかねばならない。
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