ベラルーシの反体制運動はかつてロシアやウクライナで起こったことと同じ。新自由主義と国家主義が混乱を呼びこみ社会主義の声はかき消される
<記事原文 寺島先生推薦>Minsk protests similar to Moscow & Kiev before them; neoliberas & nationalists calling the shots, socialist voices muffled
RT ロシアニュース
2020年8月16日
カーチャ・カズベク
Katya Kazbek is a Russian writer and translator based in NYC. She is the editor-in-chief of Supamodu.com. Follow her on Twitter @kazbek

「自由」の名のもとに盲目的にベラルーシの反政府運動を支持しているリベラル派や左派の人々は、ある重要なことを見落としている。それは人々の生活水準についてだ。この「革命」が国外への移民を増やし経済不況に繋がっているとしても、彼らは支持をし続けるのだろうか?
ルカチェンコに対する抗議活動がベラルーシで巻き起こっているのを見ると、私がすぐに思い起こしたのは2010年代初期にロシアで起こった反プーチン抗議活動だ。その抗議活動には私も参加した。当時の抗議活動と本当によく似ている。選挙の異議申し立て。嫌気がさしている民衆。たくさんの花。警官による暴力。連帯の陳列。もちろん風景は異なる。ベラルーシの首都ミンスクはコロナウイルスの流行が世界中で起こっていた夏のことであったし、モスクワは厳しい冬のことだった。しかし抗議活動が起こる過程についてはあのモスクワでの抗議活動以来私の理解は深まっている。だからこそ私が、いま起こっている抗議活動に参加することはありえないのだ。その抗議活動には新自由主義や西側諸国の影響があることを考えるとそんなことはできないのだ。
ここ10年で明らかになったことは、ソ連後の世界では不平等や権威主義に反対することがほぼ不可能になったということだ。その闘争が反共産主義や反左派の立場を取らない限りは。たとえ権威を持つもの自身がかなり激しい反共産主義者であっても、だ。社会における反社会主義の感傷がとても強いので、共産主義にとって真逆の二大勢力(資本主義と国家主義)が忍び寄ってきて、抗議活動者の中に浸透している。
抗議活動があった当時のロシアでは、人々が熱心に自由化というワゴン車に飛び込んでいるのを見かけた。そして人々は熱心にプーチンに反対しようとする外国の政府に与していた。その動きに対して、国家主義者たちの情熱が内部から醸成してきた。それからマルクス主義をはき違えた統合失調症の患者たちが現れ始めたのだ。彼らの主張は、「我々はスターリンよりもヒトラーに支配されていた方がよかったのだ」などといったくだらない主張だった。
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それと同時に、富裕層が手ぐすねを引いて待っていたのは、生活に不満をもっているが、共産主義らしきものには強い反感を持っている民衆の出現だった。富裕層はそんな民衆を監視する解決法として資本主義的国家主義や自由市場や恒久の新自由主義を提供した。このやり口は1991年のソ連崩壊の際に広まったやり方と全く同じだ。私の理解では、これと同じ約束が後にプーチンに政権を握らせることになったのだ。もちろんソ連後の世界でこのことを理解している人は多くないのだが。
ウクライナのマイダン広場でクーデターが起こったととき、民衆に「このクーデターは歴史における正しい選択だ」と説得する必要はなかった。「反プーチン運動であれば正しいことに違いない」という時代の空気があった。マイダンでのクーデターやウクライナの国家主義者たちを悪く言う論議はほとんど展開されなかった。特に、右派のもくろみの外ではそうだった。今でもこの事件を深く調査しようとすることは退けられるという風潮がある。そして左派たちは(リベラル派だけでなく社会主義者や無政府主義者もそうだが)マイダンやクリミアやドンバスについてはウクライナの意見に激しく同意している。ソ連後の世界において「汎バルカン主義」を強めるという考え方が流行していて、ウクライナの国家行政に関心を持つことが、「よいリベラル主義を買うのに良い市場だ」という趣になっている。ロシア国内で同じような政策が否定されているときでさえも。
今私が目にしているのは、ベラルーシの抗議活動に反射的に諸手を挙げて支持を表明している人たちだ。その抗議活動がもつ問題点を慎重に見極めたり考えたりせずに、だ。さらに、ベラルーシの国家主義を漠然と支持している人たちも、だ。歴史上の「正しい判断」は、再び正確に提示されている。しかし悲しい事に、この抗議活動の負の面を議論しようとする人はほんとうにわずかしかいない。主流派の主張に異を唱えるような勇気ある人もほとんどいない。ルカシェンコと歩調を合わせてきた人たちは暴力的な警察を支持している。右派の中の左派の人たちでも、だ。しかし、マルクス主義には懐疑的であるのに、ルカシェンコが退陣することを望んでいる人たちもいる。彼らは、ウクライナのマイダンでのクーデターのような変革は求めていない。
しかしそのような人々はベラルーシの過去の旗である「紅白旗」を振り回している主流派のせいで黙らされている。マイダンのクーデターのやり方を受け入れたくない人たちも、概してウクライナの国家主義には強固な支持を表明している。抗議活動に異論を唱えている人たちがおこなう批判(具体的には、ベラルーシの紅白旗の起源について国家主義者たちが主張する議論に対する批判やポーランドやリトアニアの国家主義者に対する批判、この抗議活動に与えている恒久的な影響への批判など)は、ロシアによる喧伝行為だと目され軽視されている。
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慎重にことを見極めようとするものは、大声で退却するよう求められる。「あなたは労働者階級に反対しているのか?」、と。もちろん反対はしていない。しかし、労働者階級が国家主義やカラー革命の道具にうまく使われていることに私が反対しているとしたらどうだろう? ベラルーシが民営化のせいでばらばらに引き裂かれ、貧困状態に落とし込まれ、市民たちが欧州になだれ込み、低賃金の仕事を探す労働移民になることに私が反対しているとしたらどうだろう?こんなことは実際ウクライナで起こったのだから。
しかし自分が自由への約束手形をもらうことよりも労働者階級のことについて考えている人などいるのだろうか?自由よりも平等のことを考えている人はいるのだろうか? 抗議活動を支持している人たちから真剣な話を聞きたがらない人たちがしばしば口にするのは、自分たちがソ連に偏っていないかどうか調べられたり、階級の連帯についてどう思っているかを調べられることに嫌悪感を持っているということだ。これらの問題は今とても重要な問題であるのに、だ。ルカシェンコはソ連や共産主義と同一視されている。紅白旗はナチスに反抗するために使われている。(この旗はベラルーシがナチスに占領されていた際使われていた旗だ)。現行の紅緑旗はソ連起源だと見なされて嫌悪感をもたれているからだ。
ソ連後の世界においては、自分が左派だとみられることがかっこいいと思われるようになった。特にネット上ではそうだ。それでも、実際にそうしている大多数の主流派は自分たちがリベラルであるという紋章が欲しいだけで、そこからより深く考えることは望んでいない。弁証法が効力を発揮しすぎて、マルクスやレーニンを読むことは古くさいことだと思われ、自由を語ることは唯物史観よりも人々の気をひく。さらに不幸なことに、ソ連の歴史や文化を西側諸国の色めがねをつけずに再検証しようとすると、はげしく拒絶される。それでも気づかずにおれないことは、当該地域の富裕層や外交政府によって運営されているリベラル派のメディアはものごとをきちんと調べて報道するようできていないということだ。西側の帝国主義に反対していると自称しているメディアであっても、だ。こんな状況だからこそ、労働者を支持することはずっと難しくなる。インターネットやメディアはリベラルや西側や国家主義に偏っている。だから我々には労働者の声が届かない。紅白旗の議論の喧噪にかき消されてしまうのだ。今大事なことは、警戒心を持ち続けることと、リベラルや西側や国家主義に偏った連中にベラルーシの労働者たちの活動を取り込ませないようにすることだ。
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ベラルーシの地で起こっていることはまやかしではない。ベラルーシの独裁も本当のことだ。そのことに関して疑念はない。しかし新自由主義的傾向や国家主義的傾向は、政権が行う悪事と同じくらい労働者の連帯にとっては脅威となるように思える。私はベラルーシで展開している出来事を、他から見れば信じられないくらいじっくりと注視している。それは私が以前同じことを見てきたからだ。ロシアでは当事者として、ウクライナでは少し離れたところから。だからこそ私はもう一度最悪の事態が繰り返されるのを見るのが嫌なのだ。新自由主義が実権をにぎり、共産主義がこき下ろされ、国家主義が自己満足的な美徳と見なされる事態をみたくないのだ。
このような状況の中、すでに右派たちに議論を牛耳られ、私はその影でこっそりとがんばっているのだが、そんな私がソ連後の世界の人々にこうなってほしいと望んでいることは以下の二点だけだ。一つは社会主義を恐れることをやめて欲しいということだ。もう一つは資本主義や国家主義や全体主義を恐れる気持ちを持ち始めて欲しいということだ。
RT ロシアニュース
2020年8月16日
カーチャ・カズベク
Katya Kazbek is a Russian writer and translator based in NYC. She is the editor-in-chief of Supamodu.com. Follow her on Twitter @kazbek

「自由」の名のもとに盲目的にベラルーシの反政府運動を支持しているリベラル派や左派の人々は、ある重要なことを見落としている。それは人々の生活水準についてだ。この「革命」が国外への移民を増やし経済不況に繋がっているとしても、彼らは支持をし続けるのだろうか?
ルカチェンコに対する抗議活動がベラルーシで巻き起こっているのを見ると、私がすぐに思い起こしたのは2010年代初期にロシアで起こった反プーチン抗議活動だ。その抗議活動には私も参加した。当時の抗議活動と本当によく似ている。選挙の異議申し立て。嫌気がさしている民衆。たくさんの花。警官による暴力。連帯の陳列。もちろん風景は異なる。ベラルーシの首都ミンスクはコロナウイルスの流行が世界中で起こっていた夏のことであったし、モスクワは厳しい冬のことだった。しかし抗議活動が起こる過程についてはあのモスクワでの抗議活動以来私の理解は深まっている。だからこそ私が、いま起こっている抗議活動に参加することはありえないのだ。その抗議活動には新自由主義や西側諸国の影響があることを考えるとそんなことはできないのだ。
ここ10年で明らかになったことは、ソ連後の世界では不平等や権威主義に反対することがほぼ不可能になったということだ。その闘争が反共産主義や反左派の立場を取らない限りは。たとえ権威を持つもの自身がかなり激しい反共産主義者であっても、だ。社会における反社会主義の感傷がとても強いので、共産主義にとって真逆の二大勢力(資本主義と国家主義)が忍び寄ってきて、抗議活動者の中に浸透している。
抗議活動があった当時のロシアでは、人々が熱心に自由化というワゴン車に飛び込んでいるのを見かけた。そして人々は熱心にプーチンに反対しようとする外国の政府に与していた。その動きに対して、国家主義者たちの情熱が内部から醸成してきた。それからマルクス主義をはき違えた統合失調症の患者たちが現れ始めたのだ。彼らの主張は、「我々はスターリンよりもヒトラーに支配されていた方がよかったのだ」などといったくだらない主張だった。
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Belarus’ Lukashenko says he is being targeted by ‘color revolution’, seeks to join forces with Putin
それと同時に、富裕層が手ぐすねを引いて待っていたのは、生活に不満をもっているが、共産主義らしきものには強い反感を持っている民衆の出現だった。富裕層はそんな民衆を監視する解決法として資本主義的国家主義や自由市場や恒久の新自由主義を提供した。このやり口は1991年のソ連崩壊の際に広まったやり方と全く同じだ。私の理解では、これと同じ約束が後にプーチンに政権を握らせることになったのだ。もちろんソ連後の世界でこのことを理解している人は多くないのだが。
ウクライナのマイダン広場でクーデターが起こったととき、民衆に「このクーデターは歴史における正しい選択だ」と説得する必要はなかった。「反プーチン運動であれば正しいことに違いない」という時代の空気があった。マイダンでのクーデターやウクライナの国家主義者たちを悪く言う論議はほとんど展開されなかった。特に、右派のもくろみの外ではそうだった。今でもこの事件を深く調査しようとすることは退けられるという風潮がある。そして左派たちは(リベラル派だけでなく社会主義者や無政府主義者もそうだが)マイダンやクリミアやドンバスについてはウクライナの意見に激しく同意している。ソ連後の世界において「汎バルカン主義」を強めるという考え方が流行していて、ウクライナの国家行政に関心を持つことが、「よいリベラル主義を買うのに良い市場だ」という趣になっている。ロシア国内で同じような政策が否定されているときでさえも。
今私が目にしているのは、ベラルーシの抗議活動に反射的に諸手を挙げて支持を表明している人たちだ。その抗議活動がもつ問題点を慎重に見極めたり考えたりせずに、だ。さらに、ベラルーシの国家主義を漠然と支持している人たちも、だ。歴史上の「正しい判断」は、再び正確に提示されている。しかし悲しい事に、この抗議活動の負の面を議論しようとする人はほんとうにわずかしかいない。主流派の主張に異を唱えるような勇気ある人もほとんどいない。ルカシェンコと歩調を合わせてきた人たちは暴力的な警察を支持している。右派の中の左派の人たちでも、だ。しかし、マルクス主義には懐疑的であるのに、ルカシェンコが退陣することを望んでいる人たちもいる。彼らは、ウクライナのマイダンでのクーデターのような変革は求めていない。
しかしそのような人々はベラルーシの過去の旗である「紅白旗」を振り回している主流派のせいで黙らされている。マイダンのクーデターのやり方を受け入れたくない人たちも、概してウクライナの国家主義には強固な支持を表明している。抗議活動に異論を唱えている人たちがおこなう批判(具体的には、ベラルーシの紅白旗の起源について国家主義者たちが主張する議論に対する批判やポーランドやリトアニアの国家主義者に対する批判、この抗議活動に与えている恒久的な影響への批判など)は、ロシアによる喧伝行為だと目され軽視されている。
ALSO ON RT.COM

‘You’re being used as cannon fodder’: Lukashenko urges people to STAY HOME, blames protests on foreign meddling
慎重にことを見極めようとするものは、大声で退却するよう求められる。「あなたは労働者階級に反対しているのか?」、と。もちろん反対はしていない。しかし、労働者階級が国家主義やカラー革命の道具にうまく使われていることに私が反対しているとしたらどうだろう? ベラルーシが民営化のせいでばらばらに引き裂かれ、貧困状態に落とし込まれ、市民たちが欧州になだれ込み、低賃金の仕事を探す労働移民になることに私が反対しているとしたらどうだろう?こんなことは実際ウクライナで起こったのだから。
しかし自分が自由への約束手形をもらうことよりも労働者階級のことについて考えている人などいるのだろうか?自由よりも平等のことを考えている人はいるのだろうか? 抗議活動を支持している人たちから真剣な話を聞きたがらない人たちがしばしば口にするのは、自分たちがソ連に偏っていないかどうか調べられたり、階級の連帯についてどう思っているかを調べられることに嫌悪感を持っているということだ。これらの問題は今とても重要な問題であるのに、だ。ルカシェンコはソ連や共産主義と同一視されている。紅白旗はナチスに反抗するために使われている。(この旗はベラルーシがナチスに占領されていた際使われていた旗だ)。現行の紅緑旗はソ連起源だと見なされて嫌悪感をもたれているからだ。
ソ連後の世界においては、自分が左派だとみられることがかっこいいと思われるようになった。特にネット上ではそうだ。それでも、実際にそうしている大多数の主流派は自分たちがリベラルであるという紋章が欲しいだけで、そこからより深く考えることは望んでいない。弁証法が効力を発揮しすぎて、マルクスやレーニンを読むことは古くさいことだと思われ、自由を語ることは唯物史観よりも人々の気をひく。さらに不幸なことに、ソ連の歴史や文化を西側諸国の色めがねをつけずに再検証しようとすると、はげしく拒絶される。それでも気づかずにおれないことは、当該地域の富裕層や外交政府によって運営されているリベラル派のメディアはものごとをきちんと調べて報道するようできていないということだ。西側の帝国主義に反対していると自称しているメディアであっても、だ。こんな状況だからこそ、労働者を支持することはずっと難しくなる。インターネットやメディアはリベラルや西側や国家主義に偏っている。だから我々には労働者の声が届かない。紅白旗の議論の喧噪にかき消されてしまうのだ。今大事なことは、警戒心を持ち続けることと、リベラルや西側や国家主義に偏った連中にベラルーシの労働者たちの活動を取り込ませないようにすることだ。
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‘Nobody wants to marry her’: Veteran Russian nationalist Zhirinovsky compares Belarus’ Lukashenko to an unwanted bachelorette
ベラルーシの地で起こっていることはまやかしではない。ベラルーシの独裁も本当のことだ。そのことに関して疑念はない。しかし新自由主義的傾向や国家主義的傾向は、政権が行う悪事と同じくらい労働者の連帯にとっては脅威となるように思える。私はベラルーシで展開している出来事を、他から見れば信じられないくらいじっくりと注視している。それは私が以前同じことを見てきたからだ。ロシアでは当事者として、ウクライナでは少し離れたところから。だからこそ私はもう一度最悪の事態が繰り返されるのを見るのが嫌なのだ。新自由主義が実権をにぎり、共産主義がこき下ろされ、国家主義が自己満足的な美徳と見なされる事態をみたくないのだ。
このような状況の中、すでに右派たちに議論を牛耳られ、私はその影でこっそりとがんばっているのだが、そんな私がソ連後の世界の人々にこうなってほしいと望んでいることは以下の二点だけだ。一つは社会主義を恐れることをやめて欲しいということだ。もう一つは資本主義や国家主義や全体主義を恐れる気持ちを持ち始めて欲しいということだ。
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