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シオニズム:イスラエル‐パレスチナ関係における危機の根源

<記事原文 寺島先生推薦>
Zionism: The Root of the Crisis in Israel-Palestine
筆者:シッド・シュニアド(Sid Shniad)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


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国連総会での演説で、パレスチナ自治区を省略したイスラエルの地図を示すネタニヤフ首相。画像はYouTubeより。


以下は 、 2024年3月24日にブリティッシュ・コロンビア州キャッスルガーでシド・シュニアドが行なった講演の記録 である。シュニアドはIndependent Jewish Voices Canada (IJV)の創設メンバー である。IJVは国際法の適用と全当事者の人権の尊重を通じて、イスラエルとパレスチナにおける紛争の公正な解決を促進することを使命とする全国的な人権団体である。2008年に設立されたIJVは、ハリファックス、モントリオール、オタワ、トロント、ハミルトン、ウィニペグ、バンクーバー、ビクトリアに支部がある。

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カナダ人は、イスラエル・パレスチナの現実について、シオニスト入植者たちが頑(かたく)ななパレスチナ人反対勢力の犠牲者であるかのような誤ったイメージを持たされてきた。現実の状況は、カナダの状況に酷似している。ここカナダでも入植者が土地を奪い、民族浄化され抑圧を受けている先住民を蔑視しているからだ。

イスラエルが享受している見当違いの同情の根拠を理解し、今日ガザで起きていることを位置づけるために、反ユダヤ主義と反シオニズムというテーマについて、いくつかの背景を説明したい。

反ユダヤ主義とは、ユダヤ人に対する憎悪、敵意、偏見、差別である。人種差別の一形態であり、イスラム恐怖症やアジア系、アフリカ系、ラテン系の人々に対する憎悪に似ている。

反ユダヤ主義(antisemitism)という言葉の中で「セム人」という言葉が使われると、それがセム系民族に向けられたものであるかのような誤った印象を与える。しかし、1879年にこの言葉を作ったドイツのジャーナリストで白人至上主義者のヴィルヘルム・マールは、この言葉をユダヤ人に対する憎悪を正当化するために使える科学的な響きのある言葉として考えた。それ以来、この表現はそのように使われている。

反ユダヤ偏見は、キリスト教とユダヤ教の対立に端を発し、キリスト教会はイエスを殺したのはユダヤ人だと非難した。端(はな)から、反ユダヤ主義は、個々のユダヤ人に対する憎悪や差別の表現を始め、ユダヤ人社会全体に対する暴徒、警察、軍隊による組織的なポグロムまで、さまざまな形で現れてきた。

反ユダヤ主義は、しばしば社会的・経済的危機の際に燃えあがり、ユダヤ人が社会に蔓延する問題の原因であるとしてスケープゴートにされる。

反ユダヤ的暴力と迫害の主な例としては、1096年の第一回十字軍に先立つラインラントでの虐殺、1290年のイギリスからのユダヤ人追放、1348年から1351年の黒死病の間のユダヤ人迫害、1391年のスペイン人ユダヤ人虐殺、スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナでのコサックの虐殺、ロシア帝国での反ユダヤ的ポグロム、 スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナにおけるコサックの虐殺、19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシア帝国における反ユダヤ人ポグロム、フランスにおけるドレフュス事件、第二次世界大戦中のナチス占領下のヨーロッパにおけるホロコーストなどがある。

反ユダヤ主義は、あらゆる形態の人種差別や差別に抵抗するのと同じ理由で、進歩的活動家が闘うべき社会の病である。

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「博士たちの中のキリスト」アルブレヒト・デューラー 1506年。 この油絵では、イエスは明るい肌と白い髪に見えるが、ラビたちは邪悪な表情をした悪魔か動物のように見える。画像は ウィキメディア・コモンズより。

シオニズムは、19世紀後半に中東欧で繰り返し起こった反ユダヤ暴力の反動としてユダヤ人の間で生まれたイデオロギーである。ユダヤ人憎悪の災いから逃れる手段として、パレスチナにユダヤ人国家を樹立し、支援することを信奉している。ユダヤ人が避難を享受できる場所の創造を推進する信条として見れば、シオニズムは異論がないように見える。しかし、シオニズムは端(はな)から、ヨーロッパの思想形態であり、他の民族主義と根本的に類似していた。シオニズムの支持者は、自分たちの国家を置く場所として選んだパレスチナの住民と土地を共有しようとは考えなかった。むしろ、シオニストはヨーロッパ社会の仲間として、中東におけるヨーロッパ支配者の同盟国としてユダヤ人国家を推進した。近代シオニズムの父であるセオドア・ヘルツルは、その代表的な著書『ユダヤ人の国家』の中で、このことを明言している。彼はこう書いている:

私たちはそこで、アジアに対抗するヨーロッパの防壁の一部を形成し、野蛮に対抗する文明の前哨基地となるべきである。中立国として、全ヨーロッパと連絡を取り続けるべきであり、ヨーロッパはわれわれの存在を保証しなければならない。


ヘルツルが宣言したあらゆる形態の植民地主義との類似性は、これ以上ないほど明確である。この簡潔な声明に、彼はシオニスト事業計画の2つの重要な特徴を凝縮している。第一に、ユダヤ国家は中東におけるヨーロッパの前哨基地であるということ、第二に、その建国と存続に必要な政治的・軍事的支援を世界の大国に依存するということである。

イスラエルを支持する人々は、この国が入植者による植民地主義の一例であると説明されると、しばしば怒りをあらわにする。しかし、ヘルツルはシオニズム運動のきっかけとなった著書の中で、彼が推進していた実行計画を「入植者」や「植民地」という言葉で表現している。ヨーロッパの植民地主義が花開いた時代にシオニズムが生まれ、ヘルツルが計画したユダヤ人国家という発想を植民地主義の他の事例から得たという事実を考えれば、これは驚くべきことではない。

シオニズムは当初、ユダヤ人の間で非常に不評であった。ユダヤ人は、シオニズムがすでに居住している国に住む自分たちの権利の正当性を損なうものだと考えたからである。1916年、イギリス政府がパレスチナにユダヤ人国家を建設することを支持するバルフォア宣言を発表したとき、ユダヤ人は圧倒的にこれを拒否した。シオニズムはその後30年間、ユダヤ人の間で嫌われ続けた。


反ユダヤ主義からの避難所として描かれたユダヤ人国家の樹立が、ユダヤ人の間で広く受け入れられるようになったのは、ホロコーストが起こってからである。それ以来、ユダヤ人の聖域を提供するユダヤ国家というロマンチックで高度に理想化された将来構想が、ユダヤ人のコミュニティや組織で推進されてきた。しかし、ユダヤ人の立場を優遇する国家の創設と維持が、すでにパレスチナに住んでいた先住民の生活に与える影響は、シオニズムの支持者たちによって組織的に無視されてきた。

しかしここ数十年、拡大し続けるイスラエルによる占領、非ユダヤ人に対する差別を制度化したアパルトヘイト政治体制、そしてこれらすべてがパレスチナ社会に与えた壊滅的な影響によって特徴づけられる現実のシオニズムの姿が人々に自覚されるようになってきている。しかし、イスラエルとその擁護者たちは、人々のこのような意識覚醒から生み出された本質的批判に対処するのではなく、そういうシオニズム批判に反ユダヤ主義の現れというレッテルを貼り、批判者を中傷することを選んだ。

パレスチナとの連帯を求める国際的なキャンペーン、とりわけボイコット(Boycott)、ダイベストメント(Divestment)(資本引き上げ)、制裁(Sanctions)(BDS)運動の高まりは、イスラエルとそのシオニスト支持者たちに大きな懸念を抱かせている。イスラエルはBDSに対抗するために政府省を設置したほどだ。ヘブライ語でプロパガンダを意味するハスバラを展開し、イスラエル国家の行動をごまかし、イスラエル批判を反ユダヤ主義の現れと烙印を押すキャンペーンを行なっている。

ここ数年、この戦略は国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)と呼ばれる組織を通じて積極的に推進されてきた。IHRAは、イスラエル批判に圧倒的に焦点を当てた反ユダヤ主義の定義を採択した。このインチキ定義を推進する人々の目的は、BDSのような活動を反ユダヤ主義の現れとして非難させ、それに従事する人々を法的制裁の対象とすることである。この定義を最初に作成したケネス・スターンは、ガーディアン 紙に寄稿し、その見出し:「反ユダヤ主義の定義を起草したのは私だ。右翼ユダヤ人はそれを武器にしている。」

私たちの組織であるIJVCanadaが2009年に合法的で非暴力的な戦術としてBDSを受け入れたことを誇りに思う。さらにIJVは、IHRA構想に反対するため、国内外で主導的な役割を果たしている。

皮肉なことに、そして危険なことに、真の反ユダヤ主義が世界にその醜い頭をもたげている今、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相をはじめ、多くの著名なシオニストは、ドナルド・トランプやハンガリーのヴィクトール・オルバン首相のような明白な反ユダヤ主義者を受け入れている。これらの政治家たちに共通しているのは、白人至上主義的な世界観である。

イスラエルの問題は現在の右派政府に限定されない。ネタニヤフを含むウルトラ右翼の政府は、ファシストで同性愛者嫌悪者であることを自慢する財務大臣ベツァレル・スモートリヒなどが含まれている。問題は、ガザでのジェノサイド的行動を批判することに限定もできない。問題の根源は、19世紀末の初めから、シオニズムの目標がユダヤ人が数的多数派を形成する国家を確立することであり、世界中からのユダヤ人の移民を奨励し、特権を享受する社会的および政治的地位を持つことにまでさかのぼれる。

当初から、わずかな例外を除いて、シオニズムのすべての主張は、ユダヤ人国家(ユダヤ人が圧倒的多数を占め、それに付随する特権を享受する国家)の建設には、すでにパレスチナに住んでいた先住民を移住させる必要がある、というものであった。この目標をどのように達成するかについては、運動のさまざまな部分で戦術的な違いがあった。ある者はパレスチナ人に進んで出て行くよう説得し、ある者は買収し、またある者は武力によって追放することを信じた。しかし、この地域から先住民を追い出すことは、ユダヤ人国家の建設に不可欠であるという考え方は共通していた。

シオニストの間では、この目標を公の場で論じるべきではないというのが一般的な合意であったが、シオニストの指導者たちは、ユダヤ人国家の創設にはパレスチナ住民の強制移住が不可欠であるであること支持した。1937年にスイスのチューリッヒで開かれた第20回シオニスト会議では、この問題の実際的な側面を調査することを任務とする専門家からなる「移送委員会」を設置するまでに至った。

第二次世界大戦後、シオニスト指導者たちは、ユダヤ人虐殺から欧州のユダヤ人を救わなかった世界の罪悪感につけこんだ。シオニストたちはユダヤ人の苦境への同情を利用し、国際的なユダヤ国家の創設のための支援を得ることに成功した。1948年に、国連は委任統治領パレスチナの領土を分割して、55%をユダヤ人に、45%をパレスチナ人に与えることを賛成多数で可決し、イスラエル国家の設立を決定した。

シオニストの宣伝担当は、彼らの運動が合理的で受け入れやすいものであると論じている。なぜなら、彼らは国連の分割案を受け入れたが、パレスチナ人はそれを拒否したから。しかし、シオニストの指導者たちが国連の分割案を受け入れたのは純粋に戦術的なものだった。彼らは常に最終目標であるその地域全体の併合を忘れたことはない。

さらに、1948年に国連がパレスチナを分割したことは、フランスとイギリスの君主国が北米の土地をそれぞれの植民者に遺贈したことと同様に正当ではなかった。これらの事例のいずれにおいても、土地の所有権は、それらを付与する権利を持たない機関によって付与された。

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パレスチナ人が 「ナクバ」 (災害) と呼ぶ1948年のシオニスト軍によるパレスチナ人の強制退去は、長年にわたるシオニスト政策の論理的な結果と見るべきである。シオニズムの擁護者は、逃げてきたパレスチナ人は周辺のアラブ政権の避難要請に応じていたと主張しているが、歴史的記録にはそのような記載はない。パレスチナ人が逃亡する動機となったのは、ハガナとして知られるシオニスト準軍事組織とテロリストのイルガンとスターンのグループが、多数の虐殺を行うことによって彼らを恐怖に陥れて退去させたという事実であった。その結果、その後の戦争の過程で、70万人以上のパレスチナ人が家を追われ、500以上のパレスチナ人の村が物理的に破壊された。住民が後日戻ることを防ぐためだった。

言い換えれば、パレスチナにユダヤ人の多数派を作り出し、維持するために、シオニスト勢力は、他の同じような状況で「民族浄化」と表現されるような政策を追求したのである。表向きは防衛的だった1948年の戦争が終わる頃には、イスラエルが支配するパレスチナ領土の割合は、国連分割計画で定められた55%から78%に増加していた。

シオニストは、ユダヤ人に特権的地位を与えるユダヤ人国家の建設を進め、土地と人民に対する支配を強化し、残されたパレスチナ人を二流の地位に追いやった。

1967年、イスラエルはヨルダン川から地中海に至る委任統治領パレスチナ全域を支配するというシオニストの夢を実現するため、先制攻撃を仕掛け、残りの22%の領土を占領した。それ以来、イスラエルはヨルダン川西岸とガザのパレスチナ人の生活を支配する軍事占領を敷いたのである。

1970年代初頭、シオニスト過激派が占領された西岸にユダヤ人入植地を建設し、そこでのシオニストの支配を強化する取り組みが始まった。この占領拡大過程は現在も続いており、70万人以上のイスラエル人がそこでユダヤ人だけの入植地に住んでいる。

イスラエルの支配下にある自分たちの地位と、占領に関する問題や軍事支配下にある自分たちの窮状に対処することを断固として拒否するイスラエルに不満を抱いたパレスチナ人は、平和的に、あるいは武装闘争によって占領に抵抗するようになった。イスラエルはこれに対し、パレスチナ人に対する支配を強化し、ますます多くの人々を投獄し、拷問を含むより過酷な状況に追いやった。

2006年に住民がハマスに投票したガザでは、イスラエルは過去18年間続いた包括的封鎖を実施し、世界最大の屋外刑務所を作り上げた。

イスラエルの政治指導者たちは、長年にわたる彼らの発言と行動を通じて、彼らの意図が一貫していることを明らかにしてきた。すなわち、ヨルダン川から地中海までのすべての領域を支配し、維持することによって、当初のシオニストの将来構想を堅持し、パレスチナ人を二級市民として永遠の占領下で生活させることである。

イスラエルがヨルダン川から地中海にかけてパレスチナ人に課してきた支配体制は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル、イスラエルの人権団体B'Tselemによってアパルトヘイトと評されてきた。また、入植者植民地主義の典型的な例と評する者もいる。
昨年9月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は国連に出席した際、パレスチナ人との和解交渉に意欲的であるという建前を消し去り、シオニストの夢の実現を描いた地域の地図、すなわちヨルダン川から地中海までの全領土を包含するイスラエルの地図を振りかざした。

10月7日、イスラエルによるガザ封鎖を解除し、ガザに住む人々の窮状を世界に訴えるために武力攻撃が行われた。世界はこのイスラエルの頑なな態度に対するパレスチナの反応を目の当たりにした。イスラエルはこれに反発し、14,000人の子どもを含む30,000人以上の市民を殺戮した。

私たちの多くは、カナダ政府の積極的な協力を得て、ガザで起きている大量虐殺の悪夢に終止符を打とうと懸命に取り組んでいる。しかし、イスラエル・パレスチナで進行中の危機を長期的に解決するためには、この虐殺を即座に終わらせることが重要であるのと同様に、問題の根源であるシオニスト・イデオロギーに基づくユダヤ人至上主義の制度化に取り組む必要がある。

IJVからのお願い:この取り組みにぜひご参加ください。
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シド・シュニアドは、2008年にイスラエル・パレスチナの平和と正義の原則に基づいて結成されたアドボカシー・グループ、Independent Jewish Voices Canadaの創設メンバー。バンクーバー在住。

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