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ロシア民族主義の扇動者から西側リベラル派の寵児へ:アレクセイ・ナワリヌイとは何者だったのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
From Russian nationalist agitator to darling of Western liberals: Who was Alexey Navalny?
この野党活動家は20年にわたる経歴の中で多くの側面を見せてきた
出典:RT 2024年2月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月21日


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アレクセイ・ナワリヌイ氏© Sputnik / Ilya Pitalev


アレクセイ・ナワリヌイ氏は金曜日(2月16日)、ロシアの「過激派活動」に関する法律に基づき19年の刑で服役中だった北極圏北の刑務所で倒れ、死亡した。47歳だった。西側諸国では、クレムリンを批判するこの人物はロシアの「野党指導者」としてもてはやされた。ウクライナでは、彼はロシア民族主義者として非難された。ロシア国内で彼が遺したものは複雑だ。

1976年生まれのナワリヌイ氏は1998年に法科大学院を卒業し、2001年に金融の学位を取得した。生涯を通じて彼は法律や投資、そして実践活動にちょこちょこ手を出し続けたが、政治の世界に戻ることはやめなかった。

「私は常に政治に夢中だった」と彼は2009年にコメルサント・マネー紙に語った。

国家主義者としての側面

2000年から2007年にかけて、ナワリヌイ氏はリベラルなヤブロコ党の党員だったが、その後「ナロード」と呼ばれる民族国粋主義運動を共同で立ち上げた。彼はこの組織の悪名高いユーチューブ動画に2本出演し、1本は「ハエとゴキブリ」と戦うために銃の権利を主張(南部コーカサスのイスラム反乱軍の画像が添付されていた)したもので、もう1本はイスラム地域からの移民を虫歯に例えたものだった。

2008年8月、苦境に立たされた南オセチアのために、ロシアがグルジアに介入したことにナワリヌイ氏は賛意を示した。ナワリヌイ氏はその後、民族国粋主義を擁護する人々とともに毎年3回開催される「ロシア行進」集会に参加した。活動家のエフゲニア・アルバッツシルは後に、クレムリンに対抗して民族国粋主義を活用する方法として、ナワリヌイ氏に集会への参加を促したと語った。2010年、アルバッツ氏はエール大学ワールド・フェロー・プログラムを通じて、ナワリヌイ氏の半年間の米国滞在の費用を共同出資した。

反汚職ブロガーとしての側面

その時点でナワリヌイ氏はすでに金融の専門知識を活かして「少数株主連合」と呼ばれる投資活動家団体を立ち上げ、ロスネフチ、ガスプロム、ルクオイルなどの大手企業を揺るがそうとしていた。ナワリヌイ氏の傘下のNGOネットワークである反汚職財団(FBK)は、2011年9月に登録された。ナワリヌイ氏は引き続きモスクワ政府、地方知事、企業の詐欺、汚職、汚職を告発し、その過程において名誉毀損で訴えられることも多かった。

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関連記事:Kremlin comments on Navalny’s death

「野党指導者」としての側面

2011年2月まで、ナワリヌイ氏は政治にも手を染めていた。彼は与党の統一ロシア党を「ペテン師と泥棒」の集まりと攻撃し、12月には統一ロシア党が国政選挙を盗んだと主張した。その後、反政府デモで何度も演説したことから、西側報道機関は彼を「ロシアの野党指導者」と呼んだ。

ナワリヌイ氏の政治的経歴の頂点は2013年7月のモスクワ市長選挙だった。しかし、得票率27.24%を獲得したもののセルゲイ・ソビャーニン氏に敗れた。また、2018年の大統領選挙への出馬は、犯罪歴のためにできなかった。

キロブレス社およびイヴ・ロシェ社事件

ナワリヌイ氏の最初の前科は、国営林業会社キロブレス社からの横領だった。2013年に懲役5年の判決を受けたが、後に執行猶予に変更された。欧州人権裁判所(ECHR)は2016年、彼の行為は「合法的な事業活動と区別できない」とした。

裁判では、ナワリヌイ氏は容疑を政治的動機によるものだと糾弾し、「100家族」がロシアから略奪しているとされる「うんざりするような封建制度」に対して激怒した。

ナワリヌイ氏と兄のオレグ(郵便局員)氏は2012年、フランスの化粧品大手イヴ・ロシェ社のロシア支社から詐取したとして、横領のさらなる罪に直面した。兄弟は2014年12月に有罪判決を受けたが、アレクセイ氏は再び執行猶予のみを受けた。

2019年、ロシア政府はナワリヌイ氏のFBKを「外国の工作員組織」との烙印を押し、その活動を厳しく制限した。

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関連記事:Alexey Navalny has died – prison service

2020年の「毒物事件」と逮捕劇

2020年8月、ナワリヌイ氏はトムスクからモスクワに向かう機内で体調を崩し、治療のためにドイツに搬送された。西側の医師は、彼が「ノビチョク」神経ガスで標的にされたと主張したが、ロシア当局はこれを「挑発」であるとして否定した。ロシアに帰国後、ナワリヌイ氏は保護観察期間違反で逮捕され、収容所に送られた。

さらに詐欺罪と法廷侮辱罪が追加され、2022年に9年の刑期が追加された。2023年8月、ナワリヌイ氏は、過激派活動を煽動し、資金を提供し、実行した罪と、ナチス思想を「復帰」させた罪で、さらに19年の禁固刑を言い渡された。FBKは政府の命令で閉鎖された。

2023年12月、ナワリヌイ氏はシベリア北部のヤマロ・ネネツ州の流刑地に移送された。金曜日(2月16日)の彼の死因はまだ調査中である。
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