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戦争犯罪の罪に問われていた元セルビア大統領ミロシェビッは無罪だった!

<記事原文 寺島先生推薦>
Serbian leader Slobodan Milosevic Found Not Guilty of War Crimes
筆者:ジャン・ソビエスキー3世(Jan Sobieski III)
出典:コンサーバティブ・ペイパーズ(Conservative Papers) 2016年8月6日
ベルグラードから。
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月10日


ミロシェビイチ
無実のまま獄中死した、元ユーゴスラビア連邦共和国大統領ミロシェビッチ


 ハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)は、セルビアの故スロボダン・ミロシェビッチ大統領が1992年から95年にかけてのボスニア紛争で犯した戦争犯罪の責任はないと判断した。

 ボスニア・セルビア人ラドバン・カラジッチ元大統領に戦争犯罪の有罪判決を下し、禁固40年を言い渡した裁判部は、ボスニア紛争中、スロボダン・ミロシェビッチはイスラム教徒とクロアチア人を犠牲にする「共同犯罪組織」の一員ではなかったという驚くべき判決を全会一致で下した。

 また、セルビアの民族主義指導者であるヴォイスラヴ・シェシェリも、1990年代のユーゴスラビア紛争後の戦争犯罪と人道に対する罪の容疑に関しては無罪であるという驚くべき判決が出された。

 この評決は、3人の裁判官のうち過半数の2人の裁判官により出されたもので、検察側にとっても、紛争に巻き込まれた何千人ものイスラム教徒にとっても打撃となる判決となった。

 「ヴォイスラヴ・シェシェリは今や自由の身です」と、2014年に癌治療のためセルビアへの帰国を許可されたこのセルビア人政治家の逮捕状を無効とした後、裁判長のジャン=クロード・アントネッティは語った。

 旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所より最初の起訴者となったシェシェリ氏(61歳)は、裁判の評決に出廷しなかったが、その後の記者会見で、この決定は「法的側面から見て唯一ありえる判決結果」だったと語った。

 「無実のセルビア人が非人道的な処罰を受けた多くの訴訟の後、今回は2人の誠実な裁判官が、政治的圧力よりも名誉を重んじたことを示す判決だった」とシェシェリ氏は述べた。

 この判決により、2年前の選挙で残っていた議席をすべて失ったシェシェリ氏の急進党が、4月24日の選挙でセルビア議会に再び議員を送り込む可能性を高めるきっかけとなる可能性がある。

 強硬派の政治家であるシェシェリ氏は、セルビアに戻ってから健康状態が改善し、民族主義的なスローガンを唱えながら政治集会を開き、セルビアがEU加盟を目指すのをやめてロシアとの関係を強化するよう呼びかけている。

 この判決は、多くのセルビア人が抱いている、自分たちは国連法廷によって不当に標的にされているという印象を払拭する助けになるかもしれない。

 ハーグで、アントネッティ裁判官は評決を読み上げる際、検察側を痛烈に批判し、検察側は過剰で複雑な裁判を起こし、合理的な疑いの余地のないことを支持するような重要な点を立証できなかったと述べた。さらに同裁判官は、シェシェリ氏に28年の量刑を要求した検察側は、確たる証拠を提示することなく、大袈裟に話を広げた、と述べた。

 裁判官たちはまた、シェシェリ氏とその同盟者たちがクロアチア、ボスニア、セルビアの一部からイスラム教徒とクロアチア人の強制移送を組織したこと、そしてそれらの人々が単に紛争からの避難を求めていたのではないことを検察側が立証できなかったと判断した。

 シェシェリ氏らの逮捕は、国際司法の腐敗を露呈した茶番であった、ということだ。

 スロボダン・ミロシェビッチは、全ての西側諸国の報道陣と、事実上すべてのNATO諸国の政治家から中傷された。ミロシェビッチは、「バルカンの虐殺者」呼ばわりされ、ヒトラーと比較され、大量虐殺を起こしたとして非難された。さらに、その虚像を利用して、セルビアに対する経済制裁だけでなく、1999年のNATOによるセルビア空爆とコソボ戦争を正当化した。

 スロボダン・ミロシェビッチが、人生の最後の5年間を刑務所で過ごさなければならなくなったのは、このでたらめな戦争犯罪疑惑から自身とセルビアを守るためだった。それが今になって、その戦争は、ミロシェビィッチが止めようとしていたことが認められたのだ。戦争をめぐるミロシェビッチが直面した大虐殺を含む最も深刻な容疑は、すべてボスニアに関するものだった。ミロシェビッチの死後10年経った今、ICTYは彼が結局有罪ではなかったことを認めたのだ。

 ICTYは、ミロシェビッチの共同犯罪組織への関与を潔白とした事実を全く公表しなかった。ICTYは、2590ページからなるカラジッチ評決文の中の1303ページを使って、その事実をひっそりと記載していたのだ。こんな長文の判決文をおそらくほとんどの人が読む気にならないであろうことを十分わかった上でのことだ。

 スロボダン・ミロシェビッチが非常に疑わしい状況で死亡したことを思い出す価値がある。ミロシェビッチが心臓発作で死んだのは、ロシアでの心臓手術の要請を法廷が却下したわずか2週間後のことだった。彼が独房で死んでいるのを発見されたのは、彼の弁護士がロシア外務省に「毒殺される恐れがある」と書いた手紙を届けてから72時間も経たたないうちのことだった。

 彼の死に関する審判所の公式調査報告書で確認された事実は、「2006年1月12日にミロシェビッチ氏から採取された血液サンプルからはリファンピシンが検出された」というものだった。さらに、「ミロシェビッチ氏は2006年3月3日までその結果を知らされなかった。というのも、ファルケ医師(審判所の主任医務官)は、医療上の守秘義務に関するオランダの法的規定により、困難な法的立場に置かれていたからである」というものだった。

 ミロシェビッチの血液中にリファマイシン(処方箋なして買える薬品)が含まれていれば、彼が服用していた高血圧治療薬が効かなくなり、最終的に彼を死に至らしめた心臓発作になる危険性が高まる。法廷が、数カ月前からリファンピシンのことを知っていたのに、死の数日前までミロシェビッチに血液検査の結果を伝えなかった理由が、「オランダの医療機密に関する法的規定」にあるというのは、信じられないほどいい加減で、卑怯な言い訳だ。オランダの法律には、医師が自分の血液検査の結果を患者に伝えることを禁止する規定はない。それどころか、そのような情報を患者に伝えないことは、医療過誤とみなされる可能性さえある。

 このことから、地政学的に強力な権益を持つ者たちは、ミロシェビッチが無罪になり、自分たちの悪質な嘘が暴かれるのを見るよりは、裁判が終わる前に死んだ方がましだと考えているのではないか、という十分な根拠のある疑念が生まれる。ウィキリークスに流出した米国務省の公文書は、法廷がミロシェビッチの病状や医療記録について、本人の同意なしにハーグの米大使館員と話し合ったことを裏付けている。米大使館にミロシェビッチの医療カルテのことを話したとき、法廷は明らかに医療機密保護法を気にしていなかった。

 ミロシェビッチの死後約10年経って、彼が告発された最も重大な犯罪がこっそりとお咎なしだったと判断されたというのは、納得のいかない結果だ。ミロシェビッチの未亡人と遺児たちには最低でも金銭的な補償がなされるべきであり、セルビアに対しては、ミロシェビッチの犯罪「責任」を問うためにセルビアを処罰しようとした西側諸国政府が賠償金を支払うべきである。いまや法廷が、ミロシェビッチにはその戦争の責任はなく、実際は止めようとしていた、と判断したのだから。


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