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ナチス、CIA、そして「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラム

<記事原文 寺島先生推薦>
Nazis, the CIA and the Post-Russian Forum of Free Nations
筆者:ティエリ・メイサン(Thierry Meyssan)
投稿者: INTERNATIONALIST 360°  2023年9月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月10日


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「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシア連邦を41の独立国家に解体することを意図している。


この「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシアのウクライナへの軍事介入に対応してCIAによって創設された。1年半の間に、ポーランド、チェコ共和国、アメリカ、スウェーデン、ヨーロッパと日本の国会で、すでに7回の会合が開かれた。


19世紀、ドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国は、宿敵であるロシア帝国の滅亡を計画した。この目的のために、ドイツとオーストリア・ハンガリーの外務省は共同で秘密作戦を開始し、ロシア同盟(Liga der Fremdvölker Rußlands - LFR)を設立した[1]。

1943年、第三帝国はソビエト連邦を解体するために反ボリシェヴィキ諸国連合(ABN)を創設した。第二次世界大戦末期、イギリスとアメリカはナチスとその協力者を引き取り、ABNを維持した[2]。しかし、ABNが引き起こした何百万人という死者を鑑み、CIAのナンバー2であったフランク・ウィスナーはABNの歴史を書き換えた。彼は、ABNは解放時に創設されたと主張する小冊子を何冊も印刷した。彼は、中欧とバルト海沿岸の人々はみな、団結してナチスとソビエトの両方と戦ったのだと主張した。これは大嘘である。実際には、中欧の多くの政党はナチスに味方してソビエトに対抗し、ナチス親衛隊の師団を結成し、ナチスの絶滅収容所のほとんどすべての看守を提供したのである。

米司法省の一部門である特別捜査局の特別検察官ジョン・ロフタスは、1980年にニュージャージー州の小さな町サウス・リバーに元ベラルーシ親衛隊の移住地があることを発見したと証言した。町の入り口にはSSの紋章で飾られた戦没者慰霊碑があり、別の墓地にはベラルーシのナチス首相ラドスラフ・オストロフスキーの墓があった[3]。

アメリカはナチスと戦い、ニュルンベルクと東京で彼らを裁いたとしばしば信じられている。しかし、これは真実ではない。ルーズベルト大統領が厳格なリベラル派であったなら、裏切り者を集めて自分のために働かせることは可能だと考えたはずだ。しかし、ルーズベルトは紛争が終結する前に死去したため、彼を取り巻いていた犯罪者たちは高官に上り詰めた。彼らは自分たちの目的を推進するために特定の政権を乗っ取った。これがCIAがやったことだ。

50年代と60年代にCIAの犯罪を明らかにしたチャーチ委員会と議会の努力は無駄だった。不透明な世界全体は地下に潜ったが、その活動を止めることはなかった。

ドミトロ・ドンツォフとその子分のステパン・バンデラ、ヤロスラフ・ステツコのウクライナ「統合民族主義者」はこの道をたどった。前者はすでにカイザー・ヴィルヘルム2世の秘密工作員であり、のちにアドルフ・ヒトラー総統の秘密工作員となったが、CIAに拾われてカナダに住み、ウィキペディアの記述とは異なり、実際は1973年にニュージャージー州サウス・リバーで死んだ。彼は第三帝国最悪の大量犯罪者の一人だった。戦争中にウクライナから姿を消し、プラハのラインハルト・ハイドリヒ研究所の管理者となった。彼はジプシーとユダヤ人問題の「最終解決」の立役者の一人であった[4]。

ドンツォフの子分のステパン・バンデラとヤロスラフ・ステツコはミュンヘンでCIAに雇われた。彼らはラジオ・フリー・ヨーロッパにウクライナ語の放送を提供し、ソ連での破壊工作を組織した。ステパン・バンデラは数々の虐殺を行ない、ナチスとともにウクライナの独立を宣言した。しかし、彼も戦争中にウクライナから姿を消した。彼は絶滅収容所の「名誉ある捕虜」として投獄されたと主張している。彼は1944年に再登場し、第三帝国からウクライナの統治とソビエトとの戦いを任されたのだから、これはあり得ないことだ。オラニエンブルク・ザクセンハウゼンの収容所管理本部で暮らし、アーリア人を堕落させることになっている「人種」を絶滅させるというナチスの事業に携わっていた可能性がある。冷戦時代、彼は「自由世界」を放浪し、ドミトロ・ドントソフに彼の組織の代表になることを提案するためにカナダに来た[5]。

時は流れ、これらの大量犯罪者は責任を問われることなく死んでいった。彼らの組織であるOUNとABNも消滅しているはずだった。しかし、そうはならなかった。OUNはウクライナ戦争中に再結成された。ABNもそうだ。現在、ABNはウェブサイトを開設している。ここでは、この組織は帝国崩壊前には存在しなかったと主張する戦後の宣伝用小冊子を読むことができる。ABNは今日も、9月26日、27日、28日にロンドン、パリ、場合によってはストラスブールで開催される「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムを続けている。その目的は、ロシア連邦を41の別々の国家に分割することである。このフォーラムの出自に疑いの余地はない。ロシア人民の代弁者を名乗りながら、モスクワを非難するだけでなく、中華人民共和国、北朝鮮、イランを攻撃している。その文書はベネズエラ、ベラルーシ、シリアにも触れている。しかし、ABNは、世界の独裁者のほとんどが集う世界反共産主義連盟 [6](現在は「自由と民主主義のための世界連盟」という上品な名称になっている)の創設と運営に参加した。

この「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシアによるウクライナへの軍事介入を受けてCIAによって創設された。この集まりは1年半の間に、ポーランド、チェコ共和国、アメリカ、スウェーデン、ヨーロッパと日本の国会で、すでに7回開催された。同時にCIAは、イラクやシリアと同じように、ベラルーシとタタールスタンにも亡命政府を作った。まだ誰も承認していないが、欧州連合(EU)はすでに敬意を持って受け入れている。これらの亡命政府は、長年続いているイツキリア(チェチェン)の亡命政府に加えている。

現在のシステムは、その目的を達成するようには設計されていない。米国は、核保有国であるロシア連邦を解体するつもりはない。そのような事態は国際関係を完全に不安定化させ、核戦争の引き金になりかねないことを、ほとんどの指導者は認識している。そうではなく、ロシアを解体するというありえない目標を達成することを望む米国のために、人々を動員することの方が問題なのだ。

多くの政治家がこのゲームに参加している。元ポーランド外相のアンナ・フォティガがそうだ。2016年、彼女は欧州議会にEUの戦略的コミュニケーションに関する決議を提出した。彼女はEUのすべての主要メディアに影響を与える制度を考案し、それは効果的に機能した。フランスの中道派議員、フレデリック・プティの例もある。2014年、彼の党の広告塔(フランソワ・バイルーとミレイユ・ド・サルネズ)はキエフのマイダン広場に行き、「統合民族主義者」と一緒に写真に収まった。元ロシア議員のイリヤ・ポノマレフについては触れるまでもない。

ジェームズタウン財団のような頭脳集団(シンクタンク)もそうだ。CIA長官ウィリアム・J・ケーシーの協力を得て、ソ連からの著名な亡命者を機に設立された。2020年(つまりウクライナ戦争前)にロシアでは活動禁止とされた。ロシア解体に関する資料をすでに印刷していたからだ。最後に、ハドソン研究所は世界自由民主連盟(旧世界反共産主義連盟)を通じて台湾から資金援助を受けている。これにより、同研究所は「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムの集まりを主催することができた。


翻訳:ロジャー・ラガセ

参考文献

[1] 『第一次世界大戦中、ドイツがロシアの異民族の間で行った反ロシア宣伝戦への貢献』、セッポ・ツェッテルベリ、アカテミネン・キルヤカウッパ(1978)
[2] 『MI-6、女王陛下の秘密情報部の隠密世界の内部』、スティーブン・ドリル、フリー・プレス (2000)
[3] 『ベラルーシの秘密:アメリカにおけるナチスとの関係』、ジョン・ロフタス、アルバート・クノップフ(1982)
[4] 『極端な時代のウクライナ民族主義 ドミトロ・ドンツォフの知的伝記』、トレバー・エルラッハー、ハーバード大学出版局 (2021)
[5] 『ステパン・バンデラ: ウクライナ人民族主義者の生涯とその後: ファシズム、大量虐殺、そして狂信』、グジェゴシュ・ロッソリンスキー=リーベ、イビデム・プレス (2015)
[6] 『世界反共同盟:犯罪の国際化』、ティエリ・メイサン著、アヌーシャ・ボラレッサ訳、ヴォルテール・ネットワーク、2004/05/12
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