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南北戦争の真因は「奴隷解放」ではなく「南部の連邦離脱による関税支払い拒否」だった。

<記事原文 寺島先生推薦>
原題:南北戦争の理解
マイク・ホイットニによるポール・クレイグ・ロバーツへのインタビュー
Understanding the American Civil War. Dr. Paul Craig Roberts
Mike Whitney Interviews Paul Craig Roberts

出典:Global Research  2023年9月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月8日


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ポール・クレイグ・ロバーツ(以下PCR):質問に答える前に、私の回答は単なる私の意見ではなく、歴史的な記録で裏付けられた厳密な事実であることを明確に述べておく必要があります。ジョン・メイナード・ケインズのように、私は自分の意見を事実に合わせて保ちたいと考えています。いわゆる「南北戦争」に関する事実は十分に明確です。

 リンカーンと共和党は、1861年3月2日のモリル関税法が南部諸州の脱退を引き起こす結果になることを理解していました。同じ日に、脱退を防ぐために共和党はコーウィン修正案を可決し、エイブラハム・リンカーン大統領もこれを支持しました。コーウィン修正案は奴隷制を廃止することを不可能にするものでした。

「1861年3月2日、議会は奴隷所有州の脱退を防ぐために、奴隷制が存在する州で奴隷制を保護するために設計された憲法修正案を提案し、批准のために各州に送ったが、その試みは失敗した」。



 もし共和党が奴隷制を廃止するために南部に侵攻したのなら、なぜ彼らは奴隷制を永遠に続けることを許す憲法修正案を通過させたのでしょうか? もし南部が奴隷制を守るために戦争をしたのなら、なぜ南部はコーウィン修正案を批准して連邦に残ることをしなかったのでしょうか?

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写真:ポール・クレイグ・ロバーツ博士

 これらの質問は南北戦争が終結して以来ずっと、誠実さを欠いた歴史学者たちによって避けられてきました。

 この戦争は血みどろの戦いでした。連邦の将軍ウィリアム・テカムセ・シャーマンとフィリップ・シェリダンは、南軍だけでなく、市民や彼らの避難所、食料供給も標的にしました。戦争が終わりに近づくにつれて、南部の荒廃した状態は北部で同情を呼び起こしました。それは「レコンストラクション」(南北戦争後の南部の合衆国への再統合期by英辞郎)の下でより多くの罰と屈辱を押し進めようとする共和党急進派が望まないものでした。共和党員は、この戦争の説明を南部白人の不正から奴隷を解放する道徳的な事業に変える必要があると考えました。「レコンストラクション」は南部の敗北だけに止まらず、残虐な屈辱を与えるものでした。こういった事情を克服するためには南部は人々を奴隷状態にしておくために戦ったという道徳的に不正なイメージの創り出すことが必要でした。

 「勝者が歴史を書く」という原則に基づき、再構築された説が広まりました。

マイク・ホイットニ(以下MW):南北戦争の起源を理解したいのです。私は連邦が奴隷制を終わらせるために戦争に行き、奴隷制が南北戦争の主要な原因であると教えられました。それは本当ですか?

PCR:すべての歴史的な文書が示すように、奴隷制はいわゆる南北戦争とほとんど関係がありませんでした。まずこのことを明確にしましょう。それは内戦ではありませんでした。内戦は、政府の支配権を巡る戦いです。南部は政府を奪取しようと戦ったわけではありません。南部は単に合衆国からの離脱という憲法上の権利を行使しただけです。

 連邦離脱が結果的に戦争となりました。なぜなら、リンカーンは「連邦を保護する」と決意しており、南部に侵攻したのは「連邦を保護するため」であり、奴隷を解放するためではないと彼は何度も宣言しました。彼はアメリカ合衆国憲法が奴隷制を州の権利の問題として規定しているため、奴隷を解放する権限がないと述べています。

就任演説でリンカーンは次のように述べました。「私は、奴隷制度の存在する州において、直接的にも間接的にも干渉する意図はありません。私はそうする合法的な権利がないと信じており、そうする意向もありません」



 北部は奴隷制に関して戦争を起こす意図はありませんでした。共和党議会が関税法を可決した同じ日、共和党議会は奴隷制に対する憲法上の保護をさらに強化するためのコーウィン修正案も可決しました。

 リンカーンは、南部諸州が関税を支払う限り、南部が望むだけ奴隷制を持つことができると述べました。北部は奴隷制について戦争を起こすつもりはないが、関税を徴収するためには戦うことになるだろう。リンカーンは①「関税や輸入税を徴収するために、流血や暴力は必要ない、②「税を徴収するためには政府権力を行使するだろう、と述べました。

 南部は北部を侵攻していません。北部が南部を侵攻したのです。

 リンカーン大統領は何度もその理由を明確にしました。北部の侵略戦争は、連邦を維持し、北部産業化の資金調達が目的の、関税を南部諸州に支払わせるためでした。南部は南部が侵略されたために戦ったのです。

 現代に至るまで、イデオロギー的な戦いをしていなかった、例えばチャールズ・ビアードのような真剣な歴史家たちは、北部と南部の州との間の対立を経済的なものと説明しました。北部は、イギリスからの輸入品に関税を課すことを望んでおり、それによってイギリスからの輸入品の価格を、同じ商品が北部の工場で生産される価格よりも高くすることを望んでいました。

 南部諸州は、より高価な北部製品を補助するためにお金を支払わされることに反対しました。南部諸州はまた、報復としてイギリスが南部の綿花とタバコの輸出に関税を課す可能性に懸念を抱いていました。

 先住民から領土を奪い、州として組み込んだので、北部と南部の違いは、例えば「ミズーリ妥協*」に見られるように、奴隷制の拡大についてではなく、北部が南部に関税を課すことができないよう議会での北部と南部の均衡を維持することを巡ってでした。
*1820年にアメリカ合衆国議会において、奴隷制擁護と反奴隷制の党派の間で成立した取り決めであり、主に西部領土における奴隷制の規制を含んでいた。(ウィキペディア)

 何度も述べたことですが、リンカーン大統領は、奴隷制は州の権利の問題であり、廃止するための連邦の権限は存在しないと述べ、奴隷制を廃止することで自身の権限を超えるつもりはないと述べました。北部では、リンカーンの話にあまり耳を傾けない奴隷廃止論者だけが、この戦争は奴隷制を終わらせるための作戦だと見ていました。

 関税法が議会を通過したので、南部の州は連邦離脱をしようとしました。また北部共和党はリンカーン大統領の就任前夜、奴隷制を永遠に廃止することを不可能にするコーウィン修正案を可決しました。リンカーンはこの修正案を支持しました。今日、歴史家たちは南北戦争についての自説を守るために、この事実を曖昧にしなければなりません。彼らは、リンカーンがコーウィン修正案を支持も反対もしなかったと言います。しかし、ここに就任演説で修正案を受け入れたことを示すリンカーン自ら発言した言葉があります:「修正案が明らかに廃止できなくなることに、私は何の異論もありません」と述べています。

 リンカーン大統領は南部に対して明確な取引をしました:連邦にとどまれば、奴隷制はアメリカ合衆国政府によって永遠に保証される、と。

 もし南北戦争が奴隷制を巡っての戦いであれば、なぜ南部はリンカーンの保証を受け入れることで戦争を避けなかったのでしょうか? 実際、リンカーンは、奴隷制は州の権利の問題であり、連邦政府の問題ではないと認めていたのです。なぜその保証が必要だったのでしょうか? 南部は奴隷制の廃止に対する2つの保証を持ちながらも、奴隷制のために戦いを望んだと言うのですか?!

 もし奴隷を解放するために連邦政府が南部に侵攻したのなら、なぜ連邦政府は奴隷制の永続性を保証するコーウィン修正案を通過させたのでしょうか?

 それははっきりしています。奴隷制が問題ではなかったのです。


 戦争は関税法の成立と南部の連邦離脱による関税の支払い拒否によって引き起こされました。南部を、コーウィン修正案を使って連邦にとどまらせることができなかった時、リンカーンは侵攻したのです。

 南北戦争は奴隷制を巡って戦われたとする説を支持する歴史家たちは、南部が連邦離脱のために展開する議論を支えにします。南部は戦争を避けるために憲法的な根拠に基づいて連邦を離脱しようとしました。北部は憲法を尊重するだろうと考えたのですが、それは南部の考えの甘さでした。


 アメリカ合衆国憲法では、関税は州の権利の問題ではなく、連邦政府の問題です。南部は関税反対を基礎に連邦離脱の憲法的正しさを主張することはできませんでした。しかし、南部は奴隷制度の問題を根拠に脱退を主張することはできました。なぜなら、憲法は北部の州に逃亡奴隷を返す義務を課しており、一部の北部州はこれを拒否し、アメリカ合衆国憲法に違反して逃亡奴隷を返さなかったからです。したがって、北部州はアメリカ合衆国憲法を破っていたため、南部州には連邦離脱の憲法的根拠がありました。南部は、北部州が憲法の契約を破ったと主張しました。

 南部は憲法に従って行動したのであり、連邦離脱によって反逆や反乱を起こしていたわけではないことを示すために、一部の州の離脱文書では、逃亡奴隷を返さない北部州が憲法の契約を無効にしたとする主張が展開されています。これが、南北戦争は奴隷制度を巡るものであると歴史家たちが主張する根拠になっています。私はこれについて詳しく書いています。詳細は(こちら)と(こちら)を参照してください。

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MK:1863年1月1日、エイブラハム・リンカーン大統領は奴隷解放宣言を発表し、「奴隷の身分に留め置かれていたすべての人々は今後自由になる」と宣言しました。アメリカ人は学校で教わらなかった奴隷解放宣言についてどのような知識が必要でしょうか? リンカーンは本当に描きだされたような「偉大なアメリカの英雄」だったのでしょうか?

PCR:奴隷解放宣言は戦争の方策であり、奴隷の自由を実現する方策ではありませんでした。

リンカーン大統領政権の国務長官が言っています:「私たちは支配していない領土で奴隷を解放し、私たちが支配する領土では奴隷は奴隷状態のままにしておいた」。



 戦争の最初の2年間、南軍の将軍であるロバート・E・リーストーンウォール・ジャクソンは、はるかに少ない兵士を率いてリンカーンの大規模な軍に一貫して敗北させていました。リンカーンは将軍を一人また一人と交代させ、すべてが北バージニア軍の小さな軍によって打ち負かされたのです。

 リンカーンと彼の補佐官たちは、南部の領土にいる奴隷たちを解放する連邦宣言を布告すれば、奴隷たちは反乱を引き起こすだろうし、リーの無敵の軍隊は自分たちの妻や子供を守るために帰宅するだろうと確信したのでした。

 しかし、そのような奴隷反乱はおこりませんでした。

 北部の侵略戦争を、リンカーンによる奴隷解放の戦争だとする間違った考えは、黒人に対するリンカーンの見解と一致しないことになります。ここに本人が述べた「偉大な解放者」の記述があります:

「私は、(白人と黒人の)人種の分離が混血を防ぐ唯一の完璧な手段であると述べた・・・そのような分離・・・は植民地化によって実現しなければならない」(黒人をリベリアや中央アメリカに送ること)。(エイブラハム・リンカーン選集、第II巻、409ページ)。

「アフリカ人を彼の故郷に転送することが・・・道徳的に正しい、・・・我々の利益にとって好ましい、と信じられるようにしよう。」(選集、第II巻、409ページ)

(Lincoln)「私は、白人と黒人の社会的および政治的平等をどのようにしても実現させることに賛成したことなど一度もない。また、黒人を有権者や陪審員にすることに賛成したことは、一度もない。彼らに公職を務めさせることや、白人と結婚させることに賛成したことは、一度もない」(選集、第III巻、145-146ページ)



 どうして実際のリンカーンが「偉大な解放者」になったのでしょうか?

MW:あなたの著書『嘘の帝国(Empire Of Lies)』で、南北戦争を「北部の侵略戦争」と呼んでいますね。正直、私はその言い方を耳にしたことは一度もありませんでした。が、歴史的事件の解釈は、解釈者の出身地によって解釈が大きく異なるのですね。勉強になりました。北部の人間が犯す南北戦争について紛れもない間違いは何ですか?

PCR:それは北部が南部を侵略したことです。南部は侵略されたからこそ戦ったのです。リンカーンは南部の憲法にかなった連邦離脱の主張を拒絶し、南部を反乱者と宣言し、連邦を維持するために侵略しました。

 シャーマンとシェリダンの指揮下の連邦軍は戦争犯罪を犯しました。彼らは民間人を攻撃し、飢えさせ、家畜を虐殺し、家を焼き尽くしました。一方で、リー将軍は北バージニア軍を連邦領土に進出させ、紛争を終結させようとした際、ゲティスバーグの戦いに先立って、兵士たちに、自分たちの目的は敵軍を打ち負かすことであり、南部の民間人に連邦軍が行なったことへの報復をすることではないことを忘れないように、と忠告しました。

 南部の奴隷解放のために連邦軍が戦っていたという誤った主張は、戦争終結時に同じ連邦軍とその将軍シャーマンとシェリダンがプレーンズ・インディアン*に放たれ、彼らの食料供給源であるバッファローを絶滅させ、女性や子供を虐殺したという事実を知ると、明らかに馬鹿げています。これに関しては多くの本が書かれ、映画が制作されています。私の心に常に浮かぶのは、南部の植民地で黒人を救うことが偉大な道徳的使命であるなら、同じ軍隊がプレーンズ・インディアンに放たれた時、その道徳的使命はどうなったのかという疑問です。なぜ一方の「有色の人々」は救い、他の「有色の人々」は殺してしまうのでしょうか?
*アメリカロッキー山脈東部の大平原プレーンに居住したインディアン(英辞郎)

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MK:ご著書で私がとくに興味をもったのは、次のところです:

「歴史が政治的になる前、歴史家たちは北部が工業と製造業の発展のために南部に費用を負担させる意図を持っていたことを理解していた。農業中心の南部は、イギリスからの商品は安いほうがよかったのだ。南部にはわかっていたのだ。イギリス製品に関税を課すことで、輸入価格は北部の高い価格を超え、南部の生活水準が下がり、北部は生活水準が上がることが目的だったことを。この紛争は完全に経済的なものであり、奴隷制度とは何の関係もなかった。奴隷制は、北部でも存在していたのだから・・・」。



 これは特筆すべき記述で、私たちの基本的な南北戦争観が誤りであることを示しています。

 一連の出来事の公的な見方は、戦争が人道的な理由(奴隷制度の終了)のために、慈悲深い指導者(リンカーン)によって発動され、彼の行動は彼の原則への揺るぎない献身に導かれていたとなっています。あなたの意見は、こういった歴史観が誤っており、紛争が奴隷制度よりも関税、産業、生活水準と関連があるとおっしゃっています。

 述べられたご意見を敷衍して、あなたのご意見で結構ですから、次の質問に答えていただけませんか? 米国は、リンカーンが南部の連邦離脱を許し、二つの分離した国に永久になっていたら、今よりもよい状態になっていたのでしょうか?

PCR:「公式見解」は公式なものではありません。それは歴史的文書で全く支持されていない修正主義者の見解です。「公式見解」の目的は、北部の戦争犯罪を隠蔽し、「レコンストラクション」を正当化することです。

 もし南部が勝利していた場合、今日のアメリカはより小さな国でしょう。南部は北部から身を守るために西部の領土への拡大競争を行なったでしょう。メキシコは奪われた領土の一部を保持し続けることができたかもしれません。

 より小規模な存在として、アメリカは世界の覇権を主張することができないでしょう。そうなれば、私たちは攻撃的な外交政策からの核破壊の恐れに直面することはないでしょう。

*
マイケル・ホイットニーは、ワシントン州を拠点とする著名な地政学および社会分析家です。彼は2002年に独立した市民ジャーナリストとしてのキャリアをスタートし、誠実なジャーナリズム、社会的正義、世界平和へのコミットメントを持っています。彼はCentre for Research on Globalization(CRG)の研究員でもあります。

ポール・クレイグ・ロバーツは、著名な著述家であり学者であり、The Institute for Political Economyの議長です。ドクター・ロバーツは以前、The Wall Street Journalの副編集者およびコラムニストを務めていました。彼はレーガン政権時代に経済政策の補佐官を務めたこともあります。彼はGlobal Researchへの定期的な寄稿者でもあります。

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