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汚い小さな秘密 アルジャージーラのニュース

<朝鮮戦争の読書メモを書いている際に、貴重な資料だったので翻訳しました(翻訳:岩間龍男)>

汚い小さな秘密 Dirty Little Secrets

アルジャジーラ 2010年3月10日

http://english.aljazeera.net/programmes/peopleandpower/2010/03/201031761541794128.html

 この夏は朝鮮戦争開始から60年目の記念日に当たります。血なまぐさい3年間の戦争は、共産主義国の北朝鮮とアメリカに率いられた国連の連合軍によって支援を受けた南朝鮮を対決させました。

 それは冷戦の最初の武力紛争であり、1953年に休戦が合意されるまでに、200万人の兵士と200万人の民間人が殺傷されました。

 60年たっても、いまだに戦争は正式には解決していません。

 両陣営の軍隊は38度線でお互いに対峙しています。その一方で、ワシントンと北朝鮮の首都である平壌の関係は、北朝鮮の核兵器のプログラムをめぐる厳しい論争に支配されています。

 しかし、両陣営につきまとい続ける別の厳しい歩み寄りのない論争があります。

 北朝鮮が主張しているのは、戦争中にアメリカが朝鮮の民間人に対して生物兵器を使用したということです。炭疽菌、腸チフス、腺ペストに感染した昆虫や貝類や羽を含んだ「細菌」爆弾を国中の村々に投下したというのです。

アメリカはいつもこれらの主張を猛烈に否定してきました。そしてこれらの主張を秘密主義の全体主義国家からの粗野でとっぴな共産主義者のプロパガンダとして片づけてきました。
 それにもかかわらず、その告発は消えることはありませんでした。平壌は、アメリカが決して起こらなかったと主張する「憤慨させる事柄」に対して、謝罪を求め続けています。
 
 森正孝教授は、伝えられている「生物」兵器についての真実、20年の謎を解明しようとしてきた
 
 特別増補版で、「人間と権力」[アルジャジーラのドキュメンタリー番組]はこの異常な話の調査を始めました。
 北朝鮮での私たちの旅が始まりました。北朝鮮では、優れた日本人の研究者である森正孝教授の後を追う前例のない方法を私たちは取りました。彼はこれまでの20年間、その謎を解明しようとしてきました。
 森教授のこの4度目の北朝鮮への訪問での彼の意図は1952年に村々に対する生物攻撃を直接目撃したと主張する人々と話をすることでした。
 しかし、森教授も「人間と権力」の現地撮影のプロデューサーであるティム・テイトもいかなる幻想もいだいていませんでした。
 北朝鮮は世界でこの上なく秘密主義の国のひとつであり、通常ジャーナリストにとっては入り込めない国です。私たちのカメラが行く所はどこへでも、政府の役人たちもついてきて、どこで何を私たちが撮影するのかをきびしく監視していました。
 平壌の中心部にある大きな博物館で、森教授が詳しく調べたのは、アメリカの細菌戦の直接の証拠であると北朝鮮の人々が主張することに当てられている一つの部屋でした。その部屋には、ハエや蚊やノミの標本でいっぱいの瓶がありました。それらはすべて致命的な病原体を注入されていると伝えられていました。
 上品に制服を着こなしていた陸軍の将校リュウ・ウク・フイRyu Uk Fui大尉は、いくつかの回収された爆弾体に森教授に注意を向けさせました。
 彼女が言うには、爆弾体は衝撃でぱっくりと割れて昆虫を解き放ちその地方の人々に感染するように改造されていたということでした。
 
大量の昆虫が雪の中に落ちた爆弾体の回りを這い回っていたと、北朝鮮の人々は述べた
 
 その画像粒子の粗いフイルム映像は、1952年の北朝鮮のニュースであるということですが、爆弾体の近くの地面を覆っていた雪の上で大量の昆虫が這いまわっていることを示しているようでした。
 これらすべては、もちろんインチキであった可能性もあります。そのようにしてアメリカは、いつもそのような主張に応じてきました。特にアメリカの36名の空軍パイロットの映像化された告白に対しては、そのように応じてきました。平壌の博物館でもそれは上映されていました。そのパイロットたちは、アメリカの細菌攻撃への参加についての詳細な説明を明白に北朝鮮の人々にしています。
 
フワンジン Hwanjin
 
 しかし、他の証言をもっともらしく偽造するのはもっと難しいです。 
 後に私たちは北朝鮮の奥深くの地方、フワンジンと呼ばれる村へ車で乗せて行ってもらいました。そこでは、二人の年配の農民が気長に待ってくれていました。
 明確だったのは、その二人はこの行事のためにお膳立てされた人たちであり、二人とも上着には愛国者のバッジをつけていました。しかし、その風雨にさらされた顔、たこのできた手、汚れた指の爪は、畑で過ごした長い年月を物語っていました。
 はっきりしたことは分かりませんが、二人ともこの行事のためにお膳立てされた共産党の政治局員とはみえませでした。そして一人が説得力と情熱をもって語ったことは、昆虫がやってきたあとに、彼の父親と他の多くの人々の命を奪った事件についてでした。
「3月のことでした。ハエは大きく、その色は茶色がかっていました」と、ユン・チャン・ビンは言いました。
「それから程なくして、4月頃に、腸チフスのような恐ろしい伝染病が広がりました。村人たちは高熱を発症しました。食欲がなくなり、腕や足が痛み、さらに痛みが大きくなりました」。
 村には50世帯ほどありましたが30人以上が死んだと、彼は付け加えました。
「私の父は死にました。父は高熱に苦しみ、そして体の下半分を使えなくなりました。父は食べることも動くこともできませんでした」。
 彼の友人の農民がそばで励ますようにしてうなずいていました。ユン・チャン・ビンは、森教授を真っすぐに見ていました。
「私があなたに世界の平和を愛する人々に伝えてほしいのは、アメリカ人が犯した残虐行為についてです。それは私たちに苦痛を負わせ、私たちを不幸にし、私たち朝鮮人全員を殺害するためのものでした。私たちを絶滅するために細菌爆弾をばらまいたのです」。
 
涙と険しい表情
 
 別の村では、別の証言者リー・サン・バムは両腕を広げて、鉄の爆弾について述べました。その爆弾は60年前に低空飛行の飛行機から近くの凍結した湖に落とされました。その爆弾は雪の上に昆虫の積み荷をばら撒きました。そしてそれから村人たちが病気にかかり死にました。
「人々が排便をすると、便に血が混じっていました。そして人々は発熱をし、その熱のためにすべてのものを嘔吐しました。この発熱の後、私の祖母は死にました。私の叔父の1人も死にました。だから私たちはアメリカ人を最大の敵とみなさなければなりません。アメリカ人のことをどうやってよく思えるのでしょうか」と、リー・サンは述べました。
 森教授は何年にもわたり北朝鮮の数十人の人々に面接をしてきました。そして彼ら皆から似た話を聞いてきました。「人々は涙を流し怒りで顔をゆがめて、その話をしてくれました。彼らはこの細菌戦は本当にあったと私に話してくれました」。
 これらの説明がどれほど説得力があると思っても、北朝鮮民間人からの証言では、アメリカが朝鮮で細菌戦を行ったということを、疑り深い世界に納得させるには十分でないことが森教授には分かっていました。
「科学的調査、あるいは医学的生物学的調査がされるべきです。政治的でない純粋に科学的な組織が調査のために朝鮮に送られることが、何よりも必要だと思います」と、森教授は言いました。
 1950年代にもどり、もともとの申し立てがなされて数カ月以内に、そのこと[科学的な組織が調査のために送られること]が起きた時、北朝鮮は国際委員会を国に招きました。
 
国際委員会
 
その委員会は、フランス、イタリア、スウェーデン、ソ連、ブラジルからの科学者で構成され、イギリスの左翼系ではあるが著名な胎生学者ジョセフ・ニードハムJoseph Needhamに率いられて、影響を受けた地域を視察し、病人や死にかけている人々に面接をして、彼らの伝染病の詳細な分析を実行しました。
600ページのその結果報告書には、犠牲者の検死結果も含まれていました。これらの検死結果は、腺ペストやコレラ、炭疽病を確認していました。
その報告書は、細菌戦が北朝鮮が主張したように正確に行われていたと結論付けました。しかし、科学的な証拠の明らかな豊富さにもかかわらず、それはアメリカによって共産主義者の偽情報として再びしりぞけられました。
そういうわけで、もし新しい国際的な調査が取り組まれるならば、北朝鮮よりさらに広い範囲に、特にアメリカにそれは広げられなければならないでしょう。アメリカにはほとんど確実に真実があり、超大国の冷戦の秘密の中に真実が深く埋もれているからです。
まさにそのアメリカで「人間と権力」は次のことを発見をしました。1940年代から1950年代にメリーランド州フォート・デトリックの米軍基地のアメリカ人科学者たちは、腺ペストや他の致命的な病原菌に感染した昆虫の爆弾搭載物を投下する方法を開発していました。
私たちの調査はまた、アメリカ国立公文書館のふたつの注目に値する文書を明らかにした。
 
731部隊
 
その文書は以下のことを明らかにしていました。アメリカは日本軍の細菌戦チームである731部隊の専門知識を手に入れていました。731部隊は、細菌戦の技術を完成するために、1930年代から1940年代に人体実験を行っていました。第2次世界大戦の時、日本軍は数千の細菌爆弾を中国北部に投下して、何百万もの民間人を殺害しました。
「トップ・シークレット」の印がつけられていた第3の重要な文書は、次のことを示していました。1951年の9月、アメリカ統合参謀本部は「大規模な実地試験」を開始して「戦闘に即応できる条件のもとでの具体的な細菌戦の病原体の効果を見極める」命令を出しました。
もしこれらの「実地試験」が本当に取り組まれたのならば、日本の細菌戦チームの専門知識が利用されていたでしょう。
日本で、「人間と権力」は731部隊の元メンバーの1人からホームビデオのフィルムを発見しました。これは彼が死ぬ前に撮影されたもので、その中で彼は彼のリーダーたちがアメリカが朝鮮で「攻撃」をした時に実際に手伝っていたと主張していました。
しかし、おそらく最も有力な証拠は、北朝鮮への爆撃に参加をした元アメリカ空軍将校からのものです。
 ケネス・イーノックKenneth Enochは、1952年1月に撃墜され、20カ月間戦争捕虜として拘留されました。
 
「告白」
 
 捕虜になっていた時、彼は36人のアメリカ空軍将校の1人でした。彼らは書面のそして撮影された形での「告白」をしていました。「細菌爆弾」の任務に参加したという「告白」です。
 1953年にこれらの戦争捕虜が本国に送還された時、アメリカ国防省は捕らえた側に協力をしての裏切り行為で彼らを起訴すると脅しました。
 そして一人ひとりが軍のカメラの前で彼らの告白を撤回しました。彼らは北朝鮮と中国の監視人たちに拷問をされ洗脳されたと主張しました。
 しかし、私たちがイーノックを見つけ出しインタビューした時、もう85歳になっていて元気でテキサス州のゲイティド高齢者居住地区で生活していましたが、虐待を受けたり洗脳されたということを否定しました。朝鮮戦争でアメリカが生物兵器を使用したということを、彼は少なくとも部分的には告白したようでした。
「そのことを扱う人々は戦いに行く必要はありません。そしてその人々にとってそれはおいしい取引です。お分かりと思いますが、彼らはあなたといっしょにそれを送ります」と、彼は言いました。
 それにもかかわらず、彼は個人的には生物兵器の攻撃になんらかの役割を果たしたということを否定し続けています。
 イーノックの北朝鮮での爆撃任務の記録は、アメリカ空軍調査官によって1952年3月に公式記録から削除されました。これは彼が捕らえられた2か月後のことであり、「細菌戦争」の告白をした1週間前のことでした。
 「人間と権力」はアメリカ国務省と国防省に、私たちのフィルムに出てきた問題についてのインタビューを依頼しました。
 彼らはその申し出を受け付けてくれず、北朝鮮の申し立てについての私たちが出した10の具体的な質問に答えることも拒否しました。
 
「事実無根の主張」
 
 その代わりに、アメリカ政権のスポークスマンは、その主張を「事実無根」としてしりぞけ、「どうしても立ち消えにならない偽情報」だと言いました。
 そうならば誰を信じることができるのでしょうか。森正孝教授は答が分かっていると思っています。「戦争での細菌兵器の使用はジュネーブ条約の違反です。だからアメリカはその申し立てを認めることを拒否しているのだと思います。しかし、私は疑いを持っていません。間違いなくこのことは起きたと確信しています」。
 もちろん明らかに意味していることは、万一北朝鮮の主張がいずれ証明されるならば、アメリカは戦争犯罪の訴追を受けやすくなるということです。世界的テロと核の拡散への国際的な努力を実証するために、アメリカがその道徳的権威に頼っている時代にあって、そのことは控えめに言ってもぶざまなことになるでしょう。
どちらにしても、一つの事だけは明らかです。おそらく独立した調査によって、その申し立てに片が付き、アメリカの無実あるいは過失が疑いなく確定するまでは、もっとも永続的な冷戦の謎のひとつは、世界で最も秘密主義の国とのワシントンの関係に付きまとい続けることになるでしょう。
 
この「人間と権力」のエピソードは、2010年3月10日の水曜日に放送された。
ニュースソース:アルジャジーラ
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