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ロシアにおける政治地震:
プーチンはロシア政府の権力の座を離れる計画
を打ち出し、メドベージェフは首相辞任

<記事原文>寺島先生推薦 Russian political earthquake: Putin sets out plan for Kremlin departure & Medvedev resigns

Bryan MacDonald
RT-Oped 2020年1月15日
<記事翻訳>寺島メソッド翻訳グループ o 2020年2月3日

ぷちん2

「人生の流転はめまぐるしい」とはよく言われること。ウラジーミル・プーチンによる表向き型通りの 「一般教書」 演説は、意外にも最近のロシア政治史上最も記憶に残る午後の一つとなった。

水曜日、ロシア政府閣僚達は辞任した。メドベージェフは政治の第一線から退いた。そしてプーチンはミハイル・ミシュスチンを新首相に推しつつ、今期限り大統領職から退くことを事実上はっきりさせた。ヴァン・モリソンがかつて甘い歌声で囁いたように、「こんな日はあるものさ」。

まだ1月15日だ。ロシア人が正教会のクリスマスを祝ってから1週間後、新年を祝ってから2週間後、それほどの時間も置かず本格的な仕事始めとなった。

木曜日の朝を迎えたが、ミシュスチンはロシア国外では無名で、英語のウィキペディアの記載もなかった。国内での彼のプロフィールは、マイナーなもので、政治の虫、行政の虫として活動している人たちの間でよく知られている程度だった。
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しかし、彼が有能な管理能力の持ち主であることは間違いない。ロシア税務長官として、彼は大きな成功を収めた。税負担自体が2%しか増えていないにもかかわらず、彼の監督下で収益は約20%増加した。実際、昨年Financial Timesが彼を「未来の税務官」と呼んだのは、ロシアの関税徴収システムを世界で最も先進的かつ効率的なものに再構築した役割を評価したからだ。

彼の業績に脱帽するのは、この国ではかつて税逃れがほぼ「国民的スポーツ」のようなものになっていたからだ。
モスクワ出身のミシュスチンは、プーチンもそうだが、熱心なホッケー選手である。その彼は「ロシアの政治家としてはほとんど無名...官僚で、仕事のやり手」と言われてきた。しかし、同じような記述は1999年にプーチン自身にも適用できたことだ。その21年後、同じ場面に我々はいる。

長い別れ
今日プーチン大統領はクレムリンからの退陣に向けたロードマップを提示し、政権移行への準備を事実上開始した。彼は2024年、あるいはもっと早い時期に退任する予定で、彼が政権の中でこれほど大きな権限を行使することを可能にした「超大統領」制度を解体するつもりだ。この制度は1993年、ボリス・エリツィンが戦車を使って議会を攻撃した後、アメリカの支援を受け導入したものだ。

ALSO ON RT.COM Russian government resigns after President Putin’s state-of-the-nation address proposes changes to the constitution

プーチン大統領は、特に首相の権限を強化し、議会により大きな権限を与える方針だ。また、国務院の役割を強化したいとも考えている。実際、彼は退任後、「長老政治家」のような役割を演じることになるだろう。同機構は、ロシアの地方首長と大統領府のメンバーで構成される。勧告機能を果たすようだ。

そのためには、大統領の権限を縮小し、2期制を導入したい考えだ。これはクレムリンで最長12年執務することを意味する。プーチンはすでに16年になる。大局的なビジョンとしては、抑制と均衡機能を拡大し、大統領の権限を弱体化し、その他の政府部門を強化させることである。

はっきりしているのは、プーチンの目標が、エルツィンから受け継いだ体制を維持し、それを修正することにあることだ。いろいろな欠点はあったが、産みの苦しみを経て、それはロシア人に彼らがそれまで全く知らなかったような最高の自由と繁栄を与えた。たとえ経済的利益をより公平に分配するために、まだまだやらなければならないことがたくさん残っているにしても。

先例
そうなれば、プーチンの歴史上の居所は、アメリカにおけるフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領とほぼ同じになるだろう。ルーズベルト大統領は、財政的・社会的破局(ロシアで言えばソビエトの崩壊と悲惨な1990年代)の後に国を立て直した、唯一4期を務めた大統領である。これは、プーチン大統領が歴史に名を残したいと望んでいるという、ロシア政府内部の人々がしばしば指摘することとも一致する。ロシア指導者でそんな評価をうけている人は比較的少ない。

ALSO ON RT.COM Putin proposes major amendments to Russia’s constitution incl. about his own post, says people should vote on changes

ひとつ注目すべき提案は、将来大統領になる人たちは、就任する前に25年連続でロシアに住んでいて、外国のパスポートや在留許可を持ったことがない人たちでなければならないということだ。これでは西側寄りの政府反対派の多くが立候補することはできなくなるだろう。言うまでもなくロシアのリベラル派の大部分がそうだが、彼らの多くはどこかの時点で海外に住んでいた。興味深いことに、もしこの法律が2000年に存在していたら、ウラジーミル・プーチン自身ロシアの大統領にはなれなかっただろう。彼は1985年から1990年までドイツに住んでいた(公務としてではあったが)。

この改正案は、幅広い国民の同意を得るため、国民投票を経て決定される見通しだ。たとえ議会を通過することができたとしても、うわさによれば、9月までその施行は延ばされるかもしれない。

プーチン大統領は今日の演説で、国内の多くの懸念にも言及した。教師の給料を上げ、保育施設を増やすことを約束し、最初の4学年では子どもたちに無料の温かい昼食を導入し、そして児童手当を48カ月延長した。
メドベージェフに関して言えば、彼は排除された訳ではない。それどころか、大統領職にもあった彼は半儀礼的だが依然として格式の高い役割に移り、プーチンと並んで、共にロシアを統治した過去12年の歳月に終止符を打った。彼を政治的にはもう終わった人間と見ることは間違いだと思うが、再び同じ影響力を行使するとしたら驚きだろう。
お互い握手を交わし、メドベージェフが首相として最後にクレムリンを離れる時、プーチンは「すべてうまくいったわけではありませんが、すべてがうまくいくということなど決してないのです」と彼に言った。

そうは言っても、プーチンはやがて実施されるロシアの権力移行に対して「すべてがうまくいく」ことを期待するだろう。そのプロセスはもう始まっている。
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