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「リバティ号事件(1967年)」再考

The USS Liberty Revisited

エイリアス・デイビッズソン

グローバル・リサーチ 2019年6月20日

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年8月21日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/uss-liberty-revisited/5680251



ご記憶かもしれないが、リバティ号は1967年の「六日戦争」の最中にイスラエルによって攻撃された。 リバティ号はシナイ半島沖の公海上を5ノットで航行していた。 この攻撃で乗員294人の内、34人が死亡、171人が負傷した[1]。 イスラエル政府の主張は、一貫して、イスラエル軍がリバティ号をエジプトの補給船エル・クセイル号(以前は馬の輸送船)と混同したため、の一点張りだ。 

イスラエル政府はこの「悲劇的な誤り」を謝罪し、補償金を支払うことに同意した。 イスラエルの「誤り」とする説明を、アメリカ政府は額面どおり受け入れた[2]。 しかし、生存した乗組員の一貫した主張は、攻撃の照準はリバティ号に向けられ、リバティ号を沈没させ、目撃者を全員抹殺する意図があった、というものだ。 生存者の一人であるジェームズ・M・エネスJr.は1979年に、この事件に関する最初の本『リバティ号への攻撃』を出版した。 この本は次の二点を、合理的な疑いを差し挟む余地なく、実証した。 

    ① イスラエルはリバティ号を意図的に沈没させようとしたが、それは
       リバティ号がアメリカ船だと分かっていてやったこと。
     ② リンドン・Bジョンソン大統領を中心とするアメリカ政府は、この事実
       を隠蔽しようとした。

この相反する見方は決して両立しない。 リバティ号に関する大半の著作はこの点に焦点が当てられている。
そんな中、2003年、イギリスの調査ジャーナリスト、ピーター・ホウナムが書いた『シアン化物作戦: リバティ号が第三次世界大戦を起こしかねなかった理由』と、それに添えられたBBCのドキュメンタリー映像「リバティ号:真相は何処に?」(2002)が、議論の枠組みを変えてしまった。 

この本の中でホウナムは、
    (a) リバティ号はエジプト船と間違えられて攻撃されたという風説を
        一蹴している。 
    (b) イスラエル、アメリカの両政府が共謀して、次の2つの事実の隠蔽
       工作をしていることを具体的に述べている。
    (c) 事実1:両政府は隠蔽工作のひとつの手段として嘘とぼかしを使った。
    (d) 事実2:リバティ号の本当の使命が何であったのかは、決して開示さ
        れない。 事件以降開示された文書を読めば、ホウナムの新たな見
       解が正しいことがわかるだけはない。 ホワイトハウスがリバティ号
       を攻撃し、乗組員を殺害する意図を持っていたことも想定される。

2018年、ジョアン・メレンがリバティ号に関するもう一冊の本を出版した。『血塗られた海域:アメリカ-イスラエル共謀のリバティ号奇襲作戦』だ。 著者のジョアン・メレンはホウナムの調査結果の多くを裏付け、新たな証言でその信憑性を高めている。 彼女の結論は、ホウナムと同様、リバティ号攻撃はアメリカ-イスラエル共同の偽旗作戦で、エジプトのナセル体制を転覆させようとしたものだ、としている。

元米軍指導層も含め、現在、ほぼすべての人が受け入れている事実は[3]、リバティ号は間違って攻撃されたのでは全くない。 イスラエルが入念に準備をしてリバティ号を沈没させようとしたというものだ。 しかし、疑問が残る。
    ① なぜリバティ号が戦争地域に派遣され、さらに、警護の要請
      さえ拒否されたのか?
    ② リバティ号攻撃の目的は何だったのか?
    ③ どうしてこの問題が、今日までかくも厚い秘密のベールに包ま
       れているのか? 私はこの論考で、こういった疑問に光を当て
       ようと思う。



イスラエルがリバティ号撃沈させようとしたことに、最初、二つの動機が提示された:

① イスラエルは、イスラエル軍がシナイ半島で犯している戦争犯罪の目撃者たち(=リバティ号)を殲滅したいと思っていた。

バティ号はこういった戦争犯罪に関するイスラエルの交信を傍受していると考えられていた。 それ故、殲滅する必要があった。 この説明の基礎となっているのは次の3つの仮定だが、根拠は薄弱だ。1)イスラエル軍はイスラエルの戦争犯罪行為について無線で議論するだろう。 2)リバティ号は傍受した交信をワシントンに即座に転送することはないだろう。 3)同盟国アメリカは、イスラエルがエジプトに対して戦争犯罪を犯せば、深い憂慮の念を抱くだろう。

いずれにせよ、後に述べるが、リバティ号の任務にイスラエルの交信傍受は入っていなかった。

② イスラエルを今回の行動に駆り立てたものとして述べられたもう一つの動機は、イスラエルはアメリカにシリア攻撃の計画を知られたくなかった、ということである。 例えば、トーマス・モーラー提督はTheLink誌の1997年7・8月号に書いている:

イスラエルはゴラン高原をシリアから略奪する準備をしていた。 そういった動きにジョンソン大統領が反対していたことはよく知られている。  そして私が強く思っていることは、(イスラエル国防大臣の)モシェ・ダヤンの結論として、イスラエルの計画をワシントンに気づかせないためには、まず最初に、その情報を入手する存在、つまりリバティ号を破壊することになった、ということだ[4]。 

事実を言えば、イスラエルは、シリア攻撃の計画を隠そうともしていなかった。 アメリカ政府高官達の報告:
     ① 在イスラエルアメリカ大使ウォルワース・バーバー:自分は「報告
     にあるようなイスラエルの(ゴラン高原)攻撃があっても、実際攻
     撃が行われたとしても、驚くようなことは絶対にないでしょう」[5] 

     ② イスラエルの諜報部長官アーロン・ヤリフはその時イスラエルを
    訪問していたホワイトハウス上級補佐官であるハリー・マクファー
     ソンに語っている:「シリア問題はまだ残したままですから、シリア
     に一撃を与えることは必要だろうと思われます」[6] 

そのような憶測が出てきたのはリバティ号の傍受があったからというのではなく、アメリカとイスラエルが直接コンタクトを取っていたからだ。 いずれにしてもリバティ号だけがイスラエルの交信を傍受できる立場にいたわけではない。 そういった傍受が効果的にできるとすればそれはキプロス側からだ。[7] そしてリバティ号の任務にイスラエルの交信傍受は含まれていなかった。 

元在米イスラエル大使だったマイケル・B・オーレンが「ユダヤ仮想図書館」に投稿した記事によれば、「公文書のどこにも、イスラエルがリバティ号を問題視する記述はない。 まして、どこを押したら攻撃対象だ、などという考えが出てくるのか」[8]

イスラエルはその戦争作戦についてアメリカに知らせまいとした、と仮定しても、ひとつすっきりしないのは、イスラエルがその主要な同盟国であり、中心的な後ろ盾であるアメリカの諜報船を攻撃し、290人以上の乗組員に死者が出るような行動をしただろうか、ということだ。 しかし、アメリカ指導層との連携があれば、話は別だ。 イスラエル政府は、そんな取るに足らない利益のために、桁外れのリスクを犯すことなどするだろうか?

アメリカの演技派達は、リンドン・ジョンソン大統領とロバート・マクナマラ国務長官が、イスラエルロビーに屈服し、イスラエルは誤ってリバティ号を攻撃したという作り話を受け入れた、と非難する猿芝居を演じた。 彼らの理屈で言えば、アメリカがリバティ号攻撃の正当性を認めたのはイスラエルの歓心を買うためだけだった、ということになる。 後で触れるが、そんな軽々しい理由でアメリカがイスラエルの説明を受け入れたわけでは全くない。 しかし、まずは基本的な事実から。 

1. 軽武装のリバティ号は、何の護衛もつけられず、戦域に派遣された

リバティ号の諜報活動は国家安全保障局(NSA)の管轄下で行われた。 しかし、それが地中海で安全に航行することの責任はウィリアム・I・マーチン副提督にあった。

リバティ号が受けていた命令は、入港していたコート・ダジュールのアビジャンから出航し、最初はスペインのロタ[9]、そしてシナイ半島沿岸へ向かうことだった。 リバティ号を中東に派遣するという決定がなされたのは、「六日戦争」が勃発する1967年6月5日[10]以前のことだった。 

6月5日の朝、リバティ号はすでに「ほぼ最速の13ノットで航行しており、ロタとシナイ半島沿岸の中間にいた。」[11] 船と乗組員の安全に不安を感じたデイブ・ルイス艦長はマーチン副提督に、駆逐艦をリバティ号の護衛につけてくれるよう要請している。 

リバティ号は基本的に無防備だった。 戦艦ではないのだ。 マーチンはリバティ号の要請を拒否した。 イスラエルとエジプトの戦争が、その間、開始されているという事実があるにも関わらず、である。 リバティ号は戦域に向かって、何の護衛もつけられないまま、向かうことになった。 マーチンの公式説明はこうだ。リバティ号は「明確なアメリカ標識をつけた船で、公海上を航行して」おり、「いかなる国からも攻撃されるような理由は存在しない。」 さらに、「あり得ないが、たとえ想定外の攻撃があっても、第六艦隊空母からジェット機が発進し、10分もかからず現場上空に到着できる」との説明もあった。 [12] (しかし)リバティ号が攻撃された時、同艦の救助に向かったジェット戦闘機は一機もなかった。

リバティ号の護衛が拒否された理由が明白になったのは、後になってからである。

2.リバティ号が中東に派遣されたのは仕組まれた任務

リバティ号が攻撃された直後、海軍の情報公開室は次の新聞発表を行った:
「『技術調査船』と呼ばれるリバティ号は、①中東におけるアメリカ政府官職間の交信を確実なものにするため、そして②アラブ-イスラエル戦争地域から、アメリカ人で自力では動けない人やアメリカ人以外の市民を避難させることに関する情報の連携を支えるため、派遣された。」[13]

この新聞発表は、一般人を欺くためでしかなかった。 イスラエル、ロシア、そしてエジプト海軍を欺くことは不可能だ。 この三国は、リバティ号がアメリカの最新鋭スパイ船であり、人々の安全確保のようなちまちました任務で戦争地域に派遣されることはまずない、ということを知っていたからである。 

別の話がAP社にリークされた。 1967年6月9日のAP電で、 空母アメリカ艦上からボブ・ホートンが発信。 匿名の士官が語った話として次のことを伝えている:

    「率直に言いますと、(リバティ号の)そこでの任務はアメリカのた
    めのスパイ活動です。 ロシアも同じことをしています。 エジプト
    とイスラエルの交信をモニターするために、(戦域に)接近しました。 
    やむを得ないことです。 事態の進行情報を分単位で取得しなけ
    ればならないからです」[14]

「信頼できる情報筋」の体裁を取って公開されたその話も作り話だ。 というのも、いろいろな調査や証言で隠せなくなっているのは、リバティ号には、イスラエルの交信をモニターできるヘブライ語を話せる士官もヘブライ語専門家も、乗船していなかったことだ。[15] ジョアン・メレンが引用するアメリカ海兵隊ブライス・ロックウッドの話によれば、リバティ号の交信傍受担当のデイビッド・ルイスから直に言われたのは、イスラエルの交信を傍受しても、それは破棄せよ、というものだった。 同盟国イスラエルの交信を傍受することは彼らの任務ではなかったのだ。[16] リバティ号に乗艦していたアラビア語専門家達は、実質的に仕事は何もなかった。 6月8日にはすでに、エジプト軍はイスラエルに敗北していたし、 モニターすべきエジプトの戦闘交信はゼロだったからだ。 

ロバート・L・ウィルソン(乗艦していたアラビア語専門家の一人)が後年語ったこと:

    「その時エジプトから発せられる交信はそれほど多くはありません
    でした。[17] 私たちが任務に就くと、エジプトは死んだも同然の
    状態でした。 傍受できる音声による交信は皆無でしたし、聞こえ
    るのはイスラエルの交信だけでした。」[18]

リバティ号が目標地点に近づいた時の乗員ロイド・ペインターのコメント:

    「『六日戦争』の監視のために6千マイルを航行してきたが、到着
    時点で戦争はまさに終結段階に入っている。」

同じく乗艦していたフィリップ・アームストロングのコメント:

    「到着が遅れたことを喜んでもいい。 あの海域で孤立していれば、
    簡単に攻撃されてしまう。 考えたくもないが、戦争が勃発した時、
    ガザ地区沖に停泊していたら今頃どうなっていたかわからない。」[19]

彼らには、何が自分達を待ち受けているかについての情報はゼロだったのだ。

3.リバティ号救出の動きを止めたのはホワイトハウス?

リバティ号乗員の話によれば、最初のSOSが発信されたのは、イスラエル時間の午後1時58分と2時09分。 攻撃の時間についての推定はまちまちだが、午後3時15分まで攻撃は続いたと思われる。 最初は航空機、それから魚雷艇による一連の攻撃があった。 


ジョー・タリーは空母サラトガ(第六艦隊空母のひとつ)の船長だった。 ピーター・ホウナムの記述によれば、タリーは空母サラトガの航海日誌などの記録を個人的に持っていて、次の事実があったことをはっきり確認している。 つまり、その時、12機の戦闘爆撃機と4機の空中給油機が空母サラトガを発進し、リバティ号から無線のあった地点に向かった、と。[20] その1分後、海軍少将ローレンス・ガイス(第六艦隊運送部門司令官)から、タリーに無線があり、飛行機の帰還を命ぜられている。 [21]

90分後に、また、救援機を発進させられる、とタリーはガイスに言われた。 しかし、その救援機もまた帰還させられた。[22] タリーは、ワシントンがリバティ号を救出しなかったことを死ぬまで憤慨していた。 しかし、なぜ救援機の帰還命令が出たのかの理由は分からずじまいだった。[23]

タリーが驚いたのは、彼も空母アメリカ船長ドナルド・エンゲンも、この点についての質問は全くされなかったことだ。[24] デイブ・マクフェガンはリバティ号生存者だが、同艦での自分の役割について語ることは今でも口が重い。 その彼に対する質問:第六艦隊旗艦司令官の副提督マーチンはリバティ号攻撃を予知していたのか? 「もちろん、副提督は知っていましたよ」[25] このことは、リバティ号生存者たちの大半が思っていることだ。

交信を担当していたリバティ号生存者のデイビッド・E・ルイス海軍少佐は、入院中ガイス提督から報告するよう指示されたと言っている。[26] リバティ号防衛のため、ガイスが2回航空機の発進を命令していたことをルイスは知ることになった。 発進させるたびに、ホワイトハウスは、すでに飛行中の飛行機を帰還させるよう命令した。 さらにルイスは証言した。

    「最初の帰還命令がロバート・マクナマラによって下された時、ガ
    イスが思ったのは、発進した飛行機の中に核兵器を搭載している
    飛行機があるのではないか、とマクナマラが心配したかもしれない、
    ということだった。 ガイスはすぐに機体編成を変更し、核兵器を
    搭載できない飛行機で再度発進させ、その旨ホワイトハウスに知ら
    せた。 マクナマラは、それでも、飛行機の帰還を命じてきた。 それ
    からガイスは、この命令の再確認を要請。 すると最高司令官のリン
    ドン・ジョンソンが(電話口に)出て、飛行機の帰還を命令した。 『ア
    メリカの同盟国を困らせる訳にはいかない』との言葉も添えられた。 
    次の点はまちがいない、とガイスは発言している。『この件について
    外部に漏れることは許されないし、我々の会話は極秘扱いとなるだ
    ろう。 大統領はこう言うと、今回のことは機密扱いにしてくれ、と私
    に要請をした。 しかし、大統領としては第六艦隊への助力の努力は
    したことを、誰かには話す必要がある(と語った。)』」

ホウナムの記述によれば、ルイスはこの話を、20年後ガイスが死亡するまで表には出さなかった。[27]

ルイスのこうした動きはジュリアン・「トニー」・ハートが裏付けている。 彼はシディ・ヤヒア(モロッコ)の米通信センターに配属されていた。 ハートの発言によると、リバティ号が攻撃されているというSOS信号を送信したとき、彼はそれをワシントンに中継した。 10分後、リバティ号からの発信に間違いないことが確認されると、再度SOS信号が送られた。 同時にハートは第六艦隊のある空母からの「緊急メッセージ」を傍受した。 それは、「即応機」(つまり核搭載機)を発進させたという内容のものだ。[28] ハートの発言:

    「3、4分も経たないうちに-まったくあっという間のことでした。ワシ
    ントンから第六艦隊司令官に飛行機の帰還を指示する緊急メッセ
    ージがあったのです。 逆に、第六艦隊は飛行機再発進の権限を
    求めるメッセージを送りました。 それから、恐らく、10分から15分の
    時間がありました。 ワシントンとの音声回線がつながりました。 
    電話口で、国務長官マクナマラを名乗る人物が、第六艦隊司令官
    (ガイス海軍少将)と話がしたい、と言ってきました。 ガイスはマク
    ナマラと話をし、飛行機再発進の許可を求めました。 マクナマラの
    答はノーで、飛行機は一機たりとも発進させてはならない、というも
    のでした。[29] 40分か、45分後、二度目の音声通話がワシントンか
    ら第六艦隊司令官にありました。 電話口の人物は再度自分をマク
    ナマラと名乗り、提督は自分が電話口に出ていることを告げました。
    マクナマラを名乗る人物は30分、ないし25分後に調査飛行を派遣す
    ると語りました。 [30] そんな時間がなぜ必要かについての説明は
    ありませんでした。 

4.イスラエルの任務はリバティ号を沈没させ、乗員全員の抹殺だったのか?

リバティ号救援が遅れたことは、スティーブという仮名でならピーター・ホウナムに話すことを同意した人物によって、説明が与えられたかもしれない。 この人物は、1967年ネブラスカ州オマハのオファット空軍基地に配属され、空軍戦略指令本部内の高度の機密が保たれた地下室で勤務していた、と語っている。 彼は国家安全保障局(NSA)や他の部局が傍受した最も機密性の高い信号を読み取ったり、操作する権限が与えられていた。 彼は、2002年4月に自分が知り得た情報を開示する決心をし、リバティ号の乗員だったジム・エンネスと連絡を取った。[31] スティーブの話によれば、イスラエル軍はリバティ号を即座に沈没できないことに苛立っていた:

    イスラエルの地上司令部は、リバティ号を即座に沈没させることは
    至上命令だと、繰り返し語っていました。 その間ずっと、この司令
    部は、攻撃に時間がかかりすぎることに苛立ちの気持ちを隠しま
    せんでした。 リバティ号がまだ沈没していないこと、それだけを司
    令部は気にしていました。[32]

もう一人の人物、ジェームズ・ロナルド・ゴッチャー三世は2003年、偽証すれば罰せられるという条件の下で次のことを断言している。 彼は米空軍軍曹としてベトナムのダ・ナンの6924警備飛行中隊に配属されていたが、リバティ号がイスラエル航空機に攻撃されているという内容の「重要情報」メッセージを、1967年6月8日、彼の部隊が受け取ったのだと言う。 また、パイロットと管制官との間の会話記録を読んだという鮮明な記憶がある、とも。 それを読んではっきりしているのは次の2点。
    (a) 「イスラエル機はリバティ号を発見し、沈没させるという、あらか
     じめ計画された使命を果たすために飛行していた」
    (b) 「イスラエル軍のパイロットはあらゆる手段を講じてリバティ号を
     沈没させようとしていたが、それがうまくいかず、非常に苛立っていた」

彼の証言は続く:

    それからおよそ10日、ないし2週間後、私たちの部隊はNSAの内
    部レポートを入手しました。 その文面はきわめて明確なもので、
    リバティ号攻撃は事前に計画され、入念に実行された、という内
    容でした。 その使命はリバティ号を沈没させることでした。 数日
    後、別の通達が文書管理担当官を通して届きました。 傍受した
    通信の下書きや清書稿、さらにはその後作成された報告をすべて
    集め、破棄せよ、というのです。 それらの文書を破棄した後、私は
    この問題について目にするものは何もありませんでした。[33]

下士官ロイド・ペインターは、イスラエルの任務がリバティ号を沈没させることだけなく、乗員すべてを抹殺することだったことは確実だと証言している。 リバティ号の救命ボートに空気が入れられ、船外に下ろされた後、これらのボートも攻撃されているのだ:

    私は船体後部を見ていました。 魚雷艇の一隻が、海面に浮か
    べられた救命ボートの一つを入念に機銃掃射していました。 もし
    そこに誰かが乗り込んでいたら、全員殺されることは確実でした。 
    あまりに急な出来事で、とても現実のこととは思えませんでした。
    [・・・] 訳が分かりませんでした。 なぜそんな攻撃をされるのか、
    理解不能でした。 ほんとうに、その時点で、何一つ分からなかっ
    たのです。[34]

ボブ・ファーレイを含め、何人かのリバティ号乗員[35]が証言しているのは、彼らの交信は、早い段階からイスラエル軍によって妨害電波が送られ、交信できない状態だった[36]、ということ。 リバティ号から救援要請をさせないためだった。 しかし、リバティ号の無線担当者たちが、明らかな妨害電波があったとの報告をした時、彼らの証言は「極秘扱い」となり、そのことについてアメリカ当局者は何のフォロ-もしていない。[37] これこそ、リバティ号はアメリカの情報収集艦であることが分かっていて攻撃されたのであり、アメリカ当局者はその事実を何とか隠蔽しようとしたことの有力な証拠となる。

(さらに読む)「イスラエルによるリバティ号攻撃(1967年)」


ホウナムが、退任して長い年月を経過した元国防長官ロバート・マクナマラにBBCのドキュメンタリー番組でインタビューし、リバティ号事件についての意見を求めている。 マクナマラ:「リバティ号について申し上げることは何もありません。 記憶にないのですが、あらゆること・・・ええと、これ以上は止めましょう。 リバティ号について申し上げることはありません。」[38] ホウナムが、リバティ号の生存者たちはリバティ号攻撃事件を議会で調査するよう求めていますよ、と水を向けると、マクナマラは苛立ちながら次のように語った:

    リバティ号について申し上げることは何もありません。 それだけ
    です。 その理由はですね、・・・。 あなたの言い方はフェアでは
    ありませんね。 このこと、つまりリバティ号についてテープに録音
    することはやめてください。 と言うのも、 一体全体何が起こった
    のか、私は知らないし、それを探り出す時間もないからです。いろ
    いろなクレームがあります。 我々が飛行機を送ったとか、飛行機
    は発進したが、我々がそれを帰還させたとか、我々が意図的にイ
    スラエル軍にリバティ号の撃沈を許したとか。 私はまったく何も知
    りません。 当時私は知らなかった、という言い方はしたくありませ
    ん。 言えるのは、今日、私はそのことについての知識はゼロだと
    いうことです。[39]

リバティ号機関長だったジョージ・ゴールデンは、破損したリバティ号がマルタに到着した時、次のことを知らされた:

    「我々はモルモットなのだ、という話が耳に入っていました。 メチャ
    メチャに銃撃され、それをエジプトがやったように見せかける。 ア
    メリカが介入できるようにするためです。 [・・・] 我々が聞かされ
    たのは、この攻撃はエジプトの仕業と見せかけること。 そうすれ
    ば、イスラエルを支援する目的で、アメリカには介入できる口実が
    できるからです。」[40] 

モルモットと言われ、どう感じたか質問されると、ゴールデンは答えた:

    「泣きそうでしたよ。 だって、そんなことがあるなんて信じられま
    すか? 自分達の政府がそんなことをするなんて思ってもいませ
    んでしたよ。」[41]

マクナマラとジョンソン(大統領)はそのことを知っていたこと、リバティ号の救援はしないという命令は大統領直々の命令だったこと、この二点を聞かされていたかどうか、について彼は「はい」と答えた。さらに:

    我々がマルタに入港した時、政府から何人かの担当官がやって
    来ました。 二人はたまたま顔見知りでした。 その一人はリバ
    ティ号が再就航したときも一緒でした。・・・その彼が私に言うの
    です、「ねえ、ジョージ、やったのは本当にあいつらだよ」「何の
    話?」 そして彼の言葉です:「お前らはモルモットにされたとい
    うことさ」 それ以上の言葉はありませんでした。[42]

リバティ号船長マッゴーネイグルから、彼が死亡する2,3年前に、打ち明け話があったとゴールデンが語っている。 リバティ号をアフリカからはるばる(中東に)派遣したのは大統領とマクナマラだった、と。 「この事件を引き起こすために」[43] マッゴーネイグルはリバティ号の本当の任務について自分が知っていることを公にすることは一貫して拒否していた。 アメリカがリバティ号事件で果たした役割について、自分が知っていることの記録を、彼は一切残していないようだ[44]。 

5.「シアン化物作戦」とは何だったのか?

複数の証人の言によれば、リバティ号はアメリカ潜水艦を含む秘密プロジェクトに深い関わりを持っていた、という。 潜水艦がこの戦域を航行していたことは、公式に認められたことは一度もない。


Israeli Motor Torpedo Boats (MTBs) in formation, c. 1967. These were the MTBs that attacked USS Liberty. (CC BY-SA 3.0)

こういった潜水艦がどういう性格のものかは、まだはっきりしていないが、二隻の潜水艦が問題となった:アンバージャックSS522号と核兵器搭載艦ポラリス型潜水艦アンドリュー・ジャクソン号だ。[45] アンバージャック号の船長オーガスティン・ハボールは、自分の潜水艦がリバティ号に接近して何をしていたかの話をすることは死ぬまでなかった。[46] 潜水艦がその時間、その場所にいたことを絶対に認めないのはアメリカ政府だけではない。 同艦に乗船していたことを認める証人たちも自分たちの潜水艦の正確な任務については明らかにしなかった。 リバティ号生存者の一人チャールズ・「チャック」・ローリーは、同じリバティ号に乗船していたジム・エンネスに、「コード名『シアン化物』の秘密潜水艦プロジェクト」の情報は与えられていた、と打ち明けている。[47]

リバティ号を追尾していた潜水艦がいた可能性は、ジェ-ムズ・M・エンネスの本で繰り返し言及されている。 リバティ号の誰かが、同艦の共同作業図に不可解な接触地点Xの印をつけた。 「正体不明の物体が何日も確認された後、それはリバティ号の航跡と一つになった。 すると突然、不可解な接触地点Xの印は消失した」とエンネスは書いている。 彼の本によれば、彼は同じリバティ号に乗艦していたジム・オコーナーに「Xは何を表しているのか?」と質問している。 ジムは秘密情報に接近できる権限を持っていたのだ。 オコーナーは「知らない」と言った。 誰が接触地点Xの印をつけたのか、誰がそのXの意味を知っているのか、 それに対する答は、いずれも公にされることはなかった。 エンネスの推測では、そのXはリバティ号と合流する潜水艦だ。[48] エンネスの本に書かれていることだが、この潜水艦の乗員(匿名)は、リバティ号事件の数週間後、ポーツマスの海軍病院のカフェで、あることを口走っている。 それは、この潜水艦の司令官が「潜望鏡を稼働させ、リバティ号が攻撃されているところをフィルムに撮影した」というのだ。 エンネスはさらに筆を進め、「事情を知る立場にいる3人の人間が、潜水艦がリバティ号の近くで作戦行動をしていたという話は本当だと証言している」と書いている。[49]

1967年4月10日(「リバティ号攻撃」の前)付けの秘密性の高い文書がある。 ジム・エンネスがオースチン(テキサス州)のリンドン・B・ジョンソン図書館で発見した。 いろいろな文書に混じってリバティ号に関する文書があった。 この文書には1967年4月7日に「303委員会」と呼ばれるグループが開いた会議の議事録からひとつの議題だけ記されている。[50]当時CIA長官だったリチャード・ヘルムズが退任35年後にこの委員会の役割を説明している。 ピーター・ホウナムへの説明:
    「秘密作戦を実行するときにはいつでも設置される類いのもので
    す。 大統領に代わって判断を下します。 もし作戦が失敗した時、
    大統領がにっちもさっちもいかない立場に追い込まれないように
    するためです」 

「303委員会」、この日の議長はウォールト・ロストウ。 ジョンソン政権の国家安全保障担当補佐官だった人物だ。 ラルフ・D・スティークリイ将軍がこの委員会に席を連ね、「フロントレット615」と呼ばれる非常に機密性の高い軍事プロジェクトの要旨を報告している。 その文書では、この軍事プロジェクトの項目にペンで○がつけられ、次の手書きのメモがある:
    「UAR海域内の潜水艦」[51] [UAR=アラブ連合共和国。この時エ
    ジプトは自国をそう称していた] つまり、上記の文書は、ホワイト
    ハウスが認可したトップシークレットのプロジェクトの存在を示し
    ていることになる。 そのプロジェクトには将来エジプト海域へ潜
    水艦を配置することが含まれている。 615という数字は6月15日
    ということなのだろうか? エジプトへの戦争は、当初、この日に
    設定されていた。 

Image below: Commander W.L. McGonagle in his damaged cabin after the attack (Source: Public Domain)


アメリカがその同盟国イスラエルに、軍事プロジェクト「フロントレット615」ないし「シアン化物作戦」、そしてリバティ号のこの海域での動きについて、当然報告するだろうと仮定すれば、イスラエルが蚊帳の外に置かれ、誤ってリバティ号を攻撃したなどという話を信じる根拠はどこにもない。

実際、リバティ号生存者の中には、アメリカの同盟国であるイスラエルがその海域にリバティ号がいることは当然知らされていた、と証言する者もいる。 

リバティ号に掲げられたアメリカ国旗は、微風にはためき、はっきり目視できた。 それにリバティ号の位置情報は確認されていた。 リバティ号を他の船舶と見誤ることなどあり得ない。 その時間帯、リバティ号以外の船舶は一隻もこの海域にはいなかった。 どういうわけか、リバティ号の船長マッゴーネイグルは、イスラエル機が繰り返し同艦に飛来してきたことを第六艦隊に報告することをためらった。[52] 彼は、後になって、イスラエルの攻撃はたいしたことがなかった、と見せかけようとした。 そのことは、リバティ号生存者から「事件の隠蔽に加担することだ」と批判された。 死の直前になって、彼はリバティ号乗員を裏切っていたことを認めた。

ピーター・ホウナムが、1967年イスラエル・シークレットサービスの長だったラフィ・エイタンに、1967年の「シアン化物作戦」について聞いたことはないか、と尋ねた。 Eitan:「『シアン化物作戦』? それについて聞いていたかって? 聞いていたよ。 それで?」 ホウナムは、さらに、その作戦は何なのか、と質問した。 Eitanは少し間を置いて、「このインタビューはここでやめにしよう」と言った。 その後の言葉はほぼ絶叫調:「何を言ってるんだ! なぜそれが知りたいんだ!」 ホウナム:「その作戦が何なのかを知りたいだけです。 『シアン化物作戦』について語れない理由は? 34年前のことですよ。」 長い沈黙の後、エイタンは力を込めて「サインしたからだよ」と答えた。 「秘密工作員法」にサインをする仕草をしながら。 「それから母国への忠誠心だな」[53]

6.カイロ攻撃に向かったアメリカの爆撃機は、飛行中に帰還命令を受けた

「シアン化物作戦」と「フロントレット615」は、アメリカのカイロ爆撃とナセル体制転覆計画に関わりがあった。 その動かぬ証拠は、その時、アメリカ在エジプト代理大使だったデイビッド・ネスの発言だ。 6月8日の午後、彼は一通のメッセージを受け取った。 米艦サラトガ号が爆撃機を、彼が在任しているエジプトに向けて発進させた、というのだ。[54] ネスは退任後、ピーター・ホウナムに語っている:

    「私たちは一通の『緊急』メッセージを受け取りました。 海軍の船
    リバティ号が攻撃された。 恐らくはエジプト機が実行したもの。 
    報復攻撃に着手している、という内容でした。 [・・・] しかし、すぐ
    に、また『緊急』電が届いたのです。 (リバティ号への)攻撃はイス
    ラエル軍によるものと判明、という内容でした。 それで終わりで
    す。」[55]

電文の正確な言葉使いは注目してもいい。 ネスが言ったのは、爆撃機は彼の任地カイロに向かっている、というものだった。 その際、リバティ号はエジプト機によって攻撃されたとの仮定がある。 しかし、アメリカ軍が何の確証もなくそんな仮定をし、分刻みの時間で爆撃機を主権国家に発進させることなどは考えられない。 事前の計画も、ホワイトハウスの認可もなしに、だ。

航空母艦サラトガ号に乗艦していた数名の目撃者は、発進した飛行機は核兵器を搭載していたようだ、と証言している。 この時の目撃者は、若いパイロットだったブラッド・ニッカボッカ[56]、中央甲板カタパルト(射出機)操作員だったマイク・ラティガン[57]、アメリカ人新聞記者ジェイ・ゴラルスキ[58]、そしてUPI特派員のb[59]、等だ。

リバティ号生存者チャールズ・「チャック」・ロ-リイの証言:空母アメリカのパイロットから聞いた話。 彼はその日核兵器を搭載した飛行機を操縦し、カイロへ向かう命令を受けていた、とのこと[60] 同様にリバティ号生存者ジョー・ミーダーズの証言:怪我の治療入院に向かう途中クレタ島に到着していた。 その時、地上整備員の数名から話を聞いた。 彼らの話によれば、戦闘機1機に燃料を補給したが、驚いたことに、その機体には原子爆弾が装着されていた、とのこと。[61] これらの目撃者たちが、話をでっち上げるはっきりとした理由は何もない。

リバティ号勤務から退役し、現在マリエッタ(ジョージア州)に住んでいるモウ・シェイファがホウナムに語った話:
    他の負傷兵とは異なり、彼はリバティ号から空母デイビスにヘリ
    コプター移送された。 翌朝マーチン副提督がやって来て、彼の
    寝台に腰を下ろした。 その場には2,3名の負傷兵がいた。 
    マーチンは次の3つのことを話した。

    ① 4機の飛行機は核兵器を搭載し、カイロに向かっていた
② 3分後にはエジプトを爆撃するところだった
③ 飛行機は、核兵器を搭載しているため、空母には着艦でき
ず、アテネに着陸するしかなかった」[62]

シェイファが作り話をする理由はまったくない。

明白なのは、リバティ号攻撃から1分も経たずに、カイロ爆撃のために飛行機を発進させたのは、リバティ号攻撃に対してとっさに考え出された反応ではなかった、ということだ。 リバティ号攻撃を口実に事前に計画された作戦だった。 だから、イスラエルがリバティ号とその乗員を殲滅できなかったことがはっきりした時点で、飛行機は当然帰還させる必要があった。 

7. リバティ号の乗員は、この出来事を誰にも話さないよう警告されていた

イスラエル当局者は、リバティ号は「誤って」攻撃されたと言い張り、アメリカ政府はこの説明を受け入れた。 が、アメリカ国防省と海軍はリバティ号乗員などに、「リバティ号攻撃」についてどんなことがあっても他言しないよう、厳しく警告していた。 刑務所行きか、もっとひどい処置もある、と脅迫されていた。 隠蔽工作は、攻撃で破損したリバティ号が港に到着する以前からすでに始まっていた。 アイザック・キッド提督は、よれよれの状態で航行していたリバティ号に乗船し、公式調査を開始した。[63] フィリップ・トーニィ下士官の回想:

    「キッド提督の命令でした。 私が見たことは見ていない(ママ)こ
    とにするのだ。 さもないと劣悪な刑務所に身を置くことになるぞ、
    と。 私は、それは自分が殺されることだ、と思いました。」

CTロナルド・グランツキィの回想:

    「当局者達にどんな圧力がかかっていたかは知りませんが、私た
    ちは繰り返し、繰り返し言われました。 リバティ号の件について
    人には絶対話すな。 この件に時効は絶対ないと思え。 実際そ
    れはないのだから、と。 とても怖かったです。」

ロバート・「ブッダ」・シュネルもキッド提督から事情聴取を受けた。 他言はしないこと、特に報道機関には注意を払い、近づかないこと、などを言われた。 彼の言葉:「1968年に海軍を離れたとき事情聴取を受けた時、

    私の身辺調査は続くと言われました。 また『リバティ号攻撃事件』
    のことがあるから、10年間はアメリカから外へ出ることはできない」
    とも言われた。

リチャード・「ラリィ」・ウィーバーは、重傷を負ったリバティ号生存者だが、病院の車椅子に座って、三つ星(四つ星?)の提督と対面した。

    「彼は襟からその星を取って、言いました。『リチャード、君は何か
    知っているかな? 知っていることを全部話してくれ』
 
知っていることを全部話した後、提督が言いました。

    『いいだろう、リチャード』と星を襟に戻すと、彼は言いました:『君
    がこのことを万が一誰かに漏らすようなことがあれば、君は刑務
    所行きになるし、そんなことを覚えてくれる人間もいなくなるだろう
    な。』[64]

ウィリアム・ルメイもリバティ号攻撃でひどい傷を負った。 病院で目が覚めると腕にタグが貼ってあり、名前はスミスとなっていた。 ルメイはそれを訂正してくれ、と言った。 それに対して言われた言葉:

    「当分それが君の名前だ。 それから君はリバティ号で一度も勤
    務したことはない」[65]

当局が認可していない外部との接触を防止するため、警備員がリバティ号乗員を収容した病棟のそれぞれのドアに配置された、とジェームズ・M・エンネスがその著作に書いている。[66]

リバティ号生存者ケン・エッカーが、次の声明をリバティ号退役軍人ウェブサイトに投稿している:

    「リバティ号攻撃」直後から、私がもしこの事件を報道機関や他の
    誰かに話せば、軍法会議だと、脅されていました。 警告の一つ
    として、直近の家族や友人に話すことも含まれていました。 私の
    場合、こういった警告は配置転換ごとに繰り返されました。 私に
    は秘密情報取り扱い許可についての標準的な報告義務があった
    のです。 同時に、定期的に呼び出され、最初に言われた軍法会
    議のことも念を押されました。 それは配置転換がないときにも行
    われました。[67]

リバティ号機関長だったジョージ・ゴールデンは、定期的な恫喝を受けていましたし、CIAから派遣されたと彼が考えていた人物たちの訪問も受けていました。 彼らは元機関長が持っている文書を渡せ、と要求していました。 そんな話を彼はピーター・ホウナムに語っています。 当局者は今でも彼を黙らせようとしていると思うか、との質問に、「そう、思う」と彼はきっぱり言い切りました。「そう思わせる電話が何回かあったからです」[68]

もうひとりの人物。 彼も身の安全を考え、「リバティ号攻撃」について自分が知ることを話したがらなかった。 リバティ号を退役したCT デイビッド・マックフェーガンである。 ピーター・ホウナムは彼がシカゴで税理士として働いているのを突き止めた。 デイビッド・マックフェーガンはピーター・ホウナムと直接会うことは断ったが、電話で「非常に用心深く」ピーター・ホウナムと電話で話をした。 なぜそんなに口を固くしなければならないか、理解してもらえないと思うが、話せば身に危険が及ぶ可能性は今でもある、と彼はホウナムに語った。[69] デイビッド・マックフェーガンnの心配のひとつは、たとえ彼が自由に話したとしても、彼の話を支持してくれる信頼できる人物が誰もいないことだ: 

    「私の話を支持してくれていたジム・オコーナーもディック・ブルー
    (まま)は、二人とも故人です。」

「シアン化物作戦」について質問した時、「それについては何一つ答えられない」と彼は言った。「事件の記憶が私の心の深いところに影響を与えているので、精神的にダウンしてしまい、赤ん坊のように泣き声をあげてしまう」とデイビッド・マックフェーガンは語った。[70]

パトリシャ・ブルーの発言。 彼女は「リバティ号事件」で死亡したアレン・ブルー(国家安全保障局=NSA職員)の妻。 事件後メリーランドに本部のあるNSA職員の車に乗せられ、自宅に連れて行かれた、と語る:

    「あの人たち(NSA職員)は6週間ずっと私の家にいました。 あの
    人たちが電話に応対しました。 私が新聞記者と話してほしくなかっ
    たからです。 [・・・] 私に発言してほしくなかったのです・・・そして、
    私は一言も発言はしませんでした。[71]

リバティ号下士官ロナルド・グランツキィの言葉:

    「NSA職員にどんな圧力がかかっていたかは知りません。 繰り
    返し言われたのは、事件のことは絶対に話すな、ということです。 
    絶対に。 それから、このことに時効は絶対ないと思え、とも言わ
    れました。 そんなことはないからだ、だそうです。 怖かったで
    す。」[72]

リバティ号生存者たちの口止めを組織的に行うことと平行して、職員たちは真実から目を逸らす作り話もでっち上げようとしていました。 リバティ号の上等兵曹ジョゼフ・A・ベンカートはジェイムズ M. エネスに、自分がそんなでっち上げ工作に使われた事情を語っている。

ベンカートが最初上官から告げられたのは、新聞のインタビューを受けるのであれば、そうしてもいい、ということだった。 しかし、ベンカートはそれを望まなかった。 率直に何の制限もなく自由に話せるのであれば、事情は別だが。 そんな訳で、ノーフォーク市(バージニア州)にあるVirginian-Pilotの新聞記者クリフォード・ハバードが彼にコンタクトを取った時、彼はインタビューの要請を丁重に断った。 しかし、すぐに司令官デイビッド・M・クーニィから電話があり、大西洋司令艦隊長官本部での「記者会見の報告を早急にするよう」との命令を受けた。 この記者会見以前に、レンケン准将が同席する中、リバティ号とリバティ号が受けた攻撃について想定されるすべての質問がベンカートになされた。 そして念を押されたのは、リバティ号の使命や、マーチン副提督が救援機の発進を約束したことも、救援が現場に到着しなかったことも記者会見で触れてはならない、ということだった。 救命ボートが機銃掃射されたこと、攻撃にナパーム弾が使用されたこと、いずれも言及することは許されなかった。 アメリカ旗がはためいていたこと、風が吹いていたことに言及することは許可されなかった。 彼の記者会見は、クーニィ司令官、レンケン提督、そしてベンカートの見知らぬ海軍高官などの「お目付役」同席の下、行われた。記者会見の内容が公開された後、ベンカートは語った:
    「あの人らが、どこから引用を引っ張ってきたのか、私は知りませ
    ん。 私の言葉ではありません。 あの人らは私の言葉を使ってい
    ません。 私が口にしていないことをでっち上げたのです。 少なく
    とも公開された内容の90%はクソです。」[73]

8.リバティ号攻撃にアメリカ人は含まれていたのか?

リバティ号機関長だったジョージ・ゴールデンがピーター・ホウナムに明かした内容: 何とか自力航行ができる状態のリバティ号に乗船してマルタ港に到着後、彼はあるアメリカ人「海軍大佐」に会った。 驚いたことに、リバティ号が攻撃されている間、彼はテルアビブのイスラエル作戦司令室にいた、という話を聞いたということだった。

    「名前は覚えていません。 大柄で、太った人物でした。 イスラエル
    人は、ある時間帯、みんな作戦司令室から退室していました。 彼は
    この部屋に残りました。 イスラエル人が戻ると、リバティ号は飛行機
    と艦船の攻撃を受けていました。 そんなことがとても印象深く私に残
    ったのは、イスラエルはリバティ号を丸ごと沈めなきゃいけなかったよ
    な、イスラエルにはその力があった、そして、リバティ号はその場を動
    かしてはいけなかった、と彼が言ったからです。 彼の言っていること
    は、まるでアメリカ以外の国の人間の言葉でした。 アメリカの船が射
    撃されているのに、です。」

この「海軍大佐」が誰であったのか、リバティ号が攻撃されている間、彼がイスラエル作戦司令室でどんな役割を果たしていたのか、まったく不明だ。

9.リバティ号が攻撃された理由

アメリカが「六日戦争」の立案と遂行に深く関わっていたことの証拠は、作家ピーター・ホウナムがインタビューした数名の証言で明らかになっている。 そのひとり、ジョー・ソレルズがフロリダ州ナポリに居住していて、ゴルフレジャー・リゾートの成功した経営していることを彼は突き止めた。 ソレルスはホウナムにリバティ号問題に新たな視点を与えるかもしれない話を明かしている。 彼の証言は、リバティ号を攻撃する主導権はイスラエルではなく、アメリカにあった、という見方を後押しするものだ。



ソレルズは、自分のミッションは「シアン化物作戦」と呼ばれていると語った。 ソレルスがホウナムに語ったところによれば、この作戦は「イスラエルとアメリカの軍事諜報部が共同して計画したもの。 エジプトとの戦争を画策し、その指導者ガマール・アブドゥール=ナセルを権力の座から放逐しようとした。 アメリカはナセルをモスクワの操り人形と信じていたのだ」[74] と ホウナムは認めているが、彼は当初この証言の信頼性に疑いを持っていた:

[ソレルズは]本当のことを言っていたのだろうか? 彼が15ヶ月に亘って、4回の電話で私に語ってくれた途轍もない話が、たとえでっち上げだったとしても、彼がそうする動機を突き止めることは困難だ。 彼は何の報酬も求めなかったし、面と向かって会うことは望まなかった。 詳細に関して自分から多くを語ろうとはしなかった。 しかし、憶測と自分が直に体験して知ったことの区別はきちんとしていた。 さらに、彼が明らかにしたことは他の証拠と合致している。[75] 

ソレルズの言葉によると、彼は、1966年8月、秘密裏にイスラエル陸軍の顧問として派遣された。 赴任して分かったのは、彼はオーストラリアやイギリスからも派遣されたいわゆる「顧問団」の一員であるということ。 アメリカからは上級将校が任務にあたった:

「週一のペースでブリーフィングを持ちました。 毎週のレポートはある個人向けに作ったものです。 しかし、それが誰かは言えません。 彼はまだ[アメリカ諜報部と]まだ繋がりがあるからです。 彼らは一様に口が堅かったです。[・・・] それは来たるべき戦争にイギリスが絡むということか、と私は尋ねました。 私はそう読んでいました」と彼は言った。[76]

ホウナムの言葉:

「ソレルスの見方では、イスラエルがナセルを抹殺するよう、アメリカから圧力をかけられていました。 イスラエルが中心になって行動を起こしたわけではなさそうです。」[77]

ホウナムがソレルスに「シアン化物作戦」が成立した事情を尋ねると、ソレルスの言葉は、曖昧になった。 ソレルスの言葉:
「私が分かっていたのは、まだ達成されていない事柄が議論の対象となっていたことです。 私の階級は下っ端で、そんなことには関われませんでした。・・・私たちがその時やっていたのは他でもなく・・・私たちはイスラエルに対して、同盟関係、可能性、任務などについてペテン的な動きをしていました。

アメリカはナセルを排除し、戦闘を画策していたのか、とホウナムは尋ねた。

「そりゃ、そうだろうよ。 相手を刺激したり、けしかけたり、いろいろやった。 どこがその指令を出したのか、正確なところは絶対に分からないだろう。」[78]

ソレルズが繰り返し言ったのは、「シアン化物作戦」は秘密計画でエジプトとの戦争を始めるものだったこと。 彼の言葉によれば、イスラエルの動機は、領土を自分のものとすることだけ、それしかない。 イスラエルをエジプトとの戦争に追いやったのは、アメリカ国内の一部の政治グル-プだとのことだった。[79]

ソレルズの指摘では、アメリカだけでなくイギリスも1967年の「六日戦争」に秘密裏に関わっており、エジプトの体制転覆を狙っていた。 ホウナムの提出した証拠は、ソレルスの見方とは別に、このことが真実を突いていることを窺わせる。[80]

多くの識者同様、ピーター・ホウナムも釈然としなかったのは、イスラエルはどうして突然リバティ号への攻撃を中止したのか、という点だ。 ホウナムはリバティ号生存者デイビッド・マクフェガンの言葉だ:

    「だれかは言えない。 モシェ・ダヤンの名前だけは挙げておく。 
    [・・・] ダヤンはイスラエル最大の愛国者で、イスラエル国家建設
    の最大の救世主だ。」

マクフェガンのこの発言はホウナムを戸惑わせた。 彼はそれ以上語ろうとはしなかった。 アメリカは、リバティ号がエジプトに攻撃された、というでっち上げの前提でカイロを核攻撃する爆撃機を発進させていた。 ダヤンはこの情報をぎりぎりのところで知らされていたのだろうか? ダヤンに、ソ連がイスラエルを報復爆撃する可能性の不安はなかったのか? ダヤン自身がリバティ号攻撃中止の命令をしたのか? そんなことがマクフェガンの胸中を過ぎったのかもしれない。[81] イスラエルがリバティ号攻撃を中止した理由は不明だ。 これからも明らかにされることは絶対にないかもしれない。 その中心にいた人物は死亡しているか、 自分が知っていることを、決して、決して明かそうとしないだろう。 

まとめとして

リバティ号事件の真相は、政治的、軍事的指導者たちがいかに無慈悲になり得るかをはっきり示している。 「我々の指導者なのだから、我々にそんなことはしないだろう」という広く浸透している考えはウソなのだ。 アメリカの指導者たちが、外国人と言わず、自国民と言わず、兵士、民間人お構いなしに、無慈悲になり得ることに気づけば、政治的、軍事的指導者たちのモラルに関して、アメリカ人がその幻想を払拭する一助になるだろう。

指導者たちがこれほど無慈悲になれることを気づけば、それは9/11大量殺人の真相を暴露する役に立つかもしれない。 そう結論づけたからといって、イスラエルの民間指導者と軍事指導者たちを無罪放免することにはならない。 彼らは自らをアメリカに雇われた銃にして、無防備なアメリカ人を殺戮することに同意したのだ。 。 1967年の「六日戦争」から数日で、アメリカはイスラエルとファントムF-4戦闘機納入の協議を開始した。[82]

1989年8月、イスラエルはこの協議に基づき、最初のF-4戦闘機を受け取った。[83] ジェイムズ・M・エネスが対話したアメリカ国務省高官たちは、この軍事的支援とリバティ号攻撃事件とは何の関係もないと言った。[84] だが、この1967年こそ、フランスに代わってアメリカがイスラエルへの軍事品の納入を始めた年だ。 

リバティ号事件にまつわる話でもうひとつ有益な視点は、アメリカとイスラエルについて広く行き渡っている神話の真相を暴く。

「イスラエルロビーがアメリカ外交を牛耳っている」とする議論が流行している。 だから、リバティ号の退役軍人や善意に満ちた共感者たちは、アメリカ政府がリバティ号事件を隠蔽しようとするのはイスラエルの立場をなくしてしまうと、アメリカのユダヤ人票が失われることを恐れているからだ、という議論を執拗に展開する。 この論考で示したように、リバティ号事件からこんな議論を導き出すことはできない。 この論考で示した証拠は、リバティ号生存者の一部が疑っている事実を裏付けている:

    彼らはアメリカ-イスラエル共同偽旗作戦で死ぬために、アメリカ
    政府によって計画的に派遣されたのではないか、という疑いだ。

しかし、イスラエルとそのロビー活動家たちがアメリカ外交を牛耳っているという見方は、アメリカ政府を支配する少数独裁グループが自分たちの犯罪活動の数々から人々の視線を逸らせる有益な手段として使える。 イスラエルに関して言えば、この見方に従えば、イスラエルへの尊敬と恐怖をイスラエルが手中に収めることになるのは明らか。 アメリカに対して政策の方向をイスラエルは決めることができる、という神話を手放さなければいいのだ。 [85]

*

エイリアス・デイビッズソンはドイツ在住のアイスランド市民。彼は作家であり、人権と平和活動家である。また9・11や偽旗作戦テロリズムに関する著書がいくつかある。

Notes
Where an end note is followed by a number preceded by the sign #, that source can be consulted on the internet address www.aldeilis.net/liberty/####.pdf (replace the #### by the number).

1.There is a wealth of literature on the case of the USS Liberty. A good starting point is the Wikipedia entry 13 on the Attack on the USS Liberty.
2.“U.S. military officials said Saturday that they were satisfied Israel’s attack Thursday on the U.S. communications ship Liberty was one of the tragic mistakes of warfare.” (UPI dispatch, June 10, 1967, cited in James M. Ennes, Assault on the Liberty, p. 155)
3.See Testimony by Rep. John Conyers, House of Representatives, Congressional Record, p. E1886-7, 11 October 2004, #2793; also Memorandum by Admiral Thomas H. Moorer, “Attack on the USS Liberty”, 8 June 1997, http://www.ussliberty.org/moorer3.htm
4.Cited by Michael B. Oren, The USS Liberty Incident: “The USS Liberty: Case Closed”, Jewish Virtual Library, https://www.jewishvirtuallibrary.org/quot-the-uss-liberty-case-closed-quot
5.LBJ, National Security File, Box 104/107, Middle East Crisis: Jerusalem to the Secretary of State, June 8, 1967; Barbour to Department, June 8, 1967; Joint Embassy Memorandum, June 8, 1967 (cited by Michael Oren, The USS Liberty Incident: “The USS Liberty: Case Closed”, Jewish Virtual Library, https:// www.jewishvirtuallibrary.org/quot-the-uss-liberty-case-closed-quot)
6.Ibid
7.Peter Hounam, Operation Cyanide – Why the Bombing of the USS Liberty Nearly Caused World War II, Satin Publications, London, 2003, p. 110
8.Michael B. Oren, op. cit.
9.Operation Cyanide, p. 189
10.From a Press Statement issued by the White House on the day of the attack, cited in Operation Cyanide, p. 104
11.Operation Cyanide, p. 171
12.Ibid
13.Memorandum for the Record by Louis W. Tordella, Deputy Director of the NSA, 8 June 1967, #2786
14.Associated Press wire on the USS Liberty, 9 June 1967, #2780
15.Questions by General Carroll, Director, DIA, and Answers by G Group, 27 June 1967, #2787
16.Joan Mellen, Blood in the Water: How the U.S. and Israel conspired to ambush the USS Liberty, Prometheus Books, 2018, p. 118
17.Oral History Interview with Robert L. Wilson of the G Group, Doc. NSA-OH-15-80, 6 May 1980, p. 7, #2789
18.Ibid, p. 10
19.James M. Ennes, Jr., Assault on the Liberty, Ivy Books, 1979, p. 47-48
20.Operation Cyanide, p. 91
21.Ibid
22.Ibid
23.Operation Cyanide, p. 91
24.Operation Cyanide, p. 174
25.Joan Mellen, Blood in the Water, p. 223
26.Operation Cyanide, p. 175
27.Ibid
28.Operation Cyanide, p. 176; Assault on the Liberty, p. 89-90
29.Ibid
30.Operation Cyanide, p. 177
31.Operation Cyanide, p. 159
32.Operation Cyanide, p. 161
33.Declaration by James Ronald Gotcher III, 2 September 2003, www.aldeilis.net/liberty/gotcher.pdf
34.Operation Cyanide, p. 37; BBC Documentary “Dead in the Water”, minute 29’40”
35.Oral History Interview, Document NSA-OH-25-80 of June 13, 1980
36.Oral History. Interview of Henry L. Wilson, Document NSA-OH-15-80 of May 6, 1980
37.Assault on the Liberty, p. 184
38.Operation Cyanide, p. 237; BBC Documentary “Dead in the Water”, minute 28’40”
39.Operation Cyanide, p. 237-238
40.Operation Cyanide, p. 240
41.Operation Cyanide, p. 241
42.Ibid
43.Operation Cyanide, p. 242
44.Operation Cyanide, p. 246
45.Operation Cyanide, p. 124, 128
46.Joan Mellen, Blood in the Water, p. 115
47.Operation Cyanide, p. 113-114
48.James M. Ennes, Jr., Assault on the Liberty, p. 46-47
49.Ibid, p. 73-74
50.Operation Cyanide, p. 115; BBC Documentary “Dead in the Water”, minute 46’30”
51.Ibid
52.James M. Ennes, Assault on the Liberty, p. 63
53.Operation Cyanide, p. 224-225; and BBC Documentary “Dead in the Water”, minute 48:30”
54.Operation Cyanide, p. 184
55.Operation Cyanide, p. 185
56.Operation Cyanide, p 180-181, 184
57.Operation Cyanide, p 181-182
58.Operation Cyanide, p 182
59.Operation Cyanide, p 182-183
60.Operation Cyanide, p 183
61.Operation Cyanide, p 183
62.Operation Cyanide, p. 221
63.BBC Documentary “Dead in the Water”, minute 39’20”
64.Operation Cyanide, p. 46
65.Operation Cyanide, p. 47
66.James M. Ennes, Assault on the Liberty, p. 167
67.http://www.ussliberty.org/ecker.htm
68.Operation Cyanide, p. 243
69.Operation Cyanide, p. 192
70.Operation Cyanide, p. 193
71.Operation Cyanide, p. 43
72.Operation Cyanide, p. 46
73.James M. Ennes, Assault on the Liberty, p. 205-206
74.Operation Cyanide, p. 196
75.Operation Cyanide, p. 196-7
76.Operation Cyanide, p. 197
77.Operation Cyanide, p. 199
78.Operation Cyanide, p. 200
79.Operation Cyanide, p. 201
80.Operation Cyanide, p. 201-210
81.Operation Cyanide, p. 268-269
82.The New York Times, December 19, 1967
83.The New York Times, September 7, 1969
84.James M. Ennes, Assault on the Liberty, p. 241
85.Israel’s military power is highly exaggerated. As described by experts, even a non-state entity such as the Hezbollah (Lebanon) was able to challenge Israel’s military power. See, inter alia, Mark Perry and Alastair Crooke, “How Hezbollah Defeated Israel: II. Winning the Ground War”, Conflicts Forum, 27 October 2006
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