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「くるみ割り人形」:チャイコフスキーは世界で最も有名な曲のひとつであるこのバレエ音楽をいかに創り上げたか?

<記事原文 寺島先生推薦>

‘The Nutcracker’: How Tchaikovsky created one of the world’s most famous ballets
The masterpiece was first staged 130 years ago.

この傑作バレエは130年前に初演された。

筆者:アナスターシャ・サフロノーバ(Anastasia Safronova)

出典:RT

2022年12月31日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年1月23日

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© Aleksandr Kryazhev / Sputnik

 今年、「くるみ割り人形」は誕生から130周年を迎えた。ロシアの作曲家ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの音楽にのせたこの傑作は、世界で最も有名なバレエであることは広く知られている。クリスマスや新年を祝うのに、「金平糖の踊り」や「トレパーク(ロシアの踊り)」は欠かせない。だから、「くるみ割り人形」が最初に公開された時、かなり冷ややかな目で迎えられたのは不思議なことである。




「このバレエを頭から消し去りたい」

 「くるみ割り人形」への取り掛かりは、チャイコフスキーにとって簡単なものではなかった。1890年、帝国劇場(現サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場)の館長イワン・ヴセヴォロフスキーから、1幕のオペラと2幕のバレエの注文を受ける。翌年、チャイコフスキーは作曲に取りかかるが、彼の手紙から察するに、この年は彼にとってかなり鬱憤の多い時期であったようだ。

 チャイコフスキーは、バレエよりもオペラに夢中になっていたらしい。彼はヘンリク・ヘルツのデンマークの戯曲「ルネ王の娘」を選び、「イオランタ」というタイトルのオペラを作曲しはじめた。チャイコフスキーは手紙の中で、「イオランタ」に「恋をしている」ことを書いている。そして、この作品がいかに魅力的であり、「観客を泣かせることができる」と期待していることを記している。一方、「くるみ割り人形」には「うんざり」と嘆き、何とか「頭から消し去りたい」と思っていたようだ。

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1892年マリインスキ劇場での「くるみ割り人形」の一場面© Sputnik

 チャイコフスキーはこのバレエの筋書きを自分で選んだわけではなく、ヴセヴォロフスキーと帝国劇場の振付師マリウス・プティパから発想をもらったのである。「くるみ割り人形」の物語は、ドイツのロマン派作家E.T.A.ホフマンによって書かれ、1816年に出版されたのが最初である。バレエ版の「くるみ割り人形」しか知らない人にとったら想像以上に、暗くて不気味な物語である。1844年にフランスの作家アレクサンドル・デュマが話を改変し、より軽く、子供向きの物語に仕上げている。

 振付家のマリウス・プティパはフランス人で、ドイツ語は話せなかったので、バレエにはフランス語版を使った。プティパは当初、台本にフランス革命を盛り込むよう求め、フランス革命時に流行した歌と踊りの「カルマニョール」を盛り込んだりもしていた。しかし、その後、その中身が変更され、革命との関連は一切なくなった。

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1892年マリインスキ劇場での「くるみ割り人形」の一場面© Sputnik

 「イオランタ」と「くるみ割り人形」は、どちらも1891年12月に上演される予定だった。しかし、チャイコフスキーにはもっと時間が必要だった。その年の4月、彼は弟に宛てて、自分が苦しんでいる「危機」について書き、ヴゼヴォロフスキーを「怒らせないよう」、1892年から1893年の上演期にオペラとバレエを上演させてほしいと頼んだことを明らかにした。チャイコフスキーは、「彼らは、私が座って5分でオペラを作曲できると考えているのだ」と叫んだ。実際、この時期は作曲家チャイコフスキーにとって多忙な時期であった。この年の5月にはアメリカに渡り、ニューヨークのカーネギーホールの開館式に参加した。


独特の効果を持った楽器

 しかし、「くるみ割り人形」への取り組みは、当初の失望を乗り越えるものをはらむことになった。チャイコフスキーはパリを訪れた際、パリ市民であるハルモニウム製作者オーギュスト・ムステルが発明し、フランスの作曲家エルネスト・コーションが初めて使用したチェレスタという全く新しい楽器を発見する。

 チャイコフスキーは、この楽器のサンクトペテルブルクへの輸送を指示する際、手紙の中で「私はこれ(チェレスタ)を誰にも見せないことを希望します」と書いている。「リムスキー=コルサコフやグラズノフがこの楽器を知って、私より先にその独特の効果を使うことを恐れているのです」。特筆すべきは、この手紙に書かれている二人が、ロシアの超有名な作曲家であることだ。

 チャイコフスキーは「金平糖の妖精の踊り」の音楽でチェレスタを使用した。




様々な反応

 チャイコフスキーは、このバレエの原稿を「熱に浮かされたように急いで」、そして自分の力量に「常に疑問を抱きながら」仕上げたと回想している。

想像力の衰えを感じながら、苦労してこのバレエを私は作曲した。

 チャイコフスキーは「『くるみ割り人形』は、前作のバレエ『眠れる森の美女』よりも『比べ物にならないほど酷い』」と嘆いている。



 1892年、振付師プティパは「くるみ割り人形」の仕事を助監督であったレフ・イワーノフに譲った。彼が振付を完成させた。12月に上演されたこのバレエは、非常に複雑な反応を見せた。批評家たちは「子供っぽい」「退屈だ」と言い、また「センスがない」とも非難した。

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 それでもこのバレエは上映品目として残り、やがてサンクトペテルブルクを越えていく。1919年、モスクワのボリショイ劇場で「くるみ割り人形」は初めて上演された。その後、何度も改訂され、改訂のたびに物語が微妙に変化している。ボリショイ劇場の芸術監督を長く務めたユーリ・グリゴローヴィチが1966年に上演した「くるみ割り人形」は、最も成功した改訂版のひとつだと多くの批評家は考えている。現在もボリショイ劇場で上演されているが、新年期の公演チケットを入手するのは至難の業だ。

 マリインスキ劇場では、1934年にヴァシリー・ヴァイノーネンが創作した「くるみ割り人形」が現在も上演されているが、新しい舞台では芸術家ミハイル・チェミキンと振付家キリル・シモノフによる現代版も上演されている。

 後者の方が、伝統的な解釈より少し暗い感じがする。グリゴローヴィチ版とヴァイノネン版は、少女マリー(ロシア名マーシャ、クララと呼ばれることもある)が眠りに落ち、くるみ割り人形とネズミの軍団との戦いに参加する夢を見るという甘い童話である。そして、くるみ割り人形は王子に変身し、マリーをお菓子の国へと連れて行く。しかし、ケミキンとシモノフによる改訂版は、大人たちに誤解された孤独な子供の物語である。マーシャは想像の世界に逃げ込もうとし、くるみ割り人形との旅の果てに、巨大なケーキの上で砂糖の置物に変身するのだ。

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世界中で上演される「くるみ割り人形」

 海外の観客に「くるみ割り人形」が紹介されるようになったのは、20世紀に入ってからである。当初は、世界的に有名なバレリーナ、アンナ・パブロワとその一行、そしてセルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュス団員によって、バレエの断片が上演されただけだった。ディアギレフは、絶望的な財政状況を打開するために、伝統的なバレエで長期間大当たりする作品を作ろうと考え、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」という別のバレエに賭けることにした。しかし、その作品は成功しなかった。しかし、彼の弟子であるジョージ・バランシンは、「くるみ割り人形」で、大成功を収めることになる。

 一方、バランシンに先立つ1934年には、ロシア革命で国外に逃亡した振付家ニコラス・セルゲイエフがロンドンで「くるみ割り人形」を上演している。現在、英国ロイヤル・バレエ団で上演されているのは、レフ・イワーノフの原振付の伝統に忠実なピーター・ライトの1984年版である。

 アメリカでは、1954年に上演されたバランシン版「くるみ割り人形」が旋風を巻き起こした。1944年、ウィリアム・クリステンセンがサンフランシスコ・バレエ団で上演したのが最初ではない。1944年、ウィリアム・クリステンセンがサンフランシスコ・バレエ団のために上演したものだ。しかし、「くるみ割り人形」を大当たりさせたのはバランシン版であり、今では毎年、全米で圧倒的な成功を収めている。1993年のクリスマス映画「ホーム・アローン」で主演をつとめたマコーレー・カルキンがくるみ割り人形を演じた際にも、この改訂版が使用された。




「キャンセル文化」の犠牲

 これだけの成功を収め、100年以上の歴史を持つにもかかわらず、「くるみ割り人形」は最近、「キャンセル文化」に苦しむ古典芸術作品の仲間入りをした。2021年、ベルリン国立バレエ団は、中国と東洋の踊りをめぐる懸念から、このバレエをクリスマスの上映品目から除外した。この演目には「人種差別的な要素」が含まれていると懸念したのだ。同じ年、スコットランド・バレエも いわゆる「文化を不適切な固定観念で捉えること」の排除に取り組むことを決めた。この目的のために、中国とアラビアに影響を受けた場面の衣装と振付を更新し、「風刺的要素を取り除く」ことにした。

 しかし、さまざまな葛藤や障害があっても、「くるみ割り人形」は世界中の舞台からすぐに消えることはなさそうである。その成功の秘密はどこにあるのだろうか。ソ連初期の重要な振付師で、革命後のクラシックバレエの遺産を多く残したとされるフョードル・ロプーホフは、このように説明している。「「くるみ割り人形」は非常に複雑だ。問題は、この物語をどう演じるかではなく、どう解釈するかです。その深みに沈み込んでゆくことです。そうしないと失敗しますよ」。
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