フアン・グアイドはアメリカの「でっち上げ」―――
アメリカはどのようにベネズエラのクーデター指導者を
つくり出したのか
The Grayzone(Investigative journalism and news website focusing on war and empire
Venezuela グレーゾーン 2019年2月20日
(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年6月11日)
<記事原文>
https://consortiumnews.com/2019/01/29/the-making-of-juan-guaido-us-regime-change-laboratory-created-venezuelas-coup-leader/
フアン・グアイドは、ワシントンの政権転覆指導者エリートたちが10年かけて作り上げた産物だ。グアイドは、 民主主義の優れた推進者としてのポーズを取っているが、暴力的な不安定化路線の最前線に何年もその身を置いていた。


ダン・コーエンとマックス・ブルーメンソール
「暫定大統領」を自ら宣言した1月22日以前、フアン・グアイドの名前を耳にしたベネズエラ人は5人に1人もいなかった。 ほんの数ヶ月前、フアン・グアイドは35歳になったばかりだ。 政治的には極右の泡沫集団の中でもぱっとしない存在だった。 この泡沫集団が深く関わってぞっとするような暴力的街頭行動が引き起こされた。 反対派が支配的な国民議会内で所属政党の中ですら、序列としては中程度の人物だった。 この国民会議は、現在、ベネズエラ憲法に規定された「法廷侮辱罪」の宣告を現在受けている。
しかし、アメリカ副大統領のマイク・ペンスから一本の電話があると、グアイドは自らをベネズエラ大統領と宣言した。 アメリカ政府からベネズエラの指導者とのお墨付きを得ると、それまで無名で政治的にもおよそ「指導者」とは言い難いところいた彼が、突然国際的な舞台に躍り出た。 原油埋蔵量世界一の国ベネズエラの指導者をアメリカが選び出したというわけだ。
こういったアメリカ政府の意向に呼応して、ニューヨーク・タイムズの編集局はグアイドをマドゥロに対する「信頼できる対抗馬」と持ち上げた。 「ベネズエラを前進させる新鮮な行動スタイルとビジョン」を備えた人物だ、と。 ブルームバーグの編集局は「民主主義の復活」を追求する人物として、彼を手放しで褒め称えた。 ウォールストリート・ジャーナルは、グアイドが「新しい民主的な指導者」だと明言した。 また、カナダ、欧州の少なからぬ国々、イスラエル、そして「リマ・グループ」として知られる一群の右翼ラテンアメリカ政府は、グアイドをベネズエラの合法的指導者として承認した。
どこの馬の骨ともわからないような人物に見えたグアイドだが、実は、10年以上前からアメリカ政府配下のエリート集団が手がける「政権転覆工場」で念入りに仕込まれて出来上がった「製品」なのだ。 右翼学生活動家の幹部らと共に、グアイドは訓練・養成され、①ベネズエラの社会主義志向政府の弱体化、②ベネズエラの不安定化、そして③いつか権力を掌握する、ことを目指していた。 ベネズエラの政治世界では取るに足らない人物だったグアイドだが、何年にも亘って、彼は「自分は使える人間だ」と、ワシントンの権力中枢に密かに売り込んでいた。

「フアン・グアイドはこういった状況のために創作されたキャラクターです」とマルコ・テルーギはグレイゾーンのインタビューに答えてくれた。 マルコ・テルーギはアルゼンチンの社会学者で、ベネズエラ政治の編年史家としては一流の仕事をしている。 「すべて『工場の論理』で動いています。 グアイドはいくつかの要素を組み合わせた合成品のようなものです。 そうして出来上がったキャラクターとして、彼は嘲笑の対象になったり、やっかいな人物との間を揺れ動きます。 それがウソ偽りのないところです」
ディエゴ・セケラは、ベネズエラのジャーナリストで、ミッション・ヴェルダトという調査報道メディアにも記事を書いているが、同じ意見だ。 「グアイドはベネズエラ国内より国外で名前が知られています。 特に、アイビー・リーグのエリート大学や、ワシントンの複数のサークルで。 そこで名前が売れた人物ですから、彼が右翼であることは予測がつきます。 また政権転覆計画に忠実な人間と考えられています」との意見を、ディエゴ・セケラはグレイゾーンのインタビューで述べた。
グアイドは今日、民主主義回復の顔として売り出されているが、政治的な経歴としてはベネズエラで最も過激な反政府グループの最も暴力的な分派メンバーだった。 その最先頭に立って数々の不安定化作戦を展開していた。 このグループのベネズエラ国内での信頼度は低く、ひどく弱体化した反対勢力をばらばらにした責任もあると考えられている。
「こういった過激派リーダー達は世論調査でたった20%の支持率しか得ていない」とベネズエラの優れた世論調査員であるルイ・ヴィンセント・レオンは書いている。 レオンの記事に依れば、グアイドのグループの支持が広まらないのは、国民の大半が「戦争を望んでいないからだ。『国民が望んでいるのは問題の解決』だ」という。 しかし、これこそまさにアメリカがグアイドを選んだ理由である。 アメリカが彼に期待しているのは、ベネズエラに民主主義を!などではない。 過去20年間、アメリカの覇権に抵抗する防波堤となってきたこの国を崩壊させて欲しいのだ。 グアイドは取って付けたように登場したが、それはベネズエラにおける強固な社会主義の実験を破壊しようとする20年越しのアメリカの計画が、その頂点に達したことを示している。
「トロイカ独裁国体制」を標的に
1998年にウゴ・チャベスが大統領に当選して以来、アメリカはベネズエラとその膨大な埋蔵原油への支配回復を目指して闘った。 チャベスの社会主義的計画が実行されると、国富の再分配が行われ、何百万という国民を貧困状態から引き上げることにつながった。 しかし、それはまた国に危険を招くことでもあった。
2002年、ベネズエラの右翼反対勢力は、一時、チャベスを追放した。 アメリカの支援と承認を受けてのことだ。 だが軍は、大規模な民衆行動の後、チャベスを大統領職に復帰させた。 ブッシュ(子)やバラク・オバマの政権を通して、チャベスは数多くの暗殺の陰謀を生き抜いてきた。 しかし、2013年、ガンの病に倒れた。 彼の後継者のニコラス・マドゥロは三回命を狙われた。
トランプ政権は、時を置かず、ベネズエラをアメリカ政府による政権転覆リストのトップに引き上げた。 ベネズエラは「トロイカ独裁国体制」のリーダーだとのらく印を押して。 昨年、トランプの国家安全保障チームはベネズエラ軍の高級将校達を使い、軍事政権を樹立させようとしたが、それは失敗した。
ベネズエラ政府に依れば、アメリカは「コンスティテューション(憲法)作戦」というコードネームの陰謀にも関与していた。 この作戦ではミラフローレス大統領宮殿でマドゥロを捕縛することになっていた。 さらに、「アルマゲドン作戦」と呼ばれる陰謀では、2017年7月の軍事パレードで彼を暗殺することになっていた。 それから1年ほどして、亡命中の右翼反対勢力はカラカスの軍事パレードでドローン爆弾を使ってマドゥロを暗殺しようとしたが、失敗した。
こういった陰謀の10年以上も前に、右翼反対勢力の学生グループが一本釣りされ、既述のアメリカが資金援助する「政権転覆訓練所」の訓練を受け、ベネズエラ政府の転覆と新自由主義的秩序の回復を目指した。
「幾多のカラー革命の種を蒔いた『革命輸出』グループ」の訓練
2005年10月5日、チャベスの人気が頂点に達し、広範囲な社会主義的プログラムをベネズエラ政府が計画していたころ、5人のベネズエラ「学生指導者達」がセルビアのベオグラードに到着、反乱のための訓練が始まった。
学生達がベオグラードに来たのは、CANVAS(「非暴力的行動と戦略応用センター」)のベネズエラ枠からであった。 CANVASの基金は、その大半が「全米民主主義基金」から出ている。 「全米民主主義基金」は政権転覆を促すアメリカ政府の主力部隊としての機能を果たすCIAの出先機関だ。 また、「共和党国際研究所」や「全米民主国際研究所」のような派生機関でもある。 「陰のCIA」として知られる情報会社ストラトフォーのリークされた部内メールに依れば、CANVASは「1999年から2000年にかけての反ミロシェビッチ闘争で、CIAからも資金と訓練指導を受けていた可能性がある。」
を意味する「オトポール」は、学生集団として反政府運動を組織し、ついにはスロボダン・ミロシェビッチを打倒したことで世界的な名声を博した。 ハリウッドばりの広報宣伝も行われた。
この政権転覆の専門家たちが小さな核となって、活動を展開していた。 その理論的支柱は「クラウゼヴィツの非暴力版」と言われた故ジーン・シャープである。 シャープは、前アメリカ国防情報局(DIA)の分析官であったロバート・ヘルヴェイ大佐との共同作業で、多面的な形態の抗議運動を武装化する戦略的な青写真を描いた。 その標的は、アメリカの一極支配に抵抗する国々である。

Otpor at the 1998 MTV Europe Music Awards
オトポールを支援したのは、「全米民主主義基金」、「アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)」、そしてジーン・シャープが立ち上げた「アルベルト・アインシュタイン研究所」だった。 オトポールを訓練した中心人物の一人であるシシナ・シクマンは、「オトポールはCIAから直接資金援助を受けることすらある」と、かつて語っていた。
前述した「影のCIA」とも言われる情報会社ストラトフォーのスタッフがリークしたメールに依れば、ミロシェビッチを権力の座から追放した後、「オトポールの幹部連中は成長し、スーツ姿となり、CANVASを構想した。 つまり、「革命輸出」グループに変身し、幾多のカラー革命の種を蒔いたのだ。
ストラットフォーのリークメールが明らかにしたのは、CANVASは2005年に「その関心をベネズエラに向けた」ということだ。 それは東ヨーロッパ全体に広まった親NATO勢力による政権転覆作戦につながった反政府運動を訓練した後のことだ。
CANVASの訓練プログラムを観察して、ストラットフォーはその暴徒的行動の意図を驚くほどに率直に語ってみせた。 「成功するかどうかは、全く保証の限りではない。 また、学生運動はほんの端緒に過ぎない。 これからどれほどの年月がかかるかわからないが、ベネズエラに革命のきっかけを与える努力をしてゆくのだ。 そうは言ってもCANVASの訓練者達は自ら『バルカンの殺戮者達』で経験を積んでいる。」 彼らが手にしたスキルは真っ当なものではない。 学生達がベネズエラの5つの大学で同時デモを繰り広げる様子を見れば、訓練は終了し、実戦が始まったことは明らかだ。
「ジェネレーション2007」政権転覆要員の誕生
「実戦」は2年後、2007年に始まった。 グアイドがカラカスにあるアンドレ・ベロ・カソリック大学を卒業した年だ。 彼はワシントンDCに移り、ジョージ・ワシントン大学で管理・政策運営のプログラムを受講した。 指導教官はラテンアメリカにおける最高の自由主義経済学者の一人であるベネズエラ人ルイス・エンリケ・ベリーズバイティア。 ベリーズバイティアは「国際通貨基金」(IMF)の常任理事を務めたことがあり、チャベスが追放した旧寡頭政権下で10年以上ベネズエラのエネルギー部門を担当した。
その年、ベネズエラ政府が「ラジオ・カラカス・テレビ」(RCTV)の免許更新を認めなかった後、グアイドは、反政府デモを主導する手助けをした。 個人が所有するこのテレビ局は2002年のウゴ・チャベスに対するクーデターで中心的な役割を果たした。 RCTVは反政府デモを煽り立て、反対派が行った暴力行為を政府支持者の仕業だと虚偽の情報を流し、クーデターが企てられている間、政府寄りの報道を禁止した。 RCTVや他のオリガルヒ(寡頭政治の支配者)が所有するテレビ・ラジオ局が、失敗に終わったクーデターを推し進める時に果たした役割は、有名なドキュメンタリー『放映されない革命』において、時系列で記録された。
同年、2007年、これらの学生達はチャベスの『21世紀の社会主義』のための憲法国民投票を妨害したことを声高に自慢した。 『21世紀の社会主義』とは「ベネズエラの政治的、社の再組織化のための法的枠組みを設定し、新しい経済発展のための前提条件として組織化された市町村に直接的な権限を与えること」を約束している。
RCTVや国民投票を巡る抗議運動から、アメリカの支援を受けた政権転覆活動に特化した幹部集団が生まれた。 彼らは自らを「ジェネレーション2007」と名乗った。
「ジェネレーション2007」の訓練を担当したストラットフォーとCANVASは、グアイドの協力者であり、リバタリアン的な考えを持つ政治的オルグのヨン・ゴイコエチェアを、憲法国民投票を失敗させる「キーパーソン」であるとした。 翌年、ゴイコエチェアはそれまでの奮闘に対して、ケイトー研究所の「ミルトン・フリードマン自由促進賞」が授与された。 副賞は50万ドル。 彼はその金を即座に自分の政治的ネットワークにつぎ込んだ。

フリードマンとは、もちろん、悪名高い「シカゴボーイズ」のゴッドファーザー的人物であった。 この「シカゴボーイズ」をチリの独裁的軍事政権指導者アウグスト・ピノチェトが、自国に導き入れ、過激な「ショックドクトリン」型緊縮財政諸政策を実行した。 ついでながら、ケイトー研究所とはワシントンに本拠を持つ、リバタリアン派のシンクタンクで、創設者はコーク兄弟である。 この二人が共和党への献金では上位2位を占め、ラテンアメリカ全域の右翼勢力への積極的な支援者になった。
ウィキリークスが公表した2007年のメールは、在ベネズエラ米大使であるウィリアム・ブラウンフィールドが国務省、国家安全保障会議(NSC)、そしてアメリカ国防総省南方軍に配信したものだ。 このメールで、彼は「『ジェネレーション2007』が、政治的課題を設定することに手慣れたベネズエラ大統領に、有無を言わさず(過剰)反応」させたことを賞賛している。 「突出したリーダー」としてブラウンフィールドが名前を挙げているのは、フレディ・ゲバラ と ヨン・ゴイコエチェアの二人だ。 ヨン・ゴイコエチェアについては「市民の自由をきちんと擁護できる学生の一人」と賞賛している。
ケイトー研究所などのリバタリアン的な考えに染まったオリガルヒ(寡頭政治派)や、アメリカ政府のソフトパワー的な装いを凝らした組織から潤沢な資金を得て、ベネズエラの過激派集団「ジェネレーション2007」はオトポール戦術を街頭行動で繰り広げた。 その際、下に示したようなロゴをこの集団の目印とした。

“Galvanizing public unrest…to take advantage of the situation and spin it against Chavez”
「大衆の不安を煽り立て、情況を有利に、そしてそれを反チャベスの運動へ!」
2009年、「ジェネレーション2007」の若い活動家達は、それまで見たこともないような挑発的なデモを敢行した。 公道でズボンを下げ、突拍子もないゲリラ的な演劇戦術を展開したのだ。 それはジィーン・シャープが政権転覆マニュアルでその輪郭を描いたものをなぞったものだ。 「ジェネレーション2007」は、JAVUと呼ばれる、自分達と同じような脚光を浴びた若者集団の一人が逮捕されたことに抗議するデモを組織していた。 大学人ジョージ・シッカリエロ・マーハーの著書『コミューンの形成』からの引用:
JAVUという極右グループは「その資金を様々な米国政府関係機関から集めた。
その資金を使い、過激な反政府街頭行動を繰り広げたため、急速にその評判を
落とすことになった。」
そのビデオは手に入らないが、その中心的な参加者の一人がグアイドだと、多くのベネズエラ人は認めている。 その告発の真偽は確認されていないが、たとえそうだとしても、決してあり得なくはない。 尻を丸出しにしたデモ隊はグアイドが属する「ジェネレーション2007」の中核メンバーであり、彼らのトレードマーク「Resistencia! Venezuela」のTシャツを着ている。 その写真は下に。

Is this the ass that Trump wants to install in Venezuela’s seat of power?
その年、2009年、グアイドは、また趣向を変えて、公の場に登場した。 彼の属する「ジェネレーション2007」が培ってきた反チャベスのエネルギーをまとめる政治グループを立ち上げたのだ。 そのグループは「民衆の意志」と呼ばれ、指導者はレオポルド・ロペス。 プリンストン大学で教育を受けた右派の扇動的指導者。 「全米民主主義基金」プログラムに深い関わりを持ち、ベネズエラでも最も富裕なある地域(カラカス市)の首長に選出されている。 ロペスは、ベネズエラ初代大統領の直系として、ベネズエラ貴族主義の顔だった。 また、アメリカに本拠を置く「人権財団」の創設者であるトール・ハルヴォルセンはいとこにあたる。 この「人権財団」は、アメリカが政権転覆を狙う国々で、アメリカの支援を受けながら反政府活動をする活動家達のための宣伝業務を行う場として、実質的には機能している。
ロペスとアメリカの利害はきちんと一致しているが、ウィキリークスが発表したアメリカ外交電報では、彼の常軌を逸した傾向が強調されていて、それは延いては「民衆の意志」という組織を泡沫的な組織にしてしまうだろうという。 ひとつの電報に記されたロペスの人物評として「反政府グループ内でも非協調的で...傲岸で執念深く、強い権力志向を持っていると言われることが多い」と描かれている。 他の電報で強調されているのは、彼が街頭での武闘作戦に強いこだわりを持っていることと、彼の「非妥協的なアプローチ」だ。 それがベネズエラの民主的組織の統一と参加を最優先する他の反政府グループ・リーダーとの軋轢となっている。

Popular Will founder Leopoldo Lopez cruising with his wife, Lilian Tintori
2010年までに、「民衆の意志」とそれを背後で支援する国外の諸組織は、数十年に一度という規模でベネズエラを襲った大干ばつを利用することにした。 大量の電力不足がこの国を直撃したのはこの水不足のせいだった。 水は水力発電所には不可欠なものだ。
グアイドと彼が率いる反政府グループの主要な助言組織であるストラットフォーとCANVASは、到底まともとも取れないような計画を立案した。 ボリバル革命の心臓部に短剣を突き刺すような計画だ。 この企みの成功はベネズエラの電力システムの70%を、早ければ2010年4月までに、壊滅できるかどうかにかかっていた。
「これは分岐点になり得る。 電力システムが動かなくなれば、チャベスには貧困層を守る手立てがほとんどないからだ」とストラットフォーの内部文書にはきちんと書かれている。 「おそらく国民の不安に火をつけるインパクトになるだろう。 これまでどの反政府グループがやろうとしてもできなかったことだ。 その時点で、ある反政府グループに動いてもらうことが最善となるだろう。 この情勢を活用し、「反チャベス!」と「国民へ必要物資を!」の運動へと舵を切らせるのだ」
この時点までにベネズエラの反政府勢力は、年間4,000万ドルから5,000万ドルという驚くべき額の資金をUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)や全米民主主義基金から受け取っている。 これはスペインのシンクタンクFRIDE機構の報告だ。 この反政府勢力は巨額の預金を持っていて、その口座の大半は国外に置かれていた。
ストラットフォーの描いたシナリオがうまくいかなかったこともあり、「民衆の意志」の活動家とその同調者達は、非暴力の仮面をかなぐり捨て、ベネズエラの国情を不安定化させるような過激な計画に加わった。
暴力的不安定化路線へ
ベネズエラ保安局が入手し、前司法大臣ミゲル・ロドリゲス・トレスが公表したメールに依れば、2010年11月、グアイド、ゴイコエチェア、そして他数名の学生活動家達は、メキシコにある“フィエスタ・メヒカナ”と呼ばれるホテルで5日間の秘密訓練に参加した。 この訓練はベオグラードに本拠があるオトポールが運営したものである。 オトポールは政権転覆の訓練士集団でアメリカ政府の支援を受けている。 この秘密訓練は、メールに依れば、オットー・ライヒの承認を受けていた。 オットーは狂信的な反カストロ派キューバ人亡命者で、ブッシュ(子)政権下の国務省と前コロンビア大統領で右翼アルバロ・ウリベの下で仕事をしていた。 これもメールに記載されていることだが、この秘密訓練でグアイドと参加していた学生活動家達は、断続的で長期的な暴力的街頭行動を通して混沌状態を創り出し、ウゴ・チャベス大統領を放逐する計画を密かに練った。
石油産業の表看板である3人の人物、Gustavo Torrar、Eligio Cedeño、Pedro Burelliがこの訓練の運営費用52,000ドルを支払ったと言われる。 Torrarは自称「人権活動家」であり「知識人」だ。 彼の弟Reynaldo Tovar Arroyoはメキシコで石油・ガスを扱う民間企業Petroquimica del Golfoのベネズエラにおける代表だ。 この民間企業はベネズエラと契約を結んでいる。
Cedeñoは、彼の立場としては亡命ベネズエラ人ビジネスマンであり、アメリカへの亡命を申請している。 そしてペドロ・ブレリはJPモルガンの元重役であり、以前ベネズエラの国営石油会社PDVSAの取締役を務めていた。 彼は1998年ウゴ・チャベスが大統領になるとPDVSAを辞めた。 現在はジョージタウン大学に開設されている「ラテンアメリカ・リーダーシップ計画」の諮問委員会に席を置いている。
Burelliは、自分がこの秘密訓練に関わりを持ったとするメールはでっち上げだと主張し、それを証明するため、私立探偵を雇うこともした。 この私立探偵は、グーグルの記録を見て、ブレリのものだとされるメールが発信されたことは一度もない、と言明している。
だが今日ブレリは自分の願望を大っぴらにし、ベネズエラの現大統領ニコラス・マドゥロが追放され、さらにはリビヤの指導者ムアンマル・カダフィがNATOに支援された民兵達にされたように、街頭に引き出され、銃剣が肛門に突き刺されるところを見たい、と広言している。
.@NicolasMaduro, jamas me has hecho caso. Me has fustigado/perseguido como @chavezcandanga jamás osó. Óyeme, tienes sólo dos opciones en las próximas 24 horas:
— Pedro Mario Burelli (@pburelli) 2019年1月17日
1. Como Noriega: pagar pena por narcotráfico y luego a @IntlCrimCourt La Haya por DDHH.
2. O a la Gaddafi.
Escoge ya! pic.twitter.com/pMksCEXEmY
更新:ブレリはこの記事が公開されると本サイト「Grayzone」とコンタクトを取り、自分が「フィエスタ・メヒカーナ」策略に関わった経緯を明確にしたいと言った。 ブレリは「この『秘密訓練』は合法的な活動だ。 ただ、ホテルの名前は違っている」と語った。
オトポールがこの秘密訓練の取りまとめを行っているのか、と聞いても彼は、オトポール/CANVASの仕事は「気に入っている」と述べるだけだった。 また自分はそれに資金提供しているわけではないが、「その動きを見守り、オトポール/CANVASが指揮している活動に参加することをいろいろな国の活動家達に勧めている」
これもBurelliの言葉:「アルベルト・アインシュタイン研究所は何千人もの人間の訓練を公然とベネズエラで実施した。 ジーン・シャープの哲学を幅広く研究し、それを自分のものとしたのだ。 そして、恐らくは、こういった動きがあるおかげでベネズエラでの闘いが内戦に転化しなくて済んでいる」
ホテル「フィエスタ・メヒカーナ」での策略とされているものが、別の不安定化計画へと流れていった。 これはベネズエラ政府が出した一連の文書で明らかになったものだ。 2014年5月、ベネズエラ政府はニコラス・マドゥロを狙った暗殺策謀の詳細を示す文書を公開した。 この文書で反チャベスの強硬派マリア・コリーナ・マチャド(現在米上院議員マルコ・ルビオの懐刀)が名指しで、この暗殺策謀の指導者とされている。 マチャドは全米民主義基金から資金援助を受けたグループSumateの創設者として、反政府集団の国際的な紐帯として動いている。 2005年にはブッシュ(子)大統領を訪問した。

Machado and George W. Bush, 2005
「今が努力を結集すべき時です。 必要な呼びかけを行い、資金を調達し、マドゥロを抹殺するのです。 そうすれば他の連中は散り散りになります」と書いたメールをマチャドは、2014年、元ベネズエラ外交官のディエゴ・アリアに送った。
マチャドは別のメールで、マドゥロ暗殺計画をアメリカのコロンビア大使ケビン・ウィタカーが承認してくれていると述べている。 「私はもう決断しています。 この闘いを継続し、マドゥロ政権を放逐し、世界の友人達にこの成果を示すのです。 サン・クリストバル市(カラカスから南西約600キロ、タチラ州の州都。反政府運動の震源地でその鎮圧のため数千人の軍が派遣された)に出向き、OAS(米州機構)の前にこの身を晒しても怖いものは何もありません。 ケビン・ウィタカーが支援を再確認してくれています。 そしてこの新しい方策に目を向けてくれました。 我々はマドゥロ政権よりも強大な小切手帳を所持し、OASという国際的安全保障の輪を砕きます。
グアイドは率先してバリケードへ
2014年2月、学生デモ隊は亡命しているオリガルヒのために突撃部隊として暴力的なバリケードをベネズエラ全土に構築した。 これは反政府勢力が支配する区域を暴力的な要塞にするもので「ガリンバス」として知られている。 国際的なメディアは、この激動を自然発生的な抗議運動で、マドゥロ政権の強権支配に抗するものと描きだしているが、この顛末を指揮しているのは「民衆の意志」であるという証拠は十分あった。
「学生デモ隊の誰一人自分達の大学のTシャツは着ていませんでした。 みんな『Popular Will(民衆の意志)』か『Justice First(まず、正義を)』のTシャツを着ていました」と語ってくれたのは、その時ガリンバスに参加していた人物だった。 「みんな学生集団だったかもしれません。 でも学生自治会は反政府政党の傘下にあり、学生達を指導していました。」
中心人物は誰だったのか、の質問にこのガリンバス参加者は「ええ、ありのまま申し上げれば、 そういう人たちが今政治家になっています」と答えた。
43名前後の人が2104年のガリンバスで死亡した。 3年後、またガリンバスが勃発し、公共インフラの大量破壊があり、政府支持者達が殺害され、そして126名の死者(多くはチャベス派)が死亡した。 政府支持者達が、武装ギャングたちに生きたまま火をつけられたケースもいくつかあった。
グアイドは直接2014年のガリンバスに参加していた。 実際彼は、自分がヘルメットとガスマスクを被り、マスクとヘルメット姿で高速道路を封鎖していたデモ隊に取り囲まれている様子を映したビデオをツイートしている。 このデモ隊は警官隊と激しく衝突していた。 「ジェネレーション2007」に自分が参加していたことを匂わせながら、グアイドは「2007年のことは忘れない。 我々は『学生諸君!』と宣言した。 今我々は『抵抗だ!抵抗だ!』と声を大にして言おう」と宣言した。
グアイドはこのツイートを消去している。 民主主義のチャンピオンとしての自分のイメージへの気遣いがあったことは明らかだ。
2014年2月12日、この年のガリンバスが最盛期に達した時、グアイドは「民衆の意志」と「まず正義を」の集会でロペスと同じ演壇に立った。 政府に対する激しい非難の長広舌の中で、ロペスは群衆に、検事総長ルイザ・オルテガ・ディアスの事務所に行進するよう強く呼びかけた。 すぐに、ディアスの事務所は、それを焼失させようとする武装したギャング達に攻撃された。 彼女は「周到に計画された暴力行為」として非難した。

Guaido alongside Lopez at the fateful February 12, 2014 rally
2016年テレビに登場したグアイドは「グアヤ」(ガリンバスのひとつの戦術で、鋼鉄線を道路に広げ、バイクに乗った人間に怪我を負わせたり、殺そうとしたりする)で死者が出たことを「神話」だと切り捨てた。 彼のコメントは死者が出るかもしれない戦術をごまかしている。 現にサンチャゴ・ペドロサのような武器を持たない市民達を殺したし、エルビス・デュランという名前の男性を斬首した。 他にもたくさんある。
こういった人命を無視する冷淡さは、彼の所属する「民衆の意志」党が、多くの大衆の目にそういう組織だとの見方をされることになろう。 それはマドゥロ政権に反対する多くの人々にとってもそうだ。
「民衆の意志」の取り締まり
暴力と政治的な分極化がベネズエラ全土で拡大するにつれ、政府はその動きを扇動した「民衆の意志」のリーダー達を抑える行動を始めた。
フレディ・ゲバラは、国民会議副議長であり、「民衆の意志」のナンバー2、2017年の街頭暴動の中心的リーダーだった。 その果たした役割のことで裁判にかけられそうになると、彼はチリ大使館に逃げ込んだ。 現在もそのままである。
レスター・トレドは、スリア州選出「民衆の意志」党議員。 2016年9月ベネズエラ政府から指名手配される。 罪状はテロへの資金提供と暗殺謀議だった。 これらの計画は元コロンビア大統領アラバロ・ウリベも加わってのことだと言われている。 トレドはベネズエラを逃亡して、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、米政府支援のフリーダム・ハウス、スペイン議会、そしてヨーロッパ議会へ講演旅行をした。
カルロス・グラーフは、オトポールの訓練を受けた「ジェネレーション2007」のメンバーでもある。 「民衆の意志」の指導者で2017年6月逮捕された。 警察に依れば、彼は釘、強力プラスチック爆弾と起爆装置の入ったバッグを所持していた。 2017年12月27日に釈放された。
レオポルド・ロペスは、長年「民衆の意志」のリーダーであり、現在、自宅監禁されている。 2014年のガリンバスで13人が死亡したことについて重要な役割を果たしたことを告発されている。 アムネスティはロペスを「良心の囚人」として賞賛した。 彼が刑務所から自宅へ移されたことを「十分な措置ではない」として非難した。 一方、ガリンバスの犠牲者の家族はロペスに対する罪状をもっと増やしてほしいとする請願書を発表。
ヨン・ゴイコエチアは、コーク兄弟の広告塔で、2016年に治安部隊が逮捕した。 車に1キロの爆発物を積んでいたとされる。 ニューヨークタイムズの論説には、ゴイコエチアが「捏造された」罪状に抗議し、投獄されたのは単に「共産主義から自由な民主的社会への夢」を持っているため、との言い分を載せている。 2017年11月に釈放された。
Hoy, en Caricuao. Llevo 15 años trabajando con @jguaido. Confío en él. Conozco la constancia y la inteligencia con la que se ha construido a sí mismo. Está haciendo las cosas con bondad, pero sin ingenuidad. Hay una posibilidad abierta hacia la libertad. pic.twitter.com/Lidm8y5RTX
— Yon Goicoechea (@YonGoicoechea) 2019年1月20日
デイヴィド・スモランスキイは、オトポールの最初の訓練を受けた「ジェネレーション2007」のメンバーでもある。 カラカス市南東部の裕福な郊外住宅地自治体の選挙(2013年)でベネズエラ史上最年少の首長となった。 しかし、最高裁はその地位を剥奪、懲役15ヶ月の判決を下した。 暴力的なガリンバス策謀に責任があるとされたためである。
逮捕されそうになると、スモランスキイは髭をそり落とし、サングラスをかけ、密かにブラジルに入国した。 扮装は神父姿で、手にはバイブル、首にはロザリオをかけている。 彼の現在の住まいはワシントンDC。 米州機構事務総長のルイス・アルマグロに一本釣りされ、ベネズエラの移住者、難民の危機問題に対処するグループを指導している。
今年の7月26日、スモランスキイは「心のこもった再会」と称する会合をエリオット・エイブラムスと持った。 エリオット・エイブラムスと言えば、イラン-コントラの重大事件で有罪とされ、トランプがベネズエラへの特使として送り込んだ人物だ。 エイブラムスの悪評は、1980年代のニカラグア、エルサルバドル、そしてグアテマラで右翼の暗殺部隊を武装化する秘密政策を統括したことを巡ってのものだ。
Cordial reunión en la ONU con Elliott Abrams, enviado especial del gobierno de EEUU para Venezuela. Reiteramos que la prioridad para el gobierno interino que preside @jguaido es la asistencia humanitaria para millones de venezolanos que sufren de la falta de comida y medicinas. pic.twitter.com/vHfktVKgV4
— David Smolansky (@dsmolansky) 2019年1月26日
マチャドは更なる暴力的な脅しをマドゥロにがなり立てた。 もし「命が惜しいなら、マドゥロは自分がもう終わっていることを理解すべきだ」と言明している。
捨て駒
「民衆の意志」は不安定化暴力路線で壊滅し、少なからぬ民衆グループが離反し、運動のリーダーシップの多くは亡命先か監禁状態ですることになった。 グアイドは比較的マイナーな人物だったし、国民議会の輪番制の副議長として9年の任期の大半を過ごしただけだ。 ベネズエラで最も人口が少ない州の一つから声を上げ、グアイドは2015年の選挙で二位となった。 得票率は26%で、辛うじて国民議会の席を確保できた。 実際彼が知られているのはその顔というより、彼の尻だったのかもしれない。
グアイドは反政府が主流を占める国民議会議長として知られているが、別に投票で選ばれた訳ではない。 国民議会内の民主統一会議を構成する反政府派の4つの政党が議長を輪番制にすることを決めていた。 「民衆の意志」の番だったが、創設者のロペスは自宅監禁の状態だった。 二番手のゲバラはチリ大使館に逃避。 順番ではフアン・アンドレ・メヒアなる人物が次に来るはずだったが、現在やっと明らかになった理由で、フアン・グアイドが議長に選出された。
「グアイドが頭角を現したことには階級的な理由があります」との見方を示したのは、ベネズエラの分析家のセケラである。 「メヒアは上流階級の人間です。 ベネズエラで最も高額な学費を取る私大のひとつで学んでいます。 グアイドと同じようなやり方で彼を民衆に売り出すことは簡単にはいかないでしょう。 一つには、グアイドの顔つきが、ほとんどベネズエラ人がそうであるように、スペイン人との混血であることです。 いかにも民衆派という雰囲気があります。 同時に、彼はメディアで過剰に取り上げられることはありませんでした。 それ故、どのようにその人物像を作り上げることも可能だったのです」
2018年12月、グアイドは密かに国境を抜け、ワシントン、コロンビア、そしてブラジルへ物見遊山的な視察旅行に出かけた。 マドゥロ大統領就任式で大規模なデモを行う計画を調整することが目的だった。 マドゥロ就任宣誓式の前夜、米副大統領マイク・ペンスとカナダ外相のクリスティア・フリーランドの二人はグアイドに電話で支援の確約をした。
一週間後、マルコ・ルビオ上院議員、マリオ・ディアズ・バラート下院議員(いずれもフロリダに本拠を置く右翼キューバ亡命ロビー出身の議員)がトランプ大統領とペンス副大統領とホワイトハウスで会合を持った。 二人の要請でトランプは、グアイドが自分を大統領と宣言すれば、それを支持することに同意した。
国務長官マイク・ポンペオは、1月10日、個人的にグアイドと会った。 これはウォールストリート紙の記事だ。 しかし、ポンペオは、1月25日の記者会見でグアイドの名前を正しく発音できず、 彼を「フアン・グイド」と呼んだ。
Secretary of State Mike Pompeo just called the figure Washington is attempting to install as Venezuelan President "Juan *Guido*" - as in the racist term for Italians. America's top diplomat didn't even bother to learn how to pronounce his puppet's name. pic.twitter.com/HsanZXuSPR
— Dan Cohen (@dancohen3000) 2019年1月25日
1月11日までにウィキペディアのグアイドのページは37回の編集し直しがあり、以前無名だった人物がアメリカ政府の政権転覆野望のための1枚の絵画になっているイメージを創り出す苦労に焦点が当てられている。 結局、このページの編集の監修はウィキペディアのエリート「司書」会議に委ねられた。 この会議は彼を「異議を唱えられた」ベネズエラ大統領と記載した。
グアイドの人物像ははっきりしないものだったかもしれない。 しかし、彼の急進主義と日和見主義はアメリカ政府の必要性を満たすものだった。 「その駒がなかったのだ」とトランプ政権のある官僚はグアイドについて語った。 「彼という駒が我々の戦略に必要で、それは完全にぴったりと収まった」
元在ベネズエラ米大使のブラウンフィールドがニューヨークタイムズに熱く語ったこと:「彼は、軍と警察に明確な合図を送り、天使の味方で、善良な人間の側にいてもらいたいとの願望を口にする初めての反政府派リーダーだ」
しかし、グアイドの「民衆の意志」党はガリンバスという突撃隊を形成し、警官と一般市民の死亡事件を引き起こした。 自分が街頭暴動に参加したことを吹聴すらしている。 そして、現在、軍警察関係者の心を捉えるためにはこの血塗られた歴史の消し去る必要性が出てきた。
1月21日、クーデターが本当に始まる一日前に、グアイドの妻は軍に反マドゥロで立ち上がるよう求めたビデオメッセージを送った。 彼女の演説はぎこちなく、人の心を打つものではなかった。 グアイドの政治家としての限界をはっきりさせるものとなった。
グアイドは直接的な支援を待つ間も、彼の有り様は以前と何ら変わるところはない。 つまり、利己的な外部勢力の操りに人形なのだ。 「今回の一連の出来事が失敗に終わり、彼が破滅しようと焼け死のうと問題ではありません。 アメリカ人にとって彼は消耗品です」と、セケラは今回のクーデターの首謀者であるグアイドについて語った。
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マックス・ブルメンソールは受賞ジャーナリストで、本の著者でもあります。その中にはベストセラーの『共和党のゴモラ』、『ゴリアテ』、『51日戦争』、『残虐性という支配』がある。彼は一連の出版物に記事を書いたり、多くのビデオレポートや、「ガザの虐殺」などいくつかのドキュメンタリーもある。ブルーメンソールは2015年「The Crayzone」を創設し、アメリカの永続的な戦争状態や、その国内における影響に光を当てるジャーナリスト活動をしている。
ダン・コーエンはジャ-ナリストであり、映画制作者である。彼はイスラエル-パレスチナからビデオレポートや印刷物を配信している。ダンはRTアメリカの通信員でもある。彼のツイートは@DanCohen3000である。
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