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「キューバ危機」から60年

<記事原文 寺島先生推薦>

60 years since the Cuban Missile Crisis: How cool heads prevented a Soviet-US naval encounter sparking a nuclear war

キューバミサイル危機から60年:冷静な頭脳が、核戦争の口火となる米ソ海軍衝突を防いだ経過
世界が危険なほど核ハルマゲドンに近づいた時

筆者:フェリックス・リヴシッツ(Felix Livshitz)

出典:RT

2022年10月12日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年11月19日


© RT

 今年の10月は、「海中」版キューバ危機から60年目にあたる。これは、数週間後、モスクワとワシントンの間で悪名高い膠着状態を引き起こし、同様に世界を核破壊の瀬戸際に追いやった異常なエピソードである。ウクライナ紛争でクレムリンが核兵器の使用を準備しているという西側の逆上的な非難があり、クレムリン側からは、それに対して気迫を込めて否定する動きがある現在、「キューバ危機」を見直すことが、今ほど重要になったことはない。


高まる緊張
 1962年10月1日、核魚雷を搭載したソ連の潜水艦4隻が、キューバへ向けてバレンツ海のコラ湾を出港した。この小艦隊は、キューバとその周辺に存在する広大なソ連軍を秘密裏に強化し、CIAの「ピッグス湾作戦」(アメリカの支援を受けた反乱勢力がハバナを急襲し、国民に人気のあったフィデル・カストロ共産党政権を転覆させようとした事件)の後、キューバ政府が(モスクワに)要求した防衛ミサイル基地の建設を保護することを目的としていた。


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 潜水艦B-59の副艦長であったヴァシリー・アルキポフ(Vasily Arkhipov)の私的な記録(「キューバ危機」を記念して米国国家安全保障アーカイブが今回初めて公開したもの)によると、移動中の天候は、長時間にわたる潜航が「全般的に外部に知られなくしてくれるようなものだった」。つまり「荒天、低雲、低視界、突風降雪、雨」だったという。

 潜航途中、この小艦隊は「対潜水艦航空機の測位局の活動が、短時間間隔で活発になっている」ことを発見した。しかし、10月18日、ソ連情報部が「フランスのラジオ局からの、ソ連の潜水艦が大西洋に入り、アメリカの海岸に移動しているという通信を傍受」するまで、ソ連の潜水艦秘密小艦隊が外部に気づかれることはなかった。

 「アメリカがどうやって潜水艦小艦隊を発見したのかはよくわかりません・・・しかし、航空機のレーダーで発見されたのではないということは、確信を持って言えます」とアルキポフは主張する。

 その4日後、アメリカのケネディ大統領はキューバ封鎖を発表し、多数のアメリカ海軍の艦船と航空機をキューバ沿岸と大西洋近くに配備し、この地域に接近する外国の潜水艦は識別のために浮上せよとの明確な命令を出した。アメリカ軍の艦艇司令官は、この命令を拒否した艦艇を攻撃するよう命じられた。10月23日、アメリカの潜水艦は、まだ発見されていない艦船を確認するため、付近の偵察を開始した。


FILE PHOTO. John F. Kennedy and Nikita Khrushchev. © Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images

 その結果、「ソ連の指揮官は...完全な警戒態勢をとり、秘密裏に潜航を続けるよう命じられた」とアルキポフは振り返る。

 10月24日、ソ連の潜水艦はキューバ近海の「指定区域」に到着した。ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフ(Nikita Khrushchev)がモスクワのワシントン高官に対し、「もしアメリカ船が公海上でソ連商船を捜索し始めたら、それは海賊行為とみなされ、ソ連潜水艦に妨害するアメリカ船の破壊命令を出すだろう」と言ったまさにその日である。


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 それは途轍もなく緊張した状況だった。そして3日後にはB-59が充電のために浮上することになった。アルキポフの証言によると、浮上したB-59は次のようなことを発見したという:
 「空母1隻、駆逐艦9隻、ネプチューン機4機、トレッカー3機を沿岸警備隊の3つの同心円で包囲・・・潜水艦の展望塔からわずか20~30mの上空での飛行機による偵察飛行、強力なサーチライト使用、自動砲(300発以上)の射撃、水中爆雷投下、駆逐艦による危険な(近)距離での5潜水艦前割り込み航行、潜水艦への標的砲、拡声器を通しエンジン停止を怒号で命令。」

 それは、明らかに仰天するような武器を次々と使用した敵対行動の連続だった。アルキポフの言葉を借りれば、「米軍のあらゆる挑発行為」がB-59の乗組員を待ち受けていた」のである。潜水艦の司令官ヴァレンティン・サヴィツキー(Valentin Savitsky)は、遭遇した反応の大きさに衝撃を受け、目がくらんだ。このような状況では、敵に向けて核弾頭を発射する準備として「緊急潜航」を実行することが規定されていた。

「航行中、武器は戦闘可能な状態にしておくこと。海軍総司令官の通常兵器の使用命令、または潜水艦への武力攻撃があった場合に備えて。」と、当時のソ連の戦闘指示書は説明している。


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 危うくそうなるところだった。多数の乗組員がその後何年にもわたって証言しているが、サヴィツキーは、パニック状態になり、自分たちが攻撃されていると信じ込んで、潜航を命じ、第三次世界大戦への引き金になる、命取りの魚雷発射を求めた。しかし、現実にはそうならなかった。なぜか?


(司令官より)冷静な頭脳が勝(まさ)った
 「潜航した後だったので、飛行機が潜水艦を撃っていたのか、その周りを撃っていたのか、という疑問は誰の頭にも浮かばなかっただろう。それが戦争だ。しかし、飛行機は展望塔の上を飛んでいて、発射の1~3秒前に強力なサーチライトを点灯し、甲板にいた人たちの目が痛くなるほどだった。衝撃だった」とアルキポフは振り返る。「(ザヴィツキー)司令官といえば・・・・何が起こっているのかまったく理解できなかったのだ。」

 世界にとって幸運だったのは、司令官ザヴィツキーが世界滅亡を招く命令を発した時、アルキポフはまだ展望塔にいたのだ。彼がもしその時展望塔にいなかったら、この地球が今のまま存在している可能性は薄かったろう。アメリカ側が、実際は潜水艦に警告信号を発し、攻撃していないことを確認したアルキポフは、そんな事情ではだれでもパニックになるのは無理なからぬサヴィツキーをなだめ、彼の命令が潜水艦の魚雷担当の士官に伝わらないようにし、アメリカ側に挑発行為をすべてやめるよう明確なメッセージを送り返したのだ。


資料写真.「赤い命令軍旗」を甲板に掲げてソ連のどこかの基地に停泊する3隻のソ連潜水艦© Getty Images/Bettmann

 このことは、その後の米軍戦闘機による12回にわたる上空飛行も「それほど心配することはない」ことを意味し、米公共放送局の「断続的な無線傍受」を聞けば、「状況は緊迫して(戦争寸前)」いるものの、まだ明白な戦争にはなっていない、という内容がはっきりしている。事態はうまく収拾し、翌日には完全充電されたB-59が警告なしに潜航し、基地に戻ってきた。そこで、ソ連の軍事会議の幹部が乗組員に言った:
「我々は君たちが生きて帰ってくるとはまったく思っていなかった」。


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 アメリカ国民は、この事件とソビエトが核弾頭発射にどれだけ近づいていたかを、何十年も経つまで知る由もなかった。この事実の公表は、当時、衝撃的であったが、数年後には忘れ去られてしまった。が、このエピソードは国際政治における絶望的で危険な状況が、(司令官よりも)冷静な頭脳をもった現場兵士によって解決されることがあることを示す好例となっている。

 キューバ危機として知られるようになったミサイル配備をめぐる対立の解決は、同時にまた、健全で成熟した賢明な外交によって促進され、その中で米ソ双方が大きな譲歩をしたのである。フルシチョフはキューバから核施設を撤去することに同意し、その見返りとしてケネディは二度とキューバを侵略しないことを約束し、トルコからはソ連を狙ったジュピター・ミサイルが撤去された。

 また、モスクワとワシントンの間に「ホットライン」が開設され、2つの超大国の間に直接的で迅速なコミュニケーションが確保されるようになった。その後、両国の平和とデタント(緊張緩和)がしばらく続いたが、1980年代にワシントンが核兵器を拡大し始めると、再び緊張が高まった。このため、軍備管理条約が作成されたが、トランプ大統領の下で破棄されることになった。

 この話の最新版として、今年2月24日に先立つ数カ月前、クレムリンは、破棄された以前の協定の条項の多くを含む、より包括的な新しい欧州安全保障秩序の草稿を提案した。

 こういった努力も馬の耳に念仏だった。
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