コービンを失脚に追い込んだ、2度目のブレグジット国民投票を呼びかけた謎の新党リニュー党の正体とは
<記事原文 寺島先生推薦>
How an obscure intelligence-linked party fixed a second Brexit referendum and torpedoed Corbyn
(諜報機関と繋がる謎の新党が2度目のブレグジット国民投票を仕掛け、コービンを失脚に追い込んだ。)
筆者:キット・クラレンバーグ(Kit Klarenberg)
出典:グレー・ゾーン(the GRAYZONE)
2022年9月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年10月16日

コービン人気が最高潮だった2018年2月19日に創設されたリニュー(Renew)党
親EU派のリニュー党は、「コービン人気」が最高潮だったときに、どこからともなく現れ、2度目のブレグジット国民投票の開催を主張し、労働党党首だったコービンの失脚に繋げる役割を果たした。リニュー党の創設者たちの裏に諜報機関の関与があったことは、ずっと隠されていた。 今に至るまで。
覚えている人はほとんどいない英国のリニュー党が、2018年の2月にウェストミンスターのど真ん中で正式に創設されたとき、創設者たちが広げた大風呂敷には中身がほとんどなかった。この新党の若く、またほとんど世間からは知られていなかった創設者のひとりクリス・コグランは、大胆な親EU路線を掲げ、その焦点を2度目のブレグジット国民投票の実施に置いていた。
ジェレミー・コービン党首の指揮のもと、労働党が市民からの支持を急増させていた最中に創設されたこのリニュー党が選挙戦に参画した時期は、英国支配層が、真の左翼にダウニング街10番地の首相官邸に乗り込まれることを恐れていた時期と重なる。この党の創設当初は、マスコミからの反応は冷たく、サンデー・タイムズ紙はこの党を、「不発の爆竹」と報じていた。しかし最終的にこのリニュー党はコービンの失脚に決定的な役割を果たした。これはこれまで誰も気づかなかったことだが。
2017年の総選挙期間中、コービンは英国の欧州連合からの離脱を進めるという選挙公約を掲げて、大きな支持を得ていた。しかし2019年になると、労働党の綱領において無視することができない重要な構成員が、英国がEUに加盟する是非を問う2回目の国民投票を要求した。そしてこれがコービンと、彼が率いる労働党の歴史的敗北に繋がった。
コービン人気の暗転は、多数の有権者の意志や、労働党を支持していた多数の労働者階級の思いとは食い違っていた。2019年12月、英国民は大袈裟にブレグジット派であると公言していた元ロンドン市長のボリス・ジョンソンを選び、一方で、労働党は1935年以来最悪の選挙結果を迎えたことも同様な不一致と言えるだろう。コービンはその翌日に、党首の座を降りた。
コービンが2019年の総選挙期に、ブレグジット国民投票のやり直しをすることを支持したことは、善意と取られていたが、同時に政治的にみれば危険で、読み違えた一手だとも見られていた。しかし、2度目の国民投票をしようというこの運動がどこから始まったのかをよく見てみれば、もっとずっと狡猾な手口が使われていたことがわかる。
実際、2度目の国民投票を求める声は、草の根の市民からのものではなく、この怪しげな新党のリニュー党から始まったものだった。本記事で後述する通り、リニュー党は英国の軍や諜報機関と深く強いつながりのある工作員によって設立されていた。しかもそこには長年にわたって軍の心理戦に携わってきた専門家たちが含まれていた。
リニュー党の創設者たちと、コービンに対する悪意ある運動の裏にあるものを見れば、退陣したこの労働党党首の主張を立証しているように思える。彼は英国の諜報機関が自分の持っていた大望を「意図的に弱体化させた」と語っている。
「コービン大人気」期の最中に親EU政党が出現
2015年9月にコービンが党首に選ばれるやいなや、多数の労働党国会議員、党の長老たち、記者や評論家たちは、コービンを「選ばれるべきでない」、受け入れ難いほど「過激」という烙印を押していた。この労働党の支配者層はさらに不意打ちを食らうことになる。英国民が2016年6月の国民投票でブレグジットを支持したときだった。そしてこの支持はその翌年の総選挙で波乱の舞台を準備することとなった。
その総選挙の結果は、異常としか言いようがなかった。選挙運動開始時には25%の支持しかなかったのに、最終的にコービンは投票者の4割の支持を獲得し、勝利まであと2227票、というところまで躍進した。国政選挙での労働党の得票率は前回10%も上回り、このコービンの活躍により、テレサ・メイの保守党政権は致命的な打撃を受け、ブレグジットについての議論を再開せざるを得なくなった。しかも今回は力を失った過半数割れの政権担当者として。
この支持率の増大は、1945年の歴史的な地滑り的勝利以来の総選挙における労働党の最高の躍進を示していたが、その要因は、少なくとも一部分ではあったが、コービンがブレグジット派の綱領を受け入れたことだった。
コービンは惜しくもダウニング街10番地の首相官邸に乗り込むことはできなかったが、コービンのこの驚くべき躍進に対して、彼を中傷していた英国の貴族階級やメディアは、コービンの存在を深刻な脅威であると見始めた。真の意味の進歩的な首相が生まれる可能性に直面したこれらの勢力は、強力かつ緊密に連携した取り組みによってコービンの選挙戦の見通しを覆そうとした。
2017年の総選挙が終わった数ヶ月後は、大手メディアでさえ、「コービン大人気期」と報じる時期であった。テレサ・メイと彼女の政権下の諸大臣は、英国のEU離脱について、ブリュッセルのEU当局との骨の折れる交渉の過程に取り組んでいた。いっぽうコービンは、英国の野党党首として自身の立ち位置を見出したように映っていた。
その年の夏は、コービンが行くところはどこでも、興奮した巨大な群衆が、コービンを出迎えた。コービンの人気は絶頂で、 総選挙直後、英国ヒルトンでのイベントのグラストンベリー・フェスティバルで挨拶を行った際、ガーディアン紙は、コービンが「この週末で一番観客を引きつけた」と報じた。
「コービン人気は留まるところを知らない」と同紙は書いていた。支配層が英国内で広がる予期できない崩壊状態と格闘する中、リニュー党は静かに、英国の選挙管理委員会に党の登録を済ませていた。
リニュー党の党首が次の2月から英国の国政に参入するという発表をしたとき、その発表の場に馳せ参じた草の根の民衆の姿は見られなかった。「経験不足のせいですかね」とリニュー党の共同創設者のひとりであるクリス・コグランは恥じらいながら説明した。「この記者会見はマスコミの皆さんのためだけのものですので、我が党の支持者で部屋をいっぱいにすることは考えつきませんでした。今にして思えば、そうしておけば良かったのかもしれません。」

リニュー党の共同創設者のひとりクリス・コグラン
軍・諜報機関の怪しげな世界から「新しいマクロン」が登場
ではクリス・コグランとはいったい何者なのだろうか? さらに政治には素人に見えるこの人物はどこから現れたのだろうか?
コグランは2017年の総選挙で、国政を目指し「無所属」として選挙運動を展開したが、有名人にはなりそびれた。コグランが出馬したのは、労働党が重要な選挙区として必勝を期していたバタシー選挙区だった。その一年後、コグランはジェームス・クラーク、ジェームス・トーランス、サンドラ・カドゥーリとともにリニュー党を立ち上げた。コグラン同様、クラークやトーランスもそれぞれ2017年の総選挙で国会議員に立候補していたが敗れていた。彼らも労働党が非常に重点を置いていた選挙区から出馬していた。バーモンドジー、オールド・サウスウォーク、ケンジントンだ。これらの地域は、EU残留派がとても強い選挙区だった。
コグランや彼の同志たちによると、リニュー党は第三勢力を目指すために創設されたもので、「自己満足している英国政界の中枢に挑戦」し、「無党派層」の有権者の代表となることを目指す、とのことだった。 自らを、労働党でも保守党でもない「反体制派の」残留派と称し、リニュー党は党是の中心をEUへの残留の促進におき、2度目の国民投票の実施を掲げていた。
創設当初から、この4名の創設者たちの政治戦略の方向性は、全く奇妙とまではいかないものの、間違っているようにみえた。リニュー党立ち上げの僅か数ヶ月前、強硬な親EU派の自由民主党は有権者の心を大規模な形で揺らすことに失敗し、英国の二大政党が有権者の82.4%の支持を集めた。この両党は、 ブレグジットを支持していたのだが、この82.4%という数字は、1970年以来最大のものだった。
コグランとカドゥーリの話に戻るが、この2人は 「反体制派の潮流」を作り、導くには不思議な人物と思われた。
地方メディアは、コグランについて、億万長者の銀行マンから転身して不人気のフランス大統領となった男を引き合いに出して「新マクロン」になる可能性があると評したが、彼は英国の保安機関と諜報機関の中枢から大歓迎を受けた。実際のところ、彼が英国外務連邦省テロ対策部の重役を辞したのは、2017年5月の国政選挙に無所属で立候補したほんの1週間前のことだった。
当時36歳だったコグランは、選挙結果の如何に関わらず党首の座を維持するというコービンの誓約を受けて労働党から離党したと発表した。そして自身が国政に挑戦したのは、政治的中道派を組織するためだと呼びかけた。彼はさらに、労働党は「左派によるおとぎ話のような政策」を掲げていると強く非難し、自分が持っているものなら「何でも使って」、ブレグジット派と戦うと誓った。
匿名を条件に、当グレー・ゾーンの取材に応じてくれた英国外務連邦省の職員の一人によると、このような国家機密に関わる役職にいる人物がそんな行動に出ることは、ほぼあり得ないことだった、という。高度な対テロ対策に従事していた経歴がある人物が、気まぐれで急に仕事を変えることなどありえない、というのだ。英国の公務員は、民間企業で務めることや、特定の党派に偏った政治活動をすることは禁止されており、自分の役職を辞した後も、しばらく冷却期間をおいてから、私人としてそのような行動を取ることが義務づけられている。
その職員によると、コグランが即座に政界入りするには、かなり前から直属の上司の許可をもらうことが必要であっただろう、とのことだ。前例が全くなかったとは言えないまでも、どんな事情にせよ、コグランのこの転職のことは非常に異例である、とこの職員は考えている。
コグランのリンクトイン(LinkedIn)の自己紹介欄には、対テロに取り組んでいたという記載は全くない。そのかわり、コグランは、2015年から2017年まで英国外務連邦省で「外交官」を務めていた、と記述している。英国の国家安全機関に批判的な人々の代表格である社会学者のディビッド・ミラーは、当グレー・ゾーンにこう説明している。「このようにコグランの出自がぼやかされていることは、その裏で陰の組織がうごめいている証なのかもしれない」と。
対テロ対策はMI6が3つの「重点分野」として掲げているうちの一つだが、「英国外務連邦省」においてはそうではないとミラーは語っている。「対テロ対策に携わっている人々についての情報は、秘密扱いで、その人々は表向きは、「外交官」であると自称して潜入捜査を行い、機密を守るために勤務場所についての詳細は正確に示さないのが普通です。コグランの幅広い経歴や彼が従事していたことについての詳しい情報が欠如していることから考えれば、コグランが「外交官」をしていたとされる時期に、実際には英国の外国向けの諜報機関に関わる仕事をしていたとしても、驚くことではありません」。
「外交官」としての仕事とは別に、コグランには長期にわたり英軍の予備兵を務めていた過去がある。コグランは、「生来の決意作戦」のもと、イラクでの従軍に動員された。この作戦は、米国が主導するISISに対する軍事干渉で、つい最近の2020年4月までつづいていたものだ。
コグランがもつ職業履歴からは、英国の機密諜報機関とのつながりがさらにあきらかになる。コグランの以前のリンクトインには、ジェームス・ブレア-という人物から「いいね」をもらっていたが、この人物は、悪名高い英軍の第77旅団の一人だ。この77旅団は、戦争における心理戦に関わってきた旅団である。またコグランが主張していた「危機管理」能力について「いいね」を押したもう一人の人物に、第77旅団の予備兵のひとりがいた。

コグランとともにリニュー党の創設者となったサンドラ・カドゥーリのリンクトインの自己紹介欄にも、同じような謎が見える。その記述には、カドゥーリが英国で政治活動を始めたのは、ジョージアでのNATOの任務に対して「戦略的な意思伝達方法」に関する助言者の仕事を辞した直後だ、とある。さらに、ジョージア滞在中に、カドゥーリは情報戦の技術に関して、ジョージア政府当局に「助言を与え、訓練の援助を行い」、「特に重きを置いていたのは安全に関する問題や、偽情報対策について」だった、とある。
さらにカドゥーリが自慢していたのは、2010年10月から11月の間に「NATOの連合緊急対応軍団による大規模な演習に、文官助言者として参加した」という経歴だった。さらに、英国のエリート学校である英国防衛アカデミーと常設統合司令部で、「軍事演習のモジュール(一連の授業)のいくつか」にも参加した、とある。

このような演習への参加は、カドゥーリが英国政府の陰の関連機関である「安定化協会(Stabilisation Unit)」で11年間勤務した後のことだった。この協会は、シリアやリビア、さらに多くの国々での政権転覆工作に関わってきた団体だ。この協会に勤めていた時期に、カドゥーリは、「短期でも長期でも、何度も海外に赴く準備ができていた」と記載されていた。
興味深いことに、このようなカドゥーリの過去は、メディア報道が新しく立ち上げられたリニュー党で、彼女の果たした役割を報じた時には、取り上げられなかった。カドゥーリは常に、「元国連職員」とされていた。さらにもっとおかしなことは、現在カドゥーリのオンライン上の自身の履歴欄にリニュー党に関する記載が全くないのだ。リニュー党の創設に手を貸したことも、指導者として活動していたことも、もちろん書かれていない。
カドゥーリの略歴の2017年10月から2020年3月までのことについては、ただ以下のように記載されている。「親EU派の政党とその選挙運動組織に対して、ある程度の戦略的助言やメディアを使った支援を行った」と。つまりその時期に、カドゥーリが実際行っていたことは、顧客である団体の広報について助言をすることであって、リニュー党はその団体のひとつに過ぎなかったということだ。
リニュー党は、「残留派のためのより激しい武装組織」
2018年2月に、リニュー党の事務所が開設されたとき、共同創設者のひとりのジェームス・クラークはこの党のことを、EU残留派の運動における「より激しい武装組織」だと語っていたが、このような表現は、この党がもつ本質について、つい口をすべらせたものだろう。というのも、コグランやカドゥーリがこの発言を承認したという記録が残っていないからだ。
創設記念式典ののち、リニュー党は英国で全国規模の遊説活動を激しく展開し、市や町を何十箇所も訪問し、学童たちに挨拶をし、 大小の催しを開催して、同党の新たな候補者を発掘し、2度目のブレグジット国民投票に対する人々の支持を高めようとしていた。
リニュー党によるこれらの取り組みの模様は、前例のないほどの規模でマスコミから取り上げられ、ある欧州メディアは、コグランとフランスのマクロンを比較する記事を出し、この党を持ちあげた。また一方でカドゥーリは、 BBC
やスカイ放送などのメディアから逆光を浴びていて、親ブレグジット派ナイジェル・ファラージの番組であるLBCショーにまで出演していた。
創設すぐの英国の政党が、国内外でこれほど瞬時にかつ熱を持って報じられることは、かなり異例のことだった。しかも、その党の代表者たちが実績のある政治家ではなく、いわんや公人でもなかったことを考えれば、なおのことだ。
どのメディアに登場する時でも、リニュー党創設者たちは、リニュー党は2度目のブレグジット国民投票を求める人々からの幅広い声の高まりをうけて創設された党であることを強調していた。しかしこの党の創設者たちは、自分たちが掲げているこの方針が人々に訴える影響力には限界があることを、しばしば実感させられていた。
例えば、この党がウェールズを訪問したことを伝えた地方メディアの報道によれば、リニュー党の選挙対策部長のジェームス・トーランスはこう述べていたという。「ほとんどの人々にとって、ブレグジットは自分たちの生活における最重要課題ではなく」、医療や住宅供給や仕事や社会福祉のほうが、市民たちにとってのより大きな課題である、と。
中道派のアトランティック・マガジン誌も、2018年2月に、リニュー党の実行可能性に疑問を投げかける記事を出し、英国の政治においての喫緊の課題はブレグジットが実現するかどうかではなくて、それをどのような形で実現するかの議論の方が大事である、と主張した。アトランティック誌は、リニュー党が、EUに残留することだけに政策の焦点を起き続けるのであれば、この先の総選挙を突破できる見込みはない、とも評していた。
英国の支配者層の防衛に関する政策研究所のチャットハム・ハウス所属の一人の研究者がアトランティック誌に語った内容によると、ブレグジットの国民投票の結果を覆そうという努力をすれば、「我が国の政治体制に対する信頼を損なうことになるのは間違いないだろう。離脱派の有権者にとっては特にそうだろう」とのことだった。この研究者が代案として主張したのは、「妥協案」的な政策であり、 「民主主義的な手続きに則って行われた国民投票の結果」を尊重し、ブレグジットに対する様々な声も大事にしながら、ブリュッセル当局と交渉を重ねるべきだ、ということだった。
コービンが、2019年4月にメイ政権と超党派の会談を持ったのは、まさにこの手法だったのだ。しかしこの会談は、残留派からは「裏切り行為だ」とされてしまった。
その前年の英国地方選が近づいていた頃、コグランはタイムズ・オブ・ロンドン紙に爆弾のような論説記事を載せた。その内容によると、コグランが英国外務連邦省を辞したのは、「我が国の政治家たちが政府に対して機を捉えて、コービンやブレグジット強硬派と闘おうとしないことに落胆したから」だとのことだった。さらにコグランは、「自爆テロから我が国の国民を守ることに誇りを持っていた」が、英国外務連邦省を辞した、と語っていた。
コグランによると、この先の選挙に向けてリニュー党を立ち上げた目的は、「コービンに、労働党に投票する有権者の圧倒的多数の人々の声に耳を傾けさせ、2度目の国民投票実施に踏み切らせ」、「誰も取り残すことのないIT革命」を導入させることだ、としていた。その政策を具体的にどう進めるかの手順は示さなかったが、コグランの主張によれば、そのような「革命」が、英国の家屋供給危機を解決し、気候変動を止め、ひどい貧困状況を食い止め、ガン治療にもつながる、としていた。
リニュー党の創設者であるコグランは、自身の壮大な構想に具体性がないことを補うために、自分や仲間たちは、「すでに候補者は十分いるので、次の国政総選挙では、すべての選挙区で候補者を擁立できる(原文ママ)」などという勇ましい大言壮語をふりまいていた。
リニュー党は反コービン派の軍・諜報機関と同様の呼びかけを行っていた
コグランが自信満々に大衆に訴えかけていた言葉とはうらはらに、リニュー党が地方選で擁立したのはたった16人の候補者だった。だが、結局一人も当選することができず、結果も惨憺(さんたん)たるものだった。その3週間後、コグランは電撃的に離党したが、その事情の詳細は不明だった。
その後コグランはブルドッグ・トラストという組織に加わった。この組織は、表向きは慈善団体に金銭援助や助言を行う組織だ。この組織は、ロンドンに拠点をおく「トゥー・テンプル・プレイス(Two Temple Place)」という歴史ある団体の外郭団体である。そして、このトゥー・テンプル・プレイスの事務所がある建物には、英国政府やNATOが資金を出している「国政術研究所( the Institute for Statecraft)」という名で知られている悪名高い政策研究所の秘密本部が置かれている。
当時、国政術研究所は、「インテグリティー・イニシアティブ」という組織の隠れ蓑的役割を果たしていた。このメディアはメディア調査研究計画という仮面をかぶった闇の喧伝(けんでん)拡散組織であり、軍や諜報機関の専門家たちによる運営されていた。このメディアは、国家の醜聞に巻き込まれたことがある。それは2018年下旬のことで、その内部文書がオンライン上で漏洩したのだ。そしてその文書からわかったことは、コービンが、クレムリンにとっての「使い勝手のいい愚者であり」、国費支出の規則を目に余る形で破棄しようとしている、と記載されていた事実だった。
これらの文書から明らかになったのは、リニュー党の公式発表と全く同時期に、国政術研究所は、オックスフォード・ブルックリング大学近現代史学部のグレン・オー・ハラ教授を招き、トゥー・テンプル・プレイス所属の人々に詳細なプレゼンを行っていたことだった。その題名は「コルビナイツ(コルビン支持者の蔑称)とは何者か? そして彼らの考えは?」だった。
以下はそのプレゼン時に使用されたスライドからの1枚だ。このスライドの全編はこちら。

オー・ハラ教授が国政術研究所に呼ばれ、この研究所がコルビン対策で頭がいっぱいだったことは、注目に値する。というのもこの組織は、先述の陸軍宣伝組織である第77旅団の創設に秘密裏に一役かっていたからだ。この旅団はコグランが仕事上最も熱心に関係を築いていた人々が誇りをもって働いていた組織であった。

ほかの漏洩文書には、このインテグリティー・イニシアティブという組織は、自分たちの取り組みを自慢して、「(国防)軍が、あらゆる種類の武器を使った近代戦争で戦える能力を得る援助」を行っている、と書いてある。また、この組織自身の記録によれば、インテグリティー・イニシアティブが英国軍に援助した内容には、「特別軍事予備隊(第77旅団や軍事情報専門団(Specialist Group Military Intelligence)など)」の創設などが含まれており、この両者とは今も密接で非公式なつながりを持っている(強調は筆者による)」という。
このインテグリティー・イニシアティブのさらなる説明によれば、これらの情報戦部隊が採用しているのは、「軍が決して採用できないような人々であるが、愛国者として自分の時間と専門性を提供してくれる人々」だという。オックスフォード・ブルックリン大学のいくつかの学術機関が、軍事情報専門団を支援している機関として記載されていることから考えると、オー・ハラが行ったプレゼンは、英国軍が「すべての種類の武器を使った近代戦争の戦い方」を教授されている一つの例だったと言える。
コービンが労働党党首として選挙を行った後に英国の軍支配者から狙いをつけられたのは明々白々である。2016年の軍第72諜報部隊の隊員に対して行われたプレゼン資料が漏洩しているのだが、このプレゼンでは、労働党党首の「視点」を分析するのに、まるまる一節を費やしていた。そこには、コービンがNATOやイラクやアフガニスタンやシリアでの戦争に反対していることも含まれていた。
付随スライド(下図)には、コービンの躍進が、「軍に焦点が当たることの減少」につながり、コービンは、「軍事干渉や防衛支出に反対している」とも記載されていた。

漏洩したプレゼン資料で取り上げられていた他の唯一の議題は、シリアでの戦争と、EUで起こっていた難民危機についてであった。明らかに英国軍の高級将校層は、コービンがもつ左翼的な視点を、軍事衝突や人災と同等の脅威である、と考えていたようだ。そして、この考え方は軽視できるものではない。第72諜報部隊の公式の記録によれば、このプレゼンの目的は「すべての階級の司令官たちに諜報活動の成果と、予見できる諜報分析力を提供した上で、決定をおこなえるようにすること」だったということだ。
そのようにして第72諜報部隊が委託されたのは、「様々な情報源から集められた情報」を使って「敵の姿を作成すること(強調は筆者による):例えば、敵の居場所、重要人物、戦術」、また「敵が起こしそうな行為を見極め、次に起こりそうなことを予測する」こと、さらには軍や国防省の「資産」を「以前から存在する脅威や、以前には存在しなかった脅威」から護衛することだった。コービンも、そのような「脅威」の一つであると考えられていたようだ。
コグランのもつ背景や人脈を考えれば、このプレゼンの内容を内々に知っていた可能性がある。そうなると、以下のような明白な疑問が浮かぶ。それは、「リニュー党は、純粋な政治的な取り組みから生まれたものなのか? それとも、軍や諜報機関が、コービンや、コービンを代表とする進歩的な動きへの対策として行った工作なのか」という疑問だ。
使命を果たしたのち、リニュー党はより大きな残留派の動きに合流
2018年の悲惨な選挙結果と、コグランの離党にも負けず、リニュー党に残存した支持者たちは、全国規模の遊説を数ヶ月継続した。しかしその後の2019年2月、 保守党と労働党の国会議員の中の不満分子が親EU派である「チェンジ英国党」を創設したさい、リニュー党は先に控えていた欧州議会選挙への候補者を取り下げた。この対応に対して、チェンジ英国党は、リニュー党が元来持っている親ブリュッセル政策を思い起こさせる「価値も意味もある努力だ」と歓迎した。
リニュー党が親残留派を一つにまとめようと努力したにもかかわらず、チェンジ英国党は、たった3.3%の得票率しか手にできず、まもなく党員6人が離党し、この党も解散に追い込まれた。
この結果はさけられないものだった。チェンジ英国党が創設された同月、研究者のリチャード・ジョンソンは詳しい分析を出版したが、それによると、「離脱のほうに投票した保守党の端に位置する支持者たち」を取り込めるかどうかが、2019年の総選挙で労働党が勝利するかの基盤になるだろう、との分析だった。
労働党が国会で過半数を確保するために必要だった64議席のうち、45議席はイングランドとウェールズの選挙区だったが、すべて保守党に奪われてしまった。その有権者の78%がブレグジット(離脱)派だった。
「国民投票実施後の英国政界の最も衝撃的な事実は、離脱派も残留派も、もとの考えをかたくなに保持していることだ」とジョンソンは警告していた。「それぞれが、EU離脱に関する国民投票で出した選択は、その後もずっと安定している」
党の政策に対する市民からの支持が不足していたことを考えると、リニュー党創設の裏に隠れたハッキリとした目論見は、新党を打ち立てることにより、正当な草の根運動という姿を借りて、2度目の国民投票を求めることだった、と言える。この党の創設が必要だったのは、親残留派であった自由民主党が保守党と5年間連立を組んだことで劣化していたことを受けてのことだった。
リニュー党がチェンジ英国党の露払いの役目を果たしたことも、否定できない成果だった。コグランが2019年のニュー・ステイツマン誌の論説に書いていた通り、リニュー党が創設されたのは、力を得るためだけではなく、「穏健派の国会議員が分裂して、新しい中道政党になってブレグジットに反対し」、ひいては「チェンジ英国党を促進させる」という目的もあった。
奇妙なことに、コービンも、コービンの顧問も2度目の国民投票を推進している勢力が、本当にブリュッセルのEU官僚たちのことを崇拝してそんな動きをみせているのかどうかを考えずに、労働党の選挙での見通しを台無しにする決定を下してしまったのだ。
コービンが2度目の国民投票を求める声を受け入れたことは、近年の英国の政界史における最も間違った政治的手法だったといっていい。保守党政権がブレグジットに向けた交渉をする過程において沈没しそうになっていた中、もっと支持を集められる政策を提案することもできたのに、労働党が選んだ道は、 新生の非主流派の政治運動と手を結ぶことだった。そしてその政治運動の出処は、英国の有権者たちが排除しようとしてきたまさに支配者層だったのだ。
しかも労働党は、コービンの台頭を存亡の危機と捉えていた諜報機関から、静かではあるが、協調的に唆されて、わざとこの政治的な自殺行為に及んだ可能性も否定できない。
How an obscure intelligence-linked party fixed a second Brexit referendum and torpedoed Corbyn
(諜報機関と繋がる謎の新党が2度目のブレグジット国民投票を仕掛け、コービンを失脚に追い込んだ。)
筆者:キット・クラレンバーグ(Kit Klarenberg)
出典:グレー・ゾーン(the GRAYZONE)
2022年9月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年10月16日

コービン人気が最高潮だった2018年2月19日に創設されたリニュー(Renew)党
親EU派のリニュー党は、「コービン人気」が最高潮だったときに、どこからともなく現れ、2度目のブレグジット国民投票の開催を主張し、労働党党首だったコービンの失脚に繋げる役割を果たした。リニュー党の創設者たちの裏に諜報機関の関与があったことは、ずっと隠されていた。 今に至るまで。
覚えている人はほとんどいない英国のリニュー党が、2018年の2月にウェストミンスターのど真ん中で正式に創設されたとき、創設者たちが広げた大風呂敷には中身がほとんどなかった。この新党の若く、またほとんど世間からは知られていなかった創設者のひとりクリス・コグランは、大胆な親EU路線を掲げ、その焦点を2度目のブレグジット国民投票の実施に置いていた。
ジェレミー・コービン党首の指揮のもと、労働党が市民からの支持を急増させていた最中に創設されたこのリニュー党が選挙戦に参画した時期は、英国支配層が、真の左翼にダウニング街10番地の首相官邸に乗り込まれることを恐れていた時期と重なる。この党の創設当初は、マスコミからの反応は冷たく、サンデー・タイムズ紙はこの党を、「不発の爆竹」と報じていた。しかし最終的にこのリニュー党はコービンの失脚に決定的な役割を果たした。これはこれまで誰も気づかなかったことだが。
2017年の総選挙期間中、コービンは英国の欧州連合からの離脱を進めるという選挙公約を掲げて、大きな支持を得ていた。しかし2019年になると、労働党の綱領において無視することができない重要な構成員が、英国がEUに加盟する是非を問う2回目の国民投票を要求した。そしてこれがコービンと、彼が率いる労働党の歴史的敗北に繋がった。
コービン人気の暗転は、多数の有権者の意志や、労働党を支持していた多数の労働者階級の思いとは食い違っていた。2019年12月、英国民は大袈裟にブレグジット派であると公言していた元ロンドン市長のボリス・ジョンソンを選び、一方で、労働党は1935年以来最悪の選挙結果を迎えたことも同様な不一致と言えるだろう。コービンはその翌日に、党首の座を降りた。
コービンが2019年の総選挙期に、ブレグジット国民投票のやり直しをすることを支持したことは、善意と取られていたが、同時に政治的にみれば危険で、読み違えた一手だとも見られていた。しかし、2度目の国民投票をしようというこの運動がどこから始まったのかをよく見てみれば、もっとずっと狡猾な手口が使われていたことがわかる。
実際、2度目の国民投票を求める声は、草の根の市民からのものではなく、この怪しげな新党のリニュー党から始まったものだった。本記事で後述する通り、リニュー党は英国の軍や諜報機関と深く強いつながりのある工作員によって設立されていた。しかもそこには長年にわたって軍の心理戦に携わってきた専門家たちが含まれていた。
リニュー党の創設者たちと、コービンに対する悪意ある運動の裏にあるものを見れば、退陣したこの労働党党首の主張を立証しているように思える。彼は英国の諜報機関が自分の持っていた大望を「意図的に弱体化させた」と語っている。
「コービン大人気」期の最中に親EU政党が出現
2015年9月にコービンが党首に選ばれるやいなや、多数の労働党国会議員、党の長老たち、記者や評論家たちは、コービンを「選ばれるべきでない」、受け入れ難いほど「過激」という烙印を押していた。この労働党の支配者層はさらに不意打ちを食らうことになる。英国民が2016年6月の国民投票でブレグジットを支持したときだった。そしてこの支持はその翌年の総選挙で波乱の舞台を準備することとなった。
その総選挙の結果は、異常としか言いようがなかった。選挙運動開始時には25%の支持しかなかったのに、最終的にコービンは投票者の4割の支持を獲得し、勝利まであと2227票、というところまで躍進した。国政選挙での労働党の得票率は前回10%も上回り、このコービンの活躍により、テレサ・メイの保守党政権は致命的な打撃を受け、ブレグジットについての議論を再開せざるを得なくなった。しかも今回は力を失った過半数割れの政権担当者として。
この支持率の増大は、1945年の歴史的な地滑り的勝利以来の総選挙における労働党の最高の躍進を示していたが、その要因は、少なくとも一部分ではあったが、コービンがブレグジット派の綱領を受け入れたことだった。
コービンは惜しくもダウニング街10番地の首相官邸に乗り込むことはできなかったが、コービンのこの驚くべき躍進に対して、彼を中傷していた英国の貴族階級やメディアは、コービンの存在を深刻な脅威であると見始めた。真の意味の進歩的な首相が生まれる可能性に直面したこれらの勢力は、強力かつ緊密に連携した取り組みによってコービンの選挙戦の見通しを覆そうとした。
2017年の総選挙が終わった数ヶ月後は、大手メディアでさえ、「コービン大人気期」と報じる時期であった。テレサ・メイと彼女の政権下の諸大臣は、英国のEU離脱について、ブリュッセルのEU当局との骨の折れる交渉の過程に取り組んでいた。いっぽうコービンは、英国の野党党首として自身の立ち位置を見出したように映っていた。
その年の夏は、コービンが行くところはどこでも、興奮した巨大な群衆が、コービンを出迎えた。コービンの人気は絶頂で、 総選挙直後、英国ヒルトンでのイベントのグラストンベリー・フェスティバルで挨拶を行った際、ガーディアン紙は、コービンが「この週末で一番観客を引きつけた」と報じた。
「コービン人気は留まるところを知らない」と同紙は書いていた。支配層が英国内で広がる予期できない崩壊状態と格闘する中、リニュー党は静かに、英国の選挙管理委員会に党の登録を済ませていた。
リニュー党の党首が次の2月から英国の国政に参入するという発表をしたとき、その発表の場に馳せ参じた草の根の民衆の姿は見られなかった。「経験不足のせいですかね」とリニュー党の共同創設者のひとりであるクリス・コグランは恥じらいながら説明した。「この記者会見はマスコミの皆さんのためだけのものですので、我が党の支持者で部屋をいっぱいにすることは考えつきませんでした。今にして思えば、そうしておけば良かったのかもしれません。」

リニュー党の共同創設者のひとりクリス・コグラン
軍・諜報機関の怪しげな世界から「新しいマクロン」が登場
ではクリス・コグランとはいったい何者なのだろうか? さらに政治には素人に見えるこの人物はどこから現れたのだろうか?
コグランは2017年の総選挙で、国政を目指し「無所属」として選挙運動を展開したが、有名人にはなりそびれた。コグランが出馬したのは、労働党が重要な選挙区として必勝を期していたバタシー選挙区だった。その一年後、コグランはジェームス・クラーク、ジェームス・トーランス、サンドラ・カドゥーリとともにリニュー党を立ち上げた。コグラン同様、クラークやトーランスもそれぞれ2017年の総選挙で国会議員に立候補していたが敗れていた。彼らも労働党が非常に重点を置いていた選挙区から出馬していた。バーモンドジー、オールド・サウスウォーク、ケンジントンだ。これらの地域は、EU残留派がとても強い選挙区だった。
コグランや彼の同志たちによると、リニュー党は第三勢力を目指すために創設されたもので、「自己満足している英国政界の中枢に挑戦」し、「無党派層」の有権者の代表となることを目指す、とのことだった。 自らを、労働党でも保守党でもない「反体制派の」残留派と称し、リニュー党は党是の中心をEUへの残留の促進におき、2度目の国民投票の実施を掲げていた。
創設当初から、この4名の創設者たちの政治戦略の方向性は、全く奇妙とまではいかないものの、間違っているようにみえた。リニュー党立ち上げの僅か数ヶ月前、強硬な親EU派の自由民主党は有権者の心を大規模な形で揺らすことに失敗し、英国の二大政党が有権者の82.4%の支持を集めた。この両党は、 ブレグジットを支持していたのだが、この82.4%という数字は、1970年以来最大のものだった。
コグランとカドゥーリの話に戻るが、この2人は 「反体制派の潮流」を作り、導くには不思議な人物と思われた。
地方メディアは、コグランについて、億万長者の銀行マンから転身して不人気のフランス大統領となった男を引き合いに出して「新マクロン」になる可能性があると評したが、彼は英国の保安機関と諜報機関の中枢から大歓迎を受けた。実際のところ、彼が英国外務連邦省テロ対策部の重役を辞したのは、2017年5月の国政選挙に無所属で立候補したほんの1週間前のことだった。
当時36歳だったコグランは、選挙結果の如何に関わらず党首の座を維持するというコービンの誓約を受けて労働党から離党したと発表した。そして自身が国政に挑戦したのは、政治的中道派を組織するためだと呼びかけた。彼はさらに、労働党は「左派によるおとぎ話のような政策」を掲げていると強く非難し、自分が持っているものなら「何でも使って」、ブレグジット派と戦うと誓った。
匿名を条件に、当グレー・ゾーンの取材に応じてくれた英国外務連邦省の職員の一人によると、このような国家機密に関わる役職にいる人物がそんな行動に出ることは、ほぼあり得ないことだった、という。高度な対テロ対策に従事していた経歴がある人物が、気まぐれで急に仕事を変えることなどありえない、というのだ。英国の公務員は、民間企業で務めることや、特定の党派に偏った政治活動をすることは禁止されており、自分の役職を辞した後も、しばらく冷却期間をおいてから、私人としてそのような行動を取ることが義務づけられている。
その職員によると、コグランが即座に政界入りするには、かなり前から直属の上司の許可をもらうことが必要であっただろう、とのことだ。前例が全くなかったとは言えないまでも、どんな事情にせよ、コグランのこの転職のことは非常に異例である、とこの職員は考えている。
コグランのリンクトイン(LinkedIn)の自己紹介欄には、対テロに取り組んでいたという記載は全くない。そのかわり、コグランは、2015年から2017年まで英国外務連邦省で「外交官」を務めていた、と記述している。英国の国家安全機関に批判的な人々の代表格である社会学者のディビッド・ミラーは、当グレー・ゾーンにこう説明している。「このようにコグランの出自がぼやかされていることは、その裏で陰の組織がうごめいている証なのかもしれない」と。
対テロ対策はMI6が3つの「重点分野」として掲げているうちの一つだが、「英国外務連邦省」においてはそうではないとミラーは語っている。「対テロ対策に携わっている人々についての情報は、秘密扱いで、その人々は表向きは、「外交官」であると自称して潜入捜査を行い、機密を守るために勤務場所についての詳細は正確に示さないのが普通です。コグランの幅広い経歴や彼が従事していたことについての詳しい情報が欠如していることから考えれば、コグランが「外交官」をしていたとされる時期に、実際には英国の外国向けの諜報機関に関わる仕事をしていたとしても、驚くことではありません」。
「外交官」としての仕事とは別に、コグランには長期にわたり英軍の予備兵を務めていた過去がある。コグランは、「生来の決意作戦」のもと、イラクでの従軍に動員された。この作戦は、米国が主導するISISに対する軍事干渉で、つい最近の2020年4月までつづいていたものだ。
コグランがもつ職業履歴からは、英国の機密諜報機関とのつながりがさらにあきらかになる。コグランの以前のリンクトインには、ジェームス・ブレア-という人物から「いいね」をもらっていたが、この人物は、悪名高い英軍の第77旅団の一人だ。この77旅団は、戦争における心理戦に関わってきた旅団である。またコグランが主張していた「危機管理」能力について「いいね」を押したもう一人の人物に、第77旅団の予備兵のひとりがいた。

コグランとともにリニュー党の創設者となったサンドラ・カドゥーリのリンクトインの自己紹介欄にも、同じような謎が見える。その記述には、カドゥーリが英国で政治活動を始めたのは、ジョージアでのNATOの任務に対して「戦略的な意思伝達方法」に関する助言者の仕事を辞した直後だ、とある。さらに、ジョージア滞在中に、カドゥーリは情報戦の技術に関して、ジョージア政府当局に「助言を与え、訓練の援助を行い」、「特に重きを置いていたのは安全に関する問題や、偽情報対策について」だった、とある。
さらにカドゥーリが自慢していたのは、2010年10月から11月の間に「NATOの連合緊急対応軍団による大規模な演習に、文官助言者として参加した」という経歴だった。さらに、英国のエリート学校である英国防衛アカデミーと常設統合司令部で、「軍事演習のモジュール(一連の授業)のいくつか」にも参加した、とある。

このような演習への参加は、カドゥーリが英国政府の陰の関連機関である「安定化協会(Stabilisation Unit)」で11年間勤務した後のことだった。この協会は、シリアやリビア、さらに多くの国々での政権転覆工作に関わってきた団体だ。この協会に勤めていた時期に、カドゥーリは、「短期でも長期でも、何度も海外に赴く準備ができていた」と記載されていた。
興味深いことに、このようなカドゥーリの過去は、メディア報道が新しく立ち上げられたリニュー党で、彼女の果たした役割を報じた時には、取り上げられなかった。カドゥーリは常に、「元国連職員」とされていた。さらにもっとおかしなことは、現在カドゥーリのオンライン上の自身の履歴欄にリニュー党に関する記載が全くないのだ。リニュー党の創設に手を貸したことも、指導者として活動していたことも、もちろん書かれていない。
カドゥーリの略歴の2017年10月から2020年3月までのことについては、ただ以下のように記載されている。「親EU派の政党とその選挙運動組織に対して、ある程度の戦略的助言やメディアを使った支援を行った」と。つまりその時期に、カドゥーリが実際行っていたことは、顧客である団体の広報について助言をすることであって、リニュー党はその団体のひとつに過ぎなかったということだ。
リニュー党は、「残留派のためのより激しい武装組織」
2018年2月に、リニュー党の事務所が開設されたとき、共同創設者のひとりのジェームス・クラークはこの党のことを、EU残留派の運動における「より激しい武装組織」だと語っていたが、このような表現は、この党がもつ本質について、つい口をすべらせたものだろう。というのも、コグランやカドゥーリがこの発言を承認したという記録が残っていないからだ。
創設記念式典ののち、リニュー党は英国で全国規模の遊説活動を激しく展開し、市や町を何十箇所も訪問し、学童たちに挨拶をし、 大小の催しを開催して、同党の新たな候補者を発掘し、2度目のブレグジット国民投票に対する人々の支持を高めようとしていた。
リニュー党によるこれらの取り組みの模様は、前例のないほどの規模でマスコミから取り上げられ、ある欧州メディアは、コグランとフランスのマクロンを比較する記事を出し、この党を持ちあげた。また一方でカドゥーリは、 BBC
やスカイ放送などのメディアから逆光を浴びていて、親ブレグジット派ナイジェル・ファラージの番組であるLBCショーにまで出演していた。
創設すぐの英国の政党が、国内外でこれほど瞬時にかつ熱を持って報じられることは、かなり異例のことだった。しかも、その党の代表者たちが実績のある政治家ではなく、いわんや公人でもなかったことを考えれば、なおのことだ。
どのメディアに登場する時でも、リニュー党創設者たちは、リニュー党は2度目のブレグジット国民投票を求める人々からの幅広い声の高まりをうけて創設された党であることを強調していた。しかしこの党の創設者たちは、自分たちが掲げているこの方針が人々に訴える影響力には限界があることを、しばしば実感させられていた。
例えば、この党がウェールズを訪問したことを伝えた地方メディアの報道によれば、リニュー党の選挙対策部長のジェームス・トーランスはこう述べていたという。「ほとんどの人々にとって、ブレグジットは自分たちの生活における最重要課題ではなく」、医療や住宅供給や仕事や社会福祉のほうが、市民たちにとってのより大きな課題である、と。
中道派のアトランティック・マガジン誌も、2018年2月に、リニュー党の実行可能性に疑問を投げかける記事を出し、英国の政治においての喫緊の課題はブレグジットが実現するかどうかではなくて、それをどのような形で実現するかの議論の方が大事である、と主張した。アトランティック誌は、リニュー党が、EUに残留することだけに政策の焦点を起き続けるのであれば、この先の総選挙を突破できる見込みはない、とも評していた。
英国の支配者層の防衛に関する政策研究所のチャットハム・ハウス所属の一人の研究者がアトランティック誌に語った内容によると、ブレグジットの国民投票の結果を覆そうという努力をすれば、「我が国の政治体制に対する信頼を損なうことになるのは間違いないだろう。離脱派の有権者にとっては特にそうだろう」とのことだった。この研究者が代案として主張したのは、「妥協案」的な政策であり、 「民主主義的な手続きに則って行われた国民投票の結果」を尊重し、ブレグジットに対する様々な声も大事にしながら、ブリュッセル当局と交渉を重ねるべきだ、ということだった。
コービンが、2019年4月にメイ政権と超党派の会談を持ったのは、まさにこの手法だったのだ。しかしこの会談は、残留派からは「裏切り行為だ」とされてしまった。
その前年の英国地方選が近づいていた頃、コグランはタイムズ・オブ・ロンドン紙に爆弾のような論説記事を載せた。その内容によると、コグランが英国外務連邦省を辞したのは、「我が国の政治家たちが政府に対して機を捉えて、コービンやブレグジット強硬派と闘おうとしないことに落胆したから」だとのことだった。さらにコグランは、「自爆テロから我が国の国民を守ることに誇りを持っていた」が、英国外務連邦省を辞した、と語っていた。
コグランによると、この先の選挙に向けてリニュー党を立ち上げた目的は、「コービンに、労働党に投票する有権者の圧倒的多数の人々の声に耳を傾けさせ、2度目の国民投票実施に踏み切らせ」、「誰も取り残すことのないIT革命」を導入させることだ、としていた。その政策を具体的にどう進めるかの手順は示さなかったが、コグランの主張によれば、そのような「革命」が、英国の家屋供給危機を解決し、気候変動を止め、ひどい貧困状況を食い止め、ガン治療にもつながる、としていた。
リニュー党の創設者であるコグランは、自身の壮大な構想に具体性がないことを補うために、自分や仲間たちは、「すでに候補者は十分いるので、次の国政総選挙では、すべての選挙区で候補者を擁立できる(原文ママ)」などという勇ましい大言壮語をふりまいていた。
リニュー党は反コービン派の軍・諜報機関と同様の呼びかけを行っていた
コグランが自信満々に大衆に訴えかけていた言葉とはうらはらに、リニュー党が地方選で擁立したのはたった16人の候補者だった。だが、結局一人も当選することができず、結果も惨憺(さんたん)たるものだった。その3週間後、コグランは電撃的に離党したが、その事情の詳細は不明だった。
その後コグランはブルドッグ・トラストという組織に加わった。この組織は、表向きは慈善団体に金銭援助や助言を行う組織だ。この組織は、ロンドンに拠点をおく「トゥー・テンプル・プレイス(Two Temple Place)」という歴史ある団体の外郭団体である。そして、このトゥー・テンプル・プレイスの事務所がある建物には、英国政府やNATOが資金を出している「国政術研究所( the Institute for Statecraft)」という名で知られている悪名高い政策研究所の秘密本部が置かれている。
当時、国政術研究所は、「インテグリティー・イニシアティブ」という組織の隠れ蓑的役割を果たしていた。このメディアはメディア調査研究計画という仮面をかぶった闇の喧伝(けんでん)拡散組織であり、軍や諜報機関の専門家たちによる運営されていた。このメディアは、国家の醜聞に巻き込まれたことがある。それは2018年下旬のことで、その内部文書がオンライン上で漏洩したのだ。そしてその文書からわかったことは、コービンが、クレムリンにとっての「使い勝手のいい愚者であり」、国費支出の規則を目に余る形で破棄しようとしている、と記載されていた事実だった。
これらの文書から明らかになったのは、リニュー党の公式発表と全く同時期に、国政術研究所は、オックスフォード・ブルックリング大学近現代史学部のグレン・オー・ハラ教授を招き、トゥー・テンプル・プレイス所属の人々に詳細なプレゼンを行っていたことだった。その題名は「コルビナイツ(コルビン支持者の蔑称)とは何者か? そして彼らの考えは?」だった。
以下はそのプレゼン時に使用されたスライドからの1枚だ。このスライドの全編はこちら。

オー・ハラ教授が国政術研究所に呼ばれ、この研究所がコルビン対策で頭がいっぱいだったことは、注目に値する。というのもこの組織は、先述の陸軍宣伝組織である第77旅団の創設に秘密裏に一役かっていたからだ。この旅団はコグランが仕事上最も熱心に関係を築いていた人々が誇りをもって働いていた組織であった。

ほかの漏洩文書には、このインテグリティー・イニシアティブという組織は、自分たちの取り組みを自慢して、「(国防)軍が、あらゆる種類の武器を使った近代戦争で戦える能力を得る援助」を行っている、と書いてある。また、この組織自身の記録によれば、インテグリティー・イニシアティブが英国軍に援助した内容には、「特別軍事予備隊(第77旅団や軍事情報専門団(Specialist Group Military Intelligence)など)」の創設などが含まれており、この両者とは今も密接で非公式なつながりを持っている(強調は筆者による)」という。
このインテグリティー・イニシアティブのさらなる説明によれば、これらの情報戦部隊が採用しているのは、「軍が決して採用できないような人々であるが、愛国者として自分の時間と専門性を提供してくれる人々」だという。オックスフォード・ブルックリン大学のいくつかの学術機関が、軍事情報専門団を支援している機関として記載されていることから考えると、オー・ハラが行ったプレゼンは、英国軍が「すべての種類の武器を使った近代戦争の戦い方」を教授されている一つの例だったと言える。
コービンが労働党党首として選挙を行った後に英国の軍支配者から狙いをつけられたのは明々白々である。2016年の軍第72諜報部隊の隊員に対して行われたプレゼン資料が漏洩しているのだが、このプレゼンでは、労働党党首の「視点」を分析するのに、まるまる一節を費やしていた。そこには、コービンがNATOやイラクやアフガニスタンやシリアでの戦争に反対していることも含まれていた。
付随スライド(下図)には、コービンの躍進が、「軍に焦点が当たることの減少」につながり、コービンは、「軍事干渉や防衛支出に反対している」とも記載されていた。

漏洩したプレゼン資料で取り上げられていた他の唯一の議題は、シリアでの戦争と、EUで起こっていた難民危機についてであった。明らかに英国軍の高級将校層は、コービンがもつ左翼的な視点を、軍事衝突や人災と同等の脅威である、と考えていたようだ。そして、この考え方は軽視できるものではない。第72諜報部隊の公式の記録によれば、このプレゼンの目的は「すべての階級の司令官たちに諜報活動の成果と、予見できる諜報分析力を提供した上で、決定をおこなえるようにすること」だったということだ。
そのようにして第72諜報部隊が委託されたのは、「様々な情報源から集められた情報」を使って「敵の姿を作成すること(強調は筆者による):例えば、敵の居場所、重要人物、戦術」、また「敵が起こしそうな行為を見極め、次に起こりそうなことを予測する」こと、さらには軍や国防省の「資産」を「以前から存在する脅威や、以前には存在しなかった脅威」から護衛することだった。コービンも、そのような「脅威」の一つであると考えられていたようだ。
コグランのもつ背景や人脈を考えれば、このプレゼンの内容を内々に知っていた可能性がある。そうなると、以下のような明白な疑問が浮かぶ。それは、「リニュー党は、純粋な政治的な取り組みから生まれたものなのか? それとも、軍や諜報機関が、コービンや、コービンを代表とする進歩的な動きへの対策として行った工作なのか」という疑問だ。
使命を果たしたのち、リニュー党はより大きな残留派の動きに合流
2018年の悲惨な選挙結果と、コグランの離党にも負けず、リニュー党に残存した支持者たちは、全国規模の遊説を数ヶ月継続した。しかしその後の2019年2月、 保守党と労働党の国会議員の中の不満分子が親EU派である「チェンジ英国党」を創設したさい、リニュー党は先に控えていた欧州議会選挙への候補者を取り下げた。この対応に対して、チェンジ英国党は、リニュー党が元来持っている親ブリュッセル政策を思い起こさせる「価値も意味もある努力だ」と歓迎した。
リニュー党が親残留派を一つにまとめようと努力したにもかかわらず、チェンジ英国党は、たった3.3%の得票率しか手にできず、まもなく党員6人が離党し、この党も解散に追い込まれた。
この結果はさけられないものだった。チェンジ英国党が創設された同月、研究者のリチャード・ジョンソンは詳しい分析を出版したが、それによると、「離脱のほうに投票した保守党の端に位置する支持者たち」を取り込めるかどうかが、2019年の総選挙で労働党が勝利するかの基盤になるだろう、との分析だった。
労働党が国会で過半数を確保するために必要だった64議席のうち、45議席はイングランドとウェールズの選挙区だったが、すべて保守党に奪われてしまった。その有権者の78%がブレグジット(離脱)派だった。
「国民投票実施後の英国政界の最も衝撃的な事実は、離脱派も残留派も、もとの考えをかたくなに保持していることだ」とジョンソンは警告していた。「それぞれが、EU離脱に関する国民投票で出した選択は、その後もずっと安定している」
党の政策に対する市民からの支持が不足していたことを考えると、リニュー党創設の裏に隠れたハッキリとした目論見は、新党を打ち立てることにより、正当な草の根運動という姿を借りて、2度目の国民投票を求めることだった、と言える。この党の創設が必要だったのは、親残留派であった自由民主党が保守党と5年間連立を組んだことで劣化していたことを受けてのことだった。
リニュー党がチェンジ英国党の露払いの役目を果たしたことも、否定できない成果だった。コグランが2019年のニュー・ステイツマン誌の論説に書いていた通り、リニュー党が創設されたのは、力を得るためだけではなく、「穏健派の国会議員が分裂して、新しい中道政党になってブレグジットに反対し」、ひいては「チェンジ英国党を促進させる」という目的もあった。
奇妙なことに、コービンも、コービンの顧問も2度目の国民投票を推進している勢力が、本当にブリュッセルのEU官僚たちのことを崇拝してそんな動きをみせているのかどうかを考えずに、労働党の選挙での見通しを台無しにする決定を下してしまったのだ。
コービンが2度目の国民投票を求める声を受け入れたことは、近年の英国の政界史における最も間違った政治的手法だったといっていい。保守党政権がブレグジットに向けた交渉をする過程において沈没しそうになっていた中、もっと支持を集められる政策を提案することもできたのに、労働党が選んだ道は、 新生の非主流派の政治運動と手を結ぶことだった。そしてその政治運動の出処は、英国の有権者たちが排除しようとしてきたまさに支配者層だったのだ。
しかも労働党は、コービンの台頭を存亡の危機と捉えていた諜報機関から、静かではあるが、協調的に唆されて、わざとこの政治的な自殺行為に及んだ可能性も否定できない。
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