fc2ブログ

シオニズム:イスラエル‐パレスチナ関係における危機の根源

<記事原文 寺島先生推薦>
Zionism: The Root of the Crisis in Israel-Palestine
筆者:シッド・シュニアド(Sid Shniad)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


2198-1.jpg
国連総会での演説で、パレスチナ自治区を省略したイスラエルの地図を示すネタニヤフ首相。画像はYouTubeより。


以下は 、 2024年3月24日にブリティッシュ・コロンビア州キャッスルガーでシド・シュニアドが行なった講演の記録 である。シュニアドはIndependent Jewish Voices Canada (IJV)の創設メンバー である。IJVは国際法の適用と全当事者の人権の尊重を通じて、イスラエルとパレスチナにおける紛争の公正な解決を促進することを使命とする全国的な人権団体である。2008年に設立されたIJVは、ハリファックス、モントリオール、オタワ、トロント、ハミルトン、ウィニペグ、バンクーバー、ビクトリアに支部がある。

________________________________________
カナダ人は、イスラエル・パレスチナの現実について、シオニスト入植者たちが頑(かたく)ななパレスチナ人反対勢力の犠牲者であるかのような誤ったイメージを持たされてきた。現実の状況は、カナダの状況に酷似している。ここカナダでも入植者が土地を奪い、民族浄化され抑圧を受けている先住民を蔑視しているからだ。

イスラエルが享受している見当違いの同情の根拠を理解し、今日ガザで起きていることを位置づけるために、反ユダヤ主義と反シオニズムというテーマについて、いくつかの背景を説明したい。

反ユダヤ主義とは、ユダヤ人に対する憎悪、敵意、偏見、差別である。人種差別の一形態であり、イスラム恐怖症やアジア系、アフリカ系、ラテン系の人々に対する憎悪に似ている。

反ユダヤ主義(antisemitism)という言葉の中で「セム人」という言葉が使われると、それがセム系民族に向けられたものであるかのような誤った印象を与える。しかし、1879年にこの言葉を作ったドイツのジャーナリストで白人至上主義者のヴィルヘルム・マールは、この言葉をユダヤ人に対する憎悪を正当化するために使える科学的な響きのある言葉として考えた。それ以来、この表現はそのように使われている。

反ユダヤ偏見は、キリスト教とユダヤ教の対立に端を発し、キリスト教会はイエスを殺したのはユダヤ人だと非難した。端(はな)から、反ユダヤ主義は、個々のユダヤ人に対する憎悪や差別の表現を始め、ユダヤ人社会全体に対する暴徒、警察、軍隊による組織的なポグロムまで、さまざまな形で現れてきた。

反ユダヤ主義は、しばしば社会的・経済的危機の際に燃えあがり、ユダヤ人が社会に蔓延する問題の原因であるとしてスケープゴートにされる。

反ユダヤ的暴力と迫害の主な例としては、1096年の第一回十字軍に先立つラインラントでの虐殺、1290年のイギリスからのユダヤ人追放、1348年から1351年の黒死病の間のユダヤ人迫害、1391年のスペイン人ユダヤ人虐殺、スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナでのコサックの虐殺、ロシア帝国での反ユダヤ的ポグロム、 スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナにおけるコサックの虐殺、19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシア帝国における反ユダヤ人ポグロム、フランスにおけるドレフュス事件、第二次世界大戦中のナチス占領下のヨーロッパにおけるホロコーストなどがある。

反ユダヤ主義は、あらゆる形態の人種差別や差別に抵抗するのと同じ理由で、進歩的活動家が闘うべき社会の病である。

2198-2.jpg
「博士たちの中のキリスト」アルブレヒト・デューラー 1506年。 この油絵では、イエスは明るい肌と白い髪に見えるが、ラビたちは邪悪な表情をした悪魔か動物のように見える。画像は ウィキメディア・コモンズより。

シオニズムは、19世紀後半に中東欧で繰り返し起こった反ユダヤ暴力の反動としてユダヤ人の間で生まれたイデオロギーである。ユダヤ人憎悪の災いから逃れる手段として、パレスチナにユダヤ人国家を樹立し、支援することを信奉している。ユダヤ人が避難を享受できる場所の創造を推進する信条として見れば、シオニズムは異論がないように見える。しかし、シオニズムは端(はな)から、ヨーロッパの思想形態であり、他の民族主義と根本的に類似していた。シオニズムの支持者は、自分たちの国家を置く場所として選んだパレスチナの住民と土地を共有しようとは考えなかった。むしろ、シオニストはヨーロッパ社会の仲間として、中東におけるヨーロッパ支配者の同盟国としてユダヤ人国家を推進した。近代シオニズムの父であるセオドア・ヘルツルは、その代表的な著書『ユダヤ人の国家』の中で、このことを明言している。彼はこう書いている:

私たちはそこで、アジアに対抗するヨーロッパの防壁の一部を形成し、野蛮に対抗する文明の前哨基地となるべきである。中立国として、全ヨーロッパと連絡を取り続けるべきであり、ヨーロッパはわれわれの存在を保証しなければならない。


ヘルツルが宣言したあらゆる形態の植民地主義との類似性は、これ以上ないほど明確である。この簡潔な声明に、彼はシオニスト事業計画の2つの重要な特徴を凝縮している。第一に、ユダヤ国家は中東におけるヨーロッパの前哨基地であるということ、第二に、その建国と存続に必要な政治的・軍事的支援を世界の大国に依存するということである。

イスラエルを支持する人々は、この国が入植者による植民地主義の一例であると説明されると、しばしば怒りをあらわにする。しかし、ヘルツルはシオニズム運動のきっかけとなった著書の中で、彼が推進していた実行計画を「入植者」や「植民地」という言葉で表現している。ヨーロッパの植民地主義が花開いた時代にシオニズムが生まれ、ヘルツルが計画したユダヤ人国家という発想を植民地主義の他の事例から得たという事実を考えれば、これは驚くべきことではない。

シオニズムは当初、ユダヤ人の間で非常に不評であった。ユダヤ人は、シオニズムがすでに居住している国に住む自分たちの権利の正当性を損なうものだと考えたからである。1916年、イギリス政府がパレスチナにユダヤ人国家を建設することを支持するバルフォア宣言を発表したとき、ユダヤ人は圧倒的にこれを拒否した。シオニズムはその後30年間、ユダヤ人の間で嫌われ続けた。


反ユダヤ主義からの避難所として描かれたユダヤ人国家の樹立が、ユダヤ人の間で広く受け入れられるようになったのは、ホロコーストが起こってからである。それ以来、ユダヤ人の聖域を提供するユダヤ国家というロマンチックで高度に理想化された将来構想が、ユダヤ人のコミュニティや組織で推進されてきた。しかし、ユダヤ人の立場を優遇する国家の創設と維持が、すでにパレスチナに住んでいた先住民の生活に与える影響は、シオニズムの支持者たちによって組織的に無視されてきた。

しかしここ数十年、拡大し続けるイスラエルによる占領、非ユダヤ人に対する差別を制度化したアパルトヘイト政治体制、そしてこれらすべてがパレスチナ社会に与えた壊滅的な影響によって特徴づけられる現実のシオニズムの姿が人々に自覚されるようになってきている。しかし、イスラエルとその擁護者たちは、人々のこのような意識覚醒から生み出された本質的批判に対処するのではなく、そういうシオニズム批判に反ユダヤ主義の現れというレッテルを貼り、批判者を中傷することを選んだ。

パレスチナとの連帯を求める国際的なキャンペーン、とりわけボイコット(Boycott)、ダイベストメント(Divestment)(資本引き上げ)、制裁(Sanctions)(BDS)運動の高まりは、イスラエルとそのシオニスト支持者たちに大きな懸念を抱かせている。イスラエルはBDSに対抗するために政府省を設置したほどだ。ヘブライ語でプロパガンダを意味するハスバラを展開し、イスラエル国家の行動をごまかし、イスラエル批判を反ユダヤ主義の現れと烙印を押すキャンペーンを行なっている。

ここ数年、この戦略は国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)と呼ばれる組織を通じて積極的に推進されてきた。IHRAは、イスラエル批判に圧倒的に焦点を当てた反ユダヤ主義の定義を採択した。このインチキ定義を推進する人々の目的は、BDSのような活動を反ユダヤ主義の現れとして非難させ、それに従事する人々を法的制裁の対象とすることである。この定義を最初に作成したケネス・スターンは、ガーディアン 紙に寄稿し、その見出し:「反ユダヤ主義の定義を起草したのは私だ。右翼ユダヤ人はそれを武器にしている。」

私たちの組織であるIJVCanadaが2009年に合法的で非暴力的な戦術としてBDSを受け入れたことを誇りに思う。さらにIJVは、IHRA構想に反対するため、国内外で主導的な役割を果たしている。

皮肉なことに、そして危険なことに、真の反ユダヤ主義が世界にその醜い頭をもたげている今、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相をはじめ、多くの著名なシオニストは、ドナルド・トランプやハンガリーのヴィクトール・オルバン首相のような明白な反ユダヤ主義者を受け入れている。これらの政治家たちに共通しているのは、白人至上主義的な世界観である。

イスラエルの問題は現在の右派政府に限定されない。ネタニヤフを含むウルトラ右翼の政府は、ファシストで同性愛者嫌悪者であることを自慢する財務大臣ベツァレル・スモートリヒなどが含まれている。問題は、ガザでのジェノサイド的行動を批判することに限定もできない。問題の根源は、19世紀末の初めから、シオニズムの目標がユダヤ人が数的多数派を形成する国家を確立することであり、世界中からのユダヤ人の移民を奨励し、特権を享受する社会的および政治的地位を持つことにまでさかのぼれる。

当初から、わずかな例外を除いて、シオニズムのすべての主張は、ユダヤ人国家(ユダヤ人が圧倒的多数を占め、それに付随する特権を享受する国家)の建設には、すでにパレスチナに住んでいた先住民を移住させる必要がある、というものであった。この目標をどのように達成するかについては、運動のさまざまな部分で戦術的な違いがあった。ある者はパレスチナ人に進んで出て行くよう説得し、ある者は買収し、またある者は武力によって追放することを信じた。しかし、この地域から先住民を追い出すことは、ユダヤ人国家の建設に不可欠であるという考え方は共通していた。

シオニストの間では、この目標を公の場で論じるべきではないというのが一般的な合意であったが、シオニストの指導者たちは、ユダヤ人国家の創設にはパレスチナ住民の強制移住が不可欠であるであること支持した。1937年にスイスのチューリッヒで開かれた第20回シオニスト会議では、この問題の実際的な側面を調査することを任務とする専門家からなる「移送委員会」を設置するまでに至った。

第二次世界大戦後、シオニスト指導者たちは、ユダヤ人虐殺から欧州のユダヤ人を救わなかった世界の罪悪感につけこんだ。シオニストたちはユダヤ人の苦境への同情を利用し、国際的なユダヤ国家の創設のための支援を得ることに成功した。1948年に、国連は委任統治領パレスチナの領土を分割して、55%をユダヤ人に、45%をパレスチナ人に与えることを賛成多数で可決し、イスラエル国家の設立を決定した。

シオニストの宣伝担当は、彼らの運動が合理的で受け入れやすいものであると論じている。なぜなら、彼らは国連の分割案を受け入れたが、パレスチナ人はそれを拒否したから。しかし、シオニストの指導者たちが国連の分割案を受け入れたのは純粋に戦術的なものだった。彼らは常に最終目標であるその地域全体の併合を忘れたことはない。

さらに、1948年に国連がパレスチナを分割したことは、フランスとイギリスの君主国が北米の土地をそれぞれの植民者に遺贈したことと同様に正当ではなかった。これらの事例のいずれにおいても、土地の所有権は、それらを付与する権利を持たない機関によって付与された。

2198-3.jpg

パレスチナ人が 「ナクバ」 (災害) と呼ぶ1948年のシオニスト軍によるパレスチナ人の強制退去は、長年にわたるシオニスト政策の論理的な結果と見るべきである。シオニズムの擁護者は、逃げてきたパレスチナ人は周辺のアラブ政権の避難要請に応じていたと主張しているが、歴史的記録にはそのような記載はない。パレスチナ人が逃亡する動機となったのは、ハガナとして知られるシオニスト準軍事組織とテロリストのイルガンとスターンのグループが、多数の虐殺を行うことによって彼らを恐怖に陥れて退去させたという事実であった。その結果、その後の戦争の過程で、70万人以上のパレスチナ人が家を追われ、500以上のパレスチナ人の村が物理的に破壊された。住民が後日戻ることを防ぐためだった。

言い換えれば、パレスチナにユダヤ人の多数派を作り出し、維持するために、シオニスト勢力は、他の同じような状況で「民族浄化」と表現されるような政策を追求したのである。表向きは防衛的だった1948年の戦争が終わる頃には、イスラエルが支配するパレスチナ領土の割合は、国連分割計画で定められた55%から78%に増加していた。

シオニストは、ユダヤ人に特権的地位を与えるユダヤ人国家の建設を進め、土地と人民に対する支配を強化し、残されたパレスチナ人を二流の地位に追いやった。

1967年、イスラエルはヨルダン川から地中海に至る委任統治領パレスチナ全域を支配するというシオニストの夢を実現するため、先制攻撃を仕掛け、残りの22%の領土を占領した。それ以来、イスラエルはヨルダン川西岸とガザのパレスチナ人の生活を支配する軍事占領を敷いたのである。

1970年代初頭、シオニスト過激派が占領された西岸にユダヤ人入植地を建設し、そこでのシオニストの支配を強化する取り組みが始まった。この占領拡大過程は現在も続いており、70万人以上のイスラエル人がそこでユダヤ人だけの入植地に住んでいる。

イスラエルの支配下にある自分たちの地位と、占領に関する問題や軍事支配下にある自分たちの窮状に対処することを断固として拒否するイスラエルに不満を抱いたパレスチナ人は、平和的に、あるいは武装闘争によって占領に抵抗するようになった。イスラエルはこれに対し、パレスチナ人に対する支配を強化し、ますます多くの人々を投獄し、拷問を含むより過酷な状況に追いやった。

2006年に住民がハマスに投票したガザでは、イスラエルは過去18年間続いた包括的封鎖を実施し、世界最大の屋外刑務所を作り上げた。

イスラエルの政治指導者たちは、長年にわたる彼らの発言と行動を通じて、彼らの意図が一貫していることを明らかにしてきた。すなわち、ヨルダン川から地中海までのすべての領域を支配し、維持することによって、当初のシオニストの将来構想を堅持し、パレスチナ人を二級市民として永遠の占領下で生活させることである。

イスラエルがヨルダン川から地中海にかけてパレスチナ人に課してきた支配体制は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル、イスラエルの人権団体B'Tselemによってアパルトヘイトと評されてきた。また、入植者植民地主義の典型的な例と評する者もいる。
昨年9月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は国連に出席した際、パレスチナ人との和解交渉に意欲的であるという建前を消し去り、シオニストの夢の実現を描いた地域の地図、すなわちヨルダン川から地中海までの全領土を包含するイスラエルの地図を振りかざした。

10月7日、イスラエルによるガザ封鎖を解除し、ガザに住む人々の窮状を世界に訴えるために武力攻撃が行われた。世界はこのイスラエルの頑なな態度に対するパレスチナの反応を目の当たりにした。イスラエルはこれに反発し、14,000人の子どもを含む30,000人以上の市民を殺戮した。

私たちの多くは、カナダ政府の積極的な協力を得て、ガザで起きている大量虐殺の悪夢に終止符を打とうと懸命に取り組んでいる。しかし、イスラエル・パレスチナで進行中の危機を長期的に解決するためには、この虐殺を即座に終わらせることが重要であるのと同様に、問題の根源であるシオニスト・イデオロギーに基づくユダヤ人至上主義の制度化に取り組む必要がある。

IJVからのお願い:この取り組みにぜひご参加ください。
________________________________________
シド・シュニアドは、2008年にイスラエル・パレスチナの平和と正義の原則に基づいて結成されたアドボカシー・グループ、Independent Jewish Voices Canadaの創設メンバー。バンクーバー在住。

関連記事
スポンサーサイト



ドミトリー・トレニン: ロシアは目に見えない新たな革命を遂げつつある

<記事原文 寺島先生推薦>
Dmitry Trenin: Russia is undergoing a new, invisible revolution
ドミトリー・トレニン(高等経済学校研究教授、世界経済・国際関係研究所主任研究員)著。ロシア国際問題評議会(RIAC)のメンバーでもある。
米国主導連合は、ロシアが自国と世界における自らの位置について新たな認識を持つよう後押しした。
出典:RT 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


2200-1.jpg
ファイル写真: ロシア・モスクワのクレムリン大宮殿で、選挙運動員との会合で演説するプーチン大統領。© Grigory Sysoev / Sputnik

ウラジーミル・プーチン大統領が2022年2月にウクライナでロシアの軍事作戦を開始したとき、彼は特定の、しかし限定的な目的を念頭に置いていた。それは本質的に、NATOに対するロシアの安全保障を保証することだった。

しかし、ロシアとウクライナの和平合意への破壊攻撃や、ロシア国内で重大な攻撃を仕掛けたりする米国主導連合の紛争への関与の激化など、ロシアの動きに対する劇的で拡大的なよく連携のとれた西側の反応は、我々のかつての友人に対する我が国の態度を根本的に変えることになった。

もはや「怒り」や「理解不能」に対する不満は聞かれなくなった。この2年間で、モスクワの外交政策は、ウクライナ介入前夜に予想されたものよりも過激で広範囲に及ぶ革命となった。この25ヶ月の間に、それは急速に強さと深みを増してきた。ロシアの国際的役割、世界における地位、目標とその達成方法、基本的な世界観、すべてが変わりつつある。

プーチン大統領が1年前に署名した国家外交構想は、これまでのものとは大きく異なる。それは、独自の文明であるという点で、この国ロシアの独自性を揺るぎないものにしている。実際、ロシアの公式文書でそんなことをするのは初めてだ。ロシア外交の優先順位も大きく変わり、ソ連崩壊後の 「近隣諸国」 がトップで、中国とインド、アジアと中東、アフリカとラテンアメリカがそれに続く。

西ヨーロッパとアメリカは、南極のすぐ上に位置する。

ロシアの 「東方転換」 が最初に発表された過去10年間とは異なり、今回は単なる言葉ではない。政治的な対話者だけでなく、貿易の相手国も入れ替わった。わずか2年で、外国貿易の48%を占めた欧州連合 (EU) は20%に減少し、アジアの占有率は26%から71%に急増した。ロシアの米ドルの使用も急落しており、中国人民元やインドルピー、UAEディルハム、ユーラシア経済連合の友好国の通貨、ルーブルなどの非西側通貨での取引がますます増えている。

2200-2.jpg
関連記事:ドミトリー・トレニン:ロシアは西側諸国に核兵器を思い出させる時だ

ロシアはまた、米国主導の世界秩序に適応するための長く退屈な努力に終止符を打った。1990年代初頭に熱狂的に受け入れ、その後の10年間で幻滅し、2010年代には共存の道を確立しようとして失敗したものだ。ロシアは冷戦後、何も言えなくなった体制に降伏する代わりに、覇権主義的な米国中心の体制にますます反発し始めた。ボリシェヴィキ革命以来、初めて、当時とはまったく異なる方法とはいえ、ロシアは事実上、革命大国となった。中国が依然として既存の世界秩序における地位を向上させようとしているのに対して、ロシアはその世界秩序を修復不可能なものと見ており、代わりに新たな代替的取り決めの準備をしようとしている。

ソ連が1986年にゴルバチョフ政権下で受け入れた 「一つの世界」 構想の代わりに、現在のロシアの外交政策は二つに分かれている。ロシアの政策立案者にとって、2022年以降の西側諸国は 「敵対者の家」 に変わった。一方、ロシアの友人は非西側諸国にしか存在しない。我々は非西側諸国のために 「世界多数派」 という新しい表現を作った。このグループに含まれる基準は単純で、米国とブリュッセル(NATO)が課した反ロシア制裁体制に参加しないことだ。100以上の国からなるこの多数派は、同盟国の烏合の衆とは考えられていない。ロシアとの関係の深さと暖かさは大きく異なるが、これらはモスクワとビジネスができる国々だ。

何十年もの間、わが国はさまざまな国際機関に際立った支援を与えてきた。今やモスクワは、安全保障理事会を含む国連(拒否権を持つ常任理事国であるロシアは、国連のことを伝統的に世界システムの中心的存在と称賛してきた)でさえ、機能不全に陥った論争の場に成り下がっていることを認めざるを得ない。欧州安全保障協力機構(OSCE)は、モスクワが長い間、欧州における主要な安全保障機関となることを望んでいたが、NATO/EUの多数派である加盟国の反ロシア的な姿勢により、現在ではほぼ完全に打ち捨てられた状態だ。モスクワは欧州評議会を脱退し、さらに北極海、バルト海、バレンツ海、黒海周辺の多くの地域グループへの参加は保留されている。

確かに、その多くは西側諸国がわが国を孤立させようとする政策の結果であったが、ロシア人は価値あるものを奪われたと感じるどころか、脱退や加盟停止を余儀なくされたことをほとんど後悔していない。国際条約に対する国内法の優位性を再確立したことで、モスクワは今や、敵対国が自国の政策や行動について何を言おうが何をしようが、ほとんど気にしていない。ロシアの立場からすれば、西側諸国はもはや信用できないだけでなく、西側諸国が支配する国際機関はすべての正当性を失っているからだ。

ロシアからの欧米主導の国際機関に対するこうした態度は、非欧米主導の国際機関に対する見方とは対照的である。今年、ロシアは最近拡大されたBRICSグループの議長国として、開催準備に精力的に取り組んでいる。ロシアはまた、盟友ベラルーシが参加しようとしている上海協力機構を最も強く支持している。アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの国々とともに、金融・貿易、基準・技術、情報、医療といった多くの分野で新しい国際体制を構築するために緊密に取り組んでいる。これらは、欧米の支配や干渉を受けないように制度設計されている。成功すれば、モスクワが推進する未来の包括的な世界秩序の要素としての役割を果たすことができる。

このように、ロシアの外交政策の変化は非常に深いところで進行している。しかし、どの程度持続可能なのかという問題はある。

とりわけ、外交政策の変化は、ロシアの経済、政治、社会、文化、価値観、精神的・知的生活において進行している、より広範な変革の重要な要素ではあるが、比較的小さな要素でもあることに留意すべきである。こうした変化の一般的な方向性と重要性は明らかだ。これらの変化は、ロシアを西欧世界の片隅にある遠い存在から、自給自足的で先駆的な存在へと変貌させようとしている。こうした地殻変動は、ウクライナ危機なしにはあり得なかっただろう。強力で痛みを伴う負担が与えられた結果、ロシアは自前の活力を手にすることができたのだ。

2200-3.jpg
関連記事:ゼレンスキーの新たな妄想:なぜこのウクライナの指導者はロシアの複数の地域の領有権を主張することにしたのか?

2022年2月自体が、約十年間勢いを増してきたいくつかの傾向の最終結果であったことは事実だ。2012年のプーチンのクレムリンへの復帰と2014年のクリミア再統一を経て、ようやく完全な主権が望ましいという感情が支配的になった。2020年に承認されたロシア憲法の改正という形で、国家の価値観とイデオロギーに関するいくつかの真に根本的な変更がなされた。

2024年3月、プーチンは大統領選挙で大勝し、新たな6年間の任期を確保した。これは、西側に対する実存的闘争 (プーチン自身がそう表現している) の最高司令官としての彼への信任投票と見るべきである。その支援があれば、大統領はさらに深い変更を進めることができる。そして、大統領がすでに行なった変更を、クレムリンの後継者によって確実に保存し、構築しなければならない。

1990年代以降、西側諸国と密接に結びついてきたロシアのエリートたちは、最近、自分の国と自分の資産の間で厳しい選択を迫られた。残留を決めた人々は、その見通しと行動において、より「愛国的」にならざるを得なかった。一方、プーチンはウクライナ戦争の帰還兵を中心に新たなエリートを形成する運動を開始した。ロシアのエリートたちの入れ替わりが予想され、利己的な個人からなる国際的な集団から、国家とその指導者に仕える特権階級の、より伝統的な同胞集団へと変貌を遂げることで、外交政策革命は完全なものとなるだろう。

最後に、過去20年間の西側の政策、すなわちロシアとその指導者を絶えず悪魔化することがなかったら、ロシアは主権の方向へこれほど早く動き出すことはできなかったかもしれない。こうした選択は、プーチン自身やドミトリー・メドベージェフをはじめとする、現代ロシアが経験した中でおそらく当初は最も西欧化し、親欧州的だった指導者たちを、反欧米を自認し、米国・EU政策の断固とした反対者に仕立て上げることに成功した。

このように、ロシアは西側の型に合わせて変化を強いられたのではなく、そういった圧力すべてがかえってロシア自己再発見の助けとなったのだ。
関連記事

アフリカにおけるサヘル諸国連合という「抵抗軸」

<記事原文 寺島メソッド翻訳グループ>
The Sahel’s ‘Axis of Resistance’
筆者:ペペ・エスコバル(Pepe Escobar)
出典:INTERNATIONALIST 360°2024年4月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


2201-1.jpg


アフリカのサヘル諸国は西側の新植民地主義に反旗を翻している。外国の軍隊や基地を追い出し、代替通貨を考案し、旧来の多国籍企業に挑戦している。結局のところ、多極化は抵抗がその道を切り開くことなしには開花しないのだ。


さまざまな地理における抵抗軸の出現は、私たちを多極化世界へと導く長く曲がりくねったプロセスの、切っても切れない副産物である。覇権国(アメリカ)への抵抗と多極化の出現、この2つは絶対に相補的なものである。

アラブ諸国とイスラム諸国にまたがる西アジアの抵抗軸は、セネガルやマリ、ブルキナファソ、ニジェールからチャド、スーダン、そしてエリトリアに至るアフリカの西から東のサヘルにまたがる抵抗軸を魂の姉妹とみなしている。

2201-2.jpg
アフリカ・サヘル諸国

新植民地主義に対する政権交代が軍事クーデターと結びついたニジェールとは異なり、セネガルでは政権交代は投票によって直接もたらされる。

セネガルは3月24日の総選挙でバシル・ジョマイ・ファイ (44) が圧勝し、新時代に突入した。2週間の刑期を終えたばかりの元税務調査官のファイは、フランスの傀儡である現職のマッキー・サルの下で 「アフリカで最も安定した民主主義」をひっくり返すために、劣勢な汎アフリカの指導者という人物像で登場した。

セネガルの次期大統領(バシル・ジョマイ・ファイ)は、ブルキナファソのイブラヒム・トラオレ(36歳)、エチオピアのアビー・アーメド(46歳)、マダガスカルのアンドリー・ラジョエリナ(48歳)、そして南アフリカの未来のスーパースター、ジュリアス・マレマ(44歳)とともに、主権を重視する新しい若い汎アフリカ世代の一員となった。ファイは選挙マニフェストの中で、セネガルの主権を取り戻すことを18回以上公約した。

こうした布陣の鍵を握るのが地質経済学だ。セネガルが実質的な石油・ガス産出国になるにつれ、ファイは、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)や英国の金鉱運営会社エンデバー・マイニングとの最大の契約を含む、鉱業・エネルギー契約の再交渉を目指すだろう。

重要なのは、彼がフランスの支配下にある通貨システムであるCFAフラン(14のアフリカ諸国で使われている)をやめるつもりであり、さらに、新しい通貨を創設することすら考えている点である。これは、新植民地主義的な強国であるフランスとの関係を再構築する一環だ。ファイは、習近平同志に倣い、「ウィンウィン」の友好関係を望んでいる。

サヘル諸国連合の参入

ファイは、フランス軍をセネガルから追い出すつもりがあるかどうかについては、まだ明らかにしていない。もしそうなれば、パリへの打撃は前例のないものとなるだろう。四面楚歌の小皇帝エマニュエル・マクロンとフランスの支配層は、内陸のニジェール、マリ、ブルキナファソを封鎖する上でセネガルが重要な役割を果たすと考えている。これらの国々はすでにパリを(サヘルの)塵の中に置き去りにしている。

サヘル諸国連合(Alliance des Etats du Sahelの頭文字からAES)を結成したばかりの後者の3カ国(ニジェール、マリ、ブルキナファソ)は、連続的な屈辱を味わったパリにとっての悪夢であるだけでなく、ワシントンとナイジェリアの首都ニアメとの軍事協力の壮絶な断絶に象徴されるように、アメリカの頭痛の種でもある。

アメリカのディープ・ステート(闇の国家)によれば、犯人はもちろんロシアのプーチン大統領である。

アメリカ政界の誰ひとり、昨年以来、サヘル地域からエジプトやエチオピアなどの新興アフリカBRICSメンバーまで含め、ロシアとアフリカが活発な外交を展開していたことに十分な注意を払ってきていないのは明白だ。

ニジェールをサヘル地域の強力な同盟国とみなしていたのは昔の話。米政府は現在、軍事協力協定が破棄された後、ニジェールから米軍を撤退させるカレンダーの日付を提示せざるを得なくなっている。国防総省はもはやニジェール領内での軍事訓練に関与できない。

国防総省が1億5000万ドル以上を投じて建設した、アガデスとニアメという2つの重要な基地がある。ニアメは2019年に完成したばかりで、米軍のアフリカ司令部(AFRICOM)が管理している。

作戦目的は、予想どおり謎に包まれている。ニアメの基地は基本的に情報センターであり、MQ-9リーパー無人偵察機が収集したデータを処理している。米空軍もディルクー飛行場をサヘルでの作戦基地として使用している。

そこで話は俄然面白くなってくる。ディルクー飛行場に実質的なCIAのドローン基地が存在し、数名の作戦要員が常駐しているなどということを(アメリカは)認めてすらいないのだから。この秘密基地は、中央アフリカ全域西から北まで、情報収集ができる。元CIA長官マイク・ポンペオの「嘘をつき、だまし取り、盗みを働く」のもうひとつの典型的な例だ。

ニジェールにはおよそ1,000人の米軍が駐留している。アメリカは出血を止めようとあらゆる手を尽くしている。今月、モリー・フィー米国務次官(アフリカ担当)がニジェールを2度訪れたばかりだ。ニジェールの基地を失うことは、ワシントンがパリに続いてサヘルの支配権を失うことを意味する。ニジェールはロシアとイランにますます接近しているのだ。

これらの基地は、バブ・アル・マンデブ上空を監視するためになくてはならないものというわけではない。この基地の存在価値は、サヘルのすべてが対象であり、無人偵察機をそのやれるところまで活用し、あらゆる主権領空を侵害することにあるからだ。

ちなみに、1月にはニアメからの大規模な代表団がモスクワを訪問した。そして先週、プーチン大統領はマリのアシミ・ゴイタ暫定大統領、ニジェールのアブドゥラマン・チアーニ軍事政権大統領との電話会談で安全保障協力について話し合った後、コンゴ共和国のデニス・グェッソ大統領と会談した。

コートジボワール(象牙海岸):帝国の折り返し地点

親欧米の傀儡政権はアフリカ大陸全域で急速に減少している。サヘル諸国連合(マリ、ブルキナファソ、ニジェール)はアフリカの抵抗軸の前衛かもしれないが、それ以外にもBRICSの正式メンバーである南アフリカ、エチオピア、エジプトがいる。

ロシアは外交的に、中国は商業的に、さらにはロシアと中国の戦略的パートナーシップの全重量をかけて、アフリカ全体を大事な多極的プレーヤーと見ている。先月モスクワで開催された多極的会議でも、再度追加の証拠が出てきた。この会議でカリスマ的な汎アフリカの指導者であるベナン出身のケミ・セバがスーパースターの一人となったのだ。

汎ユーラシアの外交界では、パリの小皇帝(マクロン)の最近のヒステリックな行動について冗談を言うことがまかり通っている。フランスがサヘル地域で受けた決定的な屈辱が、フランス軍隊をウクライナに送る(記録的な速さでロシアによってタルタル・ステーキにされるだろう)というマクロンの大見えを切った脅しと、アルメニアで現在進行しているロシア嫌悪的愚挙をマクロンが熱心に支持していることにつながっているのだろう。

歴史的に、アフリカ人はかつてのソビエト連邦は天然資源を吸い上げる際はるかに柔軟であり、支援的であるとさえ考えていた。その善意は現在、中国に受け継がれている。

地域統合の舞台として、サヘル諸国連合はゲームチェンジャーになるために必要なすべてを備えている。ファイの率いるセネガルがいずれ加盟するだろう。が、ギニアは同盟に信頼できる海上アクセスを提供する地理的能力をすでに備えているのだ。そうなれば、西側諸国が支配し、ナイジェリアを拠点とするECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)は徐々に消滅していくだろう。

ただ、覇権国(アメリカ)の強大な触手を決して無視してはならない。ペンタゴンの主計画に、アフリカをロシア・中国・イランという多極圏に委ねることは入っていない。サヘル地域の抵抗軸において、もはや誰も米国の「テロ脅威」カードを信じていない。2011年までアフリカには実質的にテロはなかった。この年にNATOはリビアを荒廃させ、その後アフリカ全土に軍隊を送り込み、軍事基地を建設したのだ。

これまでのところ、サヘル諸国同盟は主権優先の情報戦争に勝利している。しかし、帝国(アメリカ)が反撃するのは間違いない。結局のところ、すべてのゲームは、ロシアがサヘルと中央アフリカを支配するというアメリカ政界の突拍子もない妄想に結びついているからだ。

コートジボワール(象牙海岸)の参入。セネガルがサヘル諸国連合に歩み寄ろうとしているからだ。

コートジボワールは、例えばチャドよりもワシントンにとって戦略的に重要である。なぜなら、コートジボワールの領土はサヘル同盟に非常に近いからだ。それでも、チャドはすでに外交政策を再調整しており、もはや西側の支配下にはなく、モスクワに近づくことに新たな重点を置いている。

帝国(アメリカ)の前途は? サヘル同盟を牽制するために、コートジボワールのフランス軍基地でパリと共有する米国の「対テロ」無人偵察機ということになるのかもしれない。西アフリカで干からびたクロワッサンのパン屑すら受け取れない覇権国(アメリカ)を抱いている卑屈な「ガリアの雄鶏」(フランスのシンボル)とでも言っておこう。
関連記事

プロフィール

tmmethod

Author:tmmethod
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
最新記事
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
最新コメント