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ティモフェイ・ボルダチェフ:西側諸国は気に入らない結果が出れば、簡単に民主主義を捨てる

<記事原文 寺島先生推薦>
Timofey Bordachev: The West loves democracy until it gets results it doesn’t like
1990年代初頭にソ連が崩壊して以来、米国とその同盟諸国はこの国の政治を操作しようとしてきた
筆者:ティモフェイ・ボルダチェフ(Timofey Bordachev)。ヴァルダイ・クラブ計画部長
出典:RT 2024年3月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月23日


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ロシアのモスクワの大統領選挙中に投票所で投票する男性。© スプートニク / マクシム・ブリノフ

冷戦後の米露関係の激動の歴史の中で最も興味深い事例の一つは、1993年の下院の自由選挙で、かつての与党共産党と国家主義的色彩の濃い自民党(LDPR)の代表がかなりの議席を獲得した後、ロシアへの財政援助を削減することを米国当局が決めたことである。外国における民意の結果に対して米国政府が見せたこのあからさまな反応は、西側諸国が、自分たちに依存していると見なす国々の民主主義制度の本質と直面する課題をどのように見ているかを示す好例である。

これが1990年代の米国と西ヨーロッパのロシア認識であり、ロシアの立法者に期待されていたのは、国外にいる管理者の計画で割り当てられた役割を無条件に果たすことだけだった。念頭に置いておくべきことは、いわゆるポスト共産主義諸国すべての議会と政府は、言われたことを忠実に実行することを期待されていた、という事実である。

ロシアの選挙の予期せぬ結果に対する失望は、ロシア当局の怒りを買うことになった。その結果、米国は、ロシア政府は西側にとって最も都合の良い方法ですべてを行なう気はない、と考えるようになったからだ。翌1994年にNATOの東方拡大に関する実質的な議論が開始されると、西側とロシアの関係の崩壊が始まった。

西側諸国は、その世界的支配の期間中、自らの政治文明の中で生まれた原則に対する不誠実さを、信じられないほど多くの例で示してきた。それゆえ、世界の他の国々が、社会制度の安定的な機能を保証する最も信頼できる方法として民主主義に期待し続けているのは驚くべきことである。特に、米国民や西ヨーロッパ諸国民自身が、民主主義や選挙は政治操作の道具であり、本質的な価値はないと私たちに信じ込ませるために最善を尽くしてきたことを考えれば、なおさらである。西欧の世界観では、民主主義にもとづくとされるこれらの社会制度は、第一に、その決定を常に世界情勢における国の位置と関連付け、第二に、エリート層や政府に対して外部からの支配の機会を提供するものとして機能している。

選挙制度の相互監視と選挙制度の質全般を相互評価する行為は、国家間の関係において最も議論を呼ぶ問題のひとつである。その第一の理由は、そうすることで、国連憲章に謳われ、国際秩序の基盤を構成する国家主権の基本原則との調和が非常に難しいからである。

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関連記事: ‘This time the campaign has had a referendum-like nature’: Your guide to Russia’s 2024 Presidential Election

独立国家であれば、その内部の政治動向を外国からの監視の的にする必要はまったくないはずだ。古典的な国際政治学では、国家の内部で起こることを他国が「承認」することなどありえないのである。各国がそれぞれ自国内の正義を定義し、他国の人々はそれに留意しなければならないからだ。

しかし、20世紀の劇的な歴史により、ほとんどの国々に、自国の民主主義の手続きを国際的に正統化する必要性を認めさせることになった。この微妙な形の内政相互介入が使われるようになったのは、第二次世界大戦後のことだ。

西側諸国が結束してこのような相互監視体制をとることを決めた主な形式的理由には、1920年代から30年代にかけてドイツとイタリアで、民主的な手続きを用いて権力を握った勢力が世界大戦開始の原因になったことがあげられる。

NATO軍事同盟の創設や欧州評議会の設立、そしてそれに続く欧州統合の開始によって、西側諸国の大半は徐々に主権を失っていった。より一般的に言えば、対外的な正統性、つまり他者による承認は、歴史的に国家が他国と意思疎通を図るための重要な拠り所となった、ということだ。

しかし、この慣例はどこでも守られているわけではない。例えば、2020年に米国で行われた前回の大統領選挙では、外国からの監視員はわずか40人だけ参加したのだが、結果の正当性を疑問視する者はいなかった。それは単に、米国当局が他の監視員候補に招待状を送らなかったからだった。

2012年の米大統領選挙と連邦議会選挙の際、いくつかの州では、OSCE(欧州安全保障協力機構)の監視員は投獄を脅された上で投票所に近づくことを禁止された。もちろん、この時もこの欧州各国の代表は、組織的な違反を発見していない。

米国民は一般的に、同盟国の意見をかなり軽視する。米国における正統性の唯一の源泉は(少なくとも形式的には)自国民の意見であるため、他国民の態度や外部からの評価など誰もあまり気にしない。

これらの事例から実例を挙げるのは間違っているが、選挙監視の実践そのものには何の問題もない。市民社会間の対話を促進し、相互の信頼と開放性を高め、近隣諸国を代表する少数民族の権利保護にも役立つからだ。しかし、これはあくまでも基本的な機能を維持し、外交政策の道具とならない限りにおいての話である。冷戦終結後、西側諸国が行なってきた選挙監視や選挙の質の評価という実践は、まさにこのようなものであった。

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関連記事:This is why EU diplomacy is practically dysfunctional

1990年に設立されたOSCEの民主制度・人権事務局(ODIHR)は、自身の存在意義をロシアや他の旧社会主義諸国の政治形態の民主主義に則った形への移行を直接「援助」する使命を帯びていることにある、としている。言い換えれば、内政に干渉することを完全に正当な行為であることを宣言している、ということだった。同時に、欧州評議会や欧州連合といった西側政府組織がこの分野においてその活動を強めることになった。

後者の場合、欧州議会は定期的に監視員を外国の選挙に派遣し、そのことについての報告書を用意しているのだが、こんなことは完全に馬鹿げたことに思える。事実、欧州議会は欧州連合(EU)の統治機関のひとつであり、重要な国家グループの協力組織である。その機能を通じて、欧州議会はその権限と資金を決定する国民と各国政府の利益を守る義務を負っている。EU条約の関連条文に基づいて運営されている。なぜ欧州議会議員がこれらの協定に署名していない国の内政について意見を述べるのか、まったく理解できない。 彼らの活動の目的は常に明確である。EUの友好諸国に政治的圧力をかける機会を作り、EUの交渉上の地位を向上させることである。

形式的には公平性を保つことになっている国際機関の活動に関しても、状況はあまり変わっていない。事実、OSCEや欧州評議会では、数の上ではNATOとEU諸国が完全に優位に立っていた。数年のうちに、NATOとEU諸国は選挙監視の分野で、単独で行動する他のすべての国の活動を独占することができるようになった。瞬く間に、この分野におけるOSCEと欧州評議会の活動全体が、狭い勢力団の利益のための道具となった。

これは、第二次世界大戦後に策定された相互選挙監視の基本原則を破壊するものである。外国人監視団の主な利点は、選挙に対する監視団の態度が中立であることであった。今や監視団は、ロシアや他の主権国家の国内政治との関係において、単に西側の利益を代弁しているにすぎない。当然のことながら、このような選挙監視は次第に、選挙制度の本質ではなく、西側諸国とその外部友好諸国との力関係によって結果が決まる政治的なかけひきへと変化している。

今、最も難しい問題は、選挙監視という制度をどうするかということである。不干渉と無関心の妥協点をどう見つけるかであるが、これはとりわけ自国の利益を損なうことになりかねない。例えば、ロシアと他の旧ソ連諸国は、互いの投票所に自国の代表が立ち会うという慣行を維持することができる。

友好諸国や国際機関から500人から1000人の監視員が今週末のロシア大統領選挙期間に出席することになるが、おそらくそれは最善を期してのことだろう。単に、相互に開かれているということは悪いことではないし、主権が尊重される条件下では、選挙監視を国際政治の道具と化している西側諸国にはできない事業を提供できるからだ。
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