fc2ブログ

南アフリカがハーグの国際司法裁判所にイスラエルを訴えたのは、自国のアパルトヘイトの亡霊がまだ生きているからだ

<記事原文 寺島先生推薦>
The ghosts of apartheid triggered South Africa’s case against Israel in The Hague
この行為に関する南アフリカ国内の反応は、多くの議論や問題があるにもかかわらず、驚くほど足並みがそろったものだった。
筆者:クベンドラン・チェティ(Kubendran Chetty)
出典:RT 2024年2月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月23日


2036-1.jpg
2024年1月11日、ハーグで、南アフリカが提訴したイスラエルに対するジェノサイド裁判の審理を前に、国際司法裁判所(ICJ)に出席するロナルド・ラモラ法務大臣とブシムジ・マドンセラ駐オランダ南アフリカ大使。 © Remko de Waal / ANP / AFPBB News

ジェノサイドの疑いでイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴するという南アフリカの決定は、アパルトヘイトとの歴史的な戦いとの類似性が指摘されるなど、南アフリカ国内で圧倒的な称賛を受けている。

この裁判は、ネルソン・マンデラ元大統領が大統領を務めて以来、おそらく他のどの国際問題よりも、世界的な世論という点で、同国にとって有益なものであると広く評価されている。

国際司法裁判所の判決

今年初めのICJの中間判決では、17人の裁判官からなる審議会が、南アフリカ政府が要求した7つの緊急措置を可決した。

イスラエルがジェノサイドを行わないよう要求することに加え、裁判官団はイスラエルに対し、ジェノサイド行為を行なった兵士や、パレスチナ人のジェノサイドを公に呼びかけた国家公務員に対する措置をとるよう命じた。 判決はまた、イスラエルはそのような行為が行なわれた場合、その証拠を保全しなければならないと述べた。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、裁判所の決定を虚偽であり言語道断であると批判し、イスラエルは自国を防衛する基本的権利を行使していると主張した。

ICJの別件では、南アフリカが50以上の国と3つの国際機関とともに、イスラエルによる数十年にわたるパレスチナ地域の占領に関する勧告的意見を求める公聴会に参加した。

2036-2.jpg
関連記事:Here’s why the ICJ ruling on genocide is a crushing defeat for Israel

「人種差別には反対しなければならない」

国際司法裁判所(ICJ)への南アフリカの申し立てと、世界的な偶像となったネルソン・マンデラ元大統領の人道的努力を比較するのは当然である。しかし、この判決が下される前、南アフリカは誤った理由で世界的な脚光を浴びていた。

アフリカ大陸の経済大国であるどころか、長年の腐敗によって信頼が低下している。特に、家庭や企業への効率的な電力供給に苦労し、港湾を含む重要な国有企業が管理ミスや非効率性に苦しんでいたのだ。

国際司法裁判所(ICJ)の判決は、同国を再び活気づけ、正義と国際法への参画を強化しつつ、抑圧された人々の権利を擁護する上で同国が果たすべき役割はまだ大きいとの信念を育んだようだ。

マンデラ氏は1990年、アパルトヘイト政府から釈放されたわずか数カ月後に、ニューヨークの国連特別委員会でアパルトヘイトに反対する演説を行なった。

「人種差別は、人類が自由に使えるあらゆる手段によって反対されなければならないということを、私たちは侵すことのできない原則とします。人種差別がどこで発生しようとも、それは差別される人々の人権を組織的かつ包括的に否定する結果となる可能性を秘めています。すべての人種差別は本質的に人権への挑戦であり、すべての人間が他のいかなる人間とも等しい価値を持つ人間であるという見解を否定するものであり、民族全体を人間以下のものとして扱うものだからです。」

「だからこそ、アパルトヘイト制度を人道に対する罪と位置づけることは正しく、国際社会がアパルトヘイトを弾圧し、その加害者を罰することを決定するのは適切なことなのです。」

シリル・ラマポーザ大統領が、国際司法裁判所の判決後、イスラエルに対する国際司法裁判所への提訴を祝う前例のないテレビ演説を行なったのは、このマンデラ氏の考え方を原則としたものだった。

「半世紀以上にわたる占領や収奪、抑圧、アパルトヘイトを経て、パレスチナの人々の正義への叫びが、国連の高名な機関(ICJ)によって聞き入れられました。」

同大統領は、国際司法裁判所が、ガザの壊滅的な人道的状況と、紛争によって何百、何千ものガザ人が燃料、食料、医療品、電気を奪われたことを認めた、と述べた。

2036-3.jpg
南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領© PHILL MAGAKOE / AFP

アラファト議長とマンデラ大統領のクーフィーヤ

1990年2月11日に釈放されるまで、マンデラ氏は政治犯として27年間アパルトヘイト政府に投獄されていた。その16日後、ザンビアのルサカに降り立ったマンデラ氏は、パレスチナ解放機構(PLO)の指導者ヤーセル・アラファト氏を、マンデラ氏の象徴であるクーフィーヤを頭に巻いた姿で抱擁した。

クーフィーヤは長年、パレスチナ国家主義の象徴であり、マンデラ氏はその3ヵ月後、アルジェリア青年全国連合が彼の名誉のために主催した集会に出席した際、自らクーフィーヤを被り、アパルトヘイトとの闘いにおけるアラファト氏とPLOの支援に報いた。

2036-4.jpg
関連記事:Only global community can end Gaza conflict – Ndileka Mandela

マンデラ氏はパレスチナの人々と特別な絆を感じ、1997年にこう言った: 「私たちは、パレスチナ人の自由なくして私たちの自由が不完全であることを痛いほど承知しています」と。

2004年にアラファト氏が亡くなったとき、マンデラ元大統領はこう言った: 「彼は正しい意味での象徴でした。彼はアラブの人々の解放だけでなく、アラブ人、非アラブ人を問わず、世界中の抑圧されたすべての人々の解放に心を砕いていました。あれほど偉大な声望と思想を持った人物を失うことは、抑圧と闘うすべての人々にとって大きな打撃となります」と。

マンデラ氏は2013年に逝去したが、パレスチナの人々は、ヨルダン川西岸地区の占領地ラマッラーにマンデラ氏の銅像を建立し、彼の支援に報いた。

マンデラは、自身の政党であるアフリカ民族会議(ANC)に寄せられた支持を痛感していた。この支持とは、アフリカ大陸でもっとも歴史の古い解放組織であるこの政党が禁止されていたときに受けたものである。当時、ロシアやキューバ、中国、インドなどの国々や、ザンビアやジンバブエ、モザンビークなどのアフリカ諸国が、アパルトヘイトに対して揺るぎない支持を表明していた。西側諸国は、スウェーデンとノルウェーを除いて、概して南アフリカの解放闘争を支持していなかった。

1990年、マンデラ氏はジョージ・ブッシュ大統領の招きでアメリカを訪れ、ABCニュースのテッド・コッペル氏が司会を務めるタウンホールミーティングという番組で、パレスチナへの支援について質問された。

これに対してマンデラ氏はこう答えた: 「ヤーセル・アラファト氏の闘争を支持したからといって、ANCがイスラエルが国家として法的に存在する権利を疑ったことにはなりません。私たちは、安全な国境内に国家が存在する権利を公然と支持してきました。しかし、もちろん......私たちは、安全な国境という意味を慎重に捉えています。ガザ地区やゴラン高原、ヨルダン川西岸など、イスラエルがアラブ世界から征服した領土を保持する権利があるということではありません。 それには同意できません。それらの領土はアラブの人々に返還されるべきです」と。

2036-5.jpg
1993年6月29日、カイロで開催された第29回OAU(アフリカ統一機構)会議で、南アフリカのネルソン・マンデラ国民会議議長(右)と会談するPLOヤーセル・アラファト議長(左)。 © Mohamed El-Dakhakhny / AFP © MOHAMED EL-DAKHAKHNY / AFP

口先だけではなく行動せよ

南アフリカの大学の法学部の最終学年の学生であり、活動家であるレセゴ・マシシ氏は、RTの取材に対し、南アフリカには、ガザで起きていることに対して発言する、世界政治の領域における道徳的義務があると語った。

「もし南アフリカがパレスチナで起きている人道的危機について声を上げなければ、国の誠実さについて多くの疑問の声が投げかけられたでしょう」と同氏は述べた。

マシシ氏は、南アフリカの外交政策は今でも、1990年代から2000年代初頭にかけてマンデラ氏が築いた基盤に根ざし、影響を受けていると考えている。

マンデラ氏は常に、地政学的な問題や所属団体を通じて、道徳的に優位に立とうと努めていた。

「パレスチナの問題で、マンデラ氏はそれがアパルトヘイト政権で自国が経験したことと似ており、他の多くの国々が、南アフリカでの抑圧の捉えられ方と同じようにパレスチナの問題を扱っていたことを認識していました」とマシシ氏は語った。

レセゴ・マシシ氏は、2013年にマンデラ氏が他界した後、南アフリカが世界的な脚光を浴びなくなったのは、特に国際関係において強い立場を取る際に方向性を欠いているように見えたからだと考えている、と語った。

2036-6.jpg
関連記事:Israeli spies threatening my family – South African FM

「国際司法裁判所(ICJ)のような国連の場で、南アフリカがイスラエルに対抗する立場を取ることは、世界の力関係を考えれば、ほとんど不可能と見なされていたことです。この行為は本当に、南アフリカ政府による大胆な行動でした。

市民社会や進歩的な政党から、ガザ地区の紛争で起きていることに反対を表明するだけでなく、行動するよう政府に圧力がかかっていました」とマシシ氏は語った。

この紛争は人権問題であり、世界の北と南の国々によって見方が異なる、と彼は言った。

「この紛争は帝国主義的な傾向を露呈させ、搾取されることに馴染みがなく、歴史的に帝国主義的恩恵を受けてきた国々が、国際社会においていかに矛盾した存在なのかを明らかにしています。

パレスチナの人道的危機を認識していない国々があるのは、それらの国々の見方は、肌の色や経済的資源、そしてそれらの国々の共通の利害に基づいているからです。」

マシシ氏は、この紛争は、世界の平和と安全を推進する上での欧米の矛盾と偽善を露呈した、と述べた。

国際司法裁判所の決定を受け、南アフリカはアフリカ諸国をはじめとする「南半球」の国々から支援を受けたが、国際社会では、特に西側諸国から、ほとんど即座に反撃を受けた。

国際社会からの反撃

米国議会が下院に提出した法案は、南アフリカがハマスや中国政府、ロシア政府、イラン政府と連携していると非難し、米国政府と南アフリカ政府の関係を全面的に見直すよう求めている。

この法案は、ビジネスや援助、地政学、特にロシアとウクライナの紛争に関して南アフリカに影響を与える可能性があり、2月6日に共和党のジョン・ジェームズ下院議員と民主党のジャレッド・モスコウィッツ下院議員によって提案された。

2036-7.jpg
ジョン・ジェームズ(左)、ジャレッド・モスコウィッツ(右)。 © Wikimedia

この法案は、南アフリカ政府が米国の国家安全保障や外交政策上の利益を損なうような行為に及んだ場合、ジョー・バイデン米大統領に対し、同法を公然と施行するよう求めている。

ラマフォサ大統領府は、この法案が成立すれば、南アフリカとアメリカの関係にとって「非常に不幸なこと」だと述べた。

南アフリカの大統領府は、ICJでの南アフリカの裁判が政治的な動機によるものであったという主張は、判決が南アフリカの勧告の多くを受け入れたことから、成り立たない、と述べた。

2036-8.jpg
関連記事:BRICS expansion: What’s in it for Africa?

同大統領府は、ロシアとウクライナの紛争について、南アフリカは「常に」平和の側にいると述べた。

反アパルトヘイトの活動家であるフランク・チカネ牧師はRTの取材に対し、国際的な舞台で南アフリカを罰するためにICJ(国際司法裁判所、国連の一機関)を利用する政府があるとすれば、それは驚くべきことだ、と語った。

「こんなことが生じれば、ICJのような国連機関は社会的弱者に対してのみ使われるという伝言を送ることになります。そんな考え方が世界の基盤になることはありえません。」

「『意見が違えば罰する』 や、『貿易をすれば罰する 』というのは、外交政策を管理する最良の方法ではありません。」

南アフリカは1994年に民主化を達成して以来、多くの変化を経験してきたが、一貫していたのは外交政策に対する姿勢だった、とチカネ氏は語った。

「唯一の例外は、南アフリカが国連安全保障理事会でリビアへの介入に賛成票を投じたときです。それが間違いだったことは、現在のリビアの状況を見ればわかります。」

チカネ氏は、南アフリカの国際関係に対する立ち位置は、『米国と英国がアパルトヘイト国家を黙認していた』という自国の経験に基づくものだと考えている。

「私たちは米国で多くの取り組みをおこない、人々を動員し、その結果米国議会はアパルトヘイトの廃止を求める決議を採択したのです」とチカネ氏は締めくくった。

筆者クレンドラン・チェティ氏は、南アフリカに拠点を置く国際関係の専門家。
関連記事
スポンサーサイト



「ナワルヌイの死」は英国の仕業だと推測されるいくつかの状況証拠

<記事原文 寺島先生推薦>
Censorship: My Interview on the Death of Navalny…
原題―検閲:ナワルヌイの死に関する私のインタビュー...
出典:Global Research 2024年2月20日
筆者:ギルバート・ドクトロウ博士(Gilbert Doctorow)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月23日


2034.jpg


私は2日前に発表したアレクセイ・ナワルヌイの死についての見解を述べたが、その最後に、数時間前のTRTワールドとの私の生中継インタビューがインターネットに掲載されたら、リンクを提供すると述べた。

しかし、残念なことに、トルコの放送局の編集者がインタビューを受けたジャーナリストを封じたようだ。

その音源はインターネットには届かなかった。これは悲しいことだが、私が放送中に「イギリス人がやったんだ。」と直接非難したことを考えれば、理解できる。NATO加盟国の礼儀は、明らかに痛みを伴う真実の普及より優先されるのだ。しかたあるまい。

余談だが、ナワルヌイの死に対する全体的な世界の視聴者の関心は、過去2日間にテレビネットワークがyoutube.comに投稿した多くの放送への訪問者数に示されているように、私には非常に低いように思えた。

関連記事:アレクセイ・ナワルヌイの死と奇妙なタイミングの一致

私が記事を公開したとき、私はナワルヌイの死についての分析の一部を控え、読者がビデオで発見できるポイントを残した。それでは、その点を以下に掲載する。

*

これらの発言は、まず第一に、なぜ英国が反ロシア、反プーチンの感情を爆発させるためにナワルヌイの殺害を手配することに興味を持ったのかという疑問に関係している。

私がインタビュアーに言ったように、英国はロシアに対してあまり秘密ではない戦争を積極的に行なっている。例えば、海上無人機を提供して露軍の黒海艦隊のいくつかの船を損傷させたり、沈没させたりしている。また、特別軍事作戦の開始以来、クリミア橋へのいくつかの攻撃を奨励し、支援してきた。それは、ロシア本土に対するテロ行為と呼ばれるものを助長している。

今朝のRIANovostiのニュース概要は、数週間前にロシアのIL-76輸送機のベルゴロド州(RF)上での撃墜は、防空を担当するキエフ軍部隊の同意なしにキエフ政権の英国人顧問によって命令され、指示されたという主張を紹介している。飛行機がアメリカ製のパトリオット・ミサイルに撃墜されたことを覚えておいてほしい。パトリオット・ミサイルは非常に高価で、キエフには非常に限られた供給しかない。通常、パトリオットはウクライナの軍や政治のトップの承認を得てから発射される。だが、その飛行機には65人のウクライナ人捕虜が乗っていて、ロシア人捕虜と交換されようとしていた。そのときはあり得ないと思われていた悲劇が待ち受けているにも関わらず捕虜交換は進められたという事実。ジェット機の撃墜はウクライナ側とは何の関係もなく、その事実をロシア側に納得させたと想定しないかぎり無理なのだ。ということは、やったのはイギリス人なのだ!

戦争の初期を振り返ってみると、第5週にロシアとウクライナの交渉官がイスタンブールで始めた平和条約が、英国のボリス・ジョンソン首相のキエフ訪問中に妨害されたことはよく知られている。彼はゼレンスキーに西側の支援を受けて戦い続けるように促し、それゆえ、英国はそれ以来の戦闘で50万人のウクライナ人男性の死に責任がある。

私がここで主張したいのは、英国がウクライナ戦争に深く関与して、ロシアに損害を与え、信用を失墜させるために彼らができる限りのことをしているということだ。しかし、何人かの読者が書いているように、イギリス軍はなぜナワルヌイが拘禁されていた北部の辺境の流刑地であるロシアまで到達し、彼の殺害を実行することができたのだろうか。答えは非常に簡単だ。彼らは代理の者にそれを実行させたのだ。

ロシアの奥深くで行われている火災、爆発、その他の破壊行為に関する時折のニュースからわかるように、ウクライナの諜報機関は、ロシア連邦内で秘密裏に働いている多くの工作員を持っている。彼らは全員ロシア語を母国語とし、わずかのコックニー訛りもなく、どこにでも旅行できる。彼らは英国の戦友と手を取り合って働いている。流刑地の近くに行けば、ナワルヌイの死を引き起こしたと言われている塞栓症を誘発する化学物質を密輸するのはたやすい。そして、お金のためなら、喜んで毒物を投与する囚人は何人もいただろう。

だから、独外相アナレナ・バーボック風に言えば、あの英国首相リシ・スナクは取り去ってしまえ!、なのだ。

私は記事の中で、ナワリヌイの殺害がロシアの大統領選挙の前の月に行われたという驚くべきタイミングを指摘した。ちょうど6年前にイギリスのソールズベリーでスクリパリ中毒事件が起こり、ウラジーミル・プーチンに損害を与えたことが世界的なニュースになった。しかし、ナワルヌイの死/殺人が偶然の医療事故ではなく、慎重に計画された偽旗作戦であったことを示す他の状況証拠もあり、帝国、軍隊、艦隊を失った英国は、まだ世界クラスのままである。

彼の死がミュンヘン安全保障会議の開会の前日であったことに注目しよう。この会議には、ロシアを独裁的で略奪国家として非難し、ウクライナへのさらなる資金と武器輸送を適切に行うよう米国議会に圧力をかける目的で、西側諸国の多くの指導者が集まっていた。ゼレンスキーが演壇に立ち、ナワルヌイを殺したとされるウラジーミル・プーチンを非難していた。そして、アレクセイ・ナワルヌイの未亡人となった妻が、ミュンヘン会議で記者団にプーチンへの復讐を誓った。彼女が事前にミュンヘンに招待されていたのは、計画者たちが来るべき死を事前に知っていたかのようで、とても興味深いことだ。

我々の主流メディアのペテン師が、ロシアに対する最新の偽旗作戦で世界のニュースを支配しようとしても、それはすべて無駄になるだろう。昨日テレビカメラの前にロシアのショイグ国防相がウラジーミル・プーチンに報告したドネツク市のすぐ外にある重要な都市アヴディフカでのロシア軍の完全勝利は、この戦争がどちらに向かっているかを明確に示している。

ナワルヌイは死んだ、犬は吠えている、隊列は進んでいく。
関連記事

プロフィール

tmmethod

Author:tmmethod
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
最新記事
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
最新コメント