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ドンバスの主要都市アブデーフカが解放される ― モスクワ

<記事原文 寺島先生推薦>
Key Donbass city of Avdeevka liberated – Moscow
ウクライナ軍が敗走する中、ロシア兵が最後の抵抗勢力を掃討している。
出典:RT 2024年2月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月21日


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© Kostiantyn Liberov / Getty Images


ロシア国防省は土曜日(2月17日)、ロシア軍がアブデーフカ市を「完全に占領した」と発表した。同省によると、ウクライナ軍約1500人が、武器や装備を残して退却する際に死亡したという。

この占領により、前線はドネツク市からさらに遠ざかり、ウクライナ軍の砲撃から市民を守ることができる。約20km離れたアブデーフカは、2014年以来、要塞化され、このような攻撃の中継地点として使用されていた。

「ロシア軍の継続的な砲撃の下で、ウクライナ武装勢力の散らばった個々の隊列だけが街から脱出することができた」、そして、街が解放されるまでの24時間でキエフは1,500人の兵士を失ったと同省は述べた。逃走した兵士たちは武器や装備を残して逃走した、と同省は付け加えた。

国防省は、「武装勢力を完全に排除するための措置がとられている」とし、ロシア軍は近々、市郊外のコークス工場に立てこもるウクライナ軍を阻止するために動くだろうと付け加えた。

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関連記事:ゼレンスキーがアブデーフカ撤退を説明

ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は、新司令官を任命した後、欧米で訓練された精鋭部隊をアブデーフカに急派したが、同市の保持に失敗し、土曜日(2月17日)に撤退命令が出されたことを認めた。堡塁(ほうるい)がロシアの「中央」部隊にほぼ完全に包囲されているため、ゼレンスキー大統領はこの命令を「絶対に当然のことだ」と述べた。

ロシア軍は、アブデーフカの占領後、「ドネツク人民共和国をウクライナの民族主義者からさらに解放する」ために攻勢を続ける、と同省の声明は結んでいる。

ウラジーミル・プーチン大統領は、アブデーフカでの戦闘に参加したすべてのロシア軍部隊を賞賛し、その解放は大きな成功であり、重要な勝利であると、土曜日の夜、ロシアの「中央」部隊の司令官であるアンドレイ・モルドヴィチェフ大佐に電報で伝えた。

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関連記事:バイデン氏、アブデーフカ陥落の原因を共和党になすりつける

「アブデーフカでの戦闘に参加した、あなた方が率いるすべての部隊に感謝の意を表します」とロシアの指導者は書き、戦闘で特に功績を残したいくつかの編隊や部隊を列挙した。

アブデーフカでのウクライナ軍の敗北は、数週間前からワシントンの当局者や西側のジャーナリストによって予測されていた。今週初め、ホワイトハウスのジョン・カービー国家安全保障会議報道官は、アブデーフカの敗戦を西側の援助が枯渇したせいだと非難した。

この国防総省の高官は、金曜日(2月16日)に行われた記者団への説明で、アブデーフカの状況は「前線に沿った他の多くの場所」でもすぐに繰り返される可能性があり、アメリカの議員たちがキエフへの600億ドルの新たな軍事援助予算案を承認できなければ、「ウクライナの防衛はおそらく崩壊するだろう」と記者団に語った。
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これぞソビエト連邦:なぜゼレンスキーはウクライナ軍の新しい指導者としてロシア人の将軍を選んだのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
A very Soviet union: Why has Zelensky picked a Russian general as the new leader of Ukraine’s army?
ウクライナ軍の新しい最高司令官はロシアで生まれ育ち、家族は今もロシアに住んでいる
筆者:クリスティーナ・シゾバ(Christina Sizova)
出典:RT 2024年2月14日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月21日


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© RT/ RT


数カ月前から予想されていたウクライナ軍指導部の交代がついに実現した。ウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領とヴァレリー・ザルジニー前ウクライナ国軍最高司令官の間で長くくすぶっていた個人的な対立の結果、後任にはアレクサンドル・シルスキー氏が就任した。

シルスキー氏は長い実績を持つ経験豊富な軍司令官だが、その背景が物議を醸している。シルスキー将軍はロシアで生まれ、愛国者の家系に生まれた。

愛国者とは、ロシアの愛国者のことだ。

シルスキー氏がその経歴をつうじて下した軍事的決断でさえ、「虐殺者」や「200将軍」(200は兵士の死体の軍用コード)という呼び名を持つこの将軍が本当に最適な人物なのかどうか、多くの疑念を抱かせる。しかし、専門家が指摘するように、シルスキー氏はウクライナ大統領の政治的ライバルではないため、ゼレンスキー大統領にとっては好都合な選択肢である。

ウクライナ軍指導部にロシア人が就任

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関連記事:Birth of a myth: By replacing his top general, Zelensky has laid a trap for himself

前線でのウクライナ軍の失敗により、ゼレンスキー大統領とザルジニー前司令官の間の緊張は激化した。大統領と最高司令官は昨年の夏の反転攻勢の失敗についてお互いを非難した。当初は意見の不一致についての噂しかなかったが、後に状況が公になった。

1月末まで、ウクライナの報道機関はザルジニー前司令官の差し迫った解任について盛んに議論していた。そのような計画は当局によって公式に否定されたが、マスコミはゼレンスキー大統領の最高司令官解任の意図についての話題を止めなかった。西側報道機関もこの件を取り上げた。

ゼレンスキー大統領自身は、2月5日にRAIイタリアとのインタビューでウクライナ最高司令官を交代させる計画を認めただけだった。同大統領はこの決定について発言し、戦況の明らかな「停滞」のため「再設定」が必要だった、と述べた。

3日後、最初にウクライナ軍と政治指導部の間の対立を引き起こしたすべての課題を「継承」する新しい最高司令官の身元が明らかになった。ゼレンスキー大統領は、これまで地上軍を指揮していたアレクサンダー・シルスキー大将をAFUの新たな最高司令官に任命した。

シルスキー将軍は物議を醸す人物であり、彼の経歴は一般のウクライナ国民の間で多くの議論を引き起こした。

1965年7月26日に、モスクワの東、140マイル以内に位置するウラジーミル地方のノビンキ村で生まれた彼の軍人としての経歴もロシアで始まり、1982年にモスクワ高等連合軍司令部学校に入学した。

1986年、シルスキー氏はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に派遣された。そこで彼は、第1連合軍第25師団、第426連隊の電動ライフル小隊の指揮官を務めた。ソ連崩壊後、シルスキー氏はウクライナ国民となった。

兵士であった彼が大佐に昇進するまでに数十年かかった。1993年、彼はウクライナ国家警備隊第6師団の電動ライフル大隊の指揮官を務めた。2年後、彼は連隊長に就任した。2000年から2002年にかけては、キエフ地域のベラヤ・ツェルコフ市に駐屯するAFUの第72独立機械化師団の参謀長および第一副司令官を務めた。その後、この部隊は旅団となり、シルスキー氏は少将として旅団を率いた。

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2023年11月30日、ハリコフ州クピャンスクの国防軍本部にて、ウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領とアレクサンドル・シルスキー氏。 © Wikipedia

並行して、シルスキー氏は軍事訓練を続けた。1996年に、彼はウクライナ国防アカデミーを優秀な成績で卒業し、そこで作戦計画と戦術計画を学んだ。9年後、彼はウクライナ国防大学を卒業し、そこで戦略的軍事管理を学んだ。その後、AFU(ウクライナ軍)統合作戦軍第一副司令官に任命された。2011年から2012年にかけては、ウクライナ軍参謀本部軍事協力・平和維持活動主局の第一副局長を務めた。1年後、彼はAFUの中央指令センターの第一副長官に就任した。

同氏は第一副長官としてNATOとの協力を監督し、ウクライナ軍をNATO基準に合わせる交渉においてウクライナを代表した。彼はヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領時代にこれらの活動に従事していた。

ロシアの愛国者の家族

シルスキー氏の家族は 現在もロシアに住んでいる。父親は退役し、母親は合唱団で歌い、ガーデニングを楽しんでおり、兄は警備員として働いている。

82歳の母親、リュドミラ・シルスキーさんはソーシャルメディアに参加しており、ロシアの政治家、故ウラジーミル・ジリノフスキー氏のウクライナに関する言葉や、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領の無事を願うもの、ウクライナの現行法をからかうコメントなどの投稿に「いいね」をすることが多い。

リュドミラ・シルスキーさんはロシアの若者に対し、紛争地帯で祖国の利益を守るよう助言した。「ロシアを守ってください」と彼女はテレグラム上のラプリー(RT傘下の動画共有サイト)に投稿した動画で語った。

彼女はまた、第二次世界大戦中にソ連軍として戦い、1941年にレニングラード近郊で亡くなったシルスキー氏の祖父に追悼の意を表し、毎年戦勝記念日の祝賀会で開催される不滅連隊の行進に参加している。

シルスキー氏の父親はジャーナリストらからの質問に抑制的な態度で答えた。息子の任命についてどう感じたか尋ねられた彼はこう答えた。「私もあなた方と同じ思いを持ちました。それ以上のことはありません」と。

また、息子がウクライナ軍で働くことになった経緯については知らない、とも述べた。シルスキー氏の父は、ラプティ上に投稿された動画で「私は関与していない」と述べた。

ニュースサイトのレドフカによると、ウクライナの新軍司令官(シルスキー氏)は家族の愛国心とロシアへの支持を理由に家族と縁を切った、という。ただし、この情報は検証されていない。たとえば、ニュースサイトのマッシュは、シルスキー氏の両親の隣人女性が、将軍は今でもビデオチャットで母親や父親と定期的に話し合っていると語る動画を公開した。さらに、同氏自身もウクライナ軍に不満を持っている、とのことだ。この隣人によると、シルスキー氏が両親を最後に訪問したとき(日付は不明)、軍司令部にいるウクライナ人は「彼らは狡猾で陰険だから」我慢できないと母親に語った、という。



総司令官の兄(弟)オレグさんはタス通信に対し、何年も同司令官と連絡を取っていないと語った。「私は彼と連絡を取っていないし、彼がどこにいるのかさえ知りません。 <...> 私は彼について何も知りません。昔、ずっと昔に、彼はそこ(ウクライナ)に行きました。彼は生涯ずっとそこで暮らしていて、そこで兵役を始めて、今もそうし続けているし、そこに家族もいます」と彼は語った。

メディア報道によると、シルスキー氏の妻と子どもたちの状況もかなり「劇的」だという。 2021年に録画された人気の動画では、現在オーストラリアに住んでいるシルスキー氏の義理の息子アントンさんが義父の私生活について語った。そのアントン・シルスキーさんによれば、義父は家族のもとを去ったという。 2014年、ドンバスで紛争が始まった後、シルスキー氏の家族は当時(ウクライナから)離脱していた地域(ドンバス)での戦闘を思いとどまらせようとしたが、指揮官は「それが政治だ、そういうものだ」とだけ言った。その直後、家族はシルスキー氏との関係を断ち切った。

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関連記事:Ukraine’s top general fired for disobeying US – Politico

アントン・シルスキーさんによると、同将軍がNATOと協力していた時期、義父は通訳の女性と不倫関係になり、家族の元を去ったという。現在、新軍司令官の経歴は秘密を保たれている。アントン・シルスキーさんによると、 義父は以前のすべての知り合いとの連絡を断ち切っている、という。オンライン上の情報には、シルスキー氏の新しいウクライナ人の妻と2人の子どもについてのみ記載されている。ただし、同氏にはイワン・シルスキーさんという、自分はロシア人だと思っている息子がいる。

「私は新しい義父とオーストラリアに行き、今は前の義父とは連絡をとっていません。私の弟は、その人と血が繋がっている実の息子ですが、彼も話はしていません」とアントン・シルスキーさんは述べた。

シルスキー氏の義理の息子によると、シルスキーさんは出世のことばかり気にする人物で、お金が好きだという。「あの人は3つの大学の学位を持っていますが、どの大学も成績優秀で卒業しました。報道機関はあの人は最善の軍司令官だ、と言っています。でも実際のところは、あの人は出世のことばかり考える人です。頭は切れるし、賄賂ももらいません。だからこそ大臣にはなれなかったのです。なれる素質は十分あったのですが」とアントンさんは語った。

アントンさんによると、義父は自分の理想の人物だったが、それが変わっていったのは、シルスキー氏がAFUで出世するために、自分のロシア人としての出自を裏切るようになってからだ、という。しかしアントンさんによると、シルスキー氏は「間違いなくロシア人です」とのことだ。

「私は軍人の家系出身です。だからこそシルスキーのような将軍のことを思うと胸が痛みます。ドンバスで何が起こっているのかをはっきりと分かった上で、こんな(馬鹿げた)ことばかりして、AFUを送り込んでドンバスで戦わそうというのですから。でも、こんな将軍たちが気にしているのは、自分の出世のことだけなのです。彼らの言うとおり、おカネには匂いが残りません。私はあの人のことを理想の人物像だと思っていました。とても賢くて善良な軍人だと思っていました。これらすべてのことが始まった時、私たちは話し合いをしようとしました。あの人は洗脳されたわけではありません。でもあの人はただこう言ったのです。「これが政治なんだ。仕方ない」と。くそったれです。そんなふうにしか考えられない悪党だったんです」とアントン・シルスキーさんは語った。

「200将軍」

シルスキー氏の家庭状況に問題があることに加えて、この司令官が軍で下してきた決断についても、懸念の声があがり、この人物がこの役職の最善の人物なのかも疑問視されている。

軍内部では、シルスキー氏はいくつかのあだ名を付けられていた。「将軍200(200というのは軍内で兵士の死体を指す隠語だ)」や「屠殺者」、「人食人種」だ。こんなあだ名を付けられたのは、シルスキー氏が戦場で戦果をあげるためなら人々を喜んで犠牲にしてきた経歴があるからだ。例えば、同氏はロシア軍に対して、大規模な歩兵による攻撃を命じたが、そのせいでAFUは大きな損失を出すことになってしまった。

2022年7月、シルスキー氏はハルキウ地方の作戦を取り仕切っていた。9月、同氏はその地域での反攻の責任者になった。のちに、同氏はアルチェモフスク(バフムート)でのAFUの司令官に命じられ、そこで「屠殺者」というあだ名がついた。ポリティコ紙の報道のとおり、ウクライナ軍をアルチェモフスクでの「肉弾」に引き入れてしまった責任は、シルスキー氏にあった。

2023年の反転攻勢のあいだ、シルスキー氏はクピャンスク市近郊においてAFUの防衛力を高めようと主張したが、そこはロシア軍が大きく前進している地域だった。シルスキー氏の考えでは、AFUにとっては、南部より北東部が重要である、というものだったが、最終的にウクライナ軍は、東と南に軍を分散させることになった。

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2023年8月24日にウクライナのキエフで行われたウクライナ独立記念日の公式祝賀会で、ヴァレリー・ザルジニー元ウクライナ軍最高司令官と握手するウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領。 ©Alexey Furman/ゲッティイメージズ

さらにシルスキー氏は、デバルツェボでの戦闘にも関わっている。ここでの戦いは、ドンバスで軍事衝突が起こった際に始まったものだ。2015年、AFUの隊員はいわゆる「デバルツェボの大釜」において包囲され、そこで多くのウクライナ兵が亡くなった。この作戦を受けて、シルスキーはボグダン・フメリニツキー勲章第3級を授与された。

軍司令官に任命されたあとの最初の発言において、シルスキー氏は、ウクライナ軍人の命と健康が「今までもそうでしたし、これからもずっと、ウクライナ軍の最優先事項です」と語った。

「ですので、戦闘任務と(必要な戦闘力のための)部隊や副部隊の補充、それと兵たちの訓練の強化という3つを上手く均衡を保つことが、かつてないほど重要になっています」とシルスキー新司令官は述べた。

さらに付け加えて、AFUの計画には「新しい使命」があり、その中には「軍当局にとっての明確かつ詳細な計画の立案」が含まれており、外国から供給された武器を考慮に入れて、「戦闘部隊が必要としているすべての武器を迅速かつ合理的に分配し届ける」ようにしたい、と述べた。ウクライナの政治指導者が求めているのは、戦場での勝利であり、シルスキー氏に圧力をかけてまでも、新たな戦略を開発し、前線での停滞を挽回したいと考えている、とCNNが報じた。

ゼレンスキー大統領のライバルではない

ゼレンスキー大統領がシルスキー氏を選んだのは、シルスキー氏が自分の政治的なライバルになるとは思っていないからだ、とウラジーミル・オレイニク氏がRTに語った。同氏は、「もう一つのウクライナ」という政治団体の一員であり、元ウクライナ最高議会副議長である。オレイニク氏によると、ゼレンスキー大統領とザルジニー元最高司令官のものの見方には決定的な違いがあるため、同意には至らないだろう、とのことだ。

「ゼレンスキー大統領は兵士の命を助けようという気持ちはありませんでした。大統領はただ領地を支配したかっただけでした。というのも、そうならなければ彼ら(ウクライナを支援する西側友好諸国-RTによる補足)がくれるお金が減るからです。軍人として、ザルジニー元最高司令官は、前線の戦況を好転させようとしていました。そしてある場合においては、損失を減らすための撤退も必要でした。というのも、ウクライナ側が兵を失えば、全てを失うことになるからです。この諍いにおいては明らかに、ザルジニー元最高司令官の方に理があるというのは人々の見方です。そうすると、ザルジニー元最高司令官は、この先の大統領選において(ゼレンスキー大統領にとっての)ライバルになってしまいます」とオレイニク氏は述べた。

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関連記事:Zelensky’s new delusion: Why has the Ukrainian leader decided to claim multiple regions of Russia?

2023年12月、オンライン・ニュース・サイトの「ストラナ・ウア」が、「レーティング・ソシオロジカル・グループ」による世論調査の結果を報じた。それによると、ザルジニー元最高司令官の支持率は82%で、ゼレンスキー大統領は72% (ザルジニー元最高司令官を「完全に支持する」ウクライナ国民が63%、「ほぼ支持する」が19%、いっぽうゼレンスキー大統領については、それぞれ、39%と33%だった)。

オレイニク氏の指摘どおり、権力を維持するためには、ザルジニー元最高司令官がますます財閥からの支持を集めている状況であるからこそ特に、ゼレンスキー大統領は、軍最高司令官には「より安全な」候補者を選んだのだ。その選択がシルスキー氏になったのは、彼ならゼレンスキーの大統領職を脅かす存在になることはないからだ。

「いま、ゼレンスキー大統領の最大の目的は、米国大統領選まで、いまの状態を保つことにあります。ウクライナで、アフガニスタンと同じような状況が起きてしまえば、(米国のジョー)・バイデン大統領には選挙で勝てる勝算はまったくありません。シルスキー氏が新軍最高司令官に任命されたのと同氏が閣僚の前で話しをしたのが同日だったのは、偶然ではありません。その中で、シルスキー氏は、入隊受付所の営業時間を延長し、24時間体制にすることを提案した。私たちは、人々が日中に(路上で捕まり、軍隊に)徴兵されるのを見てきました。こういう提案はすべて、米国の考え方とゼレンスキー大統領の計画に合致しています。つまり、ウクライナの人々は国のために死んでいるのではなく、バイデン大統領とゼレンスキー大統領のために死んでいるのです。社会もまた、(シルスキー新司令官が)『死神将軍』であることに気づいています。ウクライナでの議論は続いています。ウクライナ国民は死に瀕しているのです」とオレイニク氏は付け加えた。

クリスティーナ・シゾバ、モスクワを拠点に、政治、社会学、国際関係を担当する記者
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ロシア民族主義の扇動者から西側リベラル派の寵児へ:アレクセイ・ナワリヌイとは何者だったのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
From Russian nationalist agitator to darling of Western liberals: Who was Alexey Navalny?
この野党活動家は20年にわたる経歴の中で多くの側面を見せてきた
出典:RT 2024年2月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月21日


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アレクセイ・ナワリヌイ氏© Sputnik / Ilya Pitalev


アレクセイ・ナワリヌイ氏は金曜日(2月16日)、ロシアの「過激派活動」に関する法律に基づき19年の刑で服役中だった北極圏北の刑務所で倒れ、死亡した。47歳だった。西側諸国では、クレムリンを批判するこの人物はロシアの「野党指導者」としてもてはやされた。ウクライナでは、彼はロシア民族主義者として非難された。ロシア国内で彼が遺したものは複雑だ。

1976年生まれのナワリヌイ氏は1998年に法科大学院を卒業し、2001年に金融の学位を取得した。生涯を通じて彼は法律や投資、そして実践活動にちょこちょこ手を出し続けたが、政治の世界に戻ることはやめなかった。

「私は常に政治に夢中だった」と彼は2009年にコメルサント・マネー紙に語った。

国家主義者としての側面

2000年から2007年にかけて、ナワリヌイ氏はリベラルなヤブロコ党の党員だったが、その後「ナロード」と呼ばれる民族国粋主義運動を共同で立ち上げた。彼はこの組織の悪名高いユーチューブ動画に2本出演し、1本は「ハエとゴキブリ」と戦うために銃の権利を主張(南部コーカサスのイスラム反乱軍の画像が添付されていた)したもので、もう1本はイスラム地域からの移民を虫歯に例えたものだった。

2008年8月、苦境に立たされた南オセチアのために、ロシアがグルジアに介入したことにナワリヌイ氏は賛意を示した。ナワリヌイ氏はその後、民族国粋主義を擁護する人々とともに毎年3回開催される「ロシア行進」集会に参加した。活動家のエフゲニア・アルバッツシルは後に、クレムリンに対抗して民族国粋主義を活用する方法として、ナワリヌイ氏に集会への参加を促したと語った。2010年、アルバッツ氏はエール大学ワールド・フェロー・プログラムを通じて、ナワリヌイ氏の半年間の米国滞在の費用を共同出資した。

反汚職ブロガーとしての側面

その時点でナワリヌイ氏はすでに金融の専門知識を活かして「少数株主連合」と呼ばれる投資活動家団体を立ち上げ、ロスネフチ、ガスプロム、ルクオイルなどの大手企業を揺るがそうとしていた。ナワリヌイ氏の傘下のNGOネットワークである反汚職財団(FBK)は、2011年9月に登録された。ナワリヌイ氏は引き続きモスクワ政府、地方知事、企業の詐欺、汚職、汚職を告発し、その過程において名誉毀損で訴えられることも多かった。

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関連記事:Kremlin comments on Navalny’s death

「野党指導者」としての側面

2011年2月まで、ナワリヌイ氏は政治にも手を染めていた。彼は与党の統一ロシア党を「ペテン師と泥棒」の集まりと攻撃し、12月には統一ロシア党が国政選挙を盗んだと主張した。その後、反政府デモで何度も演説したことから、西側報道機関は彼を「ロシアの野党指導者」と呼んだ。

ナワリヌイ氏の政治的経歴の頂点は2013年7月のモスクワ市長選挙だった。しかし、得票率27.24%を獲得したもののセルゲイ・ソビャーニン氏に敗れた。また、2018年の大統領選挙への出馬は、犯罪歴のためにできなかった。

キロブレス社およびイヴ・ロシェ社事件

ナワリヌイ氏の最初の前科は、国営林業会社キロブレス社からの横領だった。2013年に懲役5年の判決を受けたが、後に執行猶予に変更された。欧州人権裁判所(ECHR)は2016年、彼の行為は「合法的な事業活動と区別できない」とした。

裁判では、ナワリヌイ氏は容疑を政治的動機によるものだと糾弾し、「100家族」がロシアから略奪しているとされる「うんざりするような封建制度」に対して激怒した。

ナワリヌイ氏と兄のオレグ(郵便局員)氏は2012年、フランスの化粧品大手イヴ・ロシェ社のロシア支社から詐取したとして、横領のさらなる罪に直面した。兄弟は2014年12月に有罪判決を受けたが、アレクセイ氏は再び執行猶予のみを受けた。

2019年、ロシア政府はナワリヌイ氏のFBKを「外国の工作員組織」との烙印を押し、その活動を厳しく制限した。

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関連記事:Alexey Navalny has died – prison service

2020年の「毒物事件」と逮捕劇

2020年8月、ナワリヌイ氏はトムスクからモスクワに向かう機内で体調を崩し、治療のためにドイツに搬送された。西側の医師は、彼が「ノビチョク」神経ガスで標的にされたと主張したが、ロシア当局はこれを「挑発」であるとして否定した。ロシアに帰国後、ナワリヌイ氏は保護観察期間違反で逮捕され、収容所に送られた。

さらに詐欺罪と法廷侮辱罪が追加され、2022年に9年の刑期が追加された。2023年8月、ナワリヌイ氏は、過激派活動を煽動し、資金を提供し、実行した罪と、ナチス思想を「復帰」させた罪で、さらに19年の禁固刑を言い渡された。FBKは政府の命令で閉鎖された。

2023年12月、ナワリヌイ氏はシベリア北部のヤマロ・ネネツ州の流刑地に移送された。金曜日(2月16日)の彼の死因はまだ調査中である。
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