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戦争犯罪の罪に問われていた元セルビア大統領ミロシェビッは無罪だった!

<記事原文 寺島先生推薦>
Serbian leader Slobodan Milosevic Found Not Guilty of War Crimes
筆者:ジャン・ソビエスキー3世(Jan Sobieski III)
出典:コンサーバティブ・ペイパーズ(Conservative Papers) 2016年8月6日
ベルグラードから。
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月10日


ミロシェビイチ
無実のまま獄中死した、元ユーゴスラビア連邦共和国大統領ミロシェビッチ


 ハーグの旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)は、セルビアの故スロボダン・ミロシェビッチ大統領が1992年から95年にかけてのボスニア紛争で犯した戦争犯罪の責任はないと判断した。

 ボスニア・セルビア人ラドバン・カラジッチ元大統領に戦争犯罪の有罪判決を下し、禁固40年を言い渡した裁判部は、ボスニア紛争中、スロボダン・ミロシェビッチはイスラム教徒とクロアチア人を犠牲にする「共同犯罪組織」の一員ではなかったという驚くべき判決を全会一致で下した。

 また、セルビアの民族主義指導者であるヴォイスラヴ・シェシェリも、1990年代のユーゴスラビア紛争後の戦争犯罪と人道に対する罪の容疑に関しては無罪であるという驚くべき判決が出された。

 この評決は、3人の裁判官のうち過半数の2人の裁判官により出されたもので、検察側にとっても、紛争に巻き込まれた何千人ものイスラム教徒にとっても打撃となる判決となった。

 「ヴォイスラヴ・シェシェリは今や自由の身です」と、2014年に癌治療のためセルビアへの帰国を許可されたこのセルビア人政治家の逮捕状を無効とした後、裁判長のジャン=クロード・アントネッティは語った。

 旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所より最初の起訴者となったシェシェリ氏(61歳)は、裁判の評決に出廷しなかったが、その後の記者会見で、この決定は「法的側面から見て唯一ありえる判決結果」だったと語った。

 「無実のセルビア人が非人道的な処罰を受けた多くの訴訟の後、今回は2人の誠実な裁判官が、政治的圧力よりも名誉を重んじたことを示す判決だった」とシェシェリ氏は述べた。

 この判決により、2年前の選挙で残っていた議席をすべて失ったシェシェリ氏の急進党が、4月24日の選挙でセルビア議会に再び議員を送り込む可能性を高めるきっかけとなる可能性がある。

 強硬派の政治家であるシェシェリ氏は、セルビアに戻ってから健康状態が改善し、民族主義的なスローガンを唱えながら政治集会を開き、セルビアがEU加盟を目指すのをやめてロシアとの関係を強化するよう呼びかけている。

 この判決は、多くのセルビア人が抱いている、自分たちは国連法廷によって不当に標的にされているという印象を払拭する助けになるかもしれない。

 ハーグで、アントネッティ裁判官は評決を読み上げる際、検察側を痛烈に批判し、検察側は過剰で複雑な裁判を起こし、合理的な疑いの余地のないことを支持するような重要な点を立証できなかったと述べた。さらに同裁判官は、シェシェリ氏に28年の量刑を要求した検察側は、確たる証拠を提示することなく、大袈裟に話を広げた、と述べた。

 裁判官たちはまた、シェシェリ氏とその同盟者たちがクロアチア、ボスニア、セルビアの一部からイスラム教徒とクロアチア人の強制移送を組織したこと、そしてそれらの人々が単に紛争からの避難を求めていたのではないことを検察側が立証できなかったと判断した。

 シェシェリ氏らの逮捕は、国際司法の腐敗を露呈した茶番であった、ということだ。

 スロボダン・ミロシェビッチは、全ての西側諸国の報道陣と、事実上すべてのNATO諸国の政治家から中傷された。ミロシェビッチは、「バルカンの虐殺者」呼ばわりされ、ヒトラーと比較され、大量虐殺を起こしたとして非難された。さらに、その虚像を利用して、セルビアに対する経済制裁だけでなく、1999年のNATOによるセルビア空爆とコソボ戦争を正当化した。

 スロボダン・ミロシェビッチが、人生の最後の5年間を刑務所で過ごさなければならなくなったのは、このでたらめな戦争犯罪疑惑から自身とセルビアを守るためだった。それが今になって、その戦争は、ミロシェビィッチが止めようとしていたことが認められたのだ。戦争をめぐるミロシェビッチが直面した大虐殺を含む最も深刻な容疑は、すべてボスニアに関するものだった。ミロシェビッチの死後10年経った今、ICTYは彼が結局有罪ではなかったことを認めたのだ。

 ICTYは、ミロシェビッチの共同犯罪組織への関与を潔白とした事実を全く公表しなかった。ICTYは、2590ページからなるカラジッチ評決文の中の1303ページを使って、その事実をひっそりと記載していたのだ。こんな長文の判決文をおそらくほとんどの人が読む気にならないであろうことを十分わかった上でのことだ。

 スロボダン・ミロシェビッチが非常に疑わしい状況で死亡したことを思い出す価値がある。ミロシェビッチが心臓発作で死んだのは、ロシアでの心臓手術の要請を法廷が却下したわずか2週間後のことだった。彼が独房で死んでいるのを発見されたのは、彼の弁護士がロシア外務省に「毒殺される恐れがある」と書いた手紙を届けてから72時間も経たたないうちのことだった。

 彼の死に関する審判所の公式調査報告書で確認された事実は、「2006年1月12日にミロシェビッチ氏から採取された血液サンプルからはリファンピシンが検出された」というものだった。さらに、「ミロシェビッチ氏は2006年3月3日までその結果を知らされなかった。というのも、ファルケ医師(審判所の主任医務官)は、医療上の守秘義務に関するオランダの法的規定により、困難な法的立場に置かれていたからである」というものだった。

 ミロシェビッチの血液中にリファマイシン(処方箋なして買える薬品)が含まれていれば、彼が服用していた高血圧治療薬が効かなくなり、最終的に彼を死に至らしめた心臓発作になる危険性が高まる。法廷が、数カ月前からリファンピシンのことを知っていたのに、死の数日前までミロシェビッチに血液検査の結果を伝えなかった理由が、「オランダの医療機密に関する法的規定」にあるというのは、信じられないほどいい加減で、卑怯な言い訳だ。オランダの法律には、医師が自分の血液検査の結果を患者に伝えることを禁止する規定はない。それどころか、そのような情報を患者に伝えないことは、医療過誤とみなされる可能性さえある。

 このことから、地政学的に強力な権益を持つ者たちは、ミロシェビッチが無罪になり、自分たちの悪質な嘘が暴かれるのを見るよりは、裁判が終わる前に死んだ方がましだと考えているのではないか、という十分な根拠のある疑念が生まれる。ウィキリークスに流出した米国務省の公文書は、法廷がミロシェビッチの病状や医療記録について、本人の同意なしにハーグの米大使館員と話し合ったことを裏付けている。米大使館にミロシェビッチの医療カルテのことを話したとき、法廷は明らかに医療機密保護法を気にしていなかった。

 ミロシェビッチの死後約10年経って、彼が告発された最も重大な犯罪がこっそりとお咎なしだったと判断されたというのは、納得のいかない結果だ。ミロシェビッチの未亡人と遺児たちには最低でも金銭的な補償がなされるべきであり、セルビアに対しては、ミロシェビッチの犯罪「責任」を問うためにセルビアを処罰しようとした西側諸国政府が賠償金を支払うべきである。いまや法廷が、ミロシェビッチにはその戦争の責任はなく、実際は止めようとしていた、と判断したのだから。


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イスラエルは戦争でハマスには勝てない。ではこの先どうなる?

<記事原文 寺島先生推薦>
Israel can’t defeat Hamas in battle, so what’s next?
ガザの戦争が引き起こすことは、民間人の惨状だけ。その状況を米国はいつでも止めることが可能なのに・・・
筆者:ロバート・インラケシュ(Robert Inlakesh)
政治分析家、ジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督。パレスチナ自治区での取材・滞在経験を持ち、現在はクッズ・ニュースに所属。YouTube上のドキュメンタリー番組「Steal of the Century:Trump's Palestine-Israel Catastrophe」の監督。ツイッターは @falasteen47
出典:RT  2023年12月5日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月10日



2023年11月16日、イスラエル軍が公開した資料写真。イスラエルとパレスチナの過激派組織ハマスとの戦闘が続く中、ガザ地区での軍事作戦中の部隊の様子。@イスラエル軍 / AFP


 イスラエルとガザのパレスチナ武装勢力との間の戦争が7日間小康状態を保った後、敵対行為の再開が米国政府から再び許可された。同盟国のイスラエルを軍事的勝利に導けなかった米国は、戦況の危険な激化を容認し、これ以上の市民の被害を防ぐ平和的解決策を拒否している。

 アントニー・ブリンケン米国務長官がパレスチナ/イスラエルから去ったわずか数分後、ガザでの戦争が再開され、パレスチナの民間生活基盤施設に対する大規模な空爆が行われ、200人近い民間人が死亡した。ホワイトハウスのジョン・カービー報道官は、イスラエルの「ハマスの後を追う権利と責任」を引き続き支持すると発表したが、その目的は不明だ。エフード・バラック元イスラエル首相も、ハマスの崩壊は程遠いことを認めている。ではいったい、この戦争をおこなう意味はどこにあるというのだろうか?

 パレスチナ人2万人以上が死亡したと思われる6週間の戦争の後、イスラエル軍は、包囲された沿岸の飛び地にいるハマスと他のパレスチナ武装集団の軍事力に大きな打撃を与えたという証拠を何一つ提示できていない。イスラエルは、ハマスがガザ北部の主要な病院を基地や指揮統制センターとして使用していると主張し、その病院への侵入を強行したが、イスラエル国防軍(IDF)が提出した証拠は、こうした主張を裏付けるものではなかった。米国政府は、シファ病院に司令塔が存在するという考えを支持し、イスラエル軍が病院敷地内に入った際には、そこで発見したとする武器と空洞のトンネルを提示した。一般に公開されたこのような画像はイスラエル軍によって管理・編集されたものだが、もし独自に検証されれば、武装勢力の存在を示す証拠となりうる。が、指揮統制センターや指令拠点があったという証拠はまだ示されていない。他の病院でも気をつけるべきものはほとんど発見されておらず、イスラエルの主張を裏付ける確かな情報を持っているというアメリカの主張は、ジョー・バイデン米大統領が「テロリストが子どもの首をはねている写真を確認した」と発言し、ホワイトハウスが後に撤回したことを考えれば、疑わしいものである。


関連記事:Tara Reade: How long will Western warmongers keep feeding human lives to their narrative?

 この戦争が始まったとき、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は「ハマス粉砕」を宣言したし、米国も公式にその目的を支持した。しかし、ハマスがイスラエルに対して史上最大の打撃を与えただけでなく、イスラエル軍の攻撃からガザを防衛した無数の成功事例が文書として残っている。いまや全世界でパレスチナ国家の樹立について語られている。パレスチナ国家の樹立に関しては、アラブ諸国とイスラエルとの間の無条件の国交正常化協定が優先され、戦前は完全に放棄されていた構想だ。これに加えて、イスラエルによるガザ侵攻戦争の結果生じた状況のひとつとして考えられることは、占領地全域でハマスへの支持が飛躍的に高まったことだ。さらに、中東やイスラム世界では、ハマスの過激派は英雄視されていて、今回の行動は、勇敢な民族的抵抗として広く見られている。

 バイデン政権が中東政策の柱としていたサウジとイスラエルの国交正常化交渉は、サウジアラビア政府がイラン政府に接近している現在、水泡に帰している。イスラエルの世論調査の数値によれば、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はイスラエル国民の4%からしか信頼されておらず、最も信頼されている人物はイスラエル軍のダニエル・ハガリ報道官である、という。しかし、イスラエル国民から信頼されているハガリ報道官は、「リストの男」と揶揄され、ネットをざわつかせる人物に成り下がってしまった。それは同報道官が示した動画の中で、(病院の壁に貼られてあった)アラビア語で書かれたありふれたカレンダーを「テロリストのリスト」だと主張したからだ。同報道官が「リスト」だと言い張ったカレンダーを映した動画は、ハマスがランティシ小児病院で人質をとっている証拠を示すものになるはずだった。

 少なくとも10カ国がイスラエルから大使を引き揚げるか、イスラエルとの関係を停止した。ロンドンやワシントンDCのような首都では、これまで欧米で起きたことのない大規模な親パレスチナデモが続いている。このような状況は、ジョー・バイデンへの支持率の大幅な低下と相まって、米国が支援するガザでの戦争に災いをもたらすものだ。

 ホワイトハウスは、ガザ南部への侵攻を計画するイスラエル軍に一定の制限を加えていると主張するが、同時にイスラエルの行動を無条件で支持している。米国政府は、10月7日以降に起こったことに対していかなる責任も取らず、自分たちがついた嘘に対する謝罪もなく、戦略の変更もなく、ハマスの攻撃を容易にしたガザの状況を作り上げた米国側の責任も認めていない。

 今、本当に問われているのは以下のことだ。これから私たちはどこへ向かうのか?イスラエルはガザで無目的に戦い、何千人ものパレスチナ市民を殺し続け、ハマス敗北の兆しは見えず、国連のマーティン・グリフィス救援総長が「過去最悪」と評する人道状況はさらに悪化している。これらの要素をすべて深刻に受け止める一方で、イスラエルによるガザ攻撃が激化した場合、地域戦争が勃発する恐れもある。レバノンのヒズボラは現在、レバノン国境沿いで頻繁に戦闘を繰り広げており、イスラエルの軍事目標への攻撃範囲を拡大している。


関連記事:The Gaza truce is a sign that Hamas can’t be defeated

 イスラエルとハマスの間で行われた捕虜交換は、このパレスチナ組織と外交的な話し合いができる証となった。この交換はまた、イスラエルが何の罪もない女性や子どもたちを拘束していることを世界に知らしめることにもなった。解放されたイスラエルの民間人捕虜の大半は、解放時にハマスの戦闘員と笑顔で握手し、感謝の言葉を述べているところを撮影されているが、その体験について報道機関に直接語ることは封じられている。一方、パレスチナの女性や子どもたちは、イスラエルの獄吏の手によって受けた虐待、拷問、屈辱を語った。このような状況はイスラエル政府にとって、自国がハマスよりも罪が重く見せてしまうという、新たな広報上の大失敗となった。

 米国政府は戦争の運転席に座っている。いつでも紛争を終結させる力を持ちながら、この惨事を長引かせ続けている。戦闘行為の7日間の一時停止中、イスラエルの勝利を可能にするような有利な変化は何もなかった。ガザでの戦争に軍事的解決はあり得ない。米国は、パレスチナの人々に正義と自由が与えられるまで、この紛争は決して終わらないことを認識しなければならない。75年間、西側諸国の政府はパレスチナ人の苦しみを無視してきた。西側諸国は決して客観的な平和の仲介者ではなかった。暴力は暴力を生み、憎しみは憎しみを生む。パレスチナ人を単に殺害して服従させることは不可能だ。仮にハマスが敗北したとしても、彼らの仇を討ち、国家樹立のために戦う組織が今後さらに現れるだろう。国際社会が団結すれば、この連鎖を断ち切ることは可能だが、それには勇気が必要だ。
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私はイスラエル・ガザ間の戦争を2度体験したが、今回の戦争は最悪だ

<記事原文 寺島先生推薦>
“I Lived Through Two Israel-Gaza Wars. This One is the Worst.”
筆者:エバ・バートレット(Eva Bartlett)
出典:INTERNATIONALIST 360°   2023年12月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月10日




 
 イスラエルによるガザ全域への執拗な空爆が7週間続いた結果、11月23日時点(人道的停戦が発効する直前)の国連の控えめな推計によれば、ガザの飛び地で1万4800人以上が死亡し、その中には約6000人の子どもと4000人の女性が含まれていた、といいます。

 今回のイスラエルによるガザ攻撃は、イスラエルが2カ月足らずの間に4万トンもの爆薬を投下したという報告もあり、これまでで断トツにひどいものですが、イスラエルが過去15年にわたって、ガザのパレスチナ人に対して繰り返し攻撃を加えてきたことを今一度思い起こすことには価値があると言えます。

 2008年末から2013年3月までの数年間、ガザに住んでいた私は、イスラエルによる2度の大規模な攻撃(そして数年にわたる無数の小規模な攻撃)を目撃してきました。この記事において、私が目にし、記録したことを紹介し、ガザで起きているイスラエルによる恐ろしい戦争犯罪は、今に始まったことではないことを示したいと思います。

 2008年12月27日、イスラエルは「キャスト・リード」作戦の最初の数分間で、ガザに100発の爆弾を投下しました。シファ病院(ガザの中核病院)は、死者と負傷者を止むことなく受け入れていました。集中治療室の病床は埋め尽くされ、医師たちは、一人の患者が死ぬとすぐに、次の患者が空いた病床に入るという状況が続いている、と私に話してくれました。

 私は、ガザにいた国際的に活動する何人かの人々とともに、パレスチナの衛生兵と一緒に救急車に乗り、負傷者を探して病院に運ぶ活動への参加を決めました。私たちはそうしました。イスラエルがガザへのジャーナリストの立ち入りを禁止していることをよく知っていましたし、過去には、衛生兵や救急車がイスラエル軍の標的になったこともわかっていました。

 そのような光景は乗車直後に現れました。私が乗っていた救急車がイスラエル軍の狙撃兵に狙われ、少なくとも14発の銃弾のうちの1発が車の後部に命中して、1人の衛生兵が脚を負傷しました。



 この事件が起こったのは、2009年1月7日の「人道的停戦」の時間帯のことでした。ジュネーブ条約には、「負傷者を捜索、収容、搬送、治療する医療関係者は、いかなる状況においても保護され、尊重されるべきである」と明記されています。

 その数日前、イスラエル軍の砲撃で、私の知り合いで同行していた衛生兵のアラファ・アブド・アルダイムが亡くなりました。アラファは負傷したパレスチナ人を救助中で、救急車の後部に立っていましたが、フレシェット弾を含んだ砲弾を受けたのです。フレシェット弾は、何千もの小さな金属矢を広い弧を描くように噴射するように設計されており、負傷したり死亡したりする可能性が高くなる武器です。金属矢の鋭利な頭部は離脱するように設計されており、その矢を受けた人の体の内部の損傷が大きくなります。ボランティアの21歳の衛生兵も負傷し、足を裂傷しました。

 アラファが殺害された翌日、イスラエル軍は、家族や近隣住民が弔問に集まっていたこの地域に、2分以内に3回の砲撃をおこないました。この砲撃はまたもやフレシェット弾によるもので、妊娠中の若い母親を含むさらに6人の市民が死亡し、25人が負傷しました。

 イスラエル軍の地上侵攻が始まった1月3日の夜、当時私が拠点としていたジャバリヤの東にある赤新月社の派遣所に、砲弾が危険なほど近くまで飛んできました。そのとき私はその派遣所にいました。救急車の中ではありませんでした。翌朝まで危険すぎて立ち寄れなかったのですが、攻撃が終わる前に、戻って確認すると、救急車は機関銃の弾痕だらけで、砲撃で吹き飛ばされていました。

 救急車とその医療機器は、私が見た中でも最も貧弱なもので、供給されるものもイスラエルによる長期のガザ包囲と封鎖によって枯渇していました。衛生兵たちは、でこぼこ道を素早く走り、困っている人たちのところへ行き、ほとんど時間をかけずに人々を車に乗せ、イスラエル軍の標的にされるのを避けるために、逃げるように病院に向かいました。

 イスラエル軍はガザ侵攻第3週目にテル・アル・ハワ地区に侵攻した後、クッズ病院を繰り返し爆撃し、イスラエル軍の狙撃兵らは住宅地から逃げ惑うパレスチナ人を狙いました。私は、病院から市民を避難させ、シファ病院(空きはなかったのですが)に運ぶ救急車に同乗し、パレスチナ市民を救うために何度も行き来し、そのたびにイスラエル兵らに撃たれる危険にさらされました。

 2009年の戦争が終わるまでに、イスラエル軍は23人の衛生兵を殺害し、57人を負傷させ、少なくとも9台の救急車を破壊し、16台を損壊させました。私が知っているジャーナリストや衛生兵は、私を含めて誰も防護服を持っていませんでした。でも、イスラエルが私たちに投下していた大量の爆弾を考えれば、防護服があってもなくてもほとんど違いはなかったでしょう。

 ある晩、それまで目にしてきたことについてRTのインタビューに答えた直後のことでした。そのとき私はガザ北部の非常に危険な地域を走る救急車に乗っていました。救急車を降りて、ある建物に入った時、イスラエルが少なくとも7回、その建物を砲撃しました。私たちは、10段の階段を駆け降りて、ありがたいことに無傷ですみました。ちなみに、2021年には、イスラエルの空爆によって、同じ建物と別の建物が破壊されたのですが、その時は合わせて20の報道機関がその建物に入っていました。

 2008年から2009年にかけての戦争中、そして戦後、私は、自分の子どもたちがイスラエル兵に故意に殺されたというパレスチナ人の親たちの証言を数え切れないほど集めました。至近距離から撃たれた子どもたち、停戦期間中なのにドローンによる爆撃を受けた子どもたち、狙撃兵に撃たれた子どもたち。また、シファ病院では、切断された生存者の方々に会いましたが、この人たちは、自宅が白リン弾の砲撃を受け、家族6人が殺され、その中には生きたまま焼かれた乳児もいたそうです。私はその後も、この方々の話を追いかけ、さらに冷酷な詳細を知り、爆撃で破壊されたこの方々の家もこの目で見ました。イスラエル兵が壁に残したと思われる落書きには、憎悪あふれることばや、「次はもっと痛めつけるぞ」といった脅迫のことばも書かれていました。(その閲覧注意の画像はこちら

 この2ヶ月間、イスラエルは、安全な避難場所を求める避難民パレスチナ人を収容する国連が運営する学校を含む複数の学校を繰り返し空爆してきました。イスラエルは2009年1月にも同じことを繰り返しており、今回の戦争でも被害を受けたファフーラ学校を含む多くの国連が運営する学校を空爆しました。

 この3週間のイスラエル軍の空爆、そして2012年11月のイスラエル軍の作戦(私はガザ中心部のデイル・アル・バラの病院を拠点にしていた)で私が見聞きしたことについては、残念ながら何ページでも書き足すことができますが、少しでも簡潔にするためにここで止めますが、止まらなかったのは、2009年も2012年も、停戦直後のイスラエルによる爆撃と銃撃でした。

 しかし、イスラエルによる空爆作戦と同じくらい残酷なのが、16年以上にわたるガザ包囲網です。このことについてはこれまで長年、書いてきましたが、要約すると、貧困、食糧難、栄養失調、貧血、発育不良、糖尿病、治療可能な病気が治療されないまま放置され、95%が飲めない水(すでに2014年当時からそうでした)といった問題が生じてきました。

 今年11月24日、4日間の停戦が実施されました。この停戦は、イスラエルに収監されているパレスチナ人とハマスの人質との交換を可能にするためであり、また、ガザの人口240万人が数週間にわたって奪われていた食糧、水、燃料、医療援助の配送が切実に必要とされていたためです。しかし、当然のことですが、停戦が破られ、狙撃手らがパレスチナ市民に発砲したとの報告もありました。

 ガザ保健省によれば、停戦終了後の最初の1日で、100人以上のパレスチナ人が死亡したそうです。イスラエルが、約束どおりの「最強の一撃」を加え始めたからです。そして表向きは、その対象はハマスの民兵隊だとされていました。

 この2週間でガザに加えられた恐怖の全てのことの概要をここで全て述べることは不可能ですし、その必要もないでしょう。というのも、ソーシャルメディアやテレグラム・チャンネルには、そんなおぞましい光景で埋め尽くされているのですから。避難民が暮らす学校が再び爆撃を受け、難民キャンプの全区画が爆撃を受け、何万人もの避難民が暮らす病院や教会が爆撃を受け、住宅密集地に再び白リン弾が降り注がれている様子など、枚挙にきりがありません。

 私が強調したいのは、イスラエルがガザで戦争犯罪を犯していることは、私の心の中にも、また現地の状況を直接見てきた他の多くの国際的な記者やオブザーバーたちの心の中にも間違いないひとつの答えしかない、ということです。それはイスラエルがガザで戦争犯罪をおかしているということ、そしてその意図は、現実にはそうなっていないにせよ、大虐殺を起こすことにある、ということです。

 イスラエルがジェノサイドの定義を犯すのを、私たちは世界中で見守ってきました。「国家、民族、人種、宗教などの集団の全部または一部を破壊する意図がある」。大虐殺の専門家であるラズ・シーガルさんは、イスラエルの砲撃が始まってからわずか1週間後にこう書きました。イスラエルは無数の凶行を犯してきたのですから、そう取られても当然です。

 10月下旬、国連ニューヨーク事務所の国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)のクレイグ・モヒバー前事務局長が辞任したのは、抗議と嫌悪の意をあらわすためでした。モヒバーさんはこう語りました。「再びこのような虐殺行為が私たちの目の前で展開されることになるとは。そしてそのような行為を私たちが勤めている組織は止める力を持っていないようなのです。1980年代からパレスチナの人権を調査し、1990年代には国連人権助言者としてガザに滞在し、それ以前にもそれ以降にもガザへの人権改善を目指して活動してきたのですから、私個人にとってこの問題は、とても深い問題なのです。」

 モヒバーさんは、イスラエルによる「パレスチナ人民の大規模な虐殺......イスラエル政府および軍の指導者たちによる明確な意思表明と相まって、今回の件はまさに大虐殺の事例であることに疑いの余地はありません」と明言しました。
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