「激戦地バフムート」の再来:ウクライナがお馴染みの手に引っかかった顛末
<記事原文 寺島先生推薦>
The Return of the ‘Bakhmut Meat Grinder’: How Ukraine Fell Back into a Familiar Trap
出典:インターナショナリスト 360° 2023 年9月21日
筆者:ウラジスラフ・ウゴルヌイ(Vladislav Ugolny)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年9月25日

ウクライナ側は、アルチョモフスク近郊の「戦略的に重要な」村をいくつか占領したと主張している。これは前線の状況にとって何を意味するのだろうか?
ザポリージャ方面へのウクライナの反撃はここ数カ月の間、事実上停滞しているが、同国軍は前線の東部ではある程度の前進を見せている。2022年8月に始まったアルチョモフスク(バフムートという名でも知られる)の攻防は、ロシア軍が今年5月に同市を完全に解放したにもかかわらず、続いている。
ウクライナ側が仕掛けようとしてきた4ヶ月間の反撃攻勢は戦果が得られなかったが、9月にウクライナ軍(AFU)はついに荒廃したアンドレーエフカ村とクレシチェエフカ村に入った。この2村は悪名高い「激戦地バフムート」の南東に位置する。ウクライナ側がこれらの入植地を支配下に置く必要があるのは、アルチョモフスクに向けて新たな攻撃を加え、ウクライナ側の優勢を挽回している姿を示すためだ。ウクライナ側の敗北という報道を受けたあとだからだ。
しかし、ロシアの撤退について話すのはまだ時期尚早だ。この地域での戦闘は続いており、モスクワ軍はアルチョモフスク・ゴルロフカ間の鉄道線沿いの防衛線を守っている。この戦いの結果によって、ウクライナが前回の失敗を晴らすことができるかどうかが決まる。
未完の物語
アルチョモフスク近郊におけるAFUの作戦は、主力による反撃が始まる1か月前に開始された。5月10日、戦闘がまだ激化している中、市内ではウクライナ軍がその側面に到達しようとした。ロシア軍司令部は、攻撃によって封鎖が解除され、市内への襲撃が混乱するのではないかと懸念していたが、5月20日、同市はロシア軍の完全な管理下に落ちた。
ウクライナ当局がアルチョモフスクの損失を決して公式に認めなかったという事実はあったが、米国の「戦争研究所」は、5月23日、ウクライナ参謀本部が2022年12月以来初めて状況報告書でアルチョモフスク都市のことに触れなかった点を指摘した。
5月末、ロシア軍の大規模な再配置が行なわれ、私設部隊と義勇兵部隊を正規軍部隊に置き換える中、ウクライナ軍は市の側面で反撃を続けた。それはロシア側の新たな防衛軍が、戦闘経験が豊富な以前の軍よりも弱く、回復力が劣っていることが判明することを期待してのことだった。
夏の初めまでに、AFUはアルチョモフスク周辺に第3および第5強襲旅団、第80航空強襲旅団、第22および第24機械化旅団、国民軍の「リュート(激怒)」強襲旅団を含む強力な部隊を集中させた。これらの部隊は全て反撃軍の南側にあった。いっぽう北側面に集結した兵力はやや弱く、第77航空機動旅団、第57自動車旅団、第60機械旅団と第92機械旅団が含まれていた。
ウクライナの夏の反撃
6月7日、ウクライナのハンナ・マリャル国防次官は、AFUがアルチョモフスク近郊で防御戦術から攻撃戦術に切り替え、さまざまな地域で最大1100メートルを占領した、と主張した。その後も同様の報告が繰り返されたが、夏の終わりまでにウクライナ軍はまだ一つの入植地も占領できなかった。AFUはまた、夏の間はアルチョモフスクの両側面を攻撃せず、代わりに南方向に集中することを決定した。北部ではロシア軍が局地的な反撃を開始し、失なわれた陣地の一部を取り戻した。
前線のこの部分の状況により、ロシアはドンバスでの計画の変更を余儀なくされた。マリンカ近郊の150電動ライフル師団のいくつかの部隊がアルチョモフスクに移管された。これにより、ほぼ毎日砲撃が行なわれていたドネツクからAFUを追い払うというロシア側の任務が遅れた。空挺部隊や主にサッカーとアイスホッケーのファンで構成されている「エスパニョーラ」義勇旅団などの他の部隊もアルチョモフスクに移送された。
夏の間、AFUはセヴェルスキー・ドネツ・ドンバス運河の左岸沿いの防衛線からロシア軍を遠ざけることに成功し、反撃の前線を大幅に拡大した。AFUは当初クレシチェエフカ村に脅威を与えただけだったが、7月には戦闘がアンドレーエフカ村とクルデュモフカ村にも迫っていた。
この地域での戦闘は南部戦線とほぼ同じくらい激しかった。ロシアは数人の指揮官を失なった。その中には、2014年春からウクライナと戦ってきたルガンスク民兵組織の部隊「プリズラク」(幽霊)大隊の1人も含まれていた。なお、この大隊は2023年にロシア軍に統合された。
「プリズラク」大隊を含む第2軍団の第4旅団は5月にアルチョモフスクに移管され、ワグナー民間軍事会社の部隊と置き換えられた。この旅団は当時ウクライナ軍の陣地の中心だったクレシチェエフカ村近くの防御陣地を占領した。またAFUも村の周囲のいくつかの支配的な高台を占領することに成功し、この村は一種の「グレーゾーン」になった。
9月までにロシア軍はアルチョモフスク・ゴルロフカ鉄道線の東側に防御施設を構築した。その西では、ロシア軍が鉄道線近くのウクライナ軍の配置を防ぐためにアンドレーエフカ村とクレシチェエフカ村を制圧した。
ロシアの防衛線の重要性
この鉄道線路の東では、高地がバフムトカ川の流れによって形成された低地に変わる。ここでのウクライナ軍の目標は、アルチョモフスクに圧力をかけ、ロシア軍を市の南東に押し込むことを可能にする高台を占領することであった。
ウクライナはアルチョモフスクの補給路に対する射撃管制を確立したと主張しているが、これが実際に実現するにはAFUはさらに東に移動する必要があるだろう。ウクライナ軍が接近したアルチョモフスク・ゴルロフカ間の高速道路は物資補給には使用されていない。ウクライナのオープンソース・インテリジェンス(OSINT)内の組織「ディープ・ステート」によると、ロシア軍はアルチョモフスク・デバルツェボ高速道路(南側)やアルチョモフスク・ポパスナヤ高速道路(アルチョモフスクとその北側)を経由して補給を受けている、という。

もしウクライナがクレシチェエフカとアンドレーエフカ、そしてその周囲の高地の制圧を確立できれば、AFUはロシア軍の現在の防衛線に到達できるだろう。いつかそうなるかもしれないが、ロシア軍にとっては、ウクライナ軍を鉄道からできるだけ遠ざけるのが最善だ。敵が突破に成功した場合、次の防衛線はバフムトカ川東岸沿いにしか設置できなくなるからだ。
9月の戦い
アルチョモフスク近郊で反撃を開始してから4か月後、ウクライナ軍はクレシチェエフカ村の一部を占領し、アンドレーエフカ村に迫った。この間、ロシア軍は、アルチョモフスクやその他の地域に向けてFPVドローンの使用を大幅に増加させた。9月17日夜、ウクライナのアレクサンドル・シルスキー将軍が クレシチェエフカ村を完全に掌握したと発表し、村の中心部に立つウクライナ軍の写真がネット上に掲載された。同じ夜、ウラジミール・ゼレンスキー大統領は、ウクライナ軍が戦果を上げた可能性について発言した。
従軍記者のアンナ・ドルガレワ記者は これらの発言に反論し、ロシア軍は村北部の陣地を維持している、と述べた。村の北部がウクライナ軍に支配されていたことを示す物証もなかった。9月18日、ロシア国防省は、クレシチェエフカ村付近でのAFUからの攻撃の撃退に成功した、と報告した。
ロシア軍は鉄道近くの主要防衛線を維持しているが、鉄道の西側の支配地域は徐々に縮小している。ロシア軍は、AFUがクレシチェエフカ村に足がかりを築くのを阻止するために一連の反撃を開始したが、村の支配は依然として双方に分かれていた。すなわち、北部は主にロシア軍が支配し、南部はウクライナ側の支配下にあった。
9月14日、ウクライナのマリャル国防次官は、アンドレーエフカ村がウクライナ軍に占領されたと報告する勇み足を踏んでしまい、母国で政治家や報道関係者、軍関係者らからの批判の波を引き起こした。事件後、最高議会のアレクセイ・ゴンチャレンコ副首相は国民に対し、マリャル次官が出した投稿を読まないよう勧告した。同次官はすぐに発言を撤回し、情報源の間でのやり取り不具合があった、と釈明した。その後、マリャル次官はアンドレーエフカ村で戦闘が続いていることを認め、AFUはうまく機能していると主張した。その後、アンドレーエフカ村の廃墟の中に立つウクライナ軍の映像がネット上に掲載された。
同じ罠にはまってしまう
アルチョモフスク近郊で新たな反撃を開始することは、ウクライナにとって名誉挽回になる。というのも、報道機関にチヤホヤされていた「バフムート要塞」が陥落したあとのことだったからだ。バフムートを奪回できれば先日の痛ましい敗北をなかったことにできる可能性があり、そのためゼレンスキーは最高の将軍の一人であるシルスキー将軍と、第3強襲旅団や第80空挺強襲旅団などの精鋭部隊をアルチョモフスクに移したのだ。
西側の専門家や当局者らは、アルチョモフスク地域で続く「肉弾戦」の戦いを批判してきた。春には、これら西側勢力は、ウクライナ当局に対し、消耗しつつあったバフムートの防衛を放棄し、その代わりにザポリージャ地方での反撃の準備をするよう繰り返し勧告していた。
ゼレンスキー大統領がこの助言に従おうとしなかったことが、反撃が遅れた理由の一つであり、メリトポリ方面とブレメフスキー突出地域への進展がこれほど遅かった理由の一つでもあった。夏になっても西側の専門家らはウクライナの戦略を批判し続け、アルチョモフスク以南の反撃を放棄し、代わりに前線の南部に兵力を移すよう促していた。
総体的に言って、アルチョモフスクと南部での反撃の過程でウクライナ軍が直面する問題は似ている。AFUはロシアの防衛を突破するのに十分な兵力と手段を持っていない。その結果、戦闘は装甲車両、大砲、そしてロシアの場合は航空によって遠くから支援された歩兵部隊同士の「血で血を洗う激戦地」と化した。アルチョモフスク近郊へのAFUの進軍は、同市を占領した際のロシア軍の進軍よりもはるかに遅い。それでも、ロシアが完全な支配を確立するまでに10か月かかった。現在、ウクライナの反撃は開始以来、既に4か月以上が経過している。
ウクライナ軍司令部は、ロシア軍を粉砕して重大な変化を達成できるような迅速な勝利を期待することはできない。また、もしウクライナ軍が前進を止めればロシア軍が主導権を握ることになるため、アルチョモフスク付近の部隊を別の方向に移動させることもできない。戦術的に見ると、このような状況は既にベルホフカ付近で起こっている。そのときも、AFUは北側面への前進を拒否し、南方向に集中していた。
むしろ、アルチョモフスク付近で前進することはウクライナ軍に損害を与えるだけだ。この方向へ前進する代償は日に日に増大しているが、本当の成功を収める可能性は依然として最小限にとどまっている。しかしウクライナ側は、最初の「激戦地バフムート」での失敗から学ぶどころか、同じ罠にはまり続けている。
The Return of the ‘Bakhmut Meat Grinder’: How Ukraine Fell Back into a Familiar Trap
出典:インターナショナリスト 360° 2023 年9月21日
筆者:ウラジスラフ・ウゴルヌイ(Vladislav Ugolny)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年9月25日

ウクライナ側は、アルチョモフスク近郊の「戦略的に重要な」村をいくつか占領したと主張している。これは前線の状況にとって何を意味するのだろうか?
ザポリージャ方面へのウクライナの反撃はここ数カ月の間、事実上停滞しているが、同国軍は前線の東部ではある程度の前進を見せている。2022年8月に始まったアルチョモフスク(バフムートという名でも知られる)の攻防は、ロシア軍が今年5月に同市を完全に解放したにもかかわらず、続いている。
ウクライナ側が仕掛けようとしてきた4ヶ月間の反撃攻勢は戦果が得られなかったが、9月にウクライナ軍(AFU)はついに荒廃したアンドレーエフカ村とクレシチェエフカ村に入った。この2村は悪名高い「激戦地バフムート」の南東に位置する。ウクライナ側がこれらの入植地を支配下に置く必要があるのは、アルチョモフスクに向けて新たな攻撃を加え、ウクライナ側の優勢を挽回している姿を示すためだ。ウクライナ側の敗北という報道を受けたあとだからだ。
しかし、ロシアの撤退について話すのはまだ時期尚早だ。この地域での戦闘は続いており、モスクワ軍はアルチョモフスク・ゴルロフカ間の鉄道線沿いの防衛線を守っている。この戦いの結果によって、ウクライナが前回の失敗を晴らすことができるかどうかが決まる。
未完の物語
アルチョモフスク近郊におけるAFUの作戦は、主力による反撃が始まる1か月前に開始された。5月10日、戦闘がまだ激化している中、市内ではウクライナ軍がその側面に到達しようとした。ロシア軍司令部は、攻撃によって封鎖が解除され、市内への襲撃が混乱するのではないかと懸念していたが、5月20日、同市はロシア軍の完全な管理下に落ちた。
ウクライナ当局がアルチョモフスクの損失を決して公式に認めなかったという事実はあったが、米国の「戦争研究所」は、5月23日、ウクライナ参謀本部が2022年12月以来初めて状況報告書でアルチョモフスク都市のことに触れなかった点を指摘した。
5月末、ロシア軍の大規模な再配置が行なわれ、私設部隊と義勇兵部隊を正規軍部隊に置き換える中、ウクライナ軍は市の側面で反撃を続けた。それはロシア側の新たな防衛軍が、戦闘経験が豊富な以前の軍よりも弱く、回復力が劣っていることが判明することを期待してのことだった。
夏の初めまでに、AFUはアルチョモフスク周辺に第3および第5強襲旅団、第80航空強襲旅団、第22および第24機械化旅団、国民軍の「リュート(激怒)」強襲旅団を含む強力な部隊を集中させた。これらの部隊は全て反撃軍の南側にあった。いっぽう北側面に集結した兵力はやや弱く、第77航空機動旅団、第57自動車旅団、第60機械旅団と第92機械旅団が含まれていた。
ウクライナの夏の反撃
6月7日、ウクライナのハンナ・マリャル国防次官は、AFUがアルチョモフスク近郊で防御戦術から攻撃戦術に切り替え、さまざまな地域で最大1100メートルを占領した、と主張した。その後も同様の報告が繰り返されたが、夏の終わりまでにウクライナ軍はまだ一つの入植地も占領できなかった。AFUはまた、夏の間はアルチョモフスクの両側面を攻撃せず、代わりに南方向に集中することを決定した。北部ではロシア軍が局地的な反撃を開始し、失なわれた陣地の一部を取り戻した。
前線のこの部分の状況により、ロシアはドンバスでの計画の変更を余儀なくされた。マリンカ近郊の150電動ライフル師団のいくつかの部隊がアルチョモフスクに移管された。これにより、ほぼ毎日砲撃が行なわれていたドネツクからAFUを追い払うというロシア側の任務が遅れた。空挺部隊や主にサッカーとアイスホッケーのファンで構成されている「エスパニョーラ」義勇旅団などの他の部隊もアルチョモフスクに移送された。
夏の間、AFUはセヴェルスキー・ドネツ・ドンバス運河の左岸沿いの防衛線からロシア軍を遠ざけることに成功し、反撃の前線を大幅に拡大した。AFUは当初クレシチェエフカ村に脅威を与えただけだったが、7月には戦闘がアンドレーエフカ村とクルデュモフカ村にも迫っていた。
この地域での戦闘は南部戦線とほぼ同じくらい激しかった。ロシアは数人の指揮官を失なった。その中には、2014年春からウクライナと戦ってきたルガンスク民兵組織の部隊「プリズラク」(幽霊)大隊の1人も含まれていた。なお、この大隊は2023年にロシア軍に統合された。
「プリズラク」大隊を含む第2軍団の第4旅団は5月にアルチョモフスクに移管され、ワグナー民間軍事会社の部隊と置き換えられた。この旅団は当時ウクライナ軍の陣地の中心だったクレシチェエフカ村近くの防御陣地を占領した。またAFUも村の周囲のいくつかの支配的な高台を占領することに成功し、この村は一種の「グレーゾーン」になった。
9月までにロシア軍はアルチョモフスク・ゴルロフカ鉄道線の東側に防御施設を構築した。その西では、ロシア軍が鉄道線近くのウクライナ軍の配置を防ぐためにアンドレーエフカ村とクレシチェエフカ村を制圧した。
ロシアの防衛線の重要性
この鉄道線路の東では、高地がバフムトカ川の流れによって形成された低地に変わる。ここでのウクライナ軍の目標は、アルチョモフスクに圧力をかけ、ロシア軍を市の南東に押し込むことを可能にする高台を占領することであった。
ウクライナはアルチョモフスクの補給路に対する射撃管制を確立したと主張しているが、これが実際に実現するにはAFUはさらに東に移動する必要があるだろう。ウクライナ軍が接近したアルチョモフスク・ゴルロフカ間の高速道路は物資補給には使用されていない。ウクライナのオープンソース・インテリジェンス(OSINT)内の組織「ディープ・ステート」によると、ロシア軍はアルチョモフスク・デバルツェボ高速道路(南側)やアルチョモフスク・ポパスナヤ高速道路(アルチョモフスクとその北側)を経由して補給を受けている、という。

もしウクライナがクレシチェエフカとアンドレーエフカ、そしてその周囲の高地の制圧を確立できれば、AFUはロシア軍の現在の防衛線に到達できるだろう。いつかそうなるかもしれないが、ロシア軍にとっては、ウクライナ軍を鉄道からできるだけ遠ざけるのが最善だ。敵が突破に成功した場合、次の防衛線はバフムトカ川東岸沿いにしか設置できなくなるからだ。
9月の戦い
アルチョモフスク近郊で反撃を開始してから4か月後、ウクライナ軍はクレシチェエフカ村の一部を占領し、アンドレーエフカ村に迫った。この間、ロシア軍は、アルチョモフスクやその他の地域に向けてFPVドローンの使用を大幅に増加させた。9月17日夜、ウクライナのアレクサンドル・シルスキー将軍が クレシチェエフカ村を完全に掌握したと発表し、村の中心部に立つウクライナ軍の写真がネット上に掲載された。同じ夜、ウラジミール・ゼレンスキー大統領は、ウクライナ軍が戦果を上げた可能性について発言した。
従軍記者のアンナ・ドルガレワ記者は これらの発言に反論し、ロシア軍は村北部の陣地を維持している、と述べた。村の北部がウクライナ軍に支配されていたことを示す物証もなかった。9月18日、ロシア国防省は、クレシチェエフカ村付近でのAFUからの攻撃の撃退に成功した、と報告した。
ロシア軍は鉄道近くの主要防衛線を維持しているが、鉄道の西側の支配地域は徐々に縮小している。ロシア軍は、AFUがクレシチェエフカ村に足がかりを築くのを阻止するために一連の反撃を開始したが、村の支配は依然として双方に分かれていた。すなわち、北部は主にロシア軍が支配し、南部はウクライナ側の支配下にあった。
9月14日、ウクライナのマリャル国防次官は、アンドレーエフカ村がウクライナ軍に占領されたと報告する勇み足を踏んでしまい、母国で政治家や報道関係者、軍関係者らからの批判の波を引き起こした。事件後、最高議会のアレクセイ・ゴンチャレンコ副首相は国民に対し、マリャル次官が出した投稿を読まないよう勧告した。同次官はすぐに発言を撤回し、情報源の間でのやり取り不具合があった、と釈明した。その後、マリャル次官はアンドレーエフカ村で戦闘が続いていることを認め、AFUはうまく機能していると主張した。その後、アンドレーエフカ村の廃墟の中に立つウクライナ軍の映像がネット上に掲載された。
同じ罠にはまってしまう
アルチョモフスク近郊で新たな反撃を開始することは、ウクライナにとって名誉挽回になる。というのも、報道機関にチヤホヤされていた「バフムート要塞」が陥落したあとのことだったからだ。バフムートを奪回できれば先日の痛ましい敗北をなかったことにできる可能性があり、そのためゼレンスキーは最高の将軍の一人であるシルスキー将軍と、第3強襲旅団や第80空挺強襲旅団などの精鋭部隊をアルチョモフスクに移したのだ。
西側の専門家や当局者らは、アルチョモフスク地域で続く「肉弾戦」の戦いを批判してきた。春には、これら西側勢力は、ウクライナ当局に対し、消耗しつつあったバフムートの防衛を放棄し、その代わりにザポリージャ地方での反撃の準備をするよう繰り返し勧告していた。
ゼレンスキー大統領がこの助言に従おうとしなかったことが、反撃が遅れた理由の一つであり、メリトポリ方面とブレメフスキー突出地域への進展がこれほど遅かった理由の一つでもあった。夏になっても西側の専門家らはウクライナの戦略を批判し続け、アルチョモフスク以南の反撃を放棄し、代わりに前線の南部に兵力を移すよう促していた。
総体的に言って、アルチョモフスクと南部での反撃の過程でウクライナ軍が直面する問題は似ている。AFUはロシアの防衛を突破するのに十分な兵力と手段を持っていない。その結果、戦闘は装甲車両、大砲、そしてロシアの場合は航空によって遠くから支援された歩兵部隊同士の「血で血を洗う激戦地」と化した。アルチョモフスク近郊へのAFUの進軍は、同市を占領した際のロシア軍の進軍よりもはるかに遅い。それでも、ロシアが完全な支配を確立するまでに10か月かかった。現在、ウクライナの反撃は開始以来、既に4か月以上が経過している。
ウクライナ軍司令部は、ロシア軍を粉砕して重大な変化を達成できるような迅速な勝利を期待することはできない。また、もしウクライナ軍が前進を止めればロシア軍が主導権を握ることになるため、アルチョモフスク付近の部隊を別の方向に移動させることもできない。戦術的に見ると、このような状況は既にベルホフカ付近で起こっている。そのときも、AFUは北側面への前進を拒否し、南方向に集中していた。
むしろ、アルチョモフスク付近で前進することはウクライナ軍に損害を与えるだけだ。この方向へ前進する代償は日に日に増大しているが、本当の成功を収める可能性は依然として最小限にとどまっている。しかしウクライナ側は、最初の「激戦地バフムート」での失敗から学ぶどころか、同じ罠にはまり続けている。
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