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ウクライナ軍とロシア軍の戦力は? 秋の戦いが近づく

<記事原文 寺島先生推薦>
Assessment of the Ukraine and Russian Armies as Fall Battles Approach
筆者:ヴラディスラヴ・ウゴルニイ (Vladislav Ugolny)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年9月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月11日


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 過去3ヶ月にわたり、世界中のメディアは、鳴り物入りのウクライナ反転攻勢を注視してきた。しかし、特筆すべき出来事は何も起こらなかった。キエフの武装部隊は、ロシアの防衛線に到達すると、甚大な死傷者と西側から供与された装備を破壊されることを代償に、戦略的にまったく価値のないいくつかの村を占拠できた。ロシアと言えば、この期間、防御戦術を優先した。しかし、ある方面では積極的攻撃もおこなっていた。

 この夏、前線で何が起こったのか、そしてどちらの側も大きな成功を収めることができなかったのはなぜか? また、秋の作戦が近づくにつれ、両軍はどのような状況にあるのか?

反転攻勢戦術の方向転換

 ウクライナのザポロージャ州とドネツク人民共和国(DPR)での反転攻勢は、現在2か月半以上続いている。この期間に、キエフの軍隊は、現在の戦闘が焦点としているラボティーノ村の東側にある狭い地域で、ロシアの3つの防衛線の最初の防衛線に到達することができた。ウクライナはこの前進を達成するためにほぼすべての作戦的および戦略的な予備力動員を余儀なくされた。

 6月に数々の損失を被った後、ウクライナ指導部は大規模な機械化部隊を前進させる戦術を放棄することを決定した。代わりに、歩兵の突撃作戦を展開し、装甲車両と砲兵がそれを支援した。これはアルテモフスク(バフムート)でロシア軍が使った戦略に似ている。

 このウクライナの決定は、反撃のペースを大幅に遅らせ、アゾフ海に到達するという戦略的目標を葬り去ることになった。しかし、この戦略により、徐々に南方および南東方向に前進し続けることが可能になった。

 その結果、8月中旬までに、ウクライナ軍はラボティ―ノに進入(市街戦となった)し、ヴレメフスキ台地にある2つの村、スタロマイオルスコエとウロジャイノエを占拠した。ラボティーノの東においても、ウクライナ軍はロシアの最初の防衛線に到達することができた。

専門家の議論

 この進攻の遅さに西側とウクライナの専門家たちは失望した。そして勝利で終わるはずだった反転攻勢の失敗の責任を追及し始めた。支配的な意見は、ロシア軍が昨秋の逆境から回復し、地雷原や、頑強な歩兵、砲兵、航空、ヘリコプターなどを備えた効果的な防衛線を構築しており、それが過小評価されていたというものだ。
しかし、ウクライナの失敗に関しては、箸にも棒にも掛からないような理由もいくつか取り沙汰された。たとえば、イギリスの情報機関は、ウクライナ軍の不運を低木と雑草のせいにしたり、ウクライナの国防次官アンナ・マリャールは、82旅団の損失について書いたジャーナリストたちを攻撃したりした。

 さらに、双方の非難合戦もあった。西側の専門家たちは、ウクライナ軍の部隊の効果的な運用統制ができていないと非難した。ウクライナ側は、提供された支援が不十分で遅すぎると指摘した。あるとき、軍の最高司令官であるヴァレリー・ザルージニーは、アメリカ人は①現在の戦争の本質を理解していない、②自分たちの経験を現在の戦争にあてはめようとしている、ということすら口にした。ザルージニー自身は、今回の作戦は1943年のクルスク戦の方が似ていると主張した

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ロボティーノを目指す戦い

 時間の経過とともに、ウクライナ陸軍はラボティーノでの戦闘にますます多くの新部隊をつぎ込んでいった。最初は46空挺旅団と47機械化旅団が反撃を行なっていたが、最終的にウクライナは116、117、118機械化旅団、国家警備隊の部隊、71イエーガー旅団、1戦車旅団を動員し、マリン特殊作戦センターの特殊部隊を含む多くの分遣隊も投入せざるを得なくなった。最後に、8月中旬にウクライナは、切り札として、アメリカ製のストライカー装甲戦闘車、ドイツ製のマルダー歩兵戦闘車、イギリス製のチャレンジャー戦車を装備した82空挺旅団を導入した。

 当初、ウクライナがロシアの第一防衛線を突破した後、さらなる成果を挙げるために82空挺旅団が戦闘に参加する予定だった。しかし、キエフの失敗により、この旅団は当初の計画より早く投入され、最初の損失を被ることになった。それにもかかわらず、ウクライナ陸軍はラボティーノに到達し、ロシア軍を村の南の郊外に押しやり、またラボティーノの南東に進攻し、ロシアの側面に脅威をもたらした。

 ウクライナの独立記念日である8月24日までに、ウクライナのジャーナリストや軍事ブロガーは、その村がウクライナ陸軍の完全な支配下にあると宣言したが、公式の発表はない。2023年8月26日現在、戦闘は継続しており、両側が損失を被り、追加の部隊を動員している。

ヴァシレフカ戦線

 6月に、ウクライナ軍はロシアが支配するヴァシレフカ方向に進軍しようとした。ヴァシレフカは、カホフカ貯水池近くに位置している。ウクライナ軍は第128山岳突撃旅団と第65機械化旅団を動員し、ロシア軍をロブコヴォエとピャーチカトキという村から追い出した。しかし、相当な損失を被った後、ウクライナは積極的な突撃作戦を行なわず、示威的攻撃にとどまった。

 この(ウクライナ側の)成功があったのでかえって、ロシア軍はこの方向に配置されている一部の部隊を動員して、ラボティーノ地域の防衛を強化することができた。

ヴレメフスキ台地

 ウクライナ軍は、その海兵隊を完全にこの方向に集中させた。砲兵を強化した4つの旅団が含まれており、その中には第23および第31機械化旅団、第1および第4戦車旅団の部隊、そして地域防衛部隊と航空部隊も含まれている。


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ロシア軍によって破壊されたウクライナのレオパルド2戦車とブラッドレー戦闘車両© Telegram / ロシア国防省

 レヴァドノエ-ラヴノポル-マカロフカをつなぐ線を占拠した後、ウクライナ軍は1か月半にわたり、スタロマヨルスキーとウロジャイノエの側面に沿って野原を前進した。最終的に、この前進によりキエフはロシア軍をその地域から撃退し、スタロムリノフカに脅威をもたらした。

 ウクライナのメディアは、この村の戦略的重要性を誇張し、それをこの地域におけるロシアの防衛の主要拠点と呼んでいる。しかし、ロシア軍の第一防衛線がスタロムリノフカのかなり南にある「運用深度」に位置しているという事実を無視している。この村は確かにいくつかの重要な通路の交差点に位置しているが、ロシア軍はこの地域にいくつかの補給路を持っている。

ウクライナ反転攻勢の結果

 OSINT*のLostarmourによれば、ウクライナ軍は夏の反転攻勢の過程で、約46両のマクスプロ装甲戦闘車両や37両のブラドレー戦車、8両のレオパルド戦車、および3両のストライカー工兵型装甲車などを失なったとされている。これらは西側の装甲車両の視覚的に確認されたものだけに過ぎない。ラボティーノ地区にはいくつかの戦車の墓地があり、その数は増え続けている。スタロマヨルスキーでは、31両のウクライナの装甲車両が燃え上がり破壊されたと報告されている。これには近隣の戦闘の過程での損失には含まれていない。
*Open Source Intelligence。合法的に入手できる資料を調べて突き合わせる手法である。オープン・ソース・インベスティゲーションと呼ばれる事もある。 1980年代から諜報・諜報活動で用いられるようになってきた。 (ウィキペディア)

 ウクライナ軍における武器の統一不足とそれにともなう供給、保守、損傷した装備の修復に関連する問題があるので、機甲部隊の数は減少している。(ウクライナ)軍は現在、西側の同盟国からの装甲車両や装備の供給に完全に依存している。唯一の代替手段は、民間車両を軍事化することだ。

 ウクライナ軍ですら、自分たちの「反転攻勢守備隊」が経験する装甲車両の不足を口にしている「スティール・コードン旅団・・・2番目の事例として、この旅団は7キロ歩いて突撃作戦を実行する。それは歩いて7キロだ。そして、完全に疲れ果ててほぼ目的地に到着すると、彼らは全力で戦えと言い始めるのだ」。

 さらに、夏の戦闘の過程で、ウクライナ軍は戦術的および作戦的な段階で部隊を効果的に管理できていない。ウクライナ軍内で最大の部隊はまだ旅団(2,000〜4,000人)であり、一方、ロシアは師団(4,000〜20,000人)と合同兵力(40,000人以上)を持っており、ウクライナは異なる戦闘能力を持つ別々の旅団を統合することでのみ対抗できる状況だ。

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ロシアの戦略計画

 クリミアへの陸路の防衛の準備として、ロシアの指導部は将来の戦闘地域を防衛線で強化し、またクピャンスクとクラスヌイ・リマン方向に大規模な軍隊を引き寄せた。

 オスコル川方向へロシアが攻勢をかけるかもしれないということは、ウクライナにとって脅威だった。2022年10月にキエフが制圧した重要な拠点を喪失するかもしれないからだ。これにより、ウクライナ軍は新たに編成された旅団をその地域に転送せざるを得なくなった。このようにして、88旅団や41旅団、32旅団、43旅団、44旅団、42旅団、および21旅団などの機械化旅団が南からここに引き寄せられた。また、8旅団と13イエーガー旅団がクピャンスク方向に向かっている可能性もある。

 今年の7月から8月にかけて、ロシア軍はボロヴァヤとクピャンスクの方向にいくつかの示威攻撃を仕掛けた。数十平方キロメートルを占拠し、ウクライナにこの方向に予備軍を転送させ、アレクサンダー・シルスキー将軍の注意をアルテモフスク近くの戦闘から逸らせた。

将来の見通し

 ウクライナ第46旅団の戦闘員がメリトポリ方面をどのように評価しているかは次のとおり:「次はノヴォプロコポフカで、それがおそらく最後になるだろう。その先はロシア軍の主要な防衛線だ。さらに、ラボティーノ地域での深いくさびは、コパンとノヴォフェドロフカの地域から私たちを側面から攻撃する侵略者の機会となるだろう。その場合、ネステリャンカ-コパンとベロゴリエ方面に前線を拡大しなければならないか、あるいは私たちはバフムートで経験したことと類似した状況になるだろう — 側面包囲に巻き込まれることを意味する」。 これは、ウクライナがこの地域でロシアの段階的な防衛線を突破することは考えていないことを意味する。

 夏の作戦は終わりに近づいている。おそらく、9月は温かく乾燥していたので、流血事態はやや延びるだろうが、10月には雨がステップ地帯を巨大な泥の池に変えるだろう。これは特にNATOの重装甲車両にとって危険なことになる。
両軍は夏の戦闘で疲弊しており、天候が悪化すると傷の手当てを始め、将来の戦闘の準備をする可能性がもっとも高い。この時期、ウクライナは第二次反転攻勢のために航空機を入手しようとするだろうが、まずは機械化旅団を補充したほうがいい。

 ロシア軍に関しては、防御を固め続け、戦術的な位置を向上させるために一連の反撃を行なうか、あるいはそうしないで、アルテモフスクやクピャンスク方面に焦点を移すかもしれない。また、秋から冬にかけて、ロシアの軍事産業は砲弾や装甲車両、対砲撃戦用のより長射程の弾薬などを軍に供給する問題に今後も取り組み続けることになるだろう。
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2025年のパンデミック:米国はワクチンの10年に対応すべく、新たなパンデミック対応組織を立ち上げ。「壊滅的感染症」発生演習

<記事原文 寺島先生推薦>
Pandemic 2025: US Creates Permanent New Pandemic Agency for Decade of Vaccines.”Catastrophic Contagion” Simulation
Office of Pandemic Preparedness and Response Policy.
パンデミックの準備・対応政策室が立ち上げられた。
筆者:グレート・ゲーム・インディア(Great Game India)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research)  2023年7月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月11日





米国は「パンデミック準備・対応政策室」という恒久的な新たなパンデミック対応機関を立ち上げた。これはこの先のパンデミックやワクチンの10年に対応するためのものだ、という。ジョー・バイデン大統領は空軍退役将軍を任命し、この計画の推進の責任者に据えた。

パンデミック準備・対応政策室

 金曜日(7月21日)、ホワイト・ハウスは、パンデミック準備・対応政策室(OPPR)の立ち上げに関する公式声明を出した。新たに立ち上げられたこの機関は、公共医療の危機的状況に対応する戦略を打ち立て、科学研究を統合し、パンデミックに対する医療を先導し、その活動内容は米国議会に定期的に報告される義務を負うことになる。



 ホワイト・ハウスからの記者発表の内容は以下のとおり:「この機関は大統領府内に置かれる恒久的な組織となり、既知および未知の生物学的脅威や病原体への準備や対策に関する活動を先導、統合、実行を担当することになります。」

ポール・フリードリヒス少将



 新たに立ち上げられたこの組織の長をつとめるのは、ポール・フリードリヒス退役空軍少将だ。この人物は、現在ジョー・バイデン大統領の特別補佐官をつとめ、ホワイト・ハウス国家安全保障会議の世界健康安全保障及び生物学的防御委員会の上級職もつとめている。

 この役職に着く前、フリードリヒス元少将は、国防総省の軍医総監の職にあり、その際に軍のCovid-19対策委員会に対して指針を出す立場にあった。

 2月に行った演説で、フリードリヒス医師は、前年の6月に既に退役していたのだが、自身の印象深い海軍での37年間の経歴について振り返る機会を得、個人的な省察も披露した。フリードリヒス元少将は、自身の家族背景に軍役と反抗心があることに触れた。父親は第二次世界大戦の終結期に海軍に従軍しており、母親はハンガリーの自由戦士としての注目すべき経歴を持っており、彼女の両親は不幸にもロシア人の手により殺害された。

次世代ワクチン

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、パンデミック準備・対応政策室(OPPR)が正式に立ち上げられるのは、8月7日になるという。その立ち上げ後、フリードリヒス元少将がその専門対策団の結成を指揮することになる。同元少将の主な任務には、戦略的国家備蓄(Strategic National Stockpile )に必需の医療物資が十分に備蓄されていることを確認し、米国の備えの取組みを強化する資金を確保するために議会と協力することが含まれる。

 この新たな役職において、フリードリヒス医師は、国内の生物学的安全保障対策を監督し、運営する権威を有している。この役割の重要な面に、この先のパンデミックに対する次世代ワクチンの開発の推進がある。
 
 さらに、フリードリヒス医師は、新たな生物学的脅威が発生した際、その脅威を入念に監視・検出する監視体制の強化についても優先的に取り組むこと、とされている。

パンデミック2025

 2025年は、世界の医療関連諸機関が新たなパンデミックが起こると予見している重要な年のようだ。Covid-19の前に行われたイベント201のようなパンデミックに対応した多くの演習が、2025年を目指して実行中である。

壊滅的な感染症

 SEERSという架空のウイルスが、「壊滅的感染症」という名で知られているパンデミックに対する準備演習のために特別に設定された。この演習は2022年10月、ブリュッセルで行われた。この演習の主要目的は、現実の場面において公共医療機関や政府諸機関がどのように関わるかを演習し、このウイルスにより引き起こされる疾病への効果的な対応について話し合うことにあった。

 演習のあいだ、参加者らは一連の世界保健機関の会議に参加し、この架空のウイルスSEERSに対応するための最善の対策戦略と分析が話し合われた。この演習の総括において規定されていたこのウイルスは、Covid-19よりも高い致死率を示し、特に子どもたちや青年層に影響を与えるもの、とされていた。

 この壊滅的感染症演習は、ジョンズ・ホプキンス大学の医療・保障センターやビル&ゲイツ財団との協力のもとで実施された。



 この演習の一環として、様々な内容のハイライト映像が上映されたが、その中には、テレビの架空ニュース番組でSEERSウイルスの開発と影響が報じられている場面も含まれていた。演習でこのような報道場面が使われた目的は、現実世界を模倣するためであり、起こりうるパンデミックの状況下では、情報の拡散と広報が、非常に重要であることを参加者らに実感させることにあった。

2017年に実施されていた、2025-2028・SPARSウイルス・パンデミック演習

 ジョンズ・ホプキンス大学によると、2025-2028に発生すると想定した SPARS ウイルスによるパンデミック演習の概要は、公共医療と政府諸機関のために用意された架空の演習であった。この演習の目的は、パンデミック発生時に学んでおくべきことや訓練しておくべき材料を提示することで、参加者らが対応方法を訓練し、人々を保護するための公共医療施策を改善できるようにすることであった。

 演習の概要は、アジアから帰国した米国民が未知のインフルエンザに似た病気に罹患したところから始められている。その後、疾病管理予防センター(CDC)が、この病気のSPARS-CoVという名の新種のコロナウイルスであると特定するが、それ以外の情報はほとんど流れてこない、という設定だ。このウイルスは、呼吸飛沫により感染し、感染者やウイルスに被曝した人々には、隔離政策が推奨される。最終的には、流行が激しくなり、世界的なパンデミックに突入する、というものだ。

 この架空のSPARSウイルスの概要と実世界で起こったCovid-19のパンデミックとの間の類似点は非常に顕著ではあるが、ジョンズ・ホプキンス大学が2021年12月16日にやむを得ず出した声明で強調されていたのは、この概要は予見ではない、という点だった。

(以下はその声明から)
 「この概要は予見ではありません:この演習の目的は、パンデミック発生時に学んでおくべきことや訓練しておくべき材料を提示することで、利用者がこの先明らかに起こりうる問題を見つめ直す手助けとなり、公共医療上でのよりよい対策法や公共医療を守る施策が取れるようになることにありました。この架空の概要とCovid-19のパンデミックとの間の類似点はすべて、偶然にすぎません。この概要は、感染に対応する、臨床面・疫学面・社会文化面・伝達面の専門家たちにより、科学的にあり得る確実な想定のもとに作られたものです。」
(声明からの引用はここまで)

COVID2025

 『COVID 2025:次の5年間の私たちの世界』と題された一連の動画では、 シカゴ大学出身の著名な学者らが登場し、私たちの様々な生活面におけるCovid-19による永久に続く影響について話し合っている模様が映されている。これらの専門家たちは、パンデミックが医学治療、国際関係、教育、都市での生活などの非常に重要な面においてどのような変化をもたらすかについて、掘り下げている。



 この一連の動画には、この先5年、私たちの世界を形成する起こりうる変化についての洞察や予見が盛り込まれている。今回のパンデミックで起きた主流な流れを省察することにより、これらの討論は人々や共同体を洗脳し、将来のパンデミックに備えさせ、それにともなって展開される環境の変化に対応させようというものだ。

 これらの討論を通して、視聴者らはこの先出てくるであろう対策や機会を普通のことと捉え、Covid-19以降の世界で、積極的な意思決定や戦略計画をたてやすくなる土台が形成されている。

ワクチンの10年(Decade of Vaccines :DoV)

 これまで強調してきたとおり、新たなパンデミック機関であるOPPRは、この先のパンデミックに対する次世代ワクチンを開発しようとしている。このことは、英国のワクチン業社のカルテルであるGAVIが出した「ワクチンの10年(Dov)」協同という名で実現されている。

 2010年、このワクチン業者独占連合(カルテル)GAVIは重要な声明を発表したが、その内容は、それ以降の10年は「ワクチンの10年」であると宣言するものであった。この取組の目的は、背景や猜疑心に関係なく、全ての人がワクチン接種をするような世界の構築にあった。

 「ワクチンの10年(DoV)協同」のもと様々な利害関係諸団体が、世界ワクチン行動計画(Global Vaccine Action Plan :GVAP)を立ち上げた。GVAPの主要目的は、ワクチンの研究・開発・分配の促進であり、この先のパンデミック時の対応策の完成に向けて活動することにある。

GAVI ― 英国のワクチン業者カルテル

 「ワクチンの10年協同」において重要な役割を果たしたのが、GAVIだった。この組織は、この協同の指導委員会において顕著な役割を帯びていた。GAVIを率いているのは、おもに英国政府とビル・ゲイツだ。 英国はGAVIの最大の投資源であり、GAVIの活動は、「ゲイツの提案」として知られているものに従っている。ワクチン業者カルテルや薬剤業者カルテルとして批判を浴びていることが知られているこの組織が製造したワクチンにより世界で3800万人が早期死亡した、と非難を受けてきた。



 英国がGAVIに資金を出したのは、2000年、この組織が立ち上げられた当時からで、それ以来ずっと最大の資金源となっており、この先5年間で16億5000万ポンド(約2900億円)の資金提供をすることを誓約している。



 しかし、GAVIは、個人の資金提供者らのほうに、世界の医療政策を一方的に決める権利をより多く付与しているとして、批判されてきた。具体的には、新しく高額のワクチンを優先させるいっぽうで、従前の安価な薬品に関する報道を拡散することには金をあまりかけず、努力も怠り、地域の医療体制に害を与え、利益を出している大きな製薬業者に多すぎる補助金を出し、いくつかのワクチンの価格は下げず、運営委員会がワクチン業界と利害相反関係を持っていたこと、などだ。  

英国優生学運動

 GAVIは「英国優生学運動」やそれ以外の「ウェルカム・トラスト財団」などの優生学関連の諸協会やCovid-19ワクチン製造業者であるアストラゼネカ社、さらにはオックスフォード大学とも繋がっている。

 「オックスフォード・ワクチン協会」のアンドリュー・ポラード会長は、ゲイツ財団に取り込まれている。同会長の雇用主であるオックスフォード大学は、同財団からワクチン開発研究においてここ3年間で1100万ドル(約16億円)を受け取っており、この10年間で2億800万ドル(約300億円)の助成金を受領している。

 2016年、ゲイツ財団は3600万ドル(約53億円)をポラード会長が率いるワクチン開発の研究団に授与した。さらに、ポラード会長が個人で所有している研究室も、ゲイツ財団からの資金を得ている。

 このような状況であるので、ワクチン計画のための世界同盟(GAVI)という、ビル&メリンダ・ゲイツ財団が設立し、現在の運営資金を出している官民連携組織が、収入が低い国々、特にアジアやアフリカの国々に、ワクチンの使用が認定されるやいなや、オックスフォード・アストラゼネカ社製ワクチンを分配しようとしている事実は、驚くに値しない。

 Covid-19ワクチン開発諸業者は、欧州で最も悪名高い優生学団体である「英国優生学協会」と密接に繋がっている。この英国優生学協会は、 1989年に「ゴルトン協会」という名称に改名されたが、この名称は、いわゆる優生学の父として知られているフランシス・ゴルトン卿に敬意を表するものだった。この優生学について、ゴルトン卿は、「より優れた人種を蓄積するための科学」である、としばしば述べていた。
 
 ゴルトンによると、この新たな「拡大された優生学の定義」が、世界人口を抑制する手口の隠れ蓑にできる、という。さらには、ドナーにより提供された精子や卵子を使った選択的な人工授精により、染色体情報の質を向上させることや遺伝子治療、生殖細胞の遺伝子書き換えなども行なえる、という。優生学の定義を新しく拡大することにおいて、ゴルトンは「いくつかの方法が国家による強制で行なわれるべきなのか、完全に個人の選択に任されるべきなのかについて」は、態度を保留している。
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日本の科学者がCovid-19やそのすべての変異種は研究室で作られたことを解明

<記事原文 寺島先生推薦>
Japanese Scientists Find that Covid-19 and all of the variants are Laboratory creations
筆者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:本人ブログ  2023年9月4日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月11日



画像はhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%ABから*新約聖書のヨハネの黙示録に登場する馬上の者たち。白馬上に支配、赤馬上に戦争、黒馬上に飢饉、青白い馬の上には疫病の騎士が乗っている。


 ヨハネの黙示録の四騎士*が我々の前に放たれた。

 我々の支配者層はヨハネの黙示録の真似ごとをしている。戦争の騎士はもう何年も前から既に解き放たれている。Covidと研究室で作られたその変異種が、疫病の騎士のはしりだろう。飢饉の騎士が姿を見せ、怪しげな地球温暖化対策のために家畜を殺し、農家たちに肥料を使わせず、制裁を課し、人間の食糧を昆虫や人口食品に置き換えようとしている。これら三騎士がそれぞれの役割を果たすなか、青白い馬の上の疫病の騎士は、我々の全ての階級を総倒ししようとしている。預言、特に何千年も前から伝えられている預言を信じるのは困難だが、その預言が今、私たちの目の前で実現している。

 戦争の騎士は仕事を果たした。クリントン政権から、戦争は米国とその帝国の第一の活動であり続けている。ユーゴスラビアは破壊された。次はアフガニスタン。それからイラク。その後リビアと来て、今はウクライナ。シリアの破壊を企んだのは、オバマとイスラエルだったが、ロシアに阻止された。ロシアのその代償がウクライナでの戦争だった。改革派の政権は排除され、米国に逆らう指導者らは暗殺されてきた。その結果生じた社会や政治の混乱のせいで、何百万もの人々が殺され、障害を負わされ、立ち退かされ、難民にされた。このようなテロ行為が、テロとの戦いや民主主義の拡散という名のもとに行なわれてきた。

 疫病の騎士の活動は、子どもたちに対する終わりのないワクチン接種を手始めに、Covid「ワクチン」でさらにその勢力を増した。この「ワクチン」の結果、何百万もの人々が亡くなり、死ぬまで苦しまされる障害を負った。そんな中で、日本の科学者が解明したのは、人工のCovid変異種が研究室で作られたという事実だった。

 「日本の科学者らがCovid-19とその全ての変異種が研究室で作られたものであることを解明



 全ての報道機関や医療業界はその事実を否定し続けているが、明らかに分かっていることは、世界の代表的な科学者たちが、ずいぶん前からCovid-19は研究室で作られたものである、という記事を出していたことだ。さらに、公式文書からも、NIH(国立衛生研究所)のトニー・ファウチが、「機能獲得」研究について、ノース・カリフォルニア大学や中国の武漢研究室に資金提供していたことも分かっている。この事実は疑いようがない。助成金記録に残っているのだから。

 いま私たちは、日本の2人の最先端の医療科学者からの、全てのCovid変異種は研究室で作られたもので、自然にできたウイルスではないことを示す研究報告を手にしたのだ。

 これはとんでもない発表だ。

 となれば、疫病の放出が意図的であった、と結論付けないことなど不可能ではないのだろうか? 事故で研究室から漏洩したのでも、コウモリ由来でもない。病原体を作り出し、「複数のパンデミック」をでっち上げようという陰謀が西側世界中で張り巡らされていたことは明白な事実ではないか? そして、そのパンデミックを口実に、危険で治験の済んでいない薬品を世界中の人々に接種させ、市民が持つ自由を絶滅の危機に陥れ、「偽情報」だという烙印のもと真実を抑圧してきたのだ。Covidの公式説明やワクチンの安全性に疑問を唱える科学を狂気の沙汰であると決めつけ、Covidワクチンを強制的に接種させようとする企みが進行中なのだ。そしてその目的は、「社会をなだめ」、間違った公式説明を守ることにある。 ( https://www.globalresearch.ca/discredit-covid-vaccine-sceptics-mentally-ill/5831168 ).

 白色人種の、騙されやすく、お気楽で、「権威を信頼する」という特徴のせいで、人類が破壊に向かっているのだ。

 同じワクチンを打ったのに、亡くなったり健康を害した人々と何ら病的な副反応を示さない人々に分かれる現象を訝(いぶか)しく思われる方々もいるだろう。その答えは、独立系の科学者らが結論づけているとおり、Covidワクチンには何種類かの型があって、ほかの型よりも効果が大きい型があったのだ。そして多くの人が接種したのは、生理食塩水が入った偽薬だった。というのも、全ての人が致死性のある、あるいは健康を害するようなワクチンを接種することになれば、連中の思惑が明らかになり、権威を信頼しているお気楽な人々の目にさえ入り、その企みが明らかになってしまうからだ。亡くなったり健康を害した人々よりもワクチンを打っても死ななかった人々の方が多いから、ワクチン接種への支持が継続できるのだ。

 次も、この先も、死ぬ人よりも生き残った人の数が多いとしても、長い目で見れば、全ての人が死ぬ、という寸法だ。そんな中で、漸次ばらまかれていく病原体が、人々に恐怖心を与え、「ワクチンが自分を守ってくれる」と信じ込まされていく。そしてそのワクチンで、何人かが殺され、残った人々が次の接種に回される。Covid変異種が研究室で作られたものであり、自然に生まれたものでないということは、その変異種をより致死性のあるものにできる、ということだ。確かなことは、連中がイベルメクチンやヒドロキシクロロキンに耐性のある変異種の研究をしている、ということだ。

 私が強調してきたとおり、無能かつその気がない議会や独立した科学者たちや医療業界、司法、報道機関には、「Covidパンデミック」をでっち上げ、意図的に人々に死を招き健康を損ねるような危険な薬品を接種させてきた責任があるのに、さらに死や障害を招く2度目の接種を行うことを可能にしているのだ。その接種は、3度、4度、5度・・・と続いていく。

 「批判はいらない。我々は動き続け、新たな危機に集中しなければならない」というのが、人類殺害の罪を負うべきものたちを守るための呼びかけ文句だ。「一度間違っただけさ。それだけで我々の指導者たちや任命された医療当局者への信頼をなくしてはいけない。そんなことしたら、もっと酷いことが起こるだろうから」。「目に入るのはこの新種のCovid変異種だけだ、さあワクチンを打ってきな。」

 こうして認識されないまま、四騎士が気付かれないで私たちの周りを駆け回っている。

 ビル・ゲイツもクラウス・シュワブもそれ以外の多くの人々も、世界人口を減らそうという意図を持っており、その企みは功を奏しているようだ。

 人々は目覚めるのだろうか? おそらくそうはならないだろう。すでに洗脳され、教化されて、この記事やそれ以外の全ての警告は「偽情報」としてしか受け取れなくなってしまっているからだ。
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米英が捏造してきた偽情報の実例13―天安門、ウイグル、トンキン湾、(中略)、ブチャ虐殺

<記事原文 寺島先生推薦>
Was There Really a Massacre in Tiananmen Square, Or Was It an Illusion Fabricated by U.S. Politicians and Corporate Media to Make Americans Hate China?
原題:天安門広場の虐殺は本当にあったのか?それともアメリカ人を中国嫌いにするためにアメリカの政治家と企業メディアがでっち上げた幻覚なのか?
筆者:ジェレミー・クズマロフ( Jeremy Kuzmarov)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research)   2023年8月23日号
コバートアクション誌(CovertAction Magazine)   2023年8月7日号
<記事飜 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月11日

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 1989年、アメリカ国民は天安門広場で中国共産党の戦車に立ち向かう勇敢な中国人学生たちの象徴的な映像の洪水の中にいた。学生たちは中国軍によって残忍にも虐殺された。もしくは、私たちはそう信じ込まされていた。

 しかし、驚くべき新たな著作が、アメリカ国民が騙されていたかもしれないことを明らかにした。『残虐な捏造とその結果―虚偽報道はいかにして世界秩序を形成するか』(アトランタ:クラリティ・プレス、2023年)の著者であるA・B・エイブラムスによれば、天安門広場では虐殺はおろか、殺戮もなかったという。そこには、アメリカ政府とそのオウム返し機関(自由な報道機関として誤って知られるもの)による、昔ながらの大衆の認識操作だけだった。

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虚偽の残虐報道は、アップルパイのようにアメリカ的である

 エイブラムスは、征服と搾取の帝国戦争を正当化し、軍産複合体に数十億ドルの利益をもたらすために、アメリカ国民に流された多くの嘘を、その初期から現在に至るまでひとつひとつ説明し、痛烈に解剖する。

 偽の残虐報道は、ウイグル人虐殺のデマを流すためには不可欠だった。それは、リビア、シリア、北朝鮮、ロシアといった米国の敵対国を標的にしたその他の偽情報キャンペーン(宣伝拡散)も同様である。

 天安門広場の場合、当初広場を占拠したデモ参加者のほとんどは、西洋化や中国政府の転覆を主張していたのではなく、むしろ中国の1949年の共産主義革命をより強く肯定し、毛沢東主義の理想を裏切った腐敗した役人を排除することを主張していたとエイブラムスは強調する。運動に参加した労働者の多くは、学生たちに比べて反中国共産党的で、社会民主主義の確立を目指していた。

 デモは非暴力的で、デモ隊は主に暴動防止装備を身につけた中国の警察や兵士に排除された後、平和的に広場を後にした。

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1989年6月の天安門広場の有名な場面。[出典: ibtimes.comi]

 エイブラムスは、2016年にウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館からの公電を引用し、中国兵がデモ隊を解散させるために天安門広場に移動したときに居合わせたチリの外交官とその妻の目撃談を報告している。

 その外交官夫妻はその場所に何度も出入りすることができ、嫌がらせを受けることもなかった。

 二人は、群衆への武器の一斉発砲も、当局による殺傷力の行使も目撃していない。

 ワシントン・ポスト紙のジェイ・マシューズ前北京支局長は1998年に認めている。「検証された目撃証言者は全員、軍隊が到着したとき広場に残っていた学生たちは平和的に退去させられたと言っている」、と。

 マシューズ元支局長は天安門事件を 「でっち上げ」 と呼び、「誤解を与えないジャーナリストを見つける方が難しい」 ことを強調した。また、入手可能な証拠から判断する限り、あの夜、天安門広場で死んだ者はいない。

 この見解は、ロイターのグラハム・アーンショー特派員も、6月3日から4日の夜を天安門広場の中心部で過ごし、多くの学生にインタビューして裏付けている。彼によれば、この時点でほとんどの学生はすでに平和的に退去しており、残りの数百人も同じように説得されたという。「虐殺はおろか、暴力もなかった」、と。

 西側メディアが虐殺があったと主張する主な情報源は、香港の新聞に掲載され、イギリスの情報源によって広く引用された匿名の清華大学の学生であった。元オーストラリア外交官で『オーストラリアン』紙の東京支局長を務めたグレゴリー・クラーク氏は、この圧倒的な報道をイギリスの闇情報操作によるものだとする多くの人物の一人であった。

 学生たちが虐殺されなかった証拠として、中国国営テレビは、夜明け直後に広場から平和的に行進する映像を流した。BBCの北京特派員ジェームズ・マイルズでさえ、「天安門広場での虐殺はなかった。......西側の報道は間違った印象を伝え、軍隊が広場に到着したときにまだ広場にいた抗議者たちは、交渉の末に退去を許された」と確認した。

 天安門広場でハンガーストライキを決行し、学生デモ隊に連帯を示した侯徳健(ホウ・デジャン)はこう振り返った。 「広場で200人が死んだと言う人もいれば、2000人も死んだと言う人もいた。戦車が立ち去ろうとする学生を轢き殺したという話もあった。しかし、私はそのような光景を一切見ていない。私自身は朝の6時半まで広場にいました」。

 天安門広場で殺された人々は、広場から遠く離れた場所で、兵士と反政府武装勢力との路上戦闘で殺された。米国務省の報告によれば、反政府勢力は銃器を携帯していない人民解放軍(PLA)将校を火炎瓶で激しく攻撃し、PLAとの銃撃戦が始まる前に、多くの将校を生きたまま焼き殺し、路上で拷問した。

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広場から離れ、人民解放軍(PLA)将校に石を投げるデモ隊[出典:buzzfeednews.com]

 エイブラムスによれば、暴力的な少数派の目的は、自分たちや平和的な多数派に対する軍事的反応を誘発することであり、それによって中国共産党政府を中傷し、急進的な反政府党派の隊列を大きくする原因をつくることだった。

 挑発者たちの一部は台湾で訓練され、おそらくアメリカの諜報機関によって訓練された可能性がある[1]。最も過激なデモ指導者であるチャイ・リン*(柴 玲)は、ジーン・シャープ**と緊密に連携していたと伝えられている。シャープは、西側の影響が及ばない国の内部反体制派を利用して不安定化工作を実現するアメリカの第一人者である。
 *1966年4月15日生まれ。中華人民共和国の民主化活動家。六四天安門事件の学生指導者。
 **アメリカの政治学者。マサチューセッツ大学の名誉教授であり、ボストンのアルベルト・アインシュタイン研究所の上級研究員だった。著書『独裁体制から民主主義へ』は、世界中で広く読まれており、非暴力による民主主義革命の理論的支柱になっている。


 シャープはCIAやCIAに連なる全米民主化基金(NED)と非常に密接に連携し、ワルシャワ条約機構やソ連のヨーロッパ地域、そして「アラブの春」の中東において、同様の不安定化工作で重要な役割を果たした。


ウイグル人虐殺のデマ

 天安門事件に関する米・西側の偽情報は、中国共産党政府が新疆ウイグル自治区のウイグル族に対してジェノサイド(大虐殺)を実行したとする入念な偽情報キャンペーンの下地を作った。

 エイブラムスが指摘するように、こうした主張は、米国政府出資の反中グループに圧倒的に依存していた。彼らは、イスラム主義や分離主義の立場をとる強硬なウイグル人反体制派が牛耳っている。

 NEDは1983年の設立以来CIAと密接な関係にあり、CIAが以前は単独で行なっていたことを、より秘密裏に遂行する任務を負っていた[2]。

 反体制派の証言はしばしば矛盾しており、2010年から2018年にかけて新疆ウイグル自治区のウイグル人人口が25%増加したという事実(ジェノサイドの犠牲となった人々は、明らかに人口の減少を被っているはず)によって裏付けられた。

 欧米のメディアで強制収容所と烙印を押された収容所は、実際には物流公園、通常の拘置所、小中学校だった。

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[出典:: shapehistory.com]

 新疆で多くの時間を過ごした元ロンドン警視庁警官のジェリー・グレイは、西側の主張が彼の直接の観察とまったく食い違っていたことを回想した:

「強制収容所にウイグル人が100万人もいるなんて、まったくのでたらめだ。ウイグル人が1,100万人から1,200万人いることを忘れないでほしい。100万人のウイグル人が収容所にいるなどという根拠はまったくない。観光客向けのレストランではなく、普通のレストランだった。彼らは歌い、踊る。ウイグル人が楽しいときにすることだ。ウイグル語はとても生き生きしている。人々はその土地の言葉を話す。どの店にも、どのメニューにも、どのレストランにも、その土地の言葉が書かれていた。」

 新疆ウイグル自治区は安全で治安もよく、私が話をした人たちはみな満足しているようだ、とグレイは締めくくった。

 カナダ人ビジネスマンで、10年以上中国に滞在した中国政治の研究家ダニエル・ダンブリルも、同様の趣旨のことを述べている:

「私たちは、ウイグル人の人口が根絶されつつあると信じることを期待されている。文字どおりの意味であれ、文化的な意味であれ、馬鹿げた発言だ。中国のウイグル族は、一人っ子政策の対象にならなかったことや、2万ものモスクが建てられたこと、彼らの文字が国の通貨に表記されたこと(後に彼は、これはカナダが先住民族にしなかったことだと指摘している)、中国最大のスターはウイグル族の女性で、最近ルイ・ヴィトンのブランド宣伝大使に起用されたこと、ウイグル族の子どもたちは漢民族よりも簡単に一流大学に入学でき、食堂ではハラルフード*が用意され、キャンパス内には礼拝エリアがあることなどから、大多数の漢民族よりも急速に成長してきた。」
*イスラム教において食べることが許されている料理や食品

 過去にアメリカは、1997年から2014年にかけて行なわれたテロ攻撃で1,000人以上の中国市民を殺害し、トルコの支援を受けてシリアのアサド政権と戦った東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)を支援することで、新疆ウイグル自治区の不安を煽る手助けをしていた。

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米政権は第二次世界大戦後、2000万~3000万人を殺害してきた
ETIM(東トルキスタン・イスラム運動)の戦闘員 [【出典:archive.shine.cn]


 2018年、コリン・パウエル国務長官の元参謀長であるローレンス・B・ウィルカーソン大佐は、アフガニスタンに米軍が駐留する最大の理由は、共産主義中国の不安定化と弱体化に利用できる新疆ウイグル自治区のウイグル人武装勢力が近くにいるからだと指摘した。

 2017年以降、中国政府はウイグル人住民の過激化を防ぎ、過激化しやすい人々を社会に統合するために改善策を講じた。雇用を得たり、現代生活に対処したりするのに役立つ実践的な技能を必要としているウイグル人に教え、それによって犯罪活動やテロリズムへの誘惑を減らすための新しい機関が設立された。

 これらは、悪評高いと言われた中国共産党の再教育キャンプであったが、実際には2019年までにウイグル人の犯罪やテロを減らすことに成功した。

 FBIの内部告発者シベル・エドモンズは、西側諸国が新疆ウイグル自治区における人道的虐待の疑惑をでっち上げ、自国のメディアがこの問題を大きく取り上げ、反中感情を煽るだろうと予測していた。1950年代から国外で武装勢力を養成する同様の組織活動を展開していたチベットで、米国が過去に行なっていたのと同じように、である。

 この反中感情は、東南アジアにおけるアメリカの大規模な軍備増強と中国包囲網を正当化するのに役立った。中国は経済的成功を収め、アメリカの一極支配への挑戦を強めているため、ますます脅威になっていると見なされたのである。


歴史上の残虐行為の捏造

 エイブラムスは『残虐行為の捏造とその結果』の中で、「敵対国が特にひどい犯罪を犯していると描くことは、特にその敵対国に対して軍事行動やその他の敵対的措置を開始しようとする場合、世論や国際世論を動かし、(アメリカの)帝国主義的行動を正当化する効果的な手段を一貫して提供してきた」と書いている。

 重要な青写真が確立されたのは、第一次世界大戦中、イギリスのブライス委員会が1915年にベルギーのドイツ兵に関する嘘の残虐物語を流したときである。それは、イギリスの民衆が対戦への介入を支持するように変え、アメリカにおいて戦争への抵抗を弱めたのである。

 元駐米英国大使のジェームズ・ブライス子爵が委員長を務めたこの委員会は、ドイツ人によるベルギー人女性や少女への公開レイプや身体切除、8人のドイツ兵による2歳の子供の銃剣突きを扇情的に描いたのである。

 報告書は、ほとんどが匿名のベルギー難民の証言に基づいており、伝聞証拠がそのまま受け入れられた。

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イギリスの戦争プロパガンダ[Source: reddit.com]

 1922年にベルギーで開かれた調査委員会は、残虐行為が実行されたとされる現場での調査を行なったが、ドイツ軍の過剰行為に関する報告はひとつも確認できなかった[3]。

 CIAはブライス委員会の成功を模倣し、冷戦時代にエイブラムスが言うところの「政治的物語を操作するために、強力な世界的な情報網」を構築しようとした。

 エイブラムスは書いている。「CIAのモッキンバード作戦は、より顕著な関連作戦のひとつであり、アメリカ人ジャーナリストがCIAの指示した記事を掲載するように採用されるのを見た。それらの記事は、しばしばソ連やその同盟国を、全く捏造された情報で中傷した」、と。

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[出典:whatyouthoughtwentaway.wordpress.com]

 1962年、米国防総省と統合参謀本部(JCS)は、国内と世界の世論をキューバに敵対させる作戦を提案した。それは、フロリダのマイアミでテロ攻撃を仕掛けるというもので、キューバ政府のせいにすることができ、CIAがピッグス湾で屈辱を味わった後、米軍の侵攻を正当化することができるというものだ。

 ベトナムでは、CIAの医師トム・ドゥーリーがブライス委員会の脚本にしたがって、ベトミンが1,000人の妊婦の腹を切り、裸の司祭の睾丸を竹の棒で殴り、キリスト教の聖書を聞かせないために子供の耳に箸を突き刺したという話をでっち上げた。

 この頃CIAは、ゴ・ディン・ディエム率いる傀儡政権の樹立を進めており、ゴ・ディン・ディエムは、政治的反対勢力を組織的に一掃しようと、CIAの後ろ盾のもとで奮闘していた。

 1964年、ジョンソン政権はトンキン湾事件をでっち上げた。米艦艇が南シナ海で北ベトナムに攻撃されたとされるが、これは米軍の全面侵攻と、北ベトナム、南ベトナムの民族解放戦線(NLF)や、近隣のラオスやカンボジアの補給線を標的にした世界史上最大の空爆作戦を正当化するためのものだった。

 2002年に公開されたホワイトハウスでの録音によれば、その反響の大きさにもかかわらず、リンドン・B・ジョンソン大統領でさえ、北ベトナムがトンキン湾で攻撃を開始したという主張には強く懐疑的であったという。そして、その後の38年間の証拠を見ても、北ベトナムによる攻撃はなかったということに疑問の余地はなかった。

 1960年代を通じてベトナム戦争が長引くにつれ、米政府とCIAは米軍による大規模な残虐行為を隠蔽するために、敵による残虐行為をでっち上げ続けた。

 スティーブン・ヤング上院議員(オハイオ州選出)は、ベトナムにいたとき、CIAから、CIAはベトコン(ベトナムの共産主義者)に偽装して殺人やレイプなどの残虐行為を行ない、住民の信用を失墜させたと聞いた、と語っている。

 フィリピンでは、土地の再分配を望み、アメリカの地域構想に反対するフク族の評判を低下させるために、反乱軍(フク族)に偽装したアメリカ寄りの政府軍が村を略奪し、市民を殺害することが許されていた。

 米空軍とCIAの間で作戦を調整した米空軍将校のL.フレッチャー・プラウティは、この手法はCIAの諜報員エドワード・ランズデールの指示のもとで「フィリピンで高度な芸術の域にまで発展した」と述べ、同じ手法の多くがベトナムでも使われたと語った。


朝鮮半島での犯罪

 ベトナム戦争と同様、朝鮮戦争も残虐行為であったが、それは邪悪な共産主義者から住民を救うための「人道的介入」であった。

 この物語を制度化するために、国防総省はハンフリー・ボガートがナレーションを担当したプロパガンダ映画『朝鮮の犯罪』を後援した。

 エイブラムスは、「アメリカのメディアで広く流布された『朝鮮の犯罪』は、世間一般から見て、戦争を推進するために道徳的な要請を与えた」と書いている。

 『タイム』誌の「野蛮」と題するコラムも同様で、テジョン(太田市)での大規模な共産主義者の虐殺を記述していたが、後の調査で、アメリカと同盟を結んだ韓国軍による犯行と判明した。

 ジョセフ・マッカーシー上院議員(共和党、ウィスコンシン州選出)によって任命されたチャールズ・E・ポッター上院朝鮮人残虐行為小委員会委員長(共和党、ミシガン州選出)は、米国の敵対勢力は「文明化された人類に対して起こされた獣のような行為」の罪を犯していると強調した。

 彼は、「紅い中国人」 の看護婦が「麻酔の効果もなく、庭ばさみでGIの足の指を切り落とした」と述べ、アメリカ人捕虜は竹槍で拷問され、「小さな鉄の檻に入れられ、動物のように餓死させられ、眼窩からウジが出てきた」と主張した。

 これらの主張は、アメリカ人やイギリス人の捕虜の証言と矛盾していた。捕虜たちは、共産主義についての講義を受けなければならないことには不満を漏らしたものの、捕虜たちからはまともに扱われていたと語っていた。

 一方、北朝鮮と中国の捕虜は、米国が運営する捕虜収容所で極端な残虐行為にさらされ、収容者は革命歌を歌っただけで虐殺され、故郷への送還を放棄するよう暴力的に強要された。

 これは、米国が冷戦下で、政治経済システムが優れているとされる西側への亡命を囚人たちが望んだと主張することで、プロパガンダの効果を上げるためだった。

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朝鮮戦争中、アメリカが運営したコジェド(巨済島)収容所では、深刻な虐待が行われた。[【出典:kushibo.orgg]

 北朝鮮に対する宣伝攻勢は21世紀に入っても続き、北朝鮮を悪者にするために、これまで以上に突飛な話が作り出された。

 こうした話の多くは、CIAとまではいかなくとも、韓国から圧力を受けたり、金をもらったりした脱北者によって流布された。

 そのような脱北者の一人であるシン・ドンヒョク(申東赫)は、ワシントン・ポスト紙の特派員ブレイン・ハーデンと共著で『Escape From Camp 14: One Man's Remarkable Odyssey from North Korea to Freedom in the West(第14収容所からの脱出:北朝鮮から西側での自由への一人の男の驚くべき旅)』というベストセラーを書いたが、捏造であることが暴露された。ドンヒョクは後に、自分の話の大部分を撤回した。

 西側で12,500ドルの講演料を要求した別の脱北者、パク・ヨンミ(朴研美)は、友人の母親がハリウッド映画を見たために処刑されたという馬鹿げた主張をおこなった[5]。

 さらにもう一人、イ・スンオク(李順玉)は2004年に下院委員会で、北朝鮮の政治犯収容所でキリスト教徒が拷問され、鉄で焼き殺されるのを目撃したと証言したが、脱北者協会のチャン・インスク(張 仁淑)代表は、イが政治犯ではなかったことを直接知っていると述べた。

 エイブラムスによれば、一流のポップ歌手から将軍まで、北朝鮮の著名人が国家によって処刑されたという捏造報道は、死んだはずの人物がカメラに奇跡的に再登場することで頻繁に再報道されていた。

 2015年5月のCNNの報道は、「体制の醜い真実を明らかにする」という枠組みで、金正恩委員長が叔母の金敬姫(キム・ギョンヒ)を毒殺するよう自ら命じたとしたが、金夫人は生きており、2020年1月に公の場に姿を現した。

 エイブラムスによれば、虚偽の脱北者の証言と偏向報道は、「西側諸国では、世界で最も西洋化されていない国家に対する西洋の優位という考えを肯定するように見せかけ、自己満足を与えるために高く評価された。そして、東アジアの敵対国に対する敵対政策の口実を提供し、通常はさらなる経済制裁を含んでいる。」


湾岸戦争での捏造

 1990年10月10日、クウェートに侵攻したイラク兵が、クウェートの病院で赤ん坊を保育器から引き剥がし、床に放置して死なせたと、ナイラと名乗る15歳のクウェートの少女が米議会の人権委員会で直接に証言した。

 彼女の公聴会を後援した上院議員たちがよく知っていたように、ナイラはサウド・アル=サバ駐米クウェート大使の娘であり、イラク侵攻以来クウェートにはいなかった。

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[出典:midnightwriternews.com]

 証言の主導者は、ワシントンD.C.を拠点とする広報委員会「自由なクウェートのための市民の会」(CFK)で、クウェート政府から資金提供を受け、広報会社「ヒル+ノールトン」社と緊密に協力し、イラクに対する世界世論に影響を与え、同国に対するアメリカの軍事行動への支持を得るために活動していた。

 人権委員会の議長であるトム・ラントス(民主党、カリフォルニア州)とジョン・E・ポーター(共和党、イリノイ州)は、CFK(自由クウェートのための市民運動)から5万ドルの寄付を受け、「ヒル+ノールトン社」のワシントン本部に無料で事務所を与えられた。

 その10年後、サダム・フセインについては、大量破壊兵器(WMD)に関する有名な疑惑とともに、敵を人間シュレッダーにかけ、その残骸を魚の餌にしたという根拠のない非難を受け、さらに残虐な話が広められた。

 ウォール街の元記者ジョン・マッカーサーは、2つのペルシャ湾戦争の間に捏造された残虐なプロパガンダの一貫性について、「10年以上前と同じ連中がやっている」と指摘した。彼らは自分たちの思いどおりにするためなら、どんなことでもでっち上げる」、と述べた。


ユーゴスラビア、バルカン戦争、シリア

 1990年代のユーゴスラビアでは、アメリカの戦争プロパガンダはセルビア人指導者スロボダン・ミロシェビッチを中傷し、コソボやその他の地域で大量虐殺を実行したと根拠のない非難をすることに集中していた。

 ミロシェビッチは社会主義者で、ユーゴスラビアをまとめ、バルカン化を防ごうとしていた。

 戦争における最悪の民族浄化行為は、CIAによって計画された「嵐作戦」でクロアチア人によって実際におこなわれたものである。

 クリントン政権は、さらにコソボ解放軍(KLA)を支援した。KLAは、民族的に純粋なアルバニア人国家の樹立を目指し、セルビア人やその他の少数民族を標的としていた。

 麻薬取引からの資金に大きく依存するKLAは、米国務省から「テロ組織」の烙印を押され、NATOの北大西洋理事会からは、コソボにおける「暴力の主な起爆装置」とみなされた。

 セルビア人を「新しいナチス」として描く努力を主導したロイ・ガットマン記者は、セルビア人が強制収容所を運営し、クロアチア人やその他の犠牲者が火葬炉で焼かれ、家畜の飼料にされていると主張する記事を『ニューズデイ』紙の一面に掲載した。

 この記事は、殺害を目撃していない一人の男の証言だけを根拠としていることを証言者自身が認めた。イギリス人ジャーナリストが死の収容所とされる場所を訪れたところ、近隣の村での戦闘から逃れるために収容者たちが自ら進んでその場所に入ったという事実が判明し、反証となった。

 ガットマンは後に、シリアのバッシャール・アル=アサド政権を中傷する同様の宣伝工作で主要な役割を果たすことになる。アサド政権は2010年代初頭までに、ユーゴスラビアとセルビア人に代わって、西側諸国が戦時中の残虐行為を捏造する主な標的となっていた。

 この誹謗中傷キャンペーンには、化学ガスによる自国民への攻撃をアサド政権のせいにしようとする試みも含まれていた。しかし、それらの攻撃は、米国が支援する反政府勢力が行なったものであり、アサド政権側は全く関与していなかった。


リビア――古い脚本をなぞって

 シリアへのアメリカの軍事介入を売り込むために使われた嘘は、ムアンマル・カダフィに対してリビアで採用されたものと似ていた。カダフィは、集団レイプを実行するためにバイアグラを軍隊に提供し、大規模な虐殺を計画していた。それを阻止しなければならなかったという。

 しかし、この国で実際に虐殺が行なわれたのは、欧米とカタールが資金提供したジハード主義の反政府勢力によるもので、彼らはカダフィの打倒後、リビアの黒人を民族浄化の対象とした。

 カダフィは、反乱軍を「植民地主義者である米英のために働く裏切り者」と呼んだ。

 これらの植民地主義者たちは、2011年のリビア攻撃で大規模な戦争犯罪を犯した。カダフィ政権が始めた270億ドルの灌漑プロジェクトであり、リビアの水不足を根絶するものであったグレート・マンメイド・リバー*を爆撃した。
*「巨大人造水路」。サハラの深部にある古代の地下帯水層からリビアの海岸に高品質の淡水をもたらし、家庭用、農業、産業用の地下パイプラインのネットワーク。

 米国とその同盟国によって、またしても偽の残虐行為が、実際の残虐行為を正当化し、独立した政治的・経済的な歩みを進めようとする国家を破壊するために利用されたのである。


その他の事例――ルワンダとロシア

 エイブラムスの著書は非常に包括的だが、いくつかの重要なケースを省いている。最初はルワンダである。1994年4月、フツ族の過激派がツチ族に対して一方的に大量虐殺をおこない、世界が傍観している間に約80万人が殺害されたと糾弾された。

 しかし、1991年の国勢調査では、ルワンダには59万6千人のツチ族が住んでおり、そのうち30万人が生存していると推定されている。つまり、296,000人のツチ族がフツ族に殺されたが、残りの死者、500,000人以上がフツ族だったということになる[6]。

 研究者であるアラン・スタムとクリスチャン・ダヴェンポートが発見したことは、フツ族とツチ族が攻撃者と犠牲者の両方の役割を担っており、1994年4月に殺戮が最も多く行なわれた戦場は、ツチ族が率いるルワンダ愛国戦線(RPF)が実行した軍事作戦の急増と関係していることであった。1990年5月、そのルワンダ愛国戦線(RPF)のウガンダへの侵攻は、米英によって支援されていて、全面戦争の引き金となった。

 フツ族の残虐行為に関する誇張された主張は、後にクリントン政権とブッシュ第2政権によって、ポール・カガメ率いるルワンダのRPF政府が、表向きはフツ族の大量虐殺者を追い詰めるために武装したことにして、コンゴ民主共和国(DRC)への侵攻を正当化するために利用された。

 この侵攻は数百万人の死者を出し、ルワンダとその同盟国ウガンダ、そしてアメリカに拠点を置く多国籍企業によってコンゴの天然資源が略奪されるという結果となった。

 最後に挙げるに値する例は、米国政府が100年以上にわたって偽情報を流し続けてきたロシアである[8]。

 1917年10月のボリシェヴィキ革命後、米国議会はブライス委員会に匹敵する扇動的な公聴会を開き、ソビエト・ロシアを、歴史家フレデリック・シューマンが言うように、「文明の痕跡をすべて破壊し、国家を野蛮に戻すことを目的とした殺人狂の組織(ボリシェヴィキ)のなすがままになっている、忌まわしい奴隷が住む一種のベッドラム(精神病院)」と描いた[9]。

 ボリシェヴィキ政権(「赤軍」)の打倒を目指す旧帝国軍将校(「白軍」)を支援するためにロシアに侵攻したアメリカ遠征軍の総司令官ウィリアム・グレイブスは、しかし、ボリシェヴィキがロシア内戦で1人殺すごとに、白軍は100人殺したと述べた。

 ロバート・アイケルバーガー中佐は、赤軍ではなく白軍の残虐行為は「中世における恥辱のようなもの」だったと述べている[10]。

 今日、バイデン政権は、ロシアとの代理戦争でウクライナへの軍事支援をエスカレートさせることを正当化するために、さらにロシアの残虐行為をでっち上げるという古い脚本をなぞっている。

 2022年4月4日、バイデンは、ウクライナの町ブチャでロシア軍による市民の大量殺戮が報道されたことを受けて、ロシアのプーチン大統領を戦争犯罪人と呼び、記者団にこう語った。 「ブチャで起きたことを見ただろう。この男は残忍で、ブチャで起きていることは言語道断だ」、と。

 しかし、奇妙なことに、ブチャでロシア軍が民間人の殺害に従事しているビデオ映像はひとつもなく、ブチャで殺害された人々の大半は、ロシア軍が撤退した後、ネオナチのアゾフ大隊による掃討作戦中に殺害されたことを示す証拠がかなりある[11]。

 アメリカ政府は以前、2014年7月にウクライナ東部上空でマレーシア航空機が撃墜されたとロシアを非難していたが、現場証拠ではウクライナ空軍のみが保有する空対空ミサイルで撃墜されたことが示されている。

 ロシアに向けられた虚偽の告発は、現在我々を潜在的な核戦争の瀬戸際に追い込んでいて、その攻撃的な軍事政策への国内世論の支持を形成する上で重要な意味をもっている。歴史には多くの類似点があるが、今日の危険は以前よりもさらに大きくなっているようだ。

*
ジェレミー・クズマロフ(Jeremy Kuzmarov)は「コバート・アクション(隠密行動)」誌の編集長。オバマの終わらない戦争』(クラリティ・プレス、2019年)、ジョン・マルシアーノとの共著『ロシアが再びやってくる』(マンスリー・レビュー・プレス、2018年)など、米国の外交政策に関する4冊の著書がある。連絡先:jkuzmarov2@gmail.com

*
訳註

1. こうした指導者の中には、欧米による香港の植民地化を公然と支持する者も多く、2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は、「中国が前進するためには、少なくとも300年にわたる欧米の植民地主義が必要だった」と主張している。

2.2004年以降、NEDはウイグルの擁護団体に875万8300ドルを供与している。中国人権擁護団体ネットワーク(CHRD)もまた、新疆ウイグル自治区虐殺疑惑の主要な情報源であり、NEDを通じて米国議会から多額の資金援助を受けていた。ラジオ・フリー・アジアはCIAの放送関係のための新規企業で、西側の敵対者を中傷するために、特におかしな捏造記事を制作してきた長い歴史がある。もう一人の情報源はドイツの「学者」エイドリアン・ゼンツで、彼は福音主義的な神学教育機関だけで教鞭をとっており、査読のある学術誌に発表したことはない。

3. アメリカの特派員アーヴィン・S・コブは、メディアで報道された残虐行為の10件のうち1件は実際に行なわれた可能性があると述べた。

4. 米海軍情報部の海軍史部長代理で米海軍の上級歴史家であるエドワード・J・マロルダ博士によれば、北ベトナムの無実は「十分に立証されていた」という。

5. 朴大統領は自身のYouTubeチャンネル「Voice of North Korea」で60万人の登録者を獲得し、一貫しておかしな主張を展開し、国の崩壊と指導部の転覆が間近に迫っていると頻繁に予言する新しい動画を週に数回公開していた。2021年上半期だけでも、次のような例がある。 金正恩の妹や多くの北朝鮮の子どもたちがクリスタルメス*を常用していること、障害者やエイズ患者が処刑されたり化学兵器で実験されたりすること、金正恩が密かに同性愛者で女性の性奴隷を持っていること、などなど。
*非合法のアンフェタミン。コカインに比べ安価で持続性に富む。

6. Marijke Verpoorten, 「ルワンダ: ジェノサイドで20万人のツチが死んだという主張はなぜ間違っているのか」『アフリカの主張』2014年10月27日。

7.Genocide (New York: Monthly Review Press, 2010), 58, 132, 133. ダヴェンポートとスタムは、1996年当時ルワンダには50万6,000人のツチ族がいたという信念に基づき、殺害されたツチ族は20万人に過ぎないと指摘しているが、マライケ・フェルポールテンのような他の研究者は、50万6,000人という数字は低すぎ、ルワンダには59万6,000人ほどのツチ族がいたと指摘している。しかし、彼女の数字を受け入れたとしても、ツチ死亡者の公式合計は公式発表よりはるかに少ないだろう。

8. ジェレミー・クズマロフ、ジョン・マルシアーノ『ロシア人が再びやってくる:最初の冷戦は悲劇として、2番目は茶番として』(New York: Monthly Review Press, 2018)を参照。

9,その後、マスコミはボリシェヴィキが女性を国有化(支配)したとまで主張するセンセーショナルな記事で埋め尽くされた。

10. クズマロフとマルシアーノ『ロシア人は再びやって来る』50。

11. 元米海兵隊情報将校のスコット・リッターは、路上に横たわる死体を映した衛星画像から、これらの人々が発見される24~36時間前に殺されたことを割り出した。遺体の多くは上腕に白い布を巻いており、これはロシアへの忠誠心か、ロシア人にとって脅威ではないことを示す視覚的な指定であった
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