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アフリカにおける戦争とアメリカ:白人世界至上主義終焉の加速化

<記事原文 寺島先生推薦>
War in Africa and the Americas: Accelerating the End of White World Supremacy
筆者:エイジャム:バラカ (Ajam Baraka)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月29日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月6日


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 最近、アメリカはペルーに軍隊を配備し、ペルーでのクーデターを支援した。それに続いて、エクアドルにも軍隊を派遣し、さらにアフリカからケニアとルワンダの軍隊をハイチに送り込む奇妙なAFRICOM(米軍アフリカ司令部)の計画があり、これはハイチのアリエル・アンリ違法政府を支援するものだ。それは黒人の顔をした白人至上主義とも言える。

 これは狂気だ、やけくその狂気だ!

 最悪の悪夢にとりつかれながらフランスは、自分たちが作り上げたアフリカ帝国から追放されつつある。フランスは絶望的な気持ちでニジェールに踏みとどまった。マリから追放された後、フランスは自国の軍隊をニジェールに再配置せざるを得なかったのだ。軍事政権がニジェールで権力を握り、市民は首都ニアメーの街路にロシアの旗を掲げ、ドローン基地を持つフランスとアメリカを国から追放するよう要求している。それにはアガデズに1億ドル以上の建設費をかけたすべてのドローン基地の母体とでも言うべきものも含まれている。

 しかしながら、彼らが平和的に去ることはないことを私たちは知っている。イラクの人々はアメリカに去るよう要求したが、彼らの軍隊はまだそこに残っており、石油と小麦を盗んでいる。ハイチの人々は介入を望んでいないが、白人至上主義の傲慢さと精神病理学は、その指導者たちに世界中の民族の声を無視し、自分たちが一番わかっているもの、すなわち暴力と支配に頼ることを強制している。

 西欧列強がなぜように行動するのかは、謎でも何でもない。彼らは今、これからの世界の流れに直面している。それは、自分たちの意志はもう押し付けられないし、世界中の民族と大地がより偉大な栄光のために生み出した価値を横取りできなくなるという流れだ。そして西欧列強が下した結論とは、西洋の覇権を最初に確立した手段に立ち戻らなければ、なのだ。その一番過激な表現は戦争だ。

 ヨーロッパの植民地支配者と植民地化された「他者」との関係の中心にある暴力は、1492年にヨーロッパ人たちがヨーロッパからアメリカに流れ込んで以来、変わっていない。ただし、その表面的な形が変わっただけだ。

 1945年の第二次帝国主義戦争(すべての戦争を終結させるはずだったと考えられていた戦争、少なくともヨーロッパではそう考えられていた)終結以来、新たな西側帝国主義世界の指導者としてのアメリカは、人権と民主主義への関与を宣言した。しかし、(実際にやったことはと言えば)全大陸で戦争を起こし、政府を転覆させ、反植民地闘士を殺害し拷問し、欧州同盟国による血なまぐさい戦争を積極的に支援したことだ。

 植民地を持つことは、西洋の優越性の命脈であり、植民地支配強国はアルジェリアからジンバブエとなった地域にわたって、その命脈を古典的な方法と新しい方法で維持するために戦争を繰り広げた。彼らのやり方は、アルジェリア、ケニア、イスラエル、南アフリカなど、白人入植者が多数を占めていた地域で最も残酷だった。彼らの目標は、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、そしてオーストラリアで「うまくいった」白人入植方法をそのまま繰り返すことだ。そこでは先住民族を征服し、彼らの土地を奪い、しばしば子供たちも奪い、生存者を今日まで植民地の束縛下に置こうとした大量虐殺的手法だ。

 しかし、変化の兆しが漂っている。アメリカのイラクとアフガニスタンでの敗北、そしてウクライナでの敗北(まだアメリカ国民には発表されていない)が露呈したことで、グローバル・サウスに属する民族、特にアフリカの民族は、白人植民地主義/資本主義支配の機関から与えられ続けている屈辱を受け入れる気分ではなくなっている。

 こういった流れの中で、15か国の西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)が、アフリカのエリート層とその西側上司の代理として、軍事クーデターで失脚した大統領モハメド・バズームを権力に復帰させるために、1週間以内にニジェール軍に対して「必要なすべての措置」、場合によっては「武力の行使」も講じると発表したのだが、数年前とは異なる反応があった。過去とは異なり、西側エリート層が新植民地の傀儡を通じて命令を出しも、彼らが黙って言うことを聞く時代ではなくなったのだ。アルジェリアは、西側列強がニジェールを攻撃した場合、見て見ぬふりをしないと述べ、ギニア政府やブルキナファソ、そしてマリの軍指導者も、アメリカとフランスがニジェールを攻撃した場合、たとえそれがECOWASの黒人代表を通じて行われたとしても、戦争を辞さないと脅迫した。

 「平和は紛争の不在ではなく、世界を解放し、国際的な紛争、核武装と拡散、不当な戦争、および植民地主義、帝国主義、男性優越主義、白人至上主義を含む抑圧的な国際体制を打ち破ることによって達成された、民衆の闘争と自己防衛の成果だ」。(BAP*統一の原則)
*Black Alliance for Peaceは、戦争、抑圧、帝国主義に対する人々中心の人権プロジェクトであり、その結成の財政スポンサーは「オープン・コレクティブ」。この団体の使命は、「急進的な黒人運動の歴史的な反戦、反帝国主義、平和賛成の立場を取り戻し、再開発すること。(ウィキペディア)

 平和の闘いは、アメリカを中心とする西側帝国主義に対する闘いであり、西側帝国主義は依然として人類全体にとって最大の実存的脅威であることを、自らさらけ出し続けている。アメリカは、自身のグローバル(おそらくは惑星レベル?)覇権を維持するための事業計画を指導する「フルスペクトラム・ドミナンス(全領域支配)」と呼ばれる国家安全保障戦略に対する関与を厚かましく宣言しており、この教義は、NATO軍事連合の傘下にある国々からのヨーロッパの支持に支えられている。

 西側帝国主義は、物質的および制度的手段を通じて白人の力を維持し、拡大する。そして、グローバルな白人の力とは何を意味するのか? それは、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関、グローバルな銀行組織の支配、NATOおよびアメリカのグローバル軍事機関の他の部門、そしてアメリカドルの覇権を通じた西側の支配だ。BAPは白人の力をこんな風に定義している。

 しかし、そこにはとどまらない。

 白人の力と白人至上主義の思想は不可分に結びついている。白人至上主義の考え方は、現在ヨーロッパと呼ばれる地域の人々の子孫が、人間の発展の最高の例だと主張し、その文化、社会制度、宗教、そして生活様式が本質的に優れているとする立場を取る。この思想的立場は、国際的資本主義の文化的および思想的な装置によって正当化されており、メディア、エンターテインメント業界、そしてビッグテック(巨大情報技術企業群)などがこれを普通の状態だとしている。

 BAPにとって、白人の力と白人至上主義は「人種としての白人の個人的な態度や価値観に単純化されるべきではなく、それは支配の構造として見るべきであり、アメリカとヨーロッパ社会のあらゆる側面に思想的に根付いているため、それが一般的な常識として規範化され、結果として常識一般となってわれわれの目には見えなくなっているのだ」。

 バラク・オバマ、カマラ・ハリス、ロイド・オースティン、ドナルド・トランプ、アンダーソン・クーパー、ジョー・バイデン、ポール・カガメ(ルワンダの大統領)、ウィリアム・ルト(ケニアの大統領)そしてアメリカの多くの黒人指導層は白人至上主義者だ。

 白人至上主義の正常化と白人の力の受け入れを当然とすることは、黒人哲学者ルイス・ゴードンが主張するように、社会全体の自己欺瞞を必要とする。これは、覇権的な自由主義哲学の伝統で語られる理性と歴史の限界を露呈させるだけではない。植民地支配を通じてヨーロッパ中心主義が普遍化される過程で、白人至上主義と白人の力は歴史と理性を否定することになる。「存在の植民地化」は抽象的な哲学的概念ではない。それは現実であり、だからこそ、私たちが脱植民地化を進める中で変革すべき基本的な対象となる。

 だからこそ、私たちは、ハイチ、ニジェール、キューバ、パレスチナ、そしてアメリカのバリオ(スペイン語話者の居住区)や労働者層「低所得者地域」における福祉、人間性、民主主義、そして「人権」に、今日、ヨーロッパ世界が、関心を抱いているという前提を拒否するのだ。ヨーロッパ世界は、フランツ・ファノンが「非存在の領域」と呼んだものを、彼らが植民地化したすべての地域に創り出したのであり、植民地化された人々の人間性を完全に拒絶し、土地と民族を最も無慈悲で野蛮な形で利用したのだ。

 ナンセンスだ。

 ヨーロッパ人たちは、今日、新たに見出した「人道主義」と「保護責任」という用語を使って、彼らがアフリカ人や他の植民地化した民族を追いやった永続的な「他者」という歴史的カテゴリーを実際変えたと信じるのは、考えが甘すぎると言われても仕方がないだろう。アメリカの入植地植民地の文脈で、最高裁判所長官ロジャー・タニーは、1857年のドレッド・スコット判決で、アフリカ人は、「白人が尊重すべきいかなる権利を持っていなかった」と宣言しているのだ。

 そう、私たちは、この地球上の人類史上最も凶悪な帝国の支配階級が語る高尚な宣言に惑わされることはないだろう。

 アメリカとヨーロッパの資本主義支配階級は、白人の世界覇権の終焉を回避させるために戦争を継続的に戦うことを決意している。このことは、アメリカのグローバルな指令構造、800以上の軍事基地、恐ろしいほどの軍事予算への両党の支持、NATO、そしてウクライナにおけるアメリカとロシアの代理戦争によって証明されている。また、警察力の軍事化、大量投獄体制、私たちの組織への浸透、妨害、および破壊、Uhuru 3*の起訴、反対派を犯罪化するための「国内テロリスト」の利用回数が増えていることなどで明らかだ。
*ウフル運動は、1972 年に設立されたアメリカを拠点とする社会主義者およびアフリカの国際主義者運動であり、オマリ・イェシテラが議長を務めるアフリカ人民社会党が率いている。(ウィキペディア)この運動の活動員3人が、セントピーターズバーグ市(フロリダ州)で、ロシアの影響を受けた選挙活動をした容疑で連邦機関から訴追された。

抵抗の線が引き直されている

 アフリカ大陸と離散しているアフリカ人に再度指導されて、ハイチへの武力攻撃に対する人々の抵抗が実行されるだろう。大陸では、マリとブルキナファソの指導者たちが、ニジェールへの帝国主義的な攻撃をマリとブルキナファソへの攻撃と見なし、同様に対応することを一点の曇りもなく明確にした。

 西側が仕掛けている戦争は激化している。今、その一方的な戦争がより効果的な抵抗に取って代わられる新たな時期に移行している。私たちがすべきことははっきりしている:白人の世界覇権が人類全体に対して突きつけている実存的な脅威を終結させる速度を加速させることだ。
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ロシア、ドンバス、そしてウクライナでの戦争の真実

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia, Donbass and the Reality of Conflict in Ukraine
筆者:ダニエル・コバリク(Daniel Kovalik )
出典:グローバル・リサーチ(Global Research)2023年8月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月6日





 ロシアへの3度目の旅、それとドンバス(今はドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国、両共和国を合わせた地域になったが)への2度目の旅から帰国したばかりだ。なおこの旅は約8ヶ月かかった。今回、私は飛行機でエストニアの愛すべき都市タリンに入り、そこからバスでサンクトペテルブルクに約6時間で着くはずだった。しかし最終的に、12時間の旅程となったのは、ロシア国境の税関で長時間待たされたからだった。

 戦時中に米国のパスポートを持って敵国であるNATO加盟国の国境からロシア入りしようとした私は、即座に尋問を受ける対象となった。 その後、ロシア外務省から記者として認められる資格を手にしていなかったため、私が所持しておくべき書類をすべて持っていないことが判明し、私は国境警備隊員に報道の仕事のための渡航であることを説明しなければならなくなった。私への扱いはとても丁寧だったが、長時間待たされたせいで、そこまで乗ってきたバスが私を残して先に出発してしまう羽目になったのは仕方がなかった。

 しかし一見不便な遠回りをさせられたと思ったときに好機が訪れることもたまにあり、今回もそれにあたった。この遠回りのおかげで、多くのウクライナ国民を目にすることができた。そのウクライナ国民の中には、家族総出の人々もいたが、国境を越え、ロシアへ入国しようとしている人々もいた。これは本当の話だが、尋問や申請手続きで入国待ちをしていた人々のパスポートは、(私の米国のものを除けば )たった一種類、ウクライナの青のパスポートだった。これはロシアがウクライナの侵略者であると描きたがっている西側の言説にとって不都合な真実の証だ。実際、多くのウクライナ国民はロシアに対する親近感を持っていて、自発的に今後ロシアで長期間住むという道を選んでいる。

 2014年—ウクライナ政府がドンバスの自国民に対して砲撃を始めた、今回の戦争が真に始まった年—からロシアによる軍事干渉が始まった2022年2月のあいだに、既に約100万人のウクライナ国民がロシアに移住していた。ウクライナ国民がロシアに移住しようとしていた事実については、当時大手報道機関が報じており、BBCは2014年9月、何名かの難民についての記事を出しており、「東部ドネツク州とルガンスク州分離主義者らが、ロシアがウクライナからクリミアを併合した後に、独立を宣言した」と報じた。


ドネツクの旗を掲げる支持者ら [画像元: envoicesevas.ru]

 「暴力行為が開始されてから、亡くなった人は2600人ほど、けが人は数千人以上にのぼった。ルガンスク市はこの数ヶ月間、ウクライナ政府軍に包囲され、食料や水の適切な供給が途絶えている」と同記事にはあった。 そしてこの戦争による死者は、その後2022年2月、つまりロシアによる特別軍事作戦(SMO)が開始される前までに、1万4000人に達することになった。

 さらに130万人のウクライナ国民が、SMO開始後の2022年2月以来ロシアに移住している。私が自分の席に着いていたロシアの国境警備係の一人(キリルという名前の人だった)に、積み重ねられたウクライナのパスポートのことで話しかけたところ、キリルが私に語ってくれた内容は、入国してくるウクライナ国民らを、ロシア側は「人間として」扱っている、ということだった。サンクトペテルブルクの私の知人であるボリスが、新しく入手した私の記者としての資格証明書の画像を送ってくれて、それをキリルにわたすと、握手をして送り出してくれ、次のサンクトペテルブルク行きのバスに、ほぼ即座に乗り込むことができた。

 サンクトペテルブルクに入るや、私はボリスの家で短い休憩をとったのち、車でロストフ・ナ・ドヌに向かった。この都市は、ドネツクに入るまでの最後のロシア領内の都市である。私は親切なロシアの起業家であるウラジーミルという人に、黒のレクサスに乗せてもらったが、一人のドイツ人も同乗していた。この人は「レニングラード・ボランティア」という名で知られている人道支援団体の創設者だった。この車には、ドンバスに向かう人道支援の人々が乗り込んでいた。短い自己紹介と、私の「テキサスから来たレクサスです」という親父ギャグののち、時速約110キロという素早い速度での20時間の旅行が幕を開けた。

 私たちは夕方にロストフに着き、ショーロホフ・ロフト・ホテルにチェックインした。このホテルの名称は、「静かなドン」という大作を書いたロストフ市の自慢の息子たるミハイル・ショーロフから取られたものだ。聞かされた話によると、つい最近までワグナー軍団の代表をつとめていたエフゲニー・プリゴジンの写真が、ホテルのロビーの壁に飾られていた、という。ワグナー軍団の構成員らがロストフに進撃し、多くの住民を恐怖に陥れる事件があったのち、プリゴジンの写真は外されたそうだ。現在このホテルの壁には、ハリウッドの映画スターの写真のみ、飾られている。

 次の日の昼下がり、ロシアのクラスノダール出身である私の通訳のサーシャが到着した。クラスノダールはロストフから電車で7時間のところにある。22歳のサーシャは、髪の毛の赤い小柄な女性であったが、すぐに今回の旅行中でもっとも興味が引かれる人物の一人だとわかった。

 サーシャが私に説明してくれたのは、サーシャは12歳のときからドンバスで人道支援の活動をしてきた、ということだった。サーシャの話では、この仕事に興味をもつようになったのは、サーシャを育ててくれた祖母が、ソビエト社会主義連邦共和国に対する「深い愛国心」をもっていたことからだそうだ。サーシャの説明によると、両親は仕事が忙しく、サーシャの面倒を見ることが全くできなかったという。ロシア本土出身のサーシャは、ドネツク大学に籍をおき、2014年以来砲撃を受けてきた人々との連帯の中で生活している。

 22歳にして、前線を旅行しているときでさえ、足の見えるサンダルを履くようなサーシャは、私がこれまで会った人の中で最も勇敢な人物のひとりであり、私がドンバスに足を踏み入れるという勇気のいる行動をとれたのは、たしかに彼女のおかげだった。しかし言うまでもないことだが、グレアム・グリーン(英国の作家)が書いたように、「帰りの切符を手にした勇気など、知的訓練に過ぎない」のだ。

 私たちはすぐにドネツク市に向かう約3~4時間の行程に出発したが、途中、現在ロシア連邦当局が運営しているパスポート管理所に立ち寄った。ロシア当局の運営となったのは、2022年9月の住民投票で、ドネツクとそれ以外の3地域の人々がロシア編入を決めたことを受けてのことだった。

 私は再度この管理所の係員らから尋問を受けたが、15分くらいのものだった。戦時中に米国民である自分がロシア領内を移動する困難は受け止めるしかなかったので、何らかの尋問を受けることなく国境を越えることなどできないことはわかっていた。しかし、尋問の声の調子は常に友好的だった。

 私たちは、カルミウス川沿いにある、小さいが愛すべき都市、ドネツク市に、無事到着した。最初に立ち寄ったのは、レニングラード・ボランティアの倉庫であったが、そこで私たちが運んできた支援物資を下ろし、地元のボランティアの人たちと面会した。これらのボランティアの人々のほとんど全ては、生まれてからずっとドネツクに住んでいる人々であり、ほとんど全ての人々は軍服を着て、何年もの間、ドネツク民兵隊の一員としてウクライナ軍と戦ってきた人々であり、その多くは2014年の戦争開始からずっとそうしてきた。


ドンバスでの戦闘におけるウクライナ側の捕虜を連行しているドネツク民兵の兵たち。この民兵隊は、2014年に戦争が始まって以来、米国が支援するウクライナ軍と戦ってきた。[画像元はmedium.com]

 この辺の事情を私は読者の方々に十分お伝えすることができない。私たちが何度も聞かされてきた話は、ドンバスのこれらの兵たちはロシア人か「ロシアの代理勢力」である、というものだったが、それはあきらかに真実ではない。戦士たちの圧倒的多数は、様々な年代層に属する地元の人たちであり、かなり高齢の方々もいるし、2014年から自分たちの家と家族と生存を守るために戦ってきた人たちである。

 これらの兵たちを支援してきたロシアや世界各国からのボランティアの人々—1930年代のスペインの共和主義者らの支援のために世界各国からボランティアが集まってきた際と全く同じだ―がいる一方、ここでのボランティアのほとんどは地元の人たちだ。

 もちろん、ロシアが特別軍事作戦SMOを始めた2022年2月以降このような状況は変わっている。ただし、ドネツクの地元の人たちが戦い続けるいっぽうで、今はロシア軍も支援に入っている。

 「ロシアの代理勢力」が2014年以降ドンバスで戦っているという嘘は、西側報道機関が垂れ流している小さな嘘の一つだといえる。というのも、この主張によれば、少なくとも、そのような戦争が存在してきたことを承認することになるからだ。もちろん、大手報道機関は、そのような戦争は全く存在せず、2022年2月に開始されたロシアによるSMOは、完全なる「いわれなき戦争」だということを我々に納得させようとしてきたのだ。こちらのほうは大嘘で、西側の人々がウクライナへ軍事支援を与えることを西側の人々に同意させるためのものだ。

 さらに無視されている事実は、この戦争がSMO開始以前から大規模に激化しており、この戦況の激化により、SMOが引き起こされた、という事実だ。米国をはじめ多くの西側諸国からなる57カ国で構成されている 欧州安全保障協力機構(OSCE) によると、SMOが始まった2022年2月24日の直前の週末に、ドンバスでは約2000件の休戦協定違反行為があった、という。

 報道機関に真摯な態度が見られた希有な事例をあげると、ロイター通信は2022年2月19日に以下のように報じた。

(以下は記事からの引用)

 OSCEの監視により、土曜日(2月12日)、東ウクライナにおいて、ほぼ2000件にのぼる休戦協定違反行為が確認された、と日曜日(2月20日)に外交筋がロイター通信に語った。ウクライナ政府と分離主義者の軍は、2014年以来、東ウクライナで戦闘を続けている。

 スイスの諜報および安全保障の専門家であり、元NATO軍事分析家であるジャック・ボーは、さらに詳しくSMOの原因となった諸事象について以下のように説明している:「早くも2月16日の時点で、ジョー・バイデンはウクライナ側がドンバスの一般市民に対して砲撃を既に開始していたことを把握しており、ウラジミール・プーチンに意図的に難しい選択を迫ったのだ:つまり、ドンバスを軍事支援することにより国際問題を引き起こさせるか、ドンバスのロシア語話者の人々が砲撃されるのを座して待つかの選択だ…そのことをプーチンは、2月21日に行った演説でも述べていた。

 その日、プーチンは議会からの要請に応じ、ドンバスの2共和国の独立を承認し、同時に、その両国との友好・支援同盟を結ぶことに署名した。

 ウクライナによるドンバス市民に対する爆撃は続き、2月23日に、この2共和国はロシアからの軍事支援を求めた。2月24日、ウラジミール・プーチンは、国連憲章第51条を発動した。この条文では、防衛同盟の枠組みの中での相互軍事援助を規定したものだ。

 人々の目からは、ロシアによる軍事干渉を完全に不当なものに映るよう、私たちはこの戦争は2月16日に開始されたものだという事実を意図的に隠した。ウクライナ軍は、早くも2021年からドンバスへの攻撃の準備をしていたことは、ロシア側の諜報機関も欧州側の諜報機関も気づいていた。そのことについては法が裁きを出すだろう」
(記事からの引用はここまで)

 もちろん、これらのどの事象も、私がドネツクで会った人々にとってはニュースでもなんでもなかった。というのもドネツクの人々はもう何年もそのような現実の中で生活してきたからだ。例えば、ドネツクの若い住民であるディミトリは2014年から両親とともに参戦してきたのだが、このディミトリが私に熱く語ってくれたのは、自分の背中に背負っている武器と弾薬を指さしながら、「なんのためにこんなものを背負っているというんだ。2014年からずっと持ち歩いているんだ。それはこの戦争がそのときから始まっていたっていう証拠だろ」というものだった。

 戦争が始まったとき大学で学んでいたディミトリはもはや戦うことはできない。戦争中に怪我をしてしまったからだ。耳もやられていることは、補聴器を付けていることからわかる。ディミトリは大学に戻れることを望んでいる。

 私がドネツクに着いたほんの2~3日前、ディミトリのアパートがある建物がウクライナ軍により砲撃されたが、2016年にも同じようなことが起こっていた。ドネツク在住の多くの人々と同様に、ディミトリは建物の損傷をすぐに修理し、生活を続けることには慣れっこだ。

 ディミトリは私をドネツク空港やロシア正教の教会近くや修道院に案内してくれた。これらの建物は、遡ること2014年から2015年のあいだに、ウクライナ軍とドネツク民兵隊との間の戦争により破壊されたものだった。ディミトリは当時、この地域での戦争に従軍していたが、彼の説明によると、当時、この地域は世界で最も激しい戦闘が戦われていた地域だった、という。しかし、大手報道機関からこのニュースを聞くことはなかった。2022年2月以前の戦争のことは、おおいに無視されてきたからだ。


2015年にドネツク民兵隊がウクライナ軍や戦車の通過を防ぐために破壊した、ドネツク空港近くの橋 [画像元: Photo courtesy of Dan Kovalik]

 私がドネツクで最初に話を聞いた人のうちの一人は、丸顔で童顔の36歳のビタリーだった。野球帽をかぶり、鎌と槌のついた赤いソ連の旗を手にしていた。三人の子どもの父親であるビタリーは、ドネツク出身で、この地でもう4年間戦ってきたが、その中には、2022年夏のマリウポリ製鉄所内での本当に激しい戦闘にも加わっていた。ビタリーが武器を取ることを決心したのは、自分の友人たちがウクライナ軍に殺害されたからだった。その中には、ファシスト勢力から生きたまま焼かれて殺された友人たちもいた―それはまさに、私たちは存在しないと聞かされてきた軍に、だ。西側の大手報道機関のことについて語ったビタリーは、笑いながらこういった。「連中の言い分は、まるで俺たちが9年間自分たちを自爆してきたみたいに聞こえるぜ」と。

 ビタリーは個人的にナチの紋章をつけた兵たちと戦ってきたし、ビタリー自身はっきりとわかっていることは、自分がファシズムと戦っているということだ。実際私が、帽子に付けたソ連の旗のことについて聞いたとき、ビタリーはソ連がナチズムを敗北させたからだとし、彼の望みは再び同じことが起こることだ、と語った。

 ビタリーにロシアは2022年2月よりも前から兵士を送って戦争に介入してきたと主張している人々がいることを伝えると、彼は断固としてこの主張を否定したが、それは私がドネツクで話を聞いた人すべてがそうだった。しかし、ビタリーが目撃したのは、戦争開始以来、ポーランドと英国の兵士がウクライナ軍とともに戦っている姿だった。ビタリーの考えでは、この9年間に起こったことから考えれば、ドンバスがウクライナに戻ることはないと考えているし、そうなることも全く望んでいない、とのことだった。ビタリーが私に断固として伝えたのは、自分が生きている間に平和が実現することを目にすることはないと考えている、ということだった。

 ドネツク滞在中、私が11月に初めてドンバスを訪問した際に通訳をしてくれたアナスタシアと二度夕食をともにした。アナスタシアはドネツク大学の教員だ。アナスタシアは、極東を含むロシアをあちこち回っていて、2014年以来ドンバスで起こったことを伝えている。というのも、ロシア在住の多くの人々が、何が起こっているかを完全には理解できていないからだ。彼女が私に言ったのは、自分が何かを話すとき、9年間の戦争からくる自分の中のトラウマが頭を持ち上げ、圧倒される気分になることだ。

 アナスタシアの両親と13歳の弟はドネツク人民共和国内の前線の近くに住んでいて、アナスタシアは家族のことをとても心配している。アナスタシアはロシアが戦争に介入したことを喜んでいて、私がロシアのSMOを「侵略」と言ってしまった際は、私に訂正をもとめ、私にロシアは侵略していない、と語った。 むしろロシア軍は、招かれて、歓迎されているとのことだった。私が言える範囲では、この見方がドネツクで一般的に普及している見方のようだ。

 私の5日間のドネツク滞在中、紛争地域内にある2つの都市に連れて行ってもらった。ヤシノバタヤとゴルロフカだ。この旅行中、私は防弾服とヘルメットを身につけるよう求められたが、シートベルト着用は顰蹙を買わないのであれば、義務ではなかった。

 これまで確かに砲撃を受けてきたドネツク市内は、おおよそ被害は見えなく、交通量も多く、レストランやカフェは活発に営業されている様子が見えたが、街を出るとすぐに様子は激変した。

 ヤシノバタヤは激しく破壊されたあとが見え、聞いた話では、このような状況は遡ること2014年からのことだ、という。そんなにも前から始まっていた破壊の対象となったものには、機械工場も含まれており、そこは現在、ドネツク軍の作戦基地として利用されており、隣接する管理棟は見たところ、砲撃される前はオペラハウスだったようだ。

 ゴルロフカの中心地は路上生活が送られていた様子はほとんど伺えず、ソ連時代の遺産であるにちがいない古い路面電車が街の中心部を走っていた。しかしゴルロフカの郊外には明らかに戦争中である様子が見えた。両市においては、遠くから砲撃の音がしばしば聞こえた。

 ゴルロフカで、私たちはニコリと出会った。あだ名は「ヘビー」。ニコリはギリシャの神のような風貌をしていて、身長はおそらく195センチほどで筋肉隆々だ。彼の横に立ったとき、こんな冗談を言った。「ロッキー4のイワン・ドラゴの横にいるみたい」と。ニコリはその冗談にウケて、笑った。体格は大きいが、とてもいい人で、道徳心もしっかりと持った人物のようだった。

 ニコリは私たちを、前は学校だったが今はドネツク民兵隊の基地になっているところの食堂内にあるロシア正教の仮拵えの礼拝所に案内してくれた。ニコリの話によると、SMOか始まったあとである現在でも、ゴルロフカの軍の約9割は地元ドネツクの兵たちであり、残りの1割ほどがロシア兵だという。繰り返しになるが、このような状況については、大手報道機関からはほとんど聞こえてこない。

 ニコリは仮拵えの礼拝所の前に腰を下ろし、こう語った。「自分はウクライナ人だと思っている(だってウクライナで生まれたのだから)が、ドネツクは二度とウクライナに戻ることはないだろう、というのもウクライナは、ドンバスの自国民を砲撃し始めるという『神に逆らう』行為をしてしまったのだから」と。 ニコリは、最後まで戦い抜き、ドネツクの人々が必ず生き残ることができるようにしたい、とはっきりと述べたが、私にはニコリのことばに嘘偽りがないことに疑念をもたなかった。

 私の要望に応じて、ロシア連邦共産党(CPRF)ドネツク支部第一書記であるボリス・リトビィノフに会うことができた。ドネツク議会の議員もつとめているボリスの話では、彼が率いる共産党は、2014年の住民投票の際は指導者及び先導的立場をとっていた勢力の一つだった、という。この住民投票においては、ドネツクが自治共和国となりウクライナから離脱することが決められた。

 ボリスによると、CPRFドネツク支部の100人以上の党員が今回の戦争の前線で従軍している、という。ボリスが言うとおり、CPRFはロシアのSMOを支持しており、SMOは2014年から始められるべきだった、とさえ捉えている。ボリスは、ウクライナでの戦争はまさにロシアの存亡に関わる問題(資本主義者であるか社会主義者であるかに関係なく)であり、ロシアはロシアを破壊しようとしている西側連合と戦っている、ということをはっきりと認識している。

 ボリスはドンバスの戦いと、1930年代のスペインでのファシストと戦っていた共和派による戦いを比較した。今ドンバスには世界中(例えば米国、イスラエル、スペイン、コロンビア)から人々が集まり、ドンバスの人々とともにファシストとの戦争を戦ってくれていることにふれ、それは当時スペインを支援した世界中の戦士たちと同じだ、と述べた。

 私が話を聞いた最後の人物も、私が話をしたいという要望を出して実現したのだが、オルガ・テセルスカヤだ。この女性は、ドネツク人民共和国女性連盟の代表補佐であり母親連合組織の第一書記だ。この母親連合にはドネツク共和国内に6千人ほどの組合員がおり2014年以来の戦争で子どもたちを亡くした母親に対する社会福祉を提言し、社会福祉の提供も行なっている。

 私がわくわくしたのは、オルガが、ピッツバーグ出身の人と話ができてうれしい、という話で対話を始めてくれたことだ。というのも、ピッツバーグとドネツク市はかつて姉妹都市だったからだ。

 私はオルガに、ロシア軍がドネツクに駐留していることについてどう思うかを聞くと、オルガは、ロシア軍がドネツクに駐留することを支持しており、ロシア軍は市民たちによくしてくれていると思っている、と明言した。そして、この戦争の初期に、ロシア人が大量の強姦事件を起こしたという主張に対しては断固否定した。

 言うまでもないが、注意すべきことは、ウクライナ国会の人権対策委員長であるリュドミラ・デニソワが、この強姦事件について主張を始めた人物だが、最終的には職を解かれた、という事実だ。その理由は、彼女の主張は、未検証で、裏付けもとれていなかったからだった。しかし西側報道機関は再び、この事実についてはほとんど報じていない。

 オルガに、ロシアはドンバスから軍を引くべきだと主張する、英国の「戦争中止同盟」などの西側の平和団体に同意するか尋ねたところ、「同意しない」と答え、もしロシア軍が撤退すれば、ドンバスの人々がどんな目に遭うかを考えるだけでもつらくなる、と語った。

 私は、以下の事実こそ、西側の人々がしっかりと把握すべきことだと思う;つまりウクライナ政府はドンバスの自国民たちに激しい暴力を加えてきたのだから、ドンバスの人々にはウクライナから離脱し、ロシアに編入する権利は十二分にあった、という事実だ。西側の人々がこの現実を理解するのであれば、ウクライナと「共に立ち」、ウクライナに武器を供給し続けることを考え直すことになるだろう。
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