ウクライナのマイダン虐殺: 裁判と捜査から暴露されたこと
<記事原文 寺島先生推薦>
The Maidan Massacre in Ukraine: Revelations from Trials and Investigations - NYU Jordan Center (jordanrussiacenter.org)
筆者:イヴァン・カチャノフスキー(Ivan Katchanovski)
オタワ大学政治学部で教鞭をとる。
出典:NYU Jordan Center 2021年12月8日
<記事翻訳:寺島メソッド翻訳グループ> 2023年9月5日
先日モントリオールで開催された国際中東欧研究評議会第10回世界会議で発表した私の論文と数本のビデオは、ウクライナのマイダン大虐殺に関する現在進行中の裁判と政府の調査によって明らかになった証拠について考察したものである。2014年2月20日に行われたユーロマイダン大規模抗議行動におけるデモ隊と警官隊の虐殺は、重大な犯罪と人権侵害を構成するだけでなく、一連の出来事を連鎖させる一因ともなった。これらには、ウクライナ政府の転覆、ドンバスでの内戦の開始、クリミアとドンバスへのロシアの軍事介入、クリミアのロシアによる併合、そして最終的には、ウクライナとロシア、ロシアと西側諸国との間の大規模かつ長期的な紛争が含まれる。マイダンの虐殺の裁判と捜査は、マイダン派のデモ参加者が、当時の政府の狙撃兵やベルクート警官ではなく、マイダン派が支配する建物にいた狙撃兵によって虐殺されたという圧倒的な証拠を提示した。にもかかわらず、当時の政府の狙撃兵やベルクート警官はその殺人の罪で起訴された。
その証拠に含まれているものは、ビデオ、負傷した100人以上のデモ参加者の証言、数十人の検察側証人、政府の専門家による弾道検査や医学的検査などである。一部の例外を除き、これらの暴露はウクライナや西側のメディアでは報道されなかった。メディアは当初から、当時のヤヌコビッチ大統領の命令でマイダンのデモ参加者を殺害したとして、当時の政府の狙撃手やベルク-ト警察を非難していた。私の研究では、YouTubeで配信されている数百時間のマイダン虐殺裁判のビデオ録画を分析した。
その結果、裁判で公開されたビデオは、抗議者の絶対多数の特定の発砲時間が、ベルクートによる発砲時間や発砲の方向と一致していないという、私の以前の研究結果が確認された。この視覚的証拠だけでも、ベルクート警察が少なくとも死傷したマイダン抗議者の絶対多数を虐殺したわけではないことがわかる。同期化され、時刻表示されたビデオで確認できたことは、少なくとも3人の抗議者が、虐殺で起訴されているベルクート警察の特別部隊がマイダンに配備される前に殺されていたことだ。
マイダンの虐殺に関する最も有名なビデオの未公開部分には、銃撃が始まる少し前に、マイダンの2人の抗議者が他の抗議者のグループを虐殺エリアに誘い込む様子が映っていた。一人のデモ参加者は、当時マイダン派が支配していたホテル・ウクライナから狙撃手がデモ隊を撃っていたため、他の者たちにその二人について行くなと叫んでおり、そのホテルからの銃撃の閃光を見たと付け加えた。このベルギーのVRTテレビのビデオは、公判で明らかにされ、VRTから筆者に提供されたものだ。このビデオが示していたのは、この抗議者グループの背後の木に銃弾が命中し、その後、彼らはホテル・ウクライナの方を指差し、狙撃兵に自分たちを撃たないよう懇願していたことだ。

マイダン派支配のホテル・ウクライナの方向から銃撃を受けた後、デモ参加者たちがウクライナ・ホテルにいる狙撃手に(撃たないように懇願して)叫んでいるところ。
出典:付属ビデオC
ベルクート警察官が殺人未遂で起訴されているにもかかわらず、負傷したデモ参加者の絶対多数(72人中47人)は、マイダン派支配下の建物から狙撃兵に撃たれた、あるいはそのような狙撃兵を目撃したと証言している。少なくとも28人の負傷したデモ参加者は、ホテル・ウクライナや他のマイダン派支配下の建物や地域の方向から狙撃されたと証言している。少なくとも30人の負傷した抗議者たちは、そこで狙撃兵を目撃した、および/または、虐殺の最中に、他の抗議者たちから、これらのマイダン派支配地域の狙撃兵について聞かされたと証言した。
出典:付属ビデオD
負傷したマイダン派デモ参加者が、マイダン派が支配していたウクライナ・ホテルにいた狙撃手について証言をしている。
政府の調査でさえ、彼らの証言と調査実験に基づき、157人のデモ参加者のうちほぼ半数の77人はベルクート警察の位置からの銃撃で負傷したのではないと判断し、彼らの銃撃で誰も起訴しなかった。その証拠が示唆したのは、彼らはマイダン派支配地域から撃たれたということだった。実際、ビデオと政府軍の狙撃手部隊と対狙撃手部隊の指揮官による証言の両方で明らかになったことは、犠牲者のほぼ全員がすでに殺害された後に政府軍の狙撃手が到着したことであった。負傷したデモ参加者のうち少数の者は、裁判や捜査において、政府の狙撃兵やベルクート警察に撃たれたと証言している。しかし、これらの証言のほとんどは、法医学的検査での傷の方向やビデオでの位置と一致していない。
検察、そして最近ではマイダンの虐殺裁判では、ベルクート警官の裁判でマイダン派の女性衛生兵を被害者に分類することを拒否した。彼女は、マイダンで血まみれの服を着て救急車に駆け込む姿を撮影された直後に、自分が死にそうだとツイートしたことから、マイダンの「象徴」に仕立て上げられた。彼女はこの裁判の証人として、首の出入り口の傷の報告に基づき、マイダン派が支配するホテル・ウクライナの方向からの銃撃で負傷したと証言した。
しかし、彼女はウクライナのジャーナリストとのインタビューで、負傷していないことを認めた。このウクライナ人ジャーナリストは、マイダン活動家が、この衛生兵の負傷はマイダン自衛官指導部による自作自演であり、彼女は最近受けた手術の傷を抗議活動中に負った傷と偽っていたことを明かしたと報告した。6年後、ウクライナ警察の捜査は、仲間の活動家の自白と法医学専門家の所見に基づき、彼女の「大きな苦難」と「ひどい苦痛」の傷はマイダンとは無関係な状態で作られたと断定した。これらの調査官はまた、大々的に報道された別のマイダン活動家の誘拐と大きな苦難がでっち上げられたものであることも突き止めた。
この裁判では、当時の政府の狙撃部隊の隊員や指揮官ら数十人が検察側の証人として証言した。しかし、彼らの証言によれば、彼らの部隊は、マイダン近くの当時の政府支配地域に配備され、狙撃兵の居場所を突き止め、無力化するよう命じられたとのことだった。彼らは、到着後、銃撃戦は事実上止んだが、マイダン派支配下の建物から銃撃を受けたと証言した。
政府の調査は先に、ヤヌコビッチ政府の狙撃兵は、マイダン派のデモ参加者一人の死亡にのみ責任があると判断していた。一方、そのデモ参加者の一人の殺害時に近くにいた他の2人のデモ参加者は、彼もまたマイダン派支配下の建物から撃たれたと証言した。政府の専門家による写真と法医学的検査は、彼が当時の政府陣地に向かっていたとき、急角度から腐食した弾丸によって背中を撃たれたことを明らかにした。
しかし、圧倒的な証拠にもかかわらず、捜査当局は結局、マイダン派支配下の建物に狙撃手がいたことを否定した。歴史上最も文書化された大量殺人事件のひとつから8年近くが経とうとしているにもかかわらず、マイダンの大虐殺で有罪判決を受けた者も逮捕された者もいないのは驚くべきことである。
The Maidan Massacre in Ukraine: Revelations from Trials and Investigations - NYU Jordan Center (jordanrussiacenter.org)
筆者:イヴァン・カチャノフスキー(Ivan Katchanovski)
オタワ大学政治学部で教鞭をとる。
出典:NYU Jordan Center 2021年12月8日
<記事翻訳:寺島メソッド翻訳グループ> 2023年9月5日
先日モントリオールで開催された国際中東欧研究評議会第10回世界会議で発表した私の論文と数本のビデオは、ウクライナのマイダン大虐殺に関する現在進行中の裁判と政府の調査によって明らかになった証拠について考察したものである。2014年2月20日に行われたユーロマイダン大規模抗議行動におけるデモ隊と警官隊の虐殺は、重大な犯罪と人権侵害を構成するだけでなく、一連の出来事を連鎖させる一因ともなった。これらには、ウクライナ政府の転覆、ドンバスでの内戦の開始、クリミアとドンバスへのロシアの軍事介入、クリミアのロシアによる併合、そして最終的には、ウクライナとロシア、ロシアと西側諸国との間の大規模かつ長期的な紛争が含まれる。マイダンの虐殺の裁判と捜査は、マイダン派のデモ参加者が、当時の政府の狙撃兵やベルクート警官ではなく、マイダン派が支配する建物にいた狙撃兵によって虐殺されたという圧倒的な証拠を提示した。にもかかわらず、当時の政府の狙撃兵やベルクート警官はその殺人の罪で起訴された。
その証拠に含まれているものは、ビデオ、負傷した100人以上のデモ参加者の証言、数十人の検察側証人、政府の専門家による弾道検査や医学的検査などである。一部の例外を除き、これらの暴露はウクライナや西側のメディアでは報道されなかった。メディアは当初から、当時のヤヌコビッチ大統領の命令でマイダンのデモ参加者を殺害したとして、当時の政府の狙撃手やベルク-ト警察を非難していた。私の研究では、YouTubeで配信されている数百時間のマイダン虐殺裁判のビデオ録画を分析した。
その結果、裁判で公開されたビデオは、抗議者の絶対多数の特定の発砲時間が、ベルクートによる発砲時間や発砲の方向と一致していないという、私の以前の研究結果が確認された。この視覚的証拠だけでも、ベルクート警察が少なくとも死傷したマイダン抗議者の絶対多数を虐殺したわけではないことがわかる。同期化され、時刻表示されたビデオで確認できたことは、少なくとも3人の抗議者が、虐殺で起訴されているベルクート警察の特別部隊がマイダンに配備される前に殺されていたことだ。
マイダンの虐殺に関する最も有名なビデオの未公開部分には、銃撃が始まる少し前に、マイダンの2人の抗議者が他の抗議者のグループを虐殺エリアに誘い込む様子が映っていた。一人のデモ参加者は、当時マイダン派が支配していたホテル・ウクライナから狙撃手がデモ隊を撃っていたため、他の者たちにその二人について行くなと叫んでおり、そのホテルからの銃撃の閃光を見たと付け加えた。このベルギーのVRTテレビのビデオは、公判で明らかにされ、VRTから筆者に提供されたものだ。このビデオが示していたのは、この抗議者グループの背後の木に銃弾が命中し、その後、彼らはホテル・ウクライナの方を指差し、狙撃兵に自分たちを撃たないよう懇願していたことだ。

マイダン派支配のホテル・ウクライナの方向から銃撃を受けた後、デモ参加者たちがウクライナ・ホテルにいる狙撃手に(撃たないように懇願して)叫んでいるところ。
出典:付属ビデオC
ベルクート警察官が殺人未遂で起訴されているにもかかわらず、負傷したデモ参加者の絶対多数(72人中47人)は、マイダン派支配下の建物から狙撃兵に撃たれた、あるいはそのような狙撃兵を目撃したと証言している。少なくとも28人の負傷したデモ参加者は、ホテル・ウクライナや他のマイダン派支配下の建物や地域の方向から狙撃されたと証言している。少なくとも30人の負傷した抗議者たちは、そこで狙撃兵を目撃した、および/または、虐殺の最中に、他の抗議者たちから、これらのマイダン派支配地域の狙撃兵について聞かされたと証言した。
出典:付属ビデオD
負傷したマイダン派デモ参加者が、マイダン派が支配していたウクライナ・ホテルにいた狙撃手について証言をしている。
政府の調査でさえ、彼らの証言と調査実験に基づき、157人のデモ参加者のうちほぼ半数の77人はベルクート警察の位置からの銃撃で負傷したのではないと判断し、彼らの銃撃で誰も起訴しなかった。その証拠が示唆したのは、彼らはマイダン派支配地域から撃たれたということだった。実際、ビデオと政府軍の狙撃手部隊と対狙撃手部隊の指揮官による証言の両方で明らかになったことは、犠牲者のほぼ全員がすでに殺害された後に政府軍の狙撃手が到着したことであった。負傷したデモ参加者のうち少数の者は、裁判や捜査において、政府の狙撃兵やベルクート警察に撃たれたと証言している。しかし、これらの証言のほとんどは、法医学的検査での傷の方向やビデオでの位置と一致していない。
検察、そして最近ではマイダンの虐殺裁判では、ベルクート警官の裁判でマイダン派の女性衛生兵を被害者に分類することを拒否した。彼女は、マイダンで血まみれの服を着て救急車に駆け込む姿を撮影された直後に、自分が死にそうだとツイートしたことから、マイダンの「象徴」に仕立て上げられた。彼女はこの裁判の証人として、首の出入り口の傷の報告に基づき、マイダン派が支配するホテル・ウクライナの方向からの銃撃で負傷したと証言した。
しかし、彼女はウクライナのジャーナリストとのインタビューで、負傷していないことを認めた。このウクライナ人ジャーナリストは、マイダン活動家が、この衛生兵の負傷はマイダン自衛官指導部による自作自演であり、彼女は最近受けた手術の傷を抗議活動中に負った傷と偽っていたことを明かしたと報告した。6年後、ウクライナ警察の捜査は、仲間の活動家の自白と法医学専門家の所見に基づき、彼女の「大きな苦難」と「ひどい苦痛」の傷はマイダンとは無関係な状態で作られたと断定した。これらの調査官はまた、大々的に報道された別のマイダン活動家の誘拐と大きな苦難がでっち上げられたものであることも突き止めた。
この裁判では、当時の政府の狙撃部隊の隊員や指揮官ら数十人が検察側の証人として証言した。しかし、彼らの証言によれば、彼らの部隊は、マイダン近くの当時の政府支配地域に配備され、狙撃兵の居場所を突き止め、無力化するよう命じられたとのことだった。彼らは、到着後、銃撃戦は事実上止んだが、マイダン派支配下の建物から銃撃を受けたと証言した。
政府の調査は先に、ヤヌコビッチ政府の狙撃兵は、マイダン派のデモ参加者一人の死亡にのみ責任があると判断していた。一方、そのデモ参加者の一人の殺害時に近くにいた他の2人のデモ参加者は、彼もまたマイダン派支配下の建物から撃たれたと証言した。政府の専門家による写真と法医学的検査は、彼が当時の政府陣地に向かっていたとき、急角度から腐食した弾丸によって背中を撃たれたことを明らかにした。
しかし、圧倒的な証拠にもかかわらず、捜査当局は結局、マイダン派支配下の建物に狙撃手がいたことを否定した。歴史上最も文書化された大量殺人事件のひとつから8年近くが経とうとしているにもかかわらず、マイダンの大虐殺で有罪判決を受けた者も逮捕された者もいないのは驚くべきことである。
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