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現在ウクライナ政府を実質支配している民族主義ファシスト集団の残忍な手口の伝統は、第二次世界大戦以前に遡る

<記事原文 寺島先生推薦>
ASSASSINATIONS, CIA, DEEP STATE, FASCISM, GERMANY, NATO, NAZIS, RUSSIA, TERRORISM, UKRAINE, USA
How Pre-WW II Ukrainian Fascists Pioneered Brutal Terror Techniques; Later Improved by CIA, Now Ironically Taught to Descendants
(第二次世界大戦前のウクライナ・ファシストたちが残虐なテロ技術を開発した方法;それをのちにCIAが改良、現在皮肉にもそれが末裔たちに教えられている。)

筆者:エヴァン・ライフ(Evan Reif)

出典:INTERNATIONALIST 360°

2022年6月10日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月23日



一堂に会するCIAの熱心な生徒たち―民間人を対象としたテロ技術の花形生徒たち:ソ連と戦うためにCIAにリクルートされたOUN(ウクライナ民族主義者組織)のパルチザン[出典: rbth.com]


 「テロは自衛手段だけでなく、敵味方関係なく、望むと望まざるとに関わらず影響を与える運動形態となる。」
ーUVO(ファシスト・ウクライナ軍事組織)、1929年のパンフレット

ウクライナのファシズムと米国についての3部シリーズ、その第一部

 ウクライナの歴史は長く、豊かである。黒土と豊かな海を持つウクライナの肥沃な土地は、何千年にもわたって激しい争奪戦が繰り広げられてきた。古代のスキタイ人、ルルキド人や初代皇帝となるヴァランギア人、モンゴル人、ヘトマン国、ウクライナSSRなど、歴史的背景なしに今日のウクライナの状況を真に理解することは不可能であろう。

 ウクライナで生き、戦い、死んでいったすべての人々の中で、あるグループが今日の出来事にとって重要である点で際立っている。ウクライナ民族主義者組織(OUN)として知られるファシストのテロリスト、盗賊、協力者たちだ。

 私は、ここでOUNの包括的な歴史を語ろうとは思っていない。私がしたいのは、過去のテロリストと現在のテロリストを直接結びつける一本の糸を引きだすことだ。そのためには、いくつかの背景が必要である。


初期:イエベーンとUVO

「テロは自衛手段だけでなく、敵味方関係なく、望むと望まざるとに関わらず影響を与える運動形態となる。」ーUVO(ファシスト・ウクライナ軍事組織)、1929年のパンフレット

 元オーストリア・ハンガリー帝国陸軍中尉のイエベーン・コノヴァレッツ(Yevhen Konovalets)は、1929年にオーストリアのウィーンで、それまで所属していたウクライナ軍事組織(UVO)の残骸からOUNを設立した。UVOは、第一次世界大戦に参戦したオーストリア・ハンガリー帝国の右翼退役軍人が、戦間期初期に存在した短命のウクライナ人民共和国のために戦ったグループから1920年に生まれたもの。UVOは、当時ポーランドに占領されていたウクライナ西部で主に活動し、ポーランドとソビエトに対して大規模なテロ作戦を展開した。

 ここで、公平を期すために、当時のポーランド政権は極右政権であり、不人気な土地改革法や言語法を次々と実施していたことに触れておく必要がある。とはいえ、それに対するUVOの大量虐殺的な反応は正当化できない。UVOは、兵士や警察に対してよりも罪のないポーランドの一般市民に対して攻撃し、殺害した。このグループは、数多くの爆弾テロや暗殺(未遂も成功も)を行い、1921年にはウクライナSSR(ソビエト社会主義共和国)に侵攻して、最終的に「解放のための襲撃」に失敗している。

 同年、コノヴァレッツはドイツ情報部との公式な協力を開始し、ワイマール軍情報部の司令官フリードリッヒ・ゲンプ(Friedrich Gempp)と面会することになる。1921年から1928年にかけて、UVOはワイマール・ドイツから数百万マルクの援助を受けることになる。ポーランドとソビエト政府の圧力により、UVOの指導者はベルリンに移転させられ、ワイマール情報部はそこで訓練を開始することになった。ナチスが政権を握った後も、コノヴァレッツとアプヴェール*(Abwehr)は協力を続け、何も変わらなかった。
アプヴェール*・・・(ドイツ語: Abwehr、「防衛」「防諜の意)は、ドイツ軍において戦間期の1921年から第二次世界大戦末期の1944年5月まで存在した情報機関/諜報機関である。(ウイキペディア)

 UVOは、テロリズムを彼らの闘争の不可欠な部分とみなしており、イワン・バビジ(Ivan Babij)のような穏健な民族主義者を、過激さが十分でないとして殺害したほどである。彼らは主に盗賊として活動し、その戦術を決して放棄することはなかった。例えば、1922年にUVOがポーランドの農場を襲ったのは約2,300件、ポーランドの軍や警察を襲ったのはわずか17件であった。UVOは、農場を襲撃して物資を調達し、所有者や労働者がいれば殺害し、収穫が終わると農作物を焼却するのである。その後、ポーランド人の財産を「収奪」するために飛行旅団が設立され、しばしば銀行強盗をして組織の資金を調達した。

 UVOはその後も同じ路線で、テロ攻撃や盗賊襲撃を行い、さまざまな成功を収めた(ポーランド警察によって何度か掃討されそうになったこともあるが)が、1929年に5つのウクライナ民族主義団体が合併してOUNが設立された。


ステパン・バンデラ(Stepan Bandera)が実権を把握:OUN-Bとなった経緯

 「OUNはメンバーの命を大切にします。しかし、私たちの理解の中にある目的は非常に壮大であり、その実現のためには、一個人ではなく、何百人もの犠牲者が犠牲にならなければならないのです。」-ステパン・バンデラ

 合併後、コノヴァレッツは、より急進的な若いメンバーがOUNの手綱を取るようになり、衰退していくことになる。UVOは技術的には存続するが、その役割は新組織の中で大幅に減少した。その若い指導者の一人がステパン・バンデラであった。バンデラはリヴィウのカトリック司祭の息子で、OUNに移る前にプラスト運動(ファシストのスカウト集団)で少年時代を過ごしたことに端を発する、生涯を通じて長期間ファシストとして生きた人物であった。

 バンデラは、1931年に宣伝部長、1933年には全国執行部長の地位に就き、急速に出世していくことになる。

 バンデラは、献身的だが、精神を病んだファシストだった。若い頃から自分の体を痛めつけ、それで回復力を高めるようなことをしていた。そして狂信的で暴力的な反ユダヤ主義者、反共産主義者、反ハンガリー主義者、反ポーランド主義者だった。彼はまた、失地回復論者でもあったが、ウクライナ人が何世紀にもわたって保有していなかった土地さえも取り戻し、非ウクライナ人をすべて粛清しようとしていた。バンデラはすぐにOUNをさらに急進させ、彼には人の才能を見極める眼力が備わっていたので、OUNはより大きく、より効果的な組織へと成長した。1934年、OUN-Bはポーランド外相ブロニスワフ・ピエラツキ(Bronisław Pieracki)をピストルで至近距離から暗殺するという、これまでで最も大胆な攻撃を行った。

 ポーランド当局は、バンデラを捕らえ、他のOUN指導者とともに死刑を宣告した。死刑は終身刑に減刑され、バンデラは1939年にナチスがポーランドに侵攻した際に釈放されるまで獄中に留まった。彼を釈放したのがナチス自身なのか、それともナチスの侵攻から逃れた仲間たちなのかは不明である。ナチスによってではないにせよ、ナチスのせいで釈放されたのだから、その区別は重要ではないと思う。

 釈放後、ナチスはバルバロッサ作戦の準備を始め、バンデラとOUNはソ連への侵攻の主役となる。

 ヒトラー、アップヴェール長官ヴィルヘルム・カナリス(Wilhelm Canaris)、ヴィルヘルム・カイテル(Wilhelm Keitel)、そしてアルフレート・ヨードル(Alfred Jodl)将軍を含むナチス上層部の指示により、アップヴェールは1940年からバンデラとOUNを積極的に起用することになる。この協力の目的は、ソビエトを攻撃することだけでなく、民間人に対する報復と残虐行為を実行するための残忍で効率的な部隊を持つことであった。

 ニュルンベルク裁判でのエルヴィン・フォン・ラハウゼン(Erwin von Lahousen)将軍の証言から引用する。

 「アーメン大佐:記録を完全に明確にするために、カイテル(Keitel)は、どのような措置がすでに合意されていると言ったのですか?

 ラハウゼン:OKW*長官によれば、ワルシャワへの砲撃と、私が前に述べたような種類の人々の射殺は、すでに合意されていたそうです。
OKW*・・・国防軍最高司令部(こくぼうぐんさいこうしれいぶ、独: Oberkommando der Wehrmacht、略号:OKW、オーカーヴェー)は、国防軍最高司令官である大統領(総統)が国防大臣(英語版、ドイツ語版)に直接指揮を負託する従来の仕組みを廃し、最高司令官であるアドルフ・ヒトラー自らが国防軍を直接指揮するために1938年に創設された組織である。(ウイキペディア)

 アーメン大佐:それはどんな人たちだったのですか?

 ラハウゼン:主にポーランドの知識人、貴族、聖職者、そしてもちろんユダヤ人です。

 アーメン大佐:ウクライナのグループと協力する可能性があったとすれば、それはどのようなものですか?

 ラウゼン:カナリス(Canaris)はOKW長官から命令を受けています。OKW長官は、外相リッベントロップ(Ribbentrop)の政治的計画に関連して、どうやら彼から受け取ったらしい指令を伝えていると述べているのです。すなわち、ユダヤ人とポーランド人の絶滅を目的とした蜂起をガリシア地方のウクライナで扇動することがその内容です。

 アーメン大佐:どの時点でヒトラーとヨードル(Jodl)はこの会合に参加しましたか?

 ラハウゼン:ヒトラーとヨードルは、先に述べた議論の後か、あるいはこの問題の議論がすべて終わったころ、カナリスがすでに西側の状況、つまり西壁でのフランス軍の反応に関するニュースを報告し始めていたころに、入ってきました。

 アーメン大佐:そしてその時どんな突っ込んだ議論がなされましたか?

 ラハウゼン:OKW長官の専用車でのこの議論の後、カナリスは馬車を降りてリッベントロップと再び短い話をしました。リッベントロップはウクライナの話に戻って、蜂起を演出してポーランド人のすべての農場と住居を炎上させ、すべてのユダヤ人を殺害すべきだと再び告げました。

 アーメン大佐:それを言ったのは誰ですか?

 ラハウゼン:当時の外務大臣だったリッペンドルフがそれをカナリスに言いました。私は彼の隣に立っていました。

 アーメン大佐:そのことについてあなたは一片の疑いもないのですか?

 ラハウゼン:ありません。そのことについての疑念は一切ありません。特に鮮明に覚えているのは、「農家も住居も全部燃えてしまえ」という、ちょっと新しい表現です。それまでは「清算」「排除」という言葉しかありませんでした。

 アプヴェールの大佐エルヴィン・シュトルツ( Erwin Stolz)は、ラハウゼンが誰のことを言っているのか明らかにすることになるだろう:

 「私は、上記のカイテルとヨードルの指示を実行する際に、ドイツ情報局に所属するウクライナ人国家社会主義者やその他の民族主義ファシスト集団のメンバーと接触し、彼らが上記のような任務を遂行するように働きかけました。

 特に、ウクライナ民族主義者の指導者であるメルニク(コードネーム「領事I」)とバンデラには、私が個人的に指示を出し、ドイツのソ連に対する攻撃を受けて直ちに組織し、ソ連軍の背後を混乱させ、さらにソ連後方の崩壊の疑いを国際世論に納得させるために、ウクライナでデモを引き起こすよう求めた。

 また、ソ連のバルト共和国での破壊活動のために、アプヴェール IIによる特別な陽動部隊を用意しました。」

 ナチスとの協力には異存はなかったが、その後の対応については、OUNの中でも意見が大きく分かれた。この時のOUNのリーダー、アンドリー・メルニク(Andriy Melnyk)は、よりナチスに従属した穏健な姿勢をとっていた。

 バンデラは、革命的な姿勢とウクライナの独立宣言を支持し、これに反対した。この意見の相違は激しい分裂に発展し、バンデラは最も急進的なメンバーを引き連れてOUN-Bを結成した。メルニクのグループは、分裂とバンデラからの攻撃により、あっという間に追い抜かれてしまった。OUN-Mは戦争を生き延びたが、これ以降、バンデラがウクライナのファシスト運動を支配し、反対意見はほとんど出なかった。

 やがて、アプヴェールとの協力関係は恐ろしい結末を迎えることになる。アプヴェールのコマンド大隊「ブランデンブルク」の庇護のもと、OUNの指揮のもと、「ローランド」と「ナイチンゲール」という2つのOUN部隊が結成された。後者は悪名高いローマン・シュケビッチ(Roman Shukhevych)の指揮下にあり、後にOUNの最悪の残虐行為を計画することになる大量殺人者であった。その他、ドイツ国防軍とゲシュタポの部隊に所属するOUN部隊もあり、主に通訳やガイドとして活躍していた。ナイチンゲールとローランドは、ナチス軍とともに、1941年に血生臭い任務を遂行するためにリヴィウに送られた。


血塗られたナイチンゲール

 「我々はUPA(ウクライナ蜂起軍)の兵士であり、特に地下の戦闘員であり、残忍な力との戦いで遅かれ早かれ死ななければならないことは承知している。しかし、私は保証します、私たちは死ぬことを恐れません、なぜなら私たちが死ぬとき、私たちはウクライナの土地の肥料になることを意識するからです。この土地には多くの肥料が必要だ。将来、この土地で新しいウクライナ人の世代が育ち、我々が完成させる運命になかったものを完成させることができるのだ。」
ローマン・シュヘビチ(Roman Shukhevych)

 1943年まで、リヴィウ(Lviv)は1300年代からポーランドやオーストリアの支配下にあった。リヴィウは約50万人の都市で、半数以上がポーランド系カトリック教徒、10~16万人のユダヤ系少数民族、そのうちの数万人はナチス占領下のヨーロッパからの難民であった。ウクライナ人は2割程度であった。OUNは、ほとんど時間をかけずにこの状況を変えた。

 OUN軍は、ユダヤ人、ポーランド人、ロシア人を絶滅させるという具体的な命令を持ってこの街に入り、その任務は見事に遂行されることになった。6月30日の深夜、通訳が最初の犠牲者となった。彼らは、リヴィウ陥落後最初の大虐殺という不名誉な栄誉を手にしたのである。つまり、反ナチス派のポーランド人教授たちを誘拐し、拷問し、殺害したのである。

 OUNが作成していた射撃対象者リストから、ナチスとウクライナ軍は教授とその家族を逮捕し、何時間も寮に拘束して拷問を加えた。一人を除いて全員が処刑され、死後、彼らのアパートはSSとOUNの将校に略奪され、占拠された。

 ナイチンゲールも負けじ、とすぐに仕事に取り掛かった。1941年6月30日からリヴィウで起こったことは、一つの大虐殺として理解するのではなく、一ヶ月以上にわたる一連の虐殺として理解する必要がある。ナイチンゲールは、リヴィウに最初に入った2つの部隊のうちの1つであった。ナチスの精鋭山岳部隊を従えたナイチンゲールは、丘の上の城を占領して本部を設置し、地元のユダヤ人を検挙し始め、最初は通りから死体や爆弾の被害を強制的に片づけさせた。ユダヤ人の家屋や財産に対する無差別殺人と略奪が行われたのは、この作業が行われた最初の夜だった。

 朝には、OUNの潜入者、脱走者、シンパが動員され、ナチスとともにユダヤ人に対する組織的暴力が開始された。攻撃の前の数日間、OUNの宣伝ビラがリヴィウで広範囲にまかれ、住民に伝えた:

 「まだ武器を捨ててはいけない。それを手に取るのだ。敵を破壊せよ モスクワ、ハンガリー人、ユダヤ人......これらは君の敵だ。彼らを殺すのだ。」

 その忠告を多くの人が真に受けたようだ。その結果、ウクライナの民族主義者たちは、白昼堂々、街中の何千人ものユダヤ人を残虐に殺害した。

 彼らは、多くの女性を強制的に路上に連れ出し、そこで民族主義者たちは彼女たちを裸にし、レイプし、殺害した。男たちへの扱いは少しましだった:多くの男たちは、街頭で棍棒や拳で残酷に殴られ、群衆は彼らを嘲り、ゴミを投げつけた。ナチスの記者たちは、このような暴力行為の多くを撮影し、写真に収めた。

 ドイツ国防軍の宣伝会社は、たとえば、地元の男が街頭でユダヤ人を殴っているこの画像を撮影した。これは、ナチスが長い間計画し、よく知られていた絶滅計画を実行する、そして実行できることの証拠として、ドイツ中の新聞や映画放送でその役目を果たした。この日、2,000人から5,000人のユダヤ人が無残にも虐殺されたが、そのほとんどすべてがOUNとその関連部隊によるものであった。

 アインザッツグルッペン(The Einsatzgruppen)*はそのすぐ後に到着することになる。彼らはプロの殺し屋であり、ポーランドとソビエト連邦の無数の市町村をすでに「浄化」したファシスト処刑人の精鋭部隊であった。
アインザッツグルッペン*・・・、ドイツの保安警察 と保安局 がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」を銃殺するために組織した部隊である。 アインザッツグルッペンは複数表記で、単数形はアインザッツグルッペとなり、直訳すると「展開集団」である。正式名称は「保安警察及び保安局のアインザッツグルッペン」という。(ウィキペディア)

 アインザッツグルッペンは、一軒一軒を訪ね歩き、優先ターゲットを探し出した。アインザッツグルッペンの兵士たちは、ある程度整然としたやり方で、あらかじめ掘られた穴まで行進させ、無理やり、ひざまづかせ、銃で処刑した。彼らは、約3000人のユダヤ人が死ぬまで、この作業を何時間も繰り返した。ナイチンゲール、OUN民兵、その他様々なファシスト協力者が、この虐殺のあらゆる側面に関与していた。彼らは警察として、ユダヤ人をトラックに乗せ、スタジアムに運び、機関銃で大量処刑するのを手伝った。

 このような絶滅作戦は何日も続けられ、ユダヤ人から価値のあるものは何でも組織的に略奪した。ベルリンのナチス会計士は、被支配者の歯の詰め物を取り除くまで、最大限に経済的に搾取することを要求し、その金の多くは、ナチスの働きと絶滅計画から莫大な利益を得たドイツの実業家たちに直接送られたのである。

 その過程で、4千人以上が殺され、その多くがこん棒で殴り殺された。この大虐殺の犠牲者たち、そしてこのような多くの犠牲者たちから盗まれたものの価値は、決して知ることはできないだろう。

 悲しいことに、ナイチンゲールとその仲間たちの所業は、まだ終わってはいなかった。

 7月25日、ウクライナ軍は約3日間にわたる別のポグロムを開始する。暗殺されたウクライナ人指導者の名前をとって「ペリトゥーラ(Pelitura)の日」と呼ばれ、地方から来たウクライナ人民族主義者がOUNの指揮下でリヴィウに進軍してきた。民族主義者たちは、ウクライナ補助警察から提供されたリストをもとに、残ったユダヤ人、ポーランド人、共産主義者などの「好ましからざる者たち」を駆逐していった。

 3日間で約2000人が殺され、そのほとんどが農具で切り刻まれた。このような残虐さは、シュケビッチとOUNの名刺代わりとして、その存在をずっとアピールし続けることになる。

 1944年に赤軍がリヴィウを解放した時、市民は15万人しか残っておらず、そのうちユダヤ人は800人だけだった。OUN、ウクライナ補助軍、ナチスは残りを殺害するか、逮捕してベルゼク強制収容所に強制送還していた。そこでナチスは「ラインハルト作戦」の一環として、彼ら全員を殺害することになる。ベルゼック収容所での殺害行為は非常に効率的であったため、生存者の身元が確認されたのは12人以下だった。

 城の高みにいて、OUN指導部は何もしなかったわけではない。リヴィウで虐殺が続く中、OUNの副司令官でリヴィウ出身のヤロスラフ・ステツコ(Yaroslav Stetsko)は、自らも過激なファシストであり、ナチスと提携したウクライナ政府の独立を宣言したのである。これが、OUNの歴史におけるより複雑な章の土台となるのである。


協力の問題

「新生ウクライナ国家は、ヨーロッパと世界に新秩序を形成し、ウクライナ人民がモスクワの占領から自らを解放するのを助けているアドルフ・ヒトラーの指導の下、国家社会主義の大ドイツと緊密に協力することになる。

 ウクライナの地で結成されたウクライナ人民革命軍は、全世界の主権的統一国家と新秩序のために、連合ドイツ軍とともにモスクワ占領に対抗して戦い続ける。

 ウクライナ主権の統一ウクライナ万歳! ウクライナ民族主義者組織万歳! ウクライナ民族主義者組織とウクライナ国民の指導者ステパン・バンデラ万歳。ウクライナに栄光あれ!

―ヤロスラフ・ステツコ、「ウクライナ国の復活行動」より

 この辺りでナショナリストたちからの反論の声が上がるだろう:バンデラは逮捕された!彼は収容所に行った!彼はファシストでもナチスでもなかったのだ!OUNはナチスと戦ったのだ!

 私は、いくつかの理由から、これらの議論が説得力を持つとは思わない。第一に、バンデラとOUNはファシストとして誰の手も借りずにやっていけていた。彼らは暴力的かつ過激に反ユダヤ、反ポーランド、反共産、民族主義を掲げた。たとえ彼らがナチスの協力者でなかったとしても、彼ら自身のひどい残虐行為は、彼らの評判への汚点を永久への残すことになるだろう。

 その中でも最も衝撃的だったのは、ポーランド軍とOUN軍の2年にわたる戦闘で行われ、「血の日曜日」で頂点に達した民族浄化作戦、ヴォリナであろう。1943年7月11日、ローマン・シュケビッチ(Roman Shukhevych)によって、約100のポーランド人居住地に同時に攻撃が開始された。この日、UPAは約8000人のポーランド市民を殺害し、その多くはミサに参加していた教会内で銃殺されたり、生きたまま焼かれたりした。その後、UPAは地方に広がり、逃げ延びた者を斧、ハンマー、ナイフで追い詰め、殺害した。OUNは2年以上にわたって住民を虐殺し続け、その結果、約10万人の死者が出たが、そのほとんどが女性と子供だった。

 このような残忍さは、OUNの典型的なものであった。バンデリウツイ*から身を隠していたウクライナ系ユダヤ人のモーシェ・マルツ(Moshe Maltz)は、そのことを日記に記しており、後に彼の回顧録として出版されている。
バンデリウツィ*・・・またはバンデリウツィ。ウクライナ民族主義者組織のメンバー。この用語は、1929年にウクライナファシスト連合を含む運動の合併として結成されたウクライナ民族主義者組織の長であるステパン・バンデラの名前に由来している。

 「ユダヤ人がほとんどいなくなったので、バンデラ一味はポーランド人に牙を剥いたのだ。彼らは文字通り、ポーランド人をバラバラに切り刻んでいる。毎日......首にワイヤーをかけられたポーランド人の死体がバグ川に流れているのを見ることができる。」

 したがって、OUNは自分たちを悪者にするためにヒトラーを必要としない。第二に、彼らはナチスの協力者であった。

 ナチスが受け入れなかった独立宣言の数ヵ月後、緊張が高まり、ナチスはバンデラ、ステツコなどの指導者を逮捕する。自宅軟禁の後、1943年にザクセンハウゼン強制収容所に移された。

 しかし、バンデラの収容所待遇は破格だった。バンデラには絵画と絨毯のある2部屋のスイートルームがあり、妻との面会が許され、強制労働はなく、制服も着ず、点呼も免除され、看守と食事をし、も独房のドアに鍵をかけないというものだった。

 ナチスは1944年、ヒトラーの最高司令官オットー・スコルツェニ(Otto Skorzeny)との会談の後、進攻する赤軍に対するテロ作戦を実行するためにバンデラを解放した。ナチスはその間にいつでもバンデラとステツコを殺すことができたのに、殺さなかった。むしろ、彼らを配下に納めるために骨身を惜しまず、それはうまくいった。

 OUNはナチスに対して何らかの行動を起こすが、それは短時間で中途半端なものでしかない。1942年には、事実上戦闘は全くなかった。

 1943 年初めにそれは変わり、ウクライナ西部でいくつかの戦闘があった。山賊という評判通り、OUNは主に農場や小さな集落を襲い、焼き討ちや殺戮を行った。これらの攻撃のほとんどは、OUNの典型的な残忍さで実行され、軍人よりも民間人の死者の方が多かった。

 この1年間の戦闘で、OUNは約12,000人の「ドイツ人」を殺害した。そのうち 700-1000 人がドイツ国防軍で、残りはナチの管理下にある民間人、あるいはナチの支配下にある地域の単なる農民や小作人であった。実際、当時のソ連のパルチザンの報告によると、OUNは必要なときだけナチスの兵士と交戦したという。:
民族主義者は破壊活動を行わず、ドイツ軍がウクライナ人をあざ笑うときと、ドイツ軍が攻撃するときだけドイツ軍と戦闘を行う。

 ナチスは、最終的に両派を絶滅させるつもりで、この状況を利用して、ポーランド人協力者部隊をこの地域に移動させることにした。この部隊はハンガリー人の助力部隊とともに、OUNとの戦いの大部分を担った。

 しかし、スターリングラードでのソ連の勝利は、ナチスと OUN の双方に恐怖を与え、交渉と緊張の冷え込みを余儀なくさせた。1943 年後半の第 3 回評議会で、OUN 指導部はソビエトを主敵として再確認し、ナチスに対する積極的な取り組みを終了した。ナチスと OUN の間の小競り合いは 1944 年まで続いたが、もはや重要な戦闘ではなかった。

 歴史家のラス・ベラン(Russ Bellant)の言葉を引用しよう:
 「ウクライナ民族主義者組織は1943年、ドイツの後援のもと、退却するドイツ軍に代わって戦う多国籍軍を組織した。43年のスターリングラードの戦いの後、ドイツ軍はより多くの味方を得る必要性を感じ、ルーマニア鉄衛団、ハンガリー矢十字団、ウクライナ国民党組織など、支援するための軍事組織を持つものが集まり、被支配国委員会という統一戦線を形成して、再びドイツ軍のために活動した。1946年、彼らはこれを反ボルシェビキ民族ブロック(ABN)と改称した。ステテコは1986年に亡くなるまでその指導者だった。

 OUNを指導者だけのものと考えたくなるが、実際には、OUNは常に何千人もの、ほとんど無名の、一般人戦闘員で構成されていたのである。これらの戦士の多くは、民族主義的な民兵からナチスへと行ったり来たりしていた。

 ナチスが「安全保障戦争」と呼ぶ汚い仕事の大部分は、この「警察」部隊によって行われたのである。これは、ナチスの支配に反対する者を恐怖に陥れて大量に殺害するための婉曲表現に過ぎなかった。アプヴェールコマンド部隊もまた、OUNの戦士たちに別の協力の場を提供し、抵抗運動を鎮めるためにほぼ全面的に使われた。

 悪名高いSSガリシア師団も1943年に結成され、この師団とOUNの重複は広範囲に及んでいた。その評判を白紙に戻そうとする大規模な試みにもかかわらず、ガリシアはSSと変わらないような犯罪集団であった。このSS部隊を称える行進や記念碑は、今日、ウクライナ西部でよく見られる。

 「ロシアのウクライナはオーストリアのガリシア(現在ポーランドとウクライナ国境付近にまたがる地域)と比較できない... オーストリア・ガリシアのルテニア人(ウクライナ人の古称)は、オーストリア国家と密接に絡み合っている。したがって、ガリシアでは、地元住民からSSが一つの師団を形成することを認めることが可能である」-アドルフ・ヒトラー、1942年。

 しかし、この議論はほとんど無意味で、1993年にウクライナ人自身がこの問題に決定的な決着をつけた。当時のレオニード・クラフチュク( Leonid Kravchuk)大統領率いるウクライナ政府の指示で、SBU(ウクライナ国家保安局)はOUNのナチスとの協力の度合いを調査するよう命じられたのである。クラフチュク大統領は、OUNの再建に着手する意図で、その歴史的正当性を求めていた。

 それは手に入らないだろう。

 以下は彼らが発見したもの:

 「この保存記録には、OUN-UPAとドイツの特殊部隊の資料や戦利品が含まれており、1943年のUPA部隊とドイツ軍との小競り合いについての証言だけが残っている。重要な攻撃や防衛作戦、大規模な戦闘は記録されていない。この時期のUPA部隊のドイツ軍との戦いの戦術は、拠点への攻撃、小部隊、拠点の防衛、道路での待ち伏せに絞られていた。」 -ウクライナ治安局 -ウクライナ治安維持局、「OUN-UPAの活動について」、7-3-1993年

 先に述べたように、1942 年には全く戦闘がなく、1944 年までに OUN はナチスに対する武装闘争を公式に終了している。したがって、OUN は 1943 年にはナチスとほとんど戦っていないので、ナチスとはほとんど戦っていないことになる。

 この点から、元コメディアンのゼレンスキーはもっとましなジョークが必要だろう。


矛と短剣

 「ABNはかつてないほど優れた商業的ヒットマンだ。」
L.フレッチャー・プラウティ(Fletcher Prouty)、ケネディ政権時、統合参謀本部特別作戦部長だった。

 バンデラとOUNは、終戦までナチスの手先であった。その最も明確な証拠は、1945年にアメリカ軍が空爆したナチスの輸送隊にヤロスラフ・ステツコ(Yaroslav Stetsko)が乗っていて、もう少しで彼が死ぬところだったということだ。

 OUN は 1950 年代まで何らかの形で、ウクライナ西部でテロ攻撃を続けることになるが、KGB によれば、OUN は損失を補充することができなかったという。損失を補充しないまま積極的な対策を取ろうとしたことで、OUN は 1954 年頃には戦闘組織としては崩壊してしまった。

 1950年のソ連軍の空襲によるローマン・シュケビッチの死は、UPAにとって大きな痛手となり、その後立ち直ることができなかった。

 OUNは新しい後援者を切実に必要としており、彼らはそれを見つけるのにほとんど時間をかけなかった。1944年、OUNは他の民族主義グループとともに、ウクライナ最高解放評議会(UHVR)を結成することになる。そのメンバーはOUN系組織の常連であった。会長は、ナイチンゲールの元従軍牧師、イワン・フリニオフ(Ivan Hrinioch)であった。

 外相は、悪名高い秘密警察OUNのトップで、アメリカ軍が「よく知られたサディストでドイツ軍の協力者」と呼んだミコラ・レベド(Mykola Lebed)だった(彼は後にCIAの協力者となる)。

 この2人は、UPAの連絡員ユーリ・ロパチンスキー(Yuri Lopatinski)とともに、同年バチカンに乗り込み、西側諸国の政府からの支援を求めた。この会談がどうなったかは不明だが、この頃、イギリスが支援を始めたことが証明されている。

 バンデラは、以前OUNに対して行ったように、すぐにUHVR内に激しい分裂を引き起こすことになる。これは1947年に東ウクライナの問題をめぐってバンデラ/ステツコと他方のレベド/フリニオフの間で公然と行われるようになった。東ウクライナは大部分がロシア領であり、激しく反ロシア的なOUNにとって常に大きな弱点となっていたのである。

 バンデラは、一党独裁(自分が指導する)だけでなく、ロシアの影響を排除した純粋なウクライナの民族国家を主張した。レベドとフリニオフは、運動を成功させるためには東部ウクライナ人を取り込むことが必要だと考えた。

 このため、バンデラは1948年に彼らを追放することになる。このことが、バンデラの失脚につながった。CIAは、彼があまりに極端で、妥協を許さないため、有用な諜報員にはなれないと考えるようになったからだ。

 バンデラは、ファシストの地下組織で大きな名声を得ていたが、長年にわたってライバルを激しく攻撃してきたため、多くの者が彼とは組まないでいた。CIAは統一戦線を望んでおり、バンデラが指揮を執っている限りそれは不可能であることを理解していた。

 戦後間もない時期の時系列には、まだまだ埋まらない隙間がある。しかし、最近の文書の機密解除により、バンデラやOUNがCIAや欧米の工作員としてどのような役割を担っていたのか、理解が深まってきている。

 確実に言えるのは次のことだ。

 戦後間もなく、アメリカ軍の防諜担当は、バンデラがアメリカ占領地でソビエト軍から隠れているのを発見した。これは、1946年にバンデラを誘拐する特別作戦が失敗したことを詳述したKGBの機密解除文書によるものである。これは、バンデラを犯罪者として送還するための交渉が1年間失敗した後に試みられたものだった。

 バンデラは、少なくとも1946年の初めからミュンヘンに住んでいた。そこで彼は、ナチスのスパイマスターからCIA工作員に転身し、後に西ドイツ情報部のトップとなるラインハルト・ゲーレン(Reinhard Gehlen )の保護のもと、緊密に協力して働いていたのである。

 ゲーレンは全く反省していないナチで、悪名高い「ラットライン」を秘密裏に運営し、無数のナチがアメリカの同盟国へ司法逃亡するのを助けていた。彼は、彼らを資産として利用しようとするCIAの全面的な支持と後ろ盾を得て、これを行った。1946年だけでもゲーレンは約350万ドルを受け取り、50人を雇った。そのうち40人は元SSだった。ゲーレンが逃亡を手助けした者の中には、アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)やオットー・スコルツェニ(Otto Skorzeny)がいた。

 バンデラとOUN(というより、レベドによって結成された秘密警察SB)は、当初、MI6のために避難民キャンプ内で暗殺者として働いていた。SBは、共産主義者、敵対するファシスト、OUNの血なまぐさい過去について詳しく知っている人物をターゲットにしていた。西側諸国が「オハイオ作戦」と呼ぶ作戦で、何千人もの難民がOUNの手にかかり、命を落とした。彼らは恐ろしく有能な殺し屋として評判になり、リーベドはここで悪魔というコードネームを得た。

 1946年、バンデラとステツコはミュンヘンで反ボルシェビキ諸国ブロック(ABN)を設立した。一種のファシズム的な国際組織で、世界中の極右の反共テロリスト集団を、資金力のある1つの戦線に統合した。ヤロスラフ・ステツコがリーダーであった。しかし、バンデラとの親密な友情は、当時のCIAにとって受け入れがたいものであったことを意味する。

 バンデラは当初、OSS(CIAの前身)と接触していたが、すぐに極端すぎる、作戦上危険だ(暗号通信を拒否することが多い)、反抗的だと見なされるようになった。そのため、バンデラは主にMI6と行動を共にし、CIAはレベドを支援した。この2つの状況は最終的に非常に緊迫したものとなり、1954年にはCIAが介入してMI6にバンデラを諜報員から外すように強く働きかけた。

 彼はその年のOUN会議でOUNの指導者から外され、「改革派」と入れ替わることになった。とはいえ、CIAとドイツ軍もバンデラを何度か暗殺未遂から守った。彼は、陸軍CICのアメリカ人やゲーレンの親衛隊に守られたこともあった。CIAは少なくとも一度、バンデラを守るために西ドイツ警察に機密情報を無線で伝えた。CIAは、もはやバンデラを全面的に支援する気はなかったが、彼が殉教者になることも望まなかった。

 しかし、CIAはその願いをかなえることはできなかった。1954年以降、彼らの戦略は、単に獣を飢えさせることだったようだ。アメリカ側はバンデラの失脚を望んでいた。バンデラを指導者からはずし、資金源を断つという考えである。

 バンデラのキャリアは、ただ枯れて死んでいくだけだった。バンデラは、ゲーレンの下で何らかの形で生涯働き続けることになるが、その役割と業績は意図的に減らされていた。この間、KGBは決してあきらめなかった。終戦後、アメリカに対してバンデラを戦争犯罪人として引き渡せと何度も要求したが、完全に拒否された。そのため、KGBはバンデラの命を何度も狙った。1947年、1948年、1952年、1959年に失敗したことが分かっている。

 1959年、2度目の試みがついに成功する。1959年10月15日、KGBのボーダン・スタシンスキー(Bohdan Stashynsky)がミュンヘンのバンデラ宅に忍び込み、特殊な毒スプレー銃でバンデラの顔面を撃ったのだ。

 バンデラは口から血を流して倒れ、いくつかの階段で頭蓋骨の付け根にひびが入った。当初、死因は倒れたことによる脳卒中とされた。しかし、1961年にスタシンスキーが亡命し、逮捕されるまで、誰が彼を毒殺したかは不明であった。1941年にナイチンゲールの政治委員を務めた西ドイツの政治家で元ナチスのテオドール・オーバーレンダー(Theodor Oberländer)が有力な容疑者であった。

 バンデラが疎外され、その後死亡したことで、ABNに対するCIAの規制が解除され、ヤロスラフ・ステツコはCIAの協力者として活躍の場を大きく広げることになる。彼は残りの人生、この役割に突出した役割を果たすことになる。

 今後の記事では、少なくともマイダンのクーデターが起こった時点で、ステツコとCIAの間に明確なつながりがあることを、詳しく説明するつもりだ。


Evan Reif was born in a small mining town in Western South Dakota as the son of a miner and a librarian. His father’s struggles as a union organizer, and the community’s struggles with de-industrialization, nurtured Evan’s deep interest in left-wing politics. This, along with his love of history, made him a staunch anti-fascist. When not writing, researching or working, Evan enjoys fishing, shooting, and Chinese cooking. Evan can be reached at wharghoul@gmail.com.

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ウクライナ支援として西側から送り込まれた武器が、闇市場で売買されている

<記事原文 寺島先生推薦>
Western arms supplied to Ukraine offered on darknet – RT investigation
RT’s journalists were able to swiftly agree the purchase of a US-made Phoenix Ghost kamikaze drone

(ウクライナに供給された西側からの武器が闇ネット市場で提供されている
 RTの記者たちは、米国製フェニックス・ゴースト・カミカゼ・ドローン機の購入契約を即座に成立させることができた)
出典:RT
2022年7月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年7月25日



西側の新型兵器を試すウクライナ領土防衛隊隊員たち。NLAW携行式対戦車ミサイルもある© AFP / Genya Savilov

 ロシアとの戦争が続く中、米・英などのNATO諸国からウクライナに大量に送られている「軍事的支援物資」が闇市場に提供され、ネット上の闇サイトにアップされ、これらの兵器を購入することも可能になっていることをRTロシアはつかんだ

 その市場に関わっているウクライナの業者によると、小さな武器や鎧だけではなく、洗練された装置も提供可能だという。例えばジャベリン対戦車ミサイルや、NLAW対戦車ミサイルや、フェニックス・ゴースト爆撃用ドローンや、スィッチブレード爆撃用ドローンなどだ。

 とはいえ、これらの武器を諸販売業者が完全にすべて所持しているというわけでもないようで、RTの調査員たちもすべての兵器を購入することはできなかった。闇市場においては、このような詐欺まがいの手口はよくあることだ。

 RTは、闇サイト上の市場を通じて、このような販売業者の一社と連絡を取り、購入の同意を取り付けることに成功した。その武器はフェニックス・ゴースト社のドローン戦闘機で価格は4000ドルだった。このドローン戦闘機は、ウクライナ軍からの要請に応じて米国が特別に開発したものだ。

 RTの記者たちは、購入の意思があるよう装い、米国製M18A1クレイモア地雷一式も購入したい旨を伝えたが、この地雷については在庫切れという話だった。

© RT

 いっぽうドローンについては、この業者は、闇市場経由の支払いが済み次第、取引が成立するとして、「ドローンを所定の場所に隠した上で、隠し場所の位置情報と写真を連絡する」と確約した。「荷物は森の中の地面に埋めておく」とその販売員は語っていた。
「フェニックス・ゴースト機はウクライナ国外、具体的にはポーランド国境近くのプシェミスル町に配達可能か?」と尋ねたところ、この業者は「問題はないが、追加料金として1000ドルかかる」と答えていた。

 このことが示唆しているのは、ウクライナ軍内の密輸組織は、すでに国境警備隊とも連携がとれていて、ポーランドとの行き来が苦もなくできているという事実だ。

 さらにRTは呼び名が「ウクライナの武器」という別の業者にもメールを送ったが、その業者は、数組の米国製の鎧を売りたがっていた。その鎧の価格は5組1500ドルで、減音機1台と100発の銃弾つきのM4カービン銃が1組2400ドルだとのことだった。

© RT

 さらにその業者はロシアやソ連製の古い武器の購入についても幅広く申し出ていた。具体的には、AK-47自動小銃や、拳銃や、手榴弾や、狙撃銃などだった。

 この闇市場で出回っている兵器の価格は驚くほど安いことがわかった。例えば英国製NLAW対戦車ミサイルはたったの1万5千ドルで売られていた。報道によると、この対戦車兵器を正式に購入するには、3万~4万ドルかかるとのことだ。

 先月(2022年6月)、国際刑事警察機構のユルゲン・ストック(Jürgen Stock:独)事務総長は、ウクライナでの紛争の結果、無数の兵器が闇市場に出回ることを警告していた。

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UK cautioned about military aid to Ukraine

 「犯罪組織はウクライナの混乱状況と、簡単に武器が手に入る状況を利用しようとしており、軍が使用する武器や重戦機にまで手を出しています。これらの武器は犯罪者たちが利用する市場において入手可能で、新たな問題を生む温床になっています」とストック氏は認め、さらに付け加えて、これらの武器が「近隣諸国だけではなく、他の大陸の国々まで輸送される」可能性についても触れた。

 米国のロイド・オースティン国防長官が5月に語ったところによると、同長官は米国が供給した武器の追跡調査と保管の重要性について、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領及びオレクシー・レズニコフ(Aleksey Reznikov)国防大臣と話し合い、両氏はその件に関しては確実に責任を果たすと、オースティン国防長官に語ったとのことだ。

 ロシア政府は西側がウクライナに武器を供給していることに対して警告を発しており、そのような行為は戦闘を長引かせ、ロシアとNATOが直接軍事紛争を起こす危険性を高めることにしかならないと主張している。
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北朝鮮の核ミサイルを作ったのはウクライナの旧ソ連技術者たちだった

<記事原文 寺島先生推薦>

Nuclear family: How Ukraine helped North Korea develop the world's deadliest weapons
Experts point out the Ukrainian roots of Kim Jong-un's rocket program

(核兵器保有国家:ウクライナは世界で最も恐ろしい武器の開発においてどのように北朝鮮を手助けしたのか。
諸専門家の指摘によると、金正恩によるロケット計画の出所はウクライナだったとのことだ。)

出典:RT

2022年7月1日

著者:マキシム・フバトコフ(Maxim Hvatkov)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月23日



© AP / KCNA via KNS

 北朝鮮の核ミサイル計画は未だに米国や多くの世界諸国にとっての頭痛の種となっている。

 しかしこの核開発は、北朝鮮当局がソ連の軍事技術を手に入れることができなければ不可能だった。その技術とは、具体的に言えば、核搭載可能な機器のことだが、それがソ連崩壊後ウクライナに残存していたのだ。本記事が省察するのは、北朝鮮が米国や米国のアジアの同盟諸国に対する大きな脅威になる際に、ウクライナが果たした役割に関する思いも寄らない話についてである。

 米・韓・日は多くの共通目的を共有しているが、その中のひとつに朝鮮半島の完全非核化がある。ジョー・バイデン米大統領は、マドリードでの2022年サミットにおいて、この点を再び明確にしていた。 現在、アジア内の米国同盟諸国はこの件に関して懸念すべき新しい理由を抱えている。 6月14日、北朝鮮のパク・ジン外務大臣が発表したところによると、北朝鮮は新しい核実験の準備を完了しているからだ。

 これに先立ち、2022年3月に金正恩最高指導者は自国に自ら課していた2018年の大陸間弾道ミサイル(ICBMs)の実験の一時停止措置を事実上破棄していた。このミサイルは米国本土まで届く能力を有していた。現在、米国政府も韓国政府も、新しい発射実験のニュースがいつになるかを注意深く見守っている。

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North Korea in new nuclear weapons pledge

 世界から実質的に取り残されている国がどうやって、こんな高い水準の軍事技術を成し遂げることまでできるのだろうか? 驚かれるかもしれないが、その答えを見つけるにはウクライナに行く必要がある。


共産主義の国からチュチェ思想の国に届くまでの道のり
(訳註:「チュチェ思想」=中ソ対立のはざまで北朝鮮の金日成主席が掲げた独自の指導原理。政治、経済、思想、軍事のすべてにおいて自主・自立を貫くという考え方。「チュチェ」は「主体」の意味する朝鮮語。)

 今日、ほぼ完全に明確に言えることは、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)が大陸間弾道ミサイルを設計、製造したときに、ウクライナのドニプロペトロウシク市にあるユージュマシュ社の機械製造工場で作られたRD-250ロケットエンジンを利用したということである。

 ウクライナで今でも稼働しているほとんどの企業と同様に、ユージュマシュ社はソ連時代の遺産の一部だ。この工場は1944年、第2次大戦の真っ只中に建設されたが、その後の冷戦時代には、同社の技術者たちは、米国との軍拡競争に臨むべくソ連の最も先進的なミサイルを設計、生産していた。

 21世紀になって、米国政府は再びユージュマシュ社の製品の脅威を感じている。ただ、2014年のクーデター以降は、ウクライナは米国の衛星国家になり、この工場は米国業者と契約を結んでいるのだが。(その契約とは、ロケット台や、ロケット台用のエンジン、ロケット打ち上げの際に使用される様々な構成部品などの製造に関するものである。)

 2017年8月のニューヨーク・タイムズ紙は、英国のロビー団体である「国際戦略研究所( Institute of International Strategic Studies:IISS)」所属のミサイル専門家マイケル・エルマン(Michael Elleman)氏の発言として、朝鮮民主主義人民共和国がRD-250ミサイルを使って自国製の大陸間弾道ミサイルを設計した可能性が高いと報じた。

 「これらのエンジンがウクライナから来たということは十分考えられます。おそらく違法な形で、でしょうが。大きな疑問は、どのくらいのエンジンを北朝鮮は所持しているかということと、ウクライナは今でも北朝鮮を支援しているかという2点です。私はとても心配しています」とエルマン氏は語っている。しかしIISS所属の専門家であるエルマン氏の考えでは、ウクライナ当局はこの密輸工作には関与していないとのことだ。

 ユージュマシュ社の制作部門も、ドニプロペトロウシク市にある同種企業であるユージュノエ設計局も、北朝鮮政府や北朝鮮によるミサイル計画に関して関与したことは強く否定している。 ウクライナ国家安全保障・国防会議議長のオレクサンドル・トゥルチノフ(Aleksandr Turchynov)氏は、このような告発はロシアの諜報機関が行っている「反ウクライナ運動」の一部ではないかとさえ示唆している。同議長の主張によると、ロシア政府自身が北朝鮮を支援していることを隠すための喧伝ではないかとしている。

 しかし安保理決議1718号(北朝鮮に対する制裁を定めた決議)による2018年の報告においては、ウクライナ当局は、北朝鮮の大陸間弾道ミサイルに使用されているエンジンが、ユージュマシュ社製のRD-250ミサイルの構成物を使って製造されたことは十分にありえると認めている。またウクライナ当局は、それらのミサイルの運搬経路はロシア領内を通過したにちがいないという見解も出していた。もちろんウクライナ当局ならそう主張するだろう。
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 ロシア国立研究大学経済高等学校(HSE)欧州および国際総合研究センターのヴァシリー・カシン(Vasily Kashin)所長がRTの取材に答えたところによると、北朝鮮がユージュマシュ社から液体燃料エンジンを受け取ったという問題に関して、公式に記録されているのはこの1件だけである。

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US issues nuclear warning to North Korea

 「ウクライナ当局が北朝鮮にエンジンを送っていたわけではありません。これらはすべてウクライナにいた北朝鮮の科学技術関連工作員たちの手によるものでした。明らかなことですが、2014年以前から、北朝鮮は不法に液体燃料ロケットエンジンを入手していたのです」と専門家であるカシン氏は結論付けている。


いらっしゃれば軍事技術をさしあげましょう

 北朝鮮政府とウクライナ政府との間の関係が友好的で心のこもったものであったことはこれまでなかったのだから、ウクライナが北朝鮮に強力な核兵器を与える意志があったとは考えにくいだろう。しかし21世紀への変わり目において、核ミサイル分野でウクライナと他諸国との間に政治的な腐敗にまみれた協力関係があったことを示す証拠文書は存在している。そうであればこのようなことがおこることも十分に想定内だと言える。

 1994年、ウクライナ政府はついに残存していた最後の核兵器を廃棄した。それはウクライナがソ連崩壊後に保管していた約1000発のミサイルだった。廃棄計画ではうち半分のミサイルはロシアに送り、残りは破壊するとしていた。これは米国が資金提供していた軍縮計画の一部だった。

 しかし2005年に、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ元大統領は、前政権が核弾頭を運ぶことが可能なX-55巡航ミサイルを「数名の代表者を介して」イランと中国にすでに売却していたことを認めている。このミサイルは2500キロの範囲に対応していたので、このような行為はある意味、イスラエルや日本が核攻撃を受ける脅威を増加させることになった。

 ただし北朝鮮には求めていたものを手にする別の方法があった。

 1990年以降、北朝鮮の外交官はソ連の核ミサイル技術を入手しようとして、何度も現行犯で捕まっている。専門家のカシン氏の考えによれば、北朝鮮はかなり以前からウクライナに科学技術に関わる工作員を送り込んでいたとのことだ。

 「情報開示されたKGBの資料によると、北朝鮮がウクライナに科学技術関連の工作員を送り込もうとしていた努力はソ連時代までさかのぼります。工作員が犯罪にあたる行為にかかわっていたこともあったようです。その工作員は、キエフ市内の軍事工場で働いていました。その工作員が対戦車ミサイルの一部を盗んで逮捕されたのです。ドネプロペトロフスクにおいて1990年代や2000年代初旬に、北朝鮮にはソ連の軍事技術を入手する機会が豊富にあったのです。ドネプロペトロフスクで工作員はあちらこちらをひそかに探り回っていました。そしてウクライナ政府はこのことには全く関与していませんでした。ウクライナ政府が自国の技術を故意に売却していたという確証はありません。当たり前のことですが。北朝鮮の工作員たちはただウクライナの対諜報活動が機能していないことを利用しただけでした」とカシン氏は語っている。

 ロシアの軍事専門家であり、元大佐であるミハイル・ホダリオノク(Mikhail Khodarenok)氏がRTの取材に答えたところによると、ソ連崩壊後のロシアとウクライナにおいて発生した混乱や無政府状態のせいで、1990年代は多くの地域において人々の生活に悪影響を与えたということだ。

 「当時、ウクライナは非常に重要な軍事技術を国外に漏らすことが多かったのです。中国でもイランでも、戦略的巡航ミサイル兵器にウクライナの影響が見受けられます。それは驚くようなことではありません。というのもだれもが当時の混乱の時代を生き抜くために最善を尽くそうとしており、ウクライナ当局の預かり知らぬところで、多くのことが行われていたのです」

 「ただし私は北朝鮮がウクライナから多くのことを盗むことができたとは思っていません。これは私の考えですが、多くの場合、両者の同意のもとの取引のなかで行われたのでしょう。そしてウクライナ政府は関わらない形で行われたのでしょう」とホダリオノク氏は話を締めくくった。


© KCNA / Korea News Service via AP
 
 そしてソ連崩壊後20年の間も、北朝鮮による諜報活動は継続していた。

 2012年12月12日、北朝鮮人民共和国は光明星3号1号機(KMS-3)という人工衛星を地球軌道上に配置し、世界で10か国目の宇宙開発国の仲間入りをした。北朝鮮国籍を持つ工作員によるスパイ事件の捜査がウクライナで行われて注目されたのは、その同年のことだった。

 その結果、北朝鮮国籍を持つ2名の人物(ベラルーシの貿易使節団の団員だった)が懲役8年の刑を受けた。両名が逮捕されたのは、技術に関する文書と科学論文を購入しようとしていたからだった。その中にはウクライナのユージュノエ設計局の職員からの重要な研究開発の研究結果も含まれていた。そして両名は液体燃料エンジン体系に関する研究資料1件につき、控えめな額であるが、1千ドルの代金を支払うことを申し出ていた。匿名の情報源がのちにウクライナのストラナ.uaというニュースサイトに伝えた内容によると、北朝鮮は伝説的なミサイルであるR-36(別名サタン)大陸間弾道ミサイルのエンジンの設計に特に興味を示していたとのことだ。これはこの種のミサイルにおいては最も強力なミサイルである。


背に腹はかえられず他諸国で爆弾作り

 北朝鮮の軍事技術入手工作員たちが取り組んでいたと思われるもう一つの課題は、「頭脳移動」現象だ。ソ連解体を決定した1991年のベロヴェーシ合意の後にソ連の技術者たちが何十人も国外に流出していたのだ。

 ソ連崩壊後のウクライナの産業の空洞化のせいで、安定した収入が得られず雇用状況も厳しくなる中で、ウクライナの宇宙関連製造業者であるユージュマシュ社で働いていた何十人もの専門的技術者たちが流出した。それで同社で働いていた人々は生計を立てる別の術を見つけなければならなくなった。

 その選択肢は限られていた。ソ連後の野蛮な労働者市場に揉まれながら努力する(新しい事業を始めたり、セールスマンになったりする)か、危険な誘いに乗り(愛国や法律という観点から道に外れてしまうことも辞さず)、他諸国の核ミサイル計画に一肌脱ぐか、という選択肢だ。

 これらの専門的技術者たちの多くは、ソ連崩壊後、個人的にも職業的にも厳しい状況に置かれていた。彼らのうちの数人は北朝鮮やイラクやパキスタンに行ったのではという話まで考えられている。

 元米国ウクライナ大使であるカルロス・パスカル(Carlos Pascual)氏が後に認めたのは、このような最先端の専門的技術者たちが仕事を失うという現象が軽く見られていたという事実だった。これはただの個人の混乱という問題では済まなかった。大量破壊兵器を拡散させないための重要な要素だったのだ。

 それなのに米国やEUは1990年代中期に、このような現象を進める方向に動いていた。米国や反乱者はウクライナの科学・技術センターに資金を提供していた。この政府間組織が意図していたのは、大量破壊兵器の分野における専門的知識や経験を確実に外に漏らさないことだった。

 カーティス・ビエラジャク(Curtis Bjelajac)センター長が認めたところによると、 このセンターはある特定の専門家たちに金を提供する部門があったとのことだった。その結果、ミサイルや核技術を専門とする元ソ連の科学技術専門家たちに何百万ドルもの金が渡されたようだ。 このセンターの共通理解は、そうすることで危険な技術を操る専門家たちの流出を防ぐ一助とすることだった。しかし本当に流出は全く無かったのだろうか?

 ミハイル・ホダレノク氏によると、技術専門家界隈での認識では、北朝鮮のミサイル開発に手を貸したのはユージュマシュ社で以前働いていた専門技術者たちだとのことだという。

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North Korea explains its intercontinental ballistic missile test

 「かといってユージュマシュ社で働いていた人たちを断罪することはできないでしょう。当日は皆が生き抜くために必死でしたから。これらの国は高い報酬を与えたのですから。彼らの多くは仕事のために諸国に行ったと思います。重要技術の専門知識がなかったら北朝鮮の軍事技術はこんな発展を遂げることはできなかったでしょう。かつてソ連も同じような形で技術を借りなければなりませんでした。第二次世界大戦後、ソ連はドイツのヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)の研究を利用したのです。(RTによる注釈:フォン・ブラウンはドイツの宇宙工学技術者であり、ナチの党員。後に米国で活動)」とボダレノフ氏は語っている。


創造的な核兵器

 西欧や米国と比べて、今年のウクライナ危機における韓国のウクライナに対する支援は抑えた形になっており、ほとんど人道的支援や、非軍事的支援にとどまっている。なぜ韓国政府はもっと支援やしないのだろうか?もしかして韓国は、ウクライナに送った軍事支援が、いつの日か38度線の北側の国に魔法のように現れる可能性を懸念しているのでは?

 ボダレノフ氏は、その可能性はありえないが、面白い考え方だと捉えている。ボダレノフ氏によると、韓国が全力でウクライナ支援にあたらない本当の理由は、「ロシアの全ての家庭は韓国製品を数点は所持しています。ですから、韓国はロシア市場を失いたくないのです」とのことだ。ただし韓国政府は米国政府からの圧力によりその立場を変える可能性があるとボダレノフ氏は警告している。
 
 カシン氏は韓国によるウクライナ支援が控えめなことと、北朝鮮の核問題の間には関係があるとしながらも、違う観点も示している。

 「韓国はウクライナを支援すれば、ロシアが北朝鮮に対する制裁合意に従うことをやめるのではと考えています。韓国政府の理解は、ロシアとの繋がりを全て無くしてしまうべきではないということです。というのも北朝鮮はロシアによるウクライナへの軍事作戦を支持している(世界では稀有な)国だからです。さらにロシアは先進(原文ママ)諸国との関係を結ぼうと南方に目を向けていたため、ロシア政府は北朝鮮との友好関係を創造的なものにすると決める可能性もあります。そんなことは誰も望んでいないことです。特に韓国にとってはそうです。参考までに言いますと、イスラエルも同じような動きを見せています。イスラエルはウクライナに殺傷装置を供給することを拒んでいます。それはそうすればロシアがイランに同じように歓迎されざる武器を送るという対応をとる可能性があるからです」と カシン氏は語っている。


By Maxim Hvatkov, a Russian journalist focusing on international security, China's politics and soft-power tools.
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米国研究所由来説が広まる中、Covidの損害補償は米国が行うべきとロシアは主張

<記事原文 寺島先生推薦>

US should pay compensation if Covid-19 claim confirmed – Russia

Damage caused by Covid-19 to countries globally should be covered by Washington if the US bioresearch origin claim is confirmed, the Duma speaker says
(Covidの起源が特定されたならば、米国は補償をすべきとロシアは主張

米国研究所由来説が証明されれば、世界各国がCovidにより被った損害は米国政府が補償すべきとロシア国会報道官は発表)

出典:RT

2022年7月6日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月25日



ロシア国会報道官ヴャチェスラフ・ヴォロージン



 米国は世界各国が被った巨大な被害の補償の責任を負わなければならなくなる可能性があると、ヴャチェスラフ・ヴォロージン(Vyacheslav Volodin) ロシア国会報道官は7月6日(水)に語った。同報道官はランセット誌のCovid委員会委員長の発言を引用したが、この委員長が示唆したのは、SARS-CoV-2ウイルスは米国の研究施設が起源である可能性についてだった。

 先月6月のマドリードでの発言において、経済学者のジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)氏は現在の状況を「混乱」と呼び、この件に関して米国が主導して取り組んでいないことを非難し、この世界的流行は米国の失政のせいであるとした。サックス氏自身はこのウイルスの起源は、「米国の生物研究所」であるという説には説得力があると考えており、自然発生したという説には同意していないとのことだ。その根拠として、自身が英国の権威ある医療誌に携わってきた経歴をあげていた。

 ヴォロージン報道官が強く主張したのは、米国政府がこのサック氏の発言に対して何ら反応を示していないのは、ジョー・バイデン大統領が「世界にこの世界的流行の真犯人についての真実を知られることを恐れてのことではないか」という点だった。

 同報道官はさらに言葉を続け、亡くなってしまった多くの人々を含む、このウイルスに罹患した何百万人もの人々や、この世界的流行により引き起こされた経済的危機の責任は米国が負うべきだとした。「米国は被害を受けた全ての国々の損害補償をしなければなりません」とヴォロージン報道官は語った。

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Covid-19 may have originated in US biolab – Lancet chair

 さらに同報道官が付け加えたのは、米国は「軍事生物兵器研究」を「中止し、その情報を開示」すべきだという点であり、世界中に点在する米国防総省の防衛脅威緩和機関が資金提供している一連の生物研究所について触れた。米国の主張では、これらの研究施設の使用目的は病原菌の発生の検出のためだとしているが、中露を含むいくつかの国々は、これらの研究所の使用目的は機密の軍事研究のためだと考えている。

 サックス氏自身は自分の発言を「挑発的」であるとし、この件に関しては、精査が必要とされる証拠があるにもかかわらず、「詳細な調査が米国でも、どこでも行われていない」ことを嘆いていた。「絨毯の下に隠されているものを掘り起こす気がないようです」とサックス氏は語っている。

 「Covid-19の発端は中国の武漢の研究所からの漏洩だ」という説が、ドナルド・トランプ政権下の米国政府によって広められていた。そして、トランプは中国政府が罪の償いとして補償金を支払うべきだと主張していた。中国政府や米国内の反トランプ勢力はこの説を毅然としてつっぱねていた。米国の大手テクノロジー企業は自社のオンラインプラットフォーム上で、この研究室漏洩説の投稿を「偽情報である」として抑え込もうとさえしていた。

 しかしジョー・バイデン政権になってからは、その検閲は取り払われ、逆に微生物研究施設に対する国際的な調査機関の調査に協力しないとして中国を非難していた。Covid-19の発生が初めて検出されたのは中国の武漢市だったが、武漢市には病気の蔓延を防止するための最先端の研究所が設置されていた。その研究所では米国の補助金のもと多くの研究が行われていたという記録が残っている。

 世界保健機関(WHO)はCovid-19の起源についての精査を実施し、昨年(2021年)2月、このウイルスの起源は動物由来であると考えるのがもっとも可能性が高いという結論を出している。
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「Covid-19の出処が米国の生物研究所である可能性」を、ランセット誌Covid-19対策委員会委員長が発表

<記事原文 寺島先生推薦>

Covid-19 may have originated in US biolab – Lancet chair

Jeffrey Sachs, who chairs Covid-19 commission at the prestigious medical journal, has claimed the deadly virus did not come out of nature


(Covid-19は米国の生物研究所が起源の可能性があると、ランセット誌の対策委員会委員長が発表。Covid-19対策委員会のジェフリー・サックス委員長は恐ろしいウイルスは自然起源ではなかったと主張)

出典:RT

2022年7月1日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月21日


© Getty Images / BlackJack3D


 Covid-19は自然由来ではなく、「米国の生物研究所から」偶発的に放出したものだと、世界的に著名な経済学者であり作家であるジェフリー・サックス (Jeffrey Sac)は主張している。これは政策研究所であるゲートセンターが主催したスペインでの会議の場で、6月下旬にサックス氏が語ったものだ。

 この「挑発的な発言」の話を始める際にサックス氏が示唆していたのは、同氏は、著名な医療誌であるランセット誌のCovid-19対策委員会の委員長であったため、常に最新情報が入手できる立場にあったという点だった。

  「私の見解ですが、これは生物科学上で起こった大失態です。自然界から偶発的に発生した事故ではありません」と同氏は繰り返した。

 同研究者は「確実な答えはわからない」としながらも、このウイルスが研究所由来であるとする「十分な証拠」は存在するとし、「この件に関してはさらに詳しい調査を行うべき」だと指摘した。しかしサックス氏が嘆いていたのは、この件に関しては「米国でもどこでも調査が行われていない」という点だった。

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EU chief can't find Pfizer CEO texts

 今年の5月、サックス氏とコロンビア大学の分子薬理学および治療学のネイル・ハリソン(Neil Harrison)教授の共著による論文記事が『米国科学アカデミー紀要』に掲載されたが、その記事が示唆していたのは、Covid-19は研究室由来ではないかという点だった。この論文において両科学者が求めていたのは、米国の連邦関係当局や諸大学がこの件に関してより大きな透明性を示すべきだという点であり、両者は、関連する多くの証拠の開示が進んでいないと主張していた。

 ウイルスに関する集積情報、生物学的標本、ウイルスの遺伝子配列、メールの内容、実験ノートなどの証拠があれば、すべてこのウイルスの世界的流行の起源に光をあてることが可能となる、とサックス氏とハリソン教授両者は述べている。しかしこのような資料が、「独立した、透明な、科学的精査」のために開示されることはずっとないままだったとは両者の主張だ。

 Covid-19が研究室由来ではないかという事実を示唆する内容として両論文著者が引き合いに出した事実は、このウイルスのスパイクたんぱく質上にある8つのアミノ酸の遺伝子配列が、人体の気道を繋ぐ細胞内で見つかるアミノ酸の遺伝子配列に似ているという点だった。

 実のところ、サックス氏が「この恐ろしいウイルスは自然に発生したものではない」と主張した最初の人物ではない。

 Covid-19の起源にたどり着く決定的な証拠はなく、合理的な疑念が残ったまま、2021年2月世界保健機関は、Covid-19は動物(おそらくコウモリ)からヒトに伝播したと考えることがもっともありえる結論だという見解を出していた。

 この感染力の高いウイルスが初めて確認されたのは、中国の武漢市で、2019年下旬のことだった。その後このウイルスは急速に世界中に広まり、流行の波が数回繰り返される中で、何百万人もの人々の命が奪われたと、世界保健機関は発表している。
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マスコミの喧伝に惑わされずに、アゾフ大隊の正体を見抜け!

<記事原文 寺島先生推薦>

Not worth your sympathy: The story of Ukraine's neo-Nazi Azov battalion
Much less than the heroic defenders they are made out to be, the extremist regiment’s many crimes are well documented
(同情の余地なし:ウクライナのネオナチアゾフ大隊
国を守る英雄のはずがない。この過激派が犯してきた多くの罪を裏付ける証拠は山積みだ。)

筆者:エヴジェニー・ノーリン (Evgeny Norin)

出典:RT

2022年6月22日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月18日



祈りを捧げているアゾフ大隊の兵士たち2022年3月11日。ウクライナのハルキウで。 © Sergey BOBOK / AFP

 ウクライナのプロパガンダ(喧伝)では、マリウポリにおいてアゾフ連隊が長きにわたり持ちこたえていたが、最終的には倒されたことを英雄的行為として持ち上げている。この感傷的な出来事にさらに哀愁感を付加すべく、アゾフスタル工場の奥深くで捕らわれた部隊の姿や、包囲された兵士たちの画面映えのする妻たちがバチカンのフランシスコ教皇に懇願している姿も報じられている。

 しかしながら、兵士たちの姿をよく見てみれば不思議な光景が目に入るかもしれない。それは捕虜になった大隊の兵士たちの体にはナチスの入れ墨がたくさん見受けられることだ。ドネツク民兵隊の兵士たちはこの様子を冗談めかしてこう伝えている。「海賊と電気技師を大量に捕まえたぞ!」と。これは捕虜になった無数の兵士たちが、髑髏の印やナチス親衛隊を表わすSS の入れ墨を皮膚に施しているからだ。

 西側メディアは必死になって、「ナチスの入れ墨をいれた人々はネオナチではない」という説明をしようとしている。しかしアドルフ・ヒトラーのおぞましい第3帝国の象徴を入れ墨にして見せびらかしていることなど、アゾフ大隊がこれまで犯してきた最悪の罪から比べれば、まったくたいしたことはない。

 アゾフ大隊の歴史は、ウクライナでの紛争が始まる以前までさかのぼる。2005年から2010年にかけて、ウクライナの北東にある産業の主要地であるハルキウ州の知事は、アルセン・アバコウ(Arsen Avakov)だった。アバコウの在職中、「白き支配者」という名で知られているアンドリー・ビレツキー(Andrey Biletsky)という国粋主義者がハルキウ州で活発に活動していた。この両者はビレツキーが大学時代に親しい関係にあった。2005年に、ビレツキーは「ウクライナの愛国者」という超国家主義者の団体を立ち上げたが、この団体の構成員のほとんどは、攻撃的なサッカーファンや、街中で悪さをするような軽犯罪者たちだった。

 報道によると、アゾフ大隊の活動は愛国的な活動はほとんどなく、不法行為に準じる行為や怪しげな行為を行っていたという。ビレツキーは、牢獄生活を送る羽目になったのだが、その罪状は政治的な理由ではなく、ただのフーリガン的な行為だった。

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Western media and politicians prefer to ignore the truth about civilians killed in Donetsk shelling

 2014年の西側が支援したキエフのマイダンでのクーデター後に、ビレツキーは失脚したビクトル・ヤヌコヴィッチ政権による「政治犯」として釈放された。ビレツキーは、ウクライナの新しい内務相となったアバコウとのコネを使って、国土防衛のための大隊を設置し、ウクライナ東部での戦闘にあたらせた。これがアゾフ大隊として知られるようになった。

 東ウクライナでは、マイダン革命に対するドネツク州やルガンスク州の地域住民の抗議活動が武器を使った抵抗に拡大しており、ビレツキーが新しく設置した大隊は、その抵抗を抑え込む任務を任されたのだ。

 他の多くの自発的に発生した国土防衛隊とは違い、アゾフ大隊は設置当初から他の団体とは違う思想的な色合いをもっていた。アゾフ大隊は極右組織であり、穏健派から過激派まですべての派閥を受け容れていた。アゾフの戦士たちは異教徒的なしきたりを持っていることで知られており、ウクライナ正規軍からは変わりものの存在として認識されていた。

 しかしアゾフ大隊のもつこのような性質は、任務執行にはぴったりだったのだ。狂信的であるが故に、アゾフ大隊の戦士たちは人殺しもはばからなかった。ドンバスの民営隊が組織される前から、アゾフ大隊は多くの親ロシア派活動家たちの殺害を実行していた。

 これらのテロ活動こそアゾフ大隊が裏に持つ哲学を示すものだった。「全ての街でヴァトニクス(親ロシア派を指す蔑称)を50人程ずつ殺せば、この反乱を抑え込むのに十分だろう」とアゾフ大隊の一人の戦闘員は語っていた。2014年6月13日、アゾフはこの考えを実行に移し、マウリポリのドンバス民兵隊のより大きな戦闘部隊に所属する小部隊を敗北させた。アゾフ大隊は、かなりの人数の戦闘態勢が取れていた戦士たちや数台の武装トラックを前線に送り出すことができたが、マウリポリの民兵隊は弱く、武器も貧弱だった。5名の反乱者が殺された。アゾフ大隊やウクライナ保安部隊は躊躇うことなくマリウポリでの膠着状態の際、非武装の地域住民に発砲した。ウクライナ兵たちが数名の非武装の人々を銃撃して、負傷させたり、殺害させている様子を映す動画がある。 その被害者の一人はプラスチックの椅子で「武装」していたのだ。

 しかし、アゾフ大隊は正規軍の一部ではなかった(少なくとも公式には)ため、アゾフ大隊が実戦の場で戦闘行為を行うことはほぼなかった。2014年夏には、アゾフ大隊の一部隊がイロヴァイスク市を攻撃し、2015年冬にはアゾフ海沿岸のシロキネ村を攻撃した。その村ではアゾフ大隊はウクライナ正規軍の軍人たちと連携したのだが、その軍人たちは後に、「アゾフ大隊は規律がなく、扱いにくい部隊だという印象を持った」と語っていた。

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American weapons will ensure more deaths in Ukraine, but won’t change the conflict’s eventual outcome

 このように2022年まで、アゾフ大隊には自慢できるような戦績はなかったのだ。 しかしウクライナ国家主義を色濃くもつアゾフ大隊(その頃までには連隊にという形に変化していた)は、後にロシアとの戦争において重大な役割を占めることになった。現在ウクライナにおいては国家主義的な動きが全開していて、様々な国家主義者集団が形成されているが、これらはアゾフ大隊周辺から生まれたものだ。最終的にビレツキーは司令官という役職に甘んじ、アゾフを連隊としてウクライナ正規防衛軍に組み込む活動に従事したが、アゾフのもつ思想は維持したままだった。 捕虜として捕らえられた兵士たちや、戦争で抑えられた兵舎から無数のナチスの象徴や所持品をもっていたことからもそれは明らかだった。

 しかしアゾフの本性を示す証拠がさらに目に見えるのは、国連人権高等弁務官による報告だ。もちろん犯罪ニュースの記事はいうまでもないが。結成当初からアゾフ大隊はウクライナの最も暗黒で最も残忍な事件やニュースの中にしばしば登場してきた。その理由はアゾフ大隊が、非公式の特殊な立ち位置や、ウクライナでは事実上法律違反である「バトニクス(盲目的な愛国行為を行う人々)」的立ち位置を保っていたからだった。

 当初アゾフ大隊は、曖昧で怪しげな背景を持つ人々を引き付けていた。例えば、親ロシア活動家であったアレクセイ・シャロフ(Aleksey Sharov)氏とアルチョム・ズドフ(Artyom Zhudov) 氏を殺害した人々はこの大隊に属していた。この2人は2014年3月14日にハルキウの街中での口論中に射殺された。この事件が起きたのはドンバスでの軍事紛争が起こる前のことだった。この2人の殺人者はいまだに特定されていないが、分かっていることは、この2人の活動家が射殺されたのは、「ウクライナの愛国者」の事務所からの発砲によるものだったという事実だ。当時2人はその建物の前にいたのだ。

 国連の報告によると、2014年5月、短時間の小競り合いの後、ウラジミール・ロバク(Vladimir Lobach)という名の一般市民がポルタヴァ市近郊でアゾフ大隊の戦士たちにより殺害されたという。ロバクさんを殺した人々は現場に到着した警官を脅し、ただそこから逃げ去ったとのことだ。同じ年の6月にはマウリポリにいたアゾフ大隊の戦士たちが、地方紙の編集者で記者だったセルゲイ・ドルコフ(Sergey Dolgov)さんを誘拐した。ドルコフさんはウクライナの連邦化という考えに同調していた。この記者のその後の身辺については今まで全く分かっていない。

 アゾフ大隊が犯した罪の中で間違いなく最も歪んだものは、国連人権高等弁務官の報告にある通り、一人の男性精神病患者に対してアゾフ大隊の隊員約10名が行った2014年の集団レイプ事件だ。被害者は身体的にも精神的にも深刻なトラウマを抱え入院した。 この事件に対する捜査は行われず、被疑者たちが法廷に連れてこられることもなかった。

 アゾフ大隊が犯したあらゆる種類の罪や侮辱行為の記録をあげれば長いものになる。具体的な罪は、同性愛者の人々に対するいじめや、戦場における略奪行為や、虐待や、殺人だ。被害者からの証言によると、最もよく使われた手口は、無差別に人を誘拐し、連隊の支配地に連れ込むというものだということだ。そこで、被害者たちは虐待を受け、反乱者側の人間であるという自白を強要される。その後その人の身柄はSBU(ウクライナ保安庁)に回される。さらに被害者たちからの報告によると、SBUの役人たちが虐待の場面に同席していることも多かったとのことだ。

 例えば2017年5月マリウポリでは、アゾフ大隊の戦士たちは、虐待や脅迫により一人の女性に尋問書に署名させた事件があった。その尋問書は、アゾフ大隊の戦士たちが、その女性が反乱組織に加盟している罪状について勝手に書いたものだった。女性が自白している場面が動画撮影され、さらに女性は全裸になるよう強要されていた。後にその女性の身柄はSBUに渡された。別の件では、一人の男性が性器を電気ショック装置に当てられたことも報告されている。

 ザポリージャ州では、アゾフ大隊の戦士たちが一人の女性を誘拐し、結束バンドで手足を縛り、蹴りつけ、ライフルの銃床で叩き、足の爪に針を押し付け強姦すると脅す事件があった。2015年1月下旬に拘留された男性によると、この男性は酸素除去や電気ショックなどによる虐待を受けたという。このような虐待をまるまる1週間受けた後に、この男性の身柄はSBUに引き渡され、「公式に」逮捕されたとのことだ。国連は無数の同様の事象の記録を報告しているが、これらの報告は実際に起こった事象の数からすればほんの一握りに過ぎないと言った方が無難だろう。

参考記事

Ukraine’s Azov Battalion swaps neo-Nazi insignia - media

 ネオナチとSBUの間のこの特別な関係がただの偶然であるはずがない。アゾフ大隊のおかげで、SBUはウクライナ政府に対して、自分たちはマリウポリや東ウクライナの親ロシア「反乱分子」たちの処分に成功きたことを証明する完璧な方法を見つけることができたのだ。たとえそんな「反乱組織」がはじめから存在しなかったとしても、だ。

 本当の反乱者たちや反乱者に同調するものたちは、すでに反乱者側が抑えている地域に逃げ込んでいるか、少なくとも自分たちが反乱集団に関わっていることに関して口をつぐんでいた。それなのに国家主義者の連隊であるアゾフはどうにかして適切な数の「反逆者」を確保し、自分たちの仕事が書類上で上手くいっているように見せていた。 マリウポリで多数のアゾフ大隊の部隊が敗北し、降参した後ですら、かなりの数の国家主義者たちはまだ自由に動き回っている。 例えば、ハルキウで結成されたクラケン団はアゾフ大隊傘下の特殊部隊として活動している。 ここ数ヶ月の間に、この新たに結成された連隊はすでに悪い評判を得ている。この連隊は、捕虜として捕らえられたロシア兵たちの脚を射撃したところをカメラにおさめていたのだ。

 端的に言えば、アゾフ大隊とは、いくら西側やウクライナが「自由を守る英雄的兵士たち」という姿を焼き付けようとしても、2014年からウクライナ国内で最もたちの悪い悪行非道を繰り返してきた団体だということだ。


Evgeny Norin, a Russian historian focused on conflicts and international politics
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米国に追随してロシア制裁を強めても日本経済が苦境に陥り、岸田内閣は国民からの批判を受けることにしかならない。

<記事原文 寺島先生推薦>

In Japan, Criticism of the Government Grows Over the Losses Caused by Sanctions against Russia
(日本で政府に対する批判の声が高まっている理由は、ロシアに対する制裁による損失だ)

筆者:ウラジミール・ダニロフ(Vladimir Danilov)

出典:Journal Neo

2022年6月27日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月20日



 現在日本政府は、明らかに不用意な政策をとっており、その政策が原因となり、国民はこれまでにない大きな不利益を被っている。そのような状況を背景として、岸田文雄内閣に対する批判の声は確実に大きくなっており、この1ヶ月で内閣支持率は4.6%も低下し、現在56.9%に落ち込んでいる。このような状況を特に明らかにしているのは共同通信社が行った調査による数字だ。日本の主流ニュース会社である共同通信社の記事によれば、回答者の64.1%は、物価上昇に対する日本政府の対応に批判的な回答を寄せているとのことだ。

 現在日本が抱えている経済問題の多くの原因は、輸出や輸入に関して課している制裁からきている。日本政府は以前北朝鮮に対して行った制裁を考慮にいれて対応しているが、ロシアに対する制裁の負の効果は、それよりもずっと大きくなっている。日本の諸企業が現在直面しているのは、天然資源やエネルギー価格の高騰に関わる問題がますます困難になっていることであるが、その原因はウクライナ状況や、ロシアに対する様々な制裁から来ている。日本でのドバイ原油の価格はここ14年間での最高値である1バレル8万3100円(640米ドル)に達していることが、東京商品取引所が調べた貿易数値から明らかになっている。しかし、米国政府に対して属国的忠誠を示している岸田政権は、日本に明らかな不利益が生じることを承知の上で、米国やEU諸国が決めた最新の嫌ロシア的政策に従い、「5月下旬にロシアからの石油輸入の一部禁輸を決めた」と、松野博一内閣官房長官は発表している。

 しかしそのような動きは、ブーメランのように日本政府のエネルギー政策に跳ね返ってきた。日経新聞の6月6日の記事が警告していたのは、次の冬が厳冬になれば、日本は2011年の東日本大震災と津波以来最大のエネルギー危機を迎えるだろうということだった。原子力発電所の再稼働の進行具合は非常に遅れている。というのも原子力発電所が設置されている地方公共団体が、電力会社に対して必要な許可を出さないことが多いからだ。さらに閉鎖された火力発電所もいくつかある。ロシアに対する制裁が続く中、このような不透明な状況にロシアからの安定したエネルギー購入が不安定になっている状況も絡んできている。日経新聞の推測によれば、厳冬になった場合、日本国内の電力不足の合計は350万キロワットになるだろうとしている。そのうち150万キロワットは、火力発電所の再稼働でまかなえる可能性がある。しかし専門家の見積もりによれば、ロシアから日本への天然ガス輸出が止まることになれば、さらに400万キロワットのエネルギーがなくなることになるとのことだ。その結果最悪の場合、約110万世帯分の電力不足が生じる可能性があるとのことだ。

 この点に関して、日本当局はすでに国民に対する節電の要求を開始している。6月7日の記者会見において萩生田光一経済産業大臣が語ったところによると、閣議において緊縮財政対策が承認され、経済を安定させるために大企業の電気使用制限などの措置を採ることも辞さないとのことだった。

 少なくとも日本の企業の50.6%はウクライナとロシアの戦争が原因で様々な困難に直面していることを、帝京データバンク研究所が報告している。すでに商品価格を上げるか、今すぐにでも上げようとしている企業が4割以上あるとのことだ。5月下旬に朝日新聞が報じたところによると、ロシアに対する日本の制裁のせいで、程度の差はあれ1万5千社の日本企業が損害を出しており、すでに多くの会社は購入可能な類似品を探さざるをえなくなっているとのことだ。その原因は、ロシアに対する制裁と、供給網の崩壊だ。

 北海道新聞の報道によると、日本がロシアの木材輸入を禁じたために、日本国内の家屋建設に影響がでており、建物建築率が低下しているとのことだ。ロシアからの木材がなければ、家屋価格はさらに高騰し、建築業界での混乱状態が拡散する原因になるだろう。

 日本のデイリー新潮も、日本がロシアに対する制裁のせいで深刻な損害をうけていることを報じ、ロシアの報復措置が日本の泣き所をついていることを指摘している。それは漁業だ。1998年に日露で交わされた同意では、日本の漁民は200海里経済水域内だけではなく、南千島列島近くのロシア領海内での漁業も許されていた。となると今回の報復措置により、北海道の漁民は大きな損害をうけることになるだろう。「これはロシア政府に対して我が国が行った制裁の”報復“だ。我が国が米国に追従することしか考えてこなかったせいだ!」とデイリー新潮は報じている。さらにデイリー新潮の記事が触れていたのは、つい最近ロシアが日本の制裁に対して、日本を「非友好国」であるとし、平和条約締結にむけた話し合いの延期を断固決定したことだ。その話し合いの中には北方領土問題も含まれている。さらに現在、状況はさらに悪化している。デイリー新潮が強調しているのは、日本政府による制裁に対するロシアの反応は、「日出ずる国」や現在の日本の首相になんら良いことももたらさないという事実だ。まもなく行われる7月の日本の参議院選において、漁業問題は争点のひとつになり得るだろう。

 さらに状況を悪化させているのは、安定しない物価に対する政策であり、日本の円安である。円安により、輸入品の価格が向上し、それに伴い生産費も高騰している。米国ドルに対する円価格はすでにここ20年での最安値を記録していることを、最新の貿易数値が示している。日本の国債額は2021年度(2022年3月31日時点)、9兆5千億ドルを超過し、日本は米国の最大の債務国になっており、米国への依存を強めることになっている。6月11日付けの毎日新聞の社説は、黒田東彦日銀総裁の最近の発言を取り上げている。同総裁は物価高騰に「耐え」なければならない状況が続けば、中央銀行としての日銀の金融政策が国民からの支持を失う可能性があると語っていた。

 ウクライナでの紛争開始以来日本政府が制裁を課しているのは、507名のロシア国民、253名のルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国両国民、201のロシア企業や組織、11の銀行だ。米国政府の影響力と指導の下、日本は繰り返しロシアへの制裁品目の項目を増やし続けており、6月17日からは、トラックやダンプトラックやブルドーザーなども制裁の対象項目に加えられた。それに先だち、日本は高い技術をもつ石油精製装置や、量子コンピューターや、量子コンピューターの内部装置や、電子顕微鏡や、原子間力顕微鏡や、3Dプリンターや、3Dプリンターに関する消耗品の輸出を禁じている。しかしこれらの制限は日本が輸出により得られる利益を妨げることにしかなっていない。というのもロシアは、国内産業を活性化させる政策をとり、世界各国から制裁の対象となった品目の国内生産を比較的早い段階で成し遂げたり、他の外国諸国市場から入手したりしているからだ。従って日本政府による制裁措置は、日本と日本国民を苦しめる政策になっており、岸田政権に対する批判の声が日に日に強くなっている。

 多くの専門家たちが指摘しているとおり、「日本はここ数ヶ月間、明らかに国民からは評判の悪い制裁措置を激化させており、さらにロシアとの関係を悪化(その中には8名のロシア大使を入国禁止処分にしたことも含まれている)させている。その原因は、日本が長年米国の影響下に甘んじ、政策決定を行う際に自発的な決定力を行使できずにきたことにあることに疑問を挟む余地はない」のだ。さらに米国は、米国との貿易を増やし、ロシアとの経済関係が途絶えたことで日本が受ける損失の補償をする気などないのだから、現在の日本政府は、こんな近視眼的な政策を採ったことについて、国民に説明責任が生じるであろう。日本政府に対する国民からの非難の声が強まっている中でのことだ。


Vladimir Danilov, political observer, exclusively for the online magazine “New Eastern Outlook”.
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米国はインドネシアにも生物研究所を保有していた!

<記事原文 寺島先生推薦>

US Maintains Biolabs in Indonesia
(米国はインドネシアにも生物研究所を維持)

筆者:ルーカス・レイロズ(Lucas Leiroz)

出典:INTERNATIONALIST 360°

2022年5月30日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月15日



 ロシアがウクライナ国内の生物研究所に対する懸念を表明した後、生物兵器研究についての話題が世界中で悪い評判になっており、綿密な調査が求められる状況になっている。東欧だけが米国が地球上でこのような秘密の活動を行っていた地域ではないことが分かるまでそう時間はかからなかった。インドネシアにも生物研究所が存在している証拠が浮かび上がっており、この件に関する脅威が世界全体からの懸念を増すことになっている。

 生物軍事兵器研究所のことが世界中の新聞で普通にとりあげられるようになる前から、インドネシアでは既にこの件に関する懸念が取りざたされていた。もう何十年間も、NAMRU-2 (海軍医学研究ユニット2)Naval Medical Research Unit Two)による計画がジャカルタで行われていた。この海軍の研究計画が専門としているのは、アジア大陸の数カ国で生物医学研究を行うことであり、インドネシアでは1970年から2009年まで研究を行っていた。この研究所が封鎖されたのは、インドネシア政府がこのような研究施設の存在は国家主権にとっての脅威となると発表したからだ。最も重要な問題は、公的には研究所は閉鎖したとされているが、米国による研究活動が実際は終わっていないという証拠がある点だ。つまりインドネシア当局の承認なしで、米国が今もインドネシア国内で生物研究を続けている可能性があるというのだ。

 先月(2022年4月)、インドネシアの新聞であるデティク紙は、研究活動が継続されていることを非難する記事を出した。その記事によると、少なくとも米軍が太平洋パートナーシップにおける演習を実施した2016年以降、秘密の研究が継続されているとのことだった。当該地域の記者たちが入手したとされるそのような演習での文書や写真が記事内で示され、研究の存在の証拠が明らかにされた。当時、病院船USSマーシー号に狂犬病に罹患していた3頭の犬と、23人のインドネシア国民が乗船しており、西スマトラから搬送され、パダン海岸に向かっていたが、このことに関してはインドネシア保健省から事前の承認をうけていなかった。

 当初はこのニュースの反響は小さかったが、このニュースの信頼性が増し、注目を集めるようになったのは、インドネシアの著名な心臓専門医であるファディラ・スパリ(Fadila Supari)医師がこの件に関する発言を行ったからだ。スパリ医師はWHOから表彰を受けたことのある医師でインドネシアの元保健相だ。スパリ医師によると、証明する文書はほとんどないが、このような研究活動がインドネシアで継続されていた明らかな証拠があるとのことだった。さらにスパリ医師は、2016年の演習時に行われたことは、そのときだけの活動ではなく、進行中であった秘密の研究活動の中の一節に過ぎないと考えている。さらに、その研究活動には、米国と国際的な研究機関とインドネシアの諸大学が関わる共同研究もあったとも考えている。

 「私は、研究活動がまだ存在していることは真実だと考えています。証明はできませんが、私が見聞きしたことからすれば、諸研究機関やインドネシアの諸大学との協力の下、研究活動はまだ持続中だといえます。インドネシア政府もこのことは承知しているはずです」とスパリ医師は今週(5月最終週)のインタビューで語っている。

 スパリ医師がこの件に関してどのくらい経験をもっているかについて、触れておく必要があるだろう。同医師はNAMRU-2の研究活動の調査の責任者の一人だった。その調査の結果、この研究はインドネシア国内の生物的な安全保障の脅威になるという結論が出され、2009年にこの研究施設が閉鎖されることになったのだ。そしてその2009年にスパリ医師は保健相を辞任している。スパリ医師は広範囲にわたる調査を行い、この研究施設を突然訪問することまでしていた。そのことが米当局から敵視される原因となった。ジュリアン・アサンジのウィキ・リークスのウェブサイトは、2010年に漏洩した文書を公表したが、その文書にはスパリ医師の名前が記載されており、その文書からは、スパリ医師が米軍とジャカルタ在住の大使官たちや米国との話し合いの議題となっていたことがわかる。その理由は、同医師が研究所の活動の障害となっていたからだった。そのためスパリ医師のことが米国にとって最大の戦略的関心として捉えられていたのだ。最終的には2009年にスパリ医師は米国政府に公式書簡を送ったが、その書簡において同医師が記載していたのは、ジャカルタのNAMRU研究所の設置を許した国際合意からインドネシア保健省は撤退するという内容だった。その結果、同年同研究施設は閉鎖されることになった。

 興味深いことは、スパリ医師が強調していた点は、このような研究活動に世界各国の研究機関も関わっていたと考えられる点だった。おそらくこの事実により、具体的な調査や数値が公になっていない中でスパリ医師は結論を出したのだろう。NAMRU計画は、ロックフェラー財団から資金提供を受けていることが以前は公表されていた。同財団は、アジア大陸に影響を与える病気の研究に関する研究に資金を出していた。ロシア政府がウクライナの生物研究所について明らかにした情報からわかることは、いくつかの著名な機関や企業が資金を出し、東欧での秘密の研究活動に関わっていた事実だ。その中には、巨大製薬業界最大手の諸企業も名を連ねていた。一例を挙げればファイザー社だ。そうなるとアジアでも同じようなことが行われている可能性がある。というのもこれらの研究に公的機関(軍の機関)や私企業が関わっていた証拠があるからだ。

 この情報は新しいものではないが、それ以来この件は、「問題となる」と考えられてきた。2009年にインドネシア政府は、米国による研究活動には生物学上深刻な危険があると非難したことで激しい批判に晒された。軍事目的のための生物研究所の存在について語れば、ずっと陰謀論扱いを受けてきた。しかし現在ウクライナの研究所の件が明らかになったことで、この問題に光が当たり、ますます多くの情報が明らかにされつつある。まだ発見されていない秘密が満載の大きな闇の箱が、今まさに開けられようとしているといったところだ。

Lucas Leiroz, researcher in Social Sciences at the Rural Federal University of Rio de Janeiro, geopolitical consultant.

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ウクライナが勝利するというプロパガンダが崩壊し、米英と欧州諸国は分断の危機

<記事原文 寺島先生推薦>

Glenn Diesen: As propaganda about a Ukrainian ‘victory’ retreats, is a split emerging in the West?Germany and France want peace while the US and UK push for more war
(グレン・ディーセン:ウクライナが ”勝利している“ というプロパガンダが引っ込められる中、西側諸国内部で分断がおこっているのか?独仏は和平を求めているが、米英はさらなる戦争を推し進めている。)

筆者:グレン・ディーセン(Glenn Diesen)

出典:RT
 
2022年6月22日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月15日



ウクライナ東部ドンバス地域で、ロシア軍を標的にして配置されている米国が提供した流弾砲M777 


 ロシア内戦の際、記者のウォルター・リップマン(Walter Lippman)は、プロパガンダ(喧伝)と真実の乖離を目撃していた。リップマンによるとそのプロパガンダには、人々にロシアとの戦争に向かわせるという良い効果があったが、有効な和平同意を結ぶ妨げになったという悪い結果も生んでしまったとのことだった。  

 当時、英国はロシア内戦に介入することに対する国民からの支持を高めようとしていた。その際に使われたプロパガンダは、ポーランドの勝利や、共産主義者たちの国外逃避、ボリシェビキ崩壊は間近というものだった。しかし実際のところは、全く逆のことが起こっていた。リップマンの主張によると、英国民たちは勝利を約束されていたため、外交による解決をなしとげようという政治的な欲求はなかったとのことだった。 

 それから100年後、状況はほとんど変わっていない。何十億ドルもする武器をウクライナに供給したり、ロシアに対して極めて厳格な制裁措置をとることに対する国民からの支持は、この先ウクライナでロシアが敗北するであろうという作り話が前提となっていた。ウクライナ政府への支援は彼らの勝利の話を押しつけることで表明されてきたが、逆にウクライナの弱さを少しでも認めることは、ウクライナの犠牲に対する敵対的中傷として斥けられる可能性があった。ただ、次の2つのことなら同時に起こりえる。一つは、ウクライナ軍がよく訓練されていて、装備もしっかりしており、こんなに善戦するとは誰も予想していなかったということで、もう一つは、ロシア軍の力は想像以上で、陸軍を動員する必要がないくらいだったということだ。


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Western media and politicians prefer to ignore the truth about civilians killed in Donetsk shelling  

 今、現実が言説に追いついてきた。ロシアは前進を続け、ロシアに対する制裁措置は西側にとってとんでもなく逆効果になっている。ウクライナやNATOがどんどん悪い状況に追い込まれている中で、ロシアと調停を行う必要性が急増している。しかしこれまで報じられてきたようなウクライナがすぐに勝利を収めるであろうという言説をどう変えればいいのだろうか? さらにウクライナが敗北しそうだという新しい言説の中で、米国が主導する軍事同盟は団結を維持できるのだろうか?


誰のための戦いか? 

 NATOとロシアは代理戦争を戦っているが、それはロシアが推奨してきた汎欧州安全保障構造構想を破棄したためだ。その構想の基盤は、「境界線を引くこと」なしに「分かつことの出来ない安全保障」という概念だった。ウクライナが、どこに新しい境界線を引くかの闘争における最も新しい被害者になった。

 NATOが今回の戦争において役割を示したのは、ただウクライナを支援することだけだった。その共通意見は、ウクライナの犠牲と西側諸国が被った経済的打撃は、勝利のためにはいたしかたないという点だった。しかし、ロシアの勝利を受け入れたときには、どんな状況がうまれるのだろうか?戦争を拡大することがウクライナを支援することになるというのだろうか?戦争が拡大すれば、ウクライナ国民の犠牲者を増やし、ウクライナのさらなる失地につながり、ウクライナ国家崩壊の危機につながることになるのに。  

 ウクライナを支援するひとつの方策として考えられることは、NATOが交渉の場でウクライナ政府の損失を減らすような何かを差し出すことだ。 NATOがロシア政府から大きな譲歩を引き出せる策として考えられるのは、この30年間ロシアが求めてきたものを差し出すことだ。 つまりそれは安全保障のことだ。具体的には、NATOの拡張主義や、ロシア国境付近に米国から提供された武器を配置することを停止することだ。しかしそのような方策に基づいてウクライナを支援すれば、NATOは無謬で唯ひとつの「善をなすための力」であるという言説は崩れ去ることになるだろう。


責められるべきは誰か? 
 これまでの「ウクライナは勝利する」という言説から「ウクライナは敗北する」という言説に急に移行するために必要なのは、誰かが敗戦の責めを負わされないといけなくなるということだ。かつてバイデンがアフガニスタンの国情を悪化させたのはその国の政治指導者や軍隊のせいだと叱責したのが再現されたかのように、この米国の指導者はウクライナはロシアが攻めてくるかもしれないという米国の忠告に耳を貸さなかったと非難し始めている。この動きに合わせて、ウクライナ政府は強い口調で、十分な武器を供給してくれないとして西側の友好諸国を非難することが増えてきた。その一例として、ウクライナ大使がドイツ政府に対してとった行為があげられる。同大使はドイツのオーラル・ショルツ (Olaf Scholz) 首相を「拗ねたレバーソーセージ」呼ばわりしたのだ。


 Ukraine staging battle scenes for propaganda - Russia  

 米国においては、フランスの対ロシア外交に批判の声が上がっており、ドイツもウクライナに十分な武器を送らないことで非難の対象となっている。いっぽう欧州では、米国がロシアに対して全く妥協せずに対立的な態度をとり続けていることに対して疑問の声が大きくなっている。


 新たな目的を定めよ
「ウクライナは負ける」という新たな言説にさらに必要なのは、それに対応する新たな目的だ。ロシアに勝利するという目的はNATO内の統一目的だった。ただし何をもって勝利とするかは、ずっと不明だった。例えばクリミアの奪還か? 米国の武器をさらにロシアの近くに配備して、ロシアをさらに神経質にしてロシアにさらなる侮辱を与え、ロシアに核兵器を配備させることなのか? ロシアが弱体化して中国に過度に依存する状況が西側にとっての利益になるということなのだろうか? しかし、「勝利」の意味することが戦略的に曖昧だったがゆえにNATO内部の分断は生まれなかったのだ。 

 いっぽうウクライナが敗北するとしたら、各国の利益が競合し、それぞれの要素を一つにまとめるのはずっと難しくなる。米国は、戦争を長引かせることである種の利益を得ている。戦争が長引けば、ウクライナをロシアにとってのアフガニスタンの再来にできる。すでにこのウクライナとロシアの戦争は米国に利益をもたらしている。具体的には、EUとロシアの間のエネルギー貿易や経済関係を分断することにより、欧州西側諸国の同盟関係が強化され、ウクライナがロシアの障害となり、ロシアを弱体化する体制が固まったからだ。 

 そのため、外交努力をせずに、ウクライナにさらなる武器を供給する方が好ましいという主張をしている人々もいる。例えば、米国のダン・クレンショー(Dan Crenshaw)代表はウクライナ国民の命を犠牲にしてロシアと戦う政策を支持し、こう語っている。「(他国の軍に)投資をして、我々の敵国の軍隊を破壊してもらえば、米軍兵士を一人も失わずにすむ。なんといういい考えだろうか」と。また、米国のアントニー・ブリンケン(Antony Blinken)国務長官は、この代理戦争をもっと穏健な言葉を使って表現している。彼は、米国がウクライナの軍備を強化すれば、ウクライナ政府は 「この先に起こる可能性のある交渉の席において最強の立場で望める」と示唆したのだ。一方で、元米国大使で、国防相補佐であったチャス・フリーマン(Chas Freeman)は、米国のこの立ち位置を批判し、「ウクライナ国民が最後の一人になるまで戦う」という言葉にはウクライナ人に対する冷笑的な態度が現れていると指摘している。

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As the bloc faces a looming energy crisis, are EU leaders using potential membership to rein in Ukraine's Zelensky?  

 対照的に西側欧州諸国は、ウクライナが「欧州のアフガニスタン」になってしまえば、安全保障上の危険が増すことになる。さらに、ロシアに対する制裁は、ロシアよりもEU諸国にとって破壊的となることが明らかになりつつある。インフレや経済不況は西側欧州諸国をズタズタにしている。さらにロシアがロシア産の安価なエネルギーや金属をアジアに直接送ることは、競争力という観点において、欧州諸国の産業界にとっての死刑宣告だ。米国政府が「ロシアを支援している」ことで中国に対する思想戦争を起こそうとすれば、ますます西側欧州諸国は米国への依存度を強め、「EUの独自性」を目指す方向は台無しになってしまう。

 したがって独・仏・伊はキエフを訪問し、ロシアとの和平交渉を始めるよう圧力をかけたのだ。それでもEU諸国の指導者たちは口先ではウクライナを支援し、さらなる武器を供給し続けるとしている。NATOは将来ウクライナをEU加盟国に加えるという約束を和解への誘い水として使いながら、一方では武器の提供を続け、戦争の拡大を可能にしている。英国のボリス・ジョンソン首相が突然キエフを訪問して和平交渉を妨害したのはその翌日だった。彼は戦争の継続への支援を約束し、英国は「完全な勝利を収めるまでウクライナと共にあります」と語ったのだ。

 「負け犬」チーム(独/仏/伊) と 「タカ派」チーム(英/米/ポーランド)の間にできた亀裂を映し出す新たな言説がいま生まれようとしているのだろうか。


Glenn Diesen : Professor at the University of South Eastern Norway and an editor at the Russia in Global Affairs journal.
Follow him on Twitter @glenndiesen.
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キッシンジャー氏、ウクライナで起こりうる3つの結末を提示

<記事原文 寺島先生推薦>

Kissinger outlines three possible outcomes in Ukraine

出典:RT

2022年7月1日

<飜訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年月7月10日

モスクワの勝利、ロシアと西側諸国との戦争、2月24日以前のラインへの復帰、これらすべてが実行可能なシナリオであると、米国のベテラン政治家は考えている。



ウクライナでの軍事作戦中のロシア軍兵士。© Sputnik / Alexey Maishev



 最近99歳になったヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は、現在進行中のロシアとウクライナの紛争がどのように終わるかについて自身の考えを述べた。

 「この戦争の結末には3つの可能性があり、その3つともまだどうなるかわからない」、とキッシンジャーは「スペクテイター誌」のインタビューで語った。

 最初のシナリオは、「ロシアが現在の場所に留まるなら、ウクライナの20%とドンバスの大部分、工業と農業の主要地域、そして黒海沿いの一帯を征服したことになる」というものだ。

 もしそうなれば、モスクワの「勝利」となり、「NATOは、これまで考えられていたほど決定的な役割を果たすものではないという認識を持たれるだろう」と、このベテラン政治家は指摘した。

 第二に考えられるのは、「この戦争以前にロシアが獲得した領土(クリミアを含む)からロシアを追い出そうとする試みがなされることだ。しかしこのシナリオに則り戦争が続けば、ロシアとの直接戦争になる可能性がある」とキッシンジャーは警告している。




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 「第三の結末は“ 西側”がロシアに軍事的征服を達成させないようにし、戦線が戦争が始まった時点の位置に戻るなら、今回のロシアによる侵略は目に見えて敗北したことになる」と述べた。

 そうなれば、ウクライナは2月24日にロシアの軍事作戦が始まる前と同じように再建され、「NATOに加盟することまではいかないまでも、NATOによって再軍備されることにはなるだろう」と前国務長官は示唆した。

 「残りの問題は交渉に委ねることができる。しばらくは凍りついたような状況になるだろうが、時間がたてば行き詰まりは克服されるだろう」と断言した。

 この「第3の結末」は、5月にダボスで開かれた世界経済フォーラム(WEF)でのビデオ演説で描いたものと同じだという。

 この演説は世界的に話題になったが、彼は「(ウクライナの)和平交渉は2カ月以内に始める必要がある」と主張し、さもなければ紛争は「NATOが結束して行ってきたウクライナの自由に関する戦争」から「ロシアそのものに対する戦争」になりかねない、と述べたのである。

 その協議の理想的な結果は、「現状復帰」であるという。

 この提案はウクライナの多くの人々を怒らせ、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、キッシンジャーがモスクワをなだめるために「深い過去から現れ、ウクライナの一部をロシアに与えるべきと言っている」と述べた。彼は、元国務長官が、今が2022年であることを忘れ、1938年にミュンヘンで聴衆に向かって話していると思っているのでは、と述べた。



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 ミュンヘン協定とは、大陸での大きな紛争を避けるために、イギリス、フランス、イタリアがナチス・ドイツにチェコスロバキアの一部を割譲することに同意したというものである。しかしこの同意にも関わらず、第二次世界大戦は翌年から始まった。

 キッシンジャーの名前は、キエフ政府が暗黙で認めている「ミロトウォレッツ:Peacemaker」という「暗殺リスト」ウェブサイトにも登場している。このサイトは、作者がウクライナの敵だと考える人物を普通に検索できるデータベースを持っている。彼は「ウクライナとその国民に対するロシア当局の犯罪の共犯者」という烙印を押されたのである。

 このベテラン政治家は「スペクテイター誌」に、「ダボス会議の声明の目的は、戦争の勢いが政治的に手に負えなくなる前に、戦争目的の問題に戻る必要があることを指摘することだった 」と語っている。

 ゼレンスキーの批判については、「彼の最近の発言では、私がダボス会議で概説したことを基本的に受け入れている」とキッシンジャーは主張した。
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セヴォロドネツィクの完全解放。ロシアとLPRはゾロトイエとゴルスコエを掌握

<記事原文 寺島先生推薦>

Donbass: Full Liberation of Severodonetsk, Russia and LPR Control Zolotoye and Gorskoye
(ドンバス:セヴォロドネツィクの完全解放。ロシアとLPRはゾロトイエとゴルスコエを掌握。)

著者:クリステル・ニャン(Christelle Néant)

出典:International 360°

2022年6月27日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月12日


 2022年6月25日、およそ800人の市民がついにセヴェロドネツィク市内のアゾット化学工場の敷地内から脱出することができた。その敷地内で、市民たちは逃げ込んでいたウクライナ兵たちに人質にされていたのだ。その過程において、工場の敷地と工業地帯はルガンスク人民共和国(LPR)の民兵の支配下に置かれ、セヴェロドネツィク市の完全な解放が実現された。

 ウクライナでのロシアによる特殊作戦が開始されてから4ヶ月たつ今、前線の戦況はすさまじく変化している。2022年6月24日のゾロテ町とヒルスケ町の解放後、セヴェロドネツィク市やリシチャンシク市周辺へのロシア軍・LPRの民兵隊連合軍の進撃には拍車がかかっている。

 今日(6月25日)の午後の初めに行われた、チェチェン共和国のラムザン・カディロフ(Ramzan Kadyrovt)首長の発表によると、セヴェロドネツィク市の工業地帯や空港は完全に解放され、約800人の市民がついに、ウクライナ軍が抑えていたアゾット化学工場の敷地内から脱出することができた、とのことだ。

 以下のテレグラム上のカディロフ首長による投稿を参照。

https://t.me/RKadyrov_95/2410


 工場で人質に取られていたうちの一人であるオルガ・チェベレバ(Olga Cheveleva)さんによると、ウクライナ兵たちは、アゾット化学工場の敷地内にいた市民たちを、避難させるという口実で、真夜中に避難所から強制撤去させるという危険な状態に追いやった、とのことだ。そのような行為はロシア軍から射撃を受ける危険性がある中でのことだ。
https://t.me/donbassinsider/14791

 このような行為は明らかな挑発行為であり、その目的は、市民の流血の惨事を起こさせることでロシア軍非難を行う材料を与えることにあった。アゾット化学工場から市民たちを避難させるための人道回路が組織されたのは日中のことであり、午前3時ではなかったからだ。

 その数時間後のラムザン・カディロフによる発表では、ボロフスコエ村も解放されたとのことだ。その同日(6月25日)の夕方、ロシア国防省は、ヴォラナバ村やシロティノ村と同じくこれら全ての地域が解放されたと発表した。この情報については、ウクライナ軍の司令部からも裏が取れている。
 
 これらの地域とともに、LPR領内のセヴァースキードネッツ川の左岸全体はLPRの統括下にある。しかしこれらの地域の清掃活動には数日を要するだろう。それはウクライナ兵たちが撤退する際あちこちに地雷を埋めていったからだ。

 フランスのニュースサイトFranceinfoは、リシチャンスクの人々が選んだ居住地について報じた記事のなかで、ゾロトイエ市近郊のカテリノフカ村の住民たちはロシア軍の到来を喜んでいた、と明らかにしていた。


 ゾロトイエやゴルスコエの包囲網の中で、組織から外れたウクライナ兵たちの小部隊がリシチャンスク市やバーフムト町内にある精製所に向かい、捕まるか殺されるかどちらかの二者択一から逃れようとしている。今我々がリシチャンスク市についての話をしている間に、すでにリシチャンスク市の郊外のゼラチン工場やゴム工場においても戦闘は始まっている。リシチャンスク市の南東のベラヤ・ゴラムラはまだ「グレーゾーン(連合軍の完全な支配下に置かれていないという意味)」のままだ。

 以下のリシチャンスク市周辺の地図を参照



 連合軍の進撃の速度からすると、リシチャンスク市やその周辺の村々が完全に解放され、LPRが憲法上認められた領土全域を支配下におさめる日はすぐに来るだろう。


ロシアとLPRがゾロトイエとゴルスコエを掌握

クリステル・ニャン
 ゾロトイエ市とゴルスコエ市の周りを取り囲んだ後、ロシア・LPR連合軍はウクライナ軍と交戦し、即座に両市を支配下におさめた。 この包囲網においても、リシチャンスク市近郊においても、ウクライナ兵たちは戦いを続けることは明らかに無意味だと悟り、大挙投降している。

 ゾロトイエ・ゴルスコエ包囲網封鎖の発表があってからほぼ2日後、ロシア・LPR連合軍は両市を支配下におさめた。早くも2022年6月23日には、ゾロトイエでの戦いが発表され、ゾロトイエ内部のカルボニット地区も同日、LPRの支配下に落ちた。

https://t.me/DonbassDevushka/11965

 ロシア国防省によると2022年6月23日、41名のウクライナ兵がこのゾロトイエ・ゴルスコエ包囲網において投降したとのことだ。これらの地域には約2000人の兵士(この数は当初考えられていた数よりも増えている)がおり、うち1800人がウクライナ兵、120名が右派セクターのネオナチ兵、残り約80名が外国人傭兵だ。

https://t.me/russianfortress/2688

 投降したウクライナ兵たちの証言によると、包囲されているウクライナ軍の諸部隊は疲弊しており、人員は必要とされる人員の4割しかおらず、銃弾や燃料や兵站もない状態で、ウクライナ軍の高官が軍を統率しきれなくなっている。

 孤立地帯の減少は2022年6月24日も続いており、ゾロトイエ、その後ゴルスコエの完全掌握が発表された。
https://t.me/intelslava/31815
https://t.me/millnr/8962

 ゴルスコエでは、ロシア兵たちが到着したのを見て1人の住民が嬉しさのあまり泣き出した。その女性は「今まで生きてきた中でこんなに嬉しかったことはありません。自分が結婚した時のことを入れてもです」と語っていた。

https://t.me/Slavyangrad/2009

 ゴルスコエ市内の或る建物の蔵の中でLPRの民兵隊が本物の武器を発見した。それはウクライナ兵たちが置いていったものだった。擲弾発射器用の手榴弾や、対戦車ロケット弾や追撃砲がいくつかの箱に入れられていた。これらの武器が爆撃のせいで爆発していたとしたら、このアパートは破壊されていたことだろう。



画像 : Lug Info Center


 ウクライナ兵たちは退却する際にあちらこちらに武器を置いていった。以下のラムザン・カディロフが投稿した動画を参照。

https://t.me/RKadyrov_95/2395

 リシチャンスク市では、連合軍は既に同市の郊外に入り、ウクライナ軍との戦闘を開始している。ウクライナ軍の諸部隊はセヴェロドネツィクの南部にまだ残っている占領地から離れるよう命令されているが、その目的は包囲網を解く(原文ママ)ためだという。実際昨晩(6月26日)ウクライナ諸部隊はそうしたと、ウクライナ側の喧伝家であるユーリ・ バウタウソフ(Yuri Boutoussov)氏は伝えている。

 ただし逃げられるのは遅きに失さなかった場合だけだ。(すでに包囲されている)リシチャンスク市から逃げ出そうとしても、同市から出ている2つの主要道路はすでに連合軍の管理下(兵士たちによる直接的な管理や射撃統制システムによる遠隔的な管理下)にある!撤退命令が出された時期が遅すぎて、リシチャンスク地域のセヴェロドネツィクの諸部隊を救うことはできなかった。以下の動画をご覧いただければ、リシチャンスク市から逃げようとすればどんな目にあうかが分かるだろう。

https://t.me/swodki/122255

 セヴェロドネツィクの解放はまもなく発表されるだろう。セヴェロドネツィク市の暫定行政当局はすでに形成されている。LPRはセヴェロドネツィク市出身だが8年間故郷を離れていたマーク・ヴォルジェフ(Mark Vorjev)氏を、市長に据えるよう話を決めている。同氏が2015年に民兵隊に参加したときはたった16歳の未成年だったが、パスポートを紛失したと称して本当の年令より2歳サバを読んで入隊していた。

 セヴェロドネツィク市近郊のヴォラナヴァ町も連合軍の支配下に置かれていると、ラムザン・カディロフ氏は伝えている。そこからさらに西部においては、ロシアとDPR(ドネツク人民共和国)は 2022年6月23日に、スラヴャンスク市近郊のシドロヴォ村を支配下に収め、その村の清掃作業が行われている。

  リシチャンシク市では、市民たちが辛抱強くロシア軍による解放を待っている。ロシア軍による勝利を市民たちは待ち焦がれていたことを、ニュースサイトのフランスインフォは力を込めて伝えている。今夕(6月27日)伝わったその情報によると、連合軍は既にリシチャンシク市に突入し始めているとのことだ。

 チェチェン共和国の首長であるラムザン・カディロフ氏は、ウクライナの第74師団大隊の動画を共有している。その動画には、兵たちが、置かれている状況や司令官に対して不満を述べている姿が映し出されている。
https://t.me/RKadyrov_95/2389

 「私たちはここにマシンガンを片手にやってきました。ここ10日間[司令官から]なんの連絡も受けておらず、洞穴で生活しています。問題は山積みです。食べ物も、薬も、水も、大砲の補強も、赤外線画像装置もありません。脳しんとうをおこしているものもいるし、戦闘の被害者も出ています。こんな状態では戦闘を続けられません。私たちの司令官は私たちをなきものにしたいと考えているように思えてきます。大隊の指揮をきちんと執って欲しいです」と動画内で兵士たちは語っている。

 この2日間をあわせて、800人以上のウクライナ兵たちがゾロトイエ・ゴロスコエ包囲網の中で投降しており、リシチャンシク市近郊では、約1000名が戦死したと報じられている。しかし今の状況からすれば、これらの数がここ数日でさらに増えることは確実だろう。
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ロシア解体の方法。ランド研究所報告2019「ロシアを無謀な拡張に向かわせ、崩壊させる」はロシアの破壊を目指すディープ・ステート(闇国家)の基本戦略

<記事原文 寺島先生推薦>

How to Destroy Russia. 2019 Rand Corporation Report: “Overextending and Unbalancing Russia”
(ロシアを破壊する方法。2019年ランド研究所報告:「ロシアを無謀な拡張に向かわせ、バランスを崩させる」)

出典:Global Research

2022年6月25日

マンリオ・ディヌッチ(Manlio Dinucci)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月9日



 以下はマンリオ・ディヌッチが2019年5月25日に公開した評論記事。ランド研究所報告:「ロシアを無謀な拡張に向かわせ、バランスを崩させる」の要約が掲載されている

 敵のバランスを崩すために無謀な拡張をさせ、そして破壊する。これは柔道の技ではなく、米国で最も影響力のある政策研究所、ランド研究所が練り上げた対ロシア戦略である。数千人の専門家を擁するランド社は、米国とその同盟国の指導者のために、世界で最も信頼できる情報源と政治分析を行っている。

 ランド研究所は、ソ連に自国の経済資源を消費させる戦略的対峙を強いることで、米国が冷戦に勝利するための長期戦略の精緻化に貢献したと自負している。

 ランド研究所が発表した新計画「ロシアを無謀な拡張に向かわせ、バランスを崩させる」の着想は、このモデルから得たものである。

CLICK TO ACCESS the complete document of RAND May 2019



 彼らの分析によると、ロシアは米国にとって特定の基本的な分野で強力な敵であることに変わりはない。この敵に対処するためには、アメリカとその同盟国は、ロシアの脆弱性を突く長期的な共同戦略を追求する必要がある。そこでランド研究所の分析家たちは、ロシアのバランスを崩させるための様々な手段を分析し、それぞれについて成功確率、利点、費用、そしてアメリカにとっての危険を示している。

 ランド研究所の分析家たちは、ロシアの最大の脆弱性は、石油とガスの輸出に大きく依存しているが故の、経済の脆弱性であると推定している。制裁を強化し、米国のエネルギー輸出を増やすことで、これらの輸出による収入を減少させることができる。その目的は、欧州にロシアの天然ガスの輸入を減らし、他国から海上輸送される液化天然ガスで代替することを義務づけることである。

 また、長期的にロシア経済を不安定にする方法として、有能な人材、特に高い教育水準を持つ若いロシア人の移住を促進することが挙げられる。

 政治的観念や情報の分野では、ロシア国内での争いを煽ることは必要だが、同時に、国際フォーラムからの排除や、ロシアが主催する国際スポーツ大会への棄権など、対外的にロシアの印象を低下させることも必要であろう。

 地政学的には、ウクライナを武装化することで、米国はロシアの外的脆弱性の中心点を突くことができる。しかし、そうするためには、大きな衝突に陥ることなくロシアに圧力をかけ、慎重に計算する必要がある。そして米国は勝利を手にすることになるだろう。

 軍事面では、対ロシア戦略として機能する陸上部隊をNATO諸国から増やすことで、米国は低い費用と危険で高い利益を享受することができるだろう。

 米国が高い成功確率と大きな便益を手にすることができるのは、さしたる危険も負わず、特に対ロシア向けの戦略爆撃機と長距離攻撃ミサイルに主に投資することによってである。

 INF条約を離脱し、ロシアに照準を合わせた新たな中距離核ミサイルをヨーロッパに配備することは、高い成功確率をもたらすが、危険度も高いだろう。

 それぞれの選択肢を望ましい効果が得られるように調整することによって、ロシアは対立の中で最も厳しい代償を払うことになるが、それ故アメリカもまた他の目的のために利用できなくなる膨大な資源を投入しなければならなくなるだろう、とランド研究所の分析家たちは、結論付けている。これは、米国とNATOの軍事費が今後大幅に増加し、社会的な予算に赤字が生じることへの事前の警告でもある。

 これが、ランド研究所が念入りに練り上げた私たちの未来である。ランド研究所はディープ・ステート(闇の国家)の最も影響力のある政策研究所、つまり経済・金融・軍事のオリガルヒ(財閥)たちが実権を把握する地下司令部であり、アメリカのみならず西欧諸国全体の戦略的選択を決定している。

 この計画で示された「選択肢」は、実際には同じ戦争戦略の別の形に過ぎず、その犠牲と危険の代償は私たち全員が支払うことになる。

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バイデンのアジア訪問の目的は米国の対中国代理戦争を日韓に戦わせること

<記事原文 寺島先生推薦>

Biden’s “Harakiri Diplomacy” in East Asia: War Drums Getting Louder. Threatening Korea and China with the Support of Japan
Diplomacy of a Falling Empire
(バイデンによる東アジア「ハラキリ外交」。軍靴の音が大きくなっている。日本からの支持を受けて、北朝鮮と中国への脅威が強められている。
これは堕落しつつある帝国の外交政策だ。)

著者:ジョセフ・H・チョン(Joseph H. Chung)教授

原典:Global Research

2022年6月12日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月8日

 
 
序論

 東アジアは米国で最も熟練した人物の外交手腕を目撃できる機会があった。その人物とは米国ジョー・バイデン大統領だ。バイデンは5月20日から24日までの5日間韓国と日本で過ごしていた。



 世界が目にすることを期待していたのは、米国の利益だけを追い求めることのない真に熟練した外交手腕だった。相手諸国の利益、特に日本と韓国の利益を促進するような外交手腕を見たがっていたのだ。しかし、多くの人を落胆させることになったのだが、バイデンは米国政府のおなじみの外交政策を繰り返すだけに終わっってしまった。具体的には戦争亡者であるCIAや国家安全保障会議や国務省が決める外交政策だ。

 実際バイデンが戦争に向かう寒い風と共に東アジアを訪問した理由は、米国政府のために戦ってくれる戦士たちを探しに来たのだった。

 この文書においては、バイデンの東アジア訪問の2つの展開を取り上げる。ひとつは東アジア地域間の安全保障面での緊張の高まりであり、もうひとつは中国との代理戦争を起こすという依頼を受け入れてくれる国々を募ることだ。


バイデンの対北朝鮮戦略と日米韓三国軍事同盟

 東アジア地域の安全保障面での緊張が高まった理由は、バイデンが以下の件に関わる決定をくだしたからだった。ひとつは米国による対北朝鮮戦略についてであり、もうひとつは日米韓の三国軍事同盟についてであり、さらには台湾・中国間で有事が起きた際の米軍の介入の宣告についてだ。

 バイデンの対北朝鮮政策には何の新味もなかった。たたこの先の南北間の緊張を高めることにしかならない2つの動きを見せただけだった。そして、その動きのせいで軍事衝突を引き起こすかもしれない。



 一つ目の動きは、バイデンが保守派の尹錫悦(ユン・ソンニョル)新政権の要求を受け、韓国軍の攻撃力の増強を受け入れ、戦略的軍事資産の配置を約束したことだ。戦略的軍事資産とは例えば戦略的核兵器のことだ。

 二つ目の動きは、バイデンが米国政府の口癖である核兵器についての発言を繰り返したことだ。 「金正恩
 総書記が北朝鮮を非核化するのであれば、米国は北朝鮮と平和的な関係を求める!」これは口先だけであって、本音は以下の通りだ。「我々は朝鮮半島に平和を打ち立てる気はない」

 バイデンによるこれら2つの宣告により、北朝鮮はさらに警戒心を強めることになった。北朝鮮は、尹錫悦が北朝鮮に先制攻撃を行う意図を宣告していたことに苦慮していたからだ。

 現在事実上の日米韓三国軍事同盟が成立しているということは、日韓間に軍事同盟が結ばれているということになる。韓米間の軍事関係はただの軍事同盟以上のものだ。というのも戦時には米国が韓国軍に命令を出せる立場にあるからだ。実際、韓国軍は米軍の一部に組み込まれている。それは米国がOPCON (作戦統制。韓国が関わる戦争においては米国が韓国軍に命令を出せる権利のこと)を有しているからだ。

 日韓間の軍事同盟について懸念されることは、日本軍が朝鮮半島に足を踏み入れる可能性が生まれることだ。両朝鮮人にとってそのような可能性が生じることは悪夢だからだ。というのも、日本には再度アジア、特に朝鮮半島を支配したいという野望が今でもあることを両朝鮮人は分かっているからだ。 特に北朝鮮にとっては、日韓の軍事同盟が、日本軍が北朝鮮への攻撃に参戦する可能性に繋がることを恐れているのだ。


2022年2月の韓国での選挙

 既に北朝鮮は暴力的な反応を見せている。最近北朝鮮は13発のミサイルを発射している。うち4発は同時にいくつかの標的を攻撃できる能力を示すものだった。これらのミサイルは、短距離及び中距離ミサイルで、日本と韓国に警告を発するための発射だった。

 尹が大統領に選ばれたということは、反北朝鮮で親日である韓国保守派が、戦争亡者である米国の支配者層や、明治時代の栄光を再興しようとしている日本の野望と結びついたことを明らかに示しており、このことは北朝鮮の警戒を強めさせるのに十分だった。

 そのような状況下において、北朝鮮は世界の「東西武力戦争」において露中側に与することを決めた可能性がある。そうなれば南北統一はもはやありえなくなる。韓国はなくなってしまうだろう。尹大統領は朝鮮民族にとって最悪の反逆者の汚名を受け続けるだろう。


バイデンによる無謀な台中外交

 さらに恐ろしいことは、バイデンが、台中間で戦争が生じれば米国が介入すると宣告したことだ。これはまさに中国に対する内政干渉だ。世界は、米国が1つの中国政策を三度の共同声明(1972年、1979年、1982年)と台湾関係法(1979年)で認めたことを知っている。実際バイデンもほんの数か月前には1つの中国政策を認めていた。



 しかし、米国政府はもう何十年間にもわたって、米国在台湾協会(AIT)を通じて、一つの中国政策に反する行為をとってきた。1982年に中国と結んだ合意(ドナルド・レーガンの6つの保証)に応じて、米国政府が台湾に供給できるのは、「防衛用の武器」のみとされてきた。しかし、今供給されている武器は本当に防衛用の武器なのだろうか?ここ何十年間も、米国政府は台湾に何十億ドル分もの武器をつぎ込んでいる。トランプは毎年台湾に40億米ドルを与えていた。そんな武器がすべて防衛のためだけだなどという話が信じられるだろうか?

 ある意味、米国政府による矛盾の多い台湾政策が台湾にとって理解できるものになっている理由は、米国が中国国境のすぐ近くに空母を配置し、中国の安全保障を脅かしていることにあると言える。

 米国が台湾を失えば、東アジア地域における米国の利得は深刻な損害を受けるだろうと言われている。こんな帝国の振る舞いは最低の振る舞いだ。主権国家である他国を軍備させて自国の利益を得ようと主張する国などありえるだろうか?

 ただし中国にとってみれば、米国が台湾を完全武装させているという状況は耐えられない脅威だ。つまり米国政府は中国との紛争を挑発しているのだ。

 中国の人民解放軍に台湾を攻撃するようけしかけることにより、米国政府は、中国がそのような攻撃を正当化できる条件のうちのひとつを意図的に破壊しているのだ。中国政府が台湾に出兵することが許される条件は以下の五項目だ。

 § 台湾が独立を宣言する
 § 台湾国内の内部騒乱が起こる
 § 台湾軍が他国と軍事同盟を結ぶ
 § 台湾が大量破壊兵器(WMD)を所持する。例えば戦略的核兵器など。
 § 1992年に中台間で確認された一つの中国(九二共識)を逸脱する

 米国政府は日本に依頼してこれらの5項目のうちのひとつを崩れさせることは可能だ。台湾の独立宣言をしなくても可能だ。最も容易な方法は、台湾に戦略的核兵器などの大量破壊兵器を送ることだ。あるいは台湾内部で騒乱を起こさせたり、日台間で軍事同盟を結ぶ手もある。



 日本は喜んで米国政府からのこのような要求に応じるだろう。というのも、中国打倒が安倍晋三元首相の率いる日本会議の夢だからだ。米国の支援を得て中国を倒し、再びアジアの支配者になることを夢見ているのだ。世界の支配者にはなれないとしても。

 従って明らかに、バイデンは東アジアで軍靴の足音を高めることに成功したのだ。


代理戦争の戦士募集

 日韓二国間軍事同盟が目指すものは代理戦争の戦士を集めることだ。先に指摘した通り、米国政府が北朝鮮への攻撃を決意したなら、米国政府の覇権のためと、日本による再度の朝鮮併合のために、日韓両国軍が参戦する可能性は高い。 バイデンにとってより重要なことは、米国が支援する台湾・中国間の戦争に加わる戦士たちを募集することだ。韓国軍も日本軍も米国政府のために射撃を行なうことが期待されている。しかし米国政府がその戦いに参戦しないことはありえる。ただ武器の供給を増やすだけで。そう今のウクライナ・ロシア戦争と同じ構図だ。

 東アジアにおいて米国政府が主導するこの危険な安全保障条件での動きには、ひとつの難しい側面がある。それは「ハラキリ」政策だ。この政策は、尹大統領が率いる親日保守派の韓国政府が安全保障戦略として採用しているものだ。韓国が対北朝鮮戦争に参戦しても、韓国側はなんの利点も得られない。ただ韓国人が何百万人も亡くなったり、韓国経済が崩壊する可能性が生まれるだけだ。さらに北朝鮮とのこの戦争に日本が参戦すれば、朝鮮半島の地に日本軍が永久に駐留することになりかねない。これにより1910年の日本による韓国併合という惨劇が再び繰り返されないとも限らないのだ。

 親日保守派の韓国人はこの歴史を支持するだろう。彼らの先祖か1910年にそうしたように。このことは奇妙に聞こえるかもしれない。しかし忘れてはいけない事実がある。親日韓国人の中枢は、韓国を植民地支配していた日本政府に協力していた韓国側の支配者層の子孫なのだ。加えて、自分の富を守るため日本には帰らず、名前を韓国名に変えて自分たちの出生を隠した人々の子孫もいる。はっきり言えば、この親日派は韓国人と言うよりも日本人と言った方が正しいのだ

 さらに韓国軍が台中戦争に参戦となれば、中国からの貿易による報復に苦しまなければならない状況を作り出しかねないし、中国軍から直接韓国の地に軍事攻撃を受ける可能性まで出てくる。

 韓国製品の輸出先の4分の1は中国である。ソウル近郊にたった一機のTHAADミサイルを配置したというだけで、韓国は高い賠償を支払う羽目になった。中国からの観光客収入を失い、中国で「韓国製品不買」運動が起こり、中国国内の韓国企業が閉鎖されるなどの報復措置を受けたのだ。そんな損失に対して米国が補償してくれる訳がない。

 韓国にとって米中覇権争いの中を生き残る唯一の賢明な選択は中立を保ち、米中両国と良好な関係を維持することだ。これが文在寅(ムン・ジェイン)の取った手法だった。だが尹大統領はムン・ジェインの功績をふいにしてしまった。これは悲劇だ。本当に。
 
 文在寅下のリベラル政権は両超大国と良好な関係をうまく維持することができていた。経済力で世界10位、軍事力で世界6位の力を持つ韓国なら中国政府や米国政府に対して韓国が優位となる取引が可能なのに。

 さて日本の方だが、安倍晋三元首相が率いる帝国主義的保守派は、中台戦争において日本が外国人軍として参戦することは大歓迎だろう。安倍晋三や仲間たちにとっては、中台戦争は神からの授かりものになりうる。安倍勢力が1945年以前の大日本帝国の力と栄光を取り戻そうという野望を持っていることを思い出して欲しい。安倍らの勢力は1945年の日本の無条件降伏を受け入れていない。つまり東京裁判の判決を受け入れていない。安倍らの勢力には日本が世界支配者であるという幻想がある。この野望の実現のためには中国を打倒しなければならない。中国を打倒するためにはいわゆる自衛隊ではない、正規軍を持つことが必要だ。そのためには1948年施行の平和憲法を改憲しなければならない。特にその中の議論のタネになることの多い9条を、だ。

 しかし安倍の野望の実現には、バイデンの支援がいる。

 バイデンは日本がヒロシマ・ナガサキへの原爆投下のことを忘れていないという危険に気づいている。米国民は、真珠湾での大虐殺の記憶を有している。バイデンは力を持ちすぎている日本の姿を見たくないと思うのは十分想定内のことだ。


だが、バイデンが「中国をたおす」には日本の軍事力が必要

 バイデンが中台戦争が発生した場合には軍事介入を行うと宣告した意図には、米国の代理戦争を戦ってくれる日本の軍隊を召集することにあった。韓国軍についても同じことだ。

 バイデンにとっては、日本の軍隊は中国と戦う外国軍として最善の軍隊だ。中国に尖閣(釣魚)諸島や台湾に出兵させるのに、日本は戦争に繋がる偽旗事件を起こしてくれそうだからだ。実際、偽旗事件を起こすのは日本のお手のものだ。

 1931年に満州で起こった満鉄事変は日本の満州侵略の先駆けとなったし、1937年の北京の盧溝橋事件が日中戦争の本格的な全面戦争の火花になったのだ。これらは日本軍の手による偽旗事件だった。

 端的に言えば、バイデンは東アジア地域の2カ国の軍隊を中台戦争という米国の代理戦争が勃発した際の外国軍として召集することに成功したのだ。


バイデンとインド太平洋経済枠組み(IPEF)

 日韓二国の軍事力召集に加えて、バイデンはもうひとつの中国封じ込め機関の創造に成功した。それは13カ国からなるインド太平洋経済枠組み(IPEF)だ。
 加盟国はASEANの7カ国(シンガポール・インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナム、ブルネイ)と米、印、日、韓、豪、ニュージーランドだ。



2022年5月23日、繁栄に向けたインド太平洋経済枠組み会議での、日本の岸田文雄首相(左)、ジョー・バイデン大統領、インドのナレンドラ・モディ首相(写真を提供してくれたAP通信のエバン・ヴッチ氏に感謝)


 この新しい機関の目的は中国の封じ込めだ。IPEFは当該地域における四分野に力を入れることになる。それは、供給網の再編成、再生可能エネルギー、不正取引の禁止、不正との戦いだ。しかしこの機関の究極的役割は中国の封じ込めであり、中国との商品や知識や業務などの交換の制限を強めるためのものだ。その中でも特に、技術の交換の制限が求められている。  

 韓国の貿易や国際政治の専門家たちのほとんどの主張では、IPEFは韓国に惨事をもたらすだろうとのことだ。それは中国側から報復を受ける可能性があるからだ。

 日本はIPEFの一員に加わることができて喜んでいるようだ。というのも、この機関において、韓国の応援を得ることができて、主導的役割を担える機会を得ることになるからだ。サムスンとビュンデ自動車から米国に270米国ドルの投資の確約が取れたことはバイデンにとっては大きな土産になった。さらにこの投資により電気自動車業界と半導体業界での米国の競争力は強化されるだろう。これらの動きも米国による中国封じ込め政策の一端となろう。

  インド太平洋経済枠組み会議(IPEF)は実際のところ付加的な中国封じ込め政策であり、反中国戦略の効果を高めるためのものだ。というのもこれまでのところ、今まで繰り出してきた封じ込め政策は効果 が出ていないからだ。

 オバマ政権時代から、米国政府はいくつかの戦略を繰り出して、中国の封じ込めをはかってきた。しかしどの戦略も期待されていたような結果を得ることはできなかった。南シナ海での米海軍の軍事演習は中国沿岸部の軍事強化を引き起こしただけに終わった。


環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)

 TPPが行き詰まったのは、TPPには2つの相容れない目的があったからだ。ひとつは、その名の通りの貿易の促進で、もうひとつは中国の封じ込めだった。
目的が当該地域間の貿易の促進であるならば、中国が入っていないとおかしい。目的が中国封じ込めなら、中国は報復し、加盟諸国の中国との貿易は減少するだろう。


 その結果生じる中国との貿易がなくなる損失は、TPP加盟諸国との貿易の促進で得られる利益よりも大きくなるだろう。従って加盟諸国にとってはこれは負け試合なのだ。米国政府がその赤字を補填してくれるのならば話は別だが。

 問われるべきことは、米国政府がそんな損失補填できる余裕があるかどうかだ。だからこそトランプはTPPから手を引いたのだ。

 TPPは、今はCPTPPやTPP-11 (11カ国が加盟する環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定、加盟国は豪、ブルネイ、加、チリ、日、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナム)という名前に変わったが、この協定はただの貿易協定以上のもののようだ。日本が主導しているのだから、この貿易協定は中国封じ込めの武器となりうる。というのも日本にはアジアの支配者になりたいという野望が残存しているのだから。


「オーストラリア、イギリス、アメリカ」という特別な構成者からなるAUKUS(オーカス)軍事同盟

 オーカスが軍事同盟として効果があるのかについてはまだ見極められていない。豪州の新首相は豪中関係について同盟国と異なる見解を持っている可能性がある。豪州のペニー・ウォン(Penny Wong)新外相は親中派として知られているし、ウォン外相の上司のアンソニー・アルバニーズ(Anthony Albanese)豪州新首相は、対中政策は穏健な立場を取ることを提案している。


Source: Financial Express


日米豪印戦略対話(Quad)

 Quadに効果が持てるかどうかは対中戦争が起きた際インドがどんな対応を見せるかにかかっている。インドはいくつかの多国間協定に加わっている。具体的にはBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国)、SOC(上海協力機構)、RCEP(地域的な包括的経済連携協定) だ。これらの協定においてインドは中国との良好な関係を維持している。



5月24日に東京で開催されたQuadの会合でのインドのナレンドラ・モディ首相、米国のジョー・バイデン大統領・日本の岸田文雄首相、豪州のアンソニー・アルバニーズ首相


 インドは米国政府が長期間においてインドの安全を保障してくれるとは思っていない。インドはオーカスの加入からはじかれたことに落胆している。インドは中国からの報復を恐れている。これら全ての理由から、インドがQUADに加入していることの強みは、日本が加入していることの強みほどはないようである。
IPEFはバイデンが考えた中国封じ込め作戦だ。IPEFはTPPの代わりになるのであり、貿易志向の協定と見せかけて実はその隠れた目的には中国の破壊がある。従って、TPPの時の矛盾と同じ矛盾が生じている。貿易が目的であれ、中国の封じ込めが目的であれ、成功の可能性は薄い。念頭においていただきたいことは、IPEFの全ての加盟国は貿易や投資において中国に深く依存しているという事実だ。


全速力で加速するインフレ。米国における経済と社会の危機

 しかし実は世界覇権を目指す米国にとって最も深刻な躓きは米国国内の問題が悪化していることだ。インフレが全速力で拡大している。そのため路上での殺人事件、社会基盤の崩壊、飢えに苦しむ人々の増加、野宿者や仕事がない人々でごった返す街中、ふくれあがる医療費のせいで何百万もの人々が治療を受けられなくなっている状況、収入格差の激しい不平等のせいで飢えに苦しむ児童・生徒数の増大。これらすべては、パクス・アメリカーナ(米国による平和な世界)が没落している兆候だ。




米国が優先的に取り組むべきことは、内政問題の解決のようだ。

 優れた外交手腕を持つバイデンが今回のアジア訪問で大きな収穫を得たと評価する人々もいるかもしれないが、私はそんな賞賛には同調しない。

 私の考えでは、バイデンが示した外交政策というのは、「没落しつつある帝国による外交政策」だ。

 世界を支配するには3つの方法がある。経済による支配、考え方による支配、軍事力による支配だ。ただし、軍事力による支配は経済力による支配や、考え方による支配の支えなしでは無力だ。



米国の世界的「ハラキリ」政策は、没落しつつある帝国の外交政策だ


 米国の経済力による世界支配は弱化している、それは敵諸国に終わることのない経済戦争をしかけているからだ。さらに、米国による考え方をもとにした支配も、米国が真意を履き違えた民主主義を展開しているため、影をひそめつつある。残されているのは軍事力による支配だけだ。

 バイデンは強力な経済力による支配と、考え方による支配による支えなしで軍事力による支配を再興しようとしている。これは没落しつつある帝国が見せる症状だ。

 おそらくバイデンが示している外交政策は、崩壊しつつある帝国を軍事力でなんとか再建しようとしている努力をさしているのだろう。しかしバイデンが軍事力による支配を追い求めようとしても、結局は世界の人類の自殺を招き、帝国は恥ずべき終焉を迎えるだけだろう。
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ウクライナは兵士を女性や受刑者たちから補填

  <記事原文 寺島先生推薦>

Ukraine replenishes combat losses with convicts and women – RT source
ウクライナは兵士を女性や受刑者たちから補填

Draft notices are reportedly being handed to people in the streets, at eateries, and on beaches amid the conflict with Russia
ロシアとの戦争が続く中、召集令状が街の食堂や海岸で人々に手渡されているとの報道

出典:RT

2022年6月24日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月10日



 ロシアとの紛争が続く中、現在ウクライナ国内のあちこちで、大規模な兵士徴募運動が進行中であるという情報を、RTロシアはウクライナ軍内部の或る情報源から入手した。その情報によると、ウクライナ当局の召集を受けた人々への対応や、召集令状の配布方法が常軌を逸したものであるとのことだ。

 軍の兵士召集係たちは現在、召集令状を人々に配布する際、居住地だけではなく、街中やレストランや娯楽施設などの場所でも配布することが許可されている。

 「ウクライナは新鮮な人材が必要なんです」とキエフの徴兵事務所の職員(匿名希望)はRTの取材に答えている。召集令状は、「公共の場所で配布されていますし、皆がそのことを知っています。商店街や、娯楽施設や、ガソリンスタンドなど、場所は問われていません。目的は軍の職に就く人をできるだけ多く集めることです」とその職員は語った。

 南東のザポリージャ州出身のひとりの男性が話してくれた内容によると、自分と友人の一人が検問所で止められ、軍のIDを見せるよう指示されたが、所持していなかったそうだ。この二人が軍により解放されたのは、即座に徴兵事務所に行き必要な書類を受け取るよう約束してからだった。


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 「いま僕たちは小さな村で隠れ住んでいます。ほとんど家の中で過ごしています。都市の中に出ていくことなどあり得ません」とその男性は語った。その男性の知人は、その男性と同じような行動をしたために起訴されているそうだが、その男性は、「それでも前線にいくよりはまし」と語っていた。

 2月末のロシアによる軍事攻撃以来、18歳から60歳までのすべての男性はウクライナにとどまり戦うよう命じられている。

 黒海の港町オデッサでは、徴募から逃れようとしている人々がテレグラム上に特別なチャンネルを作って、今オデッサのどこで召集令状が配布されているかを皆に知らせようとしている。

 徴募された人々の健康診断についても、ウクライナ当局はあまり気を配っていないことは明白だ。健康診断に関わっているのは「たった4名の医師で、内訳は外科医、神経科医、精神科医、眼科医です。きちんとした診断は行われていません。医師たちが問診を行うだけです」とある徴募係はRTに答えている。

 徴募された人々は、もしあったとしてもごく基本的な訓練しか受けておらず、主に任される任務は、戦場外での領地防衛の任務である。しかしここ数週間においては、これらの部隊がドンバス地方に配置され、侵攻を続けるロシア軍と対戦する任務を与えられることが増えているという報道もある。

 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が提案した法律によると、ある特定の仕事を持つウクライナの女性たちは、軍に名前を登録されることになっていて、そうしないと罰金刑を処されることになっている。また徴兵事務所からの関連文書がなければ、新しい職に就くことも不可能になっている。

 これらの女性たちが課される任務は防衛省内の非軍事的な仕事だけだが、ウクライナ国内のある地域においては、実際の前線に赴くボランティアの女性部隊が結成されている。西部のイヴァーノ=フランキーウシク市の市長が4月に発表したところによると、全て女性からなる当地域の大隊は、「男性と共に戦う」とのことだ。

 ウクライナの刑務所に収容されている人々も、ウクライナ当局から人材として活用されている。5月下旬にウクライナの司法大臣が発表したところによると、363名の受刑者が軍に入隊できるよう釈放されたとのことだ。囚人たちは徹底した検査を受けているので、危険がないことは証明済みだと法務大臣は語っていた。


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 このような大規模な徴募活動が行われている理由は、ウクライナ軍が大量の死者を出しているからだと、軍事専門家のビクトル・バラネッツ(Colonel Viktor Baranets )大佐はRTの取材に答えていた。

 「契約軍人や事務官の数が十分ではないのです。ウクライナ軍内の人員不足が増加しているのは、ロシアによる特殊作戦期間中に多くの熟練したナチ兵たちが動けなくされているからです。そして今戦場に送られている予備兵たちは、戦闘には向いていません。さらに重要なことは、軍部だけではなく、領土防衛においても人員不足が発生していることです。それで女性たちまでもが徴募されているのです」とバラネッツ氏は説明している。

 今月(6月)初旬、ゼレンスキー大統領の主席顧問であるミハイロ・ポドリャク(Mikhail Podolyak)氏が明らかにしたところによると、ウクライナ軍はドンバスでの戦闘において、毎日100~200部隊を失っているとのことだ。ウクライナのオレクシー・レズニコク(Alexey Reznikov)防衛大臣は戦闘で亡くなった戦士たちの正確な数字を公表することは避けているが、「10万人を下回ることを望んでいる」と語っている。

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ロシアへの制裁のせいで、EUは石炭時代に逆戻り

<記事原文 寺島先生推薦>
EU steps back into coal age – media
Several members of the bloc have announced emergency plans to boost ‘dirty fuel’ usage amid the shortage of Russian gas

(EUは石炭時代に逆戻りとのメディア報道 ロシアからの天然ガスが不足する中、EU加盟数カ国は緊急時対応として、「汚れた燃料」の使用計画を発表

出典:RT

2022年6月26日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月8日

 

 多くのEU加盟諸国は緊急時対応を開始したが、その目的は、天然ガスの使用を少なくし、制限をかけるために、石炭を燃料とした発電に戻すことだと、米国のニュースサイトのビジネス・インサイダー(Business Insider)が6月22日(火)に報じた。

 今週(6月最終週)ドイツ、オーストリア、オランダの発表によると、石炭による発電は、次の冬に迎えるであろう危機の対応策の一助となる可能性があるとのことだった。ドイツのロベルト・ハーベック副首相及び経済相によると、ドイツは石炭発電所を再開するという「苦い決断」をしたとのことだった。

 「そうしないと、冬期を迎える今年の年末には電力貯蔵施設に十分な燃料がないという危機に対処しなければなりません。私たちは、政治的に脅迫されているのです」と同副首相が述べたとロイター通信は報じている。
 
 オーストリアも、緊急時には天然ガスを燃料とする発電所で石炭を燃料にするような変更を行うと発表した。またオランダは石炭によるエネルギー生産の制限を取り払った。
 
 さらにいくつかの記事によると、イタリアの石炭を燃料とした発電所がこの数ヶ月間石炭の買いだめをしているとのことだ。


READ MORE: Austria puts green energy transition on hold – media

 また6月21日(月)には、オランダとデンマークも緊急計画を発表し、供給不足が生じた際には天然ガスの使用に制限をかける可能性を示唆している。さらにイタリアもエネルギーに関する非常事態宣言を発することを検討しているとロイター通信は、情報源を示した上で報じている。つまりイタリアも天然ガスの使用制限を産業界に課し始めるということだ。ドイツとオーストリアは既に同様の緊急時対応を開始している。
 
 EUが石炭を使用しない「グリーンエネルギー」を強く求める政策から「汚れた燃料」を使用する方向に移行しているのは、先週(6月第4週)EUの主な天然ガス供給業者であるロシアのガスプロム社が、ノルド・ストリーム・パイプラインからの天然ガス配送量を6割削減したことを受けてのことだった。この事象が生じたのはドイツの整備会社のシーメンス社がポンプ採油装置の修理品をカナダの業者から受け取り損ねたためだった。それはカナダ政府が対ロシア制裁措置を取っているためだ。


Russia slashes gas flow to EU

 ロシアが強調しているのは、この削減の理由は単なる技術上の理由であるという点だ。ロシアからドイツや欧州内部に天然ガスを運ぶ設備が通常の輸送量をまかなえなくなっているというのだ。8機あるポンプのうち、いま3機しか使えていない。

 「天然ガスならあります。送る準備もできています。でもそのためには欧州諸国が装置を取り戻さなければいけません。修理は欧州諸国の責任のもと行われるべきです」とロシアのドミトリー・ペスコフ(Dmitry Peskov)報道官が6月21日(月)に述べたとロイター通信は報じている。

 しかし欧州諸国の当局は、削減を決定したのは政治的判断によるものだと非難している。EU諸国は天然ガスの4割をロシアに依存しており、天然ガスの輸送削減はEUの安定的なエネルギー供給の脅威となっている。現在欧州諸国における天然ガスの必要度は非常に高くなっている。というのも夏の暑さのせいで欧州諸国での冷房設備の使用頻度が上がっているからだ。しかし、この先冬場を迎えれば状況は更に悪化する可能性がある。暖房の方がエネルギーの消費量はずっと高いからだ。
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中絶是非論争で分断された米国。割れた窓を直すにはハンガリーのオルバン首相的政治家が必要。骨太保守派からの提言。

<記事原文 寺島先生推薦>
America: Land Of Broken Windows
(アメリカ・窓ガラスが壊される国)

原典:The American Conservative

2022年6月10日

著者:ロッド・ドレア(Rod Dreher)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月5日



 2020年は「(ジョージ)フロイドの夏」だった。今年は「(ジェーン)ローの夏」になるのだろうか?
 訳注 ジョージ・フロイド事件:2020年5月にミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドが白人警官に殺害された事件。「黒人の命も大切だ」運動のきっかけとなった。
  ジェーン・ロー:本名はノーマ・マコービー(Norma McCorvey)。テキサス州で人工中絶を受けられなかったことをきっかけに、中絶を禁止する州法は違憲だとして、1969年に匿名で訴訟を起こした。ジェーン・ローという仮名の原告として最高裁まで争い、1973年1月22日に合法的な中絶の権利を女性に認める最高裁判決を勝ち取った。しかし、米国最高裁判所は約50年たった2022年6月24日、女性の人工妊娠中絶権を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を破棄した。このことについて米国内では賛成派、反対派ともに大きな運動が巻き起こっている。


ロッド・ドレア

 時にほんのちょっとしたことから時代が見える。昨日、私はウィーン市内の薬局に立ち寄らなければならない用事があった。薬局内に入ってすぐに私がショックを受けたことがあった。それは売り出し用の商品に鍵がかけられていないことだった。商品はすべて売り出し用に並べられていた。髭剃り刃さえもだ。あ、そうか。オーストリアって普通の国だったんだな。米国も以前はそうだったのに・・・。こんな状況に陥ってしまう前は・・・(以下の動画参照)。


 今週(6月第2週)始め、サンフランシスコ在住の有権者たちは(6割の得票率を集めて)同市の極左派のチェサ・ブーディン(Chesa Boudin)検事の解任を決めた。このブーディン検事の下でサンフランシスコは、犯罪、特に暴力による犯罪の収拾がつかなくなっていたからだ。この解任投票に関して、人々の出身層によってどのような投票結果になっているかを見ることは興味深い。以下はニューヨーク・マガジン誌からの抜粋だ。

 「ブーディン検事が解任されたことからわかることは、今のサンフランシスコの状況に対しても、同検事の政策に対しても、庶民たちが怒っていることを示したわけだが、その中でも特に注目すべきことは、ブーディン検事が万引きなどの軽い盗難犯罪に対して重い罪を課することに後ろ向きであることがはっきりしてきた点だ。2020年代のサンフランシスコ市民たちの大多数はそう捉えているのだ。富裕層の年配の有権者たちは必死でブーディン検事をやめさせようとしていたし、非白人中流階級の有権者たちもそうだった。その中で顕著だったのはアジア系米国民だった。アジア系住民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)の急増の被害を受けているアジア系住民の有権者たちには、ブーディン検事が彼らの訴えに適切に対応しているとは考えられなかった。2021年にブーディン検事が激しい批判を浴びることになったのは、ヴィチャ・ラタナパクディ―さんという84歳のタイ人の男性の殺害事件を、人種差別に関連するヘイトクライムとして捉えなかったためだった。ブーディン検事は罪を非難することは行ったのだが、被告に関しては、「ある種の癇癪状態に置かれていた」とし、証拠がないとして、被告がヘイトクライムを行ったという罪は問わなかったのだ。のちにブーディン検事が所属する検察官庁は、被告を殺人と高齢者に対する迫害の罪で起訴したが、アジア系住民たちの怒りを和らげるには十分ではなかった。教育委員解任事件の時と同様、アジア系米国民の組織的な運動が功を奏したのだ。アジア系住民による投票は特に民主党にとっては警告となった。アジア系住民は、民主党にとって安定した支持や、この先簡単に連帯できるという見通しをもてる層ではない。6月7日(火)の選挙に出馬した共和党員はいなかったが、法律や規則を重視する右派系の候補者がいれば、支持を得られるような選挙運動ができ、勝つこともできるだろう。」

 (ニューヨーク・マガジンからの抜粋はここまで)

 なるほどいい話だ。しかし私が住んでいる都市は、地方検事は全くリベラル派ではないが、盗難行為が堂々と行われて、それがSNS上で常に話題になっているわけではない。とはいえ、私の住む都市もずっと前から暴力的な雰囲気を醸し出すようになっており、かつては平和だった地域にも狂暴な犯罪が輸入されつつある状況だ。万引き犯が堂々と店内でカバンに商品を詰め込んでいる姿を目にすることがないとしても、以前は簡単に買うことのできた商品が、鍵のかけられたケースの中に並べられている様子を我々は目にしているのだ。誰かが盗みを働いている、ということだ。

 いっぽう現在ハンガリーでの人々の暮らしはどうなっているのだろう?我が国のメディアや外交政策の指導者たちによれば、ハンガリーは、権威主義のもとでの最悪の国となっているのだが。さて、一度見てみよう。


 チェサ・ブーディン検事はジョージ・ソロスの看板男といっていい人物だ。いっぽうハンガリーの人々はジョージ・ソロスに我慢できない。というのもビクトル・オルバン(Viktor Orban)首相の考えでは、ソロスが大金を払って実現しようとしている世界というのは、普通の人々が真っ当で普通の生活を送ることのできる可能性を破壊するような世界だ。その意味で、オルバン首相は正しい。

 もちろんハンガリーと米国の社会は非常に異なっているので、単純な比較をしても大きな違いだけが浮き彫りになるだけかもしれない。例えばハンガリーにいる時は、警官を恐れなくてもよいという雰囲気を感じるだろう。それはハンガリー国民は元来、米国民よりも法律を遵守しようとする国民性があるからだろう。 それにしても興味深いことは、オルバン首相が西側の知識階級からは「権威主義者だ」と常に非難を受けている理由は、オルバン首相は西側諸国を潰そうとしているのと同じ病気からハンガリーを救おうとしているからだ、という事実だ。

 例えば、ソロスのような世界を股に掛ける進歩的な億万長者たちに対する見方について見てみよう。ほとんどの人々にとっては周知の事実だが、ソロスが可愛がり、資金提供をする候補者たちというのは、犯罪に対して進歩的な政策を主張する人々なのだ。まさにチェサ・ブーディン検事のような人物だ。ただしブーディン検事は我が国で最もリベラル派の有権者が多い地域で解任されてしまったのだが。もうひとつほとんどの人々にとっての周知の事実は、ソロスが国境解放論者だという事実だ。さかのぼること2018年。オルバン首相はソロスが資金提供していたブダペストのヨーロッパ中央大学(Central European University)の一部を閉鎖した。その時私は原則としてオルバン首相のこの行動を支持はしないが、オルバン首相の行動の是非を判断するのは時期尚早だと私自身のブログに記した。以下の通りだ。

 (以下はドレア氏のブログからの抜粋)

 「以下はダグラス・ムレー(Douglas Murray)の『欧州の奇妙な死(The Strange Death of Europe)』からの抜粋だ。

 「2015年10月、ハンガリーのビクトル・オルバン首相は、公的に、ソロスを運動家たちの輪の中の一人として以下のように批判した。「(ソロスは)国民国家を弱体化する運動なら何でも支援している」と。これに対してソロスは公的に反応し、自身が資金提供している無数の運動団体はオルバン首相が語ったとおり、その国家を終焉させるために活動していると明言している。ブルームバーグ紙へのメールの中で、ソロスが書いていたのは、ソロスの財団こそ「欧州がもつべき価値の支持」を追求している組織であり、オルバン首相については「そのような欧州が持つべき価値を劣化」させようとしていると非難していた。ソロスはさらにオルバン首相に対して以下のように記述している。「オルバン首相の計画によると、国境を守ることが目的であり、難民を受け入れることは障害になるとしている。私たちの計画では、難民を受け入れることが目的であり、国境を守ることはその障害となる」。両者のやりとりが止まったのは、欧州が持つべき価値がいつまで続くかと誰かがソロスに問いただす前のことだった。国境を守らなければ、欧州は世界中からの難民のせいでいっぱいになってしまう状況におかれていただろうに。」

(厶レーの著書からの抜粋はここまで)

 ブルームバーグ・ビジネス紙へのメールの中で、ソロスは以下のような計画について言及している。その計画の全貌については、ソロスのウエブサイト(GeorgeSoros.com)で読める。

 以下はそのウェブサイトからの抜粋だ。

 「まず、EUは少なくとも年間100万人の亡命希望者たちを受け入れなければならない。それが予見できる未来に繋がるのだ。そしてそうするためには、負担を公正に分け合わなければならない。これが、先週の水曜日のサミットでついに賛成多数で樹立された方針なのだ」

 さらにソロスは続けている。

 「ハンガリーのビクトル・オルバン首相は今の危機に関わって6つの計画を打ち出している。しかしオルバン首相の計画では、亡命を求める人々や移民者たちの人権が国境の保全よりも下位に置かれており、EUの分割や破壊につながる危険がある。オルバン首相は欧州が樹立してきた価値を放棄し、欧州を統治する際必要だとされる法律に背いている」

  (ソロスのウェブサイトからの抜粋はここまで)

 オルバン首相は全く正しかった!ソロスの考えでは、毎年欧州に押し寄せる何百万もの「難民たち」のほうが国境よりも大切であることは明らかだ、というものだった。そこには何の隠し事もない。世界を股にかける億万長者であるソロスは、ブダペストのある大学に資金提供をしているし、今までもしてきた。この大学の目的は、ハンガリー国内の政治や文化の秩序を根本的に弱体化させることだった。
 
 以下はニューヨーク・タイムズ紙の記事からの抜粋だ。

 「エストニア出身の27歳のパイレット・カルロさんは、ブダペストに来て性の研究において修士資格を所得するつもりだった。しかしカルロさんが現地でわかったことは、オルバン氏がその年にその科目の開講を禁じたことだった。カルロさんによれば、その大学はウィーンで持続されることになっているが、カルロさんがもっと広い意味で心配しているのは、その大学の移転はハンガリーにおける学問の自由にどんな意味をもつか、ということだ。

 「ハンガリー国内の他の研究施設はこの先も、ビクトル・オルバン首相による言論の自由の抑圧や、批判的にものを考える研究者たちの抹殺と向き合わなければならなくなるでしょう」とカルロさんは語っている。」

 (ニューヨーク・タイムズの記事からの抜粋はここまで)

 なんということだ!エストニア人たちは、性に関する研究の修士資格をとれずどうすればいいのだろうか?

 (ブログからの抜粋はここまで)

 私がこのブログ記事を出したのは2018年だ。今の私なら、オルバン首相のこの行動に同調する。なぜかって?その理由は、私たち米国民が過ごしてきた、そして今も過ごしている社会を見ればわかるからだ。大学で教育を受けた支配者層が、社会全体にある自分たち以外の支配的な研究機関に対して進歩的な理想を求めたらどうなるかを私たちは知っているからだ。そこにあるのは社会の破壊だ。米国の破壊だ。私の友人の一人が今日、その友人の友人からのメールを私に転送してくれた。私はその内容を公表するわけにはいかないが、私の友人は私に何が起こっているのかを把握してもらいたがっていたのだ。そのメールの中には、私の友人の女性の友人が仕事を辞めることを考えている内容が書かれていた。辞める理由は、勤めている会社がプライド月間(6月のこと。この月に性的少数者の権利拡大を求めて世界各国で様々な催しが行われる)中に、ウォーク(woke:人権や差別意識の啓発運動のこと)がたびたび繰り返され、すべての雇用者に行き過ぎたことについてまで支持するよう要求しているからだとのことだ。その内容が彼女自身の良心上支持できないものだったそうだ。これが今の普通だ。ドラッグストアで、歯ブラシや髭剃り刃を透明のプラスティックケースの中に陳列して鍵をかけるのと同じくらい普通のことなのだ。(ちなみにそのことに私が気づいたのはウィーンに於いてであった。というのもその前に私はロサンゼルスのバトン・ルージュで一ヶ月過ごしていたからだ。)

 私は今週(2022年6月第2週)の初めに、米国の雑誌記者の一人と話をした。その記者は、米国の保守派の大統領や保守派の政治家たちが、ビクトル・オルバン首相の統治方法を我が国に輸入することに対してどう考えているか、保守派である私の答えを聞きたがっていた。私が強調したのは、オルバン首相的なやり方をそのまま米国に踏襲しようとしても不可能だという点だった。つまり、米国とハンガリーでは状況が全く違うので、ハンガリーで上手くいっていることが必ずしも米国で上手くいくとは限らないという点だった。

 しかし普遍的に通用するところはいくつかある。一つ目に私が米国大統領に求めることは、自分たちの国境を真剣に守って欲しいという点だ。二つ目に私が米国大統領に望むのは、米国について強い言葉で語れるということだ。3つ目は、強調して欲しいのは私たちを結びつけることであって、私たちを分断することではない、ということだ。それこそが、私が米国大統領にアイデンティティ政策と一戦交えて欲しいと思っている理由だ。口先だけではなく、強い政策を後ろ盾にしてほしいのだ。4つ目に私が大統領に望むことは、結束を維持しようとすれば多様性を許容できるようになることを理解しておいてほしい、つまりより広い結束の中で、地方の主権を尊重してほしいということだ。マサチューセッツ州のことは、マサチューセッツ州に任せよう、アラバマ州のことはアラバマ州に任せようということだ。もちろん無理のない範囲の中でのことだが。 

 これらすべてのことはまさに温厚な保守主義だといえる。さらに私が大統領に求めていること(それはオルバン首相が私たちにたくさん教唆してくれたことだが)は、文化戦争を左派と同じくらい、あるいはより激しく戦う意志をもってほしいという点だ。そのためには体系的な理解が必要になる。具体的には、進歩的な支配者層が右派側にいる仲間を引き連れて、様々な繋がりの中で権力を駆使して、破壊的な目標を制度化しようとしている状況について理解しておくことが必要なのだ。例をあげれば、性に関する考え方や批判的人種理論(人権的正義を目指す社会運動のこと)だ。私が大統領に求めるのは、ビクトル・オルバン首相のように、スモールd民主党員(民主党員ではないが、民主党的な考えを持つ人のこと)でいてほしいことだ。そして、現状のリベラル的な考えのもとでは、健全な社会の実現や維持を破壊することにしかならないということを理解しておいてほしいことだ。

 例えばオルバン首相はハンガリー国内の大学で性に関する研究を禁じたが、それは上からの命令という形ではなく、そのような研究の計画の承認や資金提供を引き上げるという形を取っていた。オルバン首相はこのような腐敗した考え方が、自国内で毒として蔓延することを許す気がなかったのだ。かつての伝統的なリベラル派と同様、私は成人してからずっと国家が大学のことに口出しをすることは避けた方がいいと考えて来た。しかし今我が国全体が大学のキャンパスのようになってしまっていて、大学のキャンパスが尋常でないくらい非リベラルな場所になってしまっているのだ。考え方や実践の悪質な素材が米国の中流階級の間で拡散され、我が国を劣化させてしまっている。今なら私は、状況によっては国家が大学に介入する時代に戻ってもよいと考えている。リベラルな考え方を維持することは無理心中をするという意味では全くない。

 最後に私がオルバン首相的な米国大統領に望むことは、大統領の権限を使って、特権階級の陰謀団を粉砕することだ。トランプ前大統領が言っていた「沼地を干上がらせろ(そして陰謀団をあぶり出せ)!」という言葉の本当の意味だ。私の友人の一人はワシントンで米国政権内の重要な連邦組織の重役の一人として働いていたのだが、その友人が私に打ち明けてくれた話がある。それは今の政界内部においては政治色が非常に強くなっているということだった。この友人の個人情報に関わるので詳しくは書けないが、友人は「(人種や性の多様性に関する)大覚醒」がどれだけ米国の特権階級層内で実際に猛威を振るっているかの証言をしてくれるだろう。大事なことは、米国のオルバン首相的大統領は、政権機関内や機関間の繋がりの中で組織的な力が自分や自分の支持者たちに向けられていることに気づかないといけなくなるという点だ。それでも現場では大胆に振る舞わないといけないのだ。

 大事な点は以下の通りだ。「ウォーク(人種的覚醒)のために闘う軍は退散させよ。本来すべき任務を行う軍に戻せ。文化戦争ではなく、本当の戦争で闘え。どんな形でも人種的覚醒を支持する将軍や高官たちは降格させろ。米国が伝統的に理想としているフェアプレーを信じるものたちを昇格させろ」。
今必要なことは秩序を取り戻すことだ。法律や命令のことだけではない。もっと深い意味での秩序であり通常だ。そのために必要となるのは、今米国で普通だと考えられている個人主義では何の効果ももたらさないことを認識することだ。こんな個人主義が私たちを破滅に向かわせている。マット・ウォルシュ(Matt Walsh)監督の『女性とは何か?(What Is A Woman?)』という映画を見て欲しい。この映画は支配者層(医師や科学者や教授や政治家たち)の考え方を力強くそしてわかりやすく伝えてくれている。彼らがその考え方をどう共有しているか、どう促進しているか、普通の人々の暮らしをどう台無しにしているかがわかる。支配者層の人々が「女性」を定義できないさまや、何が真実かを言えなくなっているさまを見て欲しい。私たちの今の社会は、真実などというものが存在するなどと怖くて言えない社会になってしまっている。それなのに支配者層の人々は自分たちの権力を駆使して「自分たちが決めた真実」を守ろうと躍起になっている。

 このウォルシュ監督の映画(予告編はこちら)は、見る前に想像したよりも落ち着かない気分になる映画だ。(そうなのだ。本当に落ち着かない気分になる映画だ!)。なぜだろう?それは真実について問う映画だからだ。これらすべての超一流の専門家たち—再度言うが医療関係の超一流専門家も含まれている—が真実という疑問から目をそらすのだ。彼らは自分が欲しいものを求め、それを手にすることが真実を否定することになったとしても、喜んでそうするのだ。この映画ではその様子が手に取るように明らかになっている。その中の少なくとも二人は、「真実とは何か」を聞いただけのウォルシュ監督を厳しく非難している。

 チャック・グラスリー(Chuck Grassley)上院議員とジョシュ・ホーリー(Josh Hawley)上院議員が入手した内部告発者による文書のおかげで、バイデン政権の計画では、米国国土安全保障省の偽情報対策委員会(今は存在しない)を使って政治の話を抑制したり、異論の追跡をしようとしていたことがわかっている。以下はグラスリー上院議員とホーリー上院議員が国土安全保障省のアレハンドル・マヨルカス(Alexander Mayorkas)長官にあてた書簡だ。全篇お読みいただきたい。まさに柔和な全体主義がうごめいているさまがわかるだろう。国家が私的企業と共同している姿だ。(この件においては、ソーシャルメディア業界の巨大産業との共同だ)。両者が共同して異論を抑え込み、特定の政治の話だけを前に進めようとしているのだ。これが今我が国で起こっていることだ。 政府と私的企業からなる特権階級の内側でこんなことが行われているのだ。
 
 同じ流れとして、以下の記事を読んで欲しい。これはプリンストン大学のロバート・ジョージ(Robert George)教授が書いた、最終的には大学がジョシュア・カッツ(Joshua Katz)教授を解雇した論争についての記事だ。ロバート・ジョージ教授はリベラル派からも保守派からも広く尊敬を集めている人物だ。ジョージ教授はカッツ教授が苦難に直面した際に助言者として援助してきた。ついにジョージ教授がこの件に関する自分の見方を明らかにしたのだ。衝撃的な事実なのだが、ジョージ教授の説明により、カッツ教授は政治的な粛正の犠牲者となったことが明らかになった。この粛正においては、「ウォーク言説」に対する異論者を罰するために、真実や正義は追いやられたのだ。 

 プリンストン大学は私立大学なので、カッツ教授を解雇する法的権力を有している。しかし誤解してはいけない。プリンストン大学で起こったことは、非リベラル的行為であり、不法であり、まさに柔和な全体主義の一例だったのだ。

 そのことを私は『偽りなしに生きる(Live Not By Lies)』という著書の中で警告していた。政治的に異論を持っているという理由で雇用主が雇用者を解雇したいのであれば、法的にそれを行うことは可能なのだから、そうすることは十分ありえる話だ。ジョシュア・カッツ教授のプリンストン大学での25年間の職歴を終わらせたことは、カッツ教授以外の同大学のすべての人々に以下のことを伝えることになった。「ウォークを主張する教授や生徒たちに立ち向かってはいけない。さもないと自分も首になってしまうぞ」と。

 真実や公正は、これらの左派活動家や、関連同盟組織からすればもはや問題とはならない。求める結果さえ手に入れば良いのだから。これが我が国の現状だ。

 今朝友人の電話で目を覚ましたのだが、その電話でわかったことは、米国連邦保安局が米司法省に推奨される行動をとるようある警告を発表したそうだ。それは最高裁でロー対ウェイド判決を覆す判決が出されれば暴力事件が発生するだろうという懸念についてだった。友人自身がその警告を受け取ったそうだ。この警告が出されたのは、米国連邦保安局がカバノー(Kavanaugh )最高裁判事の自宅の外で武装した男性を逮捕した事件を受けてのことだった。この男性はロー裁判のことで同判事を殺害するつもりでその場にいた、それがその男性の「生きる目的」だったと告白したとされている。ドストエフスキーの小説の世界からそのまま飛び出してきたような話だ。

 (2020年に)私たちは「(ジョージ)フロイドの夏」を目にした。それは左派が我が国と我が国の社会と治安をどうしたいかを表す現象だった。ロー判決が覆されれば、再びそのような現象を目にすることになるのではと私は恐れている。そうなれば、中絶問題が民主党の政策に組み込まれることになるだろう。— ただし同時に左派の不安定一派から暴力事件を引き起こすことにもなろう。すでに最高裁判事たちの暗殺未遂事件や、中絶に反対する相談センターへの火炎瓶投下事件などが引き起こされている。

 薬局などの店舗が前に障害物を置き、売り物に鍵をかけて、白昼堂々の盗難を防ごうとしている国は、内部秩序という概念が失われている国だ。「窓が割れている」危険信号の一つの表れだ。かつてよくそんな話をしていたものだった。— 小さなことだが、国の内側の秩序が崩壊していることを示す兆候だ。アメリカ合衆国は壊れた国になってしまった。政治だけでは直せない。ただし支配者層が我が国にこの20年間でやってきたことに憤慨する米国民が十分にいるのであれば、話は別だ。この20年は、終わりなき戦争、ウォーク理論のもとでの柔和な全体主義、子どもを性の対象としてみようとさせる喧伝行為、異なる人種間での紛争などが蔓延する20年だったのだ。そんな支配者層に憤りを感じる国民が十分いるのであれば、私たちは勇気と知性を持ってこんな風潮に待ったをかけ、混乱の渦を元に戻せるような指導者を選ぶことができるはずだ。

 そうあってほしい。私たちはこの危機から脱するべく自分自身に票を投じるわけではない。やるのは政治家たちだ。政治家たちが文化を再建し、行動しようとする人々の自由を守るという重要な役割を担っているのだ。私が先述の雑誌記者に語ったのは、私が最も恐れているのはビクトル・オルバン首相や、米国版ビクトル・オルバン首相が最終的には4世紀のローマ皇帝である背教者ジュリアンのような人物になってしまわないかということだ。この皇帝はローマ帝国のキリスト教化を皇帝の権力を傘にもとに戻そうとしたが、失敗した皇帝だ。その理由は、ローマの異教主義に終止符を打った文化の深い力が前進しすぎていたからだった。 

 私たちは終わることのない夜に突入しようとしているのか、それともその闇を巻き戻すことができるかどうか、その答えはまだ分からない。私たちが下落しようとしているのであれば、抵抗しなければ。つまりベネディクト・オプションの概念を構築することで、世代を超えて専制政治政権に抵抗しなければいけないのだ。昨夜私はオーストリア人キリスト教徒の集まりで簡単に話をしたが、その際語ったのはオーストリアの隣のスロバキア出身のコラコヴィック神父(Father Kolakovic)のことだった。私は集まっていた人々にその神父と同じような行為を為すよう語り、さらに自由が失われるかもしれない最終状況が長く続いている現状を、精神的な鍛錬を行うための準備期間であると捉え、宗派の違いを超えて、連帯と実際的援助の輪を構築しようと訴えた。

 訳注 ベネディクト・オプション:同じ志をもつ者たちで集まって宗教共同体をつくり、そのなかで生活して家族や子どもたちを守るべきであるというキリスト教的構想


 米国では、この先数週間で、ロー対ウェイド判決の結果が覆されるかどうかが決する。そして左派勢力はその結果に対して何をするかの準備を整えている。以下はその予告だ。ライアン・T・アンダーソン(Ryan T. Anderson)氏は、アレクサンドラ・デアンクティス(Alexandra DeSanctis)氏と共著で中絶を批判する以下の本を著している。『私たちは引き裂かれようとしている。中絶はすべてを傷つけるだけで何の解決にもならない』。この著書の音声版の出版社が契約を解除した。それはウォーク意識の強い従業員たちが指摘したことを受けてのことだった。

 この事例は柔和な全体主義の現れだといえよう。今は特定の考え方が受け入れられずに、そのような考え方の持ち主が生活手段をなくされてしまうような社会だ。「米国はグーラグ(ロシアの矯正労働収容所)のようなものだ」などと誰が言えようか。しかし全くそうではないとも言い切れないだろう。覚えておいて欲しい。アマゾンがトランスジェンダーを批判したアンダーソン氏の著書の販売を禁止した事件を。それはアマゾンの従業員が指摘したことを受けてのことだった。こんな行為は完全に法に則っているのだが、こんなことをすれば、ある特定の人だけが自分の考えを述べることが許される社会になってしまう。ライアン・アンダーソンの身に起こっていることも、窓が割れているもう一つの例だ。
米国では多くの窓が割れようとしている。今年のローの夏に。本当の意味でも、比喩的な意味でも。皆様、心のご準備を。

ABOUT THE AUTHOR
Rod Dreher is a senior editor at The American Conservative. A veteran of three decades of magazine and newspaper journalism, he has also written three New York Times bestsellers—Live Not By Lies, The Benedict Option, and The Little Way of Ruthie Leming—as well as Crunchy Cons and How Dante Can Save Your Life. Dreher lives in Baton Rouge, La.

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ロシア語絶滅が、現在のウクライナ政府の最優先事項


<記事原文 寺島先生推薦>
The Russian language in post-Soviet Ukraine: 30 years of discrimination against the country's most popular tongue
ソビエト崩壊後のウクライナにおけるロシア語:ウクライナで一番多くの人に話されているロシア語に対する差別の30年

RT 2022年6月10日
オルガ・スハレフスカヤ(Olga Sukharevskaya)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年7月4日


ロシアの日」を祝福して、ロシア国旗を飾った車列がドネツクの通りを走行 ©Sputnik/Sergey Averin

 ウクライナに行って、キエフ(Kiev)、ヴィニツァ(Vinnitsa)、チェルニーゴフ(Chernigov)、ハルコフ(Kharkov)などの街を歩くと、モスクワやロストフ・オン・ドン(Rostov-on-Don)にいるように思えるかもしれない。これらの街では、大多数の人がロシア語を話しているからだ。

 同時に、ウクライナは世界で最も厳しい言語規制法を持つ国の一つでもある。国民の大多数が話すロシア語は、ほぼ事実上禁止されているのだ。なぜ、こんなことになったのか。

「ロシア語は話してもいいのですよ。でもだめですよ。」

 ウクライナのナショナリストが好んで使う言葉に、「誰がロシア語を話してはいけないなんて言ったの」という皮肉がある。

 2019年に『ウクライナ語の国語としての機能の確保に関する法律』が採択されるまでは、この皮肉は一部正当性があった。公式にはウクライナ人はウクライナ語を話すことが義務付けられていたが、実際には、自分たちにとって便利であれば何でも話していた。そして、少なくとも独立後の最初の数十年間は、誰もあまり気にも留めていなかった。

 1991年、ウクライナの初代大統領レオニード・クラフチュク(Leonid Kravchuk)は、独立への支持を得るために、ロシア系民族の同胞に向けたアピールに署名し、次のように述べた。「私は、政府がロシア系住民の政治的、経済的、社会的、精神的な正当な利益を守るために、全力を尽くします。いかなる場合もロシア人の強制的なウクライナ化は許されません。国籍に基づく差別の試みは、断固として抑止します」 と述べた。

 当時、そして2012年まで、ウクライナでは「ウクライナSSR(Soviet Socialist Republic) の言語に関する法律」が施行されており、それによるとロシア語はウクライナ語と同等の法的地位を持ち、ウクライナ政府はあらゆる生活領域でロシア語の自由使用を保証していた。


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 それにもかかわらず、独立を宣言した直後から差別的な規範が法律に導入され始めた。前述の言語に関する法律とは逆に、ウクライナ国家は独立当初から、さまざまな条例や命令を採択して、立法レベルでのロシア語の使用を減らし始めたのである。

 ウクライナ人民代議士ヴァディム・コレスニチェンコ(Vadim Kolesnichenko)は「ウクライナにおける欧州地域・少数民族言語憲章の規定の実施に関する第2回定期公的報告書」で次のように指摘している:
「この報告書を書いている時点では、ウクライナの地域言語・少数言語の地位は、ウクライナ憲法はもちろん、80以上の手続法・法律、それに続く数千の付則(法令、決議、命令など)においても全く定義されていない。」

 これは、ロシア語とロシア語を母語とする人の法的地位を評価する際に重要である。

 つまり、ウクライナ独立後に採択された部門別法は、ロシア語の自由使用を規定していないのである。ロシア語の自由使用はウクライナSSRの言語に関する法律の前提条件だったのだから、遵守すべきなのだ。しかし、ロシア語の使用に対する制限は、1996年にウクライナ憲法が採択され、ロシア語に対する差別が最高法規に明記されるよりずっと以前から始まっていたのである。

 その差別の一例が1992年に制定された「ウクライナの少数民族に関する法律」である。つまり、少数民族が言語的権利の大半を行使できるのは、ある少数民族が人口の過半数を占める地域に限定されている。また、1993年に制定された「テレビとラジオ放送に関する法律」では、ロシア語やその他の「地方言語」を国営放送で使用することが禁止されている。

 1996年の憲法は、ロシア語の話者に対する、すでに確立されていた差別の慣行を強化したに過ぎない:
 第10条はウクライナ語を国の唯一の公用語として認めているが、第2条「ウクライナにおけるロシア語およびその他の少数民族の言語の自由な発展、使用、保護は保証される」は、紙の上にしか存在しない。

「ウクライナ語支持、ウクライナの教育システムにロシア語を拡大使用する法案反対」のデモ(ウクライナ国会議事堂付近)に参加するウクライナ人。©STR/NurPhoto via Getty Images

 ロシア語に対する圧力は、オレンジ革命後のヴィクトル・ユシチェンコ(Viktor Yushchenko)元大統領のもとで始まったと一般に考えられているが、そうではない。例えば、レオニード・クチマ(Leonid Kuchma)元大統領は、1997年7月1日に政府がウクライナ最高議会(Verkhovna Rada)に提出した「ウクライナにおける言語の発展と使用について」という法案で、国家の公用語で放送しないメディアに対して罰金や免許取り消しを導入し、「懲罰的言語学」を制定しようとした。また、一般市民や役人が国家言語を使用しない場合、罰金を科すことも計画されていた。

 1999年、ウクライナ憲法裁判所は、ウクライナ語を「地方公共団体の権限行使やその他の公共生活において、ウクライナ全土で義務的なコミュニケーション手段」と認め、ロシア語の法的地位に対する最後のとどめを刺した。

 このように、ロシア語を話す人を差別する悪質な法規範のほぼすべてが、2014年のマイダン・クーデター以前から施行されていたのである。ウクライナ語を話せない人は、弁護士を開業することも、選挙委員会のメンバーや国会議員のアシスタントを務めることも禁じられていた。当時と唯一違うのは、ウェイターや販売員が客とウクライナ語で話すことを強制する言語パトロールがなかったことだが、法的には当時もそうする義務があったのである。

言語(ロシア語)がなければ、問題はない/strong>

 ロシア語に対する最大の動きは、教育分野で起こった。1992年、ウクライナの元第一教育次官アナトリー・ポグレブニー(Anatoly Pogrebny)が署名した書簡が現れ、ロシア語を外国語として教える権利を学校に認めたのである。こうして、多くの人にとって母語であったロシア語が、外国語として位置づけられることになった。

 その間、ロシア語学校は着実に減少していた。1990年、ウクライナにはロシア語を中心的な指導言語とする学校が4,633校あった。2010-11年度初めには、1,149校しか残っていない。1990年には約350万人の生徒が地域言語や少数民族言語で教えられていたが、2011年初頭には703,609人しかいなかった。そのうちロシア語を使っているのは685,806人である。つまり、ロシア語の学校の数は62%減少し、生徒数は7倍減少した。清算された学校の57%以上はロシア語で授業を行っていた学校であり、ウクライナ語系の学校に比べて8倍も多く閉鎖された。現在、ウクライナにはロシア学校は全く残っていないが、これについては後述する。


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 この状況は、国民の言語的嗜好とまったく一致していない。2001年に行われたウクライナの最後の国勢調査によると、ロシア語を話す中等教育機関の割合がロシア語を話す人口の割合を下回っており、多くの国民が母語で勉強することができなかったとされている。ドネツク州には518校(全体の41.6%)、ザポロジェ州には180校(26.9%)、ルガンスク州には451校(55.1%)、オデッサ州には184校(19.7%)、ハリコフ州には157校(16.1%)のロシア学校が存在していた。 1998年、オデッサ市では、ロシア語圏の住民が人口の73%を占めているにもかかわらず、ロシア語を授業言語とする学校が46校(32%)しかなかった。ドネツク州のゴロフカでは、2006年、82%がロシア語を母語とすると回答していた。

 その他の「ウクライナ」の地域でも、状況ははっきりしている。例えば、人口の3%が少数民族の言語を話すリブネでは、1996年にすべてのロシア語学校が閉鎖された。キエフでは、公式統計によれば、首都の住民の27.9%が少数言語(実際にはロシア語)を使用しているにもかかわらず、2011年までに7校(2.04%)しかロシア語学校が残されていないのである。一般にウクライナでは人口の30%が少数民族言語を使用しているが、中等教育では2011年までに7.57%の学校でウクライナ語以外の言語が使用できるに過ぎない。

2014年3月23日、ドネツクのレーニン広場に結集するロシア支持の人々。官庁街を行進し、ウクライナ国旗を降ろし、ロシア国旗とドネツクを象徴する旗を掲げる。©Romain Carre/NurPhoto/Corbis via Getty Images

 実は、公式の統計と人々が話す言語の実際とは一致していない。アメリカのギャラップ研究所が実施した調査への回答では、ウクライナ人の83%がロシア語で記入することを選んでおり、社会学者によれば、それであれば、ロシア語が彼らの母語だということになる(図2)。これは、2015年に行われたインターネット上で使用されている言語に関する調査でも確認されており、ウクライナのサイトの59.6%がロシア語であることが判明している。さらに興味深いのは、ウェブ検索に関する統計である。ウクライナ語で読まれているのは、政府のウェブサイトだけである。人々は「日常的な」こと(旅行、サービス、メディア、天気など)については、ロシア語で読むことを好む。この状況はここ数年、ほとんど変わっていない。Googleによると、2020年にはウクライナからの質問は、ウクライナ語の8倍の頻度で、ロシア語で送信されたという。つまり、どのような場合でも、約80%のウクライナ人がロシア語を好んで使っていることなる。

 イタリアの研究者ニコラ・ポロ(Nicola Porro)は、ウクライナの言語状況に関する公式データの改ざんについて注意を喚起した。ユーロマイダン・プレス(EuroMaidan Press)によると、2012年にはウクライナ語が57%、ロシア語が42%の住民の母国語であった。しかし、2021年には、ウクライナ語77%、ロシア語21%になっている。「10年程度の間に、人口の20%が突然母国語を変えてしまうということがあり得るのだろうか?このとき、ユーロマイダン・プレスは、『2012年から2016年の間に、自分の使用言語意識の面で大きな変化があった』と誇らしげに発表している。つまり、どんな『説得の方法』が使われたのか、ということだ。母語は、母乳で、母の声を聞きながら吸収する。母親は自分の心の言葉で子供に語りかける。自分の母語は変えることができない」とニコラ・ポロは言う。

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 2012年、当時のヤヌコビッチ(Viktor Yanukovych)大統領率いる「地域政党」の代表が、ロシア語の地位を高めようとした。国家言語政策の基礎に関する法律」が制定され、その地域の母語話者の数が人口の10%に達していれば、地域言語を国家の公式言語として使用することができるようになった。ウクライナのロシア語圏の一部はこれを利用したが、国内の多くのロシア語圏の人々には何の役にも立たなかった。例えば、首都キエフのアレクサンドル・ポポフ(Alexander Popov)市長は、「キエフではロシア語を地域言語として認める議論はできない」と宣言している。さらにこの法律により、ロシア語は欧州地域・少数民族言語憲章に基づき、民族間のコミュニケーションに使われる言語という位置づけから、通常の少数民族言語へと格下げされた。

 ロシア語に関する欧州憲章の歴史は特筆に価する。ウクライナの欧州評議会加盟の条件の一つであるこの文書の採択は、ネオナチ勢力の前代未聞の抵抗に直面した。1999年にウクライナ最高議会は憲章を最初に批准したが、当時のクチマ大統領が批准法への署名を拒否したため、憲法裁判所により無効とされた。2003年5月15日に、宣言的な条項のみだが、再批准された。しかし、ウクライナ外務省は2年間、批准書の発行を拒否した。その結果、発効したのは2006年1月1日である。批准書の文章によると、ロシア語はわずか数千人が話す言語と同じ地位を得た。その一方で、ウクライナの極右勢力は、絶滅の危機に瀕している言語のみを保護するべきだと主張し、この憲章の意味を常に歪めようとした。

 しかし、この水で薄めた法律もマイダン*を生き延びることはできなかった。2018年、ウクライナの憲法裁判所は、同国の憲法の規定に適合していないと判断した。
*マイダン・・・ユーロ・マイダン革命は、2014年2月中下旬にウクライナで起こった革命。首都キエフで勃発したウクライナ政府側とユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果、当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣国ロシアへ亡命することになった。(ウイキペディア)

地球上から消滅させてしまえ

 これは、生活のあらゆる場面でロシア語を使うことを組織的に禁止し、国民に国家の公用語(ウクライナ語)だけでのコミュニケーションを強制するための前段階に過ぎない。

 ウクライナで現在施行されている法律「ウクライナ語の公用語としての機能の確保について」は、当時のペトロ・ポロシェンコ政権下で2019年に成立した。この法律は懲罰的な特徴を多く持っている。

 まず、ウクライナの憲法に国家言語(ウクライナ語)の使用義務化が盛り込まれた。その結果、人々は「公式文書やテキストにおけるウクライナ語の意図的な歪曲、特にウクライナ正書法の要件や国家言語の基準に違反した意図的な使用、およびウクライナ語の使用妨害や制限すること」に対して民事上および刑事上の責任を負う可能性が生じた。法律の本文では、国家当局、メディア、政党、公共団体、および民間企業に対して、スペルミスや他言語の使用に対する罰金を定めている。

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 第二に、国家言語の基準を作成し、その使用実態をチェックするための権威ある特別政府部局が設置されたことである。ウクライナ語以外の言語で話しかけられたウクライナ国民は、国家言語保護委員に苦情を申し立てることができる。この委員をウクライナ人は「会話総統」と呼んでいるが、言い得て妙だ。この「言語警察」は、警察、消費者保護機関、裁判所、検察庁、その他の法執行機関を呼び出して、コミュニケーションがウクライナ語でしか行われないように強制することができる。

 第三に、この法律の条文には、ロシア語を話す人を差別する意図があからさまに表れている。この点については、ベニス委員会*も注意を促している。「法を通じての民主化に関する欧州委員会」(ベニス委員会)は、ウクライナの教育と言語に関する法律に関する結論の中で、言語には4つの「種類」があることを明らかにした:
現地語
② 英語
③ EUの公用語ではあるが少数国民の言語
④ EUの公用語になっていない少数国民の言語
ベニス委員会*・・・公式には「法を通した民主主義のための欧州委員会」。欧州評議会の諮問機関。憲法に関する独立した専門家によって構成される。ベルリンの壁が崩壊した1990年に創設。中欧、東欧における憲法について緊急の支援が必要だった。(ウイキペディア英語版から訳出)

 委員会によれば、中等教育レベルではすでに不平等が生まれつつある。つまり、先住民はEU公用語を話す少数民族より優遇され、EU公用語を話す少数民族は他の少数民族より優遇されるという階層が潜在的に存在するのだ。ロシア語は特筆に価する。ベニス委員会によると、ウクライナ憲法第10条は、言語の権利と自由を保護する観点から重要な規定であり、ロシア語を別途取り上げている。また、国際文書としてウクライナ憲法に優先する欧州地域・少数民族言語憲章の署名国として、キエフはロシア語の保護を公約に掲げている。

 その他にも、テレビやラジオでは、放送の75%以上とすべての文化・大衆行事をウクライナ語のみで行うことを義務づけるクォータ制など、厳しいウクライナ化政策が批判を浴びている。一方、2022年1月16日には、書籍や印刷物の50%以上を国家言語で出版・販売することが義務づけられ、出版事業や印刷メディアの破壊が危惧されている。

 国家言語保護委員は、販売員やウェイターなど、すべての人が言語法を遵守しているかどうかを綿密に監視している。2021年4月、彼の事務所は最初の報告書を発表したが、そこには一般市民に圧力がかけられていることがはっきりと示されている。この文書では、「ウクライナ語を話す幼稚園でも、子どもたちはしばしばロシア語や他の言語で話しかけられる」との不満が述べられている。学校では、この「問題」はさらに深刻だ。ウクライナ南東部では、実際にロシア語で授業が行われることが多く、生徒も教師も授業以外ではウクライナ語を話すことを拒否している。キエフでは、55%の教師が時々ロシア語に切り替え、4%が常に授業でロシア語を使っている。


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 Stolitsaラジオ局は2020年5月11日、放送した曲のうち32%しかウクライナ語でなかったため、54,000フリヴニャ(約1,800ドル)の罰金を科された。Radio Chansonは2回罰金を受けており、いずれも86,000フリヴニア(2,900ドル)である。地方ラジオ局も罰金を受けている。アレクサンドリアのMayakは2,865フリヴニャ(95ドル)、Chernovtsyは 6,242フリヴニャ(210ドル)。

 この報告書は、ウクライナ語がいかに速く、そして厳しく強要されているかを示している。言語オンブズマンによると、幼稚園児の98%、専門学校・短大の学生の99.8%、大学・アカデミー・研究所の学生の98.5%がウクライナ語で勉強しているそうだ。2020年には、ウクライナ語の学校の数は272校増え、ウクライナ語で学ぶ子どもの数は、20万人が増加した。そのうち15万人はそれまでロシア語で学習していた子どもたちだ。キエフだけでも94クラスがウクライナ語に切り替わり、ロシア語のクラスは全国で11,563クラスから5,421クラスに減少している。演劇公演の約78%はウクライナ語で上演されている。それでも、オデッサ地方学術劇場、ハリコフ・プーシキン演劇劇場、オデッサ音楽喜劇劇場、クリヴォイ・ログの「運動アカデミー」学術劇場、トランスカルパチア地方ハンガリー演劇劇場は違反行為で摘発されている。


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「会話総統」によると、ウクライナの店舗で販売する書籍の50%はウクライナ語でなければならないというノルマが施行される以前から、印刷書籍の読者の74%、電子書籍の消費者の65%、オーディオブックのリスナーの67%がウクライナ語を使用していたという。しかし、ウクライナ政府はインターネットを管理しておらず、ウクライナ語の書籍の売り上げは減少し、ウクライナ語の映画の本数は2019年の159本から2020年には34本に激減している。いまや読者や視聴者は、代わりにネットにアクセスしているのは明らかだ。

 しかし、ウクライナ当局はそれに止まらず、国内でロシア語を完全に撲滅しようとしている。ロシアのテレビチャンネル、ラジオ局、マスメディア、ソーシャルメディアネットワークの禁止、ロシアからの書籍の輸入禁止はすでに長い間実施されているが、このキャンペーンは今や図書館のロシア文学にまで及んでいるのである。ウクライナ書籍研究所のアレクサンドラ・コヴァル(Alexandra Koval)所長は、「帝国的な物語を含む反ウクライナの内容、暴力を宣伝する文学、親ロシア的で排外主義的な政治を行う書籍」を含む1億冊以上の書籍を公共図書館から撤去すべきだと考えている。そして、第二段階として、1991年以降にロシアで出版されたロシア語の書籍も破棄される。「児童書、恋愛小説、探偵小説など、さまざまなジャンルの本が対象となるはずだ。需要があるのは分かるが、これは時代の要請として当然だ」とコヴァルは語った。

 主にロシア語を話す8割のウクライナ人と狂信的なウクライナ人の静かな対立がどのように終わるかは明らかである。30年にわたるロシア語への強烈な圧力は、ウクライナ人のロシア語使用をいかようにも減少させる要因にはなっていない。ただ一つ不明なのは、ウクライナの言語政策が人権や民主主義、ヨーロッパの価値観とどのような関係があるのかということだ。

By Olga Sukharevskaya, ex-Ukrainian diplomat

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キッシンジャー2014年3月---ウクライナ危機の解決は終わらせ方が決め手

<記事原文 寺島先生推薦>

To settle the Ukraine crisis, start at the end
ウクライナ危機を解決するには、どう終わらせるかから始める

筆者:ヘンリー・A・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)

出典:ワシントン・ポスト紙

2014年3月5日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月4日

 ウクライナに関する公の議論は、対立のことについてばかり話し合われている。しかし、私たちは自分たちがどこへ行こうとしているのか、わかっているのだろうか。私はこれまで、大きな熱意と国民の支持を受けて始まった4つの戦争を見てきたが、そのすべてについて終わらせ方が分からず、そのうち3つは米国が一方的に撤退して終わってしまった。政策の試金石は、どのように始めるかではなく、どのように終わらせるかである。

 ウクライナの問題は、ウクライナが東側につくか西側につくかという対決として語られることがあまりに多い。しかし、ウクライナが生き残り、発展していくためには、どちらかの前線基地となるのではなく、その橋渡し役として機能することが必要である。

 ロシアが分かっておかないといけないことは、ウクライナを衛生国家に追いやり、それによってロシアの国境を再び広げようとしても、モスクワが自己欲求を実現しようとすれば、欧米からの報復を招くというこれまで何度も繰り返されてきた歴史の繰り返しにしかならないという事実だ。

 一方で、西側諸国は、ロシアにとってウクライナが単なる一外国ではありえないことを理解しなければならない。ロシアの歴史はキエフ大公国と呼ばれる国から始まった。ロシア正教もその国から広まった。ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部であり、それ以前から両者の歴史は絡み合っていた。ロシアが自由を求めて戦った最も重要な戦いのいくつかは、1709年のポルタヴァの戦いに始まるが、それはウクライナの地で戦われている。ロシアが地中海で力を発揮するための手段である黒海艦隊は、クリミアのセヴァストポリを長期租借して駐留している。アレクサンドル・ソルジェニーツィンやジョセフ・ブロツキーのような有名な反体制者でさえ、ウクライナはロシアの歴史の、いや、ロシアという国家の不可欠な一部であると主張している。

 EUは、ウクライナの対欧交渉において、官僚的な手法をとったため後手に回ったことと、戦略的に取るべき対策よりも各国の国内政治を優先させたことが、交渉を危機に陥れる一因となったことを認識しなければならない。外交政策とは優先順位を決める技術である。

 まず戦略的に対策を打ち出すべき対象はウクライナ人である。彼らは、複雑な歴史を持ち、多言語話者で構成された国に住んでいる。1939年、スターリンとヒトラーが戦利品を分け合う形で、西部はソビエト連邦に編入された。クリミアは人口の60%がロシア人で、ウクライナの一部となったのは1954年、ウクライナ出身のニキータ・フルシチョフが、ロシアとコサックの協定300年記念の一環としてクリミアを授与してからである。西側は主にカトリック、東側は主にロシア正教である。西側はウクライナ語を話し、東側は主にロシア語を話す。ウクライナの片方が他方を支配しようとすれば、これまでのように内戦か崩壊に至るだろう。ウクライナを東西対立の一部として扱うことは、ロシアと西側、特にロシアとヨーロッパが協力的な国際関係に入るという見通しを何十年にもわたって打ち砕くことになる。

 ウクライナは独立後わずか23年しかたっておらず、それ以前は14世紀以来、何らかの外国統治下にあった。当然ながら、ウクライナの指導者たちは妥協の技術も、ましてや歴史的展望も学んではいない。独立後のウクライナの政治を見ると、問題の根源は、ウクライナの政治家が、自分に反抗的な人たちに対して、最初は一方の派閥によって、次にはもう一方の派閥によって自分たちの意志を押し付けようとし合うことにあることがよくわかる。それが、ヤヌコビッチとその主要な政治的ライバルであるティモシェンコの間の対立の本質である。彼らはウクライナの両翼を代表し、権力を共有することを望んでいない。米国の賢明な対ウクライナ政策は、この2つの部分が互いに協力し合う道を模索することである。ひとつの派閥による支配ではなく、双方の和解を求めるべきである。

 ロシアも欧米も、そして何よりもウクライナの諸派も、この原則に基づいて行動していない。それぞれが状況を悪化させている。ロシアは、すでに多くの国境が不安定になっているときに、自らを孤立させることなく、軍事的な解決策を押し付けることはできないだろう。一方で、西側諸国にとっては、プーチンの悪魔化は政策ではなく、政策不在の証拠である。

 プーチンは、彼の不満が何であれ、軍事的な押しつけ政策は再び冷戦を引き起こすことを理解するようになるはずだ。米国は、ロシアを異常な存在として扱い、米国が定めた行動規範を辛抱強く教え込むことを避ける必要がある。プーチンはロシアの歴史を前提にした本格的な戦略家である。米国の価値観や心理を理解することは、彼の得意とするところではない。また、ロシアの歴史と心理を理解することは、米国の政策立案者の得意とするところではないのである。

 各方面の指導者は、面子を保つのを競うのではなく、どんな成果を取るかを検討することに立ち戻るべきだ。ここで、私が考える、双方の価値観と安全保障上の利益に合致する成果は次の通りである。

 1. ウクライナは欧州を含む経済的、政治的な関係を自由に選択する権利を持つべきである。

 2. ウクライナはNATOに加盟すべきではない。これは7年前、この問題が最初に浮上したとき、私が取った立場である。

 3. ウクライナは、その国民の表明された意思に適合するいかなる政府をも自由に樹立することができるはずである。賢明なウクライナの指導者ならば、自国のさまざまな地域間の和解政策を選択するだろう。国際的には、フィンランドに匹敵する姿勢をとるべきである。フィンランドは、その激しい独立性を損なうことなく、ほとんどの分野で西側と協力しているが、ロシアに対する組織的な敵対は慎重に避けている。

 4. ロシアがクリミアを併合することは、既存の世界秩序のルールと相容れない。しかし、クリミアとウクライナの関係をより摩擦の少ないものにすることは可能であるはずだ。そのために、ロシアはウクライナのクリミアに対する主権を認める。ウクライナは、国際監視団の立ち会いのもとで行われる選挙でクリミアの自治権を強化すること。その過程で、セヴァストポリの黒海艦隊の地位に関する曖昧な点を取り除くことも含まれる。

 これは原則であって、処方箋ではない。この地域に詳しい人なら、そのすべてがすべての当事者にとって好ましいものではないことはわかるだろう。試されるのは、絶対的な満足ではなく、バランスのとれた不満である。これら、あるいはそれに匹敵する要素に基づく何らかの解決策が得られなければ、対立への流れは加速され、その時はすぐにやってくることになるだろう。

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プーチンが語る未来---旧世界は終わり、主権が尊重される経済が生まれる


<記事原文 寺島先生推薦>
The old world is over: Key takeaways from Putin's first major speech since Russia's military offensive in Ukraine — RT Russia & Former Soviet Union
(旧世界は終わった。プーチン大統領がウクライナ侵攻後、はじめて行った重要演説のポイント)

Russian leader has buried the old world order and outlined his view on Russia’s and the world’s future, in a key address

ロシアの指導者は、重要な演説の中で、古い世界秩序を葬り去り、ロシアと世界の将来についての自らの見解を示した。

出典:RT

2022年6月17日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月3日



演説を行うロシアのウラジーミル・プーチン大統領。ロシアのサンクトペテルブルクで開催された第25回サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)の全体会議で。© Sputnik / Pavel Bednyakov

 新しい権力の中心が出現し、一極的な世界秩序はもう戻ってはこない。「植民地  的な考え方は失敗したと、ロシアのプーチン大統領は6月17日の金曜日、サンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)で語った。クレムリンはそれを「極めて重要」な演説であると言っている。


古い世界秩序は風と共に去る

 冷戦でアメリカが勝利を宣言したとき、アメリカ人は自らを 「地上の神の使者」 と呼び、それ以来自分たちが追い求める利益は、不可侵で何の義務も負わなくていいと考えてきたと、プーチン大統領はSPIEFの聴衆に語った。その後、新しい権力の中心が出現し、自国のシステム、経済モデル、主権を守る権利を持つようになった。

 このような「地政学、世界経済、技術分野、国際関係のシステム全体における真に革命的な地殻変動」は、「基本的で、極めて重要で、動かしがたいもの」である。「そして、激動する変化の時を待っていれば、物事が正常に戻り、すべてが以前のようになると考えるのは間違いである。そんなふうにはならない」とプーチンは述べた。


反ロシア制裁は西側諸国に裏目に出た

 米国とその同盟国は、ウクライナ紛争をめぐるロシアへの「制裁」作戦を開始したとき、ロシアの経済と社会を崩壊させ、弱体化させることを望んでいた。しかし、この制裁は、作成者自身へのブーメランとなって戻ってきた。それは、社会的、経済的問題を悪化させ、食料、電気、燃料の費用を引き上げ、西側諸国、特にヨーロッパでの生活の質に打撃を与えるという結果をもたらしたからだ。

 「EUは政治的主権を完全に失い、官僚的支配者層は他人の曲に合わせて踊り、上から言われたことは何でも受け入れ、自国の国民と経済に害を与えている」とプーチンは言った。

 EU市民は「現実から切り離され、常識に反した決定」の代償を払うことになる。制裁による直接の損失だけでも、1年で4000億ドルを超える可能性がある、と彼は付け加えた。


エネルギー価格高騰とインフレは自業自得

 西側諸国のエネルギー価格の高騰やインフレをロシアのせいにすること、ホワイトハウスが言うところの「プーチンによる値上げ」は、「愚かなことば」であり「読み書きのできない人たちのために作られた」ものだと、ロシア大統領は述べた。

 「我々を責めないで、自分たちを責めなさい」と、プーチンは言った。

 EUが「再生可能エネルギーを盲信」し、ロシアとの天然ガスの長期契約を放棄したことが、昨年のエネルギー価格の高騰を招いた。また、米国とEUはCovid-19の大流行に対処するために何兆ドルものドルやユーロを印刷したこともその原因だと、ロシアの指導者は言った。


西側諸国を待ち受ける「指導的な立場にあるエリートの交代」

 EUとアメリカの指導者たちが行っている政策は、社会における不平等や分裂を悪化させている。福祉の面だけでなく、様々な団体の価値観や方向性の面でもだ、とプーチン大統領は述べた。

 「このような現実や社会の要求からの剥離は、必然的に大衆迎合政治家の急増や過激な運動の拡大、深刻な社会的・経済的変化、劣化、そして近い将来には、指導的な立場にいる支配者層の 交代につながるだろう」とロシアの指導者は述べた。


飢饉が起きても、それはロシアのせいではない

 米国とEUのロシアに対する制裁、特に肥料や穀物の輸出は、世界的な食糧難を拡大させる原因の一つである。もし、世界の最貧国で飢饉が起きたら、「それは、すべてアメリカ政権とヨーロッパの官僚の ”良心” によるものだ」とプーチンは指摘した。

 食料供給に関する問題は、ここ数ヶ月ではなく、過去数年の間にすでに起きている。その原因は「他人の費用で自分の問題を解決することに慣れている人々の近視眼的行動」、お金を印刷して貿易の流れを歪める一種の「略奪的植民地政策」であると、プーチン氏は述べた。

 ロシアは、飢餓の脅威が最も深刻なアフリカと中東に食糧を送る準備ができているが、西側諸国が課す「物流、財政、輸送」の障害に直面していると述べた。


ウクライナ紛争の理由

 ロシアが2月にウクライナに軍を派遣したのは、西側諸国が義務を守ることを拒否し、「彼らと新たな合意を結ぶことは単純に不可能」だったからだ。この決定は「強制されたが、必要だった」のである。なぜなら、ロシアには主権国家として、自国の安全を守り、「西側の全面的な保護を受けたキエフ政権とネオナチによる大量虐殺」からドンバスの市民・住民を守るあらゆる権利があったからだと、プーチン氏は述べた。

 西側諸国は何年もかけてウクライナを「反ロシア」国家に仕立て上げ、武器や軍事顧問を送り込んだとプーチンは述べ、彼らはウクライナの経済や国民の生活については「どうでもよかった」と指摘し、「東部にNATOの足場を作り、ロシアに対して、侵略、憎悪、ロシア恐怖症を育てるために費用を惜しまなかった」と、主張した。「特別軍事作戦の目的はすべて無条件に達成される」 とプーチンは言った。


経済発展は国家主権が尊重されてこそ成り立つ

 21世紀には、主権は部分的であってはいけない。そのすべての要素が等しく重要であり、互いに補い合うものであり、経済もその1つである。ロシアが経済発展において守るべき原則は5つある。開放性、自由、社会的公正、インフラ、技術的主権だと、プーチンは主張した。

 ロシアは「決して孤立と独裁の道を歩まず、貿易を望む人なら誰とでも交流を拡大する」とプーチンは述べ、さらに「そのような国はたくさんある」と付け加えた。また、モスクワは民間企業を支援し、交通基盤を整備し、社会的不平等を是正し、重要な技術を外国からの輸入に依存しないようにするつもりだとも述べた。

 「真に主権ある国家は、常に対等な友好関係を約束する」が、他方で「国力が弱く他国に依存している国は、概して、敵を探すのに忙しく、外国人嫌いの感情を植え付け、ついには独自性、独立性を失い、支配者に盲従する」と述べた。
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メディアに騙されてウクライナ入りした英国人傭兵の後悔


<記事原文 寺島先生推薦>
British mercenary says he was ‘duped’ into Ukraine conflict by Western media

A UK national captured in Donbass says he has been abandoned by both Kiev and London
 
 英国の傭兵によると、彼がウクライナ入りしたのは西側メディアに騙されたからだとのことだ

 ドンバスで拘束された英国籍の傭兵は、自分が英国からもウクライナからも見放されたと語っている
 
原典:RT
   2022年6月9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
   2022年7月2日


 マウリポリでウクライナ軍のために闘っていた一人の英国市民が、投降する前の4月中旬にRTの取材に答え、ウクライナ政府のために闘うことを自分が決意したことを後悔していると語った。

 エイデン・アスリン(Aiden Aslin)被告は、主に西側メディアの報道のせいで、ウクライナを支持するようになってしまい、結果的には自分が政治ゲームの「コマ」にされてしまったと語った。
 
 アスリン被告がRTの取材に応じたのは、ドネツクで法廷が開かれる前のことで、その後アスリン被告は他の二人の外国人戦士とともに死刑を宣告された。罪状は傭兵として、ドネツク人民共和国(DPR)内において軍の力により権力を掌握しようとしていた容疑だ。
アスリン被告によると、彼はウクライナ紛争については2014年から追跡しており、もともとは「親ロシア派」で「親ドンパス派」だったとのことだ。アスリン被告は以前はクリミアのロシアへの再併合も支持していたし、ドンバスの人々には独立する権利があるとも考えていた。
 
 「僕が考えを変え始めたのは、大手メディアの報道を見るようになってからです。その報道が伝えていたのは、基本的に[ドンバスで]すべてのことを行っているのは地元の人々ではなくロシア軍兵士だというものでした」とアスリン被告は認め、さらに付け加えて、彼が見ていたのはFox NewsやBBCやCNNだったと語った。DPRの民兵隊に投降してから分かったことは、一緒に闘ってきたウクライナ人兵たちよりもドンバス兵たちの方が自分と共通するところが多いという事実だった。
 
「僕は騙されたようなものです」
 


 英国人のアスリン被告が語ったところによると、ネオナチ的な考え方を有するとして知られている悪名高いアゾフ大隊の戦士たちから脅しを受けたことさえあったそうだ。アスリン被告によると、アゾフ大隊はウクライナ国家親衛隊に組み込まれた時からいい方向に変わったと思っていたが、実際直接会ってみると「以前の様子とそんなに変わっていない」ことが分かったとのことだった。


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 英国籍をもつアスリン被告はかつてクルド民族の民兵隊であるYPGとともに、イスラーム国(IS、以前のISIS)のテロリストたちと闘った経験を持っており、腕にはYPGの一員であることを示すタトゥーが彫られている。2年前、そのタトゥーを見たアゾフ大隊の一人の戦士がアスリン被告に、「そんなタトゥーは剥がしてしまいたい」と言ったそうだ。「僕がその戦士に、自分が左派であると伝えると、彼の態度は一変したんです」とアスリン被告は語り、そのやりとりがあってからは、そのアゾフ連隊の戦士は自分のことを「友人というよりは敵」として見るようになったと付け加えた。
 
 アスリン被告がさらに疑念を持ったのは、ウクライナ軍の訓練の水準の低さについてだった。「その訓練は、求められているほどには専門的なものではありませんでした」とアスリンさんは語り、実弾を使った訓練は低水準で、軍事施設を標的にしていても、市民の生活施設を誤爆してしまいかねない程度だったとした。

 「[ウクライナ軍の件に関して]さらに頭に置いておくべきことは、アルコールが蔓延していたことです」とアスリン被告は言葉を続けた。
 
 アスリン被告は、今振り返ればウクライナ軍に入るのではなく、非軍事施設での仕事を探すべきだったと語った。「もっと違う方法を採ればよかったです。そうすれば軍事態勢の中で政治的なコマのように扱われることもなかったでしょう」とアスリン被告は述べ、ウクライナ政権が紛争を終結しそこなったことを非難した。


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 「ウクライナ政権は、戦争を簡単に終わらせられたはずです。その機会があったのにそうしないことを選んだのです。僕の意見ですが、その主な理由はお金が絡んでいたからでしょう」とアスリン被告は語った。今アスリン被告は、自分が英国からもウクライナからも見放されていると感じている。
 
 牢獄からウクライナ側に連絡をとろうとしたが全く上手くいかなかったと、元戦闘員のアスリン被告は語っている。

 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、アスリン被告が捕虜になってから今まで一度もアスリン被告のことに触れたことはないとアスリン被告は語っている。現在アスリン被告とアスリン被告の弁護士は英国当局と連絡を取ろうとしているが、英国当局はアスリン被告のことはウクライナが「最優先して取り組むべき課題」だと主張し続けているだけだ。
 
 「僕がウクライナ政権に問わないといけないことは、あなた方がいつも言っている通り、僕たちのことを英雄だと考えるのであれば、なぜまるで僕たちが存在しないかのような扱い方をするのですか?という点です」とアス被告さんは語った。
 
 アスリン被告はウクライナに来て軍の任務につくことを考えている他の外国人たちにこう促していた。「騙されて戦争に荷担してはいけません。この戦争は本来あなた方が闘うべき戦争ではないのですから」。
 


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ニューヨーク・タイムズがグアンタナモ刑務所に超法規的措置により搬送された人々の写真を掲載

ニューヨーク・タイムズがグアンタナモ刑務所に超法規的措置により搬送された人々の写真を掲載
<記事原文 寺島先生推薦>
Never-before-seen photos from Guantanamo revealed by NYT

The outlet published images of the first prisoners arriving at the notorious US facility in Cuba

(ニューヨーク・タイムズがグアンタナモ刑務所の未公開の写真を掲載
同紙はキューバにある悪名高い米国刑務所に初めて連行された囚人たちの写真を公開)

原典:RT

2022年6月13日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年7月2日


ニューヨーク・タイムズの記事からのスクリーンショット

 ニューヨーク・タイムズ紙は、キューバのグアンタナモ湾にある米国が運営する悪名高い罪人拘留施設の未公開写真を公開した。米国政府が、超法規的措置として、中東などの海外からの罪人を送致したのち、この米国外にある拘留施設に拘留し始めるようになったのは、9-11テロ攻撃が起こったあとのことだった。

 これらの写真は情報の自由法により米国国立公文書館から入手されたものであり、初めてこの施設に連行された一団である2002年1月のアフガニスタンからの被収容者の模様が写されたものだ。

 これらの被収容者たちは軍の航空機により感覚が遮断されている状態で搬送されていた。警備隊に命じられ、護衛オレンジ色のローブだけではなく、耳あてやレンズの周りに粘着テープを施され黒く塗られたゴーグルを身につけさせられていた。



ニューヨーク・タイムズの記事からのスクリーンショット

 警備員の一人が目隠しをされた囚人の一人の手に米国旗を持たせている様子が、ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されていた。



ニューヨーク・タイムズの記事からのスクリーンショット

 搬送中、囚人たちは手錠や足枷をかけられていた。そして現地到着後、完全武装した海軍兵士に引き渡された。

 およそ780名の囚人たちがグアンタナモに拘留されていたが、その多くは起訴や裁判の手続きをうけておらず、間違った身元確認のせいで拘留されたものもいた。現在同施設には37名の囚人がいる。
 

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米国はウクライナをドローン兵器の実験場にしようとしている。そんな行為をロシアが許すわけがない。

<記事原文 寺島先生推薦>
The US is trying to use Ukraine as a test lab for its drones, a move Russia is unlikely to forget
The possible provision of armed MQ-1C Grey Eagle drones is a cynical ploy to test them against Russians

 米国はウクライナをドローン兵器の実験場にしようとしている。そんな行為をロシアが許すわけがない。 
 MQ-1Cグレー・イーグルというドローン戦闘機をウクライナに売却する裏には、ロシアを実験台に軍事実験を行おうという狡猾な策略がある可能性がある。

原典:RT
   2022年6月12日
著者:スコット・リッター(Scott Ritter)

Scott Ritter is a former US Marine Corps intelligence officer and author of 'Disarmament in the Time of Perestroika: Arms Control and the End of the Soviet Union.' He served in the Soviet Union as an inspector implementing the INF Treaty, in General Schwarzkopf’s staff during the Gulf War, and from 1991-1998 as a UN weapons inspector.

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
   2022年7月2日


 ロイター通信の報道によると、米国政府はドローン戦闘機MQ-1Cグレー・イーグルを4機売却することを考慮しているとのことだ。このドローン戦闘機は、米国の空対地ミサイルのヘルファイア・ミサイルを発射でき、ドンバス地域での特殊作戦に従事しているロシア軍に対して使用できるものだ。

 この話が本当だとしたら、このドローン戦闘機売却については国務省と国会の両方からの特別承認が必要となる。というのも、米国の法律において、ドローン戦闘機については、米国の最重要同盟諸国以外への売却に制限がかけられているからだ。もし承認されれば、ウクライナでこの戦闘機を操縦する人々は短期講習を受けることになるが、それには数週間を要する(MQ-1Cの操縦に関する講習は通常数ヶ月かかる)。つまり、ドローン戦闘機MQ-1Cグレー・イーグルがウクライナ上空を飛んでいる姿が見られるのは、最速で今年7月のいつかになるだろうということだ。

  ドローン戦闘機MQ-1Cグレー・イーグルは、戦術無人戦闘機RQ/MQ-5ハンター (UAV)機の後継機にあたるもので、この開発には米国の陸軍と海軍が協同して取り組んできた。この開発計画は1989年に開始されたのだが、完成に漕ぎ着けたのは9/11攻撃の数年後だった。つまりハンターUAVは、例えば対ソ連戦争を勝ち抜けるような高い緊張状態にあった国際関係に適応して作られた武器系統ではなく、テロとの戦い(GWOT)期という国際関係がより温和な緊張関係にあった時代に適応したものだった。

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American weapons will ensure more deaths in Ukraine, but won’t change the conflict’s eventual outcome

 ハンターUAV機がどう運用されてきたかの歴史は、この背景を反映したものになっている。2002年の試用期間中のハンター機の使用目的は、ロシアの装甲戦闘車両を破壊する能力を持つBAT(ブリリアント対戦車)子弾を搭載するためだった。しかしこのハンターUAV機が戦闘地域に配置されるようになった2005年には、この無人航空機の使用目的はイランの反乱者たちに対するレーザー誘導爆弾を搭載する目的に変わっていた。攻撃方法の特性が進化したのだ。具体的には持ち物や行動の自由が認められていない箇所に存在する動く標的に対する攻撃から、戦場上空を飛び交いながら、敵に邪魔されることなく、静止した状態の敵にめがけて正確に狙いを定める攻撃に進化したのだ。

 GWOT期の戦争に対応できるかという要求から見れば、ハンターUAV機はすぐに時代遅れになり、早くも2002年には、米軍は複数の爆発物が搭載できる代替機種を模索し始めていた。つまり、攻撃や、即席爆発装置(IEDs)の探知や、戦場の被害状況の見極めだけではなく、偵察や、標的獲得や、指揮統制や、通信中継や、通信傍受(SIGINT)や、電子戦(EW)、つまり全ての戦闘行為にも対応できる代替機種のことだ。

 ハンター機の後継機種の製作が急がれた主原因は、敵の脅威がない中で無数の指令の実現が可能な状況での戦闘行為が求められている状況だったからだ。競争を勝ち抜いたMQ-1C機が選ばれ、2009年までには米軍にMQ-1C機が届けられ始めた。2010年までには、イラクやアフガニスタンの戦場でMQ-1C機が見られるようになったが、よく搭載されていた武器はレーザー誘導型のヘルファイア・ミサイルだった(グレー・イーグル(MQ-1C機の愛称)は空対空攻撃に対応したスティンガー・ミサイルや、レーザー誘導型GBU-44バイパー爆弾を搭載することも可能なのだが)。

 グレー・イーグル機はイラク反乱軍や、アフガニスタンのタリバンや、ISISのテロリストたちに対して有効だったことが米国内部の認識だったが、それと同時に、グレー・イーグル機は米軍が「全領域行動作戦」と呼んでいる戦争には役に立たないという認識も広がっていた。この「全領域行動作戦」とは、米国と同等の戦力をもつロシアのような敵国と争う「将来の戦争」を想定したものだ。GWOT期の対反乱軍作戦として非常に有効に通用することが証明された視線計測センサーは、その将来の戦争では役立たないのだ。敵が見えるということは、敵に見られているということだからだ。そうなれば殺されてしまうからだ。

 グレー・イーグル機を現在の戦場でも十分使用できるようにするには、新型センサーの搭載が必要となる。そのセンサーがあれば、スタンドオフ状態(敵の対空ミサイルの射程外から攻撃できる状態にあること)にある標的を特定でき、軍による長距離正確射撃(LRPF)ができる状況を作り出すことが可能となるからだ。米軍の提案によれば、新型のグレー・イーグル機は、統合防空体制(IADS)が完全に取られている地域でも効力を発揮でき、80Km先の統合防空体制の監視から逃れるような飛行方法が取れる能力が必須であるとしている。そして、いわゆる空中発射効果(ALE)体系センサー機能付き小型ドローン機である新型グレー・イーグル機を敵領内に送り込み、次の攻撃に向けて、標的を検出特定し、その位置情報を特定できるようにしたいとのことだ。

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Big winners of West’s military spending bonanza revealed – media

 しかし今の米軍ではそのようなことは不可能だ。となると米国がウクライナに供給しようとしているグレー・イーグル機は、ロシア対ウクライナ戦争のような現在の戦場での戦いに対応し、乗り切れるとは考えにくいということだ。このMQ-1C機は、ウクライナで最もよく使用されているドローン機であるトルコ製のバイラクタルTB2機の2倍の大きさがある。このTB2機はリビアやシリアやアルメニアのナゴルノ・カラバフでは功を奏し、今回のロシアによる特殊作戦の初期にも、ロシア軍に対して効果を発揮していた。しかしロシア側は防空体制の補強を成し遂げ、結果この紛争の前にウクライナに供給されていた36機のTB2のうち35機を、さらに戦争開始後にウクライナに届けられた12機のほとんどを打ち落とした。MQ-1C機が同じような運命を辿る可能性は非常に高い。

 しかしもちろんこれは米国の想定内のことだ。それは、ウクライナに送られる予定のグレー・イーグル機がたった4機であることや、グレー・イーグル機が戦場で打ち落とされなかったとしてもこの紛争を左右する大きな要因にはならないことからわかることだ。グレー・イーグル機をウクライナ国内のロシア軍に対して配置した米国の思惑が、ロシアの統合防空体制(IADS)を打ち破る戦術の開発を実際の戦闘の場で確かめる実験だということであれば、MQ-1C4機を犠牲にしても、米国は研究や開発資金の支出を何億ドルも節約できることになるのだ。

 ウクライナは対ロシア戦争で敗北しつつある。いくら米国や西側諸国がウクライナに武器を供給したとしても、この状況を変えることにはならないだろう。米国はそのことをわかっている。だからこそ問わざるを得ないことは、こんなにも限られた数のMQ-1C機を、こんな戦局でウクライナに供給することに何の意味があるのか、ということだ。その問いに対する唯一の納得できる答えは、米国はロシアの特殊作戦を実際の戦場での実験場所に利用しようとしていると考えることしかない。その意味で、「実験用ラット」にされているのはロシアやウクライナの兵士たちだ。こんな狡猾な実験を実行するなんてとんでもないことだ。ウクライナ国民はこのことを忘れるべきではない。いずれNATOが引き起こしたこの紛争の帳尻あわせをしなければいけなくなる時が来るのだから。さらにロシアもこのことを決して忘れてはいけないし、許すべきではない。この先、米国との交渉が前進する時が必ず来るのだから。



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カナダのエバ・バートレット記者はウクライナの「殺害すべき人リスト」に載せられているのにカナダ政府は何もしようとしない

カナダのエバ・バートレット記者はウクライナの「殺害すべき人リスト」に載せられているのにカナダ政府は何もしようとしない

<記事原文 寺島先生推薦>

Video: Award-Winning Canadian Journalist Eva Bartlett on Ukraine “Kill List” as Canadian Government Does Nothing
原典:Global Research 
   2022年6月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
   2022年7月1日


怒りの言葉を広めよう。米国政府・カナダ政府と闘おう!エバ・バートレットさんのために連帯しよう。大手メデイアと闘おう!



(以下は動画の文字おこし)

 私は心から思っています。歴史上で今ほど、メディアの記者が危険な状態に晒されている時代はなかったのではないでしょうか。私がこう言っているのは、記者たちが、検閲を受け、SNS上のアカウントが消され、制裁を受け、行方不明にされ、殺されている現状があるからです。

 最近の出来事を伝えると、受賞歴のあるカナダのエバ・バートレット(Eva Bartlett)記者の件です。彼女は米国のパスポートを持っていて、ウクライナの紛争について取材を続けていました。彼女の記事は米国や英国の公式説明と必ずしも一致するものではありません。彼女は公式説明や、それと同等の内容の記事には興味がありません。

 彼女が興味を持っているのは客観的真実の追究で、その客観的事実を報道しようとしています。それは人々が知りたがっていることです。そしてそのことが理由となって、彼女の名前がウクライナ軍の「殺すべき人々のリスト」に載せられたのです。このウェブサイトには、彼女の顔写真や、名前などの情報が載せられ、彼女のことを知らない人にもその情報が暴露されていました。このサイトは冷やかしのサイトではありません。実行力のあるウェブサイトなのです。このサイトは本当に深刻な問題のあるウェブサイトで、このサイトに載せられていて、消息を絶った他の記者たちもいますし、殺害された記者たちさえいます。

 米国のパスポートやカナダのパスポートを持っている人なら、それぞれの政府から守られると思うのが自然です。少なくとも彼女が危険にさらされているという話はCNNやBBCなどの西側の適切なメディアで報じられているはずです。ところがこのことを報じるメディアは今のところ皆無です。

 このことを報じたのは、彼女の夫のことを報じたRTインターナショナルだけでした。このメディアは多くの欧州諸国や米国で検閲を受け、禁止されています。ですので、彼女の事件は難しい局面を迎えています。それもそのはずです。彼女はまだ現地で取材を続けているのです。脅しを受けている中で。そんな中でも人々に真実を伝える任務を果たそうとしているのです。客観的真実の追究を進めようとしているのです。

 ですので私たち市民は自問自答すべきです。いったいこの先何名の記者たちが生け贄になってしまうのでしょうか?今こそ立ち上がって、「もうやめろ」と言うべきなのです。記者たちを守りましょう。記者たちの活躍に対して、本当の支援をしましょう。

READ MORE:
Canadan Journalist Added to List of Proclaimed ‘Enemies of Ukraine’

On Ukraine’s war on Donbass, Russia’s denazification operation, and being on Ukraine’s Kill List
Read Eva Bartlett’s article on Mariupol:


Here’s What I Found at the Reported ‘Mass Grave’ Near Mariupol
By Eva Bartlett, April 29, 2022

翻訳記事
「ウクライナ軍は焦土作戦を用いた」。マリウポリからエヴァ・バートレットの報告 - 寺島メソッド翻訳NEWS (fc2.com)
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米国はキューバでばらまいたとされる熱病を媒介する蚊の研究をウクライナでも行っていた。

<記事原文 寺島先生推薦>

US Biowarfare: Fever-Carrying Mosquitoes Studied in Ukrainian Labs May Have Been Used Against Cuba

(米国の生物兵器:ウクライナで研究されていた熱病を媒介する蚊は、かつてキューバに対して使われた可能性のある蚊と同じだった)

原典:INTERNATIONALIST 360°

2022年6月16日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月1日



 ロシアの国防省は、ロシア軍が占拠したウクライナ国内の生物研究所で、文書を発見したことを以前発表していたが、その文書は、その研究所の科学者たちが、危険な病原体の実験を、生物兵器として使用する意図のもとで行っていたことが示唆される内容であった。ロシアの国防省によると、これらの研究所は10年間以上米国から資金提供を受けていたとのことだ。

 ウクライナの幾つかの生物研究所では、熱病を媒介するネッタイシマカの研究を行っていた。そのネッタイシマカは、米国がかつて使用したと推測されている蚊と同じ属種だった。その蚊は、1970年代と1980年代に、キューバで第2種デング熱の大流行を引き起こすために、米国によって使用されたと推測されているものだ、とロシア軍放射能・科学・生物防衛部隊イーゴリ・キリロフ長官は述べている。

 「生物兵器として使用されていたネッタイシマカと同じ属種のヤブ蚊を、米国防総省がウクライナ国内で研究していたとのことです。この属種の蚊については、かつてキューバ市民が米国政府に対して集団訴訟を起こした記録が残っています。さらにその記録は、生物兵器禁止協定の署名の見直しのために提出されました」とキリロフ長官は語った。

 軍部の長であるキリロフ長官は当時のキューバの惨状を振り返り、その病気により34万5千人が感染し158名が亡くなったと述べた。さらにキリノフ長官が強調したのは、 第2種デング熱はカリブ海沿岸地域で記録されたことがなく、キューバ島内で唯一感染者が発生しなかったのはグアンタナモ米海軍基地だけだったという事実だった。

 米国当局はキューバ政府からの非難に対して、この病気の大流行についての関係を否定している。キリロフ長官によると、ウクライナの科学者たちは米国防総省のP-268計画に加わっていたとのことだ。この計画の目的は、 繁殖性の強いネッタイシマカが媒介する新種のウイルスを作り出すことだった。そのウイルスの準備作業が行われたのは、キエフのタラフ・シエブチェンコ国立大学で、そのウイルスは実地試験を行うため米国に輸送された、と中尉であるキリロフ長官は語った。

 キリロフ長官は、ウクライナ科学と技術センターのアンドリュー・フード(Andrew Hood)代表と米国の国務省の間で交わされたその研究の立ち上げに関する書簡を読み上げた。「この研究に参加する研究者の3割以上は大量破壊兵器の開発の経験がある研究者だ」とフード代表が記述した文書をキリロフ長官は読み上げた。

 ロシア政府はロシアの特殊作戦中にウクライナのいくつかの生物研究所で入手した文書の内容に対して大きな懸念を抱いている。これらの文書が示唆しているのは、ここ10年以上、ウクライナと米国防総省が共同で危険な病原体の研究を行っていたという事実で、その病原体は生物兵器として使われる可能性があったからだ。

 ロシア政府は、米国政府とウクライナ政府が共謀して、ロシア国境のすぐ近くで、ロシアに対してばらまこうとする意図を持って生物兵器の構成物を作ろうとしていたことを非難している。米国政府はウクライナの研究施設と協力体制を取っていたことは否定していないが、その研究施設で生物兵器の研究を行っていたとの明言は避けている。
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