NATOファシズムの歴史--大英帝国の「冷酷さ」に憧れたヒトラー、ナチスを影で支援し引き継いだ米帝国
NATO’s Fascist History – INTERNATIONALIST 360° (wordpress.com)
(NATOのファシズムの歴史)
投稿者: INTERNATIONALIST 360°
投稿日: 2022年4月28日
筆者:ティム・アンダーソン(Tim Anderson)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年5月28日

ウクライナにおけるNATOのナチス準軍事組織
近年、NATO(本質的には米国と西欧)は、4つの大陸にまたがる複数の介入を通じて、そのファシストの本性をむき出しにしてきた。NATO諸国は、ベネズエラ、ホンジュラス、ボリビアでファシストのクーデターを支援し、数十カ国に経済封鎖を課し、リビア、イラク、シリア、ナイジェリアを不安定にするためにアルカイダ/ISIS/ボコ・ハラム宗派テロを扇動し、現在は公然とウクライナのネオナチを武装化している。
これらのことは、NATO諸国が盛んに宣伝している自分たちの姿、すなわち自分たちは自由主義と民主主義的価値のお手本であり、自由や民主主義について他国に説教さえしているという姿と矛盾しているように思える。NATOは、ファシズムと共産主義の両方と戦ってきたと主張している。しかし実は、20世紀のファシズムの基礎を築いたのは、欧州と北米の帝国主義と植民地主義であった。
第2次世界大戦―7000万人以上の命を奪った大規模な紛争―以来、ワシントンも欧州も、その大戦で他のどの国よりも多くの命を失ったソ連(主にロシア)と中国の両国の貢献と犠牲を隠すために多大な努力を重ねてきた。
実際、2019年に欧州議会は、ヨシフ・スターリン率いるソ連と、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの両方を、第2次世界大戦の共同責任者として非難するまでに至っている。その決議は、「第二次世界大戦は......1939年8月23日の悪名高いナチス・ソ連不可侵条約の直接的な結果として始まった」と主張したのである。
この主張には、相手を冷笑しているとまでは言えないが、異常な自己欺瞞がある。社会主義指導者スターリンと毛沢東が道徳的観点から見て西欧のファシスト、アドルフ・ヒトラーと同等であるという何十年にもわたって提示されてきた長い広報活動の成果がここまで来たということだ。
この欺瞞は、スターリンと毛沢東が何百万人もの死者を出す飢饉を引き起こしたという誤った主張を利用したものである。実際、ウクライナと中国での飢饉は、社会主義以前から起こっていた長い飢饉期の最後の波がきていたものであった。米国の歴史家グルーバー・ファーは、ウクライナの「ホロドモール」飢饉はスターリンによる意図的な行為だったという神話を否定している。
同様に、第2次世界大戦が独ソの「不可侵条約」の「即時結果」であるという主張も全くの虚偽である。これ以前に欧州では、ナチス・ドイツとの間で同様の協定がいくつも結ばれており、より実質的なものもあった。
例えば、1935 年の英独海軍協定はドイツの艦隊再建を支援し、1938 年のミュンヘン協定では英仏伊がチェコスロバキアの一部に対するベルリンの領有権を認めた。さらに、ドイツ、スペイン、イタリアの間で、独伊鉄鋼協定を含む積極的なファシスト協働が行われた。
ヨーロッパのファシストの協力関係の多くは、1936年にナチス・ドイツと日本が共産主義国家に対抗するために結んだ「反共協定」に集約される。この協定は、後にイタリア、ハンガリー、スペイン、そして戦時中にはブルガリア、クロアチア、デンマーク、フィンランド、ルーマニア、スロバキアの支持を得ることになった。1930年代から1940年代にかけて、ヨーロッパではファシズムが猛威を振るっていた。ナチス・ドイツとのヨーロッパの主な協定は以下の表1の通りである。
表1 ヨーロッパのナチス・ドイツとの主な合意事項
1933年7月20日
バチカンとのコンコルダート(政教協定)
相互承認と不干渉
https://www.concordatwatch.eu/reichskonkordat-1933-full-text-k1211
1933年8月25日
ドイツ系ユダヤ人シオニストとのハーヴァラ協定
パレスチナへの資本と人材の移転に合意
https://www.jewishvirtuallibrary.org/haavara
1934年1月26日
ドイツ・ポーランド不可侵条約
ポーランドがフランスと軍事同盟を結ばないようにするため
https://avalon.law.yale.edu/wwii/blbk01.asp
1935年、6月18日
英独海軍協約
イギリスは、ドイツが海軍をイギリスの35%の規模に拡大することに同意した。
https://carolynyeager.net/anglo-german-naval-agreement-june-18-1935
1936年7月
ナチス・ドイツ、スペインのファシストを援助
ヒトラーはフランコ将軍を支援するため、航空隊と機甲部隊を派遣。https://spartacuseducational.com/SPgermany.htm
1936年
ローマ・ベルリン枢軸合意
イタリア-ドイツのファシストと反共産主義の同盟。
https://www.globalsecurity.org/military/world/int/axis.htm
1936年10月-11月
防共協定
1936年にナチスドイツと日本が主導し、後に欧州の9カ国が参加した反コミンテルン協定。イタリア、ハンガリー、スペイン、ブルガリア、クロアチア、デンマーク、フィンランド、ルーマニア、スロバキアの9カ国が参加した。
1938年9月30日
ミュンヘン条約
イギリス、フランス、イタリアがドイツのスデテンランド(チェコ)の領有権を認める。
https://www.britannica.com/event/Munich-Agreement
1939年5月22日
鋼鉄協定
1936年のイタリア・ドイツ協定を統合する。
https://ww2db.com/battle_spec.php?battle_id=228
1939年6月7日
ドイツ・ラトビア不可侵条約
ナチス・ドイツとの和平を模索。
https://www.jstor.org/stable/43211534
1939年7月24日
ドイツ・エストニア不可侵条約
ナチス・ドイツとの講和を求める。
https://www.jstor.org/stable/43211534
1939年8月23日
ソ連(モロトフ・リッベントロップ)独ソ不可侵条約
ナチス・ドイツとの和平を求め、勢力圏を定めた議定書。
https://universalium.en-academic.com/239707/German-Soviet_Nonaggression_Pact
ファシズムとは何か?
この言葉はあまりに頻繁に使われるが、本来の意味がきちんと伝わっていないようである。ファシズムを定義する際は、20世紀のファシズムの歴史に囚われずに、概念的要素を特定する必要がある。
ファシズムとは、私的な資本主義寡頭政治に関与する、重度の軍国主義、反民主主義、人種差別主義的な植民地体制のことである。ファシズムの第一義は、帝国諸国による所業を指すが、二次的な形態として、ブラジルやチリなどの旧植民地で見られたような、旧植民地の支配者層がその時々の帝国権力と一体化したファシズムも存在する。ファシスト政権は、社会主義や独立国家、人民に対して特に敵対的である。極右政権と異なるのは、極右政権は社会的・政治的民主主義の痕跡を公然と押しつぶす点だけである。帝国的な文化と介入は、常に、どこでも、領内の市民の民主主義と市民に対して責任を負う可能性を否定するので、本質的にファシズムであり、現代のファシズムの根底に残っているものである。
NATOのファシズムは、欧州諸国の多く(すべてではない)の帝国と植民地の歴史によって築かれた。そこでは、人種と人種的優越性に関するでっち上げられた理論によって、地元の共同体と国家の圧殺が正当化されていた。この植民地を基盤としたファシズムの歴史を否定することにより、ロシアのドキュメンタリー番組が言うように、ヒトラーの台頭は「欧州の民主主義国家の非典型的なものであり、総統の優劣人種の教義は、むしろ不運な成り行きで、欧州で空中から現れた」のだという示唆を生んできたのだ。
しかし、実際は、ナチス・ドイツのファシズムは、欧州の植民地の歴史と文化に深く根ざしていた。ゲルウィン・シュトロブルの著書『ゲルマン島』が指摘するように、アドルフ・ヒトラー自身、大英帝国の「冷酷さ」を高く評価し、そのような成果を夢見ていたのである。一方、米国は、人類史上最大の奴隷経済を営みながら、「自由」の神話を築いた。ラテンアメリカの偉大なレジスタンス指導者シモン・ボリバールが2世紀前にこう述べていた。「米国は自由の名の下に米国を不幸に陥れるよう、神の摂理によって運命づけられているようだ」。
第2次世界大戦の前、間、後に、ナチス・ドイツに対する欧州の「宥和政策」を超えるファシストに対する欧州と北米の積極的な協力があった。
まず、1935年の英独海軍協定は、1919年のベルサイユ条約によるドイツ艦船と潜水艦の制限を破って、ドイツ海軍をイギリスの数分の一に抑えるふりをして、ナチス・ドイツの再軍備を助けた。その後、いくつかの北米企業、特にゼネラルモーターズ、フォード、IBMが、ナチス政権の経済、インフラ、軍事に直接投資した。北米と英国には有力なナチス崇拝者が多くいた。第二次世界大戦の寸前、イギリスの銀行家は第三国(チェコ)の金(きん)をナチスの支配する銀行に流した。
フォードはドイツと占領下のヴィシー・フランスの自動車工場を通じて、第2次世界大戦前から戦時中までナチスの戦争機構を援助していた。フォードはナチスの強制収容所のドイツ人奴隷労働者を利用したが、後に同社はこれらの労働体制を制御できなかったと不満を漏らした。フォード社がこの疑惑から逃れようと奮闘する一方で、ポーランド政府関係者や元受刑者は、フォード社を「(ナチスの死のキャンプの)アウシュビッツの奴隷労働者とつながりのあった500社のうちの1社」と名指ししている。ルーズベルト政権に近い「ニューディール」企業であるIBMも、1930年代から戦争初期にかけてナチス・ドイツに投資し、ナチスの情報システム構築に協力した。
スイスは、第2次世界大戦の前も対戦中も、ナチスに数百万ドルの武器を売っている。中立を装っていたにもかかわらず、1940年から1944年にかけて、「スイスの軍需品輸出の84%が枢軸国へ輸出された」という。しかし、研究者のブラッドフォード・スネルによれば、「ナチスの戦争機構にとって、スイスよりもゼネラルモーターズの方がはるかに重要であり、GMはドイツの戦争遂行に不可欠な存在であった」。
北米とヨーロッパのナチスへの投資と協力は、第二次世界大戦中も続いた。その一因は、1940 年から 1942 年にかけての「戦争のための産業基盤の拡大を主目的とした壮大な投資ブーム」に参加しようとしたことであった。それが、フォードとGMにヒトラーとの協力関係を維持させることになったのは間違いない。
1939-40年、ナチス・ドイツが西欧の大部分を侵略したとき、ベルリンは欧州の多くのファシスト国家や協力主義国家、そして民間のボランティアからの支援をあてにしていた。ナチス・ドイツは、ファシスト・イタリアとの同盟と並んで、フランコ将軍は中立政策を取っていると言われていたにも拘わらず、ファシスト・スペインの支持も当てにすることができた。
そして、ナチスによって設立された傀儡ファシスト国家には、ヴィシー・フランスとノルウェーのクヴィスリング政権があった。ドイツ軍は、オランダ、クロアチア、アルバニアに、何万人ものファシスト志願者を集めて、複数のSS師団を創設した。第一次世界大戦の英雄マーシャル・ペタン率いるヴィシー・フランスは、人種差別的な反ユダヤ法(Statut des Juifs)を制定し、ユダヤ人をフランスにおける二級市民とし、ナチスの略奪に容易にさらされるようにした。ヴィドクン・クヴィスリングのファシスト政権も同様に、地元の親衛隊への参加を奨励し、ユダヤ人の国外追放に手を貸し、ノルウェーの愛国者を処刑した。
デンマークのクリスチャン10世はユダヤ人社会と友好的であったかもしれないが、ナチスには立ち向かわなかった。クリスチャン王が「デンマークのユダヤ人と連帯してダビデの星(ユダヤの象徴)をつけた」と間違って主張されることがよくある。これはまったくの誤りである。実際には、デンマークの政権はレジスタンス活動に反対し、ナチスと情報を共有していた。この協力の要因のひとつは、デンマークが「厳密にはドイツの同盟国」であったことだ。独の圧力によって、彼らは防共協定に署名していたのだ。この負の歴史を消すため に多大な努力がなされたが、2005年、デンマークのラスムセン首相は、少数民族やレジスタンスの人物をナチス・ドイツに引き渡し、その多くが死に追いやられたことをデンマークを代表して謝罪している。
バルト三国のすべてで、実質的なナチスへの協力が行われた。ラトビア、リトアニア、エストニアにはすべて親衛隊の部隊があった。彼らは、ウクライナの超民族主義的なナチス協力者とともに、共産主義者、ユダヤ人、ジプシーに対する地元の虐殺に重要な役割を果たした。
1941年から1944年にかけて、ウクライナでは数十万人が虐殺された。その多くは、ステパン・バンデラのような地元の超民族主義的なナチス協力者によってであった。ロシアの歴史家レフ・シムキンは、「実は、ユダヤ人のホロコーストは、1941年6月のソビエト連邦侵攻とともに、ウクライナで始まった」と言う。大量殺戮は、危険なボルシェビキのユダヤ人に対するヒトラーの偏執的な見方と結びついていた。キエフ、リヴォフ、ケルソンなどウクライナ各地で行われたユダヤ人の大量殺戮は綿密に計画されていた。これらは、現在ロシアがウクライナのネオナチと戦っている地域の一部である。第2次世界大戦中、ウクライナの戦前のユダヤ人人口約150万人のほとんどが「一掃された」。
学術的な研究により、「ホロコーストにおけるユダヤ人殺害にバルト諸国の国民が大量に参加していた」ことが判明している。ラトビア、リトアニア、エストニアで何万人ものユダヤ人が殺され、その多くが地元の人間の手によって殺された。このようなファシストとの共同作業の醜い歴史が暴露されたことに対し、強い反発が起きている。例えばリトアニアは、ユダヤ人パルチザンの戦争犯罪を非難することで、「ナチスとの醜い協力の歴史」を隠そうとしたと言われている。
欧州全土で、ファシストの虐殺への大規模な参加があった。ハンガリーでは、ナチスの指導者アドルフ・アイヒマンが40万人以上のハンガリー系ユダヤ人を死の収容所に送るのに「ハンガリー当局の協力に依存した」と言われる。
これらのことは、欧州と北米の側から見れば、第2次世界大戦はこれらの国家がファシストの「枢軸」との戦いだったとはいえ、基本的にはファシズムに対する戦いではなかったという事実を強調している。この戦争はむしろ、帝国諸国間の競争であったと言える。つまり、ヒトラー率いる枢軸国側が、自給自足に必要な「生活空間」(lebensraum)となる植民地を求めて東征しようと決意したために起こった戦争だったのだ。これに対抗した東欧とロシアの愛国者たちの闘い、そして西側諸国のレジスタンスの多くは、確かに反ファシストの戦いであった。しかし、西側諸国を指導した人々は、理想主義者ではなかった。
第二次世界大戦後、米国はすぐに、新興の社会主義圏に対する「冷戦」の中で、ナチスの科学技術を利用しようとした。連合国はギリシャの反ファシスト勢力を壊滅させ、西ドイツを軍事的に占領した。いっぽうソ連は、特にバルト諸国、ウクライナ、ドイツ東部など、ファシストの敵と最も深く結びついていた近隣諸国を支配することが確実となった。
米国は、ナチスの科学者を秘密裏に自国の戦争機構に採用するプロジェクトを開始した。北米がドイツのロケット専門家ヴェルナー・フォン・ブラウンを利用したことは、平和的なアポロ宇宙計画との関連でよく引き合いに出される。しかし、フォン・ブラウンはSSの将校であり、強制収容所から奴隷労働者を集めていた人物だった。米軍はロケットとミサイルの専門家として彼が必要だった。秘密裏に行われたが、今では悪名高くなってしまった「ペーパークリップ作戦」では、何千人ものナチスの科学者が、米軍を強化するために採用され、米国に安全な避難場所を与えられていた。国防総省は、ナチスが「神経ガスの全兵器」を開発したことと、ヒトラーが「ペスト兵器」の開発に取り組んだことに、特に関心を寄せていた。
米国は大量破壊兵器(WMD)を保有する他国に対して後に不満を漏らしたが、米軍はあらゆる種類のWMDを自由に使えるようにしたかったのである。そして、韓国やベトナムでの生物・化学兵器による攻撃や、日本の広島と長崎という民間都市に対する無慈悲で恐ろしい核兵器の「公開実験」攻撃が示したように、民間人に使用する用意があったのである。しかし、二枚舌の達人であり、「もっともらしい否認」の原則で、米国当局は自らの残虐行為を可能な限り隠している。
第2次世界大戦後、支配的な大国となった米国は、アメリカ大陸のほとんどの国に介入するために、侵略、クーデター、汚い戦争といったファシストの戦術を使っていたが、同じ手法を他の大陸でも使い始めた。朝鮮半島での恐ろしい戦争は、半島南部での米軍の永久占領につながり、イランの民主政権は1953年に転覆させられ独裁政権が生まれた。ベトナムの人々に対する米国の次の恐ろしい「反共」戦争は失敗に終わったが、数百万人が虐殺された後だった。
21世紀には、アメリカ大陸で最大の石油生産国であり、米国の戦争機構を動かすために歴史的に重要なベネズエラに対して、ワシントンは複数のクーデター未遂を支援した。2002年、米国とスペインが支援したクーデター計画者たちは、当選したウゴ・チャベス大統領を誘拐し、辞任したと偽って、憲法を破り、選出された国民議会を解散させ、商工会議所の代表者ペドロ・カルモナを大統領として発表した。カルモナは2日しかもたなかったが、その後、何度もクーデターを試みた。これは純粋なファシズムであった。ベネズエラは、米国が支援する執拗なファシズムから自国を守るためには、大規模な民兵を擁する強力な国家が必要だと判断した。
同時に、世界における支配的な役割の喪失を恐れた米国は、イラン、ソ連の後のロシア、中国の影響力の増大を抑えようと、中東で複数の戦争を開始した。パレスチナ、アフガニスタン、イラク、レバノン、リビア、シリア、イエメンに対する戦争は、この記事の主題ではない。しかし、米国とNATOが大規模な代理軍を使用していることを見ておくことが必要である。これらの代理軍は、アルカイダやISISのように、サウジアラビアによって偏狭な宗教的イデオロギーを吹き込まれた勢力であり、さらにこれらの代理軍は西アジア地域を横切ってアフリカ大陸に入り、そこでは「ボコ・ハラム」として代理戦争を行っている。
ロシアのウクライナに対する2022年の報復戦争―ウクライナ東部のロシア語を話す住民に対する2014年以降の戦争と、ロシアの不安定化と弱体化を意図したNATO軍の増強によって引き起こされた―には、米国のファシストの手法と欧州の古い植民地主義の組み合わせが見て取れる。米国は「自由」についての二枚舌を維持し、欧州はより劣った人間階級について語る。ウクライナでは、アゾフや右派セクターなどの超民族主義者は自分たちのことをロシア人、ユダヤ人、ポーランド人を殺したいと思っているナチスと呼んでいる。そしてNATOとそれに組み込まれたメディアは、この醜い現実を隠そうとする。
例えば、ドイツと欧州連合の高官であるフローレンス・ガウブは、ロシア人の人間性を奪うために人種差別的な言い回しを使っている。「たとえロシア人がヨーロッパ人に見えても、文化的な意味で彼らはヨーロッパ人ではない。彼らは暴力や死に対して違う考え方をする。彼らは、リベラルでポストモダンな人生、つまり各個人が選択できる人生という概念を持っていない。 ロシア人は、死んでとっと人生を終わらせればいいと考えているのだ」。批評家たちは、これをナチスの「ウンターメンシェン」つまり劣等人種という概念に回帰したドイツ的なものだと評している。
ウクライナ危機という新たな状況下で、21世紀型ファシズムが頭角を現しているのだが、21世紀型ファシズムも、20世紀型ファシズムの主要な要素を引き継いでいるものだ。すなわち、帝国主義、重軍国主義、根深い反民主主義、人種差別的な植民地体制が、私的資本主義寡頭制に組み込まれている体制なのだ。21世紀型ファシズムは、その親である20世紀型ファシズムと同様、有毒な2次的ファシズムを生み出している。今も昔も、世界帝国の所業は、すべての民主的人民にとって最大の敵であり続けているのである。
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