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コソボ戦争 ----「人道的介入」、もしくは
ユーゴスラビアへの宣戦布告なき戦争
----すべてはここから始まった

The Kosovo War: “Humanitarian Intervention” or Undeclared War Against Yugoslavia?

By Dragan Vladic
ドラガン・ウラディッチ

グローバル・リサーチ 2019年3月14日

(翻訳:新見明 2019年4月28日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/the-kosovo-war-humanitarian-intervention-or-undeclared-war-against-yugoslavia/5671466



コソボ解放軍(KLA)とセルビア勢力の間の武力紛争は1992年、コソボ解放軍が非アルバニア人のセルビア警察を攻撃したときに始まった。セルビア警察はコソボに住んでいて、アルバニア人はセルビアに忠実であった。この低レベルの紛争は、1996年、コソボ解放軍が難民キャンプや他の市民や警官を襲撃し、何十人という無垢の死者を出したときにエスカレートした。すべてこの時点でに、コソボ解放軍はテロ組織と見られていた。

アルバニアで共産主義が倒れ、この国が無秩序に陥って、多くの軍事物資貯蔵施設が略奪され、トラック何台分もの兵器が、隣のコソボにこっそり持ち出された。麻薬や人身売買など増加する犯罪行為や、海外で働くアルバニア人への強制的徴税もコソボ解放軍に資金供給されていた。

コソボ解放軍のテロ活動の増加は、セルビア警察や軍の激しい抵抗にあい、市民が死んだり、家を追い出されたりした。続く国連決議1160、1199、1203は、1998年のホルブルック-ミロシェビッチ合意と共に、セルビア勢力の削減と紛争以前の状態への撤退を要求していた。セルビア政府はこれらの要求にほとんど従った。しかしその要求は様々な理由のため十分守られなかった。コソボ解放軍は武装解除せず、決議に従わず、テロ活動を増加させた。コソボ解放軍は、意図的に市民を危機にさらして、セルビア軍を絶えず挑発していた(サチ、BBCから引用)。彼らはわかっていた。「さらに多くの市民が殺され、国際介入の機会はますます大きくなった・・・」と

オルブライトとコソボ解放軍指導者ハシム・サチ

彼らは再びセルビア勢力が前に保持していた位置を再占拠し、ある時点で、コソボの40%まで支配した。コソボ解放軍は数百もの外国人傭兵やムジャヒディンによって再強化され、CIA、DIA、MI6、ドイツ情報局BNDからの支援を受け始めた。

ハシム・タシとマドレーヌ・オルブライト、1998年

オルブライトとKLA指導者ハシム・タシ


コソボ解放軍(KLA)は、またオサマ・ビン・ラディンやアルカイダによっても支援されていた。コソボ解放軍が国連決議やホルブルック=ミロシェビッチ合意に従わず、コソボ解放軍は停戦破棄に大部分責任があるにもかかわらず、戦争行為がかなり減少したとき、ほとんどすべての難民が元の生活場所に戻ったのだ。

最も重大な事件は、1999年1月15日に起こった。ラチャクの虐殺と言われる事件は、コソボ調査委員長ウィリアム・ウォーカーによって、不当に、しかも意図的にセルビア勢力のせいにされた。ウォーカーは、以前エルサルバドルの虐殺隠蔽にかかわっていた人物だ。

セルビア勢力が45人の無垢の男女や子ども達を虐殺したという主張は、セルビア、ベラルーシ、フィンランドの法律専門家によって退けられた。法律専門家が発見したことは、これらの人々は、近距離から虐殺されたり、殺されたのではなく、彼らのほとんどが手に火薬の残滓があり、実際、彼らはコソボ解放軍の戦闘員であったことであった。

報告はまた述べている。死者の中にはたった一人の女性と一人の青年がいただけであり、明らかではないが、一人だけが近距離から撃たれた可能性があると。これは決定的事実であるにもかかわらず、報告は直ちに公表されなかった。

この後、ランブイエ交渉が続いた。それはユーゴスラビア政府も他のどの政府でも受け入れがたい最後通告であった。このコソボ調査委員会が撤退した後、NATOの人道的介入、いやむしろ侵略が始まり、78日間続いたのだ。

数多くの学者たちや、コソボ国際委員会、そして政治家たち、特にNATO諸国から来た人々は、NATOの介入は民族浄化やジェノサイドや新たなホロコーストを防ぐと共に、地域の平和や安定のために正当化されると主張している。彼らは、国連憲章7条、国際人道法、世界人権宣言に基づいて主張している。フォークは次のように述べている。

    コソボ戦争は正しい戦争であった。なぜならそれは旧ユーゴスラビアの
    セルビア主導による「民族浄化」の事態を避けるためにおこなわれたの
    だから・・・それは正しい戦争であった。国連の認可なしで不法におこな
    われたにもかかわらず。そして、おびただしいコソボやセルビアの市民
    の死傷者を出したやり方にもかかわらず。だが、NATO側の死傷者のリ
    スクを最小限に抑えられたのだ。

しかしその他多くの学者達は、NATOの介入は違法で不必要であったと主張し、論証した。ニュールンベルグ戦争犯罪裁判所の元検察官ウィリアム・ロックラーは、次のように述べている。

    空爆戦争[1999年]は、国連憲章の基本条項や他の規定や条約に違反し、
    それらをズタズタにしている。ユーゴスラビアへの攻撃は、ナチがドイツ人
    に対する「ポーランドの虐殺」を防ぐために、ポーランドを攻撃して以来、
    最も厚かましい国際的侵略である。アメリカは国際的合法性や体裁を守
    る振りを捨て去って、狂った帝国主義の道を開始したのだ。

NATOの行動が一方的であったので、NATOの介入は違法であり、安全保障理事会を避けたので、それ故、国連憲章の各条項に違反していた。特に2条(3)、2条(4)、53条である。またNATO憲章第一条にも違反している。ランブイエ合意はウィーン条約の条約法(1969年)にも違反したのだ。セクション2:条約条項51と51条に対しても無効である。

NATO当局は、これは人道的介入であると主張した。しかし合同軍司令官マイク・ショート将軍は、NATOの介入は実際ユーゴスラビア連邦共和国に対する戦争行為であることを認めた(BBC, -)。

    同盟国の中には、戦争ではないと思っている人々もいることを私は
    認めるが、司令官として・・・私の心の中では戦争をしていた。そして
    私の管轄下の人々もそうであった・・そしてそれが我々の仕事のや
    り方である・・・。

これは宣戦布告なき戦争なので、NATO諸国が参加する憲法やジュネーブ協定52条2にも違反していた。NATOは何度もこの憲章を破った。そして学校や病院やテレビ、ラジオ局、橋、工場、多くの都市の住宅街、水道施設、電気施設を爆撃し、戦争犯罪を犯した。グルデリツァの列車やジャコビッツァ近くのアルバニア難民輸送隊の場合、意図的に市民を狙って、75人から100人の難民が殺された。さらに、スペイン人パイロット、アドルフォ・ルイス・マーチン・デ・ラ・ホーズ大尉は、NATOの攻撃に従事していて、NATOが意図的に一般住民を標的にしていたことを認めた。BBCによれば、これはハビアー・ソラナとクラウス・ナウマン大将が、他のNATO諸国に相談することなく決定した。ハイデンはこれは意図的な行動であったと述べている。 

    ウォールストリートジャーナルの4月27日は、NATOは、「単なる軍事的
    目標よりも、政治的目標」を攻撃することに決定したと報道した。4月25
    日のワシントンタイムズの報道では、NATOは、「市民生活に直接かか
    わる発電施設や水道システム」を爆撃する計画であると報道した。

NATOのジュネーブ協定違反は、中国大使館を爆撃すると同様、ミロシェビッチ大統領の私邸を爆撃して、彼を暗殺しようとしていたことだ 。

さらにリットマンは述べる。

    「あらゆる手段が軍事力不足で(そして特に外交手段)が使い果たさ
    れたことがはっきり証明されない限り、軍事力の使用が必要だとは言
    えない。」

ランブイエ交渉はリットマンの声明にあまりにも沿わない。ユーゴスラビア政府はすべての政治的合意項目を受け入れた。そして合意の軍事面においても交渉の用意があった。しかしNATO合意の「付帯条項B」が、最終日前のある日、非交渉事項としてユーゴスラビア代表団に提示された。これは事実上NATOがユーゴスラビアを占拠することを意味し、当然受け入れられなかった。しかしユーゴスラビア政府は、さらに軍事的提案に関して交渉する準備があった。このことを証明するために、ユーゴスラビア政府は(1999年2月23日)、セルビア議会決議(1999年3月23日)と同様、ユーゴスラビアは国連指揮下の国際部隊を受け入れると宣言した。しかしNATOはランブイエ合意の軍事部分をすべて従うことを要求した。そしてアメリカ国務省高官によれば、「アメリカは意図的に、セルビアが受け入れがたいさらに高い要求をした。その高官によれば、セルビアは少しの爆撃を受け入れるほど道理をわきまえていた」。キッシンジャー博士は明らかに次のように述べている。

    ランブイエ文書は、セルビアにユーゴスラビア全体にNATO軍駐留を
    認めさせるものであり、それは挑発そのものであり、爆撃を開始する
    口実にすぎないというものだった。ランブイエはあどけないセルビア
    人がとうてい受け入れられない文書である。それはあのような形で
    決して提出すべきでないひどい外交文書であった。    

その上、多くの学者や政治家が、セルビア人を民族浄化や虐殺にかかわった犯人と見なしていた。確かに、セルビア落下傘部隊や取るに足らない犯罪者によってなされた殺人、略奪行為、無垢の市民への仕返しがあった。しかしながらこれらの残虐行為を、ユーゴスラビア政府は支持しておらず、NATOやメディアが報道するようなものとはほど遠いものであった。国連事務総長が1999年3月17日に国連に報告したところでは、コソボの状況は、コソボ解放軍の絶えず執拗な攻撃と、それとは不釣り合い名ユーゴスラビア当局の軍の使用であった。コソボ調査委員会報告は次のように述べている。期間中に・・・

    1999年1月22日と3月22日、NATOによって国連に伝えられたとこでは、
    この期間にすべての死者はセルビア人が27人、コソボアルバニア人が
    30人であった。別の調査ではアルバニア人の死者合計は5ヶ月間
    (1998年10月16日から1999年3月20日まで)で46人であり、1週間に平
    均2人である。対照的に1999年3月25日から6月10日まで11週間の
    NATO戦争では、NATOは1500人の一般市民を殺し、8000人が負傷
    した。これは1週間あたり平均136人の死者であり、戦争前の総死亡
    者数の30倍になる。

NATO介入の前に、双方の側で約10万人の難民がいた。しかし、爆撃が始まった後、この数は急速に80万人以上に拡大した。10万人のセルビア人や、アルバニア人、その他が中央セルビアに移動したことを含めて。ここでの問題は、セルビア人がコソボから彼ら自身の住民を民族的に浄化したということだろうか。真実は簡単で、難民のほとんどが、NATOの爆撃と、コソボ解放軍(KLA)とセルビア勢力の闘いが激化したことによって去って行ったということである。軍司令官であり、元ユーゴスラビアの国連軍の長官サティッシュ・ナビエールが認めるところでは、ユーゴスラビアにコソボを民族浄化する意図はなかったということである。同様に、カリントン卿は次のように断言した。

    NATOがセルビア爆撃によってしたことは、実際コソボのアルバニア
    人をマケドニアやモンテネグロへの流出を引き起こしたと私は思う。
    爆撃が民族浄化を引き起こし、・・・コソボにおけるNATOの行動が
    誤っていた・・・我々がしたことは、事態をさらに悪化させたことだ。

NATO介入前の時期に、OSCE視察団のフランス人メンバーであるジャック・プロドームは、「その間、彼は自由にペック地域を移動できた。彼も彼の同僚も組織的迫害や集団的、又は個人的殺害、住居への放火や退去とされるものは見なかった」と述べた。

また、セルビア人勢力が、「馬蹄作戦」によってアルバニア住民をコソボから浄化する計画をもっていたという報告があったが、それは後にドイツ情報部のプロパガンダであることが判明した。コソボのアルバニア人集団殺害のその他の主張では、アメリカ国務省大使のシェッファーの主張があり、14歳から59歳までの22万5千人のコソボのアルバニア人が不明であったというものだ。またイギリス外務大臣フーンの主張は、100件以上の虐殺で、1万人以上の人々がセルビア勢力によって殺されたというものであった。さらにセルビア勢力が、トレプカの立坑を使って、殺されたアルバニア人の捨て去り、またアルバニア人をかまどで焼いたという主張もあった。

これらすべての主張は、後にFBIやフランス、スペインの法律家によってナンセンスであり、NATOのプロパガンダであるとして退けられた。ウォールストリートジャーナルの報道では、1999年11月までに約2100人の死体が見つかり、これらにはセルビア軍、コソボ解放軍、NATOの爆撃で殺された人々や、自然の原因で死んだ人々も含まれているとされた。実際、最大の集団墓地は、マリセボ野町近くで発見され、コソボ解放軍によって切断された24人のセルビア人や非アルバニア人の死体があった。

最後に、NATOの侵略による人的、経済的、環境的コストは膨大なものであった。コソボを含めたユーゴスラビア連邦での人的損失の全体は、2500人で、そのうち557人の市民が殺され、12500人が負傷した。経済的損失全体は、25億ポンドのNATOの損失で、ユーゴスラビアの荒廃した経済やインフラにとっては300億ドルから1000億ドルの損失であった(。

環境への損失は計り知れない。例えば、NATOの爆撃機は、意図的にパンセボの科学工場群を狙って、約10万トンの高濃度の有毒で発ガン性化学物質や、8トンの水銀を落とし、空気や土壌、そして地下水やダニューブ川を汚染した。ノビ・サッドでNATOは150の石油タンクを破壊し、12万トン以上の石油派生物を流出させた。それは何日にもわたって燃え続け、地下水やダニューブ川に流出させた。クラグジェバックやボールで、NATOは変電所を破壊し、50トン以上の高濃度有毒ダイオキシンを流出させ、広範な地域を汚染した(cited in Djuric, 2005:4)。コソボと南セルビアではいくつかの地域が繰り返し劣化ウラン弾で爆撃された。10トン以上の劣化ウランが、ユーゴスラビアに投下されたという調査もある。スルブリャックの2005年初頭の報告(Djuric, 2005:4)では、肺や骨髄、肝臓、その他の器官のガンを患っている人々の率は、コソボのある地域では2004年の同時期より120倍高いということだ。

全体的に、NATOの「人道的」介入は、決して人道問題についてではなかった。これはユーゴスラビア主権国家に対する不当な侵略であり、宣戦布告なき戦争であり、国連憲章やジュネーブ協定違反であった。NATOの介入は、全住民にさらに大きな苦痛をもたらした。それはユーゴスラビア経済やインフラを破壊したが、同時にユーゴスラビアの環境や周辺諸国を荒廃させた。それはまたコソボのアルバニア人とセルビア人、その他の非アルバニア人との対立を激化させ、共存の可能性を減少させた。このことが証明されたのは、NATOがコソボを占拠し、アルバニア難民やコソボ解放軍がコソボに戻ってきた後、25万人の難民が出国したことでも明かである。それはまた、イスラム過激派の考えが元ユーゴスラビアの他の地域に広がり、サンジャクや南セルビアやマケドニアをさらに不安定化させた。ロシアはまたMATOの行動を警戒するようになり、軍事支出を増大させ、軍拡を再スタートさせた。

NATO侵略の本当の理由はつかみ難い。多くの著者が考えるところでは、この介入は冷戦後のNATOの新たな役割や信頼性を打ち立てることだったと言う。他の著者はこれを経済的拡大と同様、アメリカ帝国主義と覇権主義の結果で、フレミング(1999年)は、「市場をこじ開ける一つの方法として、それを起こしたのだと言う。他の者は又、これは東方に向けたアメリカの戦略的拡大の一部であり、それは共産主義に対する長年の闘いであり、世界におけるロシアの影響力を減少させる試みであるという。ユーゴスラビアは、当時まだヨーロッパで共産主義が支配する唯一の国であり、それ故ロシアの影響下にあったのだ。」

NATO介入がなされたのは、正義のためで、それ故ヨーロッパの中央で人道的大惨事を阻止する試みであったと考える者も確かにいる。しかし、すべての状況に対する彼らの理解は、コソボ解放軍やNATOの巧妙なプロパガンダであり、メディアの錯乱であり、現場の状況を十分理解していないために、ねじ曲げられたものである。

*
(訳注:文中の注や、脚注はすべて省略しました。必要な方は原文を参考にしてください。)
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「市民巻き添え殺人」と大量監視を暴く:
世界がアサンジに感謝すべき理由

Exposing ‘collateral murder’ and mass surveillance: Why the world should be grateful to Assange

RT HomeWorld News   2019年4月11日

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年4月28日)

<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/news/456227-grateful-crimes-exposed-assange/


© Reuters / Daniel Tapia

ジュリアン・アサンジはデジタル時代における内部告発の先駆けだ。 彼以前に権力に対して、かくも大規模に、真実を言ってのけた者は皆無だ。 彼は、今、ロンドンの独房に腰を落ち着けている。 そんな時、彼がこれまで為し遂げた仕事に対して、私たちがなぜ感謝すべきなのか、少し述べてみよう。

国際的なNPO組織ウィキリークスをアイスランドに立ち上げたのが2006年。 アサンジは、ネット時代における権力のバランスを、決定的に変化させた。 

始めはあまりパッとしないマスター・コーダー(Web画面の作成者)やハッカーとして活動を開始した。 1995年にオーストラリア当局に検挙されたが、服役は免れた。 そして、一部の人の神経を逆なでしたり、戸惑わせたり、危険と感じられるような資料を公開する第一人者となった。 アサンジは、ウェブサイト発行人として、内部告発者としてのエピソードに事欠かないが、そんな彼の活動経歴は、大きなニュースとして何年も取り上げられ、世界中の人たちの関心を集めてきた。 



本紙(RT)は、アサンジのこれまでの活動の、特に重要な瞬間を振り返ってみる。 世界が彼にどれほどの恩義を被っているのか、忘れないためである。 

初期の年月

2007年、ウィキリークスはキューバのグアンタナモ湾にある、とかく物議を醸すことの多い収容所キャンプ・デルタのマニュアルを暴くメールを公開した。 この収容所は、アメリカの「テロとの戦争」で焦点となった施設であり、囚人特例引き渡し作戦*の一環として捕縛されて人たちの最終目的地となっている。
*[訳注:囚人を法律に背いて特例的に他国や他州に移送すること。しばしば
     拷問がおこなわれる恐れがある。(英辞郎より)] 



Julian Assange in 2010. © Reuters/Paul Hackett

翌年、ウィキリークスは副大統領候補サラ・ペイリンのヤフー・メール個人アカウントから送信されたメールを掲載した。 デジタル時代における政治支配層の新たな弱点が、またぞろ暴かれることになった。 

「一般市民の巻き添え殺人」

これは数年に亘って、ネット上で、世界中で、その反響が止むことはなかった。 2010年4月、米軍のアパッチ攻撃用ヘリコプターが、イラクで何のためらいもなく、18人の民間人を処刑する場面を映した映像をウィキリークスは公開したのだ。 現代戦において戦争の残虐さや、人間の命がいかに安っぽく扱われるかが、そんな風に表沙汰になることはほとんど前例のないことだった。 

外交電報

2010年はアサンジにとって、きわめて多忙な年となった。 7月ウィキリークスは90、000点の機密文書と外交電報を公開したのだ。 アフガン戦争に関するものだった。

3ヶ月後の2010年10月、ウィキリークスはイラク戦争に関する大量の機密文書を公開した。 これは「歴史上最大の機密文書漏洩」(米国防総省)である、とBBCは伝えた。 ウィキリークスはさらに11月、世界中のアメリカ大使館から発せられた外交電報を公開した。 

グアンタナモ・ファイルとスパイ・ファイル

2011年4月ウィキリークスは、グアンタナモ湾の収容所にいる収容者達の行動とその処遇を詳述した米軍の機密文書を公開した。 前回同様、今回も膨大な外交電報(2億5千万通)のリークがセットとなった。 


© Reuters/Gustau Nacarino

こういった一連の、多くの人々の賞賛を得た秘密文書リーク作業を通して、アサンジがしたことは、ウィキリークスを視聴する世界中の人々を、国際的な外交と戦争の舞台裏に招き入れたことだった。 そこでは地球規模の権力力学の隠された真実が、様々に暴露され、そのことは現在の権力構造やそのあり方を一変することになるだろう。 また、チェルシー・マニングのような分析官達に、米軍の、表には出されない野放し状態の戦争犯罪や悪行を暴露する場を提供することにもなった。

アサンジとウィキリークスは、また、エドワード・スノーデンのような同様の内部告発者達が、獲物を虎視眈々と狙う肉食獣としか形容しようがないアメリカ当局から、身を守る避難所を探すことに手を貸すことになろう。 真実の追求のためにすべてを犠牲にする人たちに援助と安らぎを提供し、世界が今まで全く知らなかったような、とてつもない大規模監視体制の内実を暴露しながら。 

DNC(民主党全国委員会)リーク

2016年、アメリカ大統領選が目前に迫っていた。 ウィキリークスは20、000通に及ぶDNCからのメールを公表した。 そのメールには、当時の大統領候補ヒラリー・クリントンには民主党予備選で後押し、対立候補のバーニー・サンダースは抑え込む、という内容が書かれていた。 アサンジが、大胆にも、CNNの記者アンダーソン・クーパーに「この公開は、実際、民主党大会にそのタイミングを合わせている」と告げていた。

同年10月、ウィキリークスは、クリントンの選挙参謀ジョン・ポデスタのメール公開を始めた。 そのメールは、民主党大統領指名候補が内部のどんな政治的な動きで決められるのか、に光を当てていた。 

このメールには次のような内容のものもあった。
    ① クリントンのウォールストリート向け講演会の抜粋
    ② 政治的動機を含んだクリントン財団への金銭支払い    
    ③ マイクロソフト共同創始者であるビル・ゲーツないしは彼の妻                
      を副大統領候補と考えていたこと
    ④ 密かにシリアへの介入を望んでいたこと                       
    ⑤ もし北朝鮮の核の野望を中国が抑制しないなら、中国を防衛ミ
       サイル砲台で囲い込む意図があったこと 

遺産

2019年4月11日の朝、アサンジは逮捕されたが、この後どうなるかははっきりしない。 たぶんアメリカに送還される。 アメリカの連邦裁判所で彼が密かに訴追されていたとの情報が、うかつにも明らかにされた。 以前アサンジの協力者だったチェルシー・マニングは、この件の裁判に協力することを拒否して収監された。

アサンジの法的闘いは、まだその緒に就いたばかりのようだ。 しかし、彼が築き上げた国際的な支持者の広がりは、真実を追求した歴史上の英雄達を祀る殿堂に、彼を間違いなく送り込むだろう。 

アサンジがデジタル時代の真の先駆者であることに変わりはない。 彼は、道を切り開き、多くの人が彼の足跡を辿れるようにしている。 また、政治家であれ、軍関係であれ、権力者達の無数の悪行を、多くの人が暴き出すことができるようにしている。 アサンジの挑戦ではっきりしたのは、①デジタルテクノロジーがどれほど強力なツールになり得るか、②権力のダイナミズムは、十分な勇気を持った人がいれば、21世紀においてはいかに簡単に変化させることができるか、ということだ。 不運だったのは、圧倒的な力を持つ国際的、政治的反対陣営の眼前でそういう力を行使するとどうなるかを、アサンジは同時に見せてしまったことだ。 
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「ウィキリークスは不動だ」――
編集者と弁護人が報道への攻撃に対する反撃を宣言

‘Not going anywhere’: WikiLeaks editor & Assange lawyer promise to fight ‘chilling’ attack on press

RT Home / World News   (2019年4月12日)

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年4月24日)

<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/news/456298-wikileaks-editor-lawyer-interview-assange/
Get short URL
‘Not going anywhere’: WikiLeaks editor & Assange lawyer promise to fight ‘chilling’ attack on press
© Reuters / Hannah McKay

ジュリアン・アサンジを訴追、そして迫害することは、権力の乱用に反対の声を上げようとする他のジャーナリストを沈黙させることになる。 こう語るのはウィキリークスの編集者クリスティン・フラフンソンとアサンジの弁護人ジェニファー・ロビンソンだ。 きっと反撃する、とも。

これは前例になってしまいます。 こんなことが通れば、世界中のジャーナリストやマスメディアは、アメリカについて真実の情報を公開したという理由で、強制送還され、訴追される可能性が出てきます。 そんなことは、原則論から言っても、間違っていますし、抵抗すべきです。 私たちは闘います」とロビンソンはRTの記者に語った。



フラフンソンも同意見。「この攻撃のメッセージはジュリアン・アサンジ向けではありません。 世界中のジャーナリストに向けられています。 『すべての権力を手中に収めたいと思っている超大国の邪魔をするな!』というメッセージです」  彼が心配しているのは、ジャーナリスト達の「背筋を凍らせる」ことになりはしないか、ということだ。 つまり、「ジャーナリスト達は、今や、迫害され、アメリカでの裁判のために護送用飛行機に投げ込まれる可能性にだって目をつぶるわけにはいかなくなっています。」 とは言え、彼には確信もあって、「いつだって勇敢な人はいるもので、その人たちは足を一歩前に踏み出し、情報をオープンにすることの重要性を理解しています。」

“情報を隠してはいけません。 オープンにすべきです。 透明性が規範です。 そうあるべきです。 そういう努力に参画する個人が消滅することは、将来も、絶対にありません”

ウィキリークスがその先鞭をつけた、とフラフンソンは言う。 イラク、アフガン戦争のリークは「軍事史上最大のリーク」。 その後に手がけた「アメリカ外交公電リーク」は「外交史上最大のリーク」と言われている。 ウィリークスのこういったが活動がモデルとなって、後の「パナマ文書公開」(2016年)やエドワード・スノーデンの「国家安全保障局(NSA)の機密文書暴露」(2013年)があった、と彼は語った。 

アサンジに対してどんな攻撃がかけられようと、「ウィキリークスの活動は続きます。 ウィキリークスは不動です」とフラフンソンは語った。

アサンジはこの闘いを受けて立ちますし、勝利を目指して闘います。 そして私たちはそんな彼を支援します。
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「アサンジ逮捕」の真相――モレノ政権腐敗隠蔽のためか

Assange is a scapegoat, distraction for scandal-ridden Ecuadorian government

RT Home/Op-ed/ 2019年4月11日

By Pablo Vivanco パブロ・ビバンコ

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年4月21日)

<記事原文>寺島先生推薦
https://www.zerohedge.com/news/2019-04-14/assange-scapegoat-distraction-scandal-ridden-ecuadorian-government


写真:ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジのポスターをつけたドラックが、ロンドンのエクアドル大使館からアサンジを連れ去る。2019年4月5日© Reuters / Peter Nicholls

エクアドル大統領レニン・モレノは、自分が重大な汚職捜査に直面していることから、アメリカ政府の更なる要求に応じることになった。ウィキリークスのジャーナリスト、ジュリアン・アサンジをロンドンのエクアドル大使館から追い出すことである。 

2012年、ウィキリークスを立ち上げたアサンジがロンドンのエクアドル大使館足を踏み入れ、亡命を求めた時とは事態が一変している。

アサンジは、自分のアメリカ強制送還を母国のオーストラリアが阻止してくれないことを恐れた。 アメリカに行けば刑務所行き、あるいは極刑すらあり得る。 そこで、彼は当時のエクアドル大統領ラファエル・コレアに「政治的迫害」からの保護を訴えた。

エクアドルはアサンジの訴えに同意し、彼の「生命、安全あるいは人として品位」がいつ何時毀損されるか分からない、として亡命を認めた。

この南米の小国は、数年前アメリカ軍をエクアドル国外へ退去させていたこともあり、その振る舞いは多くの国から喝采を浴びた。エクアドル国内も同様の反応だった。

それから7年の歳月の流れはあっという間だった。 エクアドルはアサンジの保護責任を放棄し、彼がアメリカに強制送還されることはほぼ確実だ。

エクアドルの元駐英総領事が語るところでは、今回の措置は正当な根拠がないばかりか、国際法上違法だ。

  「これは亡命の権利と制度を破壊するものです」とエクアドル外交
    官のフィデル・ナルバエスは私に語った。

彼の言によれば、アサンジはイギリス当局に移送された後、恐らくはアメリカに強制送還される。アメリカで「数十年の刑期が下されることは確実です。最低でも」

2012年、アサンジを受け入れたエクアドル政府職員の一人だったナルバエスにとって、今回の動きは、エクアドルが以前の「従属」外交政策に戻ることにしかならない。 レニン・モレノ政権がその舵を取っている。 

    「エクアドル政府の外交政策は劇的に変化しました。今や外国
    の圧力に完璧に従属しています。 特にアメリカとIMFからの圧
    力です。『市民の革命』以前の状態に舞い戻りです
」とも、ナル
    バエスは語った。 

モレノは、前大統領ラファエル・コレアが掲げた「市民の革命」の左翼的、国民的諸政策を継続する、という政策で大統領に選出されていた。 だが、彼はコレアが築き上げた遺産に対してしきりに攻撃している。 「21世紀の社会主義」を標榜する各国政府に対しても攻撃の矛先を向けている。

ここ数ヶ月、モレノ政府は、異論の多い米軍との共同「エクアドル上空偵察飛行」を再開した。 また、右翼陣営主導の「プロスール連合」の創設に参画した。 「プロスール連合」は今年3月に結成されたもので、参加国はアルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、パラグアイ、ペルー、そしてエクアドルだ。 コレアと故ウゴ・チャベスのような同盟者達が、2008年に創設した「南部諸国連合」の基盤を突き崩すことを目的としている。

レニン・モレノ大統領は、IMFに対して42億ドルの借款契約に署名した。 署名に至るまでの数ヶ月、彼は、コレアがエクアドルを歴史的な負債に追いやっていた、と主張していた。 

こういった一連の方策を見ても、モレノのアサンジに対する今回の措置は驚くべきことではない。 ただ、そのタイミングは、彼の支持者の溜飲を下げさせるためだけ、とは言いがたい。

    「彼らはジュリアン・アサンジをスケープゴートにすることで、今年
    2月に発覚した『INAスキャンダル』から、人々の視線をそらさせた
    いのです
」とナルバエスは語る。彼は、モレノ、彼の家族そして他
    の取り巻き達が、自分達の名前が穢されないでは済まないような
    汚職事件への告発にも言及した。

エクアドル大統領は、パナマにあるオフショア口座とペーパーカンパニーを使ったマネーロンダリングで告発され、現在その政治的査察の只中にある。 彼の弟が社主として登録されている「INA投資会社」も関係している。 

反モレノ派の政治家が入手した文書や、明らかにモレノの電話からハッキングされた、言い逃れできない失墜したイメージと証拠資料が、ソーシャルメディアを駆け巡っている。 そのため、反汚職キャンペーンを展開してきたモレノとしては、自分のイメージと信用性に取り返しのつかない汚点を残してしまった。

それ以来モレノへの支持率は急落。大統領を信じるという国民はたった17%に過ぎない。

予想されたことだが、彼の率いる党は最近の地方選挙で大打撃を被った。 前回得た議席の2/3を失ったのだ。

弾劾のリスクも高まっている。

自分達の悪事から人々の目を逸らせる必死の足掻きとしか言いようがないが、モレノと配下の高官達は、アサンジとウィキリークスがこのスキャンダルを画策したと糾弾した。 

通信大臣のアンドレス・ミシェレーナに至っては、アサンジはコレア前エクアドル大統領とニコラス・マドゥロベネズエラ大統領の二人と共謀して、エクアドル政府に「揺さぶりをかけている」、とまで主張した。

エクアドル政府は、プライバシーに関する国連報告者に、ウィキリークスが今回のリーク事件に責任があることを告発する訴状を提出した。モレノ自身はアサンジを名指しで、彼は「亡命条件に違反した」と語った

ナルバエスは、アメリカ国家安全保障局(NSA)の文書をリークしたエドワード・スノーデンが、2013年政治亡命を求めてエクアドル国内を移動するための「通行証」を発行して、一躍有名になった人物だ。 その彼が語るには、アサンジはいかなるルール違反も犯しておらず、エクアドル政府の言い分は、彼の亡命を終わらせるための口実に過ぎない、とのことだ。 

    「政治亡命で権利が制限されることありません。反対に、権利
    は保護されなければなりません。 ジュリアン・アサンジの権利
    を組織的に侵害しているのはレニン・モレノ政府です」

モレノが亡命の「取り消し」を決定したとはいえ、それには何かうさん臭さが残り、今後たくさんの法的異議申し立てが、過去数年に亘って展開された数々の重要な案件に対してなされるかもしれない。 

アサンジは国連と米州人権委員会(IACHR)で、彼は自由だ、との有利な判決を受けている。 また、スエーデンでの審問の召喚はもはやない。

更に言えば、アサンジは、現在、エクアドルの国民であり、エクアドル憲法に依れば、国がエクアドル国民を国外へ強制送還することは許されていない。 モレノがアサンジの市民権を「停止」したことは、全く前例のないことだ。 それどころか法的根拠すらない。 法廷に提訴すれば、政府決定の取り消し判決の可能性もある。 

エクアドルの現状を考えれば、今述べたようなことはすべて形式的な議論にしかならないのかもしれない。

弾劾されるにせよ、そうでないにせよ、モレノの早期退陣の噂は以前からあった。 そして彼の右派の支持者達は、代わりに政権を担う準備態勢が整っているようだ。

そうは言っても、彼がコレアの「市民の革命」にずっと反対してきたのは、国の諸機関と法規制を廃絶するためだった。 加えて、緊縮政策で大量のレイオフを国民の間に産み出すことになった。 エクアドルは、現在、政治的な不安定と混乱状態に急速に向かっている。 この状態は、1990年代、2000年代初期のエクアドルに特徴的なものだった。 それ故、法も法的手続きもアサンジの強制送還を止めるには不十分なのかもしれない。 彼がロンドンのエクアドル大使館から強制退去させられた今となっては。 

アサンジは、今、カフカばりのシナリオの中の人物だ。 檻を転々とさせられ、彼の敵対者達が彼の運命を決定するのを待っている。 

編集者注:この記事はジュリアンアサンジ逮捕のニュースの後アップデートされた。

パブロ・ビバンコはジャーナリストであり、南北アメリカの政治・歴史の専門家である。そしてテレスールの編集長として働いている。最近の署名記事はジャコバン、アジア・タイムズ、プログレッシブ、トルースドッグで書かれている。彼のツイッターはTwitter@pvivancoguzmanである。
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アサンジは、アメリカの残虐行為の証拠を明らかにすることを追求:
コービンはアサンジ引き渡しに反対する

Pursued for ‘exposing evidence of US atrocities’: Corbyn opposes extradition of Assange

RT Home/UK News/  2019年4月11日

(翻訳:新見明 2019年4月17日)

<記事原文>
https://www.rt.com/uk/456286-corbyn-opposes-assange-extradition/


ジェレミー・コービンは、ドナルド・トランプ大統領訪問に抗議するロンドン集会に参加。2018年7月 © AFP / Niklas Hallen

野党労働党の指導者ジェレミー・コービンは、ウィキリークス編集者ジュリアン・アサンジのアメリカへの引き渡しに公然と反対する。アサンジはイラクやアフガニスタンでの残虐行為の証拠を暴露したのだと、コービンは述べた。

ジュリアン・アサンジ逮捕の最近の展開(Home/ Trends/ Julian Assange news)
https://www.rt.com/trends/julian-assange-files/


木曜日、ロンドンでアサンジが逮捕されて数時間後、労働党下院議員ダイアン・アボットのビデオ声明をツイートした。アボットの国会での主張は、ウィキリークスはアメリカ軍事行動の様々な場面でベールをはがした。アメリカの軍事行動はどれも、被災国の人民に好ましい結果を生み出さなかった、というものであった。


「ジュリアン・アサンジは、アメリカの国家安全保障を守るために追われているのではなく、彼がアメリカ政府や米軍による犯罪を暴露したためだ」とアボットは述べた。

アメリカはアサンジを「コンピューター侵入の陰謀」で告訴した。つまり、米軍内部告発者チェルシー・マニングによってウィキリークスに提供された米軍秘密資料を2010年に公表したかどでだ。

スウェーデンで彼に対する偽の告発でアメリカに引き渡されるのを恐れて、アサンジは2012年ロンドンのエクアドル大使館に避難した。彼はほぼ7年間大使館内にとどまっていて、イギリスは移動を拒否していた。そして彼の避難生活は、エクアドル大統領レニン・モレノによって取り消されたのだ。

<さらに読む>Also on rt.com Bolivian president condemns ‘persecution of Assange over US’ murders & spying’
ボリビア大統領は、アメリカの殺人やスパイ活動に関するアサンジへの迫害を非難する
https://www.rt.com/news/456279-assange-arrest-reaction-evo-morales/


<訳注>
ウィキリークスの暴露映像全体が見つかりましたので、ここに貼り付けておきます。
18分ほどに編集されています。下記のしとの文章には異論がありますが、映像としては貴重なので利用さてもらいました。

   ハッカーの系譜⑥ジュリアン・アサンジ (6/8)
   米国震撼させた「イラク殺戮」映像
     牧野武文     June 23, 2016 11:30
https://the01.jp/p0002536/

関連記事

「今や我々の資産が手に入った:
(ほとんどの)議員がアサンジ逮捕に大はしゃぎ」

'Our property now': (Most) US lawmakers rejoice over Assange arrest

RT  Home/USA News/ (2019年4月11日)

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年4月16日)

<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/usa/456292-democrats-republicans-trump-assange-arrest/


UK police arresting WikiLeaks editor Julian Assange in London, April 11, 2019 © Global Look Press / Alberto Pezzali


ウィキリークスの創始者ジュリアン・アサンジの逮捕に、民主党員も共和党員も喝采を送った。 一方ドナルド・トランプ大統領は、ウィキリークスについて自分は「何も知らない」と主張。 ただし、2016年の大統領選で、「私はウィキリークスが大好きだ」と語ったことは一
度や二度ではない。

アサンジは木曜日の朝イギリス警察によってロンドンのエクアドル大使館から引きずり出された。 「コンピュータ侵入共謀」というアメリカの罪逮捕状を執行したものだ。 

ジョー・マンチン上院議員(民主党-ウエストバージニア州)は、アサンジ逮捕のニュースが発表された時のCNN「ニューデイショー」に出演。 アサンジは今「我々の資産になった。 これで彼からいろいろな事実と真実が聞き出せる」と小躍りして語った。



アメリカのアサンジに対する告発は、今のところ、2010年にアメリカの機密文書を公開したことに関連したものだが、民主党、反トランプ共和党の議員達は手ぐすねを引いて待っていたかのように、「ロシアゲート」の陰謀理論を持ち出し、アサンジはロシア政府のエージェントだとの論陣を張った。

「願わくは、彼の身柄をすぐにでも国内で拘束し、プーチンやロシア政府の意向を受けて、アメリカの選挙に介入したことの釈明をしてもらうことです。」と ツィートしたのは上院少数党院内総務のチャック・シューマー(民主党-ニューヨーク州)だ。

ウィキリークスを立ち上げた時のアサンジの意図が何であれ、「現実の彼の行動はロシアのさまざまな企みに直接連座し、西側体制の基盤を破壊しようとしたことであり、アメリカの安全の土台を揺り動かす動きへの熱心な共犯者になったことである」との発言はマーク・ウォーナー上院議員(民主党-バージニア州)。 上院情報委員会の有力メンバーであり、「ロシアゲート」説を中心になって広めた人物のひとりである。 

情報委員会議長のリチャード・バー(共和党-ノースカロライナ州)は、ウォーナーの意見にいつものように同調して、アサンジとウィキリークスは「ロシア諜報機関の手先として、効果的な働きを長年してきた」と語った。

ベン・サス上院議員(共和党-ネブラスカ州)は、アサンジを「ウラジミール・プーチンとロシア諜報機関の邪悪な道具」と呼び、「余生は刑務所で暮らすのがふさわしい」と語った。

下院外交委員会議長のエリオット・エンゲル(民主党-ニューヨーク州)も、ロシアゲートを持ち出し、アサンジは「何度も何度もアメリカや同盟国の安全保障を危機に曝した。 政府の機密文書や2016年アメリカ大統領選に関連した極秘文書を公開したのだ。」

同様、エンゲルが議長を務める下院外交委員会では、RTのアメリカ人記者ダン・コーエンに狙いを定め、憲法修正条項第1条は「あなたの勤務するロシアの宣伝メディアRT」ですら保護するが、「盗難情報を武器にするような犯罪者」を保護するわけではない、との発言があった。

2016年、ウィキリークスは民主党全国委員会(DNC)の文書を公開した。 その文書には、民主党上層部が共謀して予備選挙ではヒラリー・クリントンを押す旨の記述があった。 このことは後にDNC議長ドナ・ブラジルの回顧録で確認されている。 ウィキリークスはまたクリントンの選挙対策部長だったジョン・ペデスタの個人アカウントを大統領選挙が行われる月に公開した。 

以上の流れに与しない例外的な発言者の一人はトゥルシイ・ギャバード下院議員(民主党-ハワイ州)。 彼女はCNNのインタビューに対して次のように語った。 ウィキリークスが公開した文書は「アメリカ国民が気づいてしかるべき政府の諸々の行動を周知したものであり」、さらには市民の自由に関わる事柄や「アメリカ軍が中東で行っている、やってはいけなかった行動」について「透明性を与えたものです。」

マイク・グラベル前上院議員(民主党-アラスカ州)はアサンジの特赦を公然と求めた。 彼は民主党大統領候補指名獲得を目指している。

トランプ政権は、と言えば、アサンジへの共感的発言はゼロであった。 大統領候補だったトランプは、2016年大統領選の準備期間中の集会で「私はウィキリークスが大好きだ!」と繰り返し語っていたにも拘わらず、である。

私はウィキリークスについて知ることは何もありません。 私の問題ではありません・・・ほんとうに意見なんかありません。

2017年9月、トランプ政権のCIA長官であるマイク・ポンペオはウィキリークスをアメリカの「敵」と呼び、「敵対的な外国諜報機関みたいなもの」と語った。 ポンペオも2016年のウィキリークスの文書公開には喝采を送っていたのだ。
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