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アメリカ帝国の顔である故ジョージ・H・W・ブッシュ氏の素顔

Oil tycoon, CIA chief, President: George H.W. Bush was the epitome of American empire

RT Op-ed 2018年12月4日

(翻訳: 寺島メソッド翻訳グループ 2019年1月31日)

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://www.rt.com/op-ed/445468-oil-tycoon-cia-chief-bush/

ロバート・ブリッジはアメリカ人作家でジャーナリストです。「モスクワ・ニュース」の元編集長。2013年刊行の『Midnight in the American Empire』の著者です。


元アメリカ大統領ジョージ・H.W・ブッシュが「大統領の”門番”」のインタビューを受ける。2011年10月24日, テキサス © Getty Images / David Hume Kennerly

先頃亡くなった元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、アメリカでも最高の権勢を持つ名士の家系であった。アメリカは、石油中毒で、秘密主義と戦争が頭から離れず、自分だけが傑出した資質を持っているという自信にあふれた国であるが、ブッシュはそういうアメリカの権化であった。 

彼の人生や彼が生きた時代を考えると、どうしてもガードの固い彼の大邸宅に足を踏み込まざるを得ない。その住まいは何層にも積み重なった富と権力と秘密主義に包まれているので、その表面を引っ掻こうとするだけでもツルハシやダイナマイトが必要なほどだ。というのもこの論考のテーマとなっている人物はありきたりの政治家ではなく、王家一族[女系の先祖がイギリス王室につながる家柄]の末裔だ。彼は今日のアメリカを形作るのに、傍からでは窺い知れない手腕を持っていた。 

ジョージ・H・W・ブッシュは、普通の職業政治家のように、初めから政治家の人生を決められていたわけではなかった。そこがJ・F・ケネディやビル・クリントンとは違った。まずは、世界にしっかりした独占的基盤を取得することが、ブッシュ家の優先課題だった。政治権力は食後のデザートのミント菓子のようなもので、どちらかと言えば取得した富の添え物みたいなものだった。いや、その政治権力は更なる富を獲得するひとつの方法だったかもしれない。 

彼の父親のプレスコット・シェルドン・ブッシュは、投資銀行A・ハリマン社の副社長になった。そこで相当な財産を作った後に、60歳で政界に進出し、コネチカット州の上院議員に選出された。

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父親と同じようにジョージ・H・W・ブッシュは、その人生の初期、政治ではなく「とにかく金」の生活を送った。エール大学を卒業すると、彼は家族を引き連れ、石油業を手がけるためテキサスへと南下した。 1964年には、齢40歳にして「たたき上げ」の億万長者になっていた。 しかし、テキサスでどんなに埃と油にまみれても、彼の血管に濃く流れる「貴族の」高貴な血筋は隠しようがなく、如才のない「テキサスの石油男」というイメージの陰にある東海岸の血筋を露わにした。 

石油から無限の世界へ

ブッシュ家の、プレスコット・ブッシュ(1985-1972)からジョージ・’ダビャ’・ブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ)に至る男性家系は、金儲けとゴルフよりさらに多くの共通点がある。その共通点はこの二つの「気晴らし」に劣らず重要なものだ。

3人共名門エール大学に学んだ。大学では、’ダビア’・ブッシュも父も祖父も「スカル・アンド・ボーンズ(頭蓋骨と骨)」として知られる秘密結社のメンバーだった。1832年に結成されたこの結社は数多くの陰謀理論の源泉となっている。その陰謀理論はあまりにも多いので、ここでそのすべてを論じ尽くすのは不可能だ。ただ、これだけは言っておこう。 結社の規模は小さいが、そのメンバーの多くは政府の高官になっている。  

同じ大学で、同じ結社のメンバーに三代続けてなったからといって、もちろん、何か厄介ななことがあったということの証明には必ずしもならない。しかし、はっきりしているのは、ブッシュ一族には何世紀にも亘る伝統があるから、世界最高の名士やその家族と親密な繋がりをつけることができた。言い換えれば、ブッシュ家の人も家柄も他に引けを取るようなものでは全くない、ということでもある。

密室で造り上げられるそのような親密な絆は、ケネディ大統領の有名な「秘密社会」スピーチを思い出させる。そのスピーチでケネディが警告したのは、オープンでない場所で結ばれる連帯は民主主義とは相容れない、というものだった。しかし、G・H・W・ブッシュにとって、その連帯はケネディが警告するようなものであっても、彼が実業界から政治、諜報の世界に身を移動する際、何の障害にもならなかった。 


力の政治

ブッシュ家の名前を最大限に活用して、1970年、上院への立候補こそできなかったが、翌1971年にはニクソン大統領によって国連大使に任命された。ここからブッシュの華やかな政治活動は始まった。共和党全国委員会代表を務めた後すぐ、1976年に、ブッシュはフォード大統領からCIA長官に指名された。

1年間の任期中のエピソードで絶対無視できないのが、「コンドル作戦」だ。「コンドル作戦」とはチリのアウグスト・ピノチェト将軍のような南米の右派軍事独裁者たちを支援する恥知らずな冷血作戦のことだ。目的達成のために暴力の使用を惜しまなかった。   

当時の国務長官キッシンジャーは、虐殺を止めようとする周囲の動きを阻止していたが、「コンドル作戦」では暗殺チームを組織し、少なくとも13、000人の反体制派が追い詰められ、殺害された。その他にも、何十万人もの人々が収容所に拘束された。そこで拷問され、最後は死に至った人も多かった。 
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ジョージ・H・W・ブッシュはCIA長官として、彼の息のかかった部局が指揮して、右派勢力の大虐殺が行われていたのだから、それを止められる地位にいた。しかし、彼は止めなかった。彼はその経歴に嘆かわしい記録を残した。これはその多くのうちのひとつだ。

ロナルド・レーガン政権の副大統領として比較的平穏な8年間(1981-1989)の後、ジョージ・H・.W.・ブッシュは41代アメリカ大統領としてホワイトハウスの住人となる。 

ブッシュの1期だけの大統領職を、アメリカの政治戦略家ズビグネフ・ブレジンスキーはその著書『セカンド・チャンス』でうまくまとめている:

「公平に見れば、第二次世界大戦以来、ブッシュほどに激しく世界的に広範囲に及び、厳しい混乱に直面しなければならなかった大統領は誰もいなかった。」

実際、1989年だけでも天安門事件があり、イランの精神的指導者アヤトラ・ホメイニの死があり、ベルリンの壁の解体があった。その後、同年12月3日、ブッシュとソ連指導者ミハイル・ゴルバチョフが冷戦の終結を宣言した。

しかし、イラクの侵略からクエートを解放するための軍事攻撃「砂漠の嵐作戦」は、何よりもブッシュ政権を特徴づける出来事となった。しかし、共和党政権は再び短命に終わった。 

「アメリカ人がリビングで快適に見られる最初の大戦争です」との触れ込みで、「砂漠の嵐」作戦は1991年1月16日、本格的に始まった。アメリカ主導軍は、イラクに42日間昼夜連続で、軍事史上最大の集中空爆のひとつとなる攻撃を加えた。無慈悲な攻撃で、軍事インフラも民間インフラも荒廃させられた。ふたたび、アメリカ軍の過剰殺傷が荒れ狂うこととなった。

フセインの好戦的な姿勢を罰するためにイラクを石器時代に戻す必要など全くなかった。しかし、その戦争こそジョージ・H・Wが認可した命令の内容だった。あのブレジンスキ-ですら、なぜブッシュはフセインに「政権の座を降りて亡命しなければ、遁走するイラク軍は一掃される」との最後通牒を与えなかったのか、との疑問を呈したほどだ。

一方、ブッシュが首都バグダッドを攻撃しないことを決断したことを、他の多くの人々のように、賞賛することは難しい。首都バグダッドを攻撃していれば、間違いなく甚大な人道上の危機をもたらしたはずで、ブッシュは首都は攻撃しなかった。しかし、今度は彼の息子のジョージ・W・ブッシュが、約10年後のイラク侵略で、バグダッドを攻撃することになったから同じ事だ。どうして攻撃に及んだか?子ブッシュは、サダム・フセインが「あるとき父を殺そうとしたことがある」ことを理由のひとつとして説明している。

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現代戦(軍事衝突)が個人的な復讐心が引き金になったと考えるのは、控えめに言っても、不穏当なことだ。いずれにしても、ジョージ・H・Wは、現在のアメリカ外交政策を席巻しているアメリカ例外主義を信じて、熱望していた。例えば、1945年の広島・長崎への原爆投下にアメリカは謝罪しないのか、と尋ねられて彼は答えた。

「いかなる謝罪も必要ない。これからも大統領のこの私が謝罪を求められることはないだろう。そのことはきちんと申し上げておきます。」 

同じような答えがあったのは、イラン航空655便の撃墜について質問された時だ。 1988年7月イランの旅客機がアメリカ海軍によって撃墜され、290人(内子ども66人)が死亡した事件だ。

アメリカはイランに謝罪しないのか、と質問されると、ブッシュはすぐに言い返した:

 「私は合衆国がやったことで謝罪することは絶対にない。 事実はどうでもいいのです... アメリカがやったことを、私が謝罪する?私はそんな人間ではありません。」

結論として、公平に言うならば、ジョージ・H・W・ブッシュは、生まれた時から「エリート」階級に属しているアメリカの指導者の一人で、そのため国内でも、国外でも戦場でも、一般人の苦労を理解する能力に欠けているようだ。こういう言い方でアメリカ政府の外交政策への取り組みを説明してもあながち的外れではない。

第41代アメリカ大統領となったこのジョージ・H・W・ブッシュと同様、アメリカ政府は、世界に対する常軌を逸した振る舞いが増えても、それを説明する気持ちを全く持ち合わせていない。その結果、アメリカの利益のために、世界は大きな破壊に苦しんできた。それは、アメリカが、その歪んだ現実観で、自分の国はいかなる疑いもなく、いかなる説明、いかなる謝罪も必要ない、と信じ込んでいることがその理由だ。アメリカはこれからも外国の地で自国の利益を確保し、必要とあれば、軍事的衝突を続けるだろう。   

その意味で、ジョージ・H・W・ブッシュは、確かに典型的なアメリカのリーダーだった。 
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体制転覆と立法府議長:
ナンシー・ペロシ 対 自称ベネズエラ大統領フアン・グアイド

Regime Change and Speakers of the Legislature: Nancy Pelosi vs. Juan Guaido, Self-Proclaimed President of Venezuela

ミシェル・チョスドフスキー教授

グローバル・リサーチ 2019年1月25日

(翻訳: 新見明 2019年1月29日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/regime-change-and-speakers-of-the-legislature-nancy-pelosi-vs-juan-guaido-self-proclaimed-president-of-venezuela/5666439


フアン・グアイド


ベネズエラ国会議長で多数派(民主統一会議)の指導者フアン・グアイドは、トランプ大統領によって民主主義の名の下に(自称)ベネズエラ暫定大統領に是認された。

今日、私(ドナルド・トランプ)は公式に、ベネズエラ国会議長フアン・グライドをベネズエラ暫定大統領と認める。ベネズエラ人民に選ばれた唯一の正当な政府機関である国会は、憲法に則りニコラス・マドゥーロを違法であると宣言する。そして大統領職は空席である。(ホワイトハウス、トランプ声明、2019年1月23日)

READ MORE:Attack Venezuela? Trump Can’t Be Serious!
さらに読む「ベネズエラを攻撃する?トランプはまともじゃあない。」


ナンシー・ペロシ

 
トランプの決定は、軍事介の入脅しとアメリカにあるベネズエラ資産の凍結と相まって、アメリカ外交の犯罪的本質を裏付けている。言うまでもなく欧米メディアはトランプの決定を支持した。

危険な大統領だ。主権国家の大統領を好き勝手に決め手はいけない。誰かを置き換えて下院議長を暫定大統領に指名してはいけない。

しかし今まで検討されなかった事が他にもある。

ホワン・グアイドによる国会議長の地位は(憲法的な見地から)、アメリカ下院議長と多数派民主党の指導者ナンシー・ペロシの地位に幾分比較できる。

ナンシー・ペロシは、アメリカ大統領継承順位で、副大統領マイク・ペンスに次いで2番目に当たる。(憲法第25条修正条項、そして1947年大統領継承条例で制定された3USCコード)

対照的に、ベネズエラ国会議長ホアン・グアイドは(大統領継承に関して)暫定的に短期間ではあるが、ベネズエラ大統領職に就くだろう。ベネズエラ憲法233条で表明されるているように、30日以内に新たな大統領選挙をもつことは未決定である。

ホアン・グアイドをベネズエラの大統領にする手続きを承認することによって、トランプはパンドラの箱を開けたことになった。それは自分の大統領職に跳ね返ってくる可能性があるのだ。

トランプによるホアン・グアイド国会議長の承認は、ナンシー・ペロシが一夜にして合法的に暫定アメリカ大統領に置き換えられることと同じ事である。ドナルドにとっては、かなり恐ろしい話である。

ベネズエラにとってホワン・グアイドは、アメリカにとってナンシー・ペロシと同じことである。マドゥーロ大統領の反対派は国会を牛耳っている。トランプ大統領の反対派は下院を牛耳っている。

ばかげた話ではないか。もしアメリカの政治家とか外国の大統領が、下院議長であり、下院多数派の指導者であるナンシー・ペロシを、アメリカの暫定大統領に要求するなどということがことが起こったら、どんなことになるか想像願いたい。不可解ではないのか。

これまでのところ、ナンシー・ペロシを含むアメリカ議会は、トランプのホアン・グアイドを暫定大統領承認を自制している。
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アメリカは、「貧困と恐怖」でラテンアメリカ移民を出した責任がある――チョムスキー

中米移民
US responsible for ‘misery & horrors’ forcing people to flee Latin America – Chomsky

RT world News 2018年11月28日

(翻訳: 寺島メソッド翻訳グループ 2019年1月26日 )

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://www.rt.com/news/445071-chomsky-us-responsible-for-migrants/


中米からの移民キャラバンがメキシコ国境の壁越しに覗いている。サンディゴ、国境野外公園にで© Reuters / REUTERS/Lucy Nicholson/File Photo


ドナルド・トランプはメキシコ国境にいる移民たちに催涙ガスの使用を許容しているが、人々の尊崇を集める言語学者ノーム・チョムスキーは、「歴代のアメリカ大統領が中南米の状態を悪化させた張本人であり、そのため人々が逃げ出さなければならない」と語っている。

デモクラシー・ナウのインタビューに答えて、チョムスキーはアメリカ政府を非難した。 「アメリカ政府が事態を劣悪な状態にしたので、一部の中南米の住民たちは、今よりまともな生活を!と必死になっているのだ。」

来月90歳を迎える著名な言語学者チョムスキー教授は、大量の移民キャラバンがホンデュラスからのもので、それには理由があることに注意を促した。

彼の説明によれば、2009年の軍事クーデターでホンデュラスの「穏健な改革派大統領」が追放され、オバマ政権はその動きを非難する
ことはしなかった、という。

「軍事政権の下で不正な選挙が行われたのです。 西半球全域から、そして、ほぼ世界全域から激しい糾弾の声が上がりました。 しかし、アメリカは糾弾しませんでした。 オバマ政権は、ホンデュラスがこの選挙を実施して、民主主義に歩みを進めたなどと言って、賞賛したのです。 

「現在、ホンデュラスの人々が国内の悲惨さや恐怖から逃避しているのは、私たちの国アメリカに責任があります」、とチョムスキーは語った。

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グアテマラやエルサルバドルから人々が移民となって逃げ出していることにも理由がある、と彼は付け加えた。 この二国はホンデュラスと同様、「歴史を遡れば、アメリカの過酷な支配下にありました。 1980年代以降はとくにそうです。」

さらに説明を続け、「信じられない『茶番』が起こっています。 貧しく、悲惨な状態にある人々が、アメリカに押しつけられた恐怖と
抑圧から逃げ出しています。それに対して何千人という軍隊が国境に派遣されようとしているのです」、と語った。
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トランプ政権は、多くのアメリカ人を震え上がらせるような「派手な宣伝キャンペーン」を張り巡らし、中東のテロリストたちが今にもアメリカを侵略に来るぞ、そのテロリストたちが移民の一団の中に入り込んでいる、と信じ込ませようとしている、というのがチョムスキーの説明だ。 
さらに、この動きの全体を見ると、レーガン政権の時のことが思い起こされる、とも。レーガンは1980年代半ば、恐るべきレトリックを使って、ニカラグア政府と戦うゲリラへの支持を得ようとした。 

7千人以上の移民が、現在、何とかアメリカへ入国しようとしている。 その内約6千人がメキシコのティフアナ市にある体育施設に寝泊まりしている。一方、約1千人が、日曜日、ティフアナ近くの国境の塀を急襲しようとした。 国境線が一時閉鎖された後のことだ。国境警備隊は催涙ガスを配備した。これはトランプが支持していた動きだ。  

「催涙ガスは極力限定的に使っています。 危険性はまったくありません」、とトランプ大統領は遊説先のミシシッピー州で語った。
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ジレ・ジョーヌ(イエロー・ベスト) 2019年:
フランスの民主主義は死んだのか、それとも生きているのか?

Gilets Jaunes in 2019: French Democracy Dead or Alive?

ダイアナ・ジョンストン

グルーバル・リサーチ 2019年1月12日

(翻訳:新見明 2019年1月18日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/gilets-jaunes-2019-french-democracy-dead-alive/5665302



もしくは、埋もれたのか、それとも生き返ったのか?というべきか。なぜならパリの政治、金融、メディアの権力中枢とは無縁の多くの庶民にとって、民主主義は既に死にかけていて、彼らの運動はそれを救うための試みだからだ。かつてマーガレット・サッチャーが「他に代わるものがない」と宣告して以来、欧米経済政策は、金融市場の利益になるようにテクノクラートによって作られている。そしてその利益は庶民にトリクル・ダウンするだろうと主張する。おこぼれは大部分干上がっていて、人々は必要や願いが満たされるかどうかなどと考えるのにうんざりしている。そして願いは「わけありの」エリートによって全く無視されてきた。

エマニュエル・マクロンの新年の国民向け演説は、次のことを完璧に明らかにした。マクロンは、ジレ・ジョーヌ(イエロー・ベスト)抗議運動にわずかなパン粉を投げつけ、説得力がない中傷をした後、強行策をとる決意をしたのだ。

フランスは動乱期に入っている。状況はきわめて複雑だが、これが一体何であるのか把握するのに役立つ点がいくつかある。

方法

イエロー・ベストは、人目を引く目立った場所に集まる。例えばパリのシャンゼリゼや、他の都市の中心街や、小さな町外れの交通量の多い環状交差路などである。伝統的なデモとは違って、パリの行進は非常に緩やかで、自然発生的である。人々はただ歩き、お互いに話している。指導者もいなければ演説もない。

リーダの不在は、この運動につきものである。あらゆる政治家やデモに好意的な政治家でさえ信頼されておらず、だれも新しいリーダーを求めていない。

人々は自分たち自身で集会を組織し、苦情や要求のリストを明らかにする。

ドムレミーから車で30分行ったロレーヌ地方のコメルシ村は、ジャンヌ・ダルクが生まれたところであるが、そこで住民が集まって、彼らの宣言を6人が代わる代わる、節ごとに読んでいる。そんなところから彼らが指導者や特別なスポークスマンを求めていないことがはっきりする。彼らは時々言葉に詰まるが、テレビの語り手のように公衆の前で話すのに慣れていないのだ。コメルシでジレ・ジョーヌの第2アピールは、1月26日、27日の「集会の中の集会」に他の人もコメルシに来るように呼びかけている。



要求

去年の11月17日、イエロー・ベストを着て街頭に最初に出た人々は、表面的にはガソリンやディーゼル税値上げが、フランスの田舎の生活を直撃するものとして反対していた。「世界的都市」を大切にする余り、フランス政府は小さな街や村、そこに住む人々を犠牲にして次々に政策を行ってきた。もう我慢がならない状態だった。運動は急速に根本的問題に移った。つまり生活に関わる問題での人々の発言権だ。一言で言えば民主主義である。

何十年もの間、左派政党も右派政党も、選挙期間のスピーチがどんなものであれ、いったん権力の座につくと「市場」によって命令された政策を追求する。このため人々は全ての党や政治家を信用しなくなり、彼らの要求を聞いてもらえる新しい方法を求めている。

燃料税の問題は、要求項目が多くなるとすぐに忘れられた。運動の評論家は、非常に多くの要求を達成することはきわめて難しいと言う。人々の要求に注意を払っても無駄である。なぜなら愚かな人々は、あらゆる事を求めるからである。そして全くその反対のことを求めることもある。

その異議申し立ては、最も重要な唯一の要求「市民イニシアティブ国民投票(CIR)」として素早く表明された。

国民投票

この要求は運動の良い面を表している。「ねばならない」リストをつくるより、GJ(ジレ・ジョーヌ)は単に人々が選択できるように求めていて、国民投票は選ぶための手段だ。その要求には一定数の署名がいる。選択する国民投票の権利を得るには、多分70万人、あるいはもっと多くの署名者を必要とする。「市民イニシアティブ国民投票(CIR)」の権利はスイス、イタリア、カリフォルニアで存在する。その考えは、よくわかっている専門家はみな恐れる。もし人々が投票するなら、人々はあらゆる種類の愚かな事に投票するだろうと、知識人は身震いして見ている。

マルセーユ短期大学の温厚なエティエンヌ・シュアール先生は、何十年も国民投票を中心に、直接民主主義をどのように組み立てるか考察してきた。イエロー・ベストによってそのときが来た。国民投票は、感情的で即席の決定を避けるために、長い討論と考察の時を持たなければならない。そのような国民投票は、特定の利権によって左右されない、誠実で、独立したメディアを必要とする。法律を作る政治家は国民投票によって表明された国民の意思を尊重することが求められる。このことは全て、人民の憲法制定会議を必要とする。

国民投票はフランスの痛いところで、全てのジレ・ジョーヌ運動の力強い静かに横たわる大義である。2005年シラク大統領は(彼の観点からは愚かにも)、きっと承認されるだろうとEU憲法の批准を国民投票に求めた。政治家階級は、2・3の例外を除いて、全力で訴えた。新憲法の下で、新たな世界権力として繁栄する未来を求めよう。さもなければヨーロッパは第一次、第二次世界大戦に逆戻りしてしまうと。しかし普通の市民は、自主的に勉強する大きな運動を組織した。グループごとに膨大な法律資料に目を通し、それらがどんな意味で、何を意味しているかを解明しようとした。2005年5月29日、フランス人は68%の投票率で、55%が憲法に反対投票をしたのだ。パリだけがかなり賛成投票が上まった。

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3年後国会は、つまり全政党の政治家たちは、同じ内容の条文を実質的に採用することに賛成投票をした。それは2009年にリスボン条約となった。

明確に表明された人民の意思は打撃を受け、多くの者が力を落として政治から離れていくという幻滅を味わった。しかし今、それらが戻ってきたのだ。

暴力
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最初から政府は暴力で対応してきた。運動を暴力的だと非難するため、明らかに暴力行為を誘発するように意図されていた。

警察隊は、ロボットのような装備で、平和的なイエロー・ベストのグループを取り囲み、阻止した。催涙弾の煙で覆われ、フラッシュ・ボールのゴム弾をデモ隊に直接撃ち込み、何百人も怪我をした(公式の数字はない)。大勢が視力を失うか手が動かなくなった。政府はこれについて何も述べていない。

抗議行動の三日目の土曜日、この警察隊はデモを止めることが出来なかった。そして許可された命令のもとでか、大勢の暴力団やブラック・ブロック(不明の黒衣の集団)が運動に侵入して、器物を壊し、店を破壊し、ゴミ箱や駐車した車に火をつけ、世界のメディアにイエロー・ベストは暴力的で危険であるイメージを与えた。

これらのあらゆる挑発にもかかわらず、ジレ・ジョーヌはきわめて冷静で、確固としていた。しかし感情を害し、やり返そうとする人もいないわけではなかった。

ボクサー

8回目の土曜日、1月5日にプレキシガラスで保護された警官が、セーヌ川の橋のジレ・ジョーヌを暴力的に攻撃した。そのとき大柄な男が怒って群衆の中から出てきて、反撃した。彼はげんこつを握り、一人の警官を殴り倒し、他の者を退却させた。この驚くべき場面は撮影されていた。イエロー・ベストは彼を止めようとしたが、「ランボー」は止まらなかった。

これはクリストフ・デティンガーで、フランス系ジプシー、ボクシング元ライト・ヘビー級フランスチャンピオンであることがわかった。彼のニックネームは「マッシーのジプシー」である。彼は現場から消えたが、登場する前にビデオをセットしておいた。彼は警官が女性や他の無防備な人々を攻撃しているのを見て私がとった、「対応はまずかった」と彼は述べた。彼は運動が平和的に進められるように願っていた。


デティンガーは7年の拘留が迫っている。1日以内に彼の弁護資金は116,433ユーロ集まった。政府は拒否した。どんな法的理由かわわからないが。いま彼のための嘆願が回っている。

中傷

マクロンは大晦日のスピーチで、人々を叱った。「あなた方は、少し働いて、たくさん儲けることはできない」。まるで彼らがみな、ヨットでのんびり過ごし、株価が上がったり下がったりするのを眺めて過ごすのにあこがれているかのように言う。

それからマクロンは戦いを宣言した。

「最近、私は考えられないことを見て、受け入れがたいことを聞いた」。明らかに、デモ隊と共鳴しようとする2・3の反対派政治家を指して、「人民のために話している」振りをしていると激しく非難した。「しかし、憎むべき暴徒のスポークスマンは、選ばれた代表、警察、ジャーナリスト、ユダヤ人、外人、そしてホモを追いかけているだけなのだ。それは単なるフランスの否定だ。」

「ジレ・ジョーヌは誰も追いかけない。警察が彼らを追いかけているのだ」と、人々は組織的に運動を歪曲するチャンネルの撮影隊に対して、実に誇らかに声を上げたのだ。

運動からは一言も外国人やホモに反対する声は聞こえてこなかった。

キーワードはユダヤ人

飼い犬をおぼれさせたい人は、その犬が狂犬病だと言って非難する。(フランスの諺)

フランスの諺では「犬をおぼれさせたい人は誰も、犬が狂犬病だと言う」。今日、成功を台無しにしたい人、ライバルに対して仕返しをしたい人、個人の面目を失わせたい人、もしくは運動を破壊したい人は誰でも、彼らは反ユダヤ主義だと言って責めてくる。

だから、民主的運動の高まりに直面し、「反ユダヤ主義」カードを切ることは不可避だった。それはほとんど統計的に確かなことだった。何十万人の不特定多数の中で、ユダヤ人を否定的に言う者が一人や二人いるかもしれない。それはかまわない。タカ派メディアは見張っている。わずかな出来事も、運動の本当の動機がホロコーストの復活にある事を示すために使われる。

この穏やかな反語的な小歌が、フランスのある交差点で演じられ、「よい」体制が「悪い」普通の人と対比されていた。それはYouTubeで大ヒットだった。それは運動の雰囲気をよく醸し出している。「優しい人、意地悪な人---ジレ・ジョーヌ」。



この陽気な人々が、反ユダヤ主義だと責められるのに時間はかからなかった。なぜか。批判が皮肉にも二人の最も有害なジレ・ジョーヌ批判者に向けられたからである。それは68年5月革命世代のダニエル・コーン・ベンディットと、古い「新哲学者」ベルナール=アンリ・レヴィである。新たな世代は、彼らに我慢ならない。しかし待て、彼らはたまたまユダヤ人だ。ああ!反ユダヤ主義だ!

抑圧

政府スポークスマン、ベンジャミン・グリボーが、「政府転覆」を望む者たちを「扇動者」とか「暴徒」と描いたが、そのデモに対決するため、エドアルド・フリップ首相は、デモの権利をうまく「保護する」新たな法律を公表した。その主要な方策とは、時間や場所の公式許可を得ないデモの組織者を厳しく罰することである。

事実警察は既に、33歳のトラック運転手エリック・ドルエを、運動の被害者を弔う小さなキャンドルセレモニーを開いたことで逮捕した。その他に情報が得られない逮捕がたくさんいる(ついでながら、祝日にわたって、いくつかの都市の周辺のチンピラたちが、駐車した車を燃やす儀式を行った。特別な公表とか弾圧があったわけではなく。それらは労働者階級の人々が仕事に行くために必要な車だった。パリの富裕層の高価な車が破壊されて反感のタネをまいたわけではなかった。)

1月7日、「哲学者」で元青年・教育・研究大臣のリュック・フェリーは、とても上品ぶったラジオ・クラシックでインタビューをされた。彼は宣言した。「警察はこの暴力を終わらせる事が出来ない。それは耐えがたいことだ。聞いてくれ。奴らがかわいそうな倒れた警官を蹴っているのを見るなんて、もうたくさんだ!今回だけでも警察に武器を使わせてくれ。もうたくさんだ!・・・思い起こせば、我々は世界第4位の軍隊をもっている。このくだらないことを終わらせることが出来るんだ」と。

フェリーは、「改革」を推し進めるためにマクロンに共和党と連立を組むように呼びかけた。

先月、「市民イニシアティブ国民投票」に反対するコラムで、フェリーは書いた。「現在の専門家に対する非難やエリート主義に対する批判は、この時代の最悪の惨事である」と。

アンティファ

アンティファ・グループは、人々が集まるところはどこでも、「ファシスト」を根絶するために無差別の捜索するかもしれない。先週の土曜日ボルドーで、イエロー・ベストはアンティファによる攻撃と闘わなければならなかった。

今はっきりしたことは(実にいつもそうだが)、自称「反ファシスト」が現状の番犬である事だ。彼らのたゆみない「ファシスト」探しで、アンティファは動く者は何でも攻撃する。結局、彼らは不況を守っているのだ。そして奇妙なことに、アンティファの暴力は、黙認されているのだ。より平和的なデモ隊を侮辱し、攻撃し、逮捕する国家や警察によって。

メディア

疑ってかかれ。少なくともフランスでは、主流メディアはしっかりと「秩序」の側、つまりマクロン側にある。そして外国メディアは、国家メディアが書いたり言うことを反復しがちである。また一般的に、フランスの場合、英語メディアはしばしば正しく理解していない。

終わりに

まだよくわからない。これが革命ではないかもしれないが、運動は「体制」の本質を暴露した。権力は、「市場」に奉仕するテクノクラートの手にある。つまり金融資本の権力である。このテクノクラート社会は人間社会を再編することを願っている。それは我々自身の社会や全地球の人々を、資本主義の利益に奉仕させることを願っている。それは「グローバリゼイション」計画で、経済制裁や、圧倒的なプロパガンダや、軍隊(NATO)を使う。それは人々の同意なしで、人々の生活を方向づける。マクロンはこの体制の体現者である。彼は、有名なエリートによって選ばれて、EUに押しつけられた「市場経済」に指示された方策を実行する。マクロンは諦めることができない。しかし人々はいま進行していることに目覚めた。彼らはやめないだろう。どれほど学校システムが劣化しようと、フランス人は今日よく教育され、人々があるべき合理性を持っている。もし彼らが民主主義を勝ち得ないなら、民主主義は不可能である。

続く・・・

*

ダイアナ・ジョンストンは『愚か者の十字軍: ユーゴスラビア、NATO、西欧の幻想』の著者である。彼女の新著は『カオスの女王、ヒラリー・クリントンの不運』である。『ダイアナ・ジョンストンの父ポール・H・ジョンストンの思い出「MADから狂気まで」』は、彼女のコメント付きでクラリティ・プレスから出版された。彼女の連絡先はdiana.johnstone@wanadoo.fr.  ダイアナ・ジョンストンはグローバライゼイション研究センターの研究員である。
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新冷戦は、これまで以上に世界破滅の危機

New Cold War is more dangerous than the one the world survived – Stephen Cohen

ステファン・コーエン

RT Op-ed 2018年12月5日

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年1月23日)

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://www.rt.com/op-ed/445657-dangerous-cold-war-russia/


アメリカ大統領ドナルド・トランプとロシア大統領ウラジミール・プーチン、アルゼンチン、ブエノス・アイレス 2018年11月30日© Reuters / Marcos Brindicci

拙著『ロシアとの戦争?』 は、まるでまだ生きている人間の伝記のように、結末のない本だ。タイトルは警告であって、予言ではない。アメリカの小説家、戯作家、評論家、脚本家、俳優、政治活動家であったゴア・ヴィダル(1925-2012)の言う「ジャーナリスティックな警戒システム」みたいなものだ。

だから疑問符をつけてある。 に未来は予見できない。 この本の包括的なテーマの情報源は過去に生起し、現在も生起しているいろいろな事実だ。政治的な課題、イデオロギー的な関わり、魔術的な予知などは一切関係ない。

<「ミネルヴァの梟は黄昏を待って飛び立つ」(ヘーゲル)>

既述したテーマを再度掲げる。 米露新冷戦は、辛うじて世界の破滅を免れた40年に亘る過去の米ソ冷戦より危険だ。 不測の事態からにせよ、明白な意図をもったものにせよ、米露という核超大国が結果的に実際の戦争になる可能性は、米ソ冷戦時よりはるかに高い。

もう一つ不吉な事実がある。米ソ冷戦時、核戦争による破滅的な事態が起きるかどうかは、アメリカの主流政治、主流メディア、そして政策作成担当の最前線でその議論が行われていた。しかし今回の米露冷戦では、懸念の声さえめったに出てこない。 

2018年最後の数ヶ月で、記録された事実や危機の高まりは一層悪化している。特にアメリカにおける政治支配層やメディア上層部において、新冷戦がつくり出され、繰り返しエスカレートされている、というのが私の持論だ。いくつかの例を考えてみてほしい。 それらのいくつかは、イラク戦争に至るまでの政治やメディアが国民の戦意を煽った過程と似ている。あるいは歴史家が述べたように、諸列強が「夢遊病者」のように第一次世界大戦に歩みを進めていった経過を考えてみてほしい。 

ALSO ON RT.COM
US ready to blow another arms
control treaty to feed its way economy
https://www.rt.com/op-ed/441946-inf-treaty-trump-arms-war/



「ロシアゲート」告発の核心部分である「米露共謀、裏切り」についてはまだ何の証拠も示されてはいない。それなのに、それが新冷戦の中心要素になっている。他に何もなくとも、彼ら影の政府は、トランプ大統領がモスクワと危機回避交渉を指揮するのを厳しく抑え込むのだ。他方、影の支配層は、プーチン大統領が2016年の大統領選の最中に「アメリカへの攻撃」を個人的に命令した、との誹謗も口にするようになっており、それはいろいろな場面で声高に語られている。一部のハリウッドリベラル派は、早々と疑問符をはずし、「現在は戦争状態」との表現を用いていた。2018年10月、民主党の自称お飾り党首のヒラリー・クリントンはこの無謀な言い分にわざわざ自分の声を添え、アメリカは「ある強国に攻撃され」、それは「9・11テロ攻撃」に匹敵するときっぱり言ってのけた。 

クリントンは、ニューヨークタイムズやワシントンポストによるメディアの大量の偽報道に背中を押されたのかもしれない。他を圧する影響力を持つこの2紙が、それぞれ9月20日と9月23日に長文の記事を掲載した。それには悪意のある告発的図表も添えられていたが、これまで約2年に亘って両紙が飽きもせず押し進めてきたロシアゲート報道の特別焼き直し版である。一連の間違った思い込みも、問題だらけの歴史のつまみ食いも、事実誤認の数々もそのままになっている。

具体例をもうひとつ。今はひどく評判を落としているが、2016年の大統領選挙でトランプの選挙参謀だったポール・マナフォートがビクトル・ヤヌコービッチ大統領政権下のウクライナのロビイストであった時、彼は「親ロシア」と言われていたが、実際はEU寄りだった。まだある。トランプの国家安全保障補佐官だったマイケル・フリン将軍はロシアと「面倒な」接触を持ったことで非難され、汚名を負わされているが、彼は間違ったことは何一つしていない。 次期大統領の代理でモスクワの首脳部と会談することは先例のないことではない。まだまだある。 ニューヨークタイムズの言い方ではデタント(緊張緩和)という前提に立って「アメリカとロシアは相互利益の場を模索すべきだ」という考えを、ワシントンポストとニューヨークタイムズの両紙は犯罪視したのだ。まだまだまだある。ニューヨークタイムズの記事によれば、「スペシャルレポート」は「今のところ確実に分かっていること」と自信たっぷりなのだが、これに関連したある事実は約一万語の記事の奥深く埋め込まれ表面には出さなかった。つまり、「トランプの大統領選はロシアと共謀したものだという公の証拠は何一つはっきりしていない」という否定しがたい事実である。(記事で引用されている知能犯罪の訴追と有罪申し立てとの関連性に乏しく、結局はロシアのいないロシアゲートになってしまった。)

驚いたことに、両紙とも、ワシントンポスト紙自身のボブ・ウッドワードが強調している言説を信用しなかったのだ。ワシントンポスト紙のボブ・ウッドワードと言えば、通常はワシントンの政治的機密に関しては最も権威ある記録者と考えられている。その彼が2年調査してもトランプとロシア間の共謀の証拠が何一つ見つからなかったのだ。

ニューヨークタイムズとワシントンポスト、そして他の印刷メディアだけがロシアとの共謀を宣伝していたわけではなく、ほとんどのメディアが反対意見に誹謗的な記事を出し続けた。CNNの中心的ロシアゲート宣伝屋は、ツイッターで、第三政党のある大統領候補者は「2016年の選挙干渉とアメリカの外交政策に関してロシアの論点を繰り返し」ていいるだけだ、との内容の文を投稿した。別のSNN著名人は、いわば地政学的警告をしていた。「愚か者だけがウラジミール・プーチンのシリア発言を真に受ける」。だから米国とロシアが協力することなど戦争で疲弊した国では問題外である。全く同様にMSNBCも毎晩ロシアゲートを宣伝し続けている。

ALSO ON RT.COM
S-300 fear factor: Will Israel risk bombing
Syria now?
https://www.rt.com/op-ed/443559-s300-israel-attack-syria/


大半の主流メディア報道機関にとって、ロシアゲートは一種のカルト的ジャーナリズムになってしまったようで、いかなる反証も分析もロシアゲートのいかがわしさに打撃を与えることができず、ロシアゲートは次第に新冷戦を煽る大きな要因となった。さらに言えば、2年前にはアメリカ大統領選にロシアが「干渉」した、との不満の声だったのが、2018年10月になると、ニューヨーカーや他の出版物では、実際ドナルド・トランプをアメリカ大統領に据えたのはロシア政府だ、との非難の論調になった。この扇動的な非難に対しても納得できる証拠は何一つなく、アメリカの歴史でもこんな前例はない。

もっと高いレベルの話になると、アメリカ政府の現高官と元高官が、ロシア政府に対してほとんど前例のない脅迫を行っていた。一人はNATO大使のケイ・ベイリー・ハッチソンで、彼女は1987年の協定に違反しているロシアのミサイルをすべて「撤去する」と脅した。そんなことをすれば間違いなく核戦争のリスクは避けられない。もう一人、内務長官のライアン・ジンンキはロシアを海上「封鎖」するとの脅しをかけた。また別のロシア嫌いの噴出として、国連大使のニッキー・ヘイリーは、「嘘とペテンとならず者の行動」が「ロシアの文化規範」だと言い放った。

こういったことは無教養な高官たちの突飛な行動だったかもしれないが、彼らが再び投げかけた疑問は避けようがなかった。つまり、「ワシントンでロシア政策を立案しているのは誰なのか? 『協力』政策を公言しているトランプ大統領か、それとも他の人間か?」

しかし、アメリカの前ロシア大使だったマイケル・マクフォールの以下の意見は抑制のない極論と捉える以外どう説明したらいいのだろう。彼は長年ロシア政治の教授であり、主流メディアお気に入りのコメンテーターだった。

マクフォールによれば、ロシアは「ごろつき国家」になり、その政策は「犯罪行動」であり、「世界最大の脅威」になったそうだ。対抗手段としては「自動的に発効する先制攻撃的制裁が必要だ。」 もし必要があれば、「毎日」でも。アメリカ上院の超党派グループが近ごろ提案した「壊滅的」制裁の効力を考えれば、それはまさしくロシアに対する永久戦争の布告となるだろう。経済戦争と言っても戦争は戦争だ。  

他方、新冷戦の別の前線では本格的な戦争の緊張感が増していた。とくにシリアだ。9月17日、シリアのミサイルが誤って友軍ロシアの偵察機を撃ち落とし、乗員15名はすべて死亡した。原因は同地域を飛行していたイスラエル戦闘機によるロシア軍機に擬したカモフラージュ作戦だった。これに対するロシア政府の反応は暗示的であり、不吉な気配も感じられた。

ALSO ON RT.COM
America'S deep-seated Russophobia is bringing
US-Russia relations to the brink of ultimate
disaster
https://www.rt.com/op-ed/436024-russophobia-us-trump-politics/


最初プーチンは、イスラエル政治指導部とイスラエル政治指導者たちと良好な関係を築いていたこともあり、今回の出来事は戦場の不透明さが引き起こした事故であると語っていた。しかし、配下のロシア国防省はイスラエルに責任があると声高に抗議した。プーチンはすぐさまより強硬な立場に戻り、最後にはシリアにロシア製高性能S-300地対空防衛システムを送ることを誓った。これはシリアもイランも長年切望していたものである。

プーチンは、アメリカの主流メディアが執拗に描き出しているような、根っからの「攻撃的なクレムリン独裁者」というわけではないのは明らかだった。ロシア国内のひとりの穏健派として、彼は対立する集団や利害関係のバランスを取ることで、再び大事な決断を下した。今回の場合は、プーチン政権の安全保障体制内で長年強硬派の立場に立つ集団に歩み寄ったものだ。

その結果、冷戦の仕掛け線が一つ増えたことになる。 S-300をシリアに配置すれば、プーチンは「飛行禁止ゾーン」をシリア領土内の広範な領域に設定することができる。それはいくつかの大国が駐留しているため、戦争が荒廃してきた領域と重なる。(ロシア軍とイラン軍の駐留は合法。アメリカ軍とイスラエル軍の駐留は違法である。) もし「飛行禁止ゾーン」が設定されれば、それは新たな「レッド・ライン」を意味し、アメリカ政府とその同盟国であるイスラエルはそれを越えるべきかどうかの決断を下す必要が生じる。アメリカ政府や主流メディア内の熱狂的な層の存在を考えれば、果たして抑制は働くのだろうか。トランプ大統領が自分のロシア政策をしっかり保持すれば、理屈としてはロシア政府との和平プロセス参加に傾くかもしれない。しかし、ほぼ全身ロシアゲートを吹き込まれた民主党が、そんなトランプを許容する可能性は低いだろう。  

さて、新冷戦のもう一つの前線も緊迫度を増していいて、ウクライナにおける米露代理戦争が新しい局面に入ったのだ。 ドンバスの内戦に加えて、ロシア政府とウクライナ政府は互いの船舶をアゾフ海で挑発し合っている。ロシアとクリミアを結ぶ最近建設された橋の付近である。11月25日、 この挑発行動は小規模だったが、いずれ暴発的な海戦に発展する可能性を含んでいる。トランプがウクライナ政府のこの海戦エスカレーションを手助けするよう圧力を掛けられている。それはまた潜在的な仕掛け線をひとつ増やすことになる。そんなことより、大統領がここですべきことは2015年以来動きが止まっているミンスク和平協定をアメリカ政府が支援することだ。しかし、そのアプローチもロシアゲートを論じる陣営からは無視されているようで、10月6日には、ニューヨークタイムズのコラムニスト、フランク・ブルーニーが、トランプの取り組みをすべて「プーチンへの身売り」と決めつけていた。 

ロシアとの戦争リスクを孕む最近の具体例を上に述べたが、そんな極端な動きの5年が経過した。数十年に亘る「冷戦」の歴史で初めて、極端な動きに対抗する勢力がワシントンから完全に姿を消し、「デタント(緊張緩和)派」は民主党にもいなければ共和党にもいない。「反冷戦」を追求する影響力のある反対運動はどこにもない。ちゃんとした議論はどこにもない。トランプは嫌いだとか、何だとか言いながら、彼しかいなかった。そのトランプすら、20世紀の重要な出来事であるデタントを誘導した大統領は共和党員であったことを、国民や民主党に思い起こさせることはしていなかった。アイゼンハワーしかり、ニクソンしかり、レーガンしかりだ。こんなこともまた「もうひとつの事実」としては許容されなかったようだ。

ALSO ON RT.COM
Another Crimean war looms as NATO provocations enter
Russian waters – George Galloway
https://www.rt.com/op-ed/444908-azov-sea-nato-ukraine/


そこで「何をなすべきか?」という例の永遠の問は、何もロシア人にだけ向けられた問ではない。幽かではあるが、一縷の光明はある。2018年8月、ギャラップ社はアメリカ人に「好ましいと思うロシア政策」を質問した。ロシアゲートの非難申し立てとロシア嫌いの風潮が奔流のように渦巻いていた最中にあって、58%の人が「ロシアとの関係改善」を望んでいた。これに対して36%の人が「ロシアに対抗する強力な外交的、経済的手段」が好ましいと答えた。

これを見ると、NATOがロシア国境に向け東進し、2014年のウクライナ危機に至るまでの米露間の「新冷戦」は、エリート層の企てだったことに気づかせてくれる。なぜアメリカのエリート層は、1991年のソビエト連邦終焉の後、新冷戦という究極的な選択を行い、ロシアとの協調という道を選ばなかったのか、という疑問に答えることはこの論考の目的からは外れる。私は、アメリカ情報部エリートの特殊な役割を「インテルゲート(情報部の陰謀)」と名付けているが、それに関して、その全容を明らかにする努力はまだ続けている。そしてそれに対する妨害工作も相変わらずだ。

ソ連崩壊後の冷戦をきちんと説明するとすれば、アメリカの政治・メディア支配層の必要性があるためなのだろう。つまりイデオロギー上の必要性、外交政策の必要性、そして予算の必要性、とりわけ「敵」の存在の必要性があるためである。あるいは、1917年のロシア革命以来、米露関係の半ば以上は冷戦状態だったこともあり、それが習い性になってしまったのかもしれない。

2016年のアメリカ大統領選で、要点だけを言えば、ウクライナとイスラエルは実質的に「干渉」したが、それは政治的なスキャンダルにはならなかった。いずれにせよ、ソビエト崩壊後のロシアに向けていったんこの動きが始まると、その動きを押し進めることは難しいことではなかった。チョロキー族の血を引き、ユーモア作家、社会評論家、そして俳優などで活躍した伝説的人物ウィル・ロジャース(1879-1935)は、1930年代にこんな冗談を言っている。 「ロシアというのは、それについてどんなことを言ったってウソにならない、そんな国さ。」 40年に亘る冷戦も核兵器もない時代には面白い冗談ですんだ が、もうそんな訳にはゆかない。 

きちんとした説明が何であれ、私が拙著『ロシアとの戦争?』で分析した現実の多くは、意図的ではないにしても、アメリカの真の国益にそぐわないことも少ななからず顕わになっている。ロシアが西側に背を向け、「中国への旋回」をしていることは、今や多くの人が承知していることであり、一流のロシア政策専門家たちがその事実を認めている。 ヨーロッパの同盟国ですらロシア政府側に立ち、アメリカ政府に異を唱えることがある。アメリカが背後で支えるウクライナ政府は、自分たちに権力をもたらした2014年のマイダン「狙撃殺戮」の真犯人を未だに隠蔽している。アメリカの愚かな制裁政策のおかげで、プーチンは「オリガルヒ」(=ロシアの新興財閥)の海外資産を本国に送還することができた。それは2018年で既に少なくとも900億ドルに上る。主流メディアはプーチンの外交政策を相変わらず正しく伝えず、「ソビエト連邦ですら絶対やろうとしなかったこと」などと、的外れな報道をしている。そしてホワイトハウスの内部の人間が匿名でニューヨークタイムズにトランプ大統領の「非道徳性」をすっぱ抜いた時、その匿名投稿者が考えた唯一の現実的政策はロシア政策だったのである。  

プーチンを悪魔化する動きについては十分に焦点を当ててきた。ワシントンポストは、プーチンのお陰でモスクワの生活レベルが改善していて、国民が支持している状況を、「悪魔との取り引き」という言葉を使ってまで脚色しようとした。こんな頭のネジが外れた言説が通用するのはアメリカ国内だけだ、と押さえておくことは重要である。そのワシントンポストの特派員ですら認めていることだが、「プーチンブランドは、世界中の反体制と反アメリカの政治家の人々の心を捉えて放さない。」

あるイギリス人ジャーナリストが認めたことだが、結果的に「世界の多くの国々が、ロシアと再び契約が結べないか現在模索するようになっている」。そしてモスクワ在住のアメリカ人ジャーナリストのレポートによれば、「プーチン個人を不断に悪魔扱いしたことは、実際には、彼を神聖化し、ロシアの守護聖人にまで押し上げたことになる。 

ALSO ON RT.COM
Russian diplomacy is winning the New Cold War – Stephen Cohen
https://www.rt.com/op-ed/444619-russian-diplomacy-win-cold-war/


再度、こういったことを踏まえ、私たちには何ができるのか?心情的には、そして歴史的な前例が無くはないが、民主主義的な信念を持っている私たちとしては、伝統を踏まえ、「人民」に、投票者に変化の担い手になってほしいと思う。しかし、外交は長年エリート層の専権事項であった。冷戦政策を根本から変えるには指導者が必要だ。時には、その指導者はガチガチの、骨の髄からの保守派エリート層からさえ出てくることもある。予想もしなかったことだが、今では親デタント派に振り分けられる1980年代半ばのロナルド・レーガンやミハエル・ゴルバチョフなどのように。しかし、ロシアとの迫り来る戦争を考えると時間はあるのか?現在のアメリカの政治的状況の中に、自分の属するエリート層や政党に、ゴルバチョフがやったように、「今でなければいつなのだ?我々がやらなければ、誰がやるのだ?」と言えるリーダーはいるのか?

そういった指導者(たち)は、エリート層の内部に取り囲まれ孤立してはいるが、体制には与しない、他の声に耳を傾けたり、書籍に目を通したりしている人がいることも、私たちには分かっている。 かつて崇拝されていたアメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンの言葉だ。「みんな似たような考え方をしているところでは、思考力をいっぱい働かせる人間は一人もいない」。 拙著『ロシアとの戦争?』はもっと思考力を働かせてもらおうとする私のささやかな試みだ。

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ステファン・F・コーエンは、ニューヨーク大学とプリンストン大学のロシア政治研究の名誉教授。この記事は元々ネーションに発表され、ステファン・コーエン『ロシアとの戦争?プーチンとウクライナからロシアゲートまで』からのものである。この本はスカイホース出版からペーパバックとE-bookで発刊されたばかりである。
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フランスの「黄色いベスト運動」は全EU諸国労働者の勝利

France's Yellow Vest movement strikes a victory for working people across the EU

ジョン・ワイト

RT Op-ed 2018年12月5日

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年1月11日)

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://www.rt.com/op-ed/445661-yellow-vest-victory-working-class/



ジョン・ワイトは様々な新聞やウェブサイトに寄稿している。その中には、the Independent, Morning Star, Huffington Post, Counterpunch, London Progressive Journal, and Foreign Policy Journalなどがある。 
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© AFP / Abdulmonam EASSA

フランスの「黄色いベスト運動」はどこからともなく噴出したように見えるかもしれないが、この成果に至るまでには時間がかかっている

カール・マルクスは言った。「人間は自分自身の歴史をつくる。 しかし、それは人間の自由意志からではない。 自分で選んだ環境のもとではなく、すぐ目の前にある、与えられ、維持されてきた環境の下でつくるのである。」  

そして、ここ数週間、「黄色いベスト」を着て抗議に立ち上がり、パリの中心部を占拠している数千人もの人たちが、更にはフランス国内の数百万もの普通の労働者も含めて、この間ずっと対決し続けているのは、破綻し、機能しなくなった新自由主義経済モデルがもたらしている深刻な現実に対してである。 それに輪を掛けて事態を悪化させているのが、フランス大統領エマヌエル・マクロンを中心とする新自由主義経済推進者たちの動きだ。 彼らは新自由主義の名で粉飾された、深刻で悲惨な現実(ディストピア)に人々が覚醒しないようにしているのだ。

フランス政府が燃料税の提案を保留する決定を下したことは、フランス国民の勝利だった。 人間の尊厳を保った生活の質を求める権利のために戦い、争うのはフランス国民の数世紀に及ぶ長い伝統なのだ。 

マクロンが、自分の信奉する新自由主義の神の言いなりに、国民を無視する態度は尋常ではなかった。 そんなマクロンを実力行使で譲歩させた黄色いベスト運動は、全EU諸国の労働者に大きな貢献をすることになった。 つまり、不正を前にされるがままというのは、更なる不正を招き寄せるということにしかならない、ということを思い起こさせたのである。  

マクロンは当初、譲歩は認めない(つまり、彼は以前しっかり譲歩をしていたことになる)という「ケーキを食べさせておけばいい」的なトンチンカンな大言壮語を身の程知らずにも国民に対して言明していた。 つまり、「燃料の価格が上がることに不満を言う人間は、汚染や子どもたちが苦しむ現状に不満を言う人間と何ら変わらない」と。どう転んでも、マクロンは自ら大統領職を辞任するか、次の大統領選で国民の審判を仰ぐかのいずれかだ。 

明々白々なのは、上位100の会社や企業だけで世界の71%の排出に責任があるという事実に、現在のエリゼ宮(大統領府)の占
拠者たちは良心の咎めをあまり感じていないらしい、ということである。マクロンは、経営者や富裕層の減税、そして年金削減と所得最底辺層の福祉削減などの施策を最近続けざまに行い、そういった会社や企業の気まぐれな関心に熱心に奉仕している。

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‘Out of touch’: Protesting French people want to be heard – but gov't does not listen


更に、そういった会社や企業に巨額な恩恵的資金が制度的に流れ込み、世界の一流銀行や金融機関が優遇されていると言われている。他でもない、2008年の世界的金融危機と世界規模の不況を引き起こした張本人は銀行だった。このことは、一転して、金融危機には責任のない庶民が、緊縮財政という形での経済的戦争に直面させられる事態となった。 

上に述べた汚点を明らかにすることでしか、体制側のメディアが執拗に吐き出す新自由主義的なプロパンガンダの霧の中を切り進む道はない。 メディアそのものが問題に取り込まれた存在と見られるようになってからだいぶ時間が経っている。 メディアの元々の役割は富裕権力層のお抱えではなく、労働者の顔に降りかかった塵を払うことだったはずだ。 

マクロンは、自分を世界の舞台で闊歩する巨像のように思っているかもしれない。しかし、彼以外の人間には安っぽいナポレオンにしか見えない。そんな人物が欧州軍を話題にする様子は、新自由主義が年月をかけてこしらえ、誕生させた政治家の典型の姿にすぎない。 現在の危機に至る前にも、彼の支持率は地を這うほど低かった。それでも、同じように贅沢な他の指導者たちと変わらず、現実世界には無頓着なだけなのだが、それを何故か強力な指導力と思ってしまうのだ。

そういったことは、実際のところ、問題のはぐらかしにしかなっていない。 つまり、他とは隔絶された西側の新自由主義支配層に寄生する輩が、自分たちに甚大な損害をもたらす経済的独裁の帰結に、一体、いつ目覚めるのかという問題だ。 もっとも、そんなことがあるとすれば、の話だが。

ここイギリスではトニー・ブレアが「反ブレグジット(=反EU離脱)」運動の事実上のリーダーとして担ぎ出されるという許しがたい光景が展開している。 中東に石油とマッチを持ち込んだ人間が、しかもこの国のブレグジット運動の中心ではハエほどの重さしか持たない人間が、金ぴかの豪邸とテレビ局を往復する車のお抱え運転手に指示を出す以上のことができる、と信じる人がいるということがびっくりだ。

アメリカに目を向けてみよう。 政治的には死んだはずのヒラリー・クリントンの棺桶の蓋がこじ開けられた。 犯人は現実を理解していないワシントンのリベラル派の体制である。 2016年の選挙でトランプが当選した後、地球を離れ、今でも宇宙のどこかで漂っているはずの連中だ。

トランプは、クリントンやオバマが長い年月アメリカ国民の食卓に提供してきたものを政治的受け継いでいる、という事実をアメリカのリベラル派が直視しないことは破局的な事態だ。 トランプが通常のビジネスをいやいや妨害するという話ではない。 自由の国アメリカで大麻の合法化に未だ反対する強力な議論が存在するのと同レベルの話だ。  

ドイツ西部の町トリーアが生んだ聖人カール・マルクスに話を戻す。 次の一節は19世紀の古典である『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、21世紀の各国政府が資本という神を祀る祭壇に額づく現実を詳細なテクニカラー版で描き出している。

「ボナパルト(=マクロン)はすべての階級に恩恵を施す長老として登場したいと思っている。 だが彼が一つの階級に恩恵を与えるには、もう一つの階級からむしり取ってこなければならない。」

黄色いベスト運動は、むしり取られるだけのフランスの労働者階級の時代が過ぎ去ったことを知らしめた。

一方、緊縮財政が大虐殺の大半を引き起こしてきたヨーロッパのこの国、つまりイギリスのことになると、フランスの運動に呼応して「黄色いベスト運動」に応えようとするものが何もない。 そんなところを見ると「フランスではエリートは人民を恐れるが、イギリスでは人民がエリートを恐れる」という古い諺が真実性を帯びてくる。 

2010年に保守党が権力を握って以来、イギリスの国中で、新自由主義支配層によってその腸(はらわた)がくり抜かれ、首には鉄環を巻き付けられたようになってしまった地域社会において、フランスの蜂起に呼応して聞こえてくるのは、今のところ飢えた子どもたちの腹鳴だけだ。 2018年には400万人以上の子どもたちが飢えているというデータがある。

さて、いくらイギリスが覚醒しにくいライオンだとしても、いつかは目を覚ます必要がある。 イギリスが覚醒したら、さて?
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MLK暗殺裁判判決についてキング家の記者会見(書き起こし)                  (1999年12月9日) ジョージア州アトランタ市

The Transcription of the King Family Press Conference on the MLK Assassination Trial Verdict December 9, 1999 Atlanta, GA

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年1月8日)

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://ratical.org/ratville/JFK/MLKACT/PressConference.html

コレッタ・スコット・キング: 私の夫マルチン・ルター・キング・Jrが暗殺されたことについて、かなり高度な陰謀によるものである証拠はたくさんあります。そして今回の民事訴訟における陪審員の一致した判決は、その考えが間違っていないことを裏付けてくれました。この判決に心から拍手をお送りします。そして正義の判決が陪審団の熟議によって出されたと感じております。 

今回の判決は、私の家族にとって大きな勝利であっただけではなく、アメリカにとっても大きな勝利です。そして真理そのものにとっても大きな勝利です。今回の評決がすばらしく迅速であったことも重要です。陪審員団が約1時間の熟議をした後、評決は下されました。陪審員団が、裁判の過程で提出された広範囲に亘る証拠に確信を持っていたことは明らかです。その証拠とは、ジョワーズ氏ばかりでなく、マフィア、市、州、そして連邦政府機関も、夫の暗殺に深い関わりを持っていたということです。  

また陪審員団は、狙撃者はジェームズ・アール・レイの他にいて、レイはその罪をなすりつけられたのだという、抗えない証拠を認めました。私の家族は報復することに何の関心も持っていません。唯一の関心は、夫暗殺の全貌が明らかにされ、それが法廷で裁定されることでした。この裁判を進めるにあたって、なぜ時間と労力を使って辛い過去のことをほじくり返すのだ、という声がありました。それに対しては、私達の家族も国民も簡単に答えられます。国のシステムが機能していないが故に、我々も国民も今回のことに関わりを持たざるを得なかったということです。 
 
夫の暗殺に責任がある人たちは、その関与について責任を問われることはありませんでした。だからこそ、今回の判決は正義と真実にとって大きな勝利なのです。夫の被った悲劇に再び目を向けることは、生半可な苦痛ではありませんでした。でも私たちが感じたのは、真理を追求するために全力を傾けることは、私たちの義務だということです。私達の家族の心の平安のためだけではありません。私たちの国アメリカにも、事の終結と癒やしをもたらすためであります。私たちは真実を明らかにするために、できる限りのことをしました。そしてここにおいでのメディア関係の皆さまに強く申し上げたい。今回の裁判で明らかになったことを、極力多くの方々に伝える努力をしてください。同時にそれは、議員の方々や影響力のある方々に呼びかけることにもなります。 

今回の裁判は、関係者にとって決して容易なものではありませんでした。陪審員団とスウィーリントン裁判長にも感謝申し上げます。公正な判決に向けてひたすら献身していただきました。弁護団の皆さまにもお礼を申し上げたいと思います。ウィリアム・ペッパー博士他弁護団の皆さまには、この裁判に正義をもたらすため、身を粉にしてご尽力いただきました。ペッパー博士は多くの年月と私財をこの裁判に投入してくださいました。博士は個人的にも貴重な犠牲を払われ、夫の暗殺についての真実を追求されました。 

息子のデクスターにも感謝したいと思います。彼は大きな勇気と忍耐強さを見せてくれ、不当な個人攻撃を少なからず彼が受け止めてくれたので、私たちは暗殺の真相に辿り着くことができました。他3人の子どもたち、ヨランダ、マーチン、バーニーにも感謝したいと思います。彼らは信念を曲げず、辛い思いに屈せず、揺るがない努力を積み重ね、父親暗殺の真実に迫りました。「モラルの領域の弧は長いが、それは正義の方に曲がる」とは夫の言葉です。私の夫であり、子どもたちにとっては父親であるマーチンが暗殺されてからおよそ32年。私は今日しみじみ思うのですが、今回の陪審員団の評決は、この原則をはっきり支持して下さっています。この信念があれば、私たちは21世紀と次のミレニアム(千年紀)を希望と癒やしに満ちた新しい精神で始めることができます。

デクスター・キング: まず申し上げたいのは、ここでこんな風に話をするのはとてもつらいことなのです。しかし、重い心を引きずりながらも、ここにいることで、私は苦みと喜びを同時に感じます。辛いというのは悲劇、それもおよそ32年前に起こった悲劇に取り組み、今日になってもまだそれに取り組んでいるからです。喜びを感じるのは事の真相がついにわかったからです。喜びを感じるのはこの家族の正当性が証明されたからです。喜びを感じるのは、私たちはやっと本当に自由になったと申し上げられるからです。   

やっと私達は自分たちの人生を歩んでゆけます。母には本当に感謝しています。母は率先してたゆみない努力を傾け、この間ずっとこの重荷を背負い続けました。私たちは当時子どもでした。何が起こっているのか本当のところ分かっていませんでした。妹と弟へ、3人は揺るぎない態度でこの場にいてくれます。伯母へ、私たちは一つの家族として団結し努力してきました。私たちはついに求めてきたものを手にしました。つまり、きっと真実をたらしてくれる証拠を法廷に提出できる機会がやってきたからです。

私たちは、私たちがずっと言い続けてきたことを支持してくださる12名の陪審員の方々を持つことができました。もしアメリカ国民が実際に傍聴することを許されるのなら、12名の陪審員と同じ結論を下すことでしょう。とくにお礼を申し上げたいのはウィリアム・ペッパー博士です。博士のご奮闘がなければ、真相を知ることはなかったでしょう。本当の意味で裁判に関わることもなかったでしょう。メンフィスで得られた証拠と情報があるからこそ、今回の裁判は勝利したと心から思えるのです。

私たちはいろいろな報告に耳を傾けるわけですが、そうすると悩んでしまいます。判決が出たことで答えを上まわる数の疑問が生み出されてしまうのからです。それは完全な誤りです。ほぼ4週間に及ぶ証言の席に連なった人は誰でも、70名を越える証人、それも信頼できる証人や、数名の裁判官、他の非常に信頼できる証人に至るまで、真理はここにあることを知るでしょう。現在の問題は「それで、これからどうするのか?」です。私達は家族としてその役割を果たしました。この真実を覆うものをできる限り取り除きました。事の真相はわかりました。それは公的に記録されました。閲覧可能となるでしょう。やがてネットでも閲覧できるようにします。少しでも真相を知ろうとする気持ちがあれば見つけることができます。 

そして次のことはきちんと申し述べ、記録に残しておきたいと思います。何気なく不正確な報道をされているのかもしれないメディアのみなさま、いいですか、みなさまがいろいろな事実を知らずにいるかもしれないので、はっきりさせたいと思います。メディアの情報操作に加担されているかもしれない方々も、耳を傾けていただきたい。ジェームズ・アール・レイが自白したという、いつも真っ先に出てくる言葉は正しくありません。彼は自白など一切していません。彼は司法取引をしたのです。この法的プロセスをご存じであればすぐわかることですが、司法取引と自白は別物です。なぜ? 司法取引は、本質的に、刑を軽減してもらうことを目的に持ち出されます。同時にそれは犯罪を犯したことを認めることにもなります。  

二つ目です。今回の評決は、報道されている通り、ジェームズ・アール・レイ以外の人物が関わりを持っているという陰謀説を採りませんでした。陪審員団の評決は陰謀説に加担するものではありませんでした。このことは明確にしておきたいと思います。陪審団が評決した証拠は次の三点に他なりません。    
1.ジェームズ・アール・レイは狙撃者ではない
      2.彼は犯人に祭り上げられた
      3.彼は騙されたことがわかっていない
ロイド・ジョワーズは、彼と共謀した人物も含め、州、市、連邦政府当局と関わりがある、ということも陪審員団の結論でした。そのこともはっきりさせておきたいと思います。みなさまの情報源は怪しげなものばかりです。

また、父暗殺のことで発言する資格があるのは、1)現場にいた人、2)陪審員、3)家族、そしてもちろん4)弁護団だということをはっきりさせたいと思います。あの人はキング牧師と一緒に行進したと誰かが言っているからというだけで、この件に関する信頼できる証人とはなりません。政治的なパイプがあるからとか、同じ嘘を繰り返すことでキング家の信用を相変わらず失墜させている政府広報担当者であろうが、関係ありません。今回のことは父に降りかかったことです。国の安全に関わる問題がある時に使われる、きわめてはっきりとした計画と手順が存在します。まず、その人の信用を失墜させようとする動きです。 

二番目に嫌がらせがあります。そして、嫌がらせもうまくゆかなければ、最後は殺害か排除です。それが愛する父に起こったことでした。父は体制に挑戦したのです。 父はベトナム戦争反対を明言しました。父は貧困への対処を語り、貧しい人たちをワシントンに連れて行きました。同時に政治的なプロセスにも関心がありました。父の力は強大になりすぎました。母も言ったことですが、次のことは忘れないでおきましょう。国というシステムが機能しなくなったので、市民が当然のことを実践するのです。その機能不全が、何よりもまずマルチン・ルサー・キングJr.や他の人物たちを生み出し、彼らを街頭で最前線に立たせました。彼らは、殴打され、残虐な扱いを受け、殺されることすらありました。 

さて、国が正しいことをしなければならないのに、機能不全があります。するべきことは、それは今だれがこの人を殺したか探し出すことです。そうすると国は血まみれた手を自ら差し出さなければならなくなるでしょう。だからその捜査は、個別の市民の努力にゆだねられているわけです。父も一人の市民として、個人のレベルにまで後退して他の手段を模索しなければならなかったのです。民主主義を与えてくれたことを神に感謝します。欠点だらけですが、アメリカにはまだ(民主主義という)一つのシステムが残っていて、正義が達成されることもあるのです。だから今回の評決は、この民主主義の最後の砦に向かって声を上げたのだと、心から思います。この裁判において12名の自立した陪審員は何らかの真実を聞くことができました。そしてここにいらっしゃるメディアのみなさまばかりでなく私もそれを耳にし、知る機会を与えられました。ですから、その点で喜ばしいことなのです。

最後に、32年経って真相が明らかになったので、私たちはやっと自分たちの人生を歩み続けることができます。司法省の動きはどうでもいいです。司法省は正義(Justice)を体現していません。私たちが今回のことについて司法省の手を煩わせることはしませんでした。彼らが自らを訴追することなど考えにくいことです。誰が警察に対して警察力を行使するというのですか?それはアメリカ国民にかかっています。私たちキング家はやれることをやりました。次はあなたがた、メディアの皆さまです。皆さまが心の中の「あるべき力」を自分のものと感じ取り、12名の陪審員の方々がされた今回の仕事を公表すること、それこそ皆さまのお仕事です。事の真相は分かっています。それで完了です。どうぞ、今日からはこんな質問はやめてください:「ジェームズ・アール・レイが、お父さんを殺したのだと思いますか?」 そんな質問をずっと聞き続けてきました。こう答えるのも最後です。「信じていません」と。ご清聴ありがとうございました。  

マーチン・ルーサー・キング三世: 今の兄さんの話、話し方も内容もすごくよかったと思います。まずそれを言っておきます。父と一緒に仕事をしたすべての人を代表して、そして父が共同設立したSCLC(南部キリスト教指導者会議)のスポークス・パーソンとして、私は兄のデクスターや母が言ったこと以上に言えることはあまりありません。確かに、ここに至るには長い、長い時間がかかっています。大事なことは、真実はいつか明らかになるということです。大事なことは、前進を続けるなら、いつか、それも黄昏時になっても、ある日真実という結論に到達できるということです。このようなことは多くの人たちのお力添えがなかったらできませんでした。私からもペッパー博士と彼のチームに感謝いたします。今回の裁判に、ほぼ20年あまりに亘って取り組んでいただきました。兄にも感謝しなければなりません。兄はキング家のみんなを落ち着かせ、家族のみんなに怯まず問題に取り組もうと激励する役割を演じてくれました。今回の問題が、たぶん、キング家の信用失墜を図る流れになることをみんな分かっていたので、励ましてくれたのです。 

私達は狂っていると口にする人がいました。私達の狙いは他にあるとはっきり言う人もいました。私たちがやろうとしたことは、真理を追い求めることだけでした。ですから、ある意味で今回は一つの終結であり、私たちにとって一つの章の終わりかもしれませんが、兄も母も言いましたように、別の人たちにとっては単なる始まりにすぎないかもしれないのです。私たちは今日喜びでいっぱいです。願わくはみなさまも、今回のことを契機に真実追求の姿勢を崩されませんように。ご清聴ありがとうございました。

バーニス・キング: ちゃんと話せるか不安です。父が暗殺されたことについて今まで一度も発言したことがないからです。私はたった3歳でした。 覚えていらっしゃるかもしれませんが、父の葬儀のとき私は母の膝の上でした。だから申し上げることはあまりないのです。本当の意味で私が思い出す言葉は最高裁が下した判決で語られた言葉です。アラバマ州モントゴメリー市で起こったバスボイコット事件の裁判です。最高裁を通じて「神が語られた」というのがその言葉です。神は今回12人の自立した陪審員を通じて、テネシー州メンフィス市で父の暗殺に関して言葉を語られたと思うのです。口幅ったい言い方になりますが、牧師を務めている関係上、キング家の魂の導き手として、今回のことに対し神への真の賛辞を捧げなければなりません。神が嘘つきではないかどうかは、私たちの理解の及ばないことです。神の言葉はこうでした:「汝らから離れたり、汝らを見捨てることは絶対ない、地球最後の日まで汝らと共にいる」。ですから、私はこれからのことについても神を賞賛します。私の家族へのご慈愛を感謝します。 

私の家族は、ウィリアム・ペッパー弁護士のことで、神を賞賛します。ペッパー弁護士には疲れを知らない勤勉さでご奮闘いただきました。聖書の言葉です:「今の仕事に倦むことなかれ。飽きずに励んでいれば、時期がきて実を刈り取るだろう」。今日私たちは収穫を得ました。私たちだけではありません。この国アメリカもそうです。そして私は信じているのですが、神はマーチン・ルーサー・キングJr.の暗殺に関して更なる真の言葉をついには語ってくださるでしょう。というのも、私たちが最初から申し上げていることですが、事件の記録を歪みのないものにするために、心の平安と満足感が必要なのだとしても、私たちが取り組むべき現実は。誰がマルチン・ルター・キングJrを殺したか、ではありません。アメリカという私たちの国が次のミレニアム(千年紀)に進んで行くにあたって、何がマーチン・ルーサー・キングJr.を殺したか、なのです。つまり、何がマーチン・ルーサー・キングJr.を殺したのか、という問を立てれば、私たちはアメリカ国民として、目を背けるわけにはゆかない不正義の数々に取り組むことになるでしょう。アメリカは、結局は、この世界をリードする国なのです。ですから、これまでの流れに対して神に感謝いたします。アメリカ国民が今回の真相究明に多彩な方法で絶え間なく声を上げてくださったことに感謝します。この時点でまだ声を上げられていない方々にも感謝します。祈ることによって支援していただきました。   

ウィリアム・ペッパー: 一言述べさせていただきます。アメリカという偉大な共和国は、その歴史を通し、マーチン・ルーサー・キングが人生の最後に対決しようとした課題を正面から見据えることを恐れてきました。デクスター・キングがかなり率直に言っていました。マ-チン・ルーサーはベトナム戦争に反対しました。貧しい人たちをワシントンに導き、議会議事堂で貧困層の大義を訴える集会を持とうとしました。人々はワシントン記念塔の陰にテントを張り、この国土に様々な権力が厳として存在していて、自分たちにはいろいろな権利があっても、それが拒絶されてきたことを、政治家たちに想起させようとしました。

キング牧師はこの国の政治を支配する勢力、つまり強力な経済的勢力に挑んだが故に殺されたのです。彼が殺されたのは、彼の動きを止められなかったからです。彼が殺されたのは、50万の人々がこの国の議会議事堂で革命に立ち上がり、ジェファーソン氏がこの国を20年ごとに浄化する必要があると語ったことをするのではないか、と恐れたからです。 この国はまだ浄化されていません。この国は、マーチン・ルーサー・キングJr.が息絶えるまで、真正面から対決しようとした諸問題にきちんと立ち向かったことがありません。例の集団は今日でも存在しています。悪の勢力のことです。この国の政治を支配し、戦争で金を儲け、貧しい人々の権利、つまり生まれながらに持っている権利を剥奪しようとする強力な経済的勢力のことです。彼らは今でも圧倒的に支配者の立場にあります。

陪審員団は、キング牧師が根っからの市民活動家と見られるようになった背景を聞きました。陪審員団は、キング牧師がそういう色づけをされる理由を最後には理解しました。彼は根っからの公民権活動のリーダーではありませんでした。彼は世界的に大変な名声のある人物だったのです。彼は道徳理念の旗振り役で、アメリカ中で見聞きされました。アメリカでも、ヨーロッパでも、東南アジアでもそうでした。彼にはそういった圧倒的な存在感がありました。彼は体制にとって危険人物であり、脅威でした。だから彼は抹殺されたのです。 

陪審員団が耳にしたことがもうひとつあります。ほぼ4週間にわたってすべての証人が証言したのですが、 彼が暗殺されたのは、メンフィス滞在中、警察警護がすべて解除されていたことが理由です。ブラック・ファイアマン(黒人消防士?)すら取り払われていました。彼のボディガードはお役御免でした。攻撃部隊は戻されました。手順は着々整いました。それからジョワーズとマフィアとの関わりが、暗殺計画と背後関係について調査するなかで前面に出てきました。 

ジェームズ・アール・レイを操った男は、提示された一連の写真を見て偏らない複数の証人によって特定されました。あるイギリス人ジャーナリストの話に似ています。彼はこの男の写真を自分の娘に見せました。そして「パパが真っ先にこの男を特定している写真なんか誰でも手に入るわよ」と彼女は言いました。あるポルトガル人ジャーナリストがこの父娘に会い、アメリカ政府がこの男をどんな風に守っているかを聞かされました。現在彼らの家の電話は保護装置がついています。この人間は誰ですか?アメリカ政府が保護し続けるこの人間は誰ですか?どんな襲撃からこの人間を守っているのですか?そして証拠はさらに広範囲な陰謀を裏付けていきます。

実際、消防署の屋上にカメラマンがいたことを知っていましたか?人の軍属カメラマンが消防署の屋上ですべてをカメラに収めていたことをみなさんは知っていましたか? カメラは2台です。1台はバルコニー、もう1台は車道から藪で覆われた場所です。撮影位置を頻繁に変えています。写真が国防総省の記録保存室に埋まっていたのですが、当然みなさんは知りませんでしたよね。どうして知らなかったかおわかりですか?この事件には警察捜査が全く入っていなかったからです。一軒ごとの聞き込みもありませんでした。2週間も経ってから、近所に住む人が言いました。「警察は一度も私の家のドアをノックしていません。じゃ、私が見たことをお話ししましょう」。 そして彼女は証言台に立ち、見たことを話しています。彼女は、「一人の消防士が警察に『写真はその藪に覆われた場所からだった』と話しているのを目撃した」と証言しています。しかし警察はそれを無視したそうです。 

一人の男が小道から走り出し、車に乗り込むのを目撃されています。そして彼はまさに警察署の正面から追い立てられるように走り去っています。それでいて、警察は彼を全く止めようともしませんでした。そうなのです、みなさんは知りませんでしたよね、こんなことがあったことを。知っていましたか?警察は消防署を管轄する消防隊長に話をしませんでした。30年間だれ一人この消防隊長に話をしませんでした。彼が複数のカメラマンを消防署の屋上に配置したのです。彼は証言台に立ち、「ええ、私がカメラマンをそこに配置しました。警察は資格証明書を見せて、写真を撮りたいのだ、と言いました」と明言しています。その写真はどこにあるのですか?その証拠はこの間ずっと存在していました。国防総省の記録保存室にずっと埋まっています。  

マーチン・ルーサー・キングJr.の死の悲劇は、ここにいらっしゃるキング家の悲劇です。キング家は、私の見るところ、何世代にも亘り、第一次世界大戦にまで遡って軍の諜報部の監視下に置かれていたアメリカで最初の家族です。 それもキング家の闘いと彼らが何を目指して闘ってきたか、が原因です。今日までキング家は恐れられてきました。ですから、それがこの家族の悲劇なのです。この国にとっての悲劇です。そして、それはこの男を失った世界にとっても悲劇です。 

第三の悲劇は、今回のことについて政治的問題として対処すべき議会制民主主義が機能しなかったことです。この種の行動は隠蔽されました。どうやって隠蔽されたのか?ええ、陪審員団の皆さまは、31年に亘るその隠蔽方法についての証拠を法廷で耳にされました。 そしてここが大事なところです、みなさん! その証拠は殺人にまで話が広がります。 お気の毒なことに何の罪もないタクシー運転手が殺されたのです。 彼はロレイン・モーテルのドライブウェイで荷物をタクシーに載せていました。そして狙撃者が壁を乗り越え、マルベリー通りへ走り去り、すぐにでも発車できるように待っていたメンフィス警察の交通車両に乗り込むところを目撃しました。 彼はタクシー配送担当に話しました、「ああ、警察が殺人者と一緒だ。 そいつはメンフィス警察の交通車両に乗せられていった」と。この気の毒なタクシー運転手に何が起こったか?彼はその夜、警察の聴取を受け、翌朝死体が発見されました。彼の死についての記録は皆無です。記録は全くありません。もしこのタクシー運転手の話を聞いていた複数の人が、その人たちはまさにその夜、彼の話を聞いたのです。彼らを見つけていなかったら、私たちはこのことについて何も知ることはなかったでしょう。  

それで、私たちは電話帳から彼の妻と彼のことを探らなければなりません。1966年版、1967年版に目を通し、1968年版に未亡人「ベティ」の名前がありました。彼は死んで、この世の人ではなくなっていました。そして話は殺人から収賄へと進んでゆきます。ジェームズ・アール・レイは2つの場合を想定して多額の金銭を提示されていました。刑務所に入り、有罪を認めれば恩赦があるということです。彼は有罪を認めませんでした。 

ジェームズが入獄中に、彼の暗殺未遂があった証拠がありました。当局がどのようにして入獄中のジェームスを排除し抹殺しようとしたのか。その証拠が提示されました。私たちはその証拠すべてに目を通しました。皆さん、そしてマスコミ関係者の方々!こんなことはみなさんの、メディアのみなさんの力を借りなければ隠蔽することは到底できません。何もジャーナリストのみなさんのすぐれたお仕事ぶりを非難しているわけではありません。 みなさんはここにきて記事を書き、それを編集者に回して、紙面になるのを見るわけです。テレビカメラマンのみなさんもすべき仕事をしていらっしゃいます。最後に、何が放送され、何を紙面にするか、何が観点なのかを決定する勢力にそれは関係することです。そこで私たちはメディア界を主導する専門家の一人であるビル・シャットに、政府が使ったこの情報と宣伝工作について、証言台に立って証言してもらいました。彼は代々の政府がこの種のことをどう行ってきたか、現在に至るまでの手法を詳細に説明してくれました。彼は、キング家がジェームズ・アール・レイ裁判支持を表明した時、当局者の動きがどうであったか、説明してくれました。マーチン・キングがベトナム戦争反対を表明した時の当局の動きについても説明がありました。

そして、いいですか、キング牧師がベトナム戦争反対を表明した時、誰も彼もが彼に反対したのです。メディアは、彼を明日はもうないかのように攻撃しました。全く同じように、メディアは、明日がないかのように、彼の家族を攻撃しました。キング家の人たちが正しいことをしていた時にです。メディアの仕事は事実を明らかにすることであって、隠蔽することではありません。この事実は隠蔽されてきました。この32年間隠されてきたのです。今回の陪審団が声を上げてくれました。そして評決文には何が書かれていましたか?いずれ出てくるでしょう。そして偏見が顔を出します。「ああ、裁判長は裁判中眠っている時間が多かったし、証拠に耳を傾けることはほとんどなかった。ああ、伝聞証拠はどっさりあったな」。言うまでもなく、もし伝聞証拠があるとしても、都合の悪い自白は除外されています。 

こういったことはキング牧師の姿を一度も見たこともない人たちから次々と出てきます。彼らはキング牧師の話を一度も聞いていませんし、彼がやろうとしたことに関心がありません。暗殺は単独犯だ、という説をひたすら聞かされる場に彼らは身を置いています。事態はいつもそんな風に進行します。さて、そろそろ力を合わせてこんな馬鹿げたことに終止符を打つ手段を何とか講じられるのではないでしょうか。こんな馬鹿げたことはお仕舞いにできます。こんな隠蔽を止めさせることができます。陪審員が声を上げてくれた、と私たちは声を大にして言うことができます。陪審団はすべてを聞いています。もしわが国の裁判制度に少しでも良識が残っているとすれば、それは12人から成る陪審員団がいるという事実で、彼らは他の人たちの言い分に耳を傾けることができますし、資料を見直すことができます。50件あまりの証拠物件があり、それらを見直し、自分たち自身の判断をすることができます。

被告側は何度も裁判を棄却させようとしました。 裁判長は拒絶しました。そういった流れで陪審員団の出番となり、陪審団は声を上げました。これこそが法廷であり、癒やしにつながると期待してもいいのではないでしょうか。私たちは真理に到達しました。政府がすることに、そして政府ができることに、家族は満足しています。政府はたぶん過去に例がないようなことをしているのかもしれません。政府がそうしたいというのであれば、やらせればいいのです。現実に進行中のほとんど犯罪的な訴訟の特徴が今もあります。それは政府がこれまで手をつけず、これからもやろうとしないことをこの家族が私的なレベルでしなければならなかった、という事実です。間違いなく、 法廷でこの30日の流れの中で述べられた証拠はすべて32年間入手できるものだったのです。その証拠は人々の目の前に置かれていました。ただ、それに目を向け、質問をし、喜んで話をしてくれる信頼できる人の話を信じるだけでよかったのです。それ以上のことは必要ありませんでした。というのは黒人の商店主たちがいて、殺されたタクシー運転手が彼らに話した「バルコニーにあいつが出てきたら、あのクソ野郎を撃て!」という言葉の意味がわからなかったのです。タクシー運転手がわかっていないことをその男は知りませんでした。その男とはサマービルから来たビジネスマンでした。   

国の伝統的な歴史の中で、たった1年間、彼の人生の最後の1年間で、犠牲者の友人であり同僚だった人物が、20年後にその犠牲者の有罪判決を受けた殺人犯の決着をつけました。そして、正義の最後の探求において、私はついにキング家を代表することとなりました。それが私がたどった過程です。今回のことがその結果です。私たちはついに正義を手にしました。マーチン・キングの裁判に当たって好んで口にしたのがこの言葉です。「真理はどんなにひどく踏み潰されても、いつも再び首をもたげるものです」。みなさん、 昨日テネシー州メンフィス市のあの法廷において、ついに例の踏み潰されていた真理がその首を再びもたげました。本日私たちはその真理を確認しています。 

デクスター・キング: 最後までご清聴いただいたことと、取材に来ていただいたことに感謝申し上げます。これでこちらからの正式な発表を終わりにして、あとはご質問の時間にしたいと思います。

デクスター・キングの答え: この次どうなるかは、お聞きになった通り、本当に私たちの手に負えないものです。軽率で無神経な言い方と思われるかもしれませんが、私たちは今の時点でそれを意に介していません。父の口癖だった健全な利己主義で、この家族は今、浄化され、癒やされ、前に進むことを望んでいます。これで幕です。私たちにとってはそうです。私たちはここから前に進めるとの感触を持っていることを申し上げるためにここに来ました。

デクスター・キングの答え: いや、いや、ジョワーズ氏は共犯者の名をきちんと挙げています。それも名前の誤表記です。どうしてそんなに誤情報が多いのでしょう。唯一言えることは、もしちゃんと時間を取りたいのなら、これらの記録を読むべきです。皮肉なことに、ここに来る時、たまたまジョワーズ氏から私の携帯に電話がありました。話の内容の骨子はこんな風でした。キング家に知ってもらいたし、母に直接言いたいと言っているのは、キング家に危害を加える気持ちはなかったし、今回のことで胸のつかえがとれたことを喜んでいる、ということです。ジョワーズ氏は陪審員団の今回の評決を喜んでいます。そのことは彼の弁護士にも言っていないそうです。どうでもいいことですが。私にはあまり時間がありませんし、私にこれから何が起こるのかは気にしていません。ジョワーズ氏は訴追されることをとても心配しています。それが理由でなかなか前面に出てくれようとはしませんでした。 ペッパー博士は彼に心配はいらないと言い続けました。当局者は真理を望んでいないからです。だから訴追されることはありません。もし訴追されれば、それすべての「公式的な」話は水泡に帰してしまうからです、と。今ではその「公式的な」話が、真実でないことが分かっています。

質問: 法廷外のたくさんの人たち気持ちには、これらの共謀者の名前も顔も分からなければ、本当の終結も正義もないのでは、との思いがあります。

デクスター・キング: いや、彼は狙撃者の名前を挙げました。彼が殺人犯と名指しした狙撃者は、メンフィス警察の警部補アール・クラークです。再度申し上げます。信頼できる証人が特殊部隊のメンバーの名前を挙げたのですが、彼らは任務を遂行する必要がありませんでした。何故なら殺し屋、あるマフィアの殺し屋が暗殺したからです。そのことはもっともらしく否定するでしょうが。 

質問: キング家のお気持ちについて質問させてください。この大きな陰謀グループの顔も名前も分からないかぎり、そしてその陰謀に加わった人物たちの顔と名前がはっきりしないかぎり、裁判が役に立ったことにならない、と感じている人たちがいます。ご家族は、この見方に同意されますか?

デクスター・キング: 同意しません。私たちには分かっているからです。言い方が漠然としているかもしれません。こういったことが起こるには制度的な枠組みがあります。 ですから、遡って誰が命令を下したのか知りたい人のために調査したい、ということであれば、その制度的な枠組みを活用できます。私自身軍隊についてある程度の知識はあります。部隊が国内問題に関わり合いを持つ時、軍司令官はある誓約をすることになっています。 この場合、部隊、つまり特殊部隊はそこにいない、と表明することでした。しかし、実際はペッパー弁護士が証言台に立たせた消防署の隊長は陸軍特殊部隊のカメラマンを屋上に配置したと語りました。もう一人目撃者がいました。メンフィス警察の警視正で、複数の陸軍将校がその場にいたと話しています。そんなに多数の陸軍高級将校がメンフィス警察に姿を見せることは今までに一度もなかった、とのことです。そういうわけですべて情報は出揃っています。ただ、誰一人それにほんとうに目を向けることはなかっただけです。 こんな信じがたい隠蔽は前代未聞です。 とても信じられません。唖然とします。ですが、再度申し上げます。その調査に手をつけたいと思うなら、 このマイクロ波の社会にあって、そういった情報を素早く手にしたいと全員が思うなら、誰でも、私たちや12人の陪審員と同じ結論を見つけ出すことになるでしょう。真剣に腰を落ち着けて、その情報を検討すれば、の話ですが。   

質問: すると、キング家はそういう人たちが投獄されることを必ずしも望んではいない、ということですか?

デクスター・キング: ええ、望んでいません。私たちは今回の問題について、報復的な正義を求めたことは一度もありません。私たちは愛する父の精神に従っています。父はある女性を赦したことがあります。そうです、その女性に刺され、危うく命を落としそうになりました。身近なところでは、祖父が祖母を殺した人間を赦したところを私は目撃しています。私が13歳の時でした。私を含めこの家族が話題にしてきたのは「赦し」のことだけです。 私たちは愛の家族です。私たちは常に口先だけでなく、有言実行しようとします。人々を入獄させることに私たちは何の関心も持っていません。私たちが目指すのは社会の浄化です。なぜなら、これらの社会の病根はまだ消えていないからです。妹がとても上手に言ってくれました。問題は誰がマーチン・ルーサー・キングJr.を殺したか、ではありません。何が彼を殺したのか、どうして彼は殺されたのかが問題です。父が殺されたのは、今日まだ手つかずにある諸々の不正義を父が何とかしようとしていたからです。  

デクスター・キング: 再度、この場にいらっしゃる皆さまお一人お一人に感謝いたします。どんな力であれ、それが物事を裁定し、裁定するのはあるべき正しい力にかかっていることに私たちは希望を持っています。しかし、ご注意ください。キング家が金銭のために今回の訴訟を起こした、という攻撃的言辞を耳にされるでしょう。私は言うことができます。領収書はしっかりお見せできます。たくさんのお金を使いました。そして今回の裁判でたくさんのお金を失いました。儲けはゼロです。ご存じのように、裁判で宣告されたのは雀の涙ほどの金額です。私たちの請求額は100ドルでした。なにがしかの費用は不可避でしたし、間違った死亡訴訟だったからです。 100ドル請求したのは、私たちの訴訟は金銭が目的ではないからです。 私たちはお金を使いました。70人あまりの目撃者に出廷していただいた諸費用をお払いしなければなりませんでした。    

しかし、自由に値段はつけられません。 そして、もちろん、死に値段はつけられません。ですから、私たちが期待するのは、新しいミレニアムに向かって前進できることだということです。そろそろクリスマスです。

質問: 今朝、ジョワーズ氏と何を話されましたか?

デクスター・キング: 彼が言ったのは、今回のことで申し訳なく思っていることを、私に知ってもらいたい、ということだけです。キング家にも、そして母にも。(彼は母の様子を聞いてくれました)。今回の結果については喜んでいる、とも言ってくれました。起こるべくして起こった、というのが彼の言葉です。この年になって自分に何が起こるのかわからない、ということも言っていました。この後、刑務所送りになることを彼はまだ恐れています。彼に最初会った時、彼がまず気にしていたのはそれでした。「刑務所には行きたくない。私は老人だし、とても怖い」と言っていました。司法省が彼に連邦刑事免責を与えても、テネシー州の刑事免責がどうなるのか心配なのです。 もし州刑事免責が与えられないことになっても、私たちは絶対免責が出されるように動くから心配しなくてもいい、と言ってやりました。そんなふうに後押しするつもりです。

質問: その会話で彼が暗殺に関わったかどうか、何か言いましたか?

デクスター・キング: この時は話していませんが、別の機会に話したことはあります。少なくとも2回は直接会って話しました。彼は悪態をつくようなことが実際1回ありました。何か告白でもしようとしたのでしょうか。彼は夜遅く、雑談するために私に電話してきたことが何回かあります。気持ちを整理したかったのでしょう。ある意味で、つまり、もう死ぬことがほぼわかっているような人間は、自分がやったと言ったでしょう。まさにジェームス・アール・レイがそうですが、彼は肝臓移植を提案されていましたから、どうしてそんなものを墓場まで持ち込むでしょう。特に余命がまだある場合は、です。

質問: ペッパーさんへの質問です。裁判で新事実はありましたか?

ウィリアム・ペッパー: リディア・ケイトンが裁判が始まろうとする時に前に進み出ました。 彼女はロレイン・モーテルの通りを少し南に下ったところに住んでいました。狙撃のあった午後、狙撃音を耳にした彼女は二人の子どもの腕を引っ張り、曲がり角に向かって南方向に走りました。狙撃から約8分でその曲がり角に到着しました。隣人の一人が彼女と立っていました。 その人が一人の男を見ています。その男はワンルームのアパートにつながる路地から走り出し、シボレー・コルベアに乗り込み、その車で曲がり角を曲がって行きました。警察はそのマルベリーの曲がり角に立っていました。また彼女が見たのは、一人の消防士が警察に「銃は藪に覆われた場所から発射された」と大声で叫んでいるところです。ケイトンさんの示した証拠と勇気はとても重要です。消防署の隊長が屋上にカメラマンを配置したことを証言した勇気も重要です。この二人は不安と恐怖心を持っていました。それは重要なことだったと思います。

これは、殺されたタクシー運転手ルイス・ウォードに話しかけた重要な目撃者の証言です。このタクシー運転手はネットワークTVチームについて話をしていましたし、彼らがジョワーズ氏を嘘発見器にかけた後、彼らを乗せて空港まで車を走らせました。このことはきわめて重要でした。ジョワーズ氏はある時点で嘘発見器にかけられ、その検査に引っかかりました。いずれ公表されます。ジョワーズ氏は検査に引っかかったと告げられました。テレビチームは空港までの車の中でジョワーズ氏について話をしていました。運転手はジョワーズ氏を知っていたので、思わず耳を聳てました。前の席に座っていた嘘発見器の検査者が、「彼を動揺させる手立ては何もないよ」と言っているのを耳にしました。それから後部座席に座った男たちが尋ねました。「じゃ、どうして一人の人間が、あんなにたくさんの細かいことを記憶しているのだ?どうやったら、そんな正確な記憶の再現ができるのだ?」 前の座席の検査者の返事は「わからないが、彼に嘘をつかせることはどうやってもできないだろうね」でした。  

それから番組が放送された時、ジョワーズは嘘発見器に引っかかった人間としてまだ扱われていました。そのタクシー運転手が出てきました。それから、別のタクシー運転手兼警備員、ジェームス・マクグローと呼ばれる男が出てきて、懸命に証言を避けようとしましたが、結局は証言することになりました。この男は15年後に亡くなっています。マクグローとジョワーズさんは一緒に暮らしていました。マクグローが言ったことはこうです。 ジョワーズ氏の親友であるマクグローは、15年間酒を飲むといつも酩酊して、自分がやったひとつのことに戻るのが常だったそうです。マクグローは暗殺事件のあとジョワーズから例のライフルを始末するように言われていました。彼はメンフィス・アーカンサス橋からミシシッピ川に投げ捨てました。そこに暗殺で使った武器が32年間眠っています。

マクグローの言によれば、素面(しらふ)の時そのことを話すことは絶対にありません。酒を飲むと口にし、詳細はいつも変わりません。内容はいつも同じだそうです。マクグローはジョワーズを信頼し、二人は親密な関係になりました。裁判の流れの中で証拠として出てきたことです。陪審員団はそれらをすべて説得力のある証拠と判断しました。合衆国諜報部のトップにいる人物は、諜報部に訓練された職員など一人もいないと言っています。 彼らは時と場合によっては足を引っ張る存在になることもあるからです。キング牧師警護部隊を率いていた人間は、キング牧師がホテルに最後に入った後のことは全く知らされていませんでした。彼が明言しているのは、受けている指示はキング牧師がホテルに入館する時の警護で、その後の警護は指示されていないとのことです。当初予定されていた中庭つきの部屋201号室が変更になっていることをこの男は知りました。部屋は206号室に変更されたのです。そこは外部から丸見えのバルコニーのある部屋でした。

そして、すべては藪に覆われた場所にあることになります。例の「藪に覆われた場所」です。非常に多くの目撃者が藪の中に人影があり、そこを乗り越えて、走り去るのを見ています。ご存じのように翌朝7時、メンフィス警察署のサム・エバンズ警視正が公共事業署の管理官であるメイナード・スタイルズを連れて来ました。そしてスタイルズ氏にチームを編成してその藪の伐採を指示したのです。4月5日午前7時、藪の伐採のためにチームが送られました。さてそれを警察用語で言い換えるとどうなるでしょう?こうなります。犯罪現場をめちゃくちゃにし、現状をまったく別物に変えてしまったということです。決して同じ状態にもどらないようにしたということです。藪に覆われた場所がなければ、狙撃者が存在することは不可能です。つまり、警察がやったことはこういうことなのです。 これですべて明らかになりました。 

最も感動的な証言は前政府諜報員だった人のものだと思います。国家安全保障会議(NSC)のとても信頼できる人物で、現在末期の肝臓癌です。彼の親友が第20特殊部隊の狙撃者として現場にいました。証言の内容は①その特殊部隊のことを知った経緯、②部隊の指示系統、③部隊の作戦内容をその親友から70年代に遡って話を聞いたというものです。彼の証言は、スクリーンに映し出されたものでしたが、釘付けになりました。彼は肝臓癌の末期で出廷することはできなかったのです。法廷で明らかにされた暗殺にまつわる動き全体の証拠は、一つや二つではなく、それを取り纏めようとすれば取り残しが出てしまうでしょう。関心をお持ちの方はぜひその記録をご覧になったらいいと思います。記録内容をかみ砕き、見られる展示物には目を通してみてください。その中にはある種の軍事資料や人物の名前も出てきます。私の調査結果報告書の一部もご覧になれます。

私にメールを送りたい方はwpinclawus@aol.com.へお願いします。質問や情報の提供はいつでも歓迎です。そろそろこの長丁場の記者会見も終わりに近づきました。これはと思う政府関係者には、直接出向いて質問をぶつけてみてください。というのは、現在政府はやりたいことは何でもやれる権限を持っているのです。隠蔽工作はこれ以上続けられないと思います。しかし、他の点について今後どうなるかについては懐疑的です。ご清聴ありがとうございました。


[訳注] この記事と関連して、MLKとJ・F・ケネディ、ロバート・ケネディの暗殺を総合的にを扱った記事をこのサイトにも載せてあります。下記のURLで参考にしてください。

「公権力によるキング暗殺50周年」Paul Craig Roberts、January 19, 2016
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
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日本は福島の汚染土壌を公園や緑化地域にリサイクルする

Japan ponders recycling Fukushima soil for public parks & green areas

RT World News 2017年3月28日

(翻訳: 新見明 2019年1月3日)

<記事原文>(寺島先生推薦)
https://www.rt.com/news/382515-japan-recycling-fukushima-soil/


労働者が汚染された土壌を含む黒いビニール袋を動かす。福島県、福島第一原発近く© Toru Hanai © Reuters

日本の福島県から出た汚染土は、「緑化地域」造成用の埋め立てに使われる可能性がある、と政府審議会は提案したが、除染土から出た残留放射能を恐れる市民は反発した。

環境省審議会は月曜日に、2011年福島第一原発のメルトダウンで汚染された土壌を、公共用地埋め立て用の一部として、再利用することを提案した。

Read more
批評家は、日本が原発を容認する「もう一つの悲劇」だと警告する。


その提案で環境審議会は「公園」という語をあからさまに使うのを避け、その代わり人々の怒りを明らかに避けるために「緑化空間」と言った、と毎日新聞は伝えた。

新聞社の調査によれば、環境省は「公園とは緑化空間を含む」ことを明らかにした。

環境省はまた、新しい公園のために汚染土を除染してリサイクルすることに加えて、そのようなリサイクルモデルに対して人々の信頼が得られるように新たな組織をつくる必要があると強調した。

直ちに起こった人々の懸念を沈めるために、審議会は除染された土壌は住宅地域から離れたところで使われ、去年承認された政府ガイドラインに適合させるため、食物の生育に適した異なった土壌で覆われるだろうと述べた。

去年6月、環境相は国道や防潮堤のような公共事業に、5000ベクレルから8000ベクレル/kgまでの放射性セシウムの汚染土壌を再利用することを決めた。

これらのガイドラインの下で、今や公園での利用にも拡大され、汚染土壌はきれいな土やコンクリートや他の物質で覆われるだろう。

政府は当時の発言では、そのような埋め立ては、建設が完了した後、1年で0.01mSv以下の被爆ですむので、近隣の住民に危害を及ぼすことはないだろうということだ。

福島第原発は2011年3月、全電源が停止し、続いて原子炉冷却装置が機能しなくなった。地震と津波が施設を破壊し、放射能をまき散らし、16万人が避難させられた。6つの原子炉のうち3つがメルトダウンし、福島原発は1986年チェルノブイリ事故以来最悪の惨事となった。

<BuzzfeedNewsより、訳者の画像追加>
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/311graph6


仮置場や、学校などの除染現場でどれほど保管されているのか。それを示した地図を見ると、北は岩手県、南は千葉県や埼玉県にも広がっている。
Kensuke Seya / BuzzFeed

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