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北朝鮮の核ミサイルを作ったのはウクライナの旧ソ連技術者たちだった

<記事原文 寺島先生推薦>

Nuclear family: How Ukraine helped North Korea develop the world's deadliest weapons
Experts point out the Ukrainian roots of Kim Jong-un's rocket program

(核兵器保有国家:ウクライナは世界で最も恐ろしい武器の開発においてどのように北朝鮮を手助けしたのか。
諸専門家の指摘によると、金正恩によるロケット計画の出所はウクライナだったとのことだ。)

出典:RT

2022年7月1日

著者:マキシム・フバトコフ(Maxim Hvatkov)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年7月23日



© AP / KCNA via KNS

 北朝鮮の核ミサイル計画は未だに米国や多くの世界諸国にとっての頭痛の種となっている。

 しかしこの核開発は、北朝鮮当局がソ連の軍事技術を手に入れることができなければ不可能だった。その技術とは、具体的に言えば、核搭載可能な機器のことだが、それがソ連崩壊後ウクライナに残存していたのだ。本記事が省察するのは、北朝鮮が米国や米国のアジアの同盟諸国に対する大きな脅威になる際に、ウクライナが果たした役割に関する思いも寄らない話についてである。

 米・韓・日は多くの共通目的を共有しているが、その中のひとつに朝鮮半島の完全非核化がある。ジョー・バイデン米大統領は、マドリードでの2022年サミットにおいて、この点を再び明確にしていた。 現在、アジア内の米国同盟諸国はこの件に関して懸念すべき新しい理由を抱えている。 6月14日、北朝鮮のパク・ジン外務大臣が発表したところによると、北朝鮮は新しい核実験の準備を完了しているからだ。

 これに先立ち、2022年3月に金正恩最高指導者は自国に自ら課していた2018年の大陸間弾道ミサイル(ICBMs)の実験の一時停止措置を事実上破棄していた。このミサイルは米国本土まで届く能力を有していた。現在、米国政府も韓国政府も、新しい発射実験のニュースがいつになるかを注意深く見守っている。

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North Korea in new nuclear weapons pledge

 世界から実質的に取り残されている国がどうやって、こんな高い水準の軍事技術を成し遂げることまでできるのだろうか? 驚かれるかもしれないが、その答えを見つけるにはウクライナに行く必要がある。


共産主義の国からチュチェ思想の国に届くまでの道のり
(訳註:「チュチェ思想」=中ソ対立のはざまで北朝鮮の金日成主席が掲げた独自の指導原理。政治、経済、思想、軍事のすべてにおいて自主・自立を貫くという考え方。「チュチェ」は「主体」の意味する朝鮮語。)

 今日、ほぼ完全に明確に言えることは、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)が大陸間弾道ミサイルを設計、製造したときに、ウクライナのドニプロペトロウシク市にあるユージュマシュ社の機械製造工場で作られたRD-250ロケットエンジンを利用したということである。

 ウクライナで今でも稼働しているほとんどの企業と同様に、ユージュマシュ社はソ連時代の遺産の一部だ。この工場は1944年、第2次大戦の真っ只中に建設されたが、その後の冷戦時代には、同社の技術者たちは、米国との軍拡競争に臨むべくソ連の最も先進的なミサイルを設計、生産していた。

 21世紀になって、米国政府は再びユージュマシュ社の製品の脅威を感じている。ただ、2014年のクーデター以降は、ウクライナは米国の衛星国家になり、この工場は米国業者と契約を結んでいるのだが。(その契約とは、ロケット台や、ロケット台用のエンジン、ロケット打ち上げの際に使用される様々な構成部品などの製造に関するものである。)

 2017年8月のニューヨーク・タイムズ紙は、英国のロビー団体である「国際戦略研究所( Institute of International Strategic Studies:IISS)」所属のミサイル専門家マイケル・エルマン(Michael Elleman)氏の発言として、朝鮮民主主義人民共和国がRD-250ミサイルを使って自国製の大陸間弾道ミサイルを設計した可能性が高いと報じた。

 「これらのエンジンがウクライナから来たということは十分考えられます。おそらく違法な形で、でしょうが。大きな疑問は、どのくらいのエンジンを北朝鮮は所持しているかということと、ウクライナは今でも北朝鮮を支援しているかという2点です。私はとても心配しています」とエルマン氏は語っている。しかしIISS所属の専門家であるエルマン氏の考えでは、ウクライナ当局はこの密輸工作には関与していないとのことだ。

 ユージュマシュ社の制作部門も、ドニプロペトロウシク市にある同種企業であるユージュノエ設計局も、北朝鮮政府や北朝鮮によるミサイル計画に関して関与したことは強く否定している。 ウクライナ国家安全保障・国防会議議長のオレクサンドル・トゥルチノフ(Aleksandr Turchynov)氏は、このような告発はロシアの諜報機関が行っている「反ウクライナ運動」の一部ではないかとさえ示唆している。同議長の主張によると、ロシア政府自身が北朝鮮を支援していることを隠すための喧伝ではないかとしている。

 しかし安保理決議1718号(北朝鮮に対する制裁を定めた決議)による2018年の報告においては、ウクライナ当局は、北朝鮮の大陸間弾道ミサイルに使用されているエンジンが、ユージュマシュ社製のRD-250ミサイルの構成物を使って製造されたことは十分にありえると認めている。またウクライナ当局は、それらのミサイルの運搬経路はロシア領内を通過したにちがいないという見解も出していた。もちろんウクライナ当局ならそう主張するだろう。
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 ロシア国立研究大学経済高等学校(HSE)欧州および国際総合研究センターのヴァシリー・カシン(Vasily Kashin)所長がRTの取材に答えたところによると、北朝鮮がユージュマシュ社から液体燃料エンジンを受け取ったという問題に関して、公式に記録されているのはこの1件だけである。

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US issues nuclear warning to North Korea

 「ウクライナ当局が北朝鮮にエンジンを送っていたわけではありません。これらはすべてウクライナにいた北朝鮮の科学技術関連工作員たちの手によるものでした。明らかなことですが、2014年以前から、北朝鮮は不法に液体燃料ロケットエンジンを入手していたのです」と専門家であるカシン氏は結論付けている。


いらっしゃれば軍事技術をさしあげましょう

 北朝鮮政府とウクライナ政府との間の関係が友好的で心のこもったものであったことはこれまでなかったのだから、ウクライナが北朝鮮に強力な核兵器を与える意志があったとは考えにくいだろう。しかし21世紀への変わり目において、核ミサイル分野でウクライナと他諸国との間に政治的な腐敗にまみれた協力関係があったことを示す証拠文書は存在している。そうであればこのようなことがおこることも十分に想定内だと言える。

 1994年、ウクライナ政府はついに残存していた最後の核兵器を廃棄した。それはウクライナがソ連崩壊後に保管していた約1000発のミサイルだった。廃棄計画ではうち半分のミサイルはロシアに送り、残りは破壊するとしていた。これは米国が資金提供していた軍縮計画の一部だった。

 しかし2005年に、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ元大統領は、前政権が核弾頭を運ぶことが可能なX-55巡航ミサイルを「数名の代表者を介して」イランと中国にすでに売却していたことを認めている。このミサイルは2500キロの範囲に対応していたので、このような行為はある意味、イスラエルや日本が核攻撃を受ける脅威を増加させることになった。

 ただし北朝鮮には求めていたものを手にする別の方法があった。

 1990年以降、北朝鮮の外交官はソ連の核ミサイル技術を入手しようとして、何度も現行犯で捕まっている。専門家のカシン氏の考えによれば、北朝鮮はかなり以前からウクライナに科学技術に関わる工作員を送り込んでいたとのことだ。

 「情報開示されたKGBの資料によると、北朝鮮がウクライナに科学技術関連の工作員を送り込もうとしていた努力はソ連時代までさかのぼります。工作員が犯罪にあたる行為にかかわっていたこともあったようです。その工作員は、キエフ市内の軍事工場で働いていました。その工作員が対戦車ミサイルの一部を盗んで逮捕されたのです。ドネプロペトロフスクにおいて1990年代や2000年代初旬に、北朝鮮にはソ連の軍事技術を入手する機会が豊富にあったのです。ドネプロペトロフスクで工作員はあちらこちらをひそかに探り回っていました。そしてウクライナ政府はこのことには全く関与していませんでした。ウクライナ政府が自国の技術を故意に売却していたという確証はありません。当たり前のことですが。北朝鮮の工作員たちはただウクライナの対諜報活動が機能していないことを利用しただけでした」とカシン氏は語っている。

 ロシアの軍事専門家であり、元大佐であるミハイル・ホダリオノク(Mikhail Khodarenok)氏がRTの取材に答えたところによると、ソ連崩壊後のロシアとウクライナにおいて発生した混乱や無政府状態のせいで、1990年代は多くの地域において人々の生活に悪影響を与えたということだ。

 「当時、ウクライナは非常に重要な軍事技術を国外に漏らすことが多かったのです。中国でもイランでも、戦略的巡航ミサイル兵器にウクライナの影響が見受けられます。それは驚くようなことではありません。というのもだれもが当時の混乱の時代を生き抜くために最善を尽くそうとしており、ウクライナ当局の預かり知らぬところで、多くのことが行われていたのです」

 「ただし私は北朝鮮がウクライナから多くのことを盗むことができたとは思っていません。これは私の考えですが、多くの場合、両者の同意のもとの取引のなかで行われたのでしょう。そしてウクライナ政府は関わらない形で行われたのでしょう」とホダリオノク氏は話を締めくくった。


© KCNA / Korea News Service via AP
 
 そしてソ連崩壊後20年の間も、北朝鮮による諜報活動は継続していた。

 2012年12月12日、北朝鮮人民共和国は光明星3号1号機(KMS-3)という人工衛星を地球軌道上に配置し、世界で10か国目の宇宙開発国の仲間入りをした。北朝鮮国籍を持つ工作員によるスパイ事件の捜査がウクライナで行われて注目されたのは、その同年のことだった。

 その結果、北朝鮮国籍を持つ2名の人物(ベラルーシの貿易使節団の団員だった)が懲役8年の刑を受けた。両名が逮捕されたのは、技術に関する文書と科学論文を購入しようとしていたからだった。その中にはウクライナのユージュノエ設計局の職員からの重要な研究開発の研究結果も含まれていた。そして両名は液体燃料エンジン体系に関する研究資料1件につき、控えめな額であるが、1千ドルの代金を支払うことを申し出ていた。匿名の情報源がのちにウクライナのストラナ.uaというニュースサイトに伝えた内容によると、北朝鮮は伝説的なミサイルであるR-36(別名サタン)大陸間弾道ミサイルのエンジンの設計に特に興味を示していたとのことだ。これはこの種のミサイルにおいては最も強力なミサイルである。


背に腹はかえられず他諸国で爆弾作り

 北朝鮮の軍事技術入手工作員たちが取り組んでいたと思われるもう一つの課題は、「頭脳移動」現象だ。ソ連解体を決定した1991年のベロヴェーシ合意の後にソ連の技術者たちが何十人も国外に流出していたのだ。

 ソ連崩壊後のウクライナの産業の空洞化のせいで、安定した収入が得られず雇用状況も厳しくなる中で、ウクライナの宇宙関連製造業者であるユージュマシュ社で働いていた何十人もの専門的技術者たちが流出した。それで同社で働いていた人々は生計を立てる別の術を見つけなければならなくなった。

 その選択肢は限られていた。ソ連後の野蛮な労働者市場に揉まれながら努力する(新しい事業を始めたり、セールスマンになったりする)か、危険な誘いに乗り(愛国や法律という観点から道に外れてしまうことも辞さず)、他諸国の核ミサイル計画に一肌脱ぐか、という選択肢だ。

 これらの専門的技術者たちの多くは、ソ連崩壊後、個人的にも職業的にも厳しい状況に置かれていた。彼らのうちの数人は北朝鮮やイラクやパキスタンに行ったのではという話まで考えられている。

 元米国ウクライナ大使であるカルロス・パスカル(Carlos Pascual)氏が後に認めたのは、このような最先端の専門的技術者たちが仕事を失うという現象が軽く見られていたという事実だった。これはただの個人の混乱という問題では済まなかった。大量破壊兵器を拡散させないための重要な要素だったのだ。

 それなのに米国やEUは1990年代中期に、このような現象を進める方向に動いていた。米国や反乱者はウクライナの科学・技術センターに資金を提供していた。この政府間組織が意図していたのは、大量破壊兵器の分野における専門的知識や経験を確実に外に漏らさないことだった。

 カーティス・ビエラジャク(Curtis Bjelajac)センター長が認めたところによると、 このセンターはある特定の専門家たちに金を提供する部門があったとのことだった。その結果、ミサイルや核技術を専門とする元ソ連の科学技術専門家たちに何百万ドルもの金が渡されたようだ。 このセンターの共通理解は、そうすることで危険な技術を操る専門家たちの流出を防ぐ一助とすることだった。しかし本当に流出は全く無かったのだろうか?

 ミハイル・ホダレノク氏によると、技術専門家界隈での認識では、北朝鮮のミサイル開発に手を貸したのはユージュマシュ社で以前働いていた専門技術者たちだとのことだという。

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 「かといってユージュマシュ社で働いていた人たちを断罪することはできないでしょう。当日は皆が生き抜くために必死でしたから。これらの国は高い報酬を与えたのですから。彼らの多くは仕事のために諸国に行ったと思います。重要技術の専門知識がなかったら北朝鮮の軍事技術はこんな発展を遂げることはできなかったでしょう。かつてソ連も同じような形で技術を借りなければなりませんでした。第二次世界大戦後、ソ連はドイツのヴェルナー・フォン・ブラウン(Wernher von Braun)の研究を利用したのです。(RTによる注釈:フォン・ブラウンはドイツの宇宙工学技術者であり、ナチの党員。後に米国で活動)」とボダレノフ氏は語っている。


創造的な核兵器

 西欧や米国と比べて、今年のウクライナ危機における韓国のウクライナに対する支援は抑えた形になっており、ほとんど人道的支援や、非軍事的支援にとどまっている。なぜ韓国政府はもっと支援やしないのだろうか?もしかして韓国は、ウクライナに送った軍事支援が、いつの日か38度線の北側の国に魔法のように現れる可能性を懸念しているのでは?

 ボダレノフ氏は、その可能性はありえないが、面白い考え方だと捉えている。ボダレノフ氏によると、韓国が全力でウクライナ支援にあたらない本当の理由は、「ロシアの全ての家庭は韓国製品を数点は所持しています。ですから、韓国はロシア市場を失いたくないのです」とのことだ。ただし韓国政府は米国政府からの圧力によりその立場を変える可能性があるとボダレノフ氏は警告している。
 
 カシン氏は韓国によるウクライナ支援が控えめなことと、北朝鮮の核問題の間には関係があるとしながらも、違う観点も示している。

 「韓国はウクライナを支援すれば、ロシアが北朝鮮に対する制裁合意に従うことをやめるのではと考えています。韓国政府の理解は、ロシアとの繋がりを全て無くしてしまうべきではないということです。というのも北朝鮮はロシアによるウクライナへの軍事作戦を支持している(世界では稀有な)国だからです。さらにロシアは先進(原文ママ)諸国との関係を結ぼうと南方に目を向けていたため、ロシア政府は北朝鮮との友好関係を創造的なものにすると決める可能性もあります。そんなことは誰も望んでいないことです。特に韓国にとってはそうです。参考までに言いますと、イスラエルも同じような動きを見せています。イスラエルはウクライナに殺傷装置を供給することを拒んでいます。それはそうすればロシアがイランに同じように歓迎されざる武器を送るという対応をとる可能性があるからです」と カシン氏は語っている。


By Maxim Hvatkov, a Russian journalist focusing on international security, China's politics and soft-power tools.
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韓国の保守派新大統領、光州記念式典を祝う異例の行動

<記事原文 寺島先生推薦>

South Korea’s President Demonstrates Unusual Behavoir
(韓国大統領の異例の行動)

投稿元:New Eastern Outlook

著者:コンスタンチン・アスモロフ( Konstantin Asmolov)

2022年5月31日

<記事飜訳 寺島メソッド飜訳グループ>

2022年6月17日



 尹錫烈(ユン・ソクヨル)新大統領に捧げる記事を書く際に筆者が常に強調しているのは、彼を典型的な保守陣営の代表として認識するのは誤りであるという点だ。もちろん、政党「国民の力(PPP)」の候補として大統領になったことが彼の政治を規定している部分もあるが、多くの問題に対する彼の個人的な立場は、学生活動家として政権掌握後の全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍の公開裁判に参加した時代に根ざしている。最近彼がとった行為は、そのことを確認する上で非常に重要なことだ。しかし、まず最初に次のことを確認しておこう。

 韓国は今年5月18日、1980年に当時の全斗煥大統領の軍事独裁政権に反対するために起こされた光州市の蜂起の記念日を迎えた。それはソウルから南に329キロ離れた光州市で繰り広げられたものだった。そして、学生のデモを鎮圧するために派遣された軍は、まず殺傷のために発砲し、さらには 「反政府勢力に共感している 」という理由で、あたりにいる交州市民をすべて殴り始めたのである。これに対して学生や市民は武器を手に取り、1980年5月21日には、刑務所を除く全市が反乱軍の支配下に置かれた。

 蜂起の指導者たちは、米国からの圧力と韓国内の世論によって、軍部の政権奪取計画が破綻することを期待して、時間稼ぎをしようとした。しかし、米国は、左翼の反乱と思われるものを鎮圧する白紙委任状を与えれば、全斗煥を従わせることができると判断した。5月27日、蜂起は軍隊と精鋭特殊部隊によって残酷に鎮圧され、抗議者たちは北朝鮮共産党に同調し援助しているとして告発されることになった。

 公式発表では、この事件で200人以上の命が奪われたとされているが、死亡者の統計では実際には約2,000人の死者が出たとされている。また、負傷者は3,100人以上、逮捕や拷問を受けた人は1,600人近くいた。

 以来、光州市と全羅道は民主党の主な拠点となっている。今年(2022年)3月の大統領選挙では、同党の李在明(イ・ジェミョン )候補が同市で84.82%の得票率を獲得し、尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏は12.72%の得票率にとどまった。

 この出来事に対する態度は、民主党と保守党の古典的な主張を分ける良い目印となる。前者にとって、5・18蜂起は軍事政権に対する民主化運動であり、憲法前文に記入する価値があるとされることが一般的だ。

 保守党の議員は、この蜂起を群衆が引き起こした暴動と呼び、極右の中には、北朝鮮の工作員が組織・実行した国家存亡をかけた共産主義者の蜂起であるとの根拠のない(筆者の見解だが)非難までしているものまでいる。例えば、今年6月1日に予定されている江原道知事選挙に立候補した金鎮泰(キム・ジンテ)氏や、極右派の智万元(ジ・マンウォン)教授は、光州の蜂起は住民によるものではなく、南に潜入した北朝鮮兵士によるものだと主張し続けている。しかし、その主張は公に反論されている。そのため、智万元が「北朝鮮の工作員」と断定した写真の人たちは、彼を訴え、あっさり勝訴している。

 1997年に、5月18日は「国民追悼の日」に制定された。保守系の李明博(イ・ミョンパク)、朴槿恵(パク・ウネ)両大統領も欠席できなかった記念式典だとはいえ、この日の式典は、政権を担う大統領によって規模が大小し、その都度メディアでその是非が論議されるようになった。

 式典の際に「最愛の人のための行進曲 」という歌を歌うかどうかについての是非ももうひとつの問題だった。このプロテストソングは反抗の象徴歌的存在だったのだが、保守派のもとではその演奏が奨励されなかった。2008年、李明博はこの曲を歌おうとしたが、保守派の強い抗議に直面し、翌年の式典ではこの曲の演奏を禁止することを余儀なくされた。2011年、この曲は式典で復活したが、朴槿恵は歌わなかったし、観客が活動家たちと合唱して共に歌うことは望ましくないとされた。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権下では、参加者全員が歌うことが義務づけられた。さらに、2022年1月5日から、韓国では文在寅政権が採択した法律が施行されている。それによると、光州事件に関する(左派の)公式解釈を否定することは、欧州のホロコーストを否定するのと同様に危険な行為であるとされ、最高で懲役5年、または罰金5千万ウォンが科される。例えば、この光州事件を北朝鮮の特殊部隊による破壊工作と主張した池萬元(チ・マンウォン)教授は2年の執行猶予と100万ウォンの罰金を受け、韓国通信規格委員会は、歴史を歪曲したとして、池萬元教授をはじめとする多くの保守系YouTuberのチャンネルを完全に削除するよう要求している。

 したがって、筆者にとって、式典がどうなるかは重要な指標であり、その意味で「ユン氏は失望させなかった」。

 1点目は、彼は自分だけ参加するのではなく、与党の側近や代議士全員に国家追悼式に参加するよう要請した。拒否反応がなかったことは、李俊錫(イ・ジュンソク)党委員長がKBSラジオのインタビューで「国会議員全員が記念式典に参加できれば、PPP(国民の力)は保守政党として明らかに違う姿を見せることができる」と述べたことからも分かる。

 式典には、民主化のために倒れた闘士たちの市民活動家や遺族など、全体で約2000人が出席した。

 大統領府関係者によると、大統領は式典に出席する前に、蜂起で愛する人を失った遺族と面会し、毎年墓地を訪れることを約束したという。2023年、この約束が果たされることを期待したい。

 2点目は、尹錫烈(ユン・ソクヨル)氏が光州墓地で行われた厳粛な式典での演説において、「自由民主主義を血で守った5・18蜂起の精神は、人間の価値の回復であり、国民統合の礎になる」と述べたことだ。

 3点目は、ユン氏が自ら「最愛の人のための行進曲」を歌い、しかも明らかに喜びながら歌ったことだ。他の政府高官や代議士も同様に歌った。

 左翼、右翼のメディアはいずれもこの行動を前代未聞と呼んだ。「(共に)民主党」は「6月1日の統一地方選挙を控え、光州、全羅道の有権者を引きつけるためだ」と、尹(ユン)氏の行動を軽視した。しかし、筆者の記憶では、5月の式典の前に、ユン氏は何度も蜂起犠牲者に敬意を表そうとしていた。しかし、蜂起の追憶を独占しようとする「(共に)民主党」はそれを許さず、不誠実で国民の同情心につけこんでいるとして非難した。ユン氏が大統領候補だった2021年11月、デモ隊が記念碑に向かう道を塞いだ。2022年2月、尹氏は再び碑に近づこうとしたが、そこを弔問し線香を手向けることはできなかった。

 このように、ユン・ソクヨル(尹錫烈)は、あたかも自身が民主党出身の大統領であるかのように蜂起の英雄と犠牲者に敬意を払っただけではなく、この光州蜂起の記憶を特定の地域と政治陣営だけの記憶であるという誤解をなくそうとしたのである。また、式典でのスピーチと就任式での自由と人権に関する発言を比較すれば分かることだが、ユン氏は5月18日を保守の理想に取り入れた新鮮な視点を提供している。こうした姿勢は、地域間対立を乗り越え、イデオロギー対立を超え、国民統合を推進する契機となる。

ロシア科学アカデミー極東研究所韓国研究センター主任研究員、歴史学博士、コンスタンチン・アスモロフ、オンラインマガジン「New Eastern Outlook」専属。

韓国の保守派 -----「南ー南摩擦」と核危機

The Conservatives, “Nam-Nam Friction” and Nuclear Crisis in South Korea

ジョセフ・H・チャン教授

グローバル・リサーチ 2019年2月26日

(翻訳:新見明 2019年3月14日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/conservatives-nam-nam-friction-nuclear-crisis-south-korea/5669716



最近5つの韓国政党党首がワシントンを訪れた(2月12日~14日)。その任務はハノイでの2回目のトランプー金正恩会談の支援をするためである。

しかし、信じがたいのは、4つの政党党首がサミット成功のロビー活動をしたのに、主要な野党保守党、自由韓国党 (LKP)の黄教安(ファン・ギョアン)党首は、北朝鮮を信頼すべきでなく、朝鮮戦争を終わらせるべきでないとワシントンの政治家に説得しようとした。この党は核危機の継続を願っているようであった。

このエピソードは、韓国社会がいかに深く「保守派」と他の住民と分断されているかを示している。特に核危機や南北問題に関して意見がわかれるのだ。保守とその他住民の関係は、相互に疑い、不信、恨み、さらには正に敵意にまで到るのだ。

保守派とその他の住民との摩擦は、「韓国内の南ー南摩擦」と呼ばれる。

これは韓国の深刻な問題である。これは和平過程のみならず、民主主義の将来にとっても、南北経済協力、そして最終的な朝鮮の再統一にさえ影響する。

最初にこの文章では、保守派グループの起源に焦点を当てる。このグループは、日本人に協力した人々によって設立された。だから朝鮮人の目には、保守政府は統治に正当性がなく、人民の信頼もないのだ。

2番目に、保守政権は正当性や人民の信頼に欠けるので、できる限り長く統治する必要があったことだ。保守派は、韓国を58年間にわたって統治したのだ。

3番目に、保守政権をそんなに長く統治させた抑圧的手段やいかがわしい戦術についてである。

4番目に、この章では、朝鮮人民がどのように保守政権と闘ったかを見ることにする。

最後に、第5章ではいくつかの結論を引き出す。

***
1. 親日保守派グループの起源

保守派グループの起源を探るためには、朝鮮が日本に不当に併合された1910年に戻らなければならない。裏切り者グループの反愛国的な行動のために併合が可能となったのだ。このグループは親日で、当時首相の李 完用(イ・ワンヨン)に率いられていた。彼は李朝高宗皇帝の承認なしで併合条約に署名したのだ。

35年間の厳しい日本の植民地統治の間、多くの親日派メンバーは日本に協力し、日本の植民地政府と共謀して権力を乱用した。そして朝鮮人青年を日本やその他の奴隷労働現場に送り、朝鮮人青年を日本の帝国軍隊に勧誘して送り込んだ。また朝鮮愛国者に属する土地や他の不動産を没収したり、朝鮮人の氏名を日本名に変えさせたりした。

日本によってなされた人道に対する最悪の犯罪の一つは、大規模な慰安婦問題だ。20万人の10代の少女は、ほとんど朝鮮人で、捕らえられて日本の軍隊に送られた。そこで彼女らは何年もの間、悲惨な非人間的性奴隷として苦しんだ。親日朝鮮人の中には、これらの少女を性奴隷として働かせるため、日本の警察に協力して探し出し、送り出す者もいた。

親日保守派グループによってなされた最も深刻な犯罪は、日本の抑圧的な植民地主義に対して、朝鮮の独立のために命をかけて闘った朝鮮人愛国者の逮捕に協力したことだった。

協力者達は、自分たちが抵抗する朝鮮人を犠牲にして日本の利害に奉仕していることがわかっていた。

1945年朝鮮は日本の残忍な植民地主義の軛から解放された。通常だったら、朝鮮は日本人に協力した朝鮮人を処罰すべきであった。

しかし、そうはならず、協力者は一人も罰されることはなかった。彼らを罰するために委員会がつくられた。しかしワシントンはそれを許さなかった。1945年から1948年まで韓国を統治したアメリカ軍事政府のもとで、元朝鮮人協力者の多くは、アメリカ軍事政府のために働いた。

1949年、李承晩(イスンマン)は第一次朝鮮政府をつくった。ほとんどの政府高官は元対日協力者だった。警官の約40%は、日本植民地政府下で働いた元朝鮮人警官で組織された。

日本人にただで土地を没収されたことに抗議した3人の朝鮮人が、レールを引き抜いたかどで射殺された。(公開資料より)

朝鮮の愛国者は日本政府に対して主に満州、中国、朝鮮半島で闘った。彼らの多くは中国やロシア軍と共に闘った。彼らの政治的指導者は、1919年中国で設立された朝鮮共和国臨時政府大統領の金九(キム・グ)であった。金九は1945年対日協力者を排除して、独立政府を打ち立てようとして朝鮮に戻った。しかし彼は1949年李承晩(イスンマン)政府によって暗殺された。非常に多くの朝鮮愛国者が暗殺されるか、北朝鮮に逃亡した。

だから、解放後の朝鮮の運命は、元対日協力者の手に握られていた。そして朝鮮社会は明らかに親日協力者と無力な朝鮮人に分断されていた。これが1945年に始まり70年間続いた南-南摩擦である。それは今も続いている。

親日保守派は6つの政府をつくり、6人の大統領がいた。李承晩[イ・スンマン](1948~1960)、朴正煕[パク・チョンヒ](1961~1979)、全斗煥[チョン・ドファン](1987~1992)、盧泰愚[ノ・テウ](1987~1992)、李明博[イ・ミョンバク](2007~2012)、朴槿恵[パク・クネ](2013~1992)である。

これらの大統領はみなその悲惨な任期の終わり方した。一人は学生によって追放され、一人は暗殺され、二人は刑務所に収監された。現在あと二人が刑務所に収監されている。彼らは全て権力の乱用や贈収賄で起訴されたり、現在、起訴されている。

2.長年にわたる保守派政権

親日保守派は、植民地日本人と協力して35年間(1910~1945)統治してきた。そして彼らは1948年以来70年で、さらに58年間、韓国を統治し続けてきた。

皆さんは保守派政権が、どうやって、なぜそんなに長く権力を維持できたのか不思議に思われるかもしれない。それは次の要素で説明がつく。つまり「北風」戦略とクーデターと憲法の改ざんと抑圧的な政策によって権力を維持してきたのだ。

「北風」は選挙戦術であり、保守派によって選挙に勝利するために最大限に利用する。それは2段階がある。一つは選挙2・3週間前に、戦争の恐怖を煽り、国家安全保障を最優先事項とすることだ。そうすることで保守派は、しばしば偽の目撃証言で、北からの脅威をねつ造する。ある場合には、保守派は北に大金を与える代わりに、敵対的行動を頼んだこともあった。しかしその試みはしぱしば失敗に終わった。

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朝鮮半島の非核化:韓国人民のたまもの


2番目に、保守派はメディア戦略を開始する。彼らは北の脅威から国民を守るのだと選挙民に納得させるのだ。これを証明するために、彼らは保守派軍事政権の長い歴史を自慢する。この戦略は保守派の選挙勝利に非常に有効な手段となってきた。だから北朝鮮が、保守派にとって役に立つ選挙同盟でもあった。

クーデターは、権力を保持する戦術の一つであった。韓国には二つの大きなクーデターがあった。一つは朴正煕が1961年5月16日に行ったもの。もう一つが、全斗煥が1980年12月12日に行ったものである。

憲法の改ざんは、保守派が好むもう一つの政権維持の手段だ。李承晩大統領は1956年憲法を改ざんして、1948年から1960年まで権力に就くことを可能にした。朴正煕大統領は1972年「スシン(維新)」憲法を制定し、1980年に権力を奪取した。そして彼は1987年まで政権にとどまった。

1987年の憲法まで、間接大統領選挙が行われていて、朴正煕将軍と全斗煥将軍は、事前に選ばれた同僚にによって選ばれた。

保守派政権の抑圧的政治は、保守派が権力を維持するもう一つの強力な道具であった。これらの政策の目的は、政府に対する反対派の声を圧殺することだ。これらの抑圧政治は様々な形をとった。つまり、大量殺戮、北朝鮮スパイ容疑のねつ造、警官による攻撃、デモに参加した若い学生を拷問し殺すことであった。それは政府やメディアへの圧力に抗議するデモであった。

どれほど多くの韓国人が、保守は政権によって「アカ」として攻撃され、殺され、投獄され拷問されたか誰にもわからない。しかし数百万人が犠牲者となった可能性がある。李承晩政権下で、20万人以上の無実の韓国人が、済州(チェジュ)や麗水(ヨス)や順天(スンチョン)地域で殺された*。政府は、これらの悲惨な犠牲者を、「共産主義者」とか「アカ」とか「PPal-gaing-ie」と呼んで起訴した。犠牲者の中には、イデオロギーに無関係の子どもや老人も含まれていた。
    *[訳注:李承晩の弾圧
       1948年4月3日 - 済州島四・三事件反乱鎮圧。
       1948年8月15日 - 朝鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言。初代大統領に就任。
      1948年10月27日 - 麗水・順天事件反乱鎮圧。
       1948年12月1日 - 国家保安法を制定。
        1949年6月5日 - 国民保導連盟を組織させる。
       1949年12月24日 - 聞慶虐殺事件。
       1950年6月25日 - 朝鮮戦争勃発。
       1950年 6月 - 国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯など、少なくとも20万人あま
                 りを大量虐殺(保導連盟事件)。](ウィキペディアより)


全斗煥将軍も人民を殺害した。1980年5月18日、光州市民が全斗煥の独裁に抗議して街頭デモを組織した。全斗煥は高度に訓練された空挺部隊を動員し、戦車やヘリコプターで少なくとも1000人が殺された。そして非常に多くの市民が負傷した。さらに全斗煥は、彼の任期中(1980~1987)に山清(サムチョン)教育隊*で大量殺戮が行った。約10万人の若者が、全斗煥政権の政策を支持しなかったり、他の疑わしい理由で大量殺虐が行われた。
   *[訳注:「三清(サムチョン)教育隊事件」とは、1980年に軍事クーデターにより政権を掌握した全斗煥
    元大統領の下で、社会浄化を名分に市民が組織的な暴力を受け、人権を踏みにじられた事件です。暴
    力、密輸、麻薬、詐欺事犯等の社会悪一掃ということで、まともな令状もなく検挙し、検挙者を一方的にラ
    ンク付けしました。そして等級BとCになった4万2千余人を「三清(サムチョン)教育隊」に入隊させ、「純化
    教育」を行いました。1980年8月から81年1月の半年で6万人を越える検挙者があり、無実の市民も多
    数連行されました。教育隊では暴力と過酷な労役が待っていました。88年に被害者たちが真相究明と
    国家補償を求めて立ちあがりましたが、翌年に「三清(サムチョン)教育隊」での死亡者が54名であるこ
    とが初めて国防部によって明らかになりました。被害者たちの長年の要求が実り、04年1月に、「三清
    (サムチョン)補償法」が制定されました。]

  https://www.hurights.or.jp/news/0609/b05.html

これらの大虐殺の真の理由は、腐敗や人権侵害に対する反対の声を、保守派が圧殺するためであった。これらの人々は、「アカ」とか「北と通じている」(Chin-book)とか口実をつけて非難された。言い換えれば、南北の緊張が、人民を抑圧する格好の口実を与えたのだ。

朴正煕や全斗煥の軍事独裁下で、何百万の韓国市民が、「アカ」と「疑われ」、その友人や家族も警察から嫌がらせを受けた。

数え切れない若者が、不当に「アカ」であると告発され、投獄され、拷問され、殺されたのだ。韓国に勉強しに来た10人以上の在日韓国人学生が、朴正煕政権のCIAによって不当に北のスパイとして告発された。彼らはみな後に無罪判決が出たが、これはねつ造されたスパイ事件の典型例であった。

全斗煥政権下で、おびただしい数の学生が拷問され死んでいった。その中には1987年1月14日拷問され死んだ朴 鍾哲(パク・ジョンチュル)*がいた。
 *朴 鍾哲(パク・ジョンチョル、박종철、1965年4月1日 - 1987年1月14日)は、大韓民国釜山直
  轄市出身の学生運動家。治安本部の取り調べ中に拷問により死亡した。その死は6月民主抗争に強
  い影響を与え、韓国の民主化闘争の象徴となった。


 2016年25日、白南起(パク・ナムギ)という名前の老人は朴槿恵政府の汚職に反対する街頭デモで警察の放水銃に撃たれて死んだ。白は10年以上凍結されているコメの値上げを政府に要求しただけであった。

メディアへの圧力は、保守派政府による権力乱用の常套手段であった。李明博政府は、MBCテレビ系列に、何百人というかなり有能なテレビレポーターを解雇させた。彼らが政府の政策に批判的であったという理由で圧力を加えた。


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最も有名なケースは、MBCのChoi Sung-ho(チェ・ソンホ)と李相湖 (イ・サンホ)の解雇である。現在二人は、保守派企業メディアによる大量の偽情報を見破り、素晴らしい仕事をしている。

メディアへの圧力は、朴槿恵政権下でさらに悪化した。彼女の政権は、政権の政策に好ましくない考えをもった1万人の芸術家、映画制作者、画家、その他大勢の個人のリストを作成した。ブラックリストに挙げられたこれらの人々は、常時監視下に置かれ、政府補助金の配分で不利益を被った。

3. 保守派政権の否定的影響

確かに保守派政権は、韓国経済の近代化、工業化、そして急速な発展に重要な貢献をした。特に、韓国経済の離陸過程で朴正煕大統領の強い指導性はよく知られている。しかし、残念なことに彼らは韓国の腐敗文化や南-南摩擦や南北の緊張に大きな責任がある。

韓国保守派政府による58年の支配は、韓国社会に深刻で破滅的な足跡を残した。まず、上で見たように、このグループは日本植民地時代に形成された。彼らの多くは日本の協力者であった。これは彼ら自身が疎外されていて、孤立した状態にあることである。

日本人に協力し、韓国の利益を損ねたため、彼らは国を治める正当性に欠けた。そして彼らは人民の強い抵抗に対処しなければならなかった。このことは彼らに住民が敵対者(敵でないとしても)であると考えさせるに到った。

保守派にとって、北朝鮮は対立者以上であった。北は二つの理由で敵であった。まず初めに、北は共産主義国家であった。二番目に、北朝鮮政府は、親日協力者を敵とみなした愛国者達によって打ち立てられたことだ。だから韓国の保守派は、南の非友好的住民と北の敵対的な相手の両者と対峙しなければならなかった。

このような状況で、保守派の優先事項は、自らの防衛と自らの生き残りに賭けなければならなかった。だから社会正義や国民の福祉は重要なものと考えられなかった。一番の優先事項は、彼らの個人的グループの利害の最大化であった。

そのような状況で、腐敗が広まったのは避けられないことであった。保守派は韓国社会のエリートである。彼らは社会の上流階層である。残りの国民は社会の下層である。古い諺がある。「もし、上流が腐れば、下流も腐る」。保守派の腐敗した風潮は社会のあらゆる部門あらゆる階層に及んだ。つまり腐敗が「文化」になったのだ。

保守派の腐敗として、保守派政権幹部による何百万、何十億ドルにも及ぶ横領が劇的に明らかにされた。

どれほど多くの納税者のお金が、朴正煕大統領や朴槿恵大統領の家族によって奪われたか誰もわからない。それは、海外の不動産に投資され、何十億ドルにもなる可能性がある。

全斗煥大統領や盧泰愚大統領は、何億ドルという納税者のお金を横領したかどで告訴された。                                                
李明博大統領は、何百万ドルの贈収賄で告訴されている。彼はまた悪名高い「4大河川事業」や恥ずべき「海外資源開発外交」を通じて自分が儲けた容疑も受けている。李明博は刑務所で最終審を待っている。こらは彼が15年間にわたって糾弾されてきた最初の裁判である。

腐敗文化は、致命的な損害を社会全体に与えうる。贈収賄による倒産企業の救済は、企業の競争力を弱める。贈収賄のため、危険な犯罪者が刑務所に行かない。kick-knackのため、海軍は沈まない潜水艦を買う。何百万ドルの横領は、警察署長が彼の父親であるため問われることはない。全てこれらは社会を破壊することこの上ない。

しかし私を非常に悲しませることは、腐敗文化と権力の乱用が、人間関係の道義的基盤そのものを揺るがしてしまうことだ。何千年も韓国の個人的関係に行き渡ってきた暖かさ、相互信頼、相互理解がほとんど見られなくなってしまった。お金が人間関係の主要な決定要因になってしまった。

最近では「富は力であり権利である」。お金が神である世界では、人間性は、強き者やお金持ちが、弱き者や貧しき者を軽蔑し、抑圧する。

韓国では、そんなゆがめられた関係は、強者が弱者を虐待することを意味する「カプジル(訳注:パワハラ)」と呼ばれている。2・3年前(2014年12月5日)、カプジルの例として、大韓航空ニューヨーク=ソウル便で大韓航空創設者の娘、趙顕娥(チョ・ヒョナ)の出来事がある。彼女は搭乗スタッフをまるで奴隷のように扱い、侮辱した。問題はスタッフが彼女に出したマカデミア・ナッツの出し方であった。

事実、趙の家族はみんな大韓航空の従業員に対してカプジルを行っていた。残念ながらそのカプジルの行いは保守派を代表するエリートに広まっている。

4. 保守派に対する人々の決起

独裁、権力の乱用、保守派政権の腐敗は、韓国国民が立ち上がらなければ、さらに悪化する。

歴史の重要な局面で、韓国国民は保守派政権に対して街頭に出て闘った。

1960年4月19日、5万人の学生が大統領不正選挙に反対して闘った。これは「4月革命」であった。彼らは李承晩大統領を追放するのに成功した。李承晩はアメリカCIAの飛行機で韓国を脱出した。

1979年10月16日、10万人以上の若者や老人が、朴正煕の大統領職の永続化に反対して釜山-馬山地域で闘った。これは「釜-馬民主闘争」*であった。朴正煕大統領は1979年10月26日大韓民国中央情報部部長によって暗殺された。
   (訳注:釜馬(ブマ)民主抗争は、朴正煕・維新政権下の韓国(第四共和国時代)において最大
   野党であった新民党総裁の金泳三の議員職除名案が大韓民国国会で半ば強引に通過された事件(金
   泳三総裁議員職除名波動)を発端として、金総裁の地元である釜山直轄市(現釜山広域市)と隣接する
   馬山市(現昌原市)で学生・市民が反独裁・民主化を要求した大規模デモである。1979年10月16日から
   20日にかけて発生した。) ウィキペデアより


1980年5月、光州市民は、全斗煥将軍の独裁政治に対して10日間(18日から27日)闘った。これは「5月18日民衆蜂起」だった。1000人以上の市民が戦車やヘリコプターで殺された。そして若い女の子がレイプされた。しかしそれは全斗煥の犯罪体制に対して勝利した。

1987年16日、光州蜂起のあと2・3週間して100万人以上の人々が街頭に出て、新憲法制定のために19日間闘った。維新(ユシン)憲法を終わらせ、直接大統領選挙の新たな政治システムを構築するための闘いだ。この運動が「6月民主運動」*だった。
    [訳注:6月民主抗争は、大統領の直接選挙制改憲を中心とした民主化を要求するデモを中心とした
    韓国における民主化運動の名称で、1987年6月10日から「6・29宣言」が発表されるまでの約20日間
    にわたって繰り広げられた。この民主抗争の結果、大統領直接選挙制改憲実現などの一連の民主化
    措置を約束する「6・29宣言」を全斗煥政権から引き出すことに成功した。]ウィキペディアより


最終的な市民の抗議行動は2016年にやってきた。1700万人以上の市民が、2016年10月から20週間にわたって、朴槿恵政権とその友人たちの腐敗、権力の乱用、有力者の不正取引、高官職の取引、あらゆる種類の違法、不道徳な活動に対して闘った。これが「キャンドル・ライト革命」であった。

朴槿恵は弾劾された。1987年文在寅が民主政権を復活させた。朴槿恵は少なくとも25年間収監される。

5. まとめ

文在寅に率いられたリベラル政権は、朴槿恵大統領の弾劾後、2018年に政権の座についた。

文在寅とともに、韓国はよりよい未来を希望できるかもしれない。つまり、もはや南-南摩擦のない、北と南が協力して共存する、カプジル[パワハラ]ももうなくなり、公共心が取り戻され、お金がもはや「神」とされない未来だ。

しかし保守派は死んだわけではない。腐敗の痕跡はいまだにある。彼らは権力を奪取しようと反撃している。彼らはお金をたくさん持っている。お金は権力を買うことができる。現実的可能性として、彼らは日本の保守派やワシントンのタカ派と共謀して和平プロセスを妨害しようとするだろう。

日本の保守派は核危機を必要としている可能性がある。核危機は選挙で勝たせてくれるからである。ワシントンのタカ派は朝鮮半島の緊張を維持したいと考えている可能性がある。そうすればさらに多くの兵器が売れるからである。韓国の保守派は、選挙で勝てるように非核化を望んでいない可能性がある。同時に兵器売買から裏金が作れるからである。つまり、韓国の保守派は、最も熱心な非核化の反対者でありうる。

たとえ2月末のハノイでの2回目のトランプー金サミットが成功しようとも、保守派は和平プロセスを葬り去ることができる。もし彼らが3年後の大統領選挙に勝利すれば。

それ故、文在寅大統領とリベラル派は二つの選択がある。一つ目は彼らは腐敗の浄化プロセスを通じて保守派を無力にすることができる。これは簡単ではない。よりよい方法はリベラル政権の2期目に勝利することである。これは不可能ではない。

*

ジョゼフ・チャン教授は、モントリオールのケベック大学の統合・グローバル化研究センター(UQAM)にあるEast Asia Obsevatory(OAE)の共同所長である。彼はグローバル・リサーチセンター(CRG)の研究員でもある。

朝鮮戦争時のアメリカの爆撃は、第二次世界大戦でのドイツや日本の被害より壊滅的

Prof. Bruce Cumings: U.S. Bombing in Korea More Destructive Than Damage to Germany, Japan in WWII
JUNE 12, 2018

ブルース・カミングス教授
デモクラシー・ナウ 2018年6月12日
(翻訳:岩間龍男、大手山茂 2018年9月19日)
<記事原文>https://www.democracynow.org/2018/6/12/prof_bruce_cumings_us_bombing_in


トランプ大統領と北朝鮮指導者金正恩との歴史的会談が開かれました。これは、わずか数週間前の金正恩と韓国の指導者文在寅の歴史的会談の後のことです。この南北会談では、二人の指導者は朝鮮戦争を正式に終わらせる取り組みをすることに合意をしていました。そして火曜日のシンガポールでのサミットの後、トランプは朝鮮戦争を「極端に血なまぐさい紛争」と呼び、この戦争がすぐに正式に終わることを期待すると述べました。詳しくはシカゴ大学の歴史学者ブルース・カミングスにお話しを伺います。

カミングス教授は、Korea's Place in the Sun: A Modern History(1997) 邦訳『現代朝鮮の歴史―世界のなかの朝鮮』 横田安司・小林知子訳(明石書店、2003年)North Korea: Another Country (2004) 邦訳『北朝鮮とアメリカ――確執の半世紀』 杉田米行監訳/古谷和仁・豊田英子訳(明石書店、2004年)など、朝鮮に関する幾つかの著作があります。
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エイミー・グッドマン: デモクラシー・ナウ、戦争と平和の報道です。こちらはエイミー・グッドマンとファン・ゴンザレスです。今日はシカゴ大学の歴史学の教授ブルース・カミングスさんをお招きしています。カミングス教授は、Korea's Place in the Sun: A Modern History(1997)  North Korea: Another Country (2004)など、朝鮮に関する多くの著作があります。
さてあなたは朝鮮情勢について数十年追ってこられましたね。今日、署名された声明について、あなたが最も驚かれたことについて、お話いただけますか。カミングズ教授、これは、ほんとうのところ、過去の延長線上にあることなのか、初めて過去と断絶する動きなのか、どちらなのでしょうか。

ブルース・カミングス: そうですね、北朝鮮とアメリカの新しい関係について確認された最初の原則はとても重要ですね。つまり朝鮮民主主義人民共和国を国家として承認したことです。                             72年前、アメリカは1946年2月に金日成が権力を握ったことを認めませんでした。それは世界の耳目を集める中央権力掌握でした。アメリカはそれをソビエトの策略だと非難しました。そしてその後ずっと、アメリカは北朝鮮の国家の承認を拒否してきました。北朝鮮のイデオロギーは、自国の威厳を前面に押し出し、他国からの尊敬を欲することと不可分です。ですから声明でアメリカが北朝鮮を国家として承認すると言った第一原則はとても重要だと思います。 アメリカがそれをきちんと実行すれば、の話ですが。

第二に、いいですか、ドナルド・トランプはこんな風に何物にもとらわれない動きをします。彼の朝鮮問題への見方にはとらわれがないのですね。戦争が1953年に終わった後すぐに、あるいは過去60年間のどこかの時期に、平和条約が結ばれなかったことは馬鹿げたことだと、トランプは言っています。そして、その点については彼の言っていることは正しいのです。

しかし、「北朝鮮との外交は可能だ」との立場を取るジャーナリスト、ティム・ショロックが次のように言っていることに異論はありません。「腰が抜けるほど驚いたのは、トランプが軍事演習は挑発的だと言ったことです。軍事演習を中止する、少なくとも一時中断するという言葉は言わずもがなです」と述べているところです。バラク・オバマが大統領で、北朝鮮ミサイルと爆弾実験を含む特別な危機があった時、朝鮮半島にダミーの原爆を落とすために核兵器搭載可能爆撃機を送ろうとしました。ティムが言ったように、しばしば軍事演習には、北朝鮮政権の転覆する試みの計画、元山港に海兵隊を派遣して戦争の初期の段階で平壌(ピョンヤン)を行進する計画、そして朝鮮戦域での核兵器の使用が含まれていました。したがって、これらの軍事演習が中止となったことは大変に重要だと思います。しかし、それはまたその状況について全く知らない人物がいることが露わになったということです。はっきり言うと、それはドナルド・トランプのことです。彼は状況を見て言いました。「ちょっと待て、これは費用がかさむだけでなく、非常に挑発的なことだ」と。

また私はCNBCのホワイトハウス担当記者クリスティーヌ・ウィルキーが次のように言ったことに賛成です。すなわち、サミットの演出は非常に重要だったことです。朝鮮民主主義人民共和国の国旗がアメリカ国旗のすぐ隣にあったこと、ドナルド・トランプが北朝鮮の指導者を、利口な男、偉大な男と述べたこと、これらすべてが重要な演出でした。このようなトランプの声明に対してアメリカではあらゆる種類の中傷があることは分かっています。しかし、明らかにトランプは直に知り合いになる関係が大切だということを知っています。そしてこのことはうまくいったようです。

フアン・ゴンザレス: ブルース・カミングスさん、アメリカと北朝鮮の関係の歴史を知らない多くの視聴者のために、あなたに尋ねたかったことがあります。朝鮮戦争でアメリカが北朝鮮を攻撃した時の破壊のレベルについて話していただけますか。また、中国やベトナムとの国交正常化などアジアで変化が起きたにもかかわらず、どうしてアメリカがある意味で冷戦にこだわった地域として朝鮮は残ってしまったのでしょうか。

ブルース・カミングス:そうですね、まず第2の質問をとりあげてみましょう。それは簡単に答えられる質問です。北朝鮮と韓国のよりよい関係、北朝鮮とアメリカのよりよい関係を望む韓国政府が必要だということです。そして9年間そのような韓国政府はありませんでした。しかし、文在寅が政権の座に就くと、彼は即座に北朝鮮とのよりよい関係を持つつもりだと述べました。そしてクリスティーンが述べていたように、文在寅はアメリカと北朝鮮を引き合わせる本当に重要な導き手でした。

だから、文在寅大統領の押し進める融和的な流れの中でーそのような流れが現在や過去にしばしばあったわけではありませんがー物事が前に進んでいます。しかし、これは初めてのことではありません。このことは90年代にも起きました。金大中が政権の座に就いた時、北朝鮮とよりよい関係を持った時です。しかし、文在寅はかなり経験を積んでいました。彼はもう一人の進歩的な大統領であった盧武鉉(ノムヒョン)の首席補佐官でした。彼は自分が何をしているのか分かっています。だから、主にそのような理由から現在アメリカが北朝鮮とよりよい関係を築く過程にあります。

北朝鮮人は誰でも知っていますが、朝鮮戦争では家族が殺されました。通常は米軍が際限無く投下した焼夷弾によってです。基本的には、第二次世界大戦中ドイツと日本の都市を廃墟にするために使われた焼夷爆弾が北朝鮮にも投下されたのです。この爆撃のせいで北朝鮮には15から16のあまり規模の大きくない都市がありましたが、すべて地上から抹殺されました。アメリカ空軍の統計によれば、北朝鮮の都市での破壊の割合は時には100%であったこともあり、第2次世界大戦でのドイツや日本の破壊の割合より概して高率でした。さらには、ナパーム弾が至る所で使われました。

チャーチルは1953年アイゼンハワーにわざわざ打電し、次のような要点を告げなければなりませんでした。「ナパーム弾を発明した時、私たちは見境無く民間人にそれを使用することなど、まったく念頭にありませんでした」。歴史家たちは見積もっています。ベトナム戦争での死傷者の約40%が民間人だったことと比べると、朝鮮戦争での死傷者の約70%は民間人でした。だからトランプ大統領が言ったように、それはとてもとても破壊的な戦争でした。そしてすべての北朝鮮の人々はそのことをすべて知っています。

朝鮮半島、再統一の時がやって来た

ジョン・ワイト
RT Op-Ed(ロシア・トゥデイ論説)
2018年4月27日

ジョン・ワイトは、『インデペンデント』『モーニング・スター』『ハフィントン・ポスト』『カウンター・パンチ』『ロンドン・プログレッシブ・ジャーナル』『フォーリン・ポリシー・ジャーナル』などの世界中の新聞やウエッブサイトで記事を書いている。RTとBBCラジオのレギュラー解説者でもある。現在、アラブの春における西側諸国の役割を調べた本に取り組んでいる。彼のことはTwitter @JohnWight1でフォローできる。



南北朝鮮指導者の歴史的会談で確認されたことは、朝鮮半島の平和的再統一を視野に入れる時がやって来たことだ。

実際のところ、金正恩と文在寅の二人の朝鮮指導者の会談は、世界史的に重要な出来事だ。朝鮮半島では数十年の敵対が続いた後、この苦悩にさいなまれた国においては、平和が長続きせず、戦争となる可能性がずっと高かった。

また朝鮮半島で現在進行している緊張緩和の急展開は、世界をびっくりさせた、というのが正直なところだろう。私たちは疑いなく、わずか数カ月のうちに、はるばる長い旅をやってのけた。そんな時、米国大統領ドナルド・トランプといえば、2018年の始めにツイッターで北朝鮮を脅迫していたのだ。

では、何がこの急激な変化をもたらしたのだろうか。以前にはなかったどんな要因があるのだろうか。朝鮮半島危機にブレーキをかけることになった要因は何であったのか。朝鮮半島情勢は、大惨事に向かって突進している列車やトラックに似ていたのだ。

(さらに読む)
「戦争のない新しい時代:二つの朝鮮が完全な非核化に同意する」
https://www.rt.com/news/425279-koreas-peace-denuclearization-talks/


ここでは、2017年5月の韓国大統領に文在寅が選出された意義を見落とすことができない。これは、彼の前任者である朴槿恵が政治的スキャンダルで失脚し、弾劾された後のことだった。元学生活動家で人権弁護士である文在寅は、「時来たりならば、その人来たらん」という格言を体現したように現れた。

重要なことは、文在寅の外交政策の中心課題は、南北朝鮮の平和的再統一を信念としていることだ。平和的再統一が文在寅の目標なのだ。もしそれが実現するならば、世界核兵器終末戦争の危険に曝された苦悩と対立の時代に、終焉を告げることにになるだろう。

一方、金正恩は、グロテスクな戯画の眼鏡を通して、屈服することを拒否する指導者と、西側では見られてきた。それにもかかわらず、彼は平和と和解への真摯な取り組みを示した。その平和と和解への真摯な取り組みは、その地域での苦しみの遺産を深く理解することと繋がっている。そして、その平和と和解への真摯な取り組みを阻害してきたのは、米国主導の西側帝国主義諸国による数十年にわたる窒息させるような圧力だった。

重要なことは、経済的な封鎖や制裁、そして差し迫った戦争と核による滅亡の脅威によって締め付けられながら、社会が繁栄し発展することは、不可能であるということを、西側のイデオローグたちが知らなかったり、無視を決め込んでいることである。それは、首ねっこを押さえつけながら、正しく呼吸していないことを咎めるようなものだ。

北朝鮮の一般的な描写は、自ら意図的に世界から孤立している国というものである。その国では2500万の人々が、考えることのないロボットにされ、生まれた時からカルト信者のように「親愛なる指導者」に服従し、「親愛なる指導者」をあがめるよう、言語に絶する残酷な制度の下で強制されてきたというものだ。それは、ジョージ・オーウェルの有名な小説『1984』の中で描かれている国や社会に似た世界であり、独裁的、全体主義的暗黒の世界で、広大な獄舎であるというものだ。

しかし、これが北朝鮮事情のすべてなのだろうか。さらに、それは事情の一部ですらあると言えるのだろうか。もしそれが事情のすべて、またはその一部でさえないのならば、北朝鮮の事情は一体どうなっているのか。

記者であり小説家でもあるアンドレ・ヴェルチェクは、国際平和派遣団の1人として、北朝鮮を訪問したことのある人物だ。ホワイトハウスによる北朝鮮への核による威嚇の絶頂期に、ヴェルチェクは、ドナルド・トランプへの公開書簡の中で書いている。

「北朝鮮の人々は、愚かなロボットのように見え、愚かなロボットのように振る舞っていることになっている。北朝鮮の人々は、すべての基本的感情や個性がなく、物事をしっかり見ず、痛みと思いやりと愛を感じることができないことになっている。」

「あなたは真実と現実を見たくないのだ。そして、あなたは他の人たちにも、盲目であることを望んでいるのだ。」

「たとえあなたが北朝鮮全体を粉々に爆破しても、実際には多くを見ることはできず、ほとんど何もわからないだろう。戦艦と潜水艦から発射される自分たちのミサイル、空母から離陸する自分たちの航空機、そして強力な爆発を映し出すコンピューター・グラフィックスの画像を見るだけだろう。そこには痛みもなければ、リアリティもなく、激しい苦痛もないだろう。あなたやあなた方の一般市民には何も分からないだろう」。

今まで、北朝鮮が西側諸国との約束に背を向けてきた国であり社会であったとしても、いったい誰が北朝鮮の人たちを責められるのか。数十年に及ぶ日本の植民地主義と帝国主義によって残された大きな傷、それに続く米国とその同盟国との朝鮮戦争(1950-1953年)で巨大な破壊を被り、それらの大きな傷跡を考えると、誰が北朝鮮の人たちを責められようか。

そして現在、経済制裁や、北朝鮮に向けられた何千ものミサイル、さらに韓国の多くの駐留米軍、沿岸をパトロールする核武装した米海軍戦闘集団のことが考慮されていない。

そのような事態は、アメリカ帝国主義の目的と性質に資するものであるのかもしれないが、それは朝鮮の人々にとっての平和と再統一への願いに反するものであり、彼らの利益と将来にとっては有害なものである。

進歩の敵というのは、民主主義や人権についてもったいぶった話をしながら、その一方で次々と国々を荒廃させている人たちだ。そういう事実に世界が、度も何度も目覚めて気づく時にはじめて、混乱と紛争よりも平和と安定が行き渡るだろう。

金正恩と文在寅の歴史的首脳会談は、私たちに希望を持たせてくれた。その希望とは、朝鮮半島だけでなく世界全体が、戦争の惨禍をかなぐり捨て、その代わりに平和を大切にする準備がようやくできたということだ。

そのような平和こそ、我々が長年待ち望んだことだ。
(翻訳:岩間龍男、新見明)
[記事原文]https://www.rt.com/op-ed/425320-north-south-korea-reunification/


<新見コメント>--------------------------------------
ピョンチャン冬季オリンピックを機に、電撃的な南北融和が図られました。私もその意義を知らせるために英文記事を読んでいたのですが、ちょうどそのとき岩間さんがジョン・ライトの記事を翻訳してくださいました。そして私も翻訳に参加して仕上げることができました。

国内では安倍政権の「対話のための対話では意味がない」などという、無神経な発言が報道されています。そうでなくても進歩的といわれてきた「筆洗(中日春秋)2018.2.13朝刊」でさえ、「化けたぬき」にたとえて北の宥和政策を否定的に報道しているのです。

チョスドフスキーが書いているように「33年間、最大で950近くの核兵器に脅され、しかも経済制裁で苦しめられてきた」*北朝鮮の苦境があるのに、一方的に北朝鮮を悪者にするばかりで、アメリカを非難する声は聞こえてきません。それでは東アジアや日本の平和は訪れるはずがありません。私たちはメディアによるこのゆがんだ理解を糺していくためにも、このような記事を読む必要があると思います。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-35.html

北朝鮮と核戦争の危機:朝鮮半島の非軍事化

和平合意を目指して
 
            ミシェル・チョスドフスキー
            グローバル・リサーチ2018.2.22
 
この文章は、マイケル・チョスドフスキー教授が韓国国民会議で発表したものを書き起こしです。2018年2月21日、韓国ソウル(写真左)





1.序論
 
「炎と怒り」はドナルド・トランプによって考え出されたものではない。それはアメリカ軍事ドクトリンに深く埋め込まれた概念だ。それは第二次世界大戦終結以来、アメリカの軍事介入を特徴づけてきた。
 
ホワイトハウスでトランプと彼の先任者トルーマンを区別するものはトランプの政治的話し方だ。
 
しかし私たちは危険な岐路に立っている。外交政策の計算間違いは想像もつかないことを引き起こす。「誤り」はしばしば世界史を崩壊させるものであることを覚えておいてほしい。
 
トランプ政権によって編み出された、核兵器が「平和の道具」だということは作り話にすぎないことは言うまでもなく、アメリカ外交政策の狂気は、想像もつかないことへと導く。中枢の政策決定者は自分のプロパガンダを信じ込んでいる。
 
北朝鮮に対する核兵器の先制攻撃は、第三次世界大戦を引き起こす可能性がある。
 
1月の終わり頃だったか、トランプ大統領は南北相互の対話を認めただけでなく、平壌との直接対話をする決意を述べた。2・3週間後にこの和平構築の言辞は、新たな北朝鮮への軍事的脅威をしゃべりまくることに置き換えられた。

        
戦略的な観点から見れば、アメリカは南北対話を実現させないことに必死だ。アメリカ・メディアによる報道によれば、最近の展開ではトランプ政権内の強力な軍・情報部部門は、冬期オリンピック期間またはその直後に北朝鮮への先制攻撃を迫っていると言われている。
 
その作戦は、ワシントンによって「鼻血」攻撃と名付けられ、北朝鮮のミサイル施設に対して通常兵器か小規模の戦術核兵器攻撃から構成されている。
 
     核兵器が直ちに使われなかったとしても、韓国だけの死者は、
      初日だけで数万人とみられている。そして直ちに中国やロシア
      のような核武装した国を巻き込む戦いとなる。
 
      しかしそんな無謀で野蛮な行動は、ホワイトハウスや安保・
      情報機関の高官によって、しっかり討議され、 準備されてい
      ることだ。計画の過激な性格は軍・外交政策トップグループ内
      でよく知られていて、恐怖や反対を引き起こしている。(ピーター
      ・シンプソン「トランプは北朝鮮に”鼻血”攻撃を考慮する」
       wsws.org, February 6, 2018)
 
「鼻血」とは軍事概念で、戦術核兵器やミニ核兵器は「市民には害がない」、つまり最小限の付随的被害だという考えに基づいている。
 
一方、冬季オリンピックでは朝鮮国内の対話や交渉過程があり、アメリカは交渉をボイコットしている。問題なのは、アメリカ主導の平和に対する戦争だ。
 
2.「さらに使用可能な平和構築」の核爆弾、ミニ核兵器
 
トランプの2018年核兵器構想は、北朝鮮に対する核兵器使用の決意が明確である。最初の先制核兵器攻撃ドクトリンは、2001年ブッシュ政権下で編み出されたが(2002年上院で採択されたNPR2001)、2008NPRは1.2兆ドルの核兵器計画と結びついている。そして「さらに使用可能な」小さな核兵器に焦点を当て、核保有国や非保有国に対する最初の攻撃での使用を目的としている。                    
B61-12戦術核爆弾
「さらに使用可能な」核兵器とはいわゆるミニ核兵器(B61-11, B61-12)に属し、通常の3分の1の爆発力だが、広島原爆の12倍にもなる。これらの「さらに使用可能な」核兵器、つまり核弾頭が付いたバンカー・バスター爆弾は、周囲の市民には害を及ぼさないと言われている。ペンタゴンとは違って、「専門家の意見」によれば爆発は地下で起きるからという。
オリンピックに引き続いて、大規模な米韓合同演習が構想されていることは述べておかなければならない。
 
真に危険なのは、特に米軍情報機関内で押し進められるいわゆる「鼻血」作戦という圧力を考えると、これらの合同演習が実際の戦争に発展しうることである。
 
2018NPRに含まれる朝鮮半島の非核化への試みは、アメリカの煙幕に過ぎない。アメリカは過去67年間、核兵器で朝鮮半島を脅し続けてきたのだ。NPRで構想された朝鮮半島の非核化は、朝鮮人民民主共和国だけに向けられたもので、アメリカの核増強は無関係なのだ。
 
述べておかなければならないことは、北朝鮮が国連総会決議L.41に賛成した唯一の核兵器所有国であったことである。その決議は、「核兵器を禁止し、その全面的除去に向けての合法的な拘束力」として、会議を招集することになっている。
 
さらに使用可能な「平和を創造」するバンカー・バスターというミニ核兵器は、「鼻血」作戦の下で、北朝鮮やイランに向けて考えられている。
 
アメリカの軍・情報機関からの脅威が北朝鮮に向けられているにもかかわらず、現在の状況下では、ペンタゴンは非核保有国に対してもミニ核兵器を選択する可能性がある。
 
歴史的にアメリカは、主要軍事作戦において、同盟国を身代わりにしてきた。軍事的にもアメリカは北朝鮮に対して単独で行動することはないだろう。この点で問題にもなっていることは、米韓合同司令部(CFC)である。それは全韓国軍は文在寅大統領の管轄下ではなく、ペンタゴンの指揮下に置かれているからだ。
 
韓国の戦争拒否は明確でなければならない。米韓合同司令部(CFC)の廃止は決定的に重要だ。韓国軍の参加がなければアメリカが単独で行動する可能性は著しく減少する。
 
3.外交チャンネルの崩壊
 
50年前、1962年10月のキューバ・ミサイル危機を思い起こそう。
 
1962年10月と今日の違いは、両方の指導者、つまりケネディとフルシチョフが核戦争の危険性を正確に意識していたことだ。
 
反対にトランプ大統領は、核戦争の危険に関して誤った情報が与えられている。彼は大量の市民虐殺を避けようともしない。「我々は北朝鮮を全面的に破壊するしか選択肢はないだろう」と言って、金正恩を「自殺任務」をする「ロケットマン」だと責め立てている。
 
1962年10月ミサイル危機と今日の現状を区別するもの:     
    ・今日のドナルド・トランプ大統領は核戦争の結果についてぼん
     やりした考えしかもっていない。
    ・核兵器ドクトリンは冷戦時代には全く違っていた。ワシントンも
     モスクワも相互確証 破壊の現実を理解していた。今日、戦
     術核兵器は3分の1の破壊力であるが、広島原 爆の6倍の威力
     がある。ペンタゴンによればそれは地下で爆発するから、市民
     には無害と分類されている。
    ・外交ルートは崩壊している。
    ・1.2兆ドルの核兵器計画は最初オバマ政権で始まり、現在進行
     中である。トランプはこの極悪非道な計画に追加資金を割り当
     てた。
    ・今日の熱核兵器は広島原爆より100倍以上強力で破壊力があ
     る。アメリカもロシアも 双方が数千の核兵器を配備している。
 
肯定的な面ではオリンピックを機に、南北朝鮮が建設的な対話に入ったことである。さらに、文在寅大統領はまた中国の習近平主席やロシアのウラジミール・プーチン大統領と有意義な討論に入ったことである。韓国へのTHAADミサイル配備は、北朝鮮よりむしろ主に中国に対して使用する意図がある。
 
4.朝鮮民主主義人民共和国は、アメリカにとって安全保障上の脅威なのか
 
ほとんどのアメリカ人が知らないこと、そして世界平和に対して朝鮮民主主義人民共和国の「脅威」と言われるものを判断するとき、特に何が重要なのかは、北朝鮮が1950年代にアメリカ主導の爆撃の結果、住民の30%を失ったということだ。米軍筋によると、集中爆撃の3分の1の期間で北朝鮮人口の20%が殺されたと言われている。
 
    北朝鮮の78都市と数千の村々を破壊し、おびただしい数の
    市民を殺した後、カーティス・ルメイ将軍は述べた。「3年かそこ
    らの期間で、我々は人口の20%を殺した」と。
 
北朝鮮のどの家族も朝鮮戦争の過程で大事は人を亡くした。
 
アメリカは北朝鮮人口の30%を殺したことを一度も謝罪しなかった。アメリカ外交政策の主目的は、アメリカ主導の戦争の犠牲者を悪魔化することにあった。
 
戦後補償はなかった。
 
朝鮮人に対するアメリカ戦争犯罪の問題は、国際社会で一度も論じられなかった。
 
朝鮮戦争の残虐行為の手口は、ベトナム人民に対するアメリカの戦争を用意することとなった。
 
半世紀以上にわたって、ワシントンは北朝鮮の政治的孤立化に寄与してきた。さらに平壌に対するアメリカの経済制裁は、北朝鮮経済の不安定化を狙っていた。
 
プロパガンダが中心的役割を担ってきた。米軍侵略の語られざる犠牲者北朝鮮は、失敗した好戦国家とか「ならず者国家」とか「テロ支援国家」とか「世界平和への脅威」と言われている。アメリカと西ヨーロッパでは、これらの定型化した非難はメディア合意となり、あえて疑問視する者はいない。
 
嘘が真実となる。北朝鮮は脅威として喧伝される。アメリカは侵略者ではなく犠牲者だと。
 
5.歴史的文脈:核戦争では、だれが侵略者なのか
 
米軍資料で確認されたのは、中華人民共和国も朝鮮民主主義人民共和国も、67年間核戦争で脅かされてきた。
 
1950年、中華人民共和国によって派遣された中国義勇軍は、アメリカの侵略に対して北朝鮮をしっかり支えた。
 
中国の朝鮮民主主義共和国との連帯行動は、1949年10月1日の中華人民共和国が成立してわずか2・3カ月後に行われた。
 
ハリー・トルーマン大統領は、中国と北朝鮮に対して核兵器使用を考えていた。特に北朝鮮軍と共に戦うために派遣された中国人民義勇軍(VPA)をあきらめさせる手段として。[Chinese Volunteer People’s Army, 中國人民志願軍; Zh?ngguó Rénmín Zhìyuàn J?n]
 
重要なのは、北朝鮮に向けられた米軍の行動は、中華人民共和国やソ連に対する広い意味での冷戦軍事計画の一部であった。その目的は究極的に社会主義を葬り去り、破壊することだった。
 
1945年9月15日の秘密文書による「ペンタゴンは主要都市に同時に核攻撃をして、ソ連を吹き飛ばすことをもくろんでいた」ことは述べておかねばならない。
 
ソ連の全主要都市は、66の「戦略」目標に含まれていた。下の表は、各都市の1マイル四方[約1.6km2]の地域と、その住民を絶滅させ、殺すために必要とされる原子爆弾の数を示している。
 
モスクワ、レニングラード、タシケント、キエフ、ハリコフ、オデッサを含む各都市を破壊するために6個の原爆が使われることになっていた。
 
「ソ連を地図から消し去る」ために、全部で204個の爆弾が必要とされると、ペンタゴンは見積もっていた。核攻撃の目標は66の主要都市からなっていた。
 
この悪魔的軍事計画の概要は、1945年9月に発表された。広島、長崎原爆(1945年8月6日、9日)のほんの一ヶ月後であり、冷戦開始(1947年)の2年前である。
 
6.北朝鮮に適用された「広島ドクトリン」

朝鮮に関する米核兵器ドクトリンは、1945年8月の広島長崎原爆に続いて打ち立てられた。原爆は主に市民に向けられていた。

「広島ドクトリン」の下での核攻撃の戦略目的は、百万人もの死者を出す「大量の死傷者を生み出す」ことであった。その目的は軍事征服の手段として国家全体を恐怖に陥れることであった。ハリー・トルーマン大統領の言葉では:
 
    「最初の原爆は広島の軍事基地に落とされたことに世界は
    注目するだろう。それは我々が最初の攻撃で(できるだけ)
    市民の死者を避けようとしたからです。」(1945年8月9日、
    ハリー・トルーマン大統領の国民へのラジオ演説)
 
    [注:最初の原爆は1945年8月6日広島に落とされた。二番目
    は8月9日、トルーマンのラジオ演説と同じ日、長崎に落とさ
    れた]

アメリカ政治の長い狂気の歴史では、アメリカの人間性への犯罪に人道的な顔を与えるように仕向けられてきた。1945年8月9日の同じラジオ演説でトルーマン(写真右)は締めくくった。核兵器使用に関して、神は我々の側にある。そして、

 
    「神はそれ[核兵器]を使うように我々を導く。神の道と、神の目的
    に沿って。」
 
トルーマンによれば、神は我々と共にあり、爆弾を使うかどうか、いつ使うかを神が決めるという。
 
    それ[核兵器]が敵でなく、我々にもたらされたことを神に感謝す
    る。そしてそれ[核兵器]を神の道と神の目的に沿って我々が使え
    るように導き給え。」(強調あり)
 
広島から始まるトルーマン・ドクトリンによって、アメリカの核兵器を韓国のために用意することとなった。朝鮮戦争終結からわずか2・3年後、アメリカは韓国に核弾頭配備を開始した。議政府(ウィジヨンブ)と安養邑(アニャンニ)への配備は1956年には構想されていた。
 
アメリカの韓国への核弾頭配備決定は、1953年の休戦協定13条に明らかに違反していたことは述べておかなければならない。休戦協定は、戦争当事国が韓国に新たな兵器を持ち込むことを禁止していた。
 
実際の核兵器配備は朝鮮戦争終結後4年半後の1958年1月に始まった。公式にはアメリカの韓国への核兵器配備は、33年間続いた。その配備は北朝鮮と共に、中国、ソ連にも向けられていた。

 
   
7.韓国の核兵器計画
 
アメリカの韓国核弾頭配備と同時に、かつそれと連携して韓国は1970年代初頭に自身の核兵器開発計画を開始した。
 
公式の話では、アメリカはソウルに核兵器計画を断念させ、「核分裂物質を生み出す前に、1975年4月核不拡散条約に調印するように」圧力をかけたということだ。(ダニエル・ピンクストン「韓国の核実験」CNS Research Story, 2004年9月9日、http://cns.miis.edu.)
 
韓国の核兵器開発は、アメリカの監督下で1970年代初頭に始まり、北朝鮮を脅すためにアメリカの核兵器配備の一部として進められた。
 
欧米は一致して北朝鮮の核開発を非難したが、韓国の核兵器開発計画は一度も問題にされなかった。そして韓国は非申告核兵器保有国と指定されることもなかった。
 
さらに、この計画は公式には1978年に終わったが、アメリカは核兵器使用の韓国軍訓練と共に、科学的専門知識導入を促進した。覚えておいてほしいことは、米韓合同司令部(CFC)の下で、韓国のすべての部隊は、米軍司令官に指導された合同司令部(CFC)の指揮権下にある。これは韓国軍によって設立されたすべての軍事施設は事実上、合同施設であることを意味している。
 
8.北朝鮮に対するアメリカ大陸と戦略潜水艦からの核攻撃計画
 
公式声明によれば、アメリカは1991年に韓国から核兵器を撤去したということだ。
 
この韓国からの撤去は、どうみても北朝鮮に向けられたアメリカの核戦争の脅威を修正するものではなかった。それはアメリカの核兵器配備に関する軍事戦略の変更と関連している。北朝鮮の主要部は、韓国軍事施設からではなく、米国本土と米国戦略ミサイル原子力潜水艦(SSBN)から核弾頭で狙われていたということだ。 
 
9.現在の二重基準
 
北朝鮮が核脅威だと言われるが、非核保有国(ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、トルコ)は国家管理の下、アメリカ製のB61-11戦術核兵器を持っている。
 
これら5カ国は非申告の核兵器保有国である。
 
トランプの「炎と怒り」はオランダやベルギーに向けられていない。それらの国は国家管理下で40個の核兵器を保有している。欧米安全保障への脅威と広められた北朝鮮の核兵器は10個であることと比較してみよ。


朝鮮民主主義人民共和国は、米軍侵略の暗黙の犠牲者であるのだが、一貫して好戦的国家、アメリカ本土への脅威、世界平和への脅威として描かれてきた。これらの定式化した非難はメディア合意の一部となってきた。
 
核戦争への脅威は北朝鮮からではなく、アメリカとその同盟国からである。
 
北朝鮮に対するこれらの潜在的侵略の継続的脅威や行動は、中国やロシアに向けられ、アメリカの東アジア軍事計画の一部として理解されるべきでもある。多くの点で地政学的観点から、アメリカは北朝鮮を緩衝装置と考えている。究極的目標は韓国軍の支援の下、ロシアや中国を脅かすことである(合同司令部の下で)。言うまでもないが、南北朝鮮の再統一は北東アジアにおけるアメリカの覇権を弱体化させるだろう。
 
さらに、ワシントンの意図は、中国とASEAN諸国を分断させるため、東南アジアと極東の軍事衝突を長引かせることだ。ほとんどそれらの国々は西欧植民地主義やアメリカの軍事侵略の犠牲者である。人道に対する大規模な犯罪がベトナム、カンボジア、朝鮮、フィリピン、インドネシアに対して行われた。皮肉にもこれらの国々は、いまやアメリカの軍事同盟国である。
 
世界的安全保障の脅威となるのが北朝鮮ではなく、アメリカだということに、アメリカや西欧諸国の人々が気づくようになったことは重要だ。
 
10.南北双方の和平合意に向けて
 
1953年休戦協定
 
1953年休戦協定の裏に隠されていることは、戦争当事国の一つアメリカが、たえず北朝鮮に対して戦争をすると脅してきたことである。
 
アメリカは、休戦協定違反を数え切れなほど行ってきた。朝鮮はいまだ戦時体制のままである。何気なく欧米メディアや国際社会で無視されてきたのは、アメリカが半世紀以上にわたって、北朝鮮を狙った核兵器を積極的に配備してきたことである。ごく最近、アメリカは広い意味で中国やロシアに向けたいわゆるTHAADミサイルを配備した。
 
アメリカは未だ北朝鮮と戦争状態にある。1953年7月に調印された休戦協定は、法的には戦争当事国(アメリカ、北朝鮮、中国義勇軍)の間の「一時的停戦」を意味しているので、廃棄されねばならない。
 
アメリカは休戦協定に違反しただけでなく、一貫して平壌との和平交渉に入るのを拒否してきた。それは韓国の軍事プレゼンスを維持し、韓国と北朝鮮の正常化や協力関係を握りつぶすためであった。この段階で、解決は北と南がアメリカの和平交渉拒否に対抗して、二国間和平条約交渉をすることである。
 
再統一を促す南北和平条約を達成する道では、米韓合同司令部(CFC)とOPCON(作戦指揮権)の廃棄が必要とされる。
 
2014年朴槿恵大統領政府は、OPCON(作戦指揮権)協定を「2020年代半ばまで」延長することに合意した。このことの意味は、「衝突の際には」韓国軍は韓国大統領や韓国司令官でなく、ペンタゴンに指名された米国司令官の命令下に置かれるということだ。現在、アメリカはその指揮下に60万人の韓国軍を有している。(つまり在韓米軍司令部(USFK)は、米韓合同司令部(CFC)でもあるのだ。)
 
韓国の国家主権は米韓合同司令部(CFC)機構と同様、OPCON合意の撤廃なしには当然達成され得ないことは言うまでもない。そしてこれは文在寅大統領政権が構想すべきことであるCFC機構の撤廃は和平と再統一に不可欠である。
 
思い起こせば、1978年二国間朝鮮共和国、つまり米軍合同司令部(CFC)が朴正煕将軍(軍事独裁者であり、弾劾された朴槿恵大統領の父)の下で作られた。実質的にこれは1950年に取り決められたいわゆる国連司令部と合同軍機構に関する名称変更であった。李承晩政権の間に、すべての韓国軍はマッカーサー司令官の指令下に置かれていた。
 
「朝鮮戦争以来ずっと、アメリカの四つ星が、戦時に韓国軍と米軍の双方を「作戦司令」(OPCON)するということに同盟国は合意した・・・。」1978年より前にこれは国連司令部を通じて達成された。そのとき以来、それはCFC[米韓合同司令部機構]となった。(Brooking Institute)
 
さらに再交渉されたOPCON(2014年)の下で米軍司令部は、1953年の休戦協定が和平協定に置き換えられない限り、十分有効とされている。
 
もし休戦協定の調印国の一つが和平協定調印を拒否するならば、考えるべきことは南北二国間の包括的和平協定を作ることである。それは事実上、1953年休戦協定を無効にすることになる。
 
求められるべきことは、アメリカと北朝鮮の「戦争状態」(休戦合意の下で)が、協力と交流を伴った包括的南北二国間和平協定の調印によって、ある意味で棚上げされ、撤廃されることである。
 
このソウルと平壌の広範囲にわたる合意は、朝鮮半島の平和を推し進めるだろう。1953年の休戦協定調印国間の和平合意が失敗したとしても。
 
この二国間協約の法的合意はきわめて重要である。この二国間の和解は、結局ワシントンの拒否を回避することになるだろう。それは朝鮮半島の平和の基礎を外国の介入なしで打ち立てるだろう。つまりワシントンが条件をつけて指令することなしで。それは同時に韓国からの米軍の撤退とOPCON合意の撤廃を求めることになる。
 
さらに述べておくべきことは、OPCON合意の下での韓国の軍事化は、新たな軍事基地の開発を含み、主に中国やロシアを脅かす軍事的発射台として朝鮮半島を使うことも意図されていることである。OPCONの下での「戦争の場合」に、全韓国軍は中国やロシアに対して米軍指令の下で動員されることになる。
 
さらにワシントンは最終的に北朝鮮を孤立化させるために、南北朝鮮間だけでなく、北朝鮮と中国間の政治的分断を作り出そうとしている。
痛烈な皮肉として、韓国の米軍施設(済州島を含む)は、軍事包囲網の一部として中国を脅かすために使われている。言うまでもないことだが、広範な東アジア地域と同様、朝鮮半島の永久平和は南北二国間協定で決められたように、OPCONと同様休戦協定も撤廃し、米軍の韓国撤退を追求する必要がある。
 
重要なのは南北二国間の和平会談が文在寅大統領の主導で、外国の参加や介入なしに行われることである。これらの会談は北朝鮮に向けられた経済制裁の撤廃と同様に全米軍の撤退に取り組まなければならない。                        
 

米軍駐留の排除と28,500人の占領軍の撤退は、南北二国間平和条約の必要不可欠な要求事項であるべきだ。
 
11.再統一と今後のロードマップ:あるのはただ一つの統一朝鮮国家だ
 
あるのはただ一つの統一朝鮮国家である。ワシントンは再統一に反対するが、それは統一した朝鮮国家は東アジアにおける米国の覇権を弱めるからである。
 
それは日本も弱体化させる。この点で米国と日本の二国間関係を検討することも重要だ。日本は元植民地権力で、再統一計画に反対するように仕向けられているからだ。
 
再統一は力強い朝鮮国家と地域の力(進んだ科学技術力をもった)を生み出すだろう。それは国家主権を行使し、ワシントンの介入なしで近隣諸国と貿易関係を打ち立てるだろう。
 
この点で述べておかねばならないことは、アメリカの外交政策と軍事計画は、すでに韓国に米占領軍維持を予定した「再統一」のシナリオを打ち立てていることである。同様にワシントンによって構想されていることは「外国投資家」が北朝鮮経済に侵入し、略奪することを可能にする枠組みである。
 
ワシントンの目的は、再統一過程を邪魔することである。Plan Bはアメリカが朝鮮再統一の条件を課すことである。2000年に発表された再統一後のシナリオで、米軍の数(現在28,500人)は増加され、米軍の駐留は北朝鮮にまで拡大されることをほのめかしていた。
 
再統一された朝鮮では、米駐留軍の軍事計画は、北朝鮮のいわゆる安定化作戦を実施することになっている。
 
朝鮮統一は、半島における米駐留軍の削減や、朝鮮における米軍の基本姿勢の転換を求め、そしてその転換は本当にアメリカの任務の変化をもたらすかもしれない。しかしそれは技術的現実の変化であり、アメリカの任務の終わりではない。さらに再統一後の現実的シナリオでは、米軍は北朝鮮の安定化作戦に何らかの役割をもつ可能性がある。朝鮮における再統一後の米駐留軍の正確な規模や編成を予測することは時期尚早だが、朝鮮における米駐留軍がより大きな、長期間にわたる戦略的目的に奉仕することを認識しておくことは早すぎることではない。現在半島における米駐留軍のいかなる減少も賢明ではない。もしあるとすれば、ミサイル攻撃に対する防衛能力の点で、また特に北朝鮮の大量破壊兵器能力の影響を制限するために、米駐留軍の増強を必要としている。やがて、又は再統一に伴って、これらの部隊の構成は変化するし、人的資源レベルは変動するだろう。しかしアジアのこの地域でのアメリカの存在は継続するべきだ。36(PNAC,新世紀のためのアメリカの国防、戦略、軍隊、資源、p.18 強調あり)

 
ワシントンの意図は全く明白である。それは和平プロセスを妨害することにある。
 
さらに理解されるべきは、北朝鮮に対するアメリカ主導の戦争は全朝鮮国民を飲み込むということである。
 
ワシントンは韓国を防衛すると主張するが、アメリカが支援する戦争は北朝鮮にも韓国にも向けられている。
 
それは1945年9月以来、事実上米軍占領下にある韓国をも脅かしている。
 
我々は極悪非道な軍事計画を論じている。アメリカは合同軍事司令部(CFC)の下で、北朝鮮に向けて韓国軍を動員することを求めている。
 
もし戦争が行われたら、アメリカ司令部の下で韓国軍は、朝鮮人民の再統一計画に反対するために使われるであろう。だから米韓合同司令部(CFC)の廃棄は重要なのだ。
 
朝鮮半島の地理を考えれば、北朝鮮に対して核兵器を使用すれば、必然的に韓国も飲み込まれるだろう。この事実は米軍作戦立案者にも知られているし、理解もされている。
 
強調されねばならないことは、アメリカが朝鮮国民に戦争をすると威嚇する限り、アメリカと韓国は同盟国ではあり得ないということだ。
 
「真の同盟」とは外国の侵入や侵略に対して南北朝鮮が対話を通して一つになり、再統一することである。
 
アメリカは全朝鮮国民に対して戦争状態にある。それは平和に対する戦争である。そしてこれが求めるものは次のことだ。
 
韓国と北朝鮮の二者協議の進展は2018年1月9日に始まった。1953年の休戦協定を無効にして、二国間の「和平条約」の条件を設定する仮合意の調印が狙いである。
 
代わりにこの合意は米軍駐留の排除や28,500人の米軍の撤退過程をも設定する。
 
さらに二国間平和交渉に従って、米軍指令下にある韓国軍の米韓OPCON合意は撤廃されるだろう。それ故、全韓国軍は韓国司令部の下に置かれるだろう。
 
二国間協議は、現在進行中であるが、韓国と北朝鮮間のさらなる経済、技術、文化、教育の協力を進展させることも行われるべきだ。
 
OPCONの下、背後でアメリカが操ることなしに、戦争の脅威は対話に置き換えられるだろう。それ故、最初の優先事項はOPCONとCFCを破棄することになる。
 
言うまでもないが、南北朝鮮の統一は、北東アジアにおけるアメリカ覇権を弱めるだろう。
 
それはまた、北東アジアにおける貿易や開発の点で重要な意味を持つだろう。
 
8千万人の統一した朝鮮国民は南北の科学、技術能力を統合し、必ずや強力で自律した主権地域経済力と貿易国家形成へと導くだろう。
 
分断された朝鮮はアメリカの地政学的、経済的利益に奉仕するだけだ。
 
オリンピックの二国間対話は平和の舞台を設定した。
 
いま韓国で展開されていることは、両朝鮮国家の対話が公然と受け入れられたことだ。
 
さらに世論は、ますます気づくようになるだろう。V.ブルックス司令官の合同司令部(CFC)の下、米韓合同軍によって行われるどのような行動も、全朝鮮国民に対する攻撃となるだろう。
 
 
韓国軍は、朝鮮人や朝鮮国家に敵対するために動員されない。意識的キャンペーンも韓国軍隊内で開始されるべきだ。「戦うことを拒否せよ」、そしてドナルド・トランプに任命された「米軍司令官の命令に従うな」。韓国軍司令官の指揮権が求められるべきだ。
 
二国間交渉と同様、オリンピックはついに合同司令部(CFC)を排除する機会を与えてくれた。
 
必要とされていることは、合同司令部から一方的に韓国軍を撤退させるという政府の決定を支持する大衆行動である。つまりCFCの一方的廃棄である。(それは2025年まで延長されている。後に弾劾されることになった朴槿恵大統領によってワシントンの命令で調印された。)
 
目的は平和を達成させるため文在寅大統領を韓国軍の司令官に復権させることだ。
 
このことは、もしアメリカがまだ北朝鮮攻撃を望んだら,韓国軍に頼ることができないということだ。歴史的にアメリカは、汚い仕事をするのにいつも同盟国に頼ってきた。
 
アメリカは南北対話を妨害するために、合同軍司令部(CFC)には手をつけずに、最大限のことをすると私は思う。
 
しかし、これがどう展開するか予測することは難しい。我々は著しく「予測できない」アメリカの政治家と軍事計画立案者を論じているからだ。
 
ミシェル・チョスドフスキー演説原稿。2018年2月21日、韓国ソウル
          (翻訳:新見明) 

(記事原文) https://www.globalresearch.ca/north-korea-and-the-dangers-of-nuclear-war-the-demilitarization-of-the-korean-peninsula-towards-a-peace-agreement/5628390 >

<新見コメント>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マイケル・チョスドフスキー「北朝鮮と核戦争の危機:朝鮮半島の非軍事化 和平合意を目指して」を「寺島メソッド翻訳NEWS」にアップしました。

前回のチョスドフスキーの「朝鮮の人々に対する米国の戦争:米国戦争犯罪の歴史的記録」では、朝鮮半島の第二次世界大戦後の歴史的経過をたどりながら、北朝鮮が核を含めた軍事的圧力と経済制裁で苦しんでいるだけでなく、韓国もアメリカの軍事占領と経済的収奪(アジア危機等)に苦しんでいるという独自の論理展開を読むことができました。

今回の文章は、平昌オリンピックを機に南北宥和政策が電撃的に進み、今後南北朝鮮の和平会談が実現する状況で書かれました。朝鮮半島が融和への道を歩み始めたとき、どう考えなければいけないかを、チョスドフスキーが考察してくれています。

まず、南北和平合意を結ぶことによって、米韓合同司令部(CFC)を無効化すること。アメリカなしでも南北二国間で和平合意を達成すれば、アメリカが軍事侵攻を進めても、韓国軍は協力しないという強力な武器になる。それは米軍司令官に握られた韓国軍の指揮権を無効にしていく過程である。それが韓国の主権の回復にもつながるということだ。

南北和平協定が結ばれれば、停戦協定は自ずと解消される。そしてアメリカの覇権は弱体化する。また経済、文化、科学技術の交流によってより強い朝鮮半島の統一国家を目指すことができと述べています。

しかしアメリカは南北和平合意を許すだろうか。アメリカは独自の統一計画(Plan B)をもっていて、北朝鮮に軍事的、経済的浸透をはかろうとしている。そのとき文在寅政権は米韓合同司令部(CFC)を無効化して、侵略に荷担しないという選択がとれるかどうかが鍵になる。

最近、「対話」を主張していたティラーソン国務長官が更迭され、ネオコンでキリスト教原理主義者(カルト)のマイク・ポンピオCIA長官が後任の国務長官になった。マイケル・フリン国家安全保障補佐官とティラーソン国務長官の更迭は、アメリカの「闇の国家」(dark states)がトランプ政権を乗っ取ったということだ。それによってアメリカが北朝鮮との対話ムードをぶち壊しかねない動きが心配される。

一方、日本はアメリカの尻馬に乗って「圧力と制裁」ばかりを繰り返してきたが、アメリカが米朝対話を考慮するようになると、日朝会談を模索すると言い出した。宗主国の様子をうかがって、自分の主張をころころ変える様は、まったく原則どころか、品性もなにもない宗主国傀儡政権であることを証明した。

そんなとき、このチョスドフスキーの記事は、今後の朝鮮情勢を考える上で貴重な見解である。

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