クリス・ヘッジス著「他者排除文化が、リベラリズムの墓場だ」
<記事原文 寺島先生推薦>
Chris Hedges: Cancel culture, where liberalism goes to die
RT論説面
2021年2月15日
クリス・ヘッジス著
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2021年3月15日

By Chris Hedges, a Pulitzer Prize–winning journalist who was a foreign correspondent for fifteen years for The New York Times, where he served as the Middle East Bureau Chief and Balkan Bureau Chief for the paper. He previously worked overseas for The Dallas Morning News, The Christian Science Monitor, and NPR. He is the host of the Emmy Award-nominated RT America show On Contact.
支配者層とそのしもべたちは、自分たちの道徳的卓越性を誇示するために、政治的に正しいとされる言説に従わない人々を排除し、沈黙させている。連中は、いわば現在のジャコバン派(訳注 フランス革命後のフランスで恐怖政治を行った一派)だ。
この記事の元記事はScheerPostで発表されたものである。
1956年に、ウィル・キャンベル牧師がミシシッピ大学での信仰生活部部長という自分の地位から追い出されることになったのは、キャンベル牧師が融和をよびかけていたからだった。キャンベル牧師は、1957年のリトル・ロック中央高校事件時には、黒人と白人の融和政策に反対する暴徒の中を、黒人の子どもたちによりそって入校させた人物だ。キャンベル牧師は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「南部キリスト教指導者会議」を設立した団体への加入を進められた唯一の白人だった。キャンベル牧師は、「ナッシュビル座り込み運動」の取りまとめや、「フリーダム・ライド」の組織作りを支援していた。
訳注 ナッシュビル座り込み運動や、フリーダム・ライドは、差別に反対する黒人たちによる1960年代初旬の抗議活動
さらにキャンベル牧師は、人種的分離主義者たちから殺害警告を多数受けていたにもかかわらず、クー・クラックス・クラン(KKK 訳注:白人至上主義過激派団体)の地方支部の非公式の牧師をつとめていたのだ。彼はクランの人種差別主義や、テロや暴力行為に対しては激しく非難し、公式にこれらと戦い、地元のミシシッピ州での黒人による公民権運動のもとでの抗議デモ行進に参加していた。それでもキャンベル牧師は生涯を通じ、人種差別主義者たちを「排除する」ことを断固として拒否していた。彼は人種差別主義者たちを「非人間」として悪魔化することを拒否していた。彼の考えによれば、「もちろん人種差別はよくないことなのだが、人種差別主義は資本主義体制ほど悪質ではない。資本主義というのは、経済を低迷させ不安定にさせるものなのだから。そしてこの資本主義体制が、白人を暴力的で人種差別的な暴徒に追いやっているのだ」とのことだった。
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「公民権運動当時は、戦略を練るとき、誰かがよくこういっていたものだ。“ウィル・キャンベルに電話しろ。ウィルに確認してみよう”と」。これは、ジョン・ルイス牧師がキャンベルの回顧録である『トンボの兄弟』の新版の前書きに書いた言葉だ。この『トンボの兄弟』は私がセミナー研究生時代に読んだ中でもっとも重要な著書の一つだった。「ウイルが知っていたのは、南部の悲劇の歴史の被害者になったのは、私たちの同志だけではなく敵たちもそうだった、という事実だ。ローザ・パークスや、フレッド・シャトルワース(訳注:両名とも黒人活動家)だけではなく、ジョージ・ウォレス(訳注:人種差別主義者者であることを公表していた元アラバマ州知事)やブル・コナー(訳注:公民権運動を徹底的に取り締まった元アラバマ州警察署長)も被害者だったということだ。ウィルは、この悲劇により学生非暴力調整委員会だけではなく、クー・クラックス・クランも生み出されたことをしっかり理解していたのだ。この前提があったからこそ、人種差別意識をなくし、平等という概念を広めるには、勇気や、愛や、信念を追求し、すべての人々を精神的に自由な世界に導くべきだ、とウィルは考えていたのだ」
ジミー・カーター元大統領はキャンベル牧師をこう評している。「南部の白人と黒人の間を隔てる壁を壊した人物であった」と。「ブラック・パンサー(訳注:1966年に立ち上げられた黒人解放闘争政治組織)」の組織者であるフレッド・ハンプトンが、シカゴでキャンベル牧師と同じようなことをしていて、FBIに暗殺されたのだ。(そのFBIは今、CIAとともに、リベラル派の支配者層による、トランプやトランプ支持者に対する戦いに加担している)。
キャンベル牧師は、自分の住んでいた町が、7月4日の独立記念日の行進に、クランに山車を出すことを禁じたことに対して、反対はしなかった。ただし、それはガス会社や電力会社も山車を出すことを禁じられていたからだ。無実の人々や弱い人々を苦しめていたのは白人人種差別主義者たちだけではない。人命よりも利益を優先する企業組織もそうなのだ。
「ガス代や電気代が払えず、暖房を切って、死んでしまう人々もいる。特にお年寄りの中には」とキャンベル牧師は語っている。「このようなこともテロ行為のひとつだ」
キャンベル牧師は、KKKについてこんなことを言っていた。「KKKが行う行為は、目に見えることであるし、対処もできる。もし、KKKが法律を犯せば彼らに処罰を与えることもできる。しかし、もっと社会に大きく影響を与えている、本当の人種差別主義というのは、かつてそうだったし今もそうなのだが、対処法が困難であり、社会に与える影響も大きいのだ」
キャンベル牧師が私たちに思い出させてくれるのは、国会議事堂を占拠したトランプ支持者たちを悪者扱いするのはとんでもない間違いだ、ということだ。さらに、不法な人種差別を解消するには、経済を正常化するしかないということも、だ。さらにキャンベル牧師が私たちに呼びかけているのは、自分たちと考え方が違っていたり、言っていることが違っているために、この警察国家化した社会から嘲笑の対象となっている人々に対話の手を伸ばすことだ。彼らは、私たちと同様に、経済的に疎外されているからだ。キャンベル牧師が理解していたのは、富の不均衡や、社会的地位の喪失や、未来への希望の喪失という状況の中、長期にわたり社会から除外されていたことも重なって、本来あるべき連帯が損なわれ、クランや「プラウド・ボーイズ」などの白人至上主義である過激団体を生み出す土壌になっているという事実だ。
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傷の本質を知ろうとしない限り、その傷を治療することはできない。
ワシントン・ポスト紙は、1月6日に起こった国会議事堂占拠事件に参加したことで起訴された125名について調査し、以下の事実を報じている。「国会議事堂占拠事件で起訴されている人々のうち60%は何らかの金銭トラブルを抱えていた。具体的には、破産や、立ち退きや担保権執行の宣告、ひどい借金、20年以上に及ぶ税金の未払いなどだ」
「これらの人々の破産率は18%だった。これは、通常の米国民の二倍にあたる」とワシントン・ポスト紙は報じている。「彼らの4分の1は、金銭を借りていた債権者から訴えられていた。そして、裁判所への提出書類によれば、彼らのうち5人に1人が一時的に家を失ったことがあったという事実がわかった」
「公文書によると、国会議事堂占拠事件に参加したとされた、或るカリフォルニア在住の男性は、事件の一週間前に破産申告を行っていたことが分かった」と同紙は報じている。「国会議事堂に侵入したことで起訴されたテキサス在住の男性は、事件の1ヶ月前に自分が経営する会社が2千ドル近い租税先取特権を科されていた。この事件に加わり起訴された数名の若者は金銭的に非常に厳しい家庭出身だった」
私たちは彼らの生活の厳しさについてしっかりと認識しておかないといけない。人種差別主義や、ヘイトや、暴力に対する渇望は否定しなければいけないのは当然のことだが。把握しておくべきことは、私たちが決して信頼してはいけない敵は、政治的に正しくない人たちではないし、人種差別主義者たちでさえない。真の敵は、企業であり、堕落した政治体制であり、法体制なのだ。こういったものたちが、血も涙もなしに、母なる地球だけではなく、その市民たちを犠牲にしているのだ。やつらが利益を得る代償として。
キャンベル牧師と同様に、私の家族の多くは都市の労働者階級出身だ。その労働者の多くは長老派教会牧師であった私の父に偏見を抱いていた。父は常に教会から糾弾を受けていた。(訳注:ヘッジスの父は、早くからベトナム戦争に反対し、またゲイに関しても柔軟な考え方を持っていた。そのことは、当時の世間や教会からはよく思われていなかった)。そんな中でも、運と奨学金の力を借りて、私は上流階級のための学校に入学した。そんなことをした人は私の親戚にはいなかった。生来知性の高かった祖父も、高校の最終学年で中退せざるを得なくなった。というのは、祖父の姉の夫が亡くなったからだ。祖父は、姉と姉の子どもたちを養うために農場で働かなければならなかった。米国の貧乏人が、好機を二度もらえることはごくまれだ。一度の好機さえもらえない人も多い。祖父はその一度目の好機を失ったのだ。
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私の親戚たちの出身地は、粉ひき工場や工場が閉鎖され壊滅的な状況に置かれているメーン州の町々だ。いい仕事などほとんどない。自分たちは、裏切られ、騙されたのだという正当な怒りがくすぶっている。私の親戚たちは、米国の大多数の労働者階級の人々と同様、静かな絶望感の中で人生を送っている。この怒りが、否定的で破壊的な形で噴出するのはよくあることだ。だからといって、「この人たちはどうしようもない人たちだ」と否定してしまう権利は、私にはない。
理解するということは、許すということではない。しかし、支配者層と、「ジャーナリスト」という仮面をかぶった彼らのしもべたちが、嬉々としてこんな人たちをまるで存在しないかのように報道から除外しているのだ。まるで「非人間」のように扱い続けているのだ。そう、ヒラリー・クリントンが「deplorables (役立たず)」と呼んだように。そして、決して報じようとしないのは、社会の汚い不条理についてだ。その不条理のせいで、この人たちは弱く、不安なままにされているのに、だ。だからこそ、過激派組織がさらに過激な行動を示し、それに伴い、国家による抑圧や検閲が強められることになっているのだ。
他者排除文化(訳注:英語でcancel culture。他者のちょっとしたあらを探しだし、その他者を排除しようとする文化のこと)は、自称「適切な言論審査員」たちによる魔女狩りだ。この文化がリベラル派たちの“boutique activism”(見せびらかすためだけの活動) と化しているのだ。しかし、リベラル派たちに欠けているのは、権力の中枢にいるものたちに挑みかかろうという勇気と、効果的に組織的運動を進める術だ。そして権力の中枢にいるのは、軍産複合体であり、軍隊規模の力をもつ警察であり、刑務所制度であり、ウォール街であり、シリコン・バレーであり、人類史上最大の規模で我々を調べ、監視し、写真におさめ、追跡する諜報機関の工作員たちであり、化石燃料企業であり、財閥勢力に握られている政治と経済体制なのだ。
これらの勢力との戦いを避けて、うっかり失言をしてしまった人たちや、リベラル派の支配者層が認めていない言葉づかいで話したり振る舞ったりできない人たちを、敵に回す方がずっと楽だ。このような「テスト」が常軌を逸し、自滅状態にまでなっているのだ。その一例が、ニューヨーク・タイムズの150人のスタッフが、或る記者の失言に関して、経営陣に再調査を要求した事件だ。経営陣は、すでにベテラン記者であるドン・マクニール記者から意見を聞き、彼に対する処罰も決定していたのだが、スタッフたちは、聞き取りが不十分であり、処罰の仕方も正しい判断ではないと抗議したのだ。マクニール記者は、人種問題についての討論の際、人種差別的用語を繰り返し使用した責任を追求されていたのだ。結局経営陣は、しぶしぶ彼を解雇せざるをえなくなった。
他者排除文化において、標的になるのは急進的な考えを持つ人たちになることが多い。例えば、「ヴァンクーバー・レイプ被害者救援会と被害女性のためのシェルター」を経営している女性解放論者たちがそうだ。この女性解放論者たちは、性同一性障害をもつ人たちの入居を許可していない。というのは、このシェルターで暮らしている少女や女性たちは、男性の体によって肉体的な侮辱を受け、心の痛みを受けてきたからだ。このような女性解放論者たちを批判する人たちの中に、このシェルターで1日10~12時間過ごし、被害を受けた少女や女性たちの世話をしたことがある人は誰もいない。多くの被害女性たちは子どもの時に、性被害を受けているのだ。それなのに、同施設を攻撃し、同施設への資金援助をやめさせるために、壁面に落書きをする人々がいるのだ。他者排除文化とは「無知の人々に武器を持たせているようなものだ」とは、カナダの女性解放論者であるリー・レイクマンの言葉だ。
他者排除文化の発祥は、資本主義支配層や、彼らの突撃隊であるFBIなどの工作員たちによる赤狩りだった。彼らはしばしば暴力を伴って、革命的な運動や労働組合運動を破壊していた。「反共産主義」の名の下に、何万という人々が社会から排除された。潤沢な金銭により支援されているイスラエル・ロビーは、他者排除文化の達人だ。アパルトヘイト制を敷いているイスラエル国家に対する批判を封じ込め、反ユダヤ運動である「ボイコット、投資撤収、制裁運動 (BDS運動)」を指示する人々を黙らせている。他者排除文化は、ジュリアン・アサンジの処刑と、ウィキ・リークスに対する検閲と、シリコンバレーによるアルゴリズム(訳注:検索語によりどのようなサイトを上位に配置するかの操作のこと)を促している。このアルゴリズムにより、読者をある種のサイトから排除することができる。私のサイトも排除の対象だ。そう、帝国や企業に批判するサイトは排除されるのだ。
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最終的には、このいじめ行為にはSNSが利用される。このSNSが国家の安全保障と監視機関としての機能を果たすことになる。SNSを支持する人たちの主張とは異なるが、SNSは礼節ある行為を広める役割は果たしていない。そうではなく、SNSがやっているのは、反対意見を持つ者たちや、知識人たちや、独立メディアの記者たちを冷酷に黙らせることだ。人々の言論を統制することができるのであれば、人々の思想も統制できるようになる。
この他者排除文化が、企業メディア所有のプラットフォームに包含されている。グレン・グリーンウォルドによれば、このプラットフォームこそ「もっとも影響力のある三大企業メディアがタッグを組んで、“ジャーナリズム”の名にかけて、精力を注いでいる場所」なのだ。そのメディアとは
①CNNの「メディア監視役」のブライアン・ステラーとオリバー・ダーシー
②NBCの「偽情報検知隊」の ベン・コリンズとブランディ・ザドロズニー
③ニューヨーク・タイムズの科学技術部担当記者のマイク・アイザック、ケヴィン・ルース、シーラ・フレンケルだ。
そして、彼らは血眼になってネット上を点検し、彼らが常軌を逸していると考える不適切な言論や行動基準、彼らを脅かしている内容がないかを探し回っているのだ。そして見つかった場合には、「厳しい措置(掲載の禁止、検閲、投稿内容の規制、放課後居残りの罰など)を課そうとしている」とのことだ。
企業資本家たちはこれらの道徳純正テストが私たちにとったら自滅的な行為になることを理解している。企業資本家たちはこの他者排除文化を正当化することにより、(そして、この理由こそ、私がドナルド・トランプをツイッターなどのSNS上でアカウント停止させていることに反対している理由なのだ)、この文化を利用して企業資本家たちの権力構造や、帝国主義者たちの罪を攻撃する人々を黙らそうとしているのだ。完璧な道徳を追求しようというキャンペーンが、リベラルの支配者層と白人労働者階級の間の分断を広げているのだ。そしてこの分断こそ、資本家支配者層の権力を維持するために非常に重要なことなのだ。他者排除文化は、魅力的で人を引きつけるような文化戦争のネタにされているのだ。他者排除文化は、反政府派を親政府派に変える。何よりも重要なことは、他者排除文化は組織だったもっとひどい権力乱用への注意をそらしているということだ。うぬぼれていて、自分だけが正しいと思い込んだこの聖戦こそが、リベラル派を憎むべき存在にしてしまっているのだ。
ピューリッツァー賞受賞歴のある風刺漫画家ダグ・マレットは、「クズ」という漫画を連載していたが、その漫画で、キャンベル牧師をモデルにしたウィル・B・ダン牧師という人物を描いている。そのマレットが、講演のためにキャンベル牧師をハーバード大学に招いた。そして、当時私もそこで勤務していた。キャンベル牧師の話に対する聴衆の反応は、とまどいとはっきりとした敵意の混じったような反応だった。それが逆に私には心地よかった。だから講演後、会場からすぐに人がいなくなったので、その夜は私とマレットとキャンベル牧師の3人で、ウイスキーやボローニャ・サンドを手に、夜遅くまで語り合った。マレットはキャンベル牧師同様、聖像崇拝否定論者であり、辛辣であり、愉快な人物だった。マレットの風刺漫画は、聖金曜日にキリストが十字架の代わりに電気いすを運んでいる漫画や、ジェリー・ファルエル牧師がエデンの園で蛇になっている漫画などを描いて、激怒した読者たちから抗議の叫びを引き起こしたこともある。
キャンベル牧師の回顧録『トンボの兄弟』は、文章が美しいだけではない。(キャンベル牧師は、ウォーカー・パーシーの親友だった。パーシーの小説も、私はむさぼり読んだ)。この回顧録は、謙虚さと叡智であふれている。そしてこの二つこそが、独りよがりのSNSのウサギの穴で過ごす時間を減らすべきリベラル派たちがなくしてしまったものなのだ。キャンベル牧師は米国を、「殺人と、虐待と、警告と、脅迫と、威嚇が常態化しているところであり、米国に逆らうものは誰でも、国内でも国外でも潰そうとする、クランスマン的国家だ」と評している。キャンベル牧師は、以下の二者の間には道徳的な違いがあると見なすことを拒絶していた。その二者とは、多くのリベラル派たちが守ろうとしている米帝国と、権利を奪われ怒っている白人たちだ。そしてこの白人達というのは、クランなどの人種差別主義者たちの集団であり、その数年後には現在のトランプ支持者たちになる人々のことだ。労働者たちを搾取し、民主主義を妨害し、国家による抑圧を強めようと画策し、とんでもない量の富をため込み、終わることのない戦争を推し進めてきた帝国の政策立案者たちと支配者層の資本家たち、連中こそが、本当の敵であることをキャンベル牧師は知っていた。

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キャンベル牧師は、CBS制作の「クー・クラックス・クラン。見えざる帝国」というドキュメンタリー映画を見たときのことを回顧している。その番組の視聴後に、キャンベル牧師は、一緒に見ていた視聴者たちに一言伝えるよう言われていた。その映画は、ミシシッピ州の3人の公民権運動活動家殺害事件や、アルバマ州でのジャッジ・アーロン去勢事件や、16番通りバプティスト教会爆破事件での4人の少女の死亡事件などをとりあげていた。その映画の中で、右を向こうとしていたクランの隊員に、指導係が「左向け左だ!」と叫んでいる場面が映し出された。そのとき、視聴者たちが「歓声や、ヤジや、口笛や、バカ笑い」で沸き上がった。キャンベル牧師は、このときのことをこう記している。「胸くそが悪くなった」と。
この映画を見ていたのは、「全米学生協会」により招集された学生たちであり、60年代の急進的左派団体であった「新左翼」や、「民主的社会を求める学生」の代表者たちや、「ポート・ハーロン」のメンバーだった。彼らは全米の大学で抗議活動を率いていた若い白人の男女たちであり、大学の建物に火をつけたり、警察を「ブタ野郎」呼ばわりする風習を定着させた学生たちだった。彼らの多くは、裕福な家庭出身だった。
「彼らは裕福な一流の大学を卒業したばかりの学生たちだった」とキャンベル牧師はそのときの視聴者たちについて書いている。「彼らは意地悪で、力強かった。しかし私が感じたのは、彼らの魂に本気さはないということだった。というのは、彼らが本気だったとしたら、なぜ右左がわからないかわいそうな無知な農民のことを笑えるというのか? 本当に彼らが本気だったとしたら、その場面を見れば涙を流したはずだ。なぜこの人はこうなってしまったのだろう、と。そして、本当に彼らが本気だったとしたら、あんな映画に浸りきって、その場で座ったままではいられなかったはずだ。そしてあの映画を作ったのは彼らを啓蒙し、彼らを楽しませてきた、支配者層中の支配者であるCBSだ」
映画終了後に、コメントを求められたキャンベル牧師は、こう語った。「私の名前はウィル・キャンベルです。私はバプティスト派の牧師です。私はミシシッピ州出身です。そして私は親クランスマン派です。というのは、私は親人類派だからです」
会場は大混乱状態になった。キャンベル牧師は、「ファシストのブタめ」や「ミシシッピの田舎者」などと罵声をあびせられた。学生の多くは退出した。
「私が言ったのは4語だけだった。“親クランスマン派で、ミシシッピ州出身で、バプティスト派の牧師”という4語だけだった。この4語と私の「白人である容貌」が一緒になって、学生たちはすべてをKKKと結びつけてしまったのだ。彼らにとってのKKKは、敵意丸出しで、いらいらさせる、怒っている、暴力的で、非合理的な団体なのだ」とキャンベル牧師は書いている。「そして私が学生たちに説明できなかったことは、“親クランスマン派”と“親クラン派”は同じではないということだった。前者は人間についてのことで、後者は考え方についてのことなのだ」
「社会における或る勢力がクランの暴力行為を生み出したのだが、その同じ勢力がワッツや、ロチェスターや、ハーレムや、クリーブランドや、ヒューストンや、ナッシュビルや、アトランタや、ディトンで起こった黒人による暴動事件も生み出しているのだ。両者は同じ土壌からうまれたものなのだから。社会からの隔離、剥奪、経済状況、拒絶、働く母親たち、貧しい学校、ひどい食生活、すべて同じ土壌なのだ」とキャンベル牧師は記述している。
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そしてこれらの社会における勢力が、警官によるジョージ・フロイドさん殺害事件後に、全米中で起こったBLM抗議活動を生み出し、さらには怒れる群衆による国会議事堂占拠事件を引き起こしたのだ。
キャンベル牧師は、リベラル派の人たちに、リベラル派から去るよう言わなかったのと同じ理由で、自分が知っているクランの構成員に団体を去るようには決して言わなかった。キャンベル牧師はリベラル派をこう評している。「リベラル派の人たちが所属しているのは、尊敬すべきであり、見栄えのいい組織や団体である。しかし、私がわかりつつあったのは、これらの組織はすべて本質的には、クランよりもずっと人種差別主義者であるということだ」
キャンベル牧師が示していたこの愛こそ、マーティン・ルーサー・キング博士が抱いていた思いの中核をなすものだった。この愛こそが、キングにゆるがない非暴力主義をとらせたのだ。この愛の導きにより、キングは、ベトナム戦争に反対し、米国政府をこう非難していたのだ。「今日の世界で最も暴力を駆使している国だ」と。そしてこの愛のせいで、キングはメンフィスで暗殺されたのだ。キングは、メンフィスで経済的正義をもとめて立ち上がっていた清掃作業員のストライキを支持していた。
以下は、キャンベル牧師が生涯座右の銘としていた言葉だ。「誰かを愛するつもりであれば、すべての人を愛さなければならない」。キングと同様に、キャンベル牧師は、許すことが、人を贖罪し人を変える力になると信じていたのだ。
支配者層とそのしもべたちは、自分たちの道徳的卓越性を誇示するために、政治的に正しいとされる言説に従わない人々を排除し、沈黙させている。連中は、いわば現在のジャコバン派だ。連中は聖人ぶった怒りに陶酔している。そんなことができるのは、彼らがあらかじめもっている特権があるからだ。その聖人ぶった仮面のおかげで、連中が持つ企業資本家たちの力や、不道徳さが見えなくなっているのだ。連中は、社会や経済の不条理とは闘わない。連中は、デジタル媒体を扱うシリコン・バレーからの熱烈な支援を受けて攻撃を加えるのだ。その矛先は、抑圧された体制により破壊され、粉々にされた人々や、丁寧で適切な言語表現を身につけられずに育った人々に向けられている。彼らは、私企業や警察国家の勢力拡大にうまく利用される愚者たちなのだ。他者排除文化に従っても、再建などできない。その道は専制政治へと続いている。
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訳注 ナッシュビル座り込み運動や、フリーダム・ライドは、差別に反対する黒人たちによる1960年代初旬の抗議活動
さらにキャンベル牧師は、人種的分離主義者たちから殺害警告を多数受けていたにもかかわらず、クー・クラックス・クラン(KKK 訳注:白人至上主義過激派団体)の地方支部の非公式の牧師をつとめていたのだ。彼はクランの人種差別主義や、テロや暴力行為に対しては激しく非難し、公式にこれらと戦い、地元のミシシッピ州での黒人による公民権運動のもとでの抗議デモ行進に参加していた。それでもキャンベル牧師は生涯を通じ、人種差別主義者たちを「排除する」ことを断固として拒否していた。彼は人種差別主義者たちを「非人間」として悪魔化することを拒否していた。彼の考えによれば、「もちろん人種差別はよくないことなのだが、人種差別主義は資本主義体制ほど悪質ではない。資本主義というのは、経済を低迷させ不安定にさせるものなのだから。そしてこの資本主義体制が、白人を暴力的で人種差別的な暴徒に追いやっているのだ」とのことだった。
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ジミー・カーター元大統領はキャンベル牧師をこう評している。「南部の白人と黒人の間を隔てる壁を壊した人物であった」と。「ブラック・パンサー(訳注:1966年に立ち上げられた黒人解放闘争政治組織)」の組織者であるフレッド・ハンプトンが、シカゴでキャンベル牧師と同じようなことをしていて、FBIに暗殺されたのだ。(そのFBIは今、CIAとともに、リベラル派の支配者層による、トランプやトランプ支持者に対する戦いに加担している)。
キャンベル牧師は、自分の住んでいた町が、7月4日の独立記念日の行進に、クランに山車を出すことを禁じたことに対して、反対はしなかった。ただし、それはガス会社や電力会社も山車を出すことを禁じられていたからだ。無実の人々や弱い人々を苦しめていたのは白人人種差別主義者たちだけではない。人命よりも利益を優先する企業組織もそうなのだ。
「ガス代や電気代が払えず、暖房を切って、死んでしまう人々もいる。特にお年寄りの中には」とキャンベル牧師は語っている。「このようなこともテロ行為のひとつだ」
キャンベル牧師は、KKKについてこんなことを言っていた。「KKKが行う行為は、目に見えることであるし、対処もできる。もし、KKKが法律を犯せば彼らに処罰を与えることもできる。しかし、もっと社会に大きく影響を与えている、本当の人種差別主義というのは、かつてそうだったし今もそうなのだが、対処法が困難であり、社会に与える影響も大きいのだ」
キャンベル牧師が私たちに思い出させてくれるのは、国会議事堂を占拠したトランプ支持者たちを悪者扱いするのはとんでもない間違いだ、ということだ。さらに、不法な人種差別を解消するには、経済を正常化するしかないということも、だ。さらにキャンベル牧師が私たちに呼びかけているのは、自分たちと考え方が違っていたり、言っていることが違っているために、この警察国家化した社会から嘲笑の対象となっている人々に対話の手を伸ばすことだ。彼らは、私たちと同様に、経済的に疎外されているからだ。キャンベル牧師が理解していたのは、富の不均衡や、社会的地位の喪失や、未来への希望の喪失という状況の中、長期にわたり社会から除外されていたことも重なって、本来あるべき連帯が損なわれ、クランや「プラウド・ボーイズ」などの白人至上主義である過激団体を生み出す土壌になっているという事実だ。
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「これらの人々の破産率は18%だった。これは、通常の米国民の二倍にあたる」とワシントン・ポスト紙は報じている。「彼らの4分の1は、金銭を借りていた債権者から訴えられていた。そして、裁判所への提出書類によれば、彼らのうち5人に1人が一時的に家を失ったことがあったという事実がわかった」
「公文書によると、国会議事堂占拠事件に参加したとされた、或るカリフォルニア在住の男性は、事件の一週間前に破産申告を行っていたことが分かった」と同紙は報じている。「国会議事堂に侵入したことで起訴されたテキサス在住の男性は、事件の1ヶ月前に自分が経営する会社が2千ドル近い租税先取特権を科されていた。この事件に加わり起訴された数名の若者は金銭的に非常に厳しい家庭出身だった」
私たちは彼らの生活の厳しさについてしっかりと認識しておかないといけない。人種差別主義や、ヘイトや、暴力に対する渇望は否定しなければいけないのは当然のことだが。把握しておくべきことは、私たちが決して信頼してはいけない敵は、政治的に正しくない人たちではないし、人種差別主義者たちでさえない。真の敵は、企業であり、堕落した政治体制であり、法体制なのだ。こういったものたちが、血も涙もなしに、母なる地球だけではなく、その市民たちを犠牲にしているのだ。やつらが利益を得る代償として。
キャンベル牧師と同様に、私の家族の多くは都市の労働者階級出身だ。その労働者の多くは長老派教会牧師であった私の父に偏見を抱いていた。父は常に教会から糾弾を受けていた。(訳注:ヘッジスの父は、早くからベトナム戦争に反対し、またゲイに関しても柔軟な考え方を持っていた。そのことは、当時の世間や教会からはよく思われていなかった)。そんな中でも、運と奨学金の力を借りて、私は上流階級のための学校に入学した。そんなことをした人は私の親戚にはいなかった。生来知性の高かった祖父も、高校の最終学年で中退せざるを得なくなった。というのは、祖父の姉の夫が亡くなったからだ。祖父は、姉と姉の子どもたちを養うために農場で働かなければならなかった。米国の貧乏人が、好機を二度もらえることはごくまれだ。一度の好機さえもらえない人も多い。祖父はその一度目の好機を失ったのだ。
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私の親戚たちの出身地は、粉ひき工場や工場が閉鎖され壊滅的な状況に置かれているメーン州の町々だ。いい仕事などほとんどない。自分たちは、裏切られ、騙されたのだという正当な怒りがくすぶっている。私の親戚たちは、米国の大多数の労働者階級の人々と同様、静かな絶望感の中で人生を送っている。この怒りが、否定的で破壊的な形で噴出するのはよくあることだ。だからといって、「この人たちはどうしようもない人たちだ」と否定してしまう権利は、私にはない。
理解するということは、許すということではない。しかし、支配者層と、「ジャーナリスト」という仮面をかぶった彼らのしもべたちが、嬉々としてこんな人たちをまるで存在しないかのように報道から除外しているのだ。まるで「非人間」のように扱い続けているのだ。そう、ヒラリー・クリントンが「deplorables (役立たず)」と呼んだように。そして、決して報じようとしないのは、社会の汚い不条理についてだ。その不条理のせいで、この人たちは弱く、不安なままにされているのに、だ。だからこそ、過激派組織がさらに過激な行動を示し、それに伴い、国家による抑圧や検閲が強められることになっているのだ。
他者排除文化(訳注:英語でcancel culture。他者のちょっとしたあらを探しだし、その他者を排除しようとする文化のこと)は、自称「適切な言論審査員」たちによる魔女狩りだ。この文化がリベラル派たちの“boutique activism”(見せびらかすためだけの活動) と化しているのだ。しかし、リベラル派たちに欠けているのは、権力の中枢にいるものたちに挑みかかろうという勇気と、効果的に組織的運動を進める術だ。そして権力の中枢にいるのは、軍産複合体であり、軍隊規模の力をもつ警察であり、刑務所制度であり、ウォール街であり、シリコン・バレーであり、人類史上最大の規模で我々を調べ、監視し、写真におさめ、追跡する諜報機関の工作員たちであり、化石燃料企業であり、財閥勢力に握られている政治と経済体制なのだ。
これらの勢力との戦いを避けて、うっかり失言をしてしまった人たちや、リベラル派の支配者層が認めていない言葉づかいで話したり振る舞ったりできない人たちを、敵に回す方がずっと楽だ。このような「テスト」が常軌を逸し、自滅状態にまでなっているのだ。その一例が、ニューヨーク・タイムズの150人のスタッフが、或る記者の失言に関して、経営陣に再調査を要求した事件だ。経営陣は、すでにベテラン記者であるドン・マクニール記者から意見を聞き、彼に対する処罰も決定していたのだが、スタッフたちは、聞き取りが不十分であり、処罰の仕方も正しい判断ではないと抗議したのだ。マクニール記者は、人種問題についての討論の際、人種差別的用語を繰り返し使用した責任を追求されていたのだ。結局経営陣は、しぶしぶ彼を解雇せざるをえなくなった。
他者排除文化において、標的になるのは急進的な考えを持つ人たちになることが多い。例えば、「ヴァンクーバー・レイプ被害者救援会と被害女性のためのシェルター」を経営している女性解放論者たちがそうだ。この女性解放論者たちは、性同一性障害をもつ人たちの入居を許可していない。というのは、このシェルターで暮らしている少女や女性たちは、男性の体によって肉体的な侮辱を受け、心の痛みを受けてきたからだ。このような女性解放論者たちを批判する人たちの中に、このシェルターで1日10~12時間過ごし、被害を受けた少女や女性たちの世話をしたことがある人は誰もいない。多くの被害女性たちは子どもの時に、性被害を受けているのだ。それなのに、同施設を攻撃し、同施設への資金援助をやめさせるために、壁面に落書きをする人々がいるのだ。他者排除文化とは「無知の人々に武器を持たせているようなものだ」とは、カナダの女性解放論者であるリー・レイクマンの言葉だ。
他者排除文化の発祥は、資本主義支配層や、彼らの突撃隊であるFBIなどの工作員たちによる赤狩りだった。彼らはしばしば暴力を伴って、革命的な運動や労働組合運動を破壊していた。「反共産主義」の名の下に、何万という人々が社会から排除された。潤沢な金銭により支援されているイスラエル・ロビーは、他者排除文化の達人だ。アパルトヘイト制を敷いているイスラエル国家に対する批判を封じ込め、反ユダヤ運動である「ボイコット、投資撤収、制裁運動 (BDS運動)」を指示する人々を黙らせている。他者排除文化は、ジュリアン・アサンジの処刑と、ウィキ・リークスに対する検閲と、シリコンバレーによるアルゴリズム(訳注:検索語によりどのようなサイトを上位に配置するかの操作のこと)を促している。このアルゴリズムにより、読者をある種のサイトから排除することができる。私のサイトも排除の対象だ。そう、帝国や企業に批判するサイトは排除されるのだ。
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最終的には、このいじめ行為にはSNSが利用される。このSNSが国家の安全保障と監視機関としての機能を果たすことになる。SNSを支持する人たちの主張とは異なるが、SNSは礼節ある行為を広める役割は果たしていない。そうではなく、SNSがやっているのは、反対意見を持つ者たちや、知識人たちや、独立メディアの記者たちを冷酷に黙らせることだ。人々の言論を統制することができるのであれば、人々の思想も統制できるようになる。
この他者排除文化が、企業メディア所有のプラットフォームに包含されている。グレン・グリーンウォルドによれば、このプラットフォームこそ「もっとも影響力のある三大企業メディアがタッグを組んで、“ジャーナリズム”の名にかけて、精力を注いでいる場所」なのだ。そのメディアとは
①CNNの「メディア監視役」のブライアン・ステラーとオリバー・ダーシー
②NBCの「偽情報検知隊」の ベン・コリンズとブランディ・ザドロズニー
③ニューヨーク・タイムズの科学技術部担当記者のマイク・アイザック、ケヴィン・ルース、シーラ・フレンケルだ。
そして、彼らは血眼になってネット上を点検し、彼らが常軌を逸していると考える不適切な言論や行動基準、彼らを脅かしている内容がないかを探し回っているのだ。そして見つかった場合には、「厳しい措置(掲載の禁止、検閲、投稿内容の規制、放課後居残りの罰など)を課そうとしている」とのことだ。
企業資本家たちはこれらの道徳純正テストが私たちにとったら自滅的な行為になることを理解している。企業資本家たちはこの他者排除文化を正当化することにより、(そして、この理由こそ、私がドナルド・トランプをツイッターなどのSNS上でアカウント停止させていることに反対している理由なのだ)、この文化を利用して企業資本家たちの権力構造や、帝国主義者たちの罪を攻撃する人々を黙らそうとしているのだ。完璧な道徳を追求しようというキャンペーンが、リベラルの支配者層と白人労働者階級の間の分断を広げているのだ。そしてこの分断こそ、資本家支配者層の権力を維持するために非常に重要なことなのだ。他者排除文化は、魅力的で人を引きつけるような文化戦争のネタにされているのだ。他者排除文化は、反政府派を親政府派に変える。何よりも重要なことは、他者排除文化は組織だったもっとひどい権力乱用への注意をそらしているということだ。うぬぼれていて、自分だけが正しいと思い込んだこの聖戦こそが、リベラル派を憎むべき存在にしてしまっているのだ。
ピューリッツァー賞受賞歴のある風刺漫画家ダグ・マレットは、「クズ」という漫画を連載していたが、その漫画で、キャンベル牧師をモデルにしたウィル・B・ダン牧師という人物を描いている。そのマレットが、講演のためにキャンベル牧師をハーバード大学に招いた。そして、当時私もそこで勤務していた。キャンベル牧師の話に対する聴衆の反応は、とまどいとはっきりとした敵意の混じったような反応だった。それが逆に私には心地よかった。だから講演後、会場からすぐに人がいなくなったので、その夜は私とマレットとキャンベル牧師の3人で、ウイスキーやボローニャ・サンドを手に、夜遅くまで語り合った。マレットはキャンベル牧師同様、聖像崇拝否定論者であり、辛辣であり、愉快な人物だった。マレットの風刺漫画は、聖金曜日にキリストが十字架の代わりに電気いすを運んでいる漫画や、ジェリー・ファルエル牧師がエデンの園で蛇になっている漫画などを描いて、激怒した読者たちから抗議の叫びを引き起こしたこともある。
キャンベル牧師の回顧録『トンボの兄弟』は、文章が美しいだけではない。(キャンベル牧師は、ウォーカー・パーシーの親友だった。パーシーの小説も、私はむさぼり読んだ)。この回顧録は、謙虚さと叡智であふれている。そしてこの二つこそが、独りよがりのSNSのウサギの穴で過ごす時間を減らすべきリベラル派たちがなくしてしまったものなのだ。キャンベル牧師は米国を、「殺人と、虐待と、警告と、脅迫と、威嚇が常態化しているところであり、米国に逆らうものは誰でも、国内でも国外でも潰そうとする、クランスマン的国家だ」と評している。キャンベル牧師は、以下の二者の間には道徳的な違いがあると見なすことを拒絶していた。その二者とは、多くのリベラル派たちが守ろうとしている米帝国と、権利を奪われ怒っている白人たちだ。そしてこの白人達というのは、クランなどの人種差別主義者たちの集団であり、その数年後には現在のトランプ支持者たちになる人々のことだ。労働者たちを搾取し、民主主義を妨害し、国家による抑圧を強めようと画策し、とんでもない量の富をため込み、終わることのない戦争を推し進めてきた帝国の政策立案者たちと支配者層の資本家たち、連中こそが、本当の敵であることをキャンベル牧師は知っていた。

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キャンベル牧師は、CBS制作の「クー・クラックス・クラン。見えざる帝国」というドキュメンタリー映画を見たときのことを回顧している。その番組の視聴後に、キャンベル牧師は、一緒に見ていた視聴者たちに一言伝えるよう言われていた。その映画は、ミシシッピ州の3人の公民権運動活動家殺害事件や、アルバマ州でのジャッジ・アーロン去勢事件や、16番通りバプティスト教会爆破事件での4人の少女の死亡事件などをとりあげていた。その映画の中で、右を向こうとしていたクランの隊員に、指導係が「左向け左だ!」と叫んでいる場面が映し出された。そのとき、視聴者たちが「歓声や、ヤジや、口笛や、バカ笑い」で沸き上がった。キャンベル牧師は、このときのことをこう記している。「胸くそが悪くなった」と。
この映画を見ていたのは、「全米学生協会」により招集された学生たちであり、60年代の急進的左派団体であった「新左翼」や、「民主的社会を求める学生」の代表者たちや、「ポート・ハーロン」のメンバーだった。彼らは全米の大学で抗議活動を率いていた若い白人の男女たちであり、大学の建物に火をつけたり、警察を「ブタ野郎」呼ばわりする風習を定着させた学生たちだった。彼らの多くは、裕福な家庭出身だった。
「彼らは裕福な一流の大学を卒業したばかりの学生たちだった」とキャンベル牧師はそのときの視聴者たちについて書いている。「彼らは意地悪で、力強かった。しかし私が感じたのは、彼らの魂に本気さはないということだった。というのは、彼らが本気だったとしたら、なぜ右左がわからないかわいそうな無知な農民のことを笑えるというのか? 本当に彼らが本気だったとしたら、その場面を見れば涙を流したはずだ。なぜこの人はこうなってしまったのだろう、と。そして、本当に彼らが本気だったとしたら、あんな映画に浸りきって、その場で座ったままではいられなかったはずだ。そしてあの映画を作ったのは彼らを啓蒙し、彼らを楽しませてきた、支配者層中の支配者であるCBSだ」
映画終了後に、コメントを求められたキャンベル牧師は、こう語った。「私の名前はウィル・キャンベルです。私はバプティスト派の牧師です。私はミシシッピ州出身です。そして私は親クランスマン派です。というのは、私は親人類派だからです」
会場は大混乱状態になった。キャンベル牧師は、「ファシストのブタめ」や「ミシシッピの田舎者」などと罵声をあびせられた。学生の多くは退出した。
「私が言ったのは4語だけだった。“親クランスマン派で、ミシシッピ州出身で、バプティスト派の牧師”という4語だけだった。この4語と私の「白人である容貌」が一緒になって、学生たちはすべてをKKKと結びつけてしまったのだ。彼らにとってのKKKは、敵意丸出しで、いらいらさせる、怒っている、暴力的で、非合理的な団体なのだ」とキャンベル牧師は書いている。「そして私が学生たちに説明できなかったことは、“親クランスマン派”と“親クラン派”は同じではないということだった。前者は人間についてのことで、後者は考え方についてのことなのだ」
「社会における或る勢力がクランの暴力行為を生み出したのだが、その同じ勢力がワッツや、ロチェスターや、ハーレムや、クリーブランドや、ヒューストンや、ナッシュビルや、アトランタや、ディトンで起こった黒人による暴動事件も生み出しているのだ。両者は同じ土壌からうまれたものなのだから。社会からの隔離、剥奪、経済状況、拒絶、働く母親たち、貧しい学校、ひどい食生活、すべて同じ土壌なのだ」とキャンベル牧師は記述している。
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そしてこれらの社会における勢力が、警官によるジョージ・フロイドさん殺害事件後に、全米中で起こったBLM抗議活動を生み出し、さらには怒れる群衆による国会議事堂占拠事件を引き起こしたのだ。
キャンベル牧師は、リベラル派の人たちに、リベラル派から去るよう言わなかったのと同じ理由で、自分が知っているクランの構成員に団体を去るようには決して言わなかった。キャンベル牧師はリベラル派をこう評している。「リベラル派の人たちが所属しているのは、尊敬すべきであり、見栄えのいい組織や団体である。しかし、私がわかりつつあったのは、これらの組織はすべて本質的には、クランよりもずっと人種差別主義者であるということだ」
キャンベル牧師が示していたこの愛こそ、マーティン・ルーサー・キング博士が抱いていた思いの中核をなすものだった。この愛こそが、キングにゆるがない非暴力主義をとらせたのだ。この愛の導きにより、キングは、ベトナム戦争に反対し、米国政府をこう非難していたのだ。「今日の世界で最も暴力を駆使している国だ」と。そしてこの愛のせいで、キングはメンフィスで暗殺されたのだ。キングは、メンフィスで経済的正義をもとめて立ち上がっていた清掃作業員のストライキを支持していた。
以下は、キャンベル牧師が生涯座右の銘としていた言葉だ。「誰かを愛するつもりであれば、すべての人を愛さなければならない」。キングと同様に、キャンベル牧師は、許すことが、人を贖罪し人を変える力になると信じていたのだ。
支配者層とそのしもべたちは、自分たちの道徳的卓越性を誇示するために、政治的に正しいとされる言説に従わない人々を排除し、沈黙させている。連中は、いわば現在のジャコバン派だ。連中は聖人ぶった怒りに陶酔している。そんなことができるのは、彼らがあらかじめもっている特権があるからだ。その聖人ぶった仮面のおかげで、連中が持つ企業資本家たちの力や、不道徳さが見えなくなっているのだ。連中は、社会や経済の不条理とは闘わない。連中は、デジタル媒体を扱うシリコン・バレーからの熱烈な支援を受けて攻撃を加えるのだ。その矛先は、抑圧された体制により破壊され、粉々にされた人々や、丁寧で適切な言語表現を身につけられずに育った人々に向けられている。彼らは、私企業や警察国家の勢力拡大にうまく利用される愚者たちなのだ。他者排除文化に従っても、再建などできない。その道は専制政治へと続いている。
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