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ヨーロッパはアフリカの遺産を盗んだ。道理は通るのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Europe has stolen Africa’s heritage. Will justice prevail?
世界で最も有名な美術館収集物の大部分は、植民地時代に略奪されたアフリカの工芸品で構成されている。そして、現時点でアフリカに返還されたのは1パーセント未満。
筆者:ダリア・スホバ(Daria Sukhova)
出典:RT 2024年4月4日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月16日


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© RT/ RT


戦争とアフリカの植民地化の過程で、西側諸国は何十万ものアフリカ美術品の略奪に関与した。博物館は植民地主義の確立に貢献し、征服を正当化するために政府によって利用された。

2018年にフランス政府の委託を受けた、フランスの美術史家ベネディクト・サヴォイ氏とセネガルの経済学者フェルワイン・サール氏が作成した報告書で は、アフリカの物質的な文化遺産の90%から95%がアフリカ大陸の外に保管されている、とされている。いっぽう、アフリカの国立博物館に所蔵される文化財は、かろうじて3000点を超えるにすぎない。

ほとんどすべてのアフリカ諸国は、ヨーロッパによる探検とその後の植民地化の時代に、最も重要な文化的工芸品を失った。アフリカに残された遺産物は、ヨーロッパの博物館に持ち込まれたものほど歴史的および文化的価値がなかった。過去数十年にわたり、西側諸国はアフリカ諸国から繰り返し賠償請求を受けてきた。

アジェンダ2063―2015年にアフリカ連合によって採択されたアフリカの長期開発計画―では、文化遺産の保護がアフリカ大陸の主要な優先事項のひとつとされている。この枠組み文書によれば、アフリカのすべての文化財は2025年までに大陸に返還されるべきである、とされている。しかし、この野心的な計画は実現するのだろうか?

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関連記事:British generosity: The UK is loaning back African gold it stole. Is it the best it can do?

英国の懲罰遠征と英国美術収集物におけるその重要性

美術史家らは、2020年の時点で約7万点のアフリカの工芸品が大英博物館に収蔵されている、と推定している。しかし、展示の説明には、それらが英国に来た経緯についてはあまり触れられていない。

遺物の多くは、19世紀末の1897年のベニン懲罰遠征中にアフリカから押収されたものだ。ベニン王国 (西アフリカで古代から存続していた国) は、現在のナイジェリアの領土に位置していた。この懲罰遠征は、領土の支配を確立するために派遣された250人のイギリス軍部隊を地元住民が攻撃したことを受けて、「懲罰」として組織された。

懲罰分遣隊は最初の部隊をはるかに上回り、1500人の武装兵で構成されていた。英国軍はベニンの首都を襲撃し、王国を破壊し、支配者を捕らえた。この作戦の結果、2500から4000 個のベ二ンの青銅工芸品 (いわゆる「ベニンの青銅」) がアフリカから持ち去られた。ナイジェリアは英国に対し物品の返還を要求している。この事件はアフリカ美術史上最大の略奪事件の一つとみなされている。

遠征の費用を補うために、入手した遺物の一部がオークションに出品された。このようにして、ベ二ン・ブロンズはヨーロッパのさまざまな国に渡り、そこでアフリカ美術収集の人気が高まった。

世紀末の時代、ヨーロッパはアフリカ美術に大きな関心を示した。しかしそれでもヨーロッパ人がアフリカ美術を「原始的」芸術と呼ばなくはならなかった。今日に至るまで「原始主義」という用語はアフリカの芸術を説明するときによく使われている。実際、他地域の文化に対するヨーロッパ人の固定観念は、その特定の文化を説明するためにどんな言葉が選ばれているかで、よくわかる。

英国はまた、オークションでは売らなかった盗まれた工芸品の用途を発見したが、その多くはベ二ン民族の精神性を反映するものだった。工芸品の一部は遠征の軍事的成功に対する報酬として軍関係者に与えられた(経済的観点から見て価値がないとされるものだったからだ)が、他の品物は最終的に大英博物館に収蔵された。

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ナイジェリア生まれの芸術家ソカリ・ダグラス・キャンプによる「アフリカとアメリカに支えられたヨーロッパ」と題された作品を鑑賞する英国国王チャールズ3世(左)。 ©イザベル・インファンテス/AFP

ドイツも後塵を拝していたわけでは全くなかった

ドイツ帝国もアフリカの文化遺産の略奪に関与していた。英国やフランスとは対照的に、ドイツの植民地時代は短期間だった。しかし、ドイツは近隣諸国に遅れを取らず、自分たちの収集のための物品を手に入れようとした。

ドイツの遠征の過程で、研究者や博物館、または個人収集家(植民地当局者など)の興味を引く多くの工芸品や芸術品、地元の動植物の標本がアフリカから持ち出された。

ドイツはオークションで購入したベ二ンの青銅器とは別に、カメルーン民族とナミビア民族の芸術品も入手した。アフリカ民族にとって文化的、宗教的に重要な小像や宝飾品、作業道具などは、ベルリン民族学博物館に保管されていた。

ドイツ兵士は戦争犯罪の結果、多くの物品を入手した。シュトゥットガルト博物館には 2019 年まで、ナミビアの国民的英雄、ヘンドリック・ヴィットボーイの鞭が収蔵されていた。ドイツは、1904 年から 1908 年のヘレロ族とナマ族の虐殺中にそれを入手した。ヴィットボーイは、入植者と戦い、蜂起を指導した功績により、死後、ナミビア英雄の称号を授与された。

カメルーンから持ち込まれ、2022年までベルリン民族学博物館に保管されていた女神ンゴンソの彫刻に関しては、その彫刻が属していたンソ族によってドイツに売却も寄贈もされたものではなかった。1903年、ドイツの将校がこの彫刻を強制的に押収し、個人的な贈り物として博物館職員に贈呈した。ドイツの美術館職員らが行なった「不在アトラス」という調査によると、カメルーンから持ち出された4万点以上の美術品がドイツに保管されていたことが分かった。

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ベルリンの「新しいベルリン宮殿フンボルト・フォーラムの民族学博物館」での取材旅行中に撮影された、アフリカのバムム族(19世紀)の王の座席であるカメルーンの足置き付きマンドゥ・イェヌの玉座© JENS Schlueter / AFP

盗まれたひらめきの源

植民地時代の全盛期に、フランスは9万点以上のアフリカ美術を取得した。この収集物の大部分は、パリのケ ブランリー美術館をはじめ、他の州立美術館や個人ギャラリーに保管されている。

展示品の説明によると、アフリカの彫刻と仮面は、主に創造的な危機を経験したフランスの芸術家にひらめきを与えたという理由で貴重であることがわかる。しかしこれらの作品を創り出したアフリカの巨匠たちの創造的天才にはほとんど注意が払われていない。

当初、略奪された美術品はヨーロッパの民族学博物館に展示され、主に科学研究を目的とした「奇妙なもの」とみなされていた。アフリカの芸術家の才能を評価できたのは一部の個人収集家だけだった。

植民地時代が終わった後も、フランスはアフリカから貴重な工芸品を持ち出し続けた。たとえば、2005 年と 2007 年には、マリの文化遺産1万点以上がパリの空港で押収された。これらには、ブレスレットや斧、指輪が含まれていました。遺物のほとんどは 8000年前に遡るものだ。

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展覧会「二つの国のファラオ」の一部として展示されている芸術作品。パリのルーブル美術館内の「ナパタ王」というアフリカの物語、という展示区域。 ©ステファン・ド・サクティン/AFP

1パーセント未満

2017年にブルキナファソのワガドゥグーで講演したフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、アフリカの文化遺産がフランスの博物館に残ることは容認できないと述べた。彼は5年以内に文化遺産を返還するためにあらゆる適切な措置を講じる、と約束した。

この声明が多くの注目を集めたのは、欧州の法律は国家遺産(西側諸国ではアフリカ美術は「国家遺産」とみなされている)の譲渡を認めておらず収集物が国家の所有する博物館から永久に移動されることがない可能性があるからだ。

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関連記事:Africa’s secret weapon: Extracting this resource will help present the continent’s true potential to the world

マクロン大統領の演説から6年後、フランス政府はついに賠償政策の実施に向けた対策の策定に着手した。 2023年4月、ルーヴル美術館のジャンリュック・マルティネス元館長は、一連の賠償要件を含む政府への勧告を含む報告書を発表した。フランスは美術品が違法かつ不当に取得されたものであることを確認する必要があり、アフリカ諸国からの賠変換請求は特別委員会によって調査される必要があり、金銭的補償の要求は考慮されないことになっている。

現時点でフランスはベ二ンに26点、セネガルに1点の遺物を返還している。これは、美術館に所蔵されているアフリカ美術品の総数の 1 パーセント未満に相当する。

フランス議会は2023年12月に新たな賠償要件を盛り込んだ法律を採択する予定だったが、この文書は野党によって阻止された。すべての勧告とその実際の実施を考慮した法律の制定には長い時間がかかる可能性があり、その結果、返還に至る過程が何年も遅れる可能性がある。

英国の博物館、略奪を懸念

世界第2位の植民地帝国である英国は、返還に関してははるかに保守的な考えを持っている。この国の国立博物館や美術館は、返還を認める法律の対象にはならない。英国は今後も、国家の収集物から美術品を引き離すことを認めない現行法を順守していく構えだ。

今年1月、大英博物館とヴィクトリア・アンド・アルバート博物館はついに、盗まれたアサンテ族の美術品をガーナに「返す」ことに合意した。しかし、その「返還」は最長6年の「長期賃貸借」に過ぎなかった。

英国の住民は、賠償により英国の博物館の収集物が空になるのではないかと懸念している。テレグラフ紙は、アフリカへの文化遺産返還要求により英国の博物館が「略奪される危険にさらされている」とさえ書いた。

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2021年10月27日、今月後半に西アフリカの国に輸送される前にケ・ブランリ美術館に展示されたベニンのゲゾ王を表す19世紀の王室の半人半鳥の彫像を鑑賞中のフランスのエマニュエル・マクロン大統領(左)。 © ミシェル・オイラー / BELGA / AFP

返還の先頭に立つ?

ドイツはフランスと並行して返還政策を実施している。両国は共同基金を設立し、その資金は現在博物館に保管されているアフリカの工芸品の起源に関する追加の研究を行うために使用される予定だ。返還に向けた準備作業は3年以内に実施される。

ドイツはすでに21個のベニンブロンズをナイジェリアに返還した。2022年に両国間で締結された協定によると、ドイツの博物館は1130点の返還を約束した。

ドイツはヨーロッパで「賠償の先頭に立っている」と言われている。しかし、アフリカ諸国はこれに同意していない。例えば、西アフリカの新聞モダン・ガーナ紙は、ドイツが「反返還運動」の先導者である、と反論している。ジャーナリストらは、美術品の返還を求めるアフリカの人々の要求は、他のヨーロッパ諸国と同様に、「常にドイツによって抵抗され」ており、ドイツ政府が一部の美術品を返還したのはつい最近になってやっとのことであった、と指摘している。

アフリカの人々は、ドイツが例えば英国よりも略奪品の返還に多くの努力を払ってきたことを認めているが、ドイツが何百年も保管してきた遺物のごく一部を返還したことを称賛されるべきであるという点には依然として同意できていない。また、ドイツはアフリカ大陸への影響力拡大に努めており、文化的取り組みはイメージ向上の手段に過ぎない可能性もある。

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ベルギーのテルビュレンにあるアフリカ博物館/中央アフリカ王立博物館、民族学および自然史博物館にあるアフリカの木製小像。 © Arterra / Universal Images Group(ゲッティイメージズ経由)

返還情報を監視しているのは誰か?

過去10年にわたり、アフリカの文化遺産の返還を公に訴える公的機関や個人活動家が増えている。

これらの取り組みの中で最大のもののひとつは、文化遺産の運命を憂慮するアフリカの人々によって設立された「オープン・リスティテューション(返還)・アフリカ」計画だ。この計画の主催者は、アフリカに対する文化遺産の返却の現状に関する情報への開かれた情報を提供するよう努めている。この計画のデータベースには、アフリカ大陸外に保管されている100万点を超えるアフリカ美術に関する情報が含まれている。現時点で返された文化遺産は1000点未満だ。

2022年、同組織は「返還物の回収」と題した世界中の活動家の活動に関する報告書を発表した。2016 年以来、アフリカ美術の返還に特化した科学出版物の数は 300%増加し、ニュースやソーシャル・メディアでのこの話題に関する議論の数は600%増加した。

しかし、返還に関するインタビューのほとんどはアフリカの人々によるものではないと、オープン・リスティテューション・アフリカの研究者らは指摘している。返還問題を専門的に研究しているアフリカの専門家は、通常、引用される著者一覧の最後に記されている。

ナイロビに拠点を置く非営利団体アフリカン・デジタル ・ヘリテージも、返還に関する新しい基礎情報の探索に取り組んでいる。ケニアの専門家は、デジタル技術を使用してアフリカの文化遺産と保存記録データを研究している。この専門家団は、現在の返還過程に関する関連情報をデータベースに定期的に更新するよう努めている。

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ライプツィヒのグラッシ博物館フォルケルクンデでベナンのブロンズ像の傍らに立つ訪問者。 © Jan Woitas / ゲッティイメージズ経由の写真アライアンス

アフリカ美術を取り戻すことの重要性

ヨーロッパの拡大期に略奪されたアフリカ美術は、美的価値を持っているだけではない。これらの美術品は文化的な観点から非常に重要だ。

彫刻やマスク、宝石は、アフリカの2000 以上の民族の精神性を反映している。各民族集団とその世界観は独自であるため、地元住民の同意なしに工芸品をアフリカから持ち出すことは、単なる芸術品の不法入手の問題ではない。実際のところ、これは外国の文化遺産の不法輸出にあたる。

ロシア外務省傘下のMGIMO(モスクワ国際関係大学)アフリカ研究センターの次席研究員マヤ・ニコルスカヤ氏がRTに語ったところによると、アフリカの文化遺産の返還は民族の自己証明の構築に大きな役割を果たしている、という。

「文化は人間生活における必須項目のひとつです。さまざまな工芸品や宗教的品物を含むアフリカの文化遺産の返還は、失われた自己証明の回復を示しています。しかし、現代のアフリカはこれらの貴重品が盗まれた頃のアフリカとは大きく異なります。こんにち、多くのアフリカ諸国は国家建設の過程にあり、民族の非政治化はこの過程における重要な要素となっています。文化は社会のさまざまな部分を結び付けることができる『細胞間空間』なのですから」とニコルスカヤ氏は述べた。

アフリカの若者の多くは、自分たちの民族に属する物質文化の対象物を一度も見たことがない。アフリカの数千年の歴史を示す文化財が大陸の外に保管されているということは、アフリカの人々は自国の文化に触れる機会が奪われている、ということになる。

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関連記事:‘A violation of human rights’: Will the UK government get away with deporting asylum seekers to Africa?

ニコルスカヤ女史は、現代アフリカ文化とその特有の自己証明の関連性についても強調している。「伝統的な芸術の分野や形態の新しい解釈は現在、映画や音楽、文学、写真、デジタルアートを含む芸術において発展しています。アフリカの現代美術がネット上で著作権侵害の犠牲になったり、個人収集物として公の場から消えたり、作者が分からない扱いになったりしないことが重要です」と同氏は述べた。

RUDN(パトリス・ルムンバ・ロシア人民友好大学)国際関係論理論史学科の博士課程学生ブライアン・ムガビ氏も、文化的回復の重要性についてRTに意見を寄せた。

「美術品を元の所有者に返還することは、植民地解放に向けた重要な一歩となるでしょう。これらの芸術作品は植民地時代に入手されたもので、歴史の暗い章を痛烈に思い出させるものとなっているからです 」と彼は語った。

「これらの文化遺産の入手については、多くの場合、疑わしい手段によって取得されました。その手段とは、植民地支配中に取られた搾取的で、しばしば原始的な方法を反映したものでした。」

したがって、「完全な返還を主張することは、歴史的不正義を正す手段になります」とブライアン氏は考えている。

「さらに、アフリカの文化遺産が不均衡に分布しており、推定90%から95%がアフリカ大陸の外に位置している現状は、公平な文化保護の必要性を浮き彫りにするものです。このような不均衡な状況は、アフリカ内の博物館が自らの遺産を紹介できる力を妨げるだけでなく、経済格差を永続させることにもなります。それは、最も重要な展示会がアフリカ国外で開催されているからです。」

「したがって、盗まれた美術品を返還することは道徳的義務として機能するだけでなく、文化の公平性と文化の保存を促進することにもなるでしょう」とブライアン氏は主張した。

アフリカ芸術の運命を決定するのはヨーロッパではなく、アフリカ自身であることは明らかだ。それは、現代芸術においても、古代芸術においても当てはまる。その事実を尊重することは、明らかに歴史的義務だ。
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南アフリカはイスラエルのために戦う国民を逮捕する-南ア高官

<記事原文 寺島先生推薦>
South Africa will arrest citizens fighting for Israel – official
南アフリカの外務大臣、ガザ戦争の戦闘員らは自らの行動の結果について警告を受けている、と語る
出典:RT  2024年3月14日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月17日


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© アリス・メッシーニス/AFP


ナレディ・パンドール外相は、10月以来数千人の民間人が殺害されているガザ地区でイスラエル国防軍(IDF)とともに戦っている南アフリカ人は帰国時に逮捕されることになる、と警告した。

報道によると、同外務大臣は週末に南アフリカの首都プレトリアで開催されたパレスチナとの連帯を示す行事でこの発言をした、という。パンドール外務大臣は、二重国籍を持つイスラエル国防軍兵士は懲罰として南アフリカ国籍を剥奪される、とも付け加えた。

「私はすでに声明を発表し、イスラエル国防軍とともに戦っている、あるいはイスラエル国防軍の一員として戦っている南アフリカ人たちに警告を発しました。私たちは準備ができています。帰国したら逮捕します」と同外務大臣が述べた、とAP通信は報じた。

南アフリカ政府は以前、国内法と国際法に違反する危険性を理由に、昨年12月のイスラエル・ハマス紛争でIDFに参加しないよう南アフリカ国民に警告していた。南アフリカ国際関係協力省によると、イスラエル軍に参加する前に政府の承認を得る必要があり、これを怠った場合は刑事訴追の対象となる、という。

10月7日のパレスチナ武装勢力による国境を越えた攻撃に対し、ベンヤミン・ネタニヤフ首相がハマスの殲滅を誓って以来、ガザ地区でのイスラエル軍の空襲と地上攻撃で3万1000人以上が死亡した。

ハマスはイスラエル南部の村への襲撃を開始し、1100人以上を殺害し、数百人の人質をガザに連れ帰った。国連によると、包囲されたパレスチナ領土では57万人が飢えており、イスラエルの5か月にわたる爆撃作戦によりガザ住民230万人の最大85%が避難を余儀なくされている。

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関連記事:The ghosts of apartheid triggered South Africa’s case against Israel in The Hague

イスラエル・ハマス戦争は、パレスチナの主権を求める闘争を長年支援してきた南アフリカとイスラエルの間の外交関係を緊張させており、南アフリカ政府は、イスラエルによるこの行為を、20世紀の自国でのアパルトヘイトに対する戦いになぞらえている。

南アフリカ政府は、ガザで「組織的」戦争犯罪を犯した疑いでイスラエルを相手取り、国際司法裁判所(ICJ)に訴訟を起こした。この国連の最高裁判所(ICJ)はまだ最終判決を下していないが、1月にイスラエルに対し、大量虐殺を阻止し、ガザ住民の人道的条件を改善する措置を講じるよう命じた。

南アフリカ政府は先月、イスラエルがICJ命令に違反した、と非難した。パンドール外務大臣はまた、イスラエル諜報機関が大量虐殺捜査に応じて彼女を脅迫しようとしていた、とも主張した。

「私の家族がイスラエルの諜報員に脅されました」― 南アフリカ外相

<記事原文 寺島先生推薦>
Israeli spies threatening my family – South African FM
ナレディ・パンドール外務大臣、イスラエルに対する戦争犯罪訴訟から生じた脅迫的なメッセージを受け取った、と主張
出典:RT 2024年2月9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月16日


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南アフリカのナレディ・パンドール外務大臣。© アッタ・ケナーレ/AFP


南アフリカのナレディ・パンドール外務大臣は、ガザ戦争をめぐる国際司法裁判所(ICJ)での南アフリカによるユダヤ人国家であるイスラエルに対する虐殺事件の申し立てに対抗して、イスラエル情報機関が彼女とその家族を脅迫しようとしている、と非難した。

パンドール氏は木曜日(2月8日)、南アフリカのケープタウンでのシリル・ラマポーザ大統領の国民向け演説に合わせて、記者団に対し、脅迫メッセージを受け取った後、追加の警備を要請した、と語った。

地元週刊誌メール・アンド・ガーディアンによると、同外務大臣は「私がもっと心配しているのは家族のことです。ソーシャルメディアのメッセージの中には私の子どもたちのことなどが言及されているからです」と語った、という。

「イスラエルの国家機関である諜報機関はこのように振る舞い、人々を脅迫しようとしているのですから、私たちも脅迫されてはなりません。現在進行中の問題です」と彼女は付け加えた。

パンドール外務大臣の主張は、先週南アフリカが行なった同様の主張に続くものである。この主張によると、 南アフリカはイスラエル政府の戦争犯罪を告発し、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の国際刑事裁判所(ICC)での逮捕を要求したことを受けて、複数の国際情報機関による不安定化工作に直面している、とのことだ。南アフリカのクンブゾ・ンシャベニ安全保障大臣は、プレトリアが今年後半に国政選挙を準備しているため、同政府機関は外国の干渉を防ぐために厳戒態勢を敷いている、と述べた。

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関連記事:Foreign spies trying to punish South Africa for taking on Israel – minister

パレスチナ過激派組織ハマスが昨年10月にイスラエルの村々を攻撃し、1100人以上が死亡、数百人が人質になったことに対抗し、イスラエル軍はガザ地区で大規模な攻撃を開始した。包囲された地域の保健省によると、パレスチナ自治区では4カ月にわたる爆撃で2万8000人近くが死亡し、その大半が女性と子どもだった。国連パレスチナ難民機関の最新の統計によると、ガザの人口の4分の1以上が飢餓状態に直面しているという。

南アフリカは先週、イスラエルがガザでのハマスとの戦闘中に民間人の死亡を防ぐよう命じたICJの判決を無視している、と主張した。

パンドール外務大臣は木曜日(2月8日)、南アフリカの法務団が国連最高裁判所での次回の弁論に向けて訴訟の準備に懸命に取り組んでいる、と述べた。

「このアパルトヘイト国家(イスラエル)が最悪の状態にあったときも、世界とパレスチナの人々は引き下がることなく、解放運動とともに立ち向かいました。今さら引き下がることはできません。我が国は彼らとともにいなければなりません」とタイムズ・ライブ紙は同外務大臣の発言を報じた。

南アフリカがハーグの国際司法裁判所にイスラエルを訴えたのは、自国のアパルトヘイトの亡霊がまだ生きているからだ

<記事原文 寺島先生推薦>
The ghosts of apartheid triggered South Africa’s case against Israel in The Hague
この行為に関する南アフリカ国内の反応は、多くの議論や問題があるにもかかわらず、驚くほど足並みがそろったものだった。
筆者:クベンドラン・チェティ(Kubendran Chetty)
出典:RT 2024年2月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月23日


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2024年1月11日、ハーグで、南アフリカが提訴したイスラエルに対するジェノサイド裁判の審理を前に、国際司法裁判所(ICJ)に出席するロナルド・ラモラ法務大臣とブシムジ・マドンセラ駐オランダ南アフリカ大使。 © Remko de Waal / ANP / AFPBB News

ジェノサイドの疑いでイスラエルを国際司法裁判所(ICJ)に提訴するという南アフリカの決定は、アパルトヘイトとの歴史的な戦いとの類似性が指摘されるなど、南アフリカ国内で圧倒的な称賛を受けている。

この裁判は、ネルソン・マンデラ元大統領が大統領を務めて以来、おそらく他のどの国際問題よりも、世界的な世論という点で、同国にとって有益なものであると広く評価されている。

国際司法裁判所の判決

今年初めのICJの中間判決では、17人の裁判官からなる審議会が、南アフリカ政府が要求した7つの緊急措置を可決した。

イスラエルがジェノサイドを行わないよう要求することに加え、裁判官団はイスラエルに対し、ジェノサイド行為を行なった兵士や、パレスチナ人のジェノサイドを公に呼びかけた国家公務員に対する措置をとるよう命じた。 判決はまた、イスラエルはそのような行為が行なわれた場合、その証拠を保全しなければならないと述べた。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、裁判所の決定を虚偽であり言語道断であると批判し、イスラエルは自国を防衛する基本的権利を行使していると主張した。

ICJの別件では、南アフリカが50以上の国と3つの国際機関とともに、イスラエルによる数十年にわたるパレスチナ地域の占領に関する勧告的意見を求める公聴会に参加した。

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関連記事:Here’s why the ICJ ruling on genocide is a crushing defeat for Israel

「人種差別には反対しなければならない」

国際司法裁判所(ICJ)への南アフリカの申し立てと、世界的な偶像となったネルソン・マンデラ元大統領の人道的努力を比較するのは当然である。しかし、この判決が下される前、南アフリカは誤った理由で世界的な脚光を浴びていた。

アフリカ大陸の経済大国であるどころか、長年の腐敗によって信頼が低下している。特に、家庭や企業への効率的な電力供給に苦労し、港湾を含む重要な国有企業が管理ミスや非効率性に苦しんでいたのだ。

国際司法裁判所(ICJ)の判決は、同国を再び活気づけ、正義と国際法への参画を強化しつつ、抑圧された人々の権利を擁護する上で同国が果たすべき役割はまだ大きいとの信念を育んだようだ。

マンデラ氏は1990年、アパルトヘイト政府から釈放されたわずか数カ月後に、ニューヨークの国連特別委員会でアパルトヘイトに反対する演説を行なった。

「人種差別は、人類が自由に使えるあらゆる手段によって反対されなければならないということを、私たちは侵すことのできない原則とします。人種差別がどこで発生しようとも、それは差別される人々の人権を組織的かつ包括的に否定する結果となる可能性を秘めています。すべての人種差別は本質的に人権への挑戦であり、すべての人間が他のいかなる人間とも等しい価値を持つ人間であるという見解を否定するものであり、民族全体を人間以下のものとして扱うものだからです。」

「だからこそ、アパルトヘイト制度を人道に対する罪と位置づけることは正しく、国際社会がアパルトヘイトを弾圧し、その加害者を罰することを決定するのは適切なことなのです。」

シリル・ラマポーザ大統領が、国際司法裁判所の判決後、イスラエルに対する国際司法裁判所への提訴を祝う前例のないテレビ演説を行なったのは、このマンデラ氏の考え方を原則としたものだった。

「半世紀以上にわたる占領や収奪、抑圧、アパルトヘイトを経て、パレスチナの人々の正義への叫びが、国連の高名な機関(ICJ)によって聞き入れられました。」

同大統領は、国際司法裁判所が、ガザの壊滅的な人道的状況と、紛争によって何百、何千ものガザ人が燃料、食料、医療品、電気を奪われたことを認めた、と述べた。

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南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領© PHILL MAGAKOE / AFP

アラファト議長とマンデラ大統領のクーフィーヤ

1990年2月11日に釈放されるまで、マンデラ氏は政治犯として27年間アパルトヘイト政府に投獄されていた。その16日後、ザンビアのルサカに降り立ったマンデラ氏は、パレスチナ解放機構(PLO)の指導者ヤーセル・アラファト氏を、マンデラ氏の象徴であるクーフィーヤを頭に巻いた姿で抱擁した。

クーフィーヤは長年、パレスチナ国家主義の象徴であり、マンデラ氏はその3ヵ月後、アルジェリア青年全国連合が彼の名誉のために主催した集会に出席した際、自らクーフィーヤを被り、アパルトヘイトとの闘いにおけるアラファト氏とPLOの支援に報いた。

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関連記事:Only global community can end Gaza conflict – Ndileka Mandela

マンデラ氏はパレスチナの人々と特別な絆を感じ、1997年にこう言った: 「私たちは、パレスチナ人の自由なくして私たちの自由が不完全であることを痛いほど承知しています」と。

2004年にアラファト氏が亡くなったとき、マンデラ元大統領はこう言った: 「彼は正しい意味での象徴でした。彼はアラブの人々の解放だけでなく、アラブ人、非アラブ人を問わず、世界中の抑圧されたすべての人々の解放に心を砕いていました。あれほど偉大な声望と思想を持った人物を失うことは、抑圧と闘うすべての人々にとって大きな打撃となります」と。

マンデラ氏は2013年に逝去したが、パレスチナの人々は、ヨルダン川西岸地区の占領地ラマッラーにマンデラ氏の銅像を建立し、彼の支援に報いた。

マンデラは、自身の政党であるアフリカ民族会議(ANC)に寄せられた支持を痛感していた。この支持とは、アフリカ大陸でもっとも歴史の古い解放組織であるこの政党が禁止されていたときに受けたものである。当時、ロシアやキューバ、中国、インドなどの国々や、ザンビアやジンバブエ、モザンビークなどのアフリカ諸国が、アパルトヘイトに対して揺るぎない支持を表明していた。西側諸国は、スウェーデンとノルウェーを除いて、概して南アフリカの解放闘争を支持していなかった。

1990年、マンデラ氏はジョージ・ブッシュ大統領の招きでアメリカを訪れ、ABCニュースのテッド・コッペル氏が司会を務めるタウンホールミーティングという番組で、パレスチナへの支援について質問された。

これに対してマンデラ氏はこう答えた: 「ヤーセル・アラファト氏の闘争を支持したからといって、ANCがイスラエルが国家として法的に存在する権利を疑ったことにはなりません。私たちは、安全な国境内に国家が存在する権利を公然と支持してきました。しかし、もちろん......私たちは、安全な国境という意味を慎重に捉えています。ガザ地区やゴラン高原、ヨルダン川西岸など、イスラエルがアラブ世界から征服した領土を保持する権利があるということではありません。 それには同意できません。それらの領土はアラブの人々に返還されるべきです」と。

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1993年6月29日、カイロで開催された第29回OAU(アフリカ統一機構)会議で、南アフリカのネルソン・マンデラ国民会議議長(右)と会談するPLOヤーセル・アラファト議長(左)。 © Mohamed El-Dakhakhny / AFP © MOHAMED EL-DAKHAKHNY / AFP

口先だけではなく行動せよ

南アフリカの大学の法学部の最終学年の学生であり、活動家であるレセゴ・マシシ氏は、RTの取材に対し、南アフリカには、ガザで起きていることに対して発言する、世界政治の領域における道徳的義務があると語った。

「もし南アフリカがパレスチナで起きている人道的危機について声を上げなければ、国の誠実さについて多くの疑問の声が投げかけられたでしょう」と同氏は述べた。

マシシ氏は、南アフリカの外交政策は今でも、1990年代から2000年代初頭にかけてマンデラ氏が築いた基盤に根ざし、影響を受けていると考えている。

マンデラ氏は常に、地政学的な問題や所属団体を通じて、道徳的に優位に立とうと努めていた。

「パレスチナの問題で、マンデラ氏はそれがアパルトヘイト政権で自国が経験したことと似ており、他の多くの国々が、南アフリカでの抑圧の捉えられ方と同じようにパレスチナの問題を扱っていたことを認識していました」とマシシ氏は語った。

レセゴ・マシシ氏は、2013年にマンデラ氏が他界した後、南アフリカが世界的な脚光を浴びなくなったのは、特に国際関係において強い立場を取る際に方向性を欠いているように見えたからだと考えている、と語った。

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「国際司法裁判所(ICJ)のような国連の場で、南アフリカがイスラエルに対抗する立場を取ることは、世界の力関係を考えれば、ほとんど不可能と見なされていたことです。この行為は本当に、南アフリカ政府による大胆な行動でした。

市民社会や進歩的な政党から、ガザ地区の紛争で起きていることに反対を表明するだけでなく、行動するよう政府に圧力がかかっていました」とマシシ氏は語った。

この紛争は人権問題であり、世界の北と南の国々によって見方が異なる、と彼は言った。

「この紛争は帝国主義的な傾向を露呈させ、搾取されることに馴染みがなく、歴史的に帝国主義的恩恵を受けてきた国々が、国際社会においていかに矛盾した存在なのかを明らかにしています。

パレスチナの人道的危機を認識していない国々があるのは、それらの国々の見方は、肌の色や経済的資源、そしてそれらの国々の共通の利害に基づいているからです。」

マシシ氏は、この紛争は、世界の平和と安全を推進する上での欧米の矛盾と偽善を露呈した、と述べた。

国際司法裁判所の決定を受け、南アフリカはアフリカ諸国をはじめとする「南半球」の国々から支援を受けたが、国際社会では、特に西側諸国から、ほとんど即座に反撃を受けた。

国際社会からの反撃

米国議会が下院に提出した法案は、南アフリカがハマスや中国政府、ロシア政府、イラン政府と連携していると非難し、米国政府と南アフリカ政府の関係を全面的に見直すよう求めている。

この法案は、ビジネスや援助、地政学、特にロシアとウクライナの紛争に関して南アフリカに影響を与える可能性があり、2月6日に共和党のジョン・ジェームズ下院議員と民主党のジャレッド・モスコウィッツ下院議員によって提案された。

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ジョン・ジェームズ(左)、ジャレッド・モスコウィッツ(右)。 © Wikimedia

この法案は、南アフリカ政府が米国の国家安全保障や外交政策上の利益を損なうような行為に及んだ場合、ジョー・バイデン米大統領に対し、同法を公然と施行するよう求めている。

ラマフォサ大統領府は、この法案が成立すれば、南アフリカとアメリカの関係にとって「非常に不幸なこと」だと述べた。

南アフリカの大統領府は、ICJでの南アフリカの裁判が政治的な動機によるものであったという主張は、判決が南アフリカの勧告の多くを受け入れたことから、成り立たない、と述べた。

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同大統領府は、ロシアとウクライナの紛争について、南アフリカは「常に」平和の側にいると述べた。

反アパルトヘイトの活動家であるフランク・チカネ牧師はRTの取材に対し、国際的な舞台で南アフリカを罰するためにICJ(国際司法裁判所、国連の一機関)を利用する政府があるとすれば、それは驚くべきことだ、と語った。

「こんなことが生じれば、ICJのような国連機関は社会的弱者に対してのみ使われるという伝言を送ることになります。そんな考え方が世界の基盤になることはありえません。」

「『意見が違えば罰する』 や、『貿易をすれば罰する 』というのは、外交政策を管理する最良の方法ではありません。」

南アフリカは1994年に民主化を達成して以来、多くの変化を経験してきたが、一貫していたのは外交政策に対する姿勢だった、とチカネ氏は語った。

「唯一の例外は、南アフリカが国連安全保障理事会でリビアへの介入に賛成票を投じたときです。それが間違いだったことは、現在のリビアの状況を見ればわかります。」

チカネ氏は、南アフリカの国際関係に対する立ち位置は、『米国と英国がアパルトヘイト国家を黙認していた』という自国の経験に基づくものだと考えている。

「私たちは米国で多くの取り組みをおこない、人々を動員し、その結果米国議会はアパルトヘイトの廃止を求める決議を採択したのです」とチカネ氏は締めくくった。

筆者クレンドラン・チェティ氏は、南アフリカに拠点を置く国際関係の専門家。

グローバル・サウスのだれにも止められない行進:ロシアとアフリカはいかにして2023年を相互関係にとって極めて重要な年にしたのか

<記事原文 寺島先生推薦>
Unstoppable march of the Global South: How Russia and Africa made 2023 a pivotal year for bilateral relations
こうした多くの潮流は、来年以降もロシア政府とアフリカ友好諸国の交流を形成し続けるだろう。
出典:RT 2023年12月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年1月8日



© RT/ RT

 2023年は再び「アフリカの年」となったようで、この広大な大陸全体の発展に報道機関の大きな注目が集まった。実際、この地域の54か国と9つの中核地域連合 (SADC、ECOWAS など)には、報道すべきネタが豊富にある。

 2023年の一年間を通じて、失敗したクーデターや成功したクーデターがあり、交渉が停滞している間に紛争が勃発し、気候問題は食料安全保障の懸念によって影が薄くなった。同時に、BRICSが拡大し、アフリカ連合が正式な構成員としてG20への加盟を認められるなど、アフリカ大陸が勢いづいた1年だった。

 アフリカ大陸の外にいる多くの関係者にとって、アフリカ諸国との関与は新たな取り組みとなっている。ロシアは、この地域に対する外交政策の推進を再考し、2023年の新しい「対外政策概念」に示されたより建設的な方向性がそれを支えた。

 しかし、本記事においては、ロシアとアフリカの関係を形成し、その関係を強固なものにした主な出来事の概要を紹介する。


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ロシア-アフリカ首脳会談の価値が証明された

 第2回ロシア-アフリカ首脳会談(及びロシア-アフリカ経済・人道会議)は7月下旬にサンクトペテルブルクで開催された。重要な点は、ロシア側もアフリカの友好諸国側もこの会議を定期的に開催する方向を選んでおり、それにより互いの友好関係の枠組みを強化しようとしている点だ。最終宣言に加えて、参加諸国は「2026年に向けた行動計画」にも合意した。この計画は相互協力のための道筋を拡げるものだ。この新たな取り組みは、より実践的な志向をもとにしており、分野ごとの特定の取り組みの概要を示すものであるが、ロシアはこれらの文言を現地で実行に移す前に既に先行した取り組みをおこなっている。この移行を前に進めるために、「(世界)経済フォーラム」はロシアがすべきことを紹介しながら、より広範囲な政治的課題を補った。ここでもまた、あれこれの案の説明から「実地試験」への移行を期待している。そうすることでアフリカのロシア友好諸国が自らの経験を積み重ね、3年後には相互友好関係の効果が立証することになる、というわけだ。
 
 首脳会談は、いまは三年ごとに開かれることになっているが、優先事項や計画の調整のための折衝は常時おこなわれなければならない。この目標に向かって、ロシア-アフリカ友好関係は、様々な段階で、様々な問題に関して、さらには両側の相互安全保障の枠組みをとおした恒久的な政治的対話により維持されることになるだろう。この相互安全保障の枠組みについてだが、この動きは歓迎されるべき動きであるといえる。というのも、参加諸国が掲げる「安全保障」という概念は、様々な問題を取り囲む包括的な手法を反映したものだからだ。具体的には、テロや過激派、気候変動、不安定な食料供給、宇宙やサイバー空間で起こる可能性のある諸問題のことだ。このさきアフリカとロシアの国会議員たちは年次会議で面会し、会議の空き時間に当事者間で話し合いを持つことになるだろう。したがって、2023年は、多くの会議が形成された年ではあったが、その最初の結果を目にできるのは、翌年のことになる、ということだ。


2023年7月28日、サンクトペテルブルクでの第2回ロシアーアフリカ首脳会談での家族写真でカメラに向かうロシアのウラジーミル・プーチン大統領とアフリカ諸国の指導者たちや代表団© Alexey DANICHEV / AFP

BRICSが拡大、ロシアはアフリカからの声を歓迎

 8月にヨハネスブルグで第15回記念として開かれたBRICSでは、加盟国を11カ国に拡大することが決定された。なかでも、エジプトとエチオピアというアフリカの2国の翌年からの加盟が決まり、この世界有数の重要な会議での討議に加入することとなった。南アフリカがこの会議を主催したことは、BRICSが新しい時代に入ったことの証だといって間違いないだろう。

 エジプトとエチオピアが加盟したことで、BRICS内でアフリカからの声を軽んじることが難しくなった。
BRICSの拡大に対する熱い思いは、ロシア側でも新たに加わった国々でも同様に高まった。外交面におけるこのような決定的瞬間に引きずられて、新規加盟諸国は、間違いなくこの話し合いの場に利益をもたらすことになるであろう。


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 2024年にロシアがBRICSの会議を主催することにより、この組織の機能が拡大され、世界を変えるような新たな決まりや基準や構造が打ち立てられることになるだろう。世界の多数派の中のもっとも力強い構成要素として、アフリカ諸国は、この新しい取り組みの貢献者としても現場としても、このような発展において利益を受けることになるだろう。

重要なことは、このような動きが経済と貿易における脱ドル化へ動きと共通した動きであることだ。この脱ドル化に伴い、より多くの国々が国家間の決済において自国通貨を使う方向へと準備を進めている。もしアフレキシンバンク(アフリカ輸出入銀行)が年内にアフリカ大陸の最大20カ国を「汎アフリカ決済システム」に参加させることに成功すれば、これは長年の国際経済の規則に対する重要な転換となり、金融主権の拡大を意味する。 ロシアはアフリカ諸国の仲間として、国家段階、そしてそれ以上の段階での解決策を模索している。

 12月初旬、アフレキシンバンクはカイロで「ユーラシア経済委員会」の代表団と会談し、貿易に残された障壁の撤廃、自国通貨の広範な使用、技術移転の見通しについて話し合った。 実施すべきことはまだたくさんあるが、今年はロシアとアフリカの貿易状況に前向きな変化をもたらした。ドルとユーロの割合は、わずか2年前の98.2%から8.5%へと著しく低下した。


2023年8月22~24日、南アフリカ・ヨハネスブルグで開催されたBRICS首脳会議。© Per-Anders Pettersson/Getty Images

防衛面における友好関係の強化に新たな弾み

 ロシアのユヌス・ベク・エフクロフ国防副大臣のアフリカ歴訪は、ロシア政府とアフリカ大陸の友好諸国との軍事協力の進展を示すものだった。

同副大臣は数ヶ月の間に、マリ、ブルキナ・ファソ、ニジェール、中央アフリカ共和国、リビアを訪問した。 これにより、同副大臣は国防大臣の意を受けた事実上「アフリカ軍団」の中心人物的役割を果たすようになった。

 このような計画が、ロシア政府とアフリカとの結びつきがより強固なものになったことを反映しているかどうかを判断するのは時期尚早だとしても、エフクロフ副大臣は本質的に、この地域にとって信頼できる戦略的友好大使として浮上している。友好関係の新たな段階は、接触強化や新たな協定によって最もよく反映されており、慎重かつ現実的な楽観主義を示唆している。西側諸国にとっては、むしろ望ましくない変化の前触れであり、それを阻止しようとした。実際、エフクロフのリビア訪問のわずか数日後には、AFRICOM(アメリカ・アフリカ軍)のマイケル・ラングレー米大将が交渉再開のためにトリポリに派遣され、ボリス・ピストリウス独国防相はクーデター後のニジェールとの協力再開に向けた政策転換を発表した(米国もその準備はできていた)。

 しかし、今日の安全保障とは、内外の脅威に対する抵抗力と、貧困削減、雇用創出、飢餓救済など目に見える社会的成果との相互作用である。新しい戦略の一環としてこれらも考慮されるのであれば、ロシアは友好関係にさらに真剣に取り組むことを宣言していることになる。


ブルキナ・ファソ滞在中のユヌス=ベク・バマトギレイェヴィチ・エフクロフ © Présidence du Faso

外交高官が頻繁に会談、ロシアは外交拠点を拡大

 ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、2023年を通じてアフリカ諸国の首都を頻繁に訪れている。南アフリカ、アンゴラ、エスワティニ、エリトリア、マリ、モーリタニア、スーダン、ケニア、ブルンジ、モザンビークで、より多くの食料安全保障、より多くの貿易、より多くの交流の展望について議論してきた。

 その都度、彼の任務の後には、合意に達したことを頓挫させ、対ロ制裁とウクライナへの軍事支援を大義名分としてアフリカ諸国政府を味方につけようとする欧米の外交官たちが続いた。二国間でも多国間でも、アフリカにかけられた圧力は想像に難くない。米国がプレトリアの独立的立場を理由にAGOA(アフリカ成長機会法African Growth and Opportunity Act)プログラムからの南アの追放を検討し、実際に中央アフリカ共和国、ガボン、ニジェール、ウガンダを追放したことを思い出せば十分だ。それでもほとんどのアフリカ諸国は中立を保ち、バランスの取れた建設的なアプローチを好んだ。多くの人々は、これをロシア勝利と高く評価した。しかし、より可能性が高いのは、アフリカの主体性と常識の勝利だったということだ。

 さらに2023年、ロシアはブルキナ・ファソと赤道ギニアに大使館を再設置することを約束し、エチオピアとナイジェリアでの貿易使節団を通じてこの地域での経済的足跡を固め、大陸との友好関係作りへとさらに活動領域を拡大した。

 より広範な外交上の存在感が必要とされるようになって久しい。1990年代に放棄されたものが、いまや復活しつつある。各大使館がまだ最初のロシア特使を迎えていないにもかかわらず、ロシア政府はすでにワガドゥグーやマラボとの関係を前進させている。ブルキナ・ファソが過渡期に国際的な承認を取り戻そうとしているときに、赤道ギニアは首都を島の港であるマラボから熱帯雨林の真ん中にある「平和都市(オワイヤラ)」に移そうとしている。


ブルンジ共和国ブジュンブラでの会談後、記者会見で握手するロシアのラブロフ外相とブルンジのアルバート・シンギロ外相。© Sputnik/Russian Foreign Ministry

ロシアがアフリカ人向け大学院研修を開始、教育交流で最高段階に到達

 12月下旬、モスクワで第1回e-Gov(電子政府)知識共有週間が開催された。この取り組みは、高等経済学校のアフリカ研究センターが企画し、非国家開発機関のインノ・プラクチカとロシア政府が支援した。アフリカの上級公務員を対象とした教育計画は、おそらくロシアで初めてのものだろう。研修の代わりに採用された「知識の共有」という革新的な形式は、一方的な指示によって議題や規則、価値観を押し付けるのとは対照的に、互恵的な交流を意味するものとして好評を博した。


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 23もの国々からデジタル統制部門の指導者層が集まり、ロシアの専門家とデジタル化の経験と展望について議論した。議論は、ロシアとアフリカの専門家が共同開発した「E-Governance in Africa 2024」という本とコンピューター・ネットワークのハブによって盛り上がった。この取り組みは永続的な友好関係のもと継続されることが期待され、2026年までの活動が計画されている。

 今年はまた、より多くのアフリカの学生をロシアに連れてくるという真の躍進が見られた。2023年初頭の時点で、約2万7000人のアフリカからの留学生がロシアの大学を選んだ。これは、1991/92年にわずか1万5000人の学生しか学びに来なかったソビエト時代後期の数字を大幅に上回る。

 2023年7月、アフリカ9カ国(ガーナ、エジプト、ジンバブエ、アンゴラ、マリ、ナミビア、ザンビア、ナイジェリア、南アフリカ)は、天然資源分野のスペシャリストを養成する大学の共同体を構築するため、ロシアで最も歴史のある工科大学であるサンクトペテルブルク鉱山大学と協定を結んだ。その結果、ロシアとアフリカの大学共同体である「ネドラ(「アフリカの底土」という意味)」が12月に設立され、アフリカ大陸の30以上の大学で構成されている。


ロシアのチタにあるトランスバイカル国立大学の教室で、カメラに向かうカメルーンの学生たち。© Sputnik/Evgeny Yepanchintsev

ロシア語の人気が急増

 2023年、ロシア教育省は10以上のロシア教育大学と共同で、アフリカ諸国に新しいロシア語教育センターを開設した。センターとクラスは現在、カメルーン、アルジェリア、チュニジア、エジプト、ウガンダ、マリ、ザンビア、ナミビア、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、コートジボワールで運営されている。

 チュニジア、モロッコ、エジプト、エチオピア、タンザニア、ザンビア、南アフリカ、コンゴ共和国、シエラレオネとの関係を促進するためにロッソトルードニチェストヴォ(独立国家共同体・在外同胞・国際人道協力局)が立ち上げたロシア・ハウスは、年間を通じて幅広い文化・教育活動を行い、国の外交努力に協力してきた。

 ロシア語と準備コースの人気は、ロシアの大学で学びたい外国人学生に提供される奨学金と直接結びついている。ロッソトルードニチェストヴォの報道部によると、昨年、奨学金を受けるための平均競争率は1カ所あたり約5人だったため、2023-24年度には奨学金の数が2300人から4700人に倍増したという。ギニア、アンゴラ、マリ、コンゴ共和国、エジプト、ナイジェリアが最大の経済的恩恵を受ける国である。


ニアメにあるニジェール空軍基地とフランス空軍基地の前で、ニジェール国土安全保障国民評議会(CNSP)の支持者がデモに集まった際、ロシア国旗をかぶった男性。© AFP

意思決定と科学的専門知識の著しい成長

 今年はロシアでアフリカに対する学術的関心が急上昇した年であり、最も重要な科学分野のいくつかでアフリカとの協力が改めて注目された年でもあった。 重要なのは、これがモスクワやサンクトペテルブルグでの開催にとどまらなかったことだ。むしろ、アフリカの友好諸国への働きかけにまで拡がった。

 たとえば、ブルキナ・ファソでデング熱が流行した際、ロシアのウイルス学者団が現地の専門家を支援し、デング熱の症例を観察するための移動検査室を配備した。この支援は、デング熱と闘うためにできるだけ多くの症例を報告することだけが目的ではなかった。むしろ、地元の能力開発という意味合いが強く、当局からも好意的に受け止められていた。その結果、首都ワガドゥグーで開催された「医療と主権」会議にロシアから専門家が招かれる道が開かれた。さらに重要なことは、この積極的な経験によって、ロシア政府によって承認された疾病と闘うための包括的な取り組みによって、さらなる関与の拡大が促進されたことである。この取り組みは2026年まで続く、12億ルーブル(約19億円)の資金援助を受けるものだ。

 サヘルの2カ国、マリとブルキナ・ファソに対して、ロシアは基礎的な原子力研究の訓練を提供し、原子力発電が国家開発の目標にもたらす可能性について、より幅広い認識を高める一助となった。

 広大なアフリカ大陸に隣接する島国マダガスカルでは、ロシアの卒業生と探検隊が、海洋世界、遺伝学、気候変動に関する相互研究を促進する協定を結ぶことができる。この場合も、地元のトアマシナ大学との対等な友好関係のもと、共同研究や交流が行われる。

 2023年5月、モスクワにあるHSE(ロシア国立研究大学経済高等学院)のアフリカ研究センターの専門家たちは、慎重な意思決定のための明らかな情報格差を埋めようと、包括的な『アフリカ2023ハンドブック』を発表した。本書は、ありきたりの手法を払拭し、アフリカで事業を行う際の危険性を評価する際に生じる適切な質問に対する答えを提供している。ロシアの「アフリカ・アクション・プラン」の実践的な手引書である本書は、すでにアフリカに関わるすべてのロシアの意思決定者にとっての手引書となっている。


ロシア、クラスノダール地方の科学と芸術のシリウス・パークで開催された第3回若手科学者会議。 © Sputnik/Evgeny Biyatov

ロシアの穀物がアフリカの食糧安全保障を強化

 ソマリアとブルキナ・ファソ向けのロシア産穀物を積んだ最初の2隻の船が、12月初旬に到着した。両国はそれぞれ2万5000トンの穀物を受け取った。この成功を受けて、年末までにさらに多くの穀物が中央アフリカ共和国、ジンバブエ、マリ、エリトリアに送られる予定である。

 人口が増加し、気候に関する圧力が高まるアフリカ諸国は、最も脆弱な国々における食糧不安を緩和するために、ロシアによる援助を歓迎しているようだ。その結果、ロシアは増大する需要に対応できる、信頼できる食糧安全保障の提供国として台頭してきた。ロシアは2022年に1150万トンの穀物をアフリカに輸出したが、2023年の上半期で、すでに1000万トンの大台に達した。


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 しかし、穀物は諸問題の解決の一つの方法にすぎない。アフリカの人口の20%が直面している慢性的な飢餓は、生産効率の悪さや輸入が需要を満たせないことよりも、むしろ基盤施設の欠如が本質的な原因である。アフリカの飢餓の流れを変えるためには、ロシアは長期的な役割を果たし、アフリカ諸国の能力開発に頼る努力をおこなう必要がある。援助は必要な基盤施設と、精密農業や選抜育種の手引を備えた有資格者、農業機械、肥料の安定供給に充てられなければならない。2024年の幕が開ける時には、 ロシアはこの程度まで関与できる準備ができていなければならない。

ロシアとアフリカはスポーツ界の繋がりを強化

 今年、ソ連時代の伝統が復活し、ロシアのサッカーチームはカメルーンやケニアと親善試合を持った。これらの試合により、ロシアが置かれている厳しい国際環境の中で、ロシアのスポーツ界に新たな局面を開くものとなった。

 「政治がスポーツに圧力をかけることはできない」というのは、アフリカ・オリンピック委員会協会(ANOCA)が再確認した重要な提起であり、ロシアが長い間支持してきたことを本質的に支持するものである。国際オリンピック委員会(IOC)が最近、ロシア選手をオリンピックに再度出場させることに関する各国間の溝を埋めるための選択肢を模索していた際、アフリカ大陸の5つのオリンピック協会だけでなく、アフリカの個々の国々が表明した立ち位置が大きくものを言い、2024年パリ大会でのロシア選手が中立旗とともに出場することを認めるという今年の最終決議の前進につながった。この問題に関するアフリカ諸国の声は一致しており、モーリタニアのヌアクショットで開催された会議の後、アジア・オリンピック評議会でも同様の決定を出すよう反映させた結果、グローバル・マジョリティはこの動きを支持することになった。


トルコのアンタルヤにあるマルダン・スポーツ・コンプレックスで行われたサッカー親善試合、ロシア対ケニアの試合でボールを奪い合うロシアのアレクセイ・ミランチュク(右)とケニアのエリック・オティエノ。© Sputnik/Mikhail Shapaev

文化における関係がより緊密に

 イノプラクティカ・スクールが主導するダンスやバレエの振付大会は、2023年で4回目を迎え、世界中から才能あるダンサーが集まった。今回、ボリス・エイフマン・ダンス・アカデミーは、「世界的な価値観」の旗印のもと、セネガル、モザンビーク、ブルキナ・ファソ、ウガンダ、ルワンダ、ナイジェリアのアフリカ6カ国から10人のダンサーを迎えたことは特筆される。この催しは、サンクトペテルブルクでのロシア・アフリカサミットの際、有名なアレクサンドリンスキー劇場の舞台で開催され、ダンサーらは世界で最も熱心な取り組みの成果を見せてくれた。

 また、今年は「アフリカ文化・映画デー」が初めて開催され、ロシア人のアフリカに対する関心が高まった。

***
 この記事はロシアとアフリカの関係における2023年についての記事であったが、この概観の枠では関連するすべての問題を収めることは確かにできなかった。しかし、上記のような出来事や潮流は今後も続くだろう。

アフリカにおける社会主義指導者の新時代

<記事原文 寺島先生推薦>
A New Era of Socialist Leadership in Africa
筆者:ドガン・デュアル(Dogan Duyar)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月29日


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「帝国主義と植民地主義からの独立の象徴」とされ、「時代遅れ」と言われた国の創設者たちが、今、歴史の舞台に再び登場している。アルジェリアのフアリ・ブメディアンや、ブルキナファソのトーマス・サンカラ、ガーナのクワメ・ンクルマ、マリのモディボ・ケイタ、ギニアのアフメド・セク・トゥーレ、そしてチュニジアのハビーブ・ブルギバなどだ。


 若い科学的社会主義の軍事指導者たちが2023年7月27日から28日にかけてサンクトペテルブルクで開催されたロシア・アフリカサミットで、注目の的となった。

 ブメディアンや、サンカラ、ンクルマ、ケイタ、トゥーレ、そしてブルギバなどの名前は、反革命から60年後、「完全に独立した」祖国の守護者として、自国のアフリカ民族を再び統一している。

 アフリカでは、「安全保障と生産の革命」が必要とされ、それには西側との関係を切り離す必要がある。軍事クーデターは、帝国主義から離脱できない「社会民主主義」政党を打倒した。独立戦争は、科学的社会主義の指導のもとで進行している。

 アフリカ各国の国家元首は、その演説で、ソビエト社会主義共和国連邦(USSR)が脱植民地化の闘いと新しく形成された国家の発展へ支援をしてくれたことを称賛した。彼らは社会主義の中華人民共和国との協力を強調した。また、新しい国際秩序の一環であるBRICSの一員として参加したいとの希望を表明した。


安全保障と生産の革命における社会主義者の指導

 アフリカ諸国の「安全、国家の統合、生産の革命」への必要性は、新帝国主義的な西洋によって妨げられている。解決策は西洋との関係を断絶することだ。

 アフリカの社会民主主義や、ポピュリスト、そして社会主義政府すら西洋から離れることができないため、科学的社会主義者が国家民主革命の指導を取っている。


マリや、ブルキナファソ、およびニジェールなどで崩壊した政党

 ニジェール、ブルキナファソ、マリ、アルジェリアで倒された政党は、「中道右派」でも「リベラル」でも「親フランス」でもない。ニジェールで打倒された政党の名前は「ニジェール民主社会主義党」(PNDS-Tarayya)である。党の綱領は民主主義革命であった。マハマドゥ・イシューフ前大統領が2011年3月に掲げた8項目の選挙公約は以下のとおり:

1. 公共投資を通じて経済の活性化と社会的発展の促進。
2. "3N"構想(Nigeriens Nourish Nigeriensニジェール人がニジェール人を養う)を通じた食品安全保障の確保。
3. 都市、農村、自然水力工事の改修および建設を通じて、全ての人に飲料水を供給できること。農村部における飲料水の供給率は約45%。言い換えれば、2人に1人が飲料水を供給されていない状況。
4. 道路、農村道路、電力、鉄道への投資を通じて、生活基盤施設と燃料の改善。
5. 社会指標(教育と健康)を大幅に向上させる。この2300万人の国では、識字率は約30%。
6. 若者に雇用の機会を創出する。ニジェールはアフリカで最も若い人口を持つ国。人口の70%以上が30歳未満。この99%がイスラム教徒である国は、1人の女性あたりの出生率が7.6。
7. 強固で信頼性のある持続可能な民主的機関の構築。
8. 国内全域で個人と財産の安全を確保する。
残念ながら、この民主主義の改革計画は大西洋系政府の影響を受けて紙上でしか存在せず、状況は大西洋式支配と政府の転覆という断絶が必要だった。


マリとブルキナ・ファソにおける左派同盟

 ロシュ・カボレの政党は、2022年1月24日にブルキナファソで転覆された政党で、「進歩のための人民運動」(MPP)と呼ばれていた。転覆当時、この政党はヨーロッパの「社会主義インターナショナル」の影響を受け、ブルキナファソの有名な指導者トーマス・サンカラの継承者であると主張し、連立政権を組むために「目覚めのための連合-サンカリアン党」(UNIR/PS)と連携していた。

 2020年8月18日にマリで打倒された頭文字IBKで知られるイブラヒム・エブベキル・キータは、「マリの民主主義のための同盟-正義と連帯のためのアフリカ党(Adéma-PASJ)」に由来する。いくつかの分裂を経て2001年に「マリのための統一」(RPM)と改名されたこの追放された政党は、自らを「左翼、社会主義」と表現した。

 アルジェリアで2019年2月22日に倒されたのは、国家創設党の国民解放戦線(FLN)の政府だった。それを倒したのはFLNの「新ブメディアン」と呼ばれる集団で、彼らは陸軍・国民連合の一部だった。


アルジェリアにおける国民解放戦線(FLN)の内紛

 さて、FLNは、1954年(この年に最初の武力闘争を開始した)に始まる歴史的な出発点に戻ろうとしている。2019年12月、選挙運動中、アブデル・マジド・テブン大統領は彼の「54の約束」宣言でFLN創設を強調した。2020年、政府は自分たちの計画を「どこまでやれたのか?」とまとめた。それはフアリ・ブメディエンの指導下での1965年から1978年までの時期を指し示している。この期間には国家主権への道で重要な進展が達成されたのだ。


アフリカで革命の火山が噴火した

 アフリカの政治史は60年周期で進展する。

 1900年から1960年までの期間は革命の時代だった。

 1960年から2020年までの期間は反革命の時期だった。

 20世紀初頭に植民地主義に対抗したアフリカ大陸は、今では60年間の新植民地主義的な秩序に対して反乱を起こしている。

 アフリカ諸国で「第二次独立戦争」が行なわれている。

 フランス軍は追い出されている。マクロンとその一党は今やアフリカで望まれない存在だ。
独立と帝国主義、植民地主義からの独立の象徴とされた「時代遅れ」と言われていた創設者たちが、現在、歴史の舞台に再び現れている:アルジェリアのフアリ・ブメディアン、ブルキナファソのトーマス・サンカラ、ガーナのクワメ・ンクルマ、マリのモディボ・ケイタ、ギニアのアフメド・セク・トゥーレ、チュニジアのハビーブ・ブルギバ。

 植民地支配者が忘れさせたかった科学的社会主義の創設者たちは、再びそれぞれの国の希望となっている。

アフリカにおける「オバマの家来」、ガボンを揺るがす民衆クーデターで自宅軟禁中

<記事原文 寺先生推薦>
‘Obama’s Man in Africa’ Under House Arrest as Popular Coup Rocks Gabon
筆者:マックス・ブルメンタール(Max Blumenthal)  
出典: INTERNATIONALIST 360°  2023年8月31日
<記事飜訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月29日


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2014年8月5日、ホワイトハウスでの米アフリカ首脳サミットの夕食会中、ブルー・ルームでアリ・ボンゴ・オンディンバ・ガボン大統領、バラク・オバマ大統領、ミシェル・オバマ大統領夫人


ガボンの腐敗しきっていたアリ・ボンゴ大統領は、軍事クーデターで解任される前、オバマ大統領に求められて、ワシントンからダボス会議まで招待された。この地域を不安定化させたアメリカの対リビア戦争は、彼がいなければ成功しなかったかもしれない。



 8月30日、軍事政権がアリ・ボンゴ・オンディンバ大統領を逮捕し、ガボンは軍事クーデターによって政府を退陣させた9番目のアフリカの国となった。ニジェール、ブルキナファソ、マリの国民がそうであったように、ガボンの群衆は、欧米が支援する指導者の退陣を祝うため通りに押し寄せた。国民の3分の1以上が困窮にあえぐなか、大統領一族が贅沢な暮らしを誇示していたからだ。

 「無責任で気まぐれな統治は、社会的結束を絶え間なく悪化させてきて、国を混乱に追い込む恐れがあった」とガボン政権の指導者ウルリッヒ・マンフンビ大佐は政権奪取時に宣言した。

 ガボン軍が現職の親フランス派アリ・ボンゴ大統領を追放した後、数百人が街頭に出て、クーデターへの支持を表明して歌い祝っている。

現在、ロスチャイルドが出資する鉱山会社はガボンでの操業を停止しており、インターネットの接続も停止している模様... pic.twitter.com/8EWzapbpuj
- アンジェロ・ジュリアーノ (@Angelo4justice3) August 30, 2023


 ボンゴ大統領の逮捕は、ワシントンとパリからの怒りに満ちた非難にさらされた。両国は、ガボンの莫大な石油資源を略奪するボンゴ大統領を支えてきたからだ。オバマ前大統領は、ガボンの独裁者を大陸で最も親密な同盟者の一人として育て上げ、リビアとの戦争で地域全体にテロと不安定を巻き起こすときに、外交的な支えとして彼を頼りにしていた。

 オバマとボンゴの絆は深く、フォーリン・ポリシー誌はガボンの指導者をアフリカにおける「オバマの家来」 と呼んだ。

 ボンゴは、オバマの助けを借りて、自らを改革派の近代主義者として仕立て上げようとした。世界経済フォーラムに出席するためにスイスのダボスへ何度も足を運び、そこで 「課題提案者」 に任命された。ボンゴはダボスで、自国の貧困にあえぐ人々に、金儲けに役立つデジタル身分証明書と決済システムを導入することで、アフリカにおける「第四次産業革命」を加速させることを約束した。

 WEFのウェブサイトに掲載されたボンゴの経歴によると、彼は「生物多様性に関するアフリカの唱道者」であり、「音楽作品の作曲家」であり、その趣味は「歴史、サッカー、クラシック音楽、ジャズ、ボサノバ」である。この自称ルネッサンス・マン(自由と革新に生きる人間)は、オバマ大統領と意気投合し、クラウス・シュワブに余計なお節介をし、ビル・ゲイツに握手しまくることができた。しかし国内では、苦境にあえぐガボンの大衆の中に彼の友人はほとんどいなかった。


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ガボンのボンゴ大統領とビル・ゲイツ、2016年


自国での運命に翻弄される「地球市民」

 アリ・ボンゴは、1967年から死去するまでガボンを支配した故オマール・ボンゴ・オディンバの息子として権力を握った。父ボンゴは2004年、失脚した共和党のロビイスト、ジャック・アブラモフと900万ドル(約9億円)にのぼるイメージ払拭の取引をした翌年、ジョージ・W・ブッシュ大統領との会談を実現させた。その5年後に父ボンゴは死去したが、5億ドルの大統領官邸、パリからビバリーヒルズまで十数軒の豪邸、そして不平等が跋扈する国を残した。

 ボンゴは、ディスコ・アーティストとして短期間活動した後、フランスのソルボンヌ大学で学び、国を率いる準備をした。2009年に大統領に就任すると、父親の後を継ぎ、ボーイング777型旅客機や高級車の購入のために公的資金を強奪し、国際的なPR会社と多額の契約を結んだ。ボンゴの妹、パスカルヌは、訴訟によれば、ジェット機でのバカンスや高価な邸宅に5000万ドル以上を費やし、彼女の家族は、中央アフリカ国家銀行から盗んだ資金をニコラ・サルコジとジャック・シラクの元フランス大統領の選挙資金に流用して、パリで影響力を培っていた。

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1977年、ディスコ・ファンク・アルバム『A Brand New Man』を演じるアリ・ボンゴ

 しかし、バラク・オバマ大統領が、リビアの政権転覆作戦を皮肉にも 「民主化促進」と正当化して始めたとき、ボンゴ一族の長きに渡る汚職の記録は何も気にならなかったようだ。ワシントンの支援で、ガボンは国連安全保障理事会の順番になり、2011年2月、リビアへの制裁と飛行禁止区域を要求するアメリカ決議の忠実な承認国として機能した。

 ボンゴの忠実な協力精神によって、4ヵ月後にはワシントンでオバマ大統領との面会を実現させた。大統領の私邸に滞在していたボンゴは、アフリカの指導者として初めてカダフィの権力放棄を求めたのだ。

 ボンゴの側近について、当時の駐ガボン米国大使エリック・ベンジャミンソンは、フォーリン・ポリシー誌にこう語った。「彼らはアフリカの指導者なら誰でも個人携帯番号に電話できた。彼らはカダフィのことを知っていて、彼の参謀長のこともよく知っていた。軍事行動をとらずにカダフィを退陣させるために、ガボン人を通じて働きかけようとしていた」。

 ベンジャミンソンは、「オバマは彼を気に入っていたようだ」、と付け加えた。

 米国が主導したリビアへの政権転覆戦争は、以前は安定し繁栄していたこの国を、アルカイダ系とISISの軍閥が支配する専制的な地獄絵図へと急速に変貌させた。リビア軍のかつての武器庫を事実上無制限に利用できるようになったジハード主義者たちは、サヘル地域*で暴れ始めた。彼らの虐殺への秘密支援は湾岸王国カタールから届いていた。カタールはカダフィを排除するために、フランスやアメリカと提携し、2012年にジハード主義者連合がマリ北東部に事実上のカリフ国家を樹立するのを可能にした。
*サハラ砂漠南端のセネガルからチャドまでの6か国を横切る乾燥地帯

 「かつては安定していたマリを2011年後半から苦しめている暴力は、西側諸国政府にとって驚きではないはずだ。なぜならそれは、NATOのリビア介入の直接的結果であるからだ」と「外交問題評議会(The Council on Foreign Relations)」は述べた。

 この地域で、フランスとアメリカの軍事的な展開が拡大しているにもかかわらず、あるいは、そのせいかもしれないが、2014年にはジハード主義者による攻撃が多発していた。同年8月、オバマ大統領はボンゴ大統領に、ワシントンで開催された米アフリカ首脳会議への招待状を送った。サミットの祝賀会で、オバマは伝説のポップ歌手ライオネル・リッチーの演奏を聴きながらボンゴ大統領の横に座り、アフリカ戦略におけるボンゴ大統領の極めて重要な役割を強調した。

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2014年8月5日、ホワイトハウス南庭で開催された米アフリカ首脳サミットの晩餐会で、ライオネル・リッチーのパフォーマンスに耳を傾けるオバマ夫妻とガボンのボンゴ大統領

 ボンゴは、2016年の怪しげな投票で再選を果たしたが、そのわずか1カ月後、再びアメリカに呼び戻された。今回は、悪名高い怪しげなNATO後援の大西洋評議会(アトランティック・カウンシル)によって、ニューヨークで開催されたシンクタンクの正装祝賀会で「グローバル・シチズン賞」を受賞するためであった。しかし、本国ガボンの選挙で、ある地域では100%に近い投票率で95%の得票が報告されるといった不正に対して疑問の声がくすぶり続ける中で、彼はこの旅行をキャンセルせざるを得なくなった。

 「大西洋評議会(アトランティック・カウンシル)は、ガボンのボンゴ大統領が自国での優先事項のために今年の地球市民賞の受賞を見送ったことを尊重する」とシンクタンクのウェブサイトに紋切り型の声明が掲載された。

 一方、マリの首都バマコでは、「マリの愛国者」 と名乗る市民グループが、フランスの外交官と軍関係者の国外退去を求める数百万人分の署名を集め始めていた。彼らはフランス軍に代わってロシア軍を要請し、そして、オバマ率いる対リビア戦争以来、彼らの社会を苦しめてきたイスラム主義のテロリストを追い出すよう要求した。

 一般的なマリ人の爆発寸前の怒りは、2021年に民衆による軍事クーデターを引き起こし、翌年には隣国のブルキナファソでもクーデターが起きるきっかけとなった。そこでは市民は手製のロシア国旗を手にして臨時政府を祝っている様子が見られた。

 今年8月30日、反乱軍がガボン政府を包囲し、ワシントンお気に入りの泥棒政治家の治世を終わらせたとき、ボンゴは所在不明の場所からビデオメッセージを録音し、「世界中にいる友人たちに、声を上げてくれ」 と必死に訴えていた。

 しかし、その時点では、オバマ大統領が耳を傾けているのかどうか、あるいは「アフリカの家来」を救済するために彼ができることがあるのかどうかははっきりしなかった。

米国、ニジェールのクーデター指導者の暗殺を検討(モスクワ)

<記事原文 寺島先生推薦>
US considering assassination of Niger coup leaders – Moscow
ワシントンのスパイが昔のやり口に戻っている、とロシアの対外情報機関が主張
出典:RT  2023年 9月 7日
<記事飜訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年 9月 22日


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写真 ニジェールの暫定首相アリ・マハマネ・ラミン・ゼイネ © Balima Boureima / Anadolu Agency via Getty Images


 アメリカ政府が、7月下旬に政権を奪取したニジェールの新軍政の指導者を暗殺するかどうかを検討している、とロシア対外情報庁(SVR)は警告した。

 ロシア対外情報庁が木曜日(9月7日)に発表した評価では、ホワイトハウスはニジェールの旧フランス植民地での出来事に「満足していない」としながらも、ニジェールの近隣諸国による軍事介入には頼りたくないという。ワシントンは、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)による軍事行動よりも、代理人による「暗殺指令」方式の方が望ましいと考えているようだ。

 ECOWASは、追放されたモハメド・バズーム大統領を復職させるため、ニジェールに侵攻すると脅しているが、まだ行動を起こしていない。エマニュエル・マクロン仏大統領は先週、ECOWASによる軍事行動を支持すると述べた。

 「アメリカの特殊部隊の代表が、ニジェールで殺人を実行できる相手と直接話し合っている」と、ロシア対外情報庁(SVR)は主張している。「ペンタゴンの学校で特別な訓練を受け」、暫定指導者の側近に属する人物が候補に挙がっているという。


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READ MORE: Ukraine has secret assassination squad – ex-security chief

 CIAには、海外での暗殺未遂の経歴がある。コンゴの指導者パトリス・ルムンバとキューバの指導者フィデル・カストロは、1970年代にチャーチ委員会によって明らかにされたように、米国の度重なる殺人計画の標的だった。

 ジェラルド・フォード大統領は1976年の大統領令で、アメリカ政府の職員が政治的暗殺計画に加わることを明確に禁止した。ジミー・カーター大統領は1978年にこの禁止令を拡大し、ワシントン「のために行動する」人々を加えたが、ロナルド・レーガン大統領は1981年にこの表現から 「政治的」という言葉を削除した。

 「ホワイトハウスは、アフリカの驚くべき、不愉快な地政学的覚醒に直面したので、昔から使い古された解決策に頼ることにしたようだ」、とロシア調査庁は主張した。

 アメリカ政府はニジェール政権に対するいかなる行動も、「民主主義の強化」を装って行なうだろうと、ロシア調査庁はほのめかした。

ロシアが継承する、プリゴジンのアフリカ・オデッセイ(苦難の旅)

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia Inherits Prigozhin’s African Odyssey
筆者:M.K.バドラクマール (M.K.Bhadrakumar)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年9月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月9日


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ロシアの副国防大臣である大将ユヌス=ベク・エフクロフ(左)が、リビアの軍事指導者であるカリファ・ハフタル陸軍元帥(中央)に贈り物としてピストルを贈る。リビアのベンガジ、2023年8月24日。


 アフリカ、特に西アフリカは、強固な共同体としての一体感がある。一国で起こったことは、大陸全体に広がりやすい。したがって、ガボンでの軍事クーデターが水曜日(8月30日)に起こったのは、フランス大統領エマニュエル・マクロンがニジェールの権力を握る将軍たちに対して厳しい立場を取った翌日であることは偶然かもしれないし、偶然でないかもしれない。

 マクロンは、(クーデター)将軍たちがニアメ(ニジェールの首都)のフランス大使の罷免とその国に駐留する1500人のフランス軍を撤退させよとする要求を一笑に付し、さらにニジェールに攻撃を仕掛ける脅しをかけた。

 明らかに、マクロンはビジネス的な駆け引きのつもりだった。AFP通信は先週、フランス軍参謀本部の広報担当であるピエール・ゴーディリエール大佐が警告したことを報じた。その警告は、「フランス軍は、ニジェールのフランス軍基地や外交施設を危うくする緊張の再燃に対応する準備ができており、これらの基地を保護するための措置が講じられている」というものだった。

 しかし、ニアメの将軍たちは反撃し、フランス外務省に声明文を送りつけた。それには、マクロンの特使であるシルヴァン・イッテ大使が「もはやフランス大使館の外交員としての地位に伴う特権と免除を享受していない」こと、彼自身とその家族の「外交カードとビザ」が「取り消された」こと、そしてニジェール警察がイッテの「追放手続きを進めるように指示された」ことが記されていた。

 この拒絶はマクロンにとって恥辱的だ。今の彼には、振り上げた拳を下ろす以外の選択肢はない。大使の追放に対する怒りを晴らすためにニジェールで惨劇を起こせば、フランスの国際的な評判にとって壊滅的な結果となるだろう。

 また、パリ(およびワシントン)に二の足を踏ませる「既知の未知」*の要素も影響している。ワグナー部隊隊長エフゲニー・プリゴジンの幽霊も登場する。これについては説明が必要だ。
*「問題の答えは分かっていないが、そういう問題があることは認識されている」という状況を指す。(英辞郎)

 信頼性のある情報源はロシアをニジェールのクーデターに関連づけていないものの、ワグナ―部隊を通じたアフリカ諸国への介入(中央アフリカ共和国、スーダン、マリ、そしてリビア)との強いつながりから、答えの出ていない問題が浮上する。もちろん、プリゴジンの飛行機事故の状況は謎に包まれている。ロシアの捜査当局はそれを破壊工作と推定している。

 プリゴジンがアフリカにおける米国/NATOの計画に対する障害であったことは疑いの余地がない。ジョン・ヴァロリ、元ニューヨーク・タイムズ紙、ブルームバーグ、およびロイターTVの外信記者(1992年から2013年までモスクワを拠点とし、「ロシアとウクライナに焦点を当てた米国外交政策の専門家として訓練」された)が最近Substackで書いた魅力的なブログを、以下のように締めくくった:

CIAとキエフは誰よりもたくさんの問題を抱えており、プリゴジンの死を望んでいた・・・ロシアの影響をアフリカに投影することは、プーチンの外交政策の重要な一環であり、ワグナーはその成功の鍵となっている。アフリカの指導者との関係は、プリゴジンの個人的なカリスマ性の上に築かれている・・・ 同様に、プリゴジンとその最高幹部たちを抹殺することで、NATOはクレムリンのアフリカにおける野望に打撃を与えた・・・どんな有名人の暗殺もそうだが、我々は今回のことについてきちんとした真実を知ることは絶対にないだろう。しかし、確かなことが1つある―― アメリカ、特定のNATO加盟国、およびウクライナがプリゴジンの死から最大の利益を手にしているが、クレムリンに利益はまったくないことだ。どの情報を見ても、西側が関与しており、西側がやったことだ、としか考えられない。

 アメリカ主導のウクライナにおける代理戦争は、テロリズムがますますアメリカによるロシア弱体化の武器となる新たな段階に入った。ロシア深部で進められているウクライナのドローン攻撃が、アメリカの技術と衛星データの支援を受けてのことであることは秘密ではない。CIA長官は、CIAのために働くロシア市民を採用するための強力な計画があることを公然と吹聴している。
すべての兆候から見て、プリゴジンの暗殺後、ロシアはワグナー戦闘員を再編成するために動き出しているようだ。モスクワの国防省声明によれば、8月22日にロシアの軍事代表団が初めてリビアを公式訪問した。この代表団は、プリゴジンの主要な連絡役として知られている副国防大臣のユヌス=ベク・エフクロフ大将が率いた。

 興味深いことに、ユヌス=ベク・エフクロフ大将の訪問は、リビア国民軍(LNA)の司令官であり、ワグナー部隊と密接な関係を持つとされているハリファ・ハフタル元帥の招待によるものだった。ワグナー部隊は、リビアの多くの軍事施設や石油インフラの警備を担当していると考えられている。

 振り返ってみると、ムアンマル・カッザーフィーの凄惨な殺害と2011年の政権交代の後、アメリカとNATOの元々の計画を実質的に狂わせたのはワグナーの存在だった。彼らの存在があったから、サヘル地域でのテロ対策を名目にして、同盟の足跡を、リビアを通じてアフリカ大陸に拡大させるという計画が阻まれたのだ。

 言うまでもなく、ワグナーはアフリカにおける大いなるゲームで重要な役割を果たした。プリゴジンの暗殺の背後にある西側の意図が、ワグナーのトップ指導層を殺害し、それによってロシアのアフリカへの影響力を打倒することであったとしても、そんなことは実現しないだろう。モスクワは逆に以前に増して支援に力を入れており、興味深いことにそれを隠すこともしていない。

 この前の火曜日(8月29日)、ロシアの国連常駐代表補佐官であるデミトリ・ポリャンスキーは、タス通信社に対して、ロシアはマリおよび他の関心を持つアフリカ諸国に包括的な支援を継続して提供すると述べた。彼はロシアとマリの安全保障協力に関する「さらなる証拠」が出てくるだろうとの考えを示した。

 実際、リビアを出発し、ユヌス・ベク・エフクロフ大将が率いるロシアの軍事代表団は、ブルキナファソに向かい、イブラヒム・トラオレ大統領に受け入れられた。「双方は、現在の状況と将来の展望を含む双方の軍事および防衛協力について議論した。また、7月末にサンクトペテルブルクでの第2回ロシア・アフリカサミットの際にロシアとブルキナファソの大統領の間で開かれた会議で提起された他の問題にも言及した」とタス通信は報じている

「ロシア代表団団長のユヌス・ベク・エフクロフ大将は、ブルキナファソの過渡期のロシアの支援をトラオレに保証した。彼はまた、ロシアがブルキナファソの人々を発展の可能性のあるすべての分野で支えると述べた」。(強調は筆者)

 再び、今年8月には、マリ(フランス軍の代わりとしてワグナーと契約を結んだもう一つの国)の暫定大統領であるアシミ・ゴイタが、プリゴジンの暗殺後の安全保障問題を話し合うためにプーチンに電話をかけた。クレムリンの公式発表によれば、「アシミ・ゴイタはマリで進行中の出来事について詳細に説明し、同国の指導者たちが状況を安定させ、テロリスト集団との断固たる闘いを展開するための取り組みをしていることをロシア大統領に伝えた。

 これらの展開を総合的に考えると、先週のブルキナファソ、マリ、ニジェールの軍事同盟の形成は、大局的な視野から評価する必要がある。三国の共同声明によれば、ニジェールは、外部からの攻撃があればマリとブルキナファソの武装部隊がニジェールの領土に介入することを認めた。

 端的に言えば、この協定は、ECOWASやフランスによる軍事介入の場合に、マリとブルキナファソがニジェールに軍事支援を提供することを許可している。もし状況が逼迫すれば、ニアメのクーデター指導者たちはワグナーからの支援を求める可能性が高いということだ。

 こういう背景の中で、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の長であるナイジェリアの大統領ボラ・ティヌブが、ニジェールの民主的な統治への復帰について、1990年代末に彼の国が経験した9か月間と似た妥協案を提案した。ECOWASはこれまで、追放されたムハマド・バズム大統領を即座に権力に戻すことを求めていた。それがマクロンの要求でもあった。しかし、ティヌブは二の足を踏んでいる。

アフリカ革命の最前線にいるマリ、ブルキナ・ファソそしてニジェール

<記事原文 寺島先生推薦>
Mali, Burkina Faso and Niger at the Forefront of the African Revolution
筆者:ジェラルド・A ・ペレイラ(Gerald A Perreira)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月7日


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 2023年8月19日、ニジェールのニアメ市で、何千もの若者たちが国を守るために率先してボランティアに取り組もうと列に並んでいる。大統領護衛部隊のトゥーチアニ将軍は、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)および西側諸国(国名は特定せず)に対して繰り返し警告を発している。「我々は再びECOWASまたは他の冒険者に対して、祖国を守るという我々の堅い決意を繰り返す」と述べた。

「ある程度の狂気なしに、根本的な変化は実現できません。この場合、それは従来の公式を捨て去る勇気、未来を創造する勇気から生まれます。今日、私たちが極端な明確さで行動できるのは、昨日の狂人たちのおかげです。私はその狂人の一人でありたい。私たちは未来を創り出す勇気を持たなければなりません。」
– トマス・サンカラ


 歴史は偉大な教師だ。それから学ばなければ、過去の過ちを繰り返すことになってしまう。クワメ・ンクルマ、セク・トゥーレ、モディボ・ケイタ、そしてマリアン・ングアビなど、早期のアフリカの独立後の指導者たちは経済的独立と真の独立のための持続的な闘いについて語った。ウォルター・ロドニーが「ブリーフケース独立」と呼んだもの、または私が「旗と国歌の独立」と呼ぶ偽りの独立の罠をよく理解していたこれらの指導者は、それぞれの国家解放闘争を完成させるために、自国の国民を組織し動員した。しかし、西洋の帝国主義とその手先、あるいは中国の革命指導者である毛沢東が「帝国主義の使い走り」と呼んだ「帝国主義の使い走り」はこれらの先見の明ある指導者を転覆させるか、あるいは暗殺した。歴史を通じて多くの征服者と同様に、帝国主義者は反動的な政権と西洋の軍事的資産から支援を受け、アフリカを永続的な依存と隷属状態のままにし、大陸の強姦と略奪を続けるための悪辣な計画を達成した。

 フランツ・ファノンが、その重要な著作『アフリカ革命への道』で述べた観察は、1964年、初めて出版された当時と同じくらい今日でも重要だ。ファノンは「アフリカの敵の大成功は、アフリカ人が妥協したからだ」と指摘した。妥協したアフリカ人が、ルムンバの殺害に直接関与したことはほんとうだ。しかし、傀儡政府の指導者として傀儡的独立の中に身を晒し、日々自国民の大規模な反対に直面していた。コンゴの真の独立が彼らの身を危険にさらすことを納得するのにあまり時間はかからなかった。

 時を2023年に早送りする。まるで妥協したアフリカ人としての自分の地位を確認するかのように、ECOWAS議長であるナイジェリアの大統領ボラ・ティヌブは、西アフリカでのクーデターの頻発が「警戒すべきレベル」に達したとの懸念を表明している。もちろん、彼にとっては警戒すべきことであり、自分が掃き捨てられる次の新植民地主義の指導者になるのでは、と心配しているのだ。

 多極化する世界が浮かび上がる中、アフリカ全土で人々は立ち上がり、数十年にわたる新植民主義的支配、搾取、そして偽の独立に異を唱えており、アメリカと西ヨーロッパに対する関係よりも、ロシアと中国との関係をよしとしている。政治的レベルで何が起ころうとも、大衆が立ち上がり、本当に意義ある変革が起こるのだ。歴史は大衆が作り出すもの。彼らはただその時を待っているだけ。転換点とその時は今ここにある。

 アフリカ、カリブ海、南アメリカ、そしてグローバル・サウス全体では、学問の象牙の塔に身を置く多くの人々よりも、現地の人々の方が、世界で何が起こっているのかをより明確に理解する場合が多い。学者たちは、しばしば頭が混乱する。ガイアナの最貧地域の、自分の住む地域から遠く離れた場所に行ったことがない、本を手にしたことがない、あるいはインターネットすら利用できない、そんな人々がムアンマル・カダフィの殺された理由を非常にはっきり理解している。他方、世界的に評価されたガイアナの経済学者で、自分の考えを持たない理論家であるクライブ・トーマスは、帝国主義者たちが口にする「カダフィは去らなければならない」というセリフをオーム返しにしていた。大衆にとって、知識は本や他人の話から得られるものではない。したがってそれは肉体から切り離されてはいない。経験を欠いた知識は抽象物になる。そうなれば、グローバル・サウスの人々が被る底知れない苦痛や、私たちが経験する不正義が私たちの生活のあらゆる側面に与える壊滅的な影響をほんとうには理解できなくなる。これは、私たちの生活のあらゆる側面に影響を及ぼす。私たちや私たちの愛する人々が生き残れるのかどうか、という問題にも関わる。

 したがって、この地球上の何百万人もの人々に毎日影響を及ぼす苦痛を真に理解できるのは、苦しんでいる人々自身だけだ。ガイアナには「感じる者が知っている」という言葉がある。否応なく問題を考え、自らそれに立ち向かうことになった人々こそが、最終的に変革を実現する人々だ。その人たちが、ニジェールの革命家たちを支持するために、8月7日、スタジアムを埋めた。彼らはニジェールの上空を閉鎖し、降伏を拒否した。私がこの記事を書いている間に、何千人もの人々がニジェールを守るために自分の名前を登録している。彼らは、ナイジェリアとガーナで、自国(政府)が提案したニジェールへの軍事介入に反対している。彼らには、これが特に米国とフランスを含む帝国主義者によって生み出された代理戦争であることが痛いほどわかっている。ハイチでは、ジミー・シェリジエを理解し支持している人々だ。一方、米国とフランスに居住し、その象牙の塔から意見を発表しているハイチの活動家たちに至っては、ハイチ街頭で立ち上がった人たちは犯罪者だとする西側の言い分にまんまと嵌ってしまっている。ハイチ街頭に繰り出した人々は良心に目覚めたのであり、内輪で争う代わりに、自分たちの圧制者と戦っているのだ。

「人々が立ち上がれば、帝国主義は恐怖に慄(おのの)く」。
―トマス・サンカラ


 独立後の革命的なアフリカの指導者たちの道を阻んだ裏切り者の政治後継者たちは、今やブルキナ・ファソのイブラヒム・トラオレ、マリのアシミ・ゴイタ、ニジェールのアブドゥラフマン・ティアニといった新世代のアフリカの革命的指導者の邪魔をし、殺害する方法をたくらんでいる。すべて「民主主義」という名の下におこなう。しかし、それはリベラルな民主主義であり、西洋の植民地支配の押しつけであり、民主主義の幻影であり、アフリカ大陸を混乱、持続的な貧困、慢性的な依存症に陥れた罠だ。これが新植民地制度の特徴なのだ。ブルキナ・ファソ、マリ、ニジェールの革命クーデター指導者たちは、この奴隷化の鎖を断ち切ろうと決意している。同じ鎖をイムラン・カーンもパキスタンで断ち切ろうとしている。

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アブドゥラハマネ・チアニ将軍、ニジェール

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イブラヒム・トラオレ大佐、ブルキナ・ファソ

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アシミ・ゴイタ中佐、マリ

「帝国主義は、搾取のシステムだが、領土を征服するために銃を持ってやってくるだけではない。貸付、食糧援助、脅迫など、より巧妙な形でおこなわれることが多い。私たちは、地球上のほんのわずかな人々が全人類を支配することを可能にするこのシステムと戦っている。」
―トマス・サンカラ


 クワメ・ンクルマの言葉によれば、「新植民地主義は帝国主義の力強さのしるしではなく、むしろその最後の恐ろしい絶息の兆候だ」。帝国は、それが統治の終わりに達したことを、公然とは認めないにしても、知っている。帝国の力と影響力は、たとえ1年前には考えられなかったほど速く衰えており、実際にはその最後の恐ろしい絶息を迎えている。公には、アメリカと西ヨーロッパは依然として世界の舞台で、いつもどおり、高慢な大言壮語を弄しているが、閉じられた扉の向こうではパニック状態だ。

 妥協したアフリカ人たちのこの新たな集団は、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の傘下で、もちろんフランスとアメリカの支援を受けて、ニジェールへの軍事介入を推進し続けている。しかし、私がこれを書いている間に、それが失敗に終わる運命にあることを悟り、その致命的な間違いを犯すのをやめている。西側の企業メディアは、ニジェールに「民主主義」を!と、相変わらず、弱弱しい鳴き声を上げているが、クーデターの指導者たちが圧倒的な人々の支持を受けているという事実を無視している。圧倒的な人々の支持が民主主義ではないのか? BBCは、アメリカとEUはニジェールの「政治的な混乱」に外交的な解決策を見つけようとしている、と同じことを繰り返し報道している。事実は、ニジェールの人々はクーデターに圧倒的な支持を表明し、混乱などはない。帝国主義者たちは、クーデターの指導者とロシアが受けている広範な支持と、自分たちに向けられている憎しみの大きさがわかって、混乱状態にあるのだ。

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人民が歴史を創る - ニジェールの街頭でのクーデター支持者、「フランス打倒、プーチン万歳」

 ECOWASは、既存の政治的および経済的な体制を維持するために帝国主義者と共謀する、新植民地主義の組織だ。それは黒い仮面をつけた白人至上主義だ。明らかに、ブルキナ・ファソ、マリ、そしてニジェールのクーデター指導者たちはこれがよくわかっている。これらの三つの国はECOWASの参加国だ。しかし、彼らが追放した西側寄りの傀儡政権とは異なり、見かけだけの独立と偽りの自由主義民主主義を超えようと決意した革命家たちだ。ナイジェリアなど無用な新植民地主義国家は、侵略など口にしないで、自国民の苦難に注意を払うべきだ。NATOがリビアを灰燼状態にしていた時、これらの「帝国主義の忠犬ども」はどこにいたのか? 真実はこうだ。自分をアフリカの指導者と呼ぶ一部の臆病者たちは、リビアを破壊するという押しつけ決定に足並みを揃えていた。アフリカ革命の高まる潮流によって、彼らがいずれ一掃されるのは時間の問題だ、というのは耳よりの話だ。

 なぜECOWASが提案した侵略(もちろんフランスとアメリカの支援を受けて)が、最初にニジェールに示した期日が過ぎても実現しなかったのか? その理由は、彼らは当時わかっていたし、今ではもっとよくわかっている。彼らは軍だけでなく、既に真の独立と真の主権がもたらす尊厳を味わったニジェールの人々とも向き合わなければならなくなったのだ。さらに、これら妥協したアフリカ人たちは、自身の恥知らずで裏切り的な行動が今以上に暴かれるだろうし、それが自国でより大きな混乱を引き起こすだろう、とびくびくしているのだ。

 ニジェールのクーデター指導者たちは、避けて通れない勇敢な一歩を踏み出した。フランスの新植民地主義の支配者を追い出すだけでなく、金やウランなどの貴重な原材料の供給を停止するという脅しをかけた。これは帝国主義の世界に衝撃波を送った。ウランの供給停止は、フランス政府にとって特に恐ろしいことであり、ニジェールからのウランはフランスの原子力発電所の一部を動かすために使われている。フランスは、Orano社(以前はAreva社として知られていた)という多国籍鉱業会社の主要株主であり、この会社はニジェールで約50年間にわたりウランの採掘を行なっている。世界原子力協会(World Nuclear Association、WNA)によれば、ニジェールは世界で7番目の量のウランを生産し、アフリカで最高品質のウラン鉱石を持っている。Orano社は一部の鉱山を既に枯渇させたが、彼らはニジェールのイムラレン鉱山に目をつけて国にとどまる決意をした。それは世界最大のウラン埋蔵地の1つとしてリストされており、Orano社はそれを自社のウェブサイトで「未来の鉱山、イムラレン事業」として言及している。

この豊富な資源にもかかわらず、ニジェールは世界で最も貧しい国の一つだ。これでフランスの不正な利益が何たるかのすべてがわかる。フランスでは、3つの電球のうち1つはニジェール産のウランによって点灯しているが、ニジェールではほぼ90%の人口が電気を使えていない。これが、フランスがニジェールで取り戻そうとしている「民主主義」なのか?

 フランスの18つの発電所にある56基の原子炉を運転するために、年間約8,000トンのウランが必要だ。このウランは主に3つの国から供給されている:カザフスタン(27%)、ニジェール(20%)、ウズベキスタン(19%)。ニジェールは世界全体の生産のわずか5%を占めており、カザフスタン(43%)、カナダ(15%)、ナミビア(11%)、オーストラリア(10%)に遠く及ばない。そして、フランスはニジェールのウランなしでも何とかなるが、ニジェールが設定している前例こそが、フランスと西側全体にとって最も懸念すべき点だ。1973年にリビアの石油会社を国有化し、主要な西側の都市で燃料なしの日々を含む絶望的な措置を引き起こしたムアンマル・カダフィ以来、帝国主義者たちがこれほど恐怖心を持ったことはない。1957年にフランソワ・ミッテランが大胆に認めたように、「アフリカがなければ、21世紀においてフランスの歴史はないだろう」。

アフリカこそ世界の真の超大国

 以前書いた通り、アメリカと西ヨーロッパが最も恐れているのは、団結し、自由で独立したアフリカであり、その資源を搾取的な方法で取り出すことができない状態だ。決して忘れてならないのは、西洋世界の発展は、奴隷状態にしたアフリカ人の数百年にわたる無償労働、そして植民地政策の開始から現在までアフリカの資源を略奪することで可能になったことだ。彼らは、団結し独立したアフリカが世界的な力の均衡を完全に変えることを知っている。アフリカが西洋諸国へのすべての原材料の供給をたった1週間止めた場合、これらの国々は停滞するという事実は十分に証明されている。

 2007年、ギニアのコナクリで、カダフィは数千人の群衆の歓声を浴びながら、単純な話をした。「私が人々にペプシコーラとコカコーラについて尋ねると、人々はすぐにそれがアメリカやヨーロッパの飲み物だと言います。そうではありません。コーラはアフリカのものです。彼らは安い原材料を私たちから取り、それを飲み物にして、高い価格で私たちに売りつけています。私たちはそれを自分たちで生産し、彼らに売るべきです。」

 これこそ、革命指導者イブラヒム・トラオレがブルキナ・ファソで原材料の製造と加工を増やすための計画を実施する際に述べている要点だ。これはもちろん、持続的な貧困と依存から国を解放するための基本的な方策だ。原材料の輸出を停止し、現地で最終製品を生産し始めると、経済的な自由と人々の繁栄を実現することができる。

 歴史のこの重要な分岐点で、アフリカはついに自らが持つ巨大な力を認識し始めている。今こそ、新たな機会なのだ。世界的な出来事が力の均衡を変えつつあり、中国とロシアはアフリカが世界の舞台で正当な場所を占めようとする試みを支持している。これは見逃すことのできない、奪われてはならない瞬間だ。私たちの力を実感するには、心の持ち方を変えればいい。自分たちを精神的な監禁から解放すればいいだけのことなのだ。現代の産業およびハイテク経済を運営するために必要なほとんどの自然資源、ウラン、金、銅、コバルト、コルタン(携帯電話、ビデオゲーム、ラップトップ向け)、プラチナ、ダイヤモンド、ボーキサイト、特に大規模な石油埋蔵地など、ほとんどはアフリカに存在する。アザニア(南アフリカ)だけでも、世界の金埋蔵地の半分が存在する。コンゴ民主共和国には世界のコバルトの半分と世界の既知のコルタン埋蔵地の80%がある。世界のアルミニウム鉱石の4分の1が西アフリカの沿岸帯に存在し、アフリカ大陸は石油埋蔵地で溢れている。

アフリカと世界中のアフリカ人にとっての決定的な瞬間として、私たちはアフリカが持つ力の一端を垣間見ている。イブラヒム・トラオレ、アシミ・ゴイタ、そしてアブドゥラマネ・ティアニは、ガーヴィ、ンクルマ、サンカラ、カダフィなど、植民地主義、新植民地主義、そして帝国主義の束縛から解放されたアフリカを想像した偉大なアフリカの自由闘士たちの考え方を体現している。

 彼らは長年にわたる帝国主義の武器に立ち向かっているのだから、私たちは彼らを支援するために団結しなければならない。彼らを悪魔化するためのいつもどおりの全面キャンペーンはすでに開始されている。彼らの心理作戦全体は洗練された欺瞞プログラムに基づいている。それが失敗すれば(失敗するだろう)、「王様な裸だ!」と、現在、世界中の人々が気づいているのだから、彼らが次に取る手段は、過去におこなったように、私たちの中の新植民地主義提督、たとえばナイジェリアのティヌブ大統領を利用した軍事介入になるだろう。

 妥協したアフリカ人はさまざまな形で現れる。ボラ・ティヌブははっきりしている。帝国主義者と公然と協力した行動しているため、簡単に見分けることができる。しかし、私はアフリカの指導者たちの演説にそんなに興奮しない方がいいのでは、と思えるたくさんの人々を見てきた。彼らの演説は理屈の世界を堂々巡り。だから彼らも妥協したアフリカ人なのだ。ケニアのウィリアム・ルート大統領などがその一例。彼は優れた弁士であり、彼の演説は約束で盛りだくさん。バラク・オバマの演説と同じだ。実際、最近のウィリアム・ルート大統領が示した自由で独立したアフリカの構想は、まさに革命的なものだった。私は悲観主義者になりたくはないが、話しがうまいことと断固とした行動を起こすことは別物。残念ながら、ウィリアム・ルート大統領の話には多くの矛盾があるため、彼は、どう考えても、妥協したアフリカ人ということになる。

 ウィリアム・ルート大統領は新しい財政体制を求めているが、現行の財政モデルが基づいている新自由主義資本主義の体制の解体については何も言っていない。それは、彼の中道右派の政党である統一民主同盟が固執している思想理念は新自由主義資本主義であるからなのだ。彼は不公平な体制内で公平な財政体制を持ちたいと考えているが、そんなことはできるはずもない。彼の「アフロセントリック(アフリカ中心主義)」という言葉は「アフリカ」と同じだと私は確信している。思想的な概念なんかではない。彼は、我々のアフリカの国土をより良くすることを訴えているが、我々の祖先を植民地化し奴隷化した体制が今もなおアフリカを荒廃させている中で、そのような改善を求めている。他ならぬこの体制が、上述した指導者たちを排除し、新しく公正な経済および金融秩序をもたらす試みの邪魔をしてきたのだ。そして、他ならぬこの体制の擁護者と強制者たちが、マリ、ブルキナ・ファソ、そしてニジェールの革命的な指導者たちに反対の立場で一列に並んでいる。ここに、彼の演説の矛盾があり、空々しさがある。

今度は「我々が」「彼らに」制裁を加える番だ。

アフリカには、ついに、植民地主義と新植民地主義の最後の名残を取り除くときが来た。自己決定権を尊重するため、西側資本に対する戦略的資源の供給停止がやむを得ないなら、それもよかろう。私たちの神から授けられた権利を尊重しない西側資本に対して制裁を課すときが来た。西側諸国によるロシアへの制裁が完全に裏目に出て、ロシアは経済的に強力になり西側は孤立した。経済崩壊の危機を西側にもたらしたことは、すでに世界に示された事実だ。西側の覇権は終ったのだ。

 アフリカは、ついに世界のテーブルで平等な仲間としてその地位を確立し、人々に繁栄を要求する最良の機会をつかんだ。世界的な汎アフリカ運動とアフリカの大衆はこれを求めて叫んでいる。今こそ、その時だ。世界中のアフリカ人は、この力を実現するために指導者に最大限の圧力をかけなければならない。せめてこれだけのことは、私たちの時代以前に、この夢を実現するために戦い、死んだ人々のために私たちはしなければならない。この流れに乗れないアフリカの指導者は排除しなければならない。ECOWASによるニジェールへの侵略を許してはならない。

 私たちの目の前で起こっている世界的な変化は、最近の現象ではなく、数十年にわたり積み重ねられてきたものだ。アメリカと西ヨーロッパは長い間、閉ざされた扉の後でパニック状態にある。彼らは世界に対して反ロシアと反中国の宣伝工作がうまくいくと考えていたが、それは大失敗。彼らひどく困惑している。ますます多くのアフリカの若者たちが、ロシアの旗を振って街頭に出ている。特にアフリカを含むグローバル・サウスの人々の経験は、もちろん、西側宣伝とは対照的だった。西洋による数世紀にわたる搾取と大量虐殺政策を経験した彼らは、アフリカやグローバル・サウスのどこにも植民地を持たなかったロシアと中国が、西洋の支配と南アフリカのアパルトヘイトからの解放のための闘いで彼らを助けた事実を決して忘れていない。

 2007年にフィナンシャル・タイムズ紙に掲載されたW. WallisとG. Dyerの記事では、「西側列強の真の懸念は、アフリカ諸国がIMF/世界銀行の融資や他の形式の欧州やアメリカへの財政的依存から解放されるために中国の提案を選択することだ。アフリカで2番目に大きな石油供給源であるアンゴラは、今やIMFの融資を完全に拒否している。あるコンサルタントが述べたように、彼らは石油収益を持っているからIMFや世界銀行は必要ない。彼らは中国とアメリカとを競合させることができる」とある。

 「アフリカの豊富な石油に関する中国とアメリカの新しい冷戦。ダルフール? それは石油、愚か者・・・」という別の記事の筆者ウィリアム・エングダールによれば、「今日、中国は推定で石油の30%をアフリカから引き出している。それは一連の外交的取り組みの結果であり、アメリカが怒り心頭となっている点だ。中国は紐づけをしないドルを使ってアフリカの膨大な原材料の富に手を伸ばしている。世界銀行とIMFを使ったワシントンの典型的なやり口は、眼中にない。中国が分割支払いで、道路と学校を建設するのに、IMFの苦い薬を誰が必要とするだろうか? これはアフリカにとって何を意味するのだろうか? 単純に言えば、私たちが今、取引き相手を選択できるということであり、すべての取引き相手が交渉を難しく進めても、より良い条件を出し、さらに、自己決定権を尊重する仲間もいるということだ」と指摘している。

黒人の力-アフリカの力!

 今こそ、ンクルマとカダフィの大計、つまりアフリカ連邦の実現に向けて全力を尽くすときだ。この記事を書いている間にも、アルジェリアがニジェールでの軍事作戦に対するフランスの要請に、その領空を使用することを拒否したというニュースが舞い込み元気づけられた。アルジェリアのアブドルマジド・テブーン大統領は、「軍事介入はサヘル全域を引火させかねず、アルジェリアは隣国と武力を行使しない」と述べた。このような統一と力を実現できるとき、私たちは世界で正当な場所を占めることができるようになる。最終的には、我々は自分たちの条件と利益に基づいて世界に関われるようになるだろう。人口10億人を背景に、アフリカはだれも無視できない要求をすることができるようになるだろう。

 2009年、アディスアベバでのアフリカ連合(AU)の会議で、カダフィは西ヨーロッパとアメリカのアフリカに対する態度について、次のように述べた。「彼らが私たちと平等に共存したくないのであれば、この地球は私たちの星であり、彼らは他の星に行くことができることを知っておくべきです」。

平等と公正が私たちの求めるすべて。不平等と不正だけを恐れるべき。

帝国主義はアフリカにおいてのみ埋葬できる・・・

 2011年の記事で、私はセク・トゥーレの大胆な主張をタイトルに挙げた:「帝国主義はアフリカで埋葬されるだろう」。西側の評論家にとっては楽観的に見えるかもしれない。実際、一部の評論家は現実に基づいていないと主張し、むしろ帝国主義の力によって私たちが押しつぶされていると主張した。しかし、革命的な汎アフリカの視点から見ると、それはただ不可避と見なされる。帝国主義はアフリカでしか打倒できない。世界中で革命的な闘争がおこなわれているが、特に中南米全域で顕著だが、アフリカが自由であるときに帝国主義は最終的に埋葬できるのだ。なぜなら、アフリカこそが帝国主義者の存在と宇宙時代を支えているのだから。

敵の計画をあらゆる点で阻止する明確な分析と戦略を提供する責任はアフリカ大陸内外の革命的な汎アフリカ組織/運動に責任がある。私たちは、米国と西ヨーロッパの帝国主義、彼らが創造し、資金提供し、仲立ちしているいわゆる「ジハーディスト」(別名、NATOの歩兵)と彼らが広げ、混乱を引き起こしているもの、および彼らの新植民地主義的政権の邪悪な害から自分自身を解放しなければならない。決断を迷い、ぐずぐずする時間的余裕はない。アフリカで帝国主義を一掃しなければ、私たちは確実に滅びるだろう。

 リビアのジャマヒリヤの破壊とムアンマル・カダフィの暗殺の後、ベテランのアフリカの自由闘士でナミビアの元大統領であるサム・ヌジョマは、アフリカ連合の弱さに非常に批判的で、「リビアへの爆撃を止めるために軍事的に動員することに失敗し、アフリカ連合はリビアの領土の完全性を守るために彼らの部隊を動員すべきだった」と述べた。彼は以下のように忠告した。「アフリカ人は戦争について話すべきだ。それが西側諸国によって最も理解される言語なのだから・・・帝国主義者たちは戦い以外の言葉を理解しない。私たちは彼らと戦うことで、彼らを私たちの大陸から追い出した。ナミビアやジンバブエなどで戦わなかったら、私たちは、今日、自由ではないだろう。今こそ、再び彼らと戦う準備をしなければならない・・・」 マリ、ブルキナ・ファソ、ニジェールの勇敢な革命家たちは彼の呼びかけに応じ、確実にその先頭を切っている。私たちは彼らに敬意を表し、あらゆる面での支援を誓う。全アフリカ人民革命党(AAPRP)が2023年アフリカ解放記念日に「新植民地主義を打破し、アフリカの人々は革命の準備ができている」をテーマとしたのは偶然ではない。

 最後にクワメ・ンクルマの次の不滅の言葉を引用する:

「私たちは目覚めたのだ。もう眠ることはない。今日、これから、世界に新しいアフリカ人が存在するのだ」。

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ジェラルド・A・ペレイラは作家、教育者、神学者、政治活動家です。彼はガイアナに拠点を置く「人民の勝利のための組織」(OVP)の議長であり、カリブ・パンアフリカ・ネットワーク(CPAN)の幹部の一員でもあります。彼はリビアのジャマヒリヤに多くの年月を過ごし、トリポリに拠点を置くワールド・マサバの創設者のひとりでした。彼にはmojadi94@gmail.comで連絡できます。

アフリカにおける戦争とアメリカ:白人世界至上主義終焉の加速化

<記事原文 寺島先生推薦>
War in Africa and the Americas: Accelerating the End of White World Supremacy
筆者:エイジャム:バラカ (Ajam Baraka)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月29日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月6日


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 最近、アメリカはペルーに軍隊を配備し、ペルーでのクーデターを支援した。それに続いて、エクアドルにも軍隊を派遣し、さらにアフリカからケニアとルワンダの軍隊をハイチに送り込む奇妙なAFRICOM(米軍アフリカ司令部)の計画があり、これはハイチのアリエル・アンリ違法政府を支援するものだ。それは黒人の顔をした白人至上主義とも言える。

 これは狂気だ、やけくその狂気だ!

 最悪の悪夢にとりつかれながらフランスは、自分たちが作り上げたアフリカ帝国から追放されつつある。フランスは絶望的な気持ちでニジェールに踏みとどまった。マリから追放された後、フランスは自国の軍隊をニジェールに再配置せざるを得なかったのだ。軍事政権がニジェールで権力を握り、市民は首都ニアメーの街路にロシアの旗を掲げ、ドローン基地を持つフランスとアメリカを国から追放するよう要求している。それにはアガデズに1億ドル以上の建設費をかけたすべてのドローン基地の母体とでも言うべきものも含まれている。

 しかしながら、彼らが平和的に去ることはないことを私たちは知っている。イラクの人々はアメリカに去るよう要求したが、彼らの軍隊はまだそこに残っており、石油と小麦を盗んでいる。ハイチの人々は介入を望んでいないが、白人至上主義の傲慢さと精神病理学は、その指導者たちに世界中の民族の声を無視し、自分たちが一番わかっているもの、すなわち暴力と支配に頼ることを強制している。

 西欧列強がなぜように行動するのかは、謎でも何でもない。彼らは今、これからの世界の流れに直面している。それは、自分たちの意志はもう押し付けられないし、世界中の民族と大地がより偉大な栄光のために生み出した価値を横取りできなくなるという流れだ。そして西欧列強が下した結論とは、西洋の覇権を最初に確立した手段に立ち戻らなければ、なのだ。その一番過激な表現は戦争だ。

 ヨーロッパの植民地支配者と植民地化された「他者」との関係の中心にある暴力は、1492年にヨーロッパ人たちがヨーロッパからアメリカに流れ込んで以来、変わっていない。ただし、その表面的な形が変わっただけだ。

 1945年の第二次帝国主義戦争(すべての戦争を終結させるはずだったと考えられていた戦争、少なくともヨーロッパではそう考えられていた)終結以来、新たな西側帝国主義世界の指導者としてのアメリカは、人権と民主主義への関与を宣言した。しかし、(実際にやったことはと言えば)全大陸で戦争を起こし、政府を転覆させ、反植民地闘士を殺害し拷問し、欧州同盟国による血なまぐさい戦争を積極的に支援したことだ。

 植民地を持つことは、西洋の優越性の命脈であり、植民地支配強国はアルジェリアからジンバブエとなった地域にわたって、その命脈を古典的な方法と新しい方法で維持するために戦争を繰り広げた。彼らのやり方は、アルジェリア、ケニア、イスラエル、南アフリカなど、白人入植者が多数を占めていた地域で最も残酷だった。彼らの目標は、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、そしてオーストラリアで「うまくいった」白人入植方法をそのまま繰り返すことだ。そこでは先住民族を征服し、彼らの土地を奪い、しばしば子供たちも奪い、生存者を今日まで植民地の束縛下に置こうとした大量虐殺的手法だ。

 しかし、変化の兆しが漂っている。アメリカのイラクとアフガニスタンでの敗北、そしてウクライナでの敗北(まだアメリカ国民には発表されていない)が露呈したことで、グローバル・サウスに属する民族、特にアフリカの民族は、白人植民地主義/資本主義支配の機関から与えられ続けている屈辱を受け入れる気分ではなくなっている。

 こういった流れの中で、15か国の西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)が、アフリカのエリート層とその西側上司の代理として、軍事クーデターで失脚した大統領モハメド・バズームを権力に復帰させるために、1週間以内にニジェール軍に対して「必要なすべての措置」、場合によっては「武力の行使」も講じると発表したのだが、数年前とは異なる反応があった。過去とは異なり、西側エリート層が新植民地の傀儡を通じて命令を出しも、彼らが黙って言うことを聞く時代ではなくなったのだ。アルジェリアは、西側列強がニジェールを攻撃した場合、見て見ぬふりをしないと述べ、ギニア政府やブルキナファソ、そしてマリの軍指導者も、アメリカとフランスがニジェールを攻撃した場合、たとえそれがECOWASの黒人代表を通じて行われたとしても、戦争を辞さないと脅迫した。

 「平和は紛争の不在ではなく、世界を解放し、国際的な紛争、核武装と拡散、不当な戦争、および植民地主義、帝国主義、男性優越主義、白人至上主義を含む抑圧的な国際体制を打ち破ることによって達成された、民衆の闘争と自己防衛の成果だ」。(BAP*統一の原則)
*Black Alliance for Peaceは、戦争、抑圧、帝国主義に対する人々中心の人権プロジェクトであり、その結成の財政スポンサーは「オープン・コレクティブ」。この団体の使命は、「急進的な黒人運動の歴史的な反戦、反帝国主義、平和賛成の立場を取り戻し、再開発すること。(ウィキペディア)

 平和の闘いは、アメリカを中心とする西側帝国主義に対する闘いであり、西側帝国主義は依然として人類全体にとって最大の実存的脅威であることを、自らさらけ出し続けている。アメリカは、自身のグローバル(おそらくは惑星レベル?)覇権を維持するための事業計画を指導する「フルスペクトラム・ドミナンス(全領域支配)」と呼ばれる国家安全保障戦略に対する関与を厚かましく宣言しており、この教義は、NATO軍事連合の傘下にある国々からのヨーロッパの支持に支えられている。

 西側帝国主義は、物質的および制度的手段を通じて白人の力を維持し、拡大する。そして、グローバルな白人の力とは何を意味するのか? それは、国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関、グローバルな銀行組織の支配、NATOおよびアメリカのグローバル軍事機関の他の部門、そしてアメリカドルの覇権を通じた西側の支配だ。BAPは白人の力をこんな風に定義している。

 しかし、そこにはとどまらない。

 白人の力と白人至上主義の思想は不可分に結びついている。白人至上主義の考え方は、現在ヨーロッパと呼ばれる地域の人々の子孫が、人間の発展の最高の例だと主張し、その文化、社会制度、宗教、そして生活様式が本質的に優れているとする立場を取る。この思想的立場は、国際的資本主義の文化的および思想的な装置によって正当化されており、メディア、エンターテインメント業界、そしてビッグテック(巨大情報技術企業群)などがこれを普通の状態だとしている。

 BAPにとって、白人の力と白人至上主義は「人種としての白人の個人的な態度や価値観に単純化されるべきではなく、それは支配の構造として見るべきであり、アメリカとヨーロッパ社会のあらゆる側面に思想的に根付いているため、それが一般的な常識として規範化され、結果として常識一般となってわれわれの目には見えなくなっているのだ」。

 バラク・オバマ、カマラ・ハリス、ロイド・オースティン、ドナルド・トランプ、アンダーソン・クーパー、ジョー・バイデン、ポール・カガメ(ルワンダの大統領)、ウィリアム・ルト(ケニアの大統領)そしてアメリカの多くの黒人指導層は白人至上主義者だ。

 白人至上主義の正常化と白人の力の受け入れを当然とすることは、黒人哲学者ルイス・ゴードンが主張するように、社会全体の自己欺瞞を必要とする。これは、覇権的な自由主義哲学の伝統で語られる理性と歴史の限界を露呈させるだけではない。植民地支配を通じてヨーロッパ中心主義が普遍化される過程で、白人至上主義と白人の力は歴史と理性を否定することになる。「存在の植民地化」は抽象的な哲学的概念ではない。それは現実であり、だからこそ、私たちが脱植民地化を進める中で変革すべき基本的な対象となる。

 だからこそ、私たちは、ハイチ、ニジェール、キューバ、パレスチナ、そしてアメリカのバリオ(スペイン語話者の居住区)や労働者層「低所得者地域」における福祉、人間性、民主主義、そして「人権」に、今日、ヨーロッパ世界が、関心を抱いているという前提を拒否するのだ。ヨーロッパ世界は、フランツ・ファノンが「非存在の領域」と呼んだものを、彼らが植民地化したすべての地域に創り出したのであり、植民地化された人々の人間性を完全に拒絶し、土地と民族を最も無慈悲で野蛮な形で利用したのだ。

 ナンセンスだ。

 ヨーロッパ人たちは、今日、新たに見出した「人道主義」と「保護責任」という用語を使って、彼らがアフリカ人や他の植民地化した民族を追いやった永続的な「他者」という歴史的カテゴリーを実際変えたと信じるのは、考えが甘すぎると言われても仕方がないだろう。アメリカの入植地植民地の文脈で、最高裁判所長官ロジャー・タニーは、1857年のドレッド・スコット判決で、アフリカ人は、「白人が尊重すべきいかなる権利を持っていなかった」と宣言しているのだ。

 そう、私たちは、この地球上の人類史上最も凶悪な帝国の支配階級が語る高尚な宣言に惑わされることはないだろう。

 アメリカとヨーロッパの資本主義支配階級は、白人の世界覇権の終焉を回避させるために戦争を継続的に戦うことを決意している。このことは、アメリカのグローバルな指令構造、800以上の軍事基地、恐ろしいほどの軍事予算への両党の支持、NATO、そしてウクライナにおけるアメリカとロシアの代理戦争によって証明されている。また、警察力の軍事化、大量投獄体制、私たちの組織への浸透、妨害、および破壊、Uhuru 3*の起訴、反対派を犯罪化するための「国内テロリスト」の利用回数が増えていることなどで明らかだ。
*ウフル運動は、1972 年に設立されたアメリカを拠点とする社会主義者およびアフリカの国際主義者運動であり、オマリ・イェシテラが議長を務めるアフリカ人民社会党が率いている。(ウィキペディア)この運動の活動員3人が、セントピーターズバーグ市(フロリダ州)で、ロシアの影響を受けた選挙活動をした容疑で連邦機関から訴追された。

抵抗の線が引き直されている

 アフリカ大陸と離散しているアフリカ人に再度指導されて、ハイチへの武力攻撃に対する人々の抵抗が実行されるだろう。大陸では、マリとブルキナファソの指導者たちが、ニジェールへの帝国主義的な攻撃をマリとブルキナファソへの攻撃と見なし、同様に対応することを一点の曇りもなく明確にした。

 西側が仕掛けている戦争は激化している。今、その一方的な戦争がより効果的な抵抗に取って代わられる新たな時期に移行している。私たちがすべきことははっきりしている:白人の世界覇権が人類全体に対して突きつけている実存的な脅威を終結させる速度を加速させることだ。

フランスが息次ぐ間もなく「新アフリカ」は台頭する

<記事原文 寺島先生推薦>
No Respite for France as a ‘New Africa’ Rises
筆者:ペペ・エスコバル (Pepe Escobar)
出典:INTERNATIONALIST 360°2023年9月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>2023年9月5日


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 ドミノのように、アフリカ諸国は次々に新植民地主義の枷から解放されつつある。チャド、ギニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、そして今度はガボンも、フランスによるアフリカの財政、政治、経済、そして安全保障に対する長年の支配に「ノン(いいえ)」と言っている。

 先週のヨハネスブルグでのサミットで、新たに2つのアフリカ諸国が加盟国となり、拡大されたBRICS 11の到来を告げたが、ユーラシア統合はアフロユーラシア統合と不可分に関連していることが再び示された。

 ベラルーシは現在、BRICS 11、上海協力機構(SCO)、およびユーラシア経済連合(EAEU)の間で共同サミットを開催する提案をしている。これらの多国間組織の収束に対するアレクサンドル・ルカシェンコ大統領の展望は、やがて、「すべての多極性サミットの母」と呼ばれるものへの道を示すかもしれない。

 しかし、アフロユーラシアははるかに複雑な課題だ。アフリカは、ネオコンの枷(かせ)を打破する途上では、ユーラシアの仲間たちに比べてまだ大きく遅れている。

 現在、アフリカ大陸は、植民地支配の深く根付いた金融および政治的植民地主義的機関との闘いにおいて、非常に困難な状況に直面している。特に、フランス通貨の覇権であるフランCFA(またはCommunauté Financière Africaine、アフリカ金融共同体)を打破することに関しては、非常に困難な状況にある。

 それでも、ドミノは次々と倒れている。チャド、ギニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、そして今度はガボンだ。この進行過程は、すでにブルキナファソの大統領イブラヒム・トラオレ大佐を、多極世界の新たな英雄に変えた。西部アフリカと中央アフリカで、3年も経たずに、8回のクーデターによって表れた動きを、ぼんやりと混乱した西側諸国は理解しようとすらしていない。


ボンゴよさらば

 フランス寄りの大統領アリ・ボンゴが「信頼性に欠ける」とされる怪しげな選挙に勝利した後、ガボンで軍の将校たちが権力を握ることを決定した。制度は解体され、カメルーン、赤道ギニア、コンゴ共和国との国境が閉鎖された。フランスとのすべての安全保障協定が無効にされた。フランスの軍事基地について何が起こるか誰も分からない。

 すべてはそのままで人々の気持ちを引き付けた:兵士たちは喜びの歌を歌いながら首都リーブルヴィルの街頭に出た。見物人たちは彼らを激励した。

 ボンゴと先代の父は、1967年からガボンを統治している。彼はフランスの私立学校で教育を受け、ソルボンヌ大学を卒業した。ガボンは240万人の小さな国。5,000人の兵士からなる小さな軍隊は、ドナルド・トランプのペントハウス(ビル屋上の塔屋)に収まるほどの規模だ。人口の30%以上が1日1ドル未満で生活し、60%以上の地域では医療は受けられず飲料水も手に入らない。

 軍は、ボンゴの14年間の統治を、国を「混沌の中に」陥れている「社会的結束の悪化」と評価した。

 申し合わせたように、クーデターの後、フランスの鉱業会社エラメがその活動を中断した。それはほぼ独占企業だ。ガボンは、潤沢な鉱物資源に恵まれている。金、ダイヤモンド、マンガン、ウラン、ニオブ、鉄鉱石、さらには石油、天然ガス、水力など、だ。OPECの一員であるガボンでは、ほとんどの経済活動が鉱業を中心に展開している。

 ニジェールの事例はさらに複雑だ。フランスはウランと高純度の石油、他の種類の鉱物資源を搾取している。そして、アメリカ人も現地におり、ニジェールで最大4,000人の軍人を指揮する。アメリカ「基地帝国」の中での重要な戦略拠点は、アガデズにあるドローン施設で、ニジェール・エアベース201として知られており、ジブチに次ぐアフリカで2番目に大きな基地だ。

 ただ、フランスとアメリカの利益は、トランス・サハラ・ガスパイプラインに関する争いで衝突している。ワシントンがノルド・ストリームを爆破してロシアとヨーロッパの間の鋼鉄のへその緒とも言うべき大事なつながりを切断した後、EU、特にドイツは切実な代替策が必要となった。

 アルジェリアのガス供給は、南ヨーロッパを微かに補える程度。アメリカのガスは恐ろしく高価。ヨーロッパにとって理想的な解決策は、ナイジェリアのガスがサハラ砂漠を越えて地中海へ奥深く進むことだ。

 ナイジェリアは、5.7兆立方メートルものガスを持っており、おそらくアルジェリアやベネズエラよりも多い。それと比較すると、ノルウェーは2兆立方メートルしかない。しかし、ナイジェリアの課題は、遠隔地の顧客にガスを供給する方法なのだ。そのため、ニジェールが重要な経由国となる。

 ニジェールの役割に関して、エネルギーは、実際にはウランとは比べ物にならないほど大きな駆け引き材料となる。実際、フランスやEUにとってウランがそれほど戦略的でないのは、二ジェールは世界第5位の供給国であり、カザフスタンやカナダには大きく引き離されているからだ。

 それでも、フランスにとっての究極の悪夢は、マリの変動に加えて、ウランのおいしい取引を失うことだ。プリゴジン後のロシアが二ジェールに全軍で到着し、同時にフランス軍が追放されることも悪夢だ。

 ガボンを追加することは、状況をより複雑にするだけだ。ロシアの影響力の増大は、カメルーンとナイジェリアの反乱軍への供給路の拡大や、ロシアが既に強力に存在する中央アフリカ共和国への特権的な接近を進める可能性がある。

 フランス大好き人間のポール・ビヤは、カメルーンで41年間政権に留まったことから、ガボンでのクーデター後、自身の武装軍を処分することを選択したのは驚くべきことではない。カメルーンが次に倒れるドミノになるかもしれないのだ。


ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)が AFRICOM(米軍アフリカ司令部)に接触

 現時点では、アメリカはスフィンクスを演じている。これまでに、ニジェール軍がアガデズ基地の閉鎖を望んでいるという証拠はない。ペンタゴンは、サヘル地域および、最も重要なリビアを監視するために、彼らの基地に莫大な資金を投資している。

 パリとワシントンが合意している唯一のことは、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を使って、世界で最も貧しい国(人口のわずか21%しか電力を使えていない)の1つ(ニジェール)に、これ以上ないという厳格な制裁を課すべきだということだ。そして、これらの制裁は2010年にコートジボワールに課されたものよりも遥かに厳格になるだろう。

 そうなれば、戦争の脅威もでてくる。ECOWASが、既に南東部でボコ・ハラムと、トライボーダー地域でISISとの2つの別々の戦争を戦っている国に侵攻する不合理さを想像してほしい。

 ECOWASは、アフリカの政治的および経済的な8つの連合のうちの1つで、よく知られた混乱状態にある。中央アフリカと西アフリカに位置する15の加盟国(フランス語圏、英語圏、1つのポルトガル語圏)を含んでおり、内部での分裂が横行している。

 フランスとアメリカは最初、ECOWASを彼らの「平和維持」の傀儡としてニジェールに侵攻させたかった。しかし、それは広範な市民の圧力があったため、うまくいかなかった。そのため、彼らはある種の外交手段に切り替えた。それでも、軍隊は待機状態にあり、謎めいた「D-Day」が侵攻のために設定された。

 アフリカ連合(AU)の役割はさらに不明瞭。最初はクーデターに反対し、ニジェールの加盟国資格を一時停止した。その後、姿勢を180°転換して、西側支援の侵略はダメだ、と非難した。隣国はニジェールとの国境を閉鎖した。

 米国、フランス、およびNATOの支援なしには、ECOWASは崩壊するだろう。既に、実質的には歯のないチワワ犬のような存在だ。そうなったのは、特にロシアと中国がBRICSサミットを通じてアフリカ全域におけるそのソフトパワーを示した後だ。

 サヘル地域における混乱の中の西側の政策は、紛れもない大失敗の可能性から何でもいいからすくい上げようとすることのようだ。一方、ニジェールの冷静な人々は西側が何を言い出そうと、どこ吹く風だ。

 忘れてはいけないのは、ニジェールの主要な政党である「祖国防衛国民運動」が、初めからペンタゴンによる支援を受けており、それには軍事訓練も含まれていたということだ。

 ペンタゴンはアフリカに深く浸透し、53の国とつながっている。2000年代初頭からの米国の中心的な考え方は、常にアフリカを軍事化し、テロ戦争の餌食にすることだった。ディック・チェイニー体制が2002年に述べたように、「アフリカはテロとの戦いにおける戦略的な優先事項だ」。

 これが、米国軍の指揮機関であるAFRICOMの基盤であり、双方向協定で設立された無数の「協力的なパートナーシップ」の基礎だ。実際的な目的とは裏腹に、2007年以来、AFRICOMはアフリカの広大な地域を占拠している。


私の植民地フランはいかにおいしいか

 アフリカの現在の混乱を理解するためには、グローバルサウス、グローバルマジョリティ、または「グローバルグローブ」(©ルカシェンコ)が、フランスの新植民地主義の細部を理解しない限り、それは絶対に不可能だ。

 もちろん、鍵となるのはCFAフランだ。これは1945年にフランス領アフリカで導入された「植民地フラン」で、その後もCFAとして残っており、巧妙な用語の変化を経て「アフリカ金融共同体」を意味するようになった。

 2008年の世界金融危機の後、リビアの指導者ムアンマル・カダフィが、金に連動した汎アフリカ通貨の設立を呼びかけたことを世界中の人々は覚えている。

 当時、リビアは約150トンの金を持っており、それはロンドン、パリ、またはニューヨークの銀行に預けられていなかった。もう少しの金があれば、その汎アフリカ通貨はトリポリに独自の独立した金融センターを持ったことになっただろう。すべてが主権的な金準備に基礎を置くことになっただろう。

 数多くのアフリカ諸国にとって、それは西側の金融システムを迂回するための決定的なプランBだった。

 世界中の人々はまた、2011年に何が起こったかも覚えている。最初のリビアへの空爆は、フランスのミラージュ戦闘機が始めた。フランスの爆撃作戦は、西側の指導者たちによるパリでの緊急協議が終わる前に始まった。

 2011年3月、フランスはリビアの反乱勢力である国民移行評議会を正統な政府として認める世界で最初の国となった。そして、2015年、元米国国務長官ヒラリー・クリントンの悪名高いハッキングされたメールが、フランスがリビアで何を企んでいたかを明らかにした。「リビアの石油生産でより大きなシェアを獲得し」「北アフリカでのフランスの影響力を増加させ、フランスで印刷されているCFAフランを代替する汎アフリカ通貨をガダフィが作成する計画を阻止したい」というのが目的だった。

 西側全体がアフリカにおけるロシアを恐れているのは驚くことではない。チャド、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、そして今ではガボンでの権力の交代だけがその理由ではない。モスクワはアフリカを略奪したり、奴隷化しようとしたことが一度もないのだ。

 ロシアはアフリカ人を主権国家として扱い、永遠の戦争に関与せず、アフリカの資源をほんのわずかな報酬で抜き取ることはしない。一方、フランスの情報機関とCIAの「外交政策」とは、アフリカの指導者を根本から腐敗させ、買収できない指導者を排除するということだ。


あなたには金融政策をおこなう権利はない

 CFAと比較すれば、マフィアなど、街のチンピラだ。つまり、基本的に、主権を持ついくつかのアフリカ諸国の金融政策がパリのフランス財務省によって制御されているということなのだ。

 最初、各アフリカ諸国の中央銀行は、年次外貨準備高の少なくとも65パーセントを、フランス財務省が保有する「運用口座」に保持する必要があり、さらに20パーセントを財政上の「負債」を補填するために保持しなければならなかった。

 2005年9月以降、いくつかの穏やかな「改革」が実施されたにもかかわらず、これらの国々は外貨の50パーセントをパリに送金し、さらに20パーセントの付加価値税(V.A.T.)を支払わなければならなかった。

 事態はさらに悪化している。CFA中央銀行は各加盟国に対する貸付限度額の上限を課している。フランス財務省は、これらのアフリカの外貨準備を自分の名前でパリの証券取引所に投資し、アフリカの費用で巨額の利益を得ているのだ。

 厳しい事実は、1961年以来、アフリカ諸国の外貨準備の80%以上が、フランス財務省が管理する「運用口座」に保管されていることだ。要するに、これらの国々はいずれも自国の通貨政策に対する主権を持っていないということなのだ。

 しかし、盗みはそこで止まらない:フランス財務省は、アフリカの準備資金を、それらがフランスの資本であるかのように使用し、EUおよびECB(欧州中央銀行)への支払いの担保として差し出している。

 「フランサフリック*」の全域で、フランスは今日でも通貨、外貨準備、買弁エリートたち、および貿易ビジネスを支配している。
*サハラ以南のアフリカにあるフランスとベルギーの旧植民地に対するフランスの影響力の範囲。(ウィキペディア)

 例はたくさんある。フランスのコングロマリットであるボロールが西アフリカ全域での港湾および海運の支配権を握っていること。ブイグ/ヴァンシが建設と公共事業、水道、電力配布を支配していること。トタルが石油とガスに大きな利益を持っていること。そして、フランステレコムや大手銀行、ソシエテ・ジェネラル、クレディ・リヨネ、BNP・パリバ、AXA(保険)などもある。

 フランスは事実上、フランス語圏アフリカの圧倒的な多くのインフラを支配している。それは実質的独占だ。

 「フランサフリック」とは、徹底的な新植民地主義のことだ。政策はフランス共和国大統領と彼の「アフリカ細胞」によって施行される。これらの政策は、シャルル・ド・ゴールの時代から、議会や民主的な手続き過程とは何の関係もない。

 「アフリカの細胞」とは、一種の総司令部のようなものだ。フランスの軍事機構が使われ、「友好的な」買弁指導者を樹立し、システムを脅かす者を排除する。いかなる外交もない。現在、この細胞は、「ル・プティ・ロワ(小さな王)」であるエマニュエル・マクロンだけに報告している。


麻薬、ダイヤモンド、そして金の隊商

 パリはブルキナファソの反植民地主義指導者トーマス・サンカラの暗殺の一部始終を取り仕切った。1987年のことだ。サンカラは、1983年、民心を背景にしたクーデターを通じて権力に上り詰めたが、わずか4年後にクーデターによって失脚し、暗殺された。

 アフリカのサヘル地域における実際の「テロ対策戦争」について言えば、それは西側が納得しているような子供話みたいな作り話とは何の関係もない。サヘルにはアラブの「テロリスト」はいない。そのことは私が911の数か月前に西アフリカをバックパッキングした際に目撃している。彼らはオンラインでサラフィズムに改宗した現地の住民であり、サヘル地域を横断する密輸ルートをより良く差配するためにイスラム国を設立しようとしていたのだ。

 かつての伝説的な古代の塩の隊商が、今ではマリから南ヨーロッパと西アジアへ向かう麻薬、ダイヤモンド、そして金の隊商となっている。これが、たとえばアルカイダ・イスラム・マグレブ(AQIM)を資金提供していたものであり、その後、サウジアラビアと湾岸地域のワッハーブ派の狂信者によって支援された。

 リビアが2011年初頭にNATOによって破壊された後、それ以降は「保護」がなくなり、ガダフィと闘った西側から支援を受けたサラフィジハディストは、サヘルの密輸業者に以前と同様の「保護」を提供した。さらに多くの武器も提供した。

 さまざまなマリの部族は、気に入ったものを何でも密輸し続けている。AQIMは依然として違法な課税を徴収している。リビアのISISは人間と麻薬の密売に深く関与している。そして、ボコ・ハラムはコカインとヘロイン市場に浸かっている。

 これらの組織と戦うために、アフリカの協力が一定の程度存在している。安全保障と開発に焦点を当てたG5サヘルというものが存在した。しかし、ブルキナファソ、ニジェール、マリ、チャドが軍事的な道を選んだ後、モーリタニアだけが残っている。新しい西アフリカ軍政連合帯は、テロ組織を壊滅させることを当然のことながら望んでいるが、何よりもフランサフリックと戦い、彼らの国益が常にパリで決定されるという事実に立ち向かおうとしている。

 フランスは何十年もの間、アフリカ諸国間の貿易をほとんど進めないようにしてきた。内陸国は移送のために隣国を必要としており、主に輸出用の原材料を生産している。実質的にまともな保管施設がなく、エネルギー供給が弱く、アフリカ諸国間の輸送インフラもひどい状態だ。これらの問題を解決しようとするのが、中国の一帯一路構想(BRI)がアフリカで取り組んでいることだ。

 2018年3月、44人の国家元首がアフリカ大陸自由貿易地域(ACFTA)を提唱した。ACFTAは人口(13億人)と地理的な広がりという面で世界最大だ。そして、2022年1月、彼らはアフリカの企業が現地通貨で支払いを行うことを重点とするパンアフリカ支払いおよび決済システム(PAPSS)を設立した。

 避けられないこととして、将来的に彼らは共通通貨を導入するだろう。しかし、その前に立ちはだかるものは、パリが押し付けたCFA(Communauté Financière d'Afrique、アフリカ金融共同体)だ。

 一部の表面的な措置として、フランス財務省が新たなアフリカ通貨の設立に対して直接的な支配、入札過程でのフランス企業の優遇、独占、およびフランス軍の駐留などは依然として確実にある。ニジェールでのクーデターは、「これ以上我慢しない」とでも言った様な意思を表している。

 上記のすべては、かけがえのない経済学者であるマイケル・ハドソンがすべての著作で詳細に説明してきたことだ。ハドソンは、世界の資源を支配することが最重要課題であり、それが世界的な権力、そしてフランスのような世界的な中堅国家の特徴を定義していると指摘している。

 フランスは、通貨政策の支配と、資源豊富な国々での独占的な権益の設立を通じて、資源を制御することがどれほど簡単であるかを示してきた。これらの国々では、環境や健康に関する規制がなく、実質的な奴隷労働で資源を採掘し、輸出している。

 資源豊富な国々が自国の資源を利用して経済を成長させないことは、搾取的な新植民地主義にとっても重要だ。しかし、今やアフリカの諸国はついに「ゲームは終了だ」と言っている。本当の脱植民地化はついに見えてきたのだろうか?

反乱状態にあるアフリカ:第二次反植民地解放は近い未来にあるのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Africa in rebellion: Is a second anti-colonial liberation on the horizon?
筆者:デニス・ロギャチュク(Denis Rogatyuk)
デニス・ロガチュク:ラテンアメリカを拠点とするロシア系オーストラリア人のジャーナリストであり作家。チリ最大の独立メディアソースの一つであるEl Ciudadanoの国際部長。
出典:RT  2023年8月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年9月2日


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ニジェールの国土保護国民評議会(CNSP)の支持者がニアメでデモ。2023年8月6日©AFP


一連のクーデターの後、各国は次々とかつての帝国の爪痕を放逐しようとしている

 アフリカは人類文明の発祥地であり、自然資源において地球上で最も豊かな大陸だ。しかし、ブルキナファソの大統領であるイブラヒム・トラオレ大佐によれば、若い世代はその富にも関わらず、アフリカが世界で最も貧しい地域である理由が理解できない。

 アフリカ大陸全土で、反植民地主義の軍事指導者による、特にフランスなどのヨーロッパの帝国主義国から自己の主権を取り戻そうとする反乱と武装蜂起が起きている。

 ギニア、ブルキナファソ、マリ、そしてニジェールは、西アフリカの元フランス植民地の集団を構成する国々の一部。これらの国々は長らく、フランスや他のヨーロッパの大国にとって天然資源の主要な供給源として機能してきた。ニジェールはフランスの原子力発電所に必要なウランの15%を供給している。ブルキナファソは金の主要な輸出国であり、ギニアはフランスと元植民地との間の貿易の重要な出入り口だ。マリも金の主要な輸出国であり、政府は様々な武装イスラム主義集団と戦ってきた。

 西アフリカの地図は、2021年、根本的に変化し始めた。ドミノのように、親仏派政権は軍事蜂起によって崩壊し始め、最初に2021年5月のマリで始まり、アッシミ・ゴイタ率いるクーデターによって、フランス軍が国を出るよう要求された。中央アフリカ共和国も、2021年6月、フランス軍を追放した。これに続いて、2021年9月、元フランス外人部隊員のママディ・ドゥンブーヤによるギニアの軍事政権掌握がおこなわれた。

 それから1年後、ブルキナファソでは、トラオレが権力を掌握し、世界最年少の大統領となった。その後、2023年1月、フランス軍を追放した。最後は、2022年7月26日、アブドゥラハマン・チアニ(現在は大統領)によって指導されたニジェールの軍事反乱はフランス軍を追放し、ウランのフランスへの輸出を禁止した。

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Read more:How the Niger coup can shake up the balance of power in and around Africa

 ブルキナファソとトラオレの事例は特に興味深い。最近、ロシア・アフリカサミットに参加するためサンクトペテルブルク訪問した時、トラオレは演説をし、ロシアをアフリカの家族の一部と呼んだ。彼はヨーロッパの大国による大陸の略奪を非難し、「祖国か死か!勝利をおさめよう!」という合い言葉で演説を締めくくった。このスローガンはエルネスト・チェ・ゲバラの言葉やキューバの国家理念と響き合う。

 多くの人々は、トラオレを1983年から1987年までのブルキナファソの革命的指導者であり、「アフリカのチェ・ゲバラ」とも称されたトーマス・サンカラと対比的に捉えている。サンカラも同様にフランス軍を追放し、国の資源を国有化し、再分配の社会主義政策を実施した。が、その後、親仏クーデターで暗殺された。

 そこで、フランスとその同盟国は今後どのような行動を取るのだろうか? アメリカとイギリスは、フランスへのウラン輸出禁止に対応して、すでにニジェールとその同盟国への支援を全て打ち切っている。2022年7月30日、フランスの元植民地を多く含む連合体である西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ニジェールに対して最後通牒を突きつけた。チアニ大統領が1週間以内に辞任しない場合、フランスの支援を受けた軍事介入が開始される、との内容だ。ナイジェリアは、この地域における重要なフランスの同盟国であり、またECOWASの指導国でもあった。軍事介入する場合、まずその攻撃を始める国としてナイジェリアが選ばれた。しかし、ナイジェリア上院は国民の人気がほとんどない大統領ボラ・ティナブの要求に対し、隣国(ニジェール)に対する軍事行動の承認を拒絶した。その後、最後通牒の期限が切れ、ニジェールは商業航空機の飛行を受け入れないように空域を閉鎖した。

 ブルキナファソとマリの大統領は、ニジェールへの軍事介入が彼らに対する宣戦布告に等しいと応じた。とはいっても、アフリカ諸国には秘策もある。それは、ロシアとの昔からの友情だ。

 49のアフリカ諸国の代表団が、最近、サンクトペテルブルクで開催されたアフリカ・ロシアサミットに出席した。ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、アフリカが新植民地主義に対抗する戦いを支援すると宣言し、モスクワがアフリカの債務(総額230億ドル)を帳消しにしたことを述べ、50,000トン以上の穀物が無料でアフリカ大陸に提供されることを確認した。

 アフリカとロシアの人々の友情は18世紀までさかのぼる。アブラム・ガンニバルの物語は、ロシアとアフリカの関係の伝承の中でも最も魅力的なものの一つ。彼はロシア軍に仕えたアフリカ系の将軍であり、伝説的な詩人アレクサンドル・プーシキンの曾祖父でもある。ガンニバルは幼少期にコンスタンティノープルからピョートル大帝によって奴隷として連れてこられたが、奴隷の身分を解放され、皇帝の宮殿で教育を受けた。彼はロシア軍で高位の軍人にまで昇進し、さらには若きアレクサンドル・スヴォーロフ将軍の家庭教師としても活躍した。スヴォーロフ将軍はオスマン帝国を二度にわたって打ち破るなど、多くの偉業を成し遂げた。

 アフリカ分割の黄昏期において、おびただしい植民地征服がおこなわれる中、ただ一つの国が独立を保った。エチオピアだ。イタリアの侵略と支配の試みは、植民地支配者にとって壊滅的な失敗に終わり、ロシアはエチオピアの主権と独立を求めて戦う国に重要な支援を提供した。ソビエト連邦(USSR)は、植民地支配者から独立を求めるアフリカの多くの若い国々の「被抑圧者の武器庫」となり、USSRで生産された武器や弾薬がアンゴラのMPLA、南アフリカのANC、ギニアビサウのPAIGCおよびその指導者アミルカル・カブラルなど、その地域の多くの革命勢力や反植民地主義勢力に提供された。この連帯の記憶は、多くのアフリカ人(老若問わず)、今でも鮮明なままだ。

 アフリカ大陸全土で、フランスの元植民地地域にまで、ロシアへの支持と賞賛の声が響いている。南アフリカの経済自由戦士団(Economic Freedom Fighters)の大規模な集会では、団体の指導者であるジュリアス・マレマがフランスの大陸での行動を非難し、「私たちはプーチンであり、プーチンは私たちです!そして私たちはプーチン大統領に敵対する帝国主義を絶対に支持しません!」と宣言した。本当の変化の兆しがアフリカ全体に広がっており、古いヨーロッパの植民地支配者から新しい多極的な世界へと向かおうとしている。

ワグナー部隊の代表、「ロシアをさらに偉大にする」ための大規模行動を宣言

<記事原文 寺島先生推薦>
Wagner boss announces major move ‘to make Russia greater’
出典:RT  2023年8月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月31日


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© Social networks


(ワグナー)部隊はアフリカを「さらに自由に」するために取り組んでいる、とエフゲニー・プリゴジンは、アフリカで撮影された(おそらく)挨拶で述べた。

 ワグナー部隊(民間軍会社)は新しいビデオメッセージで、引き続き人材を募集し、「ロシアをさらに偉大にするために」努力している、と部隊の代表、エフゲニー・プリゴジンは述べた。さらに、ワグナー部隊はアフリカが「さらに自由になる」のを支援しようとしていると彼は付言した。

 この短い動画は月曜日(8月21日)にオンラインで公開され、おそらくアフリカで撮影されたものだ。民間軍会社の代表(プリゴジン)は武装して軍服に身を包み、サバンナのような風景の中に立っており、背後には武装した複数の人物と軍用トラックが見える。

 「ワグナー部隊は偵察および捜索活動をおこなっています。あらゆる大陸でロシアをさらに偉大に!そしてアフリカをさらに自由に。アフリカのすべての民族に正義と幸福を」とプリゴジンは述べ、さらに、(ワグナー)部隊は「ISIS、アルカイダ、および他の武装集団」を追跡していると付言した。

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READ MORE::Washington worried about Wagner in Africa – Blinken

 ワグナー部隊は「真の英雄」を募集しているとプリゴジンは述べ、続けて「私たちは、対処できると約束した課題を果たし続けている」と明言した。プリゴジンは、具体的な課題の性質や、それを設定した人々について詳しくは述べなかった。また、この挨拶がいつ、どこで収録されたものかについても、すぐには明らかにならなかった。

 この挨拶は、プリゴジンが約2か月間沈黙してからのものだ。彼は、6月末に発生したロシア国防省との諍いの真っただ中、ソーシャルメディアで活発に発言していた。ワグナー部隊が反乱に失敗したのはその後だ。民間軍事会社ワグナー部隊は、最終的に、アレクサンダー・ルカシェンコ大統領の仲介で、ロシアにとって最も近い同盟国であるベラルーシに再配置された。

 この数週間、ポーランドは繰り返し、ワグナーがベラルーシにいることに対して警告を発しており、その契約者たち(ワグナーなど)が国境を侵犯しようとした、とさえ主張した。ミンスク(ベラルーシ政府)は、ワグナーの活動とされていることに関する(ポーランドの)主張を断固として否定した。ルカシェンコは、ワルシャワ*がワグナー部隊についてさまざまな憶測をめぐらし「気が狂った」のだと述べた。
*ポーランド政権。ワルシャワは、ポーランドの首都名。

アフリカ:帝国主義と闘うための第二戦線

<記事原文 寺島先生推薦>
Africa: The Second Front in the Struggle Against Imperialism
筆者:モフセン・アブデルムーメン(Mohsen Abdelmoumen)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月29日


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アフリカにおけるフランスの存在に反対するデモ。D.R.


 私たちは、帝国主義と新植民地主義に対するあふれる反乱の中で新しいアフリカの出現を目撃している。これは、中国とロシアの関与の必然的な結果であり、両国ともアフリカ諸国との商業および外交的な交流において対等の政策を追求している。

 7月27日から28日にサンクトペテルブルクで開催された直近のロシア・アフリカ・サミットは、49のアフリカ諸国からの代表団、その中には17人の国家元首も含まれ、ウラジミール・プーチンが明確に多極的な世界秩序の推進と新植民地主義への対抗意思を述べたことは、間違いなく大きなきっかけとなった。特に、賓客であるブルキナファソの若き大統領、イブラヒム・トラオレ大佐、エリトリア大統領のイサイアス・アフェウェルキによる力強い演説、そしてプーチン大統領の最貧国への数百万トンの小麦の無料提供の約束が記憶に残る。

 アルジェリアは、フランスにしっぽを振るだけの寡頭支配的第5列の手中にあった病弱の老大統領から解放され、慎重ではあるが揺るぎない立場を通じてアフリカの舞台での主導的な役割を取り戻し、問題解決のために、常に、外交手段を優先する姿勢を備え、次々と出現する出来事に揺るぎない役割を果たしている。

 ニジェールは、約千キロにわたる共通の国境を持つアルジェリアの直接の隣国である。ウランや石油など多くの豊かな地下資源を持ちながら、アフリカ最貧国の一つだ。しかし、フランスに雇われたさまざまな指導者たちが数十年にわたるずさんな国政運営をすることで、ニジェールの人々を極貧状態にしている。

 ニジェール軍は、国民の幸福を最優先に考えることを決定した。これにより、従来アフリカを自分の黄金鳥と見なし、植民地時代からその富を絶え間なく奪ってきたフランスはひどく落胆している。堆肥の山の上の傲慢なフランスおんどりは、今やその庭が塹壕のある基地に変わりつつあり、その中で「ブルカン」部隊は望ましくない存在とされている。彼らはマリから追放された後、今度はニジェールから出て行くよう要求されている。もちろん、ECOWAS*諸国などの一部のアフリカ諸国の首脳には、まだ鳴き声をあげる植民地化された何羽かの鳥のような輩がいるが、全体として、フランスの家父長的な鳥たちはアフリカでますます支持を失っている。実際、完全に逆転している。そして、マリ、ブルキナファソ、そしてニジェールの例に他の国々も続くというのは確かなことだろう。
*西アフリカ諸国経済共同体


フランスの手下、ECOWASの脅し

 ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)について話そう。これは完全にフランスによって支配されており、ナイジェリア大統領であるボラ・ティヌブは、まさにアメリカとフランスの傀儡であり、輪番制大統領職を務めている。

 この人物については後ほど触れる。彼はどこにでも顔を出す悪名高い危険人物だ。白人の主導により、ECOWASはニジェールに対して最終通告を出し、厳格な制裁を課し、もしニジェール軍がモハメド・バズムを権力に返さない場合、25,000人の兵士を結集して軍事作戦を開始する脅しをかけた。アメリカ、フランス、そして欧州連合は即座にこれらの決定を承認した。なぜならこれらの国々が資金援助をしているからだ。アラサン・ワタラというもう一人のフランスの傀儡も、武力介入はできるだけ早く実行されるべきだと感じ、彼はニジェールに対してコートジボワール大使を自国に呼び戻すよう促した。しかし、西側の指令とワタラの願いにもかかわらず、ECOWAS議会は8月12日にニジェールの人々に課された非人道的な制裁に反対する投票を行い、それらの制裁を即座に解除するよう求め、あらゆる武力介入に反対する立場を表明し、交渉による解決が望ましいと宣言した。また一方、ニジェールの新政府は、攻撃がおこなわれた場合、バズムは外国の工作員として直ちに処刑される可能性があることを警告した。

 西側とECOWASによってニジェールの人々に課された制裁が、食品や電力(その70%はナイジェリアからのもの。ただし供給停止状態)だけでなく、医薬品も含まれていることは注目に値する。これはまったく嫌悪感を抱かせるものだ。サヘル地域における欧州連合のイタリア代表であるエマヌエラ・デル・レは、8月9日、イタリアの新聞La Republicaに対して次のように述べている:
「制裁の影響が明白になってきている」。「薬や食料品の不足は深刻なレベルに達しており、停電は以前よりも頻繁に起こっている。軍政を弱体化させたいのなら、これらの制裁を続ける必要がある」と彼女はあけすけに宣言し、欧州連合のこの取り組みに対する全面的な支持はまちがいない、とECOWASに確信させた。この社会学者(エマヌエル・デル・レ)の言葉の真価値の評価は読者にお任せしたい。

 彼らの制裁はニジェールの人々から電力、医薬品、食料品を奪っている。そして西側の指導者たちはみんな、医療の不足を訴え、わずかな食事で暗闇の中で暮らさざるを得なくなっているモハメド・バズムを心配している。彼の娘であるザジア・バズムは、パリでのバカンス中、8月12日にThe Guardian紙で「感動的な」記事を寄稿した。これはすべての宣伝媒体に取り上げられた。彼女の親戚たちはぱさぱさの乾燥米とパスタで生き延びていると語った。「わかってもらえますか、いつもご飯とパスタだけを食べるわけにはいかないんです。昼も夜も、です」と彼女は言った。「それは健康にとって危険です。飲み水さえありません。暗闇の中にいること、家の温度が非常に高いことを考えると、とても悲しいです」。

 この発言ひとつだけでも、アフリカの買弁ブルジョアが何の気遣いもなく、何十年も惨めな状況で生活してきた人々の運命についてどれほど無関心であるかがわかる。ニジェールの人口の82%が電気を持たず、16%が食料不安である中で生きているのだ。バズムが同じ運命を仲間の市民と共に受けることは、完全に正当性がある。そのことは自分の管轄下の人々が何を経験しているかを理解する手助けになるかもしれないからだ。


アルジェリアの警告

 ECOWAS諸国間の合意不足で、この有名なニジェールに対する攻撃が実施できなくなっており、フランスにとって大きな悩みの種となっている。

いくつかの要因が影響する:
①自国へのいかなる安全保障上の脅威を許さないだろうというアルジェリア陸軍参謀総長サイド・チェングリハ陸軍大将による警告、
②サヘル地域での紛争拡大を警戒するロシアの声明、さらに、
③ワグナー部隊のニアメ到着

 これらの警告によって、西側の主導によって活性化されたアフリカの道化人形たちの戦争熱意が冷えこんだ。特に、8月11日に発表されたウォールストリートジャーナル紙の記事によれば、ECOWASのアフリカ部隊がニジェールで軍事攻撃を開始するまでに数ヶ月かかる可能性がある。実際に、ECOWASの上位高官の一人は、そのような作戦の準備には少なくとも6ヶ月かかるだろうと述べ、当面、迅速対応部隊の優越性は机上でのみ強力であり、実際の現場ではそうではないと語っている。

 そして、約十時間以上にわたる協議の末、アフリカ連合はニジェールでのECOWASによる軍事介入に強硬に反対する立場を表明した。アフリカ連合の紛争解決機関である平和と安全保障評議会(PSC)が軍事力の使用を断固拒否したことにより、この混沌は終息した。アルジェリアの影響力は、アフリカ連合の決定において決定的な役割を果たしたことは確かだ。


フランスは平手打ちを食らう

 この決定は、アフリカにおける影響力を失なうことを警告されているフランスにとって、本当の顔面平手打ちとなった。

 8月7日、Figaro Vox(フィガロ紙の意見・議論欄)は、以下の抜粋を含む、多くのフランス上院議員によって署名されたエマニュエル・マクロン宛の公開書簡を掲載した。「今日、かつてのフランサフリーク*は、軍事的なロシアフリーク、経済的な中国フリーク、外交的なアメリカフリークに取って代わられています」。アブデルマジッド・テブアン大統領は、ヒラク運動**の結果として困難な状況下で政権に就いた人物であり、ときおり和解や定期的に中止される公式訪問について語ったり、アルジェリア人民のすべての苦難の原因とされるフランスの偉大なる悪魔について語ったりする、二律背反な態度を見せている。
*国際関係では、サハラ以南のアフリカにあるフランスとベルギーの旧植民地に対するフランスの影響力の範囲。 (ウィキペディア)
**2019年から2021年にかけてのアルジェリア抗議運動。笑顔の革命(あるいはヒラク運動とも)は、アブデラジズ・ブテフリカが署名入りの声明で5選の大統領候補を発表した6日後の2019年2月16日に始まった。(ウィキペディア)


 この振り子の動きは、多くのフランス高官たちが1968年の合意を疑問視するきっかけとなった。これらの合意はもはや意味を持たなくなっている。「モロッコにおける、フランスのサハラ砂漠に関する先延ばし(スペインとドイツがモロッコの主権を認めているにもかかわらず)や、(フランス)外務省のアルジェリアとのバランス感覚から、王宮はパリの外に軍事的および経済的な同盟国を探し求めようとしている」と述べている。彼はつぎの、心からの叫びを結論としている:「私たちとしては、アフリカ全体から徐々に消えてなくなるつもりはありません」。実際、アフリカの富なしには、フランスは急速な貧困に追いやられる運命にあるのだ。

 この書簡の傑作は、94人の上院議員によって署名され、3人の共和党の上院議員によって起草された。①ロジェ・カルーシ、上院副議長であり、ボースビール生まれのシオニスト・ユダヤ人、②Puy du Fou(訳注:フランスにある、ヨーロッパの歴史を主題としたテーマパーク)の「勇敢な騎士」として知られる人物、フィリップ・ル・ジョリ・ド・ヴィリエ・ド・サンティニョンに近いブルーノ・ルタヨー、そして③上院の外交・国防・武装委員会の議長であり、情報機関に関する議会派遣団の第1副議長であるクリスチャン・カンボン。

 クリスチャン・カンボンは、フランス・モロッコ両院友好団体の議長でもあり、「西サハラのモロッコ的なもの」とボースビール王国の「統一」を強く主張し、ペガサス・スパイウェアの醜聞に関する「小児性愛、大麻、トマトの王国」への「陰謀」を断固として非難している。この件に関するウィキペディア(反帝国主義の主張で知られているわけではない)の特に啓発的な段落を見てみよう:ボースビールの小さな王のお仕え者であるこの人物は、マフゼン(モロッコ政府機構)の報道機関で、国は「明らかに報道や中傷キャンペーンの対象になっている」と宣言し、「仕組まれたもの」と表現した。これは、「いつものやり方で長い間、モロッコの敵対者を集めてきた手によって煽られた策略」であり、「モロッコの成功が嫉妬を生み出すために」「モロッコのイメージを損なう」のが目的だ、と述べた。どの手をこの上院議員が指しているのか、は読者にご推察願いたい。

 言うまでもなく、カンボンはオイサム・アラウィート勲章の最高位である、ボースビールの最高の栄誉であるオイサム・アラウィート勲章の司令官に任命された。これは提供された奉仕に対するものであり、もちろん、彼にはラ・マムーニア(モロッコの最高級ホテル)に彼の名前で予約されたスイートがあり、それに付随するあらゆる追加設備がついている。月々の収入をまとめ入れる封筒(複数)は言うまでもない。まだある!それほど無私で変わることのない忠誠心は適切に報いられなければならない!


「フランス打倒!」

 一方、ニアメのフランス軍基地の外で、何千人ものニジェール人がデモを行い、フランス軍の即時撤退を求め、ロシアの旗を掲げ、手作りの横断幕には「フランス打倒!ECOWAS打倒!」や「ワグナー、私たちを守って!」という文字が書かれている。

 ニジェールの全人民が国の防衛のために立ち上がり、もしフランスが介入しようとするなら、フランスはまず国民全体を殺さなければならないと宣言した。既にニジェールの人々によって大使館が襲撃されたマクロン大統領は、ニジェールにおけるフランスの利益への攻撃を許さないと述べ、武力で対応すると発表した。しかし、人々の支持を受けるニジェールの新しい指導部は脅威や制裁に動じず、フランスに対して9月までに軍を撤退させるよう命じた。「フランス軍の目」とされるドローン基地を持つアメリカもニジェールに駐留しており、ニジェールの方針の変化に懸念を抱いている。さらに、同じ領域でアメリカの基地とワグナーの兵士が共存できるかどうかははっきりしない。

 いずれにしても、決意を示すために、8月10日、国家保護評議会(CNSP)は、経済学者で元財務大臣のアリ・マハマン・ラミン・ゼインを民間人の首相とする政府の組織化を発表した。軍人と愛国的な市民とで構成される閣僚20人がいる。国防大臣と内務大臣はCNSPの将軍であるサリフゥ・モディ将軍とモハメッド・トゥンバ将軍だ。新政府は、モハメッド・バズムとその政権の高位メンバーを、重大な裏切り行為およびニジェール共和国の内外の安全を破壊する行為で告発する証拠が十分にあると宣言した。告発内容には公金の大規模な横領、フランスとの法外な防衛協定の締結、平和的なデモへの血なまぐさい弾圧も含まれている。当然ながら、この発表はECOWASから激しい抗議を受けた。ECOWASは即座にこの行動を挑発と評した。


リッサ・アグ=ブラ、「技術的には実行可能」

 帝国の小兵士たちはどれも似たり寄ったり:彼らはジャーナリスト、"人権" 活動家、反対派、知識人などだ。

 もちろん、8月7日にニアメを訪れたストラウス派のヴィクトリア・ヌーランドは、第5列に遭遇した。彼女はこの訪問中、ティアニ将軍に拒絶され、要求したモハメッド・バズムに会うことも許されなかった。日和見的裏切り者は、世界中のあらゆる国で見られる。帝国の小兵士たちはどれも似たり寄ったり:ジャーナリスト、"人権" 活動家、反対派、知識人、などだ。ここによく知られている人物がいる:トゥアレグの反乱指導者であり、バズム政権のニジェール大臣でもあるリッサ・アグ=ブラだ。彼はパリ(彼もここでバカンス中?)が、8月8日に発表したのは、① 共和国の立憲秩序を回復し、②「クーデター参加者」の首謀者であるティアニ将軍を逮捕し、③バズム大統領を解放することを目指す抵抗評議会の設立、だ。ル・モンド紙とのインタビューで、短期間での軍事介入の可能性について尋ねられた際、彼は「技術的には実行可能です」と答えた。

 最初の一歩は、バズム大統領が拘束されている宮殿への局部攻撃だ。2、3回の攻撃だけで十分。それだけだ。その後、大統領護衛隊内で騒ぎが起きるだろう。クーデターの背後にいる部隊だ。「その後は?」「その後は何もなく、完全な平穏が訪れ、秩序が回復されるでしょう」。

 このフランスの完全な代理人はかなり厚かましい。「ワグナー部隊として知られる傭兵や戦争犯罪者」と彼の呼ぶ人々がニアメの宮殿を守っていることを彼は知っているので、約束された騒ぎは確実ではないのだ。その意図や目的がどうであれ、我々は、モスクワで開催された国際フォーラム「Army23」の参加者宛のウラジミール・プーチンの電報に記載された内容を彼に伝える。以下はタス通信の引用:

「ロシアは、国家の利益と自立した発展の道を守ろうとする国々との間で、均等な技術同盟関係と防衛協力の拡大に対して開かれており、平等と不可分の安全に基づく体制を共同で築くことが重要であり、各国を確実に保護するものであると信じています」。

ロシアの国防相セルゲイ・ショイグは、自国が収集した情報を、友好国全てと共有する用意があると述べた。この情報は、アメリカとNATOの装備や戦闘方法の脆弱性に関するものだ。ウクライナでのNATOに対するロシアの圧倒的な勝利を考慮すると、軽率な発言は避けるべきだ。

(タス通信の引用、終わり)


ティヌブ:現代の十字軍

 次はアフリカの指導者たち。植民地支配下の操り人形である彼らは、権力と富を得るために、西側の主人へ、いつでも自国を売り渡すつもりだ。

 失礼ながら、彼はアメリカの後ろ盾でECOWAS議長になっている。ここで、漫画的愚か者であるナイジェリアの傀儡大統領、ボラ・ティヌブ(個人的に言わせてもらえば、こんな人間は自宅で雀を追い払う案山子(かかし)としても欲しくない)に言及しよう。FBIは彼についてすべて知っているのは、彼がアメリカに留学した頃からだ。汚職、資金洗浄、あらゆる種類の悪さで悪名高く、彼はエリゼ宮殿でフランスの主人たちの前で嬉々として道化役を演じている。彼のフランスとの近接性、そして何よりも、彼がアメリカに従属し、その手の平に載っていること、世界銀行と国際通貨基金(IMF)の命令に従う彼の政策、およびシカゴ(彼が住んでいた都市)の地下世界との共謀、これらの要因により、彼はナイジェリアで最も裕福な人物の一人となった。大統領府で資金を運ぶ装甲車が目撃された時、ティヌブはこの件について問われ、自分のお金で好きなことをしていると答えた、言うほどだった。

 多年にわたり、アメリカでの勉強と多国籍企業での勤務中、この悪漢はシカゴの麻薬密売人から得た数百万ドルの資金洗浄をおこなった。その中には彼の従兄弟であるアデグボイエガ・ムエズ・アカンデも含まれている。記録によれば、1990年代末にはアメリカ政府がティヌブの様々な銀行口座から麻薬取引による百万ドル以上を押収している。ウィキリークスの電報は、彼の不正行為を詳細に説明しており、何よりこの悪党が16の銀行口座を保持していることなどをはっきりさせた。

 アメリカは、この精力的な人物からどれだけ利益を得ることができるかを理解しており、彼はナイジェリアのアメリカ大使館の忠実な顧客となり、長年にわたり有用な情報を提供してきた。その結果、アメリカ大使は会議後、彼について「いつものように、彼の国内政治情勢に対する洞察力に感銘を受けました」と述べるほどだった。ティヌブはまた、ウォロディミル・ゼレンスキーと共にパンドラ・ペーパーズに名が載るほどの人物となった。彼の息子オルワセイが所有する贅沢な別荘がロンドンの高級なウェストミンスター地区、グローブエンドロード32番地にある。この別荘は、英国領ヴァージン諸島に登録されたオフショア会社であるAranda Overseas Corp.の主要株主である息子のオルワセイによって取得された。ティヌブの息子は、2017年末にこの物件を購入するためにドイツ銀行に900万ポンド(1080万ドル)を支払った。そして、この腐敗したギャングの彼こそが、金(きん)の山の上に座る腐敗したアフリカの指導者の完璧な風刺であり、アフリカで最も貧しい国のひとつ、ニジェールに制裁を課し、戦争を宣言しようとしているのだ! しかし、アフリカの人々は目を覚まし始めており、一部の情報源によれば、ナイジェリア軍が軍事介入して選挙結果を詐称して選出されたこの腐敗した暴君を倒すよう求める多くの要請が寄せられている。この情報は、ナイジェリア国防大臣によって確認されており、「軍はボラ・アフメド・ティヌブ大統領政府を転覆させる計画がある」と述べている。私たちの問い①ティヌブはクーデターによって王座から追放されるまでどれくらいの間権力を握り続けるのだろうか? そして②彼が倒れるとき、それは容易なことではないだろうが、次に誰が続くのだろうか?


フランスの「時計の維持者」だったアフリカよ、さらば

 アフリカがロシアの保護下に入ることを、アメリカは決して許さないことは明らかだ。

 ヌーランドのニジェール訪問は、CNSPに対してワグナー部隊を呼ぶことを控えるよう説得するためのものであり、その見返りとしてアメリカはおそらく新政権を認めるだろう。この際、フランスの同盟国(ナイジェリア)を完全に無視することになる。だれもが知っているのは、アメリカとクーデター政権には、アフリカがロシアの保護下に入ることをアメリカは決して許さないという信念が根本にあることだ。

 ボコ・ハラム、AQIM、および「反乱」グループはその活動活発化の指示を受けており、私たちの情報によれば、イギリスのMI-6(常にアンクル・サム(米国)を支援するために存在する)は、ウクライナのナチス約100人からなる部隊をサヘルに派遣する準備をしている。これらのナチスは既にウクライナで戦闘し、「破壊工作」の「技術」訓練を受けている。この部隊の任務は、生活基盤施設の破壊とロシアとの緊密な関係を促進するアフリカの指導者の排除だ。

 この部隊は、8月の後半にイズマイールから船でアフリカに派遣される予定で、指導者としてはGUR(ウクライナの軍事情報機関)中佐のヴィタリー・プラシュクが予定されている。彼は以前に「一掃作戦の成功」で活躍し、2014年から2016年にかけてドンバス地域、ドネツク、ルハンスクで非常に活発に動いていた。彼は特にジンバブエでのMI-6の作戦に関与していた。

 こうして、私たちはここにいる。リビアの不安定化だけでは十分ではなかった。サヘル地域全体が火に包まれる脅威が迫っている。

 セルゲイ・ラブロフは最近次のように述べた。「ウクライナの新ナチスを使ってロシアを分割しようとする試みは、アメリカの一極支配秩序を復活させる戦略の一部です。彼らは他の地域でも同じ目標を追求しており、異議を唱える人々が脅迫や恐喝の犠牲になっています。」アフリカにおけるロシアの影響力に対抗するため、帝国はサヘル地域を火に包むことをためらわない。そのために、あるいはどのような姿であれ、その協力者を利用する。髭をたくわえたり、坊主頭だったり、ターバンを巻いたりする人々も含まれる。しかし、アルジェリアが脅威を感じる場合、その憲法は今や国境外への介入を許可しており、自国の利益と安全を守るためにためらうことはない。私たちに残されたのは、アルジェリアの参謀総長であるサイド・シェングリハがモスクワで行った第11回国際安全保障会議のビデオ会議での理性への訴求が西側によって聞き入れられることを願うことだけだ。彼が国際社会に対し危機の原因を真剣に取り組むよう呼びかけたのだ。しかし、確かなものは何もない・・・ただし確実なことは、フランスの「時計の主」とも言えるエマニュエル・マクロンが、フランサフリークを一掃する可能性があるということだ。

翻訳(仏→英)は、Internationalist 360°

ロシアからの報道が制限されて、ウクライナ紛争に関する情報が西側からのものばかりになっている―南アフリカ高官の発言

<記事原文 寺島先生推薦>
Banning Russian media created news gap on Ukraine conflict – South African official
出典:RT  2023年8月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月29日



南アフリカのウェリル・ヌラポ元駐米大使© RT



CNNやBBCなどの西側報道諸機関の記事は一方的である、とウェリル・ヌラポ氏はRTに答えた

 ウクライナ紛争への対応として、世界のいくつかの地域で、ロシアの報道に関して制限が課されていることにより、この危機の情報の普及が「一方的」になっている、と南アフリカの元駐米大使がRTに答えた。

 月曜日(8月21日)の独占取材で、ウェリル・ヌラポ元大使は、紛争に関するさまざまな視点の欠如によって、「人々は非常に混乱しやすくさせられ」、ロシア政府が誤解される原因を作った、と主張した。

 それはまさに、CNN、BBC、アルジャジーラなどの西側系列の放送局からの「一方的な爆撃のような報道である」と、南アフリカの紛争管理実務家である同元大使は、第15回BRICS首脳会議が現在進行中のヨハネスブルグでRTに語った。

 ヌラポ元大使は現在、アフリカ和平構想の上級政治顧問である。この構想のもと、南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領が率いるアフリカ大陸各国の指導者からなる派遣団が、6月にロシアとウクライナの交渉相手と面会し、10項目の停戦提案が提示された。

 同元大使の説明によると、この構想の目標は、両当事国にアフリカの構想を受け入れさせることで、紛争の状況を伝える過程に耳を傾け、理解してもらうようにすることである、とのことだった。そしてその理由は、今回の危機に関してロシア側の言い分を耳にするのが困難であるため、だとした。

 ヌラポ元大使は、南アフリカがBRICSに加盟していることから、南アフリカはモスクワと連携しているという印象を与えている、と考えている。しかし同元大使は、南アフリカは「我が国に影響を与えるもの、我が国の利益になるもの、そしてこれらすべての進展にどのように対応するべきかに関してしっかりと情報に基づいた決定を下します」と述べた。

関連記事:Central African country seeks BRICS membership

 「そして我が国がひとたび決定を下せば、我が国は他の国々から独立した一国になることになります」と同元大使は付け加え、ロシアとウクライナの紛争においては、どちらかと同盟しているわけではない、という南アフリカ当局が繰り返している主張に言及した。

 「西側陣営は、冷戦が私たち全アフリカ諸国に課した痛みとすべての困難を経験したことを忘れています。私たちは何が起こっているのかを理解しているので、情報に基づいた決定を下すことができます。

 以下の対話動画を全編視聴すれば、西側によって取られている「異常な措置」と、NATOの拡大がロシアとウクライナの間の紛争にどのように影響を与えたかについての同元大使の考えについても聞くことができる。

(動画は原文サイトからご覧下さい。訳者)

ニジェールの軍指導者たちに人気がある理由-そして恐れられる理由

<記事原文 寺島先生推薦>
Why is Niger’s Military Leaders so Popular—and so Feared?
筆者:オーエン・シャルク(Owen Scalk)
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年8月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月26日


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ニジェールのニアメでアブドゥラハマン・チアニ将軍の写真を掲げるクーデター支持者たち。写真提供:サム・メドニック。


クーデターは、新植民地主義の被害を受けた弱者や貧困層に語りかけている

 ニジェールの動きは急激だ。軍事政府が、7月26日、モハメド・バズム大統領を政権から追い落とした後、アブドゥラハマネ・チアニ政府は独立した反西側勢力としてこの地域にその存在を確立し、ギニア、マリ、そしてブルキナファソと同列に加わった。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、バズム大統領の失脚を予測できなかったという認識から「激怒」していると報じられている。西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ナイジェリアを中心として、すぐにチアニ政府に対して強硬な姿勢を取り、8月6日までに、バズム大統領を復帰させるための軍事侵攻をすると脅した。マリとブルキナファソは、そのような侵攻に対してニジェールを守ると宣言した。

 クーデターを支持し、外国の介入に反対する人々の抗議デモの最中、チアニ政府はニジェールの上空を閉鎖して、ECOWASやフランスからの干渉を阻止した。期限とされた8月6日は何も起こらずに過ぎ去った。その一因は、ナイジェリアの上院がボラ・ティヌブ大統領のニジェールへの兵士派遣計画を拒否したためであり、この地域は公然の戦争を回避することになった。同じ日に、約3万人の支持者がニアメのスタジアムに集まり、軍事政権掌握を支持する熱い思いを表明した。

 8月7日、アメリカ合衆国国務次官補のビクトリア・ヌーランドがニジェールを訪れ、軍指導者たちにバズム大統領を復帰させるよう圧力をかけた。バズム大統領は2021年初からアメリカとフランスにとって西アフリカおける大事な人物だった。ヌーランドはクーデターについて「深刻な懸念」を表明し、「民主主義が回復されない場合、法的に断ち切らなければならない経済的な、あるいは他の支援もある」と強調した。しかし、ニジェールの新たな支配者たちは屈服しなかった。

 ECOWASや西側諸国からの制裁とさらなる脅しの中で、クーデター政権は、8月10日、首相をアリ・マハマン・ラミン・ゼインとする新しい内閣を発表した。この内閣にはゼインを含む多くの市民メンバーが含まれている。分析家のベバリー・オチェンによれば:

(これは、) 軍が暫定内閣のほとんどのポストを占めたマリやブルキナファソで起こったこととはまったく異なる。これは、悪意がないことを示す方法の一つであり、市民と協力し、移行政府を望んでいることを示す方法だ。しかし、同時に、「私たちと交渉する際には移行条件に基づいておこなうことになる。バズム政権を復帰させることは条件にならない」という意味も含まれている・・・バズムが復帰する可能性は非常に低く、正当性が認められる可能性もほとんどない。
(オチェンの引用終わり)

 外交的な行き詰まりの中で、ナイジェリアからのイスラム学者団が、8月13日、チアニ政府との会談を開いた。この会議で、チアニはナイジェリアとニジェールは「隣人というだけでなく、問題を友好的に解決すべき兄弟姉妹でもある」と述べた。「クーデターに悪意はなく」、地域への「迫り来る脅威を防ぐためのもの」だったと語った。また、ナイジェリアがバズム大統領を復帰させるための侵攻の脅しをかけたことについて「心が痛む」と述べ、隣国が「この問題に自分たちの立場になって関心を示していないように見えること」を残念に思っていることも明らかにした。


侵攻の脅しと権力の強化

 学者団が訪れた日に、チアニ政府はバズム大統領が「重大な反逆罪および内外の安全の破壊行為」で告訴されるだろう、と発表した。その一方で、ワシントンとECOWASはこの決定を非難した。ECOWASは、ニジェール政府への軍事介入について再度議論するために、8月17日と18日、会議を開催すると発表した。

 侵攻に関する話が再び持ち上がっていることは懸念されるが、実際の介入は起こらないだろう。ECOWASとその支援者たちが、クーデター直後の興奮冷めやらぬ日々において、公衆の支持が不確かで軍の安定性が未知数だったときでさえ、ニジェールの国境を越えることに消極的であった。今、公衆の支持は明らかであり、チアニと暫定政府の権威が固まっているときになぜその危険を冒すことがあろう?

 奇妙なことに、ECOWASとその西側支援者は、彼らの強硬なクーデター反対姿勢がニジェールの軍部指導者が権力を固めるのに役立っていることに気付いていないようだ。クーデターは国民の支持を得ており、権力掌握後の最初の世論調査によると、回答者の78%が支持している。ロイターの記者は、「(首都)ニアメの住民は・・・クーデターを強く支持し、マリとブルキナファソと連携することで、イスラム過激派との戦いにおいて、これらの3つの国を強化するだろう」と報じている。外国の侵略の脅威は、逆にクーデター支持者をさらに増やすことになるだろう。

 侵略の脅しは、ロシアが同地域のソフト・パワーを地域で増加させるのにも役立っており、これは西側諸国の政府が明らかに非常に懸念していることだ。米国、ヨーロッパ、ECOWASからの力任せの声明とは対照的に、クレムリンは「ニジェール共和国の状況を平和的な政治的および外交的手段だけで解決する重要性」を強調した。マリの指導者であるアシミ・ゴイタとウラジミール・プーチンの会談の後、ゴイタはX(以前はTwitter)に投稿し、ロシア大統領が「より安定したサヘル地域のための状況の平和な解決の重要性」を強調したと述べた。

プーチン大統領とは電話で会話しました。私たちはニジェールの状況について話し合いました。彼は、より安定したサヘル地域の平和な解決の重要性を強調しました。pic.twitter.com/po6U2meRw1
2023年8月15日、アシミ・ゴイタ大佐(@GoitaAssimi)

 それにもかかわらず、侵略に関する議論は続いている。そんなことをしてもニジェール軍の権力掌握を強化するだけだろう。例えば、ゼレンスキー政権はウクライナ侵攻の際に非常に不人気だったが、ウクライナ人は勇敢に戦い、巨大な犠牲を払った。ニジェール人も同様に行動する可能性があるのは理にかなっていないだろうか。特に、ニジェール政府は、実際、多くの人々から支持され、マリやブルキナファソなどの地域関係国によって支持されているのだ。

 さらに、反西側で親ロシア的な軍事政府が選挙の枠組みを超えて権力を握ったのに、なぜその軍事政府に人気があるのかという疑問は追求する価値がないだろうか? 西側諸国政府は、なぜチアニやマリのゴイタ、あるいはブルキナファソのイブラヒム・トラオレの言辞がこの地域の多くの人々の共感を呼ぶのか、興味を持たないのだろうか? 彼らは、NATOによるリビアの破壊がこれらの国々でジハード主義的な反乱に火をつけたことを知っているのだろうか? アメリカ、フランス、そしてカナダなどの国々は、植民地主義の歴史や政治的干渉の歴史、この地域での大規模な軍事力、多くの国民から嫌われている政府の支援、そして金やウランなどの資源を数十億ドル単位で私物化しており、普通のニジェール人、マリ人、ブルキナベ人が極度の貧困に苦しんでいる現実があるから、反西側的感情が高まっているのだという責任を感じないのだろうか? 答え:責任を感じていないことは明らか。


地域的な分裂と反帝国主義的な転回

 ニジェール、マリ、そしてブルキナファソと、一方でECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)と西側諸国との間の敵対関係は、数年にわたり醸成されてきた。マリとブルキナファソはクーデターの後、欧州とアメリカの影響力を排除していた。一方、ニジェールはアメリカやフランス、ドイツを含むヨーロッパからの兵士たちを歓迎した。ニジェールが西側の軍隊を受け入れる一方で、マリはヨーロッパ資金によるG5サヘル組織から離脱する決断をした。

 サヘルG5は、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、モーリタニア、そしてチャドの間で反ジハード主義軍事部隊の協調を図るために設立された。この組織は主に西側の計画であり、欧州連合(EU)の資金援助を受け、フランスの支援を受けて設立された。しかし、一部の西アフリカ諸国がより独立心を強めるにつれて、組織は綻び始めた。

 2021年にマリの軍隊が権力を握った後、フランスは、チャドが組織の議長職をバマコに譲るのを阻止するためにサヘルG5に干渉したとされている。たとえフランスがマリへの干渉に関与していなかったとしても、マリの指導者たちはこの出来事をそんな風に解釈しており、研究者のブバカル・ハイダラも同意している。「フランスの影響がこの議長職移譲の拒否の背後にあるのを見逃すのは難しいでしょう」と彼は述べた。

 これらの内部分裂と、それらを煽ったとされるフランスの影響で、サヘルG5は衰退することになった。2022年5月、西側の支援を受けていたバズム大統領ですら「G5は死んだ」と宣言した。

 フランスのバルカン作戦(2014年から2022年)は、反フランスの反乱の最中にその地域から撤退した。欧州連合のタクバ特別部隊(2020年から2022年)も同様の運命を辿った。そして、2014年に設立されたサヘルG5は実質的に消滅した。これらの西側支援の取り組みがもたらしたものは何か?危険性がさらに高まり、不安定さがさらに増幅したことだ、とマリック・ドゥクーレは説明している:

ワガドゥグ(ブルキナファソの首都)の出発前、私はこの首都が非常に安全な都市であると知っていました。ジハード主義的なテロのことは誰も心配しておらず、これはブルキナベ社会のあらゆる部分と階級に当てはまる事実でした。しかし、[前独裁者ブレーズ] コンパオレの失脚に続く不安定さの中で、ボコ・ハラム、ジャマアット・ナスル・アル・イスラム・ウァル・ムスリミン、アンサール・ディーン、アンサール・ウル・イスラム、そして大サハラのイスラム国などの過激派が、首都への攻撃や非武装の農村住民への見境ない虐殺を行いました。この紛争は2015年以来、1万人以上の命を奪い、140万人以上を避難させ、ホテルやカフェへの銃撃と車爆弾によって国中に衝撃を与えました。爆発物にぶつかり、学童を乗せたバスも爆破されました。外国の大使館やレストランも標的にされています。都市の外では、地元の市場や農村を標的にした襲撃で何百人もの男性、女性、子供が殺されています。

安全情勢は、実に壊滅的な段階まで悪化しました。貧困は過激主義を育む要因なので、数十年にわたりフランスによって維持されてきた新植民地主義的な超過剰経済体制は、確かにその責任の相当な部分を負っていると言えます。しかし、劣悪な指導体制も、既に深刻な状況を、さらに悪化させています。2021年11月、北部の町イナタ近くの治安拠点への大規模なジハード主義者の襲撃によって、49人の兵士が命を落としました。これらの兵士は、報道によれば極端に報酬が少なく、(選出されたロッホ・マルク・クリスチャン)カボレ政府からの適切な供給を受けていませんでした。西アフリカの市民の間での怒りや不人気は一つです。2010年以来20回以上のクーデター未遂がある地域で、軍隊に怒りや不人気を蓄積させることほど危険なことはありません。カボレ大統領は、わずか2か月後の2022年1月にダミバ中佐によって権力の座を追われました。
(ドゥクーレの引用終わり)

 ダミバは、悪化する安全保障と経済状況を食い止めることに失敗した。そのため、2022年9月に35歳の大尉イブラヒム・トラオレ率いるクーデターによって追放された。トラオレは西側諸国からの軍事援助を拒否し、反乱軍の手に落ちている国土の40%を取り戻すために総動員を命じた。また、トラオレは首相にアポリネール・ジョアシャン・キエレム・ド・タンベラを任命した。タンベラはマルクス主義者であり、汎アフリカ主義者であり、1980年代にトマス・サンカラが社会主義を築く取り組みを支持していた。タンベラは今でもサンカラの示した国の展望を支持し、「ブルキナファソはトマス・サンカラが築いた道を外れて発展することはできない」と宣言している。

 トラオレは反帝国主義的政策を推進した。反帝国主義的政策は「特に民衆に人気があり、彼らの間では元植民地支配国に対する反帝国主義的な感情が長らく存在していた」ことが証明されていたからだ。ドゥクーレは次のように書いている:「フランスは国を貧困に陥れ、ブルキナファソでは多くの人から『国の父』と見なされているトマス・サンカラを暗殺した」。

 この地域の歴史を理解している人ならば、なぜ西アフリカ諸国で反帝国主義的な見解が広く共有されているのかを理解できるだろう。反帝国主義の言葉を話す政府がなぜ多くの支持を集めるのかも理解しやすい。そして、西アフリカの軍事指導者が、本当に反帝国主義の主張に真摯であるかどうかは別にして、彼らが国民に非常に人気があることは明白だ。

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ニジェールのM62運動の支持者たちは、外国軍の国外撤退を求めるデモに参加。


ニジェールにおける大衆運動の役割

 ニジェールでは、アブドゥライ・セイドゥに率いられるM62運動を含むいくつかの大衆運動がクーデターを支持する意向を表明している。M62運動は、フランス軍の存在やフランスの新植民地主義に反対するだけでなく、ニジェールに課せられた厳しい社会経済状況にも反対している。そして、その状況は多くの読者が想像するよりも厳しいものだ。新植民地主義になって数十年後、ニジェール人の40%以上が1.90ドル未満の生活を送っている。フランスやカナダの企業は毎年数十億ドルの利益をこの国から搾り取っているのに、だ。

 M62のニアメの事務所は、1983年から1987年の社会主義時代の伝説的な革命指導者であるブルキナファソの指導者トマス・サンカラにちなんで名付けられている。セイドゥはサンカラを自分の「崇拝の対象」と表現している。

 アイリッシュ・タイムズ紙がセイドゥへのインタビューのためにニアメを訪れた際、M62の事務所にはサンカラ、フランツ・ファノン、そしてネルソン・マンデラの写真が飾られていると同紙は報じた。ファノンの写真には「各世代は相対的な闇から使命を見出し、それを果たすか、裏切るかをする必要がある」という彼の言葉が添えられている。また、マンデラの言葉:「自由は決して当然のものとして受け取ることはできない。各世代はそれを守り、拡大しなければならない」も添えられている。

 セイドゥのアイリッシュ・タイムズ紙へのインタビューは、一般的なニジェール市民の苦闘と意見についての重要な洞察を提供しており、彼らの大部分は7月26日のクーデターを支持していることを表明している:

セイドゥは何度も、フランス軍が「国内で混乱を引き起こそうとしている」と非難。また「長い間兄弟だった国」であるマリとの対立を「作り出そうとしている」とも述べている。

M62も生活費の高さに抗議していたと彼は述べている。「今やすべてが値上がりしています・・・生活費は非常に、非常に、非常に高くなってしまいました。燃料価格を上げ、それから油、野菜、米などすべての製品の価格も上げました・・・。だから私たちは政府に対してこれらの価格を引き下げるよう闘っているのです」。

彼は、ニジェール政府は物価を引き上げてより多くの税金を得ているが、「教育、健康など国を前進させることができる他の分野にはそれを使っていない」と非難した。

そして彼は、フランスも一部の責任があると述べた。「まるで(フランス軍)が保護者になって、政府が搾取したり、好き放題のことができるようになっているようです・・・現在でも国内に治安はまったくなく平和もまったくありません」。

彼はまた、2021年末にニジェール西部のテラで数人が死亡したことに言及した。これは、抗議者がマリに向かう途中のフランス軍の車列に立ち向かった際に起こった出来事だ。「(結果的に)何も起こらなかった。まるで彼らは人間でないかのよう、あるいはこの国の国民でないかのようです」とセイドゥは述べた。

セイドゥは、人々が抗議をおこなうことが許されていないのに驚いていると述べた。「この運動は平和的な運動です。(バズム)政府は非常に恐れています・・・ほとんどの人々、国民は私たちを支持しています。まるで大衆運動のようです」と彼は述べた。
(セイドゥの引用終わり)

 西側諸国がしばしばその地域における唯一の民主主義の拠り所と形容してきたモハメド・バズム政権下で、M62の抗議活動力は厳しく制限された。実際、アイリッシュ・タイムズ紙とのインタビューの翌日、セイドゥはバズム政府によって逮捕された。彼に対する最初の告発は「公共秩序を損なう可能性のある情報の発表」だった。その告発は取り下げられたが、彼が裁判所を出る際、再び逮捕され、「ニジェールのセイ地域における金鉱の小屋の焼失に加担したとして告発され」たのだった。

 セイドゥは、重警備刑務所に移送され、そこに拘留されたが、チアニ政権が8月15日に彼を解放した。M62もこの決定を歓迎した。M62の事務総長、サヌシ・マハマンは、セイドゥの釈放に対して次のような声明を出した:「ニアメ控訴裁判所は、我々の同志アブドゥライ・セイドゥに対し9ヶ月の懲役刑を宣告した高等裁判所の決定を取り消しました・・・私たちは常に、アブドゥライ・セイドゥの拘束は恣意的な決定であると述べてきました・・・始めから終わりまで計画的に仕組まれたものだったのです」。

 セイドゥが刑務所から解放されたその日、アメリカはクーデター政権によるバズムの起訴を声高に非難した。アメリカ政府の声明はこうだ:「(バズムの起訴)はまったく正当化されるものではなく、道理にかなっていません・・・これは、私たちの意見では民主主義と正義、法の支配への尊重に対する更なる侮辱です」。

 マリとブルキナファソでは、M62のような市民社会団体が、フランスの新帝国主義、西洋の帝国主義、国内の貧困といった問題に取り組んでおり、例えばマリのYerewoloや、ブルキナファソの全国市民社会機関連絡協議会などが挙げられる。これらの団体は、M62と同様に、自国の軍事政府の反帝国主義的な志向を支持している。


反帝国主義の亡霊

 ニジェールのクーデターは、ギニア、マリ、ブルキナファソのクーデターよりも西側諸国のメディアで遥かに注目されている。なぜか? 明白な答えは、バズムのニジェールがその地域における西側軍事的影響の最後の拠点であり、フランス、アメリカ、そしてカナダなどの大国が、制裁や侵攻の脅しでチアニ政権を転覆させる可能性に必死に固執しているからだ。しかし、考慮すべきは大陸的な文脈もある。

 最近のBreakThrough Newsというメディアのインタビューで、アメリカの活動家ユージン・ピアーより、アフリカの伝統的なエリート層は反西側クーデターの可能性に恐れを抱いていると語った。これらのエリートは、外国の資本とアフリカの労働力の「仲介役」としての地位を享受しており、特権的な立場から、自国民の困窮を背景に莫大な富を蓄えている。その上、彼らは西側の支援を受けた軍隊や警察が現状の変革を求める民衆蜂起を抑え込むことを約束している。

 ニジェールでのクーデターは、これらのエリート層の誤った安心感を打ち砕いた。まるでどこからともなく、ワシントンの西アフリカにおける有望な人物が打倒され、投獄された。同時に、ニジェールの新しい指導層は、自分たちに押し付けられた制度的貧困にうんざりしている幅広い市民の支持を歓迎したのだ。外国資本家や国内のエリートたちは、対照的に、ますます金持ちになっている。これは他のアフリカの指導者たちを揺さぶるに十分な出来事だっただろう。

 以上の分析のいずれも、西アフリカの軍事指導者の政治的性格について読者を誤解させることを狙っているわけではない。彼ら軍事指導者たちは、みんな、反植民地主義と反帝国主義の言葉を口にするが、社会主義的な方針に急激に経済を再編する計画を発表しているわけでない。ある意味では、これは理解できることだ:国土の広大な領域が反乱勢力に支配されている状況では、軍事的な問題が自然と他のすべての問題よりも優先されるからだ。しかし、別の角度から見ると、これは懸念される点でもある。反帝国主義への転換が、不満を抱える人々の支持を動員するため、主に修辞的なものである可能性があるからだ。

 これらのクーデター政権の政治的志向がどうであろうと、西側とアフリカ大陸内の同盟国が激怒していることは明らかだ。また、特にニジェールの場合、クーデターは新植民地主義の犠牲者である不遇で貧困な人々に言葉を投げかけている。先のことはわからない。しかし、現時点では、ワシントンとその同盟国は怒りと不安に震えている。


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オーウェン・シャルクはマニトバ州出身の作家です。カナダのアフガニスタン戦争における役割に関する彼の書籍が、9月にロリマーから発売される予定です。こちらから予約購入が可能です。彼の著作をもっとご覧になりたい方は、http://www.owenschalk.com

MI-6、テロ行為を起こすために「ウクライナ・ナチ・グラディオ死の部隊」をアフリカに派遣

<記事原文 寺島先生推薦>
MI6 to Send Ukraine-Nazi Gladio Death Squads on Terrorist Missions to Africa
出典: INTERNATIONALIST 360°  2023年8月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月24日




(訳者から:本文中の斜字体は、引用箇所)

 「英国の特別機関により形成されたウクライナの部隊が、アフリカの生活基盤施設に対する妨害攻撃を実行し、ロシアとの協力体制を目指すアフリカ諸国の指導者らを暗殺することになるだろう」とその情報筋は答えた。

 英国の諜報機関MI-6は、ウクライナの国粋主義勢力の100人の民兵からなる妨害部隊を、アフリカでの工作のために準備した、と軍・外交関係の情報筋がタス通信に語った。

 「数名の情報源から確認を取った情報によると、英国の特殊機関MI-6 が、アフリカ大陸で動くための妨害および暗殺部隊を立ち上げ、準備したという。この部隊は、ウクライナの国粋主義者およびネオナチ勢力の構成員からなり、アフリカ諸国とロシア間の協力体制を阻害しようとするものだ」とその情報筋は述べた。

 この情報筋によると、ウクライナ政権は7月、同国の国家保安庁であるSBU、軍の諜報機関であるGURと国防省に、MI-6と英国の特殊部隊であるSASを支援する使命を課し、「東の前線」の戦闘体験を幅広く持つウクライナの国粋主義勢力から100人の民兵を選ばせた。そしてこの指令は、英国政府からの要求によりなされた、という。

 「英国の特殊機関により立ち上げられたウクライナの部隊の使命は、アフリカの生活基盤施設に対する妨害攻撃や、ロシアと協力体制を目指すアフリカ諸国の指導者らの暗殺になるだろう」とこの情報筋は語った。

 「ウクライナ国防省のGUR(ウクライナの諜報総局)のV.プラシュチュク中佐が、ウクライナの殺人部隊の司令官に任命された」とこの情報筋は付け加えた。

 ビタリー・プラシュチュク中佐は1980年にウクライナのヴィーンヌィツャ州で生まれた。同中佐は2014年から2016年まで、妨害および偵察部隊の司令官として、ドネツク州とルガンスク州の戦闘に参戦した。

 2015年、プラシュチュク中佐は海上作戦第73センターに配属され、2017年までウクライナ国防省諜報総局(GUR)の局員をつとめた。同中佐はジンバブエでのGURおよび英国諜報機関合同作戦にも参加した。

 プラシュチュク中佐は2019年に現役軍人を引退した。その後、ウクライナの国会であるヴェルホーヴナ・ラーダの議員に選出された。ウクライナでのロシアの特殊作戦が始まった際、同中佐はGURの予備役将校となった。

(以下はタス通信社の記事からの引用)

MI-6はウクライナの妨害部隊をアフリカに派遣する準備

MI-6という名で通っている英国の機密情報機関が、100人のウクライナ民兵からなる妨害部隊を準備し、ロシア・アフリカ間の協力体制に対抗すべく、アフリカに派遣予定だ、と軍・外交の情報筋が述べた。

 この情報源はさらに、2023年7月に英国政府から指示を受けたウクライナ政権が、ウクライナの国家安全保障機関とウクライナ国防省諜報総局(GUR)に命じ、「英国の諜報機関MI-6とSAS特殊部隊の代表者らに対して最大限かつ迅速な支援をおこなうため、ウクライナ国家軍から『東部戦線』において豊富な戦闘体験をもつ100名の兵を選出」させた、ことを伝えた。

 アフリカに配属されるこの部隊の主要な使命の一つは、「アフリカ諸国の生活基盤施設の妨害、ロシアとの協力を求めようとするアフリカ諸国の指導者の暗殺」がある、とその情報筋は付け加えた。

 この部隊がアフリカに派遣される際は、「一般船舶を借り上げ(ウクライナの)イズマイール港から(スーダンの)オムドゥルマン市に8月の後半に派遣となる予定だ」と同情報筋は述べた。

 GURのビタリー・プラシュチュク中佐は、「敵の一掃に成功した」体験をもち、ジンバブエでのMI-6による工作活動に参加した経歴を持つが、この中佐が、この部隊の長をつとめることになる、とこの情報筋は語った。

 ヴィーンヌィツャ州出身者であるプラシュチュク中佐は、2014年から2016年まで、妨害および偵察部隊の司令官として、ドネツク州とルガンスク州の戦闘に参戦した経歴を持ち、その際「敵の掃討に成功した」体験が何度かある、という。2015年、同中佐は海上作戦第73センターに配属され、2017年まで諜報活動に携わった。総局(GUR)の局員をつとめた。同中佐はジンバブエでのGURおよび英国諜報機関合同作戦にも参加した。

 プラシュチュク中佐は2019年に現役軍人を引退した後、ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナの国会のこと)の議員に、ウラジーミル・ゼレンスキーの「国民の僕(しもべ)」党から選出された。ウクライナでのロシアの特殊作戦が始まった際、同中佐はGURの予備役将校となった。

 昨年11月、独立系通信社であるグレー・ゾーンがいくつかの文書や通信を引用して、英国の諜報員らがウクライナの国家保安庁と合意文書を交わし、ウクライナの「ゲリラ・テロ部隊」に訓練を施し、クリミアでの妨害活動を組織した、と報じた。

 「ゲリラ」部隊の創設を提唱していたその人々が、クリミア橋攻撃の計画を練った責任者だった:具体的には、NATOのクリス・ドネリー事務総長特別顧問、英国対外諜報機関 (MI6)のガイ・スピンドラー、リトアニアのアウドリウス・ブトケヴィチュス元国防相だ。
 
 当初、これらのウクライナ国民は西ウクライナのリヴィウ州ヤヴォリウ訓練場で訓練がおこなわれるとされていた。その後、これらの戦闘員たちはギリシャとポーランドで訓練されることが決まった。

 2011年以降、英国の特殊部隊はウクライナとロシアを含めて、少なくとも19カ国での秘密作戦に関わっている、という研究結果が5月にロンドンを拠点とした非営利組織である「軍による暴力行為に対する行動(AOAV)」という組織から出された。

 ウクライナにおいて、英国の工作員らは偵察活動や、ウクライナ軍の戦士たちの訓練を、米国の諜報諸機関とともにおこなってきた、とこの文書の書き手たちは記した。英国の特殊機関による機密作戦に関するこの基礎資料から浮かび上がる疑問は、これらの活動に透明性や法的正当性があるのかという問題である、とこの組織は記した。

 AOAVによると、英国の特殊部隊が秘密裏に動いている国々には、エストニア、イラン、リビア、パキスタン、ロシア、ウクライナがある。さらに、英国の特殊部隊が訓練を施しているのは、オマーン、トルコ、サウジアラビアだという。英国の特殊部隊が動いている国々を完全に網羅した一覧表は、もっと長いものになるだろう、とこの非営利組織は付け加えた。

米国、ニジェールで板挟み

<記事原文 寺島先生推薦>
The US is caught in a dilemma with Niger
筆者:スコット・リッター(Scott Ritter)
出典:RT  2023年8月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月22日

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スコット・リッターは元アメリカ海兵隊の情報将校であり、『ペレストロイカ時代の軍縮:軍備管理とソビエト連邦の崩壊』という著書がある。彼はソビエト連邦でINF条約を実施する検査官として勤務し、湾岸戦争中にシュワルツコフ将軍の下で働き、1991年から1998年まで国連の兵器検査官として勤務した。
@RealScottRitter@ScottRitter


先週、アメリカ合衆国の臨時副国務長官ビクトリア・ヌーランドは、過去2年間で3回目となるニジェール訪問をおこなった。

 今回、ヌーランドはアフリカの国に滞在したのは、7月26日の軍事クーデターに対応するためだった。このクーデターにより、憲法に基づいて選出された大統領モハメド・バズムは、新たに形成された「国土保護のための国民評議会」傘下で活動する一団の軍の将校たちによって追放された。この評議会は、大統領護衛の指揮官であるアブドゥラフマン・チアニ将軍が率いている。彼は、その後、自らを新たな国家元首である宣言した。

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 ヌーランドは、追放された大統領バズムと新政権の指導者であるチアニ将軍との会談を求めた。しかし、両者から(会談を)拒否された。代わりにチアニ将軍の軍最高司令官であるムーサ・サラウ・バルム将軍と緊迫した対話をおこなった。彼女はバルムとの会話を「率直」で「困難」だったと評した。しかし、ヌーランドはニジェールのクーデターを率直にクーデターとは呼ばず、それを国内政治の一時的な問題と見なし、アメリカから適切な圧力をかけることで克服できるものとして扱った。

 このアメリカなりの言い方の裏には、法律的な理由がある。法的に、アメリカがニジェールのクーデターをクーデターと認識すれば、現在ニジェールに駐留する約1,100人のアメリカ軍人とニジェール軍の対等な関係にあるすべての軍事的相互作用、およびその他のアメリカ資金援助は全て中止されなければならないのだ。問題の法律(公法117-328の第K部門の第7008条として知られる)は、国、国外の作戦、そして関連する計画(SFOPS)を支えるために議会が充当する資金について、「正当に選出された政府の首脳が軍事クーデターまたは布告によって失脚した国の政府に直接的財政援助を義務づけ、あるいは消費することは一切できない」と明確に規定している。

 ヌーランドは、チアニ政府代表団との2時間にわたる議論の中で、現在アメリカとの関係が中断されているものの、それが永久的に停止されているわけではないことを明確にした。会議後の映像記者会見で、ヌーランドは大統領バズムを大統領に復帰させられなかった場合の影響を強調した。ニジェールの特殊部隊将校であるバルムは、米国の軍事学校で訓練を受け、ニジェールでの米軍訓練担当者たちと広く交流していた。バルムの個人的な経験は、今日の米国の西アフリカにおける軍事的存在と使命の基盤として機能している。

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READ MORE:Victoria Nuland, Washington’s ‘regime change Karen’, wants to speak to the manager in Niger

 アメリカ、フランス、および他のヨーロッパの同盟国は、西アフリカのサヘル地域におけるイスラム過激主義との長年にわたる戦いを展開してきた。ニジェールは、2つの主要なアメリカの基地を受け入れており、1つはニジェールの首都ニアメの外にある「101基地」として知られるもので、もう1つはアガデズ(サハラ砂漠の南端に位置する都市)に位置する「201空軍基地」だ。両基地は、MQ-9 リーパー ドローンや固定翼機による米国の情報収集、監視、偵察(ISR)作戦、および共同特殊作戦航空部隊による飛行などを支援しており、また他の米国の軍事作戦、軍事空輸、特殊部隊の訓練部隊も支援している(フランスもニジェールにおいて1,000人以上の軍事拠点を維持しており、さまざまな欧州連合(EU)諸国から数百人の軍事人員も存在している)。

 隣国のマリでアメリカ、フランス、EU、そして国連の軍事力が崩壊し、チャドでの軍事クーデターの影響もあり、ニジェールはサヘル地域におけるアメリカ主導の対テロ対策の最後の拠り所として浮上している。もしアメリカがクーデターのためにニジェールとの関係を断つことになれば、この地域でのアルカイダとイスラム国によるテロの脅威に対抗するための西側の対テロ対策は一切なくなるだろう。

 ワシントンの観点からすると、アメリカとニジェールの軍事間支援の途絶によって生じる最大の脅威は、イスラム原理主義に触発されたテロの潜在的な拡散ではなく、むしろロシアの影響力だ。特に、ロシアの外交政策目標と同調する形で行動すると思われる私設軍事会社であるワグナー部隊による軍事安全保障支援が懸念されている(クレムリンもチアニ政府も、ニジェールでのワグナー活動報告について何も語っていない)。

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READ MORE:Washington worried about Wagner in Africa-Blinken

 先月のロシア・アフリカサミット前、プリゴジンは、6月23日から24日の未遂に終わった反乱事件(この事件によりドンバスでのワグナーの活動が停止)の後にベラルーシに移動したワグナー部隊と会っている。その際、彼はアフリカが将来のワグナーの活動において果たす重要性を強調している。ワグナー部隊は、その存在が中央アフリカ共和国、リビア、マリを含むいくつかのアフリカ諸国で報告されている。ニジェールのクーデターを指導した上位軍人たちは、マリでワグナーの関係者と会い、ワグナーとニジェールの間の安全保障協力について協議したと言われている。ニジェールのクーデター政府との会議中、ビクトリア・ヌーランドは、ワグナーがニジェールで展開する可能性を懸念すべき材料として取り上げ、ワグナーはアフリカの安全保障に有害な役割を果たしている、とニジェールの関係者に伝えたことが報告されている。ワグナーとニジェール代表者間の会議が報告されたことは、ヌーランドのメッセージが彼女の招待主(ニジェール政府)に届かなかったことを示している。

 アメリカ合衆国は、米国援助を法的に受け取ることができない国の政府との関係を維持したいという願望と、第7008条によって米国とニジェールの関係を断絶する必要がある場合に生じる結果との間で板挟みになっているようだ。ヌーランドも彼女の上司である国務長官のアントニー・ブリンケンもまだ口にしていない選択肢がある。2003年初頭、米国議会は第7008条を改正し、国務長官が「米国国家安全保障上の利益」を理由に権利放棄を求めることができるようにしたのだ。

 こうした権利放棄に関して、アメリカには2つの大きな障壁がある。第一に、バズム大統領を再び政権に返すためにアメリカが費やした多大な政治的資本だ。これを今ひっくり返すことは、バイデン政権がやりたがらない現実政治へ同意するようなものだろう。第二に、ニジェールは今後の選択肢を評価した結果、以前にアメリカと享受していた緊密な関係を維持する興味をもはや持っていない可能性がある。ニジェールは、マリ、ブルキナファソ、そしてギニアと同様に、フランスとの植民地主義後の関係の衣を脱ぎ捨てた。この関係は、西アフリカとサヘル地域における米国の国家安全保障政策と密接に関連していた。米国とニジェールの関係の運命の時は刻まれている。ビクトリア・ヌーランドや他のアメリカの高官たちがこの結果を変えるためにできることはほとんどないようだ。

日本はアフリカへの影響力競争では勝てないとの専門家による分析

<記事原文 寺島先生推薦>
Japan cannot compete for influence in Africa, analyst tells RT
出典:RT 2023年8月3日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年8月10日



2023年8月1日、プレトリアでの国際関係協力局での会議に到着時、南アフリカ共和国のナレディ・パンドール外務大臣(右)と握手を交わす日本の林芳正外務大臣(左)© PHILL MAGAKOE / AFP


日本は「アジアの米国」であり、「人民の自由という点においては歴史上ずっと間違った立場に」立ち続けてきた、とジャッキー・シャンドゥ氏はRTの取材に応答

 日本や西側諸国は、アフリカ諸国の中国に対する感情を動揺させようとしているが、アフリカに対する影響力競走に「勝機はない」と独立系の分析家であるジャッキー・ジャンドゥ氏がRTの取材に答えた。

 シャンドゥ氏のこの発言は、日本の林芳正外務大臣と英国のジェームズ・クレバリー外務大臣による今週のアフリカ訪問について述べたものであったが、これらの外務大臣のアフリカ訪問は、サンクトペテルブルクでのロシア・アフリカ首脳会議を受けてのものだった。

 英国の外務大臣はアフリカ3カ国訪問を、月曜日(7月31日)のガーナとナイジェリア訪問から開始し、火曜日のザンビア訪問で幕を閉じることになっている。

 英国によると、クレバリー外務大臣の訪問の目的は、「将来を焦点に置いた双方向で利益が得られる」アフリカ諸国との友好関係の強化のためだというが、国営放送であるBBCは、この訪問は、ロシアと中国の影響力の増大に対抗するためだ、と報じた。

 ナイジェリア最大の都市ラゴスでの火曜日(8月1日)の演説において、クレバリー外務大臣は、世界中で何百万もの人々が食べ物を得ようと苦しんでいる中で、「食糧をわざと燃やす」という「新たな体たらく」を見せたとして、ロシアを非難した。

 同外務大臣によると、英国はアフリカ諸国が「この先の国際社会上の秩序」を決める際に、決定的な役割を担っていることを認識しているとし、そのことこそが英国が、「以前からの古い友情を再確認して、新たな友情を築く」理由だ、とした。

 いっぽう、クレバリー外務大臣と歩を同じくしている日本の外務大臣がアフリカ諸国訪問を始めたのは、火曜日のことで、訪問国はロシアにとっての主要な友好諸国である、南アフリカ共和国、ウガンダ、エチオピアで、その目的は、貿易、投資、エネルギー面での双方向の協力体制の強化のためだった。

  アフリカ開発銀行のウェブサイトに最近載った報告書によると、日本が外国諸国に対して直接投資している2兆ドル(約287兆円)のうち、アフリカ諸国への投資はたったの0.003%にすぎない、という。さらにその報告書によると、アフリカ諸国と日本の輸出入は、総輸出入の2%にも満たないままだ、という。

READ MORE: US evacuates embassy staff from Niger

  水曜日(8月2日)のRTの取材に対し、シャンドゥ氏は、アフリカ諸国への投資という点において、日本が中国と競争するのは不可能だ、と主張した。

 「中国は長年アフリカ諸国と行き来し」、多額の出資をしてきた、と同氏は述べ、アフリカにおける中国の経済上の影響力や中国に対する各国の捉え方を変換させる件に関して、日本に「勝機はない」とも付け加えた。

 「概して日本が同盟関係を結んできたのは、アフリカの敵勢力やアフリカを抑圧しようとしてきた勢力です。日本は、アフリカを貧困で搾取され発展途上のままの状態に留めようと必死につとめている人々や国々と繋がってきたのです」

 シャンドゥ氏は日本を「アジアの米国」と評し、日本は「人民の自由という点においては、歴史上ずっと間違った立場に立ち続けてきた」と述べた。

アフリカの人々はロシアの兵器が西側と比較して優れていることを知っている―ロシアの外交官の発言

<記事原文 寺島先生推薦>
Africans know Russian weapons are better than Western rivals – diplomat
出典:RT  2023年8月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月10日



資料写真© ロシア国防省、スプートニク経由


ウクライナ紛争は、ロシアと西側を比較するきっかけとなった、とロシア・アフリカ友好会議特使は発言

 オレグ・オゼロフ大使は火曜日(8月1日)、アフリカの指導者らはウクライナとの紛争中にロシア製の兵器と西側の兵器の性能を比較することができた、と述べた。

 ロシア・アフリカ友好会議の事務局長であるオゼロフ氏は、アフリカ諸国との関係におけるモスクワの代表者である。同氏は火曜日夕方、チャンネル1のニュース番組「グレートゲーム」で、ロシア政府と大陸間の軍事技術協力が急速に拡大している、と述べた。

 オゼロフ事務局長は、「アフリカ諸国は戦闘作戦の経緯を注意深く研究しており、大々的に宣伝されている西側の兵器よりもロシアの兵器のほうが、品質がはるかに優れているという事実に注目しています」と述べ、これが武器売却への関心に拍車をかけている、と付け加えた。


READ MORE:Russia-Africa Summit organizer speaks to RT

 先週、サンクトペテルブルクで開催された第2回ロシア・アフリカ首脳会議には、アフリカ48カ国の代表が出席した。なお、2019年のソチでの第1回会合には43カ国の代表が出席していた。今回の会議には17カ国の首脳陣の出席に留まったが、その理由のひとつに、西側諸国政府からの激しい圧力により、一部の国は首脳を派遣することをとりやめ、議員や大臣や大使の派遣にとどめたことがある。

 ロシア政府はサミットが大成功だったと評価し、その結果、4つの重要な宣言、2つの覚書、そしてロシアとアフリカ諸国および地域連合との間の161の公的協定が結ばれた。9千人近くの参加者が出席し、合計59 の分科会に457人の講演者が参加した。


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 アフリカの指導者たちが関心を示したのは武器だけではなかった。主催者によると、来場者は人道問題や技術問題、農業、エネルギーなどについて多くの議論を交わしたという。

 ウラジーミル・プーチン大統領は閉会の辞で、ロシアはアフリカ大陸で増大するエネルギー需要を満たす支援をおこなう、と述べた。その直後、ロスアトム社はエチオピアでの原子力発電所建設の可能性を検討するため、エチオピア政府との計画に署名した、と発表した。ロシアの原子力複合企業のロスアトム社は、すでにエジプトに4基の原子炉を建設しており、2030年までに全容量の4800メガワットで運転を開始する予定だ。

ロシアとグローバル・サウス(新興・発展途上諸国)との繋がり:戦略的友好国としてのアフリカ諸国

<記事原文 寺島先生推薦>
The Russia-Global South Connection: Africa as Strategic Partner
出典:ストラテジック・ファンデーション・カルチャー(Strategic Culture Foundation)
2023年7月26日
筆者:ぺぺ・エスコバル(Pepe Escobar)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2023年8月10日



 いまロシア政府は、全力を尽くして、実り多き、世界の大多数の国々が中心となる戦略的友好関係を打ち立てようとしているようだ。

 第2回ロシア・アフリカ諸国首脳会議が、今週サンクトペテルブルクで開催されたが、この首脳会議は、グローバル・サウスの統合への一里塚として見るべきであり、さらには世界の大多数の国々がより平等で、より公正な世界の多極的枠組み作りに向けての動きであるとも目すべきだ。

 この首脳会議には49ものアフリカの国々の代表団が出迎えられた。この会議に先立ちプーチン大統領は、この首脳会議により包括的宣言と2026年までも続くロシア・アフリカ友好会議の行動計画が採択される予定だ、としていた。

 タンザニアの伝説的な反植民地主義活動家であり、初代大統領でもあるジュリウス・ニエレレの息子のマダラカ・ニエレレ氏がRTの取材に対し、アフリカが発展できる唯一の「現実的な」方向性は、連帯することにより、搾取しようとする外国勢力の代理人になることをやめることしかない、と述べた。

 さらに、その協力体制は、BRICSを通じて道が開かれるとし、間もなく南アフリカで開かれるBRICSの重要な会議がその道の始点となり、ますます多くのアフリカ諸国がBRICS+に加入することになるだろう、とも述べた。

 ニエレレ氏の父は、アフリカ統一機構を推し進める重要な力となった。なおこの機構はのちに、アフリカ連合に昇華した。

 南アフリカ共和国のジュリアス・マレマ氏は、統一されたアフリカという地政学的な概念を以下のように端的に拡大解釈している。「彼ら(新植民地主義者)が広めようとしているのは、アフリカの分断です。天然資源に基づく新たな貨幣制度もとで、コンゴ民主共和国が持つ天然資源と南アフリカ共和国が持つ天然資源が組み合わさるという状況を想像してみてください。アフリカ合衆国という国を立ち上げることができれば、ドルに勝てますよ」。

人道主義がなければ取引はできない

 ヴァルダイ・クラブでのロシア・アフリカ会議は、来たるべくサンクトペテルブルクでのロシア・アフリカ首脳会議に向けて、専門家らが視座を合わせる一種の最終調整のような機能を果たした。特にこの会議の、第一部がそうだった。

 この第一部は、プーチン大統領がロシア・アフリカ間の関係について包括的分析を披露したあとに開かれた。その中でプーチン大統領が特に強調したのは、国連、トルコ、ロシア、ウクライナが参加した穀物協定の腐敗さについて、だった。

 ロシア連邦院のワレンチナ・マトヴィエンコ報道官が語気を強めたのは、「ウクライナと米国とNATOが穀物回廊を妨害しようとした」手口について、だった。

 自身の論説により、プーチン大統領は以下のように説明した。「ほぼ1年間、合計3280万トンの積荷が、ウクライナから『協定』に基づき輸出されました。そのうち7割以上が、高収入あるいは中間層以上の収入を得ている国々に送られました。その中には欧州連合加盟諸国も含まれていました。いっぽう、エチオピア、スーザン、ソマリア、さらにはイエメンやアフガニスタンといった国々には総輸出量の3%も満たない量である100万トン未満しか輸出されていません」と。

 つまりこのことこそが、ロシアが穀物協定から離脱した主要因なのだ。ロシア政府はロシアがこの状況を回復させるために必要となる要求一覧書を提示した。

 その要求の中にあるものといえば、世界市場に向けて輸出されるロシアの穀物と肥料に対する制裁を真に実用的に終わらせること、銀行や金融機関に妨害させないこと、船舶の貸切や保険に制限をかけないこと、などだ。そして全ての食料供給を健全な物流にすること、トリアッティ-オデッサ間のアンモニアのパイプラインを復旧することだ。

 中でも特に重要なことは、「穀物協定が本来有している人道主義」を復活させること、だ。米国の外交政策を牛耳っているシュトラウス派のネオコンの陽動作戦に取り込まれている西側勢力には、これらの要求の全て、いやそのうちのいくつかさえ、満たす力はない。だからこそロシアは独力で、穀物や肥料を無料で最貧諸国に提供し、他の国々に対しても通常の商業条件下での穀物提供の契約を結ぼうとしているのだ。供給が保障されるということだ。ロシアが今期、これまでで最大の収穫をしたその穀物を供給できるのだ。

 これらは全て国家主権の問題だ。バイダンでの話し合いにおける主要議題は、新植民地主義に対する戦いにおける国家主権の重要性について、だった。それは世界における平等主義と正義の実現に繋がるからだ。

 ロシア外務省特使でロシア・アフリカ友好会議の事務局長でもあるオレグ・オゼロフ氏が強調したのは、 アフリカの「元」友好諸国であった欧州諸国が一方的にロシアを非難する際に、アフリカは「主権を獲得して」おり、「新植民地主義を否定している」という口実に固執している点について、だった。

 オゼロフ氏は、「仏-アフリカ関係は破綻していますが、その裏にロシアがいる訳ではありません。ロシアはアフリカが多極化世界における勢力のひとつであることを確認しています」とし、「ロシアはG20加盟国であり、国連安全保障理事国でもあるのですから」と述べた。さらにロシア政府は、ユーラシア経済連合 (EAEU)のもとでの自由貿易協定をアフリカ諸国に拡大することに関心を示している。

グローバル・サウスの「多方面」協力体制へようこそ

 この様な方向性はすべて、ロシア・アフリカ首脳会議の共通主題である「多方面協力体制」を詳しく説明するものだ。南アフリカ共和国代表は、 プーチン大統領は、BRICS首脳会議に対面参加しないことに対する激しい議論について特に触れ、こう述べた。「アフリカ諸国はどちらかの側につくつもりはありません。求めているのは、平和です」と。

 大事なのは、アフリカ諸国がBRICSにもたらすものだ。それは、「市場と、教育を受けた若年世代」なのだ。

 アフリカに向けたロシアのかけ橋の上で必要とされることは、例えば、「海外線沿いの鉄路」である。それはロシアの援助により開発できるものであるし、もちろん中国がすでに一帯一路構想のもと、アフリカ各地に幅広く投資しているのではあるが。結局ロシアがやってきたことは、「アフリカ各地での多くの専門家の訓練」だった。

 広く共通理解されていることであり、今回の首脳会議で反映されるであろうことは、アフリカ諸国がグローバル・サウスにおける経済成長の柱となりつつある、ということだ。そのことは、アフリカ専門家らはだれも承知していることだ。アフリカ諸国の国家機関は安定しつつある。ロシアと西側間の底知れぬ危機が、最終的にはアフリカへの大きな関心を引き起こすことになったのだ。いまやアフリカがロシアの国家戦略にとって最優先事項になっていることには何の不思議もない。

 では、ロシアが提供できるものとは何だろう?本質的には資産目録であり、重要なことは国家主権という考え方だ。見返りを何も求めない、ということだ。

 マリの事例が素晴らしい事例となる。マリとロシアの関係は、ソビエト社会主義連邦共和国が投資して労働力を訓練していたところにまで遡る。少なくとも1万人のマリ国民が第1級の教育を施されたが、マリの大学教授の8割がその教育を受けていた。

 そのような状況が、サラフィー・ジハード主義連合によるテロの脅威によりさえぎられている。この勢力は9-11以前から、おなじみのあの勢力から援助を受けていた。マリは少なくとも35万人の難民を抱えているが、これらの難民はみな失業者だ。フランスがこの状況に「対策」を講じてきたが、「完全な失敗」に終わっている。

 マリに必要なのは、「より幅広い措置」だ。その中には、新たな貿易体制の立ち上げも含まれる。ロシアがマリに伝授したのは、新しい仕事を創設する基盤組織の立ち上げ方である。今こそ、ソビエト社会主義者連邦共和国で訓練を受けた人々の知識を完全に活かすべき時だ。さらに、2023年においても、マリから100人を超える留学生が、国による奨学金制度を使ってロシアに学びに来ている。

 ロシアがアフリカの仏語圏に割り込もうとする中、以前の「友好諸国」が、予想どおり、マリとロシア間の協力関係にイチャモンをつけに来ている。詮無いことだ。マリは仏語を公用語から除外したところだ。(仏語は1960年以来公用語だった)。

 新憲法のもとでの6月15日の国民投票において、96.9%という圧倒的多数で、仏語は、ただの使用言語扱いになるいっぽうで、13の国語が公用語に格上になる。

 本質的な話をすれば、これは国家主権の問題なのだ。並行して起こっているのは、マリやエチオピアといったこれまで一度も植民地になったことのないアフリカでたった二つの国から見れば、西側がアフリカ大陸各地において驚くべき速度で道徳的権威を失いつつあるという現象だ。

 アフリカ内の多くの国々は、ロシアが新植民地主義から脱する道に積極的に誘ってくれていることを理解している。地政学的資本という観点からすれば、ロシア政府は今、全力を尽くして、世界の大多数の国々との実り多き戦略的有効関係を享受しようとしているように見える。

中央アフリカ共和国が、ロシア兵士らとの防衛上の契約を締結

<記事原文 寺島先生推薦>
African country confirms defense contract with Russian fighters
出典:RT  2023年7月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月1日


ワグナーPMC(民間軍事会社)は中央アフリカ共和国の大統領を保護している、と同国の国家元首顧問の一人が発言


資料写真:中央アフリカ共和国軍にロシアの装甲車両を納入中、バンギの街路を走行する装甲兵員輸送車。© AFP / カミーユ・ラフォン


 中央アフリカ共和国はワグナー民間軍事会社と防衛契約を結んでおり、それが国の安全保障の強化に役立っている、とフィデル・グアンジカ特別大臣兼大統領補佐官が述べた。

 ロシアのこの民間軍事会社の構成員は地元部隊を訓練し、ファウスティン・アルカンジュ・トゥアデラ大統領を守っている、と同顧問は土曜日(7月22日)のアル・アラビーヤ紙の取材で述べた。

 NATOと西側諸国はアフリカを不安定化しようとしているが、中央アフリカ共和国は政変を恐れてはいない、というのも、ロシア政府から安全保障支援を受けているからだ、とグアンジカ大統領補佐官は主張した。

 ロシアのセルゲイ・ラブロフ外務大臣によると、ロシア国防省も中央アフリカ共和国に「数百人」の軍事教官を派遣したという。

 同国が2022年まで軍を駐留させていたフランスからロシアに目を転じるようになったのは、フランスがテロと戦うための武器提供を拒否したためである、と同大統領補佐官は説明した。

 中央アフリカ共和国とロシア間の協力は相互に有益なものだが、フランスは同国を「私有財産」として扱い、同国の資源を搾取しようとしていた、と同補佐官は述べた。



 関連記事: アフリカの指導者、ロシアの安全保障計画を明らかに

 7月初旬、AFP通信の報道によると、6月23日から24日にかけてロシアで起きた反乱が失敗に終わった後、ワグナー民間軍事会社の構成員らは中央アフリカ共和国を離れることになる、とのことだった。

 当時、グアンジカ大統領補佐官はこれらの主張を否定し、誤った情報を広めたとしてフランスの通信社であるこのAFP通信を非難した。

 以前の取材で同補佐官は、中央アフリカ共和国は、ロシアがどんな形で提案したとしても、ロシアとの安全保障協力関係を積極的に継続する、としていた。「もしロシア政府が彼ら(ワグナー民間軍事会社)を撤退させ、ワグナーではなくベートーベンやモーツァルトを送ることを決定したとしても、我々はそれらの兵を受け入れるつもりです」とグアンジカ補佐官は語っていた。

 クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は6月下旬、ロシア当局は中央アフリカ共和国との安全保障協力を「楽しんで」おり、ワグナーの反乱にも関わらず協力は維持されるだろう、と述べた。

 ラヴロフ外相は数日後、ロシア政府が中央アフリカ共和国やアフリカの他の場所での任務を終了するようこの民間軍事会社に要求しないことを明言した。

 同外務大臣によると、この民間軍事会社に所属する兵士らは、アフリカ諸国政府とワグナー代表との間で直接合意された内容に基づいてアフリカ諸国に派遣されている、という。

 「今後のこれらの協定の方向性については…当該諸国の政府に決定権があるということが何よりも必然です。そしてそれは、この協力体制の形を継続することにより、各国の国家機関の安全を確保することに関して、各国に利益があるか、という点において決められるべきものです」と同外相は説明した。

 関連記事: ジョージ・クルーニー、ワグナー民間軍事会社の「解体」を要求

 ワグナーの反乱に終止符を打つための協定の一環として、民間軍事会社の構成員には、引退するか、ロシア軍と契約を結ぶか、同民間軍事会社のエフゲニー・プリゴジン代表とともにベラルーシに移住するか、という3つの選択肢が与えられた。

アフリカには、ウクライナの穀物のごく一部しか到達していない–イタリア国防相の報告

<記事原文 寺島先生推薦>
Tiny portion of Ukrainian grain reaches Africa – Italian defense minister
Guido Crosetto has warned that if poorer nations do not receive vital food supplies it could destabilize the region
グイード・クロセット国防相は、貧しい国々が重要な食料供給を受け取れなければ、当該地域を不安定にする可能性があると警告。
出典:RT  2023年7月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月27日



資料写真©ゲッティ・イメージズ/ アレクセイファーマン


 イタリアのグイード・クロセット国防相は、黒海穀物合意で決められた目標に反して、ウクライナの穀物輸出のごく一部しかアフリカには届かず、アフリカ大陸の主食の価格を高騰させていると主張した。

 金曜日(7月21日)に通信社の「ラ・スタンパ」の取材で、クロゼット大臣は、最近ロシアが延期を表明したウクライナの穀物取引が北アフリカの安定に影響を与える可能性があるかどうかについて質問を受けた。同大臣は、「すべてのことが関連しているため、この件が懸念の要素であることは間違いありません」と答えた。

 「輸出されたウクライナの穀物の95%はアフリカには届いていません。これらのアフリカ諸国が必要な物資を手にすることができていないので、アフリカ諸国は他の地域に目を向けています。そのため必然的に世界で穀物価格が上昇し、アフリカ諸国が輸入することがさらに困難になっています。このような状況により、すでに困難に陥っている地域がさらに不安定化しており、この問題は明らかにヨーロッパにも影響を及ぼしています」とクロセット大臣は述べた。

 ロシアが、トルコと国連が仲介した黒海穀物協定合意の「終了」を発表したことを受け、今週初め穀物価格が急騰した。

 2022年7月に発効し、それ以来繰り返し延長されてきたこの協定の下で、ロシアは黒海沿岸にあるウクライナの複数の港の封鎖を解除し、ウクライナの穀物の世界市場への輸出を可能にした。同協定はまた、ロシアの穀物と肥料の輸出に対する障壁を取り除くことになっていた。



 関連記事: ロシアはアフリカに無料の穀物を届ける準備ができている–プーチン大統領の声明

 しかし、モスクワは、合意の下でなされた約束のどれも守られなかったと主張し、ウラジーミル・プーチン大統領は先週、「ロシア連邦の利益に関連する目標は何ひとつ達成されなかった」と主張し、この協定を「一方的な試合である」と表現した。

 ロシアはまた、貧しい国々の飢饉を回避するという本来の目的のために穀物取引を使用しなかったとして、西側を繰り返し批判してきた。ロシア側によれば、同協定においては、アフリカ諸国を含む貧しい国々に農産物が届けられることになっていたが、その大部分がこれらの地域には届かず、欧州に届いている、という。

 3月に遡ると、そのときにウラジーミル・プーチン大統領が発表した内容は、ロシアが黒海取引を一時停止した場合、「それまでにロシアからアフリカ諸国に送られた[穀物の]全量」を困窮している国に無償で送る計画を検討する、ということだった。

米国がウクライナにクラスター弾を送るのは「自らの地位を貶める行為だ」―イーロン・マスク談

<記事原文 寺島先生推薦>
US ‘debases itself’ by sending cluster munitions to Ukraine – Musk
Moscow recently said the deliveries would make Washington an accomplice to civilian deaths
ロシア政府は先日、この爆弾を提供することで、米国政府は民間人殺害の共犯者となるだろうと述べた
出典:RT  2023年7月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年7月23日



2023年6月16日、パリで開催された新興技術及び技術革新見本市「ビバテック」訪問時に行った演説中一点を見つめる、スペースX社及びテスラ社のイーロン・マスク最高経営責任者©Alain JOCARD / AFP


 米国は広く禁止されているクラスター弾をウクライナに供給することで自らを「堕落させた」とテスラ社及びスペースX社のイーロン・マスク最高経営責任者は語り、さらにこのような兵器は紛争に重大な影響を及ぼさない、とも付け加えた。

 この億万長者は土曜日(7月15日)、「ウクライナに送るための通常の弾薬がなくなったので、絶望のあまりクラスター爆弾を送り込むという自らを貶(おとし)めるような行為を行ったが、結果は変わらないだろう」とツイートした。

 マスク氏は、下院の共和党議員98名と民主党議員49名らの努力を称賛した。これらの議員は、ウクライナへのクラスター弾の移送禁止に賛成票を投じたからだ。ただし、最終的には議案を変えることはできなかった。「米国の堕落を止めようとしてくれてありがとう」とマスク氏はツイートした。

 米国は今月初め、ウクライナ政府へのクラスター弾の引き渡しを承認したが、ジョー・バイデン大統領はこの動きを応急処置的なものだとし、需要が急増する中で軍需生産を追いつけるためものだとした。そしてそれは、米国政府もウクライナ政府も、通常弾が不足しているためだとした。



 関連記事:ロシア、米国にクラスター爆弾について警告

 クラスター弾が100カ国以上の国々で禁止されている理由は、爆発した際に、広範囲に大量の子爆弾を放出し、その子爆弾が不発のままになることがしばしば起こり、戦闘が終わった後でさえ、市民に対して長期に渡り脅威を与え続けるからだ。

 英国、カナダ、ドイツなど米国が長年同盟関係を結んできた多くの国々は、米国によるこの決定に懸念を示しており、これらの国々はウクライナ政府に問題の多いこの爆弾を送る気はない、としている。

 ロシア当局は、米国によるウクライナに対するクラスター弾の搬入を強く非難している。外務省のマリア・ザハロワ報道官は、このような動きによっても、この戦争の状況を変えることはないが、米国政府が、「(ウクライナ)領内に地雷を埋めるという罪の共犯者」となる、つまり、「ロシア・ウクライナ、両国の子どもたちが亡くなることに対して全面的に責任を負うことになる」と警告した。

 ロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣は、米国政府がクラスター弾をウクライナ側に提供することがあれば、ロシア側も、「ウクライナ軍に対して、同等の兵器を使用せざるを得なくなる」と警告した。

追悼:パトリス・ルムンバ・・・1961年1月17日に暗殺

<記事原文 寺島先生推薦>

In Memory of Patrice Lumumba, Assassinated on 17 January 1961

エリック・トゥーサン(Eric Tousaint)

2021年1月19日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2021年5月17日


 国民が参加したコンゴ初の本格的な選挙で圧勝したパトリス・ルムンバは、1960年6月24日コンゴ首相となった。同年9月14日、ジョセフ=デジレ・モブツ(Joseph-Désiré Mobutu)大佐とその支持者たちに首相の座を追いやられ、投獄された。その後、モブツはコンゴの支配者となった。最初は表舞台には出なかったが、1965年から1997年に彼の政権が転覆されるまで直接コンゴを統治した。

 1961年1月17日、コンゴの独立、社会正義、そして国際主義のために立ち上がった偉大な闘士であるルムンバは、欧米列強に加担したコンゴの指導者たちやベルギーの警察・兵士たちによって拷問され、数人の仲間とともに処刑された。ルムンバはまだ35歳であり、自国コンゴで、アフリカで、そして世界レベルで重要な役割を果たし続けることができたはずである。

 ジャーナリストのコレット・ブレックマン(Colette Braeckman)はこう書いている:
「コンゴの首相パトリス・ルムンバは、9月、違法に首相職を解任され、自宅軟禁された後、シスビルに拘留され、翌年1961年1月17日にカタンガに送られた。カタンガの地に到着してから5時間後、彼は2人の仲間であるモーリス・ムポロ(Maurice M’Polo)とロバート・オキト(Robert Okito)とともに処刑された。」 [1]

 ルムンバ殺害に直接参加したコンゴの指導者の中には、コンゴ・カタンガ州大統領を自認するモイーズ・チョンベ(Moïse Tshombé)がいた。コンゴ・カタンガ州は1960年6月30日のコンゴ独立から2週間も経たない1960年7月11日に分離独立している。モイーズ・チョンベが宣言したカタンガ州の分離独立は、パトリス・ルムンバ首相率いる政府を不安定にする目的で、ベルギーとコンゴの一部を支配していたベルギーの大規模鉱山会社(後述)に支援されていた。

 暗殺現場には少なくとも5人のベルギー人警察官と兵士がいた。ルムンバ暗殺の責任者であるコンゴの中心的指導者のひとり、ジョセフ・デジレ・モブツ(Joseph-Désiré Mobutu)は、コンゴ西部にある首都キンシャサにいたため、暗殺には参加しなかった。

 1961年1月のルムンバ暗殺におけるベルギーの責任は、何人かの歴史家によって立証されている。『ルムンバの暗殺(The assassination off Lumummba)』を書いた*ルード・ヴィッテ(Ludo De Witte)はその一人。ベルギーの責任は、2001年から2002年にかけてベルギー議会の調査委員会のテーマとなった。また、2018年に行われたルード・デ・ウィッテのインタビュー(フランス語)もある。
*ルード・デ・ウィッテ・・・パトリス・ルムンバの殺害に関する彼の著書「ルムンバの暗殺」で国際的に知られているベルギーの社会学者、歴史家、作家。(ウィキペディア)

 このインタビューでデ・ウイッテは簡単な言葉でルムンバの暗殺にいたる動機をまとめ上げている:
「ルムンバは帝国主義の犠牲者だった。実際、コンゴで帝国支配を続けようとしていた列強は、植民地システムを新植民地システムに置き換え、アフリカ人が政治的権力を行使するが、西側列強とその企業がそれを支配するシステムにした。これは新植民地主義であり、ルムンバが闘う対象としたかったものだ。これが、彼が暗殺された理由である。」

 コンゴ共和国の首相パトリス・ルムンバが、ベルギー国王ボードゥアン(Baudouin)の発言に対して行った演説:
「コンゴの独立は、*レオポルド二世という天才が考案した「文明化作戦」の集大成です。彼はこの作戦を粘り強い勇気を持って立ち上げ、ベルギーという国はそれを辛抱強く継続していきました。」
*レオポルド二世・・・在位1865~1909のベルギー国王。自分が所有していたゴム園の労働者数百万人が、殺害されたり、体を切断されたり、病気で亡くなったりしたという。

During the proclamation of Congo’s independence on June 30, 1960, the Prime Minister of Congo, Patrice Emery Lumumba, gave a memorable speech

 この演説でルムンバはコンゴの人々のために正義が実行されることを主張した。ここにその演説の英訳がある。

 以下は、コンゴ共和国独立宣言の日に国会で行われた彼の演説。その前にボードゥアン国王とジョゼフ・カサブブ大統領の演説があった。

 「コンゴ共和国のみなさん、独立を勝ち取った戦士諸君、

コンゴ政府の名の下にご挨拶します。

 私の友であるみなさん!みなさんは私たちの隊列の中で疲れを知らずに戦ってきました。みなさんにお願いがあります。今日この日1960年6月30日を輝かしい日としてみなさんの心の中に刻み込んでください。その意味を誇らしげに自分の子供たちに説明する日としてください。そうすれば今度はその孫たちが、そしてひ孫たちが、自由のために私たちが闘った輝かしい歴史を伝えることになるでしょう。

 コンゴの独立は、対等な関係にある友好国ベルギーとの合意によって、今日、宣言されていますが、コンゴ人は、独立が闘いの中で勝ち取られたことを誰一人忘れることはないでしょう。日々弛むことのない、霊的な息吹を与えられる闘いの連続でした。この闘いにおいて私たちは欠乏や苦難があっても怯むことはありませんでした。持てる力を出し惜しみすることはなかったし、血が流されることも厭わなかったのです。

 涙と炎と血に満ちた闘いでした。私たちはこの闘いに心の底から誇りを持っています。なぜなら、この闘いは正義であり、崇高であり、私たちに強要された屈辱的な束縛に終止符を打つために不可欠なものであったからです。

 この闘いは80年に及ぶ植民地支配が導き出した私たちに与えられた運命でした。私たちの傷はあまりにも生々しく、その途方もない痛みは到底忘れることなどできません。

 私たちは、強制労働をさせられ労賃を得るということを経験しました。その労賃たるや、飢えを満たすものではなく、着る物も手に入りませんでした。まともな家に住むこともできず、最愛の子ども達をきちんと育て上げられるような労賃ではなかったのです。

 朝も昼も夜も、私たちは「ニグロ」であるがゆえに、いろいろな嘲笑、侮辱、そして実際の暴力も受けてきました。誰が忘れましょう、黒人が「tu」と呼ばれたのは、親しみを込めてのことではありませんでした。尊称の「vous」は白人のために取っておかれました。

 私たちの土地は、「正義の法」の名の下に、奪われてゆきました。力ある者の権利だけが認められたのです。

 私たちは忘れてはいません。法は白人と黒人ではまったく別物でした。白人には甘く、黒人には残酷で非人間的なものでした。

 私たちは、政治的信念や宗教的信念のために迫害され、祖国から追放されるなど、非道な苦しみを経験してきました。私たちに与えられた運命は死よりも過酷でした。

 私たちは忘れていません、都会では、大邸宅は白人のものでした。荒れ果てた小屋が黒人のものでした。黒人たちは「ヨーロッパ人」専用の映画館、レストラン、そしてお店には入れませんでした。黒人は貨物船の船倉で旅をしていました。天井からは豪華な船室を行き来する白人たちの足音が聞こえました。

 誰が忘れることができるでしょう、多くの兄弟たちを殺した銃撃音や、植民地主義者が支配の道具として用いた不正、抑圧、搾取の体制にもはや従うことを望まない人々が容赦なく投げ込まれた独房を。

 兄弟達よ、こんなことがあっても私たちはその苦難を口にすることはできませんでした。

 しかし、私たちはみなさんの、人民の選んだ議員の投票によってここにいます。そして私たちの祖国の導き手となるのです。植民地支配の抑圧で私たちの体も魂も大きな苦しみを受けました。いいですか、みなさん、これからはそんなことはすべて縁のないものになったのです。

 コンゴ共和国の独立が宣言されました。私たちの愛すべき国の未来は、今や、その人民の手の中にあります。

 兄弟達よ、共にまた新たな闘いを始めましょう。私たちの国を平和と繁栄と偉大さに導く崇高な闘いです。

 共に手を携え社会的な正義を確立し、誰もが自分の労働に対する正当な報酬が確実に手に入るようにするのです。

 自由の中で労働をすることで黒人は何ができるのかを世界中の人たちに見て貰いましょう。コンゴをアフリカの誇りにしましょう。

 私たちの祖国が子ども達の幸せをほんとうに考えるところを見届けましょう。

 古い法律はすべて改訂しましょう。そして公正で気高い法律に改めるのです。

 言論の抑圧は終わらせましょう。人権宣言によって与えられている基本的な自由が、すべての市民にとって、一点の曇りもなく自分の自由となるまで見届けましょう。

 私たちは、その起源が何であれ、あらゆる差別を撤廃し、すべての人に対し、その人間としての尊厳にふさわしく、その労働と国への忠誠心に値する生活の場を確保するでしょう。

 私たちは、銃や銃剣ではなく、和合と親善に基づく平和をこの国にもたらします。

 これらすべてにおいて、親愛なる同胞の皆さん、私たちは自国の巨大な力と莫大な富に頼るだけでなく、多くの外国の援助にも頼ることができます。私たちに異質な政策を押し付けることを目的としたものではなく、友好の精神に基づいて与えられるものであれば、私たちはその協力を受けることができるでしょう。

 ようやく歴史の教訓を学び、もはや私たちの独立に反対する必要がなくなったベルギーでさえ、私たちに援助と友情を与えようとしています。その目的のために、対等で独立した関係をもつこの両国の間に合意文書が締結されました。(その結果から生じる)協力関係は両国に利益をもたらすことを確信しています。私たちとしては、警戒を怠らず、私たちが自由に交わした約束を守るよう努めます。

 このようにして、内的にも外的にも、私の政府によって創設される新コンゴ、私たちの愛するこの共和国は、豊かで自由で繁栄した国になるでしょう。しかし、この目標を滞りなく達成するために、議員の皆様、コンゴ国民の皆様には、できる限りのご協力をお願いいたします。

 部族間の紛争のことはお忘れください。部族間紛争が続けば、私たちの力は弱まり、国外から侮蔑される原因となりかねません。

 私たちの壮大な事業を確実に成功させるために必要であれば、どんな犠牲にも怯まないでください。

 最後に、同胞や私たちの国に定住している外国人の生命と財産を無条件に尊重することをお願いします。もし、これらの外国人の行動に問題がある場合、私たちの司法は速やかに彼らを共和国の領土から追放するでしょう。逆に、彼らの行動が良い場合は、彼らもまた私たちの国の繁栄のために働いているのですから、平和裏に滞在してもらう必要があります。

 コンゴの独立は全アフリカ大陸の解放に向けた歴史的な第一歩です。

 国家と国民が統合した私たちの政府は、この国に奉仕します。

 すべてのコンゴ国民のみなさん、男性も女性もそして子ども達も、国民経済の創出と私たちの国の経済的独立を不動のものにする作業に決然と取り組んでください。

 国民解放のために闘う戦士たちに永遠の栄光あれ!

 独立と統一アフリカ万歳!

 コンゴの独立と主権万歳!」

国際主義の戦士であるルムンバ

 ルムンバは、首相になる前から、反帝国主義、汎アフリカ主義、国際主義の多くの運動や人々と強固な関係を築いていた。1958年12月、彼はアクラで開催された全アフリカ人民会議に出席し、カリブ海・アルジェリア出身の精神科医で自由の戦士であるフランツ・ファノン(Frantz Fanon)、ガーナ大統領のクワメ・ンクルマ(Kwame Nkrumah)、カメルーンの反植民地主義指導者フェリクス=ロランド・ムミエ(Félix-Roland Moumié)などと会った。彼は、次の様な演説をした:
「私たちの運動の基本的な目的は、コンゴの人々を植民地主義体制から解放し、独立を勝ち取ることです。私たちは、世界人権宣言に基づいて行動しています。国連憲章によって市民の誰にも保障されている権利です。コンゴは人間社会として自由な民族の仲間入りをする権利があると私たちは考えています。」

 最後に次の言葉で締めくくった:
「だからこそ、私たちはすべての代表者とともに熱烈な叫びをあげるのです。植民地主義と帝国主義を打倒せよ!植民地主義と帝国主義を倒せ! 人種差別と部族主義を倒せ!そして、コンゴ民族万歳!独立アフリカ万歳!」

 全アフリカ人民会議の終わりに、ルムンバは調整委員会の常任メンバーに任命された、とサイード・ブアママ(Saïd Bouamama)が『Figures de la révolution africaine(アフリカ革命を巡る人物たち)』[3]で回想している。ルムンバはまた、ジャン・ヴァン・リエルデ(Jean Van Lierde)のような反植民地主義そして反資本主義の武闘派とも緊密な連絡をとっていた。ジャン・ヴァン・リエルデはアルジェリアでの革命を支援するために活動し、週刊誌『ラ・ゴーシュ(La Gaucheand)』やそれを中心的に推進していたアーネスト・マンデル(Ernest Mandel)と密接な関係を保っていた[4]。

 アクラでの会議から数週間後、ルムンバと彼が率いる運動は、レオポルドヴィル(当時のベルギー領コンゴの首都)で開催された反植民地主義サミットの議事を報告する会議を開いた。ルムンバは、1万人の聴衆を前にコンゴの独立を訴えた。彼は、コンゴ民族運動の目標を「植民地主義体制と人間による人間の搾取を清算すること」と表現した。[5]

 ル・モンド・ディプロマティーク誌の1959年2月号によると、会議後のレオポルドヴィルでは、1959年1月4日から暴動が起きていた。次はこのフランスの月刊誌からの引用:
「この暴動の発端は、アクラの全アフリカ人民会議に直接関係している。騒動が最初に起こったのは、この運動の議長であるルンバ氏が率いるコンゴ民族運動の指導者たちが、このテーマで公開会議を開く準備をしていたときだった。ベルギーのコンゴ総督コルネリス氏の許可を得て、ルムンバ氏率いるコンゴの民族主義者の代表団は12月ガーナを訪問した。1月4日、代表団がガーナを訪問したこととその活動について報告する準備をしているときに、警察が会議出席者や彼らの話を聞きに来た人たちに解散命令を出したのである。」[6]

 ここで重要なのは、1959年に植民地主義者ベルギーが組織した弾圧によって、数百人とは言わないまでも、数十人の死者が出たことである。どんな弾圧だったかの一例:
1959年10月、スタンレービルで行われたMouvement National Congolais(コンゴ民族運動)(MNC)の全国大会の際、警察が群衆に発砲し、30人が死亡、数百人が負傷した。ルムンバは数日後に逮捕され、1960年1月に裁判にかけられ、1960年1月21日に6ヵ月の禁固刑が言い渡された。

 しかし、あまりにも激しい抗議行動に、ブリュッセルの政権は恐れをなして、コンゴ人の参加を認める地方選挙を実施して事態を収拾することにしたのである。ルムンバは、判決からわずか数日後の1月26日に釈放された。地方選挙に続いて、ついには、1960年5月にベルギー領コンゴ史上初の総選挙が行われた。1960年5月、ベルギー領コンゴ史上初の総選挙が行われ、Mouvement National Congolais(コンゴ民族運動)(MNC)が勝利し、ルンバが首相に任命されたのだ。

ルムンバ政権へのクーデターと彼の暗殺に至る流れ

 6月30日のルムンバの演説を受けて、ベルギー政府、王室、コンゴに進出しているベルギーの主要企業のトップは、ルムンバ(政権)を揺るがし、原料(銅、コバルト、ラジウム)の大半が採取されているカタンガ州の分離を挑発して実現させることを決めた。時を置かず、次にあげるコンゴ国内にいる内応者たちがこの動きを加速させた:
①モイーズ・チョンベ。1960年7月11日にカタンガ州大統領を宣言。
②ジョゼフ・カサ-ブブ大統領。1960年9月、憲法上の権限がないにもかかわらずルムンバ(の首相任命)を撤回した。
③ジョゼフ-デジレ・モブツ。数日後にクーデターを起こし、ルムンバを逮捕した。閣僚たちはルムンバに信任を表明し、議会ではルムンバの政党が第一党であったのに、だ。モブツは植民地時代に軍人としての経歴があり、コンゴの親植民地新聞の記者でもあった。モブツは新軍の大佐に任命され、すぐさまコンゴの選挙で選ばれた政府に対して反旗を翻したのである。

 ベルギーは、NATOの一員として、西ドイツ領内に、ベルギー国境からソビエト同盟諸国との国境付近まで伸びる重装備の軍事地帯を持っていた。ベルギー軍参謀本部は、少なくとも部分的には米国に由来する相当な軍事兵器を自由に使用することができ、NATOは航空機、兵員輸送機、さらには軍艦の配備を許可し、コンゴの河口にあるコンゴ軍の陣地を砲撃した。アメリカ政府とCIAは、ルムンバを暗殺することを決めたベルギー軍と「歩調を合わせ」指令する側にいた。[7]. フランスも一枚噛んでいた。1960年8月26日付の電報で、CIA長官のアレン・ダレスはレオポルドヴィルにいる彼の工作員たちに対して、ルムンバについて語っている:

 「それだから、彼の排除はどうしても緊急かつ最重要な目的であり、現在の状況下ではこれが我々の秘密行動の最優先事項でなければならない、というのが結論だ。」[8]

 1960年8月12日、ベルギーがチョンベと協定を結び、カタンガの独立を事実上承認したことに触れておきたい。ルムンバ政府が(チョンベ派の)分離独立に対処しようとしたことは、十分に合法的なものであったが、欧米の大国がこれに反対する闘いに出た。

 ルムンバは、モブツに逮捕されたにもかかわらず、屈することなく、自分たちの為すべきことに忠実な閣僚や同志たちとの連絡を続けた。スタンレービルには、アントワーヌ・ギゼンガ(Antoine Gizenga)が率いる秘密政府が設立された。ルムンバは、1960年11月27日に脱獄し、スタンレービルの政府に合流しようとしたが、数日後、移動中に逮捕された。1961年1月、ルムンバは依然として高い人気を誇っていたが、モブツと西欧列強は、民衆の反乱が指導者の解放につながることを恐れ、ルムンバの処刑を決定した。ルムンバの処刑に至る作戦は、ベルギー政府からの命令を受けたベルギー人が直接同行し、指揮した。1961年1月17日、ルムンバ、モーリス・ムポロ(Maurice Mpolo)、そしてジョセフ・オキト(Joseph Okito)の3人は、ベルギー人乗組員が操縦する飛行機でカタンガ州の州都エリザベートビルに連行され、地元当局に引き渡された。その後、モイーズ・チョンベをはじめとするカタンガの指導者やベルギー人から拷問を受けた。そしてその日の夜、ベルギー人将校の指揮下にある兵士によって銃殺された。

 当時、「カタンガ国家警察」の設立を担当していたベルギー人のジェラール・ソエテ(Gerard Soete)警視総監の証言によると、3人の遺体は処刑場から220キロ離れた場所に運ばれ、森に囲まれたサバンナの中にあるシロアリ塚の後ろの土中に埋められたという。



Image on the right: Mobutu and Ronald Reagan

 この証言を収集したAFP通信によると、3日後には追跡の可能性を消すために死体を再び移動させたという。ソエテは、「もう一人の白人」と数人のコンゴ人がノコギリで死体を切り刻み、酸で溶かしたときに同行していたと語った。[9]

ボブツ独裁へのベルギーからの支援

 ベルギー軍は、モブツとその独裁政権がルムンバ派組織の抵抗を潰すのを助けるために、コンゴに2度介入した。最初は1964年11月、スタンレービルでのレッド・ドラゴン作戦、そしてポーリスでのブラック・ドラゴン作戦だ。このときの作戦は、ベルギー軍、モブツ軍、米軍参謀本部、そして反カストロ派のキューバ人を含む傭兵が共同で指揮を執った。

 エルネスト・チェ・ゲバラ(Ernesto Che Guevara)は、1964年11月の国連総会での演説で、サンチアゴ・デ・クーバ(訳注:キューバ南東部の都市)での演説と同様に、この介入を非難した:
「今日、私たちの誰もが忘れ得ない痛ましい記憶は、コンゴとルムンバの記憶である。今日、距離的にはとても遠いが、私たちの心にはとても近い(コンゴという)国で、私たちが知らなければならない歴史的な出来事が起こっています。そこで経験されていることから私たちは学ばなければなりません。先日、ベルギーのパラシュート部隊がスタンレービルの街を襲撃しました。」1964年11月30日、フランク・パイス(訳注:キューバの革命家であり、キューバのフルジェンシオ・バティスタ将軍政権の打倒を訴えた)に率いられた町の蜂起8周年を記念して、サンティアゴ・デ・クーバで行われたチェ・ゲバラの演説からの抜粋(フランス語版から*CADTMが翻訳)
*CADTM=The Committee for the Abolition of illegitimate Debt(違法債務廃止委員会)・・・1990年3月15日にベルギーで設立された活動家の国際的ネットワーク。発展途上国の債務の廃止と人々の基本的な権利、責務、そして自由を尊重する世界の創造を追求する運動_ウィキペディア)

 ベルギー軍の2回目の介入は、1978年5月にシャバ(カタンガ州)の鉱山地帯の中心にあるコルウェジで、フランス軍やモブツ軍と協力して行われた。

ルムンバの暗殺に関する訴訟は今でもベルギーで進行中

 
 ルムンバ殺害事件について、ベルギーの裁判所はまだ判決を下していない。この裁判が閉廷せずにいるのは、それはひとえに正義を貫こうとするすべての人々の継続的な行動があるからだ。ルムンバ家の人たちは、真実を明らかにするための行動を続けている。この事件は、時効が適用されない戦争犯罪に分類されているため、ベルギーの審査官は現在も事件を担当している。また、2011年6月23日にベルギーのテレビでルムンバ家の弁護士であるクリストフ・マルシャン(Christophe Marchand)が指摘したように、「この事件を推進した主要な人間たち全員死んでしまったが(中略)、外務省の元顧問や大使館員たちはまだ生きている。」

Image below: Lumumba in Brussels (1960) (CC – Wikimedia)


ルムンバは象徴的な人物に

 パトリス・ルムンバという人物は歴史という枠に収まらず、今日でも民族解放を擁護するすべての人にとってお手本となっている。

 独裁者モブツ体制下でも彼の人気はたいへんなもので、1966年、パトリス・ルムンバは国民的英雄であるとの布告を彼は出すことになった。1960年9月にルムンバを失脚させ、彼の殺害に加担したことに満足せず、モブツは彼のオーラの一部を剥奪せんとした。彼が処刑された1月17日は、コンゴ・キンシャサの銀行休業日になっている。

 ブリュッセルでは、反植民地主義急進派が長年活動した後、2018年4月23日に市議会は「パリス・ルムンバ広場(Place Patrice-Lumumba」の創設を決議し、コンゴ民主共和国独立58周年の日である同年6月30日に正式に開設した。

 しかし、そんなものは束にしても(彼の真価には)ほど遠い。

 ルムンバの闘争に関する真実を広め、彼に正義がなされることを要求する必要があるだけでなく、彼の闘争、そしてあらゆる形態の搾取、抑圧、搾取と闘ったコンゴのすべての女性と男性の闘争は継続されなければならない。

 ベルギー当局者は次の7点を実行しなければならないと、CADTMが感じている所以だ:

§  レオポルド二世とベルギー君主制がコンゴ人民に対して犯した虐待と犯罪の数々を公に認め、それをつまびらかにして正式に謝罪すること。

§  公共の教育や一般的な教育活動、また組織的な分野も含めて、適切な人材を関与させることにより、追悼の課題を深め、拡大すること。

§  コンゴのすべての文化財をコンゴ人に返却すること。

§  ベルギーの公共スペースにあるすべての植民地主義的なシンボルの再調査を積極的に支援すること。

§  コンゴの植民地化の際に搾取された金額を無条件で財政的に賠償し、遡及するために、債務の歴史的監査を行うこと。

§  多国籍機関(世界銀行、IMF、パリクラブなど)の内部で、その参加国はコンゴ民主共和国に対するすべての違法債務の返済を完全かつ無条件に中止するように行動すること。

§  公衆衛生システムを改善し、公衆衛生への支出を増やせば完全に防ぐことができる致死性のCoViD-19やその他の病気の蔓延に立ち向かうために、コンゴ政府が制定したすべての債務返済モラトリアムを公的に支持すること。

 CADTMは、「Black Lives Matter」の抗議行動を受けてベルギーで行動を呼びかけているさまざまな団体や、植民地主義の認識の分野で行動を起こしているすべての人々を支援する。

 CADTMは、CoViD-19危機の健康、経済、社会的影響に正面から向き合うことでコンゴの人々を支援する。債権者たちの有無を言わさぬ押しつけと、歴代コンゴ政府の深刻な失政の数々だった。その結果が厳しい弾圧と基本的人権の明白な否定だったのだ。にも拘わらずコンゴの社会運動は抵抗姿勢を崩さなかった。CADTMはこのような社会正義のための闘争を支援する。

補遺

世界中のアフリカ人の間に拡大する賠償請求

1:コンゴ独立以前のベルギーの犯罪



Belgium’s crimes before Congo’s independence (1885-1960)

 ベルギー国王と、彼が当時のベルギー政府と議会の同意を得て統治したコンゴ自由国には、意図的な「人道に対する罪」の責任があることは確かであると考えてよい。これらの犯罪は過失ではない。コンゴ国民が曝されていたタイプの搾取の直接的な結果である。著名な作家の中には、「ジェノサイド」を口にする人もいる。私はこの問題に焦点を当てた議論はしないことにしている。というのも、数字で一致点を見いだすことは難しいからだ。一部の著名な著者は、1885年のコンゴ人の人口を約2,000万人と推定し、レオポルド2世がコンゴをベルギーに譲渡してベルギー領コンゴが誕生した1908年には、1,000万人のコンゴ人が残っていたと書いている。しかし、これらの著名な著者による推定値は、人口調査が行われていないため、検証が困難である。

ベルギーがコンゴを所有していた植民地時代(1908-1960)

 レオポルド2世は、コンゴと縁を切ろうとした。というのもコンゴをベルギーに譲渡することで、様々な銀行から集めた借金も振り払うことになるだろうからだ。ベルギーはレオポルド2世の要請に応じ、コンゴ人を搾取するために契約した借金を引き継いだ。国王は、搾取した富を私財として貯め込む一方で、ベルギーの権力とイメージを強化するために、ベルギーに莫大な支出を命じていた。しかし、ベルギー国内外の大資本主義企業も、その分け前にあずかっていたのだ。ベルギーの武器製造会社や貿易会社、機材を供給する会社、天然ゴムを採取して加工する会社などである。

 ベルギー国はかくしてコンゴとレオポルド二世の借金を引き継いた。それはコンゴ人民を更に搾取することにつながった。

 コンゴがベルギーの植民地であった間、ベルギーの大資本は、コンゴの巨大な天然資源、特にあらゆる種類の鉱物を搾取することで、最大の利益を上げていた。ベルギー国は、レオポルド2世の債務を返済し、新たな債務を契約することで、大資本が最大の利益を蓄積できるようにしていたのである。

 コンゴの人々にはこれといった権利は何もなかった。ベルギーはコンゴ人が高等教育や大学に進学してほしくなかったので、教育制度は悲しくなるほど不十分だった。

 コンゴの人々は、自分の国土で搾取されただけでなく、コンゴの東にあるドイツの植民地ルワンダやブルンジを狙って、ベルギーが関与したさまざまな戦争の際にも、ベルギーのために戦うことを求められた。何千人ものコンゴ人が、ヨーロッパの資本主義国が起こした戦争で、故国を離れて戦死していったのである。

 第二次世界大戦中、アメリカはコンゴのカタンガ州で採取したウランを使って、1945年に広島と長崎を消滅させた原子爆弾を製造した。また、第一次世界大戦で勝利したベルギーは、1919年のベルサイユ条約によってドイツ帝国から奪い取ったルワンダとブルンジで植民地を拡大することができたのである。

 第二次世界大戦中、アメリカはコンゴのカタンガ州で採掘されたウランを使って、1945年に広島と長崎を壊滅させた原子爆弾を製造した。アメリカは謝意を表す目的で、ベルギーが負っていた借金を帳消しにした。

 一方、1960年6月30日にコンゴの独立に同意したベルギーは、パトリス・ルムンバ率いるコンゴ政府が、ベルギーが1950年代に世界銀行と共に「ベルギー領」のコンゴを搾取するために溜め込んでいた借金を引き継ぐことを期待していた。

 ルムンバは拒否した。これが誘因となってベルギーが1961年のルムンバ暗殺の計画とその直接参画に至った理由の一つであった。

2:コンゴ独立後のベルギーの犯罪

 世界銀行に唆され、その協力も得て、ベルギーは、力尽くで、コンゴ人民に自分たちが植民地的搾取のために使った借金を払わせた

 2006年に出版された『世界銀行:終わることのないクーデター(The World Bank: a never-ending coup d'Etat)』[10]で、私は、1950年代にベルギーが世界銀行と契約した債務は、モブツが加担したお陰で、コンゴの人々に不当に押しつけられたという事実を指摘した。このころモブツはルムンバの逮捕を手配し、彼の暗殺に積極的に参画した。

 その仕組みは?自決権に違反して、世銀はベルギー、フランス、イギリスの植民地でのプロジェクトに資金を提供するために融資を行ったのである。[11] 世銀の歴史家が認めているように、「ヨーロッパの植民主義列強のドル不足を緩和する役割を果たした融資は、直接投資や、鉱業に関連した輸送インフラの開発のような間接的な援助を通じて、主に植民地の利益、特に鉱業に向けられた」のである。[12]これらの融資のお陰で、植民地主義列強は植民地の人々を支配するための軛を強化することができた。この融資が、植民地の大都市に鉱物、農作物、燃料を供給することに貢献したのである。ベルギー領コンゴの場合、この植民地を支配する権力が決定したプロジェクトのために供与された数百万ドルは、コンゴの植民地政権がベルギーから輸出される製品を購入するためにそのほとんどすべてが費やされた。ベルギー領コンゴは全体で1億2000万米ドル(3回に分けて)の融資を「受けた」が、そのうち1億540万米ドルはベルギーで使われた。[3]パトリス・ルムンバの政府にとって、ベルギー領コンゴを搾取するためにベルギーが契約した債務を世界銀行に支払うことはまったく考えられないことだった。

 世界銀行とベルギーは、国際法に違反して、1960年代に独立したばかりのコンゴに、自分が植民地化のために契約した借金の負担を押し付けた。

 事情が変わったのは1965年:モブツの軍事クーデターの後、ザイールと改称されたコンゴは、世界銀行に対する債務があることを認めた;もちろんこの債務の契約を実際に結んだのはベルギー。ベルギー領コンゴを搾取するためだった。

 この点について、国際法は非常に明確である。過去にも似たようなケースがあり、ベルサイユ条約が決定を下している。第一次世界大戦後、ポーランドが独立国としての地位を取り戻したとき、ドイツが占領していたポーランドの一部を植民地化するために契約した債務は、この新たに独立した国ポーランドには請求しないことが決められた。1919年6月28日に締結されたベルサイユ条約では、次のように規定された:
「賠償委員会の調査結果により、ドイツ政府およびプロイセン政府がポーランドにおけるドイツの植民地化を目的として採用した措置に起因する債務の一部は、ポーランドが負う金融債務の分担から除外されるものとする。」[14]

 ベルサイユ条約では、ポーランド領内でのプロジェクトのためにドイツに貸し付けた債権者は、ポーランドではなく、その植民地の本国(つまりドイツ)にのみ支払いを請求できると定めている。不良債権の理論家であるアレクサンダー・ナハム・サック(Alexander Nahum Sack)は、1927年法条約の中で次のように明記している:
「政府が自国の領土の一部の住民を服従させるために、あるいは支配的な国籍の国民で植民地化するために債務を契約する場合、それらの債務は債務国領土のその地域にいる先住民にとっては違法債務となる。」[15]

 ベルサイユ条約は、ドイツ帝国がアフリカの植民地を失い、その債務を帳消しにすることを定めたものである。この点についてサックは、支払い義務が生じるからという理由で債務の帳消しを受け入れないドイツに対して、連合国が出した回答の一部を引用している:
「植民地はドイツの債務の一部といえども負担してはならないし、保護国の帝国管理にかかった費用をドイツに返還する義務を負うこともない。実際、ドイツ自身の利益のために発生したと思われる支出を先住民に負担させるのは不当であり、国際連盟によって受託者に任命される限り、そのような受託から何の利益も得られない委任統治国にこの責任を負わせるのも同様に不当である。」[16]

 これは、世銀がベルギー、フランス、英国の植民地開発のために行った融資についても完全に当てはまる。かくして、世銀とベルギーは、独立したばかりのコンゴに、1960年代、植民地化のために負った債務の負担を押し付け、国際法に違反する行為を行ったのだ。

モブツ独裁へのベルギーの支援

 さらにベルギーは、モブツ独裁政権下のコンゴに高級顧問を派遣していたが、その中には、1960年初頭にベルギー・コンゴ間で行われたベルギー領コンゴ独立準備のための円卓会議に参加したジャック・ド・グルート(Jacques de Groote)がいた。モブツは、ブリュッセルで開かれた円卓会議の開会式にも参加した。1960年4月から1963年5月にかけて、ド・グロートはワシントンのIMFと世界銀行でベルギーの専務理事のアドバイザーを務めた。1965年11月24日、モブツはカサブブ大統領に対してクーデターを起こし、完全な権力を掌握した。1966年3月から1969年5月まで、ド・グルートはモブツ実質政権の経済顧問を務める一方、コンゴ国立銀行の顧問としても働いた。コンゴの経済政策の立案・実施や、モブツ、IMF、世界銀行、そして米国政府との交渉に積極的な役割を果たした。

 1973年から1994年の間、ジャック・ド・グルートは国際通貨基金(IMF)の専務理事と世界銀行グループのひとつである国際復興開発銀行(IBRD)を管理する側の一人であった。彼はベルギーの政治階級の中核的メンバーとして活動する一方で、国際機関においてベルギーの利益と大企業の利益を代表していた。[17]

 1970年代末、IMFの高官であり、ドイツの銀行家であり、元ブンデスバンクの外交部長であったアーウィン・ブルメンタールが、モブツのザイール経営について非難のレポートを発表した[18]。彼は外国の債権者に対して、モブツが政権を維持する限り返済を期待してはならないと警告した。

 1965年から1981年の間に、ザイール政府は外国の債権者から約50億ドルを借り入れている。1976年から1981年の間に、22億5000万ドルにのぼる対外債務の一部について、パリクラブから認可された4つの再建プログラムがあった。(モブツの独裁時代のコンゴ・キンシャサの債務額については、以下の図を参照)。これらの債務はすべて違法債務に該当するため、無効とみなされる可能性がある。

 非常に拙い経済運営と、モブツによる融資の一部の組織的な横領があっても、IMFと世界銀行はモブツの独裁政権への支援を止めることはしなかった。驚くべきことに、ブルメンタール報告書が提出された後、世銀の融資額は増加した(IMFの融資額も増加したが、下のグラフには表示されていない)。[19]明らかに、世銀やIMFの選択は、健全な経済運営を主要な根拠にして決定されているわけではない。モブツ政権は、冷戦が続く限り、米国やブレトンウッズ機関の他の影響力のある大国(フランスやベルギーなど)の戦略的同盟国であり続けた。

コンゴ-キンシャサ(モブツ政権下のザイール):世界銀行の融資

 


 1989年から1991年にかけて、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊すると、欧米諸国はモブツ政権への関心を失い始めた。ザイールを含む多くのアフリカ諸国では国民会議が開催され、民主化を主張していたため、なおさらである。世界銀行は融資を減らし、1990年代半ばには融資を完全に停止した。

 モブツの支配下(1965年~1997年)では、IMFと世界銀行は米国の政策と地政学に貢献する道具だった。それ故、冷戦時代における支持に対してモブツはその報酬を受けていたという訳だ。


Source : World Bank, CD-Rom, GDF, 2001

 「冷戦時代には、この融資が政府の腐敗に利用されるケースも少なくありませんでした。問題は、そのお金が国の福祉を向上させているかどうかではなく、世界の地政学的な現実を踏まえた上で、安定した状況につながっているかどうかだったのです。」

 ジョゼフ・E・スティグリッツ(Joseph E. Stiglitz)。世界銀行主席経済学者(1997-1999)。2001年ノーベル経済学賞受賞。これは2000年3月7日にアルテ(Arte)(訳注:フランス語およびドイツ語で放送される、独仏共同出資のテレビ局。本部はフランス・ストラスブール)で放送されたフランス語番組「もう一つのグローバリゼーション」での発言。

 そのため、ド・グルートが幹部を務めていたIMFと世銀は、金融債務をまったく履行しない独裁体制への支援を続ける限り、モブツ政権による人権、経済、社会、文化的権利の侵害に加担することになった。

 「債権者の道義的責任という問題は、冷戦時代の融資の場合に特に顕著だった。IMFと世界銀行がコンゴ民主共和国の悪名高い支配者モブツに資金を貸し付けたとき、彼らはその資金のほとんどがコンゴの貧しい人々を助けるために使われるのではなく、モブツを豊かにするために使われることを知っていた(知らないはずはない)。それは、この腐敗した指導者にコンゴを西側と同一歩調を確実に取らせるために支払われた金だった。多くの人にとって、腐敗した政府を持つ国の一般納税者が、自分たちを代表していない指導者が取り決めた融資を返済しなければならないのは、公平ではないと思われる。」- Joseph Stiglitz, Globalization and Its Discontents, 2002年

 モブツとその一派は、国家の財源を安定した豊富な個人的利益の源として利用していたが、その際、合法的な支出、違法な支出、不可解な支出という3種類の不正流用が行われていた。合法的なものは、大統領基金のように、何の管理もなく割り当てられた。違法な支出については、ブルメンタール報告書(この秘密報告書は1982年に公開された)[20]に記載されており、大統領府が個人的な支出と公的な支出をほとんど区別していなかったため、国家の財務取引を管理することは不可能であったと書かれている。アーウィン・ブルメンタールは、モブツの個人的な銀行口座や腐敗した政治家に直接お金を流すために使われた、海外に保有されている少なくとも7つの銀行口座を特定した。アーウィン・ブルメンタールのメッセージは明確だ:
「ザイール(訳注:コンゴの旧称)の腐敗したシステムは、その邪悪さと醜さをすべて露呈しており、その不始末と不正行為は、ザイール経済の回復と再生に向けた国際機関、友好国政府、商業銀行のすべての努力を台無しにするだろう。もちろん、モブツはまた新たな約束はするだろうが、ザイールの債権者が予見可能な将来に資金を取り戻せる見込みはない(繰り返す:ない)。」[21]

 1979年以来、IMFと密接な関係にあるモブツ政権への主要な融資者は、こうした行為は不正であり、モブツへの融資を続ければリスクがあることを知っていたし、自覚もしていた。

 本報告書では、横領の第3のカテゴリーとして、「謎の支出」を挙げている。1989年の世界銀行の調査によると、国の最大の予算項目の1つ(18%)は「その他の商品およびサービス」であり、この支出がどのように配分されているかについてはほとんど情報がない「ごた混ぜ経理状態」である。世界銀行の専門家によると、軍事機器の購入はあるが、その大半は贅沢品の支出に使われていたという。これは、世銀が自分たちが融資した資金の不正使用を知っていたことを示している。

 1970年代半ばまでに、融資や助成金の形でザイールに注入された資金が組織的に不正利用されていることが明らかになった。それらは海外にある個人の銀行口座に直接送金されたり[22]、誰が見ても立派だが、(ザイールの現状に)合わない、そして/あるいは無駄なプロジェクトに投資された。それは多くの人が(一時的に)より豊かになる手助けにはなったが、(ザイール)経済の持続的な工業化に役立たなかったことははっきりしている。例えば、国民会議で創設された不正蓄財局(Office des biens mal acquis、OBMA)によると、モブツはインガ水力発電所の資産価値7%を手数料として懐に入れたとされている。この調査は、官界の抵抗により、結論まで追求することができなかった。 [23]

 J.ド・グルーテは、モブツ政権を積極的に支援し、IMF、世界銀行とモブツとの関係を改善するために何度も介入したが、ブルメンタールが報告書で糾弾した内容を詳細に知っているという点では、非常に有利な立場にあったと言える。また、モブツ政権による深刻な人権侵害についても知っていた。

 しかし、任期を終えた1994年、ド・グルーテは、コンゴ・キンシャサ(=モブツ政権)に対する自分の行動に満足していると語った。その間一貫して、コンゴ人民の圧倒的多数は凄惨な境遇で生活していたし、政権に反対する人たちへの弾圧と暗殺は横行していた。経済も壊滅状態だった。

ベルギーの企業はベルギーとコンゴ間の関係を利用して組織的に利益を得ていた

 以下の抜粋がそれを物語っている。1986年、ジャック・ド・グルーテがベルギーの会社役員たちを前にして行ったスピーチであり、Bulletin de la Fédération des Entreprises de Belgique(ベルギー企業連盟のニュースレター)に掲載されたもの:
「ベルギーが関係グループ機関の活動に参加していることから得る利益がどの程度かは「フローバック」を見れば分かります。世界銀行のメンバーとなっている国はすべて同じです。つまり次の2つの間の関係ということになります:

①IDA(国際開発協会、世界銀行グループの一員)や世界銀行が、ある国の企業と契約を結んだ際に、その国の企業のために支出した金額の総額
②世銀の資本金やIDAの財源に対するその国の貢献度

 つまり、「フローバック」とは、企業が機器の販売やコンサルティングサービスを通じて得るものと、ベルギーがIDAの資源や世銀の資本に拠出するものとの間の関係になります。世界銀行から先進国への「フローバック」は大きく、継続的に増加しています。すべての先進国において、1980年末から1984年末にかけて、フローバックは7から10に増加しました。言い換えれば、システムに投入された1ドルに対して、先進国は1980年に7ドルを取り戻し、今日では10.5ドルを受け取っています。」 [31]

IMFや世界銀行での役職を終えた後のジャック・ド・グルーテ

 
 1994年ル・ソワール(Le Soir)(訳注:ベルギーで発行されているフランス語日刊紙)のベアトリス・ドルボーから受けたインタビューでド・グルーテは、1980年代ベルギーが新自由主義的な取り組みを採用する時に自分が果たした役割を振り返って悦に入っていた:
ベアトリス・ドルボー:しかし、あなたはワシントンから、ベルギーの経済政策の方向性に大きな役割を果たしていました。1980年代初頭の経済転換にIMFからの保証を提供したのは、プペアングループとの密接な関係からですね。

J.ド・グルーテ    :もちろんです。自分でも本当によくやったと思いますよ。これ以上の満足はないと言ってもいいでしょう。当時、私たちは色々な研究を完成させ、この重要な経済的選択肢をベルギーに当てはめることを可能にしました。このことについては、その後アルフォンス・ヴァープラエッツ氏(Alfons Verplaetse)[33]やその他ウィルフリード・マルテンス氏(Wilfried Martens)を始めいろいろな方々と議論しました。

 これらの発言は、ド・グローテのような人物と、特定の国において鍵となる政治指導者との間に密接な関係があることをよく表している。更に言えば、ド・グルーテにはベルギー国立銀行の独立性が形の上だけであることがよく分かっていた。ベルギーの(金融)政策は、首相から国立銀行総裁、キリスト教組合長や企業経営者の代表など、重要な利害関係者を集めた、ごく少数の秘密の集まりで決定されていたからである。みんなIMFと同じ穴のムジナだった。

モブツ没落後のベルギーの態度

 
 ベルギーは、モブツが溜め込んだ違法債務を誤魔化すことに加担した。ベルギーは、違法な債務だから取り消さなければならないということを認める代わりに、コンゴ国民が損をして、旧政権を支援した債権者が勝つという複雑なメカニズムの構築に関与した。

 モブツが倒れた後、CADTMなどの嘆願にもかかわらず、ベルギー政府は、モブツとその一派が横領し、ベルギー国内で現金や不動産という形で投資した金をコンゴ人が取り戻すために何もしなかった。もっとも、スイスのような国は、一度は、その方向で動き始めている。しかし、ベルギーの支配層とモブツ一派の結びつきは非常に強く、積極的な対策を取ろうとする判事がいても、決定的なことは何もしなかった。

 その後、ベルギーはモブツが積み上げた違法債務を誤魔化すことに加担した。ベルギーは、非合法であるがゆえにそんなことは撤回しなければならない、とは認めず、コンゴ国民が損をし、旧政権を支援した債権者が勝つという複雑なメカニズムの構築に関与したのである。

This article was originally published on CADTM.
Translated by Snake Arbusto and Christine Pagnoulle


Source of the two appendices: Éric Toussaint, “Reply to the letter by Philippe, King of the Belgians, about Belgium’s responsibility in the exploitation of the Congolese people”

Eric Toussaint is a historian and political scientist who completed his Ph.D. at the universities of Paris VIII and Liège, is the spokesperson of the CADTM International, and sits on the Scientific Council of ATTAC France. He is the author of Debt System (Haymarket books, Chicago, 2019), Bankocracy (2015); The Life and Crimes of an Exemplary Man (2014); Glance in the Rear View Mirror. Neoliberal Ideology From its Origins to the Present, Haymarket books, Chicago, 2012 (see here), etc.



[1] Colette Braeckman, « Congo La mort de Lumumba Ultime débat à la Chambre sur la responsabilité de la Belgique dans l’assassinat de Patrice Lumumba Au-delà des regrets, les excuses de la Belgique REPERES La vérité comme seule porte de sortie Van Lierde l’insoumis», 6 February 2002 https://plus.lesoir.be/art/congo-la-mort-de-lumumba-noir-ultime-debat-a-la-chambre_t-20020206-Z0LGFG.html (in French)

[2] Félix Roland Moumié (1925-1960), a leader of the anticolonialist and anti-imperialist struggle in Cameroon, was assassinated on orders from France in Geneva on 3 November 1960.

[3] Saïd Bouamama, Figures de la révolution africaine, La Découverte, 2014, 300 p.

[4] See the synthesis of Jean Van Lierde’s intervention during a conference in Brussels in October 1995 in homage to Ernest Mandel http://www.ernestmandel.org/new/sur-la-vie-et-l-œuvre/article/dernier-hommage-a-ernest-mandel

[5] Saïd Bouamama, Figures de la révolution africaine, La Découverte, 2014, p. 160-177.

[6] Philippe Decraene, “L’Afrique noire tout entière fait écho aux thèmes panafricains exaltés à Accra” in Le Monde diplomatique, February 1959 https://www.monde-diplomatique.fr/1959/02/DECRAENE/22920

[7] The Assassination Archives and Research Center, Interim Report: Alleged Assassination Plots Involving Foreign Leaders, III, A, Congo. http://www.aarclibrary.org/publib/church/reports/ir/html/ChurchIR_0014a.htm consulté le 15 janvier 2021

[8] Saïd Bouamama, Figures de la révolution africaine, La Découverte, 2014, p. 160-177.

[9] « Les aveux du meurtre de Patrice Lumumba », https://www.thomassankara.net/les-aveux-du-meurtre-de-patrice-lumumba/

[10] Eric Toussaint, Banque mondiale : le Coup d’Etat permanent. L’Agenda caché du Consensus de Washington, co-published by CADTM / Syllepse / CETIM, Liège/Paris/Geneva, 2006, 310 pages. http://cadtm.org/Banque-mondiale-le-coup-d-Etat; translated into Spanish Banco mundial: el golpe de estado permanente Editorial Viejo Topo (Barcelona), 2007 ; Editorial Abya-Yala (Quito), 2007 ; Editorial del CIM, Caracas, 2007 ; Editorial Observatorio DESC, La Paz, 2007; into English The World Bank: a never-ending coup d’Etat: the hidden agenda of Washington Consensus Pub. VAK (Mumbai-India), 2007, also as The World Bank : A Critical Primer, Pluto Press, London; Michigan University Press, Michigan; Between The Lines, Toronto,; David Philip, Cape Town; and recently into Japanese.

[11] The colonies for which the World Bank granted loans are, to Belgium the Belgian Congo, Rwanda and Burundi; to the UK, East Africa (including Kenya, Uganda and future Tanzania), Rhodesia (that became Zimbabwe and Zambia) as well as Nigeria, to which we must add British Guyana in South America; to France, Algeria, Gabon, French West Africa (Mauritania, Senegal, French Sudan that became Mali, Guinea-Conakry, Ivory Coast, Niger, Upper-Volta that became Burkina Faso, Dahomey that became Benin).

[12] KAPUR, Devesh, LEWIS, John P., WEBB, Richard. 1997. The World Bank, Its First Half Century, Volume 1, p. 685-686.

[13] The fact that Belgium was the beneficiary of loans to the Belgian Congo can be deduced from a table published in the WB’s 15th Annual Report for 1959-1960. IBRD (World Bank), Fifteenth Annual Report 1959-1960, Washington DC, p. 12.

[14] Article 92, see http://polandpoland.com/treaty_versailles.html.

[15] SACK, Alexander Nahum, Les Effets des Transformations des Etats sur leurs Dettes Publiques et Autres Obligations financières, Recueil Sirey, Paris, 1927. p. 158.

[16] Source : Treaty series, no. 4, 1919, p. 26. Cited by Sack, p. 162.

[17] In 2013, I devoted a book to this figure: The Life and Crimes of an Exemplary Man, https://cadtm.org/The-Life-and-Crimes-of-an-Exemplary-Man Though anecdotal, the list of decorations awarded to Jacques De Groote is quite telling: he is Grand Officier de l’Ordre de Léopold Ier in Belgium, i.e. the second highest Belgian distinction; Mobutu decorated him with the Palme d’or in Zaire; he is also Grand Officier de l‘Ordre d’Orange-Nassau (Luxembourg), he is bearer of the Orden für Verdienste in Austria and received the Red Star in Hungary.

[18] It is worth mentioning that at the height of his power, Mobutu had people call him “Mobutu Sese Seko Kuku Ngbendu wa Za Banga” (which means Mobutu the unstoppable warrior who goes from one victory to another).

[19] The Bank’s historians wrote that in 1982 “Lured by Mobutu’s guile and promise of reform and by pressures from the United States, France, and Belgium, the bank embarked on an ambitious structural adjustment lending program to Zaire” in Devesh Kapur, John P. Lewis, Richard Webb, The World Bank, Its First Half Century, 1997 Volume 1: History, p. 702.

[20] In 1978, the IMF sent Erwin Blumenthal to the Central Bank of Zaire to improve its operations. In July 1979, he resigned after receiving death threats from those close to Mobutu.

[21] Erwin Blumenthal, “Zaire: Report on her Financial Credibility”, 7 April 1982, typescript, p.19.

[22] Mobutu even managed to intercept money before it actually reached the public coffers, as happened for instance with the $5 million granted by Saudi Arabia in 1977 (Emmanuel Dungia, Mobutu et l’argent du Zaïre (Mobutu and the money of Zaire), 1992, L’Harmattan, p.157).

[23] Steve Askin and Carole Collins, “External Collusion with Kleptocracy: Can Zaire Recapture its Stolen Wealth?” in African Political Economy, 1993, no. 57, p.77.

[24] L’ENTREPRENEUR. 1980. « Le lancinant problème de la dette extérieure du Zaïre » (The problem of Zaire’s persistent external debt), n°11, December 1980, p. 44-47.

[25] The $32 million corresponds to the debt that Belgium and the World Bank imposed on the Congo with the complicity of Mobutu’s regime. As stated above, during the 1950s Belgium borrowed $120 million from the World Bank to develop its colonial projects in the Belgian Congo. Belgium had only repaid part of this loan before the Congo gained its independence on 30 June 1960. The remaining amount ($32 million) was passed on to the Congo when Mobutu established his dictatorship in 1965.

[26] HAYNES, J., PARFITT, T. and RILEY, S. 1986. “Debt in Sub-Saharan Africa: The local politics of stabilisation,” in African Affairs, July 1986, p.346.

[27] Ibid, p. 347.

[28] NDIKUMANA, Leonce and BOYCE, James. 1997. Congo’s Odious Debt: External borrowing and Capital Flight, Department of Economics, University of Massachusetts.

[29] Ibid, p.17.

[30] Ibid, p.18.

[31] FEB, 1986, p. 496-497.

[32] The Poupehan group was a lobby made up of the main conservative political leaders in the Belgian Christian Social Party, who played a key role in the neoliberal shift. See http://archives.lesoir.be/les-fantomes-de-poupehan-liberaux-et-fdf-veulent-enquet_t-19910917-Z04EPV.html

[33] Alfons Verplaetse was the Governor of the National Bank of Belgium, and a member of the Flemish Christian Social Party.

[34] Wilfried Martens, the Christian Social Prime Minister who put in place neoliberal policies in alliance with the Liberal Party.

All images in this article are from CADTM unless otherwise stated



南スーダン、CIAの汚れた戦争小史

A Brief History of the CIA’s Dirty War in South Sudan

ライアン・ドーソン

グローバルリサーチ 2019年8月2日

ANC Report 31 July 2019

(翻訳:新見明 2019年8月31日)

<記事原文>
https://www.globalresearch.ca/brief-history-cia-dirty-war-south-sudan/5685393


南スーダンにおけるCIAの汚い戦争が縮小している中、アフリカでのパックス・アメリカーナ(アメリカの力による平和)の犯罪、この最大の秘密の起源と歴史を大まかだが大局的に見る時だ。

アメリカの国益は、中国からアフリカのエネルギー資源への接近を奪回することである。アフリカで中国が唯一スーダンの油田を所有し、運用している。南スーダンの「反乱」の最初の目標の一つが、中国の油田であったことは、偶然の一致ではない。それは最初から南スーダンにおけるアメリカと中国の対立であった。

この歴史を語るとき、我々は2004年に始まる南スーダンの和平プロセスの起源に戻らなければならない。この新たな展開は、東スーダン蜂起と2003年ベジャ人とラシダ人の運動を支援していたエリトリア特別奇襲部隊の介入であった。エリトリア奇襲部隊が、スーダン港とハルツーム間のハイウェイを切断した。ハイウェイはスーダンの首都2500万人のライフラインであった。2週間にわたってスーダン軍は反撃したが、エリトリア特殊部隊に完敗した。

決定的に食料・燃料不足に直面し、スーダン官僚の中核は、最近罷免されたオマル・アル=バシールの支援基盤でもあったが、降伏することなり、和平交渉の一部として様々なスーダン抵抗グループと信頼に基づく交渉開始に同意した。それには東部や南部そして恐らく西部でさえ加わった。


これには、スーダン人民解放運動指導者[SPLM]ジョン・ガランやスーダン大統領オマル・アル=バシールも参加し、2004年後半エリトリアのアスマラで包括的和平合意に署名した。

2004年12月、我々はエリトリアのアスマラへ飛んで、エンボイソイラの古いインペリアル・ホテルにチェックインした。そこで我々はSPLMの高官指導者と朝食を共にした。そこにアメリカの衛星放送用でエリトリアTVを見れたので、朝食の時、我々はみんなでアスマラで最近行われた和平交渉を報道するニュースを見たのです。彼らはスーダンの和平の展望についてみな意気揚々としていて、まだ興奮していた。

その後、2005年アメリカに戻ったあと、我々は新たな和平合意を聞いた。今度はケニアのナバイシャで署名された。そして今度の合意はアメリカによって仲介された。2004年のアスマラ合意と2005年の協約の唯一の本質的相違は、南スーダン独立の国民投票を求める条項が入っていることであった。

アメリカはバシールとガランに、エリトリア調停努力とは別の新たな和平「交渉」、つまり結果的にケニアにおける協定を強いて、独立の国民投票を受け入れさせたのだ。世界の超大国による飴と鞭や、勧誘や、脅しによって、ガランやバシールはスーダンの分割を受け入れさせられ、アフリカの歴史で最も残忍な内戦状態の一つをつくり出したのだ。これは最初からアメリカの仕業なのだ。

READ MORE:The Sudan, Africa’s Longest Civil War: The Peace Deal Proves that South Sudan Is a Failed Concept


和平協定に署名した後ジョン・ガランは、スーダン人民解放運動(SPLM)の長として、ハルツームで最初の大衆集会をもち、100万人かそれ以上集めた。バシールが集めた最大の人数の3倍であった。そこで彼は運命的なスピーチをした。

ジョン・ガランは、南スーダン独立に強く「反対」であることを表明にした。そして北のスーダン同胞に彼を大統領に選び、全てのスーダン人に平等な権利と正義に基づく新たなスーダン建設に協力するように呼びかけた。

ガランは、欧米勢力から政治的に独立する意図を表明し、すでにスーダンで石油ビジネスを展開している中国にスーダン経済を発展させるように期待していると表明した。スーダンは全般的に、アフリカで最も大きく、最も豊かな国になる可能性を秘めていた。そしてアメリカにとってスーダンが中国に奪われることは、パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)にとって受け入れ難いことであった。

ジョン・ガランは2週間後、不可解なヘリコプター事故で死んだ。そして彼と共に統一スーダンも死んだのだ。

2・3年たって南スーダン「独立」のために国民投票が実施された.それは仕組まれた取り決めだったのだ。皮肉なことにジョン・ガランは、南スーダンの独立に激しく反対していたのに、今や彼は南スーダン独立国家の「父」として称えられている。

2009年、私の古い友人アレキサンダー・コックバーンは私に連絡してきて、スーダン・南スーダン問題に対してどうなっているか尋ねてきた。私は過去2・3年間エリトリアの隣で暮らしていて、「南スーダンを覆う暗雲」だと答えた。それをアレックスとジェフリー・セイント・クレアは「カウンター・パンチ」のウェブサイトで発表した。そこで私は、世界で最も新しい「独立」国家で、ホロコーストが行われることを予測した。

私は、私の言葉が現実のものとならないことを願うばかりだった。

私は繰り返し、次の数年間南スーダンにおけるCIAの汚れた戦争を暴露し続けることを余儀なくされた。タイトルは「南スーダンにおけるアメリカ対中国」とか、「南スーダンにおけるCIAの汚れた戦争」などで、とりわけこの最も汚れた、秘密裏の、CIAの密かな戦争に光を当てようと試みた。

誇張ではなく、私が南スーダンにおける内戦を、諜報史の中でCIAによる最も隠蔽された主要な秘密軍事作戦であると呼んだ。このことがCIAの手によるものであることは、私以外の記者が、誰一人として主張しておらず、著名な西側ジャーナリストたちがずっと、批判のターゲットを逸らして、南スーダンの国民に向かわせたことからわかる。 

それは進歩的受賞ジャーナリストによる恐ろしい現状報告であり、この汚れた戦争を、黒人対黒人の最悪のアフリカ種族間暴力事件として書いている。

さらに私が著名なジャーナリストに、反乱軍は一月300ドル月給をもらっていると指摘したとき、彼らは私の主張の正確ではないと否定した。ツイッターのやりとりで彼は、反乱軍は恐らく一年で300ドルもらっていると言った。もしそうなら、2万人の反乱軍の兵士に払うのに一ヶ月600万ドル払っているという説明は成り立たない。

この主張の問題点は、元南スーダン戦闘員が戦闘下にあるとき一ヶ月300ドル支払われていたという点だ。南スーダンでは若者が軍隊に入るのは、それが家族を養うのに十分なお金がもらえる唯一の方法だからで、愛国的情熱からではないのだ。普通、そのお金が反乱軍の将軍によって盗まれて、定期的に干上がるとき、兵士達は除隊し始めると、私の情報源は経験したと言う。

計算してみよう。2万人の反乱軍に一月300ドル、それが6年間支払われた。それにプラス食料や燃料や武器も加えて、そうすると5億ドル以上になる。計算できますか。いま正直に、そんなに長く全く秘密のお金がどこから出てくるのか、CIAではないのか。私達は、1970年代と1980年代に戻って、南アフリカのアパルトヘイトを支援したアンゴラやモザンビークのCIAの汚れた戦争を思い出さなければならないのか。

お金の出所を示してくれ、そうでしょう。世界のメディアの誰かがこの質問をしただろうか。反乱軍には明確な資金援助がない。彼らはどこからその資金を得ていたのだろうか。

この話は、CIAがこれまで行った最も秘密にされた「汚い戦争」である。中国が油田を守るために2・3千人の武装「平和維持軍」も派遣するまで、このCIAの作戦は成功し、一時的に南スーダンにおける中国の石油生産を止めることとなった。だからこの汚い戦争は、中国のアフリカにおける油田の主要な足場を切り崩すことであったのだ。

資金の出所を示してくれ。この戦争で利益を得る唯一の者達を私に示してくれ。そう、この残忍で外国資金援助のアフリカのホロコーストから利益を得る唯一の者は、パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)、つまり南スーダンの中国石油生産とその拡大を閉め出そうとするアメリカなのだ。

今日、南スーダンでは平和が突然現れた。恐らく不安定だが。CIAはエチオピアにいる元政権TPLF[ティグレ人民解放戦線]を使って、南スーダンの反乱軍に汚れたお金を注ぎ込んだのだ。しかしエチオピアで起こった「平和革命」で、この反乱軍へのルートは絶たれた。反乱軍の指導者は南スーダン大統領サルバ・キールとお金の交渉するしかなかった。それで彼らの軍隊に給料を払うことができたのだ。払うべきお金も、慰みもなく、彼らの軍隊に払うべきCIAの評判の良くないお金なしもなく、それが「平和にチャンスを与えよ」になったのだ。もちろん腐敗ははびこり、給料は盗まれ、様々な部族軍隊は反乱を起こし続けて不安定である。

しかし今のところ平和交渉は2018年アスマラで調印され、批准され、実施され、維持されている。今CIAは、南スーダンではまったく視野に入ってこない。しかしその悪への諜報能力は決して過小評価するべきではない。中国がアフリカの石油に接近することを拒むことがアメリカの国家利益なのだ。だから南スーダンにおけるアメリカ対中国の対立は、パックス・アメリカーナの全体計画の一部としていつも続くのだ。

(訳者挿入地図)

オイル・ダラーの失敗?石油取引の脱ドル化で、アフリカはロシア、中国、インド、EUへの参加を考慮する。

Failures of the Petro-Dollar? Africa Speculates Joining Russia, China, India and EU in the “De-Dollarisation” of Oil Trades

トルー・パブリカ

グローバル・リサーチ 2018.6.4

<記事原文> https://www.globalresearch.ca/failures-of-the-petro-dollar-africa-speculates-joining-russia-china-india-and-eu-in-the-de-dollarisation-of-oil-trades/5643023

(翻訳:新見明 2018.8.6)



ミーゼス研究所は昨年9月に「世界が米ドルに背を向けている兆候があるのか」と問うた。その問いに以下のように答えたが、実際、ちょうど6ヶ月前にはあり得ないと思われる動きがごく最近あるのだ。

今年3月26日の我々の報告は、中国は、過去10年間たび重なる失敗の後、ついに元による石油先物取引を開始した。その承認で、「オイル元」は現実になり、中国は「オイルダラー」支配に挑戦することになったのだ。

ロシアは、欧米に課された制裁の結果すでにルーブルで石油を取引していて、2015年以来そのような取引を進めてきた。

EUが最近イランの石油をユーロで取引することに決めたのは、ワシントンがイラン核合意から離脱するという直接的な結果からである。

それからちょうど先週、インドがイラン石油をルピーで取引することを我々は報告したが、これも両国がアメリカのテヘランへの経済的圧力を回避しようとしたからである。

我々がまた報告で強調したことは、中国が世界最大の石油購入者であり、アメリカが2番で、インドが3番であることだ。アメリカは毎年約1,100億ドルの石油を購入するが、中国とインドを合わせるとほぼ2000億ドル購入する。EUはイギリスを含めさらに2,000億ドル購入する。

READ MORE:China’s Petro-yuan “Becomes Real”: India Joins International Group Dumping US Dollars in Oil Trades to Bypass US Sanctions
(さらに読む)「中国の"オイル元"は現実になる:インドはアメリカの制裁を回避するため米ドル石油取引をやめる国際グループに加わる。」https://www.globalresearch.ca/india-joins-international-group-dumping-us-dollars-in-oil-trades-to-bypass-us-sanctions/5642875

そこでニュー・チャイナ・デイリーは次のように報道している。

東部と南部アフリカ諸国の間には、ビジネスや貿易で中国の影響力が増大しているので、アフリカ地域では中国元をさらに使うべきだという全般的な合意がある。


東南部アフリカマクロ経済・金融経営研究所の代表取締役カレブ・フンダンガは、週早々の金融専門家フォーラムで、中国がこの地域の経済に積極的役割を果たしているので、準備通貨として中国元を使う必要があることを支持した。

そのフォーラムには、MEFMIに属する14カ国から中央銀行副頭取と常任財務副大臣が参加した。

「全体的結論は、我々が元をさらに使用すべきときがやってきたということだ。我々は(中国と)さらに多くのビジネスをしているのだから、我々が取引している国の通貨を使うことは自然なことなのだ。」


「ちょうど我々が(米)ドルやユーロを使ってきたように、我々は取引でさらに中国の通貨を使いたい。それが我々の利益になるからだ」とフンダンガは述べた。

彼はまた、元の使用は通貨ボラティリティ(乱高下)からその地域を守ることができると述べた。また中国はその地域や他のアフリカ諸国に借款を与えているので、元の使用が便利であることも認めた。

中国がナイジェリアと結んだ有効な通貨スワップで、中国に旅行するナイジェリア人は、地方銀行で簡単に元を手に入れることができる。それと同様の通貨スワップをつくる議論が持ち上がっているとフンダンガは述べた。

MEFMIは、その地域のほとんどの国の準備通貨が、大部分米ドルで投資されているが、その構造は世界経済の大きな変化について行けていないと言う。これは中国とインドがその地域の重要な貿易パートナーであり、グローバル経済の趨勢を形成し続けているので特にそうだ。

MEFMI諸国は、アンゴラ、ボツワナ、ブルンジ、ケニア、レソト、マラウィ、モザンビク、ナミビア、ルワンダ、スワジランド、タンザニア、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエからなっている。

はっきりしているのは、脱ドル化はいくつかの理由でエスカレートしている。そして結局アメリカは、何十年か行われてきた米ドル貿易を要求するにはかなり弱い立場にある。だから米ドルによいる石油取引がどんなに重要かということである。

「今日の"ドル基準"の基礎をなすメカニズムは広く知られ、「オイル・ダラー」という語でよく表されている。このシステムは1970年代半ばになされたアメリカとサウジアラビアの非公式な合意に基づいている。この取り決めの結果は、石油と、それにつれて全ての他の重要な商品は米ドルで、しかも米ドルだけで取引されるということである。石油産出国は当時これらの「オイル・ダラー」を米国債券にリサイクルする。このドルの流れはアメリカにほぼ20兆ドルという巨大な債務を可能にした。だから自分の財政的安定性について心配する必要がない。少なくとも現在までは。」

ドル離れの過程は、ヨーロッパで準備され、中国やロシアによって引き金を引かれたが、もはや止めることはできない。




南スーダン、独立後:「紛争の後」の飢餓と絶望

南スーダン、独立後:「紛争の後」の飢餓と絶望(ブログ用)
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