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新ニュルンベルク裁判の手助けをしていたフランスの女性弁護士、国家への反逆罪で逮捕!!

新ニュルンベルク裁判の手助けをしていたフランスの女性弁護士、国家への反逆罪で逮捕!!

<記事原文 寺島先生推薦>
French Lawyer Arrested for Treason After Helping Reiner Fuellmich Prove World Leaders Have Committed Crimes Against Humanity in the Name of COVID-19

グローバル・リサーチ 2022年3月24日
The Expose 2022年3月24日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年4月10日


 新型コロナウイルス感染症の名のもとに、世界の指導者たちが人道に対する罪を犯したことを証明するためにライナー・フェルミッチ(注1)に協力している弁護士の一人が、フランスでテロリズムと反逆の疑いで逮捕されました。
 
 ライナー・フェルミッチとともに民衆法廷の活動に参加しているフランス在住の弁護士、ヴィルジニー・ド・アラウージョ・レキアは、3月22日の明け方、自宅で子どもたちの前で逮捕されました。逮捕は、フランス大統領選挙を3週間後に控えた時期です。

 フェルミッチのチームは、容疑がテロ対策と反逆罪に関わるものであり、フランス国民と世界のために、神から与えられた権利を回復するために戦う彼女の情熱的な活動に関連するものであることを知らされたと言われています。

 その年の初めに、ヴィルジニー・ド・アラウージョ・レキアは、同僚のジャン=ピエール・ジョセフと他の2人の法学者とともに、「BonSens.org」(注2)、「AIMSIB(科学的医学国際協会)」(注3)、「抵抗する市長の集団」(注4)を代表して、2021年8月に新型コロナウイルス感染症ワクチン接種義務化の法律を有効にした国会議員を、調査判事長に告訴しました。

 このワクチン接種義務化の法律により、何百万人もの専門家が実験的な遺伝子治療を受けなければ、職を失う危険を強いられることになりました。

 この事件の関係者によると、彼女は複数の政党とその一部のメンバーの行動に対する告訴に取り組んでいたそうです。

 彼女は「独裁2020」と題する報告書を発表したばかりで、政府の国家テロ、国民の基本的利益への攻撃、人道に対する罪などを告訴していました。

 この文書は、政府のメンバーに対する刑事訴追の根拠とすることを意図したものでした...

報告書のダウンロードはこちら

 この言語道断の権利侵害は、もはや言論の自由など存在しないことを示しています。そして、ヴィルジニー・アラウホ・レキアのように声をあげれば、迫害されることを証明しています。

 ヴィルジニー・アラウホ・レキアの主張に反対する人たちでさえ、このような行為によって言論の自由の権利が脅かされていることを知るべきです。今は「公式」なシナリオに従うことができていても、将来のある時点でそれに賛成しているとは限らないからです。

 そのとき、もしあなたがこの問題に直面している別の人を助けようと動かなかったら、どうなるでしょうか?こんなことは根本的に間違っていて、自然法則に反していることをあなたは知っているはずです。

 今こそ、団結し、立ち上がる時です。私たちは、この専制政治がエスカレートするのを許せません。シェイクスピアが『ヘンリー六世』の中で「まず、弁護士を全員殺せ」と言ったのは、社会を不安定にする最初のステップに注意を向けていたのです。法の支配や神から与えられた自由の憲法に従わない社会は、平和な社会ではありえないからです。専制政治が支配するとき、私たち誰一人として安全ではありません。

 戦争で最初に犠牲になるのは、よく言われるように、真実です。次に犠牲になるのは、弁護士や擁護者、そしてその他のあらゆる人たちでしょう。自由を愛する愛国者の逮捕を傍観したり、まかり通らせたり、無視してはいけません。どうか彼女の一刻も早い釈放と安全のために祈って下さい。そしてこの茶番に抗議するために当局者に電話や電子メールを殺到させてください。

 そうしなければ、これは西ヨーロッパ大陸のポスト民主主義における粛清の波の最初の一歩になりかねません。


(訳1)ライナー・フェルミッチは、1,000人の弁護士と10,000人の医学専門家からなるチームが、世界の指導者たちの「人類に対する罪」を問う新ニュルンベルク裁判を開始した。(2021年5月21日)
Team of 1,000 lawyers and 10,000 Medical Experts Start Nuremberg 2 Trial against World Leaders for Crimes Against Humanity - Mark Taliano
ライナー・フェルミッチに関する参考資料映像 日本語字幕付き
大陪審、世論裁判所 - ライナー・フエルミッチ博士の冒頭陳述 | たまごのきみーメモ (ameblo.jp)
 )

(注2)BonSens.org:Les Missions de BonSens - BonSens.orgのホームページ内の説明によると、「市民、職人、企業家、農民、弁護士、労働者、科学者、医師、教師など、善意と良識を持った人々が、今後数十年間に世界が直面する健康や環境に関する課題に立ち向かうために行動することを決意したのです。この協会は、健康を中心とした活動のために、これらの社会的参加者を結集させることを目的としています」。

(注3)AIMSIB(科学的医学国際協会):AIMSIB, International Association for Scientific Medicine
ホームページによれば、「AIMSIBは、市民社会、失望したり傷ついたり怒ったりしている患者、医療従事者の世界中の善意の集合体です。私たちの目的は、医薬品、治療法、医療機器に関する批判的で独立した、科学的で対立のない情報を提供すること、治療法全般に関する広告やマスコミの噂話について医療専門家や市民に知らせること、これらの目的に従って医療専門家とユーザーを結びつけること、法的資源も含めてあらゆる資源を動員して、国内外の医薬品、健康製品に関する機関が、医薬品、健康製品、医療機器に関する情報を入手できるようにすることにあります」。

(注4)抵抗する市長の集団( the Collectif des Maires Résistants):
Collective of Resistant Mayors France | The Liberty Beacon


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COVID対応を誤った左派ーー危機を増幅させても信頼の回復にはつながらない


COVID対応を誤った左派――危機を増幅させても信頼の回復にはつながらない

<記事原文 寺島先生推薦>

The Left’s Covid failure

Amplifying the crisis is no way to rebuild trust

GLOBAL RESEARCH 2021年12月2日

UNHERD 2021年11月23日

トビー・グリーン(TOBY GREEN)及びトーマス・ファジ(THOMAS FAZI)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2021年12月28日



Toby Green is a professor of history at Kings College London. His latest book is The Covid Consensus: The New Politics of Global Inequality (Hurst). 

Thomas Fazi is a writer, journalist and translator. His latest book 'Reclaiming the State' is published by Pluto Press.

 世界規模のパンデミックが様々な段階を経て進行する中、COVIDに対する疫学的な対策に関して、「どんな戦略をよしとするか」については、その政治的な風向きと重なる傾向が多分にある。米国のドナルド・トランプ前大統領とブラジルのジャー・ボルソナーロ大統領が、2020年3月に実行されたロックダウン政策というやり方に対して疑念を投げかけていたとき、西側においてリベラルや左派と目されている人々(その中には社会主義者の大多数もふくまれていた)は、パンデミックを抑え込む方策として、ロックダウン政策を人々に推奨していた。さらに昨今のワクチンパスポート政策についても同様の立場を示している。欧州各国がワクチン非接種者たちに対する制限措置を強化している中、普段は差別に苦しむ少数派を守ろうと声をあげてきた左派の論客たちは、なぜかこの件に関しては沈黙を保っている。

 常に左派の立場で記事を書いてきた私たちにとっては、左派のこの態度の急変には困惑させられる。健康な人々を隔離することに対して、前向きな批判の声が左派から本当にひとつもあがってこないのだろうか?昨今の研究調査によれば、ワクチン接種者と、ワクチン非接種者の間の感染力の違いはほとんどないとされているのに。左派のCOVIDに対する対応は、左派の政治力や、考え方をより危機に陥れるものだ。これらの左派の政治力や考え方は、少なくともここ30年間ずっと危機に瀕してきている。だからこそ大事になってくるのは、「COVID対策に対するこのような左派の考え方がどう形成されてきたかを究明すること」、なのだ。

 このパンデミックの最初の段階(ロックダウン段階と呼んでいいだろう)において、「ロックダウン政策をとれば、経済的にも、社会的にも、心理的にも人々は損害をうけるであろう」と警告を発していたのは、文化や経済において右派にいると思われる人々だった。当時、ドナルド・トランプがロックダウン政策に対して疑念を表明していたため、ロックダウン政策を批判することが文化や経済において左派にいると思われる人々にとって受け入れがたいことになってしまったのだ。SNS上のやりとりが、この二分化にさらなる拍車をかけることになってしまった。従って、西側の左派たちがロックダウン政策を受け入れるのには、全く時間がかからなかった。その際に使用されたのが、「いのちを守るため」や「みんなを守るため」という選択肢だった。このような選択肢は、理論上は公衆衛生の考え方や、健康を守るため個人の権利よりも集団の利益が優先される選択肢だ。その当時、ロックダウン政策を批判することは、人々のいのちを顧みない考え方であり、「右派的である」や、「経済を優先的に考えている」や、「個人を優先的に考えている」考え方だとして排除されていた。 

 要するに、ここ何十年も続いてきた政治の二極化の時代において、公共医療の問題は政争の道具に使われてきたため、この問題について異議を挟むことが左派においては許されなくなってきたのだ。同時に、左派はこのロックダウン対策について、労働者階級の人々と距離を置くことになった。というのも、ロックダウン政策が継続されれば、社会的、経済的な影響を受け、仕事を失う可能性が一番高いのは低所得者層の人たちだからだ。さらにいえることは、このような低所得者層の人々は、ズーム会議からもっともはみ出されやすい人々なのだ。ラップトップ階級(ノートパソコンを自由に使えるような人々)に属している人々は、ズーム会議で利を得ることができたのだが。左派による政策選択の見誤りが、「ワクチン接種計画段階」においても、今の「COVIDパスポート実施段階」においても発生しているのだ。右派関連団体からの抗議運動が発生しているいっぽうで、左派の主流派に属している勢力は、ロックダウン政策に対しても、ワクチン政策に対しても、概して支持を表明している。そして、これらの政策に反対する人々は悪者扱いされ、科学を否定する非合理主義者や、利己的な自由主義者たちと同列扱いされている。

  しかしいったいなぜ、左派の主流派勢力は政府によるCOVID対策をほぼすべてのCOVID対策を丸ごと後押しする結果になってしまったのか。「健康と経済」という単純極まりない観点が、なぜ(今頃)浮上してきたのか?この観点は(左翼系)社会科学が何十年も疎かにしてきたものであり、「富と健康」がもたらす結果については切り離せないつながりがあることをこの社会科学は、今も、一点の曇りもなく明らかにしている。なぜ左派の人々には不平等が拡大していることが見えないのだろうか?この政策が、貧困層や、貧しい国々や、女性たちや、子どもたちを激しく攻撃し、お年寄りの人々に致命的な苦難を与えている一方で、超富裕層や、超巨大企業に、さらなる巨大な富をもたらしていることが見えないのだろうか?ワクチンの開発とその普及に関して、「公共の利益」以外の動機がワクチン製造業者から働いているかもしれない、という考え方そのものをなぜ左派は、結果的に一笑に付してしまったのか?金銭が絡んでいることだったし、バイオンテック社や、モデルナ社や、ファイザー社は、毎秒1千USドル以上のペースでCovidワクチンから利益を得ているのだ。さらにいえば、左派はこれまで国家により抑圧された人々の声を代弁してきたはずなのに、今はCOVIDパスポート導入を利用して、国家権力が倫理的かつ政治的な意図を持っていることになぜ気づかないままでいるのだろうか?

冷戦時代は、脱植民地時代や、世界規模での反人種差別主義の時代と共起する時代だった。そして冷戦時代の終焉は、脱植民地政策が象徴的な勝利を収めたとき(それは南アフリカでのアパルトヘイト政策の終了のことだ)と同時に起こった。そしてこれは左派の存在価値が危機に瀕するさきがけとなった。新自由主義的な経済覇権や、グローバリゼーションや、企業による「トランスナショナリズム(訳注:国境を超えて人々や、文化や、資本が移動している状況のこと)」が台頭したことで、「国家は資本の再分配の機能を果たすべきだ」という左派の伝統的な歴史観は軽んじられるようになった。このことと合わせて念頭においておくべきことは、ブラジルの哲学者ロベルト・マンガベイラ・アンガー(Roberto Mangabeira Unger)が指摘していたように、「左派というのはこれまでずっと、世界に大きな危機が訪れたときに栄えてきた勢力だ」という事実だ。例を挙げれば、第1次世界ロシア革命は第1次世界大戦の恩恵をうけたものだったし、福祉資本主義は、第2次世界大戦を受けて実現したものだった。このような歴史経過が今日の左派が置かれている窮地の説明のひとつになる。危機を拡大し、終わりなき制限をかけてその危機を長続きさせるという手口は、ここ数十年存亡の危機に瀕してきた左派の政治を再建する方法の一つなのかもしれない、という見方をする人々もいる。

 左派が新自由主義の本質を見誤っていることにより、左派の危機対応方法にも影響が出ているようだ。左派に属する人々のほとんどは、新自由主義というのは、市場経済に取り込まれて国家が「衰退」し、「空洞化」するものだと考えている。従って、左派の人々の解釈によれば、パンデミック機関における各国政府の取り組みは、「国家権力の復権」として歓迎される取り組みなのだ。左派からすれば国家によるこの動きは、新自由主義によるいわゆる「国家の空洞化」を押し戻せる一つの機会だと捉えている。このような怪しげな論理を受け入れることの問題点は、実際のところは「新自由主義は国家権力を弱体化させることにはなっていない」という事実にある。逆に新自由主義時代に入ってから、GDPの割合から見た国家の規模は拡大し続けているのだから。

 このことは驚かされることではない。新自由主義は、国家権力による介入に大きく依存してきたからだ。ケインズ経済学(訳注:企業の活性化に国家権力が介入すべきだとした理論)と同じ主張なのだ。ケインズ経済学と食い違うのは、今の国家は巨大資本の利益だけに特化して介入を行っている、という点だ。具体的には労働者階級の取り締まりを強め、倒産の危機にある巨大銀行や企業には救援の手を差し出す、などという政治的介入だ。実際多くの点において、今日の資本はこれまでのどの時代よりも国家権力に依存している。経済学の教授であるシムション・ビチュラー(Shimshon Bichler:)やジョナソン・ニッツァン(Jonathan Nitzan)が指摘しているように、「資本主義が発展する過程において、政府と巨大企業のつながりは深まる。資本主義体制においては、政治権力と支配的な力をもつ資本家たちが連合することにより体制が統制されるので、このような状況下では、「小さな政府」は必要ではない。実際多くの点において、資本主義体制は、より大きな政府を必要としているのだ」ということだ。今日の新自由主義は、「小さな政府」よりも、「国家独占資本主義体制」や「コープラトクラシー体制(corporatocracy 企業の活動に重きをおいた政治手法)」により似ているものだ。新自由主義は、「小さな政府のもとでの自由市場に基づく資本主義」という説明がよくされるのではあるが、実際はそうなっていない。この状況を押さえておけば、新自由主義のもと国家権力がますます強力で、介入的で、権威的になっている今の状況が腑に落ちる。

 そうやって左派が、実際は起こっていない「国家の復権」を歓迎しているのだ。これは恥ずべきほどの世間知らずだといえよう。最悪なのは、左派は以前も同じ間違いを犯しているという事実だ。2008年の金融危機の後でさえ、左派の多くは「大きな政府」という意味を勘違いし、「ケインズ経済学の復権」などと考えていた。実際のところは、当時各国政府がとった対策というのは、ケインズの理論とは何の関係もないものだった。ケインズの考えは、「政府の力を利用して、完全雇用を実現する」ことだったのだ。しかし実際に政府が行った対策は、その金融危機の引き金をひいたいくつかの巨大銀行を支えることを目的としたものだった。さらに各国政府の対策は欧州各国での福祉行政や、労働者の権利への前例なき攻撃につながっていった。

 当時と同じようなことが現在進行中なのだ。政府は、COVID検査や、感染対策や、ワクチンや、今行われようとしているワクチンパスポートの技術を有する各グローバル企業と契約を結んでいる。(その契約は、コネのにおいがぷんぷんする怪しげな方法がとられている)。現在、世界の市民たちは「新しい通常」と称する生活様式への転換を余儀なくされている。左派はこのような現状が全く見えていないようであるという事実は、本当に悩まされる問題だ。各国政府は、この危機を利用して、新自由主義の定着をさらに強めようとしているのだが、この動きを左派が出している多くの文献が支えている。ピエール・ダードット(Pierre Dardot)と、クリスチャン・レイバル(Christian Laval)の主張のとおり、新自由主義下においては、危機は「統治手法の一つ」になっているのだ。さらに有名な著書は、2007年にナオミ・クライン(Naomi Klein)が2007年に出した『ショック・ドクトリン』であり、この著書においてナオミ・クラインは、「災害資本主義」という手法を詳述していた。

 この著書におけるナオミ・クラインの主眼は、「人々が恐怖や混乱している時には社会を再構築しやすくなる」という論点だった。現行の経済秩序を劇的に変えるという手法だ。つまり、通常時であれば政治的に実行不可能な劇的な変化を、現行の経済秩序に、人々に何が起こっているかを理解させる時間を与えず、矢継ぎ早に起こしてゆくというものだ。

 現在も同じような動きが起こっているのだ。一例をあげれば、ハイテクを使った監視態勢や、デジタルIDや、民衆の抗議行動の取り締まりや、政府がコロナウイルス流行対策法を迅速に可決するような動きだ。このような状況がこのまま続いていけば、政府はきっと、このような「緊急事態における法律」の多くを、緊急時だけではなく永久的に効力を持たせる方法を探しはじめるだろう。これは9-11の後で大量に制定された反テロ法に対して行ったことと同じことだ。エドワード・スノーデン(Edward Snowden)はこう書いている。「緊急時の対策法案が承認されれば、これはとくに今の社会でよくあることなのだが、その法律は緊急時以外にも適用されるようになる。“緊急事態とされる状況”が拡大されていくのだ」と。このことについては、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben)が提起した「例外状態」という概念でも確認できる。そのアガンベンは、ロックダウン政策に反対しているので、左翼主流派からは軽んじられている。

 究極的には、政府が起こす行動のすべては、その行動が何を目的にしているかについて判断されるべきなのだ。政府が、労働者や少数派の権利を尊重しようと介入するのであれば、私たちは支持する。例えば、完全雇用の実現や、重要な公共サービスの提供や、企業の権力の抑え込みや、市場のさまざまな機能不全や、公共の利益にとって絶対欠かせない産業の統制、などだ。しかしここ18ヶ月間で私たちが目にしてきたのは、全く逆の介入なのだ。グローバルに展開する巨大企業や、その取り巻き勢力をこれまでになく強めるような介入なのだ。そのために労働者や地場産業を犠牲にするような介入なのだ。フォーブス誌が調査した数値に基づいた先月出された記事によると、米国の億万長者たちだけでも、このパンデミック期間中に増やした資産は2兆USドルにのぼるということだ。

 もう一つ左派が抱いているが、現実はそうなっていない幻想は、このパンデミックが、新しい連帯感を生み出している、という錯覚だ。この連帯感により、新自由主義下で台頭した個人主義の時代を乗り越えられるのでは、という錯覚だ。実際起こっているのはその逆で、このパンデミックのせいで、社会の分断はさらに進んでいる。具体的には、ワクチン接種者と非接種者の間の分断。スマート機器を使った仕事で利を得られる人々と、そうはできない人々との間の分断。さらに人々の間で心に傷を負った人々が増え、愛する人々から隔離され、感染しているのではないかとお互いを怖がらされ、肉体的な接触を怯えさせられ・・・。今の社会は、「新しい連帯感」という素地を熟成できる社会ではとうていない。

 しかしおそらく左派の対応を理解するには、集団レベルで捉えるよりも、個人レベルで捉えた方が簡単だろう。古典的精神分析理論は快楽と権威との間に明白なつながりがあることを前提にしている。つまり、大きな快楽の経験(快楽原則を満足させる)の後にしばしば続くのは、自我あるいは「現実原則」 にはっきり現れる新たな権威を求める欲求だ。

(訳注:「快楽原則」や「現実原則」とは心理学者のフロイトによる概念。「快楽原則」とは、赤子がミルクをほしがるようにとにかく快楽を得ようという欲求のまま動いている状態のこと。「現実原則」とは、自己の欲求が満たされずとも現実社会となんとか折り合いをつけて待てる状態のこと)

 快楽を得られた後にはこのような揺り戻しが起こることは、実際にあるのだ。ここ20年間のグローバル化時代とは、「快楽体験」が拡大する時代だったのだ。その快楽を享受していたのは世界を自由に行き来するグローバリスト階層の人々だった。そして歴史的に考えれば不思議なことなのだが、この階層に属する人々は左派を自称している。(実際、この階層の人々が本来左派の構成員であった伝統的な労働者階級の人々の立ち位置をどんどんと押しのけているのだ)。これらのリベラル層に属するグローバリスト階層の人々が増えたことにより、快楽体験が増大し、左派が世俗主義に陥り、道徳上の規制や、権威によって統制されている意識が薄れていることを自覚しつつあったのだ。精神分析理論におけるこの観点から見れば、このグローバリスト階層が「COVID対策」を支持している理由の説明が、簡単につく。制限や権威的な措置が課されることにより、これまで享受してきた「快楽原則状態」から抜け出したいと考えている一部の人々がいたということだ。そこには、これらの制限や、権威的な措置により、この20年間不足していた「現実原則状態」に踏み込みたい、ということだ。

 左派が「COVID対策」を熱烈に賞賛しているもう一つの要因は、左派は盲目的に「科学」を信頼していることにある。そうなっている根源は左派が伝統的に合理主義を信頼していることにある。ただし科学的手法には、否定できないほど説得力があると考えることと、権力が自身のもくろみを実現するために「科学の力」を利用する手口に目を向けないということは別の話だ。「確固とした科学的な数値」を利用して、とある政策選択を正当化できる力を有しているということは、政府が手にしている非常に強力な武器だ。これこそまさに「テクノクラシー(高い科学的知識を持った人々が政治を牛耳っている状況)の本質」だ。しかしここでいう「科学」とは、自身のもくろみを支持する研究だけを賢明に選択した上での「科学」であり、どれだけ科学的に価値のあるものであったとしても、その「科学」以外のすべての異論は軽んじられるという、「科学」に過ぎない。

 このような状況は「経済分野」において何年ものあいだ起こってきたことだ。「今日、医療界においてすら、資本を獲得しようとする企みが実際に起こっている」と考えることはそんなに難しいことだろうか?そんなに難しいことではない、とスタンフォード大学の医学及び疫学教授であるジョン・P・ヨア二ディス(John P. Ioannidis)は語っている。ヨアニディス教授は2021年初期に話題となった。それは研究仲間とともに或る論文を発表したからだ。その論文の主張は疫学的に見て、ロックダウン政策を採った国々と、採らなかった国々の間で事実上差異はみられないというものだった。この論文に対する批判は激しかった。特にヨアニディス教授に対する批判はすさまじかった。そしてその批判の声が特に多くあがったのは、ヨアニディス教授と同じ分野の研究を行っている研究者たちからだった。

 だからこそヨアニディス教授は、自分の職業に対して厳しい批判を行ったのだ。「如何にしてパンデミックが科学の常識を変えてしまったか」という記事において、ヨアニディス教授が書いていたのは、大多数の人々(特に左派に属する人々)がおそらく考えているのは、科学は「マートン・ノルム(訳注:1942年に米国のロバート・マートンが記した科学者がもつべき4つの規範意識)」にある(1)公有制(2)普遍性(3)無私性(4)組織的懐疑主義に基づいているという事実だ。しかし悲しいかな、現実の科学界ではそんな規範意識は見受けられない、とヨアニディス教授は語っている。今回のパンデミックにおいて企業との利益相反関係が暴露されているが、そのことについて議論することさえ忌み嫌われている。さらにヨアニディス教授は言葉を続けている。「専門家たちは企業や政府に助言を与えることで何百万ドルもの収入を得、名声や、権力や、一般市民からの賞賛の声を手にした。いっぽう金儲けのことなど考えず活動している、公式説明に疑問の声をあげている科学者たちは、やっかいものとして悪口を言われた。“組織的懐疑主義”は、公衆衛生の敵と見做された。二つの考え方の闘いが行われたのだ。一つは権威的な公衆衛生政策であり、もうひとつは科学だ。そして科学が敗れたのだ」

 左派が、人々から上がっている正当な懸念(ロックダウン政策や、ワクチンや、COVIDパスポートに対する懸念)を軽んじ、嘲笑の的にしているという傲慢な態度は本当に恥ずべきことなのだ。市民から上がっているこれらの懸念は、実際の生活に対する脅威に根ざしたものであるだけではなく、市民が政府や当局に対してもっているまっとうな不信感から生み出されているものなのだ。政府や当局は、企業の利益獲得のための組織として取り込まれていることは否定できない事実だからだ。真の社会の進歩につながる政治的介入を望んでいる勢力であろうとする(私たちのように)のであれば、このような市民からの懸念をきちんと受け止める必要があるのだ。その懸念を拒絶するのではなく。

 しかし左派の反応で一番欠けているものが世界の舞台にある。それはCovidを巡るさまざまな制限措置とグローバル・サウスにおける貧困の深まりに関連するものだ。ナイジェリアで、児童婚や、学校教育の崩壊や、正規雇用の崩壊が急増していることと、COVID対策の間には何の関連もないと、言ってしまっていいのだろうか?政府の統計によると、ナイジェリアではロックダウン期間中に2割の労働者が失業している。2020年COVID死者数と、致死率において世界最悪だった国ペルーの状況を見てみよう。実はペルーは世界で最も厳格なロックダウン政策を採っていたのだ。これらすべてのことに関してはまったく沈黙が保たれている。このことと、世界規模で国家主義的な勢力が台頭していることを関連づけて考えなければならない。ジェレミー・コービン(Jeremy Corbyn:英国の労働党元党首)のような左翼国際派が選挙で敗北したことからわかることは、イギリス以外の西側諸国の左派勢力のCOVID-19に対する対応を考えれば、選挙の争点を国際的な問題に拡げてもほとんど選挙のけん引力にはならない、ということだ。

 伝えておくべきこととして、左派(特に極左)や、社会主義運動家の中にもはみ出し者がでてきているという事実がある。これらの人々は今回のパンデミック対策に対して異論を表明している。具体的にはニューヨークの「黒人の生命も大事だ(Black Lives Matter)」や、「英国ロックダウンに疑問を持つ左派の会(Left Lockdown Sceptics in the UK)や、チリの都市部の左派勢力や、イタリアの「ウー・ミン」などだ。特筆すべきは、スウェーデンで政権を取っている「社会民主党・緑の党連立政権」だ。しかしこれらの意見は無視された。その理由の一つは、左派系メディアが少ないこともあるが、何よりも左派主流派がこれらの異論を取り上げてこなかったことがあげられる。 

 今回のパンデミックに対する対策の見誤りは、左派にとって歴史的な失態となっている。この失態により壊滅的な結果を招くだろう。市民から上がっている異論を受け止める窓口は、再び(極)右勢力に奪われそうだ。左派は絶好の機会を失うことになるだろう。右派の覇権を打ち砕くのに必要な投票数を獲得することはできないだろう。今のところ、左派は専門家たちで校正されるテクノクラシーに取り込まれ、このパンデミックの対応法が壊滅的であると証明されていることに対して厳しく目を向けることもできていない。これでは社会進歩などとうてい望めないだろう。選挙で票を獲得できるような左派の台頭は過去のものとなった。さらに、真の民主主義的手続きを成立させる根本である論議や、異論の尊重も、それに伴い消え去ろうとしている。 

2019年にフォート・デトリック米軍化学兵器研究所での研究が中断された理由

<記事原文 寺島先生推薦>Deadly Germ Research Is Shut Down at Army Lab Over Safety Concerns

ニューヨーク・タイムズ
2019年8月5日
デニス・グレーディ(Denise Grady)著

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2021年4月26日



 軍所有の有名な病原菌研究所において、安全面に関する懸念が生じたため、政府はその研究所で行われていた研究にストップをかけた。その研究には、エボラウイルスのような危険な微生物についての研究も含まれていた。

 「現時点では研究は中断しています」。2019年8月2日、フォート・デトリック基地内にある感染病に関する米軍医療研究機関の報道官はこう語った。そして、研究の中断期間は数ヶ月に及ぶと考えられると、カーリー・バンダー・リンデン報道官はインタビューで答えている。

 そのインタビューによると、米国疾病予防管理センター(CDC)は先月(2019年7月)、研究の「停止通告書」を発行し、フォート・デトリック基地で行われていた研究を停止することを決めたとのことだ。その理由は、高度な警備で守られた同研究所から排出される「汚染された廃棄水を除去する十分なシステムが確立されていない」からだ、とのことだった。

 この研究所は、生物兵器センターであり、病原菌や毒物の研究を行っている。それらの病原菌や毒物はテロリストなどによって、軍や国民の健康にとっての驚異となる武器として使用される可能性があるものだ。加えて同研究所は、伝染病の流行についての調査も行っている。さらに同研究所は、政府や大学や製薬会社から委託された研究も行っており、それらの機関から報酬を得ている。また同研究所には900人の従業員がいる。

 研究を中断したことにより、通常そこで行われている研究に大規模な影響が出ている、とバンダー・リンデン報道官は語った。

 中断された研究の中には、ある種の毒物についての研究も含まれており、さらには「選ばれた化学物質」と呼ばれる病原菌も含まれていた。その化学物質は政府により選ばれたものであり、それが「市民の健康や、動植物の発育、あるいは酪農や農業に深刻な危険を与える可能性がある」とされたのだ。そのような選ばれた化学物質や毒物は67種類あり、具体例を挙げれば、エボラ熱や、天然痘や、炭疽菌や、ペストや、リシン(生物兵器として使われる可能性のある薬品)による被害などを引き起こすものである。

 テロリストがこのような化学物質を武器として使用することも理論上考えられるため、政府は、そのような化学物質に対応し、詳しい調査を行い、指定を受け、安全と安心を守るための手順に従い、CDCや米国農務省が運営する計画を通じて調査を行おうという機関を求めている。2017年時点で、公的機関や、大学の機関や、民間の機関を合わせて263の研究所が、このプログラムの研究機関として指定されていた。

 フォート・デトリック基地内の研究所も、そのような指定機関の一つであったが、先月(2019年7月)その指定が保留にされた。それはCDCが、同研究所での研究の実施に待ったをかけたからだ。

 研究の中断のことを始めて伝えたのは、2019年8月2日のフレドリック・ニュース・ポスト紙だった

 この問題は2018年の5月にまで遡る。その際、嵐と洪水のために、同研究所が研究所から排出される廃棄水を浄化するために10年間使用してきた蒸気殺菌工場に被害が出たと、バンダー・リンデン報道官は語った。さらに、その被害のために、同研究所が化学薬品を使った新しい汚染水処理システムを開発するまで、数ヶ月間にわたり研究が中断された、とのことだ。

 その新しいシステムを導入するにあたり、研究所内で研究手順の変更が必要となった。2019年6月に実施された検査期間中にCDCが検知したのは、その新しい手順が安定していないという事実だった。さらに検査官が検知したのは、化学薬品を使った浄化システムに関する機械関連の不具合であり、化学物質の漏洩であった。しかしその点に関して、
バンダー・リンデン報道官は、漏洩は研究所内のことであり、外部には漏れていないと付け加えた。

 「複数の要素が重なったために」、停止通告書が出され、選ばれた化学物質を取り扱う研究所の登録から外されることになったと同報道官は語っている。

 分子生物学者であり、ラトガーズ大学で生物兵器を専門に研究を行っているリチャード・H・ブライト博士は、メールで以下のようなコメントを残した。すなわち、今回の化学薬品を用いた廃棄水の浄化に問題が生じたということは、浄化方法を従来のような熱を使用した浄化方法に戻さなければならない可能性があるということになり、「そうなれば、新しい蒸気を利用した殺菌工場を建設しなければならず、そのためには研究に非常に長期に渡る遅れが生じ、膨大な費用も必要となるだろう」とのことだった。

 研究計画の多くは中断されているが、バンダー・リンデン報道官によると、科学者など研究所の勤務者たちは、問題となった選ばれた化学物質に関する研究のみを中断しているだけであり、それ以外の研究は続けているとのことだ。さらに、同報道官がつけ加えたのは、勤務者たちの多くが、決められた期限までに計画を遂行できるかどうか不安を感じているということだった。

 今回のようなミスは、CDCやNIH(米国国立衛生研究所)など、他の公的研究所でも起こっている。2009年には、フォート・デトリック基地内の研究所での研究が、指定外の病原菌を保管していたことが問題となった。 さらに同研究所には、ブルース・E・イビンズという微生物学者が勤務していたが、彼は5人の命を奪った2001年の炭疽菌郵送事件の主要容疑者だった。(ただし起訴されることはなかったが)。イビンズは2008年に亡くなったが、おそらく自殺であったと考えられている。

「持続可能性(サステナビリティ)」の狂気―― 向かうは、うわべ環境にやさしい(グリーン)グローバル資本主義


ピーター・ケーニッヒ著

グローバルリサーチ、2020年10月01日

The Insanity of “Sustainability”.. Towards “Global Capitalism Painted Green”


 <記事翻訳 寺島美紀子・隆吉>
2021年1月21日

「死者だけが戦争の終焉を見た」 – プラトン

(訳注:死者にだけ戦争の終わりは訪れる。死ねばその時点で、死者にとっては戦争は終わるが、現実世界は戦争が未来永劫つづく、という意味か?)

 この格言は2500年前と同じほど現代でも通用する。戦争は永遠につづく。戦争はまさに持続可能性(サステナビリティ)という解毒剤である。しかし、現代人が知っている唯一の「持続可能性」は、終わりなき破壊と殺戮、そして母なる地球と地球上の感情をもつ生物の恥知らずな搾取なのかもしれない。人間もその搾取の対象だ。

 そうだ、われわれは「持続可能性」に向かって猛スピードで突進している。そして、われらの惑星とすべての生き物を破壊しているのだ。戦争や紛争をおこして、そして母なる地球を恥知らずにも搾取して。そしてまた、何千年ものあいだ地球上の土地に平和的に生きてきたひとびとを恥知らずにも搾取して。

 すべては貪欲のため、そして、さらなる貪欲のためだ。貪欲と破壊は、確かにわれわれ「西側文明」の「持続不可能な」特徴である。しかし、心配することはない。物事の壮大な計画においては、母なる地球は生き残るからだ。地球は自らを浄化する。駆逐艦や撲滅者を振りはらい捨て去ることによってだ。そして人間さえも捨て去る。勇者だけが生き残るだろう。先住民たちは下劣な消費主義をつつしみ、代わりに母なる地球を崇拝し、地球の毎日の贈り物に感謝の意をあらわしてきた。そのような社会は、われわれの地球上に、もうそれほど残っていないにしても。

 その一方、われわれはそのなかで生き延びている持続可能性というものについて嘘をついている。われわれは其処らじゅうで自らとひとびとに嘘をついている。われわれは、持続可能性こそがわれらの大義だと信じるふりをして、このことばを自由気ままにかつ絶えまなく使っている。われわれのほとんどは、それが何を意味するのかさえ知らない。「持続可能性」と「持続可能な」ものすべては、スローガンとなった。あるいは周知の文句に。

 このような専門的響きをもつ流行語は、何度もくりかえされ、いくつもの狙いを普及させ、そうでないものがじっさいにあるのだと信じるように、ひとびとの心を捻じ曲げるためにつくられている。

 われわれは偽ってこう言う。われわれは持続可能な仕事をし、われわれが触れるものすべてを持続可能に開発し、最も持続可能な方法で未来を予測すると。それは、われわれがこの最も途轍もなく賢いが真実ではない用語をつくったひとびとによって信じさせられているものである。精神病患者製造工場101番(ワンオーワン)「基礎入門講座」である。

 ヴォルテールが指摘したように、「不条理を信じさせることのできるものたちよ。汝は残虐行為を犯すことができる」

 持続可能性。それはどういう意味なのか。

 その用語は、使用するひとがいるのと同じくらい多くの解釈がある。すなわち、特定のものは何もないのだが、ただ、いい響きがするだけだ。なぜなら、よく知られたことばになったからだ。世界銀行がでっち上げて以来、あるいはむしろ1990年代に「持続可能な開発」という用語に転換して以来のことである。まず最初に、地球温暖化に関連させ、次に気候変動に関連させ、そして今ではその両方に関連させたからだ。

 想像してもみよ! 世界銀行、そしておそらく他の機関で、ほぼすべての報告書のすべての頁に少なくとも一回は「持続可能」あるいは「持続可能性」ということばを入れなければならなかった時期があったことを。そうだ、それが当時、増殖させられた狂気のほどなのだ。そして今日でさえ、それは地球規模ですすみ、かつより洗練されたものとなった。企業界すなわち公害をひきおこす巨大組織は、そのことばを流行語にする。われわれのビジネスは持続可能であり、当社の製品は持続可能性を促進します、世界中で。

 じつのところ、持続可能、持続可能な成長、持続可能な開発、持続可能な開発、持続可能なあれやこれやは、どれもみな、もともとは国連環境開発会議(UNCED)によって捏造されたものだった。UNCEDは、リオデジャネイロ地球サミット、リオ・サミット、リオ会議、地球サミットとしても知られている。これは1992年6月3日から14日まで、リオデジャネイロで開催された。

 このサミットは、地球温暖化と気候変動に関する、その後につづく動きと密接に関連している。このサミットが発信した予測は、海面が上昇し、都市が消滅し、細長い島々が消滅するということだった。それは、たとえばフロリダやニューヨーク市のようなところや、またカリフォルニア州の一部とアフリカやアジアの多くの沿岸地域や町にまで及ぶ。その予測が描き出したのは、もしわれわれ人類が適切に行動しなかったばあいに起こりうる結果とは、終わりなき災害、干魃、洪水、飢饉というものだ。一連の国連の環境・気候サミットのこの第一回目は、また、「国連アジェンダ2021」および「国連アジェンダ2030」とも密接に結びついたものである。国連アジェンダ2030が、主要な目的達成手段として取り入れ、かつ使用しているのは、17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)」である。

 2016年の国連特別会議で、ビル・ゲイツがSDGsの16項目め「持続可能な発展のために平和で包摂的な社会を促進し、すべてのひとに正義へのアクセスを提供し、あらゆるレベルで効果的で説明責任と包摂的な機関を構築する」に盛り込むことができたのは、12あるターゲットの9番目だった。すなわち、「2030年までに、すべてのひとに、出生登録を含む、法的身分証明書(ID)を提供する」。これは、まさにビル・ゲイツがデジタルIDを導入するためにどうしても必要とするものであり、それはワクチンを介して注入される可能性が最も高い。そして、開発途上国の子どもたちから始めるのだ。つまり、貧困で無防備なひとたちは幾度となくモルモットとして使われるのである。

 開発途上国の子どもたちに何が起こるのか、かれらは知らないだろう。バングラデシュの田舎のひとつまたは複数の学校で最初の試験が進行中である。これとこれを参照。

  これら17項目ある持続可能な開発目標は、すべてグリーン・アジェンダ「環境にやさしい行動戦略」に向かって突進している。つまり、何人かの著名なアメリカの「左翼」民主党政治家たちが「グリーン・ニューディール」と叫んでいるとおりなのだ。しかしそれは、うわべだけグリーンの、すなわち「環境にやさしい」という体裁を装った資本主義以外の何物でもない。人類と世界の資源にとって恐ろしい犠牲を強いるものだ。しかし、それはより持続可能な世界をつくりだすという看板の下で売り出されているのだ。
グリーン・ニューディール:フランクリン・ルーズベルト米大統領がウォール街大暴落とその後の世界恐慌を克服するためおこなった社会・経済政策であるニューディールに由来。 地球温暖化、世界金融危機、石油資源枯渇に対抗するとして、金融と租税の再構築、および再生可能エネルギー資源に対する積極的な財政出動を提言。2008年には国際連合環境計画(UNEP)が採用。UNEPイニシアティブはグリーンジョブの創出とグローバル経済システムの再構築による化石燃料への依存低減を提唱。また2008年12月11日には国連事務総長が「緑の成長が数百万の雇用を創出する」と表明。最近では民主党で一躍注目を浴びたオカシオ・コルテスの政策がまさにグリーン・ニューディールである。

 膨大な量の炭化水素(HC)は、それ自体が主要な汚染物質そのものである。だから、われわれの「ブラック経済」(脱税目的で公開されていない資金と経済活動)を、環境にやさしい「グリーン経済」へと、転換させることが必要だろう、などといった言説に気を留めてはいけない。ただ単に、効果的で効率的な代替エネルギー資源をわれわれが開発してこなかっただけなのだから。代替エネルギー資源を開発してこなかった主な理由は、強力で政治的権力をもつ炭化水素ロビーがいるからである。

炭化水素(HC)とは、炭素Cと水素H、あるいはこれらと他の原子の化合物の総称。塗料やプラスチック製品などの原料として使用されている。HC発生の原因はさまざまで、化学工場やガソリンスタンドなどの貯蔵タンクから発生したりするが、自動車からの排出ガスにも多く含まれる。このため、自動車からのHC排出については、自動車排出ガス規制によって規制されている。

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 太陽電池パネルや風力発電機を生産するエネルギーコスト(石油・石炭からの炭化水素エネルギー)は、度肝を抜くほどである。だから、今日の電気自動車(テスラ株式会社)を駆動させているのは、依然として電気を産出する炭化水素を使ってであり、加えて、リチウムからつくられる電池は、ボリビア・アルゼンチン・中国その他の、巨大な天然塩田のような原始時代の風景を破壊する。これらのエネルギー資源の使用は、「持続可能」どころの騒ぎではない。

 欧州委員会(EC)の電気自動車協会の調査によると、「『油井からガソリンタンクまで』つまり『一次エネルギー源から電気プラグまで』のエネルギー効率は、電力の生産と流通によって消費されるエネルギーを考慮すれば、約37%と推定されている」。これを参照。マイケル・ムーアの映画『人間の惑星』も参照。

  ビデオ:マイケル・ムーアの映画『人間の惑星』全編(現在は観ることができない)


 水素発電が推進されているのは、将来のエネルギー資源の万能薬として、である。しかし、それは本当だろうか。今日の炭化水素や化石燃料は、世界中で使用されているエネルギーの80%に相当する。これは再生可能ではなく汚染の激しいエネルギーである。今日、水素の生産はほとんど化石燃料に依存しているので、電気と何ら変わらない。

 第二世代の太陽エネルギーのような代替エネルギーは、植物がおこなっている光合成に由来するものだ。
 しかし、純粋に利益のみを駆動燃料としている炭化水素ロビーが暗躍して代替エネルギー研究に各国政府が総合的に投資することを妨げているかぎり、水素生産には、ガスそのものやガソリン由来燃料を使用するよりも多くの化石燃料を使用する。したがって水素、言わば水素自動車は、電気自動車そのものよりもおそらく40%~50%は効率が悪い。したがって、環境への負荷は相当に高くなる可能性がある。したがって、今日の技術では持続可能ではない。

 「持続可能性」というスローガンにたいする一般の信頼を高めるために、かれらは自分の土地や風景の「裏庭」に風力発電機や太陽電池パネルを設置し、そして、炭鉱を壊滅させてしまった。風力発電機や太陽電池パネルは、プロパガンダ目的で撮影され、かれらの「持続可能」という流行語を写真にくっつけることになるのだろう。

 世界経済フォーラム(WEF)と国際通貨基金(IMF)は、グリーン・ニューディールの目論見に完全に関与している。WEFやIMFにとって、世界中の環境と社会崩壊の原因は、規制のない新自由主義的な資本主義でもなく、また、そこから生まれた極端な消費主義でもない、そうではなく、炭化水素のような汚染エネルギーの使用だというのである。かれらが巨大な化石燃料の使用に気づかぬふりをしているように見えるのは、グリーンエネルギー主導の経済へと転換するためである。それとも、かれらは本当に気づいていないのか。資本主義はOKだ、ただ必要なのは、われわれがそれを、うわべはグリーンに、つまり「環境にやさしいという体裁を装う」ということなのだ、というのだ。(これを参照)               

 他に何が「持続可能」で、何が「持続可能」でないのかを見てみよう。

 水の使用と民営化
 コカコーラ社が言っているのは、中毒性があって潜在的に糖尿病をひきおこすソフトドリンクが、「持続可能」に生産されているということだ。持続可能性を世界中の販売促進に宣伝している。「当社の事業は、AからZまで持続可能性です。コカコーラ社は持続可能性というビジネス文化に従っています

 コカコーラ社は手付かずの汚れなき飲料水を大量に使っている。同じくネスレ社も大量の飲料水を使って、そのビジネス部門でトップのボトル入り飲料水をさらに販売促進させている。ネスレ社はコカコーラ社を追い越して、ボトル入り飲料水では世界一となった。どちらも主に地下の飲料水源を使っている。最もコストが低く、しばしばミネラルが豊富である。両社は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの地下を走る世界最大の淡水帯水層グアラニを利用するために、ブラジル大統領と協定を結んだか、あるいは署名しようとしている。しかも両社とも、持続可能性を宣言している。

 コカコーラ社とネスレ社は、グローバルサウス(インド、ブラジル、メキシコなど)やグローバルノースでも惨劇をつくりだしている。ネスレ社はミシガン州の小さなオセオラ郡区の自治体と係争中で、住民はスイス企業の水抽出技術が環境を台無しにしていると訴えている。ネスレ社は、ミシガン州で、たった200ドルを支払うだけで年間1億3000万ガロンの水を抽出している(2018年)。

 グローバルサウスとグローバルノースの両方で、とくに夏のあいだ、水位は地域住民の手の届かないレベルにまで沈むので、ひとびとは水源を奪われている。政府や市職員に抗議することは、しばしば無駄である。なぜなら腐敗が広く全体に行き渡っているからである。ここでは持続可能なものはなにもない。

 これらは、ボトル詰めという目的のために水を民営化する二つの例にすぎない。公共の水供給を民営化することは、主にフランス、イギリス、スペイン、アメリカの水会社によって、主に発展途上国(グローバルサウス)でおこなわれている問題の中核である。

 水の民営化は、国民とくに貧しいひとびとが合法的に水資源にアクセスすることを奪うという理由で、社会的に最も非持続可能な「妙技」である。しかし、水は公共物であり、水は基本的人権でもある。2010年7月28日、国連総会は決議64/292を通じて、水と衛生に対する人権を明確に認め、すべての人権の実現のためには、清潔な飲料水と衛生が不可欠であることを認めた。

 公共水を使っているネスレ社とコカコーラ社は――その他の企業の多くもみな同じだが、念のために言っておくと、使用済みのペットボトルのことなど全く気にかけてなどいないし、結局は未回収かつ非リサイクル廃棄物として、海・畑・森林・道路脇に投げ捨てている。世界的にはペットボトルの8%未満しかリサイクルされていない。したがって、ネスレ社とコカコーラ社が実践し公言していることは、まったく持続可能なものではない。あからさまな嘘なのだ。

 ガソリン業界
 グリーンのビジネス標章をもつBP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)は、視覚的には、ひとがBPガソリンスタンドを通過するたびに、BPこそグリーンだと信じさせている。というのは、BPは自らの石油探査と採掘がグリーンで環境的に持続可能であると宣言しているからだ。

 しかし、現実を見てみよう。これまでのところ、石油産業史上、最大の海洋原油流出と考えられるのは、ディープウォーター ・ホライズンの原油流出だった。これは、BPが運営するマコンド試掘油田のあるメキシコ湾で、2010年4月20日に始まって2010年9月19日まで続いた、巨大な産業災害であり、約78万立方メートルの生油を最大18万平方キロメートルの地域に流出させた。BPは完璧な汚染除去を約束した。そして2015年2月までに、BPは任務が完了したと宣言した。しかし実際には、流出した油の三分の二がまだ海に残っており、海岸やビーチに沿って有毒なタール残骸としてへばりついている。完全な汚染除去がなされなかったので、今後、決してタールがなくなることはないかも知れない。かれらが約束した持続可能性はどこにあるのか。もうひとつのあからさまな嘘だ。

 BPと他の石油企業は、また身の毛のよだつ恐ろしい人権記録をもっている。かれらが事業をおこなっているほぼすべての場所においてである。そのほとんどはアフリカや中東だが、それだけにとどまらずアジアでも同じだ。人権の破棄は、持続可能性の破棄でもある。

 この論考では、ガソリン業界の一例としてBPを取り上げたが、ガソリン大手のいずれの企業も、世界のどこにおいても、持続可能的に活動などしているものはいない。そして地下水面の破壊的なフラッキングが実践されている場所では、持続可能な活動など、とうていあり得ないことなのだ。

 「持続可能な採掘」などということばは、もうひとつの言語道断の嘘である。しかし、それは金に目の眩んだ盲目のひとたちには、売れ行きが極めていい嘘である。そして、文明世界のほとんどは、金に目が眩んで盲目になっている。残念なことだ。かれらは快適空間のなかに居続けたいと考えているが、そのためには、銅や金や他の貴金属や宝石や希土類(レアアース)を使うことが必要だ。それらは、これまで以上に洗練された電子装置や目新しい小道具やとくに軍事電子誘導精密兵器のために必要であり、また同じく何としても、炭化水素は必要なのだ。

 再生可能でないものを持続可能的に採掘するなどということは、大きな矛盾表現である。再生可能でないものを地球から奪うものはすべて、その性格上、持続可能ではありえない。それは単に消えてなくなるからだ。永遠に。再生可能ではない原料に加えて、とくに金と銅の採掘による環境被害は恐ろしい。鉱山が短期間の30年または40年の営業権で開発されると、鉱山会社は山のように汚染された廃棄物・土壌・水を残してしまうので、再生するには千年以上がかかる。

 しかし、業界が垂れ流す甘言は、「持続可能性」ということばであり、一般のひとびとはそのことばに参ってしまうのだ。

 じっさい、われわれの文明の持続可能性はゼロである。われわれが周りに散らかし放題の汚染・毒物・中毒物質は別にしたところで、ほとんどの西洋文明は、母なる地球がふつうに提供するものの三~四倍の天然資源を使用している。われわれ西側は、60年代半ばに閾値(いきち)は1を超えた。アフリカとアジアの大部分は、平均して0.4から0.6程度であり、依然として1を下回っている。

 「持続可能性」はたんなる美辞麗句であり、西洋文明では何ら意味をなさない。「持続可能性」は完全なる欺瞞、自己欺瞞であり、だからこそわれわれは持続不可能な生き方をつづけるのかもしれない。「持続可能性」は利益に縛られた資本主義である。しかし、「持続可能性」は今日、生き長らえている。かつてないほど、ますますの消費主義をともなって、かつてないほど少ないオリガルヒ(財閥)のための、ますますの贅沢をともなって。明日の資源に乗っかって。

 すべてのものの「持続可能性」など、安っぽいスローガンであるだけでない。「持続可能性」は破滅的な自己欺瞞である。世界のグレート・リセット(初期化・再設定)は、じっさいに必要とされているのだ。国際通貨基金(IMF)と世界経済フォーラム(WEF)の方法に従ってではないやり方で、である。IMFとWEFは、より多くの資源と資産を、下位層99.99%からシャベルで掻き集めて、上位数名に手渡すのだ。そして「新」資本主義をピカピカの明るいグリーンに塗りたくり環境にやさしいふりをして大衆を欺すのだ。われわれ民衆こそが、やらねばならないのだ。

 世界のリセット(初期化・再設定)は、われわれ自身の手で、良識と責任をもって、やり遂げねばならない。

 だから、われら民衆よ、「持続可能性」など無視して、責任をもって行動するのだ。

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