fc2ブログ

ロシア共産党、プーチン大統領による首相選出支持を拒否

<記事原文 寺島先生推薦>
Communists refuse to back Putin’s pick for PM
ロシア議会の共産主義政党は首相承認投票を再度棄権
出典:RT 2024年5月10日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年5月19日


2348-1.jpg
下院で撮影されたロシアのミハイル・ミシュスチン首相(左)とKPRF指導者ゲンナジー・ジュガノフ(右)。© スプートニク / ドミトリー・アスタホフ


ロシア国家院は金曜日(5月10日)、ミハイル・ミシュスチン首相の再任指名を承認した。この決定は、その日遅くにウラジーミル・プーチン大統領が署名した大統領令で支持された。

この指名は、議員数450人の議会による投票中に出席した432人の国会議員のうち375人が支持した。しかしロシア共産党(KPRF)の全会派、57人の議員は投票を棄権した。

ゲンナジー・ジュガーノフKPRF党首は投票に先立って棄権することを明言し、その理由として、政府が示した「政治的意志」の欠如や財政赤字、その他の問題。挙げた。

しかしながら、ロシア共産党はミシュスチン首相と協力する用意がある、とジュガーノフ党首は述べ、実際に指名を支持するには議員全員の個人的な理解が必要だった、と付け加えた。

2348-2.jpg
関連記事:Putin reveals choice for Russian PM

「我が党は同盟諸党と相談し、この政府のために一連の任務を受ける準備をしています。首相から、これらの計画の重要な部分を実施する用意があると聞き次第、私たちはこの政府を支援する準備ができています。ただし、現在の状況では、我が党は投票を棄権します」とジュガーノフ党首は説明した。

KPRFは長年ミシュスチン首相を警戒しており、「オリガルヒ(新興財閥)」」に対する政府の不能さ、杜撰な仕事、そして現在進行中の「資本主義の危機」全般について繰り返し不満を述べている。

実際、同党は2020年1月にも同じ動きを見せたが、この時もミシュスチン首相はプーチン大統領によって初めて政府指導者に指名され、その時もKPRFは、首相選出投票を棄権した。
スポンサーサイト



プーチン大統領、ロシア国防相を変更した理由を明らかに

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin reveals why he replaced Russia’s defense minister
ロシア政府は「銃とバター」の両方に留意する必要がある、と同大統領は発言
出典:RT 2024年5月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年5月19日


2337-1.jpg
画像:ロシアのウラジーミル・プーチン大統領。© スプートニク / アレクセイ・バブシキン

アンドレイ・ベロウソフ新国防大臣は、国の多額の国防支出を適切に管理し、それが民間経済を損なうのではなく確実に助けることができるだろう、とウラジーミル・プーチン大統領は水曜日(5月15日)に述べた。

多くの人が驚いたことに、大統領の長年の経済顧問で元経済開発大臣である同氏が、5月12日に国防省のセルゲイ・ショイグ氏の後任に抜擢された。

「新国防大臣は、安全保障複合体全体の経済、そしてその主要な構成要素である国防省が国の経済全体に適合するために何をする必要があるかを完全に理解しています。このことは非常に重要であり、経済と予算の能力を考慮した、産業の革新的な発展に関連するものです」とプーチン大統領はモスクワでの会合においてロシア軍管区の責任者らに語った。

「いわば『銃』と『バター』の関係は、ロシア国家全体の発展戦略に有機的に組み込まれなければなりません。アンドレイ・レモビッチ(ベローソフ)なら、この任務を最善の方法で処理してくれる、と期待しています」とプーチン大統領は発言した。

2337-2.jpg
関連記事:‘Making mistakes is acceptable; lying is not’ – new Russian defense minister in quotes

プーチン大統領は、ロシアの軍事支出が2024年にはGDPの約8.7%にまで増加している、と指摘した。冷戦の最中であった1980年代にソ連が支出していた13%には及ばないものの、「これらは重要な財源であり、我が国はそれに応じた使い方をしなければなりません。非常に効率的かつ効果的に使用しなければなりません」と同大統領は説明した。

ベロウソフ新国防大臣の最近の仕事には、無人航空機やその他のドローンなどの「軍民両用」技術の開発が含まれていた。国防大臣に指名された後、同氏はインタビューに応じ、紛争における技術の状況はほぼ毎週変化している、と説明した。

同氏は当時、「軍の経済をより広範な国民経済に確実かつ完全に統合することが不可欠です」と述べ、その課題は「複雑かつ多面的であり、主に軍事支出の最適化に関わるものです」と説明した。

「我が国における効果的かつ先進的なものはすべて、勝利の達成に貢献しなければなりません」と同氏は付け加えた。

ベロウソフ新国防大臣以前は、ロシアの国防大臣は少なくとも何らかの軍事経験を持っていた。ショイグ前国防大臣は陸軍大将の地位を保持し、2012年に国防大臣を引き継ぐまで21年間、非常事態省大臣を務めていた。現在ロシア安全保障理事会に任命されているショイグ氏とベロウソフ氏はともに、今週予定されているプーチン大統領による中国訪問に同行する予定だ。

クレムリン、国防大臣交代の決定について説明

<記事原文 寺島先生推薦>
Kremlin explains decision to change defense minister
ドミトリー・ペスコフ大統領報道官は、紛争に勝つためには「革新的なものを受け入れる」人々が必要である、と発言
出典:RT 2024年5月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年5月14日


2328-1.jpeg


ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がセルゲイ・ショイグ国防大臣の後任を決めたという提案は、防衛産業基盤を国家経済とより深く統合することを目的としているとクレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官が述べた。

内閣改造のさなか、連邦評議会は日曜(5月12日)夕方、プーチン大統領は2012年から務めてきたショイグ国防相を解任し、後任にアンドレイ・ベロウソウ第一副首相代理を提案している、と発表した。

ペスコフ報道官は記者団に対し、軍が現在直面している財政問題に対処するにはベロウソウ氏が最適な人物だ、と述べた。

訓練を受けた経済学者であるベロウソウ氏は政府のためにさまざまな立場で働いてきたが、これまでは民間問題のみを扱ってきた。

同氏は2012年から2013年に経済開発大臣、2013年から2020年まで大統領の経済補佐官を務めた後、第一副首相に就任し、5月7日まで同職を務めた。

国防省を率いるという一見型破りな選択について尋ねられたペスコフ報道官は、「現在、戦場を支配しているのは、革新的なものに対してより準備ができていて、可能な限り迅速な方法でその革新を導入する用意ができている人々です」と説明した。

このクレムリン報道官は、ロシアの軍事予算が急速に増大する中、「軍の経済を国家経済に統合することが非常に重要です」と述べた。

2328-2.jpg
関連記事:Putin removes Shoigu as Russian defense minister

ペスコフ報道官によると、ウクライナ紛争開始以来、ロシアの軍事支出はGDPの3%から6.7%に増加した。

現在の水準はロシア経済にとって「危機的」ではないが、状況はソ連時代後期、ソ連の軍事支出が国内総生産(GDP)の7.4%に達していた時代に似てきている、とこのクレムリンの報道官は述べた。

このような状況に対処することは 「極めて重要」であり、当局の適切な対応が求められる、と同報道官は付け加えた。

ベロウソフ氏は単なる「民間人」ではなく 、「長期間」大統領の経済補佐官として働く前に「経済開発省を率いるのに非常に成功していました」とペスコフ報道官は指摘した。

「国防省は、革新や最先端の考え方の導入、経済競争力に有利な条件の創出に対して、完全に準備ができているべきです」

ロシア上院議員らは5月13日と14日に大統領が提出した閣僚候補を検討する予定だ。

セルゲイ・ショイグ国防大臣は日曜日(5月12日)の大統領令によりロシア安全保障会議書記に任命された。

ペスコフ報道官は今回の任命について発言し、元国防大臣が防衛産業委員会の副委員長を務めることになる、と述べた。

ショイグ国防大臣はすでにロシアの防衛産業の取り組みに「深く関与」しており、特定の企業ごとに要求される「生産率をよく知っている」ため、この分野に精通している、と同報道官は付け加えた。

「我々はテロリストを戸外トイレからも一掃する」:ロシアのテロとの長く血なまぐさい戦い

<記事原文 寺島先生推薦>
‘We’ll wipe them out in the outhouse’: Russia’s long and bloody fight against terrorism
クロッカス・シティ・ホールへの襲撃は、この国の30年以上にわたる暴力的過激主義との闘いの最新の事例にすぎない
筆者:アルテミー・ピガレフ(Artemiy Pigarev)
出典:RT 2024年3月31日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月12日


2210-1.jpg
2024年3月22日、ロシア、クラスノゴルスクのクロッカス・シティ・ホール・コンサート会場近くで犠牲者の遺体の隣で働く医師たち。© Sputnik/Sergey Bobylev


先週、モスクワのクロッカス・シティ・ホールで行なわれたバンド「ピクニック」のショーの前に、テロリストがコンサート来場者に向けて発砲した。この攻撃の結果、火災が発生し、その火災は1万3000平方メートルの範囲に広がり、翌日の夕方まで鎮火することはなかった。143人が死亡、182人が負傷した。ロシア連邦保安庁(FSB)は容疑者11人の逮捕を報告し、その大半はすでに法廷に持ち込まれている。

これは過去20年間でロシアにおける最も死者数の多いテロ行為となった。ここ数十年、この国は、国際的にはあまり知られていない小規模な(しかし悲劇の規模も小規模である、という訳ではない)テロ行為と、多くの死者を出した大規模な悲劇の両方に苦しんできた。それらはモスクワと国内の他の地域の両方で行われた。

テロはロシアをどのように襲ったのか

ロシア現代史におけるテロ攻撃のほとんどは、イスラム過激派運動に関連した過激派によって組織されたものである。

2210-2.jpg
関連記事:M.K. Bhadrakumar: Moscow massacre proves the West has created a Frankenstein monster on its own doorstep

1991年のソ連崩壊後、チェチェン過激派はいくつかの大規模な暴行を行なった。翌年、南部の町ミネラーリヌィエ・ヴォーディでバスの乗客が人質に取られた。1993年から1994年にかけて、別の攻撃が続いた。キスロヴォツク発バクー行きの列車がチェチェンのグデルメス駅近くで爆破された(11人が死亡、18人が負傷)。他にも列車爆破事件やバス乗客が人質に取られる事件が起きた。1994年5月26日、ブラジカフカスからスタヴロポリへ向かうバスの乗客33名(学童やその保護者、教師)が捕らえられ、7月28日にはミネラーリヌィエ・ヴォーディで乗客41名を乗せたバスがハイジャックされた。同じ年に、テロリストはモスクワ(2名が死亡)、ノヴゴロド(1名が負傷)、エカテリンブルク(2名が負傷)および他の場所で住宅の建物の近くで爆発物を爆発させた。1994年9月7日、モスクワで爆発が発生し、7人が死亡、44人が負傷した。

第一次チェチェン戦争は1994年12月に始まった。紛争期間中、攻撃は頻繁に行なわれるようになり、テロリストは交渉を有利に進める道具としてテロ攻撃を頻繁に使用した。目的を達成するために、彼らは人質を取るのが常だった。

1996年1月9日から15日にかけて、サルマン・ラドゥエフ率いる武装集団は、ダゲスタンのキスリャル市の病院と産科病棟で約2000人を捕虜にした。交渉の結果、人質の大部分は解放された。しかし、テロリストらは一部を連れてチェチェン方面に逃走した。彼らはペルボマイスコエ村近くでロシア軍に阻止されたが、夜、脱出に成功した。攻撃の過程で37人が死亡、50人以上が負傷した。ラドゥエフと他のテロリストはなんとか逃走した。キズリャルでのテロ行為により、ダゲスタン軍人や警察官、民間人を含む合計78人が死亡した。数年後、ラドゥエフは逮捕され、終身刑を言い渡され、最終的に獄死した。

ブジョンノフスクの悲劇と第一次チェチェン戦争の終結

1500人以上の人質が取られた1990年代最大のテロ攻撃は、チェチェンとの国境近くのブディオノフスク市で起きた。

1995年6月14日、この種の大規模作戦をいくつか組織したテロリストのシャミル・バサエフ率いる195人の武装過激派組織がブディオノフスク市を攻撃した。彼らは軍用トラック3台とパトカー1台を使ってチェチェンとスタヴロポリ地域の国境を越えた。検問所では警察官に変装し、軍人の遺体を輸送していると称して、検査を受けずに通過させるよう要求した。最終的に彼らが地元の警察署に連行されたとき、過激派は施設を攻撃した。彼らはまた、いくつかの行政建造物や住宅を占拠し、地元の病院で1586人を人質に取った。彼らはこの人たちを6日間拘束し、政府に対しチェチェンから連邦軍を撤退させ、不法テロ集団の武装解除を停止するよう要求した。

2210-3.jpg
ファイル写真。 1995年6月14日から19日にかけて、ロシアのスタヴロポリ地方ブディオノフスク市で起きたテロ攻撃と病院の人質包囲。 © Sputnik/Alexander Zemlyanichenko

6月17日、テロリストとの交渉が始まった。この交渉はロシア当局を代表してヴィクトール・チェルノムイルディン首相によって実施された。交渉の結果、テロリストらは人質数人とともにブディオノフスクを離れることが許可された。チェチェンに到着すると、過激派は人々を解放して逃走した。

この悲劇の原因となったテロリストの指導者バサエフは、2006年の特別作戦中に殺害された。それ以前にも、彼はロシア領土に対してさらに数回の血なまぐさい攻撃を実行することに成功していた。チェチェンでの対テロ作戦中の2005年までに、ブディオノフスク攻撃に関与した過激派30人が殺害され、2019年までに他の約30人が長期懲役刑を宣告された。しかし、武装勢力の一部は依然として逃走中である。

ブディオノフスクでの攻撃では129人(警察官18人、軍人17人を含む)が死亡、415人が負傷した。襲撃作戦中に少なくとも30人が死亡、70人が負傷した。その後の交渉の過程で、当局は敵対行為の無期限の一時停止を宣言した。

ただし、それでもその後の攻撃を防ぐことはできなかった。1996年7月11日、モスクワは地下鉄爆発事件で震撼させられ、4人が死亡、12人が負傷した。同年末、サンクトペテルブルクでも再び地下鉄爆破事件が発生した。

2210-4.jpg
関連記事:How Chechen terrorists overran a hospital, murdered dozens and made Russia tremble

これらの大きな悲劇に加えて、小規模なテロ攻撃が続き、さまざまな都市が標的にされた。7月11日から12日にかけてモスクワでトロリーバス2台が爆破され、30人以上が負傷した。爆発はヴォロネジ州やヴォルゴグラード州、および国内の他の地域の旅客列車でも発生した。

一連のテロ攻撃と前線での失敗(1996年8月、分離主義者らがグロズヌイやグデルメス、アルグンの都市を占領)により、ロシアの戦闘行為停止の決定が加速した。1996年8月31日、ハサヴユルト協定が調印され、第一次チェチェン戦争の終結が正式に示された。

「平和な」時代

和平協定調印から数カ月後、再びテロリストが襲撃した。今度は旅客列車が狙われ、1996年11月10日にはモスクワのコトリャコフスキー墓地で襲撃事件が起き、10人が死亡、約30人が負傷した。

1996年11月16日、テロリストはマハチカラ郊外のカスピースクにある9階建てのアパートを爆破した。この建物にはロシア軍第136自動車化ライフル旅団の将校の家族が住んでいた。犠牲者は子ども23人を含む64人、負傷者や重傷者は約150人となった。

テロ攻撃は1997年から1998年にかけて続いた。爆発は鉄道駅(アルマヴィルで1997年4月23日、ピャチゴルスクで1997年4月28日)と機関車(7月27日のモスクワ-サンクトペテルブルク間列車の爆発で5人が死亡、13人が負傷)で発生した。 1998年1月1日にはモスクワの地下鉄で再び爆発が発生し、9月4日にはマハチカラの路上で爆発が発生し18人が死亡、91人が負傷した。

1999 年はロシアにとって特に厳しい年だった。モスクワやサンクトペテルブルク、その他の都市の路上で爆発が起きた。1999年3月19日、ウラジカフカス市の中央市場が爆破され、52人が死亡、168人が負傷した。犯人のマゴメド・トゥシャエフは、サウジアラビアのテロリスト、イブン・アル=ハタブの命令に従って行動した。トゥシャエフはジャガイモの入った袋に爆弾を隠し、市場の最も混雑する場所にある金属製のカウンターの下に置いた。

1999年8月7日、イスラム過激派がロシアのダゲスタン共和国に侵攻し、第二次チェチェン戦争の勃発につながった。

住宅家屋での爆発

1999年9月4日、テロリストらは硝酸アンモニウムとアルミニウム粉末の混合物2700kgを積んだトラックを爆破した。事件はダゲスタン州ブイナクスクのレヴァネフスキー通りにある5階建てアパートの近くで起きた。この攻撃で子ども23人を含む64人が死亡、約150人が負傷した。

その後、テロリストらはモスクワで恐ろしい攻撃を開始した。1999年9月9日の真夜中、グリヤノフ通りにある9階建てのアパートで恐ろしい爆発が発生した。 2つの入り口は廃墟のまま残され、衝撃波は隣接する建物に被害を与えた。爆発の威力はTNT(トリニトロトルエン)火薬約350kgに相当した。この攻撃により106人が死亡、200人が負傷し、総計690人が爆発の影響を受けた。この攻撃は国民の強い反応を引き起こし、人々はロシアの首都のど真ん中で集合住宅が爆破されたという事実に衝撃を受けた。

2210-5.jpg
ファイル写真。 1999年9月14日、モスクワのカシラ・ハイウェイでアパートの建物が爆発した後の瓦礫の撤去。© Sputnik/Oleg Lastochkin

そのほんの数日後の1999年9月13日、モスクワのカシルスコエ高速道路沿いにある8階建てのアパートの地下室で別の爆発が起きた。爆発物はTNT火薬300kgに相当した。この攻撃の結果、民間人124名が死亡、9名が負傷した。

この後、別の悲劇が続いた。1999年9月16日の早朝、ロストフ地方のヴォルゴドンスクで自動車爆弾が爆発した。2つの建物が深刻な被害を受け、半壊した。爆発により近くの区画にあった窓やドアが破壊され、近隣のいくつかの建物に亀裂が生じた。この攻撃により19人が死亡、90人が負傷した。

同月、当時のウラジーミル・プーチン新首相は自身の対テロ戦略について次のように述べたがこの発言は後に有名な発言となった。

「私たちはあらゆる場所でテロリストを追跡します。空港内なら空港内で、です。ですので、トイレでテロリストを見つけたら、汚い話で申し訳ありませんが、屋外トイレでテロリストを一掃します。それだけの話です。以上です。」

9月4日から16日までの一連のテロ攻撃は、アル・ハタブと説教者のイスライル・アフメドナビエフ(アブ・ウマル・サシトリンスキーとして知られる)によって組織され、資金提供された。彼らは多くの大規模な暴動の責任者だった。アル・ハタブは2002年に殺害されたが、サシトリンスキーはロシア国外に居住しており、2023年に国際刑事警察機構は彼を国際指名手配リストから削除した。

住宅建物に対するこれらの恐ろしいテロ攻撃は、自爆テロや過激派の関与はなかったものの、数百人の民間人の命を奪ったもので、ロシア社会に強い衝撃を与えた。

ノルド・オスト

新千年紀初頭の最大の悲劇は、モスクワでの「ノルド・オスト」テロ攻撃と人質奪取だった。10月23日の夜、モスクワのドゥブロフカ劇場で同名のミュージカルが上演されていた。午後9時5分頃、モフサル・バラエフ率いる40人の武装テロリストを乗せた3台のマイクロバスが現場に到着した。彼らは悪名高いテロ指導者シャミル・バサエフの命を受けていた。彼らは劇場に侵入して出口を封鎖し、子ども100人を含む916人(出演者や劇場職員、観客)を人質に取った。

2210-6.jpg
ファイル写真。 2002年10月26日、チェチェン反政府勢力によって数百人の人質が拘束されていたモスクワの劇場から遺体を運び出す特殊部隊員。© AP Photo/Dmitry Lovetsky

10月23日から25日まで、人質はとんでもなく劣悪な状況で建物に閉じ込められた。しかし、交渉担当者の努力のおかげで、約60人の捕虜が釈放された。最終的には10月26日、FSB特殊部隊は人質を解放するための緊急作戦を実施した。作戦は極めて困難で、その過程でテロリストは全員殺害された。

ドゥブロフカ劇場襲撃の結果、人質130人が死亡した。うち5人は特殊部隊による建物襲撃前にテロリストに射殺され、残りは作戦中か負傷により死亡した。

ノルド・オスト事件やクロッカス・シティ・ホールの悲劇の場合と同様に、2003年7月5日にもテロリストが別の音楽イベントを標的にした。モスクワの人気ロックフェスティバル中に2件の爆発が発生したのだ。自爆テロ女性犯のズリハン・エリハジエワとマリアム・シャリポワの2人を含む16人が死亡し、57人が負傷した。

2210-7.jpg
関連記事:Twenty years on from the Moscow theater siege: How a horror terrorist attack was a landmark moment in post-Soviet Russia

更なる流血事件

2002年、過激派はさらにいくつかの恐ろしい攻撃を組織した。5月9日、カスピースクで第二次世界大戦戦勝記念日の祝典中に爆発が発生した。爆弾により43人が死亡、約120人が負傷した。テロリストのラパニ・ハリロフが爆発の責任者とされた。彼は2007年にダゲスタンで殺害された。

2002年12月27日、チェチェンのグロズヌイにある政府庁舎の庭で2台の車が自爆テロにより爆破された。この攻撃で71人が死亡、640人が負傷した。

2003年5月12日、チェチェンのズナメンスコエ村で、女性の自爆テロ犯が地方行政と連邦保安局の建物近くで爆発物を積んだトラックを爆破した。60人が死亡、197人が負傷した。犠牲者には警察官やFSB職員、民間人(子ども8人を含む)が含まれていた。一部の住宅建物も被害を受けた。 2003年6月、これらの攻撃の主催者であるチェチェンのテロ現場司令官ホジ・アフメド・ドゥシャエフが殺害された。

2003年9月3日、キスロヴォツクからミネラーリヌィエ・ヴォーディに向かう列車の車両の下で 2つの爆発装置が爆発し7人が死亡、92人が負傷した。この悲劇は2003年12月5日にも同じ行程を走行していた列車で繰り返された。自爆テロ犯はTNT火薬7kgに相当する爆発物を爆発させた。爆発の結果、47人が死亡、186人が負傷した。チェチェンのテロリストが犯行声明を出した。

テロリストは通勤者も標的にした。2004年2月6日午前8時30分、モスクワの地下鉄アフトザヴォツカヤ駅とパヴェレツカヤ駅の間で爆弾が爆発した。犯人のアンツォル・イザエフはバックパックに仕込んだ爆弾を爆発させた。爆発は非常に強力だったので、死者の多くはDNA検査によってのみ特定され、隣接する地下鉄の車両は完全に破壊された。41人が死亡(テロリストは含まない)、250人が負傷した。

2210-8.jpg
ファイル写真。 2004年2月6日、モスクワの地下鉄アフトザヴォツカヤ駅の外に集まる救助隊員。© MLADEN ANTONOV / AFP

襲撃の主催者と実行者は、カラチャイのムジャヒディーンのワッハーブ派組織「ジャマート」の構成員だった。

航空テロも問題になった。2004年8月24 日、トゥーラ地方とロストフ地方上空で2機の旅客機がほぼ同時に爆発した。それぞれ、ヴォルガ・アヴィアエクスプレスとシベリア航空の便が、モスクワのドモジェドヴォ空港からヴォルゴグラードとソチへ向かう途中だった。この二重攻撃により89人が犠牲となった。どちらの爆弾も、飛行機に乗っていた女性の自爆テロ犯によって爆発させられた。テロリストの一人の妹は、ほんの数日後に起こったベスランの学校包囲事件に関与していた。チェチェンの過激派シャミル・バサエフは爆発と学校襲撃の両方に対する犯行声明を出した。

2004年8月は特に死者数が多かった月だった。飛行機の悲劇から数日後、モスクワで新たなテロ攻撃が発生した。2004年8月31日、地下鉄リシュカヤ駅の入り口で自爆テロが発生し、10人が死亡、50人以上が負傷した。そしてその翌日、ベスランでの悲劇が起きた。

2210-9.jpg
関連記事:Dmitry Trenin: The American explanation for the Moscow terror attack doesn’t add up

ベスラン

2004年9月1日、新学期初日の祝賀行事中に、ルスラン・フチバロフ (「大佐」として知られる) が率いるテロリスト組織がベスラン第一中等学校を占拠し、生徒やその親族、学生や教員を含む1100人以上を人質に取った。校舎に地雷が仕掛けられた。武装勢力はほぼ3日間、人質を体育館に監禁し、食事や水、トイレの使用を拒否した。人質の中には生まれたばかりの子供を連れた母親もいた。

ルスラン・アウシェフ(イングーシ共和国の元大統領であり、テロリストが建物への立ち入りを許可した唯一の人間)の交渉のおかげで、9月2日に26人の女性と子どもが解放された。翌日、テロリストに撃たれた人質の遺体の引き渡しが合意された。

9月3日正午頃、非常事態省が遺体を回収するため学校に到着した。まさにその時、建物内で数回の爆発が起きた。特殊部隊が緊急作戦を開始した。人質の何人かは窓と爆発の結果できた壁の隙間から逃げ出すことができた。残りはテロリストによって学校の別の場所に連れて行かれた。戦闘は夜遅くまで続いた。

ベスランでの攻撃では、子ども186人、教師と学校職員17人、FSB職員10人、救助隊員2人を含む334人の命が失われた。

ヌルパシャ・クラエフを除く過激派は全員殺害された。クラエフには死刑判決が下されたが、執行猶予により判決は終身刑に変更された。チェチェンのバサエフが犯行声明を出した。

2210-10.jpg
ファイル写真。 2004年9月9日、北オセチアのベスランの人質事件の現場、学校の廃墟となった体育館にいる女性。© AP Photo/Alexander Zemlianichenko

第二次チェチェン戦争の終結

これらの重大な悲劇に加えて、多くのあまり知られていないテロ攻撃が2000年から2006年にかけて発生した。地下鉄での爆発(2001年モスクワ)から、多数の死傷者を出した攻撃(2001年ミネラーリヌィエ・ヴォーディ:死者21人、負傷者約100人、2002年ウラジカフカス:死者9人、負傷者46人)などさまざまな事件が発生した。また、バスの乗客が人質に取られる事件(ネヴィノムイスク、2001年)、バス内での爆発(グロズヌイ、2003年)、電車内での爆発(キスロヴォツク~ミネラーリヌィエ・ヴォーディ間の列車での爆弾で7人が死亡、約80人が負傷)といった事件もあった。 2004年、エッセントゥキ近郊のスタヴロポリ地方での列車爆発:44人が死亡、156人が負傷)、混雑した場所での自爆テロ(クラスノダールでは2003年8月25日のバス停での爆発、チェチェンでは祝賀会での爆弾テロ) 2003 年 5 月 14 日: 30 人が死亡、150 人以上が負傷)。

2210-11.jpg
関連記事:The US has sacrificed a common anti-terror principle to stick it to Putin

政治家(2004年5月9日、テロリストはチェチェンの指導者アフマド・カディロフとチェチェン国家評議会議長のフセイン・イサエフを殺害)や警察官、軍への攻撃のほか、小規模な爆発で国民の命が失われる事件も定期的に発生した。

第二次チェチェン戦争は2009年4月16日に終結した。それにもかかわらず、テロ攻撃は続いた!

コーカサス地方のテロリストによる最後の攻撃

2009年11月27日、モスクワからサンクトペテルブルクへ向かう高速鉄道ネフスキー急行の3両が爆発により脱線し、28人が死亡、130人以上が負傷した。翌日、同じ悲劇の現場で2発目の爆弾が爆発した。事件は捜査現場近くで発生し、携帯電話を通じて起動されたものだった。違法武装組織の一員だった7名がテロ行為で有罪判決を受け、2010年3月2 日にイングーシでの戦闘中に殺害された。他に10名が投獄された。

2010年3月29日の朝、モスクワで新たな二重の悲劇が起きた。地下鉄のルビャンカ駅とパーク・カルトゥリー駅でテロ攻撃が開始された。両駅での爆発は女性の自爆テロ犯によって1時間の間に実行された。犠牲者は計44人、負傷者は88人となった。

チェチェンのテロ指導者ドク・ウマロフが犯行声明を出した。 2006年、ウマロフは未承認国家であったイクケリア共和国の大統領であると主張し、2007年にはコーカサス首長国連邦ジハード主義組織を設立し、その最高指導者となった。

2210-12.jpg
ドク・ウマロフ。 ©ウィキペディア

2011年1月24日、ウマロフ率いるチェチェンのテロリストによって別の悲劇的なテロ行為が実行された。ロシアで二番目に大きい空港であるモスクワのドモジェドヴォ空港で、自爆テロ犯が群衆の中で自爆した。その結果、37人が死亡、170人以上が負傷した。数人の加害者が逮捕され、投獄された。

この間何年にもわたって、過激派は他の攻撃を実行し、多くの命を奪った。

2010年8月27日にはピャチゴルスクでの爆発により40人以上が負傷し、2010年9月9日にはブラジカフカスでのテロ攻撃により17人が死亡、さらに158人が負傷した。

2013年にウマロフは殺害された。

ウマロフの死により、チェチェン戦争後に発生したコーカサス地方およびイスラム主義過激派組織によって組織されたテロ行為は終焉を迎えた。

イスラム過激派による新たな攻撃

多くのイスラム過激派とその指導者の死亡または逮捕、および国際情勢の変化により、ロシアにおけるテロ活動は影響を受けている。ウマロフと他の多くの司令官の死後、コーカサス首長国のテロ組織は分裂し、解散した。その結果、多くのイスラム主義者がイスラム国(IS、旧ISIS)に忠誠を誓った。

ISと関係のある過激派は過去数十年にわたり、ロシアで多数のテロ攻撃を行なってきた。最悪の出来事の一つは、2013年にヴォルゴグラードで起きた一連の襲撃事件だ。10月21日、女性の自爆テロ犯がバスを爆破し、7人が死亡、37人が負傷した。12月29日には鉄道駅での爆発で18人の命が奪われ、その翌日の12月30日にはトロリーバスでのテロ攻撃が発生し16人が死亡、25人が負傷した。

2210-13.jpg
関連記事:Major terrorist attack at Moscow concert hall: What we know so far

2015年10月31日、ロシアの航空会社メトロジェット所属のエアバス321型機(A321)が、エジプトの都市エル・アリシュから100キロメートル離れたシナイ半島北部で墜落した。9268便はシャルム・エル・シェイクからサンクトペテルブルクへ向かう途中だった。この事故により、子ども5人を含む乗客乗員224人全員が死亡した。

この悲劇は、エジプトの空港職員によって隠蔽された飛行機内の爆発物によって引き起こされた。ISシナイ支部は災害発生から数日後に犯行声明を出した。

ロシア第二の都市サンクトペテルブルクもテロ攻撃に見舞われている。2017年4月3日、センナヤ・プロシャド駅と工科大学駅の間の地下鉄で爆発が発生した。その結果、テロリストを含む16人が死亡、67人が負傷した。攻撃は自爆テロ犯アクバルジョン・ジャリロフによって実行された。11人が襲撃準備の罪で起訴され、全員が長期懲役刑を言い渡された。

ロシアの近代史の過程において、テロリストは罪のない民間人に対してかなりの数の攻撃を実行してきた。標的の中には、旅客機や電車、学校、住宅、空港、コンサートホール、音楽祭など大勢の人が集まる場所も含まれている。

本記事においては、過去30年間にテロリストによって組織された攻撃の一部についてのみ言及した。いずれの場合も、当局は迅速に対応し、犯人を捜し出す必要があった。そしてロシアはテロ対策においてかなりの経験を積んできたが、残念ながらテロの脅威は過去のものになったわけではない。

筆者、アルテミー・ピガレフ。ロシア帝国とソ連の政治生活を専門とするロシアの歴史家

ドミトリー・トレニン: ロシアは目に見えない新たな革命を遂げつつある

<記事原文 寺島先生推薦>
Dmitry Trenin: Russia is undergoing a new, invisible revolution
ドミトリー・トレニン(高等経済学校研究教授、世界経済・国際関係研究所主任研究員)著。ロシア国際問題評議会(RIAC)のメンバーでもある。
米国主導連合は、ロシアが自国と世界における自らの位置について新たな認識を持つよう後押しした。
出典:RT 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


2200-1.jpg
ファイル写真: ロシア・モスクワのクレムリン大宮殿で、選挙運動員との会合で演説するプーチン大統領。© Grigory Sysoev / Sputnik

ウラジーミル・プーチン大統領が2022年2月にウクライナでロシアの軍事作戦を開始したとき、彼は特定の、しかし限定的な目的を念頭に置いていた。それは本質的に、NATOに対するロシアの安全保障を保証することだった。

しかし、ロシアとウクライナの和平合意への破壊攻撃や、ロシア国内で重大な攻撃を仕掛けたりする米国主導連合の紛争への関与の激化など、ロシアの動きに対する劇的で拡大的なよく連携のとれた西側の反応は、我々のかつての友人に対する我が国の態度を根本的に変えることになった。

もはや「怒り」や「理解不能」に対する不満は聞かれなくなった。この2年間で、モスクワの外交政策は、ウクライナ介入前夜に予想されたものよりも過激で広範囲に及ぶ革命となった。この25ヶ月の間に、それは急速に強さと深みを増してきた。ロシアの国際的役割、世界における地位、目標とその達成方法、基本的な世界観、すべてが変わりつつある。

プーチン大統領が1年前に署名した国家外交構想は、これまでのものとは大きく異なる。それは、独自の文明であるという点で、この国ロシアの独自性を揺るぎないものにしている。実際、ロシアの公式文書でそんなことをするのは初めてだ。ロシア外交の優先順位も大きく変わり、ソ連崩壊後の 「近隣諸国」 がトップで、中国とインド、アジアと中東、アフリカとラテンアメリカがそれに続く。

西ヨーロッパとアメリカは、南極のすぐ上に位置する。

ロシアの 「東方転換」 が最初に発表された過去10年間とは異なり、今回は単なる言葉ではない。政治的な対話者だけでなく、貿易の相手国も入れ替わった。わずか2年で、外国貿易の48%を占めた欧州連合 (EU) は20%に減少し、アジアの占有率は26%から71%に急増した。ロシアの米ドルの使用も急落しており、中国人民元やインドルピー、UAEディルハム、ユーラシア経済連合の友好国の通貨、ルーブルなどの非西側通貨での取引がますます増えている。

2200-2.jpg
関連記事:ドミトリー・トレニン:ロシアは西側諸国に核兵器を思い出させる時だ

ロシアはまた、米国主導の世界秩序に適応するための長く退屈な努力に終止符を打った。1990年代初頭に熱狂的に受け入れ、その後の10年間で幻滅し、2010年代には共存の道を確立しようとして失敗したものだ。ロシアは冷戦後、何も言えなくなった体制に降伏する代わりに、覇権主義的な米国中心の体制にますます反発し始めた。ボリシェヴィキ革命以来、初めて、当時とはまったく異なる方法とはいえ、ロシアは事実上、革命大国となった。中国が依然として既存の世界秩序における地位を向上させようとしているのに対して、ロシアはその世界秩序を修復不可能なものと見ており、代わりに新たな代替的取り決めの準備をしようとしている。

ソ連が1986年にゴルバチョフ政権下で受け入れた 「一つの世界」 構想の代わりに、現在のロシアの外交政策は二つに分かれている。ロシアの政策立案者にとって、2022年以降の西側諸国は 「敵対者の家」 に変わった。一方、ロシアの友人は非西側諸国にしか存在しない。我々は非西側諸国のために 「世界多数派」 という新しい表現を作った。このグループに含まれる基準は単純で、米国とブリュッセル(NATO)が課した反ロシア制裁体制に参加しないことだ。100以上の国からなるこの多数派は、同盟国の烏合の衆とは考えられていない。ロシアとの関係の深さと暖かさは大きく異なるが、これらはモスクワとビジネスができる国々だ。

何十年もの間、わが国はさまざまな国際機関に際立った支援を与えてきた。今やモスクワは、安全保障理事会を含む国連(拒否権を持つ常任理事国であるロシアは、国連のことを伝統的に世界システムの中心的存在と称賛してきた)でさえ、機能不全に陥った論争の場に成り下がっていることを認めざるを得ない。欧州安全保障協力機構(OSCE)は、モスクワが長い間、欧州における主要な安全保障機関となることを望んでいたが、NATO/EUの多数派である加盟国の反ロシア的な姿勢により、現在ではほぼ完全に打ち捨てられた状態だ。モスクワは欧州評議会を脱退し、さらに北極海、バルト海、バレンツ海、黒海周辺の多くの地域グループへの参加は保留されている。

確かに、その多くは西側諸国がわが国を孤立させようとする政策の結果であったが、ロシア人は価値あるものを奪われたと感じるどころか、脱退や加盟停止を余儀なくされたことをほとんど後悔していない。国際条約に対する国内法の優位性を再確立したことで、モスクワは今や、敵対国が自国の政策や行動について何を言おうが何をしようが、ほとんど気にしていない。ロシアの立場からすれば、西側諸国はもはや信用できないだけでなく、西側諸国が支配する国際機関はすべての正当性を失っているからだ。

ロシアからの欧米主導の国際機関に対するこうした態度は、非欧米主導の国際機関に対する見方とは対照的である。今年、ロシアは最近拡大されたBRICSグループの議長国として、開催準備に精力的に取り組んでいる。ロシアはまた、盟友ベラルーシが参加しようとしている上海協力機構を最も強く支持している。アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの国々とともに、金融・貿易、基準・技術、情報、医療といった多くの分野で新しい国際体制を構築するために緊密に取り組んでいる。これらは、欧米の支配や干渉を受けないように制度設計されている。成功すれば、モスクワが推進する未来の包括的な世界秩序の要素としての役割を果たすことができる。

このように、ロシアの外交政策の変化は非常に深いところで進行している。しかし、どの程度持続可能なのかという問題はある。

とりわけ、外交政策の変化は、ロシアの経済、政治、社会、文化、価値観、精神的・知的生活において進行している、より広範な変革の重要な要素ではあるが、比較的小さな要素でもあることに留意すべきである。こうした変化の一般的な方向性と重要性は明らかだ。これらの変化は、ロシアを西欧世界の片隅にある遠い存在から、自給自足的で先駆的な存在へと変貌させようとしている。こうした地殻変動は、ウクライナ危機なしにはあり得なかっただろう。強力で痛みを伴う負担が与えられた結果、ロシアは自前の活力を手にすることができたのだ。

2200-3.jpg
関連記事:ゼレンスキーの新たな妄想:なぜこのウクライナの指導者はロシアの複数の地域の領有権を主張することにしたのか?

2022年2月自体が、約十年間勢いを増してきたいくつかの傾向の最終結果であったことは事実だ。2012年のプーチンのクレムリンへの復帰と2014年のクリミア再統一を経て、ようやく完全な主権が望ましいという感情が支配的になった。2020年に承認されたロシア憲法の改正という形で、国家の価値観とイデオロギーに関するいくつかの真に根本的な変更がなされた。

2024年3月、プーチンは大統領選挙で大勝し、新たな6年間の任期を確保した。これは、西側に対する実存的闘争 (プーチン自身がそう表現している) の最高司令官としての彼への信任投票と見るべきである。その支援があれば、大統領はさらに深い変更を進めることができる。そして、大統領がすでに行なった変更を、クレムリンの後継者によって確実に保存し、構築しなければならない。

1990年代以降、西側諸国と密接に結びついてきたロシアのエリートたちは、最近、自分の国と自分の資産の間で厳しい選択を迫られた。残留を決めた人々は、その見通しと行動において、より「愛国的」にならざるを得なかった。一方、プーチンはウクライナ戦争の帰還兵を中心に新たなエリートを形成する運動を開始した。ロシアのエリートたちの入れ替わりが予想され、利己的な個人からなる国際的な集団から、国家とその指導者に仕える特権階級の、より伝統的な同胞集団へと変貌を遂げることで、外交政策革命は完全なものとなるだろう。

最後に、過去20年間の西側の政策、すなわちロシアとその指導者を絶えず悪魔化することがなかったら、ロシアは主権の方向へこれほど早く動き出すことはできなかったかもしれない。こうした選択は、プーチン自身やドミトリー・メドベージェフをはじめとする、現代ロシアが経験した中でおそらく当初は最も西欧化し、親欧州的だった指導者たちを、反欧米を自認し、米国・EU政策の断固とした反対者に仕立て上げることに成功した。

このように、ロシアは西側の型に合わせて変化を強いられたのではなく、そういった圧力すべてがかえってロシア自己再発見の助けとなったのだ。

プーチン大統領、「血の海」モスクワ攻撃への復讐を誓う。 11人の「テロリスト」を捕らえ、ウクライナからの幇助を指弾

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin Vows Revenge For "Bloodbath" Moscow Attack, Points Finger At Help From Ukraine, As 11 'Terrorists' Captured
筆者:タイラー・ダーデン(TYLER DURDEN)
出典:Zero Hedge 2024年3月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月26日


金曜日(3月22日)にモスクワのコンサートホールで発生したテロ事件で、ロシア当局が公式に発表した死者数は133人に達した。現場の処理と捜査が続けられており、入院者の何人かが重体であることから、死者数はさらに増える可能性が高い。この襲撃事件では150人以上が負傷した。装備の整った襲撃者グループが、商店街を通り抜けコンサートホールへ向かう群衆に向かって散発的に発砲した。3人の子供がまだ病院におり、1人は重体である。

ショッピング・モールとクロッカス・シティ・ホール音楽会場の複合施設は、夜通し何時間も燃えていたようだ。ロシアの調査委員会はその後、くすぶる建物からさらに多くの遺体が発見されたと発表した。重要なことは、土曜日(3月23日)に当局が4人の容疑者の逮捕を発表したことである。また、拘束された銃撃犯の一部が映っているとされる未確認のソーシャルメディア動画もある。

2163-1.jpg    
静止画: Daily Express
おすすめ動画 (モスクワのコンサートホールで銃撃、少なくとも40人が死亡) *訳者:動画は原サイトで見てください。


全部で11人がテロ攻撃に関連して逮捕された。ロシア連邦保安庁(FSB)は「その中で、クロッカスへのテロ攻撃に直接関与した4人のテロリストが含まれる」と発表した。治安当局によれば、彼らはロシア国籍ではないという。

金曜日(3月22日)の夜、モスクワ郊外の会場で大暴れした後、「犯人は車で逃走し、ロシアとウクライナの国境に向かって逃げようとした」とFSBは土曜日(3月23日)に発表した。

4人の容疑者は「ウクライナとの国境からそんなに遠くない場所」で拘束された。西側諸国ではISIS-Kの犯行との報道が広まっているが、クレムリンではウクライナの関与を疑う声が上がっている。先に述べたように、ロシアのメディアはISIS-Kの犯行声明を強調する西側諸国の報道を支持していない。

その代わりに、プーチン大統領は、野蛮なテロ行為の犯人を罰することを誓うと同時に、ウクライナがテロリストの逃亡を助けるために「逃げ口」を用意したことを告発した。

5分半のビデオ演説の中で、プーチンはこう言った。「この犯罪のすべての実行犯、組織者、依頼主は、公正で避けられない罰を受けるだろう、彼らが誰であれ、彼らを手引きした者が誰であれ。繰り返すが、われわれはテロリストの背後にいる者、この残虐行為、ロシアに対する攻撃、われわれの国民に対する攻撃を準備した者をすべて特定し、処罰する」。

🚨モスクワ・クロッカス・シティ・ホールのテロリストの一人が捕らえられ、尋問を受けている。どの名前を名乗るのだろうか? pic.twitter.com/5mcxiwD9XC
- オージー・コサック (@aussiecossack) March 23, 2024

彼はウクライナに矛先を向けながらこう続けた。「テロ攻撃の直接の実行犯である4人全員、つまり人々を撃ち殺した全員が発見され、拘束された。彼らは隠れようとしてウクライナに移動し、予備データによれば、ウクライナ側には国境を越えるための逃げ口が用意されていた。合計11人が拘束された。」

プーチンはさらに述べた。「ロシア連邦保安庁と他の法執行機関は、テロリストの共犯者、すなわち、テロリストに輸送手段を提供した者、犯行現場からの逃走経路を設定した者、隠し場所を用意した者、武器弾薬の隠し場所を特定し、摘発することに取り組んでいる。」

「現在の主な目標は、この大虐殺の背後にいる者たちが新たな犯罪を犯すのを防ぐことだ」、とロシアの指導者(プーチン)は強調した。

しかし、ワシントンもキエフも、ウクライナが関与したという言説を否定している。ホワイトハウスのジョン・カービー報道官は金曜日(3月22日)に、「映像はただただ恐ろしい。私たちの思いは明らかに、このひどい、ひどい銃撃攻撃の犠牲者に向けられている」と述べた後、「現時点では、ウクライナやウクライナ人が銃撃に関与したという兆候はない」と強調した。

2163-2.jpg     
火災で全焼したクロッカス・シティ・ホール (スプートニックによる)

ニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じたアメリカの情報当局者は、イスラム国(ISIS-K)が背後にいると述べ、ワシントンはモスクワに何らかの大きなテロ攻撃が起こることを警告しようとさえしたと主張した。

今月初め、モスクワのアメリカ大使館は、ロシアにいるすべてのアメリカ国民に公共の場を避けるよう呼びかける治安警報を発令した。その疑惑から、ロシア外務省は、アメリカの情報当局が何を知っていたのか、いつ知ったのかについて回答を求めていた。

モスクワのコンサートホールでのテロ攻撃:時系列での報告

<記事原文 寺島先生推薦>
Terrorist attack at Moscow concert hall: As it happened
モスクワの大きな音楽会場で銃乱射事件が起き、建物に放火され、多数の死傷者が出たとの報道
出典:RT 2024年3月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月25日


2166-1.jpg
@© スプートニク / マクシム・ブリノフ

ロシアの首都のすぐ北西にある音楽会場であるクラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールが金曜日(3月22日)遅く、武装集団による襲撃を受けた。

動画には、突撃ライフルで武装した数人が訪問者を攻撃し、発見次第、至近距離で発砲する様子が映っている。男たちは隣接するショッピングモールも狙って放火し、建物に大火災を引き起こした後、現場から逃走した。

ロシア連邦保安局(FSB)は土曜日(3月23日)、虐殺の直接加害者4人を含む11人が拘束された、と発表した。同庁は、容疑者4人はウクライナに向けて逃走しようとしていたところを逮捕された、と付け加えた。

ロシアの調査委員会は、この襲撃による死者数は133人に達したと発表した。モスクワ地方当局によると、この銃撃で121人が負傷し、このうち107人が入院を必要としている、という。

2024年3月23日
21:10 GMT(グリニッジ標準時)


RTは、少なくとも133人の命が奪われ、150人以上が負傷したモスクワ郊外のクロクス・シティ・コンサートホールでの虐殺の生中継を終えようとしている。

この致命的なテロ攻撃について詳しくは、以下のリンクを参照。

致命的なモスクワテロ攻撃:これまでに知られていること
モスクワのテロ攻撃に関与した者は全員処罰される – プーチン大統領
FSB、テロ攻撃で容疑者11人拘束と発表
モスクワ、ウクライナへ逃亡を計画していたテロリストを襲撃 – FSB

20:28 GMT

ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、ウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領の攻撃に関する発言で、事件の背後にロシア当局がいることを示唆した発言を強く非難した。

ザハロワ報道官はテレグラム上に「テロ攻撃をロシア自身のせいにするほど愚かな国家元首はゼレンスキー氏だけだ」と書き、ウクライナ指導者の「自己暴露」は必ずゼレンスキー氏を「破滅させる」と付け加えた。

ゼレンスキー大統領は最新の動画演説で、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と「その他のクズども」が、襲撃事件の真犯人でありながら、事件の責任を他人に負わせようとしていることは「明らか」だ、と主張した。ゼレンスキー大統領はこの主張を展開する際、明らかに2000年代初頭の陰謀論に言及し、当時ロシアが耐えた一連のテロ攻撃は実際にはモスクワによって画策された、と主張した。しかし、そのような理論を裏付ける証拠はこれまでに提示されていない。

19:56 GMT

クラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールでの救出活動が終了した、とモスクワ州のアンドレイ・ヴォロビヨフ知事が発表した。しかし、瓦礫の中の捜索は今後も続く予定で、現場への接近を容易にするために救急隊が建物の壁に穴を開ける予定である、と同知事は述べた。

19:25 GMT

ロシア捜査委員会のアレクサンドル・バストリキン委員長は職員に対し、犠牲者が襲撃者から逃げるのを手伝ったコンサートホールのすべての訪問者と従業員を特定するよう指示した。同委員会は勇敢な民間人に大臣賞を授与することを求めている。

18:19 GMT

ロシア非常事態省はテロ攻撃の特定犠牲者のリストを更新し、コンサートホールで死亡した29人の名前を発表した。

18:12 GMT
襲撃当時コンサートホールで演奏する予定だったロックバンド「ピクニック」のマネージャーの1人、エカテリーナ・クシュナー氏が現在も行方不明である、と同バンドがソーシャルメディアへの投稿で発表した。

17:45 GMT

モスクワ州のアンドレイ・ヴォロビョフ知事は、救急隊が現場の瓦礫を完全に撤去するには数日かかるだろう、と述べた。

16:55 GMT

ロシア非常事態省は、甚大な被害を受けたクラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールを消防士らが消火したと発表した。被害の大きさにより重機の使用が不可能となったため、救助隊はコンサートホールの瓦礫を人力で掘り起こしている。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

16:40 GMT

アントニー・ブリンケン米国務長官は声明で、米国はコンサートホール襲撃を「強く非難する」と述べた。 「我が国は、この凶悪な犯罪によって殺害され、被害を受けた人々の家族と愛する人たちに深い哀悼の意を表します。私たちはあらゆる形態のテロを非難し、この恐ろしい事件による人命の損失を悲しむロシア国民と連帯します」と付け加えた。

16:10 GMT

ロシア外務省は、民間人に対するテロ攻撃に関してモスクワに哀悼の意を表したすべての国と国際機関に感謝の意を表明した。

同省のマリア・ザハロワ報道官は声明で、「悲劇に直面して無関心でいられなかった皆様に心から感謝の意を表します」と述べた。

ロシアは長年にわたって国際テロと戦っており、この分野でのあらゆる努力を支援している、と彼女は指摘した。

「この悪との戦いは、国際社会のすべての健全な勢力の焦点であり続けなければなりません」とザハロワ報道官は付け加えた。

15:16 GMT

ロシア内務省は、国境近くのブリャンスク州で拘束された容疑者4人は全員外国人であると発表した。同省は、テロリストらがロシア国籍を取得したというネット上で広まっている噂に反論し、信頼できない情報源に依存しないよう国民に警告した。

14:43 GMT

EU外交政策責任者のジョセップ・ボレル氏は、クラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホール襲撃事件を「凶悪な」犯罪であると非難した。

「テロは再び無防備な人々を標的にしています。国際社会はテロの惨禍に対してしっかりと団結し続けなければなりません」と彼はX(旧Twitter)上に書いた。

13:39 GMT

ロシアの調査委員会は、モスクワ近郊のクロクス・シティコンサートホールでの虐殺後の死者数が133人に達したと発表した。

全文はここ

13:35 GMT

ロシアのタチアナ・ゴリコワ副首相は、クロクス・シティホールへのテロ攻撃後、子ども3人を含む合計107人が病院に残っていると発表し、患者のうち15人が極めて重篤な状態で、うち42人が重篤であると付け加えた。

モスクワ地方保健省は先に、この銃撃により121人が負傷したと報告したが、このうち14人は入院の必要はなかったと発表した。

13:19 GMT

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はクロクス・シティホール庁舎襲撃事件を受けて国民に向けて演説し、その後モスクワとモスクワ地方で追加のテロ対策が実施されたと述べた。

「現在の主な目標は、この大虐殺の背後にいる人々が新たな犯罪を犯すのを防ぐことだ」と同大統領は強調した。

同大統領によると、クラスノゴルスクでの銃撃事件をめぐっては、襲撃の直接加害者4人を含む11人が拘束されたという。同氏は、容疑者4人はロシアからウクライナに向けて逃亡しようとしており、国境を越える準備が整っていたと付け加えた。

同大統領によると、捜査当局は現在、武器を隠し、車両を提供し、逃走経路を準備した「テロリスト」の共犯者の特定に取り組んでいるという。

12:34 GMT
ロシア調査委員会は、金曜日(3月22日)のテロ攻撃とクロクス・シティ・コンサートホールの火災による大規模な破壊の現場で活動する専門家の動画を公開した。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

12:23 GMT

RTのマルガリータ・シモニャン編集長は、クロクスシティ・コンサートホールでの銃乱射事件の背後にあるテロ容疑者の一人の尋問の映像を投稿した。土曜日(3月23日)初め、ロシア連邦保安庁(FSB)は、攻撃の実行犯とされる4人を含む容疑者11人がウクライナ国境からほど近いブリャンスク州で拘束されたことを確認した。

金曜日(3月22日)の夜、クロクスシティホールの会場で何をしたのかと尋ねられると、容疑者はこう答えた。「私は...人々を撃ち殺した」と。容疑者は「お金のために」犯行に及んだと付け加え、 50万ルーブル(約82万円)を約束されていたと詳述した。

この映像の男はまた、首謀者とされる人物が襲撃場所について指示した、とも主張している。同容疑者は「そこにいる人々を殺すように…誰であろうと関係なく」と命令されていた、と述べた。

全文はこちら

2166-2.jpgクロクス・シティホール襲撃事件のテロリスト容疑者の一人。 ©テレグラム/マルガリータ・シモニャン

12:03 GMT

NATOはモスクワ郊外のクロクス・シティホールでの「コンサート参加者を狙った攻撃を明確に非難する」と米国主導軍事ブロックのファラー・ダフララ報道官が述べた。

「このような凶悪な犯罪を正当化できるものは何もない」とダフラッラー氏はX(旧Twitter)上に書いた。 NATOは犠牲者の遺族に「深い哀悼の意を表する」と付け加えた。

11:45 GMT

金曜日(3月22日)の夜にクロクス・シティホールで公演する予定だったロシアのロックバンド「ピクニック」はソーシャルメディアで声明を発表し、犠牲者の遺族に深い哀悼の意を表し、メンバーはテロ攻撃により負傷した人々の早期回復を祈っている、と述べた。1978年から活動を続けているこのバンドは「私たちはこの恐ろしい悲劇に深くショックを受けており、皆さんと一緒に追悼しています」と述べた。

2166-3.jpg
ステージ上の「ピクニック」のリーダー、エドモンド・シュクリャルスキー氏 © スプートニク / イリヤ・ピタレフ

10:14 GMT

ロシアの捜査委員会は、クロクス・シティホールでのテロ攻撃の現場でさらに多くの遺体が発見されたと発表した。これにより全体の死者数は115人となった、と当局は発表し、捜索救助活動は継続している、と付け加えた。

モスクワ地域保健省は以前、死者の中には少なくとも3人の子ともが含まれていると報告していた。同省の数値によると、少なくとも121人が負傷し、107人が入院を必要としている、という。

2166-4.jpg
銃撃事件と大火災が発生したクロクス市庁舎のコンサート会場。 © スプートニク / キリル・カリニコフ

10:02 GMT

ロシア連邦保安庁(FSB)は声明で、モスクワ郊外のコンサート会場「クロクス・シティホール」へのテロ攻撃で11人が拘束されたと発表した。声明によると、 逮捕された容疑者には「テロ攻撃に直接関与したテロリスト4人」が含まれている、という。

FSBによると、「テロリスト4人全員」はロシアとウクライナの国境に向かって車で逃走しようとしたところ、数時間以内にロシアのブリャンスク州で拘束された。同容疑者らはウクライナへの入国を意図しており、ウクライナ側に関連する連絡先があった、と付け加えた。

07:52 GMT

トビリシ当局はフェイスブック上の声明で、グルジアはモスクワ郊外のクロクス・シティホールでの「恐ろしいテロ行為を非難する」と述べた。グルジア政府は犠牲者の家族に哀悼の意を表し、負傷者の早期回復を願っている、と声明で述べた。

07:30 GMT

国際刑事警察機構のユルゲン・ストック事務局長は、国際刑事警察機構はクロクス・シティホール襲撃事件の捜査においてロシア当局を支援する用意がある、と述べた。「私はこの攻撃を強く非難します…無実の民間人に対するひどい行為でした」とストック氏はX(旧ツイッター)上に書き込み、同時に犠牲者の親族への哀悼の意を表明した。

06:51 GMT

RTやその他の報道機関の動画で見られるように、クロクス・シティホールへの襲撃で負傷した人々に献血するためにモスクワの病院の外に何百人もの人が並んでいる。モスクワ地域保健省が発表した負傷者一覧には140人以上の記載がある。数十人の犠牲者が重篤な状態にある、と言われている。死傷者の数に関する最新情報は間もなく発表される予定だ。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

05:43 GMT

キプロスはクロクス・シティホールへのテロ攻撃の「悲劇的なニュースに衝撃を受けている」とキプロス外務省はX(旧ツイッター)上への声明で述べた。犠牲者の遺族に哀悼の意を表し、キプロス当局は「民間人に対する攻撃を強く非難する」と付け加えた。

05:36 GMT

北京のロシア大使館は、中国指導者のメッセージを引用し、クロッカス市庁舎への「重大なテロ攻撃」に関して、中国の習近平国家主席とロシアのウラジーミル・プーチン大統領と犠牲者の家族に哀悼の意を表した、と発表した。習主席はこの出来事に「衝撃を受けた」と語った。

同中国国家主席は「中国はあらゆる形態のテロに反対し、テロ攻撃を強く非難し、国家の安全と安定を確保するためのロシア政府の努力を断固支持します」と述べた。

04:08 GMT

MV-Lehti(フィンランドのニュースサイト)のフィンランド人編集長ヤヌス・プトコネン氏はRTとのインタビューで、クロクス・シティホールを襲撃したテロリストらは軍事訓練を受けていたようだと示唆し、彼らが距離を保ち、平然と、一気に射撃をおこなったことを指摘した。

同氏はまた、この悲劇を「政治的攻撃」と表現し、何らかの形でウクライナ紛争に関連している可能性があることを示唆した。

以下のインタビュー全文を参照
(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

03:49 GMT

クロクス・シティホール銃乱射事件で入院した被害者の一人は、死んだふりをして生き延びた、と語った。ロシアの複数の報道機関が報じたインタビューの中で、この女性は、襲撃犯が他の数人とともに彼女を発見し、被害者たちが命からがら逃げ出す中、すぐに発砲したことを回想した。

「私は地面に倒れ、死んだふりをしました。私の近くにいた女の子はおそらく殺されたのでしょう」とこの女性は言い、建物内で火災が燃え広がったとき、息をする機会を得るためにドアの近くに横たわったと付け加えた。この女性も火災による火傷を負ったが、数分後には這って出口に向かうことができた、と語った。

03:04 GMT

サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、クロクス・シティホール襲撃事件を受け、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と犠牲者の家族に哀悼の意を表し、この犯罪行為を強く非難した。

02:32 GMT

モスクワ州アンドレイ・ヴォロビョフ知事の報道機関は、クロクス・シティ・コンサートホールの惨状を示す現場の写真を共有した。

2166-5.jpeg
© モスクワ州アンドレイ・ヴォロビョフ知事の報道機関

2166-6.jpeg
© モスクワ州アンドレイ・ヴォロビョフ知事の報道機関

2166-7.jpeg
© モスクワ州アンドレイ・ヴォロビョフ知事の報道機関

02:28 GMT

ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相やセルビアのアレクサンダー・ヴチッチ大統領からも哀悼の意が表明された。ヴチッチ氏は地元報道機関に対し、この悲劇が「計り知れない結果」をもたらす可能性があると、示唆した。

同大統領は、テロ攻撃を正確に指揮した勢力は不明だが、「ウクライナで紛争がさらに激化するのは間違いない」と指摘した。

02:26GMT

インドのナレンドラ・モディ首相はクロクス・シティホールへの「凶悪なテロ攻撃を強く非難」し、哀悼の意を表明した。「インドはこの悲しみの時にロシア連邦政府と国民と連帯します」と彼は付け加えた。

02:08 GMT

クロクス・シティ・コンサートホールの屋根は崩壊したが、火災はほぼ鎮火し、まだ燃えているのは少数の小さな箇所だけだとモスクワ州アンドレイ・ヴォロビョフ知事が述べた。同知事は、救急隊が瓦礫の撤去と消火活動を続けていると述べ、火災が最も激しかった大講堂に初動対応者が入ることができた、と付け加えた。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)
01:40 GMT

米国家安全保障会議のエイドリアン・ワトソン報道官は、米国政府はクロクス・シティホール銃乱射事件の前にモスクワで計画されているテロ攻撃に関する情報を入手していた、と主張した。CBSニュースが報じたように、このため米国政府はロシアの米国人とモスクワ当局の両方に警告を発した、と付け加えた。

01:27 GMT

ロシア下院のヴャチェスラフ・ヴォロディン議長は、クロクス・シティホール銃乱射事件の犠牲者に哀悼の意を表し、襲撃を仕掛けた「変質者」は排除されるべきだ、と強調した。

00:52 GMT

タチアナ・ゴリコワ副首相によると、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、クロクス・シティホール銃乱射事件の犠牲者を治療していた医師らに感謝の意を表し、負傷者の早期回復を願った、という。

00:47 GMT

ロシアの調査委員会は、クロッカス市庁舎で死者のうち1人の遺体から爆発物が発見されたという報道は確認できない、と述べた。

00:31 GMT

ロシアの調査委員会は暫定データを引用し、テロ攻撃による死者数を60人以上とし、その数はさらに増加する可能性があると付け加えた。

2166-8.jpg
©スクリーンショット/ロシア調査委員会/テレグラム

同庁はまた、他の法執行機関と同様に職員らが現場で作業を続け、死者の遺体や残された武器や弾薬などの証拠品を調べていることも指摘した。

00:30 GMT

クレムリンの報道機関によると、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、クロクス市での銃乱射事件について、モスクワ州のアンドレイ・ヴォロビョフ知事、タチアナ・ゴリコワ副首相、ロシアのミハイル・ムラシコ保健大臣らと協議した。3人の当局者はプーチン大統領に対し、テロ攻撃の犠牲者に対する継続的な支援について説明した。

クレムリンは、ロシア非常事態省(EMERCOM)のアレクサンドル・クレンコフ長官もプーチン大統領に支援の取り組みについて報告したと付け加えた。

00:00 GMT

首都の保健局によると、クロクス・シティ・コンサートホールでの銃乱射事件後、モスクワの病院に80人が入院した、という。

2024年3月22日
23:36 GMT


アントニオ・グテーレス国連事務総長は銃乱射事件の非難に加わり、犠牲者の家族とロシア国民と政府に深い哀悼の意を表明した。声明はグテーレス事務総長のファルハン・ハク副報道官が発表した。

23:30 GMT

国連安全保障理事会は、金曜日(3月22日)にモスクワ郊外のクロクス・シティホールで起きた「凶悪かつ卑劣なテロ攻撃」を最も強い言葉で非難する声明を発表した。この声明は、ロシアの代理であるドミトリー・ポリャンスキー国連次席大使によって共有された。

安全保障理事会の構成員らは犠牲者の親族とロシア国民に「深い同情」を表明するとともに、負傷者の早期回復を願った。彼らはまた、「これらの非難すべきテロ行為の加害者や主導者、資金提供者の責任を追及し、裁判にかけられる」必要性を強調した。

23:13 GMT

モスクワ市議会のアレクセイ・シャポシニコフ議長は、銃撃事件の犠牲者のために献血するよう同胞に呼び掛けた。同氏はテレグラム上に「これは非常に重要だ。何十人もの人々にとって生死にかかわる問題だ」と書き、首都圏にある4つのドナーセンターの住所を共有した。

22:39 GMT

ロシアのミハイル・ムラシュコ保健大臣は、モール近くの病院での記者会見で、襲撃以来、子ども5人を含む計115人が入院していると述べた。同大臣によると、約60人が重傷を負った。さらに30人が軽傷を負い治療を受けた、という。

21:59 GMT

非常事態省は、会場の火災は鎮火したと発表した。

21:46 GMT

モスクワ地域保健省は、この攻撃で負傷した144人のリストを公開した。

21:33 GMT

モスクワ地域保健省は、この攻撃で負傷した約37人が入院していると発表した。

21:08 GMT

金曜日(3月22日)の夜に演奏する予定だったバンド「ピクニック」のメンバーが襲撃後に行方不明になっている、とバンドのディレクターがRIAノーボスチ紙に語った。

20:46 GMT

ロシア緊急事態省が公開した映像によると、複数の消防ヘリコプターが現場に出動していることが示されている。火災の延焼はいまだ止められていない。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

20:21 GMT

ロシア国家警備隊は現在、襲撃犯の捜索を行っているほか、モールから生存者を避難させていると述べた。

19:55 GMT

探知犬を連れた法執行官が、ショッピングモールの近くに駐車されている、ウクライナ発行の古いナンバープレートを載せた不審な白いバンを検査しているのが目撃された。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)
19:17 GMT

ロシア国内治安当局であるFSB(連邦保安庁)は、事件の暫定評価を引用し、この攻撃で少なくとも40人が死亡、100人以上が負傷した、と発表した。

19:00 GMT

火災は会場全体に急速に広がり、建物の上には黒煙と裸火の柱が立ち上っているのが見られる、と伝えられている。消火活動のため、少なくとも1機の消防ヘリコプターが現場に出動した。

18:50 GMT

ロシアの最も緊密な同盟国であるベラルーシはこの攻撃を強く非難し、同国の外務省は「何も」この攻撃を正当化することはできなかった、と述べた。

18:49 GMT

ホワイトハウスはショッピングモールへの襲撃を「ひどい事件だ」と非難した。国家安全保障会議のジョン・カービー報道官は記者団に対し、「映像はただただ恐ろしく、見るのが辛いだけです」と語った。同報道官はまた、米国はこの攻撃に関する情報を持っておらず、この攻撃がウクライナと何らかの関連があるとも考えていない、と主張した。

18:35 GMT

燃え盛るショッピングモールから新たな爆発が発生した、と報告された。しかし、現場のRT特派員はそのような主張を裏付けていない。

18:20 GMT

襲撃犯らは燃えている建物の中に立てこもった、と伝えられている。この組織は明らかに人質をとったり、声明を出そうとはせず、目撃した人々を射殺した。

18:20 GMT

この事件は大規模な緊急対応を引き起こし、多数の救急車と重武装した警察の特殊部隊が現場で発見された。

(ここに埋め込まれているテレグラムの投稿については、原文サイトを参照:訳者)

18:12 GMT

襲撃者らはコンサートホールに侵入し、逃走中のコンサート来場者を狙った。襲撃者らはホールにも放火し、現場では少なくとも1回の爆発があった、との報告がある。

18:10 GMT

報道によると、少なくとも10人が死亡、50人以上が負傷している、とのことで、モールでの襲撃と大規模火災の規模を考慮すると、その数はさらに増えることが予想されている。

18:01 GMT

ショッピングモールで大規模な火災が発生し、炎が建物の屋根を包み込み、建物の一部が崩壊した、と伝えられている。

17:38 GMT

明らかに防弾チョッキを着た複数の重武装した襲撃者が会場に侵入し、来場者を目撃すると銃撃し、非常に生々しい映像がオンライン番組で拡散した。

17:30 GMT

この襲撃事件が最初に報じられたのは、現地時間の午後8時過ぎ、ちょうどロシアを代表するロックバンド、ピクニックのコンサートが会場で始まろうとしていた頃だった。

モスクワでの恐ろしいテロ攻撃—これまでに分かっていること

<記事原文 寺島先生推薦>
Deadly Moscow terrorist attack: What’s known so far
クラスノゴルスク虐殺に直接関与した4人を含む11人が拘束された、とロシア治安当局が発表
出典:RT 2024年3月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月25日


2165-1.jpg
@ スプートニク/マクシム・ブリノフ


金曜日(3月22日)遅く、モスクワ近郊の大きなコンサート会場が銃乱射事件の現場となった。この虐殺では子どもを含む100人以上が死亡し、ロシア現代史上最悪のテロ攻撃の一つとなった。

最新の推計によると、ロシアの首都郊外の大きな音楽会場であるクラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールを襲撃した武装集団による銃撃とそれに続く火災で、少なくとも133人が死亡、数十人が負傷したという。

詳細はまだ明らかになっていないが、ロシア連邦保安庁(FSB)によると、この攻撃は死傷者を最大化するよう慎重に計画されたものであるという。この事件については捜査が進行中である。これまでにわかっていることは以下のとおり。

加害者を拘留

FSBは土曜日(3月23日)の声明で、銃撃事件に直接関与したテロリスト4人を含む11人が拘束された、と発表した。

治安当局によると、銃撃に使用された武器は事前に保管庫に保管されていたという。

ロシアの捜査委員会はまた、クラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールの「テロ攻撃を行なった」容疑者4人が「ウクライナとの国境からそれほど遠くない」ブリャンスク州で拘束されたことを確認した。

当局によると、テロリストらはウクライナへの逃亡を計画していた、という。

死者数の増加

調査委員会によると、瓦礫の中からさらに多くの遺体が発見され、土曜日午後の時点で、この襲撃による死者数は少なくとも133人に上り、その中には子ども3人が含まれているという。モスクワ地方保健省は、少なくとも121人が負傷し、107人が入院を必要としていると発表した。現場では救急隊が活動を続けている。

2165-2.jpg
関連記事:Death toll in Moscow concert hall attack climbs to 133 – investigators

プーチン大統領の国民向け演説

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、クラスノゴルスクのクロクス・シティ・ホールのテロ攻撃を受けて国民に向けて演説した。同大統領は銃撃の犠牲者とその家族に哀悼の意を表し、この悲劇の責任者は全員処罰される、と述べた。

関与した襲撃犯は全員逮捕されており、治安部隊は更なる大量殺人からロシア国民を守るために全力を尽くしている、と同大統領は付け加えた。

いま重要なことは、この流血事件の背後にいる人物たちに新たな犯罪を起こさせないことである、とプーチン大統領は土曜日(3月23日)の演説で述べた。

テロ容疑者が取り調べを受ける

土曜日、RTのマルガリータ・シモニアン編集者は容疑者の1人の尋問の映像を投稿した。その映像の男は、50万ルーブル(約82万円)を約束された後に殺人を犯した、と主張している。同容疑者はまた、指示者が攻撃を行なう場所について指示した、と主張した。彼は「そこで人々を殺すよう命じられた…誰であろうと関係なく」と語った。同容疑者は、テロ行為は武器を提供した未知の人物によってテレグラム上で組織された、と主張した。

2165-3.jpg
関連記事:First interrogation of Moscow terrorist attack suspect (VIDEO)

無差別銃乱射事件

モスクワ西郊外のクラスノゴルスク市にあるクロクス・シティ・ホールが金曜(3月22日)夜、武装集団に襲撃された。ロシアのロックバンド「ピクニック」のコンサート前の出来事だった。収容人数約7500人の会場はほぼ満席となっていた。

襲撃犯らは会場の入り口で非武装の警備員を殺害し、会場を封鎖した後、会場内で暴れ続けた。

目撃者によると、犯人たちは視界に入った者に至近距離で発砲したという。その後、襲撃者らは建物に放火した。

炎はすぐに屋根を含む建物の大部分に広がった。消火のため複数の消防隊と航空機が出動した。非常事態省は、この7階建ての建物の約1万3000平方メートルが炎に包まれた、と発表した。

哀悼と非難

虐殺を受けて、世界中の政府がロシア国民への哀悼と支援のメッセージを送った。

国際機関やEU、NATO当局者はこのテロ攻撃を非難した。

2165-4.jpg
関連記事:Moscow terrorist attack: World sends condolences and condemnation

数百人の追悼者がメキシコやモルドバ、セルビア、カナダ、米国、アルゼンチンにあるモスクワの在外公館に花を手向けた。

いっぽう、銃乱射事件の犠牲者に献血するため、数十人のモスクワ市民が市内の病院に並んでいる。

米国のセキュリティ警告

今月初め、米国はロシア在住の米国市民に警告を発し、公共の場所や大規模な集会を避けるよう促していた。在露米大使館は、「過激派」がモスクワでの差し迫った攻撃計画を立てている、と主張した。他のいくつかの大使館もこれに続き、同様の警告を発した。しかし、ホワイトハウス顧問のジョン・カービー氏は、ワシントンは金曜日(3月22日)の銃撃事件について具体的な「事前知識」を持っていなかった、と述べた。

ロシア流の民主主義

<記事原文 寺島先生推薦>
Democracy, Russian Style
筆者:スコット・リッター (SCOTT RITTER)
出典:Scott Ritter Extra   2024年3月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月24日


2162-1.jpg
2024年ロシア大統領選挙でオンライン投票するプーチン大統領


ロシアは、今後6年間の国家内部の方向性を決定づけ、そうすることで今後数十年間の世界的な変革の原動力となる、3日間の選挙過程を終えたばかりだ。ロシアの有権者数は約1億1230万人。3月15日から17日にかけて、そのうちの77%強が、今後6年間の大統領を決めるための投票所に足を運んだ。その中で88%以上という圧倒的な人々が、現職のウラジーミル・プーチンに一票を投じた。

この選挙でどのような結果が出るか、疑う余地はなかった。ウラジーミル・プーチンは必ず再選を果たすだろう、と思われていた。

今回の選挙は個人に対する信頼投票以上の意味を持っていた。ウラジーミル・プーチンは、今世紀に入って以来ロシアを治める支配的な政治勢力であり、意志の力によって1990年代の暗黒の破局からロシアを抜け出させ、ロシアを現代で最も強力で影響力のある国のひとつにした人物である。

この選挙は、ウクライナ戦争に関する信託ではなかった。この問題は2022年秋に決着がつき、ウクライナに対する短期間の軍事作戦として想定されていたものが、西側諸国に対する、より大規模で長期にわたる軍事闘争へと変化したため、ロシアは兵力増員と軍事産業能力を動員せざるを得なくなったのである。

簡単に言えば、ウクライナ紛争は2024年の投票対象ではなかった。

投票が何であったのか、それはロシアの未来だった。

ウラジーミル・プーチンは71歳。プーチンの勝利で、もう6年の任期が確保された。この任期が終わる2030年、プーチンは77歳である。

2162-2.jpg
レオニード・ブレジネフ元ソ連首相

ロシア人は歴史をよく学んでおり、1960年代半ばにレオニード・ブレジネフの指導下で始まったソ連の停滞がもたらした悲しい遺産をよく知っている。ブレジネフは75歳で、心身ともに衰弱していた。彼の後任はユーリ・アンドロポフで、彼はその2年後に69歳で死去した。コンスタンティン・チェルネンコがその後任となったが、1985年73歳で死去した。

ウラジーミル・プーチンが残りの任期中、現在の肉体的・精神的健康レベルを維持できないとは考えられない。しかし、結局のところ、人はみな平等につくられたのであり、プーチンのような特別な人物であっても、時の流れは誰にでも重くのしかかる。

ウラジーミル・プーチンは過去四半世紀の間、ロシアを復興の道へと導くために、顧問や役人からなる中核的なチームを頼りにしてきた。このチームが非常に有能であることは証明されているが、このチームもまた、「灰は灰に、塵は塵に」*という人間存在を支配する自然の法則に従う。
*「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3章19節)

人は永遠に生きられない。

しかし、ロシアを構成する人々の心の中では、ロシアは永遠である。

米国を中心とする西側諸国がロシアをバラバラにすることでロシアを沈没させようと謀った1990年代の窮乏生活から、プーチンがロシアを救った経験から考えると、彼は、歴史の教訓をよく理解している。支配階級のエリートが、その座を誰が引き継いだらいいか考えずに、権力に長くしがみつくとどうなるかということを。

ミハイル・ゴルバチョフはロシア(ソ連)をソ連の停滞期から抜け出させようとした。彼はよく練られた考えもなしに、受け身的な方法で対処した。その結果、ソ連は崩壊し、1990年代の恐ろしい10年間が始まった。

ウラジーミル・プーチンがこれからの6年間を、単に見事な在任期間の継続として取り組むとすれば、彼はロシアを歴史的前例という過酷な愛人と衝突する道に導くことになるだろう。つまり、老齢化した男が老齢化した政府システムのトップに立ち、避けられない運命の定めが到来したときに、どのように進むかについて明確な計画を持たないままだとどうなるか、ということだ。

要するに、プーチンが2030年にロシア大統領としてさらに6年の任期を求めざるを得ない状況になった場合、ロシアは新たな停滞期に沈み、プーチン支配の30年間で得たものが無駄になり、1990年代並みの社会崩壊の可能性が現実味を帯びてくる可能性が高いということだ。

だからこそ、2024年のロシア大統領選挙から浮かび上がる重要な統計は、ウラジーミル・プーチンを支持する票を投じた有権者の88%ではなく、ロシア国家への支持を表明するために集まった有権者の77%なのである。有権者の投票率は常に、有権者個々の信任の反映とみなされ、投票によって維持される政治体制が、自分たちの住む国の将来像を最もよく反映してきた。

ちなみに、2020年のアメリカ大統領選挙では、有権者の投票率が過去最高の66%を記録した。

2024年のロシア大統領選挙は、それを11ポイント上回った。

つまり、ロシア国民は、71歳のウラジーミル・プーチンが、過去の過ちを繰り返すような歴史的必然の道を導くことはないと確信しているのだ。むしろ、ウラジーミル・プーチンがこれまでロシアを導いてきたことに自信を持つロシア国民は、プーチン後のロシアにおいて、ロシアがこれらの利益を維持し、繁栄し続けることができるよう、ロシアを最もよい位置に導く人物がプーチンだと信じているのだ。

2024年のロシア大統領選挙は、現状を維持するための投票ではなかった。

変化のための投票だった。

この変化を監督するのは、ウラジーミル・プーチンである。

2162-3.jpg
2024年大統領選でのウラジーミル・プーチンの勝利後、赤の広場で行われた選挙後の集会


今後数カ月で、国の支配層の交代が始まると予想される。今日のロシアを築き上げたプ―チンの補佐役であったロシアの指導層が一歩退くのだ。ウラジーミル・プーチンの指導とリーダーシップの下で、プーチンが大統領でなくなった後にロシアを待ち受けているいかなる課題にも備える若い世代のロシア指導者たちが取って代わることになる。

この変化がどのように現れるのか。おそらく、政治エリートはモスクワ中心からではなく、ロシア各地域から出てくることになるだろう。しかし、それはまだわからない。変化はあるだろう。変化は不可避なのだから。

そして、この変化は投票によってもたらされた。

西側諸国は2024年のロシア大統領選挙を見せかけのものと揶揄した。

これほど真実からかけ離れたことはない。

2024年のロシア大統領選挙は、繁栄する民主主義の現れであったが、ロシア人によって定義された民主主義であった。

西側諸国は、ウラジーミル・プーチンに投票した88%のロシア人に焦点を当て、国民に1つの選択肢しか与えなかったシステムにおける当然の結論に過ぎないと揶揄する。

しかし、ロシアの民主主義は77%という選挙参加率によって定義され、ウラジーミル・プーチンがもたらした強固な地位から脱却し、プーチン後の時代にもこの強さを維持するロシア国家の能力に対する国民の信頼を反映している。

それは、過去を再認識することで定義された投票ではなく、むしろ、ロシア国家の未来のために必要な重要な変化を行う権限を政府に与えた投票だった。

それは、ロシア流の民主主義の完璧な表現だった。

「今回の選挙運動は国民投票のような性質を持っていた」: 2024 年ロシア大統領選挙への手引き

<記事原文 寺島先生推薦>
‘This time the campaign has had a referendum-like nature’: Your guide to Russia’s 2024 Presidential Election
ロシア人が指導者を選ぶために投票所に向かう際に知っておくべきことすべて
出典:RT 2024年3月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月24日


2160-1.jpg
ロシア・ルガンスク人民共和国ルガンスクの大統領選挙中、投票所で投票する女性。© スタニスラフ・クラシルニコフ/スプートニク


2024年ロシア大統領選挙の投票は金曜日(3月15日)に始まり、日曜日(3月17日)まで続く。多くの意味で、それはこの国の歴史の中で唯一無二の出来事となるだろう。

今回は、2020年に憲法が改正されて以来、初めて行なわれる大統領選挙となる。2020年の憲法改正で、現国家元首ウラジーミル・プーチン氏(が今回の選挙で勝利すれば)それまでの任期が「ゼロ」となり、同氏は5回目の出馬が可能となった。また、投票所だけでなくオンラインでも3日間にわたって投票が行われる初めての大統領選挙でもある。さらに、これは、ロシアの新たな4つの地域、ヘルソンとザポリージャ、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国の住民が参加する初めての選挙である。

この記事では、候補者や選挙手順、結果予想まで、投票について知っておくべきすべてを詳しく解説する。


通常よりも控えめな選挙運動

ロシアが紛争の最中に大統領選挙を実施したのは今回が初めてではない。1996年と2000年の選挙ではプーチン氏が初めて大統領に選出されたが、後者はチェチェン戦争中に行なわれた。それにもかかわらず、現在のウクライナとの紛争の規模は、1990年代に起こったこととは比較できないくらい大きい。1990年代に北コーカサスのチェチェンでの軍事行動はロシア国内の問題であり、対テロ戦という色彩が濃かった。

2160-2.jpg
関連記事:Polls open in Russian presidential election

おそらくこの理由から、今回の選挙に向けた選挙運動はやや控えめなものとなった。主な争点の一つは、野党政治家がどれだけの署名を集めることができるか、そしてそのうちのどの候補者が中央選挙管理委員会(CEC)に登録されるかということであった。イリーナ・スビリドワ氏(タンボフ出身の若い母親)やウラジオストク生まれの環境活動家アナトリー・バタシェフ氏など一部の有望な候補者は必要な数の署名を集めることができなかった一方、著名なリベラル派のボリス・ナデジディン氏やシベリアの共産主義者セルゲイ・マレンコーヴィチ氏などは、書類に多くの誤りがあり、CECの要件を満たしていなかったため、登録は却下された。また、超保守派のセルゲイ・バブリン氏やロシアの石工長アンドレイ・ボグダノフのように、署名の検証が始まる前から立候補を取り下げる者もいた。

その結果、CECの要件を満たした大きな政党から出馬しない候補はプーチン氏のみとなった。2018年同様、彼は無所属で出馬し、政権与党の「統一ロシア」と野党の「公正ロシア」、「真実とロージナのため」という3つの政党から支持を受けている。

プーチン氏は他の3人の政治家と対決することになるが、いずれも議会政党の出身であるため、推薦のための署名集めは必要ない。そのうち2人は大統領選挙初挑戦で、もう1人は20年ぶりの復帰である。


ニコライ・ハリトーノフ候補

共産党のニコライ・ハリトーノフ氏は、今回の候補者のなかで唯一過去に大統領選挙を経験している人物である。昨年10月に75歳となった。今回の選挙戦での最年長候補である。

2160-3.jpg
ロシア・モスクワで、祖国防衛の日を記念してクレムリンの壁際にある無名兵士の墓で行われた献花式に出席したロシア共産党中央委員会議長で党大統領候補のニコライ・ハリトーノフ氏。 Ramil Sitdikov / スプートニク

ハリトーノフ氏はロシア政界のベテランで、ソ連崩壊前の1990年に国会議員に初当選した。1990年代の初期にはロシア農業党の創設者の一人となったが、2007年に離党し、共産党に合流した。現国会では極東・北極圏開発委員会の委員長を務める。

ハリトーノフ氏が立候補したことに関して最も驚かされたことは、長年共産党を率いてきたゲンナジー・ジュガーノフ氏を差し置いて指名されたことだ。共産党は以前からハリトーノフ氏に賭けており、2004年の選挙では正式に入党する前から候補者に選んでいた。その時は13.69%の得票率でプーチン氏に次ぐ2位だった。

今回、ハリトーノフ氏の選挙前の取り組みは「資本主義を試したが、もうたくさんだ!」である。同候補の主な提案は、累進課税の導入や低所得者への課税の廃止、定年年齢の引き下げなどである。同候補は、資本主義と社会主義の要素を組み合わせることができる中国を見習うべき例として挙げている。ハリトーノフ氏は、ロシアがWTOやIMFなど欧米主導の国際機関から脱退することを主張している。またウクライナ紛争については現政権の立場を支持している。

「我々には恐れるものはありませんが、自身と国を守るために必要なものは持っています。ロシアを征服できると考えている人たちは、大きな間違いをしていると、私たちはもう一度言う」とハリトーノフは宣言した。


レオニード・スルツキー候補

右翼自由民主党(LDPR)の長年の指導者であったウラジミール・ジリノフスキー氏が新型コロナウイルス感染症による合併症のため2022年に死去したとき、同党は誰が後継者となり国内最古の政党を代表するのかという問題に直面した。実際、ジリノフスキー氏は長年ロシア大統領選挙でおなじみの顔だった。しかし、自由民主党がレオニード・スルツキー氏を新党首に指名したとき、多くの人は驚かなかった。

2160-4.jpg
ロシアのモスクワでの選挙計画のプレゼンテーション時の演説中の2024年3月の選挙におけるロシア自由民主党(LDPR)からの大統領候補レオニード・スルツキー党首 ©グリゴリー・シソエフ/スプートニク

スルツキー氏は政治家としての経歴を通じてさまざまな役職を歴任し、欧州評議会(PACE)ロシア代表団の副団長やロシア平和基金の理事長を務めた。彼は「ジリノフスキーの遺産は生き続ける」「スルツキーは常に近くにある」という呼びかけ文句を掲げて大統領選挙運動を行なっている。

国際関係に関する国会委員会の委員長として、スルツキー氏は西側諸国を脅威とみなしながらも、アジア諸国との協力を拡大する政策を強く信じている。同氏は「外国工作員」に対する法整備強化や対ウクライナ軍事作戦の加速を求めるなど、多くの分野でタカ派とみられている。

スルツキー氏は、5年前、ウクライナは領土の一部を失い、いくつかの地域がロシアに加わるだろうと宣言した故ジリノフスキー氏の予言に同調した。スルツキー氏の選挙運動では、「ロシア兵器の勝利によってこの紛争を終わらせる」ために軍事攻勢を強化することが語られている。


ウラジスラフ・ダワンコフ候補

ウラジスラフ・ダワンコフ氏は40歳で、4人の大統領候補の中で最年少である。彼は、2021年の議会選挙に先立って創設され、5番目に議席の多い党となった新人民党の代表を務めている。議席獲得の5%の基準を超えたことで、ほぼ15年間続いてきた国家下院の4党構成を突き崩した。

2160-5.jpg
ロシアのモスクワで開催された新人民党大会に出席中のロシア国家院の党派閥第一副党首であり、2024年ロシア大統領選挙の同党候補者であるウラジスラフ・ダワンコフ氏。 ©キリル・ジコフ/スプートニク

ダワンコフ氏の政治家としての経歴は新人民党の創設から始まり、それ以前は事業や教育計画に携わっていた。2021年に州下院議員となり、予算・税制委員会および連邦予算支出を検討する委員会に加わった。また、統一ロシアのヴャチェスラフ・ヴォロージン議長の下で国家院副議長にも就任した。

ダワンコフ氏が重要な公職に立候補するのは、昨年のモスクワ市長選挙に参加し、得票率5.34%で4位に終わって以来2度目となる。同氏はリベラルな見解を推進してきたが、選挙戦の論点は主に経済問題に焦点を当てており、地方都市や地方に有利な税収の再分配や企業への恩恵の拡大、「大規模な経済恩赦」の実施などの提案が含まれている。

ダワンコフ氏は、ロシアを他のヨーロッパ諸国やアジアから切り離すことはできないと信じており、敵を探すのではなく、新たな友好国を探して互恵関係を築く必要がある、と主張している。ダワンコフ氏は、ロシア人およびロシアの他の先住民族の代表者の祖国復帰を簡素化し、外交政策の見直しを行うことを提案した。

同氏の選挙戦での論点は和平と交渉を中心にしているが、「我が国の条件にしたがって、一歩下がるものではない」とも断った上でのことである。同時に、西側諸国の多くはウクライナでの軍事行動を儲かるビジネスチャンスとみなしているため、西側諸国はまだ話し合いの準備ができていない、とも主張している。


ウラジーミル・プーチン候補

今回の選挙はこのロシアの現職指導者にとって5回目だが、これが最後ではない可能性も十分にある。2020年に採択された憲法修正案によると、今年勝利した場合、プーチン大統領は2030年の大統領選挙にも再び立候補できることになるからだ。

2160-6.jpg
ロシア・クラスノダール地方のシリウス連邦直轄領で開催される2024年世界青少年フェスティバル(WYF)の会場を訪問中のロシアのウラジーミル・プーチン大統領。 ©ミハイル・メッツェル/プール/スプートニク

プーチン大統領は4期にわたって国家の実権を握っており、これに首相としての約5年間も加えることができる。同氏は、西側ジャーナリストが「プーチン氏とは誰なのか」としか尋ねることのできなかったソ連治安局の無名の職員から長い道のりを辿り、世界的に地位のある政治家となった。

プーチン大統領の新任期計画の大部分は、連邦議会での最近の演説で概説された。プーチン大統領は、国とその指導者が直面する主な課題の中で、貧困との闘いや子どもを持つ家族の支援、特に技術・科学産業におけるロシアの経済的独立性の強化を挙げた。今後6年間の同氏の計画には、国のインフラの開発と大規模な近代化、税制改革が含まれている。

2160-7.jpg
関連記事:Russians warned of attempts to disrupt presidential election

軍事も主題である。プーチン大統領によれば、ウクライナ紛争はロシアにとって存亡に関わる重要なものであり、ロシア政府の目標は完全に達成されなければならない、という。同時にプーチン大統領は、ロシアが交渉の可能性を排除していないことを強調した。外交政策では、多極化した世界とそれを望む国々との協力を支持している。


予測

今週初め、全ロシア世論研究センター(VCIOM)、世論財団(FOM)、ソーシャルマーケティング研究所(INSOMAR)がそれぞれ投票結果の予測を発表した。これらの組織の総合評価によれば、投票率は70%を超え、プーチン大統領が80%以上の票を獲得することになるだろう、とのことである。残りの候補者は接戦となっているが、現時点ではハリトーノフ氏が2位に終わると予想されている。専門家らは予想される結果について、「戦時のため国家が一団となる時期にあること」やプーチン氏以外に魅力的な候補者いないことなど、さまざまな理由を挙げている。

具体的には、VCIOM は投票率が 71% で、プーチン大統領は得票率の82%、ハリトーノフ氏は6%。ダワンコフ氏は6%(ただし共産党からの候補者のハリトーノフ氏よりわずかに少ない)、スルツキーは5%で、無効票が1%になる、と予想している。

FOMによると、予想投票率は69.8%で、プーチン大統領が80.8%の票を獲得するだろう、と予想している。 VCIOMと同様に、他の候補者間は僅差になる、とのことで、ハリトーノフ氏が5.7%で2位、次いでスルツキー氏(5.6%)、ダワンコフ氏(4.6%)、無効票(3.3%)、という予想になっている。

INSOMARも同様の予想を発表し、投票率は71.7%、プーチン大統領は80.2%、ハリトーノフ氏は6.3%、スルツキー氏は5.6%、ダワンコフ氏は5.1%、そして無効票が2.8%、とのことだ。

VCIOMの責任者であるヴァレリー・フェドロフ氏は以下のような考え方を述べた。「この選挙を理解する鍵は、今回の選挙が住民投票のような性質であることにあります。まさにそのように設計された選挙なのです。『特別軍事作戦』が2年間にわたって行なわれ、この先どれくらい続くか不明であることを考えると、別の選挙体制はあり得ませんでした。このような状況では選挙を完全に中止する国もあることでしょう」と。

2160-8.jpg
関連記事:Putin issues election call to Russians

政治結合センターのアレクセイ・チェスナコフ学術会議所長によると、プーチン大統領の大勝利が予想される、という。同所長はプーチン大統領の優位性が社会の統合に直接関係していると確信しており、選挙制度に対する高い信頼を示している。「指導者の資質を示したのはウラジーミル・プーチン氏だけだと言えます。第二層の候補者は政党との結びつきが強すぎるため、大統領選挙では少し足かせとなっています。選挙を妨害しようとする陰謀は、当該地域がどのように行動するかにかかっています。そういう意味では、ロシア連邦の一部として初めて大統領を選出する新しい地域での投票は興味深いです」との考えをチェスナコフ所長は述べた。


選挙の手順と今後のこと

史上初めて、ロシア大統領選挙の投票は金曜日(3月15日)から日曜日(3月17日)までの3日間に亘って行なわれる。伝統に則り、投票所の開所時間はロシア国内に11存在する時間帯に応じた現地時間8 時から 20 時までとされている。期日前投票はすでにロシアのいくつかの辺境地域で行なわれており、金曜日(3月15日)までに約200万人がすでに投票を済ませている。

ロシア大統領選挙では初めて遠隔電子投票も実施され、28地域の住民が利用できる。デジタル開発・通信・マスメディア省によると、300万人以上がこの形式の投票への参加を申請したという。海外にいるロシア人のために、144か国に281の投票所が設置されている。

候補者が勝者とみなされるには、半数以上の票を獲得する必要がある。それ以外の場合は、二次投票として決選投票が必要となる。開票はモスクワの標準時間より1時間遅れの同国最西端のカリーニングラード州の投票所閉鎖直後に始まる。

3月19日から21日までの期間は開票と結果の評価に割り当てられ、3月21日から28日までは結果の最終決定に割り当てられる。しかし実際には、最終決定がもっと早く起こる可能性がある。前回の大統領選挙の結果に関する中央選挙管理委員会の議定書は、投票終了から5日目の3月23日に署名された。

プーチン大統領、ナワリヌイとの囚人交換に同意したと明かす

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin reveals he agreed to swap Navalny
ロシア大統領は、西側諸国で拘束されている囚人と野党の人物を交換する用意があると述べた。
出典:RT 2024年3月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月22日


2161-1.jpg
ロシアの野党活動家アレクセイ・ナワリヌイ。スプートニク


ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、先月(2月)流刑地で死亡した野党活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏を、西側諸国で拘束されている囚人と交換することに基本的に同意していたことを明らかにした。

日曜日に支持者を前にしてプーチンは、ナワリヌイが亡くなる数日前に、ロシアの高官が囚人交換の提案を持ちかけていたと語った。ナワリヌイは2月、北極圏にあるポーラー・ウルフという流刑地で、詐欺事件に端を発する罪などで長期刑に服していた。

私にその話を持ちかけた人が最後まで言葉を言い終わらないうちに、私は『賛成だ』と言った。しかし、起こったことは起こった。

大統領は、どの囚人が、とか何人の収監中のロシア人と交換できたかについては言及しなかった。ナワリヌイが帰国せず、西側に留まることだけが交換の条件だっただろうと指摘した。



ナワリヌイがかつて代表を務めていたNGO、「反腐敗財団(FBK)」は以前、この野党の人物と、2021年後半にドイツで殺人罪の有罪判決を受けたロシア国籍のヴァディム・クラシコフとが交換されることになっており、これに関する話し合いは「最終段階にある」と主張していた。FBKの現代表であるマリア・ペフチフもまた、ナワリヌイは交換を阻止するために殺されたと主張している。モスクワはこの件に関するすべての非難を拒否し、捜査が終わるまで冷静さを保つよう呼びかけている。

プーチン大統領の発言は、大統領選挙で地滑り的勝利を収め、中央選挙管理委員会によれば、投票率74%の中、推定87%の得票率で5期目の任期を確保したときになされた後になされた。

ウクライナ、ロシアの投票所を攻撃

<記事原文 寺島先生推薦>
Ukraine attacking Russian polling stations – officials
ヘルソン地方とザポリージャ地方の選挙管理当局は、ウクライナによる攻撃で数人が負傷したと報告した。
出典:RT 2024年3月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月21日


2159-1.jpg
ロシア領となったザポリージャ州ベルジャーンシクでの大統領選挙中、投票所で投票する女性。© スプートニク/コンスタンチン・ミハルチェフスキー


ヘルソン地方とザポリージャ地方のロシア選挙管理委員会は、大統領選投票のために開設された投票所に対するウクライナによる複数の攻撃を報告した。

土曜日(3月16日)の朝、ウクライナ軍はザポリージャ州のブラゴヴェシチェンカ村の投票所を狙って無人機から爆発物を投下した、と地元の選挙管理官ナタリヤ・リャベンカヤ氏がタス通信に語った。

同氏は、現場に到着したロシア軍関係者の話として、それは「リン弾だった」と主張した。この攻撃による死傷者や物的損害は発生しなかった。

「私たちは脅しに怯(ひる)むことはありません。投票を希望する国民、すべての国民を受け入れるつもりです」とリャベンカヤ氏はタス通信に語った。

2159-2.jpg
©ソーシャルネットワーク

金曜日(3月15日)、ヘルソン地域の選挙管理委員会は、ウクライナ軍がカホフカ市とブリレフカ村の建物を砲撃し、不特定多数が負傷した、と発表した。

「残念なことに、国民の投票の自由はキエフ政権の喉に突き刺さった骨のようなものなのです」と同委員会はテレグラ厶上に投稿した。当局者らはまた、「敵がわれわれを脅迫しようとしている」にもかかわらず、地元住民が「このような重要な日に投票できる」よう作業を継続する、と誓った。

数分後、スカドフスク市の投票所の外のゴミ箱で即席爆発装置が爆発したが、この事件で死傷者は出なかった、と当局は報告した。

地元当局によると、投票2日目の土曜日(3月16日)のヘルソン地方の投票率は77%に達した。またザポリージャ州では、有権者の72%以上が投票した。

かつてウクライナだった2つの地域は、ドネツク人民共和国とルガンシク人民共和国とともに、住民投票を経て2022年末にロシアに加盟した。

関連記事:‘Neo-Nazi Kiev regime’ tried to disrupt Russian elections – Putin

現在行なわれている大統領選挙は3日間あり、3月15日に始まり、3月17日に終わる。。現職国家元首のウラジーミル・プーチン氏に加えて、レオニード・スルツキー氏、ニコライ・ハリトーノフ氏、ウラジスラフ・ダワンコフ氏という他の3人の候補者が国の最高職を争っている。

ウクライナ砲撃でロシアの選挙事務員が死亡

<記事原文 寺島先生推薦>
Russian election clerk killed in Ukrainian shelling – authorities
ウクライナがロシアの港湾都市ベルジャーンスクを攻撃、前線地域の他の場所でも重大な問題が報告されている、とロシア高官が語る
出典:RT 2024年3月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月21日


2158-1.jpg
© スプートニク / アレクサンドル・クリャジェフ


アレクサンドル・ゴロヴォイ第一副内務大臣は、ウクライナ軍の砲撃により、ロシアのザポリージャ州で大統領選挙を監督する女性職員が死亡した、と発表した。ロシア側は、ウクライナは投票を混乱させるためには手段を選ばない、と警告していた。

日曜日(3月17日)に中央選挙管理委員会で講演したゴロヴォイ氏は、ウクライナ側の攻撃により、最前線から約100キロ離れた港湾都市ベルジャーンシクで選挙管理委員会の係員が死亡したというニュースを発表した。同氏はその悲劇に関するそれ以上の詳細には触れなかった。

ザポリージャ州は、他の3つの旧ウクライナ領土と同様に、2022年秋のロシアへの編入に圧倒的多数で賛成票を投じた。ウクライナ当局も西側の支援諸国もその住民投票の結果を認めていない。

ゴロヴォイ氏はまた、地方レベルの選挙当局がカメンカ・ドネプロフスカヤ市やエネルゴダル市など、他の最前線地域で重大な問題に直面している、と指摘した。どちらもドニエプル川の左岸に位置し、後者にはヨーロッパ最大規模の原発であるザポリージャ原子力発電所もある。

2158-2.jpg
関連記事:Ukraine attacking Russian polling stations – officials

同第一内務副大臣によると、これらの地域では選挙管理委員会がすべての書類を持っての移転を余儀なくされた、という。

金曜日(3月15日)、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナがロシアの有権者を脅迫するために「多くの犯罪的であからさまな武装行為」を画策するだろう、と警告した。日曜日(3月17日)の朝、ヘルソン州とザポリージャ州の地方当局は、投票所への攻撃があり、数名が負傷したと報告した。

大統領選挙の投票は3月15日から17日まで行われた。全体の投票率は74%を超え、ほぼ半数が開票されており、現職のウラジーミル・プーチン氏の圧勝が広く予想されている。

ロシア中央選挙管理委員会によると、現時点ではプーチン大統領が推定得票率87%で選挙戦の先頭を走っており、共産党のニコライ・ハリトーノフ氏と新国民党のウラジスラフ・ダワンコフ氏がそれぞれ約4%で続いている。自由民主党のレオニード・スルツキー氏はこれまで得票率3.1%を獲得している。

民主主義が機能している国、ロシア

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia — A Democracy that Works
筆者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts )
出典:ポール・クレイグ・ロバーツ個人のブログ 2024年3月18日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月21日


75%の投票率で、投票者の87%がプーチンに投票した。

そう、この選挙では不正などなかった。米国民は自国の選挙で不正が横行することに慣れすぎてしまって、すべての外国でも同じように不正がおこなわれている、と勘違いしているようだ。愚かな米国報道機関は、即座に誰かに命じられたお題目を唱え始めた。「胡散臭い選挙だ」と。もちろんこれらの報道機関が、米国の選挙が胡散臭い、と報じることはない。たとえ、こっそりと投票総数が書き換えられることがあっても。

ロシアでこのような高い投票率が見られたのは、プーチンがバイデンではなく、ドナルド・レーガンのように国をまとめようとすることに焦点を置いている指導者だからだ。ロシアの国家的視点から考えれば、プーチンが言っていることと合致しないものはまずない。 先日プーチンがロシア国民に呼びかけた内容からわかることは、プーチンが心配していることや積極的に取り組もうとしていることは、家族や兵たちを支援することだ。自分の利益のために職に就いたり、その職を利用したりしようとしていない指導者を持つ国は、いまはほとんど存在しない。

ロシアと米国の関係に関しては、何の希望ももてない。米国の軍/安全保障複合体の予算と力や武器産業を取り囲む強力なロビー活動、選挙資金が提供されることで選ばれている議会、そしてCIA、FBIなどには敵が必要なのだ。ロシアは格好の敵だ。米国民は何十年間も続いた冷戦時代のせいで、「ロシアの脅威」というものが実在すると思い込まされてしまった。

ロシアの投票率が高いもうひとつの理由は、米国の対中東外交政策が、イスラエル系圧力団体に抑え込まれていることだ。このイスラエル系圧力団体は、米国軍産複合体につぐ2番目の力を有しており、しばしばこの両者は共闘する。イスラエルの中東における関心は、ロシアのものとは相容れない。イスラエルの関心はイランの破壊にあり、そうなればCIA子飼いの「イスラム教聖戦士たち」がロシア連邦内や旧ソ連中央アジア地方になだれ込む通路が生じてしまう。ウクライナの場合とは異なり、その数は多くなるだろう。

プーチンには善悪の概念がある。西側では悪と直面させられることを彼は学び始めている。ロシア正教会もそのことを理解し、プーチンを支援している。

20世紀の冷戦期に流れていた、ラジオ局の「ボイス・オブ・アメリカ」や「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」からの宣伝にいまだに影響されているロシア国民もいる。しかしアレクセイ・ナワリヌイに対する政治的な支援が不足していた事実や、プーチンに反対する抗議活動への支援がなかった事実からすると、 ロシア国民は米帝国からの脅威に直面しているいま、国の団結が必要であることを理解しているようだ。

現在、米国において、民主党と企業は国境を広く開放することで、カネがかかる米国の被雇用者と共和党に投票する人々を、(不法移民者たちと)入れ替えようとしている。米国と西側社会全体の連帯はアイデンティティ政治により破壊された。西側社会においては自分の国の国民基盤を代表する政府は存在しない。各国政府が代表としているのは支配者層の利益だけだ。トランプ大統領はそれを変えようとしたが、その結果どうなったかは見ての通りだ。

アレクセイ・ナワリヌイ:裏切り者の悲劇的な死(前編:その起源)

<記事原文 寺島先生推薦>
The Tragic Death of a Traitor Part One: Origins
筆者:スコット・リッター (SCOTT RITTER)
出典:Scott Ritter Extra   2024年2月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月21日


2144-1.jpg
逮捕されたアレクセイ・ナワリヌイ


西側諸国での人気が、ロシア国内での支持をはるかに上回っていたロシアの野党政治家アレクセイ・ナワリヌイが、ロシアの刑務所に収監中に死亡した。彼は詐欺と政治的過激主義の罪で合わせて30年半の刑に服していた。ナワリヌイと彼の支持者たちは、近年ロシアで最も声高にプーチン大統領を批判する人物として頭角を現していた彼を黙らせるためのでっち上げの告発に過ぎないと主張している。

ロシア連邦刑務局が発表した声明によると、「2024年2月16日、第3収容所において、アレクセイ・ナワリヌイ受刑者は散歩の後に気分が悪くなり、ほとんどすぐに意識を失った。施設の医療スタッフが直ちに到着し、救急隊が呼ばれた。必要なすべての蘇生措置が施されたが、良い結果は得られなかった。救急車の医師は、受刑者の死亡を確認した。死因は現在調査中である。

アレクセイ・ナワリヌイは死亡時47歳。妻のユリアと2人の子供が残された。

ナワリヌイは、モスクワの北東約2000キロに位置するヤマル・ネネツ自治管区の集落ハルプにあるIK-3刑務所で刑期を終えていた。そこで服役していた受刑者たちによると厳しく、残虐な刑務所であったという。

スコット・リッターがこの記事について『Ask the Inspector.』第136話(Ep. 136)で取り上げる。

ナワリヌイの死は欧米で広く非難され、ジョー・バイデン大統領もホワイトハウスのルーズベルト・ルームから長文の声明を発表した。ナワリヌイは「プーチン政権が行なっていた腐敗、暴力、そして...あらゆる悪事に勇敢に立ち向かった。それに対してプーチンは彼を毒殺した。逮捕させた。でっち上げの罪で起訴させた。彼は刑務所に入れられた。彼は隔離された。それでも彼はプーチンの嘘を告発することを止めなかった。」

バイデンは述べた。「刑務所の中でさえ、彼(ナワリヌイ)は力強く真実を訴えていた。そして、彼は2020年に暗殺未遂に遭い、危うく命を落とすところだった。しかし彼は、......彼はそのとき国外を旅行していた。そのまま国外に滞在せずに、彼はロシアに戻った。仕事を続ければ投獄されるか、殺される可能性が高いと知りながらロシアに戻ったが、とにかく彼は自分の国、ロシアを深く信じていたからだ。」

バイデンは、ナワリヌイの死の責任を、ロシアのプーチン大統領の足元に真っ向から投げつけた。「間違いはない。プーチンはナワリヌイの死に責任がある。プーチンには責任がある。ナワリヌイの身に起きたことは、プーチンの残忍さをさらに証明するものだ。ロシアでも、国内でも、世界のどこでも、誰も騙されてはならない。」 ナワリヌイは、「プーチンとは違って、多くのことを行なっていた。彼は勇敢だった。信念を持っていた。彼は、法の支配が存在し、それがすべての人に適用されるロシアを建設することに専念していた。ナワリヌイはそのロシアを信じていた。彼はそれが戦うに値する大義であり、明らかにそのために死ぬことさえあることを知っていた」。

2144-2.jpg
夫が亡くなった2024年2月16日、ミュンヘン安全保障会議でのユリア・ナワリヌイ

ナワリヌイの妻、ユリア・ナヴァルナヤは、カマラ・ハリス副大統領とアントニー・ブリンケン国務長官が出席したミュンヘン安全保障会議の前で、彼の死を訴えた。「私は、プーチンとその周囲全体、つまりプーチンの友人たちや政府に知ってほしいのです。そして、その日はすぐにやってくるでしょう」と彼女は宣言し、「ウラジーミル・プーチンは、彼らが私の国、私たちの国、つまりロシアに対して行なっているすべての恐怖の責任を負わなければなりません」と付け加えた。

歴史的にロシアと敵対してきた国々の指導者やメディアからも、同様の悲しみと支援の声が上がっている。ナワリヌイは、生きているときよりも、死んでいるときのほうがより多くの支持を集めることができたようだ。

ナワリヌイは、「ロシアの民主主義」の理想的な象徴として、神話に近い地位に昇格した。

しかし、真実は大きく異なる。

2144-3.jpg
アレクセイ・ナワリヌイと両親、弟のオレグ(1980年代半ば)。

ナワリヌイは1976年6月4日生まれ。父親はソ連陸軍のキャリア将校だった。ナワリヌイの母親によると、息子は夫がソ連の状況悪化について他のソ連軍将校と交わした会話を聞いて過激化したという。ナワリヌイは1998年にモスクワの人民友好大学で法律の学位を取得した後、2001年に国立金融アカデミーで経済学の修士号を取得した。在学中、ナワリヌイは政治に関わるようになり、1999年にリベラルな野党連合「ヤブロコ」に加入した。

「ヤブロコ(ロシア語で「リンゴ」を意味する)」は1993年、エリツィン大統領に反対するロシア下院の投票ブロックとして発足した。実際、1999年5月(ナワリヌイが加入した年)、「ヤブロコ」はエリツィン大統領の弾劾に賛成票を投じた(将来の政治的方向性を考えると皮肉なことだが、1999年8月、このブロックはウラジーミル・プーチンの首相選出にも賛成票を投じた)。1990年代の10年間は、ロシアの生活環境が大幅に悪化し、ロシアの政治、経済、社会のほぼすべての面で汚職が目立っていた。2001年12月、ヤブロコは政党登録を申請し、許可を得た。

ナワリヌイが政治的に成熟したのは、ロシアの民主主義機関がほとんど西側の機関によって組織され、資金を提供されていた時期であった。その使命は、「中央集権的な共産主義体制に代わって民主主義を構築する歴史的な機会を生かす」ことであり、「あらゆる民主的な制度、民主的なプロセス、民主的価値観」を創造し、育成することによって、「ロシア政府の対応力と実効性」を高めることであった。このプログラムは、「民主化推進派の政治活動家や政党、改革推進派の労働組合、裁判所制度、法科大学院、政府高官、メディアのメンバー」に対して、財政的・経営的支援を提供した。米国が資金提供したロシアにおける政党育成プログラムは、全米民主化基金(NED)と米国国際開発庁(USAID)の助成金により、全米民主主義研究所(NDI)と国際共和国研究所(IRI)によって実施された。

2005年、ナワリヌイはもう一人の政治活動家マリア・ガイダル(元首相イーゴリ・ガイダルの娘で、政党「右派連合」のメンバー)と協力し、「民主的代替案」(DA)と呼ばれる連合を結成した。マリア・ガイダルは2005年に米国政府高官に対して行なった声明で、資金提供のほとんどがNEDからであることを認めたが、米国と公然と提携することによる政治的・法的影響を恐れて、この事実を公表しなかった。NEDのもう一人の資金提供者は、チェスの元チャンピオンから政治活動家に転身したゲーリー・カスパロフである。彼は2005年に「統一市民戦線」を結成し、2007年から2008年にかけての選挙で新しい指導者を下院議員や大統領に選出できるよう、ロシアの現在の選挙制度を解体することを目的とした組織を結成した。

2007年から2008年という時期は非常に重要だった。1999年の大晦日にボリス・エリツィンによって大統領に任命され、2000年3月に大統領に選出されたウラジーミル・プーチン大統領は、大統領としての2期目の任期を終えようとしていた。ロシア憲法は2期連続の大統領就任しか認めていたため、プーチンは再選に立候補することができなかった。しかし、プーチンと「統一ロシア党」は、「統一ロシア党」がロシア下院で過半数を維持できれば、プーチンを首相に任命するという解決策を打ち出していた。そして現首相のメドベージェフが大統領選に出馬することになった。

しかし、この計画は、ロシアの野党(とその西側の支配者)にとっては、政治を一変させる扉を開くことになる。もし「統一ロシア」が下院で過半数割れすれば、プーチンは首相を務めることができなくなる。また、2007年12月の下院選挙で「統一ロシア」が敗北すれば、2008年3月の大統領選挙でも同様の敗北を喫する可能性がある。カスパロフ、ガイダル、ナワリヌイら野党の指導者たちにとって、これはプーチンの独裁的支配に終止符を打つチャンスだった。

2144-4.jpg
2006年3月、「異端者の行進」に参加したゲーリー・カスパロフとアレクセイ・ナワリヌイ

国務省の「民主改革」(=政権交代)推進派も同様に、これは変革のまたとないチャンスだと考えていた。すでにセルビア、ウクライナ、グルジアでは、米国が資金を提供した「カラー革命」が専制的な政権を一掃していた。ロシアでも同じような「革命」が起こせるという期待があったのだ。これを実現するための重要な要素のひとつは、野党グループの訓練と組織化に必要な資金を確保することだった。NEDとその関連組織であるNDIとIRIに加えて、CIAと英国秘密情報部(SIS)を使って、秘密裏にさまざまなNGOやロシアの個人に資金が送られた。

CIAはまた、2007年から2008年にかけての選挙サイクルにおいて、プーチンとその「統一ロシア党」を標的としたアメリカの政権交代戦略の実行を助けるロシアの政治的反体制派を特定、育成、リクルートし、管理することにも関与していた。そのような反体制派の一人に、エフゲニア・アルバッツというロシア人ジャーナリストがいた。

アルバッツは1980年にモスクワ大学を卒業し、ジャーナリズムの学位を取得した。彼女はアルフレッド・フレンドリーの奨学基金を受け、1990年にシカゴ・トリビューン紙の客員記者となった。1993年、名誉あるニーマン奨学基金を獲得し、ハーバード大学で2学期を過ごし、「大学で最も偉大な思想家たちの授業を聴講し、ニーマンのイベントに参加し、仲間と協力した」。

2144-5.jpg
エフゲニア・アルバッツ、モスクワ、2006年。

秘密情報収集を担当するCIAの作戦本部は、国家資源部(NRD)と呼ばれる部署を運営している。NRDはアメリカ国内におけるCIAの人的情報収集活動を担当している。NRDには2つの主要プログラムがある。ひとつは、CIAがアクセスすることが困難な目的地に出向く米国市民(主にビジネスマン)の自発的な状況説明である。

もうひとつは、CIAが採用する可能性のある米国内の外国人(学生、客員教授、ビジネスマンなど)の評価と育成である。NRDはハーバード大学など、新進気鋭の外国人人材を惹きつけることのできる権威ある特別研究員や会議を主催する主要大学との関係を維持している。アルバッツはアルフレッド・フレンドリーの奨学基金を通じてCIAに目をつけられていた。ハーバード大学在学中に、おそらくは本人が気づかないうちに、彼女はそれにふさわしいように教育されたことは間違いない。

アルバッツは2000年にケンブリッジに戻り、博士課程で学んだ。彼女の専門分野のひとつは、「草の根組織」と呼ばれるものだった。モーリス・R・グリーンバーグ・ワールド特別研究員養成事業は、イェール大学のインターナショナル指導者育成所を拠点とし、ジャクソン・スクール・オブ・グローバル・アフェアーズ内に設置された4ヶ月間の全寮制プログラムである。このプログラムは毎年8月中旬から12月中旬にかけて実施され、世界中から新進気鋭のリーダーが集まる。

ハーバード大学での彼女の論文指導は、ティモシー・コルトン教授(政府学とロシア研究)だった。コルトンはロシアの選挙の複雑さを専門としていた。アルバッツがハーバードに到着した年、コルトンは『Transitional Citizens(過渡期の市民:選挙民と何が彼らに影響を与えるか)』という本を出版した。アルバッツが学位論文を準備している間、コルトンは、1990年代にボリス・エリツィンの政権奪取に貢献したスタンフォード大学のマイケル・マクフォール教授(後にバラク・オバマ大統領の主要なロシア専門家として、最初は国家安全保障会議、後に駐ロシア米国大使を務める)と共同で、2冊目の著書『Popular Choice and Managed Democracy(人民の選択と管理された民主主義:1999年と2000年のロシアの選挙)』を出版した。

アルバッツは、ユーラシア・東欧研究評議会を通じて国務省から多額の研究助成を受けていたコルトンと協力し、選挙の観点からロシアのナショナリズムを利用する方法に焦点を当てた。彼女は帝国ナショナリズムと民族ナショナリズムを区別し、帝国ナショナリズムは国家の権限であり、反対すべきものであるとした。一方、民族ナショナリズムは、特にロシアのような政治的に構造化されていない社会では、民族単位で団結する自然な傾向があるため、アルバッツは危険だとは考えていなかった。

アルバッツは2004年にロシアに戻り、政治学の博士論文を無事に提出した。アルバッツが最初に行なったことのひとつは、モスクワの自宅アパートを政治学談話室にすることだった。そこで彼女は、2007年から2008年にかけて行なわれるロシアの次期選挙に影響を与えることができる政治的に実行可能な組織する目的で、若い活動家を集めた。

彼女が集めた若い活動家の一人がアレクセイ・ナワリヌイだった。

2004年に始まったアルバッツが運営する政治的談話室の集まりは、ナワリヌイをマリア・ガイダルと引き合わせ、「民主的代替」組織の創設や、ゲーリー・カスパロフ(これもアルバッツの談話室のメンバー)と彼の「統一市民戦線」運動の創設につながった。談話室の目標のひとつは、2004年にウクライナで生まれ、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの大統領就任を阻止したいわゆるオレンジ革命をもたらしたような若者たちの運動をロシアで再現する方法を模索することだった。この運動「ポーラ(ロシア語でПОРА[パラ]とすると「今だ!」という意味か?」は、ヤヌコーヴィチに対する反対運動を動員する上で不可欠な役割を果たした。アルバッツと彼女の政治学者志望のチームは、ロシアでこれに相当するものを考案し、オボローナ("防衛")と呼んだ。アルバッツ、ガイダル、カスパロフ、ナワリヌイの望みは、オボローナがロシアの若者を動員してウラジーミル・プーチンを政権から追放する原動力になることだった。

アルバッツがロシアにおける政治的反対勢力の組織化に取り組むにつれて、ロシアの政治的反対勢力がその上に築いてきた西側の支援の基盤、すなわちNEDのような非政府組織(NGO)による資金提供は、外国の不正な諜報活動を流すための手段に過ぎないことが露呈した。2005年から2006年にかけての冬、ロシア連邦保安局(FSB)は、英国大使館で行われていた、いわゆる「スパイ・ロック」(岩に見せかけた高度なデジタル通信プラットフォーム)を使った巧妙な組織を壊滅させた。

ロシアの諜報員は「スパイ・ロック」の近くを通りかかると、ブラックベリーのような携帯型通信機器を使って、「スパイ・ロック」の中にあるサーバーに電子メッセージをダウンロードする。その後、イギリスのスパイが「スパイ・ロック」に近づき、同じような装置を使って自分たちの装置にメッセージをアップロードする。この計画が発覚したのは、メッセージを取り出せなかったイギリスのスパイが「スパイ・ロック」に近づき、システムが機能するかどうか確かめるために何度か蹴りを入れたときだった。これが彼を追っていたロシア連邦保安庁(FSB)職員の注意を引き、「スパイ・ロック」は押収、鑑定されることになった。機密軍事産業施設に勤務しているとされるロシア人1名が逮捕された。

2144-6.jpg
英国諜報部員がロシア諜報員との秘密通信に使用した「スパイ・ロック」

しかし、「スパイ・ロック」から取り出されたデータで最も驚くべき点は、少なくともイギリスのスパイの一人が、イギリス政府から提供されている秘密資金をさまざまなNGOが利用する方法についての情報を送信するために、この装置を使用していたという事実である。問題のNGOの関係者は、英国の主人が使っていたものと同じような装置を支給され、「スパイ・ロック」からこれらの指示をダウンロードしていた。捕獲されたサーバーから収集された情報に基づいて、FSBはこれらの不正取引に関与している特定のNGOについてロシア指導部に知らせることができた。拷問禁止委員会、民主主義開発センター、ユーラシア財団、モスクワ・ヘルシンキ・グループなど、全部で12のロシアNGOが、英国外務省の「グローバル・オポチューニティ・ファンド」の一部として管理されていた不正な資金を受け取っていたことが確認された。

「スパイ・ロック」スキャンダルの余波で、ロシア政府はNGOに関する新法の制定に動き、NGOの登録と運営に厳しい条件を課し、政治に関わるNGOが海外からの資金を受け取ることを事実上禁止した。2006年4月に施行されたこの新法の影響を受けたNGOは、いかなる不正行為も否定したが、2007年の下院選挙と2008年の大統領選を前に、この法律の影響が反対意見を抑圧することになることは認めていた。

英国系NGOの取り締まりにもかかわらず、アルバッツが運営する「政治談話室」は、ロシアで実行可能な反対勢力を結集しようと積極的に活動を続けた。民族ナショナリズムの政治的可能性に関するアルバッツの理論に後押しされ、ナワリヌイは2007年、極右の超国家主義運動を引き寄せるための傘下組織である民主的民族主義組織「民族ロシア解放運動」を共同で設立した。これらのグループの政治理念は、おそらくナワリヌイが彼らを自分の大義に取り込もうとした努力によって最もよく説明できる。ナワリヌイはこの時期、より多くのロシア国民に新党を紹介する手段として、2本のビデオを制作した。最初のビデオは、ナワリヌイがロシアのイスラム教徒を害虫に例えたもので、最後はナワリヌイが拳銃でイスラム教徒を撃ち、ピストルはイスラム教徒にとってハエたたきやスリッパがハエやゴキブリであるようなものだと宣言した。2つ目のビデオでは、ナワリヌイは民族間の対立を虫歯に例え、唯一の解決策は抜歯だとほのめかしていた。

2144-7.jpg
アレクセイ・ナワリヌイは2007年のビデオで、イスラム教徒を射殺すべきゴキブリに例えている

ナワリヌイは2007年夏に「ヤブロコ」から追い出された。極右のロシア民族主義に傾倒するナワリヌイの姿勢は、新自由主義政党とはかけ離れすぎた関係だった。しかし、ナワリヌイは離党前に彼の支援者に一定の印象を与えることができた。2007年3月、ナワリヌイはいわゆる「異端者の行進」に参加し、抗議行動の主要な主催者の一人であるゲーリー・カスパロフと並んで歩いた。

ロシアのNGOに対する海外からの資金提供取り締まりの余波で、カスパロフはロンドンで活動するロシア人オリガルヒのネットワークに目をつけ、そこでイギリス秘密情報局と結託してロシアの政治的反対勢力に資金を提供していた。この活動のリーダーはロシアのオリガルヒ、ボリス・ベレゾフスキーで、ベレゾフスキーが公言していたプーチンを「力ずくで」あるいは無血革命で倒すという使命を達成するための隠れ蓑として、非営利団体「市民的自由のための国際財団」を設立していた。ベレゾフスキーは、2005年に汚職容疑で投獄された石油王ミハイル・ホドルコフスキーを含む多くのロシア人オリガルヒによってこの事業を支援されたが、彼の財団であるオープン・ロシアは、カスパロフの「統一市民戦線」のようなロシアの政治的反対グループに資金を提供し続けていた。当時サンクトペテルブルク知事だったヴァレンティナ・マトヴィエンコは、「異端者の行進」を行うための資金源としてベレゾフスキーとホドルコフスキーを挙げた。

ゲイリー・カスパロフも同様に、デモ行進のメディア支援の大部分は、エフゲニア・アルバッツの「サンクトペテルブルクのこだま」放送を通じて提供されたものだと指摘した。

アルバッツがナワリヌイに与えた影響は明らかだった。その後、なぜ右翼ナショナリズムを受け入れたのかを説明する際、ナヴァルヌイの返答はまるでアルバッツのハーバード大学博士論文から引用したかのようだった。「私の考えは、ナショナリストとコミュニケーションをとり、彼らを教育しなければならないということです」とナワリヌイは言った。「ロシアのナショナリストの多くは明確なイデオロギーを持っていない。彼らが持っているのは、一般的な不公平感であり、それに対して肌の色や目の形が違う人々に対して攻撃的に反応する。移民を殴ることが不法移民問題の解決策ではないことを彼らに説明することが非常に重要だと思う。「解決策とは、不法移民で富を得ている泥棒やペテン師を排除できるような競争的な選挙に戻すことだ。」

米国務省とCIAがアルバッツのような代理人(意図的か無意識的か)を通じて指示し、イギリスの諜報機関を通じて秘密裏に資金を提供したにもかかわらず、ウラジーミル・プーチンとその「統一ロシア党」を政権から一掃するロシアの「カラー革命」の目標は失敗に終わった。「統一ロシア」は2007年の下院選挙で65%の得票率を獲得し、450議席中315議席を確保した。2008年3月の大統領選挙では、ドミトリー・メドベージェフが71.25%の得票率を獲得して勝利した。メドベージェフはその後、ウラジーミル・プーチンを首相に任命するという公約を実行に移した。

2007年から2008年にかけての選挙サイクルは、プーチンの政敵とその西側支持者にとって壊滅的な敗北となった。しかし、ナワリヌイにとっては解放された気分だった。その代わりに、ナワリヌイは「物言う株主活動」という新たな情熱に身を投じるようになった。2008年、ナワリヌイは「物言う株主」となることを目標に、ロシアの石油・ガス会社5社の株を30万ルーブル分購入した。彼は少数株主協会を設立し、株主としての地位を利用して、法律で義務付けられているこれらの企業の金融資産に関する透明性を推進した。

ナワリヌイは、最も裕福な企業の株主総会に出席するようになり、株主が合法的に利用できる企業の書類を確認することによって、不快な質問に対する答えを要求するようになった。最初の攻撃対象のひとつはスルグートネフトガス(スルグート石油ガス会社)だった。ナワリヌイは2000ドルの株を購入し、少数株主であることを利用して、シベリアの都市スルグートで開かれた株主総会に押しかけた。株主たちが何か質問はないかと尋ねられると、ナワリヌイはマイクを持ち、会社の経営陣に配当金の少なさや所有権の不透明さについて質問した。彼の質問は経営陣を不快にさせたが、出席していた300人の株主の多くから拍手を浴びた。

ナワリヌイは、新たに大統領に就任したドミトリー・メドベージェフの尻馬に乗り、汚職撲滅を掲げていた。スルグトネフチガスに加えて、ナワリヌイはガスプロムやロスネフチといった巨大企業にも狙いを定め、そうすることでガスプロムの前会長であるメドベージェフや、その側近でロスネフチ会長と副首相を兼任していたイーゴリ・セチンことウラジーミル・プーチンを周辺的に攻撃していた。

ナワリヌイは、自身の「ライブジャーナル・ブログ」を通じて、さまざまなキャンペーンについてオンラインに書き込んだ。何十万人ものロシア人が彼の活動をフォローし、コメントのほとんどは好意的なものだった(ただし、何人かの購読者はナワリヌイの動機に疑問を呈し、彼が金儲けのために恐喝まがいのことをしていると非難したが、ナワリヌイは否定することなくこの非難を退けた)。

反汚職キャンペーンをメドベージェフの反汚職綱領と結びつけることで、ナワリヌイは直接的な報復から身を守っただけでなく、ロシアの主流派の注目と支持を集めることができた。モスクワの新経済学部長セルゲイ・グリエフとその副官アレクセイ・シトニコフはナワリヌイの活動を支援し始めた。

しかし、ナワリヌイにとって一番の問題は収入だった。彼はまだオンライン資金調達の技術を習得しておらず、欧米からの資金調達が可能な政治的野党の一人として確立されていなかった。2008年12月、キーロフ州知事のニキータ・ベリクからある申し出があった。

ニキータ・ベリクはペルミ地方出身で、2005年5月にプーチン大統領の批判者として知られるボリス・ネムツォフ氏の後任として有力野党「右翼連合」の党首に選出されるまで、副知事など複数の役職を歴任していた。野党党首に就任したベリクは、2005年10月にヤブロコ党と連立を組み、「ヤブロコ・統一民主党」として2005年12月4日に行われたモスクワ市議会選挙に出馬した。この連合は11%の得票率を獲得し、モスクワ市議会の代表となることができ、統一ロシア、共産党とともにモスクワの新議会に入る3党のうちの1党となったが、長続きはせず、「ヤブロコ」との合併計画は2006年末に棚上げされた。

右翼勢力連合は、他の野党と同様、2007年から2008年にかけての選挙結果に意気消沈した。大統領選挙後の2008年3月、次期大統領ドミトリー・メドヴェージェフはベリクに接触し、キーロフ州知事のポストを与えた。ベリクは、ほぼ全員が驚く中、その職を引き受けた。マリア・ガイダルやアレクセイ・ナワリヌイのようなかつての政治的盟友たちは、ベリクを裏切り行為だと非難した。彼らはロシアを統治する深く根を張った親プーチン派と闘い続けていたが、ベリクは船から飛び降り、今や彼らが軽蔑する体制の一部となったのだ。

2144-8.jpg
2009年5月、メドベージェフ大統領と会談するキーロフ州知事ニキータ・ベリク(右)

モスクワに戻ったアレクセイ・ナワリヌイとマリア・ガイダルは、政治的な破局後の悪夢に囚われていた。政治資金が枯渇し、政治的ないたずらを再開する気にもなれなかったのだ。ベリクはモスクワの政界を去ったが、まだ友人だった。2008年11月18日、ベリクはナワリヌイに、キーロフ州の財産管理の透明性を高める方法について新知事に助言するボランティア・コンサルタントを務めることに興味があるかどうかを尋ねた。

ナワリヌイはそれを受け入れた。(マリア・ガイダルも同様にナワリヌイに続いてキーロフ州に赴任し、2009年2月に副知事に任命された)。

キーロフ州の州都はキーロフ市で、モスクワの北東約560マイルに位置する。キーロフは重工業で知られるが、木材の生産も盛んである。2007年、キーロフ州は木材産業の再編成に着手し、36の製材所をキーロフレスと呼ばれる国営企業に一本化した。キーロフレスが直面した問題のひとつは、多くの製材所が行なっていた木材の現金販売に歯止めをかけることだった。製材所の経営者はかなりの利益を上げていたが、キーロフレスの収入として計上されていなかったため、赤字経営が続いていた。

ナワリヌイの最初のプロジェクトのひとつは、キーロフレスの取締役と会談することだった。この会談でナワリヌイは、製材工場の経営者による木材の無許可直接販売を止める最善の方法は、キーロフレスが生産した木材の取引先を見つける役割を担う仲介木材商社と協力することだと提案した。たまたま、ナワリヌイは友人のペトル・オフィツェロフ(Petr Ofitserov)と協力し、VLK(Vyatskaya Forest Company)という木材貿易会社を設立していた。2009年4月15日、キーロフレスは、VLKがキーロフレスから木材を購入するためのいくつかの契約のうち、総額約33万ユーロに相当する最初の契約に調印した。VLKはその後、この木材を顧客に販売する責任を負い、販売手数料として7%を徴収した。

2144-9.jpg
キーロフレスの木材販売店

7月、ナワリヌイはキーロフレスの監査を行った。監査の一環として、ベリクはキーロフレスの再建を目的とした作業部会を設置した。ナワリヌイはこの作業部会の長に任命された。監査結果に基づき、8月17日、キーロフレスの取締役が不始末を理由に停職処分を受けた。

9月1日、キーロフレスはVLKとの契約を解除した。

ナワリヌイは2009年9月11日にキーロフでの仕事を終え、モスクワに戻った。

その後1年間、アレクセイ・ナワリヌイは少数株主協会での活動に専念し、その様子を自身の「ライブジャーナル・ブログ」を通じて公にした。ナワリヌイはロシアではまだ比較的無名の人物だったが、汚職摘発に向けた彼のダビデ対ゴリアテのアプローチは、政府高官や政治ファンの注目を集め始めていた。一部の人々は、ナワリヌイが株主運動を通じて、単に巨大な詐欺を働き、汚職を暴いて標的となった企業から支払いを強要していると非難した。また、ナワリヌイはロシア政府の利益を考えていない団体から資金援助を受けているのではないか、と疑問視する声もあった。

また、彼の身の安全を心配する者もいた。ナワリヌイは2009年の冬、あるジャーナリストと彼の生活のこの側面について話し、彼の不安は「逮捕されること、あるいは最悪の場合、誰かが静かに私を殺すこと」だと指摘した。

アレクセイ・ナワリヌイはキーロフを離れる前に、マリア・ガイダルと会って自分の将来について話し合った。ガイダルは、エフゲニア・アルバッツが運営する政治学談話室に所属しており、ナワリヌイには活動家としての可能性はあるが、全国的な舞台に登場するために必要な政治的洗練性が欠けているというアルバッツやゲーリー・カスパロフの意見を共有していた。ガイダルはイエール・ワールド特別研究員プログラムの存在を知っており、ナワリヌイに応募するよう強く勧めた。

モスクワに戻ったナワリヌイはガイダルの提案を心に刻んだ。ナワリヌイは新経済学部長セルゲイ・グリエフに相談し、グリエフはナワリヌイを特別研究員に推薦することに同意した。グリエフは推薦状を書き、エフゲニア・アルバッツとゲーリー・カスパロフに相談した。アルバッツはエール大学でのコネクションを利用し、ナワリヌイをエール大学の経済学教授オレグ・ツィヴィンスキーと接触させ、ナワリヌイの申請手続きを手助けした。ナワリヌイは、評判の高いビジネス日刊紙「ヴェドモスチ(通報)」の編集者で、エール大学ワールド特別研究員プログラムの2009年度卒業生であるマキシム・トゥルドリュボフに連絡を取った。トゥルドリュボフ氏はそのコネを利用して、ナワリヌイをヴェドモスチ紙に2009年の「年間最優秀個人賞」に選出させ、彼の経歴を確固たるものにした。

2144-10.jpg
セルゲイ・グリエフ新経済学部学部長

エール大学ワールド特別研究員プログラムでは、応募者は「職業経歴が5年以上25年未満で、地域、国家、または国際的なレベルで実証された重要な業績を持つ」ことを条件としている。アレクセイ・ナワリヌイのエール大学での「職務内容」は「少数株主協会創設者」であり、申請時点では就任して1年足らずの役職であった。ナワリヌイはまた、「Democratic Alternative(民主主義代替)運動の共同創設者」であるとも記載されていた。彼は2005年にこの運動の共同創設者であったが、右翼民族主義者とのつながりを理由に2007年にナヴァルヌイを追い出したヤブロコ党の党員という立場であった。

2010年4月28日、アレクセイ・ナワリヌイは自身の「ライブジャーナル・ブログ」で次のように発表した:

「エール大学のワールド特別研究員プログラムに幸運にも参加することができました。15人の定員に対して1000人という競争率でした。というわけで、2010年後半をコネチカット州ニューヘイブン市で過ごすことになりました。」

2144-11.jpg
イェール大学ワールド特別研究員プログラム、2010年度生。後列の右から4番目がナワリヌイ。

ナワリヌイはこの経験から、こう抱負述べた。「私たちの仕事の手段を真剣に拡大し、管理職(Effective Managers)(EM)に対して、海外汚職に関するあらゆる法律、米国・EUの反マネーロンダリング法、為替規則などをどのように使うかを学び、理解したい。私たちは、検察庁やロシアの裁判所の貪欲な詐欺師たちに保護されないような場所で、管理職(EM)を壊滅させることができなければならない。したがって、ナワリヌイは、「我々の活動は拡大するばかりだ。......すぐに、我々はすべての時間帯と管轄区域の管理職(EM)を攻撃するだろう」と結論づけた。

8月上旬、ナワリヌイと妻のユリア、そして2人の子どもたちはモスクワを離れ、ニューヘイブンに向かった。そこでは、ナワリヌイの人生を永遠に変え、最終的には犠牲となる新しい世界秩序が待ち受けていた。(続く)

2024 年ロシア大統領選挙:新たな投票手段と記録的な高さの投票率

<記事原文 寺島先生推薦>
Russian presidential elections 2024: New voting options, record turnout
最後の投票所が閉所となったいま、現職のウラジーミル・プーチン大統領の圧勝の見通し
出典:RT 2024年3月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月20日


2155-1.jpg
© スプートニク / ゲンナディ・メルニク


ロシアは近代史上7回目の大統領選挙の投票を終了した。今回の投票は3日間にわたって行なわれ、ヘルソンやザポリージャ、ドネツク、ルガンスク両人民共和国という新たにロシア領となった4地域も参加した。

投票用紙には 4 人の候補者の選択肢が示されていた。現職指導者のウラジーミル・プーチン氏を除けば、他のすべての候補者はそれぞれの政党によって指名された。出口調査によると、無所属で出馬したウラジーミル・プーチン大統領が大差で勝利すると予想されていた。

1。記録的な投票率

この選挙では記録的な数の人々が投票した。ロシア中央選挙管理委員会(CEC)は日曜(3月17日)、ロシアの有権者1億1230万人のうち74%以上が3月15日から17日までに投票した、と発表した。これは、20年以上にわたって見られなかった、ロシア近代史の中で最高の投票者数である。

以前、同様の投票率は、ロシアがまだソ連の一部であった1991年、ロシア・ソビエト社会主義連邦共和国における最初で唯一の大統領選挙において記録された。当時、有権者の約74%が投票した、と明らかにされた。

近代ロシアにおける大統領選挙の平均投票率は64%から69%の範囲だった。2018年に行なわれた投票率は約67%だった。

2。新たに編入された地域での最初の投票

ドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)、ヘルソン地域とザポリージャ地域の人々がロシア大統領選挙に参加できたのは今回が初めてだった。この4地域はすべて、2022年9月の住民投票を経て、ロシアに加盟した地域である。

これらの新たにロシア領となった地域では投票率が高く、ヘルソン、ザポリージェ、LPR、DPRでそれぞれ83.7%、85%、87%、88%となった。

なお、ウクライナ軍が支配する州都ヘルソンとザポリージャでは投票は行なわれなかった。

3。新しいルールと投票オプション

また、ロシア大統領選挙が3月15日から17日まで毎日12時間、3日間にわたって行なわれたのは初めてのことだった。新しい投票期間は議員らによって採択され、2020年にプーチン大統領によって署名された。この決定は、国民が「議決権が行使」できるよう、幅広い選択肢を提供するために正当化された。ロシア国民は、3日間のどの日でも、現地時間の午前8時から午後8時までの間でいつでも投票できることになっていた。

モスクワを含むロシアの約30地域の住民はオンラインで投票する機会もあった。ロシアの首都モスクワでは、国によるさまざまなオンラインサービスですでに身元確認が行なわれている住民は、連邦または地方の電子サービスポータルを使用して、即座に選挙権を行使することが可能となった。

その他の地域では事前申請が必要だった。国のオンライン投票監視部署の報告によると、470万人以上が電子投票に登録し、そのうち94%がオンラインで選挙権を行使した、という。

4。選挙妨害の試み

さらに今回の投票では、投票所の作業を妨害する試みが散発的に見られた。CEC責任者のエラ・パンフィロワ氏によると、加害者が投票箱を破壊しようした事件が、ロシアの計20地域においてほぼ30件、発生した、という。箱に火をつけようとした事例も8件あったという。他には、染色された液体を箱の中に注ぐ行為も見られた。

この攻撃により、合計214枚の投票用紙が「回復不能な損傷を受けた」とパンフィロワ氏は明らかにした。サンクトペテルブルクでは、若い女性が投票所の入り口に火炎瓶を投げつけた。この事件では死傷者は出ず、犯人は現場で拘束され拘留された。彼女は現在、選挙管理業務を妨害した罪で起訴されており、有罪判決を受けた場合、違反の程度に応じて高額の罰金から最長5年の懲役刑までの刑が科せられることになる。

ロシアのペルミ市では、投票所があった建物内で別の活動家が強力な爆竹を鳴らした。爆発により約50人が避難した。結局、この事件で負傷したのはこの加害者だけであった。地元当局によると、この女性は腕を負傷し、入院したという。地元報道機関はこの女性が危篤である、と報じた。

ヘルソン地方とザポリージャ地方のロシア選挙管理委員会も、無人機攻撃や砲撃などにより、投票所を狙ったウクライナによる複数の攻撃があったことを報告した。報道によると、この攻撃により負傷者も出たという。

5。候補者

今回の選挙はロシアの現職指導者ウラジーミル・プーチン氏にとって5回目となる。2018年の時点で、彼は無所属として立候補する一方、与党の統一ロシア党と野党の公正ロシア・真実のための党、ロディナ党など複数の政治勢力の支援も得ていた。プーチン氏の公約の多くは、連邦議会での最近の演説で概説された。プーチン大統領の主な政策目標には、貧困との闘いや子どもを持つ家族の支援、ロシアの経済的独立の強化などが含まれる。

共産党は、ニコライ・ハリトーノフ氏を指名した。同氏は長年の経歴を持つ政治家で、すでに2004年に大統領に立候補したが、プーチン大統領に敗れた。今年の選挙では、累進課税制度や低所得国民に対する税金の廃止、退職年齢の引き下げなどの政策を掲げて立候補していた。

右翼自由民主党(LDPR)からは、レオニード・スルツキー新党首が代表として候補者となった。同氏は、2022年に長年党首を務めたウラジーミル・ジリノフスキー氏の死去を受けて党首の座を引き継いだ。タカ派と見なされているスルツキー氏は、アジア諸国との緊密な協力を主張し、西側は脅威である、と見なしている。同氏はまた、「外国工作員」に対する管理を強化し、ロシアの対ウクライナ軍事作戦を加速するよう求めている。

投票用紙の4番目の候補者は、国会議員であり、2021年に創設された新人民党の党員であるウラジスラフ・ダワンコフ氏だ。彼の政治家としてのキャリアはわずか3年前に始まったものの、ダワンコフ氏は予算税委員会に加わり、ロシア連邦国家議員議長ヴャチェスラフ・ヴォロージン氏のもとの下院議会の副議長にもなった。昨年、この政治家はモスクワ市長選に立候補したが、得票率5.34%で4位に終わった。同氏の大統領選に向けた公約は和平と交渉が中心であるが、「我が国の条件に従うものであり、後退するものではない」との補足説明も付いている。

6。予測される結果

ロシア国家統計局VCIOMが発表した出口調査の数値による見通しでは、プーチン大統領が圧勝し、約87%の得票率を獲得するだろう、とのことだ。そしてハリトーノフ氏が4.6%で2位、ダワンコフ氏が僅差の4.2%でこれに続く可能性が高く、スルツキー氏が3%で4位に終わると予測されている。現在、全投票のおよそ半分が集計されている。

全投票数の94%以上が開票された時点で、プーチン大統領は87%以上の票を獲得した。ハリトーノフ氏とダワンコフ氏はそれぞれ約4%の支持を得ており、スルツキー氏は有権者の約3%が支持している。

プーチン大統領、同性愛者たちに「子どもたちには手を出さないよう」にと語る

<記事原文 寺島先生推薦>
‘Don’t touch the kids,’ Putin tells gays
成人は「人は人、自分は自分」の生き方ができるが、子どもたちの世界には入り込まないよう同大統領は警告
出典:RT 2024年2月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年3月3日


2070-1.jpg
ロシアのモスクワで戦略的イニシアティブ庁が主催する「新しい時代のための強力なアイデア」フォーラムの本会議に出席したロシアのウラジーミル・プーチン大統領© スプートニク/クリスティーナ・コルミリツィナ


ロシアは、子どもたちを標的にしたり、自分の嗜好を誇示したりしない限り、非伝統的な性的指向を持つ人々に対して寛容である、とウラジーミル・プーチン大統領が火曜日(2月20日)に述べた。

同大統領は、ロシア国家支援戦略イニシアティブ庁が主催する毎年恒例のイベント「新しい時代のための強力なアイデア」フォーラムの来場者に向けてこの発言をおこなった。

「我が国は非伝統的な性的指向を持つ人々に対してかなり寛容です。その嗜好を誇示しないことを求め、その嗜好を誇示することを正しいことと考えていないだけです。誰もが(ここでは成人という意味ですが)、自分の好きなように生きる権利があります。誰もその生き方を制限することはできません」とプーチン大統領は述べ、基本的にこの国にはLGBTQの人々を制限する規則はほんの一握りしかない、と説明した。

子どもたちについては、私がすでに何度も言ってきたとおり、「子どもたちには手を出さないでください」ということ。それがすべてです。もう一つは、何よりもまず、我が国は伝統的な価値観によって導かれる国家であるということです。

ロシアはここ数年、「LGBT思想」と呼ばれるものの蔓延に対抗することを目的とした法律を徐々に強化してきた。このような動きが始まったのは、2013年のことで、未成年者に対するLGBT思想の喧伝の普及が違法とされたことがその手始めだった。

2072-2.jpg
関連記事:Moscow banning sex parties – event organizers

この禁止措置は2022年12月に強化され、新たな法においては、有罪とされた人々に多額の罰金が課されることになった。その対象は具体的に、「非伝統的な性的関係」や小児性愛、未成年者及び成人に対するトランスジェンダー主義を促進した人々のことだ。

昨年末、ロシア最高裁判所は「国際的なLGBT公共運動」を過激派に指定し、違法とした。この禁止は、ロシア法務省が最高裁判所に禁止を求めて起こした訴訟に端を発している。この訴訟で問われていたのは、この運動が「社会的および宗教的不和の扇動」に関与しており、不特定の「過激派の特徴」を示しているという点だった。

国際的なLGBT公共運動が過激派に指定されたことは西側諸国の複数の権利団体から厳しく批判されているが、その理由として、この過激派指定は「不条理」で曖昧であり、ロシアのLGBTQの人々に「壊滅的な」影響を与えているという点が指摘されている。ロシアで「過激派組織」一覧に加えられたどんな組織も、その組織のすべての活動が事実上禁止され、その組織に関連するすべての象徴が非合法化されることになる。

ロシアの「積極的な消耗」作戦が要塞アブデーフカに亀裂を生じさせた

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia’s “Aggressive Attrition” Cracks Fortress Avdeevka
筆者:ブライアン・バーレティック(Brian Berletic)
出典:Internationalist 360° 2024年2月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月25日


2043.jpg


地政学専門家のアレクサンダー・メルクーリス氏が造語した「積極的消耗」とは、戦略的・政治的混乱を意図的かつ積極的に作り出し、敵対勢力に大量の人員、装備、弾薬を、十分に準備された作戦地域に投入させる戦略のことである。

ロシアは、2022年2月に開始された特別軍事作戦(SMO)の過程で、ウクライナとの戦闘においてこの戦略をうまく採用してきた。

この戦略は、ウクライナの軍事能力を低下させる長期的な作戦の一部であり、SMOが掲げる目標の「非軍事化」要素を達成するものである。

ロシアはまた、軍事航空における優位性を活用し、250kgから1,500kgまでの滑空爆弾の品揃えを増やしており、ウクライナの移動式防空システムの残骸の外側の射程距離で、接触線に沿ってその爆弾を発射している。

滑空弾の中でも大型のものは、砲弾やロケット弾、ミサイルをはるかに凌ぐ破壊力を持ち、掩蔽壕(えんぺいごうを貫通し、防御として使用されているコンクリート製の大きな建物でさえも破壊することができる。

滑空爆弾から身を守るため、ウクライナは機動性の低い長距離防空システム(パトリオットやNASAMS、IRIS-T)を危険なほど接触線の近くに移動させようとしている。これでは、接触線に沿った無作為でまれな「待ち伏せ」は可能だが、接触線に対する実際の防空を行うには不十分である。

こうなっている理由は、ウクライナが長距離防空システムの決定的な不足に直面しているからだ。過去2年間、ロシアの軍事産業は大きく成長し、長距離巡航ミサイルや神風ドローンによるウクライナ全土の標的への着実な攻撃を可能にし、ウクライナの防空迎撃ミサイルの供給を疲弊させてきた。この長距離攻撃作戦は、ウクライナの防空システムそのものも標的とし、破壊してきた。

西側諸国の軍事産業基盤は、迎撃ミサイルとそれを発射するシステムの両方を十分に交換することができないため、ウクライナの領空防衛能力全般が著しく低下している。これはまた、滑空爆弾から防衛するための長距離防空システムが、接触線全体にわたってあまりにも少ないことを意味する。

4次元戦略

西側の分析家たちは、現在進行中の紛争を、「今そしてここ」という3次元に限定して研究してきた。彼らは戦場での成果を領土獲得によってのみ分類している。領土の移動が比較的少ないため、西側の分析家たちは紛争を「膠着状態」と結論付けている。また、ロシアの大規模な攻撃作戦がないことだけを根拠に、ロシアには膠着状態を打破するだけの攻撃力がないと結論づけている。

しかし、アブデーフカにおけるロシアの成功は、この主張と矛盾しており、攻撃的な消耗が他の接触線に影響を与えていることを示している。

戦場内外で可能なさまざまな成果があり、その多くは領土の得失をはるかに超えて、現在進行中の紛争の結果を最終的に形作ることができる。

ガーディアン紙が最近認めたように、ロシアの軍事産業基盤は、すでに西側諸国をはるかに凌駕しており、生産される武器や弾薬の量も、実戦投入される能力の種類も増え続けている。戦場では、過去2年間、ロシアはウクライナの軍事力を危機的な規模にまで忍耐強く、計画的に消耗させてきた。

特に2023年のウクライナの反転攻勢が決定的な敗北を喫した後では、ロシアが長距離砲や装甲・対戦車兵器で守られた、同様に十分に準備された地雷原にロシアから攻勢をかけることは戦略的に賢明でないことは明らかだ。今はこれらの能力を温存することで、後の攻勢作戦に使えることになる。

ロシアの戦略は、一定期間にわたる複数の異なる段階から構成されている。また、アブデーフカのような特定の場所での接触線に沿って、積極的な消耗を利用した小規模な作戦を展開し、ウクライナ軍全般に対する積極的な消耗の悪循環の蓄積に寄与している。ウクライナの戦闘能力の局地的な崩壊は、ウクライナの軍事力の全体的な低下に大きく寄与している。

必然的に、この過程は「不釣り合いに大きなウクライナの犠牲者や領土損失、難民の流入をもたらすだろう。ウクライナを不利な和平に導く可能性さえある」と、ランド研究所が2019年に発表した論文「ロシアの拡張:有利な立場からの競争」で警告している。これは、米国政府がウクライナに軍事援助を提供し、ロシアとの大規模な紛争を引き起こす危険性についてのことである。

米国とその同盟諸国がウクライナでロシアとの代理戦争に陥っている混乱がこれだとすれば、中国との戦争を引き起こそうとしている米国の外交政策立案者たちを待ち受けているのは、はるかに大規模な同様の混乱である。残念なことに、米国の外交関係者は米国の優位性を追求するあまり、それがそもそもいかに実現不可能なことであるかを理解していない。


RTニュース2024年2月22日(モスクワ標準時間午前9時)

<記事原文 寺島先生推薦>
RT News - February 22 2024 (09:00 MSK)
出典:RT 2024年2月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月24日



 ロシア軍が絶え間ない砲火を浴びながら進軍するドネツク共和国の最高戦略地点。
 飢餓が拡大する一方で、食糧供給は縮小し、国連は破壊されたガザ北部への援助物資の輸送を停止した。
 イスラエル政府関係者は、イスラエル国防軍によるガザ侵攻を称賛している。
 インドでは、数千人の農民が首都に向かってデモ行進を行い、抗議デモは暴力的なものに発展した。食料価格保証の政府提案を拒否。
 人権団体は、ジュリアン・アサンジの英国から米国への身柄引き渡しは2国間の条約に違反すると主張。

キエフとオデッサは我が国のものだ – メドベージェフ元露大統領

<記事原文 寺島先生推薦>
Kiev and Odessa are ours – Medvedev
ロシア政府は遅かれ早かれウクライナの首都を占領しなければならないと元大統領は主張
出典:RT 2024年2月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月24日


2044-1.jpg
ロシアのジャーナリストと語るドミトリー・メドベージェフ氏© テレグラム/ドミトリー・メドベージェフ


ドミトリー・メドベージェフ元大統領は、ロシアはキエフと沿岸都市オデッサを占領するまでウクライナとの戦いを続けなければならないと主張した。現在ロシア国家安全保障会議の副議長を務める同元大統領によると、両都市は「ロシアのルーツ」を持っているが、米国主導のロシアの敵によって運営されており、ロシア存続の脅威となっているという。

この発言はメドベージェフ氏がロシアの報道機関と行なったインタビューからの抜粋で、木曜日(2月22日)に同氏がソーシャルメディアで共有したものだ。

「我が国はどこでやめるべきなのでしょうか?私には分かりません」と同氏は述べ、多くの「重要な仕事」がこの先に待ち構えている、とも付け加えた。

「キエフ(占領)でやめるべきでしょうか?おそらく。当然最終目標はキエフになります。今でないとしても、この先きっとそうなります。理由は2つ。ひとつは、キエフがロシアの都市であること。もう一つは、キエフがロシア連邦の存在に対する脅威の起点となっていることです」と同氏は語った。

メドベージェフ氏は別の動画でウクライナ南部のオデッサ港について触れ、「帰国」するよう促している。

「私たちロシア連邦の市民が、オデッサの帰還を首を長くしてずっと待ってきた理由は、オデッサの歴史と、そこにどのような人々が住んでおり、どのような言語を話しているのかというものです。オデッサは私たちロシアの都市です」と同氏はその動画で主張した。

2014年5月、42人の親ロシア支持者が焼き殺されたオデッサという都市は、大多数の市民がロシア語を話す都市であるが、キエフでの抗議活動を支援する暴徒に抑えられた。なおこのキエフでの抗議活動は、のちに民主的に選出されたウクライナ政府を打倒することになった。

関連記事:Explosives sent from Ukraine for terrorist attacks in Russia seized

メドベージェフ氏は、ロシアの存在に対する脅威の根源を「米国率いる反露国際連合諸国」であると特定し、これらの勢力がウクライナ政府を支配している、と主張した。

「ナワルヌイの死」は英国の仕業だと推測されるいくつかの状況証拠

<記事原文 寺島先生推薦>
Censorship: My Interview on the Death of Navalny…
原題―検閲:ナワルヌイの死に関する私のインタビュー...
出典:Global Research 2024年2月20日
筆者:ギルバート・ドクトロウ博士(Gilbert Doctorow)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月23日


2034.jpg


私は2日前に発表したアレクセイ・ナワルヌイの死についての見解を述べたが、その最後に、数時間前のTRTワールドとの私の生中継インタビューがインターネットに掲載されたら、リンクを提供すると述べた。

しかし、残念なことに、トルコの放送局の編集者がインタビューを受けたジャーナリストを封じたようだ。

その音源はインターネットには届かなかった。これは悲しいことだが、私が放送中に「イギリス人がやったんだ。」と直接非難したことを考えれば、理解できる。NATO加盟国の礼儀は、明らかに痛みを伴う真実の普及より優先されるのだ。しかたあるまい。

余談だが、ナワルヌイの死に対する全体的な世界の視聴者の関心は、過去2日間にテレビネットワークがyoutube.comに投稿した多くの放送への訪問者数に示されているように、私には非常に低いように思えた。

関連記事:アレクセイ・ナワルヌイの死と奇妙なタイミングの一致

私が記事を公開したとき、私はナワルヌイの死についての分析の一部を控え、読者がビデオで発見できるポイントを残した。それでは、その点を以下に掲載する。

*

これらの発言は、まず第一に、なぜ英国が反ロシア、反プーチンの感情を爆発させるためにナワルヌイの殺害を手配することに興味を持ったのかという疑問に関係している。

私がインタビュアーに言ったように、英国はロシアに対してあまり秘密ではない戦争を積極的に行なっている。例えば、海上無人機を提供して露軍の黒海艦隊のいくつかの船を損傷させたり、沈没させたりしている。また、特別軍事作戦の開始以来、クリミア橋へのいくつかの攻撃を奨励し、支援してきた。それは、ロシア本土に対するテロ行為と呼ばれるものを助長している。

今朝のRIANovostiのニュース概要は、数週間前にロシアのIL-76輸送機のベルゴロド州(RF)上での撃墜は、防空を担当するキエフ軍部隊の同意なしにキエフ政権の英国人顧問によって命令され、指示されたという主張を紹介している。飛行機がアメリカ製のパトリオット・ミサイルに撃墜されたことを覚えておいてほしい。パトリオット・ミサイルは非常に高価で、キエフには非常に限られた供給しかない。通常、パトリオットはウクライナの軍や政治のトップの承認を得てから発射される。だが、その飛行機には65人のウクライナ人捕虜が乗っていて、ロシア人捕虜と交換されようとしていた。そのときはあり得ないと思われていた悲劇が待ち受けているにも関わらず捕虜交換は進められたという事実。ジェット機の撃墜はウクライナ側とは何の関係もなく、その事実をロシア側に納得させたと想定しないかぎり無理なのだ。ということは、やったのはイギリス人なのだ!

戦争の初期を振り返ってみると、第5週にロシアとウクライナの交渉官がイスタンブールで始めた平和条約が、英国のボリス・ジョンソン首相のキエフ訪問中に妨害されたことはよく知られている。彼はゼレンスキーに西側の支援を受けて戦い続けるように促し、それゆえ、英国はそれ以来の戦闘で50万人のウクライナ人男性の死に責任がある。

私がここで主張したいのは、英国がウクライナ戦争に深く関与して、ロシアに損害を与え、信用を失墜させるために彼らができる限りのことをしているということだ。しかし、何人かの読者が書いているように、イギリス軍はなぜナワルヌイが拘禁されていた北部の辺境の流刑地であるロシアまで到達し、彼の殺害を実行することができたのだろうか。答えは非常に簡単だ。彼らは代理の者にそれを実行させたのだ。

ロシアの奥深くで行われている火災、爆発、その他の破壊行為に関する時折のニュースからわかるように、ウクライナの諜報機関は、ロシア連邦内で秘密裏に働いている多くの工作員を持っている。彼らは全員ロシア語を母国語とし、わずかのコックニー訛りもなく、どこにでも旅行できる。彼らは英国の戦友と手を取り合って働いている。流刑地の近くに行けば、ナワルヌイの死を引き起こしたと言われている塞栓症を誘発する化学物質を密輸するのはたやすい。そして、お金のためなら、喜んで毒物を投与する囚人は何人もいただろう。

だから、独外相アナレナ・バーボック風に言えば、あの英国首相リシ・スナクは取り去ってしまえ!、なのだ。

私は記事の中で、ナワリヌイの殺害がロシアの大統領選挙の前の月に行われたという驚くべきタイミングを指摘した。ちょうど6年前にイギリスのソールズベリーでスクリパリ中毒事件が起こり、ウラジーミル・プーチンに損害を与えたことが世界的なニュースになった。しかし、ナワルヌイの死/殺人が偶然の医療事故ではなく、慎重に計画された偽旗作戦であったことを示す他の状況証拠もあり、帝国、軍隊、艦隊を失った英国は、まだ世界クラスのままである。

彼の死がミュンヘン安全保障会議の開会の前日であったことに注目しよう。この会議には、ロシアを独裁的で略奪国家として非難し、ウクライナへのさらなる資金と武器輸送を適切に行うよう米国議会に圧力をかける目的で、西側諸国の多くの指導者が集まっていた。ゼレンスキーが演壇に立ち、ナワルヌイを殺したとされるウラジーミル・プーチンを非難していた。そして、アレクセイ・ナワルヌイの未亡人となった妻が、ミュンヘン会議で記者団にプーチンへの復讐を誓った。彼女が事前にミュンヘンに招待されていたのは、計画者たちが来るべき死を事前に知っていたかのようで、とても興味深いことだ。

我々の主流メディアのペテン師が、ロシアに対する最新の偽旗作戦で世界のニュースを支配しようとしても、それはすべて無駄になるだろう。昨日テレビカメラの前にロシアのショイグ国防相がウラジーミル・プーチンに報告したドネツク市のすぐ外にある重要な都市アヴディフカでのロシア軍の完全勝利は、この戦争がどちらに向かっているかを明確に示している。

ナワルヌイは死んだ、犬は吠えている、隊列は進んでいく。

ロシア民族主義の扇動者から西側リベラル派の寵児へ:アレクセイ・ナワリヌイとは何者だったのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
From Russian nationalist agitator to darling of Western liberals: Who was Alexey Navalny?
この野党活動家は20年にわたる経歴の中で多くの側面を見せてきた
出典:RT 2024年2月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年2月21日


2033-1.jpg
アレクセイ・ナワリヌイ氏© Sputnik / Ilya Pitalev


アレクセイ・ナワリヌイ氏は金曜日(2月16日)、ロシアの「過激派活動」に関する法律に基づき19年の刑で服役中だった北極圏北の刑務所で倒れ、死亡した。47歳だった。西側諸国では、クレムリンを批判するこの人物はロシアの「野党指導者」としてもてはやされた。ウクライナでは、彼はロシア民族主義者として非難された。ロシア国内で彼が遺したものは複雑だ。

1976年生まれのナワリヌイ氏は1998年に法科大学院を卒業し、2001年に金融の学位を取得した。生涯を通じて彼は法律や投資、そして実践活動にちょこちょこ手を出し続けたが、政治の世界に戻ることはやめなかった。

「私は常に政治に夢中だった」と彼は2009年にコメルサント・マネー紙に語った。

国家主義者としての側面

2000年から2007年にかけて、ナワリヌイ氏はリベラルなヤブロコ党の党員だったが、その後「ナロード」と呼ばれる民族国粋主義運動を共同で立ち上げた。彼はこの組織の悪名高いユーチューブ動画に2本出演し、1本は「ハエとゴキブリ」と戦うために銃の権利を主張(南部コーカサスのイスラム反乱軍の画像が添付されていた)したもので、もう1本はイスラム地域からの移民を虫歯に例えたものだった。

2008年8月、苦境に立たされた南オセチアのために、ロシアがグルジアに介入したことにナワリヌイ氏は賛意を示した。ナワリヌイ氏はその後、民族国粋主義を擁護する人々とともに毎年3回開催される「ロシア行進」集会に参加した。活動家のエフゲニア・アルバッツシルは後に、クレムリンに対抗して民族国粋主義を活用する方法として、ナワリヌイ氏に集会への参加を促したと語った。2010年、アルバッツ氏はエール大学ワールド・フェロー・プログラムを通じて、ナワリヌイ氏の半年間の米国滞在の費用を共同出資した。

反汚職ブロガーとしての側面

その時点でナワリヌイ氏はすでに金融の専門知識を活かして「少数株主連合」と呼ばれる投資活動家団体を立ち上げ、ロスネフチ、ガスプロム、ルクオイルなどの大手企業を揺るがそうとしていた。ナワリヌイ氏の傘下のNGOネットワークである反汚職財団(FBK)は、2011年9月に登録された。ナワリヌイ氏は引き続きモスクワ政府、地方知事、企業の詐欺、汚職、汚職を告発し、その過程において名誉毀損で訴えられることも多かった。

2033-2.jpg
関連記事:Kremlin comments on Navalny’s death

「野党指導者」としての側面

2011年2月まで、ナワリヌイ氏は政治にも手を染めていた。彼は与党の統一ロシア党を「ペテン師と泥棒」の集まりと攻撃し、12月には統一ロシア党が国政選挙を盗んだと主張した。その後、反政府デモで何度も演説したことから、西側報道機関は彼を「ロシアの野党指導者」と呼んだ。

ナワリヌイ氏の政治的経歴の頂点は2013年7月のモスクワ市長選挙だった。しかし、得票率27.24%を獲得したもののセルゲイ・ソビャーニン氏に敗れた。また、2018年の大統領選挙への出馬は、犯罪歴のためにできなかった。

キロブレス社およびイヴ・ロシェ社事件

ナワリヌイ氏の最初の前科は、国営林業会社キロブレス社からの横領だった。2013年に懲役5年の判決を受けたが、後に執行猶予に変更された。欧州人権裁判所(ECHR)は2016年、彼の行為は「合法的な事業活動と区別できない」とした。

裁判では、ナワリヌイ氏は容疑を政治的動機によるものだと糾弾し、「100家族」がロシアから略奪しているとされる「うんざりするような封建制度」に対して激怒した。

ナワリヌイ氏と兄のオレグ(郵便局員)氏は2012年、フランスの化粧品大手イヴ・ロシェ社のロシア支社から詐取したとして、横領のさらなる罪に直面した。兄弟は2014年12月に有罪判決を受けたが、アレクセイ氏は再び執行猶予のみを受けた。

2019年、ロシア政府はナワリヌイ氏のFBKを「外国の工作員組織」との烙印を押し、その活動を厳しく制限した。

2033-2.jpg
関連記事:Alexey Navalny has died – prison service

2020年の「毒物事件」と逮捕劇

2020年8月、ナワリヌイ氏はトムスクからモスクワに向かう機内で体調を崩し、治療のためにドイツに搬送された。西側の医師は、彼が「ノビチョク」神経ガスで標的にされたと主張したが、ロシア当局はこれを「挑発」であるとして否定した。ロシアに帰国後、ナワリヌイ氏は保護観察期間違反で逮捕され、収容所に送られた。

さらに詐欺罪と法廷侮辱罪が追加され、2022年に9年の刑期が追加された。2023年8月、ナワリヌイ氏は、過激派活動を煽動し、資金を提供し、実行した罪と、ナチス思想を「復帰」させた罪で、さらに19年の禁固刑を言い渡された。FBKは政府の命令で閉鎖された。

2023年12月、ナワリヌイ氏はシベリア北部のヤマロ・ネネツ州の流刑地に移送された。金曜日(2月16日)の彼の死因はまだ調査中である。

セルゲイ・カラガノフ:ロシアがヨーロッパを永久に放棄し、アジアに完全に目を向けなければならない理由がここにある

<記事原文 寺島先生推薦>
Sergey Karaganov: Here’s why Russia must permanently abandon Europe and turn fully to Asia
ヨーロッパは終わった。そしてロシアの地理的・文化的優位性の数々は、沈みゆく船(ヨーロッパ)と共に沈む必要がないことを意味している
筆者;セルゲイ・カラガノフ (Sergey Karaganov)
ロシア外交防衛政策評議会名誉議長、モスクワ高等経済学院(HSE)国際経済・外交学部指導教授
出典;RT 2024年 2月 10日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年 2月19日


2020-1.jpg
ファイル写真. タイガを散歩中、全地形対応車を運転するロシアのプーチン大統領。スプートニク/アレクセイ・ドルジーニン

2000年代末、私たちは若い同僚たちと一緒に、ロシアの「東方への軸足」の利点と必要性を議論し始めた(同じ頃、現ロシア国防相のセルゲイ・ショイグとその同僚たちも同じ方向で動いていた)。

このチャレンジの概念と発展の焦点は、シベリア全体とウラル全体にわたる、単一つの歴史的地域、経済的地域、そして単一の人間が住む地域に当てられた。しかし、ふたを開けてみると、アジアとその市場への焦点は、行政上おもに太平洋沿岸の極東を経過することになり、そしてその後、それに北極が追加された。

2010年代に始まった転換は成功したが、部分的なものだった。その理由は、極東地域が人口が多く、工業化が進み、資源が豊富な東シベリアや西シベリアから人為的に切り離されていたためであった。また、極東は市場から遠いという「大陸の呪い」にも苦しみ続けた。

今、新たな地政学的状況は、当初の考えへの回帰を緊急に必要としている。当初の考えとは、もちろんウラル地域を含むシベリア全域の主要な開発を通じたロシア全域の東方への転換である。言い換えれば、ロシア全土の「シベリア化」である。西ヨーロッパは長年にわたって閉鎖され、二度と第一級の相棒となることはないだろう。

ウクライナで西側諸国が引き起こし、けしかけられた戦争によって、人類発展の中心が移りつつある南と東への動きから私たちは目をそらされてはいけない。この新しい、しかし長い間予見されていた状況は、私たちに「故郷」に戻ることを求めている。300年以上にわたるヨーロッパの旅は、多くのものを与えてくれたが、はるか昔(実際には100年前に)、その有用性を使い果たした。

(「故郷に帰る」という言葉は、ハバロフスク出身の著名な哲学者・歴史家であるL.E.ブリヤッハー教授が、前回の東方転換への旅で何年も一緒に仕事をしている間に私に教えてくれたものである)。

ピョートル大帝*が始めたこの旅がなければ、ロシアは多くの業績を残すことはできなかっただろう。その最たるものが世界最高の文学であり、ロシアの文化、宗教、道徳を西欧文化と融合させた結果である。ドストエフスキー、トルストイ、プーシキン、ゴーゴリ、それからブローク、パステルナーク、ソルジェニーツィンなど、私たちの近代的アイデンティティを形成してきた心の巨人たちは、"ヨーロッパからの注入"がなければ、ほとんど生まれなかっただろう。
*ピョートル1世は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 ~1725年)、初代ロシア皇帝。大北方戦争(スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保)での勝利により、ピョートル大帝と称される。

2020-2.jpg
関連記事:フョードル・ルキアノフ:タッカー・カールソンがモスクワに来た本当の理由がここにある

この3世紀の間、私たちは国家と民族の東方のルーツを半ば忘れていた。モンゴル人は略奪もしたが、発展も促した。モンゴルとの対立と協力の中で、我々はモンゴルの国家形態の多くの要素から学び、強力な中央集権国家と大陸的思考を築くことができた。チンギス・ハーンの帝国から、私たちは文化的、国家的、宗教的な開放性も受け継いだようだ。モンゴル人は自分たちの文化や信仰を押し付けなかった。実際、彼らは宗教的に解放されていた。だからこそ、ロシアを維持するために、聖公アレクサンドル・ネフスキー*は彼らと同盟を結んだのだ。
*13世紀中頃、スウェーデンの攻撃・ドイツ騎士団の侵攻からロシアを守ったノヴゴロド公。キプチャク=ハン国には服従の姿勢を採り、ロシア国家を存続させた。ロシアの国民的英雄の一人。

大ロシアは、16世紀以降、私たちの民族が「太陽に会うために」「石の裏側(ウラル山脈)」に集団移住しなければ、誕生することはなかっただろうし、おそらく、西と南からの競争相手や敵に包囲されたロシア平原で生き延びることもなかっただろう。神の意志の介入を別にすれば、コサック進撃の速さは説明がつかない。コサックは60年で大洋に到達した。

シベリアの開発によって、古代ロシア王国は大ロシアになった。帝国と宣言される前から、シベリアの資源―最初は「柔らかい金」、次に銀、金、その他の鉱物―によって、強力な軍隊と海軍を創設し、装備することができた。北シルクロードのキャラバンは、毛皮と引き換えに中国製品をロシア国内外に運び、重要な役割を果たした。シベリアでは、競争と交易に明け暮れていたロシア人が、中央アジアの人々、当時は「ブハラ人」*と呼ばれていた人々と緊密に協力するようになった。
*シベリアのブハラ人は、シベリアの民族学的および社会文化的なグループ。彼らはシベリア・タタール人のトボル・イルティシュ族とトム族の重要な部分を占めていた。伝説によれば、彼らの祖先はブハラ・ハン国の出身であるとされているが、遺伝学者は彼らが西コーカサス出身であることがわかった。彼らは商人であり、1580 年代にロシアによるシベリア征服が始まった後の17 世紀[2]にこの地域に定住し始めた。しかし、一部の人々は 15 世紀から 16 世紀にこの地域に定住していた。 

シベリアは、文化的、民族的な開放性、さらに意志の強さ、ロシアの自由、そして計り知れない勇気といった、ロシア人の性格の最良の部分を強化した。シベリアは何十もの民族集団によって統治され、先住民たちは混じり合った。そしてもちろん、集団主義、つまり相互扶助なしには、世界や風雨に打ち勝ち、生き残ることは不可能だった。ロシア系ロシア人、ロシア系タタール人、ロシア系ブリヤート人、ロシア系ヤクート人、ロシア系チェチェン人など、数え上げればきりがない。著名なチュメンのジャーナリストで作家のオメルチュクは、シベリアを「ロシア人の性格の醸造所」と呼んでいる。

ヴィッテ*、ストリイピン**、そしてその仲間たちという最高のエリートたちと、シベリア鉄道をきわめて短期間で建設した民衆が成し遂げた偉業は、前例のないものだ。彼らは、「太陽に向かって」という古いスローガンの下でも、「大海原に向かって」という具体的で壮大な目標を反映した新しいスローガンの下でも前進した。そして今、新たなスローガンが生まれるべきだ。「大ユーラシアへの前進」である。
*ロシア帝政末期の資本家、政治家。ロシアの工業化に大きな役割を果たす。日露戦争後のポーツマス会談で活躍し、帰国後初代首相となって立憲政の実現などの改革に当たった。
**ピョートル・アルカージエヴィチ・ストルイピンは、帝政ロシアの政治家。ロシア皇帝ニコライ2世の下で、大臣会議議長を務めた。ニコライ2世の治世においてセルゲイ・ヴィッテと並んで有能な政治家であり、革命派に対する容赦ない弾圧と、一方で農業分野を中心に地方自治の近代化、司法・中央行政機構に渡る広範な改革を実行した。


2020-3.jpg
関連記事:グレン・ディーセン: バイデン対トランプは世界秩序に重大な影響を与える

私たちは彼らの働きと犠牲に感謝すべきであり、自分の意志ではなくシベリアに行った人々の働きにも感謝すべきである。収容所の囚人も受刑者も、国の発展に、十分には評価されていないが、多大な貢献をした。

ソビエトの北極探検という崇高な事業があり、ソビエト連邦のあらゆる民族の代表が手を取り合って働き、友人を作り、家庭を築いたシベリアの偉大なコムソモール建設現場があった。シベリアの石油、穀物、毛皮のコート、モンゴル、ブリヤート*、トゥヴァ**の馬、そしてもちろん、シベリアの連隊は、大祖国戦争(第二次世界大戦)でモスクワを救った勝利に決定的な役割を果たした。
*ブリヤート共和国は、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。バイカル湖の南東部に位置する。
**トゥヴァ共和国は、アジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。トゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国は1991年11月に独立を宣言した。


その後、シベリアの石油とガスが登場した。

しかしもちろん、全ロシアの国庫に対するシベリアの主な貢献は、勇敢で、粘り強くて、強くて、進取の気性に富んだ人々である。彼らはロシア精神の体現者なのだ。中央部(再統一地域を含む)からシベリアへのロシア人の定住を促進するだけでなく、アジアに近い感覚を持ち、経験と展望を持つシベリア人に国を率いてもらう必要がある。

シベリアを発展させた同胞の世代が、アジアの未来の市場を可能にし、ロシアをユーラシアの大国へと変貌させたのだ。当時、彼らはそれに気づいていなかったが。

西側が引き起こした対立に加え、エリート層によって刺激された社会崩壊の過程、そして西ヨーロッパの長期的な発展の鈍化は、ロシアの未来が東側、南側にあることを明確に示している。世界の中心はこの地域に移動しつつあるのだ。

そして、独自の文化と開放性を持つロシアは、この変革の重要な一部となり、その指導国のひとつとなるよう求められている。まさに、運命、神、そして何世代にもわたる祖先の行いがそうなるよう定めたもの、すなわち北ユーラシアになるのだ。それは、独裁から解放されて、北ユーラシアの平衡を保つものであり、軍事戦略の要であり、以前は抑圧されていた文化、国、文明のルネッサンスの保証人である。

2020-4.jpg
関連記事:キリル・ババエフ: 台湾の選挙結果がアメリカにとって悪いニュースである理由がここにある。

我々は新しい世界の誕生を目撃している。多くの点で、我々はその助産婦となり、500年にわたるヨーロッパと西洋の覇権の基盤である軍事的優位性を打ち砕いた。

いまや我々は、傾きつつある西側の最後の反撃(そう願うが)を撃退している。彼らはウクライナの野原で戦略的敗北を喫し、歴史を覆そうとやっきになっている。私たちはこの戦いに勝たなければならない、脅しをかけてでも、必要ならば最も残忍な手段を用いてでも。これは、我が国ロシアの勝利のためだけでなく、世界が第三次世界大戦に陥るのを防ぐためにも必要なことなのだ。

しかし、繰り返すが、西側諸国との闘争によって、最も重要な創造的課題から目をそらしてはならない。その中には、ロシアの東部全体の新たな発展と台頭が含まれる。地政学的経済の発展だけでなく、今後数十年にわたる避けられない気候変動も、一方ではその必要性を決定づけることになる。他方、新たなシベリア転回を提案し、ロシア全体で積極的に実施することの可能性と利点を証明することになるだろう。これにより、精神的、人間的、そして経済的発展の中心を東部に移すことになるのだ。

シベリアの鉱物資源、豊かな土地、森林、豊富できれいな淡水は、近代的な技術と何よりもシベリアの人々によって、ユーラシア大陸の発展の主要な基盤のひとつとなることが求められている。そして私たちの仕事は、シベリアを私たちの手中におさめ、国民、国、そして全人類の利益のために発展させることである。これまでのところ、私たちは主に加工度の低い資源を供給してきた。課題は、国家の規制的役割の下、全ロシア的な全行程の生産コンビナートを構築することである。シベリアの機械製造業を近代的な基盤の上に再構築し、国防企業の需要の流れを利用する必要がある。

省庁、立法機関、大企業の本社など、ロシアの行政中枢はすべて同じ方向に進むべきであり、愛国的で、いい意味で野心的な若者たちがそれに続くべきである。もしピョートルがいま生きていたら、間違いなくシベリアに新たな首都を築き、アジアへの窓口を大きく広げていただろう。モスクワ、サンクトペテルブルクと並んで、ロシアはシベリアの第3の首都を切実に必要としている。今後数十年で展開される軍事戦略上の状況が、それを要求しているのだ。

2020-5.jpg
関連記事:噴出する戦略案: なぜインドのロシア炭化水素への投資はウィンウィン(双方利得)なのか

ウラル山脈地方とウラル山脈以東の住民の多くが、偉大な探検家だった彼らの祖先の燃えるような精神を受け継ぎ、シベリアの優先的な開発などを通じてロシアの復興と繁栄を願っていることは知っている。

残念なことに、彼らの多くは、その野心と技術を生かす見込みや機会がないと判断し、発展した中央地方に流出したり、東部の小さな町や村でひっそりと「燃え尽き」たりしている。

この巨大な人的資本を利用して、シベリアの内陸部と、大規模な行政センターや、ロシアの他の地域との間の不必要な橋を壊し、地理的にも文明的にも偉大な歴史の軸を再統一することが、私たちの力となり、関心事である。すべての同胞の自己認識と思考の転換、国全体の利益のための輝かしいシベリアの過去、現在、未来とつなげることは、必ずやシベリア人自身の心に響くだろう。繰り返すが、ウラル、シベリア、極東だけでなく、ロシア全体のためのシベリア戦略が必要なのだ。

ノヴォシビルスク*の科学者たちは例外的な存在だが、その戦略は、既存の経済計算よりも、アジア・ロシア探検の壮大で息をのむような歴史を、ロシアのアイデンティティの中心へと精神的・文化的に回帰させることから始めるべきなのだ。
*ノヴォシビルスクは、ロシア連邦・シベリアの中心的都市。別名「シベリアの首都」。ノヴォシビルスク州の州都でオビ川に沿う。人口は2017年には160万人を突破するなど近年は人口増加が続き、人口規模は国内第3位で、シベリアでは最大である。

ロマンと勝利と冒険に満ちたシベリアの歴史は、わが国のすべての愛国者の一部であるべきだ。アメリカ西部の征服は、誰もが知っているように、私たちの祖先がしたような一連の功績とは似ても似つかない。同時に言っておかなければならないのは、私たちの祖先は大量虐殺に頼らず、原住民と結婚している。そして私たち大衆は、知識人でさえ、この歴史についてほとんど無知なのだ。

アレクサンドル・ネフスキーが1240年代後半に中央アジアと南シベリアを1年半かけてモンゴル帝国の首都カラコルムまで遠征したのは、バチエフより高いレベルの統治をしたことで賞金をもらうためだった。マルコ・ポーロの物語で知られ、やがて中国を統一する皇帝となるフビライ・ハーンもその時そこにいた。彼らはほぼ間違いなく会っている。新しい世界秩序の基礎となったシベリア探検と、今や事実上の同盟国となったロシアと中国の関係の物語を始めるべきは、おそらくアレクサンドル・ネフスキーの遠征だろう。

2020-6.jpg
関連記事:フョードル・ルキアノフ:EU市民は生活水準を心配する一方で、エリートたちはウクライナに執着している。

シベリア南部と北海航路を結び、中国へ、そして北海航路を経由して東南アジアへとつながる新たな子午線ルートを建設すべきだ。ウラル山脈とシベリアの西部地域には、インドや南アジア諸国、中東への効果的なアクセスを提供すべきである。心強いことに、遅ればせながら、シベリア地方を含むロシアとイランを経由してインド洋を結ぶ鉄道の建設がようやく始まった。

水資源豊富なシベリアを開発するには、水不足だが労働力の豊富な中央アジア諸国を巻き込む必要がある。

労働力不足は、勤勉で規律正しい北朝鮮人の大量誘致によって一部補われるはずだ。我々はようやく、北朝鮮に対する愚かな西側への追従路線から抜け出し、友好関係を回復しつつある。インドとパキスタンが、少なくとも季節労働者の提供に関心を持っていることは知っている。

私たち国立研究大学高等経済学院は、ロシア科学アカデミーシベリア支部経済学・産業生産組織研究所や、科学アカデミーシベリア支部・極東支部の他の研究所、そしてトムスク、バルナウル、ハバロフスク、クラスノヤルスクの各大学とともに、「東方への回帰-2:ロシアのシベリア化に向けて」プロジェクトを証明するためのプロジェクトを開始している。

また、学校における東洋学、東洋の言語、民族、文化に関する知識の発展のための国家プログラムも必要である。文化的にも宗教的にも開かれたロシアは、ヨーロッパ人とは異なり、独自の他に負けない大きな利点を持っている。それは、私たちの先祖が、奴隷にしたり破壊したりすることなく、現地の民族や文化を吸収しながら東方へ移動した伝統を受け継いだからだ。

孫子、孔子、カウティリヤ(あるいはヴィシュヌグプタ)、ラビンドラナート・タゴール、フェルドウィーシ、ダレイオス王、タメルラーヌ、アル・ホズレミ(代数学の創始者)、アブ・アリ・イブン・シーナ(アヴィセンナ:医学の創始者)、あるいはファティマ・アル・フィフリ(世界初の大学の創始者)は、教養あるロシア人にとっては、アレクサンダー大王、ガリレオ、ダンテ、マキャベリ、ゲーテと同じくらい身近な存在であるはずだ。正統派キリスト教だけでなく、イスラム教や仏教の本質も理解する必要がある。これらの宗教や精神運動はすべて、私たちの精神的記憶の中にすでに存在している。私たちはそれらを保存し、発展させるだけでいいのだ。

加えて、今後数十年の間に避けられない気候変動によって、シベリアは快適な居住地を拡大するだろう。自然そのものが、私たちをロシアの新たなシベリア東方転換へと誘っているのだ。もう一度言うが、ロシアの東方転換のプログラムを作成し、実行することによって、我々は我々の力と偉大さの源に戻るだけでなく、我々自身と将来の世代のために新たな地平を切り開き、生まれ変わったロシアの夢を創造し、実行しているのである。

この記事はルースカヤ・ガゼータ(Rossiyskaya Gazeta)新聞によって最初に発表され、RTチームによって翻訳・編集されました。

ロシア対外情報庁長官が「米国留学生による不安定化工作」に警戒を呼びかけ

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia’s top spy warns about US-educated 'fifth column'
セルゲイ・ナルイシキン長官は、米国当局は選挙を前に政治情勢を揺るがすわずかな機会を捉えようとしていると語った。
出典:RT  2024年1月11日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年1月26日


1978-1.jpg
ロシア対外情報局(SVR)セルゲイ・ナルイシキン長官© Sputnik / Viktor Tolochko


 ロシアの対外情報局(SVR)のセルゲイ・ナルイシキン長官が、米国政府は今年3月のロシア大統領選挙に介入するために、米国の学生交換プログラムのロシア人卒業生を利用することを計画していると述べた。

 ナルイシキン長官は木曜日(1月11日)、報道機関に対し、アクセス、アドバンス、サマーワーク&トラベル、FLEX、フルブライト、グローバルUGRADなどのプログラムに基づいて約8万人のロシア人学生が20年間にわたって米国を訪れた、と語った。

1978-2.jpg
関連記事:US opening ‘second front’ against Russia – Moscow

 同長官は、「ロシア大統領選挙を前に、米国側は我が国の国内政治状況を揺るがすわずかな機会でも捉えようとしている」と述べ、これにはこれらの交換プログラムのロシア卒業生との「協力を強化する」ことも含まれる、と付け加えた。

 同情報局長官によると、米当局の考えでは、「適切な準備」があれば、これらの卒業生がロシアの「第5列の中核」となり、反政府勢力分子の代わりになる、という。反政府勢力分子の多くはウクライナ紛争勃発後に国外に逃亡したからだ。

 米国政府はこれらの卒業生を「ロシア当局に対する政治闘争」に積極的に参加させる計画だ、と強調した。

 これらの学生たちに対する特別な訓練計画がすでに開発されており、その計画は、「民族間および社会的憎悪を煽り、選挙に干渉し、ソーシャルメディア上でロシアの指導者の信用を失墜させる方法」を教えることに重点を置いたものである、とナルイシキン長官は述べた。さらに、これらの卒業生と米国人「管理者」との間で安全なやり取りができることに多大な注意が払われるだろう、とも付け加えた。

 同SVR長官によると、この計画の一環としての最初のセミナーは2月中旬にラトビアの首都リガで開催される予定だという。同長官によると、モスクワとリガの米国在外公館で秘密裏に活動する米国人スパイらがこれらの催しで指導をおこなう予定だという。
 
 セミナーに参加する学生については、ロシア諜報機関が身元を特定するのは難しくない、とナルイシキン長官は警告した。

関連記事:Russia’s top spy warns of new CIA scheme

 先月ロシア議会で各会派の指導者らと会談した際、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、内政干渉の試みは「法律に従って厳しく制限される」と述べた。3月15日から17日に予定されている選挙期間中、同大統領は「政府はロシア国民の自由、主権、将来を選択する権利を守るつもりだ」と集まった議員らを安心させた。

1990年代ロシアの惨状を振り返えってみよう―国民がなぜ西側に不信感を持ち、プーチンを支持するかがわかる

<記事原文 寺島先生推薦>
WHY THE US-RUSSIA RELATIONSHIP WENT SOUR AFTER THE 1990S
原題:1990年代以降に米国とロシアの関係が悪化したのはなぜか。
筆者: クリス・カンサン(Chris Kanthan)
出典:World Affairs
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月26日


1837-1.jpg


1992年、ソビエト連邦崩壊後、ロシア全体がウォール街とIMFの手に委ねられた。結局のところ、共産主義は失敗し、資本主義を受け入れる時が来たのだ!これらの専門家たちは、自由市場と民営化の原則を使って奇跡を起こし、すべての人を豊かにするはずだった。


経済テロリズム

現実には、民営化は海賊行為となった。

それは、1970年代にミルトン・フリードマンと彼のシカゴ・ボーイたちがチリに与えたショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)と同じだった。2009年以降、同じ手法の少し異なるバージョンがギリシャで使われている。
グローバリストが導入した「改革」の最初の年である1992年、ロシアのインフレ率は2500%にまで急上昇した。これは二重の打撃を与えた。ひとつは、食料品などの価格が25倍になったこと! 第二に、年金生活者の貯蓄が消えてしまったこと。10万ルーブルの貯蓄があった人の貯蓄が4000ルーブルになったのだ。

この経済テロの責任者はハーバード・マフィアである、ラリー・サマーズ(後のアメリカ財務長官)、ジェフリー・サックス、デビッド・リプトンなどである。つまり、縁故資本主義、ハイパーインフレ、債務の罠、緊縮財政によって経済を破壊するというテロだった。縁故資本主義の戦略とは、ロシアの莫大な天然資源と国営企業を一握りのオリガルヒ(寡頭政治支配者)に分け与えることであり、オリガルヒはその所有権の大部分を西側のエリートたちに小銭(手数料と言えるだろう)で売却した。


アメリカがロシアの政治を支配

アメリカはロシアの政治も支配していた。2期務めたボリス・エリツィン大統領を含むロシアの指導者たちは、アメリカのエリートたちの手によって選ばれた。以下はその証拠である:

1. 米国がいかに不正選挙を行い、エリツィンの大統領当選を手助けしたかを自慢する米国メディアの見出し。 1996年の『タイム』誌の表紙は、誇らしげに「ヤンクス・トゥ・ザ・レスキュー(アメリカ人が救助に」」と自慢している!中には、「ボリス(エリツィン)を救出する」と題された記事があり、アメリカの助言者、選挙運動運営者、世論調査担当者たちが、いかにエリツィンのロシア大統領選勝利に貢献したかが詳細に書かれていた。もちろん、アメリカがエリツィンを欲しがった理由は、彼がバカでアル中だったからであり、彼の内閣のほとんどはアメリカの操り人形で埋め尽くされていたからだ。

1837-2.jpg
[酔っ払いで、裏切り者で、操り人形のエリツィン]

2. ビル・クリントンがトニー・ブレアと交わした会話は、「いかにアメリカが、ロシアの議会を支配し、首相を選ぶことができたか」を示している。クリントンは、「まずやらなければならないのは、チェルノムイジンを(ロシア首相として)承認させることだ。私は向こうで何ができるか考え、ロシア議会に影響を与えるために必死に働くつもりだ!」と述べた。

1837-3.jpg


エリツィン ー アメリカの役に立つバカ

エリツィンは1期目、悲惨な経済「改革」の後、ロシア議会から弾劾され、大統領を解任された。その仕返しとして、彼は軍を投入し、国会議事堂を戦車で攻撃した! 西側メディアの反応は? 賞賛だけだった!これがアメリカによる民主主義の広め方だったのだ。

そして1996年、エリツィンが再選を目指していたとき、ビル・クリントンはIMFから100億ドルの融資を手早く手配し、さらに選挙直前にモスクワを訪問してエリツィンを大きく後押しした。

1837-4.jpg
[エリツィを応援するクリントン]


ロシアの大恐慌

エリツィン時代を通じて、アメリカの専門家たちはロシア経済を破壊し続けた。狂気の沙汰というべきか、アメリカの専門家たちによって行われた「自由化」プログラムは、4年もの長きにわたって、月50%(年2000%以上)ものハイパーインフレを引き起こした。

1837-5.jpg
[ロシアのインフレ率]

アメリカの指導の下、何千ものロシアの工場が閉鎖された。ロシアの石油・ガス生産量でさえ、ソ連時代と比較して半減した。ロシアの購買力平価GDPはエリツィン時代に40%減少し、経済危機は1930年代のアメリカの大恐慌よりも深刻だった。

1837-6.jpg
[1989年から1999年のロシアのGDP(購買率平価))GDP]

この偽の経済危機を解決するために、アメリカのハゲタカ資本家たちは、政府支出を削減し、労働者を解雇し、増税するという、より非論理的で残酷な助言をした。この新自由主義的な「解決策」は、予想どおり、ほとんどのロシア人にとってさらなる不幸をもたらすだけだった。

1990年代には、ロシア人労働者の40%が何カ月も給料を受け取れなかったり、まったく支払われなかったりすることがしばしばあり、ロシア人の1/3近くが1日4ドル以下の収入しか得られなかった。200万人のロシアの子どもたちが実質的に孤児となり、男性の自殺率は急上昇し、男性の平均寿命は58歳まで低下した。1991年から1999年の間に、ロシアの人口は800万人減少した。

1837-7.jpg
[1990年代、ロシアの見捨てられた子どもたち]


見捨てられたロシアの子どもたち

共産主義者がなし得なかったことを......ウォール街の聡明な頭脳が成し遂げた。1998年、ロシアは債務不履行に陥り、銀行金利は120%に達し、株式市場は暴落した。(債務不履行そのものがでたらめだったのは、その額が400億ドル程度に過ぎなかったからで、ロシアが保有する数兆ドルの天然資源に比べれば大したことはない)。その後、ルーブルの価値を「守る」ために、ウォール街の助言者はロシアに外貨準備と金準備をすべて売却するよう強要した。しかしすべての外貨準備がなくなっても、ルーブルは80%下落した。


戦争をせずにロシアの軍隊を破壊する

グローバリストたちが破壊しようとしたのは経済だけではなかった。ロシアの戦闘機や戦車は燃料不足で稼働できず、レーダーは電気がないため作動せず、ロシア兵はタクシーを運転したり、モスクワの路上で物乞いをしたりしていた。

そして国家的プライドに打撃を与えたのは、ロシアがチェチェンのイスラムテロリストとの戦争に敗れたことだ。あまり理解されていないのは、これらのテロリスト集団がアフガニスタンのムジャヒディンの複製品だったという事実だ。そしてこれらのテロリスト集団は、サウジアラビアの資金とCIAの武器と訓練を使っていたのだ。このように、アメリカの経済学者がロシア経済を破壊している間、アメリカの外交政策はロシアを地理的に解体することに取り組んでいた。

1837-8.jpg
[チェチェンのちらしの言葉]

それから、NATOに関する裏切りもあった。1990年、アメリカはソ連が解体してもNATOは「一歩も東へ」拡大しないと「鉄壁の保証」をした。しかし1996年になると、アメリカはNATOの拡大を提案し始めた。1999年、ポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに吸収された。その数ヵ月後、NATOは1999年にセルビア/ユーゴスラビアを空爆した。セルビアはロシアの強固な同盟国だった。

基本的に、国際的な銀行家たちは、傷ついた熊を襲うハゲタカのようにロシアを攻撃した。彼らの目的は、ロシアの経済、社会、軍事、そして地理的な国家そのものを破壊することだった。もしこうした金の亡者たちを阻止できていなければ、ロシアは今頃、機能不全に陥った多数の無力な地域に崩壊していただろう。


プーチンの登場

殺伐とした1998年は、ウラジーミル・プーチンがロシアの情報機関であるFSB(連邦保安局)のトップに就任した年でもあった。翌年、プーチンはボリス・エリツィンによってロシアの首相に抜擢された。数ヵ月後の1999年12月31日、エリツィンは突然辞任し、プーチンを大統領代行とした。

プーチンは、西側諸国の評判の良い経済学者、銀行家、ハゲタカ資本家を信用するとどうなるかを目の当たりにしていた。彼は(裏切り者の)ロシア人オリガルヒと戦い、彼らを次々と刑務所に送った。幸運な者は国外に逃亡した。 ボリス・ベルゾフスキーはイギリスへ、ウラジーミル・グシンスキーはギリシャへ、イーゴリ・ガイダルはアイルランドへ、ミハイル・ホドルコフスキーはスイスへ、といった具合だ。

その後、プーチンはゆっくりと、しかし着実にすべてを変えていった

だからロシアは西側諸国に不信感を抱き、プーチンはロシアで人気があるのだ。

1837-9.jpg
[プーチン15年の功績]

私は西側を甘くみていた―プーチン

<記事原文 寺島先生推薦>
I was naive about the West – Putin
大統領は、ソ連崩壊後にロシアに対する十字軍が終わると信じていたことを認める。
出典:RT  2023年12月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月19日


1830-1.jpg
ロシアのプーチン大統領。©スプートニク

ウラジーミル・プーチン大統領は、ソ連崩壊後、西側がロシアと生産的な関係を築こうとしている、と考えたのは間違いだったと述べた。実際には、西側が決めたことはロシア国家を分裂させることだった、とこのロシアの指導者は説明した。

15日(12月15日)に放送されたロシア人ジャーナリストのパヴェル・ザルビン氏とのインタビューで、プーチン大統領は、ソ連の諜報機関での確固たる経歴があったにもかかわらず、政治家としての経歴の初期には自身が、「世間知らず」の指導者だったと認めた。

ロシア大統領によると、ロシアに対する西側の理解は「ソ連崩壊後、ロシアは全く別の国になり、西側とロシアの間には深刻な対立を正当化するイデオロギー的な違いはこれ以上ない」というものだったと信じていた、という。

プーチン大統領によると、20年前、ロシアのテロと分離主義を支援しようとする欧米の努力を見ても、「思考の惰性」が原因だと考えたという。「西側はソ連との戦い続きをしていただけだ」と彼は信じていた。

1830-2.jpg
関連記事:ロシアの最高スパイ、CIAの新たな計画を警告

しかし実際には、西側は意図的にロシアを弱体化させようとしていた、と大統領は述べた。「西側の考えは、ソ連崩壊後、少しは待たないといけないだろうが、いずれはロシアを解体しよう、というものだった。」

プーチン大統領によると、西側諸国は人口の多い世界最大の国の存在を必要とは考えていなかった。「ブレジンスキー元米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が提案したことだが、ロシアは5つに分割し、それを1つずつ制圧するのがよかろう、と考えていたのだ。」

この西側の計画とされるものは、いくつかの小国に分画すれば、それらの国々は「重みも発言力もなく、統一ロシア国家のように国益を守る機会を持つこともないだろう」という考えを前提にしていたと彼は説明した。

ロシアの指導者プーチンが言及していたのは、ソ連封じ込め政策の熱烈な支持者で2017年に死去したブレジンスキーが1997年に書いた論文だと思われる。この論文は当時、ロシアは「世界大国としての地位を取り戻すための無駄な努力」を放棄すべきだと示唆していた。この前大統領補佐官はまた、「ヨーロッパロシア、シベリア共和国、極東共和国から成る、緩やかに連合したロシア」の方が近隣諸国との経済関係を発展させやすいという意見も示していた。

プーチン大統領は、西側がロシアをいくつかの国家に分割することを計画していたと繰り返し述べ、そうなればロシア国民は存在しなくなる可能性があると警告し、ロシアが成功のための重要な条件として統一の継続を挙げた。

EUのRT(ロシア国営報道機関)への制裁措置は失敗に終わっている

<記事原文 寺島先生推薦>
We ‘spit on sanctions’ – RT editor-in-chief
ロシア国営メディアへのアクセスを阻止するEUの取り組みはほぼ失敗した、とブルームバーグ紙が認めた
出典:RT  2023年11月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年12月3日


1779.jpg


 ブルームバーグ紙の木曜日(11月22日)の記事は、ロシア国営報道機関への接続制限を目的とした欧州連合の制裁はあまり効果がなかったことを認めるものだった。

 その記事によると、「最後に勝つのはクレムリンのようだ」とされ、RTやスプートニクを含むこうした報道機関は、ミラーサイト*を利用して、欧州内で引き続き容易に利用できている、という。
*ミラーサイトとは、元となるウェブサイトの全部、または一部分と同一の内容を持つウェブサイトのこと(Wikipediaより)

 「私たちはあなた方の制裁に唾を吐きます」とRTのマルガリータ・シモニャン編集長は、自身の報道局からブルームバーグに伝えられた発言の中でこの件について述べた。

 ブルームバーグ紙の推定によると、RTはEUの視聴者に報道内容への接続を提供するために少なくとも19のミラーサイトを利用している、という。そのメイン・ドメインであるRT.comは、2022年2月にロシアとウクライナの間で紛争が勃発した直後に接続が封鎖された。


関連記事:EU ban on RT and Sputnik has failed – media

 ブルームバーグ紙は、ミラー・サイトのひとつであるswentr.site(つまりRTニュースのミラー・サイト)には、10月だけで300万件近くのアクセスがあった、というデータ通信量調査会社のセムラッシュ(Semrush)の調査結果を引用して報じた。さらにメイン・ドメインであるRT.comは、多くの市場で接続が封鎖されているにもかかわらず、同期間で依然として1億4100万件という膨大なアクセスがあった、とも付け加えた。

 この記事は、ルクセンブルクのターゲブラット紙のトビアス・センツィヒ編集長が今月初めに書いた記事を受けたものであった。センツィヒ編集長は、スプートニクとRTへの接続を制限しなかったEUの失敗を嘆き、EU内で「親ロシア的な言説」がますます人気を集めている一方で、ロシア国営報道機関に対する弾圧は、「多くのことを取り決めたが、ほとんど成果を上げなかった」ことを認めた。

 ロシア政府は、特に西側諸国とEU諸国がロシアの報道機関に対してとった敵対的な行動を繰り返し非難してきた。外務省のマリア・ザハロワ報道官は、欧州のやり方を「リベラルな独裁の現れ」である、と述べた。さらに、西側諸国の取り組みは「あらゆる手段を使って自国の国民を代替の視点から切り離し、究極の真実として米国当局とEU当局が発した情報だけを真実として受け止めさせること」に焦点を当てている、と同報道官は今年初めに述べた。

ロシアで中国語教師の需要が急増

<記事原文 寺島先生推薦>
Demand for Chinese language teachers surges in Russia – report
ロシア有数の求人サイトのアヴィー社によると、空席は昨年の3倍以上に増加
出典:RT  2023年11月9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年11月20日



スプートニク/セルゲイ・ピャタコフ


 大手求人情報サイトのアヴィート・ラボータによると、ロシアにおける中国語教師の需要はこの1年で約4倍に増加した。統計によると、中国語教師の給与も大幅に上昇している、という。

 火曜日(11月7日)に発表された分析によると、ロシアにおける外国語教師の需要は昨年11月以来67%増加しているという。中国語教育者が一位で、求人数は対象期間に3.6倍に増加した。

 この傾向により、中国語教師の平均給与は前年同期比64%増となり、モスクワのある語学センターでは月8万ルーブル(871ドル:約13万円)の給与を提示していた。先週、タチアナ・ゴリコワ副首相は、ロシア人の給与の中央値は8月時点で7万300ルーブル(約12万円)であると発表したところだ。


Putin backs teaching Chinese in Russian schools

 この数字について、アヴィート・ラボータ社のアルテム・クンペル取締役は、中国語学習への「絶大な」関心は、「労働市場におけるこの言語を話す従業員への需要の高まり」によるものだ、と述べた。また、ロシアは「中国と積極的に協力し、文化的・貿易的交流を発展させている」と付け加えた。

 土曜日(11月4日)、ビジネス通信社のRBK社は、チタイゴロド-ブクボイド書店チェーンが提供した数字に基づき、中国語教科書の売上が2023年上半期に4%増加した、と報じた。

 対照的に、同期間にロシアで販売された英語の教科書の数は3分の1減少し、他のヨーロッパの主要言語の教科書も減少傾向にある。

 しかし、ロシア国内のチタイゴロド書店で販売されているこの種の学習教材の大半は依然として英語教科書であり、次いで中国語、韓国語となっている。

 ロシアは近年、隣国である中国との関係を着実に深めている。この傾向は、ウクライナ紛争をめぐって西側諸国がモスクワに課した制裁によって、新たな弾みをつけた。2022年、ロシアと中国の貿易額は過去最高の1900億ドル(約28兆4千億円)に達し、年間29%の伸びを記録した。

 RBK社は昨年、人材紹介業者ヘッド・ハンター社が提供したデータを引用し、2022年の最初の3ヶ月間に中国語を話す労働者の需要が40%伸びたと報告した。8月には、クレムリンのアンドレイ・フルセンコ教育・科学顧問が、一流大学の教育課程に中国語の授業を増やす、と発表した。

大半のロシア人が英語看板の禁止を支持 - 世論調査

<記事原文 寺島先生推薦>
Most Russians support ban on English language signage – poll
新法案は、店舗や広告における非ロシア語の看板を取り締まるものである
出典:RT  2023年11日9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年11月20日



ロシア、モスクワのモスクヴィッチ自動車組立工場の屋根に看板を取り付ける作業員 © Sputnik / Ilya Pitalev


 半数以上のロシア人が、店の看板や建物の名前にロシア語の使用を義務付ける提案に賛成していることが、水曜日(11月8日)に発表された大規模な世論調査の結果で明らかになった。

 この結果は、先週、国家議会に提出された法案が、店舗や製品に英語の広告を使用することを禁止しようとしていることを受けてのものである。ロシア語を保護する必要性を理由に、この法案は地区や建物、商品の名称を英語で表記することも禁止する。

 世論調査会社スーパー・ジョブ社がこの法案について質問したところ、回答者の53%が賛成と答え、「私たちの国では、どんな看板でも理解できるものであるべきだ」、「ロシア語を守らなければならない」といった意見が寄せられた。

 新法案は、ロシアの店舗での「コーヒー」「フレッシュ」「セール」「ショップ」「オープン」などの用語の使用を取り締まろうとしている。しかし、ブランド名、商標、店の看板には適用されないため、例えばスターバックスのロシア語版であるスターコーヒーにはこの法案は適用されないことになる。


関連記事:Majority of Russians support turning away from West – poll


 しかし、回答者の4分の1は反対しており、「既存の名称を変える意味はない」、「もっとお金を使う必要なことが明らかにある」と不満を述べている。

 別の22%は、両方の言語を使うのが良いと考えていた。ロシア語のみの標識への支持は、45歳以上のロシア人(77%)と英語をまったく話せない人(67%)で最も強かったが、英語を流暢に話せる人の47%もこの提案に賛成していた。

 この標識法案は、公文書や通信における外国語の「過剰な使用」を禁止した、2023年初頭にすでに制定された法律よりも人気があるようだ。この法律に賛成したロシア人は41%に過ぎなかった。

ナチス、CIA、そして「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラム

<記事原文 寺島先生推薦>
Nazis, the CIA and the Post-Russian Forum of Free Nations
筆者:ティエリ・メイサン(Thierry Meyssan)
投稿者: INTERNATIONALIST 360°  2023年9月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月10日


1593.jpg

「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシア連邦を41の独立国家に解体することを意図している。


この「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシアのウクライナへの軍事介入に対応してCIAによって創設された。1年半の間に、ポーランド、チェコ共和国、アメリカ、スウェーデン、ヨーロッパと日本の国会で、すでに7回の会合が開かれた。


19世紀、ドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国は、宿敵であるロシア帝国の滅亡を計画した。この目的のために、ドイツとオーストリア・ハンガリーの外務省は共同で秘密作戦を開始し、ロシア同盟(Liga der Fremdvölker Rußlands - LFR)を設立した[1]。

1943年、第三帝国はソビエト連邦を解体するために反ボリシェヴィキ諸国連合(ABN)を創設した。第二次世界大戦末期、イギリスとアメリカはナチスとその協力者を引き取り、ABNを維持した[2]。しかし、ABNが引き起こした何百万人という死者を鑑み、CIAのナンバー2であったフランク・ウィスナーはABNの歴史を書き換えた。彼は、ABNは解放時に創設されたと主張する小冊子を何冊も印刷した。彼は、中欧とバルト海沿岸の人々はみな、団結してナチスとソビエトの両方と戦ったのだと主張した。これは大嘘である。実際には、中欧の多くの政党はナチスに味方してソビエトに対抗し、ナチス親衛隊の師団を結成し、ナチスの絶滅収容所のほとんどすべての看守を提供したのである。

米司法省の一部門である特別捜査局の特別検察官ジョン・ロフタスは、1980年にニュージャージー州の小さな町サウス・リバーに元ベラルーシ親衛隊の移住地があることを発見したと証言した。町の入り口にはSSの紋章で飾られた戦没者慰霊碑があり、別の墓地にはベラルーシのナチス首相ラドスラフ・オストロフスキーの墓があった[3]。

アメリカはナチスと戦い、ニュルンベルクと東京で彼らを裁いたとしばしば信じられている。しかし、これは真実ではない。ルーズベルト大統領が厳格なリベラル派であったなら、裏切り者を集めて自分のために働かせることは可能だと考えたはずだ。しかし、ルーズベルトは紛争が終結する前に死去したため、彼を取り巻いていた犯罪者たちは高官に上り詰めた。彼らは自分たちの目的を推進するために特定の政権を乗っ取った。これがCIAがやったことだ。

50年代と60年代にCIAの犯罪を明らかにしたチャーチ委員会と議会の努力は無駄だった。不透明な世界全体は地下に潜ったが、その活動を止めることはなかった。

ドミトロ・ドンツォフとその子分のステパン・バンデラ、ヤロスラフ・ステツコのウクライナ「統合民族主義者」はこの道をたどった。前者はすでにカイザー・ヴィルヘルム2世の秘密工作員であり、のちにアドルフ・ヒトラー総統の秘密工作員となったが、CIAに拾われてカナダに住み、ウィキペディアの記述とは異なり、実際は1973年にニュージャージー州サウス・リバーで死んだ。彼は第三帝国最悪の大量犯罪者の一人だった。戦争中にウクライナから姿を消し、プラハのラインハルト・ハイドリヒ研究所の管理者となった。彼はジプシーとユダヤ人問題の「最終解決」の立役者の一人であった[4]。

ドンツォフの子分のステパン・バンデラとヤロスラフ・ステツコはミュンヘンでCIAに雇われた。彼らはラジオ・フリー・ヨーロッパにウクライナ語の放送を提供し、ソ連での破壊工作を組織した。ステパン・バンデラは数々の虐殺を行ない、ナチスとともにウクライナの独立を宣言した。しかし、彼も戦争中にウクライナから姿を消した。彼は絶滅収容所の「名誉ある捕虜」として投獄されたと主張している。彼は1944年に再登場し、第三帝国からウクライナの統治とソビエトとの戦いを任されたのだから、これはあり得ないことだ。オラニエンブルク・ザクセンハウゼンの収容所管理本部で暮らし、アーリア人を堕落させることになっている「人種」を絶滅させるというナチスの事業に携わっていた可能性がある。冷戦時代、彼は「自由世界」を放浪し、ドミトロ・ドントソフに彼の組織の代表になることを提案するためにカナダに来た[5]。

時は流れ、これらの大量犯罪者は責任を問われることなく死んでいった。彼らの組織であるOUNとABNも消滅しているはずだった。しかし、そうはならなかった。OUNはウクライナ戦争中に再結成された。ABNもそうだ。現在、ABNはウェブサイトを開設している。ここでは、この組織は帝国崩壊前には存在しなかったと主張する戦後の宣伝用小冊子を読むことができる。ABNは今日も、9月26日、27日、28日にロンドン、パリ、場合によってはストラスブールで開催される「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムを続けている。その目的は、ロシア連邦を41の別々の国家に分割することである。このフォーラムの出自に疑いの余地はない。ロシア人民の代弁者を名乗りながら、モスクワを非難するだけでなく、中華人民共和国、北朝鮮、イランを攻撃している。その文書はベネズエラ、ベラルーシ、シリアにも触れている。しかし、ABNは、世界の独裁者のほとんどが集う世界反共産主義連盟 [6](現在は「自由と民主主義のための世界連盟」という上品な名称になっている)の創設と運営に参加した。

この「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムは、ロシアによるウクライナへの軍事介入を受けてCIAによって創設された。この集まりは1年半の間に、ポーランド、チェコ共和国、アメリカ、スウェーデン、ヨーロッパと日本の国会で、すでに7回開催された。同時にCIAは、イラクやシリアと同じように、ベラルーシとタタールスタンにも亡命政府を作った。まだ誰も承認していないが、欧州連合(EU)はすでに敬意を持って受け入れている。これらの亡命政府は、長年続いているイツキリア(チェチェン)の亡命政府に加えている。

現在のシステムは、その目的を達成するようには設計されていない。米国は、核保有国であるロシア連邦を解体するつもりはない。そのような事態は国際関係を完全に不安定化させ、核戦争の引き金になりかねないことを、ほとんどの指導者は認識している。そうではなく、ロシアを解体するというありえない目標を達成することを望む米国のために、人々を動員することの方が問題なのだ。

多くの政治家がこのゲームに参加している。元ポーランド外相のアンナ・フォティガがそうだ。2016年、彼女は欧州議会にEUの戦略的コミュニケーションに関する決議を提出した。彼女はEUのすべての主要メディアに影響を与える制度を考案し、それは効果的に機能した。フランスの中道派議員、フレデリック・プティの例もある。2014年、彼の党の広告塔(フランソワ・バイルーとミレイユ・ド・サルネズ)はキエフのマイダン広場に行き、「統合民族主義者」と一緒に写真に収まった。元ロシア議員のイリヤ・ポノマレフについては触れるまでもない。

ジェームズタウン財団のような頭脳集団(シンクタンク)もそうだ。CIA長官ウィリアム・J・ケーシーの協力を得て、ソ連からの著名な亡命者を機に設立された。2020年(つまりウクライナ戦争前)にロシアでは活動禁止とされた。ロシア解体に関する資料をすでに印刷していたからだ。最後に、ハドソン研究所は世界自由民主連盟(旧世界反共産主義連盟)を通じて台湾から資金援助を受けている。これにより、同研究所は「自由な国家のポスト・ロシア」フォーラムの集まりを主催することができた。


翻訳:ロジャー・ラガセ

参考文献

[1] 『第一次世界大戦中、ドイツがロシアの異民族の間で行った反ロシア宣伝戦への貢献』、セッポ・ツェッテルベリ、アカテミネン・キルヤカウッパ(1978)
[2] 『MI-6、女王陛下の秘密情報部の隠密世界の内部』、スティーブン・ドリル、フリー・プレス (2000)
[3] 『ベラルーシの秘密:アメリカにおけるナチスとの関係』、ジョン・ロフタス、アルバート・クノップフ(1982)
[4] 『極端な時代のウクライナ民族主義 ドミトロ・ドンツォフの知的伝記』、トレバー・エルラッハー、ハーバード大学出版局 (2021)
[5] 『ステパン・バンデラ: ウクライナ人民族主義者の生涯とその後: ファシズム、大量虐殺、そして狂信』、グジェゴシュ・ロッソリンスキー=リーベ、イビデム・プレス (2015)
[6] 『世界反共同盟:犯罪の国際化』、ティエリ・メイサン著、アヌーシャ・ボラレッサ訳、ヴォルテール・ネットワーク、2004/05/12

ロシア外相ラブロフの国連演説(全文): 「効果的な多国間協調主義を通し、国連憲章の目的と原則を守る:ウクライナの平和と安全の維持」

<記事原文 寺島先生推薦>
Foreign Minister Sergey Lavrov’s remarks at the UN Security Council meeting “Upholding the purposes and principles of the UN Charter through effective multilateralism: maintenance of peace and security of Ukraine”
出典:Permanent Mission of the Russian Federation to the United Nations  2023年9月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月7日


1575 


議長、事務総長、そしてみなさま

 今日、存在する国際秩序は、第二次世界大戦の廃墟から生まれ、その巨大な悲劇の結果として出てきたものです。国連憲章はその基盤として機能し、現代の国際法の鍵的な源泉となっています。核の大惨事につながる新たな世界大戦が回避されたのは、主に国連のおかげです。

 残念ながら、冷戦が終わった際、米国主導のいわゆる「西側諸国」は、全人類の運命を支配する権利を私物化し、その「例外主義」感情に駆られて、国際連合の創設者たちの遺産を無視し始める回数がますます増え、その規模も大きくなっています。

 現在、西側諸国は国連憲章の規範や原則を、個別の事例ごとに選択的に使用し、それが自身の地政学的利益に奉仕する場合にのみ利用しています。これにより、世界の安定が不安定になり、既存の緊張の火種が悪化し、新たな火種が生まれ、結果的には世界的な紛争の脅威が高まっています。これらのリスクを相殺し、出来事が平和な形で進展するようにするため、ロシアは国連憲章のすべての規定が選択的ではなく、相互に関連する性質を適切に尊重して完全に遵守されるよう要求し続けています。これには、国家の主権平等の原則、内政不干渉、領土の保全への尊重、および民族自決権の原則も含まれます。しかし、国連憲章で規定された要件のバランスが、米国とその同盟国による行動によって踏みにじられているのです。

 アメリカとその同盟国は、ソビエト連邦の崩壊後、独立国家がそれに代わるようになって以来、ウクライナの国内事情に露骨にかつ公然と干渉してきました。2013年末に、国務次官補ヴィクトリア・ヌーランドは、ワシントンがキエフの政治家たちを育てるために50億ドルを使ったことを、公然と、さらにはいくぶん自慢げに認めました。

 ウクライナ危機がどのように仕組まれたかに関するすべての事実は、かなり以前から暴露されています。一方、それらを闇に葬り去ろうとするあらゆる試みが行なわれています。まるで2014年以前の出来事を帳消しにしたいかのようです。このため、アルバニア大統領が提案した本日の集まりのテーマは非常に時宜にかなっています。この提案は、鍵となる関係国(者)が国連憲章の趣旨と原則を実行してきた文脈において、出来事の連鎖を回復する機会を私たちに提供するものだらです。

 2004年と2005年に、西側は親米候補を権力の座に就けようと、ウクライナ憲法がそのようなことを規定していないにもかかわらず、ウクライナ憲法裁判所に違法な決定を採用させることで、キエフで最初の政府クーデターに青信号を出しました。西側は、2013年と2014年の第2次マイダン運動でウクライナに内政干渉した際、さらに荒っぽい手法で行動しました。その時、ウクライナを訪問した西側の人々は、反政府デモに参加している人々に暴力を振るうようにあからさまに煽りました。またしても同じヴィクトリア・ヌーランドが、将来の内閣はこれらの犯罪的暴徒たちがキエフの米国大使と協議して形成されるべきと話したのでした。同時に、彼女は、ワシントンの考えとして、EU連合が国際政治舞台で実際にはどの位置に属しているのかを示しました。我々は彼女が述べた2語*を覚えており、EU連合がそれを飲み込んだことは非常に示唆的です。
*「Fuck the EU!」

 アメリカによって厳選された鍵となる人物たちが、2014年2月に血なまぐさいクーデターに参加しました。いいですか、これらの動きが組織されたのは合法的に選ばれたウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィッチが、ドイツ、ポーランド、フランスが保証人となり、野党指導者と合意に達した翌日のことなのですよ。内政不干渉の原則は何度も踏みにじられました。

 クーデター直後、その首謀者たちは、ウクライナのロシア語話者の権利を制限することが彼らの最優先事項であると述べました。彼らは、クリミアと東南部の地域で、反憲法クーデターを受け入れない人々をテロリストと指定し、それらに対する懲罰作戦を展開しました。クリミアとドンバスは、国際連合憲章第1条第2項で規定されている平等な権利と民族の自決の原則に完全に適合する形で住民投票を実施することで応じました。

 ウクライナに関して、西側の外交官や政治家は、国際法のこの基本的な原則を無視し、これらの出来事とその意味を単なる領土保全の侵害として描こうとしています。この文脈において、私は1970年の国連による国際法(国家間の友好関係と協力に関する)原則宣言を思い起こしたいと思います。この宣言は、領土保全の原則が「平等な権利と民族の自決の原則を遵守し、したがってその領土に属する全ての人々を代表する政府を持つ国々」に適用されると述べています。言うまでもなく、キエフで権力を掌握したウクライナのネオナチは、クリミアやドンバスの人々を代表していなかったことは明らかです。西側各国政府が犯罪的なキエフ政権に提供した疑問の余地がない支援については、内政干渉になっているばかりか、自己決定原則の侵害にもなることは言うまでもありません。

 政府のクーデター後、ウクライナは、ペトル・ポロシェンコとヴォロディミル・ゼレンスキーの大統領任期中に、教育、メディア、文化を含むあらゆるロシア関連のものを取り消す差別的な法律を採用し、書籍や記念物を破壊し、ウクライナ正教会を禁止し、その財産を接収しました。これらのすべての行動は、国連憲章の第1条第3項に明記されている、人種、性別、言語、宗教に関係なくすべての人に対する基本的な人権と自由の尊重を奨励するという内容を明確に侵害していました。言うまでもなく、これらの行動は、ウクライナ憲法にも明記されている「国家にはロシア人や他の民族少数派の権利を尊重する義務がある」という事実に明白に反していました。

 いわゆる平和の方針に従い、ウクライナを1991年の国境線に戻すよう呼びかける声を聞くと、次の疑問が湧きます:この呼びかけをしている人たちは、ウクライナ指導部がこれらの地域に住む人々に対してどんなことをしようとしているのか、わかっているのでしょうか? これらの人々は、法的または身体的な手段で絶滅されるという公然の脅迫に晒されているのです。そしてそれは、公式レベルで行なわれています。 西側は自分たちが保護しているキエフの人間たちのそういう動きを制止しようとしないばかりか、彼らの人種差別的な政策を熱心に支持しています。

 同様に、EU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)は何十年もの間、ラトビアとエストニアを支援し、数十万人のロシア語話者に対して非市民と指定し、彼らの権利を否定する動きの後押しをしてきました。現在、彼らは母国語を使用することに対する刑事責任を導入することについて真剣に議論しています。高官たちは、地元の学生が遠隔でロシア語の学校カリキュラムに従う機会について情報を広めることは、国家安全保障に対する重大な脅威として、法執行機関の関心を持つ事柄だ、と公然と述べています。

 しかし、話をウクライナに戻しましょう。国連安全保障理事会は、憲章第36条に完全に準拠して、2015年2月のミンスク協定を承認するために特化した決議を採択しました。この憲章は、「当事者たちによって既に採択された紛争解決の手続きを支持する」と規定しています。この場合、当事者にはキエフ、DPR(ドネツク人民共和国)、およびLPR(ルガンスク人民共和国)が含まれていました。しかし、昨年、ミンスク協定に署名したすべての人々、つまりウラジミール・プーチン以外の人々、すなわちアンゲラ・メルケル、フランソワ・オランド、およびペトロ・ポロシェンコは、公然と、ある程度の満足感を持って、この文書を署名した際にその文書を履行する意図がなかったと認めました。実際に彼らが望んでいたのは、ウクライナの軍事能力を強化し、ロシアに対抗するためにより多くの武器を供給するための時間を稼ぐことでした。これらの年月の間、EUとNATOは、ミンスク協定を妨害するためにキエフを支援し、キエフ政権に対してドンバス問題を武力で解決するよう促していました。これはすべて、憲章の第25条に違反して行なわれました。第25条は、すべての国連加盟国は安全保障理事会の決定を「受け入れ、実施しなければならない」と規定しています。

 ご記憶でしょうか、ミンスク合意の中身には、ロシア、ドイツ、フランス、ウクライナの指導者によって署名されたある宣言が含まれていました。この宣言では、ベルリンとパリは多くのことを行なうことを約束し、その中にはドンバスの銀行システムの復旧を支援することも含まれていました。しかし、彼らはそのために指一本も動かさなかったばかりか、これらの約束にもかかわらず、ペトル・ポロシェンコがドンバスに貿易、経済、輸送の封鎖を課すのを見守るだけでした。同じ宣言の中で、ベルリンとパリは、EU、ロシア、ウクライナ間の三国間の協力を促進し、ロシアの貿易に関する懸念を解決し、また「大西洋から太平洋までの共同の人道的および経済的領域の創設」を推進することを約束しました。そして、これらの約束も、私がすでに述べたように、国連憲章の第25条に基づいて、安全保障理事会によって採択され、拘束力を持つものとされました。しかし、ドイツとフランスの指導者によるこの約束は実質的に無効となり、国連憲章の原則へのさらなる違反となりました。

 伝説のソビエト連邦外相アンドレイ・グロムイコは、非常に正当なことを言っていました。それは、「1日の戦争よりも10年の交渉が良い」というものでした。この格言に従って、私たちは多くの年月を交渉に費やし、ヨーロッパの安全に関する合意を求めました。1999年と2010年に最高水準で不可分な安全保障に関するOSCE(欧州安全保障協力機構)宣言を採択し、ロシア-NATO創設文書を承認しました。2015年以来、私たちはミンスク協定が交渉中に合意されたとおりに全面的かつ免除なしで実行されるように主張しています。これらのすべてにおいて、私たちは国連憲章に完全に従って行動しました。この憲章は、「正義と条約および国際法から生じる義務を尊重する条件を確立する」と述べています。西側が、この原則を踏みにじったのは、またもや、すべての文書に署名はしたものの、始めからそれらを履行する気はないことを承知の上でした。

 交渉を私たちは今も拒否していません。プーチン露大統領は、これまで何度もこのことを述べています。私は国務長官に思い出してほしいのですが、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウラジミール・プーチン政府との交渉を禁止する大統領令に署名しました。アメリカがそのような交渉に興味を持っているのであれば、ゼレンスキーの命令が取り消されるよう合図を出すことは是が非でも必要だと思います。

 今日、私たちと対抗する人たちの言葉遣いは、「侵略」や「攻撃」、そして「併合」といったスローガンで満ち溢れています。彼らは、今回の問題にどんな内的な原因があるのかや、長年にわたり彼らがまぎれもないナチ政権を育て上げ、第二次世界大戦の結果や彼ら自身の国民の歴史を公然と書き換えている事実について一言も触れません。西側は、事実に基づき、国連憲章のすべての要件を尊重した実質的な議論をすることは望んでいません。おそらく、西側には、正直な対話のための議論が欠落しているからなのです。

 西側の代表者たちは、自分たちの空虚な言葉遣いが暴かれてしまう可能性がある専門的な議論を恐れているような印象を受けます。ウクライナの領土の保全についての呪文を唱えながら、元植民地国の代表者たちは、フランスにマヨット島をコモロスに返還するように求め、英国にチャゴス諸島から撤退し、フォークランド諸島(マルビナス諸島)の問題を解決するためにアルゼンチンとの交渉を再開するように求めている国連の決定には完全に沈黙したままです。ウクライナ領土の保全を「主張する者たち」は、ミンスク協定の本質を忘れているふりをしています。その協定によれば、ドンバスはウクライナに再統合されるのは、すべての基本的な人権、特に言語の権利の保証という条件の下でした。その実施を妨害した西側は、ウクライナの分裂と内戦の扇動に直接的な責任を負っています。

 国連憲章の他の原則について、それらを尊重することがヨーロッパにおける安全保障危機を防ぎ、利益の調和に基づく信頼措置を調整するのに役立ったかもしれないという点について、私は国際連合憲章第VIII章第2条を引用したいと思います。この条文は、地域機関を通じた地域紛争の平和的解決の実践を発展させることを呼びかけています。

 この原則に従い、ロシアとその同盟国は、1999年および2010年のOSCE(欧州安全保障協力機構)サミットで採択された安全保障の不可分性に関する決定の実施を推進するために、CSTO(集団安全保障条約機構)とNATOの間の接触を一貫して奨励しています。これらの決定は、「いかなる国、国の連合体、または組織もOSCE地域における平和と安定の維持に対する優越的な責任を持つことはできず、OSCE地域のどの部分もその影響圏と見なすことはできない」と一部で規定しています。どなたもご存知のように、NATOがまずヨーロッパで、そして今はアジア太平洋地域でもその完全な優越性を作ろうとしてきたことは明白です。CSTOからの数々の呼びかけはNATOに無視されました。アメリカとその同盟国がそんな傲慢な振る舞いをするのは、今日、だれの目にも明らかなように、誰とも平等な対話を行ないたくないからです。NATOがCSTOとの協力提案を拒否しなかったら、現在のヨーロッパ危機につながった多くの否定的な過程を防いだかもしれません。彼らはロシアの意見を聞かず、何十年もロシアを欺いてきたということがあるのです。

 今日、議長の提案に基づいて「効果的な多国間主義」について議論している際に、西側はどのような形式の平等な協力も拒否した多くの事実を思い起こすべきです。ホセップ・ボレルの「ヨーロッパは庭園であり、残りの世界のほとんどはジャングルである」という衝撃的な言葉があります。これは明白な新植民地主義の症候群であり、国の主権平等を軽視し、私たちが今日、議論している国連憲章の原則を守るために効果的な多国間主義を利用する目的を無視している証拠です。

 国際関係をより民主的にする取り組みを妨げようとするアメリカとその同盟国は、ますます公然とかつ厚かましく国際機関の事務局を掌握しています。そして強制力を持った命令権を持つ機構を創り出そうとする手続きを台無しにしています。そうすることで、彼らはワシントンに合わない人間は誰でも、どんな理由をつけてでも非難するためにこの国際機関の事務局を制御し、利用できるようにしているのです。

 この点において、私は、加盟国だけでなく、国連事務局も国連憲章を厳格に順守しなければならないことをお伝えしたいと思います。国連憲章の第100条によれば、事務局は偏見を持たず、「任意の政府からの指示を求めたり受けたりしてはならない」とされています。

 私はすでに国際連合憲章第2条に触れましたが、その主要な原則である「1. 国際連合は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基づいている」に焦点を当てたいと思います。この原則に従って、国連総会は1970年10月24日に宣言を採択し、以前に触れた通り、「すべての国は他の国によるいかなる形態の干渉も受けずに、政治、経済、社会、文化の制度を選択する不可侵の権利を有している」こと再確認しました。この点に関して、私たちは2023年3月29日に国連事務総長アントニオ・グテーレスが述べた発言について重大な疑問を抱いています。彼は、「独裁的な指導は安定の保証ではなく、混乱と紛争の触媒である」と述べましたが、「強固な民主社会は、自己修正および自己改善が可能な場所だ。彼らは流血や暴力なしにさえ、根本的な変革を実現できる」とも述べました。これは、ユーゴスラビアや、アフガニスタン、イラク、リビア、そしてシリアなど、多くの国で「強固な民主社会」の行動から生じた「変化」を思い起こさせます。

 アントニオ・グテーレスはさらに、「彼ら(強固な民主社会)は、平等、参加、連帯の原則に根ざした広範な協力の中心地である」と述べました。これらの発言は、アメリカ合衆国のジョー・バイデン大統領が主催し、その参加者がワシントンではなく、支配政党である民主党に対する忠誠心の原則に基づいてアメリカ政府によって選ばれた「民主主義のサミット」で行なわれたことに注目すべきです。このようなフォーラムを、国際連合の枠組み外での、友好的な会合ではなく、国際的な問題を議論するための閉鎖的な集まりとして利用しようとする試みは、国際連合憲章第1条第4項に直接的に対立しています。第4項には、国際連合の目的は「これらの共通の目標の達成において国々の行動を調和させる中心である」ことが記されています。

 この原則に反して、フランスとドイツは数年前に多国籍主義の同盟を設立することを発表し、従順な国々を招待しました。これは、発起者の植民地主義的な考え方と、今日、議論している効果的な多国籍主義の原則に対してどういう姿勢を取るか、について確認することになりました。同時に、彼らはEUを「多国籍主義」の理想的な例として宣伝しました。今日、ブリュッセルは、特にバルカン半島においてできる限り速やかなEUの拡大を求めています。さらに、主な焦点は、何十年も無駄な加盟交渉を行なってきたセルビアやトルコではなく、ウクライナに置かれています。ヨセップ・ボレルは、欧州統合の思想的先導者を自任しており、最近、キエフ政権の加速度的なEU加盟を求めるまでに至りました。彼によれば、戦争がなければ、ウクライナの(EU加盟)候補国としての地位が確立するのに数年かかるでしょうが、今では条件なしに受け入れることができ、すべきだと述べています。セルビアや、トルコ、および他の候補国は待っていられますが、ナチス政権は順番を待たずに受け入れられるというのが彼の主張です。

 ちなみに、国連事務総長は「民主主義のためのサミット」で以下のように述べました。「民主主義は国連憲章から生まれます。その冒頭の『私たち人民』という言葉は、正統な権威の基本的な源泉を反映しており、それは統治を受ける人々の同意です」。私はその主張を、キエフ政権の「これまでの実績」と対比することを提案します。キエフ政権は、ネオナチやロシア嫌悪者によって統治されることに同意をあたえなかった何百万もの人々に戦争を仕掛けました。ネオナチやロシア嫌悪者たちはウクライナの権力を奪い、国連安全保障理事会で承認されたミンスク協定を破棄し、そのことによってウクライナの領土の保全を滅茶滅茶にしたのです。

 国連憲章に反して、世界を「民主社会」と「独裁国」と二分する人々は、キエフ政権がどちらに属するかを考えるべきです。しかし、私は彼らが答えるとは思っていません。

 国連憲章の原則について話す際、国連安全保障理事会と国連総会の関係についても議論すべきです。西側の「チーム」は「拒否権が濫用されている」という考えを長年、積極的に主張し、拒否権が行使されるたびに、総会の開催を求める決議を採択させようと他の国連加盟国に圧力をかけてきました。もっとも拒否権をますます頻繁に行使するようになっているのは西側であるのですが。拒否権を私たちは問題だとは考えていません。ロシアは議題にある全ての問題についての私たちの立場を公にしており、何も隠す必要はありませんし、また、私たちにとっては再び自分たちの立場を表明することは難しくないからです。さらに、拒否権は国連憲章に規定された、国連を分裂させる決定の採択を防ぐための完全に合法な手段です。しかし、すべての拒否権を総会で議論する手続きが承認されて以降、なぜ国連憲章第25条の規定に反して採択されたが実施されていない多くの安全保障理事会決議も含め、過去何年も前から採択された安全保障理事会決議について議論しないのでしょうか? なぜ国連総会が、たとえばパレスチナに関する安保理決議や中東および北アフリカに関連する一連の問題、JCPOA(イラン核合意)、またウクライナのミンスク合意を承認した決議2202について、その理由を議論できないのでしょうか?

 制裁の問題にも注意を払うべきです。国連安全保障理事会(UNSC)がある国に対する制裁を採択した後、長い議論と国連憲章に厳密に従って、アメリカとその同盟国はしばしば、安全保障理事会の承認なしで、またはそれらの制裁を調整された内容の枠組みで理事会の決議に組み込むことなく、その同じ国に対して「追加の」一国単独の制限を採択することが標準的な手法となっています。遺憾なことに、最近、ドイツや、フランス、そしてイギリスなど、UNSC決議2231に基づく10月に期限切れとなるイランに対する制限を「拡大」するために、国内法を使用するという決定を下したことが挙げられます。言い換えれば、ヨーロッパ諸国とイギリスは、UNSCの決定が期限切れになったことを気にせず、彼ら自身の「ルール」を持っていると発表したということです。

 だから、どの国も自国の、法に基づかない制約を採用することによって、UNSCの制裁に関する決議を低く評価する権利を持つことはないという決定を考慮することが非常に重要になるのです。

 さらに、国連安全保障理事会が採択したすべての制裁体制は有効期限を持つべきです。なぜなら、期限のない制裁は、制裁対象国の政策に影響を与える能力において、安全保障理事会の柔軟性を損なうことになるからです。

 「制裁の人道的な限界」という問題にも取り組む必要があります。安全保障理事会に提出される制裁提案の草案に、(制裁をすれば)どんな人道的影響が出てくるのかについて、国連人権機関による評価を含めることは道理にかなうものでしょう。西側諸国の、「一般の人々は苦しまないだろう」といった空虚な言葉ではだめなのです。

みなさん、

 国際関係における深刻な危機と、西側諸国がこの危機を克服しようとする意欲や意志を持っていないことを事実(複数)は示しています。

 この状況からの脱出策が存在し、それが見つかることを願っています。しかし、まず、私たち全員が、私たちが創り出した国連と世界の未来への責任を、歴史的文脈の中で捉えるべきです。どの国連参加国も、自国の、目先に迫った人気取り選挙にかまけていてはなりません。私は繰り返したいと思います。約80年前に世界の指導者が国連憲章に署名したとき、彼らは大国でも小国でも、豊かな国でも貧しい国でも、君主国でも共和国でも、すべての国の主権平等を尊重することに同意しました。言い換えれば、当時、人類は安定した安全な発展の保証として、平等で多極性の世界秩序の重要性を認識していたのです。

 したがって、今日の問題は「ルールに基づく世界秩序」に私たちの同意を与えることではなく、国連憲章に署名し批准することによって私たち全員が、すべて何の例外もなく、身に帯びた義務を果たすことなのです。

映像はこちら
2023年9月20日

露外相ラブロフ、国連憲章と法の支配への回帰を呼び掛ける

<記事原文 寺島先生推薦>
Lavrov Calls for a Return to the UN Charter and the Rule of Law
出典:INTERNATIONALIST 360°  2023年9月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月4日





 セルゲイ・ラブロフ(ロシア連邦の外務大臣)は国際連合第78回総会の一般討論演説(2023年9月19日から26日、ニューヨーク)で発言した。

 ラブロフは本日(9月23日)国連総会で、次のように述べた:「未来は、世界の利益をより公平に分配し、文明的な多様性を支持する世界の大多数と、新植民地主義的な統治手法を行使し支配を維持しようとするわずかな者たち――その支配は彼らの手から滑り落ちようとしていますが、その2つの勢力の間の闘いによって形作られつつあります。」

 ロシア外相は述べた:「冷戦終結以来前例のないこととして、最近の出来事の中には、アメリカと欧州のNATO同盟国との間で行なわれた数多くの共同演習があります。それは、ロシア連邦での核兵器使用シナリオを策定することを目的としています」。

 彼は次のように付言した:「ロシアに戦略的な敗北を与えることが目的であると明言しています。アメリカとそれに従属する西側連合は、人類を敵対的な陣営に人為的に分け、全体的な目標の達成を妨げる紛争に火を注ぎ続けているのです」。

 彼は強調した:「彼らは、真に多極的で公平な世界秩序の形成を阻止するためなら何でもやり、世界を自己中心的な規則に従わせようとしています。私は西側の政治家たちに再度呼びかけ、国際連合憲章を注意深く再読するようお願いしたいと思います」。

 ロシアの外相はまた述べた:「ワシントンとそのアジアの同盟国が、米国の戦略的能力が増強している朝鮮半島でヒステリーを煽っていることに私たちは懸念を抱いています。また、露―中が主導する人道的および政治的な課題を優先とするという提案が拒絶されています」。

 彼は続けた:「スーダンの状況は悲劇的です。それは、西側が同国に自由主義と民主主義の教義を輸出しようとした実験に失敗した影響以外の何物でもありません。私たちは、スーダン国内の紛争を速やかに調整、と言うより解決するための建設的な提案を支持しています」。

 ラブロフは語った:「西側と最近のアフリカでの出来事、特にニジェールとガボンに対する緊張した関係を見ると、2014年2月のウクライナでの血みどろのクーデターにワシントンとブリュッセルがどのように反応したかを思い出さざるを得ません」。

 彼は説明した:「EUの保証の下で問題を解決する合意が達成された翌日に、残念ながら、米国やその同盟国に支えられて、まさに土足で踏み荒らすような反対の動きがこのクーデターを支持し、それを民主主義のデモとして称賛しました」。

 ラブロフは続けた:「セルビアのコソボ地域で続く悪化する状況に懸念を抱かざるを得ません。NATOがコソボに武器を供給し、軍を設立する手助けをしていることは、安全保障理事会1244号決議の重要な規定に甚だしく違反しています。バルカン半島で、ウクライナのミンスク協定のような悲しい話が繰り返されているのが全世界で見られます。そこでは、特別な地位の規定があったことを思い出します」。

 ラブロフの結論はこうだ:「そこで、WTO(世界貿易機関)紛争機関の業務を解除することも重要です。安全保障理事会の構成を拡大させる必要性が増しています。それは安全保障理事会理事の不足分を解消すればいいのです。不足の理事は世界多数派の国々と安全保障理事会の常任理事国から構成され、アジアやアフリカ、そしてラテン・アメリカに常置することになります」。



 ロシアの外相セルゲイ・ラブロフは、今日(9月23日)語った:ウクライナの大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーが「世界中を回ったり、お金を求めたり、注目を要求したり、武器を求めたり、そして他もろもろのものをねだっている」。そんな彼の提案は「まったく実現不可能だ」と付言した。

 ラブロフは言った:「ゼレンスキーと彼をブリュッセルやロンドンから指導しているすべての人々は、ひと言で言えば、ゼレンスキーのやり方以外には平和のための他の基盤は存在しないと断言しています。他にはこの基盤は存在せず、ゼレンスキーのやり方は違った言い方もできますが、それは完全に実現不可能です。これを実行することはできません。それは現実的ではないことは誰もが理解しています」。

 ラブロブは言った:「何が起こっているのかの理解を真剣に示そうと思う人は皆無です。理解しているひとで、そのことを大っぴらにしたくない人もいます。そして、このような状況下で、もし彼らが、それじゃ戦場で、と言うなら、結構、それは戦場で、ということになります」。

 ラブロフは言った:「安全保障理事会の会議での事務総長の発言に多くの人が驚かれたと思います。彼は突然かつ予期せず、ウクライナで起きていることに関する他の根拠のない非難に加えて、行方不明の子供たちや拉致された子供たち、飢えと飢餓に苦しむ子供たちなどについて、幅広い話をすることを決意したのです」。

 ラブロフは言った:「私にとっては特に子供たちについてこれを聞くのは驚きでした。なぜなら、国連事務総長の武装紛争における子供に関する国連特別代表であるヴァージニア・ガンバ女史が、ちょっと前に私たちを訪れています。彼女は詳細な議論に数日間参加し、彼女が関心を持っていた問題に光を当て、すべての回答が提供されているのです」。

 外務大臣ラブロフは言った:「これらの子供たちは、そのほとんどが様々な理由で孤児院に送られていた子供たちであることを申し上げます。そして、特別な軍事作戦が始まったとき、当然ながら私たちは彼らを安全な場所に運びましたが、これらの子供たちの名前を隠そうとは全くしませんでした」。

 アルメニアとアゼルバイジャンの紛争に言及して、彼は述べた:「アルメニアで起こっていること、および他のいくつかの旧ソビエト加盟国では、非常に強力なロビー活動が存在し、西側諸国に支持されたNGOを通じて、アメリカとその同盟国の利益を前進させており、これらの利益にはロシアの影響を弱体化させることも含まれています」。

 黒海穀物構想について尋ねられた際、ラブロフは次のように答えた:「この協定のウクライナに関する部分*はかなり効果的かつ迅速に実施されましたが、ロシアに関わる部分*はまったく実施されませんでした。そして、同時に、この構想のウクライナに関する部分がまだ機能している間、彼らは、私たちの海軍関係者が野菜を運ぶ船の安全な航行を可能にするために開いた黒海通路を何度か利用し、海洋空域上空に無人航空機(UAV)を発進させ、ロシアへの攻撃を行なったのです」。

* ロシア、トルコ、ウクライナ、国連の4者が2022年7月末に締結。黒海経由のウクライナ産穀物の輸出に関する協定と、ロシアと国連の間で合意したロシア産食品及び肥料の輸出制限解除に関する覚書の2つから成る。ロシア産食品及び肥料に関する覚書の有効期間は3年と定められたが、ロシア側はこの覚書が履行されていないと主張している。(スプートニク)
(訳註:本文中の「ウクライナに関する部分」は「黒海経由のウクライナ産穀物の輸出」に関する覚え書き、「ロシアに関わる部分」は「ロシア産食品及び肥料の輸出制限解除」に関する覚書のことだと思われる。)


国際連合安全保障理事会でのウクライナ周辺の危機に関するラブロフ外相が演説。ロシア

文字起こし: Foreign Minister Sergey Lavrov’s remarks at the UN Security Council meeting “Upholding the purposes and principles of the UN Charter through effective multilateralism: maintenance of peace and security of Ukraine,” New York, September 20, 2023

プリゴジン機の墜落事故:調査・発表・余波

<記事原文 寺島先生推薦>
Prigozhin plane crash: Investigation, versions, aftermath
出典:RT  2023年8月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月31日


1433-1.jpg
エフゲニー・プリゴジン(C)スプートニク/エレナ・コピロワ


死亡したワグナー部隊隊員を特定するためのDNA鑑定が進行中。墜落事故には犯罪性があるとする西側の主張をクレムリンは退けている

 ロシアの上級高官たちは、ロシアの私設軍事会社ワグナー部隊の実質的な指導者である実業家エフゲニー・プリゴジンの死に哀悼の意を表した。

 捜査当局は、プリゴジンが水曜日(8月23日)に自家用ジェットの墜落で亡くなったという事実を公式には確認していない。しかし、ウラジミール・プーチン大統領は木曜日(8月24日)、この死亡事故についてコメントする際、過去形で彼に言及した。


哀悼の意

 プーチン大統領は、ワグナー部隊がロシアに多くの利益をもたらした一方で、プリゴジンについては称賛と批判を交えた評価だった。彼は「複雑な人生の道を歩んだ人物」であり、「重大な過ちを犯した」一方で、自分のためだけでなく共通の大義のためにも「結果を生み出した」と、大統領は述べた。

 ロシア南部のチェチェン共和国の首長であるラムザン・カディロフは、軍司令官として同僚であったプリゴジンとの過去の友情を強調した。彼の業績は「否定できないもの」であるとラムザン・カディロフは語った。

1433-2.jpg
READ MORE:Putin comments on Prigozhin plane crash

 「最近の彼は、大局を見逃すか、あるいは見ようとしなかったようだ」とカディロフは述べた。「私は彼に個人の野心を捨てるように強く薦めた・・・(が、プリゴジンは)今ここで欲しいものを手に入れようとした」。

 ロシアの国粋主義者政党LDPRの党首であるレオニード・スルツキー議員は、プリゴジンについて「時折、私たちの立場は異なることもあった」が、彼とワグナーは「特殊軍事作戦の目標を達成するために多くを成し遂げた」と述べた。


墜落

 エンブラエル135BJレガシー600型機は、水曜日にモスクワからサンクトペテルブルクへ飛行中、トヴェリ州で墜落した。搭乗していた10人は全員死亡。

 同機には、プリゴジンとワグナー部隊の、彼と最も親しい仲間たちが搭乗していた。その中にデミトリ・「ワグナー」・ウトキン(彼の名から部隊の名前がつけられた)も含まれていたことが、乗員名簿によって判明した。

 主たる墜落地点から数キロ離れた場所で、残骸の一部が見つかった。これは、飛行機が高高度で破壊された可能性を示唆している。


調査

 プーチン大統領は、当局がプリゴジンのビジネスジェットに何が起こったのかを徹底的に調査することを約束したが、DNA検査などの必要な手続きには時間がかかると指摘した。

 ニュースメディアRBKによると、捜査はイヴァン・シブラに委託された。彼は以前、ロシアでの著名な航空事故の調査を指導した高級捜査官だ。

 彼のチームは、2014年にモスクワのヴヌーコヴォ空港で発生した自家用ジェット機の墜落事故調査に関与した。この事故で、フランスの石油大手トタルのCEOであるクリストフ・ド・マルジュリーが亡くなっている。シブラはまた、2019年に発生したアエロフロート1492便の火災と緊急着陸の調査もおこなった。この事故では41人が死亡。

 調査委員会は現在、この事件をロシアの刑法で犯罪とされる航空安全違反による死亡事故として扱っている。

 プリゴジンの飛行機の墜落現場周辺は、法執行機関によって封鎖されている。回復作業を報じるジャーナリストは、証拠の捜索が昼夜を問わず続いていると伝えている。


この墜落事故の背後にいるのはだれか?

 ロシア当局は、犯罪が絡んでいることは確認していないが、国内外で多くの憶測が広がっている。

 モスクワに批判的な人々は、モスクワが2か月前の短い反乱を主導したプリゴジンを復讐のために殺害したと非難した。ワグナー部隊がモスクワへ進軍する際、何人かのロシア軍兵士が殺害され、プーチンはそれを、ロシアの背中への一突きとして非難した。

 「ロシアで起こることのほとんどは、プーチンが背後にいます」とアメリカ大統領のジョー・バイデンはジャーナリストに語った。(しかし)彼は、過去起こったことについて確かなことを知らないと認めている。

1433-3.jpg
READ MORE:Wagner boss announces major move ‘to make Russia greater’

 ペンタゴンは、メディアが最初に提唱した、対空ミサイルがこの飛行機を撃墜したかもしれないという主張を退けた。報道官パトリック・ライダーによると、ペンタゴンはその理論を「不正確」と評価している。しかし、プリゴジンがその墜落で殺害された可能性が高いと米軍は考えている、と彼は付言した。

 クレムリンの報道官ドミトリー・ペスコフは金曜日(8月25日)に述べたところによれば、西側がロシア政府に罪ありとしようとするのは「絶対的な嘘」であり、どのような事実にも基づいていないと述べた。

 ロシアのメディアが引用した情報源によれば、そのジェット機はおそらく空中で仕掛けられた爆弾によって破壊された可能性があり、一部の情報源はプリゴジンの個人パイロットを指摘した。彼はこのジェット機内に乗っておらず、行方不明と言われている。犯人である可能性がある、というのがその情報源の考えだ。


(業績への)評価と反乱

 昨年、ワグナーの指導者(プリゴジン)はウクライナの戦役における役割に対してロシア政府から最高の国家勲章を授与された。彼の6月の蜂起はベラルーシが仲介した取引によって中止され、それによりプリゴジンと彼に忠実な部隊はロシアを離れることが許された。

 プリゴジンの死(推定)の直前、彼はアフリカでの活動に焦点を当てる意向を発表した。現在ワグナー部隊はこの地で強力な存在感を示している。

プーチン大統領、プリゴジン機の墜落事故に論評

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin comments on Prigozhin plane crash
出典:RT  2023年8月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年8月26日


1356-1.jpg
ファイル写真:ロシアのプーチン首相(左)が、ヤニノ村のコンコード食品工場を訪問。右―コンコード社食品生産ラインの最高責任者エフゲニー・プリコジン. © Sputnik / Alexei Druzhinin


ロシア大統領はワグナー代表を「才能ある男」と評した

 エフゲニー・プリゴジンは、ウクライナのネオナチとの闘いに「多大な貢献」をした多才な人物であったと、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は木曜日(8月24日)に発言し、ワグナー・グループの代表が死亡したとされる飛行機事故について論評した。

 プーチン大統領はクレムリンで記者団と会見し、プリゴジン氏とは1990年代初頭からの知り合いであり、「複雑な運命を背負った人物」であると述べた。

 「彼は人生で重大な過ちを犯したが、結果も出した。自分のためだけでなく、私が頼んだ時には全員の共通の利益のために。ここ数カ月間もそうだった」とプーチンは付け加えた。プーチンは、プリゴジンを「才能ある実業家」であり、アフリカだけでなくロシアでも石油、ガス、貴金属、宝石の取引をしていたと述べた。プーチンによれば、どうやらプリゴジンはアフリカから戻ったばかりで、何人かのロシア政府関係者と会ったという。

 プリゴジンの名前が、水曜日(8月23日)にモスクワからサンクトペテルブルグに向かう途中、トヴェリ州で墜落したエンブラエル自家用ジェット機の乗客名簿に載っていた。乗客7名全員と乗員3名が死亡した。当局は遺体の身元確認作業を進めているが、プリゴジンは他のワグナー指導者6名とともにその中に含まれていると推定されている。

 プーチンは遺族に哀悼の意を表し、墜落事故の徹底的な調査を誓った。

 この事件は、ワグナーがロシア軍に対する反乱に失敗してからちょうど2カ月後に起きた。プリゴジンは、ロシア国防省がワグナーの基地を攻撃したと非難し、ロストフ・オン・ドンの軍司令部を乗っ取りながら、モスクワに向けて部隊を派遣した。

 プーチンはこの反乱を反逆罪に等しいと非難し、プリゴジンを刑事告訴した。しかし、告訴は数日で取り下げられた。というのは、プリゴジンは、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が仲介した取引の一環として、ワグネルの大部分を解散させ、残りをベラルーシとアフリカに残すことに同意したためであった。

RT編集長は、自身に対する暗殺計画失敗を受けて「私は、ロシアを裏切るくらいなら殺された方がよい」と語る。

<記事原文 寺島先生推薦>
‘Treason is worse than death’ – RT editor-in-chief on failed assassination plot
Margarita Simonyan has expressed hope that the alleged murder plot participants will redeem their errors and start their lives anew
マルガリータ・シモニャンは、殺人計画参加者とされる人々が過ちを償い、新たな人生を歩むことに期待を表明した。
出典:RT   2023年7月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年7月23日


1253-1.jpg
RT編集長マルガリータ・シモニャン。


 死よりも悪い運命がある、とRTのマルガリータ・シモニャン編集長は土曜日(7月15日)、ロシアの治安当局がネオナチグループによる彼女の暗殺計画を阻止したと発表した後、ジャーナリストたちに語った。同記者は、祖国のために死ぬことは恐れておらず、彼女を暗殺しようと共謀したとされる者たちがその誤りを理解することを望んでいると語った。

 「私が言いたい最も重要なことは、死よりも悪いことがあるということです。不名誉は死よりも悪く、裏切りは死よりも悪い」とシモニャンは言い、「自分が救いようのないことをしたという思いを抱えて生きることは、死よりも悪い」と付け加えた。

 RTの編集長はまた、この陰謀疑惑で逮捕された人々が過ちを正し、新たな人生を始めるのに十分な時間があることを望むと述べた。彼女はまた、若者たちが「洗脳」され、このような陰謀にも参加できるようになったことを思うと、かわいそうだという気持ちにもなると語った。その日未明、ロシア保安庁は、拘束された者の中には未成年者もいたと発表した。

 これに先立ち、この暗殺計画の背後にいると疑われるネオナチグループのメンバー5人を拘束したロシア連邦保安局は、18歳の男に対する尋問の様子を映した映像を公開した。映像の中で、彼はネオナチグループを組織したこと、そしてその後、お金と引き換えにウクライナの情報機関から命令を受けたことを自供している。

 「18歳の少年が...そのような方法で洗脳され...自国民を思いやることと、自国のオピニオン・リーダーを殺すためにウクライナ情報部から金を受け取ることが両立すると判断するような洗脳を受けたことは非常に残念です」とシモニャンは語った。

1253-2.jpg

 関連記事:ウクライナによるRT編集長暗殺計画は阻止された – FSB

 土曜日にFSBは、「パラグラフ88」として知られるネオナチグループのメンバーが事件に関連して逮捕されたと発表した。タス通信は、モスクワの裁判所を引用して、6人がこの陰謀に関係している疑いがあると報じた。

 ロシア連邦保安庁によると、この作戦でロシア保安庁はカラシニコフ・アソルトライフル、90発のカートリッジ、ゴムホース、ナイフ、ブラスナックル、手錠を押収した。また、ナチスの道具や文献とともに、グループの「犯罪意図」を確認する情報を含むコンピューターも発見された、とFSBは付け加えた。

西側諸国の借金中毒は新たな世界金融危機を引き起こす可能性がある―プーチン大統領

<記事原文 寺島先生推薦>
West’s debt addiction could trigger new global financial crisis – Putin
Irresponsible economic policies by developed nations have increased tensions globally, the Russian president has claimed
先進諸国の無責任な経済政策により世界的に緊張が高まっている、とロシア大統領が主張
出典:RT   2023年7月4日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月22日



ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、モスクワのクレムリンでビデオ会議を通じて上海協力機構(SCO)の仮想会議に出席© Sputnik / Aleksandr Kazakov


 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は火曜日(7月4日)、西側諸国による制御されない債務の蓄積が新たな世界金融危機が起こる危険性を高めていると警告した。

 モスクワからの中継動画を通じて上海協力機構(SCO)の仮想首脳会議で演説したロシアの指導者であるプーチン大統領は、近い将来「紛争の可能性」を増大させる可能性のある世界的な脅威について触れた。

 プーチン大統領は「先進諸国における歯止めのない債務の蓄積、世界中で起こっている社会の階層化と貧困の増大、食糧と環境の安全保障の悪化を背景に、新たな世界経済・金融危機の危険性が高まっている」と述べた。

 同大統領は、これらの問題はそれぞれ「ひとつひとつにおいても複雑かつ多様」だが、これらの問題が組み合わさることにより、世界中で緊張が煽られている、と強調した。

 第23回SCO首脳会議はインドのナレンドラ・モディ首相が議長を務める。

 国際通貨基金(IMF)のロシア担当事務局長アレクセイ・モジン氏は先月、高水準の公的債務により西側経済は危機的な状況にあると警告した。

 関連記事:プーチン大統領、中国との貿易における脱ドル化の進展を明らかに

 同氏は、裕福な州が何年にもわたって無責任な予算・金融政策を実施したことが、最終的に現在の債務危機を引き起こしたと非難した。

 モジン氏によると、英国、フランス、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、イタリアを含むほぼすべてのEU諸国は、多額の債務に直面している、という。


ロシアメディアが明らかにしたワグナー部隊と国との契約金

<記事原文 寺島先生推薦>
Value of Wagner state contracts revealed by Russian media
The private military company was paid almost a trillion rubles ($11.4 billion) in government tenders, TV presenter Dmitry Kiselyov has claimed
私設軍事会社が政府の入札において約1兆ルーブル(1兆5400億円)を受け取った、とテレビ司会者デミトリ・キセリョフは、と主張した。
出典:RT 2023年7月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年7月20日



資料写真:ロシアの私設軍事会社ワグナー・グループの兵士たち。©スプートニク/ヴィクトル・アントニュ


 エフゲニー・プリゴジンが所有するワグナー・グループを含む持ち株会社が、ロシア政府から得た仕事によって相当な利益を得ており、数千億ルーブルにも及ぶ契約を確保しているとロシアのメディアグループ「ロシヤ・セゴドニャ」のトップであるデミトリ・キセリョフは、日曜日(7月2日)、述べた。

 キセリョフは、彼の週刊ニュース番組で、プリゴジンのワグナー私設軍事会社は、「国家との契約に基づいて、約8580億ルーブル(1兆3213億円)以上を受け取った」と述べた。

 彼はさらに、他の契約に基づいて、プリゴジンの持株会社であるコンコルドは、配膳業およびメディア事業にも関与しており、約8450億ルーブル(1兆3013億円)相当の事業を提供していたと述べた。

 「これは彼らがそんなに多くを稼いだというわけではないが、この事業の規模や野心の大きさを示す指標となっている」とキセリョフは述べた。

 彼はまた、プリゴジンの会社は、報道機関に対して強力な影響力を有していた点を指摘し、ワグナー・グループはロシア最強の前線部隊であるという印象を持っている人もいたかもしれない、と付言した。

 「誰かの功績を貶める」つもりはないと強調しながら、キセリョフは、ウクライナのアルチョーモフスク(ウクライナではバフムートとしても知られている)というドンバスの要塞をワグナー部隊が占拠するよりも、通常のロシア部隊は強固に守られた都市マリウポリをより速く制圧したと振り返った。



 関連記事:ロシアはワグナー関連の報道機関を閉鎖

 彼の発言は、ロシアのプーチン大統領が火曜日(6月27日)に述べた、ワグナー・グループが完全に国家の支援に依存しているという指摘した後になされた。彼は、昨年の間にロシア当局がワグナー戦闘員に賃金や報奨金として860億ルーブル(1324億円)を供与したと主張した。

 同時に、プーチン大統領によれば、プリゴジンのコンコルド会社は、1年間で軍に食品を供給するために国から800億ルーブル(1232億円)を受け取った、とのこと。

 先月、プリゴジンは、ロシア国防省がワグナー部隊のキャンプへミサイル攻撃を仕掛け、死者を出したと非難した。そして報復を誓った。国防省はこの主張を否定した。彼の部隊は、一部の部隊がモスクワに向かって進む中、南部のロストフ・ナ・ドヌ市でいくつかの軍事施設を占拠した。

 しかし、プリゴジンはベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領の仲介による取引の一環として、進軍を停止した。合意の条件によれば、ロシア政府は私設軍事会社(PMC)のリーダー(プリゴジン)に訴追を取り下げ、彼がベラルーシに移住することを許可することに同意した。

ロシアで頓挫したワグナー部隊蜂起のカギとなる場面

<記事原文 寺島先生推薦>
Key moments of aborted Wagner revolt in Russia
RT breaks down how the private military company’s attempted rebellion unfolded
RTは、この私設軍事会社による蜂起の試みがどのように展開したかを詳しく解説
出典:RT  2023年6月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2023年7月15日



ロシアのロストフ・ナ・ドヌにある戦車。2023年6月24日© Sergey Pivovarov / Sputnik


 エヴゲニー・プリゴジン率いるワグナー私設軍事会社がロシアで蜂起を開始し、金曜日(6月23日)の夕方から土曜日(6月24日)にかけてそれは続いた。

 武装請負業者たち(ワグナー部隊)は、国の南部にある陸軍の本部を奪取することに成功した。

 しかし、彼らは他の部隊を結集することに失敗し、最終的には当局との合意により、モスクワへの進撃を中止した。

 この合意は、プリゴジンに対する恩赦を含め、ベラルーシの指導者であるアレクサンドル・ルカシェンコによって仲介された。



1.ワグナー部隊-ロシア国防省間の緊張のくすぶり

 ワグナー部隊は、レストラン経営者でケータリング業界の大物であるエヴゲニー・プリゴジンによって設立された。この部隊のメンバーは正規ロシア軍とともに戦い、ウクライナ人にはバフムートとして知られるドンバスの都市アルチョモフスクでの血みどろの戦闘で輝かしい戦果を挙げた。

 プリゴジンは、国の最高軍事幹部に対して公然と批判的な立場を取っている。彼は国防大臣のセルゲイ・ショイグと総参謀長のヴァレリー・ゲラシモフ将軍を公然と非難し、彼らはウクライナにおける軍事作戦の指揮を誤ったと主張している。また、プリゴジンはロシア国防省との公式契約に署名することを拒否している。



2.プリゴジン、「モスクワへの行進」開始

 金曜日(6月23日)の遅い時間に、プリゴジンはロシア軍がワグナー部隊の野戦キャンプを攻撃したと非難した。国防省は彼の主張を即座に「挑発的情報」として否定した。それにもかかわらず、プリゴジンは「正義のための行進」を始め、モスクワに到達する計画であると発表した。

 土曜日(6月24日)の早朝、戦車を含むワグナー部隊の装甲車列が南部のロストフ・ナ・ドヌ市に進入した。市内では、ワグナー部隊は戦闘することなく、南部軍管区の本部を制圧した。後に、ロストフで数発の銃声が聞かれたが、死傷者は報告されなかった。



3.プーチン、反乱を非難

 プリゴジンが「行進」を宣言した直後、連邦保安庁は彼を、武装蜂起を扇動したとして告発し、刑事事件として立ち上げた。土曜日(6月24日)の朝、ウラジーミル・プーチン大統領はビデオメッセージで、ワグナー部隊の行動は反逆に等しいと述べ、それを「私たちの国と私たちの人々への背信行為」と表現した。彼は統一を呼びかけ、秩序を回復するために必要なすべての措置が講じられていると述べた。

 一方、モスクワとモスクワを囲む地域では、テロ対策の措置が実施された。いくつかの都市で公共イベントは中止され、モスクワへの主要な高速道路も一時閉鎖された。

 その間、プリゴジンは他の軍の支持を得ることに失敗した。反対に、一部の有名な指揮官や高官たちは、ワグナー部隊に武器を降ろすよう呼びかけた。




4.反乱部隊は、合意が達成された後、引き返す

 土曜日(6月24日)の夜、プーチンの代理としてプリゴジンと話したベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は、身の安全と引き換えにワグナー部隊の指導者(プリゴジン)が蜂起を終了することに同意したと述べた。数時間後、プリゴジンはワグナー部隊の車列がモスクワへの進撃を停止し、基地に戻ることを発表した。しばらくして、地方当局はワグナー部隊戦闘員がロストフ・ナ・ドヌを離れたことを確認した。

 クレムリンは、流血を避けるために、プリゴジンに対する訴追は取り下げ、彼は「ベラルーシに行く」と述べた。プーチン大統領の報道官であるドミトリー・ペスコフは、ウクライナ「前線での彼らの業績」により、ワグナー部隊のメンバーは訴追されないと付言した。


ロシアはウクライナにいる外国人戦闘員や西側の将軍たちを粉砕するだろう―ラブロフ外相

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia will destroy foreign fighters and Western generals in Ukraine – Lavrov
The minister accused foreign militants of using civilian infrastructure
ラブロフ外相は、外国人戦闘員が民間インフラを使っている、と非難した
出典:RT  2023年6月30日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年7月14日



ロシア外相セルゲイ・ラブロフがモスクワで行われた人民外交のための上海協力機構(SCO)国家センターで発表© Sputnik/Sergey Guneev


 ロシア外相セルゲイ・ラブロフは、ウクライナが外国の傭兵や西側の将軍に市民インフラを使わせてロシアと闘わせていると非難し、これらのグループを粉砕することを誓った。

 ラブロフ外相は金曜日(6月30日)のオンライン会見で、「ロシア軍による市民を狙った故意の砲撃の事実はひとつも確認されていません」と述べた。ただし、ウクライナ側は「国際人道法を犯し、戦争犯罪を犯しています。傭兵や西側の将軍、そして教官たちに市民施設を利用してあらゆる種類の会議を開催することを許しているからです」と主張した。

 「例えば、クラマトルスクのような集まりがある場合、私たちはそれらを粉砕します。なぜなら、こういった人たちは私たちに宣戦布告した人々だからです」とラブロフは述べた。彼は、火曜日(6月27日)にロシアがドンバスのクラマトルスク市の臨時旅団基地に対して行った高精度攻撃のことを言っている。




関連記事:ロシアの攻撃によりウクライナの複数の将軍が戦死



 ロシア国防省は、その基地が数十人のウクライナの将校と外国の顧問を含むスタッフ会議を開催していたと主張。攻撃により「2人の将軍、ウクライナ軍の最大50人の将校、および最大20人の外国の傭兵と軍事顧問」が死亡したと報告した。

 ロシア軍はザポリージャ州、ヘルソン州、およびドンバス地域の防御陣地へのウクライナの攻撃を撃退し続けている。それはキエフが今月初めに打ち出した大々的な反転攻勢以来続いている。

 ウクライナは今のところ重要な進展を遂げることができず、多くの死傷者を出しており、キエフの西側支援者から提供された戦車や歩兵戦闘車を含む重機数十両と数百人の兵士を失っている。

束の間、ワグナー部隊のプリゴジンは西側の政権交代熱心派にとっての英雄だった。

<記事原文 寺島先生推薦>
For a hot minute, Wagner's Prigozhin was a hero for Western regime change enthusiasts
Even as last weekend’s mutiny failed to live up to their wishful thinking, commentators kept harping on about imminent chaos in Russia
先週末の反乱が彼らの願望通りにはならなかったにも関わらず、評論家たちはロシアでの迫り来る混乱についてひたすら繰り返し言及し続けた。
筆者:レイチェル・マースデン (Rachel Marsden)
出典:RT   2023年6月29日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2023年7月14日

レイチェル・マースデンはコラムニストであり、政治戦略家であり、独立系として制作されたトークショー(フランス語と英語)のホスト。


1229-1.jpg
ロシアの私設軍事会社であるワグナ―部隊の軍人と戦車。ロシアのロストフ・ナ・ドヌの街にて。2023年6月24日、©セルゲイ・ピボヴァロフ/スプートニク


 ロシアの政権交代を長年夢見てきた西側の人物たちは、「ワグナー反乱」を、ロシア政権の信頼性を揺さぶる絶好の機会と見たようだ。

 彼らは自分たちの変態ポルノ趣味を、事実と現実が自分たちの甘い考えとは距離を置き始めていたにもかかわらず、今回の出来事にどうしても結び付けてしまうのだった。ワグナー部隊のトップであるエフゲニー・プリゴジンは、不満はロシアの軍指導部である国防相セルゲイ・ショイグと参謀総長ヴァレリー・ゲラシモフにあると自ら語っていた。彼は以前、不十分な弾薬と支援についてこの二人に不満を抱いていた。また、彼は自分の部下の「正義」を求めてモスクワへの武装行進を行った。彼の部下たちは(彼の言葉によれば)、過酷な数ヶ月にわたるアルチョーモフスク(バフムート)の戦闘で重要な役割を果たし、最終的にロシアの勝利につなげた。そんなことはだれも気にかけない。そこで、プリゴジンがクーデターを企てていることを明確に否定し、またロシアの大統領ウラジミール・プーチンを標的としているわけではなかったとしたらどうなるのか? このドラマ全体は、人々がいつもの通り日常生活を送っているここモスクワから見れば、まるでささいな兄弟げんかのようになる。兄の方がプーチン父さんの注意を引くためにおもちゃを必死になって乳母車から投げ出している。ロストフ・ナ・ドヌにいるのはプリゴジン、モスクワにいるのは軍指導部の二人だ。

 プーチン大統領は、このかんしゃく持ちの少年(プリゴジン)をベラルーシに送る取引を結んだ。プリゴジンとワグナー部隊はここで合流すればいい、とプーチン大統領は述べた。都合のよいことに、こうすればワグナー部隊はキエフに、はるかに近い場所に陣取ることになる。モスクワへ行進するよりはずっと近くなるのだ。そして、それはまた、ロシアの戦術核が到着する頃にもあたる。

1229-2.jpg

関連記事:プーチンのワグネル叛乱演説の要点

 
 しかし、政権交代支持者たちは、これらの事実や分析にあまり関心を持っているようには見えない。代わりに、事態は混とん状態になっているという夢想を、彼らは捨てきれない。プリゴジンを利用して彼らの反プーチン妄想を投影し続けているのだ。まるで彼がパメラ・アンダーソン*であり、政権交代支持者たちが90年代の思春期の少年のようだ。そして、言わせてもらえば、彼らの物思いの一端は・・・もうそこで終わっている。
*1967年7月1日生まれのカナダ系アメリカ人の女優、モデル、メディアパーソナリティ。彼女はプレイボーイ誌でのグラマーモデルと、テレビシリーズ『Baywatch』(1992年-1997年)での「C.J.」パーカー役で最もよく知られている。(ウィキペディア)

 「ロシアが中国の手中に落ちることを我々は心配しているのでしょうか? 崩壊が起こるのでしょうか? ファシストまっしぐら、ということでしょうか? 混乱と混沌が長期間続くのでしょうか? 彼らは核兵器を取引カードとして利用して、何かを得ようとするのでしょうか?」と、ヨーロッパ政策分析所のエドワード・ルーカスはBBCラジオで尋ねた。おっと、ちょっと回転をゆるめて! 地元の公園で鳩に餌を与えるバブシュカ(老婦人)たちは、明日の昼食の計画に忙しく、ロシアが積極的に戦ってきたファシストのイデオロギー(思考様式)を受け入れることを考慮すべきだ、というあなたのメモを彼女たちは、おそらく、まだ受け取ってはいない。ロシアが「中国の手中に落ちる」ということに関しては、2国はまさに仲間だ。そんな状態になることは、ほんとうのところ、ないだろう。たぶん冷たいシャワーでも浴びたら?

 ルーカスはここも止まらなかった。プーチンの死亡していないことを受けて、この専門家は(それまで言ったことを)さらに倍掛けしたのだ。プーチン直後を見据え、「プーチン後のクーデター政権」を予想し、「弱い中央政府が強力な犯罪の軍閥と戦う」事態を想定したのだ。現実には、彼が視聴者に想起させる同じような地方の指導者、分離独立派の少数派、そして大企業の重鎮たちは、どんな国でも資源や権力を巡って争っている。彼は同じようにフランスやアメリカについて気軽に語ることもできだろう。なぜほとんどの専門家がそれをしないのだろうか? 現実を見れば、現在のインフレが深刻な西ヨーロッパの生活はモスクワでの生活よりもはるかに厳しい。なぜ彼らはそれについてほとんど触れないのだろうか? 私がこういうのは、私は両方の場所(ロシアと西側)を行き来しているからだ。

 「プーチン、ロシアにおける権力の絶対的な掌握に対する歴史的な脅威に直面」というブルームバーグの見出し。(ロシア憲法に目を通した人であれば)ロシア国民は今回の出来事を、ロシアの大統領がロシア憲法に基づいて国民に権限を委任し信頼していることの証拠と見るだろう。そして、民主主義の支持者として、時にはそれはやや混乱を伴うこともあるとわかっている中で、西側の人間はなぜ今回の出来事をプーチンがそれ(民主主義)を実践している証拠として祝福しないのだろうか? 「独裁主義」(この用語は、長い間明らかに誤って彼のせいにされてきた)が侵食の危機にあることをプーチンは嘆いてはいない。

 「ロシアは強力な指導者なしでは機能できず、この大統領の指導力は致命的に弱体化している」とフィナンシャル・タイムズ紙は述べた。ああ、つまりロシアは今、プーチンが多年にわたり西側の批判家から過度に手荒いと非難されてきたにもかかわらず、独裁主義を必要としていると言うのか? どちら?

 ギデオン・ラチマンは、フィナンシャル・タイムズ紙において、今回の気まずい出来事からプーチンが立ち直ることはないだろう、と述べている。「ワグナーに対する直接の戦いでロシアの指導者プーチンが勝利したとしても、プーチンがこのような屈辱を最終的に乗り越えられるとは思えない」と彼は書いた。ワグナー部隊の行進によって、プーチンは全校生徒の前でパンツを尻に食い込ませられるような恥辱を受けたかのような書きぶりだ。

1229-3.jpg

関連記事:ロシアは内戦を回避した - プーチン


 「プーチン政権は一時的に生き延びた」とモントリオール・ジャーナル紙は報じた。クレムリンは「正常さの印象」を与えることを望んでいるとの言葉も添えて。はっきりしているのは、プーチンは危機をどんな巧みに収束させても、それは捏造だとの非難は避けられないということだ。そう、もし彼が事態を制御せずに放置していたら、ずっと事態はよかっただろう。2021年1月6日のワシントンでの議会襲撃とキャピトル・ヒル暴動の際に起こったようになるから。それが世界に真の正常さを伝える方法なのだ。さもなければ、混乱を隠そうとしていると非難されるだろう。しかし、少なくともプーチンがすぐに終わるだろうという言葉を撤回するのは、現場の事実に気付かず、それに固執し続ける人間たちよりは良い。

 米国上院議員のリンジー・グラハム(R-SC)は、自分がよしとしない米国の政権交代の取り組みに一度も遭遇したことはなかったが、今回の騒乱中に、Twitterに次のように考えを披瀝している「ロシア内部で内乱と混乱が起こるなら、最終的な結果は次のようになってほしい:ロシアの人々がプーチンのような腐敗した、独裁的な戦争犯罪の独裁者から解放されんことを!」。この自称民主主義支持者は、自分が排除したいと思っている指導者をロシア国民は民主的に選出したという事実を少しでも気にかけているのだろうか? 選挙で選ばれた大統領を不法に追放するという文字どおりテロ行為に値する行為を喝采しながら、彼が祈るように望んだ行為(政権交代)を成し遂げた人たちは、次にはテロリストと見なされ、奉仕するに値しない者として追放されるだろうと、何の皮肉も交えず語った。プーチンは、「ワグナー・グループのようなテロ組織ではなく、真のロシア愛国者たちによって置き換えられ、自由を確立し、ロシアを世界に統合すべきだ」と彼は述べた。グラハム上院議員は「我々が望むのは、長く苦しんできたロシア国民の自由です」と付言した。
 
 これらの人々の念頭には、プーチンのいないロシアの未来に歓声を上げたり、予測したりする際、第一に、それはロシア市民の民主的な意思表示に対するはなはだしい侵害である、という考えがいったい浮かぶのだろうか? どういうわけか、そういった枝葉末節は常に彼らの分析から抜け落ちてしまうようだ。

「ロシアは反乱後もより強くなって浮上するでしょう。心配する必要はありません」とラブロフは語る。

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia will emerge stronger after mutiny so no need to fret, Lavrov says
筆者:ガイ・ファウルコンブリッジ (Guy Faulconbridge)
出典:ロイター  2023年6月30日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月13日


1215.jpg
[1/2] ワグナー傭兵部隊の指導者であるエフゲニー・プリゴジンがロシアのロストフ・ナ・ドヌ市からの撤退に伴い、南部軍管区本部を離れるところ。2023年6月24日の写真(アレクサンダー・エルモチェンコ/ロイター提供)。


要 約
ラブロフ:ロシアの安定について心配する必要は一切ない
ラブロフ:世界の大半は西側のルールを欲していない
キーウは核のリスクを巡って「危険なゲーム」をしている
ラブロフ:西側はウクライナ紛争を凍結したいと考えている



 モスクワ、6月30日(ロイター):ワグナー部隊による反乱の失敗の後、ロシアはより強固な存在として浮上するだろうから、西側は世界最大の核大国であるロシアの安定性について心配する必要はない、とロシアの外務大臣セルゲイ・ラブロフは、金曜日(6月30日)に述べた。

 ウラジーミル・プーチン大統領は今週、軍隊と治安部隊に対して、彼が言うところの内戦に発展しかねなかった危機を回避したことに感謝の意を表し、ワグナー部隊の指導者であるエフゲニー・プリゴジンに率いられた反乱を、1917年の革命にロシアを陥れた混乱になぞらえた。

 ロイターによる質問で、ロシアが安定しているかどうか、そしてロシアが混乱に陥っていないことを世界に保証できるかと尋ねられた際、ラブロフは、モスクワは何も説明する義務はないし、誰にも保証を与える義務もないと述べた。

 「もし西側の誰かが疑いをお持ちでも、それはあなた方の問題です。ロシアの国益についての懸念には感謝しますが、その必要はまったくありません」とラブロフはモスクワでの記者会見で述べた。

 「ロシアはどんな困難があってもすぐに立ち直り、一層力を備えて浮上するのが常でした。それは「困難」としか言いようがないものです。さらに、その(立ち直り)過程はもう始まっていると感じています」と彼は付言した。

 (ラブロフ)外相はまた、モスクワは多くの西側の指導者の適正に疑問を抱いていると述べた。

 土曜日(6月24日)に反乱を終結させるための合意が成立して以来、クレムリンは冷静な印象を与えるよう努めており、70歳のプーチン大統領は観光開発について話し合い、ダゲスタンで人々と会い、経済発展のアイデアについて議論している。

 しかし、まだ多くの疑問が残っている。ワグナー部隊のプリゴジンは土曜日の夕方以来、公に姿を見せていない。ウクライナ戦争に関与している2人の高級ロシア将軍も数日間姿を見せていない。


核の危険性

 ウクライナの平和の見通しについて尋ねられた際、ラブロフは、西側が一時的に紛争を凍結してウクライナの軍事力を強化するためにそれを望んでいると感じていると述べた。

 「それは分裂病のような状況です。彼らは全てが話し合いで終わると言います。しかし、まずはロシアを打ち負かさなければならない、などと言うからです」と彼は述べた。

 73歳であり、2004年以来プーチン大統領の外相を務めているラブロフは、ウクライナの発言で、ロシアがロシア軍管理下のザポリージャ原子力発電所を巻き込む何らかの「挑発行為」を計画しているという発言を「真っ赤な嘘」と一蹴した。

 「彼らは私たちが核施設で自爆すると言っているが、それについてコメントする必要があるでしょうか。それは真っ赤な嘘です」とラブロフは述べた。さらに、ウクライナが他の「悲劇」をでっち上げているし、「火遊びをしている」とも付言した。

 ラブロフは、昨年ロシアが大規模な残虐行為を犯したとウクライナが主張するブチャで何が起こったのかについて、国連事務総長のアントニオ・グテーレスに繰り返し事実の確認を求めていると述べた。

 ロシア軍は、ブチャの主要道路で遺体が発見される3日前にブチャを去っていた、と彼は述べた。ロシアは、そこでの死者の名前を知りたいと彼は述べた。

 ラブロフは、ウクライナにおける戦争を、中国が台頭する中で、ソ連後の時代の世界情勢における支配の西側の衰退を象徴する転換点と位置づけている。

 「世界の大多数は、西側のルールに従って生きることは望んでいない」とラブロフは述べた。

 彼はまた、ウクライナの戦争により、アフリカやラテン・アメリカの国々に対してロシアとの関係を断つよう西側が圧力をかけるのを止めるべきだと述べた。

 ラブロフは、西側が過剰な代表権を持っていると述べ、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの国々により多くの代表権を与えるために、国連安全保障理事会の改革を呼びかけた。


このロイター報道は、アンドリュー・オズボーン、アンガス・マックスワン両名の編集による。

当社の基準:トムソン・ロイター信頼原則

1215-2.jpg
Guy Faulconbridge

*Thomson Reuters
As Moscow bureau chief, Guy runs coverage of Russia and the Commonwealth of Independent States. Before Moscow, Guy ran Brexit coverage as London bureau chief (2012-2022). On the night of Brexit, his team delivered one of Reuters historic wins - reporting news of Brexit first to the world and the financial markets. Guy graduated from the London S...

プリゴジンのクーデター:CIAを怯えさせたロシア連邦保安庁

<記事原文 寺島先生推薦>
FSB Spooked the CIA on Prigozhin Coup
筆者:M. K. バドラクマール(M. K. Bhadrakumar)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2023年6月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2023年7月5日


1185-1.jpg


 CNNに続いてニューヨーク・タイムズ紙が日曜日(6月25日)に報じたところによると、アメリカと西側の諜報機関は、ロシアの軍事請負会社ワグナー・グループのトップであるエフゲニー・プリゴジンが金曜(6月23日)の夜に起こしたクーデターの失敗を「かなり以前から知っており、武器や弾薬を大量に用意するなど、そのような動きに備えていた」のだという。

 私たちが知らないのは、ロシアの諜報機関がどの時点でそれを知ったかである。クレムリンは、クーデターの企てを数時間以内に阻止するために、リアルタイムで、力強く、断固として、先見の明をもって行動した。土曜日(6月24日)の夕方までに、対外情報長官セルゲイ・ナリシキンはクーデター未遂は失敗したと発表した。ロシア当局はプリゴジンが動き出すのを待っていたのだ。

 ロシアの諜報機関がワグナーのテントの中でずっと存在感を示していたのは当然のことだ。ロシアの命運がかかった戦場なのだから。スティングの有名な曲の歌詞が頭に浮かぶ: 君が息をするたび/君がする一挙手一投足/君が壊す絆/君が踏み出す一歩一歩/僕は君を見てるよ...」。

 そしてコーラスはこう歌う。/ あなたが一歩踏み出すたびに/私の惨めな心はどんなに痛むことか...」。

 CIAやほとんどの諜報組織がそうであるように、ロシア連邦保安庁(FSB)もまた、深遠な意味を求めて標的の発言を精神分析する。彼らは日常的にそれを行っており、そのためだけに訓練を受けた分析官がいる。

 昨年秋から冬にかけてドネツクでプリゴジンがわめき散らしたのは、当初はドネツク州でのバフムート戦線の作戦面に関するものだったが、次第に政治的な含みを帯びるようになり、ついには2022年2月以降のウクライナでの特別軍事作戦の存在意義はすべてでたらめだという信じられないような発言に至ったことは、ロシア情報機関の分析官の注意を逃れることはできなかっただろう。

 さらに奇妙なことに、バフムートの戦いを実際に目撃したこの人物(プリゴジン)は、キエフやNATOはドンバスやロシアに対して悪意はないという奇妙な結論に達した。

 したがって、ここで『知られている既知の事実』とは、ワグナーが運転席に座っていたバフムートの戦いでは、ロシアの諜報機関は『聞き耳モード』で、渦に自由な流れを与えるよう指示されていたということだ。(しかし、興味深いことに、ある時点で、プリゴジンを困らせたモスクワは、ワグナーの戦闘員と一緒に、バフムート戦線に正規軍を選択的に配備し始めたのである)。

 土曜日(6月24日)には、ロシア当局がプリゴジンのクーデター未遂をつぶすための工程表を用意して待っていることが明らかになり、アメリカ情報当局のトップがメディアに説明するために行動を開始した。チェチェン民兵も待機させられた。

 プリゴジンと交わされた取引における重要な要素は、彼が訴追されることなく、ただ行方不明になることである。そして、惑星地球上で、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領の慈悲深い目の下にあるベラルーシ以外のどこに、彼の亡命先が用意されているだろうか?

 さて、プーチンが「知る必要がある」という理由でルカシェンコに秘密を打ち明けたのは一体いつなのか、彼は長い間秘密を守るのに苦労しているから、いずれ知ることになるかもしれない。このような複雑な取り決めが、モスクワ、ミンスク、ロストフ・オン・ドン*の3者間の紆余曲折を経た交渉を通じて、数時間のうちに可能だったというのは、反逆のワグナー隊がモスクワに接近しているときでさえ、信憑性を疑わせる。
*ワグナー傭兵団が軍事施設を占拠したロシア南部の最大の都市。ウクライナとの国境からわずか100キロメートル(60マイル)の距離にある。

 ここで興味深い補足的な話がある。それは、こうした激しい往来の中でルカシェンコはヌルスルタン・ナザルバエフとも交渉したということである。彼はカザフスタンの元独裁者で、アスタナで親西側政権を率い、30年近く在位した後に失脚した人物である。2021-2022年冬の事だが、米国が支援した同様のクーデター計画がプリゴジンのように失敗し、それもロシアの将軍が率いるCSTO軍 (ロシア軍) の支援を受けて鎮圧されていた。

 実は前日、プーチンはカザフのジョマルト・トカエフ大統領とウズベクのシャフカト・ミロモノビッチ・ミルジヨエフ大統領という中央アジアの2人の指導者と会談していた。何か重要な情報を共有したのだろうか? 実際、この両国は最近、西側の政権交代の陰謀に直面している。ところで、モスクワがウクライナに気を取られていることから、中国の習近平国家主席は中央アジア地域の安定と安全保障を強化するため、実務的な役割に踏み切った。(私の最近の記事を参照してください—「中国は中央アジアで指導的役割を果たす」、「SCOを補完する「7軸」」、「ロシア、中国はパミールとヒンズークシを総合的に見ている」。

 ロシアと中国に挟まれ、中央アジアの地政学的に最も重要な不動産であるカザフスタンで、何かが進行中であることは明らかだ。

 米国のアントニー・ブリンケン国務長官は(6月)11日、ABCの番組で、ロシアで起きたクーデター未遂事件の状況は「まだ発展途上である...推測はしたくないし、最終回を見たとも思わない」と語ったが、この発言はおそらくそうしたものだろう。とはいえ、ブリンケンのロシアに対する評価は、一貫してひどく間違っている記録を積み重ねてきた。それは、「地獄からの制裁」 がロシア経済に与えると予想されていた致命的な打撃、から始まり、プーチンの権力掌握、ウクライナにおけるロシアの壊滅的な敗北、ロシア軍の欠陥、キエフの不動の軍事的勝利、といったものである。

 この場合、ブリンケンが苦々しく思う理由がある。というのも、特にロシア国家、政治エリート、メディア、地方官僚、連邦官僚、そして軍と安全保障機構がプーチンの後ろ盾として結集し、目を見張るような団結を見せているからだ。一方でアメリカは、プーチンの政治的地位は今やロシアで揺るぎなく、難攻不落のものとなっており、アメリカ人はジョー・バイデンがこの舞台から去った後も、ずっとこの現実を背負って生きていかなければならない。


今後のこと

 クレムリンは非常に思慮深い戦略を採用している。これまでのところ、入手可能な詳細から、それには次の5つの重要な要素がある:

1.最優先事項は、流血を避けることであり、それによって生活が前進し、転換期を迎えているウクライナでの戦争に焦点が当てられるようにすることである;

2.即座に、数少ないワグナーの反乱軍兵士とプリゴジンをロストフ・オン・ドンから去らせ、ルガンスクのキャンプに帰還させること;

3.プリゴジンをワグナーグループの他のメンバーから実質的に引き離すこと(実際、ワグネルの指揮官や将校は一人も彼の反乱に加わっていない);

4.ワグナー・グループの大部分(もちろんクーデター参加者を除く)に免責を与え、国防省への正式な統合を促進する。つまり、ワグナー・グループを国防省(と無名の極秘内部安全保障機関)が創設した理屈は今でも通用するが、もはや準国家軍ではなく、居住地と名称を持ち、プリゴジンのような自由奔放な占い師ではなく、指名されたプロの軍司令官が率いることになる)。

5.プリゴジンをベラルーシに向かわせることは、彼がプーチン(彼はオリガルヒのベラルーシへの安全な通過に同意した)に慈悲を求めるべきだと理解すれば、難しいことではなかった。

 最後の要素は実に魅力的だ。クレムリンはプリゴジンの扇動的な行動に非常に腹を立てているが、おそらく情報に基づいて、彼が西側勢力に操られていることにも気づいている。もちろん、その代償は大きい。プリゴジンは、12億ドル(約1700億円)の個人資産を持つオリガルヒとしての威光や、彼が送っていた素晴らしい生活の仕方を取り戻すことはないだろう。

 しかし、少なくともこの62歳のオリガルヒは、20年の懲役刑を免れた。これは、プーチンのオリガルヒ全般に対する扱いと同じである。(私の書いた記事「ロシアのオリガルヒの栄枯盛衰」を読んでほしい)。
* 訳註:本サイトに邦訳があります。「ロシア・オリガルヒの興亡

 遅かれ早かれ、ルカシェンコはプリゴジンに歌を歌わせ、その歌はクレムリンに生中継されるだろう。そしてそれはワシントンの大きな神経過敏の原因となっている。彼らはロシアを不安定化させようとするCIAの策略から注意をそらすために核戦争などの不安を煽っているからだ。熱意あふれるロシア外相セルゲイ・ラブロフはこれを「激動の意識の流れ」と呼んでいる

 確かに、CIA-MI6-プリゴジンの陰謀が失敗した今、その残骸から、灰の中から不死鳥のように新しい西側の物語が生まれるだろう。そして、インドのメディアを含め、海外に眠るアメリカの細胞は、そのシナリオをオウム返しするだろう。

 しかし、それも長くは続かない。この先に待ち受けているのは、ウクライナ危機の全面的な軍事的解決を目指すというクレムリン(そしてプーチン自身)の固い決意の現れだからだ。プーチンは先週―おそらく地平線上に吹き荒れる嵐を見越して―、戦場からウクライナ軍がいなくなり、NATOの武器もなくなれば戦争は終わると宣言した。

 先週の木曜日(6月22日)、プリゴジンのクーデター未遂の直前、プーチンが安全保障理事会(ポストソビエト・ロシアの「政治局」)の全定数と行ったビデオ会議の公式記録を読めば、クレムリンの雰囲気がわかり、今後のウクライナの戦場で何が予想されるかを知る手がかりになるだろう。それは、「集団的西側」に対して、何事も忘れ去られることはないという大きな事前通告である。

ウクライナの紛争が終結すれば、「世界は変わるだろう」ーラブロフ外相がRTに語る

<記事原文 寺島先生推薦>
‘The world will be different’ when the Ukraine conflict ends – Lavrov to RT
Russia will trust nobody else to guarantee its security once the goals of the special military operation have been achieved, the foreign minister said
特殊軍事作戦の目的が達せられた際、ロシアは自国の安全保障についてロシア以外の勢力に委ねることはない、と同外相は発言
出典:RT  2023年6月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月4日



ブルンジのブジュンブラでの共同記者会見で話すセルゲイ・ラブロフ氏、2023年5月30日© AP / ロシア外務省報道局


 ウクライナでの紛争が解決する時までには、ウクライナ当局は、以前所有していた領土の喪失を受け入れ、さらに西側が主導する世界の一体化は終焉することになるだろう、とロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は金曜日(6月16日)にRTアラビア語版の取材で答えた。

 サンクトペテルブルクでの「国際経済会議」の傍らで取材に応じたラブロフ外相は、西側によるロシアに対する代理戦争を「地政学上の紛争である」とし、この紛争の中で、米国は強力な競争相手を消し去ることを目論んでおり、「何としてでも、米国の覇権的な立場を堅持」しようとしている、と述べた。

 「このような努力は無駄であり、そのことは我が国には分かっています」とラブロフ外相は述べ、さらに、ウクライナとウクライナ支援諸国は、休戦に至る前に、「具体的な現実」を受け止めざるをえなくなるだろう、とも付言した。

 同外相は、ウクライナ当局が何より受け入れるしかない事実は、どんな和平同意を結ぶにせよ、昨年、ロシアへの編入を住民投票により決めた、ドネツク・ルガンスク・ヘルソン・ザポリージャという4地域の喪失を認めることだ、とした。ウクライナへ兵を送る前に、ロシア側はより寛大な条件を提示していた、と述べたラブロフ外相は、金曜日、「話し合いを先延ばしにしようとすればするほど、我が国との合意を取り付けることは困難になっていきます」と警告した。



関連記事:アングロ・サクソンが、西側集団を管理下に置いているーロシア政府の主張

 ウクライナと欧州の支援諸国が認めているのは、2014年と2015年のミンスク合意(その合意のもと、キエフ当局はドネツク・ルガンスク両地方に制限的な自治権を与えることを約束していた)は、ウクライナにロシアとの戦争の準備をさせるための時間稼ぎだった、という事実だ。このようなことは二度と繰り返してはならない、とラブロフ外相はRTに語った。「我が国は、自国の安全保障を、この先西側がさらに申し出る可能性のある誓約、約束、あるいは文書によって示される根拠にゆだねるつもりはありません。我が国の安全は我が国で保障します」とラブロフ外相は述べた。

 「我が国は、我が国が頼れるのは自国のみであり、平等かつ双方向で利益を共有できる友好諸国とのみ関係を持つつもりだ、ということを完全に理解しています。西側諸国で、このような諸国間の関係を最近目にすることはありません」とラブロフ外相は続けた。

 最後にラブロフ外相は、米国とその同盟国が、世界の一体化のための諸機関(主に開発銀行と多国間組織)を支配する時代は終焉を迎えることになるだろう、と明言した。



関連記事:各国の国家貨幣への移行は、「ドル覇権の終わりの始まり」-プーチン大統領の主張

 今週、世界100か国以上の代表団を集めて開催されたSPIEF(サンクトペテルブルク国際経済会議)とは別に、ロシアは 上海協力機構や大ユーラシア友好連盟、さらには拡大BRICS諸国連盟においても主導的な役割を果たしている。「こんにち、成長する過程には、地域化が必要である、ということに対する解釈が存在していて、そのような考え方が普及しつつあります。この広大な大陸に位置する諸国は、神と自然が与えたもうた、地の利を活かし、双方が利益を受ける物流網・金融網・輸送網を発展させるべきです」とラブロフ外相は述べた。

 同外相はさらに、米国主導の「思想や地政学上のゲーム」に興じるよりも、ロシアと協力した方が自国の利益が得られることに気づいた欧州諸国とは、友好関係を結ぶことには「いつでも準備ができている」と述べた。

 ロシアの外交官の最上位にいるラブロフ外相は、最後にこう述べた。「世界は変わるでしょう。いま私たちが目にしている世界の変化は、ロシアの特殊軍事作戦に対する西側の対応により、さらに加速しました。我が国は、西側が我が国に投げかけてきた挑戦に受けて立ったからです。この過程ではっきりとしたことは、西側と関係する国際社会のいかなる構造においても、自立と独立が、今の主な潮流になっている、という事実です。」

プリゴジンは亡命するが、複雑な問題を残してゆく。

<記事原文 寺島先生推薦>
Prigozhin Goes into Exile but Leaves Behind a Can of Worms
筆者:M.K.バドラクマール(M.K.Bhadrakumar)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2023年6月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月4日





 月曜日(6月26日)の夜、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、6月23日から24日にかけてワグナー部隊の「創設者」エフゲニー・プリゴジンによるクーデター未遂を終結させる意図で、国民に向けて二度目の演説を行った。それは典型的な自画自賛の演説だった――おそらくそれに値するものだ。

 演説には主に4つの要素があった。まず、プーチン大統領は最初に、ロシア国民が示した「自制心、結束力、愛国心」、その「市民的連帯」と「高い結束力」、そしてその「憲法秩序の支持する明確な立場を取ることにおける・・・確固とした路線」を指摘した。

 プーチン大統領は、クーデター未遂が2000年に権力を握って以来彼が築いてきた体制に亀裂が生じていることを示しているとする西側の説を強く否定した。フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、「ロシアの陣営に亀裂があり、その軍やワグナー部隊などの補助部隊が脆弱であることが明らかになった」と述べ、傷口に塩を塗るような発言をした。

 第二に、プーチン大統領は、ロシアの指導部が迅速かつ断固とした行動をとり、効果的に対応したことを強調した。「発生した脅威を無力化し、憲法制度、国民の生活と安全を保護するために必要な全ての決定が、今回の出来事の最初から、即座に下された」と述べた。

 第三に、プーチン大統領は、「反乱の計画者」を悪意に満ちた人々として厳しく非難した。しかし、彼らの政治的な目的については言及を避けた。結局のところ、クーデターは政治権力の奪取に関わる事柄になる。おそらく、この話題はとてつもなく微妙な内容を含んでいるため、公の場で扱うわけにはゆかないのだ。

 しかし、プーチンは、クーデターが成功していた場合、「ロシアの敵であるキエフのネオナチ、彼らの西側の後援者、および他の国家の裏切り者」 が受益者になるであろうという謎めいた推測を通じて、この問題に間接的に触れた。「しかし彼らは誤算をした」(強調は筆者)と述べた。

 プーチンは、プリゴジンのクーデター未遂における外国の関与について詳しく説明しなかった。ただし、彼が2度もこの問題を取り上げ、特に外部勢力が「誤算をした」と述べた事実には、注意を払う必要がある。

 興味深いことに、RTのインタビューで外務大臣のセルゲイ・ラブロフがこれについて質問された際、彼も直接は答えず、次のように謎めいた言葉を返した。「私は違法行為の証拠を収集することに関与していない政府の省で働いていますが、そのような機関は存在し、お約束しますが、既に調査を進めています」。

 しかし、ラブロフは、ワシントンがワグナー部隊に対する制裁解除を検討しているという報道について発言した。「私はそれが米国の態度の変化だとは思いません。米国の態度というのはいつも同じです。つまり米国の態度はひとえに、米国はある外国の行為者から何を必要とするのか(今回のような特定の段階で、それが国際社会全般であろう、ある特定の国であろうと)、にかかっています」とラブロフは述べた。ラブロフは、米国の情報機関が6月24日のクーデターの成功に期待をかけていたことを思い起こさせた。

 第四に、プーチンは、ワグナー部隊の大部分の兵士や指揮官を区別し、「彼らは同胞国民と国家に忠実なロシアの愛国者」と決断した理論的根拠を説明した。プーチンは、彼らが「内戦の流血を避け、行き過ぎる前に止めた」という正しい選択をしたことに「感謝」を表明した。そして、彼らに対して、国防省や他の法執行機関や治安機関との契約締結すること、または「故郷への帰還」、あるいはベラルーシへの移動、いずれを選択してもいい、とプーチンは語った。

 ロシアの一般市民にとって、これは、おそらく、プーチンの演説で一番聞きたいところだった。プーチンは言った:「私は約束を守ります。繰り返します。誰でも自分自身で決める自由があります。が、彼らの選択は悲劇的な誤りを犯したと気づいたロシア兵士たちの選択になると私は信じています」。

 土曜日(6月24日)の最初の演説と同様に、プーチンはプリゴジンを具体的には名指しはしなかった。しかし、クレムリン報道官のドミトリー・ペスコフは月曜日(6月26日)に、プリゴジンに対する刑事事件は取り下げられるだろうと明かにした。

 そこで、浮上したのは次のことだ。プーチンがクーデター未遂に関与した者に対しては、その見返りに一般的な恩赦を承認し、プリゴジンと彼の支持者にベラルーシへの「安全な通行」を事実上認めた。また同時に機が熟したらワグナー戦闘員をロシアの国家機関や軍に統合するための寛大な提案を行った。ロシアの一般市民はこれを受け入れるだろう。

 明らかに、国内世論に敏感なプーチンは、ワグナー戦闘員の勇気、英雄主義、愛国心、そして忠誠心に対して熱狂的な支持があることを慎重に熟考した。数ヵ月にわたる消耗戦のバフムート解放の物語は、ウクライナ軍を空洞化し、この戦争の中で決定的な瞬間となった。それはロシア人の心に刻まれている。

 同様に、ロシア人の意見のかなりの部分は、最近の数か月間に公に表明された次の思考過程に共感を抱いている(それはワグナー部隊からだけではない)。つまりクレムリンが戦争を引き延ばしている、というのだ。はっきりしているのは、クレムリンはプリゴジンを反逆罪で起訴しないことが賢明であると判断したことだ。


厄介な問題

 プーチンが月曜日(6月26日)の夜に公に約束した保証は、プリゴジンにとって安心感をもたらしただろう。とにかく、彼は火曜日(6月27日)の朝、自家用ジェットでロシアを出発し、午前11時30分にミンスクに着陸した。

 この話には新たな展開があった。火曜日の午後3時、モスクワ時間で、プーチンは軍人たちとのクレムリンでの会合で、もうひとつ演説を行ったのだ。これは、クーデター未遂の運命的な日々に勤務していた人々に対する「感謝」を表すためのものだったようだ。

 プーチンはこの選ばれた聴衆に対して、「私たちの亡くなった仲間の家族を支援するためにあらゆる努力がなされるだろう」と請け合った。そして、プーチンは演説を終える際に、ロシアにおける一番の公然の秘密を、突然、話の本筋と離れて述べたのだ。それは、ワグナー会社はロシア国家が作ったもの、ということだ。

 彼は言った、「このワグナーという会社に勤め、働いた人々はロシアで尊敬されていました。同時に、私は指摘し、皆さんに認識していただきたいのは、ワグナー部隊が受けたすべての資金は国から提供されたという事実です。その資金はすべて、私たちから、国防省から、国家予算から提供されました」。

 「2022年5月から2023年5月までの間だけで、ワグナー部隊は国から862億6200万ルーブル(およそ1440億円)を受け取り、軍の給与やボーナスに充てました・・・しかし、国がワグナー部隊の全ての必要な資を補充している一方で、同じ会社の所有者であるコンコルドは、陸軍の食糧・食堂の供給業者であるVoentorgを通じて、国から800億ルーブル(1440億円)を受け取りました、あるいは得たと言った方がいいかもしれません。国が全ての資金を補充し、一方で部隊の一部、私はコンコルドを指していますが、同時に800億ルーブルを稼いだのです。私はこの過程で誰も何も盗みに関与していないことを願っています、少なくとも多額の盗みはしていないことを願っています。もちろん、私たちはこれらすべてを調査します」。

 これはベラルーシにいるプリゴジンにとっては寝耳に水だろう。ロシア当局は、彼の企業グループにおける財務上の不正行為の容疑で彼を調査するのだ!

 これはプリゴジンにとって痛手となるだろう。なぜなら、彼の母親であるヴィオレッタ・プリゴージナがコンコルド・ケータリングの所有者として登録されているからだ。おそらく、この財閥(プリゴジン)が国家の後援によって築いた広大なビジネス帝国―コンコルド・マネジメント・アンド・コンサルティング(建設および不動産開発)、LLCメガライン(2016年にロシア軍のほとんどの資本建設契約を独占した)など―も検査対象となる可能性がある。

 クレムリンがロシア政治のサメに満ちた水域に迷い込んだ迷えるオリガルヒを罰するのはこれが初めてではない。プリゴジンは、今後数か月間、そしておそらくは彼の残り人生においても、重要な選択をしなければならないことを知るだろう。

 もちろん、プリゴジンの将来の動向はモスクワだけでなく、西側の首都でも熱心に注視されるだろう。ただ、西側各国政府はこの劇的な事件に関して最終的な言葉が(ロシアから)口に出されていることなど全くわかっていない。

 この汚れた背景の中で、大きな問題は次のようだ: ①プリゴジンのクーデター未遂は、だいたいは起こるべくして起きた危機であり、西側/ウクライナの情報機関がそれを利用したのではないか? ②問題の核心は、詐欺事件はロシア・オリガルヒたちに影のように付きまとい、プリゴジンも例外ではない、ということだ。ロシア当局はこの恥ずべき現実から手を引くことはできない。

 なぜなら、ロシアの国防・安全保障機関は、イギリスの民間治安・民間軍事会社である Aegis や米軍や CIA と離れがたく働いている Academi と同様に、民間軍事請負業者の会社であるワグナーを作り上げた後、その幼児をあっさりと、ある力を持った財閥に引き渡し、彼にそれを利用して財をなすこと(そしておそらくは戦利品の一部を彼の指導者と共有すること)を任せた。彼の実際の専門知識はケータリングビジネス、建設、不動産開発なのだが。

 比較すると、Aegis 代表は元イギリス陸軍の将校だった。一方、アメリカで最も有名な民間軍事会社であるアカデミ(以前のブラックウォーター)の創設者は、おそらく、元海軍特殊部隊(Navy SEAL)の将校だ。

 国家の安全保障と防衛契約が退廃的、縁故資本主義に巻き込まれるとき、それは衰退の兆候だ。

 もしアメリカがもはやアフガニスタンやイラク、カリブ海やアフリカでのハイブリッド戦争に勝利していないのであれば、その根本的な問題は、多岐にわたる腐敗が、ペンタゴンや議会、ホワイトハウスに至るまで支配層に広がっていることだ。このような不正は、資本主義に固有の病理だと議論し続けることもできるが、それはここでは関係ない。

 必然的に、プリゴジンのもとでのワグナー部隊は、有名な告発者でモスクワに住むエドワード・スノーデンが自著『永久記録』で率直に書いたように、アメリカの私設軍事会社と同じ道をたどる運命にあった。したがって、幸運なことに、プリゴジンの遺産はクレムリンにアウゲアスの牛舎*を掃除する強力な理由を与えている。それが実現するかどうかは、時間が教えてくれるだろう。
* ギリシャ神話のエリス国王アウゲイアスは3000頭の雄牛を30年間飼っていた牛小屋を一度も掃除しなかったとされる。この世界中で最も汚い場所を1日で清掃するという難行を与えられたヘラクレスは、近くの川の流れを変えて牛小屋に通してこれを解決した。(英辞郎)






ロシア・オリガルヒの興亡

<記事原文 寺島先生推薦>
The Rise and Fall of a Russian Oligarch
筆者:M.K.バドラクマール(M.K.Bhadrakumar)
出典:INTERNATIONALIST 360°2023年5月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月4日


1186-1.jpg
ロシア・オリガルヒのエフゲニー・プリゴジン(中央)が、ドネツク地域バフムート(ウクライナ)で、ワグナー部隊の戦闘員2名と一緒にポーズを取っている。2023年5月25日。


 クレムリンの指導部は、ロシア・オリガルヒであり、軍事請負業者ワグナー部隊の自称「創設者」であるエフゲニー・プリゴジンの武装反乱の脅威に対処するために果敢な行動を取った。

 金曜日(6月23日)に公開された一連の動画で、プリゴジンは、ロシア政府のウクライナへの軍事介入の正当化が嘘に基づいていると主張した。彼は、(ショイグ大臣下の)ロシア国防省を非難して、「国防省はロシア社会や大統領を欺こうと、ウクライナからの狂気じみた侵略があり、NATO全体で我々を攻撃する計画がある、などと語っている」と非難した。彼は、ロシアの正規軍がワグナー部隊に対してミサイル攻撃を行い、「膨大な数」の死者を出したと主張した。

 プリゴジンは宣言した:「PMC(私設軍事会社)ワグナー指導部は決断を下しました―ロシア軍事指導部がもたらす悪は止めなければなりません」と。彼はモスクワに進軍し、責任を問うと誓った。

 連邦保安庁(FSB)(旧KGB)はそれを「武装蜂起」と呼び、サンクトペテルブルクにあるワグナー本部は封鎖された。検察総長事務所は、「この犯罪は懲役12年から20年に処せられる」と述べた。

 モスクワ時間の土曜日(6月24日)午前10時、国民への演説で、ウラジーミル・プーチン大統領は、これを「武装した反乱」と強く非難し、「すべての力の結集」を呼びかけた。プーチン大統領は、1917年2月のペトログラード(サンクトペテルブルク)での蜂起と、ボリシェビキ革命と大規模な内戦、アメリカを含む西側の軍事介入が引き起こされたこととを対比し、「あらゆる種類の政治的冒険家や外国勢力がわが国を引き裂き、分断し、その状況から利益を得ていました」と述べた。

 プーチン大統領は約束した。「ロストフ・ナ・ドヌ(モスクワから南に700キロメートルの場所。プリゴジンとワグナーの戦闘員がそこにいる)での状況を安定させるためにも、断固とした行動が取られるでしょう。そこでは依然として困難な状況が続いており、市民および軍の当局の業務が実質的に停滞しています」。

 プーチン大統領は、軍の反乱を組織し準備し、仲間に対して武器を取った者たち、つまり「ロシアを裏切った者たち」は罰せられると誓った。注目すべきことに、プーチン大統領は一度もプリゴジンの名前を挙げることはなかった。

 この対立は数ヶ月にわたって進行中であり、ワグナー部隊とロシア国防省の間の労使関係の緊張、プリゴジンの国防大臣ショイグとロシアの最高幹部への個人的な反感、彼の自尊心と野心、そして最も確かなことは、彼の企業利益にまで事は遡る。

 プリゴジンは、2000年の夏にプーチン大統領が、クレムリンで行った歴史的な会議で線引きした有名な「レッドライン」を越えてしまったのだ。この会議には、ロシアで最も裕福な21人(強欲な「オリガルヒ」とロシア人が嘲笑的に呼ぶようになっていた)が集まった。彼らはどこからともなく現れ、周囲の混乱と陰謀的な取引、明確な腐敗、さらには殺人を通じて莫大な富を蓄積し、ロシアの経済の大部分、そして次第に芽生えたばかりの民主主義を掌握していた。この非公開の会議で、プーチン大統領は彼らに直接、ロシアに本当に責任を持っているのは誰か、を告げたのだ。

 プーチン大統領はこのオリガルヒたちとある取引の提案をした:「ロシア国家の権威に従い、ロシアの統治や国内政治に干渉しない限り、邸宅、スーパーヨット、私設ジェット、そして数十億ドル規模の企業を保持することができる」というものだった。数年後、この取引を守らなかったオリガルヒたちは、高い代償を払うことになった。150億ドル(2兆1600億円)の資産を持ち、かつてはフォーブスの億万長者リストで16位に入っていたミハイル・ホドルコフスキーの事例は最も有名。彼は政治的野心を抱いた。現在はアメリカで亡命生活を送っており、アメリカのシンクタンクや西側世界の各国にいるロシア嫌悪活動家に富を注ぎ、プーチンへの憎悪を吐き出している。

 しかし、他方、残留した「忠実派」は、超大金持ちになり、信じられないほどの豪勢な暮らしぶりだ。下層階級出自のプリゴジンは残留し、巨額の富を築いた。ある意味で彼の存在は、ソビエト後のロシア再生における途轍もない過ちすべてを象徴している。

 しかし、残留した人々でさえも、彼らの略奪物のかなりの部分をロシアの法の届かない範囲で、銀行の金庫や動産・不動産資産として西側諸国に保管していた。これはつまり、オリガルヒたちも西側からの脅迫に極めて脆弱であることを意味している。予想通り、西側各国政府は、オリガルヒたちがクレムリン政権を内部から崩壊させる手助けをする可能性があると考えており、または社会の崩壊を引き起こしてロシアを不安定化させ、ウクライナでの戦争の取り組みを混乱させることができると期待している。

 プリゴジンの出自は誰にもわからない。しかし、クレムリンの権力の中でも特に大きな影響力を持つとされるこの人物が、西側の情報機関の狙いの的になっている可能性は当然考えられる。プリゴジンの個人資産は少なくとも12億ドル(1700億円)以上だ。

 プリゴジンはまた、一種草分け的人物で、準国家的傭兵会社の経営という非常に実入りのいい職種に進出した。その会社の傭兵たちはロシアが商業的、政治的、または軍事的に重要な利益を持つ国々の海外の緊迫地域で軍事契約者として行動するための訓練を受け、装備を与えられた。

 モスクワは、もはや国民解放運動を推進するソ連時代のビジネスには従事していない。しかし、ロシアの主要な西側の対立国が、地政学的利益のために定期的に「グローバルサウス」(ソビエト後の共和国)で促進する体制変革にも無関心ではない。そのため、ロシアは有名なフランス外人部隊に似た軍事部門を作ることで巧妙な第三の道を見つけた。ワグナー部隊は、サヘル地域やアフリカの他の地域で、既成政権の安全保障を非常に効果的提供することが証明されている。かつての植民地主義国家(ロシア)は、もはやアフリカの政府に対して独自の条件を押し付けてはしゃぎまわることはない。

 言うまでもなく、プリゴジンを飼いならすことが困難であることは証明されている。ロシアの情報機関は、西側の情報機関が彼と接触していることを知っていたはずだ。実際、彼がますます公然と挑戦的態度を取っていることは、クレムリンにとって大きな目の上のたん瘤になっていた。一つの可能性として、ロシアの情報機関が彼を自滅させるために長縄を与えた(=好き勝手をさせていた)ということがある。同様に、クレムリンの好ましい選択肢は、戦争の取り組みにおいて彼を宥(なだ)め、取り込むことだった。プーチンは彼と会うことすらしていた。

 プーチンは国民への演説で、現在の出来事における「外部の手」に関しては明言せず、「過度な野心と個人の利益が裏切りにつながった」と指摘した。しかしかなりはっきりしていたのは、プーチンは何度も外国勢力がプリゴジンの活動の最終的な受益者であると強調したことだ。

 特筆すべきは、FSBは直接的にプリゴジンを反逆罪で告発している。そして、これは複数の情報があり、それをプーチンが承認していたことを基礎にしているはずなのだ。また、プリゴジンの反乱がウクライナの攻勢の真っ最中に起こったことは、戦争がロシアにとって有利な方向に転じつつあるタイミングであるという点も注意深く考慮されるべきである。

 最終的には、このゾッとするような反乱の試みは失敗するだろう。ロシアの世論では、オリガルヒたちは嫌われている。西側がロシアでの反乱と裏切り者オリガルヒの旗印の下での体制変革を画策する目論見は、どう考えてもばかげた考えと言わざるを得ない。

 直近の課題は、プリゴジンと彼の熱心な仲間をワグナー軍主力から孤立させることだ。プーチンはワグナー軍のウクライナ戦争への貢献を称賛している。ウクライナのカリスマ的なロシア軍司令官であるセルゲイ・スロビキン将軍は、ワグナー部隊に対して公に訴え、当局に従うことを促し、「遅すぎる前に」兵舎に戻り、平和的に不満を解決するよう求めている。しかし、近い将来には、ワグナー部隊を統合するための体制的な実行手段も必要だ。結局のところ、彼らはバフムートでの長期かつ過酷な消耗戦でその価値を十分に証明したのだから。

プーチン、ゲイの研究を命令

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin orders study of gays
The Russian President has ordered the creation of a special institute focused on examining homosexuality and gender identity
ロシア大統領は、同性愛と性同一性障害に焦点を当てた特別研究所の創設を命じた。
出典:RT  2023年6月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月29日



資料写真 © Getty Images / David Silverman


 ロシアは新しい精神医学研究所の設立を計画している。LGBTQの行動、ジェンダーの役割や同一性に関連する問題の研究もその中に含まれる。以上のことをロシアの保健相ミハイル・ムラシュコは、木曜日(6月15日)、国家ドゥーマ(下院)での討論の中で明らかにした。

 ロシアにおける性別変更手術を禁止する法案について下院での議論が行われている最中、アナトリー・ワッサーマン議員は、健康省が性についてのいろいろな思い違いを現実に適合させるために心理学的、必要であれば精神医学的手法の研究にどの程度注意を払っているか、ムラシュコ保健相に尋ねた。

 保健相は、既にこの問題を研究しているロシアのいくつかの医学研究センターが存在することを指摘した。彼はまた、ウラジーミル・プーチン大統領から「我々の精神医学連邦センターを基盤とした追加の研究所を創設するようとの命令があった」と述べ、それにはこれらに限らず、社会行動を含むいくつかの行動領域の研究も含まれると付言した。

 保健省によると、この新しい研究所はセルプスキー精神医学・薬物療法センターを基盤として形成される。ムラシュコ保健相は、LGBTQの研究が今日行われていることに加えて、さらに拡大され、義務的な科学的研究にも含まれることを指摘した。



関連記事:ロシアは性転換を禁止する方向へ

 ロシアのLGBTQ団体は、ムラシュコ保健相の発言に抗議した。そのような研究はいわゆる「転換療法」と同様である、というのが彼らの言っていることだ。転換療法とは、非異性愛的な傾向や性同一性障害を治療することを目的とした身体的および心理的な一連の手法。このような手法は、世界保健機関や国連によって非科学的で拷問に等しいと非難されている。

 しかし、ムラシュコ保健相や保健省の他の代表者たちはいずれも、転換療法について明確には発言しておらず、議員たちにそのような手法や立法を導入する意図があるかどうかも不明だ。

 水曜日(6月14日)、議員たちは法案の最初の提示でそれを採択した。この法案は、ロシアにおいてほぼすべての性別適合手術および公的文書での性別変更を禁止するものだ。もし可決されれば、この法律は「先天的な異常」を治療するための限定的な外科手術のみを認めることになる。

 ドゥーマ(ロシアの国家議会)の議長であるヴャチェスラフ・ヴォロジンは、新しい法案の主な目標は子供たちを保護することであり、LGBTQの宣伝活動のおかげで、十代のトランスジェンダーの割合がすでに大人の3倍高くなっているアメリカの統計に注意を向けた。

ワグナー、「反乱」の終結に合意―ベラルーシ大統領ルカシェンコ

<記事原文 寺島先生推薦>
Wagner agrees to end ‘insurrection’ – Lukashenko
Evgeny Prigozhin agreed to halt his march on Moscow and avert “a bloodbath," the Belarusian president said
エフゲニー・プリゴジンは、モスクワへの進軍を中止し、「血祭り」を回避することに同意したと、ベラルーシ大統領が述べた。
出典:RT 2023年6月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月25日


1177-1.jpg
ロシア、ロストフ・オン・ドンの南部軍管区本部で警備をするワグナーグループの軍人たち(2023年6月24日撮影) © AP


 ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領は土曜日(6月24日)に、ワグナー・グループの指導者エフゲニー・プリゴジンが、彼の戦闘員たちの「安全保障」と引き換えに反乱を放棄する取り決めをしたと発表した。

 「エフゲニー・プリゴジンは、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領の提案を受け入れ、ロシアにおけるワグナーの武装勢力の移動を停止し、緊張緩和のためのさらなる措置をとる」とルカシェンコ大統領の事務所は声明を発表した。

 声明によると、ルカシェンコとプリゴジンは「丸一日」会談を行い、「ロシア領土で血祭りを上げることは許されないということで合意に達した」という。

 ルカシェンコ大統領府は、会談はロシアのプーチン大統領と連携して行われたと述べ、プリゴジンに「ワグナーPMCの戦闘員の安全が保証された有利で受け入れ可能な事態解決の選択肢」が提示されたと付け加えた。

1177-2.jpg

関連記事:ワグナーの司令官、モスクワ進軍の中止を確認

 このニュースは、ワグナーの車列がモスクワに接近し、民間軍事組織のメンバーが南部の都市ロストフ・オン・ドンを通過した数時間後に発表された。金曜日(6月23日)から公開された一連のビデオ声明で、プリゴジンは、自分が腐敗していると見なしたロシア軍当局者と対決するためにモスクワに進軍していると宣言した。

 しかし、プリゴジンはロシアの体制側からの支持は得られなかった。それどころか、プーチンはこのワグナー指揮官を「わが国とわが国民を裏切っている」と非難し、ロシア連邦保安庁(FSB)は「武装反乱を呼びかけた」としてプリゴジンに対する刑事捜査を開始した。

 ロシアの政界・軍部の高官たちは、プリゴジンの反乱を非難し、ワグナーの戦士たちに武器を捨てるよう呼びかけた。

 ルカシェンコの発表の直後、プリゴジンは部隊がモスクワへの進軍を断念し、野営地に戻ることを確認した。

クレムリン、ワグナーとの取引の詳細を明らかに

<記事原文 寺島先生推薦>
Kremlin reveals details of Wagner deal
The PMC's founder Evgeny Prigozhin will "go to Belarus," Dmitry Peskov says
PMC創設者エフゲニー・プリゴジンは「ベラルーシに行く」とドミトリー・ペスコフ氏
出典:RT: 2023年6月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月25日


1176-1.jpg
2023年6月24日、ロシアのヴォルゴグラードで看板から外されたワグナー・グループの民間軍事会社の広告。スプートニク / キリルブラガ


 ワグナー民間軍事会社(PMC)の創設者エフゲニー・プリゴジンに対する刑事事件は取り下げられ、彼はロシアを去ることになると、クレムリンは土曜日(6月25日)の夕方に発表した。

 ドミトリー・ペスコフ報道官は、サンクトペテルブルクの大物でケータリング業で財を成したプリゴジンが「ベラルーシに行く」と明らかにした。

 ペスコフ報道官は、ウクライナ紛争の最前線での彼らの努力を考慮し、ワグナーの戦闘員が迫害されることはないと付け加えた。同報道官は、ウラジーミル・プーチン大統領のチームは「彼らの功績を常に尊重してきた」と説明した。

 反乱に参加することを拒否したPMC契約業者(全部隊が参加したわけではない)は、ロシア国防省と契約を結ぶことが許可される、とペスコフ報道官は述べた。

 ワグナーは一夜にしてロシアで大規模な反乱を起こし、ロストフ・オン・ドン市の南部軍管区司令部を掌握し、モスクワに向かって進軍した。プリゴジンとベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が会談し、PMC指導者プリゴジンが部隊を「野営地」に戻すことに同意したため、反乱は土曜日(6月25日)遅くに収まった。

ロシア軍トップが「反乱」ワグナーPMCにメッセージ

<記事原文 寺島先生推薦>
Top Russian general sends message to ‘mutinous’ Wagner PMC
Sergey Surovikin has called on its fighters to stand down
セルゲイ・スロヴィキンがワグナーに撤退を呼びかけた。
出典:RT 2023年6月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年6月25日


1156-1.jpg
ファイル写真: セルゲイ・スロヴィキン将軍 © Sputnik / Mikhail Klimentyev


 ロシア統合軍の副司令官セルゲイ・スロヴィキン大将は金曜日(6月23日)、民間軍事会社ワグナー・グループの戦闘員に対し、ロシア軍に対する「反乱」をやめるよう求めた。

 ソーシャルメディアで公開された短いビデオメッセージの中で、スロヴィキンは、ロシア軍がウクライナの攻勢に立ち向かっている前線から戻ったところだと語った。




 「PMCワグナーの戦闘員と指揮官に訴えます」と、スロビキンはまだ軍服を着たまま言った。「我々は困難な道を共に歩んできた。共に戦い、共に危険を冒し、共に損失を被り、共に勝利した。我々は同じ血を引いている。我々は戦士だ。どうか立ち止まってほしい。敵は内政状況の悪化を待っているだけだ。わが国にとって困難なこの時期に、敵の術中にはまるべきではありません」。

 彼はワグナー軍に対し、「手遅れになる前に」合法的に選出された当局に従い、兵営に戻り、平和的に不満を解消するよう促した。

 金曜日(6月23日)に先立ち、ワグナーの責任者エフゲニー・プリゴジンは、ロシア軍が同社の野営地のひとつをロケット弾攻撃で標的にし、「多くの戦闘員」を殺害したと非難した。

 ロシア国防省は、プリゴジンの非難は「真実とは一致しない」「情報による挑発だ」と述べた。クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官によると、ロシアのプーチン大統領はプリゴジンとワグナーの状況について報告を受けており、必要なすべての措置がとられているという。

関連記事:ワグナーのボスが「武装反乱」を呼びかけたことを受け、FSBが刑事事件として捜査に着手

 ロシア連邦保安庁(FSB)は金曜日、「武装反乱を呼びかけた」疑いでプリゴージンの捜査を開始したと発表した。この犯罪は12年から20年の禁固刑に処せられる。

 空軍大将であるスロヴィキンは、2022年10月にウクライナでの作戦の責任者となり、ヘルソン地方での大規模な再配置を監督した。今年1月、彼はロシア参謀本部長で現在作戦指揮官もつとめるヴァレリー・ゲラシモフ将軍の副官となった。

ロシア国防省長官、ワグナー戦士に「武装クーデター」に参加しないよう警告

<記事原文 寺島先生推薦>
Defense chiefs warn Wagner fighters against taking part in ‘armed coup’
The Defense Ministry in Moscow has offered security guarantees to those who refuse to back Evgeny Prigozhin
モスクワの国防省は、エフゲニー・プリゴージンへの支持を拒否する者に安全保障を提供した。
出典:RT 2023年06月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月25日


1155-1.jpg
スプートニク / イワン・ロディオノフ


 ロシア国防省は、ワグナー・グループの民間軍事会社(PMC)兵士に対し、武装蜂起をやめ、基地に戻るよう促した。

 同省は土曜日(6月24日)の声明で、PMCのメンバーは「(ワグナー・グループの責任者エフゲニー・)プリゴージンの犯罪的賭博に騙されて参加させられてしまった」と主張し、ワグナーの戦闘員の中には「すでに自分たちの過ちを理解している者もいる」、彼らは恒久的な配備地域に安全に戻るための支援を当局に求めている、とも述べた。

 「この援助は、それを求めた兵士や指揮官にはすでに提供されている」と同省は述べ、ワグナーのメンバーに対して、「慎重さを示し、できるだけ早く法執行機関のロシア国防省の代表と連絡を取るように」と要請した。

 「我々は全員の安全を保証する」と声明は述べている。

1155-2.jpg

関連記事:ロシア軍最高位の将軍が「反乱」ワグナーPMCにメッセージを送る

 エフゲニー・プリゴジンが金曜日(6月23日)に、ロシア国防省がPMCのキャンプをミサイル攻撃し、複数の死傷者を出したと非難し、それに反撃すると約束した。国防省はこの疑惑を否定し、ロシア連邦保安庁(FSB)はプリゴージンが反乱を提唱した容疑で刑事捜査を開始したとロシア当局は発表した。

 土曜日(6月24日)の朝、メディア各社はロシア南部の都市ロストフ・オン・ドンで軍事活動が活発化していると報じ、戦車や兵士の集団が道路を移動している映像が流れた。

プロフィール

tmmethod

Author:tmmethod
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
最新記事
カテゴリ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

月別アーカイブ
最新コメント