アメリカ世界支配の青写真:「封じ込め」から「先制攻撃戦争」まで:1949年トルーマン・ドクトリン
America’s Blueprint for Global Domination: From “Containment” to “Pre-emptive War”. The 1948 Truman Doctrine
ANNEX: Archive of (Declassified) Top Secret Policy Planning Document drafted by George F. Kennan
付録:ジョージ・F・ケナンが起草した極秘の政策企画文書の記録(公開解除済み)
筆者:ミシェル・チョスドフスキー (Michel Chossdovsky)
出典:GR 2023年5月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月4日

写真:ハリー・トルーマン大統領
最初、グローバル・リサーチ(GR)によって最小限の編集が加えられ、2014年9月7日に公開された。
この非公開解除文書は、最初にグローバル・リサーチによって2003年12月に投稿された。
私がトルーマン・ドクトリンについて書いた2003年の記事の詳細はこちら。
筆者の序文
ジョージ・F・ケナン(1948年)の分析を読者の皆様に紹介する。これは「トルーマン・ドクトリン」外交政策の土台となった。
これらの文書は礎を築いた。これはバイデン政権下におけるアメリカの外交政策や軍事戦略に直接に関わりがある。特に、現在アメリカが後ろ盾になっている「経済戦争」の対象であるドイツとEUに関連している。
重要な点は、バイデン政権はドイツとEUを脅迫したが、その方式は戦後初期の「トルーマン・ドクトリン」の下で形成されたものだ。ジョージ・ケナンによれば:
「そのような連邦(EU)を実現することは、もしドイツが分割されたり、あるいは徹底的に分権化されれば、そしてもし構成国が個別にEUに参加できるようになれば、はるかに容易になるだろう。
西ドイツの軍事占領は長期間続く可能性がある。私たちはそれが欧州の光景の準永続的な特徴になることを覚悟しなければならないかもしれない。
長期的には、西部および中部ヨーロッパの将来には3つの可能性しかない。一つはドイツの支配。もう一つはロシアの支配。三番目は連邦制ヨーロッパ(の支配)だ。そうなればドイツの一部がそこに吸収され、他の国々の影響力がドイツを抑制するのに十分なものになる。
直接的な力の概念に基づいて対処しなければならない日は遠くない。理想主義的なスローガンによって邪魔されることが少なければ少ないほど、良い」(ジョージ・ケナン、強調は筆者)
「直接的な力の概念」は、現在、米国国務省とメディアによって「ルールに基づく秩序」という言い方になっている。
参照:最近の論考

Video: America is at War with Europe
By Prof Michel Chossudovsky, April 22, 2023

Video: Has Germany Become a Colony of the United States?
By Prof Michel Chossudovsky, April 20, 2023
ミシェル・チョスドフスキー、2023年4月17日
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序
今日米国とNATOが資金提供する戦争は、半世紀以上にわたる軍事および外交政策の一環だ。
この点において、2000年に策定されたネオコンの「新しいアメリカ世紀の計画」は、冷戦の初期に国務省が策定した軍事的な覇権と世界的な経済支配のための戦後課題の集大成と見なしてもいいだろう。
これら1948年の国務省文書が明らかにするのは、冷戦時代の「封じ込め」から現在の「先制攻撃戦争」の教義への、米国の外交政策の継続性だ(詳細は下記の付録を参照)。
新しいアメリカ世紀の計画(PNAC)は、多くの点でトルーマン・ドクトリンの継続と言える。すなわち、米国とNATOによって地球規模で戦われる覇権的な「長期戦争」だ。軍事行動は、世界の異なる地域で同時に実施されることになる(PNACで詳述されている):
「複数の、同時進行的な、大きな戦域での戦争を闘い、断固として勝利せよ」

言うまでもなく、ハリー・トルーマンからジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ(そして現在のジョー・バイデン)まで、民主党と共和党代々の政権は、この世界的な支配のための覇権的な青写真を実行するために関与してきた。この計画をペンタゴンは「長期戦争」と呼んでいる。

ケナンの著作は、「私たちの国と英帝国の良好な関係に基づく、支配的な英米同盟の構築の重要性」を指摘している。現代の世界では、この同盟は主にワシントンとロンドンの間の軍事軸と特徴付けられる。この軸はヨーロッパの同盟国の利益を犠牲にしながら大きな役割をNATO内で果たしている。また、ケナンはカナダを英米同盟に含めることの重要性も指摘した。この政策は現代において(NAFTAや軍事指揮構造の統合の下で)広い範囲で実施されている。カナダはアメリカとイギリスの仲介役と見なされ、アメリカがイギリスの植民地にも影響力を行使する手段とされた。これらの植民地は後にイギリス連邦の一部となった。
重要なのは、ケナンが、英米軸と競合する可能性のある大陸ヨーロッパの大国(たとえば、ドイツやフランス)の発展を止めることの重要性を強調していることだ:
今日、この半世紀の始め、というより終わりにあたって、私たちの中には、アメリカの安全性がしっかりしていることに疑いを持って、ある基本的な要因に目を向けている人たちもいる。私たちが見て取れるのは、我が国の安全性が、歴史の大部分にわたって、イギリスの立場に依存してきたことだ;特に、カナダは私たちの国とイギリス帝国との良好な関係のために貴重で不可欠な人質的役割を担い続けてきた;翻って、イギリスの立場は、ヨーロッパ大陸における力の均衡が維持されていることに依存していることも見て取れる。
したがって、イギリスにとっても私たちにとっても、大陸における大国ひとつがユーラシア大陸全体を支配しないようにすることは極めて重要なことだった。私たちの利益は、むしろ内陸の大国の間で、ある種の安定したバランスを維持することにあった。その目的としては、それらの国のいずれも他国を征服したり、海洋沿岸部を制圧したり、陸地の力に加えて海洋の力を持つ大海洋国となったり、イギリスの地位を打ち砕いたりさせないためだった。そして、ヨーロッパとアジアの内陸の膨大な資源に支えられて、私たちに対して敵対的な海外拡大(このような状況では確実にそうなる)をさせないためだった。こういったことを見れば、私たちはヨーロッパとアジアの周辺大国の繁栄と独立に利害があることが理解できる:こういった国々の視線は内陸への権力の征服ではなく、海を渡って外向きに向けられてきた。(ジョージ・F・ケナン、『アメリカ外交』、シカゴ大学出版、シカゴ、1951年)
今日、世界は世界史上最も深刻な危機的分岐点に立っている。米国とその同盟国は人類の未来を脅かす軍事的な冒険を展開している。この世界戦争の手引きは、1948年のトルーマン・ドクトリンにその歴史的な起源を持っている。
ウクライナや東ヨーロッパにおける最近の動向と関連して重要な点は、ケナンが彼の1948年の国務省文書で明確に指摘した「ドイツを西ヨーロッパ内へ封じ込める政策」だ。ケナンの観察が示唆するのは、米国が欧州プロジェクトを支持するのは、それが米国の覇権的な利益を支持する範囲内である限りにおいてのみであるべきだ、ということだ。
この点に関して言えば、2003年3月の米英によるイラク侵攻の猛攻の前においては、フランスとドイツの同盟の方が、大きな優位に立っていたことを私たちは思い起こす。この侵攻にフランスとドイツの両国は反対していたのだ。
2003年のイラク侵攻は転換点だった。親米的な政治指導者(フランスのサルコジ大統領とドイツのメルケル首相)の選出は、国家主権の弱体化をもたらし、フランス・ドイツ同盟の崩壊につながった。
今日、フランソワ・オランドとアンゲラ・メルケルは直接ワシントンから指示を受けている。
さらに、現在の状況において、アメリカはドイツとフランスがロシアとの政治的・経済的関係を発展させることを止めようとしている。ワシントンからすれば、そんなことをさせれば、欧州連合(EU)におけるアメリカの覇権志向を損なうものと見られるからだ。

「連邦化した欧州」
アメリカ国務省が「弱体化したドイツ」に基づく欧州連合の青写真は、1940年代後半には描かれていたと思われる。
1948年の文書において、ケナンは「連邦制のヨーロッパ」の形成を想定しており、それはイギリスとアメリカの支配的な同盟の強化、ドイツのヨーロッパの大国としての弱体化、そしてロシアの排除が基本だった。
ケナンによれば:
長期的には、西部および中部ヨーロッパの将来には3つの可能性しかない。一つはドイツの支配。もう一つはロシアの支配。三番目は連邦制ヨーロッパ(の支配)だ。そうなればドイツの一部がそこに吸収され、他の国々の影響力がドイツを抑制するのに十分なものになる。
もし本当のヨーロッパ連邦が存在せず、もしドイツが強力で独立した国家として復興した場合、ドイツの再度の支配的動きを私たちは想定しなければならない。もし現実的にヨーロッパ連邦が存在せず、そしてもしドイツが強力で独立した国家として復興しない場合、私たちはロシアの支配を招き入れる可能性がある。なぜなら組織化されていない西ヨーロッパは、組織化された東ヨーロッパに無制限に反対の立場を取ることはできないからだ。これらの二つの悪のうちいずれかを回避するための唯一の可能性は、西ヨーロッパと中央ヨーロッパにおける何らかの形の連邦である。
さらに、注目すべきは、冷戦初期のアメリカがドイツの再統一に賛成していなかったということだ。正反対だった:ドイツは分割されたままであるべきだ:
今日の私たちのジレンマは、ヨーロッパ連邦がアメリカの利益から見て間違いなく最善の解決策であるのだが、ドイツはそれに対して準備が不十分であるという事実にある。このような連邦を実現することは、もしドイツが分割されるか、もし根本的に分権化されるか、さらには、もしそのばらばらになった構成国が個別的にヨーロッパ連合に参加できるようになったら、はるかに容易になるだろう。統一されたドイツ、あるいは統一された西ドイツですら、そうした連合に参加させることは、はるかに困難になるだろう:なぜなら、そういうドイツは多くの点で他の構成国よりも重みを持ってしまうからだ。
アジア、中国、インドを含む地域に関して、ケナンは軍事的な解決策だけでなく、アジアの人々を貧困状態に維持することの重要性についても示唆している。また、前面に押し出しているのは、分断を作り出す戦略と、アメリカの覇権的利益の阻害になるアジア諸国とソビエト連邦との関係構築を確実に止めることだ。
「直接的な力概念に基づいて対処しなければならない日は遠くない。理想主義的なスローガンが邪魔になることが少なければ少ないほど、より良い」:
さらに、私たちは世界の富の約50%を保有しているが、人口はわずか6.3%に過ぎない。この格差は、特に私たちとアジア民族との間で顕著だ。この状況では、私たちは嫉妬と敵意の対象となることは避けられない。来るべき時代における私たちの本当の仕事は、この格差の維持を国家安全保障に積極的な悪影響を与えることなく行うための関係のパターンを考案することだ。そのためには、感傷や妄想を一切捨てなければならず、私たちの関心は即座に国家の目標に集中されなければならない。今日、利他主義や世界への恩恵は何とかできる、などと私たちは自己を欺く必要はない。
これらの理由から、極東地域に対する態度には大いに自制心を持つ必要がある。アジアおよび太平洋地域の人々は、私たちが何をしようとも、自分たちのやり方で政治的形態や相互関係の発展を進めていくだろう。このプロセスは自由で平和なものではない。最も大きなアジア民族である中国人とインド人は、まだ自分たちの食糧供給と出生率の関係に関わる基本的な人口問題の解決に着手していない。彼らがこの問題に何らかの解決策を見つけるまで、さらなる飢餓、苦難、そして暴力は避けられない。すべてのアジア民族は、現代技術の影響に適応するために新しい生活の形を進化させる必要があるのだ。この適応のプロセスも長期間かつ暴力的なものとなるだろう。以下のことは可能性があるだけではなく、おそらくそうなるのだ。つまり、このプロセスの中で、多くの民族が、いろいろな時期に没落してゆくということ、それもモスクワの影響のもとで。このモスクワのイデオロギーは、このような民族にとってより魅力的であり、おそらくより現実的なものでもある。私たちがそれに反対して提供できるものよりも現実的なのだ。こういったこともまた避けられないだろう;そして、そのような目的に米国民が喜んで譲歩してくれたとしても、それ以上の様々な国家的努力がなければ、これと闘うことなどできないだろう。
この状況に直面して、極東に関する私たちの考え方に根付いているいくつかの概念を私たちは今すぐ手放す方が良いだろう。「好かれたい」とか高潔な国際的利他主義の守護者と見なされたいという願望を捨てるべきだ。私たちは自分たちの兄弟の守護者であろうとする立場に身を置くことをやめ、道徳的なアドバイスやイデオロギーに関して慎重になるべきだ。私たちは人権や生活水準の向上、民主化といった曖昧で、極東にとっては非現実的な目標について話すのをやめるべきだ。直接的な権力概念で対処しなければならない日が近づいている。理想主義的なスローガンが邪魔になることが少なければ少ないほど、より良い結果を得ることができるだろう。(強調は筆者)
冷戦時代の初期から、ワシントンは国連の弱体化も狙っていた。ケナンによれば:
アメリカの世論において国連構築への取り掛かりはたいへんな勢いだったので、繰り返し言われていることだが、私たちはこの戦後期において国連を政策の基盤にするしかないというのは真実かもしれない。時折、国連は有用な役割を果たしてきた。しかし、全体的に見れば、国連は解決よりも問題を引き起こし、外交努力の分散をもたらした。そして、主要な政治目的において国連の多数派を利用しようとする時、私たちは、いつか逆に私たちに敵対するような危険な武器を弄んでいるのだ。これは私たちにとって非常に慎重な研究と見通しを要する状況だ。(強調は筆者)
ミシェル・チョスドフスキー、2014年9月7日、2023年5月17日(2003年12月版をアップデート)
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付録
追加参照(原典参照文献も含む)
FOREIGN RELATIONS OF THE UNITED STATES 1945-1950 Emergence of the Intelligence Establishment
at http://www.state.gov/www/about_state/history/intel/
Foreign Relations Series (Kennedy through Nixon)
at http://www.state.gov/www/about_state/history/frus.html
For a list of Kennan’s writings at Princeton University library:
http://infoshare1.princeton.edu/libraries/firestone/rbsc/finding_aids/kennan/index.html
See also The United States’ Global Military Crusade (1945-2003) by Eric Waddell, Global Outlook, Issue 6, Winter 2003
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PPS/23: 米国外交政策の現状の動向概観
『アメリカ合衆国の対外関係』 1948年、第1巻、509-529ページ。政策企画室文書1
政策企画室所長(ケナン)2から国務長官と次官(ラヴェット)への覚書
最高機密
PPS/23
(ワシントン、)1948年2月24日
(強調は筆者)
エイチソン氏3が初めて私に企画室について話したとき、最も重要な機能は過去の私たちの行動から浮かび上がる外交政策の展開の軌跡を追跡し、将来に向けてそれらを予測することで、私たちがどこに向かっているのかを把握できるようにすることだと彼は述べた。
企画室の運営の最初の数か月、私はそのような試みに踏み出すことをためらった。なぜなら、私たちの認識に真の価値を与えるために、関連する問題への十分に広い視野を持っている人間は一人もいないと感じたからだ。
私は、外交政策の主要な問題について全般的な見解に向けたを試みに取り組んでみた。それを企画スタッフの文書として添付する。それは完全ではなく、疑いなく多くの欠点があるかもしれない;しかし、これはこの企画室の進化に、いつか役に立つと願っている統一された外交政策の概念に向けた最初の一歩なのだ。
この文書は情報提供のみを目的としており、承認を求めるものではない。私はこの文書を国務省内で共有するための努力をしていない。なぜなら、そうすると文書の性格を変えてしまう可能性があるからだ。そのため、この文書に示された意見が国務省の行動の基礎となる場合は、関係する部署の意見を先に参考にするべきだと考えている。
この文書には本来、ラテン・アメリカに関する章が含まれているべきだ。しかし、私はその地域の問題について詳しい知識がなく、企画室もまだそれを研究していない。バトラー4(私の不在時に私の後任となる5)は、これらの問題に長い経験を持っており、私が職務を離れたら彼とスタッフがラテン・アメリカ諸国に関する基本政策目標についての推奨事項を作成できることを期待している。
ジョージ・F・ケナン
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(付録)
政策企画室による報告書
最高機密
PPS/23
(ワシントン、)1948年2月24日。
現行の傾向に関するアメリカの外交政策の概観
I. 米国、英国、そして欧州
西ヨーロッパが共産主義の支配から救われるという前提で、イギリスと大陸諸国の関係、一方でイギリスとアメリカ、カナダとの関係は、私たちにとって重要な長期的な政策問題となるだろう。この問題の範囲は非常に広く、その複雑さも多岐にわたるため、単純で容易な答えは存在しない。解決策は長期間にわたって一歩一歩進化していく必要がある。しかし、私たちの国益に最も適した枠組みの大まかな輪郭を考え始めるのは、今日でも遅すぎることはない。
私の意見では、以下の事実はこの問題を考える上で基本的な要素となる。
1.もし、ヨーロッパの自由な国々がモスクワの支配下に結束する東側の国々に対抗し続けるためには、西ヨーロッパにおいて何らかの政治的、軍事的、そして経済的な連合形態が必要となるだろう。
2. もしイギリスの参加と支持がなければ、この連合が、設定された目的を果たすために、十分に強力な連合になれるかどうかは疑問だ。
3. 一方で、イギリスの長期的な経済問題は、他の西ヨーロッパ諸国とのより緊密な関係だけではほとんど解決できない。なぜなら、これらの国々はイギリスが必要とする食料や原材料の余剰をほとんど持っていないからだ。この問題は、カナダとアメリカとのより緊密な関係によってずっとうまく解決される可能性がある。
4. イギリスは含め、東ヨーロッパは除外する形でのヨーロッパ連合が経済的に健全となる唯一の方法は、東半球またはアフリカとの最も緊密な貿易関係を構築することだ。
上記からわかるように、私たちはある種のジレンマの前に立っている。もし私たちがイギリスを米国・カナダの勢力圏に取り込むとすれば、「今こそ連合」という形式に基づいて、おそらくイギリスの長期的な経済問題を解決し、強力な自然な政治的実体を作り出すだろう。しかし、これによってイギリスは大陸諸国との緊密な政治的連携から切り離されることになるだろうし、その結果、大陸諸国がロシアの圧力により脆弱化する可能性がでてくる。一方で、イギリスが大陸隣国とのより緊密な関係に救済を求めるように背中を押される場合、イギリスやドイツの長期的な経済問題に明確な解決策はなく、欧州復興計画(ERP)の終了時には、この国(イギリス)にヨーロッパへの援助を求めることはまた危機に陥ることになるだろう。6
このジレンマから抜け出すためには、私には2つの方法しか見えない。これらは相互に排他的ではなく、実際には互いに非常に補完的なものかもしれない。
第一に、イギリスがヨーロッパ連合への参加計画を積極的に進めるようその背中を押すことができるだろう、そして単にイギリスだけではなく、その連合全体をこの国イギリスとカナダとのより緊密な経済的関係に結び付けることができるだろう。ただし、これが本当に効果的になるためには、経済的な関係が通貨と関税の一体化をもたらすほど密接である必要がある。また、ヨーロッパと(北米)大陸の間で個人の移動の相対的な自由も必要だ。これによって、私たちがこれらの地域がこの国からの政府援助への異常な依存を解消するために実現する必要のある私的資本と労働力の自由な移動が実現できる。ただし、ITO(国際貿易機関)憲章7の観点から、そのような計画の可能な含意にも注意を払う必要がある。私が見る限り、この憲章草案があっても、貿易協定プログラムの背後にある理論全体も同様だが、西ヨーロッパ諸国に特別な施設を広げることはむずかしいだろう。それは、私たちが他のITO参加国や貿易協定の参加国に対してしてこなかったことだ。
関連記事:トランプ大統領の誕生と迫り来る欧米間の対立
第二の可能な解決策は、西ヨーロッパ諸国の連合がアフリカ大陸の植民地および依存地域の経済開発と利用を共同で行う取り決めである。このような計画の実現には、確かに現在の西ヨーロッパの政府の見通しや力、その指導力をはるかに超える課題ある。外部からの駆り立てと多くの忍耐が必要となるだろう。しかし、この考え自体には多くの利点がある。アフリカ大陸は比較的共産主義の圧力を受けにくく、そのほとんどが、現在、大国の対立の対象にはなっていない。西ヨーロッパの海洋国家が容易に近づけ、政治的にはその大部分を支配または影響下に置いている。その資源はまだ比較的未開発だ。アフリカは多くの人々とヨーロッパの余剰の技術と管理のエネルギーを吸収することができるだろう。最後に、それは、ここ数か月間手探りしても、誰もあまり成功しなかった西ヨーロッパ連合という考えに具体的な目標を与えるだろう。
これがどんな風になろうと、一つははっきりしている:もし欧州復興計画(ERP)の主要目的を達成したいのであれば、私たちは心から、かつ忠実に、イギリスの西ヨーロッパ連合への取り組みを支援しなければならない。そして、この支援は、時折、公的な賛成意見を表明するだけでは駄目だ。この問題は、気持ちを込め、かつ共感的に、イギリス自身と西ヨーロッパの他の政府との間で議論されるべきだ。このような議論においては、私たち自身の政策の明確化や、ヨーロッパ人自身への健全で助けになる影響を行使する点で、多くの成果が上げられるだろう。特に、私たちが西ヨーロッパ諸国に、ドイツ人をヨーロッパの市民として扱う必要性を説得する手助けができれば、非常に大きな成果を上げることになるだろう。
それを念頭に置いて、私は西ヨーロッパ交渉団の一人ひとりに、西ヨーロッパ連合問題の特別研究を行うことを要請したほうがいいのかもしれない。それは一般的な観点と関連する特定の国に言及して考える必要がある。また、この研究の準備過程で、各首都の知識と経験豊富な人々の意見を参考にする機会を得ることも要請したほうがいいのかもしれない。これらの研究には、基本的な問題への接近方法に関する独自の推奨事項も含まれるべきだ。国務省におけるこのような研究の要約は、問題となっているこの問題について、かなり健全で、境界をこえたバランスの取れた意見を生み出すはずだ。
II. 欧州復興計画
現在の議会での討論の進行により、現政府がヨーロッパ支援の問題において進む方向性の輪郭をある程度の確率で見極めることが可能になっている。
1. 復興計画の運営
浮かび上がった今回の復興プログラムの最も重要な特徴は、それが政治的な問題ではなく、技術的な業務として現政府によって実施されるということだ。私たちは現実的に直面しなければならないのは、これによって復興プログラムの潜在的な政治的影響が大幅に減少し、現政府のヨーロッパに対する政策に混乱、矛盾、そして無効化の度合いをもたらす可能性があるということだ。現政府の別個の機関によるヨーロッパ政府との関係の運営は、非常に重要な問題を巡って、長期間行われるため、それは国務省のヨーロッパ事務業務への深刻な影響をもたらし、その使命の威信、能力、そして効果を低下させることは避けられない。
このような状況では、国務省がヨーロッパ諸国との関係の進展に対して影響を及ぼす可能性は、主にホワイトハウスを通じて国家政策に影響を与えることができるかどうかにかかってくることになる。つまり、国務省とホワイトハウス、特に国家安全保障会議との連絡手段に非常に重要な役割が与えられる必要がでてくる。
しかし、このような回り道の経路を通じて行われる国家政策や、欧州復興計画のような新たな独立組織を含む政策が、一点の曇りもなく効果的になるなどと期待するような自己欺瞞はすべきではない。政策立案の機能が明確に政府の通常の機関に委ねられる限り、そのような政策が本当に効果的になることはないのだ。政策を実行する人々の理解を得ることがなければ、どんな政策も本当の意味で効果的になることはない。外交政策の分野における政府の政策の理解は、その分野に新たな人々が関わる場合でも、最善の意思によっても容易に獲得することはできない。これは短期間で行えるような概況説明や指導でどうこうできるものではない。それは数年を要する教育と訓練の問題なのだ。
戦時中および戦後の臨時の機関が外交の現場で運営された経験から、新たな機関は、その身内の職員の視野や教育的な範囲を超える政策を実行する上でほとんど価値がないことが明らかになっている。また、実際には、これらの機関は自己の勢いを発展させ、最終的には国家政策を形成する傾向があり、下働きをするというより国家政策を作り上げる結果になることが分かっている。
この援助プログラムの実施方法が、その基本的な目的が果たされないことを意味するわけではないと私は考えている。米国の援助を柔軟な政治的手段として戦術的に活用することはほとんどできないが、資金と物資自体がヨーロッパの現場において重要な要素となる。この経済支援の利用可能性そのものが、いわば西ヨーロッパの人々が政治的独立を維持するための自己の闘いにおいて、彼ら自身が支えになる新たな地形的要素を創り出すだろう。
しかし、この法案が可決されたのだから、問題の大部分は私たちの手から離れることを認識しなければならない。欧州復興計画の運営により、国務省自体が当該期間中にヨーロッパに関連して鋭くかつ活発な政策を実施することは困難になる。もちろん、私たちは引き続きヨーロッパの情勢の発展を注意深く研究し、ヨーロッパ地域に関連する国家政策の形成にできる限り貢献する義務を果たす必要がある。しかし、それによって国務省は、世界の広範な地域の中でも、近年の戦争中に多くの場合に占めた位置に後退する。すなわち、執行機関ではなく、助言的な機関としての位置だ。
2. 時間的要素と量の問題.
議会がこの問題に対していつまでもぐずぐずしていると、復興プログラムの成功に明確な危険をもたらす。援助が利用可能になる日とヨーロッパの予備資金が持ちこたえられる時点との間にギャップがある場合、復興計画の効果の大部分が無効化される可能性がでてくる。
おそらく、私たちが嘆願したり強く求めたりして議会の行動を早めることはあまりできないだろう。しかし、議会に対して、私たちは関与する時間制限(国務省の経済分析者が決定する必要がある)と遅延の可能性に伴う潜在的な結果を率直に述べるべきだと私は思う。さらに、特定の時間制限を超えて付与される援助は、①現政府の行政部門の推奨に応えて考えることはできないし、②行政部門は、これらの状況下での望ましい復興計画やその効果に対する責任を負うこともできない、以上2点ははっきりさせておこう。
もし復興プログラムが、私たちが復興目的に必要と考える最低限の金額以下に削減される場合、同じ原則が適用される。
どちらに転んでも、私たちが議会に「指図」しようとしているとの批判が出るだろう。しかし、ここには重要な責任の問題がある;もし今、不十分で遅すぎる、またはその両方である援助プログラム(現政府はそのことを知っている)に対して責任の一部を受け入れるよう強制されることがあれば、現政府の行政部門は将来困った立場に置かれることになる。
3. 欧州連合の問題
ハーバード演説8への最初の反応は、欧州でもここ(アメリカ)においても、援助計画の成功にとって欠かせない欧州統一の概念がいかに重要かを示した。もし復興計画が参加国をより結びつけるための実際の取り組みを行わなければ、それは確実に中心となる目的には失敗し、国際社会の目には、尊厳と重要性を備えてはいても、外国経済援助のこれまでの取り組みとは異なったものに映るだろう。
いろいろ熟慮しているこの段階において、議会だけでなく、国務省でも、この基本的な事実が見失われるという現実の危険性がある。
したがって、援助計画の概念におけるこの要素を強調する機会を逃さずに利用し、16ヶ国間の協力と共同責任の原則が、私たちが手掛ける運営全体で重視されるよう強く主張する必要がある。
III. ドイツ 9
ドイツにおける(占領)軍政にとっての責任に関する今後の変化は、私たちにとってドイツに対する新たな長期的な目標の概念を発展させる適切な機会を与える。既存の政策指令の概念に頼ることはできない。これらは別の状況に対応するために設計されたものであり、また、多くの場合、それ自体が妥当であるかどうか疑問だ。
この関連で行われる計画立案は、必然的に多面的で膨大なものとなるだろう。しかし、私たちは今日、私たちが直面する問題の主たる輪郭と、求める必要のある解決策の大まかな構図を見ることができると思う。
長期的には、西部および中部ヨーロッパの将来には3つの可能性しかない。一つはドイツの支配。もう一つはロシアの支配。三番目は連邦制ヨーロッパ(の支配)だ。そうなればドイツの一部がそこに吸収され、他の国々の影響力がドイツを抑制するのに十分なものになる。
もし本当のヨーロッパ連邦が存在せず、もしドイツが強力で独立した国家として復興した場合、再びドイツによる支配の試みが起こることを我々は想定しなければならない。もし本当のヨーロッパ連邦が存在せず、ドイツが強力で独立した国家として復興しない場合、私たちはロシアの支配を招きいれることになる。なぜなら組織化されていない西ヨーロッパは、組織化された東ヨーロッパに無期限に対抗することはできないからだ。これらの二つの悪のうちいずれかを回避するための合理的に期待できる唯一の可能性は、西ヨーロッパと中央ヨーロッパにおける何らかの形の連邦である。
今日の私たちのジレンマは、ヨーロッパ連邦がアメリカの利益から見て間違いなく最善の解決策であるのだが、ドイツはそれに対して準備が不十分であるという事実にある。このような連邦を実現することは、もしドイツが分割されるか、もし根本的に分権化されるか、さらには、もしそのばらばらになった構成国家が個別的にヨーロッパ連合に参加できるようになったら、はるかに容易になるだろう。統一されたドイツを、あるいは統一された西ドイツすらそうだが、そうした連合に参加させることは、はるかに困難になるだろう:なぜなら、多くの点で他の構成国家よりも重みを持ってしまうからだ。
もし敗戦直後に断固として迅速に実行されていたならば、ドイツ帝国の分割は可能だったかもしれない。しかし、その時は過ぎ去り、今日私たちは別の状況に直面している。現状では、ドイツ人は心理的にはドイツ帝国分解への心構えができていないだけでなく、分解に対してはっきりと好ましくないと思う心境にある。
今後のドイツの将来に関する計画を立てる際には、これまでの占領は、ドイツ人の心理的な観点からすれば運が悪かったと思っている不快な事実を私たちは考慮しなければならない。ドイツ人が今身をもたげてきているのは、戦後期のこの位相からであり、その心理状態は不機嫌で、苦々しく、改心しない態度であり、そして旧ドイツ統一の幻想に病的に執着している、と描写すれば一番ぴったりする。ドイツ降伏以来、私たちの道徳的・政治的な影響力は進展していない。彼らは私たちの教えや模範に感銘を受けていない。彼らは私たちに指導を期待しないだろう。彼らの政治生活は、おそらく極右と極左に両極化し、私たちの観点からは敵対的で扱いづらく、私たちの価値観を軽蔑するものとなるだろう。
私たちは、そのようなドイツが、自発的に欧州連合の枠組みに建設的に参加するようになる、という展開には頼れない。そうかと言って、ドイツ人なしでは、本当の欧州連合は考えられない。そして連合がなければ、他のヨーロッパ諸国は外部支配の新たな試みがあっても、保護を受けることはできない。
もし私たちがロシア人とドイツの共産主義者に、私たちの分割への動きを政治的に利用する準備させない場合、私たちは住民の意思に関係なくドイツを分割し、それぞれの地域を連邦制ヨーロッパに組み込むことができるだろう。しかし、今日の状況では、ドイツ人を共産主義者の腕の中に政治的に投げ込まずにこれを行うことはできない。そして、もしそんなことが起これば、私たちのヨーロッパにおける勝利の成果は台無しになってしまうだろう。
そのため、排除のプロセスによって、私たちのもついろいろな可能性は絞られ、ドイツの分割の問題を押し付けるのではなく、ドイツつまり西ドイツを欧州連邦に組み込もうとする政策になってくる。ただし、それを行う際にはドイツにその連邦を支配する、あるいは他の西ヨーロッパ諸国の安全保障利益を危険にさらさせることも許してはならない。そして、これはドイツ人が①自発的に自制心を持つこと、②他の西側諸国に対する十分な責任感を抱くこと、また③ドイツ国内において、他のヨーロッパ諸国における西側の価値の保護に関心を持つこと、以上3点は期待できない、という事実を前提に達成される必要がある。
私は、この問題に対処する手段として、従来の集団安全保障の概念を信頼していない。ヨーロッパの歴史は、完全な主権国家間の多国間防衛同盟が、欧州情勢の支配を図る執拗で決意のある試み対して、あまりにも弱点があり過ぎたことを一点の曇りもなく示している。他の西ヨーロッパ諸国の人々の偏見に対応するため、いくつかの相互防衛の取り決めは必要となるだろう。彼らの考え方はこの問題においてまだ古くさく、非現実的なのだ。しかし、再びドイツ人が問題を起こすことの抑止を彼らに頼るわけにゆかない。
こういったことがあるので、ドイツと西ヨーロッパ諸国との関係は、ドイツ国民と軍事産業の潜在的な優位性が不正な搾取に使われないよう、機械的かつ自動的な保障策が提供されるように配置されるべきなのははっきりしている。
私たちの計画の最初の作業はそのような保障策を見つけることになるだろう
これに関連して、ルール地域の問題には最優先の考慮を要する。ルール地域の産業における国際的な所有権または管理形態は、将来的なドイツの産業資源の攻撃的な目的への悪用に対する自動的な保護の最良手段の一つとなるだろう。他にも探求する価値のある手段があるかもしれない。
私たちの計画の第二の方向は、ドイツの経済をヨーロッパの他の地域と最大限に結びつけることだ。これは、現在の政策をある面で転換する必要があるかもしれない。私の意見では、私たちの戦後政策の最も深刻な誤りの一つは、ドイツ人を再び極端に分離し、実質的にヨーロッパの他の人々から孤立した状態で、以前よりもさらに狭い領域に押し込めることだった。このような分離と押し込めは、必ずドイツ人の性格において最悪の反応を引き起す。ドイツ人が必要としているのは、暴力的に自己に押し込められることではない。そんなことをすればドイツ人固有の非現実主義と自己憐憫と挑戦的な民族主義を高めるだけだ。彼らが必要とするのは、集団的な自己中心主義が外へと導かれ、より広い視野で物事を見るように促され、ヨーロッパや世界の他の場所に興味を持ち、自分自身を単にドイツ人ではなく世界市民として考えることだ。
次に、私たちはドイツ人に対する私たちの道徳的影響力の破綻を認識しなければならない。また、心理的に不適切であった私たちの行動と政策をできる限り早く終了させるための計画を立てる必要がある。第一に、私たちはドイツにおける私たちの駐留を可能な限り削減しなければならない。被征服地域に戦勝国の代表が大勢居住しているのは、特に彼らの生活水準が目立つほど異なる場合、決して有益なことではない。第二に、私たちは、ドイツ国内の問題に対して指導者や裁判官として振舞う傾向のある活動(非ナチ化、再教育、特にニュルンベルク裁判)をできるだけ早く終了しなければならない。第三に、私たちは勇気を持って、できるだけ早く(占領)軍政を廃止し、ドイツ人に再び自身の問題に対する責任を受け入れさせる必要がある。私たちが彼らの責任を引き受けている限り、彼らは自分たちの責任で動くことはない。
西ドイツの軍事占領は長い間続けざるをえないかもしれない。私たちはそれがヨーロッパの情勢において準恒久的な要素になることを覚悟しなければならないかもしれない。しかし、軍政は別の問題だ。それが撤廃されるまで、私たちは本当の意味でより安定したヨーロッパに向けて進展することはできない。
最後に、今後はドイツ直近の西側隣国を視野に置きながら、ドイツに対する政策を調整するための、可能なすべての努力をしなければならない。特にベネルクス諸国には、私たちの意見の実施において価値ある協力を提供することができるだろう。これらの隣国こそが、最終的に私たちが進める解決策とともに生活しなければならないのだから。西ヨーロッパの秩序を成功させるためには、彼らが十分な貢献をし、責任を果たすことが不可欠だ。彼らの支持を得るために、私たち自身の政策を調整する方が、彼らの感情に反して一方的に行動しようとするよりも良い結果をもたらすだろう。
こういった仕事や問題が、私たちの眼前にあるため、私たちにとって重要なのは、これらの課題と問題が私たちの将来の政策に悪い影響を与えるようなことは、この過渡的な期間においては、何もしないことだ。国務省の関係部署には、彼ら自身の仕事においてこれを念頭に置くよう指示するべきだ。また、ドイツでの政策の執行において、軍当局もこれを念頭に置くべきだ。他の政府の代表との議論でも、これらの考慮事項を順守すべだ。特に、フランスとイギリスとの今後の議論にはこれが当てはまる。
IV. 地中海
昨年の状況進展により、ソビエト連邦が西ヨーロッパの統一を崩し、その地域に政治的に進出する可能性は、北ヨーロッパでは低下している。ここでは人々の政治的な成熟が徐々に確立しているのだ。地中海沿岸の南部では(ソ連は)自国の地位を保持し、実際には増強している。ここでは、ロシア人はバルカンの衛星国に対する(狂信的な)優越主義だけでなく、ギリシャとイタリアの国民10の絶望的な弱さと疲労も資産として持っている。現在のギリシャとイタリアの状況は、恐怖を政治的手段として利用し、共産主義運動にとって基本的でなじみ深い戦術に適している。
外国の共産主義勢力によってもたらされる国家の独立への脅威に直面するために必要な武器を、現政府が持っていないことは何回繰り返し言っても言い過ぎにはならない。このことは、抵抗が最も低い国々で共産主義者が成功を収めるのを防ぐために、現政府が取ることができる対策について、とてつもなく困難な問題を生み出す。
企画室は、これに検討した他のいかなる個別問題よりも多くの注意を払ってきた。その結論をまとめると以下のようになる:
(1) 現地(外国)の共産主義勢力に対抗するために米国の正規軍を使用することは、一般的には危険で利益をもたらさない取り組みと考えられるため、善より害をもたらす可能性が高い。
(2) ただし、もしも継続的な共産主義活動が、アメリカの軍事力を被害地域の周辺に引き寄せる傾向があることが示され、そして、もしこれらの地域が、クレムリンが明確にアメリカの力を排除したい地域である場合、①これによってソビエト連邦の防衛安全保障利害を活用し、②ロシアが地元の共産主義勢力に抑止的影響を行使する可能性がでてくる。
そのため、企画室は私たちにとって最も賢明な政策は、私たちの行動によってロシアにはっきりさせることだ。すなわち、共産主義勢力がギリシャやイタリアへ進展すればするほど、現政府が地中海地域における平時の軍事展開を拡大せざるを得なくなることを。
私たちが何の疑いも抱いていないのは、もしロシア人が①ギリシャで共産主義政府を樹立すれば、リビアとクレタにアメリカの空軍基地が設立される、そして②北イタリアでの共産主義蜂起が起これば、アメリカはフォッジャ基地の再占拠をもたらす、この2つを知れば、クレムリン委員会内で、第三インターナショナルの利益とソビエト連邦の純粋な軍事安全保障の利益との間で紛争が生じだろう、ということだ。この種の紛争では、狭義のソビエト国家主義の利益が通常優位に立つ。もし今回もそれが勝利すれば、ギリシャとイタリアの共産主義者には制約がかけられることになるだろう。
これはある程度、既に事実となっている。私が思うに、ほとんど疑いないことだが、地中海での海軍活動(これには海兵隊の追加増員も含まれる)や、ギリシャへのアメリカ軍派遣の可能性についての話が、これまで衛星国がマルコス政府を認めない要因の一部であり、おそらくクレムリンがディミトロフ(訳註:ブルガリア共産党の指導者)を叱責した要因にもなっている。私が思うに、同様に、イタリアからの最終的な軍隊撤退時に私たちが発表した声明が、春の選挙前におけるイタリアでの共産主義蜂起計画の放棄においておそらく決定的な要素となっている。
そのため、ギリシャやイタリア、および地中海地域に関する私たちの政策は、以下の点をロシアに示すことを目指すべきだと考える:
(a) 共産主義の脅威の低減は、私たちの軍事的な撤退をもたらすことになるが、
(b) さらなる共産主義の圧力は、軍事的な意味で私たちをより深く巻き込む結果となる。
V. パレスチナと中東
パレスチナに関する企画室の見解は、別の文書11で示してある。ここでそれを繰り返すつもりはない。しかし、パレスチナ問題と中東全体の立場について、重要な背景として考慮すべき事項が2つある。私はこの時点でそれらを強調しておきたい。
1. 中東における英国の戦略的立場
現政府内で私たちが結論に達していることだが、中東の安全保障は私たち自身の安全保障にとって重要である。また、現在イギリスが保有している戦略的な施設を複製または引き継ぐことは望ましくないという結論にも達している。戦争の場合、これらの施設は実質的に私たちの支配下に置かれることを認識しており、イギリスから形式的にそれらを移管しようとすることは新たな無用な問題を引き起こすだけである。おそらく一般的に言っても、うまくゆくことはないだろう。
これは、その地域におけるイギリスの戦略的地位の維持を支援するためにできる限りの努力をしなければならないということを意味する。これはすべての個別の事例で彼らを支持しなければならないということではない。彼らが自ら間違った立場に陥った場合や、私たちが過度な政治的負担を負うことになる場合には彼らを支持する必要はない。しかし、イギリスとアラブ世界の関係を緊張させ、アラブ諸国におけるイギリスの地位を低下させるような政策は、結局は私たちの首を締め、我が国の直近の戦略的利益に反する政策になるということを意味する。
2. 我が国の政策の方向性
現政府が今直面しているのは、私たちをパレスチナにおけるユダヤ国家の維持や拡大に主要な責任を負う立場に追い込もうとする圧力だ。この方向に進めば進むほど、私たちはその地域における重要な安全保障利害に、まさに逆行する作戦行動をすることになる。そのため、パレスチナ問題における私たちの政策は、この道に追い込まれることを避ける決意によって主導されるべきだ。
私たちは現在、このパレスチナ問題に、重くかつ不運な形で関与している。過去の約束や国内の圧力に対して、さらなる譲歩をする必要があるようだ。
こういった譲歩は危険なものになろう;が、私たちが、自分のやっていることをきちんと自覚し、私が上で言及した責任が生じる可能性を避ける方向に全体の方向を定めるのであれば、必ずしも破滅的なものにはならないだろう。もし私たちがその方向には進まず、現在の複雑な状況の渦の中で抵抗の最小限の方向に漂流するのであれば、中東地域全体の私たち政策は疑いなく混乱し、無力化し、私たちの観点からは幸せな結末がない方向に引っ張られることになるだろう。
もし現政府がいかなる形態でもアメリカ軍をパレスチナに派遣したり、国際的なボランティアの募集やソ連の衛星国の軍隊の派遣に同意せざるを得ないよう事態になった場合、次のことはきちんと言っておかなければならないと思う。つまり、その場合、私の意見では、地中海と中東地域のために私たちが構築してきた戦略的および政治的計画の全体構造が見直され、おそらく変更されるか、他のものに置き換えられる必要があるだろう、ということだ。
それはつまり、これらの地域に関わる非常に重要な問題において、国益ではなく他の検討事項によって導かれることに同意したということを意味することになるからだ。この事実に直面した場合、隣接地域において国益のみに基づいた政策を続けようとすると、最終的には目的の二重性に直面し、取り組みの分散と混乱を招くことになる。私たちは、隣り合った地域で一つの目的を持ちながら、相反する目的を持って行動することはできないからだ。
したがって、過去の約束や国連の決定、あるいはその他の考慮事項によって、中東地域の住民の大多数が反対するいかなる取り決めのパレスチナでの施行にも主導的な役割を果たす義務があると判断した場合、世界のこの地域における一般的な政策を見直すことによって、この行為の意味合いに直面する覚悟が必要である。そして、中東は、現政府が世界的な軍事および政治計画において基礎としている現在の安全保障概念にとって不可欠であるため、これはさらに、本政府の軍事および政治政策全体の見直しを意味することになるであろう。
VI. ソビエト社会主義共和国連邦
もしロシアが今後数ヶ月において、鉄のカーテンの外にある主要な国々(ドイツ、フランス、イタリア、ギリシャ)において浸透し、政治的支配を確立するという試みでさらなる成功を収めた場合、私の意見では、彼らと協議することは不可能なままだろう。なぜなら、彼らは自らの交渉の立場が近いうちに改善されることを期待しているため、この時点でドイツの問題を私たちと解決する理由を見出さないからだ。
他方、もし鉄のカーテンの外側の状況が改善しないならば、もしERP(欧州復興計画)の援助が適切な形で時間通りに届き、そして、もし西ヨーロッパの自信が回復すれば、その時は新たな状況が生まれ、ロシアは(ドイツ)降伏以来、初めて、ドイツやヨーロッパ全体について真剣に取引を行う準備をするだろう。彼らはこれに気づいており、自分たちの計画のなかにその可能性を考慮に入れつつある。実際、彼らはこの2つの事態のうち、これがより起こりやすいと見なしていると私は思う。
その日が来るとき、つまりロシアが現実的に私たちと話し合う準備ができるようになるとき、私たちは真のアメリカの政治手腕の試練に直面することになる。そして、正しい解決策を見つけることは容易ではない。なぜなら、ロシアは私たちに対して、1939年にドイツと結んだものと類似した勢力圏合意を結ぶことを求めるだろうから。それができない理由を彼らに説明することが私たちの仕事になるだろう。しかし、またそれはやるだけの価値も示すことができなければならない。
(a) 私たちが大陸と地中海から全ての軍隊をなんとか撤退できるレベルまでヨーロッパと中東の他の地域での共産主義の圧力を減らすこと、;そして
(b) その後、ヨーロッパにおける長期にわたる安定に同意すること。
もし私たちがCFM(制裁委員会)や他の公的な会議で直接的に取り組もうとするなら、私はこの課題が成功裏に達成されるのは難しいと思う。私たちとロシアとの公開の交渉は、スターリンとの最も秘密で繊細で準備的な協議が行われない限り、明確かつ満足のいく結果には至らないだろう。12私は、これらの協議は、以下の条件を満たす人物によってのみ成功裏に行われることができると考える。
(a) その議論において、自身の成功に対して公に評価されることは当然のことながら、個人的な利益を求める意図が全くなく、全体の進行について最も厳密な沈黙を守る準備がある人;そして
(b) 私たちの政策の背景だけでなく、ソビエトの哲学や戦略、そしてソビエトの政治家がこのような議論で使用する弁証法についても徹底的に熟知しているひと。
(この人物がロシア語で会話ができれば特に望ましい。私の意見では、これはスターリンとの間で重要。)
これらの協議は、任意の秘密の議定書や他の文書上の理解に到達することを目指すものではない。それらは、CFM(制裁委員会)のテーブルや他の場所で到達することを期待するいかなる文書上の理解の背景を明確にするために行われるべきなのだ。なぜなら、私たちは今、国際協定の言葉がロシア人にとって私たちとは異なる意味を持つことを知っているからだ。そして、私たちが到達するかもしれないさらなる文書上の合意について、実際に何を意味しているのかについて共通の理解を深めることが望ましい。
ロシア人はおそらく選挙が終わるまで私たちと「ざっくばらんに話す」ような心構えはないだろう。しかし、もし協議が急に始まる必要がなく、事前に準備が整っている状態であれば、その時彼らと話すことはずっと容易だろう。
最近、ロシア人は明らかに私たちの意見を引き出し、非公式の場で率直かつ現実的に彼らと話し合うことに対する私たちの関心を試す意図で、ベルリンでマーフィーに興味深い接近を行った。このような議論をさらに進めるには、ベルリンが望ましい場所だと私は思わない。他方、私たちは彼らを完全に無視すべきではないとも考えている。私たちとのより良い理解が望ましいと促すクレムリンの人々がいるかもしれない。そういった人々に失望を与えないよう、常に注意を払わなければならないのだ。
上記の点を考慮すると、私たちは今後数ヶ月間にロシア関連の人事配置に注意を払うべきだと思う。そして、最終的にクレムリンと何らかの背景の理解に到達する可能性を考慮して、私たちは常に慎重に行動すべきだ。しかし、①この理解が必然的に限定的なものであり、②冷徹な現実に基づくものであること、③文書化することはできないし、④それが引き起こされた一般的な国際情勢のあとまで残ることは期待できない、以上の4点は心に留めておかなければならない。
付け加えるが、私はそのような理解は主にヨーロッパと西地中海地域にしっかり限定しておく必要があると考えている。その理解を中東や極東に適用することは難しいと思う。中東や極東の状況は不安定すぎ、将来の見通しは混迷しており、さまざまな可能性は広大で予測不可能すぎるため、そのような議論の余地はない。日本と満州の間の経済的な交流は、ある種の物々交換の取り決めによって慎重に修正された形で復活する可能性がある。これは私たちの立場からしても、十分心にとめておいてよい目標である。しかし、一方、私たちは日本の政策を立案する際に、そのような議論のために、現在よりも優れた交渉力を創造することを念頭に置かなければならない。
VII. 極東
極東における現政府の立場に関して、私の主な印象は、私たちが極東で成し遂げることができると考えていること、そしてそれを成し遂げようとしていることにおいて、私たちの考え方が全体としてあまりにも膨らみすぎている、ということだ。これは、残念ながら政府だけでなく、米国民にも当てはまる。
アジア民族の間では、私たち自身の道徳的およびイデオロギー的力の限界があることは早急に認識する必要がある。
私たちの政治哲学や生活のパターンは、アジアの大衆にはほとんど適用性がない。それらは、私たちには適しているかもしれない。何世紀にもわたる高度に発展した政治的伝統と、特に有利な地理的位置を持っているからだ;しかし、現在のアジアの大部分の人々にとって、それは、はっきり言って、実用的でもなければ、役にも立たない。
そうなれば、私たちはアジアで「指導力」を発揮するという言葉を使う際に非常に注意を払わなければならない。私たちがこれらのアジアの人々を悩ませる問題に対する答えを持っているふりをすることは、自己欺瞞でもあるし、他の人を欺いていることにもなる。
さらに、私たちは世界の富の約50%を保有しているが、人口はわずか6.3%に過ぎない。この格差は、特にアジアの人々との間で顕著だ。この状況では、私たちは嫉妬と敵意の対象となることは避けられない。私たちが今後直面する真の課題は、この格差の維持を国家安全保障に積極的な悪影響を与えることなく行うための関係のパターンを考案することだ。そのためには、感傷や妄想を一切捨てなければならず、私たちの関心は即座に国家の目標に集中されなければならない。今日、利他主義や世界への恩恵は何とかできる、などと私たちは自己を欺く必要はない。
これらの理由から、私たちは極東地域に対する態度において非常に慎重になる必要がある。アジアと太平洋地域の人々は、私たちが何をするにせよ、自分たちのやり方で政治形態や相互関係の発展を進めていくだろう。このプロセスはリベラルでも平和的なものでもない。
最も大きなアジアの民族である中国人とインド人は、まだ自分たちの食糧供給と出生率の関係に関わる基本的な人口問題の解決に着手していない。彼らがこの問題に何らかの解決策を見つけるまで、さらなる飢餓、苦難、そして暴力は避けられない。すべてのアジアの民族は、現代技術の影響に適応するために新しい生活の形を進化させる必要があるのだ。この適応のプロセスも長期間かつ暴力的なものとなるだろう。以下のことは可能性があるばかりでなく、おそらくそうなるのだ。つまり、このプロセスの中で、多くの民族が、いろいろな時期に没落してゆくということ、それもモスクワの影響のもとで。このモスクワのイデオロギーは、このような民族にとってより魅力的であり、おそらくより現実的なものでもある。私たちがそれに反対して提供できるものよりもそうなのだ。こういったこともまた避けられないだろう;そして、そのような目的に米国民が喜んで譲歩してくれたとしても、それ以上の様々な国家的努力がなければ、これと闘うことなどできないだろう。
この状況に直面して、極東に関する私たちの考え方に根付いているいくつかの概念を今すぐ手放す方が良いだろう。私たちは「好かれたい」とか高潔な国際的利他主義の守護者と見なされたいという願望を捨てるべきだ。私たちは自分たちの兄弟の守護者であろうとする立場に身を置くことをやめ、道徳的なアドバイスやイデオロギーに関して慎重になるべきだ。私たちは人権や生活水準の向上、民主化といった曖昧で極東にとって非現実的な目標について話すのをやめるべきだ。直接的な権力概念で対処しなければならない日が近づいている。理想主義的なスローガンが邪魔になることが少なければ少ないほど、より良い結果を得ることができるだろう。
今後の極東地域における私たちの影響力は、主に軍事と経済にあることを認識すべきだ。私たちは慎重に調査し、太平洋と極東の世界の中で私たちの安全保障に絶対に重要な部分がどこかを確認し、私たちが制御または頼ることのできるそれらの地域が、ずっと手中にあるように政策を集中すべきだ。私たちがこれまでに行った調査に基づいて、私の予想では、日本とフィリピンがそのような太平洋安全保障システムの基盤となると考えられる。もし私たちがこれらの地域を効果的に制御し続けることができれば、私たちの安全保障に対する東方から深刻な脅威は、私たちの目の黒いうちにはあり得ない。
この最初の目標を確かなものにして初めて、私たちは思考や計画をより広範囲に広げるという贅沢が許される。
もしこれらの基本的な概念が受け入れられるならば、私たちの当面の目標は以下の通り:
(a) できるだけ迅速に、中国における不安定な関わりを解消し、その国との関係において分離した立場と行動の自由を取り戻すこと。
(b) 日本に関して、共産主義の浸透や支配、そしてソ連による軍事攻撃からこれらの島々の安全を保障する政策、そして日本の経済的潜在能力が再び極東における平和と安定の利益に応える重要な力となることを許す政策を考案すること。
(c) フィリピン政府が内政において継続的な独立を保持できるようにするが、(他方)フィリピン群島をその地域におけるアメリカの安全の砦として維持するようなフィリピンとの関係を形作ること。
このうち、日本に関連する目標は、現政府の当面の関心と当面の行動の可能性が最も高いものだ。したがって、これを今後の極東政策の焦点とするべきである。
VIII. 国際機関
現在、アメリカの政策には、国際問題の解決における普遍的手法と特殊手法と呼ばれるものとの間に幅広い対立が存在している。
普遍的手法は、国際問題の解決を、すべての国、または少なくとも参加する準備のあるすべての国に適用される普遍的な規則と手続きの形式を提供することによって行うことを目指している。このアプローチは、政治的な解決策(つまり、個々の民族の立場や態度における特異性に関連した解決策)を排除する傾向がある。それは、すべての国に適用可能な法的および機械的な解決策を好む。この手法は、すでに国際連合、提案されたITO憲章、ユネスコ、PICAOなどの組織や外交政策の特定の領域における普遍的な国際協力の取り組みに具体化されている。
この普遍的手法は、米国の世論を強く惹きつけている。なぜなら、外国民族の国民的特異性や異なる政治哲学と向き合う必要性を排除するように見えるからだ;米国民の多くはこれを混乱やイライラの原因と見なしている。この意味で、それには現実逃避的な傾向がある。それが適用される限り、私たちは現実の世界と向き合う必要性から解放されるだろう。それは、もし全ての国が特定の標準的な行動規範に同意することができれば、醜い現実――権力の欲望、国家的な偏見、非合理的な憎悪と嫉妬――は受け入れられた法的な制約の後ろに後退せざるを得ず、私たちの外交政策の問題は議会手続きと多数決のおなじみの枠組みに縮小される、と仮定している。国際関係におけるやりとりのために確立された外的形式が、その中身を覆い隠すことになる。そして、伝統的な外交に固有の、下劣で複雑な政治的選択を強いられる代わりに、高尚で単純な道徳原則の上で多数決の保護のもとで決定を下すことができるようになるというわけだ。
特殊手法は、国際問題を法的な概念に圧縮するどんな計画にも懐疑的な姿勢を持っている。それは、形式よりも内容が重要であり、内容に押し付けられたどんな形式的な構造も突破して進むと考えている。この手法では、権力への渇望がまだ多くの人々の間で優勢であるため、それを他の何よりも反対勢力によって鎮めるか制御することしかできないと考えている。同盟という考えを完全に拒否しているわけではないが、効果的な同盟を形成するには、実際の利害や見解の共同体に基づく必要がある。それは限られた政府のグループの間にしか見つからないものであり、抽象的な普遍的な国際法や国際機関の形式主義に基づくものではないと考えている。特殊化された手法では、多くの民族が「平和」という抽象的な概念のために、進んで戦争に向かったり、国民が犠牲を惜しまなくなるという点に信を置いていない。それどころか、この手法では、他の政府の近視眼的な見方と臆病さのために、アメリカが果敢かつ鋭い措置を取ることできなくなるかもしれない一連の制約があると見ている。そしてそれは世界全体の安定のために決定的に重要性を持つかもしれない国際関係の概念にとってもそうなのだ。この手法では、もし普遍的な概念が適用されるとアメリカの政策は肝心な時に無駄で厄介な国際議会主義の罠で身動きが取れなくなってしまうと考えられている。
最後に、特殊手法は、国際機関における現代の国家主権の理論に対して不信を抱いている。攻撃的な(領土)拡張の現代的な技術は、新しいワインを古い容器に注ぎ込むという諺にぴったりあてはまる。つまり、外国の政治的意志を、表面上は独立した国に注入することなのだ。このような状況では、国際問題における議会原則は容易に歪められ、濫用される可能性がある。これは白ロシア、ウクライナ、およびロシアの衛星国の例で見られてきた。このことは大国と小国の区別の問題、そして各国は国際問題についてそれぞれ持つべき発言権のこと言っているわけではない。
現政府は現在、これらの手法の要素を組み合わせた二重の政策を実施している。これは国務省においてその反映を見出し、方針の策定と実施、および省庁の組織の原則において、機能的(つまり普遍的)概念と地理的な(つまり特殊な)概念が競合している。
この二重性は、私たちが現在深く関わりを持っているものだ。突然の変更を推奨する意図は私にはない。平和な世界の可能性への信念の象徴となっているものを、国内外の多くの人々が抱いている志向を、今日、急に放棄することはできない。
しかし、私は強く思うのだが、実現可能な世界秩序の追求において、私たちは誤った方向から出発している。私たちは、まず自らの直近の地域、つまり自らの政治的・経済的伝統の領域から始めて外に向かうのではなく、逆に全体円周の周辺部から、つまり国連の普遍的な原則から出発し、内側に向かって働こうとしてきた。これは私たちの努力の大幅な分散を意味し、私たちが非常に愛着を持っていた普遍的な世界秩序の概念自体に危機が迫る状況をもたらした。将来のためにこれらの概念を保存したいのであれば、それらにかけられた負荷の一部を迅速に解消し、中心的な基盤から進む堅固な構造を築かなければならない。そうすれば、その概念が自重(じじゅう)で崩壊する前に、それらに対応できるよう押し上げることは可能だ。
これが欧州復興計画、欧州連合という考え、そしてイギリスとカナダとのより密接な連携構築の意義だ。というのは真に安定した世界秩序は、より古く、穏やかで、より進んだ国々からしか、私たちの目が黒いうちに、生まれることはない。これらの国々は、力ではなく秩序の概念が価値と意味を持つ国々だ。もしこういった国々が、今日、政治的な偉大さと賢明な節制の組み合わせによって、成熟し落ち着いた文明だけが持つことができる真のリーダーシップの力を持っていないならば、プラトンがかつて言ったように:「・・・都市は悪から休息を得ることはないだろう――いや、人類も同じだ、と私は信じます」となるであろう。
(ここにIX,「国務省と海外奉仕」がくる。
X. 結論
アメリカの政策全体の全体像を調査し、この国が世界との関係において進んでいる方向性を概説する試みは、自己満足感を抱くほどのものをほとんど生み出していない。
私たちは依然として、クレムリンの人々から、私たちの全体的な安全に対する非常に深刻な脅威に直面させられている。彼らは、能力があり、抜け目のない非常に冷酷な集団であり、私たちや私たちの制度に対する尊敬心をまったく持っていない。彼らは何よりも私たちの国家力の破壊を望んでいる。彼らは類い稀な柔軟性、規律、皮肉さ、そして強さを持つ政治組織を通じて活動している。彼らは世界でも最大級の工業国と農業国の資源を自由にしている。自然の力が、私たちの政策に関係なく、この集団の努力を吸収し、最終的には打ち破ることができるかもしれない。しかし、私たちはそれに頼ることはできない。
私たち自身の外交は、この関係において、決定的な役割がある。関連する問題は私たちにとって新しいものであり、私たちはそれに対して調整を始めたばかりだ。私たちは、少しは進歩を遂げているが、まだまだ十分ではない。私たちの外交活動は、目的意識、努力の経済性、そして統制された調整の度合いをもっとずっと高めなければならない。それによって私たちの目的を達成することが確実になるのだ。
西ヨーロッパ地域で、共産主義は一時的な挫折を経験した;が、問題はまだどちらに転ぶかわからない状態だ。現政府は、イギリスが基本的な長期的な経済問題に対処するための確固たる計画や、ドイツを西ヨーロッパに組み込む方法について、他の西ヨーロッパ諸国の継続的な独立と繁栄を保証する持続性を提供する計画をまだ策定していない。
地中海および中東地域では、政治的および軍事的な資源を活用した精力的で集団的な国家の取り組みによって、おそらくこの地域がソ連の影響下に陥るのを防ぎ、それを世界戦略的な位置における非常に重要な要素として保存することができる状況がある。しかし、私たちは同じ地域において、国家の安全保障とは直接関係のない状況に深く関与しており、私たちの関与の動機は過去の疑わしい知恵と国連への愛着に基づいている。もし私たちが今までの政策の傾向をかなり根本的に逆転させないならば、私たちはパレスチナのユダヤ人の保護において、アラブ世界の明確な敵意に対して軍事的責任を負う立場になるか、あるいはそれをロシアと共有し、彼らをその地域の軍事力の一つとして支援する立場になることになるだろう。いずれの場合においても、その地域における健全な国家政策の明快さと効率性は打ち砕かれることになる。
極東において、私たちの立場は悪くない。戦略的に重要な領域のほとんどに対してまだかなり堅固な支配を保っている。しかし、現在の支配は長くは続かない一時的なものであり、それらを永続的な構造体で置き換えるための現実的な計画を私たちはまだ練っていない。この間、アメリカ国民は、この地域の私たち自身にとって重要性について、感傷主義者たちによって重大な誤解に導かれている。昔からある、論争の絶えない再教育プロセスを、私たちは始めたばかりだ。それは現実的な極東政策が、それにふさわしい人々の理解を得るために必要となるだろう。
アメリカの世論において、国連構築への取り掛かりはたいへんな勢いだったので、頻繁に主張されるように、私たちはこの戦後期において国連を政策の基盤にするしかないというのは真実かもしれない。時折、国連は有用な役割を果たしてきたからだ。しかし、全体的に見れば、国連は解決よりも問題を引き起こし、外交努力の分散をもたらした。そして、主要な政治目的において国連の多数派を利用しようとする時、私たちは、いつか逆に私たちに敵対するような危険な武器を弄んでいるのだ。これは私たちにとって非常に慎重な研究と予見を要する状況だ。
Notes
1 Lot 64D563, files of the Policy Planning Staff of the Department of State, 1947-1953.
2 The Policy Planning Staff of the Department of State was established on May 7, 1947, to consider the development of long range policy and to draw together the views of the geographic and functional offices of the Department. With the enactment of the National Security Act of 1947, the Policy Planning Staf undertook responsibility for the preparation of the position of the Department of State on matters before the National Security Council. For additional information on the activities of the Policy Planning Staff and its Director, see George F. Kennan, Memoirs 1925-1950 (Boston: Little, Brown and Company, 1967), pp. 313-500.
3 Dean Acheson, Under Secretary of State, August 1945-June 1947.
4 George H. Butler, Deputy Director of the Policy Planning Staff.
5 On February 26, Kennan departed for Japan to consult with United States officials. Subsequent illness prevented him from returning to the Department of State until April 19.
6 For documentation on United States policy with respect to the economic situation in Europe, see vol. III, pp. 352.
7 For documentation on United States policy with respect to the proposed International Trade Organization, see pp. 802 ff.
8 For text of Secretary Marshall’s address at commencement exercises at Harvard University, June 5, 1947, see Foreign Relations, 1947, vol. III, p. 237, or Department of State Bulletin, June 15, 1947, p. 1159.
9 For documentation on United States policy with respect to the occupation and control of Germany, see vol. II, pp. 1285 ff.
10 For documentation on United States efforts in support of democratic forces in Italy, see vol. III, pp. 816 ff. Regarding United States economic and military support for Greece, see vol. IV, pp. 1 ff.
11 For the views of the Policy Planning Staff on this subject, see PPS 19, January 20, 1948, and PPS 21, February 11, 1948, in vol. V, Part 2, pp. 545 and 656 respectively.
12 Joseph Vissarionovich Stalin, Chairman of the Council of Ministers of the Soviet Union.