みなさんよ、持つべきものは敬意だぜ!アメリカはよ、標準英語教育を捨てて、黒人言語を良しとしたんだ!
< 記事原文 寺島先生推薦>Y’all show some respeck now! America gives up on teaching ‘standard English’ in favour of ‘Black language’ instead
RT 論説面 2020年9月3日
マイケル・レクテンウォルド

Michael Rectenwald
is an author of ten books, including the most recent, Beyond Woke. He was Professor of Liberal Arts at NYU from 2008 through 2019. Follow him on Twitter @TheAntiPCProf
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年9月25日

学者たちが、英語は「言語による反黒人人種差別」だと批判したことを受け、米国の主導的な言語研究協会は「黒人の学生たちが、正式な英語を気にしないでもいいようにしろ」という要求を承認した。もちろん「正式な英語を使うこと」についても、だ。
大学における作文とコミュニケーション協議会(CCCC)は公式見解を発表し、大学の教室において「教員たちは学術用語や標準英語の使用をやめ」、「黒人英語」を教えるよう要求した。
この声明には、「今回はただの表明じゃないぜ。黒人英語正当化の要求だ」というタイトルがつけられている。この声明は米国の英語学の教授たちが提起した長い文章であり、同じ文の繰り返しも多く、いくぶん冗長な文章である。そして、この声明が要請しているのは、高等教育における言語の使用と教育に関するものであり、その中には「標準英語」の排除や「教員や研究者や学者たちは黒人英語に敬意を払うべきだ」という内容も含まれている。
この声明は、その草案起草者たちの言葉によれば、BLM(黒人の命も大事だ)抗議活動や暴動、さらには新型コロナウイルスの流行(彼らは、その流行は不均等な形で黒人たちに悪影響を及ぼしたとしている)を受けて出されたものだ。その声明では、言語使用の多様性に関してすでにCCCCが発表した25以上の表明や議決をあげているが、この声明の草案起草者たちの主張は、これらの表明や議決だけでは以下のことを推進していくには全く不十分であるとしている。それは、「黒人の言語に対する気づきを高め、意識や言語(いずれか一方か両方)に関する自立心を涵養し、白人優勢主義を払拭し、言語による反黒人的な人種差別を除去すること!」の推進である。
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この表明が単なる一握りの「黒人言語学者」による「要求」ではないのかと邪推する人が出ないように、 8月3日CCCCは公式にこの議決を承認した。 つまり、英語教育については、米国で重鎮的な位置を占めるこの協会が、「黒人学生はもう“標準英語”について、さらには標準英語を使用することについても悩まなくてもよくなる」ということを認めたことになる。
「黒人英語」(例えば“ain’t” や“put some respeck on”など)を申し訳程度にちりばめてはいるが、この声明自体は学術用語で書かれていて、専門用語や上から目線の言い方が必要以上に多用されている。これこそ学術論文が不人気な理由なのに。
さらにこの声明は、「全ての学生が、黒人英語の研究家や専門家から学ぶ機会が保証されるべき」という要求を行っているが、そうなると明らかに「黒人英語」が使用できるのを黒人だけに制限することにつながる。黒人以外の人たちが「黒人英語」を使用することが、「文化の盗用」と見なされ、禁じられることになるからだ。そうなると明らかに、「黒人英語」が歴史上初めて、以下のような言語となってしまう。すなわち、ある人がその言語を覚えたいと思っても使えるようになること許されず、その言語を現在話している集団から、他の集団の人が話すことを望まれなくなる言語になるということだ。その人の肌の色が適切な色でない限りは。
学者たちだけが既得特権を持つと思われても仕方がないだろう。その特権とは、学者たちだけが「学術用語」を学び使いこなせるようになるという特権だ。その学者たちの教え子たちはそんな力をつけようとすることさえ許されず、推奨されないというのに。学者たちはそんな教え子たちを「単一の言語しか知らない言語学者か!」や「文化の枠にとらわれている!」などと叱責しないのだろうか? なぜ彼らの教え子たちがジョン・ミルトンのような白人作家の作品を理解することを遮られないといけないのか?そして トゥパック・シャクールのような黒人作家の作品の学習に制限されないといけないのか?こうなってしまうと、学者たちの黒人の教え子たちが、どこまで能力をつけられるかの先が知れてくる。
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実際、「黒人言語学は標準英語や標準英語以外の多様な英語使用を排除して教授され、また奨励されるべきだ」という前提は、文化や言語の均一主義を生み出してしまう。その均一主義を言い換えれば、「黒人は皆同じような話し方をすべきだ」や、「黒人は“白人”英語に触れてはいけない」ということになる。そうなれば学生たちが、英語のすべての文体を理解し使いこなすことなどとうてい不可能なことになってしまう。
こんな要求は、意図的な人種隔離を生み、表現の貧困化にしかならない。そう、まさにハーレム・ルネッサンス派の作家ラルフ・エリソンが嘆いていたことと同じだ。エリソンは、アーヴィング・ハウが「エリソンのような黒人作家は“抗議活動小説”だけ書いていれば良い」と言ったことに対してこう批判していた。「ジム・クロ-南部よりひどい囲い込みだ!」
RT 論説面 2020年9月3日
マイケル・レクテンウォルド

Michael Rectenwald
is an author of ten books, including the most recent, Beyond Woke. He was Professor of Liberal Arts at NYU from 2008 through 2019. Follow him on Twitter @TheAntiPCProf
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年9月25日

学者たちが、英語は「言語による反黒人人種差別」だと批判したことを受け、米国の主導的な言語研究協会は「黒人の学生たちが、正式な英語を気にしないでもいいようにしろ」という要求を承認した。もちろん「正式な英語を使うこと」についても、だ。
大学における作文とコミュニケーション協議会(CCCC)は公式見解を発表し、大学の教室において「教員たちは学術用語や標準英語の使用をやめ」、「黒人英語」を教えるよう要求した。
この声明には、「今回はただの表明じゃないぜ。黒人英語正当化の要求だ」というタイトルがつけられている。この声明は米国の英語学の教授たちが提起した長い文章であり、同じ文の繰り返しも多く、いくぶん冗長な文章である。そして、この声明が要請しているのは、高等教育における言語の使用と教育に関するものであり、その中には「標準英語」の排除や「教員や研究者や学者たちは黒人英語に敬意を払うべきだ」という内容も含まれている。
この声明は、その草案起草者たちの言葉によれば、BLM(黒人の命も大事だ)抗議活動や暴動、さらには新型コロナウイルスの流行(彼らは、その流行は不均等な形で黒人たちに悪影響を及ぼしたとしている)を受けて出されたものだ。その声明では、言語使用の多様性に関してすでにCCCCが発表した25以上の表明や議決をあげているが、この声明の草案起草者たちの主張は、これらの表明や議決だけでは以下のことを推進していくには全く不十分であるとしている。それは、「黒人の言語に対する気づきを高め、意識や言語(いずれか一方か両方)に関する自立心を涵養し、白人優勢主義を払拭し、言語による反黒人的な人種差別を除去すること!」の推進である。
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この表明が単なる一握りの「黒人言語学者」による「要求」ではないのかと邪推する人が出ないように、 8月3日CCCCは公式にこの議決を承認した。 つまり、英語教育については、米国で重鎮的な位置を占めるこの協会が、「黒人学生はもう“標準英語”について、さらには標準英語を使用することについても悩まなくてもよくなる」ということを認めたことになる。
「黒人英語」(例えば“ain’t” や“put some respeck on”など)を申し訳程度にちりばめてはいるが、この声明自体は学術用語で書かれていて、専門用語や上から目線の言い方が必要以上に多用されている。これこそ学術論文が不人気な理由なのに。
さらにこの声明は、「全ての学生が、黒人英語の研究家や専門家から学ぶ機会が保証されるべき」という要求を行っているが、そうなると明らかに「黒人英語」が使用できるのを黒人だけに制限することにつながる。黒人以外の人たちが「黒人英語」を使用することが、「文化の盗用」と見なされ、禁じられることになるからだ。そうなると明らかに、「黒人英語」が歴史上初めて、以下のような言語となってしまう。すなわち、ある人がその言語を覚えたいと思っても使えるようになること許されず、その言語を現在話している集団から、他の集団の人が話すことを望まれなくなる言語になるということだ。その人の肌の色が適切な色でない限りは。
学者たちだけが既得特権を持つと思われても仕方がないだろう。その特権とは、学者たちだけが「学術用語」を学び使いこなせるようになるという特権だ。その学者たちの教え子たちはそんな力をつけようとすることさえ許されず、推奨されないというのに。学者たちはそんな教え子たちを「単一の言語しか知らない言語学者か!」や「文化の枠にとらわれている!」などと叱責しないのだろうか? なぜ彼らの教え子たちがジョン・ミルトンのような白人作家の作品を理解することを遮られないといけないのか?そして トゥパック・シャクールのような黒人作家の作品の学習に制限されないといけないのか?こうなってしまうと、学者たちの黒人の教え子たちが、どこまで能力をつけられるかの先が知れてくる。
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こんな要求は、意図的な人種隔離を生み、表現の貧困化にしかならない。そう、まさにハーレム・ルネッサンス派の作家ラルフ・エリソンが嘆いていたことと同じだ。エリソンは、アーヴィング・ハウが「エリソンのような黒人作家は“抗議活動小説”だけ書いていれば良い」と言ったことに対してこう批判していた。「ジム・クロ-南部よりひどい囲い込みだ!」
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