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米国の大学で人種隔離が復活し、黒人専用の寮が登場した。マーティン・ルーサー・キングは肝をつぶすだろう

<記事原文 寺島先生推薦>
Racial segregation at US universities is back, with the advent of black-only dormitories. Martin Luther King would be appalled

RT 論説面
2020年8月25日
フランク・フレディ

フランク・フレディは作家、社会評論家。カンタベリーのケント大学の社会学の名誉教授。 「恐怖のしくみ:21世紀の恐怖の文化」の著者。 Twitterは@Furedibyte



 学生が翌週に大学に戻ると、多くの学生は、同じ肌の色の人とだけ、生活し食事をする準備をすることが必要となるだろう。人種隔離廃止の国という理想に、一体何が起こったというのだ?

 人種隔離は本当に悪い考えだ。それで、アイデンティティ・ポリティクス/アイデンティティ政治(訳注 主に社会的不公正の犠牲となっているジェンダー、人種、民族、性的指向、障害などの特定のアイデンティティに基づく集団の利益を代弁して行う政治活動(Weblio))の支持者が、黒人専用の寮がアメリカの大学構内に設立されるべきだ、と要求していることは驚くことではない。

 ニューヨーク大学(NYU)学生新聞のワシントン・スクエア・ニュースの最近の報道によると、同大学は「『黒人の居住助力者といっしょの黒人学生』専用の居住コミュニティの実現を支援する」意向だ。同大学は「『黒人の居住助力者がいる自分を黒人と認知している学生』専用の居住コミュニティの実現を支援する」意向だ。同大学は、2021年の秋までに、そのような隔離された居住フロアの実現を目指している。
と、

 ニューヨーク大学(NYU)における人種による隔離の制度化は、他のキャンパスで行われている同様の制度の進展に倣っている。多くの大学では、寮の人種隔離は、婉曲的に「親近住宅」と呼ばれる。親近住宅の支持者は、これらの寮が少数派の学生にとって「快適」で「安全な」環境を作り出す、と主張している。親近住宅の支持者は、白人学生の存在が少数派の学生をしばしば不快にさせている、と主張する。隔離された住居を求める請願書の中で、黒いスミレ(Black Violets)と呼ばれる組織は、「教室や寮で、あまりにも頻繁に、黒人学生が人種差別について無知な学生を教育しないといけない場面に遭遇させられている」と述べている。

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 ニューヨーク大学(NYU)における、人種隔離の原則の勝利は、この不和を生じさせる前途を示す直近の例にすぎない。全米学術協会は、2019年4月の報告の中で、全米学術協会が言う「新たな隔離」がアメリカの大学で広がっている、と結論付けた。全米学術協会によると、80以上の高等教育機関が人種により隔離された寮の推進に加わっている。

 人種により隔離された大学生活を求める要求が、2015年以降高まっている。大学の管理者たちは、この状況をますます喜んで受け入れているようだ。もちろん、彼らが隔離をその名称のまま呼ぶことはめったにない。彼らが「親近住宅」という用語を使用しない場合には、「テーマ住宅(訳者注:特定のテーマをもつ住宅)」という用語や「安全空間」という空言を用いる。

 ロサンゼルスのカリフォルニア州立大学は、カリフォルニア州立大学が黒人学生に隔離住居を提供した、という批評家の主張に異議を唱えた。カリフォルニア州立大学は、住居隔離計画を「黒人のための新しい生活学習共同体」と説明した。カリフォルニア州立大学の住宅サービスページでの説明によると、「教授陣や仲間たちとつながる機会を提供することによって、大学で生活する黒人コミュニティの学生、または黒人コミュニティの懸念事項に関心のある学生に対して、居住経験を高める」第一歩だ、と書かれている。この大学が「黒人のための新しい生活学習共同体」を説明するために、どのような婉曲表現を選択しても、その目的が通常の大学生活体験や文化を高めることでないのは明白だ。

 人種による隔離の事態は寮を超えて広がっている。残念なことに、大学当局は食事施設の自主的な隔離さえも容認する傾向にある。たとえば、ノースウェスタン大学長のモートン・シャピロは、食堂で食事をしている黒人学生が、白人学生に加わって欲しくないのは理解できると主張した。「我々はだれでも、安全な空間を享受するに値する存在である」、そして「黒人の学生は安心して昼食を楽しむあらゆる権利がある」と彼は書いた。人種により隔離された安全空間に対するシャピロの言い訳は、誰もが他の類の人々によって不快にされることなく、安全空間に接近できるべきだ、という提案に基づいている。しかし、その理念が、どうしたらこのような人種による隔離になるのだろうか?

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 隔離された安全空間を求める主張は、自分が誰であるかを知り、それを受け入れることが根本的に重要だとする運動の論理的結論となる。アイデンティティ・ポリティクス/アイデンティティ政治の支持者たちは、彼らの反対者を外国人排斥主義または人種差別主義者として非難することがよくある。しかし、実際には、アイデンティティ・ポリティクス/アイデンティティ政治は本来不和を生じさせるものであり、保守派の白人の隔離主義者と同じくらいの寛容さなのだ。


 安全空間を求める主張が、争いの焦点となっている。自分の幸福は、自分と同じ類の人と生活することに依存している、と主張しているのだ。安全空間の理想が不和を生じさせる可能性があることは、2015年後期と2016年の初めに明らかになった。その当時、多くの米国の大学で、アフリカ系アメリカ人学生が、隔離された安全空間を大学構内に求める要求を掲げた。例えば、オーバーリン大学では、学生が「オーバーリン大学構内の全ての空間は、アフリカ系アメリカ人学生のための安全空間と指定されるべきだ」と要求した。

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 安全空間を求める運動と人種による隔離との合致は、ペン・アメリカ(訳者注:言論の自由を掲げるNPO団体)によって全面的に支持されている。 ペン・アメリカは、4年前の報告書「すべての人のための大学:アメリカの大学における多様性、包含、そして言論の自由」において、ペン・アメリカは、自己隔離の慣行を「自発的安全空間」と言い換えて、大学に「自発的安全空間」の設置を呼びかけた。ペン・アメリカによれば、これらの空間は「ある特定のグループと付き合いたいと願う学生が自発的に入るべきものだ」。自発的隔離は非自発的隔離よりもましだが、公的生活における行動にもたらすその影響は、破滅的だ。

 もし、「自由な表現」を擁護するために設立されたペン・アメリカのような組織が、「自発的」隔離を支持するならば、米国において、人種的、そして文化的隔離の制度化を妨げる障害がほとんどないことになる、というのは驚くにあたらない。

 隔離された安全空間を求める主張は、人々のアイデンティティを確立するうえで、それが根本的に重要だとする運動の論理的結論となる。アイデンティティ・ポリティクス/アイデンティティ政治の支持者たちは、彼らの反対者を外国人排斥主義または人種差別主義者として非難することがよくある。しかし、実際には、アイデンティティ・ポリティクス/アイデンティティ政治は本来不和を生じさせるものであり、保守派の白人の隔離主義者と同じくらいの寛容さなのだ。

 アイデンティティの涵養は、人々の精神的分離を助長し、学生の一部は自分と同一のアイデンティティを持っていると見なす人とだけ空間を共有することを要求するまでに至っている。それは民主主義社会にとって本当に悪い知らせである。

 マーティン・ルーサー・キングが、教育システムと米国社会における隔離撲滅のための彼の長いキャンペーンの中で、1956年、ニューヨークの演説で指摘したように、「人種による隔離は常に悪であり、非理性的な感情主義という薄い衣を羽織った、道を踏み誤った反動主義者だけが、隔離を擁護することを求めるだろう。しかし、隔離は理性的には説明できないものであり、道徳的に正当化できないものである。」‼

 歴史を通して、自分自身を進歩的であると見なした人々は、あらゆる形態の人種的、または文化的隔離の熱烈な反対者であった。今日、いわゆる進歩主義者が「自発的隔離」、または「親近住居」を支持していることは、隔離廃止論者や公民権支持者を何世紀にもわたって励ましてきた理想から、彼らがどれだけ遠く離れているかを示している。

 アイデンティティの政治問題化を進めたいという不和を生む衝動は、過去の権威主義的なものと同じくらい危険である。

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白人の米国は「善良な黒人たち」の方を好む。モーガン・フリーマンやコリン・キャパニック、そしてトランプについて


<記事原文 寺島先生推薦>White America Prefers “Good Blacks”: On Morgan Freeman, Colin Kaepernick, and Trump

ブラック・アジェンダ・リポート 

2017年9月17日

ポール・ストリート

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年7月10日
 

「好戦的で残忍な白人大統領と彼の仲間の白人主義者のアメフトファンたちは、選手に“善良な黒人”でいることを望んでいる。つまり、言われるままに自分自身を傷つけて義務的に多数派である白人や直属の白人の主人たちに仕えるような黒人だ」

 「NFL(ナショナルフットボールリーグ)の(白人の)所有者の1人が、我々の旗を軽視するような行為をしたものに対して、こう言うのを見たくはないか?「あの(黒人の)くそ野郎を今すぐフィールドからつまみ出せ。クビだ。クビだ!(歓声)」、2017年9月22日、ドナルド・トランプ大統領はアラバマで白人の支援者に向けてこう言った。

 白人米国社会の大部分では、米国の黒人を「善良」か「悪者」かで決定的に区別している。その「善良」か「悪者」かの区別は黒人の振るまいで決まる。このことには長い歴史がある。

 たとえば1960年代、モハメド・アリは「善良な黒人」だった。当時の彼はカシアス・クレイという名のただの陽気で冗談好きなオリンピックの金メダリストにしか見えなかった。ほとんどの白人たちはクレイの良さを認めた。それは「悪い黒人」であるソニー・リストンを破ってヘビー級のチャンピオンになったときだ。リストンは街の悪党として多くの白人たちをやっつけていた。

 しかし「クレイ」が改名して「アリ」になり、誇り高い黒人主義者となり、白人の米国帝国主義者たちによるベトナムの褐色肌の農民たちの殺害を援助することになる徴兵を拒否したとき、アリは「悪い黒人」になった。 米国の白人たちは、フロイド・ペーターソンやジョー・フレージャーのような好戦的でない黒人の闘士を、偉大な黒人主義者であるモハメド・アリよりも好むのだ。

 クレバランド・ブラウンズ(アメフトのチーム)のラニングバックのポジションをつとめた偉大な黒人であるジム・ブラウンは、「善い黒人」だった。しかし、それは、彼がアメフトのフィールドで政治的なことに関しては口を閉ざし、新しい記録を更新している間だけのことだった。ブラウンが白人の米国から評判を落としたのは、彼がアメフトをやめて1年後のことだった。ブラウンは、モハメド・アリ・サミットの開催をよびかけたのだ。その会議のために、国内の有数の黒人運動選手たちがクレバランドに集まり、アリが徴兵を拒否したことを支持した。白人からの批判を受けながらも会に参加した勇気あるスポーツ選手の中には、バスケットボールのボストン・セルティックス所属の偉大なビル・ラッセルや後にNBA(米国バスケットボール協会)のスーパースターとなる ルイス・アルシンンダーもいた。アルシンダーは後に、名をカリーム・アブドゥル=ジャバーと改名した。

 ジム・ブラウンが、白人の米国からの評判を落としたのは、モハメド・アリ・サミットの開催を呼びかけ、アリが徴兵を拒否したことを支持した後のことだ。
 
 何百万人もの米国の白人たちは1968年のメキシコ・オリンピックの200メートル走で米国の短距離走者であるトミー・スミスとジョン・カルロスが金メダルと銅メダルを取るのを目にして歓声を上げた。しかし、スミスとカルロスがメダルの表彰台で、ブラック・パワー・サルートのポーズ(公民権運動で行われた黒人差別に抗議するポーズ)をとって拳を突き上げたとき、そのことは白人の米国では大きな醜聞になった。

 もちろんこのようなことはスポーツの世界だけで起こっていることではない。偉大な黒人俳優であり歌手でもあるポール・ロブスンは、第2次世界大戦中、ブロードウエイの「オセロ」の演技で白人の聴衆から喝采を浴びた。白人たちは、ロブスンがラトガース球場での全米大学フットボール選手権に参加した時と同じように、彼に歓声を送ったのだ。しかし、ロブスンは、戦後、反人種差別者であり、左寄りの政治観をもっていることを明らかにした際、拒絶されブラックリストに入れられた。

 聞き分けの良い白人の下僕であった黒人のブッカー・T・ワシントンは、1901年にセオドア・ルーズベルトに招かれホワイトハウスで会食した。しかし、米国の大統領の中で、白人の好敵手であり批判家であった、かの偉大なW・E・B・デュボイスに会食の招待を申し出た人はかつていない。デュボイスは、NAACP(全米黒人地位向上協会)の創設者であり、白人至上主義に抗して黒人は武力に訴えた活動をすべきだと主張していた。

 
ベルフォンテは、白人の米国にとってはただの素敵な存在に過ぎなかった。それは、彼が「バナナ・ボート・ソング(デイ・オー)」のようなカリブ海民謡調の歌を歌うハンサムでお気楽な人物だとしか見られていなかったあいだのことだ。彼に対する白人人種たちからの株が落ちたのは、1960年代に黒人の平等を求める闘争に対して説得力のある発言をし、金銭的な支持も行うなど、彼の左派的な世界観が明らかにされたからだ。


 ロブスンは、戦後、反人種差別者であり、左寄りの政治観をもっていることを明らかにした際、拒絶されブラックリストに入れられた。

 白人の南部で広く批判されていた間も、マーチン・ルーサー・キング牧師は、1960年代初頭は、多くの白人米国人からは善良でリベラルでキリスト教徒であり温厚な「善い黒人」だと見なされていた。それは、比較の対象となる完全に「悪い黒人」が当時存在したからだ。優れたそして怒れる黒人ナショナリストであるマルコムXのことだ。しかし、穏健派でリベラルな考え方を持つ白人たちからのキングに対する評価が落ちたのは、キングが自らの急進的な立場を明らかにし、ジム・クロー法の廃止の訴えをしていた南部から彼自身が「相関する3つの悪」と呼んだ①人種差別主義②貧富や階級間の不平等③帝国主義的な軍国主義と対決すべく、北部の都市地域や全米に運動拠点を移したときだ。

 人種差別や抑圧された階級や帝国主義的な戦争に対する闘争に身を捧げた黒人女性は、何千万人もの白人たちに愛されるテレビやラジオの司会者になることは全くあり得なかった。そんなことができたのは、白人の小間使いだったオプラ・ウィンフリーくらいのものだ。ウィンフリーは白人のエゴにすり寄り、大量消費主義的な考えを受け入れ、その利点を利用しさらに白人新世代の「自己愛」という文化に乗っかることによって運を手に入れたのだ。

 彼女以外で、喜んで白人権力に義務的に貢献することによって、個人的な大「成功」を成し遂げた黒人女性には以下の3名がいる。一人目は、コンドリーザ・ライスだ。彼女は、完全な帝国主義者であったジョージ・W・ブッシュの国家安全保障問題担当大統領補佐官をつとめた。二人目は、オマロサ・マニゴールト-ニューマンだ。彼女は、白人主義者であることを公表しているドナルド・トランプが司会をつとめていたテレビ番組『アプレンティス』の中心的なアシスタントを務めていた。三人目は、ドナ・ブラジルだ。人種差別主義者である白人のクリントン一族や他の右派の企業寄りの民主党議員たちに長らく手下として仕えた。

 クラレンス・トーマス、コリン・パウエル、エリック・ホルダー、そしてバラク・オバマが、白人や帝国主義的権力に従順に従うことにより地位を向上させた輝ける黒人男性の例だろう。

 レバランド・ジェシー・ジャクソン・シニアでさえも、ここで言及するに値する人物だ。1990年代の中旬に、彼は南部出身の人種差別主義者であるビル・クリントンの票集めに協力していた。そのクリントンといえば、若い精神障害者である黒人の死刑囚リッキー・レイ・ドクターを冷血にも死刑に追いやった人物だ。クリントン大統領は、人種差別主義者である白人のニュート・ギングリッチやトム・ディレイといった共和党員と共謀して何百万人もの黒人の女性や子どもたちを生活保護の対象から追い出し、人種差別的な投獄を大量に増やし、さらには無慈悲な「三振法(三度目の罪を犯したら終身刑になるという法律)」という法律で人種差別的な警察国家への道を進めた大統領だ。ジャクソンは、こっそりとそんなクリントンのために活動していたのだ。ジャクソン(エレイン・ブラウンが2003年の優れた著書『小さなB(黒人)の怒り』の中で描いている通りだが)は、黒人の監獄を訪問し、黒人の囚人たちに、米国が人種差別でがんじがらめにされているのは、囚人たちが責任を持って期待されるような行動をとっていないからだという講演を行っている。
クラレンス・トーマス、コリン・パウエル、エリック・ホルダー、そしてバラク・オバマが、白人や帝国主義権力に従順に従うことにより地位を向上させた輝ける黒人男性の例だろう。

 聞き分けのいい「善い黒人」というのは、自分の居場所をわきまえていて、革新的に政治を変えようとすることは避け、白人たちが罪の意識を持たず日々を気持ちよく過ごせるようにする黒人だといういやな刷り込みはハリウッド映画で行われている。例をいくつかあげると、①『グリーンマイル』(マイケル・クラーク・ダンカンが、トム・ハンクス演じる白人の監視員の肉体と精神を奇跡的に治癒した巨漢の黒人死刑囚ジョン・コーフィ役を演じた)②(ケアスティン・ウエスト・サバリに言わせれば)「人種差別的なファンタジー映画」である『ドライビング Miss デイジー』(モルガン・フリーマンが忠実な黒人の運転手役を演じ、ジム・クロー法時代の南部を舞台に、彼の雇い主である白人女性となれなれしくも友人になり、彼女の自尊心を満足させるストーリーだ。③『アンフィニッシュライフ』(フリーマンがロバート・レッドフォード演じた苦虫をかみつぶしたような白人牧場主の補佐役として仕える独り者の黒人役を演じた)④『シャーシャンクの空に』(フリーマンが、ティム・ロビンス演じる白人の銀行員の刑務所仲間であり脱獄共犯者であり彼の精神的な支えとなった黒人役を演じた); ⑤『ミリオンダラー・ベイビー』 (善良な老人であるモルガン・フリーマンが、ヒラリー・スワンク演じる白人女性ボクサーのトレーナー役を演じた)⑥さらに(『ドライビング Miss デイジー』と同じ白人監督が撮った映画) 『Mr. Church』 (エディ・マーフィーが、ガンで死ぬ直前の独身の白人女性に雇われ、彼女の娘を養い、最終的には彼の残りの人生すべてをそのナルシストの娘の事実上の父親として過ごした映画)。解説者である黒人のケアスティン・ウエスト・サバリは、昨年ルート誌で『Mr. Church』について適切な批評を以下のように記している。

 「白人のハリウッドは、白人米国人の小世界を映しているものでないと全く成り立たない。それは黒人たちが、自分の気持ちをごまかして、飼い主に言われるままかいがいしく働く馬のように、「はい、だんなさま;いいえ、奥様」と聞き分けよく振る舞う世界だ。黒人が生活を変えてしまうような敵対する存在ではだめだ。この国においては、画面上で崇拝という形で表現されるそのような忠実な黒人たちは特別な好感をもたれるのだ。これは、リベラルな白人が黒人たちを彼らの世界から救い出しているという幻想だ。実際は白人たちがその黒人たちにより仕えられ救われているのに、だ。さらに、「黒人たちは永遠に従者的な階級に置かれ、社会に参加できるのは条件つきだ」という権力関係を強化する大量のイメージを常に流し続けている。その規則の第1条は、「可能な限り黒人たちを人から怖がられない存在として描くこと」。この規則が白人の映画制作者たちの心からしばしば出現する規則なのだ。つまり、黒人たちは自分たち白人を保護してくれる目立たない存在であり、黒人たちを平等になりたいと思ったり願ったりしていないという状況下に置くのだ」

「モルガン・フリーマンは、あの人種差別主義者である“ゴールド・ウオーター・ガール”のヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに敗北したのは「ロシアの介入」のせいだとクリントンの民主党と一緒になって非難している」

 上記の映画目録で、何回もモルガン・フリーマンの名が繰り返されたことに気づいて欲しい。『ワイルド・チェィンジ』(1989)において、フリーマンはニュージャージー高校の黒人校長ジョー・クラーク役を演じ、白人から賞賛を浴びた。それは、クラークがスラムに住む黒人生徒たちを野球のバットでむち打つこと(クラークによると、それは“奴らが分かる唯一のことば、すなわち暴力”)で、責任ある人間に矯正させたからだ。こういうやり方が、黒人が成功するために忠実に白人の主人に仕えるという定番のコインの裏側にあたるものだ。つまり、社会でのきちんとした振る舞いを少ししか身につけていなかったり、間違った振る舞いを身につけてしまっている自分と同じ人種である黒人たちをたたきのめすというやり方だ。これこそが、囚人の数を増やすのに取り組んでいたクリントンを援護射撃していたころ、レバランド・ジャクソンが黒人の囚人たちに対して唱えたお経の中身だ。

 今フリーマンは白人権力者にこびをうるという危険な賭けをしている。不合理な集団である白人の「リベラル」やネオコンや新マッカーシズムたちで構成される「ロシア調査委員会」が作成した動画に出演したのだ。このばかげた動画の中で、フリーマンは「ゴールドウオーター・ガール」であった人種差別者ヒラリー・クリントンが、「ロシアの干渉」のせいでドナルド・トランプに敗北したことを糾弾するクリントン民主党と歩調を合わせている。敗北の原因を、ヒラリーの気がめいるような性格であったり、人種主義的な考え方であったり、社会経済を重視する考え方であったり、帝国主義の保守的な考え方のせいにはしないで。

 バラク・オバマと彼を操る者たちは、白人の米国の「善い黒人」と「悪い黒人」の区別をしっかり理解していた。彼らは自信をもって、オバマを「ジェシー・レバランド・ジャクソンとは違う黒人」として売り出した。オバマは白人至上主義の決まりに則って行動していた。彼は無情にも、彼が師事した昔から「悪い黒人」だった牧師、怒れる反人種主義者で、反帝国主義者であった聖職者のジェレマイア・ライト師を捨て去り、それを踏み台にして権力への階段を登ったのだ。大統領として、オバマは注意深く、敏感な白人の人種差別主義者のボタンを押さないよう気をつけていた。オバマは自分が黒人であるというアイデンティティを上手く使ったことで、そのボタンがすでに押され、白人の人種差別主義者たちを刺激していることを知っていた。オバマ大統領は、黒人に特化した問題については注意深く距離を取り、人種については常におぼろげな表現を使っていた。そうすることで、白人のウオール街の権力者たちの権力と富をまもり、世界中に展開する白人による帝国主義的な侵略を、サブサハラ地域にまで拡大して前進させることになった。

「彼は無情にも、彼が師事した昔から「悪い黒人」だった牧師、怒れる反人種主義者で、反帝国主義者であった聖職者のジェレマイア・ライト師を捨て去り、それを踏み台にして権力への階段を登ったのだ」

 在職中オバマがやってきたことは、黒人有産階級の同盟であり、白人を喜ばせるような同盟である新・全米都市同盟が貧しい黒人たちや労働者階級の黒人たち(「黒人のおじちゃん」とその仲間たち)に、「どうすればもっと人から尊敬される人間になれるか、どうすればもっと白人のようになれるか」について説教をする癖をつけたことだ。オバマは、米国黒人たちに、責任感をもち、適切な文化を身につけ、白人たちをほっとさせるような身のこなし方で物事を考えたり、行動したりする必要性を説いた。そうすることによって、人種問題に目をつぶった米国資本主義体制から与えられるであろう偉大な「チャンス」を手にすることが出来ると。その資本主義体制は、候補者だったオバマが選挙のために著した2006年の大いに保守的な著書である『大いなる希望を抱いて』(この著書のタイトルは下品にもオバマが見捨てたレバランド・ライトのことばから借用したものだ)の中で描かれているものだ。オバマは、その資本主義体制を「人類史上最善の幸福」の源であると表現している。

 スポーツの話に戻ろう。自らが人種差別主義者であると公言しているドナルド・トランプ米国大統領がナショナル・フットボール・リーグ(NFL)について最近発言したのだが、そのことばの中にある白人たちの激しい醜さに目を向けて欲しい。先週アラバマ州において、トランプは、人種差別主義者である白人の支持者たちの心に語りかけていた。そのとき、トランプは、米国国歌が演奏されている間に膝をつくことで、米国が殺人的であり人種差別的である警察国家になっていることに抗議した黒人のプロアメフト選手たちに怒りをぶちまけた。さらに、トランプはNFLが死に至るような選手同士の衝突を防ぐ取り組みをしていることに対しても、ののしりの声を上げた。アメフトというスポーツは、CTE(慢性外傷性脳症)や他の脳の病気を引き起こすという圧倒的な証拠があるにも関わらず、だ。

「NFLのオーナーの一人が、こう口にするのを見たくはないか?そう、誰かが我々の国旗を侮辱したときに、「あのくそやろうを今すぐフィールドからつまみ出せ。クビだ。クビだ。(歓声)。」そうしようと思っているオーナーは、きっと何人かいるさ。そのオーナーの一人はこういうだろう。「あいつは俺たちの国旗を侮辱した。クビだ」。そんなオーナーは、この国で一番の人気者になれるだろう」

「NFLの面白さが下がっている。大幅に、だ。その理由は、もし強く攻撃しすぎたら、15ヤードのペナルティになるからだ。そんな奴はゲームから放り出せ。そんなルールがゲームをつまらなくしているんだ。ほら、あいつらがやりたいことはこうさ。攻撃することさ。攻撃したがっているんだ。そんなルールが、ゲームを面白くなくしているんだ!」

「でも、もっとゲームをつまらなくしているのは何かわかるか?みなさんがテレビをつけたとき、我々の偉大な国歌の演奏中なのに、膝をついているやつらが映っていたとしたら。そんな姿を目にしたら、そんなことをしているのがたった一人の選手だったとしても、球場を後にしよう。ささっと身支度をして出て行こう。さっさと出て行こう。こんなゲームは二度とごめんだ、二度とだ」

「俺たちのような白人が求めているのは、黒人の善い運動選手たちが文句も言わず、お互い血を流し合って死ぬまで闘う姿だ」

  このトランプの演説は、本当にとんでもないちっぽけな人種差別主義者の怒りにまかせた演説だ。いったい何を言っているのか?以下は、トランプがいわゆるSNS上で2日前につぶやいたアメフトについてのコメントを私が分析したものだ。

 「黒人男性の数は米国民の6%くらいになるが、NFLの登録選手は70%だ。巨大プランテーション農場のボスであり人種差別主義者であることを公言している白人主義者のドナルド・トランプが望んでいるのは、黒人たちがSTFU(=Shut The Fuck Up、黙ること)し、アメフトリーグが、選手たちが脳に損傷を受けざるを得なくなることに対する心配をしなくなることだ。その脳の損傷が起こる原因は、国技的なスポーツである神聖なアメフト競技において何度も繰り返される超高速での衝突のせいであると考えることが自明でありまた自然だ。NFLのファンは不均衡に白人ナショナリストが多く、裕福な者も多く、白人も多い(球場のファンの85%以上は白人だ)が、そんなファンたちやトランプ主義(ファシスト予備軍)の支持者たちも、トランプと一緒になって口角泡を飛ばしている。基本的に彼らが求めているのは善い黒人の運動選手たちが、文句も言わずにお互い死に至るまで血を流し合って競技する姿だ。「俺たちを楽しませてくれたらいい。あとは黙っておれ。それがおまえたちの役目だ。さあ、ボールを出せ!おー、あの攻撃を見たか?すごい。もう一度あいつをもっと激しく攻撃しろ。もっと激しく、だ。さあ、担架がきた。さあ、あのくそ野郎(このことばは、トランプが殺人的で人種差別的国家である米国に抗議するため膝をついた黒人の選手たちを呼ぶときに実際に使ったことばだ)をフィールドからつまみ出して、新しい奴を出せ。さあ」。基本的に、奴らが望んでいるのは、人種差別的な闘犬であり、闘鶏ショーだ。どれだけトランプは、アラバマでのアメフト暴言の際の「あのくそ野郎」ということばの前に「黒人の」ということばを入れ込みたかっただろう!もしそのことばを入れ込んでいたなら、トランプが得た歓声はもっと大きなものになっていただろう」

 戦闘的で無慈悲な白人大統領と彼の仲間である白人主義者のアメフトファンたちは、選手たちが「善い黒人」であることを望んでいるのだ。それは、従順に自分自身を傷つけることにより、多数派である白人たちと自分たちの直属の上司である白人たちに忠実に従うような黒人のことだ。

 優れた技術をもつクオーターバックのアルコリン・キャパニックは白人種族主義者であるNFLのオーナーたちにより、“ブラック”リスト入りさせられたが、彼も、「善良」であり白人たちを楽しませる黒人から「悪い黒人」へのラインに踏み込んだ多数の有名な黒人の中の一人だ。それは、キャパニックが人種差別主義に対して謙虚な形で公に意思を表明したからだ。具体的には、全米で起こっている白人警官による黒人殺害事件に対する抗議だった。

 個人的には、私はオレンジ色を帯びた野獣(トランプのこと)やNFLの人種差別主義的な白人ファンたちに、くそったれだと言いたい。奴らにユニフォームを着させて、お互い闘わせて球場の駐車場で白人種族主義者たちの脳みそを飛び出させてやろう。この格式ある白人たちの闘技場の群衆たちを巨大な再教育キャンプに連れて行こう。そのキャンプでは、フランツ・ファノンや、W.E.B・デュボイスやマーチン・ルーサー・キングやマルコムXらのボスターが貼ってあり、彼らが、白人たちが風力原動機や太陽光パネルを日の出から日没まで作り続けているのを監視している。白人たちのきわめてくだらない退屈なSUVと薄型テレビを闘技場の駐車場と奴らの豪邸から押収して溶かしてしまって水と風と太陽光発電として再利用しよう。

 白人たちを守り、生きるために必要な生態系のために白人たちを指導する仕事は、大規模な「元囚人の社会復帰のための就職先提供事業」として、何百万人もの米国黒人たちにしてもらえばいい。そう、その黒人たちは、新しいジム・クロー法によって課された終身刑という重罪を取り消してもらってその仕事をやればいいのだ。

 これが、私が本当に起こったらいいのにと思っていることだ。

Paul Street’s latest book is They Rule: The 1% v. Democracy (2014). This essay appeared previously, under a different title, on Counterpunch

民主主義は米国人の黒人や労働者階級に役立っていない。今回の暴動がそれを証明している。

<記事原文 寺島先生推薦>Democracy doesn't work for black, working-class Americans, and these riots prove it

RT Op-ed リサ・マッケンジー博士

Dr Lisa McKenzie is a working-class academic. She grew up in a coal-mining town in Nottinghamshire and became politicized through the 1984 miners’ strike with her family. At 31, she went to the University of Nottingham and did an undergraduate degree in sociology. Dr McKenzie lectures in sociology at the University of Durham and is the author of ‘Getting By: Estates, Class and Culture in Austerity Britain.’ She’s a political activist, writer and thinker. Follow her on Twitter @redrumlisa.

2020 5月30日



 世間を騒がせるような米国での警官による黒人の殺害事件がまた発生し、暴動の波がまた引き起こされた。「暴動が答えではない、投票で答えを出せ」と主張する人たちに、私は言いたい。「米国の貧しい人々や黒人たちや労働者階級の人たちにとっては、投票することが答えにはならない」と。

 1851年テキサス生まれのルーシー・パーソンズは、労働者階級出身の活動家であり、革命家であり、無政府主義者であった。彼女は、アフリカ系アメリカ人やアメリカ原住民やメキシコ人の血を引いていた。1920年代、彼女はシカゴ警察から「1000人の暴動者よりも危険な人物」だと目されていた。なぜか?彼女は、米国における民主主義体制は、 労働者階級には役立っていないことを認識していたからだ。1885年、ストライキに参加していた2名の労働者が軍により殺害された後のシカゴ暴動の決起集会の際、何十万もの聴衆に向けた演説で、彼女はこう訴えた。
「金持ちたちが住んでいる通りを破壊しよう」

 今日、私は世界中の労働者階級に対する連帯のためにこの記事を書く。特に米国の労働者階級の人たちのために。彼らは今街に繰り出して彼らの暴君的な政府や法制度や経済体系や彼らの置かれたひどい状況と闘っている。3000万人の米国人に仕事がないが、それはコロナウイルスのせいではなく、人種差別者にくみせず、資本主義体制に貢献しない人たちを大事にしない社会体制のせいだ。その社会体制というのは、もっとも力がない人たちを抑圧することでしか成り立たない制度なのだ。

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 もし3000万人が失業しているという事実が抗議活動の理由だとしたら、その抗議活動には、暴動や警察署やパトカーの焼き討ち、そして資本主義の象徴的存在である店舗の略奪(たとえば、ルイ・ビトンの店舗など)も含まれるのだが、その事実は理由として十分うなずけるものだ。しかし、3000万人の米国人に仕事がなくて、彼らの基本的な生活に対する国からの支援はゼロか雀の涙程度というニュースが、米国市民のひとりジョージ・フロイドが先週ミネアポリスで公開処刑を受けたというニュースよりも扱いが軽いのだ。彼の罪は「黒人で労働者階級である」ことであり、彼を処刑したのは「白人の警官」だ。

 この事件を受けて、黒人と白人の労働者階級の人たちは、街に繰り出し抗議活動を行った。そして国家からさらなる暴力を受けた。びっくりさせられる場面ではあったが、想定外ということはなかった。体制や政治構造が市民に奉仕する立場になくて、4年に1回のおきまりの投票がそんな体制を維持するために行われているということは、市民はずっと同じ目に逢い続けるということだ。市民ができるただ一つの政治的な行動は、投票することではなく、街に繰り出すことだ。これが暴動(すなわち国有財産や抑圧的体制の象徴に対する暴力)が合法的と言える理由なのだ。

 人々が正義を求め、処刑者の逮捕を求めているのは理解できる。しかし、正直に言わせてもらおう。「この事件や米国における何百人もの国家によるアフリカ系アメリカ人の殺害の罪を問われるべきなのは、米国政府だ。もっとも抑圧され、もっとも力を持たない人たちが、その人たちを苦しめている体制の責任を取らされるとはいったいどういうことか?“適切な”候補者に投票することが答えだという人たちもいるが、その“適切な”候補者が、間違った体制の代表者だとしたらどうすればいいのか。」

 アフリカ系アメリカ人の人たちに、投票し続けるよう大真面目な気持ちでお願いすることなどできるのだろうか?今の体制は、歴史的にも制度的にも、人種差別的であり、もっと力を持っている白人たちのためにあるものだというのに。バラク・オバマの場合は、彼を迫害するものたちと同じ体制を受け入れ、その体制が正しいと信じている許容範囲の黒人だったのだが。 

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 今の体制が存続しているのはひとえに人種差別、抑圧、そして不平等が終わらないからなのだが、その責任が、お馬鹿さんのドナルド・トランプにあると非難するのは、安易すぎるし、怠惰過ぎる。

 私は、今、ここ英国でこの連帯の記事を書いている。私は米国人でも黒人でもない。ただ、私は英国の労働者階級にいる女性だ。英国も、最も力を持っていない人たちを抑圧することによって世の中を回している国だ。

 今は、はっきりとした答えや決定的な答えは私には思い浮かばない。今あるのは、怒りと悲しみの気持ちだけだ。その矛先は、このような罪を犯した人たちに対してだけではなく、民主的でもなく公平でもない体制だと自分でもわかっているのに、そんな体制を続けようとしている人たちに対しても向いている。彼らは、制度改革をすることもなしにこの体制に積極的に加わりたいと思うか、積極的にこの体制を守ろうとしている。

 今日、私が敬意を払いたいのは、今自分たちの生活のために抑圧的な政府と闘っている世界中の人たちに対してだ。そして、特に米国で自国の民主主義はいかさまだと気づいている人たちに対してだ。その人たちが必要としている変化は愛と連帯であり、この二つは彼ら自身の共同体からしか生まれないものだ。

 私の英雄であるルーシー・パーソンズが私に先駆けてやってくれたように私は次の様に呼びかける。社会を根本から変えるためには「『投票してください!』でも『政治活動に参加してください!』」でもだめだ。人々が必要としているのは呼吸できる場所なのだ。


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