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ヒロシマ・ナガサキは「予行演習」:オッペンハイマーと米陸軍省が1945年9月15日に秘密裏に行なった「ソ連を地図上から消し去る」ための「終末の日の青写真」

<記事原文 寺島先生推薦>
The Hiroshima Nagasaki “Dress Rehearsal”: Oppenheimer and the U.S. War Department’s Secret September 15, 1945 “Doomsday Blueprint” to “Wipe the Soviet Union off the Map”
筆者:ミシェル・チョスドフスキー( Michel Chossudovsky)
出典:Global Research(グローバル・リサーチ) 2024年5月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年5月21日


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初版発行日:2023年2月7日

著者紹介
私が長年取り組んできたことは、「人命の価値」、「戦争の犯罪化」、国家間の「平和共存」、そして現在核戦争によって脅かされている「人類の未来」である。

私は20年以上にわたって、核戦争の歴史的、戦略的、地政学的側面と、「大規模なジェノサイド(大量虐殺)」を実行する手段としての犯罪的特徴に焦点を当てて研究してきた。

これから述べるのは、核戦争計画の短い歴史である。1945年8月の広島・長崎への原爆投下に至る米国の核戦争計画は、マンハッタン計画(1939-1945年)から続いているものである。

広く一般には知られていないが、ソ連に対する核攻撃という米国初の「終末の日の青写真」は、第二次世界大戦のさなかに米陸軍省によって策定され、米ソが同盟国であった1945年9月15日に「最高機密」文書によって確認された。

アメリカの外交政策の立案には、政治的妄想と偏執病の要素がある。ソ連に対する終末の日のシナリオは、国防総省が80年近くにわたって描いてきたものだ。

1945年9月の「ソ連を地図上から消し去る」計画(66の都市部と200以上の原爆)がなければ、ロシアも中国も核兵器を開発しなかっただろう。核軍拡競争もなかっただろう。

1956年の戦略空軍司令部SACの核兵器必要数調査(2015年12月に機密解除)に至るまで、アメリカの核戦争計画は当初から数多く策定されており、ソ連、東欧、中国の1200の都市部を標的としていた。

世界は危険な岐路に立たされている。米・北大西洋条約機構(NATO)とロシアの対立に関連した核兵器の使用は、必然的に進行激化し、我々が知っているような人類の終焉につながることを理解すべきである。

ビデオ 核戦争の危険性

ミシェル・チョスドフスキー、カロリーヌ・マイルー
2024年4月23日
MICHEL CHOSSUDOVSKY - THE DANGERS OF NUCLEAR WAR
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Video en français : Les Dangers de la guerre nucléaire

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ビデオ・フランス語 : 核戦争の危険性

MICHEL CHOSSUDOVSKY - LES DANGERS DE LA GUERRE NUCLÉAIRE
Video Odysee
Earlier video interview, April 2022
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ミシェル・チョスドフスキー - 核戦争の危険性
ビデオ オディシー
2022年4月以前のインタビュービデオ (訳者註:原サイトでご覧ください。)
クリックでフルスクリーン

必要なのは、核兵器の禁止と結びついた世界的な平和運動である。

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最近の動きでは、マクロン大統領を含むEU・NATOの代理人である複数の国家元首や政府首脳(強力な金融利権を代表して行動)が、ネオナチ政府に代わってNATOがロシアに対して戦争を仕掛ける必要性を率直に示唆しているが、それは第三次世界大戦のシナリオに導くだろう。

展開されているのは、「政治的階級」の犯罪化だけではなく、司法制度もまた犯罪化され、高位にある戦争犯罪の正当性を是認することを目的としている。

そして企業メディアは、不作為や、中途半端な真実や、明白な嘘を通して、戦争を平和構築の努力として弁護する。ワシントン・ポスト紙の言葉を借りれば、「戦争はわれわれをより安全に、より豊かにする」のである。

Globe and Mail
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Business Insider
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Washington Post
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その他多数

ミシェル・チョスドフスキー『グローバル・リサーチ』2024年3月3日号
***
ヒロシマ・ナガサキは「予行演習」:
オッペンハイマーと米陸軍省の秘密計画
1945年9月15日の「終末の設計図」の秘密
「ソ連を地図上から消し去る」

ミシェル・チョスドフスキー著
2023年2月1日

終末時計によれば真夜中まで90秒

ノーベル平和賞受賞者たちは、核戦争の歴史を思い起こすこともなく、さりげなくロシアを非難している。ジョー・バイデンが1兆3000億ドルを投じて開発した「より使いやすく」「低強度」の「先制核兵器」は、「自衛」の手段として、核保有国と非保有国の両方に対して「先制攻撃ベース」で使用される。

これが、現在米国と北大西洋条約機構(NATO)がロシアと対峙している際の核政策である。

これは、ネオコンの「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」に明確に示されている。

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アメリカのマンハッタン計画

ここで、1939年にイギリスとカナダの参加を得て開始されたアメリカのマンハッタン計画の一部であった「終末の日のシナリオ」の歴史を思い出してみよう。

マンハッタン計画は、アメリカ陸軍省(1941年)によって調整され、レスリー・グローブズ中将が主導する原子爆弾開発の秘密計画であった。

著名な物理学者J・ロバート・オッペンハイマー博士は、グローブス中将によって、「マンハッタン計画における原子爆弾設計のための極秘施設」として1943年に設立されたロスアラモス研究所(別名Y計画)の所長に任命されていた。オッペンハイマーは、1944年にロスアラモス研究所に加わったイタリア人物理学者でノーベル賞受賞者のエンリコ・フェルミ博士を含む著名な核科学者チームの採用と調整を任された。

オッペンハイマーは、核科学者チームの調整で重要な役割を果たしただけでなく、マンハッタン計画の責任者であるグローブス中将と、特に広島と長崎に投下された最初の原子爆弾の使用に関して、日常的に協議を行なっていた。その原子爆弾は即座に30万人以上の死者を出したのだ。

以下は、1945年8月6日、広島に原爆が投下された数時間後に機密解除された(グローブス将軍とオッペンハイマー博士との間の)電話での会話の記録である。

Gen. G. 私はあなたたち(核科学者)を非常に誇りに思う。
Dr. O. うまくいったのか?
Gen. G. どうやら、とてつもない衝撃とともに終わったようだ。
下のスクリーンショット。(click link to access complete transcript )



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1945年9月15日、「ソ連を地図から消し去る 」青写真

第二次世界大戦の公式終結(1945年9月2日)からわずか2週間後、米陸軍省は、米ソが同盟国であった1945年9月15日に、「ソ連を地図上から消し去る」(原爆204発で66都市)青写真を発表した。この悪名高い計画は、機密解除された文書によって確認されている。(詳細はChossudovsky, 2017を参照)。

下の画像は、米陸軍省が標的として想定していたソ連の66都市である。

66都市 画像をクリックすると拡大します

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ヒロシマ・ナガサキは 「予行演習」

準備文書(下記参照)は、広島と長崎の攻撃に関するデータが、ソ連に対するはるかに大規模な攻撃の実行可能性とコストを評価するために使用されていたことを裏付けている。これらの文書は、広島と長崎への原爆投下(1945年8月6日と9日)の5〜6週間後に最終決定された。

「国家安全保障を確実にするために」

ノルスタッド少将とマンハッタン計画の責任者レスリー・グローブズ将軍との間の書簡に注目してほしい。彼はロスアラモスの核科学者チームの責任者J・ロバート・オッペンハイマー博士と常時連絡を取り合っていた。

1945年9月15日、ノルスタッド少将はレスリー・グローブス中将に、「国家の安全を確保するために必要な爆弾の数」の見積もりを依頼する覚書を送った(The First Atomic Stockpile Requirements )。

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グローブス中将は間違いなくオッペンハイマー博士と相談し、1945年9月29日付の覚書でノルスタッド少将に回答した。その中で広島、長崎にも触れている。

セクション2のa、b、cを参照。

「都市の有効性を破壊するためには、都市を完全に破壊することが不可欠ではない。全壊の面積が全体よりかなり小さくても、広島はもはや都市として存在してない。」

よく読んでほしい。以下の文章は、広島と長崎が「予行演習」であったことを裏付けている。

アメリカの「国家安全保障」を脅かしている国の名前が言及されていないことに留意してほしい。

1945年9月15日付のあなたの覚書に答える。(下の返事を参照)

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1949年の「ドロップショット計画」: 300発の核爆弾、100以上のソ連都市が標的

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1945年から1950年にかけて、(トルーマン大統領の下で)ソ連を攻撃するための数多くの戦争計画が「定期的に策定され、修正された」。そのほとんどは、J.W.スミスがその著書『世界の無駄な富2(The World’s Wasted Wealth 2)』で概説しているように、完全に機能不全に陥っていた。

「これらの計画に与えられた名前は、明らかに攻撃的な目的を示している。ブッシュワッカー(ゲリラ兵)、ブロイラー(焼き肉器具)、シズル(油で揚げる音)、シェイクダウン(ゆすり)、オフタックル(攻撃側のタックル選手のすぐ外側で行われるプレー)、ドロップ・ショット(ネット際に落とすショット)、トロイの木馬、ピンチャー(盗人)、フローリック(お祭り騒ぎ)。」

米軍は、トルーマン大統領が準備を命じた仕事の攻撃的性質を知っており、それに応じて戦争計画に名前をつけていた。

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ミチオ・カク博士(角道夫は日系アメリカ人の理論物理学者)とダニエル・アクセルロッド博士は、その著書『核戦争に勝つために:国防総省の秘密戦争計画』の中で、1945年9月の青写真に続いて、アメリカ軍がソ連(および冷戦後のロシア)を爆撃する継続的な計画を立てていたことを(機密解除された文書に基づいて)証明している:

「本書(ラムゼー・クラークによる序文)は、私たちに冷戦と軍拡競争の歴史を再考させ、書き直させるものである。......そして、1945年から現在に至るまで、核戦争を起こすための米国の驚くべき秘密計画を垣間見ることができる。」

1945年9月の青写真(66都市)は、1949年にドロップ・ショット計画と題された別の狡猾な攻撃計画へと続いた:

カクとアクセルロッドによれば、1949年のドロップ・ショットは、「モスクワやレニングラード(サンクトペテルブルク)を含む100の都市部の200の標的に、少なくとも300発の核爆弾と2万トンの通常爆弾を投下する」というソ連に対する計画であった。

この計画によれば、ワシントンは1957年1月1日に戦争を開始することになる。

ドロップ・ショット計画は、ロシアが1949年8月に核実験を発表する前に策定された。

冷戦時代の1200都市の標的リスト

66都市を攻撃するという1945年の最初の青写真、それに続く1949年のドロップ・ショット計画(100都市を目標)は、冷戦の過程で更新された。1956年の計画には、ソ連、東欧のソ連圏諸国、中国の約1200都市が含まれていた(以下の機密解除文書を参照)。

攻撃用の原爆は、広島と長崎に投下されたものよりはるかに強力な爆発力を持つ(下記参照)。

我々は、ソ連、中国、東ヨーロッパに対する計画的な大量虐殺について話している。

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アルファベット順の核攻撃対象1200都市リストからの抜粋。国家安全保障アーカイブ、op. cit.

1956年6月に作成された「1959年のSAC(戦略空軍司令部)核兵器要求調査」に関わる詳細は、2015年12月22日に機密解除された(以下抜粋、クリックで全文にアクセス)。

国家安全保障アーカイブ www.nsarchive.org、 SAC, 1956によると、
「...これまで機密解除された中で最も包括的で詳細な核攻撃の標的と標的方法のリストを提供している」。知る限り、冷戦期のどの時期においても、これに匹敵する文書が機密解除されたことはない。

SACの研究には、ゾッとするような詳細が含まれている。...著者は、北京、モスクワ、レニングラード、東ベルリン、ワルシャワを含むすべての都市の「住民」を具体的かつ明確に標的とした、ソ連圏の都市・産業標的の「組織的破壊」計画を策定した。

SACの文書には、ソ連圏の1100以上の飛行場のリストが含まれており、各基地に優先番号が割り当てられている。...

第二のリストは、「組織的破壊」のために特定された都市・工業地帯のリストであった。 SACは、東ドイツから中国まで、ソ連圏の1200以上の都市を掲載し、優先順位も設定した。モスクワとレニングラードはそれぞれ優先順位1位と2位だった。 モスクワには179の指定爆心地(DGZ)があり、レニングラードには「住民」目標を含む145があった。 ... 調査によると、SACは1.7から9メガトンの爆弾で空軍の標的を狙った。

計画どおり地上レベルで爆発させれば、付近の民間人に大きな放射性降下物の危険が生じただろう。 SACはまた、抑止のために必要であると同時に、ソ連が奇襲攻撃を仕掛けてきた場合に「重要な結果」をもたらすという理由で、60メガトンの兵器も欲していた。1メガトンは、広島を破壊した原爆の70倍の爆発量である。 (強調は筆者)。

よく読んでほしい:

この極悪非道な計画がソ連とその同盟国に対して実行されたとしたら、死者の数は筆舌に尽くしがたいものになるだろう(広島と比較した場合、即死者は10万人)。構想されていた最小の核爆弾の爆発力は1.7メガトンで、広島原爆(TNT火薬15キロトン)の119倍の「威力」があった。

上記の9メガトン爆弾は広島原爆の630倍、60メガトン爆弾は広島原爆の4200倍である。

会報が 1945年9月、マンハッタン計画の科学者たちによって創設される。

皮肉なことに、広島と長崎の直後、原爆開発に携わったマンハッタン計画の科学者たちによって『原子科学者会報』が1945年にシカゴで創設された。

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核戦争2年後の1947年、会報は「午前0時7分前という独自の設定」で終末時計を考案した。

この構想は、軍拡競争がなかった時代に策定された:

1945年9月に策定されたソ連に対する終末の日のシナリオ(大量虐殺)を実行しようとしていたのは、核兵器保有国のアメリカだけだった。

終末時計が作られた1947年、『会報』が支持した「正当化」はこうだった。

「人類にとっての最大の危機は、… 米ソが核軍拡競争に向かうという見通しから来る」。

この声明の根本的な前提は、アメリカが核兵器を独占することを確実にすることであった。

1947年当時、「地図からソ連を消し去る計画」はまだ国防総省の図面上にあったのに、関連文書は30年後の1975年に機密解除された。だから、かつてのマンハッタン計画の科学者のほとんどは、1945年9月のソ連に対する青写真を知らなかった。

ソ連が核保有国として台頭したのは、「終末時計」の開始から2年後の1949年8月のことで、アメリカによる核攻撃を阻止するための行動(後に「抑止力」と呼ばれるが)を、適用することが主な目的だった。冷戦と軍拡競争の最中、この概念は最終的に「相互確証破壊」と定義されるものへと発展した。

『会報』が取り上げた何人かの著者や科学者は、アメリカの核兵器計画に関して批判的な視点を提出してきたが、マンハッタン計画の歴史や正当性に疑問を投げかけるまとまった試みはなかった。

より広範な傾向として、広島・長崎への原爆投下の「正当性」を保持しながら、ロシアや中国、北朝鮮にさりげなく責任をなすりつけ、「歴史を抹殺」しようとしてきた。

核戦争と「CO2の差し迫った危険」

ここ数年、『原子力科学者会報』は「核兵器、気候変動、その他のグローバルな安全保障問題についての関連情報を提供することを目的としている」。

終末時計エルダーズの議長であり、アイルランド共和国の元大統領であるメアリー・ロビンソンによれば(2023年の声明):

終末時計は全人類に警鐘を鳴らしている。私たちは崖っぷちに立たされている。炭素排出量の削減から、軍備管理条約の強化、パンデミック対策への投資まで、私たちはなすべきことを知っている。.... 私たちは複数の存亡の危機に直面している。指導者たちには危機意識が必要だ。(強調は筆者)

この視点は笑い草に近い。CO2は人類にとって核戦争に匹敵する危険であると、さりげなく言われている。それはプロパガンダの道具となっている。

ノーベル賞受賞者の集団によれば、終末時計は今や「さまざまな原因による人類への脅威を表している」と言われている。
ナンセンスだ。

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2023年1月の声明、ワシントン・ポストからの画像

C02やCovidを核戦争に匹敵する危険として提示することは、全くの嘘である。

その意図は世論を誤った方向に導くことにある。これは、「先制核戦争」の最初の攻撃、すなわち「自衛」の手段としての核戦争(2001年の「核態勢の見直し」で策定)という米国の教義に正当性を与える、かなり直截な宣伝活動の一環である。

懸念されるのは、ジョー・バイデンを含む米国の意思決定者たちが、ロシアに対する先制第一核戦争で「勝てる」と自らのプロパガンダを信じていることだ。そして戦術核兵器は「平和の道具」であるとしていることだ。

一方、歴史は抹消された。1939年のマンハッタン計画の猛襲以来、「終末の日の計画」(別名ジェノサイド)の開発におけるアメリカの一貫した役割は、全く言及されていない。

懸念されるのは、「ロシアを地図から消し去り」、第三次世界大戦を引き起こすことを目的とした、数々の計画と第三次世界大戦のシナリオの歴史が続いていることだ。

ロシアに対する核戦争は、1945年以来、アメリカの軍事教義に組み込まれている。

________________________________________

ミシェル・チョスドフスキーはオタワ大学の経済学教授であり、非常に高い評価を得ているウェブサイトwww.globalresearch.ca を運営しているグローバリゼーション研究センター(CRG)の所長である。ブリタニカ百科事典の寄稿者でもある。著作は20カ国語以上に翻訳されている。
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